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「ビッグイシュー315号」ゲット!。今回の表紙は「怪盗グルーのミニオン大脱走」。つまり、ミニオンたちである。minionとは、子分や手下を意味し、命令に従うばかりで自分の頭で考えない人を揶揄する時にも使うらしい。そんな彼らが、どうしてこんなに人気を持ったのか。世の中はわからない。ちなみに、彼らが作業服と溶接ゴーグルを身にまとっているのは、グルー宅の地価の秘密工場で日々働いているからだそうだ。今回の特集は"手前みそ"万歳! ―― 発酵DIY成分の3分の1がタンパク質の大豆。味噌、醤油、豆腐、納豆などの原料として日本の食を支え豊かにし、海外では「畑の肉」「大地の黄金」とも呼ばれる。かつて、日本の水田には米(表作)、大豆(あぜ道)、麦(裏作)が植えられていた。 「日本の食卓が”米+大豆+麦”の”田んぼ三兄弟”で構成できる秘訣は発酵技術。発酵は錬金術」と語る小倉ヒラクさん(発酵デザイナー)に、「発酵DIY入門」について聞いた。 東日本大震災以来、"手前みそ〟を作る人が増えつつある。しかし、大豆の国内自給率は7%。「国産の安全な大豆を食べたい」と1998年に始まった「大豆畑トラスト運動」(遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン)も全国52ヵ所の生産地に広がっている。そして、枝元なほみさん(料理研究家)からは、”みそ達(たつ)への道”と題して、味噌と大豆を使った料理レシピが届いた。 発酵の奇跡を”手前みそ”の手作りを通して感じてみたい。 イラスト:小倉ヒラク前回高野秀行「謎のアジア納豆」で、「手前納豆」という言葉に出会ったばかりなので、その元ネタ(といえば大袈裟だが)になった「手前みそ」を読む。一番の肝心は、「自ら味噌を作ってみよう」ということに限る。そこにはあまり食指はわかなかったけど、枝元なほみさんのレシピはいくつかつくってみたい。「ワンダフルライフ」では、なんと岡山県の児島在住の月曜だけの映画監督、桑田浩一さんの自主製作映画の奮戦記が書かれていた。本職は美容師、休みの月曜日を利用してコツコツ「かみいさん」という映画をつくってきたらしい。エキストラとして「釣りバカ日誌8」や「関ケ原」など撮影現場にかかわって、つくりたくなったらしい。岡山には岡山映画祭という自主映画祭があって、来年のそれに出品する予定らしい。出来はどうであれ、見てみたい。
2017年07月31日
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「クマゼミから温暖化を考える」沼田英二 岩波ジュニア新書 子供の頃、クマゼミは蝉の王様だと思っていた。アブラゼミは、名前からしても姿からしても貧乏くさいし、ミンミンゼミはさらにその子分だと思っていた。クマゼミは姿が美しくて、第一滅多に見つかることがないから、たまたま採ったときには興奮して、友達に見せびらかしたものだ。それが1970年ぐらいまでの、岡山県倉敷市の片田舎の雑木林の出来事であった。 2009年福井に小旅行したときに、お寺の参道でクマゼミの弱った個体を見つけたときに、写真にとってわざわざブログにアップしている。私はその時までに、クマゼミが北陸の町に生息しているとなど想像もしていなかったことが影響している。クマゼミは熊本発祥の暖かい地での昆虫だと根拠なくずっと思ってきたようだ(実際は昔から福井がクマゼミの北限だったらしい)。しかし、その時からふと倉敷市の周りを見ると、夏になればクマゼミしか飛んでいないのに気がついた(大阪の街中も現在はクマゼミが圧倒しているらしい)。朝になれば、いつの間にかジージーという声は聞かれず、シャンシャンシャンシャンという「やかましい声」しか聞こえなくなっていた。ミンミンゼミの声さえいなくなっていた(ツクツクボウシだけは、夏の終わりに未だによく聞こえる)。 これが、温暖化ということか。 私はそう思っていたが、その因果関係の科学的根拠はわからないから、クマゼミの「侵略」に何か不安を覚えるだけだった。それを解消しようと思い、たまたま見つけたこの書名に飛びついた。 結果、温暖化は半分当たり、半分当たっていなかった。地球温暖化と都市化、二つの要因がクマゼミの増加に貢献していたのである(詳しくは本書参照のこと)。 科学的根拠を持つことは、どういうことか。モノの考え方の一つのお手本がここにあると思う。 2017年7月30日読了
2017年07月30日
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一ヶ月以上(6月3日)前に録画していた「ブラタモリ 倉敷編」を一昨日やっと観た。倉敷市民の多くが、思っていた「倉敷の地名由来は、蔵がたくさんあるから」というのは、冒頭で否定される。実は、「倉敷地」という「中世、荘園から年貢などを本所・領家に輸送する際、中継地として一時保管した場所の名前」の意味から来ていたのである。 予想通り、倉敷が天領として栄えたところから、大原美術館ができるところまで説明していた。天領(幕府直轄地)なので、武士は少ない。よって、商人の力を借りる必要があったので、新田開発など、いろんな面で倉敷では産業が発達して、それが明治に引き継がれたのである。本当は、どうして岡山にこれだけの遠浅の海が広がっていて、なおかつそれを利用してこんなにも広大な新田開発ができたのか、タモリ得意の地理の知識からもっと解明して欲しかったのだけど、ロケ地的に無理だったのかもしれません。その他、めったに見ない倉敷の古地図が豊富に紹介されて、しかも現代の地図と照合されるなどわかりやすくなっていて、これだけでも「保存モノ」だった。 お題は「なぜ美しい町並みが倉敷に?」というもので、これも変な誤解を与えず、キチンと答えていた。都市伝説として、リットン調査団が大原美術館を評価したから、空襲にあわなかったというのがある。しかし、これは都市伝説である。私は1度図書館のレファレンス記録を読んだことがあり、リットン調査団はここを訪れていないし、そもそもそんな人たちの一言で戦いの戦略目標が変更になるはずない(赤井克己「またまたおかやま雑学ノート5」 )。また、倉敷は当然空襲目標としてリストに挙げられていたのである(日笠俊男「空襲の史科学」 )。空襲にあわなかったのは、たまたま、ということであっさり終わらしていた。何故美しい街並みが倉敷に残ったのか?基本は「残った」のではなく「残した」ということを、説明していた。大原聡一郎が30年代につくった大原美術館別館の壁を城壁のように作っていたこと。倉敷を大原城下町のように思っていたことの是非は別として、あの高度成長期にこの町並みを守ろうという明確な意思で倉敷を見ていたこと。個人の力で、でき得ることをしていた。流石、大原社会問題研究所を打ち立てた大原孫三郎の直系だと思いました。その他、初めて知ったことも多く、有意義だった。
2017年07月29日
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「鹿の王2」上橋菜穂子 角川文庫 人は、自分が思いたいように出来事をこじつけるものだ。 故郷でも、病が流行るたびに様々な噂が流れた。 咳が長く続く病が流行ったときは、神が宿っておられる木の根に唾を吐いた者がいるのだと囁かれ、腹下しをする者が次々に現れたときには、川を穢した者がいるのだと、川清めの儀式が行われたりした。 子どものころは、大人たちの言うことを信じていたが、いまは、そういう話を聞くたびに、怒りが胸に動く。 息子の明るい目が思い出され、無邪気な笑い声が耳の底で聞こえた。 (あの子には‥‥) 病に罹らねばならぬ、なんの理由もなかった。 呪いを受けるべき者が、この世にいるとするなら、それは、神々のご意思を、自分の思いたいように語る輩だろう。 だが、そのような人々でさえ、いや、もっと凄まじく残酷な罪深い人々でさえ、天寿を全うして幸せに逝くこともある。 生と死は、人の思惑の中で語れるようなものではない。(133p) 直感で物事を考えるヴァンは、このように、生と死と、医療と信仰と、生活と政治のことを考えていた。 静かに、大きなテーマが立ち上がりつつある。
2017年07月28日
