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5 楽な道を捨て、あえて厳しさに挑む便利で楽な都会生活を送っていると、・与えられること、受け身の慣れた環境の中では、「楽」だが、「退屈」になり、その反面・喜びを感じなくなる。それだけではない。・毎日の生活や環境を恨めしく感じたり、人間関係にストレスを感じて不満を抱くようになる。あるいはストレス状態から心の病、自律神経失調から体調を崩す。都会生活に限らず、平凡で平穏な日常生活を送っていると何事も ・感謝することを忘れ、現状をありのままに受け止めることができなくなる。 考えてみれば、五体満足で戦争もないこの日本で、健康に暮らしていることがどんなにありがたいことか。戦乱や飢餓で苦しむ何万、何十万あるいはそれ以上の人々がこの世界にはいる、ということを忘れて、なんと罰あたりの輩がこの日本には多いことか。 こう考えれば、ほとんどの悩みや問題が解消するはずである。が、そうはいかないところが、人間の厄介なところ。 そこで、ごく普通の人が、現状に感謝するのがわかっていながら、それでも、不満を抱えたり、退屈したり、何か目先の悩み問題を抱えたときに、どうすればよいか、を考えてみよう。 結論を出す前に、まず、一般のごく普通の人がたどる道をトレースする。
2016.12.31
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さらに、企業全体を見渡してみる。すると、どんな分野の仕事を担当しても、最終的には、売上げが上がらないことには、企業は成り立たない。だとすれば、「売る力」すなわち「営業力」を磨けば、どんな時代、どんな環境に置かれても、「必要不可欠な存在」になることができ、自分にそういう「営業力」があれば、それは、立派なライフワークになることが分かるはずである。 以上が精神貴族の第一条「品位ある賢者は「貧乏」ではない。そのために彼(彼女)らは、安定した収入源をもっていることが必要である。それは、経営の安定した企業や役所勤務の給与である場合もある。を実現する手段の一つとなるだろう。
2016.12.30
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ここまで来ると、一つの方法としておすすめしたいのは、複合の知識、技能を習得する方法。英語や経理など単独分野のプロとして認められるのは至難のわざなので、もう一工夫する。たとえば「英語ができるようになる」というやり方。これに、さらに何かの分野のテクニカル・ターム(技術用語)、関連分野の法律に詳しいという技能が加わると、間違いなく第一人者の折紙がつけられる。こうして、複合の技能を身に付けるように「積み重ねて行くこと」が、自分の存在価値(P・I)を確立するコツなのである。 こうしてPIさえ確立しておけば、それがたとえ、ライフワークでなくても、今後、仕事や職業を選択する幅が広がるはずだ。今のうちに、一般社会情勢や世界の動きなどにも関心を持って、「広い視野でモノを見る」習慣を身に付けておいた方がよい。その際、人があまりやりたがらないものにチャレンジすべきである。多くの人がチャレンジするテーマは競争も激しくPI(パーソナル・アイデンティティ=個人として、他の追随を許さぬ特性)も確立し難いからである。
2016.12.29
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「やる気」が起きるのは何と言っても「認められること」。趣味でも仕事でもあるテーマを与えられ、最初はできなかったことができるようになる、それを指導者や上司から「認めてもらっとき」である。それは「成長が確認できたこと」に通じるだろう。 やる気は、気の進まないこと、苦手なことよりは、「好きなこと」によって起きるのは当然である。できれば「好きなこと」を見つけてそれに打ち込めれば、やる気が起き、しかもそのやる気は継続する。
2016.12.28
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6 「角」のある人になる性格の丸い人間でも、どこか角がほしいものだ。人間はいかに円くとも、どこかに角がなければならぬもので、古歌にもあるごとく、余り円いとかえって転びやすいことになる。(澁澤栄一「論語と算盤」より)(注)丸くて温厚な人柄はいいものだが、どこかに尖っている部分が欲しい。昔の歌にあるように、ただ丸いばかりだと、コロコロと転がりやすくなってしまうから。 それに前にも触れたように、経営や企画にも関心をもって、立場によっては、上からの提案に異議を唱えたり、代案を提案する、ということは、特に中小企業などでは必要な心構えである。上の命令をご無理ごもっともで過ごして後になってぶつぶつ文句を言っても「後の祭り」である。そういうことは実際にしばしば起きているのである。 「転んでもただでは起きない」というしぶとさも必要な世の中になったということだ
2016.12.27
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社長の気分で考える一方で忘れてならないのは、常に「現場に目を向ける」ということである。末端・現場を忘れると、行政のサービスも企業の企画も挫折する。「これは必要なことだ」と、独りよがりで実施した行政施策が、国民の思わぬ反発を招くことがある。住基ネットは、市民だけでなく一部の地方行政の長までが反対した。『末端・現場』を無視したからである。「感性という武器を身につける」「感性を磨く10箇条 第3条 末端・現場を知る」参照『売れるはずだ』と売り出した商品が意外に不評なのも末端・現場を忘れた商品計画が元凶であることが多い。何かにつまずいたら、『末端・現場』を見直すことだ。ものごとは「やってみなければわからない」ということもある。 インターネットビジネスの可能性、将来性がやかましく論じられた。私も否定しない。 しかし、インターネットで、何もかもうまくいくか。