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ありふれた家庭の、長男の命日に集まった妹夫婦と二男夫婦と父母の2日間。監督・原作・脚本・編集 : 是枝裕和 出演 : 阿部寛 、 夏川結衣 、 YOU 、 高橋和也 、 田中祥平 、 樹木希林 、 原田芳雄 それだけを映すことが果たして映画になるのかと言うと、十分価値のある一作になった。戦後小津の作品が次々と迎えられたのと同じように、いろんな感情を呼び起こす。しばらく離れていると、肉親といえども、どことなくよそよそしい。けれども、言葉はかわさずとも、判る事はある。それぞれが我がままで、それぞれが思いやる。家族の中の秘密。意地の張り合い。嫁と姑。姑と婿。歩いても、歩いても、いつも少しだけ間に合わない、でもちょっとした坂道の上には穏やかな風景が広がるのではある。画面が緊張している。退屈さは全くない。夏川結衣の表情を抑えた怒り顔にドキリ。樹木希林の清濁呑み合せた演技には脱帽。あの難破船は何か意味があったのだろうか。
2008年07月30日
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替天行道「水滸伝」が終わった。けれども実は梁山泊の戦士たちの物語は実はこれから佳境に入る。ようだ。これから初めて、キューバ革命から着想を得たというこの革命小説の全貌が出て来る。かもしれない。それまでしばらくはじっと我慢して「楊令伝」は心の中で封印することにする。楊令がどのように20歳を迎え、宋を倒すカリスマになっていくのか、生き延びたはずの扈三娘は戦士として生きるのか、母として生きるのか、燕青はどのように大成していくのか、張平はどのような戦士になるのか、公孫勝はどのように死んでいくのか、いろいろと想像しながらあと二三年は我慢しなければならない。左カテゴリー「水滸伝」はそれまで一編も増えない、ということではない。北方謙三の歴史ものはとりあえずすべて「水滸伝」に繋がるものとして、このカテゴリーに入るはずである。北方謙三の小説作法はわたしの好みである。この一年半、実は「Club水滸伝」というものがあって、北方謙三から読者宛にメールが届いていた。この前に出た水滸伝読本の「替天行道」にはそのメールのほとんどが載っている。例えば、13巻目が出たときに北方はこのように書いている。ところで、先月、酒浸りと書いたので、いろいろな人に心配をかけてしまった。未知の読者からまで、心配だという手紙を貰った。はっきり言うが、まだ酒浸りだ。ただ、アルコール依存症にはなっていないと思う。作家の名にかけて言うが、原稿用紙に向かった時は、一滴も飲まないのだ。まだ世に出ていなかった頃、飲みながら書いたことがある。言葉は次々に出てくるのに、それがみんな薄っぺらなのだな。小説の言葉は、氷山みたいなものだと、俺は考えている。海面に出ているのはわずかで、それが原稿用紙に書かれるわけだが、海面下にはそれと較べものにならないほどの、巨大な塊がある。その海面下が、飲むと無くなるのだ。だから、書いている間は飲まん。俺は執筆量が多いから、飲まない時も多いのだ。 心配してくれて、ありがとう。俺は大丈夫だ。再見。水面下の「巨大な塊」を意識しながらわたしも読んでいる。この読本では、珍しいことに編集者山田祐樹の北方宛の私信が一部公開されている。さすが原典の水滸伝ファンだけに山田編集長の次回の展開予測には唸るものがある。それが刺激となって本文も少しは変わっているのだろうな、と思う。続編を想像しながら、続編を封印すると書いた。それは私の中で、一つの宿題を片付ける、と言うことでもある。物語は宋が倒れ、金が支配したときに、革命軍たる梁山泊軍はどうなるのか、支配階級になるのか、それを想像しながら予測していく。まあ、ゆっくり。あと二年はあるのだから。
2008年07月29日
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「ソウルの練習問題」関川夏央 集英社文庫韓国がまだ「近くて遠い国」だった時代、「ありがとう(カムサムニダ)」をちゃんと言えるだけで、「よく話す外国人」になれた時代、小企業社長のペーさんが、韓国のOLたちが焼酎を飲みながらくだを巻いているのを箸で指差して曰く「あれはなんですか。女どもも酒を飲みに来るですねえ。困ったもんですわ、全く。日本ではそうですか、いくら進んでいるといっても、日本ではまだあんなことはないでしょう?考えられんことですわ」と、苦々しく言えた時代、つまりまだ家父長制がはばを効かせることが出来た時代、80年代初め、何度も旅行人として、韓国に渡った日本の青年がいた。関川夏央である。このときの関川のように、まだカタコトしか韓国語を話せない、まだカタコトしか韓国の文化を知らない、それでも飽きずに一人旅をする、私のようなものに、うなずくことの多い本だった。例えば。朝鮮人にもむつかしい発音はあるのだそうだ。「これらの要素を全部ひっくるめて、日本人が残酷なゴーントレットとして使用したフレーズが、「15円50銭と言ってみろ」である。このために何人の朝鮮人が命を落としたか、分らない。」そして続けて、われわれが朝鮮人を無意識のうちにその様に差別しているように、異邦人の日本人は同じように差別されているのだ、と指摘するのである。「われわれも、かの地においては朝鮮語をどんなに自在に操ろうと、チュゴエンコチチッセンと叫んでいるのだということに気づかなくてはならない。両足の、親指だけが離れているという選別方法はすでに現代日本人には無効だろう。その代わりに、われわれは朝鮮語で、朝鮮語の「チュゴエンコチチッセン」を言わされ、嘲られるのだ。」去年の韓国旅行時、密陽のバス発着場のチケット売り場の人に「ボストォーミナルカジ」(バスターミナルまで)と言うと、簡単に日本人であると言い当てられたということはすでに書いた。もちろん売り場の彼は親切だった。しかし、異邦人として超えることのできない壁は、いつも必ず存在する。この本が最初に出版された1984年から比べると、関川のように旅する日本人は私を含めて溢れかえっている。だからこそ、反対に意味のある本でもある。
2008年07月28日
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監督 : リー・イン製作国 : 日本=中国 上映時間の八割方は「靖国の英霊の御霊に謹んで哀悼の誠を奉げる」人たちの映像である。しかし、だからといってこのドキュメンタリーがその人たちを肯定した作品だということではない。一部で囁かれているどっちつかずの「客観的」な作品でもない。この作品の中心は、戦後60年を迎えた95年8月15日の靖国の周辺で起こった出来事と、靖国刀を作る刀匠の姿を交互に映す。そうして最後の方では、その靖国刀が中国で使われたときに何人もの中国人を切ったときの写真を挿入する。そうすることで監督の主張は明らかになる。刀匠の刈谷さんは、映画を観ればわかるが、聖人でもなければ、思想家でもない。朴訥なただの職人である。そうして素朴な思いで作った刀が、戦争においては、例えば百人切りをする将校の刀となる。8月15日の朝から夜にかけて次々と靖国神社を訪れる軍人コスプレや日の丸パフォーマーたちも、主張しているのは、ただひたすらに「お国を守るために散っていった英霊の御霊を尊重しよう、敬おう」と言うことである。映像を見る限り、彼らは決して戦争賛美ではなく、素朴な人々であることを映し出す。それが、なぜか最後の帰結は中国での残虐な行為になるのである。日本と中国、台湾、ならびに韓国とはこれほどまでに「想いがすれ違っている」ということを示唆したのが、この映画である。ドキュメントならではの面白さがある。8月15日、パフォーマンスしている人たちの周りをその倍する人々が取り囲み、写真を撮っている。靖国神社の中でさえ、彼らはまだ孤立している。あるいは米国不動産屋が「小泉首相を支持する」と書いて、星条旗とともにパフォーマンスしている。その米国人に友好の握手を求める日本人、一方でその星条旗に反発して「ヤンキーゴーホーム」と叫ぶ日本人。現代の靖国支持派が二つに割れた瞬間を映し出す。作品上の欠点もある。最初の方で有名な小泉元首相の靖国参拝をする言い訳のコメントが映し出される。「私はこの靖国の参拝の問題は外交問題にはしない方がいいと思っています。一国の首相が一政治家として一国民として戦没者に対して感謝と敬意を捧げる。哀悼の念を持って靖国神社に参拝する。二度と戦争を起こしてはいけないということが、日本人から、おかしいとか、いけないとかいう批判が、私はいまだに理解できません。まして外国の政府が一政治家の心の問題に対して、靖国参拝はけしからぬということも理解できないんです。精神の自由、心の問題。この問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が、私の靖国参拝を批判することも理解できません。まして外国政府がそのような心の問題にまで介入して外交問題にしようとする、その姿勢も理解できません。精神の自由、心の問題、これは誰も侵すことのできない憲法に保障されたものであります。」(06年1月年頭記者会見)このコメントに対して、映画では、男兄弟三人とも戦死したオバちゃんから、刀匠の刈谷さんに至るまで、そしておそらくここに出てくる靖国支持派のほとんどが「その通りだ」と言うわけです。反対にいえば、この映画を見る限り、靖国を支持する人たちの唯一の理論的な根拠がこのコメントなわけです。「心の問題だ」と言う小泉と、「心の問題だ」と言う一般民衆との思いは果たしてイコールなのか。しかしこの映画ではそこに鋭く切り込んではいない。それがなんとも残念である。刈谷さんが監督のために水戸光圀の漢詩を吟ずる場面が最後にある。「詠日本刀」 蒼龍,猶お未だ雲霄に昇らず 潜んで神洲剣客の腰に在り 髯虜鏖(みなごろし)にせんと欲すも、策無きに非ず 容易に汚す勿れ日本刀 詳しい訳は避けるとして(^_^;)要は少なくとも刈谷さんの思いは、日本刀を容易に殺すことに使うのはやめましょう、と言うことなのだと思う。刈谷さんは「一国民として戦没者に対して感謝と敬意を捧げる。」「二度と戦争を起こしてはいけない」と言う一民衆であるということがきちんと分る場面であった。それと「憲法改正」を言う政府とのギャップを出来たならば映画は切り込んで欲しかった。浄土真宗の住職の言葉は少し切り込んでいるが、もう少し展開して欲しかった。あそこに「魂の錬金術装置」としての靖国神社の秘密がある。あとドキュメンタリーとして、冗長な映像が幾つか散見されたが、長くなるので省略する。総評。ドキュメンタリーとしては、普通の出来。これを見て隣の人といろいろと議論するのには、(出来たら靖国支持派の人と議論するには)いい映画ではある。
2008年07月27日
