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2005年9月17日の連休、ネットの仲間と長野でオフしてきました。オフといっても、オンな状態が最近あるかというと疑わしく、ただの旅行のようでもありますが、いろんな意味で「オフ」なことにはかわりません。レポートは長いように見えますが、これでも短くまとめたつもりです。閉鎖といっておきながらまた復活してますが、細かいことは気にしません。オフは非常に楽しかった。おおフランスが今回も全開でいってます。もしよければ読んでください。
2005.09.28
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3連休最終日の中央道の渋滞の中にいた。松本でジャージや大阪の連中と別れてから3時間近く経っていた。赤く灯るテールライトが長い列を作っている。東京に着くのはまだ先だろう。 胃のあたりが気持ち悪い。今朝温泉へ行く途中の山道では、運転していたにもかかわらず、急カーブの連続と安定しない速度感のため、クルマ酔いしてしまった。昨日おとといと、飲みすぎたことも原因だろう。今日は一日中、胸やけと胃酸過多に苦しんでいて今もまだ治らない。「今日はみんなテンション低かったね。そば屋のときなんかシーンとしちゃってたし、どうしようかと思って」 助手席のミミがいった。確かにそば屋では皆、口数が少なかったようにも思う。 ガラス工芸の観光施設で、「思い出グラス」を作った。 紙に書いた絵をグラスに貼り付けて切り抜く。切り抜いたところに粉塵を照射すると、絵が刻み込まれる。世界にたった一つだけしかないグラスを作った記念。それが「思い出グラス」。 それぞれがまず日付と名前を書き込んだ。「アイラブ長野」のようなメッセージや、好きなイラストを描いた。各自のメッセージが込められた思い出グラスは、そば屋に入ったときに集められシャッフルされた。そしてランダムに配られた。 私のところには、フランスが描いたグラスが届いた。パンツを下ろしてチンコを出して飛ぶアンパンマンに、「半パンマン やっぱり座位が好き」と注釈されていた。使いようも、飾りようもないグラスだった。 胸やけや胃もたれに苦しんでいたものの、グラス交換では結構盛り上がったはずだった。「でも昨日あんなに盛り上がってたのに、今日はみんなどうしちゃったのってかんじ」 ミミはいった。昨日は確かに異様な盛り上がり方をした。ただ毎日あれをやれといわれても困る。盛り下がりがあるから盛り上がりが際立つ。第一、毎日があんな調子だったら身体がもたない。 実際、わさび農園では緑色の「わさビール」の匂いをかいだだけで、胃液がこみあげてきそうになるほど私の内臓は疲労していた。 「わさび農園」はわさびの栽培場を観光客用に解放していた。わさびは、川に盛り土され水に浸かって植えられていた。幅50メートル、水深15センチの川は、全面を水温の上昇を抑えるための黒い幕で覆われていた。それが脈々と果てしなく続いてきていて、最上流を確認することができなかった。観光客用に川の水に足を浸せるスペースがあった。残暑厳しいこの時期でも、川の水は凍りそうなほど冷たくて、2分と浸かっていられなかった。 空気がきれいだからガラス工芸が盛んだとジャージが言っていた。わさびもきれいな水がなければ栽培できないのだろう。水も空気もきれいな安曇野に暮らすジャージは、見方によればかなり贅沢な暮らしをしている。 都市に自然は必要ない。自然がどんなものなのかを知ってるだけでいい。自然という「情報」だけがあればよくて、実体は必要ない。だから都市には自然はない。 ガラス工芸やわさびをつくるためとか、具体的な自然が持つ機能が暮らす人にとって必要だからこそ安曇野には、実体としての自然が存在していた。 みやげ物を少し買い、セルフのガソリンスタンドで給油した。3台のクルマから降りた7人は輪になって、会えたことの喜びをかみしめ、そして別れを惜しんだ。「じゃあ次のオフはいつにする?」 幹事のカラコはもう先のことを考えていた。「春やな、春。」 フランスが言った。 このオフも、実は春ごろから話が持ち上がっていたはずだった。ということは、またこのぐらいの時期にずれこむかもしれないと誰もが思った。 この旅はカラコによって「長野オフ」と名づけられていた。 ネットの回線上に電気信号が流れている状態が「オン」として、回線を切って生身の人同士が会うのが「オフ」。ネットで交わされる文字の「情報」だけでは絶対に伝わらないことは、考えてる以上にたくさんあった。それは「実体」としてこうして、会ってみなければわからないことでもあった。「長野オフ」には、都市と自然、オンとオフ、情報と実体、といったような二元的要素が多く詰め込まれていた。 高井戸料金所を通過して渋滞を抜けたキューブはスピードを上げた。増えてゆく街灯やネオンライトの光はただの電気信号にしか見えないし、月がどこにあるのかわからない。手や足や目や口から神経細胞をつたう信号として、脳内に戻ってきたような感覚になった。 また明日から、実体のない世界で、情報だけをたよりに暮らすことになる。「オフレポ書くんやろ?どこに書こ?」 フランスが言った。 正直、これだけの自然や、実体としての友人らと過ごした体験を、「情報」に変換することはほとんど不可能だし面倒。 でもきっと書くことになるのだろう。「おれのことはカッコよく書いとけよ!!がははははは!!」 フランスの命令だから仕方がない。 ~おしまい~
2005.09.27
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「な、やっぱりメールにしよか?今1時やろ?返事かえってくると思う?微妙やな、おまえこの中から誰か選べ」 ジャージの携帯を差し出してフランスはいった。いたずら電話ではなくいたずらメールになった。確かに、携帯の持ち主本人になりすまして相手をだますには、電話よりメールのほうが簡単そうだった。 「標的」の性別は女性に絞られた。悪戯の効果や衝撃が大きいのは、同性より異性だからだと思う。メール送受信の回数や、その日付が近いかどうかなどが標的抽出の条件となった。名前で性別を判断し、文面で親密度や距離感を測った。 やがて一人の候補があがった。「小笠原 綾」という名前だった。「よし、あやちゃんいっとこか。どんなメールにしたろ?」 フランスがメールを入力した。表情は次第に鋭利になっていった。当人に深刻な被害を与えるかもしれないいたずらを仕掛けるときにフランスは必ずこんなになった。今朝風呂で盗撮していたときも同じような表情をしていたことを思い出した。そうかあれは今日の朝に起きたことだった。破天荒な行動、抑制の効かない思考。フランスを脳科学で分析したらきっと、犯罪者として分類されるに違いない。「できた!!おくっちゃう?な、おくっちゃう??やっぱやめとく?どうする?」 フランスが躊躇した。判断をゆだねられても困る。この件に関しては極力責任を放棄したい。常識的に考えたら止めるべきだろう。しかし続きが楽しみでもある。「あー送ったった、送ったった!!どないしよ、大変なこっちゃー、大変なこっちゃでー!」 どうする?と聞いてきたのは、躊躇っていたわけではなく、コントの中の1フレーズだったらしい。送信した後、「大変なこっちゃ」と慌てたように言ったが、むしろ楽しくてたまらなさそうだった。勲功をみせびらかすような面持ちでフランスは、綾ちゃんに送ったメールを見せてくれた。『そんな話はどうでもよいので、とりあえず今すぐチンコしゃぶりにきてください!!』 とりあえず、大笑いした。 余韻の静まる間もなく、次の人選が始まった。リストから「標的」を抽出するのが、どういうわけか私の仕事になっていた。受信フォルダだけではなく、送信フォルダにも着目した。口説き途中の女がいないか調べるためだった。すると、『ダブルベッドが届いてやっと部屋らしくなりました。快適ですが、ひとり寝の寂しさが身に沁みます。』 というメールを見つけた。 要約すると、「私の部屋に泊まりにきませんか?」ということだった。しかも同じ文面で5人の女に送られていた。「こいつ悪いやつだなあ。」と思わず口をついて出た。 たしかに、それほど悪いこととは思えない。同じ男だからよくわかる。しかし女の倫理観で照合すると、大罪になる行為だった。おねいちゃんと遊ぶことに罪はない、でも彼女にバレたら大変だ。それと同じ理屈である。 フランスも同様の反応を示した。「なんやこいつ!同じメールを5人に送っとんのか!必死やながはははははは」 ふと見ると1件、微妙に違う文面のメールがあることに気付いた。『・・・身に沁みるとです。。(ヒロシ風)』 語尾がヒロシ風になっていたのだった。