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東芝の不適切会計は、歴代の社長3人がそろって職を辞するドラマが、巧みな目くらましとなった。民衆向けに意図した演出だったと思う。 城主の切腹は劇的だが、中堅社員の目線で見たい。メディアであまり語られていないポイントを指摘したい。■「悪材料は出し切る」のが経営の常識だが ■ 第三者委員会の報告書が出たとき、変だなと思ったことがある。不適切会計による利益上増しの最初の年とされる平成20年度は、東芝の史上最悪の赤字の年だった。 平成20年度に東芝の税引前損益は ▲2,793億円。第三者委員会の報告によれば、ホントの税引前損益は ▲3,075億円であるべきだった。 282億円の水増しがあったと結論づけている。 「業績があまりに悪くて、みっともなかったから、少しでも良く見せようとして水増ししたのだろう。やったことは悪いが、いちおう、動機は理解できる」ですって? とんでもない! 企業経営のイロハは? 膿を出すときは一気に出し、翌年度からの好業績を確保するのが、正である。だらだらと低空飛行するのではなく、どぼ~んと沈むときには思い切り沈む。 業績が決定的・構造的に悪い年度には妙なやりくりで粉飾せず、むしろ損切りすべきものをどんと集めて、巨額赤字の年にする。市場に向けて「悪材料は全部出し切った」と宣言して、翌年から好業績路線に復帰する。 これが現代の企業経営の常識である。■ 異常値を如実に示すパソコン事業の営業利益推移 ■ 東芝のトップマネジメントは、そんな基本も知らなかったのだろうか。天下の東芝だ。トップがそこまで愚鈍ではあるまい。 平成20年度より以前から、事実上の粉飾決算に手を染めていたにちがいない。もともと大赤字の平成20年度が、まさか不適切会計の第1年ではあるまい。 ……と考えたのだが、第三者委員会の調査報告書の末尾の「別紙3 PC事業月別売上高・営業利益推移(平成17年4月~平成27年3月)」を見ると、異常値が見受けられるのは平成20年第1四半期からである。 どうやら東芝のトップマネジメントは、ほんとに企業経営のイロハを知らなかったようだ。どうなんでしょうね。 調査報告書の要約版が、東芝のサイトで読める:http://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20150720_1.pdf 途中をすっ飛ばして、まずは最後のページを見てほしい。「別紙3」がある。パソコン事業の月ごとの「売上高」と「営業利益」の折れ線グラフがある。■ 新日本監査法人の監査のありかたも問うべきだ ■ 「売上高」の青線に、特段の異常は見受けられない。平成18年(2006年)3月と平成22年(2010年)3月が、その年度で突出して売上高の大きい月になっていて、駆け込みで売りまくった営業努力の汗と涙が伝わってくるが、まぁこれは「商売はつらいよ」の世界だろう。(この数字まで粉飾だったら、救いがない。) 問題は「営業利益」の赤線。 平成20年(2008年)から振幅が激しくなる。平成24年(2012年)9月には、なんと、月の売上高より営業利益が多いというトンデモナイことになり、その後も振幅はエスカレートする。 売上高と営業利益は、経理上の基本中の基本の数字だ。ここまで異常値が出ていて気がつかない新日本監査法人は、いったいどんな監査をしていたのだろう。 「東芝トップとグルだった」と言われても仕方ないのではないか。なぜこれが分らなかったのか、きちんと申し開きをしてほしい。 調査報告書要約版も、69~70頁で新日本監査法人を擁護している。一読して、あまりに手ぬるいように思える。■ ひとごととは思えない ■ 東芝のパソコン事業は平成20年度から「四半期の最後の月に利益を前倒し計上して(=コスト計上を先送りして)四半期の利益を上積みする」不適切会計を始めた。 前倒し計上した分だけ、翌月の営業利益は沈む。沈んだままだと四半期の数字が悪くなるから、またまた四半期の最後の月に、もっと大きな額の利益を前倒しで計上する。 これを繰り返すので、営業利益の月次の額の振幅がどんどん大きくなった。 本社の経理も営業も、じつに多くの社員がこの不適切会計のことを知っていたはずだ。 「おかしい!」「こんなやり方は間違っている!」と異議を唱える社員は組織にとって危険人物だから、ていよく出世の道を断たれたに違いない。見せしめになった社員もいたと思う。 わたしが東芝にいたら、真っ先に異議を唱えて、会社人生の将来をつぶしただろう。 前途有為の少なからぬ社員が、つぶされたのではないか。気骨のある社員を会社の本流に戻す作業に、東芝は真剣に取り組んでもらいたい。