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【お目出たき人/武者小路実篤】◆片思いが片思いでない人若かりしころの恋とは、一途で、盲目で、とにかく後先のことは考えていなかったような気がする。しかも片思いが相場と決まっていて、相思相愛などあり得なかった。いつのころからか、そういう腫れ物に触るような恋とは異質の、もっと打算的であっさりとした友愛的な感情に変わっていった。それは年を重ねるごとハッキリして、シングルであることが寂しくない程度の、刺身のつまみたいな感覚に変化してしまった。だがそれはよくよく考えてみると、恋という摩訶不思議な感情に溺れ、自分を見失い、傷つくことを恐れる余りの、自己防衛本能であるとも受取れる。『お目出たき人』に登場する主人公は、恋に恋する青年の失恋するまでのプロセスを描いている。片思いに苦悩するというのと少し違って、これを恋と名付けて良いものかどうかと迷ってしまうところだが、あえて恋と呼ぼう。話したこともなく、ただ主人公宅の近所に住んでいたという偶然の成り行きで、その女子が恋のターゲットとなったわけだ。始終、女に飢えていると自覚する主人公は、手を代え品を代え、恋する女と結婚の約束を取り付けようとする。もちろん、間に人を介するのだが。主人公は、この恋という尋常ではない感情に身を任せ、詩人となり、夢追い人となり、お目出たき人となるのだ。まっとうな成人男性なら、なかなかここまで恋する男に身を投ずることは出来まい。正に、タイトルどおりだと感心してしまったのは、恋する女が女学校を4番という優秀な成績で卒業したのを知る場面だ。主人公は我が事のように喜び、鼻が高い気持ちになる。(しかし、この時点で女とは何の進展もなく、ただ一方的な片思いの状況だ)そして主人公はふと思い出すのだ。そう言えば、自分が学習院を卒業する時、ビリから4番目だったな、と。意味は違うがお互い4番目同士だと嬉しく思うのだ。このくだりを読むと、私としてはとにかくツボにはまってしまい、それはもう愉快な気持ちになってしまう。恋って、人をお目出たくしてしまう甘美な毒なのだろうか?物語のラストは、当然の結果とも言える終い方なのだが、それがまた驚くほど楽観的で前向きだ。誰も傷ついていないし、むしろロマンチックに幕を閉じている。これはひとえに、著者の博愛精神によるものなのか、純粋さによるものなのか、いずれにしても、失恋が失恋の意味を持たない青春の明るさを感じさせてくれる作品となっている。読後は、自分がいかに俗っぽいか思い知らされる。(信じて疑わない強さが、私には足りないなぁ・・・笑)『お目出たき人』武者小路実篤・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す■No. 8ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている■No. 9女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説■No.10或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル■No.11東京奇譚集/村上春樹 どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.31
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【東京奇譚集/村上春樹】◆どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず私が個人的に好きな小説家をあげたとして、やはりこの人、村上春樹ははずせない。絶対に。多感な高校時代、世間はバブルに沸いていた。時を同じくして、村上春樹の『ノルウェイの森』が同級生たちの間で話題となり、自分たちより2~3歳年上の大学生が主人公となっていることに、度肝を抜いたのだ。そこには、主人公の親しくしている彼女に精神の異常が感じられたり、自殺があったり、恋愛とは無縁のセイ行為があったりする。なんというドラマチックな世界観なのだろうと、ショックを受けたものだ。だから、成人してからも村上春樹に対する熱は冷めず、その小説にある、東京の夜景が見渡せるようなお洒落なカフェ・バーで「サラダを食べ、ペリエを一本飲む」生活にあこがれ続けた。だがバブルは崩壊し、私自身、恋愛がそれほどお洒落なものではないことを知ってしまった。そのあたりぐらいだろうか、村上春樹作品への執着は薄らいでいったような気がする。 村上春樹作品と出合って20年以上が過ぎた今、あのころとは違う思いでページをめくっている自分がいる。最近の私はリアリズム文学に傾倒する嫌いがあって、村上春樹の作品でいうなら『東京奇譚集』が秀逸だと思っている。これは、村上春樹自身の身に起こった(あるいは身近な人からの伝聞的なものも含む)「不思議な出来事」で、ほぼノンフィクションの形態を取っているという演出(?)だ。5つの短編だが、どれも良かった。私はこの世の中の偶然は、偶然でありながらも実は必然的なものなのではという考えを持っているので、『東京奇譚集』は、私の思考に滲むように浸透していった。とりわけ好きなのは「偶然の旅人」という作品だ。ピアノの調律を仕事にしているゲイの男が、偶然出会った女性とのやりとりで、疎遠になっている姉のことを急に思い出すまでのプロセスを描いたものだ。性的マイノリティーのことや、乳癌というかなり深刻なキーワードが出て来るにもかかわらず、作品に荒んだものは微塵も感じられないし、むしろシンプルで前向きだ。村上春樹が日本の作家でありながら、どうにも日本的なものを感じさせないのにはいくつか理由がある。