それを見たフランスは、「ヒロシ風やて!明日ジャージの前でさりげなく、『○○するとです。。カッコ・ヒロシ風』てゆうたろか?わざと。あいつ気付くと思う?」 ジャージの携帯が鳴った。ドラクエの主人公がレベルアップしたときに流れるファンファーレだった。「なんや、返事きたのか!」 フランスは大喜びした。受信フォルダには「小笠原 綾」とあった。『今すぐチンコしゃぶりにきてください』というようなことを送った相手だった。『無理です!そういうことは河上先生にしてもらってください!』 真っ向から拒絶されていた。大笑いした。『無理は承知のお願いです!!もうパンパンに破裂しそうなんです!!』 フランスはすぐに返信した。そういったやりとりが何度か交わされた。その都度、ノリのいいシャレのきいた返事が返ってきた。 ふと、調子がよすぎる、と思った。女だと思っていた「小笠原 綾」は実は男なんじゃないかという仮説が立てられた。 フランスはメールを送り続けた。送信ボタンを押すたびにフランスは、「あー送ったった、送ったった!!どないしよ、大変なこっちゃー、大変なこっちゃでー!」と必ず言ったが、大変なことをしている自覚は最後まで芽生えなかった。『大人のチンコ博覧会のチケットを2枚入手しました。もしよかったら一緒に行きませんか?大人のチンコ博覧会に。』と送ったメールの返事は、『はあ?』だった。 確かに「はあ?」というしかない。最もまっとうな反応に、フランスは大喜びした。私も大笑いしてしまった。フランスのイタズラは確実に誰かに伝わっていて、その影響は計り知れなかった。「最後にイタ電して終わりにしよか?おまえこのユキちゃんに電話かけろ」 ユキちゃんは、ジャージの携帯の中で、近頃最も頻繁に送受信が行われていて、かつジャージのことを尊敬しているような態度を示す女の子だった。「標的」としては、一番得点の高いところにランキングされ、すでにフランスのいたずらメールは送られていたが、それに対する反応はこれまでになかった。「マジっすか隊長、私には無理であります。」「いいからはよかけろや、歯磨いてくるから、その間にかけとけよ!」 フランスによる最後の命令が下った。 兵士が戦場で、「右を向け」と命令されたとする。 なぜ右を向かなければならないのだろうか。右を向く行為がここで本当に必要なのだろうか。そもそもこの命令は信頼がおけるのだろうか。そもそもなぜ命令に従わなければならないのだろうか。というようなことを延々と考えていたら、確実にアタマを撃ちぬかれる。だから兵隊は、上官の命令に即座に反応するためのトレーニングを繰り返して、命令にたいして即座に反応できる身体をつくりあげる。そうしないと生命を維持できないからだ。 電話をかけた。3コール目で相手が出た。「はいもしもし?」女の声がした。知らないはずの女の声が懐かしく感じられた。自分の声がこれから誰かに影響することになるかもしれないと考えたら怖くなってきた。「まいど」 ジャージの声色を真似て言ってみた。すると女は深夜2時、迷惑がる風でもなくむしろ嬉しそうに「まいど」といった。こんなに嬉しそうに、深夜2時の電話を受けてくれる女がいるだろうか。すこしジャージに嫉妬した。「めっちゃ好きやねん」 下手な関西弁を真似ていった。これはイタズラだ、ということはわかっていた。わかっていたはずだったが、電話の声がいつまでも耳に残っていた。めっちゃ好きになったのかもしれなかった。「どや、かけたんか。」「うん、かけた。」「なんてゆうたんや。」「めちゃめちゃすきやねん、て。」「そしたらなんて?」「知らん。切った。」「あほか!」 フランスは、ジャージの携帯を正確な元の位置に戻した。 そうして夜は終わっていった。
2005.09.26
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何の前触れも合図もなく、打ち上げ花火を打ち上げたのはPCBだった。「手に持ってはいけません」と注意書きされているはずなのに手に持ち、「人に向けてはいけません」と書かれているはずの花火を人に向けた。PCBが放つ花火はこすりつけの鼻先をかすめ、フランスの頭上に降り注いだ。全員が驚き戸惑ったが、それが開始の契機となった。 さまざまな色に変色する閃光が打ち上げられた。火花が流星のように宙を舞った。戦場のような十字砲火が展開した。怒号と嬌声と笑い声が錯綜した。天の岩屋戸が開いた。ドラゴンが羽根を広げて地上に舞い降りた。解放感や恍惚感につつまれた。伝説のドラゴンが飛び去っていっても、我々の興奮は止むことがなかった。 全員が一斉に花火を手にした。聖火を点すようにしてキャンプファイアの炎で点火した。なかなか点火せず、手や顔からジリジリと音が出そうになった。全員の花火に火がともった。そしてぐるぐると回転させた。閃光の残像が、輪になって空中にひるがえった。闇に極彩色の模様が浮かび、森の夜を彩った。 花火は夏の終わりを惜しむように舞い、そして散った。私は、奇妙でデタラメなこの友人たちと過ごすこの時間が、永遠に続いてくれたらいいなと思った。 カラコはワゴンの屋根から降りて、肉やコップや紙皿を片付け始めた。花火の残骸はバケツの中に入れられた。そろそろ祭りが終わる時間になったのかもしれなかった。ミミは慌てたようにウイスキーのボトルを取り出した。「もっと酔いたい」といってロックで飲み始めた。「片付けとか面倒なことは明日にしたらええやん?」といいながらジャージは椅子にふんぞりかえって頬杖をついてそのまま固まって動かなくなった。 フランスは歌った。 曲目はミミやカラコのリクエストによって決められた。フランスは歌本を用意してきていたが、10年前までの曲しか載っておらず、選曲は困難を極めていた。客席は暗がりに椅子を並べて設けられた。椅子と椅子との感覚はなぜか2メートル以上開いていて、浜辺でボサノバでも聴くような、優雅で贅沢な空間でフランスの歌をきいた。 客席がどんな状態であろうとフランスはロックを歌い続けた。クラシックギターにはエレキ用の弦が張られ、1曲ごとにチューニングが狂うほど激しくピッキングされた。知らないコードをカンニングするため、しばし演奏が途切れたが、それらが一連の流れのようにも見えた。フランスはあたりかまわず歌い続けた。永遠に歌い続けて欲しいと願った。かくも短き過ぎゆく夏の調べとは、エンヤヤーレンソーラン、愛の言霊。 どのぐらいの時が経ったのかわからなかった。遊びつかれたのかいつの間にか一人ずついなくなった。ピックを草むらに投げてフランスは、指でギターを弾き始めた。ボリュームが抑えられた。喧騒の音を気にしだすほど夜が深まっているのかもしれなかった。かまわず私は飲み続けた。この祭りを終わらせたくないと願った。朽ち果てるまで飲み続けようと誓った。フランスは歌い続けている。残ったビールは1本だけになってしまっていた。 ミミがボトルのウイスキーを注いだ。琥珀が浸した氷のグラスをしばらく眺めて呷ったミミは立ち上がりわけのわからない踊りを踊り始めた。「今ならなんでも出来るような気がする!」 そういってミミはふらふらなステップを踏んだ。「ほんならおれと一緒に風呂入ろか?」 フランスがいった。「まじでー、えー」「なんでも出来るゆうたやんけ、こいつも入れて3人で入ろか?な、そうしようか?」 こいつ、とは私のことだった。「なんでー、わたしだけリスクー?」 ミミは完全に酔っていたが、拒絶も承諾も先送りにした。したたかさだけは失われていなかった。 「カラコ入浴中」という情報がもたらされた。その報せを聞いたフランスは一瞬カメラを持ちかけて潜入体制を布こうとしたが、さすがにためらった。「おいミミ、カラコの入浴シーン撮ってこい、なんでも出来るゆうたやろ、撮ってこい」「えー、できなーい」「あほ、ミミが一番許してもらえる確率高いんや、な、ミミならできるがな!!」 説得というよりも強制に近かった。しぶしぶカメラを持って潜入を試みたようだったが、脱衣所手前まで行ってひきかえしてきたミミは「やっぱり無理!絶対無理!」と逆ギレしてしまった。 ビールが完全になくなったところで祭りは終わった。家の中ではPCBとこすりつけがもう床についていて、ジャージも寝る気まんまんだった。洗いざらしの髪のまま台所の片づけを終えたカラコもパジャマを着ていた。フランスが風呂に入っていた。今朝の仕返しと思い入浴シーンを撮影しにいったが、戸惑うわけでも怒るふうでもなくフランスは、「チンコ撮るなよ」とだけいってポーズをつくった。返り討ちにされたような気分になった。つぶれて寝ていたミミはベッドに運ばれ、やがてジャージもカラコも床に就いた。 リビングには私とフランスの2人しかいなくなった。「なんやもうみんな寝たんか、まだ飲み足りんやろ、な、おまえもうちょっと付き合え」 付き合うのはかまわなかったが、ビールが残っていなかった。仕方なくカクテルジュースをあけて飲んだ。リビングは散らかっていた。明日にはきっときれいに片付けられるのだろうと他人事のように思った。そして我々は退室する。明日のことを考えると、少し寂しくなった。しかしここで遊びつくしたという満足感も確実にある。 付き合え、といった割にフランスは、さっきから一言も口をきかず、携帯をいじっているばかりだった。反省会をしようというわけでもないのだろうか。不審に思ってフランスを見ると、「これジャージのケータイやねん、イタ電でもしよか?」 タバコの煙を大きく吐き出しながらフランスはいった。「しよか?」ということは私は誘われている。どこかへいざなわれようとしている。悪魔の誘惑に違いない。でも天使のささやきにも聞こえてしまった。
