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義弟夫婦の金銭感覚のアホ加減でこっちまで何ともいえない疲労感。あんなアホと一緒に疲れてても、えらい事やと思い、我が家の家計簿を見直してみた。今月は、光熱費だけで、2000円もオーバーしてるじゃないか内訳を確認したら、電気代とガス代だ。そうなんだ。この前、電気の明細書が入ってて、先月よりまだ多くなってたので、全家電製品の消費電力を再度、チェックして、ホットカーペットやろうの使用を何とかせねばと思ったんだった。風呂もね、旦那が熱い風呂好きなのはいいけど、今の時期、冷めるのも早いからねぇ、しかし、ちょっとこれはヤバイ。何か一つ楽しみがなければと云うけど、旦那の熱風呂好きも少し遠慮してもらわねば。でなきゃタバコ減らしてもらうか。あとやってみようかなと思うのが、食費、幸い、来月は28日しか無いから、必然的に日数少ない分、食費も減る予定。そこで、毎月、12,000円前後かかってる食費、これ、米代は別だが、1万円以内ではなく、もう一歩踏み込んで9,000円以内で納めてみれるよう努力してみよう。米だけは、親戚から購入しないといけないが、30キロ7,000円で売ってもらってるし、それを5キロずつ倉庫から持ってこれるんで、米は仕方ないが、来月は節約強化月間でやってみよう
2006年01月29日
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日付も変わる直前、旦那と娘がお風呂から上がってきて、娘はもう完全にお眠りモード。寝ぼけ眼でパジャマ着てベッドへ行くとコテン。さぁ私も、お風呂・・・と思ってたら、舅・姑・義弟夫婦と4人上がって来た。私「たった今来ないでって言ったでしょ。菜豚子が嫌がるの」姑「菜っちゃん、まだ起きてるのかね」私「いま寝たばかりなんです。昼間たくさん遊んで、ドライブして楽しかったんでしょうね」舅「陽菜子さん、カースケもちょっと」舅「ほら、ちゃんと言わんか」義弟「本当にどうしても生活費が無いんです。それで、さっきTV買いなおすって事おっしゃてたから、うちのTV買ってもらえませんか」私「あれ、ローンで買ってるんでしょ、冗談じゃないわよ、あのね、ローンで買ったものはローンの支払いが終わるまで、所有権留保っていって信販会社の持ち物なの。おたくら夫婦のものじゃないの。それを勝手に売買したら今度は、取り込み詐欺になるじゃない。だいたい何が悲しくてうちが中古品買わないといけないのよ。それもあんなケチの着いたTV」義弟「じゃあ何でもいいからうちにあるもの買ってもらえませんか。本当に生活費無いんです」私「無い、無いって今、現在、幾ら残ってるの?」義弟嫁「1200円ちょっと」旦那「給料日いつ?」義弟「16日」私「あと二十日間、幾らでやれるの?」義弟嫁「食費だけだから5万ぐらい?」私と姑、思わず顔見合わせた。姑「その1200円でとりあえず1週間やってみなさいよ。アキコさん、あんたさっき、私はバカだからヤリクリ出来ないようなこと言ったよね、出来ない人が財布持ってちゃ貸せない、トースケが財布は持って、その上で、1週間1200円でヤリクリしてから。TVであってるじゃないの、1ヶ月1万円で生活しますっての。あれは光熱費込みで1万円でしょ、とにかく、1200円でやりくりして、その後、1週間後、再度話し合いましょう。」義弟夫婦は、肩をおとして来た時の勢いも何も無く帰って行きました。舅は風呂はいって寝る、と、行きましたが、姑は、ポツンと居間に一人座って、涙流してました。母親なんだよねって旦那と話して、一人にしておいてあげようって私達も二階へ帰りました。結局、私も色々考えてたら一睡も出来なかった。だけど、娘と旦那は大の字で高いびき。お天気良くなったので、今日はコタツ外して大掃除
2006年01月29日
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娘はすぐ起きましたが、よほど眠かったのか、パジャマに着替えさせ、ベッドに横にするとすぐ眠ってしまいました。ちょっと起きた時、娘が「ママ、泣いちゃダメよ」「泣いてないよ」「うぅん、お顔に泣き顔シルシがついてるよ(笑)」気づかぬ間に涙がこぼれてました。情けないやら、アホラシイやらの気持ちで、娘の横に座り込んでいました。迎えに来たのは、旦那と姑、それに義伯母(舅の長兄の奥さん)義伯母が「私が菜っちゃん見ておくから。3人の息子育てて8人の孫の面倒見てきたこのババちゃまが傍にいるから、ちょっとママがお留守してても大丈夫。申し訳ないけど、陽菜子さん、下に行って義母ちゃんに着いてやっといて」義伯母に娘頼んで、階下に下りたら、湯飲みやら皿やらおつまみやら散乱してること。旦那に聞いたら、親戚中がみんな怒って投げつけた結果らしい。義弟嫁は、ポカーンとしてました。義弟は、ムスッと座り込んでました。舅は、怒り心頭という顔で、脳の血管が切れるんじゃないかって顔して、体全身震わせて座ってました。私がいない間に、それぞれのローンの額と支払いの期間を書き出してありました。それぞれの支払い期間は5回とか6回とか、そういうものが殆ど、車が一番長くて15回。但し、短期間の支払い期間とローンを一度期に組んでるため、支払いが一気に開始され、毎月の支払額が大きくなってるだけ。こんなんで自己破産できるかよ・・・思わず言っちゃった。「借金これだけなんですか?」って聞いたら義弟嫁曰く(少し口をとがらせて)「先ほどからお義姉さんも皆さんも借金、借金っておっしゃいますけど、私達、お金借りてるんじゃないです。借りたお金はそれぞれの実家へ返しました。脅迫的に言われてどちらの実家へも返しました。返したのにうちの実家も貸してくれないし、私たちは借金してません。カードでバカバカ買ったんでもないです。きちんとローン組んで買ってるです」こいつ、本当に頭の中身が足りないと思った。こんなのがいるから、殺人マンションを建てて平然と売却するアホがいるのかもしれないとなぜか結びつけてしまった。それまで黙ってた旦那が「お前ら二人ともどうしようもないバカだ。お前らな、自己破産じゃなくて自分達で裁判所行って、禁治産者にしてくださいって行って来い。ローンも借金と同じじゃ。債務じゃろうが。人様からモノ借りたら礼はするもんじゃ、ましてや金なら金利つけて返すんが当然じゃ。親戚だろうが友人だろうが、金借りて利息も払わんアホいてるか、金利手数料無料かなんか知らんけど、借金に変わりはない。借金の見通しできるまで、バイトでも何でもせぇ、本業終わってから、1時間でも2時間でもバイトしてそれで払えんなら破産もしろ、その代わり、この界隈の事の知れ渡る恐ろしさは、トースケ、お前知ってるだろうが、アキコさん、あんたの実家の当たりかて同じやろ、そやから、あんた実家に出入り禁止されとるんじゃろが、知ってるんやぞ、会社の同僚にな、あんたの実家と同じ部落の人間がいるんや。嫁に出した娘が、いっつも金の無心に来る、少し足りん娘と思うてたけどかまどのヤリクリもできん娘じゃって実家の辺りで言われてるらしいな。近くには嫁に出すには知れ渡ったアホやから、離れた町に嫁にやったけど、やっぱアホはカマドのヤリクリも出来んって言われてるらしいな。トースケお前も同じや、破産してみろ、知れ渡るぞ、早いやろうがこの付近は何事も。陽菜子と俺が縁談決まった時、嫁さんになる人の父親は、何の仕事してた。兄貴さんは、電機メーカーのロンドンの現地法人いうのにいる、姉さんは、商社で営業主任いうので男勝りに働く人、弟は大手ゼネコンっていうのでオーストラリアにいるらしい、赴任地まで知れ渡るほどの土地だ。その付近を今後も歩きたいなら、胸張って歩きたいなら、きちんと考えろ、だいたいこの総額じゃ自己破産なんぞ弁護士も受付んじゃろ」義弟嫁「私は昔からいじめられっ子で、家も貧乏やったし、バカだから、やりくりも出来ません、それでもトースケさんがいいって結婚してくれたんです。」姑「やりくり出来んなら、トースケがきちんとすればよろしい、やりくり出来ない人が、お財布持って買い物行ってたら、なぁ、オネエサン達、それに陽菜子さん、他のお嫁さん達、なぁ怖いことなりますよねぇ」女性陣が口々に「女ならね・・・・」義弟嫁「女が家事するって古いんじゃないですか。そういう考えってオカシイです」私「してもらえばいいじゃん、トースケ君にしてもらえば。うちなんか手伝ってくれてたよ、うちは、カースケが仕事が不規則だから、留守することも多いし、夜中に帰ってくることも多いけど、家にいる時なんて食事作ってくれたり、掃除してくれたり、私が妊娠中とか産後、帰ってきてすぐとか、全部任せてた、ただし、お金の出し入れは、家計簿に直接書き込まないで、毎日、レシート類も並べてレポート用紙に書き込んでたな。家事は共同参画でいいのよ、でもね、家計は誰か一人がしっかりやって、それに協力してやっていかないと、一人だけ節約、倹約ってやってもいつまでたっても、浪費は減らないの。この冬ね、どこの家だって光熱費が吹っ飛んでると思うわ、うちだってすごい額来てるの。でもね、2歳の娘に、節約・倹約って言っても判らないから、おこた出る時はスイッチ切りましょうねとか、お部屋出る時は電気消そうねってそこからなのよ、結婚する時、二人で話し合って洗濯機や冷蔵庫買いに行ったの、貴方達もそうだったでしょ、小さな食器棚しか予算で買えなかった、姉が結婚祝いに買ってやるって言うからいらないって言ったの、二人で揃えていくから、別のものにしてって頼んで、毎月食器棚貯金して、貯まってから買ったの。TVももうすぐデジタルになるから、買い換えるために貯金してるの、そうやって買ってるの。本当に小さな小さな事から積み重ねてやってるの、うちはねローン組むのは家を建てるときだけって決めてるの。カードはね、提示することで割引になる時だけって決めてるの。金利手数料無料だって云ったところで信販会社は金利で食ってるんだから、何らかのカラクリがあるんでしょ。一個、一個の金額が少なくても、ちりも積もれば山でしょ、山の支払いでしょ、破産したらローン組めなくなるしカードも使えない、貴方達みたいな人にはいいかもしれない。でもね、人間が生きていくうえで、急に冷蔵庫が壊れた、こんな事起きるかもしれない、その時、右から左に動かせる現金がない、ローンも組めない、カードもない、また親戚中回って悪態ついて歩く?それとも、いよいよ変な闇金みたいなところから借りて、一度自己破産すると何年かは出来ないから、今度は逃げ回る?カースケの弟だけど、悪いけど、ここの家に来ても菜豚子の前に顔出さないでね、菜豚子が怖いって言うの、食べられそうだって。それから、実家へは私から再度謝罪しておきます。姉の友人の弁護士先生の所へも私から謝っておきます。守秘義務があるから、姉には話されてないでしょうけど、姉にも事情説明しておきます。娘が寝てるんで私は失礼します。」ってさっさと二階に上がってきたら、娘は、義伯母から絵本読んでもらってご機嫌。すぐ上がってきた、旦那と娘がお風呂はいってる間に、義伯母に説明してたら、義伯父と最長老の義大叔父が帰ると迎えに来て「陽菜子さん、後日、改めてお宅の実家へは挨拶に行く、大変申し訳ない。今日は遅いのでこれで失礼するけど、数日中に改めて挨拶にいきます」そういって帰られました。他の親戚もワザワザ二階にあがってきて、声かけて帰られました。ただ、義弟夫婦だけは来ない・・・時計はもう日付が変わる直前その後に続く
2006年01月29日
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悪びたふうもなく、入ってきた義弟夫婦。この夫婦、確かに人相が変わってしまってる。義弟は少し頬もこけた。義弟嫁は肌も荒れてる。食生活が乱れてるんだろうな。義弟「何ですか、皆さんお揃いで。また人を吊り上げようってんですか、あのですね、個人情報保護法ってあるの知ってますか。僕ら夫婦が色々と親戚に頼みに回ったことを他の人に喋るとそれってプライバシーの侵害なんですよ」その時、舅が立ち上がってガッツ~~~ンと拳骨がぶっとんだ。義弟の体は、1メーター近く吹っ飛んだと思うほど。思わず、私、悲鳴上げたぐらい。舅「お前にプライバシーも何もあるか、親戚からなんで金借りなきゃいけないんだ、陽菜子さんの実家にもバカ言いおって、なんでだ、言ってみろ」義弟「ローンの支払いで金足りないから、それぞれの実家に金貸せって言っても貸してくれないから、仕方ないから自己破産しようと思ったけど、自己破産するにも色々と印紙代とかいるし、書類作らないといけないし、その書類読んでたら、うちみたいなケースは専門家に相談したがいいてあったから、陽菜子さんの実家のお姉さんの友達って弁護士さんとこに電話して、こちとら、陽菜子の親戚だって言ってるのに、弁護士との面会はすぐは無理。相談の予約も何日後しか空いてない、その上、相談料に30分5000円、自己破産の手続きにも何十万って金がいるってぬかしやがる。俺は陽菜子の親戚だって言ってるのに、偉そうなこと言う割には、友達甲斐のねぇやろうだなって思ってね、その上、陽菜子さんもお偉そうな事おっしゃるから、向こうのご実家にも一言申し上げに言った、別の弁護士事務所に連絡したけど、やっぱ同じように金がいる、だから親戚から借りようと思っただけ」私「先生のところにも電話したの(怒)」義弟「しましたよ、だって弁護士なんてしらねぇもん」姑「何、その口のききかた、それに、そんな事やって陽菜子さんもお姉さんの立場もあったものじゃないじゃないの、あんた、家電製品や車のローンだけじゃなくて、変なところからまで借りてるんじゃないでしょうね」義弟嫁(こいつ少し脳みそが不足してるんじゃないかと思った)「(ちょっと笑顔で)いえ、それは大丈夫です。いま、支払ってるローンだって全部、金利手数料無料で買ったものばかりだし、車のローンだって年利1.チョットのも金利ですから。サラ金とか銀行から借りると金利払わないといけないでしょ、でも親戚だったら、金利いらないし」一同、落胆のため息しばらく沈黙が続きました。その沈黙破ったのは姑でした。姑は、畳に突っ伏して、大声で泣いてました。もれる嗚咽を耳にしながら、私は、自分の娘が大人になった時、こんな事を平然と言ったら、母親の私は、どうするだろうかと思いました。そして、私はこの場にはいたくないと思い、奥の三畳間に寝てる娘を抱き上げて、二階の自宅へ駆け上がりました。最終章へ続く