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「謎のアジア納豆」高野秀行 新潮社 高野さんの本を初めて読む。本来はソマリアシリーズぐらいから始めた方がよかったのかもしれないが、たまたまNHK朝イチで納豆特集があって、高野さんがアジア納豆の納豆煎餅(表紙の写真)を紹介していたので、無性に読みたくなって紐解いた。 「(見た目は腐っている)こんな臭みが強い食べ物を好んで食べているのは、日本人ぐらいのものだ」という「納豆選民意識」が、日本人にはある。しかし、それは大いに間違っている。ということを、これでもか、これでもか、と書いている。確かに納豆菌が発見されたのは、明治期日本においてである。しかし、そのことによって納豆が日本で興ったことの証明にはならないのだ。 納豆にも個性がある。ミャンマー・シャン族のそれは臭みの薄いモノを、パオは山の民で水浴びをしないので、臭いモノが好まれる。(日本人含む)それぞれの民族は自分たちの納豆が最高だと思う「手前納豆」症状が少なからずあった。また、東南アジアでは、納豆を発酵食品の味噌の代わりに使っている。日本も最初に納豆があり、あとから味噌と出汁に取って代わられた、ようだ。だから、秋田地方のように、最初は納豆汁が普通だったというのが高野氏の説である。ともかく納豆は、煮豆を手近な葉っぱで包めば出来るのだ。この本を読むうちに、私の中に少しはあった「納豆選民意識」が見事に剥がれていったのを感じた。 納豆を追ってゆくうちに、意外にも東南アジア納豆民族の共通した「ルーツ」がわかってくる。漢民族の南下西進を受けて、アジア東部に広くいた納豆民族が南や西に追いやられて残った食習慣なのである。だとすれば、中国南部に起源を持つ稲作民族の日本の出自も、この辺りにあることの例証になるかもしれないと思っていたら、最終章で著者もそう推察していた。ところが、である。ビックリすることが最後に書かれていた。一つは民族移動が原因ではなく、あまりにも簡単にしかも必要性があり出来ることから、納豆同時多発発生説の方が説得力あること。もう一つは、その最古のモデルが日本の縄文時代である。というのだ。確かに世界最古の煮炊き土器をつくったのは、縄文土器だ。しかも、縄文時代に豆を煮炊きしていたのは、つい最近証明されている。しかも高野さんは、この本において、縄文の代表的な植物であるトチの木の葉で納豆が、しかもとても美味しい納豆が、出来ることを証明してしまった。間違いないでしょ、間違いない。何処が最古かは別にして、間違いなく縄文時代に納豆を作っていた。考古学ファンとして、私はかなり興奮しました。 2017年7月21日読了
2017年07月27日
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「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」備瀬哲弘 集英社文庫 昨年「隠れアスペルガーという才能」という本を読んだ後に、私の様々な欠点は、軽度のアスペルガー症候群の所為なのだとガッテンいって、ずいぶん気が楽になったのであるが、その後私の欠点が改善したかと言うと、そうではなく、もしかしたら、たまたま自己診断がこうなったから、自己弁護として使っているだけなのではないかと、反省を始めた。そういうわけで、もう一冊読んでみた。 最後の自己診断を受けると、前回のように「あと一歩で真正アスペルガー」ということではなく、かろうじて「発達障害の傾向がある程度認められます。日常生活に支障が出ることは少ないと思われますが、一部の人にはなんらかの支障が生ずることもあります」に分類された。しかも、その中でもかなり点数は低かった。「あまり気にしすぎるのもどうかと思うよ」も言われているのかもしれない。また、再度「隠れアスペルガー」の「傾向」は出たということでもある。 この本は前著と違って、ホントのお医者さんの書いた本なので、主には医学的な説明と用語説明、様々な臨床ケース(大人になって発達障害と認められる人々に限る)の紹介に終始していて、軽度の発達障害者の者は、或いは隠れアスペルガーの者は、これからどうすればいいかということを展開した本ではない。ということでもあるのかもしれない。著者の言うように、もともと診断のつきにくい病気だし、軽度ならばなおさら。ホントに仕事に支障が来たすほどに、迷惑がかかっている本人や、周りの人には、だいたいの方向性を見つけるにはいい本かもしれない。ただし、この本だけで解決はむつかしい。気になる人は、1番は信頼できるお医者さんにかかることだろう。 2017年7月21日読了
2017年07月25日
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「荒神」宮部みゆき 新潮文庫 今年夏の宮部みゆきはコレ。まさかの怪獣小説でした。発表は、「シン・ゴジラ」よりも2年早いので、原発事故を怪獣に代えるのは、宮部みゆきが最初ということになろうか。解説において「シン・ゴジラ」の特殊撮影監督の樋口真嗣さんがつくり手として映画化を挙手しています。どころが、帯にはそれとは別方面なのか、「NHKドラマ化決定!」の文字が。悪い予感しかしないのですが。 宮部みゆきはつくづくスティーブン・キングの愛弟子だと思う。現代サスペンス、SFから時代小説、ホラーをエンタメとして仕上げて秀逸。そしてそれらを我々に提示する時に、最も判りやすいのが「怪物」小説だ。キングも確か同じようなモノを書いていたような気がする。 ともかく、今迄見たこともない怪物を描いて、なおかつ怖い楽しい興味深い、宮部エンタメの極致だろう。 ともかく、宮部の怪獣(神)は、人間が関わり、それをつくった人々が居なくなる頃に、忘れた頃にやって来て、大きな厄災を起こす。つくった者にとって敵側にも、つくった者にとっても、厄災がやってくる、ということでは原発事故に似ているし、人間というモノの業を写しているとも言えるだろう。それを防ごうとする人たちと、それを利用しようとする人たちと。恨みは形となって、人々を襲うだろう。 2017年7月17日読了
2017年07月24日
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「金の国 水の国」岩本ナオ 小学館 敵対するA国とB国が、友好のために、(神様の言いつけということで)、国で1番美しい娘と、国で1番賢い若者を送りあって縁組をすることになった。しかし、実際に贈られたのは犬と猫だった。一方、贈られたA国の姫サーラは、B国の賢い若者と偶然出会い、結果的に、交易で富んでいるが水が枯れそうなA国と、貧しいが自然豊富なB国の友好の架け橋になるという、「おとぎ話」である。 今年の漫画大賞第二位、一巻だけの本ということもあり本屋に益が多いというわけではない。それでも本屋さんたちに選ばれたのは、作品的にこれが1番まとまっていたからに他ならないからだったのだろう。 インド、イラク等々を彷彿させる絵作り、細かい所まで妥協しない画力、キャラ立ちの確かさ、テーマの健全さで、確かに他を圧倒していると私も思う。 しかし、話はあまり突飛なものではない。この作者の他の作品もみて見ないと、評価はなんとも言えないと思った。 2017年7月21日読了
2017年07月23日
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「生贄投票(1)-(3)」漫画 江戸川エドガワ 原案 葛西竜哉 ヤンマガKC ある日、クラスの中で強制アプリによるゲームが始まる。投票で1番に選ばれた者に「社会的死」が与えられるというゲームだ。社会的な死とは、秘密にしていた恥ずかしい写真や動画。広がる不信。子供たちの打つ対策は、全て裏をかかれる。これは一年前担任イジメで自殺した女性担任の呪いだと告げられる。 イジメとゲーム、加速する不信感。なんか同じような作品が立て続けで、私はおいおいと思う。 生徒たち「全員」に、社会的死が与えられるような「秘密」があるという大前提自体が、この作品のリアリティをなくしている。 こういう、現実にあるかもしれない「クラスの現状」に嫌になっていた昔の生徒(作者?)の「妄想」がつくった物語の気がする。あと一巻ほどはありそうだが、こういう「刺激の強い」画面を描いている作品が、現在日本の連載漫画には山のように登場している。「漂流教室」のような文明史観もなければ、人間への愛もない、社会全体を見据えた世界観もない。自分の見てきた狭い世界を拡大解釈して冷笑する作品にうんざりする。 まあ、「貴方はそうは言うかもしれないけど、こういうつまらない作品含めて、時代を映した作品が雨後の筍みたいに出てくること、そのものが漫画の特徴なんだよ。だから、漫画は時代のカナリアなんだよ」と言われたならば、その通り、と言わざるを得ないのだけど。 2017年7月18日読了
2017年07月22日
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「ポーの一族 春の夢」萩尾望都 小学館驚愕。まさかの驚愕。エピソードとエピソードを繋ぐ物語ではなかった。ここに来て、まさか「ポーの一族とは何か」つまり、エドガーとは何者なのか?つまり、あゝもうそれ以上は怖くて言えない。そんな話になってくるとは。もちろん、次回作はあるだろう。なくてはいけない(来年の春らしい)。怖いけど。昨年驚きの連載開始を経て、7ヶ月間のインターバルを置いて5ヶ月間連載された物語は、一話とは全く違った話になっていた。もはや歴史的事実は背景に落とし遣られ、大老ポーまで、2度も登場して、物語を動かした。今の私は??マークでいっぱいだ。もっとも、重要なネタバレになるので、ここでそのひとつひとつを検証する野暮なことはしない。ともかく、青春時代にポーの一族に殺られた人は、必読作品である。2017年7月17日読了
2017年07月21日