2005.09.25
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ワゴンの屋根に上ったカラコはキャリアのエッジに足をかけてぷらぷらさせていた。スカートの中に穿いたスパッツの裾が小さなレース状になっていた。なにげない表情を撮影しようとカメラを向け取るたび、カラコは必ずカメラ目線になった。そして2回に1回の割合でピースサインになった。子供のころからカメラを向けられたらそうしなさいよ、と躾けられているに違いなかった。そのうちミミもルーフキャリアに上った。2人は飛んだり跳ねたり腰を振ったりしてワゴンを揺らし始めた。まるで子供のようにおおはしゃぎしているところにカメラを向けると、やはりカラコは動きをすぐ止め、カメラ目線でピースするのだった。 高いところからカラコは、ポップコーンを焼くように命じた。こすりつけはキャンプファイアの炎に直接アルミをかざして調理に挑んだ。まだ燃えさかる炎の熱は高く激しく、アルミごと黒こげになってポップコーンどころではなかった。 フランスは私が持ってきたデジタル一眼レフが大のお気に入りのようだった。「おい、おまえ上半身裸になれ!キャンプファイアの向こう側に立って『飛び込んでこい!』っていってみろ!」 またフランスが無茶な命令を私に課した。「なんだよそれ、なんのまねだよ。」と抵抗してみたが、もはや抵抗にもなっておらず、なかばあきらめ顔でシャツを脱ぎ裸になった。「なんやよ、やあらへん、友和と百恵の『潮騒』知らんのかボケ、いいからはよう」わけがわからず裸になって火のそばに立った。熱が直接素肌を照射して痛気持ちいい。1枚撮っては液晶を見てできばえを確認し、気に入らなければ調整してもう一枚、さらにもう一枚、ということを繰り返した。「バカにしとったけど、結構便利やなこれ、おれもデジカメ買っちゃおうかなえへへへへ?!」 フランスは《私の》デジタル一眼レフを、ひどくお気に入りのようだった。 ふと、アコーディオンのような音が奏でるメロディーが流れてきた。見るとカラコがワゴンの屋根に乗って、ラジカセのボリュームを調整していた。この曲の名前は「マイムマイム」。メロディーもタイトルももなんとなく人を小ばかにしたようなこの曲で、フォークダンスを踊った淡くて切ない8月の恋心を思い出すにはちょっと年を重ねすぎたかもしれない、そんなセンチメンタルな気分に浸る間もなく、7人はいつの間にか輪になってキャンプファイアを取り囲んでいた。ところが誰一人として昔踊ったステップを覚えておらず、手をつないだままの輪は、とまどいがちに右往左往するだけだった。 おぼろげな記憶と染み付いた感覚から、部分的にステップを思い出した誰かが「こうだったんちゃう?」「そやそや」とかいいながら見本を示し、リズムに乗せて踊ってみる。そうして8小節ほどの振り付けが完成した。「決まったな、じゃ最初から通しでいこうか」とまるでダンスレッスンのインストラクターのようにフランスが号令する。不思議と誰もが、「通し」で踊ることを楽しみにしている顔になっていた。フォークダンスを踊りたくて踊りたくて、仕方がないような気持ちになっていた。「右に廻ってキック、左廻りでキック、はい前ー、うしろ下がってー、クラップキック、クラップキック」 中央にキャンプファイアを据えて手を繋いだ7人の輪は極めて小さく、予想以上に火に近かった。そのためかなり苛烈な運動量を強いられることになった。「はい前ー」のところでは中央の火のごく近くまでひっぱられ、拷問のような熱さに耐えることになった。それでも必死にステップを踏んだ。火の回りをぐるぐると回り続けた。こんなに辛いのに、どういうわけかみんな笑っていた。ほとんど宗教的体験をしたといっていい。 「オクラホマミキサー」ではまず男女一人ずつがペアになった。男が女を迎え入れてエスコート、やがてくるっとまわしてハイさようなら、を延々と繰り返す。これって実は非常に楽しいダンスだったんだな、としみじみ思う暇などない。なにしろ3組のペアしかおらず、それがキャンプファイアの周りを取り囲んで回転するから、ほとんどダッシュで移動しなければならなかった。もしかしたらもっとゆったりとした振りのダンスだったのかもしれないが、立ち戻って一から振り付けを検証し直そうとは、もはや誰も思わなかった。「ジェンカ」だった。 カラコが用意したCDには3曲立て続けに入っていて、一つのダンスが終わっても休む暇なく次のダンスを踊らなければならなかった。果たしてこれらをダンスと呼べるのかどうかとか、踊るという表現が適切かどうかは別にして、とにかく「ジェンカ」だった。肩に手をかけ数珠つなぎになって、「右、右、左、左、前、後、前・前・前」を延々と繰り返す。ジェンカってこんなにハードだったっけ?というほど消耗もしたが、目前に輝く白い光や幻をも見た。これが奇跡体験でなかったら、きっと酸欠だったに違いない。
2005.09.24
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2機のコンロの一方はこすりつけが、もう一方はPCBがみていた。彼らは風を送って火力を強めたり、炭の位置を変えて隅々までいきわたらせたり、それぞれが起こしたコンロの火気管理責任者として働いていた。 PCB機はカラコとミミが囲み、野菜やホイル焼きなどのどちらかというとサイドメニュー的な料理が置かれた。対照的にこすりつけ機のほうには、網の目がみえないほど全面に牛肉が敷きつめられ、肉汁が派手に音をたてていた。 フランスは両方のコンロの中央に座していた。「野菜も食べなきゃダメよ?」などと周囲に諭されていたが、ほとんど牛肉にしか手をつけなかった。 外で火を焚き、肉を串に刺して焼いて食う、のがスタンダードなバーベキューの楽しみ方であるとするならば、薄くスライスさせた肉を網の上であぶるこの食べ方は、どちらかというと「焼肉」に近い。しかも電子ジャーで炊かれた銀シャリが、ほとんど無尽蔵に出てくるという点が、従来のキャンプスタイルとはほど遠い。 とはいえ食事はそれぞれが、好きなものを好きなように食べるのが一番おいしかろう。そこで私も豚肉のパックを開けた。これがバーベキューであろうと焼肉であろうと、牛肉だけが不動の主役の座をほしいままにしている。豚でも鶏でも、鮭や鱈があってもいいはずだ。とりわけ牛より豚のほうが好きな私にとって、牛肉至上主義を地でゆくような、こすりつけ機の状態はいかんともしがたい。 そっと豚肉を忍び込ませた。一つだけ色や形の違う肉が中央で孤立したようになった。「なんやこら、ここは牛専用ゆうのがわからんか、しっ、しっ」 とフランスは、箸でなにか汚いものをつまむようにして、虎の子の豚肉をどこか向こうへ追いやってしまった。 食事を楽しむために酒をたしなむか、酒を楽しむために食事をつまむか、私はまぎれもなく後者だ。しかし彼らはふんだんにある肉と白米で腹を満たすと「ああ食った」「もう食われへん」などと言って一人また一人とテーブルから離れていくのだった。そう言ってテーブルから離れても彼らは飲み続けた。飲みきれるか危惧したほど買ってしまったかと思われたおびただしい量の酒は、逆に残りの本数を心配しなければならないほどだった。「そろそろキャンプファイヤーでもやるか?な?やったらええがな、やったらええがな。おいジャージなにしとん、はよ火ぃつけろや。それからおまえわしのギター持ってこい、ダッシュやど。PCB悪いけどな、パンとコーラ買うてきてんか。」 中央に居座ったままのフランスが次々と命令を展開させていった。ギターの用意を命じられたのは私だった。キャンプファイヤーへの点火を命じられたジャージは、身長ほどの高さほどまで井桁状に薪を積み上げたキャンプタワーに灯油をかけていった。ギターを手渡されたフランスは独唱で「燃えろよ燃えろよ、ほのおよ燃えろ」と歌いだした。