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鶴見和子の最期の日々をつづった本が自費出版されたそうだ。「死にゆく人がどんな歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくのかを、あなたは客観的に記録しなさい」入院した翌日、鶴見さんは妹の内山さんに告げそうです。実に社会学者らしい発想ではある。この日から姉のベッドサイドで、内山さんは中型の画帳に、「なんでも」記したそうです。ひと月余りで3冊に。死を見据える日々の記録が遺された。 詳しくは今日の朝日新聞のこの記事を見ていただくとして、以下の文章に感銘を受けた。7月24日。〈そよそよと宇治高原の梅雨晴れの風に吹かれて最後の日々を妹と過ごす〉 「私にしては静かすぎるかな?」と辞世の歌を詠(うた)う。夜。「もう終(おわ)りだと思うの(略)ありがとうございました。私の空色の着物は箪笥(たんす)にあります。お別れの写真も……」 翌朝。「昨日の遺言はお笑いね」「私の計画通り死ねなかったワ」。同夕。点滴を忌避。「止めて下さい。ばかばかしい。もう終りです」 その後の俊輔さんとの会話を内山さんは忘れることができない。 「『死ぬっておもしろいことねえ。こんなの初めて』と姉がいい、兄は『そう、人生とは驚くべきものだ』ですって。2人で大笑いしてるの」 私の父の最期のときを思い出す。私の父も短歌と川柳を趣味にしていた。けれども、入院してからこの方、一首たりとも詠もうとはしなかった。死ぬ二ヶ月前、私は言った。「そんなに毎日、一日が長い長いと嘆いているのだったら、せめて川柳でも作ったら?頭の中で考えるだけだから、書き写すのは私がするから。」「おまえにはわからん。推敲するということはそんな楽なことじゃない。もうとても歌なんか作れん。」頑固な父親は、そうして毎日死にたい、死にたいと、愚痴を言いながら、最後の半月は恐れていた24時間体制に入ることなく、眠りが激しくなったあとあっけなく逝ってしまった。鶴見和子の死に方が偉くて、私の父親の死に方が弱いとは思わない。つまらん、つまらん、と言うのも、「死ぬっておもしろいことねえ」と言うのも、生まれて初めての経験と言う意味では、同じ水準だと思う。彼らは大変な経験をして旅立っていった。すぐさま経験したいとは思わないけれども、その日までに何十回か桜の咲くを見、ゆっくりと準備をしていきたいと思う。父からは、実に貴重な経験をさせてもらった。最期の日々、4ヵ月。これまでの人生、頑固者の父から一度も聞かなかった言葉を私は何度も聞く。「おはよう」「ありがとう」。私も何度も毎日言った。「おはよう」。そして数度だけ、「ありがとう」。
2008年07月26日
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その二から続く新石器時代の国内最大の遺跡展示館「石壯里(ソクチャンリ)博物館」があるというので行ってみた。バスが通らない不便なところ、というのである程度覚悟する。バスである程度行って、そこから歩いて途中でタクシーを拾うという算段だった。ところがなかなか拾えない。結局、錦江川べりの道を30分くらい歩いた。割と最近建てられたいい博物館だった。0709韓国の旅 石壯里博物館 posted by (C)くま石器時代の遺跡には詳しくないが、土の性質がいいためか骨の保存状態がとてもいい。動物や人骨が長期間にわたり残っており、石器も初期から後期までに至る推移が非常によくわかる。0709韓国の旅 人骨が良好に残っている posted by (C)くま人はより切れる材料を探し出し、より切れる加工の仕方を生み出す。人類はもしかしたら、いまだかつて自ら不便になる道を歩んだことはないのではないか。温暖化の下、人類は初めての選択を迫られているのかもしれない。それとも気がつかないままに、いつの間にか滅ぶのだろうか。0709韓国の旅 石器を数多く展示 posted by (C)くま骨に彫られた(?)土偶もあった。普通の土偶も、貝の土偶も韓国にはある。材料の豊富さでは韓国は勝るが、加工の洗練具合では日本のほうが勝る。土偶の使い方はまだ謎が多い。朝鮮半島にこれだけ多くの土偶があることは発見だった。0709韓国の旅 骨の土偶 posted by (C)くまタクシーでモーテルまで帰る。公州(コンジュ)バスセンターから大田(テジョン)まで行く。そこから乗り換えて、釜山(プサン)行きのバスに乗るためである。太田バスセンターで、コインロッカーにまたまた指紋で確認する方式を見つけた。個人情報の保護大丈夫かしら。0709韓国の旅 指紋判定コインロッカー posted by (C)くまバス待ち時間の間、大田で遅い昼食を食べる。済州島専門店があったので、そこでオギョルサル(豚の焼肉)を食べる。どこの部位かは不明。皮付き、軟骨付きの肉であった。2人前からしか注文できない料理だったので、食べ終わるころには腹がパンパンだ。0709韓国の旅 オギョルサル posted by (C)くままだ時間があったので、コーヒー店へ。味付けコーヒー? 高いのに、美味しくない。韓国はなぜかいつもお菓子と一緒にコーヒーが出てくる。0709韓国の旅 喫茶店のコーヒー posted by (C)くまこの店もそうだし、ほかの店もそうだが、店内の掃除はしているのに、窓が汚い。窓ぐらい拭けばいいのに。0709韓国の旅 窓が汚い posted by (C)くま大田で乗り換えに2時間30分を要した。釜山まで行くのに、5時間かけたため、釜山に着いたのは、8時すぎだった。早急に地下鉄ナムポドン駅まで行き、前回も泊まったアロマホテルにチェックイン。0709韓国の旅 アロマホテル posted by (C)くま荷物を置いて、映画を見に繁華街に繰り出す。いつも海外旅行をすると映画を観るのだが、今回は一度も見ていなかったのだ。意地のようなものである。作品は9:10の最終に間に合った。「マイパート」と言う作品。ドラマ「私の名前はキム・サンスン」で脇役で出たダニエル・へニーが主演。1975年捨て子としてアメリカ人に育てられ、海兵隊員として韓国に入国。親探しをする。案外すぐに父親は見つかる。そこから、英語と韓国語でお互い言葉が分らないまま、すこしづつ分かり合っていくという話。みたいだ。今回の私の旅と重なるところがある。しかし、物語としては平凡であり、予定調和でもある。「キムサムソン」のもう一人の脇役であるチョン・リョオンもこのとき「二つの顔の彼女」でやはり主役を張っていた。二人ともうまい役者ではない。ドラマで人気が出るとすぐに映画で主役を張らせるというのでは、かえって韓国映画の未来に不安を感じた。0709韓国の旅 映画「マイパート」 posted by (C)くまこの日、遅い夕食を11:30に食べた。テジクッパである。長い長い一日が終わった。0709韓国の旅 遅い夕食 posted by (C)くま1,100(バス) 1,000(朝食) 1,100(バス) 1,500(宋山里入場料) 1,100(バス) 4,000(タクシー) 1,500(石器博物館入場料) 600(ジュース) 7,500(タクシー) 3,500(バス公州→大田) 13,000(昼食代) 3,000(コーヒー) 20,000(バス大田→釜山) 2,000(茶とお菓子) 1,300(地下鉄) 40,000(モーテル) 7,500(映画代) 5,000(夕食)
2008年07月25日
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今日は朝から平和行進に行っていました。今日の行進は家から比較的近い船穂町民会館出発ということもあり、1時間ちょっとあれば歩いていけるだろうと思い、余裕を持って朝出発したら1時間50分もかかってしまい、最初の10分ほど遅れてしまいました。しかも、遅れまいと思い走ったのが祟ったのか、一日中右ひざが痛くて、帰りのバスの中では足を引きずりながら歩かなくてはいけないほど。歳です。今年は平和行進50周年です。1958年、広島から東京へ、西本あつしさんと言う方が立った一人で歩き始めたのがきっかけだと聞いています。東京に着いたころには、一万人の行進になっていたそうです。ところが、この船穂で新しいことを聞きました。広島から歩いてきた西本さんに仲間が加わったのが、この玉島地区だということです。その最初のときに一緒に歩いたという女性のお子さんから船穂の出発集会で、カンパの贈呈がありました。彼女は三人目の行進者だったということです。船穂の公民館から歩き始めてすぐにその女性の家があり、毎年写真のような横断幕を張って行進者を励ましていたそうですが、去年なくなられたそうです。隣にいるのはその方のお子さん。この地区で20数年間平和行進をしている女性は「平和行進は、だから玉島が発祥の地なのよ。ここで平和行進として形をなしたのだから。」と言っていました。「記憶が定かなうちに早く歴史としてまとめてくださいよ」と注文しておきました。岡山の平和行進は毎回若い人が11日間の通し行進者として、名乗りを上げ、行進の歌のリードや、工夫を凝らしたシュプレをして盛り上げてくれています。今年の県名の通し行進者は若いイケメンのお兄さんでした。休憩時間にはお茶やアイス接待、昼休みにはソーメンとバラ寿司の接待がありました。
2008年07月24日
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その一の続きである。教会からは公山城の山が見える。0709韓国の旅 教会ら公山城方面を望む posted by (C)くまちっょとした小高い山である。武寧王陵の宋山里古墳群もそうだが、小高い山が聖地になりやすい。日本もその傾向がある。しかし日本と違うのは、日本の王陵のある場所は多くは自分の支配地域が見える場所なのであるが、宋山里古墳群からはその下の城下町は見ることが出来ない。山の奥に墓を隠す気持ちが働いたのだろうか。0709韓国の旅 忠清南道博物館 posted by (C)くま忠清南道博物館に入る。0709韓国の旅 青銅の冠 posted by (C)くま04年のときに発掘現場に訪れた水村里(スチョンリ)遺跡から発掘されたという、王がかぶったといわれる冠のレプリカを見る。そうか、こんな見事なものがあったのか!!0709韓国の旅 奴婢売買証書 posted by (C)くま歴史的な文書も多く展示されていた。近代の展示ではやはり日本の植民地時代の遺物が多い。よくわからなかったのだが、「奴婢売買証書」なるものがあった。0709韓国の旅 賞状 posted by (C)くま戦争で半強制的に財産を寄付された「賞状」。演劇「族譜」でも、水原の両班である薛鎮英も日本の軍隊に半年分の米を「寄付」していた。そういうことに応えるのは、このようなたった一枚の賞状だったのだろう。0709韓国の旅 679 posted by (C)くま「国民生活改善基準」。(例えば「今一年衣服新調見合」と書いている。)これらは、日本国民にも当時国家総動員法の下行なわれたものではあるが、民族的に強制させられたかどうかで、記憶はまったく違うものになるだろう。日本の場合と程度の差はどれほどだったのか。