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「シン・ゴジラ」 昨年度マイベストワンの作品です。ゴジラ映画の伝統を活かしつつも、大地震や原発事故を想起させる新たな性格を付与し、虚構(ゴジラ)と現実(ニッポン)を対比させながら、ポリティカル•怪獣エンタメ映画を描き切った傑作です。 もちろん幾つかの批判も聞いています。 一つは、政治ストーリーになっていて、人間ドラマがなかったのではないか。 一つは、自衛隊の活躍が全面的に出ていて、自衛隊宣伝映画になっているのではないか。 二つの指摘は、それぞれもっともだと私も思いますが、反論してみましょう。 アメリカのゴジラ映画は、必ず家族か恋愛話を無理やりこじつけますが、庵野秀明監督は、見事にそれらをそぎ落としました。平成ゴジラやミレニアムシリーズは、様々な首相が出ていましたが、途中でゴジラに殺される首相(大杉漣)は、今回が初めてです。主人公2人(長谷川博己と石原さとみ)は、むしろ狂言回し的な役割です。「真」の主人公は、「神」のようにミステリアスであり、全く想像もつかなかった造形と能力で登場した「新しい」ゴジラでした。人間ドラマなどを挿入していれば、かえってこの魅力が削がれていたでしょう。もちろんドラマ不在ということは、役者の演技力が無いということではありません。例えば、首都を破壊された直後の高橋一生のわずかな涙を潤ませた表情が、庶民の大きな悲劇を想像させるものになっていました。 今回は、自衛隊全面協力のもとに作られました。自衛隊には実は協力体制の基準が存在します。面白いのは、単なるプロパガンダ映画のみに協力をしていないのです(「自衛隊色を表面に出さず」という基準さえあります)。それは、作品の完成度がなければそもそも宣伝になり得ない反省から来ているというのです。その意味では、今回の自衛隊登場シーンは、今まで怪獣映画では観たことのないリアルさがありました。知っていますか?自衛隊の出演は、実は無料貸し出しなのです。自衛隊員にとっては、ゴジラ映画出演は「聖戦」だと聞いたことがあります。何故ならば、具体的な国を攻撃することなく、純粋に戦うことができる唯一の自衛戦争だからです。そしてネタバレになるので具体的に書けないのですが、私は、今回は国民と自衛隊とが協力した、最も理想的な防衛戦になっていたと思っています。 ただし、仮死状態にあると思われるゴジラの続編を絶対作ってはいけない、庵野監督は監督を引き受けてはいけないし、原作権も譲渡してはいけない、というのが私の意見です。理由を展開すると長くなるなるので、この辺りで。(2016年作品レンタル可能)
2017年07月19日
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さて、昼食は吉備路もてなし館で、もてなし定食(赤米)。ご飯は古代米である。総社では最近大量につくっている。もち赤米の食べ方、ならびに効能について書いていた。400グラム、600円。少し迷ったけど、今回は購入はあきらめる。お店には、近くの軽部神社のオッパイサブレも置いている。お乳の霊験灼かな神社である。そのあと、総社埋蔵文化財学習の館に行く。3~4回目の訪問だが、今回この展示は初めて見た。館の人に詳しく説明してもらった。5~6世紀の狩谷遺跡。発掘当時、丁寧に発掘したので、管の場所が埋納当時のままに再現できた。すると、首飾りでは無いということが分かったらしい。こんな飾りだったようだ。これは朝鮮系の飾りらしい。高梁川の西側。この辺りは、秦氏の遺跡が多く出土しており、渡来人の影響は大きかったと言われている。ちょっと面白い。帰りがけに、秦歴史遺産保存協議会の冊子が三冊も出ていて、フリーペーパーだったので、もらってきた。興味深いのだ、是非今度探検しようと思う。作山古墳の築造当時の模型埴輪も展示していた。見たかったので、嬉しかった。この学習の館は、小さいながらも、展示品は充実している。絵画土器の優秀なものが多く、刺青顔の絵は見たことの無いものもあった。また、この龍の絵は見たことの無いものだった。鹿の絵もかなり抽象的だ。このあと、吉備埋蔵文化財センターにも行く。そこで、このような土偶作品も見た。幾つか例外があるけど、古代絵画の大きな特徴は、抽象的である、ということだ。それは技術がなかったのだ、とずっと思ってきた。しかし、違うのでは無いかという気がしてきている。古代では、絵画や造形は、具体的な人に似せては「いけなかった」のでは無いか?「忌み」だった?だから、あったとしてもこんなにも「表情がない」のだ。似せてしまうと、魂が宿り、災いが起きてしまったのでは無いか?土偶は、全て割れて存在する。それと、関連するのではないか。 というようなことを、初めて思って遺物巡りをした久しぶりの考古学の旅でした。
2017年07月18日
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今年1番の猛暑日に、ずっと懸念だった作山古墳を見た。造山古墳(全長360m)については、何度も登ったのだが、作山の方は真剣に登ったことがなかった。前者は全国第4位、後者は全国第10位。古墳時代は、守備範囲では無いけれども興味が全く無いわけでは無い。 全長282m。5世紀中頃築造。造山のあとに作られたと言われている。 写真の空撮を見ると、かなり禿山に見えるので、そのつもりで行ったらかなりの草茫々だった。20数年前に総社に住んでいた時は、こんな風だったと思う。この時に行けば、埴輪列が直ぐに分かったのかもしれない。とりあえず、草を分けて、たいへん珍しいという造出(つくりだし)を見にゆく。草茫々で、よくわからない。西側のみに、造出ともう一つ造出状の方形突出部があるらしい。他の古墳には例が無いらしい。作りかけて止めたものかもしれない。後円部に向かう途中に、土の道に、明らかに埴輪土器が埋まってあった。展示ではない。日本の整備された古墳で、こういうのが残っているのは非常に珍しい。現在残っている埴輪列を見る限り、少なくとも5千本以上の埴輪が並べられていたらしいので、歩けば土器が残っている割合はかなり高いと思われる。ちなみに未発掘古墳である。 頂上からは、木に阻まれて特別な景色があったかはわからなかった。造山も見えるとは思えない。国分寺は良く見えるが、これは後代の建築。 おりて行って、埴輪列があるという場所に行こうとしたが、草木高くて、とても行けなかった。そのそばで見つけた土器片。 作山は自然丘陵を削ってつくるやり方である。しかし、写真の右側が作山で、左が残された丘陵である。本来なら取り除く前方部全面が削られていない。これは、5世紀中頃、吉備国に政変が起きて、途中で造成中止になったのでは無いか?と言われている。(大和の吉備征服の事件の名残りだろうか) 因みに、「盗掘された大きな穴は存在しないことから、古墳の主は今も後円部の中央の奥深くに眠っているものと思われる」という説明書もある。そもそも墓は存在しない可能性もある。それを含めて、未調査の大型古墳である。X線調査とかで、何かあるかどうかだけでも調べることはできないのか? 続く。
2017年07月17日
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「縄文ZINE No.6」ゲット! 6月29日にNHK「所さん!大変ですよ」で、何故か盛り上がっているマイナーなモノということで、取り上げられたので、当然「取材受けた!」等々の言及が何処かにあるかと思いきや、まるきりないという淡白さ。流石です。 編集後記からは、予定通り5月末に発行された感じで書いているのだけど、岡山のフリーペーパー置き場の無印良品売り場には、少なくとも6月末までは置いていなかった。4回目にやっと見つけたのだ。回ってくるのが遅れるのかも。今度は気をつけようっと。 今回の特集は「1951年の岡本太郎」。石井匠さんの思い入れたっぷりの論文である。しかし要は「岡本太郎が好きだったのは火焔土器でも「日本古代文化展」で見た縄文中期の曽利式土器でもなく、早期の土器だった。戦術的に火焔土器の写真を使っただけだったのである。」(8p)ということに尽きる。 びっくりしたのは、「カップ焼きそば文化圏と縄文土器文化圏」という小論である。下図を見て頂くと一目瞭然。あらまあ、なんと、焼きそば文化圏といかに似ていることか!世の思いつきブログと違う所は、編集長の望月さんは、雑誌の取材ということでちゃんとメーカーに話を聴いているのである。多くは、全国展開をしたが、やがて好みということで、だんだん売れる所が定まって来た、ということである。望月さんも書いているが「縄文時代の一万年間で醸成された日本の中の地域性というものは、たとえいくつもの時代を経たとしてもそう簡単に消えるようなモノではない」ということなのだろう。因みに、確かに私は「ペヤング」どころか「パゴォーン」や「焼きそば弁当」に至っては見たことすらない。 今回もとても充実していた。誰か、世の弥生好きの才人、弥生のフリーペーパーつくってくれないかな。 2017年7月15日読了
2017年07月16日