歌いだしからキーを設定し、旋律にあわせて次のコードを探していった。そうしてフランスは「もえろよもえろ」のコード進行を全て掌握した。 姿勢を低くしたジャージがタワー点火した。チャッカマンの火は灯油をつたってまたたく間に燃え広がり、火柱となって全ての薪を覆いつくした。パチパチとした木の割れる音や、酸素が炎にからめとられる音がする。タワーの倍の高さまで舞い上がる炎の勢いに気圧され全員が固唾をのんだ。「もえろよもえろーよ ほのおよもえろ ひのこをまきあげ 天までとどけ」 フランスが覚えたてのコード進行でギターをかき鳴らしながら、ものすごい音量の声で歌い始めた。2番以降の歌詞があるのかないのか、知らないだけなのか、同じフレーズを延々とリピートするフランスにつられて歌の波は伝染してゆき、やがて森林のステージは「もえろよもえろ」の大合唱につつまれていった。夜空に鳴り響く大合唱とギターは森に影響し、キャンプファイアの炎が放つ光や熱量が人の感情に影響しているようだった。「これほどのキャンプファイヤは、なかなか見られへんで、な?思い出になったやろ、な?」 全ての手柄は自分にあるような口ぶりでフランスは自我自賛したが、キャンプファイヤを設計し、一連の構築を担ったのは全てジャージであり、フランスは命令していただけだった。ただ彼の強い意欲とリーダーシップがなければ、我々は果たしてこれを出来たかどうかわからない。「ほんなら今度はプロ直々におまえらの写真撮ったる。キャンプファイアをバックにええ写真撮れるんとちゃうか?おいこら不思議、いつまで豚肉食ろうてんねん、おまえのペンタックス持ってこい」 まだ名残惜しく残った肉を焼いていたが、フランスの命令が下ると拒絶できないようになっていった。網の上におき忘れた肉は、焦げて誰かに引き上げられた。「おい、おまえわしのこと撮れ。」 プロの技を見せるといってもってこさせたカメラにはまず自分が写りたがった。ハロゲンとキャンプファイヤの光量を照明にして、ギターを構え、視線を横にそらしたキザなポーズをフランスはとった。光量が少なくてシャッタースピードも遅くなった。写真はほとんど手ブレしている。手ブレがなくなるまで何枚も何枚も撮らせられた。何枚目かの仕上がりを見たフランスは「ま、この程度やな。」とだけ言った。それでも嬉しそうに「わし自分のことめっちゃ好きやねん」といいながら、背面の液晶に映し出された自分の姿を、何度も何度も確認していた。
2005.09.23
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ジャージは四間飛車から穴熊へ玉を運び、私は居飛車のまま中央の位取りをを目指した。駒組みが進められてゆく。生身の人間と相対して将棋を指したのはいつぶりだろうか。盤上がやけに広く感じられる。妙な緊張感がこみ上げてくる。 ジャージの駒運びはバランス感に長けていた。守備側の陣形が定まらないまま歩をぶつけて開戦の合図を出したのは私だった。ジャージは仕掛けられるのを待っていたかのように衝突の混乱をさばいていった。いつのまにかジャージの金銀角桂は、一斉に後手陣内をうかがう好型になっていた。飛車を負われて尻すぼみになっていった私にはもはや為す術なく、相手に主導権を渡したまま防戦一方となった。相手が強引な攻めでも発動してくれれば、混戦にまぎれて千載一遇のチャンスを拾えるかもしれないと思っていたが、しかしジャージは優勢になっても決して浮き足立つようなことはなかった。慎重な差し回しでじりじりリードを広げられてゆくだけとなった私の玉は、さしたる抵抗もできぬまま詰んだのだった。 悔しくて泣きそうになった。ゆるやかな指し回しからは圧倒的な実力差を感じられなかったし、言動からも気迫は伝わってこなかった。失敗手もあったがなんとなく劣勢に追い込まれて負けた。結果は、完敗だった。「ジャージ先生、もう一回お願いします。」 頼み込んだ。すでに負け犬を自覚していたのかもしれなかった。次に勝てる自信はなかった。ただ絶望を紛らわすために、希望をつなぎとめておく必要があった。ところがジャージが、2度と席に着くことはなかった。 そろそろ次の支度を始めなければならなかった。自由時間のリミットはとっくに過ぎていた。 外には人数分つまり7脚の椅子や、アルミ製のテーブルやバーベキューコンロが用意されていた。別荘の敷地スペースは40度近い斜面を直角にえぐりとったところに敷かれ、一方は岩壁、もう一方は絶壁の森林の中にあった。地面は背の低い雑草が土を覆い、鳥や風や川や虫の音たちが澄んだ空気を震わせていた。「バーベキューの支度が済んだら温泉いこうや」という計画が提案された。 火をおこしてから炭が安定するまで結構な時間がかかるはずだったし、温泉浴も悪くはないがこのまま森林浴でもいいんじゃないかと思ったし、別荘で遊び暮らす雰囲気を満喫したり、昼間からビールを開けるよろこびもかみしめたかったりしていた。「面倒。」 それら一連の思惑を集約させた言葉を捜していた私がふいに口にしたのはそれだった。 温泉に行くか行かないかどうするかを棚にあげて、状態や気持ちを表現する。それを汲んだ周囲が勝手に方向性を判断してくれるだろうことの期待を含ませた言葉としての「面倒」。問いかけに対するYesかNoかの決断を他人にゆだね、それとなく否定の意思を示しながらも、否定した責任も放棄してしまう「面倒」という言葉。「面倒」は、日本以外の国にはない言葉だということをどこかできいた。つまり外国人は「面倒」という感情を持っておらず、「面倒」という言葉を使った取引は行われないということだ。いつも2者のうちどちらかに決め、自分の意思をはっきりとしめさなければならないのだろうか。そんな面倒な国に生まれなくて本当によかった。「確かに、かったるいな、」と珍しくこすりつけが同調した。行きたい人だけが行くかとか、そういうことなら行かなくてもいいとか、複数人の意見をすりあわせることが面倒になってきたりして、温泉行きは立ち消えになった。 ミミとカラコがバドミントンを始めた。風に流されてかラケットが斜めを向いているのかどうなのか、羽根は観戦者の頭上やクルマのフロントガラスをめがけて飛んだりした。疲れたほうが休んだ。すると身体を動かしたくなった誰かが始めた。そういうローテが繰り返された。「さっきからな、ずっとやっとんねんもうええわ。」こすりつけが悲鳴をあげPCBに変わった。 PCBは、他の誰とも身のこなしが違っていた。踏み込む前足にかかる重心のバランスや、バックハンドのときにラケットをささえる左手の動きや、羽根をミートさせるタイミングや腰のひねりやら、どれをとっても素人の動きとは思えなかった。「PCBさんバドミントンやってたの?」「いやテニスをちょっとだけ。」カラコの質問にPCBはそう答えたが、その後すぐに誰かにラケットを渡したきり、2度とコートには戻らなかった。「だいぶ息あがっとるみたいやな」 何度目かのハードなローテを終えた私を見たジャージが目ざとくそういった。日々自転車のトレーニングで肉体を鍛えている彼らからしてみれば、これしきの運動で息があがることなど軽蔑に値するのかもしれない。 自分の身体をいじめ、鍛えることを快感とする人もいれば、精神的、肉体的なストレスから逃げてラクな風に流されることが快楽と思う人もいる。人はそのどちらかに分類されるわけではけしてなくて、両方をバランスよく極めるのがいいにきまっている。 ふと見ると、なにか特殊そうな装置が置かれていた。 平たく地面に置かれたその装置は、ベルトコンベアのベルトを付け忘れたようなような形をしていて、その上に自転車が乗っていた。自転車は横のクルマに立てかけられることで姿勢を維持していて、装置には自転車を固定する金具のようなものはなかった。彼らはこの奇妙な装置のことを「ローラー台」と呼称していた。スポーツジムによくあるルームランナーのような装置だった。 ルームランナーにはベルトが敷かれているが、ローラー台にはそれがなかった。後輪を2本、前輪は1本のローラーが支えているだけの、きわめて不安定な構造だった。「シロウトには無理やな」「絶対無理」 こすりつけとPCBが掛け合う。これを乗りこなすにはたしかに曲芸のようなスキルが必要なような気もする。「よしやったる、かしてみ」 フランスが名乗りをあげた。スポーツジムのエアロバイクと同じ要領とでも思っているのだろうか、と胸中悪態をつきつつ、奴がコケる姿をみせてくれることを期待した。 しばらくは補助役にささえられながらのスタートだったが、「とおくを見て走る、遠くを、あーまた左や、左よってるゆう感覚がわかるようになってきた、あ、どや今ええやろ、まっすぐ走ってるよな、まっすぐ、とおくをみて、まっすぐ、」と独りごちてゆくにつれ、スピードとバランスが保たれていった。