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2月は逃げ月というらしいが、早かった。もう3月かぁろカレンダー見ながら朝、思ったのものです。来月は、ご近所やら親戚、友人等に、引越し、卒業、就職、入学とたくさんあるものだ、と・・・そんな事を思った今朝、いつものように娘を幼稚園へ送り届けてから、帰り道、近所の人が公園のベンチに一人ポツンと座ってたので、なんとなく声をかけてみた。その人は、独身女性で実家の姉と同い年、足の悪いお母さんと少し痴呆のあるお父さんと独身の弟さんと同居してる。声をかけたかわからないけど、疲れた様子で声をかけずにいれなかった。親しいというほどではないのだが、時々プールであったり、以前聞いたところによると姉と同じような病気で姉と同じ病院に月に一度通院してるとのことだった。その女性は、疲れちゃって・・と。最初は涙ぐみながら、毎日、毎日、家のことして、体調悪くて仕事にも行けなくて、また行きたくても、この頃はお父さんが痴呆が出てきたので目は離せないし、お母さんもリハビリを嫌がるし、自分の将来はとっても不安で・・・かといって頼りになる人がいるでなし、先々、自分がどうなるのか、兄弟や兄弟の子に迷惑掛けないように生きていかなければ行けないと思ってるのだが、今のままじゃどうにもならないし、一緒に住んでる弟は家の事も親のことも全く気にしてないし・・・ここまで話されて、彼女は、よほど苦しかったのか、号泣になってきた。彼女の姿に自然と姉の姿が重なってきた、彼女も2年前までは姉と同じように、キャリアと呼ばれるような仕事をしていたらしい、ところが、突然の病気で、休職⇒その頃母親が足を骨折⇒親の看病と自分の治療のため退職、という道を歩んだというのは、姑や旦那からも聞いていた。背中をさすりながら、何か気のきいた言葉をかけてやりたかったが、言葉がみつからなかった。慰めの言葉の一つもかけてやりたかったのだが、どうしようもできなかった。彼女はひとしきり泣いて、ごめんね・・と言って、もう少し話聞いてくれる?というので、その時、私が出来ることは話を聞いてあげることだけ、という気がして、頷いてた。彼女は、また話し出した。隣県に兄夫婦が住んでるらしい。隣市に妹が二人、それぞれに結婚して子供もいるらしい。妹というのは、時々、子供を連れて来てるので知ってたが、息子がもう一人いたというのは初めて知った。その兄夫婦が、今度、嫁の実家近くへ転居するのだ、と。転居先は、北陸のほうで、能登半島の先っちょだと。随分遠いですねぇと思わず言った。彼女は頷きながら、兄夫婦は結婚して15年近くなるのだが、結婚する時、嫁さんとの約束で一番上の子供が学校に入る前に自分の実家近くへ引っ越すという約束だったと。嫁さんの兄弟は、他に男3人いるのだが、どの男兄弟の嫁とも母親がうまくいかないと思うので先々娘である自分を母親が実家近くに置きたいというし、嫁さんも実家近くのほうが気楽だからということで、結婚する時に約束してたのだと。それを兄から宣言されたのは、先月のこと、結婚して長いこと子供が出来なかったので、やっと今年が、最初に約束した一番上の子供の学校入学の年。なんか変な話だな・・・彼女は続けて話した。2年前、自分が倒れて入院した時、そのお兄さんは、見舞いと称して病院の入院費用を全て払ってくれた、その程度の金なら払えたのだが、お見舞いだからいいのだ、と、笑って払ってくれたのだ、と。その時、それまで一度も、そんな事なかったのに、ましてや、仕送りだって一度もしたことない兄なので、妙な気はしたが兄弟の好意に甘えたつもりだった。ところが、先月、転居宣言の際、あの入院費用の支払いが手切れ金代わりだと言いだした。10万前後の金で手切れ金?かとつかみかかったが、嫁の実家近くで家も買うし、今後の生活もあるので、というのが、そのお兄さんの言い分らしい。いよいよ変な話・・・そのお兄さんの嫁さんというのが、転居が決まったら、一切、電話は出ないし、私は関係ないですから、と全く、他人、の状態で、転居する挨拶もないと。で、お兄さんが言うには、小さな事に気のつかない人でねぇ、実家近くに転居するので近所に挨拶周りするために菓子折りぐらい持って行かなきゃと言ったところで、菓子折り一つ買ってくるような性格らしい。いったい、そのお嫁さんって幾つ?と思わず聞いたら、その女性や姉と同い年、ということは、今年2度目の成人式の年にもなって・・・彼女は少し落ち着きを取り戻しながらまた話し続けた。何も親を見てくれとか、金を送ってくれとか、そういう事は言わない、今後も言うつもりもない。確かに、自分の将来は物凄く不安で、食べていけなくなれば餓死すればいいとも思ってると。しかし、それまで頻繁に電話をかけさせてた姪や甥にも電話もさせない、掛けても、電話口にも出させない、電話の向こうで姪や甥が叔母ちゃんと話すといってる声が聞こえるのに、話させてもくれない、電話しても何用ですか、お父さん、今は留守ですよ、ガチャンと切られる、せめて、一言、今度転居するから、と、嫁さんの口からも聞きたかったのだと。今度、自分の実家の近くへ引っ越すんですよ、私の親も年とってですね、の、その一言でいいから嫁さんの口から聞ければ、そう、元気でね、と、笑顔で送り出せるような気がするのだ、と。内心は、ハラワタ煮えくり返るほどの気持ちでも、人が旅立つ時に、笑顔で送り出す術くらいは知ってるのだと。彼女は話し終えてすっきりしたような顔になってた。うまく言えないけど、溜め込むと身体に良くないですよ。うちの姉も同じ病名の病気で、社会復帰できない上に実家の母の調子が悪くて、うちは兄貴や弟は海外赴任で、近くにいないし、姉も先日、検査で姉自身が白血球数が上昇してたって、通常の3倍値ぐらいまで上がってたって。母のこともあるのだろうってお医者様はおっしゃったらしいけど・・・難しいですよね・・・って言うと、彼女は実はね、お宅のお姉さん、現役時代から名前は知ってたし、何度か入札なんかでも顔合わせてたのよ、お姉さん頑張ってたよ、社会に出た頃そういう女性、一気に増えたの。でも、別の道を選択していく人も多かった、勝ち組、負け組なんて言葉で片付けられるほど、簡単なものじゃなかった。何なのかなって突き詰めていくと、淋しい、自分だけが取り残されていくようで淋しい。でも今日は話を聞いてもらえて嬉しかった。忙しいのに時間取らせてごめんなさいねぇ。と、歩いて帰って行かれた。彼女の家とは公園前の三叉路で反対方向になるのだが、距離的にはそう離れてない。時々、妹さんが小さい子連れて遊びに来てるので、うちの子豚娘などは会う人誰でもお友達なので、即、公園でお知り合いに会って遊んでたから妹さんたちは知ってたが、お兄さんがいたとは知らなかった。私も嫁の立場で、確かに別居したいとは思っているが、なんとも変な話のような気がする。嫁さんの親も息子の嫁とうまくやれないと思うから15年前に約束してた、と、いうのも変な話。兄貴のところに電話して兄嫁の声でも・・・と思ったが、話好きの兄嫁に電話なんぞしようものなら1時間は軽く喋られる、うちの実家の兄嫁の場合、本来なら私がもっと世話しなきゃいけないところ・・・の謝罪口調から始まり、近況報告、世間話と続く、電話代もタマラナイ、で、なんとなく実家の姉に電話したら、今日は姉の信心するお不動様の縁日で携帯は留守電になってた。姉は、もしかすると、毎月のお不動様参りが心の拠り所になってるのかもしれない、そんな気もした。言わないだけで本当は泣きたいぐらい苦しんでるのかも、そんな気がして、姉が帰宅した頃、電話すると、姉の携帯なのに、母が出て、「姉ちゃん、寝てるの。コタツで。」「どうしたの、コタツで寝るなんて姉ちゃんらしくない、具合でも悪いの」「違うの、今日、お不動様のご縁日に行って、今日は春の大祭だからって、お土産に桃の節句も近いしって白酒もらってねぇ、それ飲んじゃったら寝ちゃったのよ、なんか楽しいわねぇってケラケラ笑って(笑)」何か楽しかったんだろうな、そう思うことにした。今度、姉の話、一度ゆっくり聞いてあげよう、正面切ってじゃなくて、さらっと何気なく。思えば、姉に私が愚痴こぼすことはあっても、姉ちゃんが私に愚痴こぼしたり、不満言ったりすることは一度もなかった。いつも甘えてきたから、大好きな姉ちゃんにたまには甘えていいよ・・・って言っても頼りないって言われるかな?