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猛暑の中、今月も「戦争法廃止、共謀罪反対、安倍政権を許さない」を掲げる市民集会が、倉敷駅前でありました。44人が集結して、集会とパレードをして来ました。 倉敷9条の会の方は「たいへん嬉しいことがあった。核兵器禁止条約の成立。しかし、これに安倍政権は不参加。安倍政権は核兵器を認める立場に立っている。非核三原則を踏みにじる立場は許すことが出来ない。みなさんの力を合わせれば、三割を切った内閣支持率、安倍政権を倒せれる所まで来ている。頑張りましょう!」と訴えました。 2015年の戦争法反対集会より、月一回、52回を数える倉敷駅前の集会です。
2017年07月15日
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「ティーンズ・エッジ・ロックンロール」熊谷達也 実業之日本社大震災に向けて、様々な人々を群像的に描く「仙河海市」シリーズの4番目に読んだ本(シリーズとしては3作目)。時間は2010年春から、2011年春まで。主人公たちは、主には高校生たち。「バイバイ・フォギーデイ」でも出てきたが、バンド小説でもある。著者の趣味なのだろう。次から次へと、新しい登場人物が出てくる。それはそうなのだろう。ひとつの街を飲み込んだ大厄災は、何十万人という人々をも飲み込んだのだから。しかし、とりあえず小説自体は、繊細な男の子・匠と、不思議美少女・遥とが協力して、仙河海市に高校生たちのライブハウスをつくる話として進められる。話は、かなり明るい。箱を創り上げた途端に失う。今回は最終章に、「大津波」から一ヶ月後の様子が描かれた。高校生って、すごいよな、と思う。一生懸命つくりあげる。失う。また、つくりあげる。人間って、その繰り返しかもしれない。熊谷達也は、本性的にそうなるのかもしれないが、そこに付随する暗い部分を、ほとんど描かない。それが、このシリーズの長所になるのか、欠点になるのか、もう少し見守りたい。2017年7月14日読了
2017年07月14日
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「暗黒神話 完全版」諸星大二郎 集英社 「太陽の地図帖027」の「「暗黒神話」と古代史の旅」で知ったのであるが、27歳の時(1976)に描いたこの出世作を、2014年に「完全版」として『画楽.mag』に連載していたらしい。そのことを知ったちょうどこの前、この『完全版』が今年3月に出版されていたことを知った。当時の少年は、当然今はいい大人になっている。足下を見た超豪華版(3456円)。ええ、買いましたとも。変型箱入り、作中使われた神代文字を駆使したヤマトタケルの壁画を装丁に使っている。また、九曜のひとつ、羅ごう星の図を見開き表紙の前に挟み込んでいる。しかし、それはそんなに大きな価値は無い。問題は連載に当たっての加筆であり、単行本化に当たっての加筆である。 一度何処と何処を加筆したのか、検証しなくてはならないが、一通り読んで見て、ビックリしたのは、基本的に加筆したのは、アクション部分のみであって、物語の構造並びにラストの変更は(おそらく)ほとんど無い。いや、この壁画(つまり何十億年か先にスサノオとして戻ってきたタケルの世界を全て説明しているのかもしれない壁画)だけは、重要な加筆だった可能性がある。ともかく40年前に90%完成していたのだ。それでいて、どうしてここまで緻密な古代史もやもや暗黒神話を描けたのか、驚くばかりである。という当たり前の事の再確認なのであった。 縄文から卑弥呼伝説、ヤマトタケル伝説、熊襲伝説、ヒンズー教、インド占星術、果ては暗黒星雲の正体について描いた、正に伝奇マンガの白眉である。読めば読むほどわからなくなってきた。また、読み直したい。 2017年7月12日読了
2017年07月12日
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「諸星大二郎 『暗黒神話』と古代史の旅」平凡社 太陽の地図帖027 『漂流教室』を扱った「太陽の地図帖033」を読んで、面白かったので紐解いた。平凡社「太陽」のように、総合的ではないが、一点突破主義で深い。『暗黒神話』は、著者最初のコミック(1978)だった。あれから、約40年。そこに出てくる、古代の神の姿、最新技術、戦いの描写の、今でもまだ誰も追随することの出来ない先進的な描写。そして、あまりにもさりげなく提示されていたので、全面的に解説出来なかった、作品の中のジクソーパズルが、この本において徹底的に解明される。 作品の背景をなす考古学と民俗学を解説する専門家として、2人とも私の敬愛し、なおかつ、どうしてこんなところに原稿を書いているのか、ビックリするような若手ナンバーワンの学徒が出ていて嬉しい誤算だった。つまり、考古学は松木武彦氏で、民俗学は畑中章宏氏だった。2人とも、おそらく夫々の専門を始めた頃に諸星大二郎に出会ったのかもしれない。もしそうならば、おそらく大きなショックを受けたかだろう。考古学はあまり想像を広げることは許されない学問であるが、松木氏はここでは比較的自由に書いているようで嬉しい。 「古代史の旅」と書いているように、このムックを片手に、旅の地図帖にもなっている。茅野市尖石縄文考古館、国東半島など、これを片手にまた旅に出たくなった。 この本の出た2014年の時に連載されていた『暗黒神話完全版』が、やっと今年三月に豪華本として出版されている。漫画不可の図書館や、マイナー本は置かないネットカフェではリクエストしても無駄なので、これだけは買って読もうと思う。 2017年7月7日読了
2017年07月11日
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ひとつ気になっている私のブログ「再出発日記」のアクセス記録がある。この写真を見てもらいたい。6月16日のアクセス記録が、この数ヶ月(実際はこの1年ほどでこの日のみ)で突出しているのが判る。3384アクセス。普通は、日に1000から1500アクセスぐらいなので、一挙に2~3倍は増えて、直ぐに戻ったことが判る。この日に何があったのか?前日の共謀罪強行採決を受けて、私は長々とした論文は止めて、詩とも呟きとも愚痴とも言えない「共謀罪法が成立した」という記事を書いた。その記事に反応して、「何処かの機関」が集中的にアクセスしてきたのか?と、瞬間思ったが、楽天ブログには、ページを本人以外が「開いて」見た場合はカウントする機能があって、次の日に見た時に、その記事に対しては、確か30カウント前後だった覚えがある。全く普段のカウントと変わらなかったのだ。他の共謀罪記事に対しては、全く開かれていなかった、と思う。しかし、アクセスは、ロボットアクセスにも対応するからこれだけ多くなる。開かないで、ともかく「ワード」のみ拾っていった可能性がある。そうでないと、この日「のみ」、アクセスが突出した理由が思いつかない。私は、カテゴリーに「共謀罪」と入れていたぐらいに、10年前から細々と共謀罪については警告を鳴らしてきた。その他、本の紹介でも幾つ「共謀罪」と書いたかはわからない。それらを一挙に拾ったならば、このぐらいになるかもしれない、ならないかもしれない。そこに「何処かの機関」の明確な「意思」が存在していたとしていたのだとすれば、私はまだ共謀罪は施行されていなかったのだから、「違法捜査である」と、明確に言いたい。監視社会。こんなことを書くことが、日常茶飯事になってしまった社会をつくってしまった。それは私の責任でもあるけど、貴方の責任でもある。ネットでは、「テロや犯罪を防ぐために必要だ。あまり前だ」とあまりにも「幼稚な」言葉が散乱する。もう一度、立ち止まってキチンと考えて」欲しい。共謀罪は明日2017年7月11日、施行される。
2017年07月10日
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『小津安二郎』MUJI BOOKS 人と物 3 『花森安治』のあと、やはり気になって無印良品に出掛けて、これを手に入れた。柳宗悦や花森安治ならば判る。何故小津安二郎なのか。帯にその答えがあった。 椅子のない日本のくらしを舞台に日常生活を描いた小津監督が綴る「映画の味・人生の味」。 少なくとも映画ファンならば、好き嫌いは別として、数本は観ておくべき監督の1人ではある。そこから一歩進んで、このような本を読むと、日常生活を描きながら広く深い世界を撮り続けたと言われる監督の作品を見る眼が一挙に広がる気がする。 例えば扉写真には、小津組の三脚がある。カメラを低く構えるために浦田の鉄工所で特注した三脚で、通称は「カニ」。塗装が剥げるたびに、何度も塗り直しをしたらしい。 初めて見た。ローアングルで撮ることは知っていたが、まさかここまでとは。 この構図にしたのは、初期の『肉体美』かららしい。バーの中で、カットのたびにライトを運ぶので、床のしたは電気のコードだらけになって、いちいち片付けて次のカットに移るのは時間もかかるし、やっかいなので、床が写らないように、カメラを上向きにしたらしい。そしたら、構図を気に入ったというわけだ。 僕はトウフ屋だからトウフしかつくらないと、いつも言っているんです。同じ人間が、そんなにいろいろな映画をつくれませんよ。何でもそろっているデパートの食堂で、うまい料理を食べれないようなものです。ひとには同じように見えても、僕自身はひとつひとつに新しいものを表現し、新しい興味で作品に取りかかっているのです。(「年寄りにも楽しい映画を『秋刀魚の味』」1962年)(15p) 最晩年の言葉であるが、この本を読むと、戦中からほぼ一貫していることが判る。だからこそ、三ツ星の寿司職人のドキュメンタリーが世界を回ることが起きるように、小津安二郎の映画は、今でも世界を回るのだろう。 映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思っていますよ。(23p) 七分目か八分目をみせておいて、そのみえない部分が物のあわれにならないだろうか。(35p) 何でもないものも二度と現れない故に、この世のものは限りなく貴い。(44p) 2017年7月9日読了