やがて補助の支えが外されても、それを知ってか知らずかフランスは鼻息も高らかに全力でペダルを回し続けた。そうして発揮した強大な推進力をフランスは、すべからく空中へと拡散させてゆくのだった。 こすりつけとPCBが火をおこしている。 着火材の上に木炭を置き火が移るのを待つ。点火した木炭を別のかまどに移し火が灯るのをまつ待つ。待っている、という感覚はない。炎は刻々と変化していって2度と同じ形にならないし予測できない。火を見るということ自体が支配していることになる。だからいくら待たされても飽きない。「中村、ヒコーキ雲あるやろ、たそがれどきや、どやここで一句」 炭をひっくりがえしながらこすりつけがいう。風流な。前田慶次郎のような心境に違いない。(大空に、赤松と雲・・・むにゃむにゃむ)そんなような句を考えていた。「『これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 大阪の関』。どや、いい句やろ」 私の思考に割って入ったこすりつけは、禅僧か世捨て人のような句を詠んだ。見知らぬ人が出会っては別れ、また出会っては別れ、そういうことが繰り返されてゆく。賑やかさと寂しさや、ミクロやマクロを同時に詠う、いい歌だった。「なんだそれ、百人一首か」「ばれたか」 黒い木炭の表面は白く変色してゆく。たそがれの空は次第に色を落としてゆく。 ジャージが将棋盤を持って現れた。リベンジのチャンスが与えられた。森林にふたたび駒音がひびきわたった。ワゴンの屋根から2機のハロゲンが照らされた。野菜を切り終えた女どもがエプロンのまま外に出る。日が暮れる。森は闇につつまれてゆく。「ふたりの将棋が終わったら焼き始めようか」 カラコが最も切実な秒読みをする。肉や野菜が運び出される。炭は完全に出来上がり、遠赤外線を放出している。対局はなかなか進まない。待ちきれないフランスが肉を焼きはじめた。盤上は千日手の様相。肉の匂いにつられて思わず駒をぶつけた。「ニヤリ」とジャージは口にした。肉の焼ける音がする。「後悔するなよ、すぐになくなるで」網上でも真剣勝負が繰り広げられていた。指しては返し、翻し、差されて食われてまたやりなおし。一手指しては肉をうかがい、うまくゆかなくて夏。もうすっかり暗くなった。受けっぱなしも好きじゃない。照明に照らされた崖っぷちのステージ。無理筋気味に攻め立てた。玉砕してもかまわない。しかしすぐに事切れた。「負けました」今日2度目の屈辱をかみしめた。意外とすがすがしい気持ちだった。負け慣れる、とはこういうことか。 牛肉が、ほとんどなくなっていた。
2005.09.22
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バイパスの両脇には、巨大な駐車場を備えた倉庫のような大型店が立ち並んでいる。 ジャージは黙ってそれらいずれかの店の駐車場にクルマを入れ、大胆な速度で枠内に停車させる。あらかじめ行き先が告げられていたのかどうか、この店に立ち寄って何をしたらいいのかというような質問は、誰の口からも発せられなかった。「ここでは使い捨ての皿とか、調味料なんか買ったらええ。」 最初に停まったのは100円ショップのダイソーだった。行程が打ち合わされていたわけではなかったらしい。道順に沿ってもっとも行きやすい店をジャージが選び、全員が従う、というシステムがいつの間にか布かれていたようだ。 100円ショップのダイソーでわたしはまっさきにおもちゃコーナーへ向かった。必要な物資の買出しには2人か3人いれば足りるはずだ。それはほとんど全員が一斉に、カゴを持たずに店内を物色し始めたことでも裏づけられた。メモを片手に真剣な面持ちで買い物をしていたカラコと、その運搬係であるこすりつけの2人だけが前向きに仕事をこなしていた。「ちょっとこれ安すぎないか」 おもちゃコーナーで私が見つけたのは、ベニヤを重ね合わせた木製の将棋盤だった。「最近な、社長の息子とよく将棋指してんねん」 ジャージがこのごろよく将棋をしていると聞いたのは昨夜中国薬膳料理を食っているときだった。将棋に夢中な社長の息子と四六時中将棋を指しているのだという。居玉中飛車(いぎょくなかびしゃ)戦法の息子相手に、「だんだんと」勝てるようになってきた腕前らしい。偶然といえば偶然私も、1週間ぐらい前から将棋ブームが再燃してきていた。コンピューターやネットを介しての対戦相手に、勝ったり負けたりしていた。「実力的には、初段ぐらいかな」 ハッタリなら負けない。 駒はプラスチックではなく木製だった。「ひとり分ちゃうんか」とフランスに疑わせるほどの低価格高品質だった。 100円でCDも売られていた。ジャズとクラッシックを1枚ずつ買った。どっちにも聞きなれたような曲のタイトルが並んでいた。松本城で買ったキーホルダーは400円もした。必要か、必要でないかにかかわらず、モノの値段は決まっているようだ。 食料品卸のようなスーパーで食材を買い、ホームセンターでは木炭を買った。酒屋では酒を、米屋で米を買った。買い物ならジャスコで全て済むような気もしたが、どうやらそういうことでもないらしい。手間を惜しむとか、時間を惜しむとか、金を惜しむとか、そのどれかを選ぶとかいったような単純なことでもない。もしそうならこんなところまで、みんなバーベキューをするために集まったりはしないだろう。 7人乗りのクルマに7人が乗ったら、荷物はほとんど積めるはずもなかった。こすりつけはビールケースを抱えて座り、フランスの足元には米が置かれ、どういうわけかPCBはまな板とデスクライトを抱えていた。カーブで車体に遠心力がかかると、荷室の野菜やペットボトルが、左右に振られて散らかっていった。 朝、全員から徴収された雑費は全てカラコの元に集められ、すべてのキャッシュフローはカラコによって管理された。物品の不足も徴収の過多もなく、正確で完全な会計が行われた。このシステムにして正解だったと誰もが思ったに違いない。「3時まで自由時間とします。」 拘束されているような気持ちはなかったが、カラコにより自由時間が告げられ、ますます自由を満喫したい気持ちになってきた。ビニールを振りほどき、将棋盤を開いた。ジャージに対戦を申し込んだ。「ほんまに?」ジャージはやる気なさそうにしぶしぶ応じた。「なんやおまえこんなカメラ持ってきてんのに全然撮ってないやんけ」フランスは私の鞄の中からめざとく一眼レフデジカメを見つけ出していた。駒を並べているとフランスは試し撮りのように写しては消し写しては消し、を繰り返していた。「ふんふん、なるほどな、かんたんやんけ、プロの技みせたろか、みせたろか?!」といってカメラを構えた。どうやら大先生はペンタックス君を気に入ってくれたみたいだ。 ベニヤの板に駒は並べられていった。王様が足りない、やられた100円ショップ、と思ったらジャージが2枚重ねていた。おちゃめさで余裕を示し優位に立とうとでもいうのか。 先手ジャージ、3四歩。 駒音がこだまする音、シャッターの音、鳥のはばたく羽の音、秒針の音。「じゅうびょう、きゅう、」 残り時間をよみあげるこすりつけ。注目の勝負がはじまった。
2005.09.21
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目が覚めた。口の中が酒臭かった。身体は睡眠を欲求していた。周りのベッドはどれも抜け殻だった。起きたくなかったが、起きることにした。腹が減っていたし、リビングがだんだん賑やかになってきたからだ。 お湯が沸かされていた。カウンターにはコーヒーが準備されていた。窓の外を眺めながらストレッチをしていたのはフランスだった。彼にとってこの朝はとてもすがすがしいようだった。コーヒーが運ばれてきた。まだ完全に目をあけられなかった。口の中のねばねばした感じを、コーヒーでぬぐった。するとどこからか、ピアノの音が流れてきた。この曲は、「ラジオ体操第一」だった。 一人二人と、自動的に立ち上がっていった。つられた私も立ち上がってしまった。「最初どんなんやったっけ」「聞いてたら思い出すやろ」 全員がテーブルを囲むようにして立ち上がり、広げた手がぶつからないような距離を保って、等間隔の輪になった。「はい腕を伸ばして背伸びのうんど~う、いち、に、」ラジカセから流れるほがらかな声とピアノの伴奏につられて、全員が一斉に動き出した。みんなオトナなのになぜラジオ体操なのかと考える猶予もなく、疑念を差しはさむ余地もなく、ただ示されるまま動き、伴奏につられて踊った。 そして踊り終わってもみんな照れくさそうにするでもなく、次の行動に切り替えたり、踊り足りなかった者はラジオ体操第二のほうもやろうとしたが、誰も振りを思い出しきれず、やがてうやむやになっていったりした。 