それこそ、いい歴史研究の材料ではある。幸いなことにこの時代の文章は日本語で書かれている。公文章はすべて日本語なのだ。「韓国は植民地ではなかった」とどこかの教育長がのたまったそうだが、ちゃんチャラおかしいと、私は思う。この博物館にもあったし、0709韓国の旅 公州二股の木 posted by (C)くま密陽の寺の前にもあったし、0709韓国の旅 密陽二股の木 posted by (C)くまほかのところでも見つけているのだが、韓国の木々の中に二股に分かれている木が多い。もしかしたらわざとその様に育てているのかもしれない。(決していやらしい意味ではなく^_^;)陰陽思想の実践なのだろうか。帰国後、ハングル講座の先生に尋ねると、果たしてそううであった。意味はよくわからないが、男と女、陰と陽、二つに分かれることで力を蓄えるということはあるのかもしれない。それが根元で一つになっているのだとしたらなおさらである。もと来た道を戻り、宋山里古墳群に行く。未盗掘だった武寧王陵其の他の王様の墓があるところである。以前来たときと比べて、今回はカメラのデータ容量が何倍にもなっている。写真は撮り放題だ。先ずは墓が出来るまでをジオラマの連続写真でお見せする。0709韓国の旅 702 posted by (C)くま0709韓国の旅 703 posted by (C)くま0709韓国の旅 704 posted by (C)くま0709韓国の旅 705 posted by (C)くま0709韓国の旅 706 posted by (C)くま日本の横穴式石室とはまったく違う豪華な作りです。中国の影響を受けたといわれている。これは再現された石室内部。0709韓国の旅 710 posted by (C)くまそして、これは資料室から出て見える、古墳群の近景。ぽっかり現代韓国の墓と同じような大きさ。しかし内部では、黄金の靴、等の豪華な装飾品で溢れていた。0709韓国の旅 729 posted by (C)くま6C-7C段階でのこの金細工。日本はまだまだ遅れた国であった。0709韓国の旅 713 posted by (C)くまやっぱりリスに遭遇。今回は相当近くに近づいても木の実を食べるのに夢中で、逃げない。0709韓国の旅 やっぱりリスがいた posted by (C)くまその三に続く
2008年07月24日
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9月9日(日)霧の朝になった。道に迷う。迷ったままに坂の上に登る。0709韓国の旅 645 posted by (C)くま迷路のような横道に入っていく。0709韓国の旅 646 posted by (C)くま霧に包まれた百済(ペッチュ)の町がやさしい。0709韓国の旅 648 posted by (C)くまこの町では煙突付きの家が目立つ。この地域の特徴なのだろうか。(オンドルようの煙突ではあるのだろうけど) 坂の上で途方にくれていると、日曜の朝に小用を済ませて車で帰ってきたお父さんが家の前でタバコをすっていたので、坂の上から指差して「忠清南道博物館はあの辺りですか」と訊ねる。地図の上では公山城の隣なのだが、観光用の地図なのでやはり相当いいかげんなのだ。(韓国語の説明ではこの男の能力ではとうてい分らんようだ)と判断したお父さんは「Can you speak English?」と聞いてきた。「A little」。そうすると、ペンを貸してくれ、というのでボールペンとメモ帳を渡す。簡単な地図を書きながら、説明をしてくれた。0709韓国の旅 846 posted by (C)くまよくわかりました。まるきり違うところを歩いていました。結局、大きな道路に出て、幾つかめの信号を左に行った所だった。0709韓国の旅 657 posted by (C)くま一つ分ったのは、40代のビジネスマンにとって、いまや常識は日本語よりも英語なのだろう、ということだ。実は今日はもう一度40代の男性から英語で話しかけられた。忠清南道博物館に行くと、開館までにはもう少し時間があったので、その隣にある1934年に建てられた古い教会に行った。0709韓国の旅 656 posted by (C)くまそうすると、男の人がやってきて、ドアの張り紙を見て「信者の方ですか」と韓国語で話しかけてきた(ように思えた)。「違います。私は日本人でよく知らないんです。」と応えると、男はやはり「Can you speak English?」と聞いてきた。そうしてこの教会のことを簡単に教えてくれた。「今日はミサが休みだということを忘れていたんですよ」と言って頭をかく。「はあ‥‥‥」とやはり正確には聞き取れないので、曖昧に頷いて別れた。0709韓国の旅 652 posted by (C)くま朝食はキムパブ天国でキムパブ(1000W)。温かくて美味しかった。店によって、美味しさにも差があることが判明。
2008年07月23日
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バスは、7Cに百済の都であった熊津(公州)に近づく。壇君神話が残っているらしく、橋の飾りは珍しく「熊」である。0709韓国の旅 575 posted by (C)くま錦江の河川敷では運動会をしていた。0709韓国の旅 574 posted by (C)くま小さいバスターミナルに付く。歩いていくとすっかり迷った。自分のいる場所が分らないのだ。タクシーを捕まえて、観光案内所まで、と言うと、不審な顔をしながら200M先まで連れて行ってくれた。そんな近くだったのか!!なんとお金は要らない、と言う。タクシーで親切にされたのは、数えるぐらいしかない。こんな人もいるんだ。観光案内所のすぐそばの公州城ではちょうど観光用の閲覧の儀式をしていて、外からでも見ることができた。0709韓国の旅 576 posted by (C)くま観光案内所で地図を貰う。迷いはしたが、これでも二度目の公州なのである。(以前の旅についてはここ。ここで訪ねた水村里遺跡の遺物がどのような位置づけになったかと言うことは、この次の日に分ることになる)今回は、以前行ったことのないところを中心に回ろうと決めていた。先ずは、モーテルを決めて荷物を降ろして、国立博物館を目指す。04年に来たときには、まだ建築中で残念な思いをしたのである。バスで、武寧王陵の前までいく。店のオバサンに博物館の場所を聞くと、「あっち」だという。しかし、その方向に10分くらい歩いてもそれらしきものはない。また戻ってよーく聞くと一キロぐらい離れたところにあるらしい。地図では隣に書いているので、すっかり騙される。道理で観光案内所の人が武寧王陵からタクシーに乗りなさい、と言ったはずだ。けれども歩いていく。近代的なビルの公州国立博物館に30分くらい歩いて着いた。0709韓国の旅 580 posted by (C)くま博物館は武寧王コーナーと熊津の歴史コーナーとの二本立て。0709韓国の旅 583 posted by (C)くま熊津の歴史が興味深かった。ここの博物館では、珍しく説明版には英語と同時に日本語の説明がついている。0709韓国の旅 596 posted by (C)くま観覧が終わってまたとぼとぼと夕暮れの公州を歩く。武寧王陵があった辺りを西から眺める。公州は周りを高い山で囲まれ、中心を錦江が流れ、小さな丘は聖地になっている。なんでもない丘なのだが、そこは王陵になり、城がある。百済は昔の倭人から見ると、現代のニューヨークみたいなところである。昔の面影はいまはほとんどないが、自然の山々や草花だけは当時のままだろう。などと言うようなことを考えながら作ったのが以前書いた記事ではある。(「悠久の歴史に想い馳せ」参照)夕食は宿の近くの焼き肉屋に寄った。メニューにポシンタン(犬鍋料理)を見つける。写真のメニューの一番上にある8000Wの料理がそうです。(これ以降の記事に不快を感じる方はおられるかもしれません。私自身は悪いとは全然思っていません。ご意見は拝聴します。)ずーと食べたかったのだけど、街中の店は一人客には冷たいので食べさせてくれないのである。この店の人は快く一人でも応じてくれた。値段も安いし、明るい店だし、ラッキーだった。0709韓国の旅 634 posted by (C)くま料理がでてくると、漬け汁の作り方を教えてくれた。塩コショーにコチジャン?と酢を混ぜるらしい。臭い消しなのだろう。けれども食べると、唐辛子の刺激が強くて、全然くさくない。犬の肉には二つの部位がある。ひとつは筋肉質。これは鶏肉と牛肉のあいのこみたい。もうひとつは皮の部分。鯨の皮の部分と同じ。これはプリプリして、一昨日食べたスンデみたい。美味しかった。犬肉は強壮の源だと言われている。効いただろうか。0709韓国の旅 637 posted by (C)くま4,000(朝食) 30,000(博物館図録) 2,500(学食) 600(ジュース) 2,500(トースト) 1,000(みやげ) 7,500(バスソウル→公州) 1,100(バス) 1,000(博物館入場料) 7,000(みやげ) 1,100(バス) 11,000(ポシンタンとビール) 25,000(モーテル)
2008年07月22日
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久しぶりに韓国旅行旅日記の残りを書きます。今までの話は左のカテゴリーの「韓国の旅2」を参照ください。フォト蔵の写真を使っているので、クリックすれば二倍くらいに大きくなります。9月8日(土)今日は少しだけ早起きが出来た。快晴。先ずは「離れ部屋」(私の記事「次回の旅ではこの小説の舞台めぐりをしようと思う」参照)の舞台、九老駅に行くことにする。駅の前に繊維工場が続いている、というイメージだったのだが、着いてみると目の前に広がるのは住宅団地だった。0709韓国の旅 505 posted by (C)くま人の流れは団地から駅に向かう人ばかりで、駅前に人はたむろしていない‥‥‥してなくて当然、今日は土曜日だった。駅から大林駅までとりあえず歩いてみる。行き当たりの食堂に入ってカルククス(アサリうどん)を頼む。不味かった。副菜を全部残す。私としては異例のことではある。0709韓国の旅 510 posted by (C)くまでもこれこそが下町の味なのかもしれない。隣では行商を終えたばかりのような女性がキムチチゲを頼んでいた。0709韓国の旅 511 posted by (C)くまソウル大学によることにした。ソウル大駅前からバスに乗ろうとすると、山歩きの格好をした人たちが列を成していた。バスがどれも満員である。せっかくの晴れの土曜日、と言うことで登山客なのである。韓国のハイキング熱はすさまじい。ソウル大学はさすがに今まで一番大きい大学だった。門のところに案内所があって専門の人がいる。おかげで今回は迷わずに大学博物館までいけた。ここは、国立博物館を除いて、ソウル市内では一番充実した博物館である。0709韓国の旅 517 posted by (C)くま小学生の団体が見学に来ていた。