2006年01月29日
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なんと、アホな義弟嫁が先日、自己破産をしたいと言って来たとき、私と姑で、ガァァと言ったことが気に入らないといって、その日の夕方、義弟と義弟嫁の二人で私の実家へ行き、「おたくは娘にどういう躾をしてるんですか?人に偉そうに意見して」と文句を言いに言ってたらしい。私もカースケも驚いたとしか言い様がなかった。姑に、「たった今まで実家の親と姉と一緒でしたけど、そんな事言わなくて、でも最後にね、こんなだったのですよ・・・」って親戚もいる前で話したら、みんな口々に「そりゃそうやろう、トンでもないアホがいると思われるやろうなぁ」とにかく、座敷の奥の三畳間に布団を敷いて娘を寝かせて。着替えもせず、そこに座り込んで、珍しく、舅が寿司盛やら惣菜の盛を取っていたので、それを食べながら聞いたところによると実家の父が舅へ電話してきたのは、義弟嫁が来た日の夜。要するに怒鳴り込まれた日の夜だったらしい。実家の父は、嫁に出した娘、確かにお宅の家の嫁だが、婿の弟から躾が悪いと怒鳴り込まれるような悪い躾はした覚えは無い、と、最初、父は怒って電話してきた。舅も最初は、何を言われてるのか、意味不明だったが、父は以前から、保険の契約等で聞き違いなどがあってはいけないという事で、必ず、会話内容を録音する。そのボイスレコーダーの声も舅は電話口で聞いたらしいが、我が子ながら、張り倒そうと思ったほどだったと。事の成り行きを舅と父が話した結果、舅が一旦、父に対し謝罪し、徹底的に調べるということを約束して、また、義弟夫婦に関しては、絶対に私の実家へは近寄らせないということで、今後、一歩でも敷地内に足を踏み入れた時には、不法侵入で警察へ突き出すということで、実家の父も納まったとのこと。旦那が即、父に電話をいれたら、実家の父は「まぁ、お父さんがあぁ言ってたし、ただね、さっき言ったとおり、菜豚子の将来を第一に見据えてうちはカースケ君親子3人には、367日、25時間年中無休で受け入れ可能だから」って笑って済ませてくれたらしい。が。しかし、なんで親戚連中が集まってるんじゃ?また姑に、で、なんで皆さんお集まりなの?って尋ねるとあのアホ義弟夫婦は、親戚中から金を借りようと行脚したらしい。で、貸してくれないとなると、随分、悪態ついて帰ったらしい。そこで、間もなく、義弟夫婦も来るのだとか。それまでに、晩御飯済ませようと、いうことで、大急ぎで食べて片付けて。しかし、こんな時、田舎の親戚のおばちゃん達の連係プレイの早いこと、早いこと。旦那の従兄弟嫁さんと、すごいね、って言いながらみてました。そうしてると、来たキタ。義弟夫婦。やっぱオカシイ、自己破産しようって奴の車は、セダンの3ナンバーなんだよね、いくら中古とはいえね。続く
2006年01月29日
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先日、義弟嫁が来て、自己破産をするんだ、というようなことを話して帰った。私なりに自己破産というものを調べてみた。すると、頑張って頑張って払ったけど、もう払えない、借金の支払いのために健全な生活が送れません。だから一切の借金を棒引きしてください。但し、自宅も売りますみたいな事が書いてあった。そこで気になった。去年の秋に結婚して嫁さんも働かないで、でかい家電製品買いまくって、ヤリクリの下手な嫁が家計管理して、毎日毎日惣菜で晩御飯済ませる夫婦のどこが、頑張って、頑張って、なんだ?どうにも釈然としない、そんなので自己破産できるんなら、世の中の人みぃんな借金棒引きしてもらったがいいじゃないの、絶対にオカシイ姉の友人に弁護士やってる人がいるので、その人に電話してみた。「済みません、アポイントも取らないですみません。姉の妹の陽菜子です。自己破産のことで教えて欲しいんです」姉が昼間は忙しい人だというので、夜の22時過ぎに非常識と知りながら電話したら、最初は私が自己破産かと思われ驚かれたが、義弟のこととは言わず、ただ、知人が・・・ということで話したら、やっぱり自己破産というのは、頑張って、努力して、その上で建て直しが困難という時の選択肢の一つであるということだった。官報には掲載されるが、そうそう人様に知れることは無いであろう、とのこと、しかし、作って3~4ヶ月の借金で、努力の態度も無いのじゃねぇ・・・そういう人はね、まず親にでもガァァって雷を落させて横っ面の二つ三つ張り倒して、とのことだった。旦那に話したら、旦那曰く「人様には知れないって言ったところで、何かと地縁の強い土地だから、知れ渡るに決まってる、陽菜子も知ってるだろ、そこの坂道の下った三叉路の門の家、売りに出てるの。あれな、自己破産して売りに出されたらしいぞ、奥さんが仰山、借金作って払えきれんと、引っ越す時、息子夫婦の近くの便利なところ行くって言ってたけど、近所の誰にも転居先教えてないし、息子夫婦の近くにも転居してないらしい。それから、向こうの路地の一番奥の家、あそこも自己破産で売りに出たらしいぞ。都会ならともかく、うちのあたりは、俺が結婚決まったて事でも、翌日には知れ渡ったぐらいや、その相手の素性も一気に知れ渡ってしもうたんやで、お前が嫁に来る時の箪笥の数かて皆、知ってるぐらいの土地や、その箪笥の中に、何枚の着物が入ってるぐらいまで教えなくても知れ渡る土地なんや。絶対に知れ渡るに決まってる。ましてや官報に掲載されるんやろ、役場にも農協にも置いてあるからな・・・」旦那とエライこっちゃ、と話して、義両親のところへ話しに言ったら、先日よりシュンとしてた舅も、「インターネットで色々調べてみたし、本屋にも行って本も見てみた、本屋もね、隣市の大型書店で調べてきた。確かに救済措置とは書いてあるけど、それは、一所懸命払った人が、もうこれ以上は払えないよ、一家心中だよ、夜逃げだよの一歩手前まで行くよ、ってほど追い詰められた人の救済措置だって書いてあった。甘い考えの人間には、アカン書いてあった。あいつらやっぱり考えが甘すぎる」で、私と旦那は、親である舅と姑が、ガチンと言ってくれると思い、28日は以前から実家との約束もあった、実家の両親、姉、私達親子三人で初不動祭へと出かけた。不動明王様信仰は、姉が信仰しているのだが、母もそのお不動様の祀られてる神社のご本殿の崇敬者であるし、うちの旦那も、お不動様の境内が心が安らぐとかいって好きなのである。ことにうちの娘は参拝後に戴くお煎餅がお目当てではあるのだが。お不動様をお参りして、娘の好きな中華料理店で五目炒飯食べさせ、実家の3人を無事送り届けた時、母が、「苦しかったら、菜豚子連れて帰ってきなさい、なんだったらカースケ君も一緒に。世の中には、常識が通用しない人もいるし、言葉を理解しない人もいるし、菜豚子の笑顔が消えるようなことあったら、それこそ大変だから」姉も「我慢も必要だけど、自分達の要求が通らないからといって悪い奴呼ばわりするような人とは姻戚でいるというのは、バカバカしいよ」最後に父までが、「カースケ君のお父さんは昔、勤めてた時、一時期部下だった事があるからね、あぁ云う人だけど、確かにドケチでね、女子社員の間でも主任はコーヒー一杯おごってくれないって評判でね、ちょっと調子はずれてるけど、人を欺くような男じゃなかった。最初、陽菜子がカースケ君連れてきたとき、顔見た瞬間、この顔見覚えあると思ったんだ、若き日のお父さんの顔に似てたから。でも、お父さんの兄弟や親御さんは、本当にいい人で、親御さんなんて今のカースケ君みたいな人だった。だから縁談も即OKした。でも、これからの長い人生、菜豚子の将来まであるということ忘れないで。決断するのは君ら夫婦だからね。君ら親子三人の幸せで安泰な将来のために援助できる事、相談に乗れること、いつでも、相談に乗るから、夜中でもかまわないから電話していいから」なんで、あんな事言うの?カースケと二人、首をかしげ、かしげ、帰った。娘は、もう夢の中。こんなに早くから寝ちゃって、夜中に起きださなきゃいいけどね・・・そんな話をして家に帰ったら、駐車場には、義伯父の車。仕方ないので、家の裏にある空き地に車を停めにいったら、親戚連中の車がずらり。舅の兄夫婦とその息子夫婦・長姉夫婦とその息子夫婦・次姉夫婦・三姉夫婦とその息子夫婦が三組・舅の従兄弟夫婦・舅の叔父(親戚最長老で今年100歳)21人の親戚に義両親二人、ずらりと、舅宅の座敷に並んで座っていた。帰宅した私達が、声かけたら、口々に「良かったな陽菜ちゃん、もう菜ちゃんと帰ってきてくれんかと思ってた」とか「陽菜子さん、良かったぁ、カースケ共々出て行ってしまったのじゃないかって、でも、犬のタラコを置いてきぼりしないやろって言ってたのよ」そりゃあ別居したいのは山々なれど、旦那が、姑に何事?って聞いたら思わず、抱いてた娘を落しそうになった続く
2006年01月28日
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ここ数日、空を見て春が近くなったなぁと思うのは私だけ?ただニュース見てて、毎日毎日、錬金術師の逮捕、いろいろな方面からの追及ってやってるけど、北陸の豪雪地帯の大雪は・・・ってちょっと気になるのですが。我が家にも、飛んだ大雪を一人でかぶった舅のアホは、ここ数日、ご飯食べる時も、言葉少なにしているらしい、姑は、今度やったら追い出すと息巻いてます。私としては、姑も一緒に出て行ってもらっていいのですが。そんな我が家に、昨日、義弟嫁のアキコが突如、一人で来た。また金の無心か・・・ちょうど、庭で娘が犬と遊んでる時で、姑と私は、娘と犬を眺めながら、菜の花がもうすぐ咲きますねぇなんて話をしていたときのこと。アキコは、気の利かないというより、気がつかない人間である部分が多い。そして、口の利き方もザツ。舅・姑に対してもタメ口、私や義妹には、同世代の友人のように話すことも多い。そんなアキコが来た。すると、真っ先に行動起こしたのは、娘。犬のタラコを引っ張って、そそくさ、私の後ろに隠れて、「ママ帰ろう、おばあちゃんも帰ろう、タラコ帰るよ」そして、私の手を引っ張り、姑には、「おばあちゃんも2階に来なきゃダメ、タラコもおうちに入れないとダメ」それでも、姑が「まぁまぁ菜っちゃん、どうしたの、寒くなったかな」と言いながら、アキコを階下の姑宅へ案内し、私は娘があまりに怖がるので二階の自宅へ犬と共に上がった。娘に手を洗わせながら、「菜っちゃん、どうしたの?オシッコ?」と訊くと、娘はすかさず「うぅん、オシッコ違うよ、あのね、怖いの、トースケおじちゃんとアキコおばちゃんはお顔が怖いのよ。取って食べられる」先日、幼稚園でそういう話をしたと先生が、笑いながら報告してくれたばかりだった、「子供は、ちょっとした不機嫌な顔見て、色々な思いをめぐらせますから、怒ったりせずゆっくり対処してあげてくださいね、叔父さん夫妻の何か不機嫌なお顔を拝見されたのでしょうねぇ、」と先生はおっしゃってたが・・・。娘にゆっくり聞き出そうと思い、アイスクリームを食べさせながら、「ねぇ菜っちゃん、トースケ叔父ちゃんは前、おばあちゃんのおうちにいる時は時々遊んでくれたでしょ、その時は怖かった?」「うぅん、怖くなかったよ、でもね、お顔変わっちゃった。あのね、アキコおばちゃんは、初めから怖いの、あの人ね、花嫁さんの時、男の子叩いてた。怖いんだよ、きっと食べられちゃうよ。」「男の子ってタロー君?」「名前知らないけど、お花を一緒に運んだ男の子」義弟嫁のアキコのお姉さんの息子さん、4歳の坊やで確かにヤンチャ盛りだったが、うちの娘には優しかったし、他の子にイタズラする風でも無かったが、何で叩いたのだろう?とその時は思って聞いていた。娘がオヤツを食べ終わったら、少しお昼寝モードに入ったので、寝かせて、階下へ降りていこうとしたら、姑が上がってきた。菜豚子が昼寝だと話すと、姑が、玄関先でいいから、と声を潜めて話はじめた。以下、姑と私の会話「やっぱり、毎月の生活が苦しいらしい、借金も多いらしいし、まだ変なところから借りてはいないらしいけど、きついから自己破産を検討してるんだって。だから、それは自分達で判断しろって言ってやった」「当然です」「でね、どうするにしたって弁護士さんに相談しようと思うけど、相談するにも金がいるからって、アキコの実家に借りに行ったらしい」「破産しようって人間がまだ借りるんですか」「でも断られたらしい、30分の相談なら5000円前後で受け付けてもらえるらしいのよ、それで行けって言われたらしいのだけど、それはともかく、向こうのアキコの兄弟の子供達が揃いも揃って、トースケとアキコ見ると怖がるんだって。食べられるとか、顔が怖いとかって面と向かって言うらしいのよ」「うちの菜豚子もなんですよ、以前はトースケ君と仲良しこよしとまではいかなくても、お菓子もらったり、パチンコの景品だけどってオモチャもらったりして、時々遊んでもらってたのに、次第に逃げるようになってきて、今だって、慌てて隠れる始末で、だから、オヤツ食べさせながら聞いたら、食べられるって、お顔怖くなったって言うんです。先日、幼稚園でもお友達と先生に話してるんですよ、先週末、実家に連れて帰った時、兄や弟の顔見てもそんな事全く無かったんですよ。