2006年02月28日
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朝から娘を幼稚園へ送り届け帰ってくると、玄関の前に姑が立っていた。「陽菜子さん、着いてきてくれるんでしょ、病院」と突然言われたって・・・ちょっと準備しますから、家の中で待っててくださいね、と言って大急ぎで準備して、隣市の総合病院へ。風邪の季節ってこともあり、内科の診察室の前は溢れそう。それでも、診察前の問診票を書いて、なんとか座って待つこと30分。検査伝票をもらい、血液検査・心電図・レントゲン写真等の検査を終え、また待つこと1時間。その間、姑は一言も発しない、見るからに落ち込んだ顔。こいつでもこんな顔するんだぁと思わず思ってしまった。しかし・・・こいつが糖尿なんてことになったら、まさか食事を一緒になんていい出すんじゃなかろうか・・・やだよ・・・糖尿病の三大療法は、運動・食事・薬物だから、まさか一緒に歩くとか言い出さないとも限らない・・・やぁだよ~と、一人で考えてたところで呼び出された。診察されて、少し肥満・高血圧・高脂血症・そして糖尿は再検査要。空腹時の血糖から始めて75グラムのブドウ糖飲んでの負荷試験が必要らしい。次回は栄養士の先生による栄養指導もおこなわれるとのこと。先生から、糖尿病の合併症の話を聞かされ、糖尿病の診断が下された時は、2週間の教育入院があることを説明され、いよいよ落ち込む始末。病院終わってから、少し時間の余裕があったので、実家によって昼食を共にすることにした。しかし、姑は、食べようともしない。そんな姑に、実家の母が、「糖尿病とはお友達になること、糖尿病のおかげで毎日、犬を連れて散歩も出来たし、一病息災で血圧も若い頃からけっこう安定してたし、30年も糖尿病と連れ添ったからか去年の秋ごろから腎臓悪くなったけど、その時は透析ともお友達になろうと決めてる。60も過ぎて、少し休めってことよ。元気出しなさい、クヨクヨしてたら疫病神くっつくよ」っていわれて、少し、食欲出てきたけど、いつもの元気がない。娘をお迎えに行かなきゃいけないので、落ち込む姑放り出すわけにもいかないから、連れて帰ってきて、娘を迎えに行って帰ってきたら・・・今度は、登山でも行くような格好で玄関前に立ってる。「どこかお出かけですか?」って聞いたら、「うん、今から、タラコ(犬)と散歩行って来るから、実家のお母さん、吾郎ちゃん(実家の犬)連れて歩いてたのでしょ。私も今日からタラコ連れて歩くわ」不思議そうな顔をしてる娘と呆れ顔の私を尻目に姑は出かけて行ったけど、2時間後、タラコから引きずられるようにして姑は帰ってきた「だって病院の先生が1万歩ぐらいは歩くようにっておっしゃったから・・・」普段歩きなれてない人が突然、そんな歩いて・・・この調子じゃ夕飯・・・と思っていたら、案の定「陽菜子さん、なんでもいい、残り物でもインスタントでもいいから何か分けて、買い物にも行けなかったから・・・それに足腰痛くて台所立てない・・・」やっぱ、2週間の教育入院してもらわないと・・・こいつは自己判断で何をやらかすかわかったものじゃないが・・・姑が入院するとすれば、舅の食事・・・どこか住み込みのアルバイトでも行ってもらおうかしら
2006年02月27日
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うちの娘のお誕生日は、ひな祭りの翌日。そこで、今日は実家の両親達と一緒に出かけたこともあって、お雛祭りのケーキとお誕生日のケーキ、一緒でいいよね、という話を母ともして帰ってきた。旦那もせっかくなら、お誕生日に休みを取るのだと言って、じゃあお誕生日に一緒にひな祭りもしようという事になってたのだが・・・。夕方、姑が来て、「菜豚子のお誕生日とひな祭りと二日続けてやるわよね」と言うので、「いいえ、誕生日に一緒にします。」と言ったら、「そういうのを遅くやるのって良くないんじゃないの?二日続けてやればいいじゃないの、そうすれば、菜っちゃんだって二日続けてケーキ食べれるのに・・・」二日も続けてケーキ食えるか???このババア、と思ったけどそこは落ち着いてワン呼吸置いてとしていたら、横から旦那が「アホか、毎日毎日ケーキばっか食えるか、アホみたいなこと言うな」すると姑「だってこの前の健康診断で、少し糖が出てたから甘いもの控えてるんだもの、孫の節句やお誕生日だったら食べていいって聞いたから・・・」私「お義母さん、血糖値高いんですか?」姑「うん、パート先の健康診断で再検査って出て、でも病院は行ってないの、同僚が糖尿でね、病院行くと色々食事制限されるって言うからね、でも同僚が言うには甘いもの控えてればいいって言うから・・・」私「お義母さん、悪いこといいません、明日でも明後日でもいいですから、病院行って下さい、一人がいやなら私、一緒行きますから。糖尿はそれじたいは怖い病気じゃないんです。でもきちんと血糖コントロールしないと合併症起こすんです。その合併症が怖いんです。実家の母も糖尿で何十年も治療してきたけど、それでも合併症で腎臓悪くなってきたんですから。」姑「だってこの年になって・・・あれ食べるなとかこれ食べるなとか・・・」私「とにかく病院行って検査してからのことです。糖尿なのか、まだ境界域なのか、それとも違うのか、その確定が出来てないと、お義母さん、ケーキどころじゃないですよ」姑は、パート先に明日の勤務の変更可能か連絡してみるね、と、青くなって降りていきましたが、余計な話を聞いていた娘は、満面の笑みで「ママ、お雛様のケーキはひし形でいいよ、ひし餅みたいな三色のケーキ、お誕生日ケーキはアンパンマンケーキがいいなぁ」甘いものばっか食べてたら、幼稚園の制服、いよいよ入らなくなるんだから・・・まったくもう。
2006年02月26日
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今日は母方の祖母の満100歳のお誕生日。老人保健施設に入所している祖母の元へ娘連れて、実家の両親と姉と旦那と誕生日祝いの花を持って出かけた。現在、介護3の状態の祖母。時折、誰が誰かわからなくなるというより、姉以外の人はほとんどわからないときが多い、なぜか、姉だけは間違いなくわかる。(姉って私の実姉)お見舞いに行った。ちょうど祖母は、広間に出てきて、庭を眺めてた。姉が最初に声を掛けると、「あらぁ来たね、誰と来たの?」姉が誰々と来た、と話すと、「あら菜っちゃん、来てくれたの・・・」と喜んでそこまでは良かったが、その後は、「皆さんお初に・・」という挨拶が始まって、その後、ひ孫であるうちの娘と祖母の会話娘「ひぃばばちゃま、お誕生日おめでとう」祖母「ありがとうね、ひぃばば今年で幾つになったかねぇ」娘「いま、二歳、もうすぐ三歳」祖母「そうやったなぁ、ばぁばはもう年取らんようになって何年なるかのう」娘「ハントシ」祖母「そうかいなぁ。年取るともうろくしてなぁ」娘「ひぃばば、もう六歳なの」祖母「そうやったな、もう六十かいな。ほな今年は還暦祝いしてもらわんとなぁ」娘「お祝いだったらまたケーキ食べれるね、アンパンマンのケーキがいい?」祖母「ジャムパンがえぇなぁ、アンパンはあんまり好きやない」娘「じゃぁイチゴのケーキ?」祖母「ほな菜っちゃん、ママやのうてオバちゃんに言うて、大きいイチゴの乗ったケーキ作ってもろうて」娘「(元気よく)わかった(^o^)妙な会話が成り立ってて、これって娘の誘導尋問?とも思ったけど、姉お手製の誕生日ケーキ食べて、祖母は2時間ほどの間に、年齢が60歳になってみたり、80歳になってみたり、様々でした。帰るからね、と声掛けると、また遊ぼうねぇ、と手を振りながら、「あたしゃ今日で100歳よぅ」と叫んでました。時々、祖母は本当に痴呆なのかって思う時もありますが、元気でいてくれてそれが一番です
2006年02月26日
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数日前、近所の小学生が、下校途中に車に乗った男に声を掛けられたという話を幼稚園の先生から聞いた。幼稚園側としては、現在もだが、親が迎えにこれない場合は、必ず、誰ちゃんのママに預けてとか、おばあちゃんが変わりに行きます、とか、連絡がない限り、幼稚園で何時間でも預かる、但し超過料金はいただきます、という制度なのだが、このような事があったので、今後は急な場合を除き、電話でのお迎え者変更は受け付けないことも検討している、お電話での変更の場合、2,3の質問をしたり折り返し電話することもある、という話を今朝、連れて行った時に園長先生から聞いた。我が家の場合は、私がこれない時は、旦那、実家の姉に頼むことも・・・と話して帰ってきた。他のママ達と怖い世の中だものねぇと話しながら帰ってき、実家に電話してこういう話だったから・・と姉に言ったら、姉が車乗ったままうかつ道も尋ねられないねぇ・・・と。それもそうだね、道を聞くのはコンビニか交番探そうね、と話して、買い物へと行ったのだが・・・その途中で、ある光景を目にした。それは、訪問介護の車。どうやら初めてなのか、地図を片手に運転されてた。危ないねぇと自転車で行きながら見ていたら、その車の人、窓を開けて近くを歩いてた60前後のオバサマ二人に、「すいません、この番地に行きたいのですけど、道・・・」なんとそのオバサマ二人、脱兎のごとく走り出した。その車の若いオニイチャンは、仕方なさそうに、自転車こいでた私に「すいません、この番地のところに行きたいのですけど、道がわからなくて」「あぁこの番地なら角曲がって、細い道行って・・」と説明し、スーパーへと行ったところ、先ほどの二人のオバサマ。オバサマ「ねぇねぇねぇ、さっきの若いニイチャン、追いかけてこなかった?」私「道を尋ねられただけでしたよ。○○さんちに行きたかったらしいんですよ、入り組んでますからね、」オバサマ「あら、それだけだったの。最近多いじゃない、変なの。あれかと思ったのねぇ・・・」人を見たら泥棒と思え・・みたいな言葉もあるけど、そこまで、疑りだしたら、道なんて歩けないよ、きちんと車体の横に、△△訪問看護センターって大きく書いた車でバカなことやるやつはいないでしょ・・・けどね。「