0709韓国の旅 556 posted by (C)くまここはソウル市内で発掘された遺物の展示に詳しい。説明板の中の細かな解説は分らない。0709韓国の旅 552 posted by (C)くまよって、少し迷ったけれども図録を買った。値段の30000Wを悩んだのではなくて、リュックが重くなるのを悩んだのである。約一キロ、荷物が増えた。まあ、あと2日だ、我慢しよう。買う、と受付の人に言ったら、ずいぶん驚いて、しばらく待ったので、もしかしたら日本でソウル大学博物館の図録を持っているのは数えるぐらいしかいないのでは、と推測する。希望の方には、時代ごと写真に写してメールで送ることぐらいは出来ますよ。0709韓国の旅 567 posted by (C)くま学食で定食を食べた。2500Wのチケットを買ってセルフサービス、セルフ片付けである。日本とシステムは同じであるが、違うのはメニューが一つしかないのと、カクテキキムチは取りほうだいなところか。0709韓国の旅 565 posted by (C)くま学生と教授が三々五々食べに来ていた。おかずは美味しかった。全部頂きました。0709韓国の旅 564 posted by (C)くま大きい大学なので、もちろん大学内にたくさんの停留所がある。その一つの近くに、学生が書いたと思われるスローガンがあった。大学はこうでなくちゃ。書いていることもなかなかである。わたしの拙い訳では「615時代に逆行する国家保安法撤廃せよ」である。釜山、蔚山の大学等、三つの大学を見てわかったことは、韓国には立て看板は存在しないということである。すべて張り布で主張するのだ。0709韓国の旅 570 posted by (C)くま駅に戻り、電車で南部バスターミナルに行く。公州のチケットを買う。口が寂しいので、ついトーストとお茶を買った。0709韓国の旅 572 posted by (C)くまその二に続く
2008年07月21日
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今朝子の本音トークが小気味いい、「今朝子の晩ごはん」を読んだ。今朝子の晩ごはんポプラ文庫 松井今朝子どうやらあさのあつこの文庫書下ろしと並ぶ、ポプラ文庫の「売り」のためのシリーズらしい。新直木賞作家の日常生活をつづった公式ホームページの日記を文庫にしたのだそうだ。私としては、巻末に「解説漫画 萩尾望都」の文字を見て、購入。ガラパゴス旅行記になっていた。二人とも亀好きなのである。どうやら今朝子さんは京都祇園の老舗料亭の娘らしく、いくつかの晩ごはんは羨ましく、いくつかは試してみたいようなものになっている。彼女の趣味や嗜好の半分近くは私の嗜好と重なっており、特に石原嫌いのところなんか小気味良くてよろしい。あと、例えば映画「太陽」の簡単なコメントが載っていたが、「「人格」を奪われていた天皇を「子供みたいな人」としか描けない映画の不備」を指摘するなど、非常に鋭い。楽しみながら読めるエッセイ集だった。考えたら、ホームページがあるのだから、それを紹介すれば中味の紹介も出来る。と、いうことで、まだ文庫本になっていない部分ではあるが、適当に選んでコピーしてみる。安倍のドタキャン降板のところはこうかいている。2007年9月14日の日記次期首相はどうやら福田氏で決まりのようだが、同じ毛並みが良いだけのボンクラなら、人柄がいい分まだ前のほうがマシだったという結果を招いてはなるまいと崖っぷちに立った自民党は判断した上で、性根の歪みが唇にあらわれている幹事長よりは、シニカルな腹話術人形(みたいな顔である)を選んだに違いない。この「シニカルな腹話術人形」という福田像については、「まさにその通り」という感じであり、改めて、小説家らしい目の鋭さを感じた。「性根の歪みが唇にあらわれている幹事長」とは、もちろん麻生氏のことではある。鋭さに関していえば、つい数日前の7月14日の日記には、ここ連日TVの報道番組では大分県の教員採用をめぐる汚職事件が取りあげられているが、私自身は教職も取らなかったし、子どももいないので、正直言ってこれまで学校の先生にはどんな人がなってるのかという興味すら持ったことがなかったのだけれど、今日のNHK7時のニュースで「教師には世襲が多いから」という発言があって、それはすでに世間の常識なんだろうなあと思いつつ、へえ~そうだったんだ~と呆れてしまった。そもそも人から師と仰がれるべき人物がそう沢山いるはずはないので、近代を出発点とした学校教育というものに過度な期待をしてはならないし、すでにその本来的な使命は終了していると私は常々思っているが、近代を出発点にしているからこそ、議会の議員と学校教師は「世襲」からほど遠い存在で本来あるべきはずだったのではなかろうか。なぜなら「世襲」というシステムは狭く閉じられた社会を維持するのに有効な方法であり、閉じられた社会での特殊なコミュニケーションで成り立つのに対して、議員と教師はより広く普遍的なコミュニケーションを目指した職業だからであることは今さらいうまでもない。はっきり言って、まさかそんな人ばかりではないと信じてはいるけれど、ひょっとして親の職業以外の職業が思いつかないほど好奇心や発想力に乏しい人が議員だの教師だのになられてちゃたまらんぜ!という気持ちになりました。下線の部分は非常に鋭く、いかにも江戸時代を舞台にしたし小説を書いている方らしいコメントでした。
2008年07月20日
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映画を観た、と言う感じがした。興奮した。監督・脚本 : 原田眞人 原作 : 横山秀夫 脚本 : 加藤正人 、 成島出 出演 : 堤真一 、 堺雅人 、 尾野真千子 、 高嶋政宏 、 山崎努 昔、新聞記者になりたかった。理由は本が好きだから、それに関することで食っていきたかったから、という単純なもので、小説家にはなれないだろうから、可能性がまだ高い新聞記者「にでも」なろうとしたわけだ(^_^;)。就職試験で一顧だにされなかった。当たり前である。ただ、大学時代に新聞作りをした。そのとき、創作活動である小説家の類とはまったく次元の違う職業であることには気がついた。ともかく「足で書け」といわれた。映画の中で、現場の記事が間に合いそうにない段階で、共同通信の記事をテレビ放送を見ながら加工して書こうとしているのを、悠木が「そんなみっともないマネはするな」と罵倒する場面がある。自分の目で見た事実でもって勝負する、それが記者魂である。だからこそ、「雑感」をめぐる悠木と現場記者と局長たちとの葛藤が生まれるのであり、映画はうまく描いていたと思う。「日航全権悠木」と黒板に書かれた文字をめぐるエピソードは映画ならではの処理であり、素晴らしい。冒頭の雑然とした新聞社の雰囲気は、見事だった。あれは映画魂をくすぐられる。新聞は時間との闘いである。そして、心を動かす「事実」には振り回される。いわゆるスクープネタに関しては、最終的には新聞社一致団結して「抜こう」とする。「事実」には振り回されるが、「事実」の持つ力を信じているからこそ、でもある。最後の堺雅人が読み上げる、落ちていく飛行機の中で書かれた父親の遺書のことは、誰もが覚えている。あのあと悠木がどのような行動をとったかは、分らないが、あの記事をいかに読者に届けるか、頭の中でイメージして、それを作る快感に浸りたいと思ったということだけは確かだろう。原作は大好きな一作である。現代の新聞記者小説ではこの作品がベストだと思っている。映画ではいくつか設定を変えている。悠木は社長の私生児だとにおわすようなところがあり、社長(山崎務)の性格描写にかなり時間をかけている。それもラストに向けての伏線であり、納得は出来る。原作で、最後のヤマとなる遺族感情を逆なでにする投稿の掲載の是非についてのエピソードはすっかり抜け落ちている。その代わり、ダブルチェックに異様に拘る悠木のエピソードを入れている。(わざわざニュージーランドロケまでする必要はないとは思うが)全体的に原作の泥臭さは薄れ、すっきりとテーマが見える作品になった。尾野真千子をよくぞ起用した。彼女は化けると思う。堤真一、堺雅人、山崎努はさすが、である。
2008年07月19日
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昨日は休みだったので、散歩がてら真備町をぶらぶらしてきました。この地名はもちろん奈良時代に右大臣にまでなった吉備真備にちなんだ地名です。真備町は吉備の国の中心地である総社市より高梁川をはさんで西にある小田川流域に位置します。真備公園に車を止めて、その隣にある資料館に入って見ます。吉備の真備は生涯二度遣唐使として、中国に渡りますが、その船の復元が展示されていました。初めて吉備真備の生涯を見ました。吉備真備(ウィキ参照)なんとも凄い波乱万丈の人生です。命からがらの遣唐使二回もすごいですが、750年藤原広嗣が反乱左遷。鑑真の招聘。756年に新羅に対する防衛のため筑前に怡土城を築き、764年(天平宝字8年)には造東大寺長官に任ぜられ、70歳で帰京した。そして恵美押勝(藤原仲麻呂)が反乱80歳、政治家として死んでいる。ほんとうに80歳まで生きたのだろうか。今なら十分ありえるが、昔は奇跡的だったのではないか。どうしてこの時代、地方の豪族である吉備氏がここまで出世したのだろうか。散歩してわかったことは、小田川の水の豊富さ、低い山々と豊かな平地、交通の便、近くに藤原遺跡があり鉄の産地だったこと、大和から来た王子の吉備武彦の子孫であったのでたぶん大和王朝の遠い子孫だったのだろう。裕福な土地だったのだ。結局吉備から見たら、侵略者の子孫なのではある。しかし、長い間に彼らは土地の人間になる。五世紀には、雄略天皇による弾圧があったことも知られている。そして七世紀末から八世紀にかけて、一人の秀才を中央政治に送り込むことに成功したというわけだ。資料館を見た後、箭田大塚古墳を見に行った。非常に大きい石室を持つ横穴式の円墳である。6世紀末から7世紀にかけての築造。吉備真備たちの一族(下道氏)の有力首長の墓だったのではないか。吉備真備を生み出す数代前の実力者だったのだろう。そこから一キロも歩かないうちに、吉備真備が産湯を使ったという井戸があった。吉備地方には、日本書紀とは、180度違う日本列島の政治史がある。2世紀から8世紀にかけて、アジア全体を巻き込んだ歴史がある。雄略天皇に対抗して新羅と組んだという噂もある。2-3世紀ころには、朝鮮半島南の鉄の産地と交流があり、そこから鉄の技術を盗んだというのが私の考えである。(すみません学術的でなくて)3世紀までの弥生時代に私は興味はあるのですが、それ以降の歴史にも最近は興味を持ち始めました。地方から見える歴史がある。私のライフワーク(立ち消えになる可能性も十分!!)のひとつです(^_^;)
2008年07月17日