それどころか、兄の前髪が後退始めてるの見て、面白そうに眺めて触ってたんですよ」「いまだかつて、こんな事初めてよ。親戚の子供達だって、カースケの従兄弟たちだって、その子供達だって、こんな事言うの初めて。金でキュウキュウしすぎて、人相悪くなったのかね?」「さぁ、どうでしょうかぁ」「金でキュウキュウ言って人相悪くなるなら、うちのジイサンの顔が今以上に悪くなるはずだもん。出来損ないのキューピーみたいな顔はしてないでしょう。ちょっと、何かおかしいねぇ、ちょっと、陽菜子さん、下に下りてきて」菜豚子寝てるんだけど・・・と思って覗いてみたら、ベッドで大の字、傍で犬が、俺が、番してる、と言わんばかりに座ってるので、犬に「タラコ、ママ、ちょっと下に行ってくるから、菜っちゃん起きたら、吠えてすぐママに知らせてね」って言って、階下へ。ポツンと座ってる、アキコ見て思った、この人、人相変わった。抜け殻みたいと思った。私「ところで、今日は何用で来たの?」アキコ「自己破産しようと思って、その相談に」私「貴方一人で」ア「いいえ、トースケさんも」私「そう、何を相談するの。うちに来られても、うちは弁護士事務所でも司法書士でも法律相談所でもないの、もうおたくら子供じゃないのだからね」ア「破産するにもお金いるから・・・」私「そのことはお義母さんから聞いた。30分5000円で相談に行けば」ア「でも、破産したらカードとか使えなくなるし・・・」私「当たり前でしょ、今ある借金、踏み倒す人間がどうして次の借金するの言ってることの意味がおかしいじゃない。みんな大なり小なりローン抱えてやってるの。毎日の生活だって、少しずつ少しずつ節約して、私なんて、昼間、少々寒くても、ホットカーペットもエアコンもコタツも何も入れないの、電気代だってタダじゃないから。でもね、菜豚子が幼稚園から帰ってくれば、2歳の子に我慢しろとは言えないから、ホットカーペット入れたり、ご飯の時だけコタツ入れたり、光熱費一つだってそうやって節約してるの、食材だって、チラシにチェックして、少しでも安いところで買って小分けしてってやってるの。貴方ね、節約します、やりくりします、って、全然やってる様子ないじゃない。つい先日、お義母さんから聞いたけど、相変わらず、惣菜のオンパレードの食事だっていうじゃないの、あまり言うとね小姑根性って言われるのも嫌だし私自身、正直、お義母さんから言われるのも嫌だから、極力言うまいと思ってた、同じ嫁の立場だからと思って。破産するのかしないのか、それを決断するのは、自分達でしょ、詳しいことはしらないけど、破産って裁判所に申し立てて、裁判所が認めて初めて破産なんでしょ、それから免責申し立てってのをやって、それから借金支払いしなくてOKってなるんでしょ。安易に物事を考えすぎてるんじゃないの。何事も、一事が万事。いま一度、何をすべきなのか、考えて、何を相談したいのか、それがはっきりするまで顔出さないでほしいの、娘が怖いって、食べられるかと思ったって言うの。」ア「私の実家の甥や姪も言うんです。泣いて逃げまわるんです。すると母が兄嫁たちを叱るんです。あんたらの躾が悪いから叔母見て泣くんだって。すると甥や姪がもっと泣くんです」私「うちの子ね、私の実家に行っても、昨日、従姉妹の息子が遊びに来ても泣いたり逃げ回るなんて事無いの。先週も兄の顔見ても真っ黒日焼けした弟の顔見ても泣くことなんてないの、日焼けした弟の顔見て、テディベアとどっちが黒いって喜んでた。失礼だけど、とても失礼だけど、貴方やトースケ君の心がそうした顔を見せてるんだと思う。二人でよく話し合って、援助求めるばかりじゃなくて、何をすべきなのかもう一度徹底的に考え直して。」ア「トースケがお金借りてきてって言ったんです。そして今月分の家賃待ってもらってて・・・」姑「トースケが来て言うべきでしょ、それにトースケにもきちんと言ってある。もう二度と貸さないって、ましてや、破産して踏み倒そうってのに、どうして貸せるのよ。私もね、そろそろパート辞めようと思ってるから、いよいよ年金暮らしになるし、今でもギリギリなのにそんな余裕ないし、たった今、確定申告で所得税払わないといけないし、ねぇ陽菜子さん、おたくも菜豚子が4月からいよいよ3歳の3年保育が始まるんでしょ、今までの2歳児の預かり保育じゃないから、制服やなんやいるのよねぇ・・・」私「そうなんですよ、制服に指定のリュック、体操服を買わないといけないし、レッスンバッグや、シューズ袋やらお弁当袋は日替わりで持たせてくださいって言われてるから、それも準備しないといけないし、毎月の費用も高くなるし、3歳からは幼稚園バスで送迎だから、バス代もいるしですね。」姑「うちにね、言われたって、余裕ないものね、いつまでもアテにされても困るわ」義弟嫁は、トボトボと、本当にトボトボと帰りました。初めて、姑とがっちり、手組んでやったけど、姑は自己破産ってのに、完全に切れてしまってた。商売でもやってるならまだしも、贅沢の果てに、人様をだますようなそんなアホに育ったバカ息子に歯がゆい、父親がアホで、次男はバカで、と、ぶつくさ言ってました。お昼寝からさめた、娘は、その後、帰宅した旦那に、「怖い怖いのがきたの、でも寝て起きたら、いなくなった」と報告してました。よほど怖かったのね、菜っちゃん。さぁ、旦那は本日3時出勤でした。そろそろ娘を起こさねば。犬もイビキかいて寝てるのです。
2006年01月27日
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従姉妹の息子が遊びに来た。今年春から大学生になる。従姉妹は、20歳で結婚し、姑とバトルを繰り返し、旦那が常に姑側につき、いたたまれなくなって、1歳半の子供を抱いて離婚し、その後、実家で暮らしながら頑張った。その息子が晴れて、今春より大学生。大学は推薦入試で決めた分、ちょっと時間の余裕があったとにこやか。行き先が決まった後は運転免許を取りに行ったり、バイトで稼いだり、そしてそのバイトと今まで貯めたお金で、母親の仲良し従姉妹のところを回って、祝儀集めしてるのだ、と、平成生まれははっきりしてるなぁと笑ったものでした。4月からは、バイトもしながら、勉強に頑張るんだぁ、という、甥に、我が娘が一言。勉強って楽しいの?お兄ちゃん達みんな勉強しなきゃって言うけど勉強って楽しいの?何気ない、娘の一言に思わず、旦那も甥も私も笑った。娘は何がおかしいのかと一人キョトンとしていた。なんとなく、その素朴な言い方がおかしかったんですよね
2006年01月27日
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AIBO製造終了のニュースを見ました。一つの時代の終わりを感じました。姉が持っててね、当時、姉は、一人暮らしだったので、姉のところに遊びに行った時に、扱った覚えがあります。今も実家で時々吠えてる。娘から、チャチャクチャにされる時もあったり、好き好きってされたりしてたけど、その娘もやっぱナマ犬のほうが好き。姉はいつも強い人だと思ってたけど、あのAIBOを買った時、姉は淋しかったのかな、って思ったものでした。でも、いま、見てると、姉ちゃんは強い。
2006年01月27日
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舅が、ここ1週間ほど、少しおとなしい。先日、姑とちょっとした口論の際、別居を通告したこともあって、それ以来、舅も姑も態度がおかしかったのだが、特に舅は異常なほど静かになっていた。娘が、オジイチャン、ただいまぁ、と、大きな声で幼稚園から帰ってきて声かけても、あぁ菜っちゃん、と言うだけ。何か悪いものでも食ったか?などと旦那が言い出す始末。聞いてみるか?放っとけばいいさ、私ら夫婦の間でそういう会話をしていた今朝のこと。旦那が休みなので、娘の幼稚園に旦那が送って行った。私は、今日は火曜日なので、出かける準備をしていた。旦那が帰宅しだい一緒にでるつもりだった。そこへ、舅が来て、話があるという。「今から出かけるんですけど、急ぎの用事ですか?」「いや、あとからでいいよ」「じゃあ、昼過ぎには帰りますから」旦那とやっぱオカシイ?と言いながらも、今日は火曜市で野菜や生鮮品を大量に購入して帰ってきたら、階下で、すごい喧嘩があってた完全にぶち切れた顔の姑が覗くや、「ちょっと陽菜子さんとカースケ来てくれる!!!」来てくれる?じゃなくて来いの状態。私は買い物したものを冷蔵庫に入れるために一旦、二階へ。その間、今度はカースケの怒鳴り声。降りて行ってみたものは、ひっくり返ったテーブル、散乱した雑誌や新聞、お茶の葉、湯のみ茶碗等々どうしたの?ってカースケに聞いたら、舅は、ライブドアの株を買ってたらしい。それも姑に内緒で。で、売れなくて大損してるとのこと。で、どうしたらいいか、困ってるんだと。そこで、うちの実家の姉に相談したいけど、こんな事、私に言えば、それでなくても先日から別居を匂わしてるのに、いよいよ出て行かれる。それで、どうしよう・・・って姑に相談したら、「てめぇなんか死んじまえぇ」って怒鳴られたあと、家中のものが飛んできたらしい。そして、私達夫婦が、買い物から帰ってきたので、一足先に旦那が顔出したら、今度は息子から「そんな事、ネエサンに言えるかぁ」って怒鳴られたらしい。まったくもう、姉ちゃんは何でも屋じゃないんだよって、わざと義両親に聞こえるように言いながら電話したら、姉は、呆れたような声で、「わかった行く」1時間もしないうちに姉が来て開口一番「だから止めておきなさいって言ったでしょ。」なんと、舅は、ライブドア株購入前に姉に相談してたらしい。そして姉から、素人が手を出すには値動きが激しすぎるから、止めておけと言われたらしい。その後、何か姉からコンコンと言われてた。よく判らないけど、売り抜ける可能性もあるから、このまま持ってろと言われたらしい、そして、今後は、勝手なことするなって怒られてた。そして、夜になって判明したこと、舅は、退職金の自分の取り分を大方、株に注ぎ込んでしまっていた。幸い、借金が無かったことだけは良かったけど。退職金の30%を舅の取り分として、舅個人の通帳にいれ、30%を姑個人への慰労金として渡し、残り40%を老後資金として貯金してたらしい。その自分取り分の30%をほぼスッテンテンに使い込んでしまってたらしいのだ。と、いうことは、あいつは、年金が次に入るまで、金持たないって事?って旦那に聞いたら、「ま、そういうことやろな、老後資金の通帳と印鑑は、親父の手には絶対に渡らないとこにお袋が隠してるし・・・だから、親父は、年金はいるまで、一文無し。ガソリン代もタバコ代も持たないってこと」どうして、あんたの親と弟、そこまで無秩序に金使えるの?って、旦那に怒鳴ったけど。バカやって、それを1週間内緒にしておいて、その上、このザマで。どうりで、先日から、実家に泊りがけで遊びに行くって言った時の態度がおかしかったのも理解できる。姉が言うには、金・カネ・かねのジジィには、少しいいお灸でしょって。」しかし、腹立つジジィだぁーーーーーーー
2006年01月24日
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各局、競ったようにホリエモン逮捕ばかりやってます。しかし、各局、コメンテーターもよく集めたものだわ。結構、ご高齢?(失礼)な方もいらして・・・そこで、やけに気になったのが、若いIT世代、若いネット世代って繰り返し発言されてるけど、ネットやってるのとか、IT関連の人って何も若い人ばかりじゃないと思うんだけどね。しかし、日本の政治家や好き勝手な評論家には、相変わらず、人の揚げ足取りが好きな奴が多いのね。ホリエモンとの関係より、殺人マンションの住民の人に対する保障とか、子供の安全対策とか、今度の大雪被害の救援策が先だろうけどね。揚げ足取り政党には、幻滅、参院選でも応援したくない
2006年01月23日