2006年02月24日
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現在、2歳で預かり保育の娘も来月めでたく3歳。早いもので、あんな小さかったのがもう3歳かよ・・・と感慨に浸ってばかりいられない。3歳の年の4月からは改めて入園となり、入園金などは免除されるけど、制服着せなきゃいけないし、入園式にママも出ないといけない。うちの幼稚園は、卒園の時に、下にいない子は制服を寄付して行ってくれる制度があるので、その中古品もらってサイズ直しして着せるというケースがとても多いのです。で、我が家の子豚娘も・・・毎日着る、ベスト・ブラウス・半ズボンは購入し、ジャケットとスカートは中古品をもらうことにしたのだが・・・横があえば縦がでかい。縦を合わせると横が入らない。ジャケットとスカートは入園式等の行事にしか着ないから、中古品でいいや、と思ったが・・・この調子では、注文したほうも合わないのでは・・・と思って、注文分が届いたので、着せてみたら、ちょっと大きい。先生に訊いたら、詰めて着せられてるケース多いですね・・・とのこと。袋やランチョンマットやら、去年、預かり保育に行かせる前も縫ったけど、今年もまた色々と縫うものが多い。また肩こりの日々は続く・・・
2006年02月23日
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家の近くに高校がある。季節ごとに、応援団の練習の声が響いてきてあぁ体育祭が近いんだな、とか、バザーの出品物ご協力いただけませんかぁ、と回ってこられて、あぁ文化祭が近いんだなぁ、とか、昼頃、学生服姿がウロウロしてて、あぁ試験中かぁ、懐かしいなぁ、と思わず思ってみている。あいにくと私も旦那もその学校の卒業生ではないのだが、日々見てて躾のいい生徒さん達だなと思わず思ってしまうほど、何かしら、気持ちのいい生徒さんの多い学校でもある。その学校から、今の時期になると、卒業式の予行演習かと思うような音楽が聞こえてくる、定番の仰げば尊し、や、蛍の光、の他に、今年は新しい音楽が数日前から聞こえていた。何だろう?どこかで聞いた音楽だけど・・・思い出せないなぁ、と思っていたら・・・昼過ぎ、幼稚園から戻った娘が、その聞こえてくる音楽に合わせて歌っていた。♪ありがとう ありがとう 白い友達・・・と、娘の歌は少々我流アレンジがはいるのだが、なんと、疑問に思ってた曲は、娘が夕方見ている、お母さんといっしょ、のなかで、歌のおねえさんとおにいさんが歌ってた曲だったのだ。て、いう事は?高校の先生がもしかして、お母さんといっしょ、を見てるの?それとも生徒さん?どちらにしても、優しい綺麗なフレーズの曲なので、これから旅立つ若人の真っ白な将来にぴったりの曲なのかもしれない。コーラスも吹奏楽も日に日に上手になってる彼らの演奏も本番まであとわずか
2006年02月23日
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今日は朝早くから、海外にいる兄貴や弟から電話があって、娘を幼稚園へ送り出したあと、急いで実家へ行って、用件済ませて娘のお迎え時間にギリギリの帰宅。なんとも忙しい日だわ・・と、迎えに出かけようとしていたら、姑が「陽菜子さん、頼みあるのだけど」と叫び声。「すいません、今から菜豚子のお迎えなんですよ」「わかってるけど、悪いけど、タラコちゃん(シェパードの子犬)をこう玄関前に繋いでいてもらえないかしら?」「いいですけど、出入りするのに大丈夫ですか?」「いいの、いいの、わざとそうしたいんだから」何考えてるんだか?と思いながら、犬を玄関前の支柱に繋いで、急いで娘のお迎えへ。娘はご機嫌そのもの。菜の花咲いたねぇ、梅が咲いたねぇ、と、ずいぶん、花の名前を覚えてくれた。帰ってくると大好きなタラコが玄関前にいるものだから、これまた大喜び。キャッキャッ喜ぶ娘に、早くおうちはいろうや、と言ってたところへ、舅が出てきて「陽菜子さんちょっと・・・」「なんでしょうか」舅とは先日の母の病気の件以来、の会話。「陽菜子さん、この前は本当に済まなかった、申し訳ない、見てくれ、この腕、うちのババが叩いて叩いてホウキで叩きまくった後のアザなんじゃ、それはそれとして、さっき電話があって、トースケ夫婦が来るらしいんじゃ、だけどな、絶対に家にはいれない、話するなら、家の中にはいれず、裏庭に回らせて、縁側で話すと決めた。ただ、あのアホのことだから何、言い出すかわからないから、ちょっとだけ立ち会ってくれんかな」縁側でですかぁ・・・へぇ・・・って思いながら、娘をとにかく2階の我が家へ。娘は義弟夫婦見ると、泣き出したり隠れたりする。10分ほどで義弟夫婦が到着したことはわかった、タラコのキチガイみたいな吠え方でわかるのだ。タラコの様子を見るようなフリして階下へ降りていった。娘は1階のお座敷の大きいTVでDVDを見せることにして連れていった。義弟の話に金が絡まないことはなし、案の定だった。先日、義弟嫁が在宅で行おうとしていた仕事は、高額な登録料のみ取って実際は仕事は殆ど無く、またあっても仕上がりに難癖つけて報酬を支払わないものらしい、いまだそうした詐欺は世の中のどこかで発生していて、以前ほど無いが被害者も後を絶たないらしい。契約解除の手続きは、私の実家の姉の友人の弁護士に依頼したらしい、忙しい身の上の弁護士さんなので、相談の時間がすぐには取れなかったらしいが、それでも、姉の顔を立てて早めに相談を受け、手を打ってくれたらしい。払い込んだ金は何とか帰ってくるが、弁護士さんへの報酬の支払い・・・というのが義弟夫婦の言い分だった。しかし、舅も姑も一切知らないの一点張り。それどころか、今月分の家賃の催促を行っていた。私は知っているんだ、姉の友人の弁護士さんは、相談者の経済状況に合わせて、支払いを待って下さるって事を。但し、インチキすれば、相手は法律のプロですから、どんな結果になるかは・・・。義弟夫婦は悪態つきながら、しかしショボクレテ帰って行った。今までにない冷たい突き放しかたでしたねぇ、と、姑に言うと、姑曰く「もうね、正直、私達もあのバカに金取られるほど余裕無いの、失礼だけど、陽菜子さんのお母さん保険かけてた?」「生命保険ですか?それは、終身もだし、入院保障も一生涯のをですね、そういうのは、うちは母方の祖母がうるさく言ってましたから・・・」「そう、じゃあちょっと安心ね、私もジイサンも保険って小さいのしか入ってないの、いま、年寄りでも入れるのもあるけど、あれだけじゃいざ病気しても少しは足しになるみたいだけど、それでも、不安でね、お宅のお母さんみたいに病気になった時の経済的な不安がね、だから、もう結婚した子供に融通するのは一切やめようってジイサンとも話したの、だって、カースケには一切融通してないのに、トースケだけ手伝ってやる必要ないでしょ、それにね、トースケはプチ勘当中の身だから、家の中にはいれないの」「だから縁側で・・・」「そう、トースケ達は庭先でね、でもあぁしてるけど、たぶんアキコさんは実家のお母さんからお金融通してもらってるはずよ、実家のお母さん、隠れて会いに来てるらしいから、どんなに隠れてやっても、こんな田舎はすぐ知れるんだから」そんなもんですねぇって言いながら、娘と二階へ戻ろうかと娘を呼びにお座敷へ行くと、そこでは、2歳11ヶ月児が、66歳1ヶ月のジイサン相手にハム太郎講座を開いていた。娘「このグレーのがタイショウ君、リボンつけたのがリボンちゃん・・・」舅「菜っちゃん、アンパンマンはどのネズミだい?・・・」ってな調子で
2006年02月20日