コーヒーを飲んでも体操をしてみても、どうしても起きた気にならない私はシャワーを浴びることにした。昨日の夜中に入れた浴槽の湯はすでにぬるいか冷たくなっていると思われた。シャワーの湯加減を調節していると、裸になったこすりつけが入ってきて、「露天風呂にしようや」といって外側の窓を開け放った。そのままぬるいお湯が張られた浴槽に飛び込んで、匂いを嗅ぎ、「温泉の匂い、あんまりせえへんな。」といった。このお湯は温泉ではないということを、確かジャージが言っていた。 髪の毛を洗っていると、こすりつけの笑い声が聞こえた。なにか不穏な気配を感じてつむっていた目を開けた。すると開け放たれた窓の外から、フランスがベランダを伝ってやってきていて、ちょうど手にしたカメラを構えたところだった。レンズはまさに下腹部を向いていて、カメラマンフランスの表情は、サバンナのライオンかカナディアンロッキーのエルフを追い詰めたときのハンターのようになっていた。銀色のデジカメの持ち主はカラコかミミのはずだった。ことの重大さに気付いた私は、何食わぬ顔でベランダ側の窓を開けにきたこすりつけの老獪さと、それに気付かなかった自分の愚かさとそして、フランスのイタズラにハメられてしまった悔しさに舌打ちした。 まだ髪の毛しか洗っていなかったが、写真に撮られてはかなわないと、逃げるように浴室から出た。しかしそのとき遠くから、「もう撮らへんて、撮らへんからゆっくりシャワーでも浴びたらええがな!!」という言葉をきいた。 その言葉が天使のささやきのようにも感じられ、安心してまた浴室に戻って、洗い忘れていた身体をまた洗いはじめようとしたそのときだった。 またしてもベランダに黒い影があらわれた。フランスだった。天使のささやきは悪魔の誘惑。今度は違うカメラを持ってきていた。「なんでおまえおるんっ?!さっきあがるゆうてたやんけ!!」フランスは少し戸惑いをみせたがそれでも容赦なくカメラをかまえた。 ゆっくりシャワー浴びろといったのはそっちのほうだろう、とは言う暇もなく、赤いレーザーポインターがへその下5センチあたりを指し、レンズは至近距離で私の急所に射程をあわせていた。 逃げるようにして、こんどは本当に浴室から出た。 カラコやミミのデジカメに納められたはずの写真の存在を確認しようと彼女らに懇願すると、2人とも口裏をあわせたように「もう消したから」とか「カメラの調子が悪くて」とか、明らかに誰かに入れ知恵されたようなせりふを並べてつれなくそっぽを向いた。それきりまともにとりあってはくれなかった。 絶望的な朝だった。 腹が減ったからということで、クルマで出かけることになった。温泉に行くだとか、観光に行くだとか、色々な噂はもれ伝わってきていたが、何一つ確かなことはわからなかった。 いくつかの候補を挙げて全員の希望を聞き、最大公約数的なプランを打診して決定し、決定事項を報告する。といった手続きは一切なかったし、そもそもプランを用意しているはずのジャージからして、「とりあえずメシ。その後のことはクルマの中で決めたらええ」というような感じだった。 フランスのクルマに7人全員が乗り込んだときも、荷室にはわずかなスペースしか残っておらず、買ってきた食材や飲み物を置くスペースはないように思われた。 クルマはジャージが運転した。安曇野の平野には、夜中には見ることのできなかった黄金の稲穂をたくわえた水田が、一面に広がっていた。肥沃な田園地帯を取り囲むようにして北アルプスの山々がそびえたち、透き通った風がりんごの木々をゆらしてした。肥料の匂いが全開の窓から涼しげな風にのって車内に差し込むと、昨晩飲みすぎたらしいPCBは口元をおさえ、こみあげてくる胃の不快感と格闘するのだった。「なんやあれ、思い出グラスて、ほりえじゅんか!?」 フランスが道路沿いの施設を指してジャージにきいた。真新しい観光施設だった。「このへん空気がきれいやろ?ガラス工芸もさかんなんや」 ジャージがこたえた。「ここ帰りよったらええやん?!パターゴルフもあんねんな、パターゴルフもやったらええやん?!やったらええやん?!」 ベタな調子でフランスがいう。「そうやな」 ジャージは余計なことはいわなかった。「あの、稲が全部横倒しになってるのは何?台風でもあったん?」 こすりつけがきいた。見ると水田一区画だけ、ほとんどの稲が倒れていた。「いや、あれは風とか、根が弱くなる肥料を使ったからとかやな」 ジャージがこたえた。「ミステリーサークルじゃない?ミステリーサークルって、人が踏みつけてるんだよね?なんでそんなことするんだろう、UFOじゃないって知ったときちょっとショックだった。UFOであってほしかった!」 ミミは人の話をほとんどきいておらず、話題を超常現象に切り替えたがった。 水田地帯のど真ん中、御殿のようにそびえたつのはジャスコだった。 これがニッポンの豊かさの象徴かそれとも搾取の前線基地か、というようなことも考えられないほど腹を空かせていた我々は、眼が欲しがるまま高カロリーな洋食セットを注文し、運ばれてくるや否や瞬時にほとんど食べつくした。このときほど、多様化する消費者のニーズにこたえてくれる巨大資本のサービスに感謝したことはなかった。というのは言い過ぎかもしれないけれども。 バーベキュー用の食材を買ったら一旦別荘に帰る。その後温泉に行き、行けたら他の観光地もまわる、という予定が組まれた。たぶんそんな時間はないと思われた。できることなら別荘でだらだらとゆっくりして、あまり余計なことはしたくなかった。口に出しては言わなかったが、そういうスケジュールになることを強く願った。強く願えばなんでも叶うと、割と本気で信じている。
2005.09.20
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タイヤが砂利を踏みしめる音が静寂を破った。 もう1台のクルマが到着したようだった。やがてドアの音がして、にぎやかな話し声が聞こえてきた。解放感が気配で伝わってくるようだった。出迎えることも考えたが、やめて待つことにした。玄関の扉が開いてにぎやかさのボリュームが上がった。ミミが入り口のほうに目を向けた。ぞろぞろという足音がした。 《こすりつけ最高》と《カラコ》と《PCB》が入ってきた。 丸い顔をさらに丸くしたこすりつけは、視線を私に向けたまま放さなかった。荷物を置くときもビールを開けるときも、座るときもしゃべりだすときも、ずっと私の目を見たままだった。逸らしたほうが負けというルールのゲームを仕掛けているようだった。こすりつけの表情は笑っていたが、態度はひどく挑発的だった。 PCBはどういうわけか、最初から座る場所が決まっているかのように、迷わず窓に近いところに座った。輪の中に積極的に関わるでもなく、外れてふてくされるようにするでもなく、どっちつかずの見えない線上に位置取りPCBは寝そべった。南海の黒豹のような風貌を持つ彼は、自身の存在感を打ち消そうとしているかのようだ。 カラコは髪の毛を柔道のヤワラちゃんのようにまとめている。モデルのように長い手足と白い肌は、ヤワラちゃんとは似ても似つかない。しかし今日は白い肌が余計に白さを増しているようにも思えた。それが車酔いのためなのか、美白ファンデーションのためなのかはよくわからなかった。カラコはリビングではなく、台所を背にしてカウンターの中に立った。あたかも自分の領分だというように腰に手をあて、リビングにたむろす我々を俯瞰するポジションについた。 「おーう、ちょっ!なんやもう飲んどるん?!」 50メートル離れた隣の別荘にまで聞こえそうなぐらいの大きな声がした。《おおフランス》が入ってきた。どういうわけか、アコースティックギターを持って現れた。ギター以外の荷物は誰かに運ばせたらしい。ブルーズを4ビートのスイングにして刻みながら、プレスリーのような足取りで入ってきたフランスは、完全に自己陶酔しているようだった。サビを決めてポーズをとって、じっくりとリビングを見渡すフランスの顔が、いつもよりちょっとシャープになっていた。 「ま飲もうや、ちょおれにもビール持ってきてんか?や、その前に荷物置かんとな、あそうやこの別荘どんな間取りやん?どんな間取りなん?どないなっとん?ちょジャージいつまで飲んどるんはよ来いや、え?結構ひろいやんけ、な、な、こんらなんでもできるなあ、なジャージ何してもええんやろ?ええな。あジャージこら結構広いやんけ」 フランスはジャージをガイドにして別荘の中を探索に行こうとした。「フランスちょっと痩せた?」 シャープになった顔つきのことをきいてみた。「そうやって言われるのがな、めっちゃうれしいねん」 フランスの代わりにこすりつけが答えた。「最近ジムに通い始めて、めっちゃ健康的になってる」 カラコが補足説明を入れる。 