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久々に実家で兄弟4人揃いました。私が親元離れたのは、大学4年間と、後は結婚してからです。しかし、兄は大学入学と同時に、姉も大学入学と同時に離れて、一昨年の秋に母の体調が次第に悪くなってきたので、希望して転勤して実家から仕事に通うようになったけど、その後、姉自身がダウンし、現在は、実家で両親と共に暮らしてます。弟は、中学入学と同時に全寮制の学校に行ったので、本当に4人揃うというのは、お正月でも無くて、この前に4人揃ったのが、私の結婚式でした。その前が、兄の結婚式で、その前は父方の祖母の葬式、だから、本当に冠婚葬祭でもないと、一同に顔を揃えるという事はまず無いんですよね。兄と私が結婚してて、姉と弟が独身で、私の旦那は長男で、私は二世帯住宅で旦那の親と同居して、日々戦ってるのですが、うちの実家は、長男である兄貴が仕事で転勤が多くて、長男だから・・・親と同居なんてのは、ちょっと無理だし、実家の両親も、この年になって、引越し、引越しなんてのは絶対にイヤダ、ごめんこうむる、と、昨夜も言ってました。その点、姉が現在、同居しているのですけど、その姉が、一昨年の秋、母の病状があまりよくないからと言って、会社に希望だして、実家近くに支社に転勤希望だして帰ってきて、片道1時間半の通勤で仕事行くようにしてたのです。これが、うちの姑なら、もし、旦那が兄貴と同じ立場だったら、兄貴に希望だして帰って来いって言ったろうなって話してたら、姉が、ま、私は独り者で身軽ざんすから、って笑ってました。それを言うなら、弟も独り者だよなぁって弟に言ったら、弟が、それもそうやなぁって、どっか暢気だよなぁって話をしてたのです。それまで黙って聞いてた母が「長男だから、長女だからって親の面倒を見るとか世話をしなきゃって事はないと思うし、ましてや、長男の嫁だから、婚家の親の世話をするのは当たり前っていう人もいるけど、そのお嫁さんだってお嫁さんの実家にとっては、大事な娘さんであって、そのお嫁さんにも大事な実の親がいて、その親だって年を取ってくれば病気もすれば、体も弱ってくる。長男の嫁だから親の面倒見なきゃって言うのはあれはオカシイ、また長男だから長女だからって言うのもオカシイ、みんなで世話するという号令の下、1週間ごとに年寄りに今日からあの家に行け、とやられても、年よりはたまらない。自分達なりの老後の資金もある程度は貯めてきたつもりだけど、もしかすると経済的に時には助けてもらわないといけないかもしれない、今からはっきり言っておくけど、税金払うほどの遺産なんて残せないと思う。ただ今後は、精神的に、みんなに世話になると思うし、結局は一番身近にいる姉ちゃんに、一番世話かけると思う。ついで、陽菜子でしょうね、男二人は、これからも転勤ばっかりだろうし、二人ともお父さんみたいになりたくないって言ってたけど、定年までお父さんみたいに転勤の連続になるのかもしれない。4人に忘れて欲しくないのは、一番身近にいる人が一番、辛い思いも大変な思いもするということ、経済的にも見えないお金を負担するということ、時間も精神的にも物理的にも全てにおいて削られていくということ、現状で行けば、姉ちゃんの負担が一番大きい、それは姉ちゃんが長女だから当然だってことは何一つ無い、陽菜子は陽菜子で、私は嫁に出た人間だからって逃げ口上述べて、かたや一方の嫁ぎ先で、実家の母がこう申しておりましたから、私は実家の母の世話しますって調子よく逃げたら、そんな事、お天道様が許さないと思う。また寿美ちゃん(兄貴の嫁)が長男の嫁だから、舅・姑の面倒は見ろ、って義務はない、ただ、寿美ちゃんにも実家で一人で暮らしてるお母さんがいらっしゃる、けど、寿美ちゃんも実家でも婚家でも調子よく逃げまくったら、寿美ちゃんにしたって陽菜子にしたって、最終的には自分がどこかで罰かぶる時がくると思う親にしてみれば、どの子供も幾つになっても、子供に代わりは無く、生まれた順番がどうであれ、どの子供も同じ。自分が歩いた軌跡が、子供にいつの日か、伝わっていくと思う」母の言葉に、なんだか深々と思うことありました。兄嫁の実家は、お母さんが一人暮らしいらして、失礼な言い方だけど、私の今の家よりすごい田舎で買い物に行くにも一番近い店まで車で軽く1時間行かないとスーパーも何も無いような田舎町。兄嫁には、弟が二人いて、すぐ下の長男弟が、こいつがすごい、同じ県内に最初、結婚して住んでた。お嫁さんが一人っ子の一人娘で、隣の県の出身の人だった。結婚して1年後、隣の県に家建てて、そっちで再就職してた。ところが、その事を、実家には内緒にしていたし、もちろん、兄嫁も知らなかった。その事実を見事1年間隠し通した。何故発覚したか?郵便物や宅急便の転送期間が終了し、あて先で不明で戻ってきたから。電話は固定電話を結婚した当初、引いてなくて携帯のみしか使ってなかったから電話から足が着くことが無かったから。母の話の後、兄嫁が、「時々、実家帰ってもいいですかねぇ」って言ったら母が「いいじゃない、向こうのお母さんもチビ達にも会いたいだろうし、あなたも心配でしょうからぇ・・・」「年に一回ぐらいは帰ってみるかな・・・」と。兄嫁に、気にしないで行ける時は行ったら・・・って言うと、兄嫁は、「田舎はね、うちの辺りは、嫁に出た娘が近寄るから息子が近寄らないんだってすぐ噂される。いまだ閉鎖的な地域で、未だに長男大事の風習が根強いし、そんな土地であんな事やられたから、肩身狭いのよ」「いっそ、義姉さんのお母さん、呼んだら」「そんなの無理、こっちのお母さんみたいに平成の世の考えじゃないから、陽菜ちゃんの所の姑さんは、まだ昭和の考えだけど、うちの実家の母は、明治・大正の考えだから。息子が親を見るものと思ってる人だから。だから、亭主死んでからでも、自分が長男の嫁だからって婚家に残って年寄りの面倒見てたような人なの。年寄り死んだ後、死んだ息子の嫁には相続権が無いからって親戚中から住んでた家や土地から追い出されても、その土地の町営住宅に移り住んで、その上で、墓や仏壇守ってるような人だからね。娘婿の世話にはなれないと思ってる人なの。ましてや、娘が来るから、長男の嫁が遠慮すると未だにこんな目に合わされても思ってるような母親なのよ」世の中、色んな親がいるもだのだと改めて思いました。昨夜は、他の連中がみんな寝た後で、姉と二人で話したんです。母の病状が以前より悪化してる、年内には透析開始は免れない状況が近づいてる、そうなれば、病院への送迎や、家のことなどもあるから姉は今後は、自分の体調も見ながら自宅で出来る仕事を探すとのこと。姉の負担が大きくなるねぇと言うと、姉は、笑いながら、その分、あんたは年々子育ての負担も大きくなるよ、と。昨日だって、ホント、兄貴のところの子供と、お座敷にレゴブロックぶちまける、ヌイグルミ並べて動物園だぁってやる、床の間の人形下ろしてきて、並べまくる、おとなしくなったと思ったら、リスを籠から出して慌てて追い掛け回してる、やっと風呂入って寝てくれたと思えば、寝相悪しで。兄貴親子を見送って、弟を見送って、夕方帰ってきたら、舅が玄関先で掃除してました。しかし、家の少し手前の近所のオジサンが、「出かけてたね、あんたのところのジイチャン。車の音がする度、道のほう覗いてさぁ、ホウキ一本手に持って、昼頃ずぅぅっと同じところ掃いてんの。お帰りお待ちだよ」って聞いてたから、ホゥと思っちゃった。姑は姑で、「早かったねぇ」なんて、妙に気味悪かった。帰ってきてから気がついた。菜豚子が自分のリュックの中に、姉の部屋にあった今年の干支のヌイグルミを入れて帰って来てた。娘に「菜っちゃん、これ、姉ちゃんのでしょ、またおねだりしたの」って言ったら、「うぅん、姉ちゃんにこれ可愛いねぇって言ったら姉ちゃんがあげるって言ったから持ってきた」それがおねだりって言うのって言うけど、娘はそ知らぬ顔。姉の唯一の欠点は、チビ達に甘すぎる。ただ、子供のいない姉のことを将来に渡って、親同様、大事にしていくように娘に教えるのも私の親としての役目の一つでもあるかなぁと思いました。旦那が帰ってきてから、母のこと、兄嫁の実家の話、姉のことを話したら、「向こうのお母さんの病院の送迎は陽菜も出来る限り手伝わなきゃダメだよ、こっちの親は親でまだ元気だから放っておいていいって。俺も手伝える部分は手伝うから。お姉さんは大事にしなきゃ罰当たるよ、今までも今からも絶対に世話になること多いからね。しかし、兄嫁さんの弟、うちのトースケ夫婦といい勝負のドアホだね、兄嫁さんのお母さんにも問題あるんだよ。俺達は出て行くときは正々堂々と出て行こう。今年は、本格的に引越し先探そう」色々考えることの多い週末でした。
2006年01月22日
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この頃、少し階下の義両親と距離を置いてる。向こうが、こちらの様子を伺ってるのは知っているが、こちらは取り立てて相手もしない。会えば、挨拶ぐらいはするが、ろくに話さない。明日からの週末、いよいよ実兄が海外赴任するのと、実弟が帰国するので、実家へ娘ともども一泊二日で帰ることにした。そうそう兄弟4人揃うことはない。どれかがいつも欠けてるケースが多い。そのため、姑に、明日から菜豚子連れて帰ります・・・・という話をしていた。なんと思ったのか、姑が珍しく、菓子折りの手土産なぞ持って行け、と、妙に作り笑いで優しい態度だったが、話の途中で帰ってきた、舅、「陽菜子さん、考えなおしてくれ。頼むから出て行かないでくれ、トースケ(旦那の弟)たちには絶対に出入りしないように言うから、もう二度と金の無心もさせないから」姑と二人で、???ってな顔でいると、舅が、「出て行くって、菜豚子と行くって・・・・」兄弟4人揃うんで・・・姉も母の病気のことで話したいと言ってるので・・・と説明したら、舅「明後日、迎えに行こうか、菜っちゃん連れて車の運転は大変だろ」私「明日も、菜豚子連れて運転して行きますから大丈夫です」舅「でも雪降るかもしれないから」私「大丈夫です、チェーン巻けますし。極端に降った時はもう一泊してきます。」舅「その時は、幼稚園はお休みしなきゃいけなくなるじゃろ」私「朝から連れて帰ってきます」珍しく、ドケチ舅が、ガソリン代とも言わず迎えだってしかし、あいつのことだから、後で請求しかねないもんなぁ
2006年01月20日
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先ほど、ネットでニュースを見ていて、気になった項目があった。「明細領収書の発行義務付けへ・・・」以前、もう1年以上前のことだが、娘が急に熱をだして、一度だけかかった近所の小児科、うちは田舎町なので小児科はそこ1件しかない、そのため、普段は実家のある隣市の市立総合病院の小児科へ連れて行くのだが、その時は夕方の急な発熱だったこともあって、近所の小児科へ連れて行った。診察してもらい、その診察も、診る気があるのか無いのか、先生は白衣を肩にひっかけた状態で、風邪でしょう、冷やして消化のいいもの食べさせて、お薬出しておきます、と、投げやり的な診察で信用できないなぁと不安な印象が残った。お薬を処方箋でもらいたいというと、うちは処方箋出してません、じゃあ薬の内容を明記したものをというと、メモ用紙に書いてくれた。支払い済ませて領収証をというと、小児医療は払い戻しがあるし、保険外費用もあるから、領収証出せません。んなアホな話があるかその時は、娘が具合わるかったので、そのまま帰ったが、夜中に吐く、熱は上がるで、娘は泣く、親の私のほうが怖かったので、実家に連絡し、いつもかかってる隣市の総合病院の小児科へ連絡し連れて行った、ちょうど当直にいつも診てくださる小児科の先生がいらして、娘も顔見てホッとしたのか、泣き止み、笑顔など見せてた。念のため、検査して、様子を見ましょうとのことで、病院にそのまま朝までいた、状態が落ち着いたのと、検査の結果、帰宅してもOKとのことだったので、改めて処方箋をもらい、支払いを済ませ、領収証をもらい、その領収証を見て、ふと疑問に思い、事務の人に尋ねた。「別の小児科で、小児医療は払い戻しがあるし、保険外費用もあるので領収証は出せないって言われたんですけど・・・」「医療費助成ですね、それは自治体が行いますので、領収証は発行しますよ。それに手続きには領収証が必要ですよ。保険外費用もこちらの欄に書いてありますよ、ただ、確定申告などで、医療費控除をされる場合は、助成された金額ははずしてくださいね・・・」だよなぁ、と思い、数日後、改めて、最初の小児科へ行って、領収証を求めたが、出せないの一点張り。プチンと切れたので、町役場に行って、手続きに必要なのにこういって領収証もレシートもくれない、と言ったら、「またあの小児科ですか・・・」って言いながら、役場の人が電話してくれて、「こちらさん幾ら払ったっておっっしゃってますよ・・・」領収証を自宅に送ってもらうように手配してもらったが、実際届くまでに2週間を要した。領収証をまともに出せない何か、裏事情でもあったのかは不明だし、その後、絶対にその小児科へはかからないことにしてる。スーパーで買い物したって、必ずレシートはでるのだから、医療関係も必ず内容を明記したものをだしてほしいなとちょっと思いまして
2006年01月18日
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先日、旦那の弟夫婦のことがもとで、このままでは別居する、と宣言して以来、舅・姑とろくに話をしていなかった。向こうがこっちの様子を伺っているのは知っていたが、わざと知らん顔を決め付け声も掛けなければ、舅や姑がウロウロしている時間には、娘を外にも出さないようにしていたのだが・・・犬が、あまりに鳴くので、とうとう娘が飛びだした。すると、なんと、姑が、犬用ビーフジャーキーを買ってきて、犬に与えてた。孫にお菓子食わせない時は、犬に食わせるか、このクソババ、まだ赤ちゃん犬なんだから食いすぎたらどうするんだよ「お義母さん、あらぁ、ありがとうございます。だけど、あんまりオヤツやると躾に悪いんですよ・・・」「あら、そうなの、菜っちゃんもね、やりたいって言うからねぇ」娘の所為にするな、このクソババ犬にもうダメよって言いながら、娘と二階に上がって、夕飯の支度をしていた。すると娘が、「あのね、ママ、おばあちゃんが、今度のパパの誕生日、一緒にお祝いしましょってママに言っておいてって」はぁ?40にもなる息子の誕生日パーティだぁ、いまだかつて、あのババがそんな事言ったことない。帰宅した旦那に言ったら、即、階下に飛び降りていって、冗談じゃねぇや。誕生日は家族だけで祝うの今度のパパの誕生日は、パパ、お仕事お休みだから、菜っちゃんとママと三人でどこにお出かけしようかって旦那はお出かけの計画を立てていた。
2006年01月18日
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娘は、幼稚園からの帰り道、その日の報告を一気に喋りまくる。お友達と遊んだこと、習ったお歌、ダンス、本当によく喋ってくれる。時々、思う、誰に似て、こんなに口の立つガキ出てきたんだろう・・・そんな娘が今日も、幼稚園の帰り道、ご報告会を始めた。最初は、お友達の誰と誰が、お風邪でお休みしたの、何のお歌を習ったの、といつもの調子だったが。突如、娘が「ママ、ホリエモンってどんなドラえもんなの?ホリエモンって、どこでもドアじゃなくて、ライブドアっていうお金の出てくるドア持ってるんでしょ・・・」??????????????思わず、車のブレーキ踏むとこだった。「菜っちゃん、どこで聞いたの、そのお話」「幼稚園だよ、◎◎ちゃんが話してた」◎◎ちゃんは年長さんの子、ちょっとおませな子でもある。それでも娘には「菜っちゃん、ホリエモンはね、ドラえもんの仲間じゃないし、ライブドアっていうのは、会社のお名前、お金の出てくるドアじゃないのよ。」娘は、「フゥゥゥゥン」と、間の抜けた返事してました。娘はその後、ホリエモンのホの字も言わない。しかし、お金の出てくるドアねぇ。案外、ホリエモンはそのドアを持ってるつもりになってたのかもな、と思った娘の一言でした