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先日来より実家の母の病気のことで、色々と考えた。自分に何が出来るか、今まで何をしてきたか?自分は自分の家庭を盾に姉に全て押し付けていたのではないか?という自己嫌悪に落ち込みかけてもいた。そんな私に、来月3歳になる娘は、少々、調子ぱずれの歌を歌って聞かせたり、ママお花咲いた、とか、お天気がいいねぇ、春は来たぞ、なんて言葉を発し、子供なりにママへの気遣いをしてくれていたようだ。しかし、くよくよ考える私とは裏腹に、母はさっぱりしたもの、モノは考えようで、治療法のある病気というものはある意味幸せかもよ、年も年だし、一病息災、などと言って元気なもの。心配して一時帰国を兄や弟が申し出たらしい。そこで母が冗談で兄と弟に「帰国する金があるなら帰ってこなくていいから、姉ちゃんを少し慰労したいので、旅行でも行きたい、・・・ハハハのハ冗談だよぅ。ホワイトデーも近いから、姉ちゃんに何か気持ち送ってやってぇ」というメールを兄と弟へ送ったらしいのだが、母は、上記のような文面で送ったつもりだったらしいが、その時、老眼鏡は掛けてなかったし・・・というのが母の言い分なのだが、実際に兄と弟のところへ送信されたメールは「帰国する金があるなら帰ってこなくて胃いから姉ちゃん胃労したいので、旅行でも浮きたい、・・・母のは冗談だよう。ホワイトで持ち会から姉ちゃんに男か気持ち送ってやってL」となっていたらしい。誤変換と誤入力の結果、とんでもない恐ろしいメールが出来上がってた。母はそれを確認もせずに、兄と弟のところへ送ったものだから、読んだ兄も弟も、いったい、何がどうなってるんだ?姉ちゃん、どうかしたの?って、私の所へ連絡が来たが、こっちは何のことやらさっぱり。それで実家行って、母が使ってるPCのメール送信ボックス確認したら、上記のような何とも変な・・・姉の胃が働きすぎたの?旅行行ってハメはずしたいの?白の持ち寄り? 頭の中???で大笑いしちゃって。でも、兄貴も弟も、母の病気のことも今までの姉の苦労もわかってくれて、姉に旅行をプレゼントしよう、姉一人行けといっても家のこと気にして行かないだろうから、両親と3人ということで、当初、話はなっていたのだが、兄が、せっかく春休みにもなるし、我が家親子3人も一緒に行けば・・・その方が、旅先でも姉一人で母の世話しなくていいし、チビがいれば母の気分転換にもなるだろうし・・・旅費は兄が出すって言ってくれて、来月USJ行き決定。旦那が帰ってきてから、話したら、カースケ君、早々に会社に電話いれて、「嫁さんの親孝行ですよってに休みます」って、その行動の迅速な事。いつも朝から、それくらい早く動いてくれたら、「ほら、パパ、はやくしなきゃ・・・」って言わなくていいんだけどね。母の飛んだメールのおかげでこっちまでちょっと嬉しい出来事。来月が待ち遠しいですね
2006年02月20日
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今日は実家の母の通院日だった。先月、血液検査の結果があまりよくなかった母だった、毎回、姉が着いて行くのだが、今回は私も一緒に行った。姉一人に全てを押し付けてるようで、少しは姉の負担を減らしてやりたいとちょっと軽い思いやりみたいな気持ちで行ったのだが。そんな甘い考えで姉の負担を減らせないと病院で合流して即思った。1ヶ月間の食事メニュー、栄養成分、母が食べた量、食べた量から算定される栄養成分量、母の日々の体重管理、日々の飲んだ水分量。姉は全て管理していた。姉の必死の食事療法にもかかわらず、母の腎臓は一連の流れのように、あまりいい結果ではなかった。そろそろ透析の準備にかからなければならない、とのこと。血液透析が開始されれば、姉の負担は今より大きくなるのではと思い、他の治療法が無いか、Drに確認したが、2週間後に再度、様子を見て・・・といま少しすっきりしない言い方だった。姉に、全てを押し付けてるみたい、と、言ったら、姉は笑って、気持ちを少しわかってくれる兄弟がいればそれでいい、と言ってくれた。母自身は、昨年秋に少し調子悪くなって入院したが、その後退院してからは、以前より元気になってるのだ。このまま悪化しないことだけを願うよねって言って帰ってきた。義両親にも以前から実家の母のことは話してる。帰ると姑が「お母さん、やっぱり透析始めないといけないの?」私「今のところは、なんとか。でも近い将来でしょうね」姑「でも、いまは昔と違って機械もよくなってるんでしょ。チカラ落さないのよ」私「はい、ありがとうございます」そこで、舅が「陽菜子さん、お母さんの透析はするの?」私「いえ、まだ、今回はまだ大丈夫でした」舅「じゃあ、いつするの?」私「まだです。開始前にシャントってのも作らないといけないし・・・」舅「ふぅ~ん」私「来月、2週間後に再度、診察と検査して少し様子見てってとこですね」舅「2週間後に透析するの?」私「いや、だからまだです。」舅「じゃいつするの?」私「だからまだわかりません。近い将来、開始するのでしょうけど・・・」舅「早く済ませたらいいのにね」私「?早く・・・済ませるとかいう問題じゃないですから・・・」舅「どうせ、しなきゃいけないことでしょ、申告だって夏休みの宿題だって早く済ませたほうがいいに決まってる、どうせ一度やらなきゃいけないのなら早く終わらせたがいいじゃない」なんと、舅は、人工透析というものは1度行えばそれで済むと思っていたらしい。だってしらないんだもん、って何度も何度も姑に言ってたが、姑は、何度も何度も私に、陽菜子さんごめんね、ごめんね、と、言いながら、舅を引っ張って行った。無神経って言うか、モノゴトを知らなすぎると言うか、まったくもって、あのジジィはクソジジィ
2006年02月16日
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今日は雨、洗濯物も外に干せないし、第一、うっとしぃ。今日は買い物へ行く幼児もないし、出かけるのは娘の送り迎えだけ。そう思っていた私の携帯が鳴ったのは、娘を幼稚園へ送って帰り着き、一服と思いコーヒーを入れた時でした。画面見ると舅。なんだよ、うるせぇ。電話に出ると、てんぱった声120%で「陽菜子さん、大変だ、車の鍵を中に詰めてしまった。」「あらぁお義父さん、そういうこともあるから、免許証入れにスペア入れてませんでしたか?」「その免許証も車の中なんだ、財布も何もかも、携帯だけは首から下げてたから辛うじて大丈夫なんだJAFに電話してくれんか」自分ですればいいのに・・・このジジィ。「いまどちらにいらっしゃるんですか?(怒)」あほ・ドアホ と笑ってやりたかったが、そういうわけもいかず、ちょっと怒った口調で言ってやったら・・・ホントに間抜けのアホ子ちゃん「確定申告が今日からだと思って税務署に来たら明日からだったんだよ。それで帰ろうと思って駐車場まで来てキーを詰めてることに気づいたんだ」私は電話口で笑いたいのを抑えるの必死、でも、電話の向こうは完全にオロオロ状態。「じゃあJAFには私から電話して行ってもらいますから、お義父さん、そこで待っててください。お義父さん、JAFの会員証とか車に積んでますよね」「つんでるけど、それも車の中なんだ・・・どうしようか、現金そんなに持ってきてないんだよ、お金足りない時は集金に来てもらえるかね・・・」こいつホントにアホ。自分が契約したことはきちんと内容を知ってろよな・・・ちっと脅かしてやるかな・・・イヒヒ「そうですね、カースケが言うには、キー閉じ込みは1万円前後かかるらしいんですよ、でも会員になってれば無料とかって話を聞いたことありますけどねぇ・・・私も毎年、会費は自動引き落としで継続してますから内容を確認することは滅多にないし、いまだかつて使ったこと無いからですねぇ。とにかく電話しますから」バァカっての。って思いながらJAFに電話して、年寄りが一人待ってるから行ってもらうよう依頼した。30分ほどして、舅からまた電話。「一杯積んだ作業車に乗った人が来てね、でも、あっという間に開けてくれてね、会員証見せたら無料だった。良かったよかった」しかし間抜けなアホ。確定申告の受付開始日を間違った上、キー閉じ込みして帰るまで気づかないなんて・・・
2006年02月15日