本人の著書に具体的な記述を見つけたのでここに紹介しておこう。「意識的に日本の文学を自分から遠ざけておくことによって、自分の文章スタイル(そしてその先にある小説のスタイル)を徹底してオリジナルなものにしてみるのも面白いんじゃないか(中略)今ここにある自分の偏った読書傾向、教養体験をそのままのかたちで保持し、より深く追求していくことによって、その結果小説家としての自分がいったいどのような地点に行き着くのか、それが知りたかった」村上春樹という人は、とても正直な人だと思う。日本の文学は、あまり好きではないとハッキリ言うし、日本では集中して創作活動が出来ないからと、海外へと移住している。これは人間の防衛本能として当然のことで、こんな小さな島国で、彼ほどの売れっ子作家になってしまったら、誰が放っておいてくれるだろうか? きっと日本では、彼にとって貴重な余暇、それも静かでゆったりとした時間を提供してくれることは、ほとんどゼロに近いかもしれない。村上春樹のオリジナリティーを損なわないためにも、やはり彼の中で帰結した独自の方式で、これからも多くの作品を発表してもらえたらと思う。『東京奇譚集』は、作者自身が冷静なまでに、自他と過去の記憶と偶然とを見つめ直した結果、生まれた必然的小説だと思う。そこからは、私たちはぼんやりと、普通に生きているだけで、実はとても意義のあることなのだと気づかされる。世界平和を声高に叫ぶことだけが文学ではないはずだ。日本という枠組みに囚われず、自由な表現舞台で活躍する村上春樹を、これからもずっと応援していきたい。そして、愛読していきたい。『東京奇譚集』村上春樹・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す■No. 8ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている■No. 9女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説■No.10或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.27
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【或る女/有島武郎】◆国木田独歩の最初の妻がモデル中にはこの著書の隠微なタイトルに惹かれ、思わず買い求めてしまったという方もいるに違いない。だがこの小説は至ってまともなモデル小説であり、優れた日本文学の一作なのだ。解説をくまなく読んで分かったのは、モデルとなったのが国木田独歩の最初の妻、佐々城信子であるということ。正直なことを言えば、その佐々城信子についてはまるで知らなかったのだが、読みすすめていくうちに、その破天荒な生き様に興味が湧いてくる。主人公は葉子というのだが、自由恋愛の名のもとに結婚したところ、わずか2ヶ月で離婚。その後、別の男から熱烈なアプローチを受け、周囲の勧めるがまま婚約。だがビジネスの都合上、婚約者は一足先に渡米。葉子も遅れてアメリカへ渡るのだが、その船中で知り合った船乗りの情熱的な求愛の虜となる・・・というストーリー展開だ。いつの世にも、このような自由奔放に生きる女性がいて、この小説の主人公だけが特別というわけでもないのだが、それでも時代という大きな波のうねりを考えれば珍しいタイプの女性である。葉子の母はクリスチャンで、キリスト教の信者なのだが、その娘である葉子は神に対して冷淡である。むしろ信じていないような素振りさえ見せる。その証拠に、世間に背き、子を捨て、婚約者をないがしろにして、妻子ある男を身も心も焦がすほどに愛してしまう。自分を軽蔑する親戚とは、歩み寄るどころか昂然と戦いののろしを上げる。女性間にありがちな嫉妬や噂話なども撥ね退け、神経をすり減らし、孤独の闇をさまよいながら悲劇に近付いていくのだ。この無謀な生き様を、100%認めてしまうのは非常に難しい。世間の常識を踏まえながら読んでいれば、「これはちょっと酷すぎる」とか「人の道を外れ過ぎてる」と思える箇所が、いくつも出て来るからだ。だが著者は、そんな主人公の末路を冷静に、しかも容赦なく書き留めている。太く短く恋に生きる女の破滅的な生涯を、正統な文体で綴ることにより、限りなくリアリズムに近づけたのかもしれない。『或る女』は長編小説なので、片手間に読める作品ではないけれど、男女問わずぜひ一読をおすすめしたい。読後は、壮絶な人生を駆け巡った主人公・早月葉子と同化してしまったような、不思議な連帯感を覚える。自分とは対極にある存在であればあるほど、主人公に共鳴と慈しみの情が溢れて止まないのだ。『或る女』有島武郎・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す■No. 8ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている■No. 9女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.24
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盆栽ノ柘榴実垂レテ落チントス 正岡子規柘榴も、子規晩年はもはや野でなく盆栽なのであります。もの悲しさの漂う一句ですが、病牀六尺の宇宙を見、子規の気迫を感じるものでもあります。それにしても、終わらんとするに子規の生命力のみなぎることは尋常でなく、これこそ我々に「感動」と「活力」を与えてくれるものなのであります。ウカウカしていられないな!一句を通し子規の魂魄が、我が怠惰をいさめ、我が気力を鼓舞してくれるのです。正岡子規兄に大感謝(^人^)今日も頑張ってまいりましょう!