2017年07月09日
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後半の四作品です。前後半とも、毎年そうですが、6月は佳作が多かった。「お嬢さん」この作品を、嫌いだという映画仲間もいた。暴力描写が激しくて嫌なのかな、と予想していたのだが、どうも違っていたようだ。希少本の朗読というかたちで、ああいういわゆる「エロ本」の読書会をするのが許せなかったのだと想像した(葛飾北斎の有名な絵を低俗絵画で紹介。私には許容範囲)。しかし、ここにこそ、この映画が作られた肝があり、ヒットした肝があったのだ(韓国人にとり日本の植民地時代は「恨」なのである)。しかも、最近の韓国映画の傾向なのだが、その中の悪役が日本人ではないのだ。植民地時代に寄生する韓国人の嫌らしさとおぞましさを日本語で描くからこそ、意味があるのである。それに、もし間違いがなければお嬢さん秀子は正真正銘の日本人のはずだ。メイドのスッキとの交流を描いたのであり、私にはパク・チャヌクらしからぬ擦り寄りのように思えたのであるが、違うのか?官能場面は予想範囲内だった。しかし、日本の大物女優はこういう映画に出演出来ないだろう(実際長澤まさみが濃厚な濡れ場をこの前拒否して映画出演を断った)。この点だけでも、韓国映画の独壇場は続く。ストーリーは予想の範囲内だった。(解説)第69回カンヌ国際映画祭に出品された、サラ・ウォーターズの小説「荊の城」を原案にしたサスペンス。日本統治下の韓国を舞台に、ある詐欺師が企てる富豪一家の財産強奪の行く末を追い掛ける。メガホンを取るのは、『オールド・ボーイ』『渇き』などの鬼才パク・チャヌク。『泣く男』などのキム・ミニ、『チェイサー』などのハ・ジョンウ、『最後まで行く』などのチョ・ジヌンらが出演。二転三転する展開や、1930年代の韓国を再現した美術や衣装に目を奪われる。(あらすじ)日本の統治下にあった1930年代の韓国。詐欺師たちの集団の手で育てられた少女スッキ(キム・テリ)は、伯爵の呼び名を持つ詐欺師(ハ・ジョンウ)から美しい富豪令嬢・秀子(キム・ミニ)のメイドという仕事をあてがわれる。スラム街から彼女とそのおじが暮らす豪邸に移ったスッキだが、伯爵は彼女の助けを得て秀子との財産目当ての結婚をしようと企んでいた。結婚した後に秀子を精神病院に送り込んで財産を奪う計画を進める伯爵だが……。2017年6月15日シネマ・クレール★★★★「22年目の告白-私が殺人犯です-」私は韓国の本場で、このリメイク作品の元の「殺人の告白」を観ている。よって、二転三転するストーリーに驚きはまったくなかった。注目したのは、リメイクであるにもかかわらず、2週目にして倉敷では珍しくこの上映がほぼ満席になっていたことである。一番館という2、3番目に大きな館なのである。圧倒的に若者が多く、しかもイケメン狙いの観客ではなく、男女ほぼ同数という、ストーリーに興味を持って来たと思われる理想的な観客層だったのである。私は、作品の出来よりもこのことに感動しビックリした。話の筋は、残虐な殺人事件に対して、法によって裁けない場合があったとしたら、その時に人はどうあるべきか?という、よくある問いなのだ。アメリカでは、保安官の伝統があって、大抵は「私設保安官」が登場して、その主人公は捕まらないままに去ってゆくことが多い。日本では、半分社会も許容出来る私的復讐を認める文化はない(歴史上仇討ちは、その唯一の例外時期だったのかもしれない)。しかし、若者は、それに対する最大の「同情」を持っていることもわかった。なぜ、主人公は犯人を殺すことを最後にはやめたのか。ここに、今の若者はたどり着けるだろうか。韓国映画は、こういうテーマを掘り下げることなく、二転三転のエンタメに徹した。それもまた、韓国らしさである。■ あらすじ阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した1995年、三つのルールに基づく5件の連続殺人事件が起こる。担当刑事の牧村航(伊藤英明)はもう少しで犯人を捕まえられそうだったものの、尊敬する上司を亡き者にされた上に犯人を取り逃してしまう。その後事件は解決することなく時効を迎えるが、ある日、曾根崎雅人(藤原竜也)と名乗る男が事件の内容をつづった手記「私が殺人犯です」を発表し……。■ 解説未解決のまま時効を迎えた連続殺人事件の犯人が殺人に関する手記を出版したことから、新たな事件が巻き起こるサスペンス。韓国映画『殺人の告白』をベースに、『SR サイタマノラッパー』シリーズなどの入江悠監督がメガホンを取り、日本ならではの時事性を加えてアレンジ。共同脚本を『ボクは坊さん。』などの平田研也が担当。日本中を震撼(しんかん)させる殺人手記を出版する殺人犯を藤原竜也、事件発生時から犯人を追ってきた刑事を伊藤英明が演じる。■ キャスト藤原竜也、伊藤英明、夏帆、野村周平、石橋杏奈、竜星涼、早乙女太一、平田満、岩松了、岩城滉一、仲村トオル■ スタッフ監督・脚本: 入江悠脚本: 平田研也2017年6月17日Movix倉敷★★★★「家族はつらいよ2」今週ラストウイークにも関わらず、主役の男性俳優の家族に不祥事があったにも関わらず、50ー70台の友人夫婦を中心に席の半分ぐらいが埋まっていたのには、感心した。この作品の大家族は、いまや私にはもちろん、多くの家族には無縁かもしれないが、それでも共感の笑いが館内に幾度となく沸き起こる。まあ、寅さんと同じ笑いの構造。家族構成は小津に似ていて、当然弟子の山田は意識している。しかし、当然カメラアングルも、現代風の性格付けもオリジナルだ。でも、家族会議は、見習ってどこの会議もした方がいいかもしれない。この前終わったドラマ「母になる」もやっていた。そうやって、みんなで問題を解決する方法がみんなの未来を明るくするのかもしれない。もっとも、前回もそうだったけど。今回も家族会議にうな重の上を7人前も頼んだら、それだけで2万円ぐらいするはずで、あの父親にしろ、長男にしろ、かなりいい会社に勤めていたことが予想されて共感出来ない(^_^;)。■ あらすじ家族全員を巻き込んだ平田周造(橋爪功)と妻・富子(吉行和子)との離婚騒動から数年。マイカーでのドライブを趣味にしていた周造だが、車に傷が目立つようになったことから長男・幸之助(西村雅彦)は運転免許証を返上させようと動く。だが、それを知った周造は意固地になって運転を続ける。ある日、行きつけの居酒屋のおかみ・かよ(風吹ジュン)を乗せてドライブをしていた周造は、故郷広島の同級生・丸田吟平(小林稔侍)と偶然再会。周造は四十数年ぶりに一緒に酒を飲み、丸田を自宅に泊めるが……。■ 解説ワケありクセあり一家の悲喜こもごもを描いたコメディードラマの続編。離婚危機を乗り越えた平田家の面々が、父親の同級生が来訪したのを機に新たな騒動を巻き起こす。監督の山田洋次、 脚本の平松恵美子、キャストの橋爪功、吉行和子、西村雅彦、妻夫木聡、蒼井優ら前作のスタッフ・キャスト陣が再結集する。無縁社会というテーマを掲げ、山田監督が独自の視点で描く家族物語に引き込まれる。■ キャスト橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優、藤山扇治郎、オクダサトシ、有薗芳記、広岡由里子、近藤公園、北山雅康、徳永ゆうき、小林稔侍、風吹ジュン、中村鷹之資、丸山歩夢、劇団ひとり、笑福亭鶴瓶■ スタッフ監督・脚本: 山田洋次脚本: 平松恵美子2017年6月22日Movix倉敷★★★★「マンチェスター・バイ・ザ・シー」最後の処理は物足りないようにも思えるが、あれでよかったようにも思える。「ムーンライト」と同様、大きな事件は起きない。劇的なラストはやって来ない。アメリカのミニシアター系作品なのだろう。ただ、物語の始めとは人間関係の進展は起きている。身近な者の死亡という、身近なテーマなだけに、細かな演技(突然切れる等々)に共感は得やすい。主演男優賞も脚本賞も、そう言われればそうかもしれない、というぐらい。いいのだけど、普遍的な価値がある気がしない。(見どころ)マット・デイモンがプロデューサー、ケイシー・アフレックが主演を務め、数々の映画賞を席巻した人間ドラマ。ボストン郊外で暮らす便利屋が兄が亡くなったのを機に帰郷し、16歳のおいの世話をしつつ自身が抱える過去のトラウマと向き合う姿が描かれる。メガホンを取るのは、『ギャング・オブ・ニューヨーク』などの脚本を担当してきたケネス・ロナーガン。共演には『ブルーバレンタイン』などのミシェル・ウィリアムズ、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などのカイル・チャンドラーらが名を連ねる。(あらすじ)ボストン郊外で便利屋をしている孤独な男リー(ケイシー・アフレック)は、兄ジョー(カイル・チャンドラー)の急死をきっかけに故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ってくる。兄の死を悲しむ暇もなく、遺言で16歳になるおいのパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人を引き受けた彼は、おいの面倒を見るため故郷の町に留まるうちに、自身が心を閉ざすことになった過去の悲劇と向き合うことになり……。2017年6月25日シネマ・クレール★★★☆
