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きょうは自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が自決して、ちょうど45年。 昭和45年11月25日。「三島事件」はなぜ、ああいう展開になったのか。 事件の25年後の平成7年に、西部 邁(すすむ)さんと秋山祐徳(ゆうとく)さんが語り合っている仮説がある。「それって、ありそう」と、耳を傾けてしまった。ご紹介したい。 何に書いてあるかというと、この本の第5章:西部 邁・秋山祐徳 対談 『ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える』 (光文社カッパサイエンス、平成7年刊) 絶版だが、Amazonで古本が手に入る。 「ポップコン」はポップコーンとはまったく無関係。「ポップアート」の「ポップ」と「コンサバ」「ネオコン」の「コン」を組み合せた。強いて漢字訳すれば「民衆的保守」。語義的には「ネオコン」に近い。■ 引っ込みがつかなくなった ■ まず、西部 邁さん(上掲書163~164頁)。三島由紀夫についてのご発言は沢山あるのですが、その中でわたしがビビッときた箇所を引きます。≪どんな小さなものであっても政治の場面で言葉を吐くと、たとえばおれは国会に突入してみせるとか、おれは共産党と闘い抜いて勝ってみせるとか、政治の場面で言葉を吐くと、どうしてもそれに責任をとらざるをえなくなる。ないしは、責任をとらないということはいわば逃亡者になることで、それなりの道徳的制裁を周囲から受ける。≫≪ちょっとマンガチックに言うと、三島さんのご遺族は怒るかもしれないが、楯の会のあたりで、おれは命を賭けて闘ってみせる、死んでみせる、という言葉を吐いた。彼は三島ファンに取り囲まれていたわけですから、森田必勝(もりた・ひっしょう)だったかどうかは知らないけれど、「三島さん、そろそろ死ぬべきときが来たのではないですか」と迫られる。「いや、待て、たかだか学生が新宿で暴れているくらいで、それと闘って死んでみせるというのも、どうも辻褄が合わない。もうちょっと待て」と三島が言う。それからまた何カ月かたって、まただれかが、「三島さん、私たちはいつまで待てば命を賭けて闘うことができるのでしょうか。これから日本に戦争が起こるわけでもあるまいし、日本に強大な共産主義運動が起こる気配もない。それならば、このままいったら、われわれは死ぬ死ぬと言いながら、自然死か病死で墓に入る顛末になるんじゃないですか。やはりこういう場面で、命を賭けて闘ってみせることで国民諸君に国民のなんたるべきかを知らしめるべきではないか」と進言する。そういうことが数度あるうちに、三島はおのれの言葉に責任をもった、あるいはもたざるをえなかった。だから、死んでみせると言ったから死んでみせた、ということなんだろうと推論してみたわけです。≫■ プライドが傷ついて ■ 次に、秋山祐徳さん。ポップアート作家。いまは秋山祐徳太子(ゆうとくたいし)と名乗っておられます。 昭和50年・54年には東京都知事選にも立候補した人。そのときのポスターや記録映像が東京現代美術館の収蔵品展で展示されたのを見て、四国出身のわたしなどは初めて祐徳太子さんのことを知った次第。 近著に『秋山祐徳太子の母』(新潮社)。銀座四丁目の画廊で行われた出版記念の個展で、わたしも著者署名入りの本と著者のブリキ細工アートを買いました。 その秋山さんの発言から、ビビッときたところ。上掲書167~168頁。≪じつは三島さんが亡くなったとき、直後ですが、ぼく市ヶ谷に行っているんです。現場主義ですから。そしたらパトカーがいて、今でも目に残っているのは、長い竹竿を持った大きな日の丸姿の民族派の学生がいて、風景的に印象的でね。≫≪結局三島さんは、バルコニーに出て垂れ幕をたらして、悲痛な声で、こう言っては三島さんに申し訳ないし、三島ファンに怒られるかもしれないが、甲高(かんだか)い声で、緊張してアジるわけです。学生運動やったりしていた奴はアジテーションはものすごくうまいんだけど、三島さんは正直で、切羽詰まっているから、気の毒でね。自衛隊員に向かって、おまえらも死ね、闘えということを求めたのだけれど、民主主義の発達した自衛隊のなかで、三島さんは浮いちゃった。ぼくは見ていて、どう引っ込めばいいんだろう、三島さんはすごく侮辱を受けたなと思った。自衛隊員は「オーイ引っ込め」とか言っている。あの時点で三島さんは、プライドが傷ついて、一気に死の瀬戸際に行っちゃったんじゃないか。あの時点で拍手があったりしたら、死なないでよかったのか、それは結果論ですからなんとも言えませんが。