フランスは照れくさそうに笑いながら部屋を出た。 邸内をひとしき探索し終えたフランスが席についた。すると自動的にビールやつまみが運ばれてきて宴会が始まっていった。自動的にといっても、飲みたい者が勝手に冷蔵庫からビールをとりだして誰かに振る舞い、カラコやカラコの指示を受けたジャージが、つまみの袋を開けたりした。 松本城ではおもいがけずロマンチックなイベントに遭遇したことや、中国薬膳が思いのほかおいしかったことなどを報告したが、彼らは話の内容など聞いておらず、人の顔を見ては笑いものにしたり、標準語がそれほどめずらしいのか、話し方を真似ては大喜びしていたりした。「なんだよバカにしてんの」 そうやって彼らの挑発に乗ることが、逆に増長を招くのだということを知りながらも抵抗してしまう私も、あまり成長はしていないようだ。 フランスは皇帝のように独裁者として常に話題を支配した。こすりつけは相手の目を見て話し、会話にも常に真剣勝負を持ち込んだ。PCBは誰かの話を聞くともなく聞いていて、要所要所で静かに意思表示した。ジャージはいつの間にか風呂に入っていて、誰にも知られないように一人床についていた。 いつの間にか風呂上りのような洗いざらしの髪になっていたカラコはパジャマで、必要なぶんのつまみを用意し、足りなくなったビールを補填し、疲れて酔って昂ぶった男どもの話に相槌をうった。ミミは酔いつぶれた。私は飲み続けた。 全員が、好きな時間に好きなことをしていた。「集団」としては、全く機能していなかったが、それに対する危機感は誰も持っておらず、私もこの状態が妙に気に入っていた。 ベッドを二つ繋げてキングサイズにしたフランスは満足そうだった。酔いつぶれたミミもベッドに運ばれた。リビングには、カラコ・こすりつけ・PCBと、私が残った。まだ飲み足りないといえば飲み足りなかった。「中村不思議の言うことにはな、かなり無理がある」こすりつけが挑発的に、かつ真剣に語り始めた。「確かに。というか間違ってる、と思われても仕方がない。」PCBもやんわりとこすりつけの意見に追随した。「私」の名前が《中村不思議》だ。 これから中村バッシングを始めようとでもいうのだろうか。 彼らのいう中村不思議とは、間違ったことを平気でいうが、間違ったことを言ってるとわかっていても、最後まで自分の意見を押し通そうとするのが特徴だという。そしてそれが嫌われる原因であるとも、好かれる理由であるとも。 その観測はあながち外れてはいないと思われたが、根本にずれがあった。中村不思議は自分の意見を、間違いと思って伝えてはいない。正しいと思っているから曲げようがないのだし、正しいと思う論理があるから押し通される。「じゃああれか、戦争に行けといわれたとする。死んでこい言われたようなもんや。しかしそこで逃げたら捕まって銃殺刑になる。どっちにしても死ななあかん。そんな選択を迫られる局面でも、自分の意見を曲げないといいきれるか?そんな状況になったらな、個人の正義なんてクソミソやで」 自分を守り、生き延びるために戦争に行く道を選ぶだろう、と私はいった。こすりつけは、家族を守るために身体を鍛え、逃げられるところまで逃げるといった。現代のミサイル戦争では、逃げられるところなんかどこにもない、とPCBは分析した。パジャマ姿のカラコは、男どもの話聞くともなく聞いていた。 結論など出るはずもないテーマで話した静かな宴会は、明け方近くまで続いた。いい酒を飲んだような気になった。
2005.09.19
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仕事を終えたジャージと合流したのは、松本城の大手門前だった。 薄明かりの街灯の下で待つ我々を見つけもジャージは、軽く顎を揺らして確認したことを知らせるだけだった。ルーフキャリアのついた大きな紺色のワンボックスから降りてきたジャージは、笑顔を差し向けるでもなく、助手席の荷物を無造作に後ろへ移動させて、フロントシートを空ける作業をした。再会を祝うでもなく、長旅の疲れをねぎらうでもなく、「2人とも前や」とだけ短くいった。身のこなしには隙がなく、表情には無駄がなく、ただ淡々と必要なことだけを指示し、必要なことだけを話すジャージが、私は嫌いではない。「メシはどうする?前にゆうてた中国薬膳ならすぐこの近くやねんけど」「ビール飲みたいんだけど、飲んでもいいと思う?」「あかんやろな」「ヤクゼン食べたい。ヤクゼンってどんなの?香草とかあたし好き。体にいいんでしょ」「ビール飲まずに中華ってのはちょっと考えられない。別荘についてからメシ、てのはどう?」「どっちでもええで」「ヤクゼンにしようよ、絶対ヤクゼンがいい。だっておいしいんでしょ?わたし運転するから。こうみえても運転好きだもん」 中華にビールがないことと、ミミに生命を預けることを秤にかけたとき、微妙だったがビールがないことの方がつらいと思った。そうして薬膳行きが決まった。 ジャージに誘導されて川沿いの小さな店に入った。店内は虎を描いた水墨画や、エキセントリックな骨董品や、黒檀の家具で調度されていた。よくある中華料理屋と何も変わらないんじゃないかとも思った。 大皿が次々と運ばれてきた。注文した時点ですでに多すぎるような気がしていた。食いきれるかどうか、自信がなかった。 麻婆豆腐を口にした。皿の上に乗っかっている麻婆豆腐をしばらく見た。ミミと目を合わせた。「おいしい!」ミミは何を食ってもおいしいというに違いなかった。ジャージを見た。すこしニヤリとしながら、彼は顎を揺らすだけだった。咀嚼した。経験したことのない味だった。甘くもなく辛くもなく、濃くもなく薄くもなく、新しくも古くもなく、全ての目盛りがゼロを指していた。特徴がつかめないのに、おいしいと感じた。不思議な味だった。中国茶のような香りがしていた。それも薬膳という先入観があったからかもしれない。 豚の角煮もおいしかった。なんだろう、味の粒子が舌を刺激し脳に信号を送った挙句の「おいしい」という感覚ではなく、どちらかというと映画を見ているときになんだかわからないけど涙腺が緩んでしまった、という感覚に似ていた。 食いきれるはずがないと思われた料理は全てなくなり我々は店を出た。 ジャージのワンボックスが先導し、ミミが運転するキューブでジャージの家へ向かった。ミミの運転は予想したほどあぶなっかしくはなく、左に寄りすぎて路肩スレスレだったこと以外は安心していられた。 ほどなくジャージ邸に到着した。一軒家、それも2LDKという贅沢な間取りの家だった。都会だったらいくらの家賃で借りられるだろうか。 ジャージがシャワーを浴びている間、外に出てタバコを吸った。きれいな空気をタバコの煙で汚しているような罪悪感を少しだけ感じた。「あたし長野に住もうかな。だってこんな家にすめるんだよ、絶対長野だよ」 たしかに仕事さえあれば、こういうところに移り住むのも悪くはない。しかし私はミミと違い、よく考えてからでないと大事なことは言葉にできないタイプだ。 ジャージの荷物をクルマに積んだ。別荘を目指して出発した。 街灯もない真っ暗な道を、ジャージのクルマのテールライトだけを頼りに走った。ミミのハンドリングは少し鋭角的で、性格を投影していると思えば受け入れられた。林道から別荘地帯と思しき山道に入った。道の傾斜が上がるにつれ、先導するワンボックスのスピードもあがった。「ちょっと速くなってない前のクルマ?」ミミは鼻息を荒くし必死についていこうとする。複雑に折れ曲がった急勾配を登り続けると、ジャージのワンボックスが道を逸れて停車したようだ。150坪からあると思われる敷地には、白いキャビンハウスが2棟。一方は2階建てでシンデレラ城のような尖った屋根と広大なバルコニーを擁している。もう一方は勾配に沿って建てられた木造平屋。クルマを降りたジャージは、「こっちや」といって、シンデレラ城ではなく平屋のほうをあごで指した。 間取りでいえば2LDK。しかしリビングダイニング20畳、洋間10畳、和室10畳、森林を一望できる露天を兼ねた浴室には、3人ぐらいは一緒に入れる浴槽が配置されていた。ミミはダイニングに備え付けられたのカウンターに腰をかけて、「あたしここに住みたい!」と無茶なことをいった。私は掘りごたつ式のテーブルを囲む畳敷きのリビングに横になっていた。「ここ気に入った。住みたくない?住みたいよねえ?」とミミはしつこく話しかけてくる。 確かにこんなゴージャスな家に住みたくないわけはないんだけど、そもそもここは他人の家だし、住むとしても仕事とか金とかどうするの。という現実的なことを言うは面倒だったし野暮ったい。「うん、住め」とだけいって。畳と座布団に寝転がる心地よさにしばらく浸った。 別棟から布団を運び出したり、シンデレラ城を探検に行ったりした。シンデレラ城は、ジャージが勤める会社社長しか使えないとのことだった。4つあるゲストルームの全てがホテルのような内装になっていた。 ひとしきりの仕事を終え、リビングに戻った我々は、あとは大阪から来る連中を待つだけになった。ウノとオセロを持ってきていて、鞄から取り出して遊んだ。ルールが全員うろ覚えだったため、説明書を読むところから始めたウノは、神経質な駆け引きと大胆な戦略が必要な複雑で面白いゲームだったことを再認識した。 ジャージの携帯が鳴った。大阪組が到着したらしい。まだ深夜1時前だった。「だいぶ速くついたね、これから飲めるじゃん」 水割りを飲み干したミミは新しい酒を作りにカウンターへ向かいながらいった。「願いがかなったんじゃないの」「まあね、キラーン☆」