2012.10.23
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コスモスに仏覚えし秋の空 吟遊映人先日、蛇笏の句(コチラ)から山水草木悉有仏性を感じるに至った私目は(笑)、この週末コスモスを眺めては御仏を想うのでありました(^人^)ときに、蛇笏の句の折に「四季」の、もとい、「子規」の妙句(笑)をお出ししましたが、これも誠に言いえて妙なのであります。秋の蚊のよろよろと来て人を刺す 正岡子規実は、コスモスに仏性を感じながら風景に酔っていると、藪を漂う秋の蚊にやられてしまいました。そのかゆいのなんのったら(>_
2012.10.22
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【ドライブ・アングリー】「あいつら警告なしに撃って来たわ。目的は逮捕じゃない、殺す気よ! あなたを殺そうと・・・あなた脱獄囚なの? 殺人犯?・・・何なの?!」「両方だ」「なんで私が・・・あんたのせいで警官を撃ってしまった!」映画そのものはB級の域を出ない。だが出演しているのがオスカー俳優であるニコラス・ケイジということで、はて、なぜこの作品に?と、首を傾げてしまうところだ。考えられる理由はいくつかあるが、この役者さんは車好きの車マニアで知られているらしい。(ウィキペディア参照)だから、ダッジやシボレーなどが登場し、カーアクションがくり広げられるとなったら、たとえB級であろうと出演を渋るわけにはいかなかったのでは。また、そんなニコラス・ケイジは高級車のコレクションに余念がないため、かなりの浪費癖があるらしい。借金の返済のためには、映画の質的なものにいちいちこだわっているヒマはないというのが、ホンネかもしれない。映画そのものは、確かにコテコテだ。だがなにしろ出演者が良すぎる。ニコラス・ケイジを筆頭に、監察官役のウィリアム・フィクナーやら、ヨナ・キング役のビリー・バークまで、これだけアクの強いキャラをごくごく自然な演技力でカバーしている。パイパー役のアンバー・ハードは、キュートでチャーミングで、それでいて男に負けていなくて本当にカッコ良かった。愛娘をカルト教団によって殺害され、その赤ん坊を生け贄としてさらわれてしまったミルトンは、地獄の闇から蘇った。カルト教団の教祖であるヨナ・キングを捕まえ、その手から娘の忘れ形見である赤ん坊を救うまでは、死んでも死に切れないからだ。途中、立ち寄ったレストランで、勝気で正義感の強そうなウェイトレスのパイパーと出会い、彼女まで巻き込みながら、憎いヨナ・キングを追うのだった。主人公のミルトンという名前は、『失楽園』の著者から取ったのであろうか? (間違っても渡辺淳一の方ではない)そのわりに楽園を追われた者のようではなく、むしろ脱獄(?)を楽しんでいるような素振りさえ見せる。しかも精力は絶倫で、作品を見てもらえば分かるが、とにかく超人的なスゴさだ(笑)。 この映画の何が楽しいかと言えば、まぁクレイジーなことだろう。あと、珍しい車も出て来るので、車好きには必見かも。暇つぶしにはまずまずの、娯楽B級映画だ。2011年公開【監督】パトリック・ルシエ【出演】ニコラス・ケイジまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.21
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【女生徒/太宰治】◆新感覚でヴィヴィッドな小説太宰治の著書は片っ端から読んで、何やら青春の虚無感とか孤独感にどっぷりと浸かっていたような記憶がある。『人間失格』は青春のバイブルにもなっていたし、持っているだけでカッコイイ気がした。そういう意味で、坂口安吾も似たような感覚のニヒリズムとデカダンスを備えていた。私の知人などは、内容もろくに知らず、読みもしないのに坂口安吾の『堕落論』を、コートのポケットやバッグに忍ばせていたとか。もうこうなると、文庫本一冊といえども、ファッションの一部なのだ。それを持っているだけで、クールに生まれ変わった錯覚を抱いてしまうのかもしれない。太宰治の小説は、戦前→戦中→戦後と、その時代によってかなり作風が変化している。 とりわけ評論家から賛辞を受けたのは、戦時下での小説で、『新釈諸国噺』と『お伽草子』だ。それらは、“珠玉の短編”と評価されている。さて『女生徒』。この小説は女性一人称スタイルを取っていて、語り手が女学生である。新感覚でヴィヴィッドな言い回しの中に、核心をついているのだが、例えばこんな具合だ。「朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸を塞ぎ、身悶えしちゃう。朝は、意地悪」どうだ、この感性! この小説が出版されたのは、太宰30歳の時。現代の30歳の男性が、多感な女子高生の心理状態を、これほどまでにリアルに想像できるだろうか?! 他にもこんなところがある。「私がもらった。綺麗な女らしい風呂敷。綺麗だから、結ぶのが惜しい。こうして坐って、膝の上にのせて、何度もそっと見てみる。撫でる。電車の中の皆の人にも見てもらいたいけれど、誰も見ない。この可愛い風呂敷を、ただ、ちょっと見つめてさえ下さったら・・・」可愛らしいもの、素敵なものを、誰かに自慢したい気持ち、少しだけ認められたい気持ち。このウブな女子の感性を、当時30歳の太宰治が見事に表現していて、それがまた驚くほどの完成度の高さなのだ。『女生徒』は、物質的には不自由を強いられようとも、つましい生活の中にささやかな幸福を感じたり、あるいは嫌悪を抱いたり、女子のデリケートな心理を鮮やかに表現した小説である。もしも私が、何か一冊バッグに携帯するとしたら、この『女生徒』にするかもしれない。ファッション・アイテムとしての『堕落論』より、数倍は私をクールにさせてくれる作品だからだ。『女生徒』太宰治・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す■No. 8ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.20