≫ 秋山さんの発言を読むと、当時三島由紀夫の演説はテレビ中継されていたのでしょうか。■ わたしの記憶 ■ わたしが三島事件について覚えているのは、朝日新聞の「ひと」欄で三島事件を担当する検察官だったか裁判官だったかが「事件の背景を理解するために、三島由紀夫作品はこれから読んでみる」と発言していたのに対して、「声」欄の読者投書が「三島由紀夫作品を読んだこともないような人間が三島を裁こうというのはおかしい」と、いちゃもんをつけていたこと。 当時11歳のわたしは「三島由紀夫が好きなひとが裁判を担当したら、かえってまずいんじゃないの?だから、三島作品はこれから読みます、みたいな人が担当するのでいいと思うけど」と「声」欄の読者投書こそおかしいと思ったことを覚えています。 三島由紀夫をわたしが読んだのは、恥ずかしながら大学生になってからでした。■ 直観的分析に共感する ■ 三島由紀夫さんは多面的なひと。西部さん・秋山さんの直観的分析こそ、案外真実なのかもしれないなと、亡くなった三島の年齢を11歳もオーバーしてしまったわたしは思うわけです。 三島由紀夫は、端正謹厳をときには装い、あるいは端正謹厳そのものでもあり、そのじつ、じつにお茶目な人でもあった。バシッと決めた美意識を貫こうとするウラで、シャイだし、不器用なところもあった。だから、西部さん・秋山さんの直観は当たっていそうな気がする。 三島由紀夫の天皇観をわたしのことばで言い直すと、天皇は個人の人柄を云々される存在であってはならず、「人間くささ」を一切排除して、日本民族の枠組みを安定させる至高な重石(おもし)であるべきだ、というもの。 わたしは、統治機構のなかに人間臭さ・肉声が混じるのはとてもだいじなことだと考えているので、三島由紀夫の天皇観には共感できません。人間臭さを排除した窮極の姿は、すべてが匿名の官僚らによって仕切られること。それこそ、おぞましい世界なわけですから。「三島由紀夫の自決の、ある直観的分析」は、11月25日に無料配信したコラムです。登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。↓ こちらでアドレス登録ができます。http://www.mag2.com/m/0000063858.html
Nov 25, 2015
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三省堂の神保町本店のすぐ近くに「神保町シアター」という映画館があり、日替わりで昭和映画を見せてくれる。 さる9月に芦川いづみ主演、昭和37年作の映画を観た。 「硝子のジョニー 野獣のように見えて」。 芦川いづみさんは、今でいえば石原さとみさんのような、演技の幅のひろい美人女優である。 冒頭、北海道の貧しい漁村、芦川いづみをはじめ数名の女が砂浜で昆布干し作業をしている。そこへ、歌手のアイ・ジョージ扮する「人買い」がやってきて、母親と話をつけてカネを渡すと、泣き叫ぶ芦川いづみをトラックの荷台に載せて運び去る。 芦川いづみはアイ・ジョージのスキをついて脱走し、列車にもぐりこむ。そこで宍戸錠の扮する荒くれ男と出会い、これに頼って生き延びるのだけど、あろうことか荒くれ男はカネのために 芦川いづみを妓楼に売る。 芦川いづみは再び脱走し苦労して故郷に帰るが、漁村に帰ると親は行方知れず。 そんな悲劇である。■ 朝鮮人の内部問題 ■ 紅白歌合戦にも出る歌手のアイ・ジョージさんがなぜ「人買い」役かというと、映画の後半で流しの歌手として再登場するからなのだが、それはひとまずおくとして。 映画の時代設定は昭和20年代後半だ。親から娘を買って妓楼に売る人買いが貧しい村にやってくる、そんな世界があることをオトナたちが常識として知っていた時代であれば、慰安婦問題は今日のようにこじれはしなかったろう。 朝鮮人慰安婦問題の核心は、朝鮮人の親が自分の娘をやむをえず朝鮮人の人買いに売って、朝鮮人の人買いが娘を(おもに)朝鮮人の妓楼主に売り、その妓楼に日本兵が客としてやってきた、ということ。 「強制性」を詮索すればするほど、朝鮮人の内部問題になってしまう。 それでは韓国の恥辱だから、困る。「朝鮮人の娘を親の了解なしに日本人が拉致した」というストーリーで決着することで日本政府は韓国の名誉をまもり、日本政府として韓国政府に謝罪せよ、というのが朴槿恵(ぼく・きんけい)大統領の主張である。 日本政府に対して「韓国に都合のいいように歴史を捏造してくれ」と要求しているのだから、日本としては到底受け入れられない。 「空白の7時間」を国際問題化させ墓穴を掘りつつある朴槿恵大統領だが、願わくば、昼食会などどうでもいいから、1時間47分の「硝子のジョニー 野獣のように見えて」を安倍首相とご覧いただきたかった。