2006年01月17日
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宮崎 勤の事件からもう17年なんですね。当時、学生だった私も、結婚し、子供を持つ一人の母親となったのですが。宮崎は自身のHPで死刑制度反対を表明してるらしい。反省の色が無いのだろうな。人を殺しておいて自分はまだ生きたいか・・・亡くなった子供さんたちは、生きていれば、もうみんなそれぞれ大人になって、もしかしたら、亡くなった頃の同じくらいの子供を持つお母さんになってたかもしれない。死刑は当然とは思うが、死刑になればそれで終わるということでもないとは思うけど。ただ、宮崎 勤が生きてる限り、宮崎 勤自身に忘れて欲しくないのは、亡くなった子供さんの親御さんは、一緒にご飯食べることも、お誕生日を祝ってあげることも、お洋服を着せてあげることも、成人式の着物を着せてあげることも出来なくなった、ということ。それがどれほど辛い事か、悲しい事か。心からの謝罪の言葉を、宮崎 勤の刑が執行される前に聞きたいです
2006年01月17日
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阪神大震災から明日でもう11年なんですね。私は結婚するまで親元を離れて暮らしたのは、大学の四年間だけで、就職する時も実家から通えば、生活費も浮くしその分、金も貯まるし・・・ウヒヒなんて調子で、就職も実家に戻ってからしたので、本当に甘えん坊だったなぁなんて時々思うのですが、そんな私が、母親になって、いま思い出しても、胸が詰まることが幾つかあるのですが、大震災の日もそうでした。私の実家は、関西から離れた場所で、滅多に地震はない土地ですが、父の転勤で子供の頃、何度か地震に遭遇したことはありましたが、あんなに大きな地震は記憶にはありません。11年前の1月17日、私はちょうど仕事が休みで、確か、日曜出勤の代休もらってて、前の晩、友達で新年会と称して飲み歩いて、午前様の帰宅して、朝寝を決め込んでたんです。そこへ、母が、飛び込んできて、大声で、「近畿のほうで大きな地震があったらしい。よくわからないけど、高速の橋脚が倒れたり、火災が起きてるみたい」最初寝ぼけてた私は、近畿で大きな地震があるのと何が関係あるの?って呟いて、すぐに母の心配の矛先が何であるか思い出しました。当時、弟は大阪在住、現在も勤務する会社で当時は本社勤務、そして姉は当時勤務してたのは本社勤務だったが、神戸の支店への出張で1月16日の朝から神戸に入って、17日夕方まで仕事して、夜、東京へ戻ろうと思ってるが、せっかくだから、17日の夜、弟と合流してご飯でも食べてから東京へ帰るのだ、と、15日の夕方、母に電話で話したばかりだって事を思いだした。TVで見る神戸の市内は壊滅状態。電話も繋がらない。せめて大阪の弟の会社でもと思うけど繋がらない。メールよ、メール、姉ちゃんも弟もノートPC持って歩いてるはずだからメール送れば何とか返事と思うけど、返事も来ない。東京の姉の会社の在籍する部署に電話したけど、まだ確認が取れない。宿泊してたホテルでは被害が出てない模様だが、三宮は近づける状況ではない様子だし、また神戸支店の電話も繋がらない、確認が取れ次第、大至急電話しますから、と、言ってはくださったが、思うように連絡の取れないことの歯がゆさ、腹立たしさで気持ちは焦るばかり。そんな時、フッと母を見たら、びっくりするくらい、急に白髪が増えてて、いつもピシッと留めてる鬢もほつれて、顔はこれまた驚くほど、皺が増えてやつれた顔。そう言えば、朝ごはん食べてなかったと思って、「お母さん、朝ごはん食べたの?」って訊いたら、父が「食べようかって言いながら、TV点けたら地震のニュースで、それっきりなんだよ、お母さん、少しでも食べようや」って声かけても、母は、「私、いいから、あんた食べなさい、姉ちゃんもクウちゃん(弟のこと)も電話でもなんでもいいから連絡してくれればいいのにね、悪いけど、お汁自分で温めて、おかずも冷たくなってるからチンして食べて。」母の横顔は、見るのも辛いくらい、何ともいえない横顔でした。そうしてるうちに、兄から電話が来たり、当時元気だった祖母から電話が入ったり、大阪の弟から連絡があったのは、17日の昼過ぎでした。「ごめんね、電話したかったけど、とにかく、会社のほうで色んな手配することでバタバタしてて、上司から実家に電話したかって言われてしてませんって言ったら、早く電話しないか、親御さん心配されれるぞって怒られちゃってねぇ」あんたらしいよって少し笑ったけど、姉のほうからは連絡は入らないまま。母は、昼過ぎ、突如、着替えて、出かけると言い出しました。どこ行くの?って訊いたら、「このままここでジッとしててもラチあかないから、神戸行く、姉ちゃんね、動けないでいるかもしれないじゃない、お腹もすいてるはずだよ、迎え行ってあげなきゃ」ダメだって父と二人で抑えようとするけど、行くの、と言い張る。新幹線だって停まってるし、飛行機もいつ飛ぶか判らないし、ダメって言うと、自分で運転して行く、から放せ、って、その時のすごいチカラ。そんなのを1時間ぐらいやって、母の着てたセーターなんて、袖がノビノビ状態、母は父に向かって、「この人でなし親父、娘がこんな大変な時に行ってやる気持ちも持ち合わせてないのか、そうさ、あんたは私がお産する時だって一度もいなかった、子供達が麻疹の時だって、仕事、仕事でいなかった。だから姉ちゃんがこんなときに神戸に行ってるんだ・・・」と、エンエン泣き出す。母は、かなりテンパッテタ状態に気持ちがなってたのだと思う。泣いてみたり、ぼんやり座り込んだり、姉の部屋に行って、姉の小さい時のアルバムを持ってきて、「姉ちゃんはね、陽菜ちゃんと違って小さい頃はよく病気したの、すぐ熱出す子でね、だから水泳したり、ジョギングしたりして、体力つけたのよ、大きくなるに連れて病気はあまりしなくなったけど、時々怪我すると、骨折ったりとかね、生傷たえない陽菜ちゃんとは対照的でね、大きな怪我する子だったのよ・・・」そんな話をしてたかと思うと、また泣いて迎えに行くと言ったり。17日の夕方、16時近くでしたね、姉の会社の上司から電話が入ったのは。「遅くなってすみません、神戸支店の支店長が、宝塚に住んでて、さきほどホテルで娘さんと合流し、本日中に何とか大阪へ移動するとのことです。今夜はたぶん、本人の疲労の度合いもかなりの状態のようですので、大阪の方で一泊して、明日、本社へ戻ってもらって、近いうち一度、ご帰郷させますから。親御さんもご心配でしたね。お怪我もないみたいです。ただ精神的にお疲れとのことです。」その連絡の入った時のホッとしたなんてものじゃない。そうなったら、今度は、母、「なんで携帯から電話してこんのよ」「あのさ、お母さん、朝からずっとTVで言ってるでしょ。繋がりにくくなってます、って、だから差し控えてくださいって言ってるでしょ」って言うけど「ちょっと一言、大丈夫よって電話したっていいでしょうに」ってブツブツ言いながら、でも、泣き笑いの顔でした。姉から直接電話入ったのは、17日の22時頃でしたね。いま、大阪のホテルにはいったところって。公衆電話も、列出来てるから、って、すぐ切れたけど。姉から電話があってから、母はやっとご飯食べてくれたんですよ。そして、「明日、東京に行って来るから。朝一番で行くから」って言うんで「何しに行くの?」って訊いたら「姉ちゃんの顔見に行く、まともに連絡もしないで」結局、行きましたけどね。その年の3月には、地下鉄サリン事件があって、姉の会社は、丸の内。朝の出勤時間にあの事件で、最初、ニュース速報で「地下鉄日比谷線でゲリラ事件発生」みたいなテロップが出て、あの日も私は仕事が休みで、少し遅い朝食食べてて、母とTV見ながら「いやぁね、地下鉄でゲリラだって。怖いねぇ」「姉ちゃんの会社は丸の内だよね、、日比谷って、音楽堂のあるところだよね、あの噴水のある公園のところだよねぇ」てな会話を交わしてた。東京の地下鉄をよく知らない私と母は、へぇってな調子で見てた。父はその時、犬の散歩に出かけてて、帰ってきた父に話したら、「そりゃ姉ちゃん使って通勤しとるがなぁ」「でも姉ちゃんの会社って丸の内でしょ?」この時点ではまだ暢気な私、しかし、母はすでに顔色が無く真っ青父は、時刻表の線路図のような地図を持ってきて、ここが姉ちゃんの住む独身寮、ここから何線に乗って、乗り換えて、日比谷線に乗って・・・仕事中だろうが、なんて言ってられない、姉の勤務先に電話した。すると、姉は、月曜日の「早朝営業会議」に出席してた。月曜日は、早朝会議があるんで、いつもよりずっと早く家を出て、6時前から会社で会議に備えるんだと。母の白髪はまた一気に増えてた。でも、今、思い出してみても、母親だからなんだなって思うんです。もし、娘が、そんな状態になったと重ねてみれば、なっては欲しくないけど、あの時の母の気持ちが判るような気がします。母の白髪って、大きくなっても子供を思う母の気持ちの表れなのかもと思い、今更ながら、母に感謝してます。
2006年01月16日
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今日は朝から階下の舅・姑のもとへ、義弟夫婦が通帳・給与明細・家計簿等を持ってきて色々話し合ってる。時折、姑の怒号が聞こえてくる。そんな中、今日は旦那と娘と三人で、朝からスーパーや生産者直売場などを回って、野菜を買いに行ってきた。この寒さで、野菜の高騰、天井知らず、出きるだけ安く買いにいこうという理由つけて要するに家を出たかっただけ。娘は、パパの車でお出かけでもう嬉しいばっかし。隣市の大型スーパーでも、パパ、ウンチするって言うと、旦那の手を引いてトイレへ。当面はトイレ見ると走り出す傾向が続くかも。昼過ぎて帰ってきたが、階下ではまだやりあってた。姑がいっそ、同居をと申し出たそうだが、義弟夫婦は断乎拒否、なんと舅までが拒否したらしい、理由は、光熱費をどれだけ使い込まれるか判ったものじゃないから。義弟嫁は自由が無いからと言ったらしい。夕方まで、話し合ってたみたいだが、結局、何の進展も無いまま、帰っていったらしい。我が家の夕食も済んで、娘も寝静まり、旦那も明日の朝は早いので、娘と一緒の時間に先に寝てしまい、明日のお弁当の下ごしらえをしていた所へ、姑が来た。カボチャ煮たから・・と言って持ってきた。姑の煮るカボチャは、真っ黒に煮付けるため、娘は食べない、お口辛い、挙句に、おばあちゃんのカボチャは真っ黒、とまで言う始末。明日、いただきますから、と言って、追い返そうとしたが、姑は疲れ果てたと言わんばかりの様子で、リビングに座り込むと、陽菜子さん・・と話し始めた。姑の父親は、戦死されてる、姑がまだお母さんのお腹にいる時に出征されてわが子の顔も見ずして亡くなられてるのだ。そういう点では、私の実家の母も、3歳で祖父(母の父)を戦死で亡くしてる。幼い子供、姑と姑のお兄さんの二人の子を抱えて姑の母は、籍こそいれなかったが、再婚してたらしい。そこに、父違いの弟が生まれて、姑は子供の頃から、家の中に居場所が無かったと話し続けた。中学出たら、鹿児島市内の大きなホテルに住み込みで働いて、そこに母親が給料日になるとお金をせびりに来る、弟の学費だのなんだのって取りに来る、その頃は異父弟の父親とも別れて、姑の母方の祖母と母親と異父弟で三人暮らしをされてたらしい。母親に泣かれるとイヤとは言えなかったんだよねぇとシミジミ話してた。しかし、そのホテルの社長が、このままでは良くないからと、同じ系列の他県にある別のホテルへ姑を移動させ、そこから、昼間の定時制高校へ通わせてくれたらしい。母親はキチガイみたいになって探しまくったらしいけど、なんとか高校卒業までは逃げ延びて、ちょっと気緩めて父親の墓参りに行って見つかって、またお金をせびられるようにって、その頃知り合ったのが、今の舅。事情話したら、勤務先に至急、実家へ戻れるように転勤願い出すからと言って、転勤させてもらい、姑は勤務先のホテルの社長にのみ話して、二人で手に手を取って、逃げてきた。いわば駆け落ち、舅が23歳で、姑が20歳。最初、舅の会社の社宅にいたが、舅の父親が、借家をたくさん持ってた人で、そのうちの一つを安くで売ってくれるというので、最初は、1000円ずつ払って、ボーナスの時に5000円払ってというようにして、この家を買った、逃げてきた当初は、最初はガステーブルなんて無くて、舅のお兄さん宅から、七輪を一台もらってきて、山から木っ端を拾ってきて、煮炊きもした、本当に川や海に釣りに行って、食材にしたこともあったし、カースケ産む時は、実家には帰れないから病院や産院で産むといいよって舅の兄弟達から言われたけど、そのお金が無くて自宅出産で、助産師さんにお礼を3000円包むのがやっと。お産ってのは、出産費用より、その後がお金かかるから、仕事に出るにも保育園に預けたいけどお金なかったから、舅の兄嫁さんが預かってくれるって言うので頼んで仕事に出たものだった。日本全体が、今よりもっともっと、貧乏だったから、出来たって言えばそこまでかも知れない。確かに、トースケは末っ子だったし、ちょっと年はなれて生まれた子で甘やかし過ぎた。