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阿耨多羅三藐三菩提の仏たち我立つ杣に冥加あらせ給へ(あのくたらさんみゃくさんぼじのほとけたち わがたつそまにめかあらせたまえ) 伝教大師 最澄最澄は、いまだ弱冠の頃、比叡の山で気炎を揚げました。眩いほどの気負いは、時代を経ても読む人の心に活力を与えるものです。そして明治三十五年、病の床で正岡子規はこう詠みました。伝教賛此杣や秋を定めて一千年命終わらんとするに至り、子規は天上の最澄がはっきり見えたのかもしれません。なお、子規逝かんとする明治三十五年は、他にも宗祖賛の句を詠んでいます。法然賛念仏に季はなけれとも藤の花弘法賛龍を叱す其御唾や夏の雨親鸞賛御連枝の末まて秋の錦哉日蓮賛鯨つく漁父ともならで坊主哉斜に構えた姿が堂に入った子規ではありますが、最後のよりどころは御仏に尽きたのでしょうか。それでも微塵にも弱気を感じさせる子規ではありません!句には最後までそのスピリッツを読むことができ、骨の髄まで俳句人であったことを感じるのです。たしか落語のマクラに「神様仏様、キリスト様、アラーの神様 云々」とあったような気がするのですが、子規の念もそれに近いのかもしれませんな(笑)
2012.10.19
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飄として尊き秋日一つかな 飯田蛇笏風景と気候に、いずれ訪れるであろう冬を予感させる今日この頃です。高く、澄み渡った空を眺めていると、心が濾過されるような気がします♪我が汚れた心も清浄にならん、そう願ってやみません(汗)山水草木悉有仏性。森羅万象には普く仏が宿るものよ、誠にそう思う秋の日なのでありました(^^)まずは、山頭火のごとく懺悔かしらん(笑) ~追記~子規が今時分の気候を的確に詠んでいます。虫ノ音ノ少クナリシ夜寒カナ
2012.10.18
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【ミステリーの系譜/松本清張】◆人は気付かぬうちに誰かを傷つけているちまたの推理小説家の中でも、群を抜いて優れているのが松本清張である。松本清張の緻密な資料集めと分析能力、それに現場百ぺんの徹底したリアリズムは、たいていのミステリー好きな読者の度肝を抜く。頭の中でちょこちょこっとこしらえた非現実的なドラマとは、まるで違うものだ。だから事件を大げさに煽る修飾的な言葉もなければ、余計な主観を読者に植え付ける描写もない。とにかく淡々と冷静に、時系列に沿った文体なのだ。犯罪は犯罪であり、同情をかってはならず、それ以上でもそれ以下でもいけないということなのだろう。『ミステリーの系譜』は、「闇に駆ける猟銃」「肉鍋を食う女」「二人の真犯人」の3篇が収められているが、3つとも大正、昭和史に残る犯罪実話である。「闇に駆ける猟銃」は、映画『八つ墓村』のもとになったもので、無論、ノンフィクションだ。昭和13年の岡山県津山で起きた、いわゆる“津山事件”で、当時21歳の犯人が、その日のうちに村人の28人を死に至らしめ、他に重傷死2人、重軽傷2人という大量殺人行為をはたらいたものだ。犯人は健康上の悩みを抱えていたようだが、どうやら本人の被害妄想、自意識過剰から来るもののようで、医学的にはさほどのことはなかったようだ。性格はいわゆるネクラタイプで、対人関係が苦手だった。とはいえ、農村にはこの手の晩生な青年は珍しくもなく、これといった異常性を見出すことはできない。学業は優秀で、容姿も悪くなく、むしろ色白の美青年だったようだ。松本清張の着眼点がスゴイと思うのは、このようにどこにでもいそうな、平凡でありふれた青年が短時間でこれほどの大惨事を引き起こす可能性があるのだという事実に注目したことだ。犯人に前科があるわけでもなく、田舎の農村を舞台に、ある日突然、降ってわくのだ。 この日常生活に潜む、どうしようもない不気味な現実は、過去のことではなく、現在を生きる我々にも同様の危険が孕んでいることをうかがわせる。「人はだれでも他人からの日常的な被害感を持っている。悪口、軽蔑、中傷、妨害・・・それは“加害者”が気づかぬくらいに作為のない、些細なことであっても、受けた側の精神的な傷は、存外に深いものである」私たちは知らない間に誰かを傷つけ、苦しませているのかもしれない。だとしたら自分の言葉に責任を持つことで、無用な噂話や無駄口は慎むべきだろう。誰かの耳に入った時、あるいは復讐に燃え滾るその人物から、腹部と乳房に貫通銃創を受けるかもしれないので・・・。『ミステリーの系譜』松本清張・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.16
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悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる 山頭火悔いるこころとはすなわち懺悔です。仏教における懺悔の目的とは、いままで行った罪をもう一度繰り返すことをしない、ということに他ありません。出家得度を済ませた山頭火。サスガの山頭火とはいえ(汗)、その身分から忸怩たるおもいはあるはずです・・・そういうことで『山頭火の飲酒スパイラル』はここ(悔いる=懺悔)が出発地点と考えられるのです(^^)v悔いる・懺悔する ↓飲酒酩酊する ↓自己嫌悪に陥る ↓悔いる・懺悔する ↓飲酒酩酊する ↓自己嫌悪に陥る ・ ・ ・生涯続いた『山頭火の飲酒スパイラル』でした(汗)なお、蛇足ながら、坊さんが守るべき戒を記した「梵網経(ぼんもうきょう)」にはもちろん僧の飲酒は厳禁されています!山頭火といえども(笑)、その事も少しは気になっていたかもしれませんね。それにしても食欲の秋、酒の量もすすんだことでしょう。山頭火にとって深まりゆく秋は、なんとも悩ましい季節であったことでしょう(笑)秋風に肌寒さを感じる今日この頃、そんな事を考えました♪
2012.10.15