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今日、学生時代の友人から久々に電話があり急に会えないかとのこと。娘を幼稚園へ送り出し、その後、買い物済ませたあとなら大丈夫な事を伝えると、それでもいいと友人はやってきた。大きな袋一杯に、大根と白菜とブロッコリーをいれて。私「どうしたの?この野菜?」友「うん、去年の暮れに実家に帰ってさ」私「去年の暮れに実家帰ってもらってきてたのを今頃持ってきたの?」友「違うの、去年の暮れに離婚することにして実家に帰ったのよ」私「は?何それ?」友「そこで、頼みがあってきたの。お金の頼みじゃないのよ、陽菜子のお姉さんの友人に弁護士やってた人いるでしょ、大至急とは言わないけど、お姉さんから紹介してもらいたいの・・・弁護士さんとか知らないし、どこに行けば頼めるかわからないし、失礼だけどお金もどれくらいかかるかわからないし、今日言って明日、と言うのは無理ってことは判ってる。急がないから、相談だけでも出来たらと思って、費用面でも折り合えば依頼もしたいし・・・」私「離婚のことで?」で、友達が言うには。友人が結婚したのは、一昨年の11月、だから結婚生活は1年ちょっとだったらしい、子供はいない。結婚前の話では、旦那の親とは子供が出来たら同居するという話だったらしいのだが、新居の賃貸契約直前に家賃もバカにならないからということで、急遽同居となった。そして、旦那の家が昔、下宿屋を営んでいたので、部屋もたくさんあるし、台所も2階にもあるということで、そこに住むことになった。結婚した。結婚式の祝儀も全て旦那の親が、嫁側の祝儀も全部持ち帰った。実家には結婚式の費用の半分の請求が行った。しかし、祝儀は全て旦那の親の手の中。実家側は、仕方ないね、と、言って親が結婚式の費用の半分は払ってくれた。ところが、待てど暮らせど、1日たっても2日たっても旦那は、生活費のお金を渡してくれない。そこで、旦那に生活費をと言ったところ、驚く答えが返ってきた。「なんで君が生活費いるの?おふくろがいるのに」なんと、旦那は全ての給料も結婚後の生活費も全て母親に渡していたらしい。自分たちの生活があるから、食費もいれば、日用雑貨も買うのだというと、旦那は「じゃあ、おふくろからもらってよ」そこで始まったのが、姑さんから毎日、1000円、2000円ともらう生活が始まったと。3000円以上もらう時は必ず、何を買うと言わなければもらえなかったらしい。それだけじゃない、買い物などに出かけて留守中に家計簿と冷蔵庫を姑がチェックし、ここが無駄だの、こんなもの買ってきてだの、と、ネチネチやられたらしいのだ。私「よくまぁ、そんなところで1年も頑張ったねぇ」友「何度も何度も実家に帰ろうと思ったの、でも、年も年だし、三十路半ばでしょ、今更、帰って親に迷惑掛けてもと思って我慢してたの。再就職するにしても、この年になるとなかなか無いしね。我慢できなったのはね、いつものように姑が家計簿チェックしてくれてたわけよ、そして、旦那に言ったことが、あの人、まだ生理用品買ってるけど、必要だったんだね、子供出来ないから、もう上がってるのかと思ってたった旦那に言ったらしいの、それを旦那が、笑いながらオフクロがこう言ってたよって報告するのよ。笑いながら私に言うのよ。こんな男とやってられないと思って、実家に帰ったのが去年の11月30日」私「その頃、何度か私の携帯に電話したでしょ?」友「うん、したよ、弁護士さんのことでね、でも、陽菜子のお姉さん倒れて仕事も辞めたらしい、実家のお母さんも入退院繰り返してるって別の子から聞いて、だから、電話も出れないんだなって思って忙しいんだろうなって思ってねぇ、そうこうしてるうちに年末でしょ、うちの実家、農家だから年末は注連縄つくりやら餅つきで忙しくって、お互い留守電の行き違いばっかでね、携帯だって実家から持って行ってて、実家の親が携帯の料金払ってくれてたから良かった。なんとか手元に携帯だけでもあったからね、電話だって自由にかけれなかったんだよ」私「で、旦那は迎えに来たの?」友「来た、来た、離婚なんてされたら世間体も悪いし第一出世に響くとか言ってね、1度だけ。何が不満なのかわからないって言ってね」私「姉ちゃんに電話してみるよ」って電話したら、姉はちょうど、そのお友達の弁護士さんと食事中だった。なんで11時頃、メシ食ってんの?この時間しか食えないからと姉らしからぬ妙な話だったが、姉の友人の弁護士先生は、快諾してくださって、とにかく、話をゆっくり聞こうということになり、遅い時間であれば時間が取れるとの事で相談に乗ってくださることになった。その友人から、今夜21時過ぎだったが再度、電話があった、弁護士先生に話を聞いてもらえて、正式な離婚手続きを依頼したらしい。慰謝料も多額なものではないが、結婚式の費用のことなども含めて、ちょっとした生活費の足しになる程度だが交渉してもらえることになったそうだ。費用も格安にしてもらえたと喜んでいた。夜、帰宅したうちの旦那のカースケにそのことを話したら、カースケ曰く「俺、おふくろに給料渡したこと無いよ。なんで渡すんだよ、あぁそう言えば、初めて給料もらった時に、偉そうに、母ちゃんに小遣いだよってやってへへヘって笑われたことあったな。そして言われたんだよな、覚えときなって、男が金を渡すのは女房だけだよ、その日までしっかり貯金しなって。同じこと、トースケも言われてるはずだけど、あのバカは金貯めてないんだもんな、でも、その旦那ひでぇな、旦那もだけどその姑も正常じゃないなぁ」うちの姑も、好き勝手なこと言ってくれるが、生理用品どうこうといわれたことはないし、そこまで踏み込んでこない。しかし、そこまで踏みこまれたら、別居どころかその日のうちに私は実家に娘連れて帰るぞ
2006年02月14日
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明日はバレンタインデー一応、旦那には手作りケーキを作る予定で準備万端。旦那に作ったところで、横から娘が手出して、またそれに親バカのパパが「菜っちゃん、食べるの。じゃあ、菜っちゃん、フォークとお皿持ってらっしゃい、上手にお運びできたねぇ」などと、目じり下げて、親ばか丸出し笑顔で娘に食べさせることは明白。それを楽しんでみてる私も親バカ丸出しのママなんですが。旦那はともかく、舅、一応義理チョコは毎年準備してきた、と、言ったところで、舅はチョコレート食べないので、焼酎、を毎年準備してきたのだ焼酎も、薩摩芋焼酎を黒ぢょかというので、飲むのが舅の唯一の楽しみなので、鹿児島の醸造元から毎年送ってもらっていた。だから今年も焼酎を準備していたところ、今日の夕方、娘がパパと犬の散歩から帰るなり、「菜っちゃん、明日はバレンタインデーだから、おじいちゃんにチョコレートちょうだいね」と請求していた。娘は、気前のいいお調子者なので、「うん、わかった、ママに言ってかってもらうね」と軽く返事をしてたらしい。焼酎とチョコ一緒に食って糖尿病にでもなったらどうするんだよ。だいたい、そんなもん請求するなよな、2歳の孫に。かくなる上は、娘に来月の誕生日を思い切りアピールさせるか・・・都合の悪いことは忘れること得意なジジィだからなぁ。明日、娘を幼稚園送ってから、チョコ買ってこよう、たしか、下のスーパーで、今日、すでにワゴンセールになってたからな・・・
2006年02月13日
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先月末から何かしらずっと忙しかった。舅のお姉さんの旦那さんが亡くなる、続いて、実家の父の従兄弟が亡くなる。姑は舅と離婚するようなことを平然と言い出す。その以前に、義弟夫婦のアホが自己破産するのどうのとのたまわっていた。いい加減疲れたので、連休、実家に帰ろうかと思っていたら、連休は実家が総出(と言っても3人暮らしだが)で留守だと言う。姉は、友人の結婚式へ行き、両親は長崎へランタンフェスティバルなるものを見に出かけるのだと。母の世話を父だけで大丈夫なのか、と尋ねたら、姉の出る結婚式が長崎市内であるから、要するに一緒に長崎へと出かけるらしい。いいなぁ、私も行きたいなぁ、などと、電話口でぼやいていたら、すかさず、娘が、「ネエチャン、お土産はね、角煮饅頭とね、カステラとね・・・」と食べ物ばかり、菜っちゃん、貴女、だから痩せないのよ・・・とぼやく母を尻目に、娘は、「ネエチャンがお土産買ってきてくれるって」と一人有頂天。結局、連休は旦那も仕事、実家も留守、幸いな事に姑も仕事、舅は伯父の農業の手伝い、ま、いいか、日中1階の住人が留守なだけでも幸せってもんよ、ってな調子で、娘とクッキーなぞ作っていた・・・平和なひと時は、一個のチャイムによって壊れた。まず、愛犬のタラコが玄関に向かって吠え始めた。続いて、チャイム、誰?インターホンに出ると、ギャーン、義弟夫婦だった。追い返そうと思い、「あらぁトースケ君、アキコさんも一緒、あらぁせっかくだけど、お義父さんもお義母さんもお留守よ」とインターホンごしに喋ってやったが、敵もさるもの、「今日は義姉さんに用事があって・・・」そう言われたら仕方がない、玄関をあけた。娘は焼きあがったクッキーの皿を抱えて、「タラコ、こっちおいで」と奥へと逃げ込む。義弟夫婦は、「菜っちゃん、こんにちわ」と声かけるが、娘は向こうの部屋から「こんにちわ」と言うだけで、知らん顔。お茶なぞ入れながら、今日は何用じゃい、と思ったら、「お願いがありまして来ました」と義弟。こちらも横着だが最初から「悪いけど援助の話はお断りしますから」と言うと、義弟嫁が「そんな言われたら・・・何も言えないじゃないですか。私、今度、仕事始めるんです。身元引き受け保証人がいるんです。それで保証人をお願いできないかと思って・・・それと、仕事するので必ず返せますから、準備に色々お金いるので、3万ほど貸してほしいんです。」何も言えないという割には一気に喋りやがった。私「保証人?!。そんなものトースケ君がすればいいじゃない、それに援助は断ると最初にもうしあげたはずです。」義弟嫁「援助じゃなくて返します。保証人はトースケは同居家族なんでダメなんです。第三者の別居してる人じゃなきゃダメなんです。」私「返すどうこうってね、当たり前でしょ、人から借りたものは返すの当然、でも私は貴方達には一円とて貸しません。先月末、あれだけ騒動して、まずは一週間、やってその経過を報告に来ます、年末にもきちんと帳面つけるようにします、言うばかりで一度も実行が伴ってないでしょ、そういうのなんて言うか知ってる?