いままで4回も縁談が壊れて、そのたびに相手に対して失礼なと思ってたけど、親はこんな苦労して頑張ってきたのに、どうしてあんなバカになったことやら・・・「あのね、お義母さん、うちも大差ないと思いますよ。うちは子供四人いたんですよね、実家の母も戦争で父親亡くしてて、祖母は女性も自立せねば、の、豪傑ババでしたけど、父の兄弟は8人、その次男坊で、実家は地主ではあったけど、戦後、農地改革で大方取られて、幸い、山林があったから何とか持ちこたえたけど、その維持が大変だったみたいで、父方の祖母って人もそんな家を守らなければいけないってこれまた豪傑ババで祖父は生きてたけど、農地改革のショックで気弱になってたのを必死になって生き抜いてたんですよ、うちの祖父母は、結構どちらも子供達にはあまり優しい親じゃなかったみたいですよ。その分、うちの母は本当にたっぷりの愛情で育ててくれたと思うんです。父は仕事人間だったけど、それも当時のお父さんとしては当然のことだったと思うんです。そういう親を見て、私達兄弟、四人育ったんです。それぞれにそれぞれの生き方で生きてて、独身の姉も弟も経済的な面では自立してます。弟なんて、中学から私立に行く時に、公立との差額を後々支払いますって約束して進学して、大学卒業後、本当に支払ってましたからね。お義母さん、自分が苦しかったからって、それを子供に負いかぶせて、お金で愛情を買い与えてしまったんじゃないですか。なんでもお金で済むって自分で気づかない間にトースケ君にしてしまったんじゃないですか?余計なお世話でしょうけど、菜豚子も日に日に大きくなっていってるんです。こんな事をトースケ君夫婦に続けられて、正直言って、菜豚子にもいい影響は与えません。明子さん(義弟嫁)が居間のコタツで昼寝するぐらいの気持ちでいらっしゃるのであれば、お義母さんもそのつもりでご遠慮なさらずお金で援助ではなく、きちんと精神的なケアをなさるのが最良じゃないですか。私のいうことが、お気に召さない、腹立たしいとおっしゃるのであれば、私は、明日にでも、菜豚子連れて実家へ帰ります。冗談じゃありません。毎月、毎月、金がない、金がない、って実家へ無心に来て、その時ばかりの注意を受けて、借家の家賃も破格安になってるのも払わないで、私達夫婦は、この家の家賃を毎月払ってますよね、それも一円とて安くしてもらってません、でもかたや、安いのに払ってない。随分不公平な話ですものね。こちらに愚痴られても、はっきり言って迷惑です。なんでしたら、私達夫婦が出ますから、ここにトースケ君夫婦を住まわせたらいかがですか?」「ちょっと待ってよ、そんな過激なこと言わないでちょうだい。あんなのと一緒に住んだら気が狂うわよ、今日だってお昼作りますって、野菜炒めとも麻婆豆腐ともつかない炒め物作るし、お汁ってお椀に卵落として、醤油落として、それにお湯入れて出すし、食後のお茶は湯飲みじゃなくて茶碗にいれるし、あんな怪獣みたいな嫁と一緒にいたら私は血圧上がって倒れるわ」「やっぱりお義母さん、一緒に住んだがいい、そんな得たいの知れないお汁やら、お茶の飲み方する人は暮らして指導しなきゃ、無理ですよ。そうなったら、やっぱり菜豚子に変なこと教えられちゃ困るから私達出ます。」ここで、寝てたはずの旦那が起きてきた「あのさぁ、俺たち出るとなると、菜豚子の幼稚園を変えたりすると可哀想だから、親父とおふくろが暫く向こうで暮らせばいいんだよ、親父がいれば、毎日、伯父さんの家の牛の世話に行くんじゃないだろうから、トースケの嫁さんもパートにも出れるだろうし、家を留守にするからパートに出れないって言ってるらしいから、鍵もきちんと着いた家なんだろうけどなぁ。ま、とにかく、今夜は遅いから帰ってよ、菜豚子が起きるとまた寝ないから」姑はスゴスゴと帰って行きました。旦那にいつから起きてた?って聞いたら、おふくろが切々と喋ってた頃から、昔から何度も聞かされたんだよ、って笑ってた。でも、思い切ってよく言ったね、出て行くときはカースケ君を忘れずにね、といわれました。本気で引越し先探そう
2006年01月15日
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初めに豪雪地帯にお住まいの皆様、大雪の次に大雨が来て大変な被害も続出しているご様子、お見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈り申し上げます。では本日の日記今日は娘の幼稚園での餅つき大会。近所の人のお手伝いもなぜかこの日ばかりは多い、子供達はというと、部屋の中で、黄な粉まみれになったり、餅とり粉まみれになったり、うちの娘はというと、しっかり、暖房機の傍で他の子と輪になって、黄な粉餅食べてアンコ餅食べて、お汁粉もらって、お土産のお餅ももらって、と。仕事が休みで、餅つきに出てきた旦那は、他のお父さん達と結局1個も食えなかったよ、と、言いながらお土産もらってのご帰還。帰ってくると、駐車場に義弟夫婦の車が停まってる。運転席の旦那、駐車場に車入れるのやめて、「出かけよう」「どこ行くの?私、お財布は小銭いれしか持って来てない」「菜っちゃん、ネエチャンとバァバとジィジのところにお餅持っていこうか」娘は超ご機嫌笑み満点の顔で「行くぅ」黄な粉まみれの娘と餅とり粉一杯のエプロン姿の私とジャージ姿の旦那、お昼過ぎに実家へ到着。玄関に立った親子三人の姿を見るなり、姉は、「ちょっと待ってね、とにかく上がって、コタツ入ってて、お風呂たてるから・・・」旦那曰く「姉さん、何か勘違いしてないか?」そりゃするだろな、いかにも親子三人、着の身着のまま逃げてきたみたいなカッコウだもん。すぐ、父が出てきて、「寒かったろ、早く上がりなさい、お昼は食べてないんだろ、すぐ取るから、とにかく上がって、お茶いれるから」絶対に勘違いしてるなぁ、と旦那と言いながら奥へ。娘はニコニコ顔で、「ジィジ、バァバ、餅つきだったからおみやげぇ」と叫んでるが、急な訪問に母も慌てて出てきて、その上親子三人の装いを見て、「いったい何があったの?」と心配顔。旦那が「いや、何もないけど、餅つき終わって帰ってきたら駐車場にトースケ夫婦の車があったんですよ、だから顔合わせたくなくて、そのまま来ちゃったからこのザマなんですよ、チビたちが丸めた御餅なんでカッコウ悪いけど、食べてください。あのぅ、昼メシ食ってないんで、すいません、この餅でいいから焼かせてもらっていいですかねぇ」父が、「昼ごはんならいま、頼んだから、すぐに定食屋さんから持ってきてもらうように電話したよ・・・いつかこんな格好で親子飛び出してくるんじゃないかって、一瞬、とうとうやったかと思ったよ、飛んだ勘違い、失礼失礼、姉ちゃんが慌てるからだよ(笑)」実家で、お風呂はいって、晩御飯まで食べて、飛んだ勘違い大笑いして帰ったら、まぁだ義弟夫婦の車があるだけじゃなく、なぜか2階の我が家の電気が点いてる。旦那と思わず「まさか・・・ドロボー?」先に旦那が、車に積んでたジャッキ持って、私は、娘を抱いて、そろりソロリと上がったら、なんと、義両親がチョコンと座ってご飯食べてる、それもホカ弁の弁当。以下、旦那と姑の会話「何やってるんだよ、人の留守中、上がりこんで」「だって、下にトースケ夫婦来て帰らないんだもん」「帰れって言えばいいじゃねぇの」「出かけるって言っても帰らないしさ、仕方ないからお父さんと二人で車でグルッとしてきたけど、帰ってなくて、だから、またグルッと回ってお弁当買ってきて、ここで食べさせてもらってるの、あぁ陽菜子さん、梅干とね、冷蔵庫にあったお漬物とお茶だけいただいたから。お漬物も梅干も美味しいわね」「なんでいるんだよ、トースケが」「知らないよ。何か言いたくて来たのだろうけど、何も言わないで、二人でコタツはいって、お昼食べたらあの嫁さん、姑のいる前でゴロっと昼寝しちゃうんだよ。陽菜子さんなんか一度もそんな事無いのにさ、どういう性格だろうね」「そんなのこっちに言われたって知るかよ、とにかく、メシ食ったら下に帰ってくれ。こっちは菜豚子寝せなきゃいけないんだよ」渋々、下りて行った義両親。舅は舅で、「陽菜子さん、お姉さんは来週は家にいるかね?」申告のことで行こうという魂胆はミエミエだったから、「さぁどうですかね、色々忙しいようなこと言ってましたよ」寝ぼけまなこの娘を着替えさせて、寝かしつけてたら旦那が下に行って来ると降りて行った。階段のところから階下を覗き込むと、時折、旦那の怒鳴り声、30分ほどして旦那が戻ってきて言うには、義弟夫婦はあいも変わらず金の話。毎月の家賃がどうしても払えないとのこと。それだけならまだしも月々の援助を頼みに来たらしい。それに対して、舅も姑も、末っ子可愛さ、甘やかし、で、幾つになっても小さいトースケ君の感覚が抜けてない部分があるらしく、幾ら援助すれば・・・なんて言い出したらしいってんだから・・・どうしようもない。こんなこと、アメリカにいる小姑が知ってみろ、えらいこっちゃ。今夜のところは、明日出直すということで、明日、通帳から借金の明細から給与明細から、先日から付け出した家計簿持って出てくるらしいけど・・・旦那に姑が、「陽菜子さんに長男の嫁なんだから、家計のこと教えてやってくれてもいいのに」って言ったらしい、それに対して、旦那は、一言、怒鳴りつけてきたって。あたりめぇだっての。誰が親なんだよ、まったくぅ
2006年01月14日
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去年の夏頃から少しずつ始めてきたトイレトレーニング。実家の母からも、兄嫁からも、慌てないこと、出来たら褒めること。その二つだけよ、といわれ続けて早半年。最初は、実家の姉が買ってくれたスヌーピーのおまるに、自分のオモチャを入れて遊んでた。それが、去年の夏、兄の子が来て丁度おまるでのトイレトレーニング中だったこともあり、おまるがトイレだと気づいてくれたのが、昨年の夏、8月の半ば。それからは、オシッコ終わった後に、シィシと言っては、おまるに座ったり、時には自分でトイレ行ったり、ミッキーのパンツははかない、お姫様パンツじゃなきゃダメ、とか、プーさんじゃなきゃはかないと、次第に、紙おむつから、トレパンマンや、オヤスミマンへ変化していった娘。この頃では、幼稚園行く時には、布パンツで行くのよ、と、朝からお着替えする始末。娘は現在2歳10ヶ月だが、行ってる幼稚園が2歳から預かり保育は行ってくれるが、3歳になった時点で、次の新年度まで「つぼみ組」さんにクラス替えになる、そのため、現在のクラスでは、自分が、他の子よりちょっとオネエチャンになってきたこともあったみたい。この頃、オシッコは確実に教えてくれてた。自宅でも、幼稚園でも、実家に遊びに行っても。おかげで、自宅のトイレの他に、実家のトイレにも用事便座を着けていて、幼稚園ではほぼオモラシゼロで成功中。自宅では時々、ギリギリの時もあるが、そんな時は、自分も一緒に、トイレクイックルで♪お掃除、お掃除、拭き掃除、などと鼻歌交じり。ただ、ウンチだけは、ママァ、ウンチしたぁ、と事後報告だった娘。それが、今日、幼稚園にお迎えに行ったら、飛び出してくるなり「まま、トイレでウンチできたよ」と大きな声でご報告。思わず、やったね、エライエライ、おりこうさんだネェってほめまくっちゃいました。先生の話に寄れば、お昼寝時間の前に、自分から、トイレ行くって言い出して、ウンチするのって元気よくいって、ウ~~ンでたぁってやったらしい。他のママたちからも、ほめらられて、ご機嫌で帰ってきた娘が手を洗って、着替えが済んだら、いつもはすぐオヤツちょうだい、なのに、今日は違って、電話の前に座って、「ママ、バァバとジィジ(実家の両親)に電話して」そして、ウンチできたよって一言ご報告、すぐ切って、「ママ、ネエチャン(私の姉)に電話して」またご報告。それからも、パパ、従兄弟のお兄ちゃん、御姉ちゃんと報告しまくり。ママも嬉しかったけど、菜っちゃんはもっと嬉しかったのねぇ。3歳までにトイレで出来なかったらどうしようって、少し心配だったんです。でも幼稚園の先生も、実家の母からも、焦りが一番禁物って言われてて、良かった良かった。
2006年01月12日