■ 挺身隊協議会の背後をさぐれ ■ 慰安婦問題は「落としどころ」がまったく見えない。 駐韓日本大使館前に許可なく涙の少女坐像を据えた「韓国挺身隊問題対策協議会」(以下、「挺身隊協議会」)という反日団体があり、韓国政府も手がつけられない。 韓国政府も「手じまい」してしまいたいのだが、日本政府とどう決着しようとしても、挺身隊協議会は絶対に受け入れない。挺身隊協議会が事実上「拒否権」を握っていて、韓国政府は挺身隊協議会のエージェントに成り下がった。 ご存命のモト慰安婦の皆さんが亡くなってしまえば補償問題は消えるから、それを待てばよい、時間の問題だ、という意見があるが、それは甘い。 モト慰安婦がひとりもいなくなるということは、生き証人がいなくなるわけだ。挺身隊協議会は慰安婦神話を作り放題、いっそう元気になるだろう。 発端はどうあれ、現在の挺身隊協議会は北朝鮮ないし中国の工作員がたきつけているのではないか。消去法で考えればそうなる。 「モト慰安婦の名誉」を本当に大切にしたいなら、そっと老後の生活を支えてあげればそれでよかった。老いた女性たちを引きずり出してさらしものにする目的は、日本と韓国を離反させることでしかない。 北朝鮮と中国の国益にかなう。それは大成功をおさめた。 日韓米の情報機関が挺身隊協議会の背後を調べ上げて白日のもとにさらせば、この団体を社会的に葬り去るきっかけが見出せるのではないか。それ以外に出口はないと思うが、韓国政府にその勇気があるかどうかだ。「慰安婦問題の出口」は、11月24日に無料配信したコラムです。登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。↓ こちらでアドレス登録ができます。http://www.mag2.com/m/0000063858.html
Nov 24, 2015
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どういうゲームかっていうと、「社長ッ、タイヘンです! 中国軍が尖閣諸島に攻めてきました」「それはちょうどよかった。これで中国の本性を世界じゅうが知るわけだ。日本もようやく平和ボケを卒業できるな」みたいな当意即妙のやりとりを展開して、プラス面を考える思考回路を働かせようというわけです。 この本の156~157頁に出ていました。こんど読者イベントでやってみようかな。ものごとを多角的に見る練習ができそうです。森時彦・田中淳子 著 『セルフファシリテーション 自分を変える54のスキル』(ダイヤモンド社、平成25年刊) ゲームのやり方は、こうです:≪3~6人でグループをつくってください。そのうちのひとりが椅子に坐って社長役を演じます。残りのメンバーは「社長」が困りそうな難題を考えて、順番に社長の前に出て行っては「社長、大変です! ○×△になってしまいました」と報告して指示を仰ぐのです。社長役の人はその報告を聞き、まずうれしそうな顔をして「それはちょうどよかった!」とすぐにひと言返してください。そして瞬時に、なぜ「ちょうどよかった」のかを説明するのです。この、瞬間に反応することが、ルールとして重要です。たとえばこんな感じです。部下役 「社長、大変です! 工場から出火しました」社長役 (うれしそうな顔をして) 「それはちょうどよかった! あの工場は老朽化していたからな。建て直すのに取り壊す手間が省ける。事故なら保険金もおりる」ちょっと非常識かもしれませんが、なんとか、自分たちにとってのいい面をひねり出すのです。これを人数分、次から次へと繰り返して一巡したら社長役を交代していきます。道具いらずで簡単にできます。「社長大変だゲームをやろう」と思えばすぐできるのです。≫ これはおもしろそうです。飲み会で適度に酒が回ったあとなども、よさそうです。≪盛り上げるコツを1つ。社長役の人が答えに詰まったときに、大声を出してみんなで笑うことをルールにしておきましょう。こうすると、ものすごく盛り上がり、ポジティブな気持ちになります。≫* いわゆる「気が散る」という現象、たとえば試験勉強をすべきときに試験とまったく関係のないことにのめり込んでしまう、あの現象。 わたしがいろんな外国語に手を出したのも、けっきょくその延長かとおもいますが、本書に書いてある原因分析は納得です。≪あることに集中すると、他のことへの注意が払われなくなります。そういう無防備な状況になることを回避しようと脳が抵抗して、集中を妨げるようにいろいろ雑念(といっても重要なことがいっぱい)が湧いてくる、という現象を生み出しているのでしょう。≫ (136頁)
Nov 1, 2015
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