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咳。脇腹に、槍が来た。避け切れなかった。躰に、なにか生きたものが入ってきたような感じだった。突き返す。前に出る。さらに出る。部下は付いてくる。押し返してくる力が、いくらか弱くなっている。そう思ったとき、また咳が続けざまに出た。腹と胸を突かれた。 躰に残っている力のすべてを、陳達は搾り出した。五人、六人と突き倒し、打ち倒す。咳が出て、口から血を吹き出したが、構わなかった。血を噴きながら、前に出た。 視界が歪んだようになった。その視界の中で、敵は潰走を始めていた。押せっ。言おうとしたが、声は出なかった。 このあたりかな、と陳達は思った。俺としては、よくやった。無法者が、字も読めない者が、宋を倒す戦に加わった。よく闘ったような気がする。悔いることはほとんどない。このあたりだ、やっぱり。陳達は呟いていた。 潰走する敵が遠くなった。水滸伝(19(旌旗の章)) 最終巻である。この巻はほとんど戦いの描写になる。そして次々と梁山泊の英雄たちは死んでいく。 陳達は最初の方から、梁山泊の一翼を担い戦ってきた将校である。最初山賊だった頃の仲間は、史進にしろ、朱武にしろ、陽春にしろ、梁山泊で非常に大きな役割を持つようになった。自分には能力がないのだと思っている。しかし、陳達の死は本当は大きなものだった。もう彼に代わるような1000人以上を指揮できるような将校は梁山泊にはいなかったのである。陳達はおそらく、重度の結核をわずらっていた。しかし、病ではなく闘いで死ねた。「このあたりだ、やっぱり」と死んでいくのは、そして惜しまれて死んでいくのは、男としての憧れではある。最終巻の構成は思っていたものとは違っていた。梁山泊の英雄がたくさん死ぬのはいい。そもそもその様な構成の物語だからた。しかし、そのときには出来たら、最強の敵を、あるいはせめて青蓮寺の「あいつ」だけは、死んで欲しかった。ところが、生き残る。後でわかったことなのだが、北方謙三氏は、この水滸伝の時制を「初めから」10年早く設定していたらしい。つまり、梁山泊がなくなっても、その息子や娘たちの代になって宋が壊滅するまで物語を書きつなげようと、最初から構想していたということなのだ。つまり、「水滸伝」は終わるが、物語の構成として、まさにここから本当の物語が始まる、と言うようになっているのである。なるほど、負けて終わる物語ではなかった。最初から、革命小説として構成されていたのだ、と私は勝手に推測した。堕ちていく梁山泊の中で、宋江は楊令に「替天行動」の旗を託す。「この旗がおまえの心に光を当てる。」「ほんとうに?」「漢たちの血と思いが滲んでいる。」(略)「死ぬぞ、その旗を持つ限り。あらゆる人の世の苦しみも、背負うことになる。しかし、心に光を当ててくれる。」今連載中の「楊令伝」が終了するのはおそらくあと三年後だろう。全10巻だといっているが、そんな約束が守られるはずがない。17巻ぐらいいくのではないか。そしておそらくそのころから文庫版の刊行が始まる。それまではしばらく待っていようと思う。
2008年07月16日
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監督 篠原哲雄 原作 藤沢周平(「時雨みち」) 脚本 飯田健三郎、長谷川康夫 キャスト 田中麗奈、東山紀之、篠田三郎、檀ふみ、村井国夫、富司純子うーむ、悪くはないんだけどなあ。少し冗長に撮りすぎという感じがする。藤沢周平ファンにとっては、おなじみの展開。たとえば、山桜の場面をあれほど何度も繰り返す必要があったのか。東山の牢の中で端正に座っている場面をあれほどずっと描く必要があったのか。それを「丁寧に」ととるか「冗長に」ととるかはまた人それぞれなのだろうけど。それぞれはよく演じているという感じがするのだけど、「演じている」と思ってしまうのは、やはりその映画に入り込めていなかったんだろうな。
2008年07月16日
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月一回のお話シネマの会に行ったら「この映画はよかったよ」とお話ししているじゃありませんか。「えっ、気がつかなかった。」というと、どうやら岡山に二軒あるシネマコンプレックスのもう一つのほうでしているらしい。トミー・リー・ジョーンズがオスカーを取り損ねたのは知っていたのですが、なんとシャーリーズ・セロン様も出演しているらしい。万難を排して、観に行かせてもらいました。監督・脚本・製作 : ポール・ハギス 出演 : トミー・リー・ジョーンズ 、 シャーリーズ・セロン 、 スーザン・サランドン 、 ジエームズ・フランコ 、 ジェイソン・パトリックなんと監督はオスカー常連脚本・監督家のポール・ハギス。さすがに、隙のない社会派サスペンスになっていました。この映画はイラク戦争反対を訴えるための映画だと一般的には言われていて、実際そうなのですが、一瞬の「勇気」とずっと背負い続ける「責任」、「ミリオンダラー・ベイビー」でも、「クラッシュ」でも扱われたテーマがここでも扱われています。薔薇豪城さんが、九条の会で見た「米軍によるイラク市民無差別殺戮を証言した海兵隊員」のDVD内容を紹介しています。そして開戦、彼はイラク人の殺戮に加わり、選択肢は「狂う」か「合理化」する(機械的になる?)の2つしかなかった、といいます。 市民はテロリストの可能性があると教えられ、ある距離まで近づくイラン人は、たとえ幼児でも殺さなければならなかったと。 アメリカの若者は学校に行くために殆どが借金を背負っており、卒業しても不景気で就職口がない。海兵隊に入ることを勧められると、貧しい若者はとびつくのだそうです。 ジミーは、昼間は気を紛らわせていられるが、夜になると殺したイラン人の顔が浮かんで来て逃げられない。 子どもの頃に見た夢は楽しいものだったのに、今見るのは悪夢ばかり。ジミーは勇気を持って、(アメリカ本国ではアメリカ政府のプロパガンダによって、精神を病んでいるという宣伝をされているそうだか)証言をした。一方、この映画に出てくる若者たちは(私たちに責める資格はないとは思うが)勇気を持てずに自滅していった。ポールハギスの描き方がわかってきた。本当に見せたいことはチラリとだけ出す。そして一見関係のない物語に「本当に言いたいこと」を託すのである。それが、ここではダビデの神話なのだろう。シャーリーズ・セロン様は目に隈をしながら、美しく凛として、頑張っておられました。
2008年07月15日
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土日と用事で京都に行っていました。現在京都の街中は祇園祭の準備で特別な雰囲気があります。こんちきんちん、こんちきちきちん、と音楽テープが流れ、四条通りには長刀鉾が大まか組みあがっていました。日曜日の京都新聞の祇園祭特集によると、かつての祇園祭は「祇園御霊会」と呼ばれる疫病退散、厄除けを祈願する祭りだったが、徐々に宗教的要素は薄れてきた。(たくさんある鉾のひとつの)伯牙山のテーマも、人間の行き方を問うたもの。(注 琴の名手伯牙が、自分の理解者の友人の死を嘆いて、大事な琴をかち割ったと言う故事ちなんだ。らしい)「祇園祭は、日常の世界と違って神々の世界。日本人の精神のあり方をいろんな視点で提示しているように見える。」と米国生まれのジャーナリストC.パワサライトさんは言う。のだそうです。そういえば、日曜の朝散歩していくつかの鉾を見ました。「鯉山」の鉾の説明書きには、黄河中流「龍門の滝」を登った鯉は龍と化すという伝説にちなんだらしい。水引・前掛け・胴掛け・見送はベルギー製の毛織で重要文化財。見送はホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ王を描く。のだそうです。なんか鉾一つで複雑な精神世界を描いているようです。写真は、まだ組上げ途中の「鯉山」。朝早くから、地域の人たちがいろいろ準備に飛び回っていました。普段見ない京都の町の人々を見たようで興味深かったです。17日から各鉾の巡行が始まります。四条烏丸駅から地上に上がると、「THE BIG ISSUE」最新版を売っているお兄さんが佇んでいました。即買いです。都会に出ないと買えない雑誌。ホームレスの方の売人と出会わないと買えない雑誌。一期一会の雑誌なのです。この前に買ったのは去年の三月。この一年間に200円から300円に値上がりしていました。少しページが多くなったかな。このうちの160円が販売者の収入になるのだそうですが、そんなこと関係なしに相変わらず濃い内容の雑誌です。読み応えあり。詳しくはリンク先の記事を見ていただくとして、読者の声欄に「ちょっといい話」あるいは「考えさせる話」が載っていました。「こっそりビッグイシュー」母の付き添いで横浜の病院に行くのですが、待合室に本箱があって、ビッグイシューを私がこっそり置いています。この病院は年配の女性患者が多いので、社会問題や若者の気持ちなどを知ってほしいと思い、やりました。4ヵ月前から試していますが、病院はビッグイシューを捨てずにいます。これからもこっそり置いていくつもりです。(洋一/32歳/フリーター/東京都)「病院はビッグイシューを捨てずにいます。」と書くところに、彼のこれまでの人生までも垣間見えるような気がして、この全体にやさしさに溢れた投稿に感動しました。祇園祭特集に記事は、このように続いています。病にかかる不安を取り除く役割をになった当初の祇園祭は、もっと幅広い世界での精神の救済、豊かな社会の招来を願う祭り祭へと姿を変えている。それは京都市民だけでなく、万人の想いでもあります。
2008年07月14日