信用性がないって言うの。ましてや保証人なんて親にでも頼みなさいよ」義弟嫁「親はダメって会社が言うんです。第三者に限るって」私「いやです。どんな会社に勤めるかも説明しないで、何の仕事かも言わないで、保証人なんてなれませんし、なりません。親がダメなら自分の兄弟に頼めば」義弟嫁「会社はベンチャー企業です。これから新しい時代の会社です。IT関連企業なんです。そこでオペレーターの仕事するんです。実家は出入り禁止言い渡されてるし、頼める友人もいないし・・・」私「IT関連企業って何やる会社?オペレーターって何やるの?余計なお世話だけど、オペレーターやれるほどキー叩けるの?新しい時代の会社って何それ?」義弟嫁「健康食品とかサプリメントとか、そういうのを販売する会社なんです」私「それが何でIT関連企業?そこのオペレーターって通販のテレホンオペレーター?」義弟嫁「いいえ、通販じゃありません、ネットでのみ販売して、顧客の方にお電話でアドバイスするんです。」私「よく判らないけど、あんたそれ絶対におかしいよ、全く、余計なお世話ですけど、それって騙されてるんじゃないの、だいたいその会社はどこにあるの、事務所はどこ?勤務先はどこなの?」義弟嫁「勤務先は自宅です。家にいながら、パソコンの画面を見ながら・・」私「あんた、それまさか金払ってないでしょうね?商品買ったとか?」義弟嫁「いいえ、本当は20万ぐらいするPCを買わないといけないんですけど、お金が無いって言ったら、最初は月々3万でレンタルできるって・・・」私「契約書とかまさか書いたの?」義弟嫁「いいえ、まだ・・・電話で色々話しただけ・・・」私「何か知らないけどね、どう考えてもオカシイ。頼むからね、これ以上変な話持ち込まないでくれない。タウンページの弁護士の欄、上から順番に電話かけて、弁護士さんに相談して、きちんと確認取りなさいよ、おかしな商法って電話で合意してるとかって言われるケースもあるって聞いたことあるから、間に弁護士さんいれてきちんと確認とってもし仮契約でもなってたら解約すること。私、一切、知らないから。姉の知人の弁護士を頼るなんて考えないでね、子供じゃないんだから自分達でやりなさいよ。」義弟「保証人にはなってもらえないんですね・・・」私「ならないって言ってるでしょ。保証人と名のつくものは一切、ならないことに決めてるの、ましてや、こんな意味不明な商売の保証人なんぞなれません」義弟「義姉さんはそういうけど、パートに出るって言っても時給、何百円なんですよ、700円とか800円とか、それで毎月稼いでも・・・」私「暮らしが楽にならないって言いたいの。大方の人がそうじゃないの、毎日、コツコツ働いて、仕事終わって、家に帰って、今日も一日疲れたな、そう思いながらご飯食べたり、お風呂はいったり、そこで家族が笑いあったり、泣いたり、怒ったり、そんなものでしょ、お給料日にちょっと贅沢して美味しいもの食べたり、ボーナスもらったからちょっとお出かけしたり、そういうものでしょ、私達とは住む世界が違うみたいね。これ以上話す事もないんで帰ってください」渋々、帰って行きました。義弟夫婦が帰ると、娘が奥の部屋から出てきて「ママ、お塩まくの(笑)」よく知ってるわね・・・っていいながら、塩をまきに外へ出て行ったら、ちょうど姑が帰ってきて、見事、姑に、塩をぶちまけてしまった・・・姑に、「あらぁ。まぁ、どうしましょう」って言いながら、事の次第を話したら、なんと、昨日、姑のパート先にも昼休みに義弟嫁だけ訪ねてきて保証人を依頼し、その時、姑からこっぴどく叱られていたらしい、姑は「まったくどうしようもない人達だねぇ・・・」とぼやいていたが、そのどうしようもない人を育てたのは誰でもないのだけどね・・・
2006年02月11日
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数日前から夕食後、二階の我が家に上がってきて、我が家で当然のように、お茶を飲みTVを見る姑がポツリと言った。「ねぇカースケ、陽菜子さぁん、私、お父さんと離婚してもあんた達、私のこと見捨てないよね」旦那も私も一瞬固まった。旦那が、恐るおそる聞いてみた「おふくろ・・・親父と別れるの・・・」すると帰ってきた答えは「うぅ・・・ん、4月以降だと厚生年金半分もらえるんでしょ、それに結婚してからの財産は夫婦共同で作った財産と見なされて財産分与も請求できるって。・・・」「で、おふくろ、どこか家探すの?」と、ソロリソロリ尋ねる旦那に対しとても元気に姑は「まさかでしょ、ジイサン追い出すわよ、トースケのところにでも放りやるわ、私は菜っちゃんと離れて暮らすなんぞイヤ。それにね私、決めてるの。老後は陽菜子さんの世話になるって。陽菜子さんだったら、お母さんの看病もしてるから、将来、病気になっても慣れてるじゃない。安心だわ」「あの・・・私、看病って、うちの母は・・寝たきりとかじゃなくて、・・・ちょっと腎臓悪くて食事は姉が管理して食べさせてるし、車椅子生活じゃあるけど、自分でお庭ぐらいなら外にも出るし、リスの世話したりもしてるから・・・そんな看病って看病じゃないですけどねぇ・・・」「大丈夫、大丈夫、貴方なら両方掛け持ちできるから(笑)」何が、両方掛け持ちだぁ。絶対に私、知らないからね、あのジイサンを義弟のトースケのところに放りやるなら、バァサンも一緒にやってよねって旦那に言ったんです。絶対に、私、ジジとババの面倒なんて見るもんか。特にジジィなんか、姉が倒れた時だって母が具合悪くなった時だって、サンザンイヤミ言ってくれたんだ。絶対に見てやるものか
2006年02月09日
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佳叶MAXさんから回ってきましたので、ちょっと。1.恋人にする条件で、最も大切なことは何ですか?優しさと理解力、相談した時頼りになる性格、そんなところかな?2.非現実的でも結構なので自分の理想のパートナーを最大限に表現してください理想のパートーナーねぇ包容力のあること・一緒に笑ってくれる人であること・淋しさを感じさせない人であること難しいな・・・あとね、相手の親と同居しないでいい事3.異性と付き合いたいとき、どのようにアプローチしますか?旦那のときはカラオケ⇒神社の秋祭り⇒食事だったかな・・・まずは、カラオケかな?4.恋人と喧嘩したとき、どのように仲直りしますか ?ちっとふてくされて、ゴメンネって言います。5.恋人が泣いているとき、どう対処しますか?泣かれたこと無いから・・・話を聞いて、ゆっくり一杯飲んで、暖かくなるもの食べさせるかな?6.本当に大好きな恋人が浮気したとき、どう対処しますか?太平洋に沈んでもらいます7.夜、好きな異性から迫られた時、自分がその日ものすごくイケてない下着をつけていても受け入れますか?その時の気分しだいでしょうね、イケてない下着の時は、迫られないように心がけるのみです。8.相手はSかMかどちらがいいですか?どっちだろう?本当にわからない9.幼い子供に、赤ちゃんはどうやって生まれるのかと聞かれたらどう答えますか?娘を生む前に実兄の子(姪、当時3歳)から聞かれたました。その時、私は、病院の分娩室ってところで生まれるのって話した覚えがあります。姪は、私もそこで生まれたのかしら?って言うので、そうなのよ、って話して、兄から、もう少しどうにかした説明の方法あるだろうって大笑いされた記憶があります。11.最後に、 貴方が幸せになってほしいと思う5人に質問を回してくださいウゥ~ン 誰に回そうかな。見た人先着5名持っていてください
2006年02月08日
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間もなく確定申告、義両親は借家を少しばかり持っているので、毎年、姑が、書類抱えて税理士さんの所へ行っていた。ところが、この義両親も少しおかしぃんですよね。この義両親が持ってる借家等は全て、舅が自分の親から受け継いだもの、しかし、舅のお父さんは亡くなる時、その管理を全て姑に託したらしい。旦那のお祖父さんって方は、あの舅に管理させるとどうなる事か、不安だったのかもしれない?そこで、姑が長年、毎月の家賃の管理から毎年の申告のことまで、全て、行っていた。しかし、今年の申告には、舅の退職というものがあるので、姑はその退職金の件も合わせて、税理士さんに頼みに行こうとしていた。税理士さんに頼むからにはそれなりの費用もかかる。それは当然のことだが、私も結婚してから毎年出来上がってきた書類を見るたび、「こんなの素人には無理」と決め込んでいたし、姑も「間違いでもして申告漏れなんてやったらイヤだし、反対に多く取られるのもイヤだから」と言って税理士さんにお願いしていた。ところが、以前、姑が一度、その費用の件を舅に話して大喧嘩になっていた。舅はそんなもの「ちょっと自分で計算すればいい」と、言いながら、暗に私の姉にさせようという魂胆ミエミエだったのだが、姉から「申告用紙は本人が書くか、出なければ税理士が書かないといけないのでは・・・」と断られて、一時は諦めて税理士さんに頼む気になっていた。しかし、先日から図書館に行ったり、本屋に行ったり、国税庁のHPを見たりして、舅は申告の用紙を自分で作り始めたらしい。らしい、というのは、私が、この頃1階の親宅に顔出さないので。姑がわざわざそう報告に来たのである。そのため、舅は大変、気が立ってるらしく、姑がいれたお茶が熱いといっては怒り、電話が鳴ったと言っては怒ってるそうだ。そこへ、義弟が来たらしいが、門前払いを食らわせたらしい。その時の追い返した文句が「どうせ金の無心だろうが帰れ」とにかく、苛立ってるので、娘も近寄らせないようにしているのだが、それはそれで、姑に「この頃菜っちゃんがちっとも降りてこない、お前が嫁いびりするからだ」と言ったらしい。あんまり舅がうるさいってんで、姑が、取った行動食事が済むと二階の我が家へ来て居座ってる。パートから帰ってきても、すぐ上がってくるし、食事の準備頃降りて、食事済んだら上がって来るし。早く申告終わってくれぇ。