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【リミットレス】「ある回路を活性化する脳内の受容体を発見したんだ。通常、人間は脳の20%しか使ってない。この薬は脳の力を100%引き出すんだ」「こんなボロボロの俺だぞ・・・薬を飲んだからって、人生が劇的に変わると思うか?」 この作品はそれなりにおもしろかった。のっけから映像のイリュージョンに目がくらんだほどで、見ているこちら側が高速移動しているような感覚に襲われた。おそらく、このぐらい鮮やかでスピーディーな脳の働きにより、十手も二十手も物事の先読みが出来る、そんなスゴイ新薬なんだぞ、という演出なのだろう。というのもストーリーが、NZT48という開発されたばかりの新薬を服用することで、脳を100%活性化することが出来るというものなのだ。(通常、ヒトの脳は20%ほどしか活用されていないらしい)だがそんな都合の良い薬があっていいわけがない。一度その新薬の効果を味わってしまうと、どうにもこうにもその薬なしでは生活できなくなってしまう。主人公は、いやが上にもその薬を飲み続けることになるのだが、評価したいのは役者の演技力。この薬を飲んでいない時と、飲んだ後の、生まれ変わったような変身ぶりを演じるのは、ブラッドリー・クーパーだ。だメンズからスタイリッシュでクールな男へと変貌を遂げる、この対比が見事に表現されている。さらに、財界の大物投資家の役としてロバート・デ・ニーロが出演。脇役にしておくのがもったいないような存在感ではあるが、この役者さんの持ち味を極力抑えぎみに、至ってスマートな役どころに徹していた。ニューヨークに住むエディ・モーラは自称作家だが、原稿は白紙のまま、収入もなく、ホームレス一歩手前の生活をおくっていた。金銭的に支えていた恋人も、いよいよエディのもとを去っていくのだった。そんなある日、元妻の弟であるヴァーノンと街でばったり遭遇。ヴァーノンは昼間であるにもかかわらず、エディを飲みに行こうと誘う。ヴァーノンは、落ちぶれたエディの風貌を見ると、怪しい笑みを浮かべ、開発されたばかりの薬NZT48を手渡す。最初エディは受取らないのだが、結局、押し付けられるような形で新薬を受取り、服用してしまう。するとエディの脳はたちまち活性化し、脳に埋もれていた過去の記憶から情報を集める能力が見事に覚醒するのだった。作中、金貸しのいかがわしい男から大金を借りて、それを元手に株で儲けるエディなのだが、後でその男とは新薬をめぐる壮絶なトラブルに発展するのが見モノ。さらに、新薬には恐ろしい副作用があることが分かり、突然服用を止めてしまうと死に至ることが判明。主人公が廃人のようになりながら、必死に次の一手を思考するシーンにハラハラさせられる。だが残念なのは、やっぱりラストだ。なんで主人公が成功してしまうのか?!よもやドラッグを擁護する映画でもあるまいに。2011年公開【監督】ニール・バーガー【出演】ブラッドリー・クーパー、ロバート・デ・ニーロまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.14
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碧梧桐深大寺の栗を携へ来るいがながら栗くれる人の誠哉 正岡子規秋の好日、門下の河東碧梧桐氏が名物深大寺栗を持参しました。栗は子規の好物のひとつ。子規先生、満面の笑みを想像するに難くはありません。ところで上の画像。「散歩の途中でたわわの栗を発見!」と知人からメールがありました。「たわわの栗」で知人の笑みは想像できますが、コチラは写真を前に笑みはありません(涙)子規にあらずも、碧梧桐氏の『誠』を実感した吟遊映人なのでありました(笑)さて、好物の栗は病床の身もなぐさめたようであります。・栗飯ノ 四椀ト書キシ 日記カナ・栗飯ヤ 病人ナガラ 大食ヒこのユーモアが子規の真骨頂なのですが、深まりゆく秋を感じ、秋風に吹かれながら読んでみると、実にもの悲しさを覚える句なのでもあります。そして栗ときたら・・・あとは柿だなぁ~(^^)
2012.10.13
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彼の人が好みし花なり南無阿弥陀仏 吟遊映人連日の山頭火話になりますが、このごろは「山頭火」といえばラーメン屋だとか(汗)、はたして世の中では山頭火はどれくらいのものなのかと思い、祥月命日の昨日は、全国の新聞をあたってみました(^^)vおかげさまで、■上毛新聞/三山春秋■佐賀新聞/有明抄■西日本新/聞春秋の各社が朝刊コラムで山頭火を扱ってくれていました。筋違いではありますが(笑)、心より御礼を申し上げますm(_ _)mときに、記事の孫引きになりますが、先日鬼門に入られた名優 大滝秀治さんはこの六月に山頭火を舞台で演じる予定であったとか。体調悪化で断念をせざる得なかったそうですが、ご本人も断腸の思いであったことでしょう。コチラも見られず芝居(仕舞い・笑)で誠にもって残念です。それにしても大滝版山頭火、あの飄々とした演技はさぞや役にハマったことでしょう。さて、昨日は死を前にした山頭火の誠についてお伝えしましたが、偲びついでに(笑)、今日はその数ヶ月前の山頭火の覚悟のほどをお見せします!私の覚悟一、節酒断行一、借金厳禁一、二食実践私は私に誓ふ汝自身を守れ、愚かを貫け山頭火好きならニヤッとするところでしょうね。ポイントは「汝自身を守れ、愚かを貫け」です(笑)結果や如何に?「だから山頭火なり!」そういったところでしょう。酔うてこほろぎと寝ていたよ山頭火は永遠なり(^o^)
2012.10.12