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講談社BOOK倶楽部というのがあって、そこのメーリングリストのアンケートに答えると、見本用の(要らなくなった)本のプレゼントがある。今まで二回当たった。けれども、ほしいと思っていた本に限って当たらないというのが玉に瑕。このアンケートの結果が、読書すきには興味深くて、例えば寝る前に本を読みますか? ・毎日読む…27% ・読むことが多い…39% ・読まないことが多い…20% ・ほとんど読まない…14% ・読んだことがない…1%ちなみに、私はほとんど読まない。中学生高校のころは毎日寝る前に読んでいた。たぶんその精で右目と左目の視力が違っている。片方の目が近視になるのである。コミックはどれくらいお持ちですか? (回答の多い順 BEST5)・0冊…62人 ・50冊…59人 ・100冊…58人 ・300冊…43人 ・200冊…41人 (以下 超省略)ちなみに、キリ番は⇒ 1,000冊…16人、2,000冊…2人、3,000冊…2人ちなみに私はたぶん1000冊としたはず。本当はもっとあるかもしれない。倉庫の奥底に眠っている。大学生のおり、古本屋巡りが趣味で、私の眼鏡にかなった漫画を片っ端から買っていった。社会人になってもしばらくは買い続けた。奇想天外コミックスの坂口尚シリーズとか、諸星大二郎とか、サンコミックスの鉄腕アトムシリーズとか‥‥‥。(もちろん薔薇豪城さんお勧めの「じゃリン子チエ」も30巻ぐらいまでは即買いしていたと思う。)やがてこの本が50万くらいの財産になると説得して倉庫に置かせてもらっているのだが、20年以上たった今その考えは甘かったと認めざるを得ない。坂口尚「たつまきを売る老人」のヤフーオークションで保存状態が良くて帯まで付いている本が未だに定価480円のところ300円の価値しかついていない。たぶん私のあのコレクションのほとんどは古本市場にもっていけば、一冊10円か、あるいは引き取ってもらえないようになっているのだろうな、と思う。このアンケートに答える人は、わりと本好きばかりが集まっていて、年間100冊は当たり前。200冊、300冊はざらにいたと思う。おっと、本題である。と、いうわけでアンケートに答えてこんな本が当たりました。がん治療の常識・非常識田中秀一(講談社ブルーバックス)医療技術の進歩は目覚ましく、「がんは治る病気になった」といわれる。私もなんとなくそう思っていた。しかしこの数十年間がん治療はほとんど進歩していない。のだそうだ。この数十年間、多くのがんの治療成績はほとんど改善しておらず、がんの死亡率もあまり変化していない。延命率が上がった、とかけばガンが治る率が上がったと思うかもしれないが、数ヶ月死ぬのが遅くなったのに過ぎない。しかもこの間のがん検診の広がりで、本来気がついていないがんが早期に発見されて、結果発見から死ぬまでの期間が以前より長くなったのは、早期発見が多くなったからに過ぎない、というデータ。あるいは、多くの臓器を摘出する拡大手術の試みも目立った成果を残すことができず、進行がんの、事実上唯一の治療法となる抗がん剤療法で治るがんは全体の数%にすぎない。一方で、手術に匹敵する治療効果のある放射線治療は冷遇されている。新聞記者らしいセンセーショナルな書き方で、すらすらと読める。これで、がん治療の基礎知識を得ようとすると、少し無理があるかもしれないが、まあ一つの見方を養う上では良かったと思う。
2008年07月12日
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「黄金の都はどこにあったんだ?」「彼らの言葉では黄金はお宝とも意味している。」「彼らのお宝は、知識だったんだ。」最後のキメ台詞ですが、別に大きなネタバレじゃないですから、いいですよね。監督 : スティーブン・スピルバーグ 原案・製作総指揮 : ジョージ・ルーカス 出演 : ハリソン・フォード 、 シャイア・ラブーフ 、 ケイト・ブランシェット 、 カレン・アレン 、 ジョン・ハート 、 レイ・ウィンストン 純粋「あー楽しかった」で終わる映画。それに徹しているので、楽しくみました。けれども、ハリウッド映画のお約束なのですが、どうもアメリカ人は原爆とは「大きな爆弾」だと勘違いしているらしい。あんな至近距離で、放射線をもろに浴びたらただで済むはずないでしょ。あの時点で、このシリーズはこれが最終章だなあ、と思ってしまいましたよ。あと、最初のお宝争奪戦と本筋のお宝がどのようにリンクしているのか、わかりませんでした。ほかの方のブログを見ながら、勉強したいと思います。
2008年07月11日
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この前、真中に「檄」と書いた寄せ書きの布を見て、職場の知り合いが言いました。「あれは何と読むの?」「げきに決まっているじゃない。檄文とかいうでしょ。」「知らない。」「檄を飛ばす、ともいうじゃない。」「あれは激と書くんじゃなかったけ。」「うっ…。いや、これでいいんだよ。たぶん…。」 というわけで調べてみました。「闇黒日記」からです。 詳しくはお読みください。結論的には私が正しかったのですが、職場で目標がいっていない部下たちに対して上司が「檄を飛ばす」という用法がはたして正しいかどうかは、広辞苑第五版と新明解国語辞典では見解が正反対に分かれているということが判明しました。 広辞苑を「日和見」だといっていいのか。「柔軟」だといっていいのか。「闇黒日記」氏は前者ですが、私は果たして後者です。さて、「檄」の本来の意味はこのページによると、1.ふれぶみ。 めしぶみ。まわしぶみ。昔、役所から人民を呼び集めるために出した木札の文書。 皆に知らせるために出す回状や通信。 2.敵の悪い点を書き、味方の正しい点を人に知らせる文書。だそうです。昔は木札になったから、木編になったのでしょう。現在ならHPでしょうか。こういう「檄」があります。市民サミットむ2008の宣言です。まさしく檄文です。ぜひとも皆に知らせたい。札幌宣言~世界の貧困をなくすための市民の声~Sapporo Declaration: Global Voices to End Povertyさわりだけ載せます。私たちの生きる世界は不公正な世界である。わずか2%の最も裕福な人びとが世界の富の半分を享受する一方で、貧しい側の半分の人びとが世界の1%の富を分け合う世界。10億以上の人びとが今なお、1日1ドル未満で生きざるを得ない世界。食べ物はあるのに、人々が飢えている世界。薬はあるのに、予防・治療が可能な原因で人々の命が奪われる世界。資金はあるのに、人々が、とりわけ周縁化された人々が、貧困によって死にゆく世界。これが私たちの生きる世界である。
2008年07月10日
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さまよう刃東野圭吾(角川文庫)長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって蹂躪された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の復讐に乗り出した。[BOOKデータベースより]長峰は犯人の部屋で娘を陵辱したテープを見つける。そのときに少年が帰ってきた。激しい怒りがこみ上げてきた。同時に急速に手足が冷えていくのを覚えた。長峰の心の奥底に潜んでいた何かが、彼自身でさえその存在を自覚したことのなかった何かが、むっくりと頭をもたげた。それはたった今まで彼の胸中を支配していた悲しみの感情を、ぐいと隅に押しやった。犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎える―。重く哀しいテーマに挑んだ、心を揺さぶる傑作長編。[BOOKデータベースより]いくつかのブログをみさせてもらった。みんな、長峰に同情的である。最初の殺人こそは衝動的であったが、もう一人の犯人の少年を追うのは、非常に理性的、計画的である。けれども、多くの人は長峰に同情的である。少年法の厳罰化を望む人も少なくはない。こう書いたからといって、私はその人たちに反対するわけではない。最初の殺人、あのようなシチュエーションで犯人が目の前にあれば、それは殺してしまうでしょ、とは思ってしまう。私には娘や息子はいないので、自分に置き換えるわけには行かないが、けれども第二の殺人のためにすべてを投げ出した主人公を匿ってしまう、かもしれないとさえ思う。それだけ被害者の親の感情を説得力ある筆致で描くリアリティのある小説だった。長峰を匿うペンションオーナーの和佳子の存在が救いだったと書くブロガーも少なからずいた。和佳子は一方で長峰を説得する。自首して裁判で少年法や世の中のあり方について問いただすことが出来るのはこの事件で注目を集めている長峰さんにしかできないと説得する。しかし、作者は和佳子の存在を肯定的に描いているわけではない。結局彼女の発した言葉で悲劇を生むのであるから。結局小説らしく、悲劇だけを残して、問いかけだけを残して物語を終わらせている。長峰の「感情」は理解できる。けれども少年法の厳罰化を望むかといえば、話は別である。実は今年6月11日、秋葉原事件ですっかり陰に隠れてしまったが、少年法が変わっている。改正少年法が成立 被害者、遺族ら傍聴可能に(共同通信社) 原則非公開の少年審判で、殺人などの重大事件について犯罪被害者や遺族の傍聴を認める改正少年法が11日午前の参院本会議で、自民、公明、民主各党などの賛成多数で可決、成立した。 改正少年法は「殺人など他人を死傷させた重大事件」を対象に、家裁が加害少年の年齢や心身の状態などを考慮し傍聴を許可する内容。被害者らが不安や緊張を感じる恐れがある場合は、弁護士や支援者の付き添いも認める。施行日は政令で指定し、公布から6カ月以内。少年法の厳罰化ではない。けれども「少年の更生」を趣旨とした家庭裁判所の裁判で、柔軟な対応が難しくなる可能性はあるだろう。ブログ「杉浦ひとみの瞳」で弁護士の杉浦さんは少年法改正は拙速ではいけないで、問題点の第一にそれを挙げています。詳しくは読んで頂きたい。ここは議論のあるところでしょう。私は杉浦さんの主張を支持する。この小説を読んで長峰の「感情」に寄り添ったものならば、第二第三の問題点の方に注目していただきたい。「これまで加害少年と会う機会など与えられてこなかった法制度が変わり、加害少年の審判を見届けることができるとするならば、親はどんなに辛くても行くのではないでしょうか。「お母さんが見届けてきてあげるから」となるのではないかと思います(これは想像です)。でも、ある精神科医に話したところ、「それは無茶なこと。被害者の精神状態は大変なものになるだろう、自殺の危険性だってあるかも知れない。」と強く反対をされました」と杉浦さんは言います。最終調整で「被害者らが不安や緊張を感じる恐れがある場合は、弁護士や支援者の付き添いも認める。」とはなったが、小説を読んだ者にとって、それがあまり意味のあることとは思えない。さらに、「ご存じでしょうか?審判廷というのは5メートル四方くらいの狭い空間です。畳の部屋にすれば、15~16畳くらいでしょうか。ここに裁判官と、書記官、調査官と、少年、その保護者、付添人(弁護士)が入ります。そして、この狭い空間に被害者のかたが同席することになります。子どもが殺されて49日で、目の前にその犯人の(と疑われている)少年がいるわけです。思いも寄らない行動にでる衝動に駆られることはむしろ必然ではないでしょうか。」と杉浦さんは言います。小説のカイジのようにどんなひどい人間でも、少年である限りは数年後に出所できるわけです。小説的には自分の身体を凶器と化してでも飛びついて犯人を殺そうとする親が出現してもおかしくはないと思います。単に今まで被害者の親のことはほとんど考えていなかったから、一部の被害者の言い分をそのまま認めました、と言う法律の作り方は、背景に「想像力の貧困」がある。それが結局昨今の「法の厳罰化」「自己責任」に結びついている。小説を読むことは「想像力の貧困」を打ち破る手助けになる。とにもかくにも法は成立してしまった。悲劇は起きなければいいのだが‥‥‥。
2008年07月09日