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実家の母方の祖母が、年末から入院させられた病院を退院し、新しい施設への入所への引越し(引越しって言うのかな)が決まってそれが今日だったので、当初、姉のみ行く予定だったが、実家の両親が娘の幼稚園の送迎をしてくれるというので、丁度休みになった旦那も一緒に姉と三人で出かけた。祖母は99歳、昔は女子大卒後の職業婦人・国防婦人会・戦争未亡人・そしてまた働く女性、として一人で生きてきたような人だった。母親としては、ちょっと疑問に思う点も多い人だが、強い女を地で行くような女性。現在、痴呆もあるが時々正常に戻る。現在、介護3の状態だが、あの介護基準てのが私はよくわからないから、この程度かなと思うけど、今日、行った施設でも、「結構、お元気でしっかりされてますねぇ」なんて言われてたから元気なほうなんだろうな。新しい施設に入って第一声が「どなた様も本日始めてお会いした方もお友達でいましょうね」で、社交的なババでしたから。移動の車の中で、祖母に、どうしてずっと一人暮らし続けたか訊いてみた、呆けてても、時々はしっかりと話してくれる祖母だから、もしかしたら・・と思い訊いてみた。母も何度も同居を勧めてたし、父もずっと気に掛けてた。すると、祖母は、昔々のそのまた昔の物語の始まり始まり、と拍子漬けて、話し始めた。以後、祖母の一人語り「うちの実家はどういうわけか、代々女系家族で、なかなか男の子が生まれない家系で私のお父さんもそのまたお父さんも婿養子、私は兄が三人いたけど、その兄も一人は早逝したし、一人は早くに養子に行ってたし、もう一人は戦死した。実家の墓を守るのは自然と私の役目になったし、代々女系だからそれを不思議に思いもしなかったし、私も嫁いでたが、嫁ぎ先の舅も姑も私を嫁ではなく本当の娘のように大事にしてくれたし、私の実家の先祖を祀る事になんら異議も唱えないし、私の母も兄嫁達にそうしてたこともあったし、また、日本は戦後、変わってきたから、嫁を大事にするように変わっていったのじゃないかと思ってた。戦前は、家制度、の言下、女性の立場というものが圧制されてたから、それをずっと仕事でも見てたから、世の中は変わった。そう思ってた。戦後、夫に戦死され、一人娘を最初は姑に預け、その姑が亡くなると今度は養子に行ってた兄に預け、私は、フルタイムで働いた、ウーマンリブとか呼ばれた時代もあった。働くことで娘を学校にやり、着せて食べさせて、家を守るのではなく、家族を守るために働いた。私にとっての家族は、病床においても優しい姑であり娘であった。その娘が19の年に姑が亡くなった。私は、実の親が死んだ時より夫が死んだ時より悲しかった。娘を東京の女子大に行かせてたので、私は、仕事から帰ってから一人暮らしの家の淋しさを毎日いやおうなく味合わされた。淋しい、でも、頑張ろう。頑張って働いて、お金貯めて、東京の娘のところへ遊び行こう、そうだお土産たくさん持って遊び行けるよう頑張って働こう。娘は、大学卒業後、就職したけど、友人の紹介で知り合った公務員と結婚することになった。おとなしそうで、どっかちょっとおっちょこちょい、そんな感じの男性で、「いい人だ」と思った、それまで私は、本当の意味の嫁姑の争いを知らなかった。同僚から話を聞いても、大して気にも留めてなかった。{姑が、女の子なんて孫じゃない}{実家に帰ると不機嫌}{夫が味方してくれない}など、何を聞いても、小説の世界のように聞き流していた。しかし我が娘の縁談のことで世にも恐ろしいシュウトメというバケモノがこの世に存在することを初めて知った。結納の席で、娘の婿となる男性の母親が、{次男だからといって養子には出しませんし、ましてやうちの息子のお給料を当てにされても困りますし、また、生まれ来る子供を養子にもらうと思ってらっしゃるならそれはお断り申し上げます。}あの時点で呆れたね。これが世に言う、鬼のシュウトメ、女が古いって奴かって思った。婿殿は、怒って、お母さん何言ってるんだって怒ってたけどね、その頃には一人暮らしの淋しさにも慣れてきてたし、仕事も働ける間は働いてと思ってたし、働いてたから年金もあるし、娘の婿に金銭面で一度も借り作らなかったし、ただ一つだけ、先々葬式出す時だけは金は準備していくけど、自分で自分の葬式出せないものだから、ハハハ・・・」その後の祖母は、ポケットアルバム出して、ひ孫の写真眺めて、どれも赤ちゃんの時は同じ顔、だけど、この一番丸々としてるのが、陽菜ちゃんの子やな、誰に似て、こんな子豚かいな、バアサンに似たな、陽菜ちゃんの母ちゃんが子供の時は豚やったからなぁって、言うかと思えば、今度の映画の封切りは何かいなぁ、雷蔵この頃痩せたもんな、病気でもしてるんかいなぁって言ってみたり。契約事項の確認等で今夜は祖母の所へ泊まるという姉を残して、帰宅後、母に、祖母の語ったことを尋ねたら、「うちはね、お父さんが次男だったことと、転勤が多くて、滅多に向こうのおじいちゃん、おばあちゃんと顔合わせること無かったけど、長男大事の姑でね、孫は18人いても、長男の長男にしかオモチャでもお菓子でも服でも買ってあげない人だったの。一番可哀想なのは、長男のところの女の子の孫よ、差別されちゃってね、そんなだったから、呆けた時もお父さんの兄弟8人いたのに、結構、みんな冷たかったらしいよ、亡くなった時のあのお通夜の晩、覚えてるでしょ、大宴会になっちゃってさ、孫だけじゃなくて、娘・息子達が、親が亡くなったっていうのに、大盛況な大宴会だったでしょ。孫もお焼香にも来ない孫もいたでしょ。どんなに喧嘩しても、長男が親を見るのが当然って言って、転勤先にずっと着いて回って人達だからねぇ。家を守らねばって言いながら、実のところ、守りたかったのは家じゃなくて、自分達の生活だったんでしょうね、子供たちには子供達の生活があるってことを最後までわからない人達だったのじゃないのかな。うちのバアサマも意地っ張りだから、何度、同居勧めても、向こうのおばあちゃんに対抗しちゃってね、何十年も昔のことなのにね、うちのお父さん、あの通り、能天気だからそんな事気にしないで、一緒に住んでも良かったろうけど・・・バアサマの若い頃ね、今の姉ちゃんみたいな感じだったよ、ショートカットでハイヒール履いてメガネを首からぶら下げて、姉ちゃんと話してたら、思わずお母さんが昔、言ってたことだって思う時あるんだよ」って母は笑ってた。ただ、バアサマが、昔、今のうちの娘のように子豚だったのかとは聞けなかった。帰宅後、旦那が、舅・姑に向かって「嫁さん、孫、大事にしておかないと、哀れな老後を迎えるからな。息子・娘に差をつけるなよ。バカ息子に甘い顔するなよ。死んだ時、万歳三唱されたくなかったら、少しは可愛い年寄りになれよな」って。舅は、図書館から借りてきた、節税対策の本を片手にポカンとしてたし、姑は、黙ってうなづいていた。
2006年01月11日
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昨年の1月末に定年後の嘱託勤務をやめ、完全な年金生活に入った舅。今まで、サラリーマン一筋。借家は数件持っていたが、その家賃管理は全て姑。と、言うのも、舅の父親(うちの旦那のお祖父さん)が亡くなるときに、借家の権利証・印鑑・家賃等関する物一切、一切、息子に渡すな、お嫁さんで管理しろ、と、遺言してその昔、亡くなられたらしい。あの親父に任せたら、何やるか判らないと思った親心だったのかもしれない・・・だから、姑は、毎年、家賃収入分の確定申告を、舅の名前で行ってきていたし、舅の口座から税金も差し引かれるように手続きしていたし、その引かれる口座は家賃入金口座で、口座の名義は舅であっても実際は姑が管理している。しかし、年金生活に昨年からなった為、舅も確定申告を行わなければならない。そんな事のわかるジジィじゃないことぐらいこちらも先刻承知、だが、誰が知るか!自分が結婚で会社勤め辞めた時だって、実家の姉と父親から本当に三歳の子供に教えてもらうように申告書書いたし、お産した後の医療費の何とか申告書だって、国税庁のHPでやったのだから、あんなもんしらねぇっての。だから、できるだけ、その話題には触れられないように・・・クソジジィは、困った時は、陽菜子の姉頼み、という、トンでもない言葉を最近、親戚にも言って回ってくれてる。今日も来た。陽菜子さぁん、と間延びした声で。おかげで娘が時々私に、陽菜子さぁんって言うんだ。旦那が、陽菜ちゃんて言うから、時々は陽菜ちゃんても言うけど。何事かと思えば「年金の源泉徴収票ってのが届いたんだよ、これ見たら、源泉徴収税額が0円になってるんだよ、これって年金受給者は税金は納めなくていいんだねぇ。(*^▽^*)」税務署が聞いたら、きっとぶっ飛ぶだろうなぁ。そして、きっとすぐ飛んできて、納税について切々と説得して帰るだろうなぁ。世の中、こんなアホ幸せなジジィってそうそういないだろうなって思いつつ、「お義父さん、ここに書いてあるでしょ、確定申告してくださいって」顔色は途端に曇り、「こんな小さな字、読めるかいな。めがね掛けないと見えない」ブツブツ言いながら降りて行ったら、娘が、「おじいちゃんね、都合悪くなるとおメメ見えないんだって、おばあちゃんが言ってたよ」だろうなぁ。源泉徴収額0円が見えるのだから確定申告の案内が見えないはずは無い。それから30分ほどしたら、実家の父から電話。父から電話というのは珍しいので、とっさに母が具合悪くなったか、それとも姉に何かあったかと、思わず考えてから電話に出ると、父が笑いながら「もうすぐな、おたくのジイ様が二階に上がってくるから、姉ちゃんは明日、明後日とバアチャンの転院の手続で留守だから。それ心得ておいてな」それだけ言うと電話が切れた。本当にそれからすぐ、ジジィがまた陽菜子さぁん、と来た。「明日から菜っちゃん幼稚園じゃろ、幼稚園に預けた後、あんた、実家まで行く用事ないかな?」「明日ですか?明日は別に・・・明日は姉も出かけるように言ってましたから行かないですね」「じゃあ明後日は?」「明後日まで祖母の新しい施設への入所手続きやらで留守するんです。姉がいないから、両親もたぶん出かけるだろうし。何か?」「あ、そう・・・いやね、今、お宅の実家のお父さんに聞いたら毎年、確定申告してるんだって、おたくはお母さんの医療費が結構あるし、扶養家族だから何とか控除がもらえるらしいね、医療費はタクシー代もいいと思ってたら、緊急のときだけだってね、そういうのお父さんは誰に聞きましたかって聞いたら、毎年、お姉さんがパソコンの画面に全部打ち込んでくれてるっていうからね、ちょっと頼もうかと思ってさ」また始まった。このジジイのちょっと頼もうかが。「でも、お義父さん、お義父さんの場合、家賃収入等もお義父さんの収入だから税金払わないといけないでしょ、それに、嘱託満了になった時の退職金もあるでしょ」「でもあれはバアサンがやってる」「申告は一緒にしないといけないでしょ」「・・・お宅のお母さんは扶養家族なんだよね、だから配偶者控除ってのがもらえる・・・うちのババも扶養家族にいれようかね」「そんな急に今頃言っても無理ですよ。去年一年の状態での税金ですから。それに配偶者控除はもらえるのじゃなくて、控除されるものですよ、他に生命保険の控除とか、介護保険の領収証とか色々揃えるものがあるんじゃないですか。よく知らないけど。税務署にお問い合わせになってみたらいかがですか」「いいや、税務署はフリーダイヤルじゃないから電話しない。電話代いるんだよ。だから、電話しない」週末は、出かけなきゃいけないから、来週でも、姉さんところ行って・・・とブツブツ言いながら降りて行った。夕方、姑が帰宅して30分ほど過ぎた後、1階から、「なんで俺がそんな税金、毎年払ってるんだぁ、それになんで毎年税理士にかね払ってるんだぁ」「何がそんな税金だぁ、何十年も借家の管理は人に押し付けといて。これは税理士さんに頼まないと出来ないんだよ」って喧嘩の声が響いてた。電話代すら惜しむジジィだからねぇ、税理士さんへの手数料も惜しいわけだ、たぶん、姉も断るだろうな。
2006年01月10日
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仙台の赤ちゃん誘拐、赤ちゃんが無事で何よりでした。生まれて10日ちょっとで、体重が4000ちょっとあるならスクスク育ってるんですね。ママに抱っこされてキョロキョロしてたってニュースでちらっと聞いて、うちの子も、ミャアミャア泣いたり、キョロキョロしたりしてたなってふと思い出したのです。ママとパパの手元に無事に帰ったってニュースには思わず涙しちゃった。こういった事件起こる度に、その犯人の家がTVで映し出されると、そこには子供のオモチャが庭にあったりするケースって多くて、そういうものがあるという事は、小さい子がいるって事で、もしかするともう小さくなくて大きいのかもしれないけど、犯人にも家庭があって子供がいてってケース多いですよね。犯人本人は、追い詰められて犯罪犯したとかって色々な動機とか報道されてるけど、残されてこれから生きていかないといけない、生活していかないといけない子供のことを犯罪を起こす前にどうして考えなかったのだろうっていつも思うんですよね。今回の犯人は、幼稚園のPTA会長をやってたこともあったそうですね。だから子供さんまだ小さいのでしょうけど。人間、色々な逆境跳ね除けて成長していく人は確かに多いけど、親というのは、なんていうかな、子供を過保護にするとかじゃなくて、守れる、子を守れる親でありたいっていうか、うまく言えないけど、子供に淋しい思いをさせる親にはなりたくないって思うんですよね。うまく書けないけど、こういう事件ある度に、思うんですよね。あんたも人の子だったんだろ、もしかしたらあんたも人の親か?被害者には大事な家族あったんだよ、って。なんかうまく書けないけど。ちょっと思ったことを。
2006年01月09日
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我が家の愛犬、まだ子供も子供、ベビーです。しかし、自分では一端の番犬気取り。名前も、さんざん迷った娘がつけた名前は、なぜか「タラコ」娘がタラコスパゲッティを好きなのだからかもしれない。しかしこの子犬、娘のいう事は何でも聞く。そして自分がしっかり娘を守ってやるのだという顔をしている。そんなタラコが昨夜、午前1時半頃、なんとも言えない声を出して鳴きだした。悲鳴とも、甘えてるとも言えない声で。慌てて庭の犬小屋に旦那と出てみたが、本人、いや、本犬は、寝ぼけ眼で、犬小屋から尻尾フリフリ出てくる始末、そして私と旦那の姿だけで、娘がいなかったら、フン、と一声、でさっさと我が家のベッドへ。夢でも見たのだろうね、と、旦那と話して部屋に戻ってから思った。そう言えば、1月9日は、実家で以前飼ってた、犬の命日。17歳で亡くなったクマちゃんの命日、老衰で亡くなったあの子の命日だったな。あの子が亡くなって、それまで決して仕事をどんなことがあっても休まなかった父が泣いて3日間も寝込んで仕事を休んでしまった。あれからもう10年。父の淋しがりようは半端じゃなく、当時、家から離れて大阪に赴任してた姉が赴任先で今、家にいる吾郎をもらってきてくれて、それからもう10年かぁ、早いもんだな。そんな事思ってその時は寝ました。今朝、起きて、娘が起きた後、言ったのは、「夢見たのよ、夢の中でね大きな真っ黒なワンちゃんと遊んだのよ」クマちゃんです。亡くなったクマちゃんは真っ黒な犬でした。足元だけがちょっと白なだけで。犬は、いつも見守ってくれてる、そんな気持ちの朝でした