2017年07月08日
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6月に観た映画は8作品。二回に分けて紹介します。「ちょっと今から仕事やめてくる」そう言えば、22年間勤めた仕事をちょっとやめた時に、既にいい大人だから別に相談する必要はなかったのかもしれなかったのだけど、なぜか父親だけには事前に相談しなくちゃと思って打ち明けたら、意外なほどにすんなりOKが出たのを思い出した。精神的に参っている事よりも、なんか変な処を心配(もう結婚を諦めたので、これ以上儲ける必要無いのもあり仕事辞める、と言うと、「結婚諦めたのか」と驚かれた)された事も、思い出した。観客は、主演2人目当ての若い女性ばかり。本来観て欲しい疲れた男はほとんどいない。まあ、DVDが出た時に、ふと観てもらえればいいのかもしれない。その時に「応えることのできる作品」になっているのか、どうか。正直、半々だ。それなりにわかりやすくブラック企業の客観的な姿や、自殺を思いとどまる要因、或いは偶然だけど展望ある未来を示してはいるが、やはりまだ明るすぎる、予定調和に思える。1番の危機は、主人公の最初の自殺なのだが、それを数分で流れるように見せたのでは、参っている人たちには、なんだかなあ、と思うのではないか?■ あらすじ激務により心も体も疲れ果ててしまった青山隆(工藤阿須加)は、意識を失い電車にはねられそうになったところをヤマモト(福士蒼汰)と名乗る男に助けられる。幼なじみだという彼に心当たりのない隆だが、ヤマモトに出会ってから仕事は順調にいき明るさも戻ってきた。ある日隆は、ヤマモトが3年前に自殺していたことを知り……。■ 解説第21回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞した北川恵海の小説を、『イン・ザ・ヒーロー』などの福士蒼汰を主演に迎えて映画化。ノルマが厳しい企業に勤め心身共に疲弊した青年が、幼なじみを名乗る人物との交流を通じ生き方を模索するさまを描く。メガホンを取るのは、『八日目の蝉』や『ソロモンの偽証』シリーズなどの成島出。福士演じる謎の男に救われる青年に、『夏美のホタル』などの工藤阿須加がふんするほか、黒木華、小池栄子、吉田鋼太郎らが共演。■ キャスト福士蒼汰、工藤阿須加、黒木華、森口瑤子、池田成志、小池栄子、吉田鋼太郎■ スタッフ原作: 北川恵海主題歌: コブクロ監督・脚本: 成島出2017年6月3日movix倉敷★★★☆「午後8時の訪問者」ダルデンヌ兄弟作品なので、通常のサスペンスではない、犯人探しではないかもしれない、とは思っていた。次第とあぶり出される弱いくて、声を出すことが出来ない人たち、そして良心に苛まれながらもウソをつく人たち。ジェニーだけがウソをつかない。医師として上から言葉になってしまうけど、貧困地区の診療所の医師になるのを全く迷わなかったし、乱暴な患者もいるけど、帰りにオヤツを渡す人たちもいる。ジェニーが人情溢れる街のお医者になってゆく過程を描いて、名医誕生の瞬間を描く作品になっている。(解説)診療時間をとっくに過ぎた午後8時に鳴ったドアベルに若き女医ジェニーは応じなかった。その翌日、診療所近くで身元不明の少女の遺体が見つかる。それは診療所のモニターに収められた少女だった。少女は誰なのか? 何故死んでしまったのか? ドアベルを押して何を伝えようとしていたのか?あふれかえる疑問の中、ジェニーは亡くなる直前の少女の足取りを探るうちに危険に巻き込まれていく。彼女の名を知ろうと、必死で少女のかけらを集めるジェニーが見つけ出す意外な死の真相とは──。作品を発表するごとにカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、2度のパルムドール大賞のほか、数々の映画賞を世界中で獲得しているジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督。本作も第69回カンヌ国際映画祭にパルムドール受賞作『ロゼッタ』以降7作品連続コンペティション部門に出品されるという快挙を成し遂げた。常に上質な映画を作り上げるダルデンヌ兄弟が今回題材に選んだのは“名もなき少女”に何が起こったのかを探るミステリー。ちょっとした判断の迷いから失ってしまった“救えたかもしれない命”。出られなかった電話や読み逃していたメール、そしてドアを開けなかったベルの音──「もしかして何かが変わったのではないか」と思わせる人生の転機はどこにでもある。その転機を探るうちに意外な真相にたどり着く。その真相への道のりの間に、主人公自身にも変化が起きる……。これまでにない極上のヒューマン・サスペンスが誕生した。主人公のジェニーを演じるのは2013年にセザール賞助演女優賞、翌年には同賞主演女優賞受賞とフランス最大の映画賞を席巻し続けている若手実力派女優アデル・エネル。かねてからダルデンヌ兄弟のファンだったというアデルは、少女時代から女優として活躍し、妥協のない作品選びをし続けてきた。名もなき少女の死を受け入れきれない医者という難役をこなした本作の演技をレザンロキュプティブル誌は「彼女にふさわしい唯一の形容詞は『天才』だ!」と最大の賛辞を贈っている。今後、目の離せない女優の出現に映画ファンならずとも胸が躍る。世界が誇る才能ダルデンヌ兄弟と天才女優アデル・エネル。彼らが作り上げた新たな傑作の力強さに誰もが圧倒されるだろう。2017年6月4日シネマクレール★★★★「ローガン」少女を護る強い男の話が好きなので、「Xメンシリーズ」は飽き飽きしていたのだけど、観てしまった。東京を舞台にしたあの作品よりは10倍はいい作品だった。ミュータントが生まれなくなって、15年ほどたった近未来2029年、どうやら数年前の戦いで、ミュータントは ほぼいなくなったらしい。しかし、CIAらしき組織は「人工的ミュータント」は作り続けているらしい。ローラの造形は、悪くはないが、3/4を無口で通したので、おそらく芝居は出来ない(アクションはピカイチ)のだろう。期待した、第二のナタリーは無理。新しいミューズにはなれない。マーベル作品なのに、最後のオマケ映像がなかった。ミュータントは絶滅はまぬがれたが、ローガンやチャールズさえもいなくなったことが明らかになったので、製作は本気でX-MENシリーズを終わらせる積りなのだろう。■ あらすじ近未来では、ミュータントが絶滅の危機に直面していた。治癒能力を失いつつあるローガン(ヒュー・ジャックマン)に、チャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)は最後のミッションを託す。その内容は、ミュータントが生き残るための唯一の希望となる少女、ローラ(ダフネ・キーン)を守り抜くことだった。武装組織の襲撃を避けながら、車で荒野を突き進むローガンたちだったが……。■ 解説『X-MEN』シリーズのウルヴァリンが、傷つきながらもミュータント存亡の危機を救おうと突き進む姿を描くアクション大作。超金属の爪と超人的な治癒能力を持つ不老不死のヒーロー、ウルヴァリンが老いて傷跡残る体で、ミュータントの未来の鍵を握る少女を守るべく戦う姿を活写する。主演をシリーズ同様ヒュー・ジャックマンが務め、監督を『ウルヴァリン:SAMURAI』などのジェームズ・マンゴールドが担当。能力を失ったウルヴァリンの衝撃の姿と壮絶なバトルに注目。■ キャストヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワート、ボイド・ホルブルック、スティーヴン・マーチャント、ダフネ・キーン、リチャード・E・グラント、エリク・ラ・サル、イリース・ニール、エリザベス・ロドリゲス、クインシー・フォース■ スタッフ監督・脚本・ストーリー・製作総指揮: ジェームズ・マンゴールド2017年6月8日Movix倉敷★★★★「20センチュリー・ウーマン」「人生で確かなことは、人生がこの先どうなるか、わからないってことだけだよ」1979年。アメリカ地方都市。母親ドロシア、1924年生まれ、1964年に1男子をもうけた。つまり15歳の男の子ジェイミーをどう扱っていいのかわからなくなってきた。