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約束は韓国語では同じような言葉ではあるが若干違い最後の「ク」は「k」むしろ「っ」という発音になる。チルソkも同様である。今日は七夕。映画「チルソクの夏」を思い出す。1977年7月7日、釜山で行われた下関と釜山の親善陸上競技大会に、親友の真理、巴、玲子と共に出場した高校2年生の郁子は、同じ種目の韓国人青年・安大豪と恋をし、来年また大会で会おうと、チルソク(七夕)の約束を交わす。以来、ふたりは文通を通して絆を深め合うが、郁子の両親は韓国人との交際にいい顔をしない。それは、安の家族も同じことだった。やがて、安の手紙は途絶えるようになり、彼の母から文通を止めて欲しいとする旨の手紙が送られて来た。気落ちし、練習に身が入らなくなってしまう郁子。しかし、真理たちに励まされた彼女は、一年後、下関で開かれた大会で安と再会を果たし、楽しい一時を過ごす。そして、大学進学と徴兵を控える彼と4年後の再会を約束して別れるのだが、その後、それぞれの人生を歩き始めたふたりが会うことはなかった……。(goo映画より)さてどうして二人は約束を果たすことが出来なかったのか。映画では一切明らかにされていないが、実は彼の徴兵期間である78年から82年の間は、兵士には非常に厳しい試練のときであった。昨日「光州5.18」をみて思うのは、安大豪くんは光州に行ったのではないか、ということだ。それならば、その後普通の生活に戻れなくなったとしても不思議ではない。閑話休題高速通信の環境にある人だけへの情報である。NHKで編集された映像ではなく、韓国発のテレビ映像で、日本語字幕のはいっのを見つけた。わかりやすいロウソクデモの映像である。信じられるか。韓国で起るしごとだよ。このユーチューブの映像は、韓国の市民が肉声で作った日本人向けの映像である。テレビの映像より「本音」が出ている。「光州5.18」という映画を見たことがある人ならば、この映像との相似性をすぐに気がつくだろう。さすがに人を殺すような場面はない。今は機関銃の代わりに放水車が出る。しかしそれ以外の展開は昨日も書いたが、1980年の光州事件と非常によく似ている。改めてそう思った。
2008年07月07日
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寝ている犬を蹴とばすと吠えるだろう。吠える犬は制裁しないといけない。そうして、その犬を棍棒で殴る。そうやって軍は暴徒を鎮圧した実績を作りたかったのだ。一般の市民にとり突然始まったかのように思える1980.5.18の市民弾圧のあと、ミヌたちはそのような意味のことを教会の牧師から説明される。「光州5.18」を観た。岡山シネマクレールは一日一回、一週間のみの上映ということもあり、日曜に10分前に行った時には私が最後のいす席になってしまった。この映画館で立ち見が出るのは久しぶりである。監督 : キム・ジフン 出演 : キム・サンギョン 、 イ・ヨウォン 、 イ・ジュンギ 、 アン・ソンギ 、 ソン・ジェホ 、 ナ・ムニ 、 パク・チョルミン 、 パク・ウォンサン 、 ソン・ビョンホ 、 チョン・インギ 2003年光州をぶらりと旅をした。主な目的は遺跡めぐりと食べ物めぐりなのだが、地元の観光パンフを手にとり、ふらっと「5.18国立墓地」にタクシーで行った。市内を30分ほど走ると、広い敷地に整備された墓地と記念館、抵抗する市民たちのブロンズ像などがあり、日本語が出来るかわいい受付嬢が迎えてくれた。「どうしてここを知ったのですか?」「光州に来た以上はこの事件のあとを見てみようと思ったんです。何が起きたのか知りたかった。「ペパーミント・キャンデー」という映画があったでしょ?あの映画でこの事件のことを知ったのです。」受付嬢はもちろん事件のことには詳しかったが、この映画のことは知らなかった。「なんか聞いたことがある」程度であった。「ぜひ一度見てみることをお勧めします。」と私はいらないおせっかいで言ったものだ。この旅のことはここで書いてあり、写真も少しだけ載せている。そこではこのように書いている。韓国はほんのつい最近まで軍事独裁政権下にあった国である。第二次世界大戦後の南北分断、1960年以降の軍事政権下のあと1980年の光州事件でそれは頂点に達する。民主化運動を軍隊を使って弾圧しようとして、運動と関係ない市民も含めて多大な犠牲者を出したのが光州事件である。今は完全に当時の政府の処置は誤りとされ、犠牲者の墓地は「国立」として整備されている。長期軍事独裁政権を武力に拠らず、民主化運動で覆した韓国の運動の雰囲気を少しだけでも味わいたかった。バスセンターの観光案内所に行くと「光州広域市5.18宣揚課」が作ったカラー24Pに渡る日本語無料パンフがある。5.18墓地に行くと20才、17才、15才等の墓が目立った。全員1980年5月18日前後に死んでいる。17才、15才は明かに「巻き込まれ型」の死亡である。体験館でドキュメントビデオを少しだけ見る。若者が大集会を起こし、そして整然とデモをしている。そしてその通りの向こうから戦車がやってくる。この墓地の入り口に立ったとき、受けつけのガイドの人が目ざとく見つけてくれて幾つか説明してくれた。なんと彼女は日本語が出来る。さすが国立墓地である。彼女の説明によると、「光州は金大中の生まれ故郷。当時でも民主化運動のもっとも激しく象徴的な都市でした。チョン・ド・ファン大統領はここを潰せば、全国の運動は下火になると踏んだのでしょう。」この事件に関わったチョン・ドファンとロ・テウ両元大統領が囚人服姿で法廷に並ぶ映像も見た。(日本でも「元首相」のこういう映像がながれても決しておかしくはない国なのだが)ドファンは終身刑、テウは18年の刑が下った。「でも今は釈放されて悪い事をしています。」「親戚にお金をまわして、自分は財産を持っていないと税金逃れをしたり…」ガイドの人とはバス乗り場でもいっしょになり、いろいろと話を聞いた。光州という土地ガらか、元大統領に対する目は冷たい。12月2日(火)朝が来た。三日間たまっていた(大)をする。すこぶる快調。(※)やはりキムチは凄い。博物館が開く9時まで、朝の散歩をする。道庁前の5.18広場は今は単なるロータリーでしかない。しかし1980.5.18はここは人でぎっしり埋まっていたのだ。身の危険を感じながらも数万の人たちが集まるという事はどういう事なのだろうか。※すみません。この文で不快に思う人もいたようです。私はたんに本場キムチの整腸作用は抜群であり、韓国の旅の特徴の一つだということを書きたかっただけなのです。どれくらいのの墓があったのかは今では思い出せない。ショックだったのは、ちょっと歩いただけで、ここに書いているように10代の墓がいくつもいくつも見つかったということだ。もうそれだけで、軍は「暴徒鎮圧」のために殺したのではなく、市民もすべて無差別に殺したのだということが分かる。歴史的な事実の検証など全く必要ない。映画では、私が朝に散歩した道庁前の広場が主な舞台になっている。あのように何度も市民と軍が対峙し、そしてあれほどの市街戦といってもいいほどの戦闘があったとは思っていなかった。後半は肉親を殺された「恨」のために、市民軍にかかわった人が多かったのだろうと推測される。もう一度あのロータリーを丹念に歩くと、銃弾の跡ぐらいは残っているのだろうか。もう一度光州を旅したくなった。自然発生的な市民デモ。そのことへの制裁をきっかけとする市民運動の過激化。報道統制。一部過激になった運動への軍隊での徹底的な弾圧。軍隊による市民への暴力(棍棒で殴る、蹴る)。それは光州市事件の特徴でもあり、そして今まさに韓国で起きているBSE牛肉規制緩和に発する市民のロウソクデモの特徴でもある。BSEの市民運動の弾圧も、まさに28年前と同じ道をたどろうとしている。1980年のときは、20年の長きの間、軍事独裁政権が続いていても、韓国市民は決して委縮せずに、あのような抵抗を試みた。もちろん勝機はほとんどなかった。けれども戦わずにはいられなかったし、アメリカの態度いかんでは、勝機はあっただろうと思う。翻って日本の場合はどうか。すこし気をつけると日本でも既に同じようなことが起きている。機動隊がデモ行進の前で自ら転んで不当逮捕したというのである。日本の報道は何も伝えない。映画のことを書くのを忘れた。中盤から最後に至るまで、観客の半数以上が泣いていたのではないか。たたみかけるように、感情に訴える映画作りは韓国映画の伝統芸である。少し型にはまる展開もあったけれども、俳優の力演もあり、いい作品だったと思う。
2008年07月06日
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梶山季之が死んだとき、私は15歳だった。彼の名前は知っていた。川上宗薫と並ぶポルノ作家としての名前をなぜか知っていたのである。だから、彼が死んだときに出た新聞の書評が彼の死を心から惜しんでいるのを読み、違和感を覚えた記憶がある。当時私が通っていた本屋は週刊誌や文庫やカッパブックスくらいの新書ぐらいしか置いていなくて、つまり私は梶山季之を見損なっていたのである。梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は、日本の小説家・ジャーナリスト。週刊誌創刊ブーム期にトップ屋として活躍、その後『黒の試走車』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、時代小説、風俗小説などを量産するが45歳で死去。ルポライターとして梶季彦、少年向け冒険小説として梶謙介のペンネームがある(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)今回初めて彼の作品を読んだ。元トップ屋ということもあり、なかなかの社会は作家なのである。この前に観劇した青年劇場の「族譜」に興味を覚えて原作を読んだ。岩波現代文庫に収められていた。族譜梶山季之は植民地化の朝鮮はソウルの生まれである。だから、いくつかその時代を映した朝鮮を舞台にした小説がある。1961年に発表。早い時期に日本の植民地化政策がいかに卑劣で徹底していたかを告発している。観劇のときにも感じたが、「創始改名」政策ほど、日本の植民地化政策の卑劣さを感じることはない。創始改名は決して法律として強制されるものにはなっていない。あくまで自主的なものとして最初は宣伝される。「内鮮一体」として、それまで何かと差別されてきた朝鮮の方々も日本名を名乗れるようになり、差別から解消されるのですよ、と呼びかける。朝鮮語に「恨(ハン)」という言葉がある。いろんな意味に訳されるが、もともとは祖先に対する感情なのである。祖先に顔向けできないようなことがあったときに、それを解消するまで「恨」はなくならない。だから、それがなくなることを「恨を解く」というのである。それほどまでに、朝鮮民族にとって、祖先は自分の内内までにしみこんだ感情の元になっているし、それを集大成した族譜、姓は大切なものだ。創始改名したものには、就職にも入学にも有利に働き、それまで低調だった改名率は一挙にあがる。当局が、今までの生ぬるい態度を捨てて、強制的に創始改名する方針に出始めたのは、このころからであったろう。