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【白河夜船/吉本ばなな】◆孤独な闇が人々を癒す80年代に『キッチン』でデビューした吉本ばななだが、この作家はその筆名でいくらか損しているように思える。“ばなな”という名前は可愛い響きのある反面、軽薄さを隠せないし、何となく若い子向きな作品を匂わせてしまうからだ。デビューした当時は20代の若さと新鮮さに溢れた吉本ばななも、今や50歳に手が届こうとしている。月日の流れは誰も止められるものではない。吉本ばななの世界観をざっくりとでも知りたい、今さらだけど読んでみたいという方には、迷わず『キッチン』をおすすめするところだが、もう一歩踏み込んだところで、この秋の夜長を楽しみたいという方に『白河夜船』を推薦したい。初期の頃の作品で、しかも短編と来ている。夜という孤独な闇を、人間にとってかけがえのない空間であるかのように、無限の魂に響き渡らせる文章で綴っている。主人公の寺子は、ものすごく疲れている。精神的に。いくら寝ても寝足りないぐらいだ。 付き合っている彼氏は妻帯者で、寺子はいわば日陰者。でも彼の奥さんは病院で寝たきり状態。彼も寺子も、半ば、奥さんが死んでくれるのを待っているような状況に近い。一方、寺子の親友・しおりは風俗嬢で、何らかの理由で自殺してしまい、寺子はずっと喪失感を抱えて生活している・・・というストーリーだ。この作品を読んでいると、そこかしこからバブル期の淡い記憶がよみがえって来る。『私には大した額ではないが貯金があったし(中略)彼が毎月、びっくりするほどの額を振り込んでくれるので、生活は楽だった』物質的には満たされているけれど、いつも心のどこかに隙間風が吹いているような感覚。現在の、リアルな生活苦から来るイラつきとは違った不安感は、反って懐かしい。漠然とした不安や、底なしの孤独感、絶え間ない倦怠感、こういう辛さは物質的なものに恵まれれば恵まれるほど浮き出て来る闇の部分かもしれない。吉本ばななの描くヒロインは、いつだって疲れている。無理矢理の笑顔も、健気に生きる姿も、全て孤独の裏返しなのだ。頑張る姿勢を否定しないためにも、世の中に溢れる心の疲労を少しでも緩和したい時に読みたい小説だ。『白河夜船』吉本ばなな・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.10
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秋澄むや鼻歌越しのバッハ哉 吟遊映人はなはだ申し訳なくは思いますが、我が拙句をあげさせていただきましたm(_ _)m連休の一日、日々の憂いから開放され久々にゆっくりグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」を聴きました♪彼はこの秋に生誕80年、そして没後30年となります。天才は何かと話題(物議?)が多いものですが(汗)、演奏から鼻歌が聞こえてくるのは彼くらいではないかしらん。実は以前はそれが気になって敬遠していた吟遊映人なのであります。しかしコチラも年齢を重ね、多少なりとも妙味も理解できるまでになり(^o^)v鼻歌がグレン・グールドの演奏の一部と感じるようになりました!「お~ぉ(^o^)歌っているわいなぁ♪」くらいですね。その「妙」を妙なたとえでひきますと(笑)・・・落語でいえば志ん生師の噺でしょうかねぇ。間違っても文楽師の噺でなく、かといって小さん(先代)師の噺でもありません!そう、あの「妙」は志ん生師の噺に他ありません!!ちなみにグールドの武勇伝(?)中の武勇伝は、演奏用の椅子を微調整するために演奏を30分待たせたというものです!指揮者もオケも観客も固唾を飲んで待っていたわけで、超一流人は別格なのであります(笑)酔っ払って高座に上がり居眠りしたという武勇伝を持つ志ん生師、コチラも超一流の別格なのでありました(笑)そういうことで、吟遊映人は志ん生師の『火焔太鼓』を聞くが如くグールドを聴いた次第です♪ご参考までにグールド評を二三。ジョージ・セル「あいつは変人だけど天才だ」リリー・クラウス「あれ本当に弾いているの? 信じられない」ルービンシュタイン「グールドの手をもって生まれたい」(青柳いづみこ著「グレン・グールド―未来のピアニスト」)さて、もう一句。老父とゆく靖国に秋の風 吟遊映人英魂に哀悼の誠を捧げます。
2012.10.09
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【しろばんば/井上靖】◆一途な愛情が文豪を育てるかつて読んだ本の中で、これほどまで郷愁を誘われた作品があっただろうか? 著者の井上靖は、5歳の時から小学校までの間、伊豆湯ヶ島の天城山麓の山村に暮らしていた。『しろばんば』は、その自伝的小説である。私は生まれも育ちも伊豆の片田舎で過ごし、『しろばんば』に頻繁に出て来る地名は、私にとって庭みたいなものだ(笑) だから主人公・洪作が駆け回る田んぼのあぜ道も、難関と言われた沼津の女学校も、三島のお祭りも、それはそれは鮮やかによみがえるのだ。この作品が優れているのは、なにも友情とか青春を謳歌するなど、そういう甘い感傷に囚われていないところだ。また、主人公・洪作を溺愛して止まない“おぬい婆さん”の存在も大きい。この人物を描きたいがため、井上靖はペンを執ったのではなかろうかとさえ思われるからだ。洪作が友だちと大ゲンカして、相手にケガをさせてしまった時、祖父が洪作を怒鳴りつけようものなら、おぬい婆さんは凄まじい。「洪ちゃ、土蔵へはいっておいで。洪ちゃに手など上げてみい。ばかもんめ!」明らかに洪作に分の悪い場合でも、おぬい婆さんは体当たりで洪作を守る、守る、守る。世界を丸ごと敵に回そうとも、おぬい婆さんは洪作の味方なのだ。これほどまでに一途な愛情を注がれ、甘やかされ、さぞかし洪作はぼんくらな大人になってしまったのではと、その後の展開にヒヤヒヤさせられるところなのだが、洪作は優秀で、おぬい婆さん死後、伊豆から浜松へ引っ越すことになる。そして、浜松の名門中学校を受験するのだ。井上靖の作家としての資質を育てたのは、あるいはこの盲目の愛情を注いだおぬい婆さんかもしれない。このおぬい婆さんなくして『しろばんば』は成立しない。いろんな作家の成功物語がある中で、『しろばんば』ほど素朴で、だが幼少期に一番必要なものは何なのかを、克明に描いた作品は少ない。読後は、何かホッとするような不思議な安堵感に包まれる。『しろばんば』井上靖・著~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.08