■ 再生を心から望む ■ きょうの結びとして、第三者委員会調査報告書の最後の部分を引用したい。≪東芝の多くの役職員にヒアリングを実施したが、おしなべて、真面目にかつ真摯(しんし)に業務に取り組んでいることが窺(うかが)われた。そして、ヒアリングの中で、多くの役職員から反省の弁と併せて、不適切な会計処理が行われてきたことを憂うとともに、その再生を心から望む声も聞かれた。また、本委員会の設置した内部通報窓口にも、同様の声が寄せられた。このような東芝の人財と様々な関係者の絶えざる東芝への期待と想いが、東芝のこれからの再生を後押しするものと本委員会は考える。≫ わたしも短い時間だったが東芝の人たちと仕事でお付き合いがあった。 東南アジア向けに輸出する火力発電プラントに、東芝の発電機が含まれていて、何度か東芝で会議をしたことがある。 頭の切れる、ユーモアをたやさないプロジェクトマネージャー。補佐する女性もきわめて有能だった。東芝には、いい印象をもっている。 頑張れ、東芝!無料配信コラムの読者募集中です!「東芝の不適切会計、わたしの目線」は、8月20日に無料配信したコラムです。登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。↓ こちらでアドレス登録ができます。http://archive.mag2.com/0000063858/index.html
Aug 24, 2015
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Saugato Datta 著 『英エコノミスト誌のいまどき経済学』 (日本経済新聞出版社、平成26年刊) を読んでいたら、若干古いデータに基づいているが、こんなくだりがあった。誰でも簡単に指摘できそうなのに、じっさいに指摘されることはほとんどなく、それでいて実に建設的な視点だ。≪経済実績の唯一にして最良の尺度はGDPの成長率ではなく、1人あたりのGDPの成長率であり、これは平均的な生活水準のおおよその目安となる。≫≪GDP成長率はアメリカの相対的な実績を、実際よりもよく見せる。アメリカの人口は移民と高い出生率のおかげで、年1%というはるかに速いペースで増えているからだ。これに対して日本国民の数は、2005年から減り続けている。この点を考慮すると、日本の1人当たりのGDPは2003年から2007年にかけて、年率2.1%で増加していた。これはアメリカの1.9%よりわずかに大きく、ドイツの1.4%をはるかに上回る。言い換えるなら、日本経済に関する一般的な悲観論とは裏腹に、日本は平均所得の伸び率が3つの経済大国のうちで最大だったのだ。しかもG7のなかでも、イギリスに次ぐ第2位である。≫ (20~21頁)≪1人当たりGDPが人々の繁栄を測る優れた尺度であるとしたら、政府はなぜ四半期ごとにそうした数値を標準的なGDPの値とともに発表しないのか?たしかに、人口統計は概してGDPの値ほどには更新されず、通常、四半期ベースでは手に入らない。しかしそれは苦しい言い訳だ。人数を数えるほうが、多様な経済生産を評価するよりよほど簡単だろう。平均的な生活水準が上がっているのか下がっているのかを知る権利が国民にあるというだけではない。そうした数値を発表することが利益につながる国もある。当時は日本経済が「低迷している」という報道がいつ果てるともなく続いていたが、もしも日本政府がそれとは逆に、近年の1人当たり所得がむしろ成長していることに注意を促していたら、消費者は元気づけられて支出を増やしていたかもしれない ―― つまり、GDP成長率はさらに大きくなっていただろう。≫ (24頁)
Aug 23, 2015
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「終戦の日か、敗戦の日か」という言い草があります。 「終戦は8月15日なのか。それとも?」という議論もあります。 わたしは、どう整理しているか。 8月15日 終戦 8月22日 停戦 9月2日 敗戦 昭和20年8月15日付で「終戦の詔書」が煥発(かんぱつ)されます。 「終戦」は「戦(いくさ)が終わる」ではありませんね。「戦ヲ終エントス」の日であります。 戦争「を」終わらせようと決めた、のであり、残念ながら実際の戦争はまだ終わりませんでした。 帝国陸海軍に対しては8月15日付で「停戦命令」が発布されます。戦闘する相手の軍と停戦を取り決めよという命令です。相手の軍が応じなければ、やむなく戦闘を続ける必要は存在しました。■ 停戦までの祖国防衛戦 ■ 昭和20年8月18日午前1時半、わが祖国の領土である北千島の北端、占守島(しゅむしゅとう)にソ連軍が攻め込みます。