2006年02月08日
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2月になって少し暖かくなったので、娘(2歳11ヶ月)には薄手のコートを着せて幼稚園へ通わせてました。生意気お嬢は、「ママ、春色のコート着るからねぇ」などと言いながら、ピンク着たり、スカイブルー着たり・・・しかし、今朝は寒かったので、ダウンジャケット着せて幼稚園へと。すると、幼稚園の玄関で、同じクラスの2歳10ヶ月のお友達、ナホちゃんとばったり。「あら菜っちゃん、おはよう」「ナホちゃんもおはよう」「あらぁ菜っちゃん、今日はダウンジャケットなの」「そうなの、寒くなったからママがねこれ着ろって、ナホちゃんも今日はおーばーコートなのね」「そうなのよ、もう春だってのにうちもママが着ろって言うの」チビのくせに・・・ナホちゃんのママと、恐るべき平成二桁生まれと話しながら帰りました。2歳10ヶ月と2歳11ヶ月が、着る物を語る時代なんですね。ナホちゃんのママと確実に大きくなったことだけは確かだよねぇって話したものです
2006年02月07日
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一昨日の深夜、実家の姉から電話がはいり、父の従兄弟である伯母が亡くなったとのことだった。こういうのって続くよねぇと旦那と話したものだった。先週、旦那の伯父が急逝、今度は実家の父方の親戚。場所も遠いことと、亡くなった本人の希望もあって、静かに送るから・・と親戚からは連絡が来たらしいが、こちらからは実家の姉だけが飛んだ。母も体調悪いし、父一人やってもトンでもない方向音痴だし、私も子供小さいし、兄や弟はまず国内にいない。そこで姉が、急遽飛んだ。伯母は、父方の祖父の兄の娘。だから、父の従兄弟であるが、私や姉は小さい頃からとても可愛がられた記憶があった。いつもニコニコと笑みを絶やさず、父方の親戚の中では一番好きな人だった。転勤が多い父の仕事の関係上、一所に3年以上住むということが少ない私達だったが、転居するとすぐ伯母は必ず、新しい土地になれましたか、と手紙を兄弟それぞれに送ってくれる人でもあった。私が結婚する時、航空券と招待状を送ったら、「伯母ちゃんが出てもえぇんやろか、ほんまえぇんか」と何度も何度も電話の向こうで繰り返し繰り返し話し、最後は泣きながら「ほんまありがたい、伯母ちゃんに来てくれやて嬉しいわぁ」といたく感激された記憶がある。伯母は独身だった。生涯独身だった。なぜか。それは、伯母の足が少し不自由だったかららしい。生まれつき伯母は片足が悪く、片足をひきずって歩いていた。そのため、「家」の恥という理由で、祖父の兄である大伯父、いわば伯母の父親が伯母を幼い頃から関西の遠縁の親戚の元へ身の回りの世話をする乳母と二人預けられてたらしい。伯母が自分の実家へ戻ったのは、昭和22年、自分の父親が亡くなった時、伯母のお母さんが、もう、疎ましく言うものもいなくなった、ということで引き取られたらしいが、その母親ですら、嫁には出せないと、生涯、独身を貫くように、伯母に言い含めたらしい。なんともひどい話である。私は、どうして伯母が生涯独身だったのか、その理由を今回、亡くなって初めて姉から聞いた。姉が伯母からその話を打ち明けられたのは、昨年、姉が倒れた時、お見舞に伯母が駆けつけてくれたとき、伯母から直接聞いたらしいのだ。伯母の生家は、伯母の上に姉が一人と兄が一人、伯母の兄は戦死、伯母の姉が婿を取って家を継いだが、その間に出来た子の一人は30年以上前に東名高速で正面衝突で亡くなっている。もう一人いる子供が家を継いでるが、この甥御さんが、幸い、優しい人で伯母の足が治ることはないだろうかと、あちらこちらの病院をに受診させ、また温泉治療なども行ってくれていたらしい。伯母は、自分の親に対する恨み言は一つも言わない人だった。ただ、自分が子供がいなかったせいか、実家の母に、いつも言ってたらしい「どの子もそれぞれの個性があって、それぞれの持って生まれた人格があって、それぞれの身がある。子供は本当に十人十色だから、どの子も大事に育ててあげてよ」と言っていたらしい。母にとっても、伯母は最大の相談相手であったそうだ。また実家の父は昔から、何事もあまり気にしない性格だったこともあって、他の親戚連中が、伯母に対し、ヨソヨソしい態度を取ることなどどこ吹く風で、学生時代、帰省する時などや盆暮れなどには、必ず、伯母の所へ、お土産を送っていたらしい。そういう背景もあったせいか、伯母には本当に可愛がってもらった記憶がある。それだけ世話になっておいて、お悔やみにも駆けつけないのは、不義理かなと思いはしたが、同居していた伯母の甥御さんによれば、みんな集まるのも大変だし、こうした伯母がいたんだな、と、偲んでもらえればそれだけでいい、とのことだったというので、それい甘えさせてもらった。昼間、姉から電話があったさい聞いたが、父の兄弟の子達や伯母が自宅でひっそり行ってた和裁教室の教え子さんたちからの弔電、供花が予想以上に届いていて、斎場はお花で一杯になっているとのこと。おばちゃん、ありがとう。私、娘を大事に育てるよ
2006年02月05日
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今日は節分。寒気団が下ってくるという割には、空は青空。明日は立春だもんなぁ、春はもうそこまで来てるんだよねぇ、って、娘と話しながら、今日は歩いて幼稚園へ送っていった。歩けない距離でもないのだが、普段は寒かったり、雨だったりで、冬の間は車で送っていくことも多かったのだが、ここ数日、娘は歩きたがるので徒歩出園。途中、菜の花が咲いていて、そこの家のワンちゃんに行ってきますと声を掛けていく娘をみて、あぁ大きくなったものだ、と、感慨にふける母親は私。そんな母親に、娘は、ママ、今日は鬼さん退治の日だよね、と幼稚園に入って行った。娘が登校した後、他のママ達と、恵方巻きの事やら、豆まきの事やら話してから帰ったら、姑が、ちょうど出勤するところ。姑に会わないように、他のママ達とだべってから帰宅したのに・・・姑曰く「陽菜子さん、今夜、ご飯一緒にしよう。この前から、色々あったから、今夜は節分だから厄落とししようや」結婚して4年半、あの姑が厄落とししようだって、はぁ、このいい天気に空からヤリでも降ってくるんじゃないか・・・でももう・・・一緒にご飯食べようって、その分巻き寿司を多く作らないといけないじゃないの。しかし、娘の好みの、まさか、アンパンマン巻やら、ミッキー巻ってわけいかないだろうけど・・・えぇいかまうかぁ、で、作ったのが、モロキュウ巻、ネギトロ巻、納豆の薄上げ巻き巻き(納豆を薄上げで巻いて、それを巻き寿司にしたもの)これでいいさって作って、夕方階下へ。娘は幼稚園で作ったのと、真っ赤に塗った鬼の面を二枚と真っ白に塗った、お福様の面を一枚。娘が仕切って言うには、「オジイチャンとオバアチャンが鬼さん、私はお福さん、はい、お面つけて」その後は・・・幼稚園で習ったんだって。鬼は外、鬼は外へ出て行けぇって思い切り追いかけて豆をぶつける。予定より早く帰ってきた旦那はただただ呆れてみてるだけ。鬼を外へ追い出してしまうと、娘演じるお福様は、「ママ、早く玄関しめて、しめて。そうしないと鬼が入ってきちゃうのよ」去年、2歳になった時、少し早いかなって思ったけど、近所の幼稚園で2歳児から預かり保育を行ってるって聞いて、昼間、親と遊んでばかりで、昼間チョットだけ公園で遊ぶより、同年代の子供のいる所へ預けたがいいかなって旦那と話して、2歳になってすぐから預かり保育に通わせるようにしたけど、まぁ素敵、とってもいいこと習っちゃって。その後、娘が、オジイチャンとオバアチャンをお家の中へ入れてあげなきゃって言うまで、かるぅく、30分は経過してました。だって、豆まき済んだら、パパが帰ってきてたから、パパに今日一日のご報告始めちゃって、お外に追い出した人のことなんて完全に菜っちゃん忘れてるんだから。
2006年02月03日