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「全員を殺す。一人ずつだ。だが今じゃない。自分のしたことを昼も夜も考えろ。女房や子供に許しを請い・・・なぜ死ぬか話せ。そして思いがけない時・・・明日か・・・それとも半年後か・・・1年後に俺が現れる。俺が生きてる限り、安全はない」フランスらしいフランス映画と言ってしまえば聞こえは良いけれども、ノワール作品につきまとうのは人生の無常ではないか。同じジャン・レノが主人公の、『レオン』があれだけ完成度が高かったのは、殺し屋稼業の成れの果てを率直に表現したことによるものだ。『バレッツ』においても、マルセイユを舞台にマフィアとして暴れていたシャルリが、足を洗ってからその後のことを追っている。だが、一たびその道を通ってしまった者は、そう容易くは堅気には戻れない・・・この辺りの展開はありきたりと言えどもなかなか見ごたえはある。問題はラストだ。このような結末はどうしてもキレイゴトに思え、作品としての質を低下させてしまうのではなかろうか。やはり、血で血を洗う世界にどっぷりと浸かっていた者の宿命は、平穏な生活とはかけ離れたものでなければいけない。とりあえずのハッピーエンドは、この世に蔓延る全ての犯罪者を擁護することになってしまうからだ。かつてはマルセイユのマフィアとして幅を利かせていたシャルリは、足を洗い、愛息子と外出を楽しんでいた。駐車場に車を止めるため、息子を一足先に車から降ろし、シャルリだけが地下駐車場に向かったところ、数人の覆面の男たちから一斉射撃を受け、22発もの銃弾を撃ち込まれてしまう。その後、病院で治療を受け、奇跡的に回復するが、シャルリを襲った者がなんと、「死んでも友だちだ」と誓い合った親友のザッキアであることが判明。シャルリの仲間は復讐を勧めるが、すでに足を洗ったシャルリは、報復が繰り返されることを避けるため踏み止まる。だが、今度はシャルリの家族にまで魔の手がのびようとしていた。個人的に好感を持てたのが、シングル・マザーとして必死に働く、マルセイユ警察の女性刑事だ。この刑事が、上司のパワーハラスメントに苦しみながらも、懸命にザッキアを追うひた向きさが上手に描かれていて良かった。なんだかんだ言ったところで、犯罪とバイオレンスが絡み合う銃撃戦にはジャン・レノがよく似合う。(富士には月見草がよく似合う、ではないけれど)自分の立ち位置をわきまえた、役者のかもし出す演技は、やはり何ものにも変えがたい魅力があるものだ。この映画は、ジャン・レノによって支えられた作品かもしれない。2010年(仏)、2011年(日)公開【監督】リシャール・ベリ【出演】ジャン・レノまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.07
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コスモスの花あそびをる虚空かな 高濱虚子
2012.10.06
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パ・リーグの優勝が日本ハムに決まりました。日本ハムといえば栗山監督、そして栗山監督といえば『フィールド・オブ・ドリームス』です。知る人ぞ知る。まずは以下の北海道新聞コラム/卓上四季をご一読あれ。このコラムのおかげで、昨晩は名画に再会することができました。日本ハム、栗山監督、『フィールド・オブ・ドリームス』という短絡思考な吟遊映人ですぅ(汗)△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△《夢の畑》 「もしも望みがあるとすれば・・・。いいかね、もしもだよ」老医師は、そう前置きして心の奥にしまい込んでいた夢を明かす。彼、ドック・グラハムは若き日に米大リーグのチームに所属していたが、出場は1試合。終盤に守備固めで外野に立っただけで、球界を去った。だから、一度でいいから打席に立ってみたい。バットがボールを捉える感覚を腕に感じ、頭から滑り込みたい。それが老医師の願いだった。W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」。以前も当欄で触れたが、トウモロコシ畑の私設球場で野球への夢をかなえる物語だ。就任1年目でチームをリーグ優勝に導いた日ハム監督の栗山英樹さん(51)は、小説が原作の映画「フィールド・オブ・ドリームス」に心を動かされ、空知の栗山町に私設の球場を造っている。大学からプロ野球界に入ったが、現役生活は7年間と短い。「この1打席がヒットになるかどうかで、野球人生は変わると思いながら打席に立ってきた」との言葉に切実さがにじむ。「だから同じ思いの選手には、できるだけのことをしてあげたい」と。若手や負担をかけた選手の活躍に目を潤ませ、うるうる監督の異名もあるとか。他者の希望や願いを感じ取る「共感力」がチームをひとつにした。かなわなかった夢は畑となり、また新しい夢を育てる。そのことを、知る人だと思う。北海道新聞△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△当ブログ(吟遊映人)でも『フィールド・オブ・ドリームス』は記事にしております。もちろん映画版ですが、ケヴィン・コスナーの好演は何度見ても実に印象深いものがあります♪画像はトウモロコシ畑を切り開いて球場をつくる主人公レイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)です。北海道新聞のコラムを読みながら、何となく栗山監督に姿がだぶりました。別の情報ですが野球がオフの日、栗山氏は空知の農園で百姓となり過ごすそうです。田夫野人たる氏は、さぞや魅力的なことでしょう♪吟遊映人は、栗山監督のフィールド・オブ・ドリームスがかなう日を、楽しみに待ちたいと思います!過去記事『フィールド・オブ・ドリームス』はコチラをご覧くださいね。末筆になりましたが、北海道新聞の適時コラムに感謝(^人^)
2012.10.05
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ああ、山頭火よどこへ行く秋風行きたい方へ行けるところまで 山頭火秋に外せない一句といったら、吟遊映人は迷わずこれをあげたいと思います。もの悲しい句の雰囲気が、実に季節にあっているように感じます(^^)または山頭火が秋に似合うのか。とはいえその実はというと、飲酒する、酩酊する、迷惑をかける、自己嫌悪に陥る、反省する、飲酒する、酩酊する、迷惑をかける、自己嫌悪に陥る、反省する、飲酒する、酩酊する、迷惑をかける、自己嫌悪に陥る、反省する・・・この山頭火スパイラルが、どうも秋には顕著になるようで、酒にまみれた山頭火の実生活からは、季節の情緒ほどにもの悲しさを感じません(笑)それにしても昨夜の夢見が悪かったのは、山頭火の日記を床読したからかしら(汗)