釣り上げた魚に、餌をやる莫迦はいない。創始改名したら、日本人と同等に遇しようと表面では甘い餌をさらしながら、その実当局が考えていたのは、何であったか。---それは日本国民であるがゆえに、果たさなければならない義務、つまり徴兵だったり、徴用だったのである。また税金であり、供出だった。従来の志願兵制度を一挙に徴兵制度に切り替えるための準備工作だったのだ。(その証拠にまもなく膨大な兵士を要する大東亜戦争が起こった。)水原の有力者、薛鎮英の一族は700年も続いている族譜を持っていた。(李王朝ですら300年の歴史しか持っていない。しかもその族譜は戦乱で焼けている。)娘の婚約者を何の根拠もないのに、思想犯として逮捕し、後見人として身請けするのなら、創始改名して出直せと圧力をかける。娘は断腸の思いで婚約者よりも族譜のほうを選ぶのである。婚約者はその後獄死をする。原作は劇とは違い、創始改名した日に自殺した鎮英の遺言により、物語の主人公谷六郎は貴重な族譜を大学に寄贈することを頼まれる。日本人にとっては救いのある終わり方ではある。劇では、白装束の娘から一方的に谷六郎は責められ終わる。族譜の内容を言って聞かせる演劇の第二部のほとんどはこの原作の中にはない。改めて、ジェームス三木の脚本はうまいことこの原作を膨らませていると感じた。そして日本人に非常に厳しい劇になっていたのだと感じた。ネットサーフィンしていると、なんとこの原作で、韓国の中で映画化されているという。「族譜」(輝国人の韓国映画)監 督 イム・グォンテク「風の丘を越えて」「酔画仙」韓国の中で、谷六郎という人物を配置できたのが、なんとなく救われる。哲さんが「朝鮮の植民地統治は史実に反する」発言への抗議賛同願い を書いている。賛同したい。
2008年07月06日
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弁当を忘れ定食初スイカせっかく朝弁当を作ったのに、ふと置き忘れて出て行ってしまった。ああ、最近こんなことばっか。久しぶりに近くの定食屋でランチ。今日はいつものフルーツはスイカだった。蒸し暑くてじっとしていても汗が流れる日だったのでちょっと幸福だった。禍福はあざなえる縄の如しである。水滸伝(18(乾坤の章))北方水滸伝はついに最終巻までこれを入れてあと二巻。敵方の元帥童貫は強い。圧倒的な量。精強な軍隊。変幻自在の大将。けれども梁山泊も負けてはいない。局地戦では勝つのである。そしてついに、林冲に最期の時が来る。「言うことを聞け、扈三娘」「百里風ならまだ逃げれます」「頼むから、乗って逃げてくれ。生涯に一度ぐらい、女を助けた男になりたい」「林冲殿」「俺は、女の命を救いたいのだ。女の命も救えない男に、俺をしないでくれ」扈三娘が馬に跳び乗るのを、林冲は眼の端で捉えた。駆け去っていく。いやあ、かっこいい。全巻完結後に出た読本の中でも吉川晃司が先ずはこの場面を言っています。もちろん林冲はただ死ぬわけじゃない。相手の副将の首はちゃんと獲っています。しかも、本人は意識していなかったが、彼の後釜もちゃんと彼が用意していた。そして死ぬときの彼の意識。あの満足げな顔が眼に見えるようだ。何度でも言うようですが、「水滸伝」は負けて終わる物語です。けれども男たちは決して負けて死んでいくのではない。精一杯闘って死んでいくのである。圧倒的に大きな権力を前に、蟻のような個人が闘って、それでも時々勝利をもぎ取るのが、人生と言うものなのでしょう。何が言いたいかというと、現実世界ではこのようなことがありました。じゅんさんの日記からです。日々任命政府は日雇い派遣を原則禁止にするという方針を打ち出したけれども、郵政の中で、ずっと前から日雇派遣とおなじように無権利、劣悪な労働条件で働かされていた人がいた。そのひとりからあいてを「告発」するという話をじゅんさんは聞いたようだ。日々任命2日々任命3幾つか、得るとこあってん。昼休みは遅れてもちゃんととらす、いいよった。残業代も払う、いうてな。‥‥‥孤軍奮闘で闘うも、すこしづつ相手の牙城を崩していったらしい。そして勝った!と言う記事に繋がる。向うから、和解したい、言うて来よった。告発だけはせんといてくれ、いうとる。告発されたら、下手したら新聞載るやろ、局長刑務所入らんならんかもしれんやろ、やめといてくれ、いうて。おまえの言う条件、全部のむ、いうて。おれの件は、東京行ってるらしいわ。おまえみたいなキチガイしらんわ、いわれたわ。昼休みの金も払う、パクッた残業代もみな払うから、言うとる。それは、*さんの分だけ?いや違う、今後、全部のはなしや。よかったねえ!すごいやん!!ほな、も一回雇てくれるようになったん?ハハ、そりゃムリや、立てついたおれは。ゆうメイト全員の労働条件が変わるのでしょうか。そうみたい。画期的なことです。けれども本当は違法なことがほんの少し改まるだけのような気もします。大きな組織はこれではびくともしないと言う気もします。けれども彼を梁山泊の殿中にある英雄たちのお札に加えたいという気がします。この記事だけでは、彼の闘いの全貌は見えてきません。けれども、紹介したのは、その闘いの教訓を明らかにする為ではなく、派遣、委託、そして彼のような「日々任命」社員が、非正規雇用労働者の闘いに至る一歩目を踏み出した、そのことがすべての労働者にとり大切なことだということを訴えたいが為である。
2008年07月04日
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ポンボさんに教えられて02年に「ソウルスタイル」と言う「大展示会」が国立民族博物館で開かれたことを知った。韓国のある一家の生活をそっくりそのまま醤油の小瓶一つさえも一つの展示物として、大阪会場に移したのだそうだ。知らなかった。まだ韓国にかぶれ始めた初期だからアンテナに引っかからなかったのか。図録みたいなものがあるというのでアマゾンで買う。2002年ソウルスタイル 普通の生活(INAX出版)図録ではなかった。その後の李さん一家を追った写真集だったのである。展示対象に選ばれたのは、生活水準中流の上くらいのおばあさん、父母、男の子女の子の五人家族。3DKアパート暮らし。しかし、今まで何度も韓国をいったけど、ぜひとも見たいと思って出来ていないのが、韓国の人たちの「普通の生活」の姿なのである。この写真集は幸いにも、02年の展示内容を一部分明らかにしている。それはそれで興味深かった。本当にありとあらゆる「モノ」が名前、商品記号コメント、使用頻度、購入か否か、取得年、値段とともに記録され、やがて寸分違わず展示されたらしい。楊枝入れと楊枝、詐欺にあったときの記録メモ、新聞の契約をしたときの景品電卓ペンたて、そして永遠と続くプレゼントの山々、髭剃り、タイツ、ポケツトティッシュ、筆箱、日傘。等々。家族みんなが誕生日プレゼントで、クリスマスや正月プレゼントで、異様な数のものを貰い、そして実際使っている。そういえば、二年前の韓国旅行のときに、親切にしてくれたモーテルのおばちゃんに日本から持ってきた安いそばのカップめんを清算の時「ソンムリエヨ」と渡したとき、ニコッと笑って素直に受け取ってくれた。韓国にお中元の習慣はないみたいだが、親しい者通しのプレゼントの習慣はきつくあるようだ。恋人たちがカップル成立100日目にプレゼントしあうという習慣もここから来ているのだろう。そういう「普通の生活」をしている韓国市民が今回非常にね強く立ち上がっている。ハムニダ薫さんが毎日新聞の記事が「ごくごく一部の逸脱行為を書き立てておきながら、何十万人もの人々が平和的なデモを行っていることや、何百人もの市民が警察の暴力鎮圧によって負傷したことについてはまったく触れていない」ことに怒っている。米国産牛肉輸入をめぐる韓国市民の怒りのけれども平和的な集会はまだまだ収まりそうにない。ああ、この時期韓国にいればよかった。そしたら、深夜まで青瓦台の近くまで行って、軍隊を経験している韓国の警察の水放射にやられ、棍棒で殴られ、足蹴にされてきて、立派なレポートを書いたのに。(もちろん半分冗談です。)
2008年07月02日
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浮気症でいい加減な男と、何事もきちんとしないと気のすまない女が、何の因果か夫婦となった93年からの10年間を描く。監督 : 橋口亮輔 出演 : 木村多江 、 リリー・フランキー 、 倍賞美津子 、 寺島進 、 安藤玉恵 、 八嶋智人 、 寺田農 、 柄本明 夫婦の機微は知らない。けれども私はリリー・フランキーの気持ちに寄り添った。私は浮気症ではないが、いいかげんな男だからである。だから冒頭近くの夫婦喧嘩では一人で笑っていた。妻の翔子は「今日は早く帰ってくる日だったでしょ」と詰める。夫のカナオはしどろもどろに返事。翔子「あなたが約束を守らないから、決まりを作ったのよ」「……いいわ。今日はする日だからしましょ」「えー、なんだかなあ。それじゃあ口紅を塗って。」「なんでそうなるの?いいわ、次の時には塗ることにする。」「……いや、そんな風に決めるんじゃなくて……」周りは静かだったので、一人うけている私は見事に浮いていました。木村多江は当たり前として、リリー・フランキーがここまで味のある演技をするとは思っていなかった。いや、あの優しさは彼の「地」なのだろうか?嵐の日の彼のように女性を抱きしめることができる男でありたいと願う私でした。93年はバブル崩壊の真っただ中。羽振りの良かった不動産屋の兄(寺島進)はあっという間に借金だらけになる。連続幼女誘拐殺人事件や園児殺害事件、地下鉄サリン事件、池田小児童殺傷事件、時代は凶悪な事件がだんだんと増えていく。加瀬亮、片岡礼子、新井浩文等、演技派がそれぞれの被告を演じて、ワンシーンながら強烈な印象を残す。法廷画家のカナオは、ただただ被告や証人の姿を見つめる。だらりと腕を下げて証言をする被告。足首まで宝石で飾りながら証言席では泣き崩れる被害者の母親。悪態をついて退廷を命じられる死刑判決が下った被告。その一瞬の姿を絵に落とすカナオ。凶悪犯罪が続いた10年ではあるが、カナオのカメラアイを通して、わたしはあの事件の本質をまだ本当は知らないのかもしれない、と思うようになった。事件の本質がわからないと、宮崎勤や、サリン事件の犯人や、池田小児童殺傷事件よりひどい事件は次々と起こるだろう。秋葉原事件もしかり。哲さんが「橋口亮輔監督は、イラクで人質になった日本人が帰国したときに空港で若い女が笑いながら「自業自得」というプラカードを掲げていた光景にショックを受けたこともこの映画を撮る動機のひとつであると語っている」と書いている。だ、とすれば、翔子とカナオの夫婦の再生が、これらの事件の被告たちの再生に、これらの事件を生んだ時代背景の再生に、一役買うかもしれないと、監督は考えているのかもしれない。うん、いい映画だったと思う。
2008年07月01日
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