離婚して、(おそらく)正規の職を持ちながら、郊外の一軒家の空き部屋に、17歳の家出娘、23歳のパンク好きフォトグラファー女子、30代のヒッピーあがりの整備工たちに部屋貸ししている。印象的な台詞、絶妙な編集の新しさはある。38年前の人々がイキイキとしている、当時の音楽てんこ盛り、当時の風俗・政治情勢までも取り入れる貪欲さ。2017年の現在、ちょっと前だと思っていたむかしが、明らかに歴史になっていることを知らされて驚く。何しろ、ジミー・カーターの演説が、今から見るととっても民主的名演説(ビューティフル)に聞こえるのだ。■ あらすじ1979年のカリフォルニア州サンタバーバラ、自由奔放なシングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に頭を悩ませていた。そこで、ルームシェアしているパンクな写真家のアビー(グレタ・ガーウィグ)と、近所に暮らすジェイミーの幼なじみジュリー(エル・ファニング)に相談する。■ 解説『人生はビギナーズ』などのマイク・ミルズ監督が、自身の母親をテーマに撮ったヒューマンドラマ。1970年代末の南カリフォルニアを舞台に、3人の女性とのさまざまな経験を経て大人へと成長していく少年のひと夏を描く。思春期を迎えた息子を持つシングルマザーを『キッズ・オールライト』などのアネット・ベニングが演じるほか、『フランシス・ハ』などのグレタ・ガーウィグ、『SOMEWHERE』などのエル・ファニングらが共演。■ キャストアネット・ベニング、エル・ファニング、グレタ・ガーウィグ、ルーカス・ジェイド・ズマン、ビリー・クラダップ■ スタッフ監督・脚本: マイク・ミルズ製作総指揮: チェルシー・バーナード2017年6月8日Movix倉敷★★★★
2017年07月07日
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「ビッグイシュー314号」ゲット。 特集は「夏、雲をつかめ」。リード文は以下の通り。青い空に湧き立つ入道雲。梅雨が明ければ、本格的な夏。見上げれば浮かんでいる「雲」は、最も身近な自然だ。 人々は、昔から四季折々の雲の美しさに魅了され、天気も予測した。 〝雲の中で起こっていること〟に興味をもち雲の研究者になった、荒木健太郎さん(気象研究所予報研究部研究官)は、地球上の熱バランスと水のめぐりに大きな働きを果たす雲の謎や正体に迫りながら、「災害ゼロの未来」をめざしたいと言う。 日本で唯一の「ストーム・チェイサー」(嵐の追跡者)である写真家の青木豊さんは、雷や嵐を呼ぶ雲などを撮影。人に被害を与えることもある自然にあえて「スポットライトを当てて、自然のパワー、地球の生きた姿を表現したい」と言う。 「雲」について知ることは、人の生物本能と感性を覚醒させることにもなるだろう。今年の夏、雲を眺め、雲の声を聞き、雲をつかみたい。荒木健太郎さんの雲の見方講義は、たいへん参考になった。古代、天候を予想することは、当時最大の学問であり、関心事だったに違いない。当時の最先端学問はどうだったのか?私の想像は、乳房雲の彼方へ向かう。 NPO法人「ワークハウス雲」を紹介した記事も興味深いものだった。 岩手県一関市東山町。引きこもりや心身の障害で働けない人たちが社会復帰するための場を作っているらしい。宅配弁当、便利屋、ものづくり。 助成やボランティアや有償ボランティアに助けられながら、メンバーにわずかな報酬を渡したり、その運営の細やかな事、たいへんなことは想像できる。便利屋は一時間500円らしい。弁当も1日40ー60個に過ぎない。これで10数人の障害者の自立までもってゆく。とってもたいへんだと思うが、2ページの記事では具体的なことはほとんどわからない。 子ども食堂もそうだが、そうやって地域で小さなことからコツコツと「寄り添う共同体」が生まれている。政府や自治体は、まだまだそういうモノに対して冷たい。「雲」も、「就労継続支援B型作業所の認定を目指したこともあったが、東日本大震災が起きて行政に余裕がなくなり頓挫してしまいました」と書いているが、要は政府の自立支援法改悪の憂き目にあったということだろう。高齢化によって、財政も逼迫し、後継者問題も発生している。良心的なボランティア団体全てに起きていることである。 2017年7月5日読了
2017年07月05日
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たまたま観ていた。というか、最近はお昼は「バイキング」にチャンネルを合わすことが多い。「ひるおび」はまるで読売新聞政治欄を読むようで、腹の立つことが多いのであるが、「バイキング」はサンケイの社会欄を読むようで、あまり腹を立てないでお昼を過ごせるからである。 で、たまには坂上忍も東国原英夫も「いいこと」を言うと思って「おやっ」と思ったのだ。土曜日の秋葉原での、首相に向けられた「安倍辞めろ」「帰れ」コールのことは、去年の参議院選挙の時にも起こったはずなのに、話題にならなかった。今回は大きく取り上げられた。そのことには言及しなかったが、MCの坂上が「これについては是非とも言いたい」と言い出したので、難癖をつけるのかと思いきや、首相の発言に対して、「あれはアウト」と言い出したのだ。直ぐにYahooニュースになったのでコピペする。 坂上&東国原、安倍首相の『こんな人たち』発言を断罪「大問題にならないことがおかしい」(サンケイスポーツ)7/3(月) 16:25配信 タレント、坂上忍(50)が3日、MCを務めるフジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)に生出演。安倍晋三首相(62)が1日、東京都議選の応援演説で「安倍、やめろ!」などのヤジに対して「こんな人たちに負けない」と発言したことについて、問題視した。 この日の放送では、自民党の歴史的大敗に終わった東京都議会議員選挙(2日投開票)について特集。スタジオで議論する中で坂上は、「僕、一番印象に残っていることとして1日の安倍首相の発言を挙げ、「一国の首相ですよ、マイクを通して一部の聴衆の方々に『こんな人たち』と批判された。その奥で石原伸晃さんが手を叩いてあおっていたあの目を見たときに、『ああ、今の自民党っていうか安倍内閣って、これなんだろうな』って生意気ながらに思った。『理解されてますか?』っていう気になった」と批判した。 タレントの東国原英夫(59)も「ものすごい鋭いですね」と同調。「あの言葉っていうのは、今までの不祥事の全部を合わせたぐらいの、本当は言ってはいけない言葉。この言葉が大問題にならないことがおかしい」と断罪し、「あれこそが撤回しなきゃいけない言葉」とコメントした。 2人とも、結局これ以上突っ込まなかったが、「今までの問題発言で1番の問題発言」という位置づけは、正しいし、よく言ってくれたと思った。確かに、街頭演説を集団で妨害したとしたならば、良くないことだとは思う。私はしない。しかし、その集団に対して、彼は以下のような事を言ったのだ。(以下は産経新聞記事より転載) (首相の演説中、「安倍は辞めろ」などと叫び続けている反対派の聴衆について)あのように人が主張を訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちは政策を真面目に訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗(ひぼう)中傷したって何も生まれないんです。こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない。都政を任せるわけにはいかないではありませんか。 私が先ず思ったのは「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と宣ったのは、いつもいつもだけど、良くそんな大嘘をしゃあしゃあと言えるよな、ということである。国会でヤジを飛ばしていたのは、いったいどこのどいつだ? そして「こんな人たち」発言。 後に明らかになったが、「一般の聴衆」も「安倍辞めろ」コールをしていたらしい。それがなくても「こんな人たち」は国民なのである。結局「こんな人たち」は、「一般人」ではない。と認識していると思われても仕方ない。「こんな人たち」は、共謀罪の対象になる(と石破さんも宣っていたし)と、警察当局が「忖度」しても、あり得ることだとなってしまう。 また、結局安倍さんは、自分を尊敬の眼差しで旗を振ってくれる「お友達」としか、付き合わないのだろう。と思われても仕方ない。実際、この期に及んでも、「お友達」の稲田さんはお咎めなしである。そういう問題を含んでいるからこそ、東国原さんの言うように「あの言葉っていうのは、今までの不祥事の全部を合わせたぐらいの、本当は言ってはいけない言葉。この言葉が大問題にならないことがおかしい」のだ。 ちなみに、菅さんは「全く問題ない」との認識を示し、「極めて常識的な発言だ。そうした発言を縛ること自体あり得ない」と述べたらしい。いつもの論法である。最後に「その指摘は全く当たらない」といえば、何時の発言かは全く分からないと思うほど、「ガースー」発言であった。望月記者のように、食いついて質問する記者はいなかったのか!