2012.10.04
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【青春の蹉跌/石川達三】◆他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだまずは読後の感想を先に言ってしまおう。とにかく後味が悪い。どいつもこいつも打算的で利己主義で思いやりとか優しさの欠片すら感じられない。「あーやだやだ」と、さっさと本を閉じて本棚に突っ込んでしまいたくなるような気持ちでいっぱいになる。じゃあなぜ、あえてこの小説を選んだのか?それは、経済至上主義の現代に生きる我々に与えられた踏み絵となるのではと思ったからだ。主人公は司法試験に挑む苦学生でありながら、家庭教師として派遣されていた家の娘とデキてしまう。無論、主人公に恋愛感情はなく、一時の慰み相手に過ぎない。だが娘の方はまんざらでもない。その一方で、主人公には後ろ盾のきちんとした家柄のお嬢様と縁談が持ち上がる。こちらの令嬢に対してだって恋愛感情はなく、目がくらむのは、そのバックにある経済的なものだ。さてこうなると、慰み者にしていた娘が邪魔な存在となってくる。この作品が胸焼けのするような後味の悪さをかもし出すのには、ワケがある。どのキャラクターも人間の業を赤裸々に表現しているところだ。普通ならやんわりとオブラートで包み込むような感情表現を、ネチネチとえぐるように掘り下げているのが、反ってスゴイと思う。また、小説の内容にもよるが、どんな作品でも愛すべきキャラクターみたいなものが一人はいる。ところが『青春の蹉跌』においては、残念ながら一人もそういうキャラが出て来ない。よくよくその理由を自分なりに探ってみると、どの人物の欠点もまるで我が事のように心当たりがあって、吐き気をもよおすからだ。この作品を否定することは、絶対にできやしない!自己の保身、地位と名声、そして余りある富。そういったものを、自分には必要のないものだと、全て拒絶できるだろうか? 愛情さえあれば、極貧にも耐えられ、世間体など何一つ気にせず生きていくことが可能だろうか?草食系男子の諸君にはウザイ小説かもしれないが、格差社会と呼ばれる昨今、“生きることは闘争だ”と叫ぶ主人公の生き様に、あるいは共鳴できるかもしれない。『青春の蹉跌』石川達三・著 (新潮文庫)~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.10.03
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【無伴奏チェロ組曲 / 6Cello-Suiten BWV1007-1012】十六夜も無月となった昨晩は、久々にマイスキーのチェロに聴き入りました♪気候がよくなるとじっくり音楽を聴こうという気になりますね(^^)マイスキーのバッハを聴くと、宗教は異なっても信じるという普遍的な観念は同じである、いつもそう思います。強制収容所の日々や亡命などを経た末の彼の音楽に、大きな覚悟(それを『諦観』と感じるのですが)のような仏教に通じるものを感じるのです。親日派のマイスキーは、元横綱千代の富士と昵懇の仲だそうで、お嬢さんの急逝にふれ単身即来日。元横綱千代の富士宅の玄関先で夫人にお悔やみを述べると、そこで鎮魂のバッハを弾き、再び空港に戻ったといいます。(モーストリー・クラシック参照)東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ「雨ニモマケズ」の精神を感じ、マイスキーに「慈意妙大雲」を見るのです。しかしそれにしても、無伴奏の全曲は長い(汗)、CD二枚で2時間35分なり!!秋の夜長とはいえ、昨晩はCD1だけにしておきました(笑)話は変わりますが、子規は無月をこう詠んでいます。※子規兄の自画像なり龍となり虎となる月の雲一片何事も執著から離れれば、想像力も生きて「真実」が見えてくるものなのだと、そう思いました。
2012.10.02
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月の雨天気予報のあたりけり 正岡子規無粋の台風で、昨夜は名月を楽しむどころではありませんでした、残念!そして明治32年も中秋の名月は見られず仕舞いだったようです。子規の落胆を察するに難くはありません。一見つまらない句ですが(子規兄、失礼!)、今となってみれば、子規が鬼籍に入るのは明治35年の中秋前ゆえ、残り二回の名月のうちの一回が見られなかったわけですから、さもありなんといったところでしょうか。というか・・何気ない句の、当たり前の表現が、かえって悲しげに感じます(涙)しかし!そんなことで悲観に暮れる子規でもなく、ここで一句。句を案す蒲団の中や月の雨この執念こそが子規の真骨頂(病牀六尺魂)だと思います。転んでもタダで起きないどころか、値千金を手に立ち上がる子規は、ただただサスガのひと言に尽きるのです!とはいえ!そこは酸いも甘いもかみ分けた子規でして(笑)、もう一句月の雨団子を喰ふて将棋哉誰と打つ将棋なのか気になるところではありますが(笑)、雨月と雖も後世の我々は子規の三つの異なった情景の楽しむことができるわけで、誠に有難い限りです。ときに日中は、刈り終えた田んぼで案山子殿が空を眺め憂いていました(笑)そして・・・もし名月だったら、心満ちゆくは月満つことに似て 稲畑汀子こんな一句も味わいたかったなぁ♪それにしても、月があってもなくても(名月 雨月 無月)見事な詩歌を詠みあげる我が先人に、あらためて敬意を評するとともに、そういう国土に生まれたことを誇りに思うのでした(^^)
2012.10.01
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