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1月は何ともあわただしかった。毎年、お正月前は慌しくて、これは年末だから当然かも?少しゆっくりのお正月があって、あらぁ今年も一ヶ月すぎるのねぇってのが、毎年のパターンだったのが、何かしら慌しかった。その上、月末近くになって、義弟夫婦が自己破産など言い出すし・・・しかし、その騒動の時、集まった親戚の義伯父、正確には、舅の姉のご主人だが急死された。朝からトイレに行って気分悪くなりそのまま倒れて亡くなられた。急な事だったので、子供さんたちも遠方から駆けつける人もあり、一番遠いところに住んでいた子供さんは、移動に14時間も費やしたという人もいた。近くにいる親戚連中もみんな急な事で着る物から騒動の状態。以前、私は姉から、冠婚の衣装は前もって準備できるが、葬の衣装は急な事なので、必ず、和洋とも一式揃えておくようにと言われた事があり、揃えておいて良かったぁと改めて思ったものでした。旦那の分も、まとめて置いていたので、それをサッと着せるだけで良かったが。問題は娘、黒っぽいもの、以前着せたビロードのワンピースがあったはず・・・横が入らない・・・グレーのジャケットスーツ、95が無理、はいらない。来月でやっと3歳なのに・・・仕方ない、子供だ・・・地味ならいいさ、しかし、ブラウン系、グレー系、ブルー系、入らない。普段、娘はピンク系、グリーン系など明るめの色調のもが多い、彼女がそういうものがお気に入りだからだ。えぇくそ、子供じゃぁ、かまうかぁ、仕方ないので、白のワンピース着せて、連れて行った。しかし、それが反対に評判よかった。親戚のうるさい(失礼)御老人達に、「なんじゃ、天使が来たみたいじゃ」とか、「陰気くさいのが一発で吹き飛んでよかったわ」とか「通夜の晩は急に駆けつけた、って事でこれが正解じゃ」などと言われて一安心。葬儀の時は、娘は幼稚園に行かせる予定にしていたので、何とか娘はそれで済んだ。他の年上の従兄弟のお嫁さんたちに聞いたら、この付近は、必ず仮通夜、本通夜、葬儀となって、仮通夜の晩は嫁達は洋装でいいが、本通夜の晩は色無地に黒帯、葬儀は和装、子供達は直接の孫以外は仮通夜のみの出席でOKとのこと。確認してよかったと思いながらも気になったのは、仮通夜の晩、とうとう義弟夫婦が来なかった。本通夜の晩も義弟夫婦は来ない。舅が電話していたが、電話が停められているとのこと。携帯に掛けても電波の届かないのメッセージが繰り返されると。「こういう時に顔出さないから、言われなくていいことまで言われるのよ」と旦那の従兄弟のお嫁さんからまで言われる始末。次第に親戚連中からも「トースケはどうして来ないんだ」の声が上がりだし、最後には、舅が葬式当日の朝から電報を打って出席を促すという結果。葬儀当日、義弟夫婦はやっと来たが、義弟は普通の背広、義弟嫁もどうみてもブラックフォーマルではなく、ただ、黒っぽいだけのスーツ。姑が、義弟に「あんたなんて格好(怒)」義弟曰く「虫食いにやられててさ」義弟嫁も「急に葬式言われても喪服なんて持たないし」親戚中の冷たい視線を浴びながらも二人は澄ました顔でした。この付近は田舎で、隣近所が繋げれば繋がる親戚という家も多く、その分、和装で出席される女性も多い中、義弟嫁は妙に目立つんです。うちの斜め前のお嫁さんは、亡くなった義伯父の弟の息子嫁ということで、先月嫁いだばかりで、実家に喪服は置いてて至急送ってもらったけど、もしも届かないと困るからと思ってレンタルもしたらしい。それで、旦那に「レンタルだってあるんだってよ」と、言ったら、「そのレンタル代があいつら無いんだよ」って。全部終わって帰ってきて、また、グタグタやってくれるのかぁと判ってはいたが・・・姑「葬儀なんてものは、いつ急な事で起きるかわからないんだから着るものぐらいきちんと準備しておいてよ、通夜にも出てこない、電話すれば停まってる。親戚の手前、これ以上恥かかせないでよ」義弟「だって仕方ないじゃん、連絡聞いてさ、久しぶり出してみたら虫食いにやられてるんだもん」義弟嫁「私、実家からはもう勘当されたようなものですから、作ってもらえないんです。」突然、義弟嫁が、そう喋りだしたので驚いた、で、話を聞くと、喪服を持ってなかったので、買おうにもお金が無い。そこで、友人から借りようとしたが、喪服だから貸したくないと断れら、喪服というものは嫁入り道具で実家から嫁入りの際に持ってくるものだと言われたとのこと。しかし、自分は結婚する時、そういうのは滅多に使わないからいらないと親に断ってその分、現金もらった、そして今、実家の親からは勘当されたような状態になってるので作ってもらえない、どうしましょう、とのこと。旦那が、無言のまま、ひたすら、首を横に振っていた。義両親のどちらかが、「じゃあ、うちで・・・」なんて言い出すのじゃないかと思っていたら、姑が、「じゃあ、あんたが実家に頭下げて実家から作ってもらってきなさい。陽菜子さんだって、嫁入り道具で持ってきたから、この人の喪服は実家の家紋が入ってるでしょ。うちは、もうあんたら夫婦に金は一切出さない。ここまで恥かかされて、その上、金まで出さされたんじゃ、たまったものじゃない。陽菜子さん、あんた覚悟しとき。明日には、もう幼稚園のお母さん達に話し広がってるからねぇ」姑の予言は的中。次の日、娘を幼稚園へ連れて行ったら「姑もうるさいみたいだけど、旦那の弟嫁、アホだってねぇ」って。中には、「飛んだ弟嫁だね、あんまり出入させないほうがいいよ」ってご忠告まで。しかし、葬式は急な事、不祝儀袋やら袱紗の類まで改めて点検して、箪笥にしまいました。靴と草履の書いた紙を、袱紗の上において、虫食いにやられないように、防虫剤もいれかえて、やれやれです。
2006年02月02日
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先週末、義弟夫婦の大騒動の後、私は改めて、自分の家の家計を見直した。昨年春、実姉が病気でダウンし、その後退職した時、ふと気になって姉に、これからの生活をどうするのか尋ねてみたら・・・私的には失業保険・・・・って思ってたら、彼女は、失業しても食べていける蓄えを持っていた。その上、生命保険も掛け金で選んだのではなく、十分な保障の付いた女性でこんなの掛けてるの!!!みたいな大型のものを掛けていた。姉に言わせれば、私は一人だから。。。現在も彼女は、株の売買や通訳のアルバイトなどで収入は得ているらしい。体調が回復しだい、仕事に復帰する予定らしい。私としては、以前のように、昼も夜も休みも無いような働き方をするのではなく、適度に働いて、うちの娘とも遊んでもらって。娘は姉が大好きなのです。娘は姉のことを、伯母だけど自分のネエチャンだと思ってるのです。母親である私が、ねえちゃん、と言うものだから、娘も自然と、ネエチャンというようになってしまったのですが、それにしても娘は姉が大好き。贔屓目に見てしまうが、姉は兄貴のとこの子よりうちの子を可愛がってくれる気がしてる。そういう姉だから、入院した時も、親にも兄弟にも経済的な負担は一切掛けさせなかった。精神的な負担は仕方ないけど。そこは兄弟だし、私だってお産の時は姉は、仕事休んで飛んできてくれたし。姉の体調がどれくらい回復してるかはよく私は知らないのだが、母が昨日、言うには、病院の先生は、もう暫くの休養が必要だと。ただ、本人は、年齢的な事もあるので、一日も早く、職に就きたい、と希望してるとのこと。姉に、仕事はまた以前のような仕事を探すのか、訊いてみたら、贅沢は言わないけど、ジッとしてるのももったいない様な気もするし・・・との事。そこで単刀直入に聞いてみた。私「バリバリ仕事して、お給料たくさんもらって、それが幸せ?」姉「(笑って)どこかの元社長じゃないんだから。お金儲けで喜んでるんじゃないの。私はね、結構、若い時に生涯一人って決めたの。だから、経済的な事では、後々、兄弟や兄弟の子に迷惑を掛けないように、経済的な面はしっかりしようと決めたの。でもね、お金があっても、それで幸せかっていうとそうでもない。だけど不幸でもない。適度なお金があって、適度な苦労があるから、楽しみや幸せって思う時があるんじゃないかって思う。ただね、不安なのよ、このまま、預貯金食いつぶしてしまって、先々、甥っ子、姪っ子に苦労掛けるような事になってはとおもうわけ。だから、働かなきゃって思うんだけど、どうにも身体がね、ガタ来てるから。(笑)今はね、菜ちゃんが、ネェチャンって言ってくれる時、遊びに来てくれる時、あの子の笑顔を見れるときが一番幸せかな。ささやかな幸せなのよ」私「うちの菜豚子が役立ってるんだ」姉「そう、幸せってきっと、何でもないようなことでも幸せって思えることが一番幸せなんじゃないかな。人それぞれだろうけどね」先週末の義弟夫婦の自己破産騒動以来、とてつもなく忙しかった私ですが、今日、姉のその言葉を聴きながら、いま、自分は・・・とチョット考えてみました。そばで姉の話を聞いていた旦那は、一人で、「あぁ俺って幸せなんだな」ってニコニコしてました。
2006年02月02日
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