2006年01月09日
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蹴飛ばしたいほどの気分の、旦那の弟のトースケとその嫁さん。特に義弟嫁には同じ嫁の立場として、最初は、あの舅・姑の攻撃からの対応策などを・・・と思っていたが、何の何の・・・攻撃なんて気づきもしてない様子。義弟嫁は、素朴な性格なんだ、素直な人なんだ、だから、ストレートに言葉を発するんだ。だから、考えなしに話すんだ。高校卒業して、自宅から車で1時間のお菓子工場に勤めたことしかない人だから、接客業とか営業とかやったことないから、工場でお菓子作ってた人だもん、口の利き方知らなくても・・・・義弟にしたところで、高卒後、広島の自動車の製造工場で製造ラインで働いてたんだ、10年働いて思うようにお金も貯まらないからって実家に帰ってきて自宅からお菓子工場に通ってた。いつも相手は機械だから、口の利き方接し方が多少・・・そんな我慢も限界に達したのは昨年末、実家の姉のところへ堂々とお節を取りに来たと云うので、ギューンと私の限界モードはピークに達していた。テルモ ア-ムイン血圧計 ES-P2000A(ACアダプタ付属タイプ)【送料代引き手数料無料きっと血圧なら相当な上がり方だったと思う。それでも、旦那が義両親にガァっと言ってくれたことと、姑が本当に済まなそうに一言、「ごめん」と言ってくれたことで、少しだけ年始の間だけでも忘れることはできた。しかし、実家へ泊まり行ったとき、姉に、まさか来ると思わなかったと話したら、姉曰く「常識の無いバカだから来ると思ってた。言うなれば想定内の出来事。だけどね、私が断らなかったのは、後々あんたに降りかかろう火の粉を避けさせるため。断ればあの舅・姑が、何を言い出すか判ったものじゃない、自分の息子が馬鹿なことを棚上げして、言い出すに決まってるからね。」私「私のためにごめんねぇ・・・」姉「別にいいのよ、菜豚子だって可愛いし、カースケ君もいい婿殿だし、何かと良くしてくれるし、貴女が幸せならそれで言うことなし。だけどね、あのお二方、帰りに私に向かって、自分達夫婦は負け犬貧乏婚だからって言って帰ったの。随分なご発言よね、あれだけ親に金銭面で世話になってて。金でしか物事の価値を計れない連中なのね、哀れな人たちよ。素直でもなんでもないのよ、ただの哀れな人種なの。その時点で私は確信したの、この人たちは、哀れな人達だから、常識もなければ、恥も無い、人の心の無い奴らだって。陽菜子のことをうちの親は、そういう哀れな人間に育ててないから、決してそりが合うことは無いと思うわ、気に掛けないこと。」私「ねぇ、もしも、来年もお節って言ってきたらどうするの?」姉「大丈夫よ」姉は笑って軽く流してた。その時は、姉ちゃん何やるのかな?って考えてみたけど、娘に振り回されて、その後、ちょっと忘れてた。そして今朝、旦那が出かける前に、チョット座ってという。旦那「今日から3泊4日で仕事出るけど、留守中、トースケ夫婦が来ても絶対に家に入れちゃいけない、電話も着信拒否に設定してる。たぶん、来ないと思うし、電話もしてこないとは思うけど、もし万が一来たらそう対応して。判断に困ったら、即、実家のお姉さんに電話して指示を受けて、お姉さんはおばあちゃんの新しい施設への入所手続きなどもあって、今日明日、忙しいかもしれないけど、昨日の夕方、お兄さんも帰ってみえてるから。」なんで、私も知らない姉ちゃんのスケジュールや兄貴が帰ってきてるって事を旦那が知ってるんだ?不思議だなぁって思ったけど、貸切バスの運転手の旦那は、朝6時半にそれだけ言って出かけて行った。殆ど、雪の降らない地方の私の住む町も今日は雪がポツリポツリ。姑は、今夜は勤務先に泊まるからと言って出かけ、舅は歩いて伯父の家の牛の世話へと出かけて行った、娘は、雪だるま作れるほど積もるといいなぁと言いながら、窓の外を眺め、雪が降るからどこへも行けやしない、と、矛盾した事を言っていた。昼過ぎ、実家の兄が来た。間もなく、転勤なのだが、その前に実家に顔を出すと云う事で休暇をとってきているらしい。正月に帰って、また帰省しちゃってなんかモッタイナイと言ったら、「妹の大事にモッタイナイも何も無いよ」と笑いながら、「愚痴ってのは溜め込むと病気の素になる、物言わざるは腹膨れるが如しって言ってね、愚痴はこぼさないと太るよ。前々からカースケ君の親は気になってたんだ、多少、あの弟もね、いい年してこの男はって思ってたんだ、国会議員でもあんなタイ◎ーがいる時代だからね、しかし、結婚の時は祝儀を送ったけど、葉書一枚来ないし、年賀状に結婚しました・・って来るかって思ってたけど、それも来ないしね、これじゃ陽菜子が苦労するのも半端じゃないねって、で、カースケ君に色々話を聞いたわけよ、そこで、ここはちょっと兄として、黙っておけないものもあると思い、しかし、妹の立場を踏まえた上でまた、可愛い姪の立場もあるし、将来もあるわけだし、ちょっとここらでお灸をすえようと。」「何やったの?」「ちょっと言っただけ、馬鹿はバカだから自分でバカって気づかないから困ったものだ、非常識な人間は常識を知らないから非常識で人に迷惑を掛けてることに気づかないから困る。口の利き方を知らない奴は他人と話す機会が少ない、他人と話さないから早く呆ける。しかし、非常識で口の利き方も知らない馬鹿は自分がバカで非常識で、口の利き方も知らない人間だと一切気づいてないから、人に迷惑掛けた家に堂々と行ける非常識さを持ってるし、挨拶一つまともに出来ない口だし、その行為がバカだと思われてることすら気づかないのだ」「それをまさか・・・」「うん、昨日の夕方、カースケ君とね、姉ちゃん(兄から見れば姉は妹だがなぜか姉ちゃんと呼ぶ)とね三人で行ってね、お節の請求書やってきた時に言って来た。だってこの家の分はさ、料理がマァマァ程度の陽菜ちゃんにさせてちゃ、菜っちゃんがお正月早々、何食べさせられるか判らないし、陽菜ちゃんの負担少なくするためにジジババの分も作ってるけど、何もトースケ夫婦にタダで食わせる必要ないじゃない」「金払ったの?」「いいや。嫁さんの実家からも内容証明郵便で借金の催促が来てるような事言ってた。世の中には、親から愛情一つ受けずに育つ人もいる、それでも逆境跳ね除けて立ち上がる人もいる、自分達は給料が安くて金がないと言ってたけど、金だけで物事を計るからだ、そう言えば負け犬とも言ってたな。犬は自分から負けを認めたりしない。しかし、金が全て、金で手に入らないものは無いと思ってる間は近寄れないだろし、連絡もしてこないと思う」「でもお節の請求書出したら、支払いの件で連絡・・・」「姉ちゃんに任しときなって」今夜は、舅も義伯父の家に泊まるとのこと。犬が玄関に大の字になって寝てます。静かに雪が降ってます
2006年01月06日
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2日の夕方から、愛犬連れて、実家へ娘と二人で帰ってました。旦那は、2日の昼から仕事だったし、実家には実兄一家も里帰りしてましたし、娘の従兄弟ちゃんたちも里帰りしてましたので、実家へと帰ってきました。普段は両親と独身の姉の三人暮らしの実家ですが、ガキ3匹で家中のありとあらゆるものをオモチャ化させ、遊びまくる、喋りまくる、お菓子はたいらげる、姉が作ってくれるケーキ、クッキーなんぞ、アッという間に彼らの胃袋へ、姉がビッグサイズのシュークリームを焼いてくれたとき、ガキ3匹で言った言葉「ママはこんな大きなの作れないもんねぇ」兄嫁と二人で、「買っちゃうね」2歳10ヶ月のわが娘と3歳8ヶ月の甥が二人で歌う「お馬の親子」の歌詞は♪お馬の親子は畑の肥やし♪って何度も繰り返し歌ってました。なぜ「畑の肥やし」かは不明ですが・・・目一杯、従兄弟達と遊んで、実家に二晩泊まって帰ってきた娘仕事から帰ってきた旦那への報告は「楽しかったよ。ネェ、ママ、楽しいお正月だったね。たくさん遊んでとっても楽しかったよ」とっても幸せだなって思うひと時でした。
2006年01月04日
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あけましておめでとうございます。ってもう何日だよ・・・4日だよ・・・昨年は、私のこの愚痴の多いブログにお付き合いくださいましてありがとうございます。今年の抱負としましては、元気はつらつ、そして今年から、仕事探そう・・・って、実家の姉が何か商売始めるみたいなこと言ってるんで、私も手伝いできれば・・・と思ってるんだけど、あの人のことだから、私なんぞが手出せないようことかな?母親として今年で3歳になりますので、娘にとって良きママでありたい、それが一番かな。そのためにも、あのジジババと戦っていては・・・別居したい。それが、今年の最大の抱負かな?
2006年01月04日
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今年のお正月、昨年までと大きな違いは、旦那の弟がいない・・・昨年秋、結婚して出て行ってたから、それに年末31日にも姑から、結婚して一軒構えてからまで親、兄弟に迷惑かけるな、と、コンコンといわれていたから。姑は仕事だったが、舅がこの家の1階で1人、私達一家が二階でそれぞれの正月を静かに過ごす予定でした。そのため、私の実家から、お節を詰め込んだミニお重を、舅の分、姑の分。その他に、煮物やらちょっとしたオードブルまで貰ってきて、1階にやってたのだからですね。何事もタダで貰うことが大好きな舅は、「陽菜子さんのお姉さんにはいつも悪いなぁ、こうやって好きなものばかり詰め込んだお節作ってもらってねぇ」と口先だけ悪いなぁで実際はチットモ悪いなぁなんて気持ちは更々無い口ぶりでホコホコ。姑は姑で、「会社の健康診断で生活習慣病の疑い有りって言われてたけど、こういうヘルシーお節は助かるわぁ」って、お節だけはヘルシーでも日ごろの食事が食事だから。年末31日は、お節詰めて、年越し蕎麦まで実家で戴いて、少し早めに16時頃には帰って来てました。その時、帰ってきましたって声かけたら、姑が電話でギャンギャン言ってて、電話終わるなり「陽菜子さん、ごめんねぇ、うちのアホ次男坊がお宅のお姉さんのところにちゃっかりお節戴きに行ったそうなのよ。お姉さんも何も言わずに詰めてはくれたらしいんだけど、それをあのアホ次男がいま電話してきて陽菜子さんにもよろしく言っておいて、なんて言うからね、どの面下げて行ったのか、って叱ったとこ、お姉さんにお詫び言っておいて」お詫び言いたいなら自分で言えよ、何で私が言うんだよ、お前の息子だろうがって思いながら、二階に上がったら、旦那が、早速電話してる。「義姉さんですか、カースケです。すみませんねぇ、トースケのアホがお節を戴きに上がったそうで、申し訳ない・・・」旦那が私より先に電話してた。電話終わって旦那曰く「姉さんね、きっと来ると思ってたって。あいつら、何も気にしてない連中だからきっと来ると思ってたんだって。オードブル入れるような使い捨ての器持ってきてね、それに喜んで詰めて帰ったって。帰りにね、一言、どうも、って言って帰ったって、挨拶は、どうも、一言だけだったって。俺さ、今からお前んち行って、姉さんにもお父さんにもお母さんにも挨拶してくるよ、兄さん一家だって見えてるのに、情けない」「もういいよ、行ったらまた姉ちゃんが気使うから、誰でもなく姉ちゃんがカースケに気使って帰りにビールやら缶詰やらまた持たせるから、年明けてから行った時に私から言っておくからいいよ。今年の最後の大ボケだよ、これで終わり」しかし、収まりきれなった旦那は姑に弟夫婦のことを告げに行き、姑が再度、弟夫婦のところへ電話し、コンコンと言われてた。年末はそんな調子で何とか終わった。元日は、平和な朝を迎えた。娘が着物、着物、と叫んで七五三のとき着たのを着るのって叫んでたが、あんな正絹モノを着られて汚されでもしたら、後が大変、「姉ちゃんから菜っちゃんにお年玉だよ、お菓子じゃないけど」と、お菓子じゃないに一瞬残念そうな顔をしたが、姉が娘用に縫ってくれた洗える着物のアンサンブルでもう、娘は有頂天。その娘の姿をビデオカメラで追いかける旦那の顔と言ったら親バカ丸出し。娘は喜び勇んで、「おじいちゃんにも見せてくる」と旦那と階下へ降りて行った。10分もせず、親子二人戻ってきた。娘は何気ない顔だったが、旦那はチョット、ムスッとした顔で。私「どうしたの?」旦那「いや、なんでもない。」娘「あのね、トースケ叔父ちゃん達来てたよ。おじいちゃんはリビングでお節食べてた。美味しいって。トースケ叔父ちゃん達は台所でオードブル食べてたよ。」1階の親宅のリビングと台所は隣り合ってる、壁も襖も障子も隔てるものは何も無いのに、どうしてそんな食べ方してるかね、と、思ったが、わが一家は平穏な元日を過ごしたかったから、一切、階下へは行かなかった。行きたくなかった。お屠蘇済ませて、初詣行って、その後は、正月早々ゲームセンター行き。親子三人、目一杯、遊んで帰ってきたら、弟夫婦の車は無かった。親宅へ一声掛けて二階に上がろうとしたら、姑が出てきて「ごめんね・・・」姑は何か言いたかったのだろうけど、何も言い切れないって顔でした。わが旦那の弟ながら、あいつの頭の中を一度、カパッと開けて、じっくり見てみたい、何事も考えない主義なのか、気づかないアホなのか。そういう奴にあまり関わりたくないから、2日から、旦那が仕事だったんで、2日の夕方から私と娘は実家へ避難。少しでも平和な正月過ごしたいんで。
2006年01月04日
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