2017年07月04日
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「岳飛伝 8」北方謙三 集英社文庫 「おまえや梁山泊の力で、なんとか俺は立った。これからも立ち続けているつもりだ。おまえには、迷惑な話だろうが」 「南宋を、南から牽制している形だ。岳家軍の存在は、小さくない」 「まだ小さいさ」 「そうだな。中華を統一するには、砂の一粒にもなっておるまい」 「中華の統一か」 「梁山泊は、それを認めるぞ。あそこは水みたいなものだ。おまえは器を作ればいいのだ。金国も南宋も、そうなることを恐れている」 「俺は」 「独立不羈。それはわかっている。それでいいのだ。器がよければ、水はその中にきれいに収まる」 「金国はともかく、それは南宋でもできることではないのか」 「できんさ。秦檜という男は、南宋を器にし、同時に水にしようともしている」 梁山泊は器など考えていない、ということなのか。(128p) 梁興という「商人」の言葉でももって、初めて、梁山泊と岳飛との連合の展望が開けた瞬間だった。結局、第三者の眼が必要だったのだ。この遥かなる「理想」を言葉にするには。今気がついたが、梁興という名前には、梁山泊を興すという意味があった。 南で、戦争の端緒が開かれ、東で、海戦の端緒が開かれる。 「侯真殿。戦になれば、そうたやすく勝敗は決しない、と私は思うのです。何度か決戦をしても、それは決戦になり得ない。戦が起きる地域が広すぎるのです。しかし私は、その広さが梁山泊を利する、と考えてはいるのです」(308p) 宣凱は、恐ろしいほど鋭く情勢判断をしている。呉用やましてや楊令のような鋭さを、わざと外しながら、王貴や張朔と共に、梁山泊を動かす。世代交代とは、こんな風にやるのか。羨ましい。 嵐の前の静けさ。深慮遠謀の巻であった。 2017年7月2日読了
2017年07月03日
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遅くなったが、今年のAKB総選挙について、コメントしておこうと思う。 結果は以下の通りで、指原莉乃の堂々の三連覇で終わった。かつては、「AKBは私が守る」と言ったまゆゆが卒業を発表した。「推し」ではないので深刻には考えないけど、卒業してAKBから離れて彼女に未来があるようには思えない。AKB劇場プロデューサーとしてAKBに戻るのならば、未来はある。その他、いろいろ思った所を述べる。 1位 246,376票 指原莉乃(HKT48 Team H)予想 渡辺麻友 2位 149,132票 渡辺麻友(AKB48 Team B)予想 指原莉乃 3位 113,615票 松井珠理奈(SKE48 Team S) 予想松井珠理奈 4位 82,803票 宮脇咲良(HKT48 Team KIV) 予想 宮脇咲良 5位 73,368票 荻野由佳(NGT48 Team NIII)予想 岡田奈々 6位 63,124票 須田亜香里(SKE48 Team E)予想 横山由依 7位 58,314票 横山由依(AKB48 Team A)予想 高橋朱里 8位 52,475票 惣田紗莉渚(SKE48 Team KII)予想 北原里英 9位 48,143票 岡田奈々(AKB48 Team 4)予想 加藤夕夏 10位 45,684票 北原里英(NGT48 Team NIII)予想 荻野由佳 11位 42,663票 高橋朱里(AKB48 Team 4)予想 須田亜香里 12位 41,491票 白間美瑠(NMB48 Team M)予想 倉野尾成美 13位 41,230票 本間日陽(NGT48 Team NIII)予想 小栗有以 14位 40,202票 古畑奈和(SKE48 Team KII)予想 向井地美音 15位 38,576票 高柳明音(SKE48 Team KII) 予想 高倉萌香 16位 35,540票 吉田朱里(NMB48 Team M) 予想 須藤凛々花 今回はあまり当たらなかった。ピッタリは、三位珠理奈と四位咲良のみ。 選抜も、10人しか当たらず、6人は外した。11位以下は、まるきり外した。私だけではない。事前予想をピッタリ当てた人なんていなかったのではないか?とも思う。これはつまり今回の選挙が如何に波乱に満ちたものであったかを物語るだろう。 私はかつて、AKB総選挙は国政選挙結果とリンクしている、と言ったことがある。今日は都議選結果がわかる日だが、そのことにへも影響するかもしれない。 確かに、指原莉乃の3連覇は波乱ではない。波乱の要因は出場辞退が招いたことかもしれない。 しかし、今回の3連覇でわかったのは、1部の金持ちの組織票だけでは、荻野の五位(7万)が精々ということであり、前回と並んで24万票を取るのは、もはや組織票を超えた一定の「指原を支持しなければならないファンの意識」が存在していることを認めざるを得ない。 バラエティ番組で生き残る道か、 次々と生まれるアイドルグループを管理する道か、 その二つを体現しているのが指原莉乃であり、 個人の力が引っ張る「歌と踊りと演技力」という「芸能のプロ」をAKBに求めているわけではない、ことを示していることに同意せざるを得ない。(その対局に、今や松井珠理奈がいる) 来年は一位二位の約40万票が宙に浮く。来年こそは大波乱になる。それは即ち、若者の意識動向として、国政選挙を占う意味でも重要な選挙になりそうだ。 さて、長くなるが申し訳ない、私が二ヶ月前に「推しメン宣言」をした、須藤凛々花について、述べざるを得ない。結論から言えば、私はあの「結婚宣言」を支持します! 先ずは、彼女の(本当は徳光さんに促されるまでは言うか迷っていた)スピーチを聞いて貰おう。 ■総選挙スピーチ全文 たくさんいっぱい応援してくださって、ありがとうございました。20位一番うれしいです! 私は人として足りない部分がたくさんあって、そんな中このグループに出会って、皆さんの愛をくれて、一緒に青春してくれたNMB48メンバーも本当に優しくて、そんな大好きな大好きな皆さんに囲まれて、私は人の愛を知って、初めて人を好きになりました。 えっと…私、NMB48須藤凜々花は結婚します!! えっと(ざわつきに)あの…すごくふざけているつもりに思われるかもしれませんが、私はいつも本気です。そんな中で、私は本当に初めてこんなに好きになれる人に出会いました。私はこれまでのアイドル人生に一点の曇りもなく、須藤凜々花として皆さんのことが本当に大好きでした。私が結婚するという気持ちは本気です(ざわつく会場)皆さん本当にありがとうございます。私はいたって本気です。 (司会の徳光和夫から「真剣なんだよな?」)はい、すごく迷惑をかけることもわかっているんですけど、自分にも皆さんにもウソをつきたくないと思って…。(おめでとうって言っていい?)ありがとうございます。 本当に本当に私は自分のことをアイドルと思ったことはなくて、ひとりの人間として皆さんのことが大好きで、皆さんのおかげで人への愛を知ることができました。真剣に生きていきたいと思います(計画?)それは折り入って、NMB48の大人たちと…。相手はいます(キャーという歓声とざわつきが止まらず)こんなに応援してくださる皆さんに、私の口から説明したいと思いました。改めて、結婚します(メンバーから「おめでとう!」) これは、彼女の哲学宣言でもあった。もう可哀想なくらい、自らの哲学的信念に沿った言葉だったと思う。彼女の哲学的信念の詳しくは、彼女の主著「人生を危険にさらせ」に対する私の書評を読んでもらいたいのであるが、「存在そのものを愛されたい」「愛したい」となれば、その対象が生まれた時には(初恋らしい)、突っ走るのは当然だし、大人の哲学ではなく、青年の哲学を選ぶ彼女には、自律的にAKBよりも結婚を選ぶのも、当然であった。 ファンを裏切ったと、(本当のファンが言うのはいいとしても)ファンでなかった者が言うのは、良くないと私は思う。AKBに迷惑をかけているのは、その通りだと思うので、卒業するのは一つの選択肢として仕方ない。しかし、秋元康も慰留したそうだし、本当の意味でAKBに迷惑をかけたとは、私は思っていない。私は彼女の哲学者宣言に共感してファンになったのであるから、私が彼女の哲学的行動を貫いたことを応援しこそすれ、非難するはずがない。 残念なのは、卒業することだ。結果、自分を発信するツールがあまりなくなるだろう。それをどう克服するのか、これからも見守っていきたい。
2017年07月02日
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「鹿の王1」上橋菜穂子 角川文庫 本屋大賞受賞作がやっと文庫化された。全四巻なので、急がずゆっくり一巻づつ買うことにした。何故ならば、危惧した通り、買った日の当夜、一晩かけて読み切ってしまったからである。まとめて買ってしまうと、愉しみが直ぐになくなって仕舞う。 一巻目はまだまだ、世界観の説明と登場人物たちの紹介。今回のテーマは「医療」であることは明白なので、それについては他の巻、もう少し展開してから考えたい。 気がついたのは、今回は今までよりも明確に民族的な特徴を描き分けているということかもしれない。 ヴァンが頭だった戦士団「独角」、飛鹿に乗る氏族の考え方には、台湾狩猟民族の思想が入っている気がした。台湾最大の抗日戦争だった霧社のセデック族の思想が参考にされている気がする。彼らも「勇敢に死んでこそ、あの世で先祖の魂に出会える」ことになっていたし、山岳を縦横に駆けたから日本軍を翻弄出来たのである。 一方で、稲作民族その他の民族の思想が混じりあった世界も展開する。最終巻において、それらの民族が分かり合える時が来るのか、来ないのか、見届けたい。 また、かつてない数の料理レシピが出てきたのも、今回の特徴かもしれない。 2017年6月読了
2017年07月01日
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