2005.09.18
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助手席に《ミミ》を乗せたキューブは、中央道の渋滞にハマりなかなか東京を抜け出せずにいた。3連休の初日。渋滞を避ける目的で出発時刻を昼にしたがあまり効果はなかったようだ。彼女は渋滞に苛立った風でもなく、自動的にしゃべり続けていて、私はリズムよく相槌をうっていたが、途中から完全に沈黙しても、ミミの話はやむことがなかった。「そういえばもう2年になるね」 ミミと初めて会ったのは2年前の夏だった。あるブログサイトで知り合ったミミを旅行に誘った。会ったこともない男の旅行に乗るとは思えなかったが、京都の友人に会いに行く旅行だといったら、すぐに彼女は行くことを決めて私を驚かせた。 あれから2年経った。学生だったミミは就職して社会人になったが、なにも変わっていないようだった。「カラコと会うのこれで2回目なんだよね。2回じゃなくてもっと会ってるような気がする。」 ミミは他の誰もなく、カラコに会うのが楽しみだということを強調して語った。数えてみれば最初の京都以来、確かに2回目なのは間違いなかった。最初に会ったときに、初めて会ったような気がしないということを言っていたことを思い出した。私もたまに、もっと近いところにいるような錯覚をしてしまうことがある。 この日9月17日に、2年ぶりに彼らに会えることが決まった日ミミは、まっさきにカラコに連絡して会える喜びを伝えた。どこで行われるかとか、他に誰が来るのかとかそういうことは、あまり気にしていないようだった。とにかくカラコや、仲間たちに会えることだけを楽しみにしていた。 前日は興奮して眠れなかったらしく、4時に寝て5時に起きてしまったという。1時間しか寝ていないにもかかわらず、レンタカーで借りたキューブの中で、眠たそうなそぶりを見せるどころか、クルマの中で彼女の一人しゃべりがやむ事がないほどだった。「うっちゃん熱出しちゃってさぁ。」 ミミが一度、東京の仲間に会うときに、友だちの女の子を連れてきたことがあった。友達は《うっちゃん》といい「ミミの友人」という肩書きだけで我々の集まりに参加し、すぐに打ち解けた。「うっちゃんを生涯最高の友だちだよ」とミミは自信たっぷりに言う。私にはそんな最高の友だちと自信を持って人に伝えられる友人がいるのだろうかとも思ったし、そこまで断言して裏切られたときのリスクを省みないミミの強さがまぶしくもあった。 うっちゃんは熱を出してこられなくなった。2年前と同じ、また2人旅になってしまった。ミミも私も、あの時となにも変わっていないように思えた。新幹線が、レンタカーになっただけだと思っていた。 《ジャージ》は2年前、大阪から長野へ移り住んだ。 山に囲まれた土地で暮らしたいというただそれだけで、大阪の仕事を辞め、長野で仕事に就いた。週末には、自転車で山に登ったり、スキーを担いで雪山に登り、新雪を滑り降りたり、日本アルプスを制覇したりしている。 北アルプスの山稜を一望する水郷、安曇野に暮らすジャージが、温泉地帯に別荘を借りた。信州は安曇野穂高町に、大阪と東京から、それぞれ集まることになった。 別荘の広大な敷地でバーベキューをするかもしれないこと以外、ほとんど何も決まっていなかったが、それでもよかった。もっと奇跡的な何かが起こるかもしれない期待が、どこかにあったからかもしれなかった。 東京を背にして神奈川をショートカットし、山梨に入る頃になると徐々に渋滞は解消されていった。青く高く透明な空を見上げ、スピードを上げはじめたキューブの全開の窓からは、からっと乾いた風が入ってきてミミの髪の毛を巻き上げた。オレンジのような香水の香りが舞って鼻腔を刺激した。横目で助手席を盗み見た。シートに深く身を埋めたミミは視線に気付かないようなふりで、乱れた髪を直そうともしなかった。「カラコたちは何時ごろに着くの」 我々の乗るキューブが何時に着くのか気にするより前に、カラコたち大阪から来る連中の到着時間をミミは気にした。「さあたしか、夜中の3時か4時かそれぐらいっていってたかな」「えーそんなに遅いの?あたしそれまで起きてられるかな、飲んだらすぐにねちゃいそう、もっと早くこないかな、ねえ、もっと速くきてってゆって」「祈ってろよ、速くこいって。真剣に願ったことはさ、なんでも叶うんだよ、知ってた?」「それ聞き飽きたよ、関係ないよそんなの」 祈り方が足りないんだよ、とはいわなかった。 大阪からは《カラコ》と、カラコの夫の《こすりつけ最高》と、こすりつけの自転車仲間の《PCB》、そしてカラコが「にいちゃん」と呼んでいる《おおフランス》の4人が来ることになっていた。 彼らとは最初、自転車の話をするネット掲示板で知り合った。 本来自転車の話をすることが目的の掲示板で、我々はほとんど自転車の話をしなかった。中でも《おおフランス》は、掲示板の空気を壊し、機能不全に陥らせる「荒らし」として登場した。閉鎖的で巨大なネットコミュニティーでは、過剰な自己防衛機能が働くことがある。フランスはすぐに「敵」とみなされ、一斉に攻撃が始まった。しかしフランスがそういった攻撃に屈することはなく、アレルギー性の過剰反応は増大するばかりだった。煽られたフランスもますますチカラを蓄えてゆき、もはや戦場と化した掲示板サイトは、無差別的な爆撃や集中砲火が飛び交う焦土寸前となっていった。 フランスへの徹底抗戦機運が高まるその一方で、カウンターとしてのシンパのような一群も台頭してきた。フランス反対派とそのカウンターが対立・衝突することで、フランスをめぐる戦争は、政治へと視点をシフトさせてゆくことになった。 政治的局面においても中心的な役割を演じたフランスとの直接交渉の場を持つため、我々は長い時間を使い限りない交渉を続け、周到な準備を進めた。ようやくフランスを外交の場に着かせることに成功したと思ったら、こちら側の外交担当だった《こすりつけ最高》は寝込んでしまい、フランスは電話で「やっぱやめとくわ!!」と言い出した。交渉と説得を重ねること数時間、やっと登場したフランスを見た我々は、その驚きを隠さずにはいられなかった。ガキ大将のような存在感や威圧感を湛え、いたずらっこのように攻撃的で好奇心に溢れた目を持つフランスは、彼が掲示板を荒らしている姿を一瞬にして想像できた我々のイメージそのままだったからだ。 以来フランスの魅力に取り付かれたようになった我々は、たびたび彼をとりまいて集まるようになっていった。その中においても彼は持ち前のリーダーシップと求心力を発揮して、皇帝か暴君のように振舞っている。 祭りには、神輿が必要だ。 岡谷JCから長野道へ分かれた。遠くの空がオレンジがかっていた。ミミの話すことの中には仕事の話題が加わっていた。ミミの普段のしゃべり方やメールの文面から、彼女がオフィスで働く様子はまるで感じられない。そういえば、これから集まる友人の中で誰一人として仕事をしているときのイメージが浮かんでくる奴はいないことに気付いた。バカ騒ぎしてるところしか見たことがないからかもしれない。きっと明日もそうなるに違いない。仕事のことなんか、すっかり忘れてしまうだろう。 松本ICを降りて市街地へ出た。直線的な幹線道路の周囲には大型のチェーン店がデタラメな色使いの看板を掲げて景観を台無しにしていた。松本城へ向かった。細い道には屋根の低い古ぼけた店が立ち並んでいた。観光客にとっては、古い店のたたずまいを大切にしてほしい期待はあるがそれはエゴで、住民には郊外の大型店のほうが便利に違いないのだろう。 ライトアップされた松本城二の丸に入ると、笛や弦楽器の奏でる調べが仲秋の名月を彩っていた。天守閣の前の芝生に寝転んで、フルートの演奏をきいた。月がまぶしくて、夜は深い蒼だった。
2005.09.17
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