北海道をソ連領にしよう(=侵略しよう)と意図した、大東亜戦争の延長戦です。 このソ連侵攻の第一報を札幌で受けたのが、わたしが尊敬してやまない樋口季一郎(ひぐち・きいちろう)中将です。 樋口中将は「自衛戦闘」を指示しました。 それに応えて、ソ連軍に対して猛烈な逆襲を繰り出したのが、池田戦車連隊。当時の精鋭部隊で、戦車隊の戦闘は日本軍の大勝利でした。この守備隊が、日本軍の戦闘能力と気概をソ連に見せつけ、時間稼ぎをしてくれます。 ソ連軍の別部隊は、北海道侵略を目指して留萌(るもい)沖合に集結します。なるほど留萌から上陸すれば、札幌と旭川へ容易に進軍できます。 しかし、未解明の「国際政治」が動き、留萌に上陸寸前のソ連軍はモスクワから8月22日に転進命令を受け、8月23日未明までに全部隊が北海道の北を回って南千島の占領に向かいます。 北千島で日本軍第六方面軍が8月18日から繰り広げた祖国防衛戦は、8月22日にソ連軍と停戦を取り決めることで終了します。 だから、8月22日が日本国防衛戦争の停戦の日なのです。「戦(いくさ)ヲ停(や)メタル」日です。 こちらの自由主義史観研究会サイトに8月22日の停戦のことが詳述されています:http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi-324.html■ 9月3日を記念日にする中国の馬鹿さ加減 ■ そして9月2日に「降伏文書調印に関する詔書」が煥発されます。東京湾に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号の艦上で、降伏文書の署名が行われます。 これが、敗戦の日となりました。「戦(いくさ)ニ敗(やぶ)レタル」日です。 連合国側の Victory over Japan Day 略して V-J Day は、英国では8月15日、米国では9月2日です。 中国では、降伏文書署名の翌日である9月3日が「中国人民抗日戦争勝利記念日」とされており、ずいぶん間の抜けた話であります。 国慶節を10月2日とするようなものですな。 記念日にするなら、降伏文書調印当日である9月2日にするのが正でしょう。 9月3日を記念するのは、中国国民党が昭和20年9月3日を急遽「記念日」として休日にしたのが起源。当日は休みにするのが間に合わず、翌日に休んじゃいました ということで、それを共産党も引き継いで記念日にするわけですから、ふざけた話であります。 ちなみに中国国民党政府が南京で日本軍の降伏文書を正式に受理したのは昭和20年9月9日でした。
Aug 15, 2015
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終戦70年を迎えるにあたっての「内閣総理大臣談話」は、注目すべき新たな視点が盛り込まれている。 第1は、現在の中国をいさめていること。いままさに「国際秩序への挑戦者」として領土・領海の拡張(=侵略)をはかり、株式市場にまで露骨に国家介入する中国をいさめていることだ。≪私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて……≫ 「自由」「民主主義」「人権」は、いずれも中国共産党政権が正面切って否定する価値観である。その価値を共有しない中国とは手を携えることができないと、終戦70年のいま改めて宣言したものだ。 第2に、「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」を広い概念でとらえなおす契機となるであろうこと。 日本人が多数を占めた戦時娼婦(=婉曲語法でいう「慰安婦」)もさることながら、談話中の2ヶ所に言及された「女性たち」には、停戦・敗戦後に豹変した旧日本人やロシア兵や占領軍兵らの欲望の犠牲になった女性たちのことをも読み込むべきである。 第3に、中華人民共和国が1秒も支配したことのない台湾を、はっきりと中国とは区別して別出ししたこと。≪インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々……≫ 北朝鮮は、「……など」に一括されてしまった。 英訳では、those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others となっている。 これには驚いた。安倍総理と事務方諸氏に御礼申し上げたい。
Aug 15, 2015
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