というとそんなことはもちろんない。インターネットは一方で便利性をもたらしたが、他方で、詐欺、自殺幇助、麻薬や脱法ハーブを蔓延させ、コンピュータ・ウィルスは政府や金融機関のホームページやソフトをサイバー攻撃して、国や社会の治安や安全を脅かしている。 行政施策も住民無視、不在の施策で暗礁に乗り上げるのは、感性を磨く10箇条の(1条)自然の摂理を忘れ(3条)末端現場をおろそかにしたためであることが多い。 謙虚に末端、現場から学ぶように心掛ければこれまで気付かなかったキーポイントに気付き、問題解決の突破口が開かれるはずである。 「安いのに売れない」「部下(市民)が支持してくれない」と嘆いているなら(3)「末端現場の声」を謙虚に聞くことだ。 欧米の大学院を卒業し、日本の大手商社に採用されたたエリートマーケティングマンが、欧米特にヨーロッパ先進国で評判の自宅介護の用品を企画し、大量輸入して売り出した。ところが、さっぱり売れない。会社の幹部は「なぜだ」と首をかしげた。欧米特にヨーロッパに比べて、自宅介護の前提になるボランティア制度が整っていなかったからだ、という結論に達した。今度は育児用品を企画販売した。 政府が「少子高齢化対策」を打ち出したことに目を付けたものだった。これなら、前提条件が整っているだろうという考えからだった。しかし、これも不発。肝心の政府の「少子化対策」そのものが、末端・現場をよく見ていない「建前論」によるもので、前提条件が整っていないからだろうという結論。いずれも安易に本社機構の中で、マーケット、それ以前に、一般ユーザーの日常生活(現場)に目を向けない企画の失敗とみられる。東京市場の豊洲移転問題でも、現場に目を向けた幹部がどれだけいたか。
2016.12.26
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「勝ち負けの考えはいったん忘れよ」といったが、私は貧乏を奨励しているわけではない。一時「清貧のすすめ」という本がはやったことがある。が、貧乏は決して、望ましいものではない。できれば、少しは「経済的に余裕をもって」生きるべきである。もっと正確には・いざというときには、収入の手段がある(あるいは、一時的には凌げるだけの蓄えを確保して置く)という何かを担保して、生活すべきである。 時には「社長」の視点 自分では「心が弱い」と意識しなくても、「弱い立場」に追い込まれている人たちも多数いる。それは「自分の職責を全うし、職場でも認められ支持されていればよい」とまじめに頑張っている善良な市民だ。その心がけは大切だが、それだけでは十分とは言えない。知らず知らず、「弱い立場に追い込まれ気が付いた時には、進退窮まった」ということになる恐れがある。特に最近のように、為替相場や一部地域の紛争などで、株式相場が混乱したり、金融情勢の混乱があると従来順調だった業績が急激に悪化して、経営が危機にさらされることがある。 一般の社員や一担当者では、「どうにもならない」「私の責任ではない」と考えがちだが、ソニーやパナソニック、シャープなどかつて日本を代表する企業でも、こういう経営環境の急変があり、それはリストラや希望退職という形で日夜職責を全うしている一般社員を襲うことも少なくない。だから「それは経営者の責任で私の責任ではない」などと考えずに、時には社長の立場になって自分の会社の経営や景気の動向を見守る姿勢も必要である。もちろん、弱い立場に変わりはないが、やはり、最悪の事態に「備える気持ち」は必要だ。 平社員、一担当者でも「社長の視点で経営を考える」ということは、非現実的には違いないが、一種のゲーム、経営シミュレーションと思えば、こんな楽しくてスリリングなことはない。 現実には起きていない「危機」に怯えるのではなく、万一の場合には、再就職や脱サラ、資産運用、アルバイトなどの非常手段も考えて置けということである。実際に、本社を移転し、主要工場を閉鎖し、下請け工場への発注を海外に切り替える。その際従業員は解雇するーということは日本を代表する大企業では珍しくない。むしろ非常に一般的な現象。従業員は「寝耳に水」で右往左往するのだ。戦争の話は適切とはいえないが、あえて説明する。例えば、前線で敵を追い詰め終始、有利な戦闘を展開していたが、参謀本部の作戦の失敗で、武器、弾薬はつき食糧もなく、悲惨な運命をたどった部隊は、太平洋戦争で日本の軍隊には多く見受けられた。むしろ降伏前にはすべての日本軍がこういう状態だったといってもよい。参謀本部の連中は、口を拭って責任を回避し、さらに、望みのない作戦を展開し、前線を壊滅させた。いわゆる「玉砕」である。その挙句、中には「前線の兵士の士気が不足していた」などという参謀も実際には存在したのである。そういう輩が戦争犯罪人として裁かれることから巧みに逃げ、戦後、国会議員に当選したのだから当時の国民と選挙民の意識を疑いたくなる。戦争の話は適切ではないが、わかりやすいのであえて紹介した。平時においても直接人を殺すか否かはないにしても、同じようなトップの判断ミスで多くの人を死活問題に追い込むこそはたびたび私たちの目の前で起きている。記憶に新しいところでは、大手4大証券の一角だった山一證券。社長は「社員は悪くありません。すべて私の責任です」と記者会見で謝罪したが、前任の経営陣たちは誰一人として責任をとらず、巨額の退職金を得て口を拭った。だから、そのような事態に備えるためにも、「社長のつもりで考える」ということが有効なのである。そうすれば、「これは危ないぞ」と備え、あくまでも「クールに」作戦を練ることもできるわけだ。一つのアイデアとしては、ゲーム感覚でたとえば株式投資にNISAという制度を研究し、練習しておくのもよいことだ。 まったくゼロになることは考えられないし、最高百万円の損害だから、このくらいの「余裕」は絶えず持っている心構えを持て、という意味である。 。
2016.12.25
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6 「強さ」の根っこ 「理屈では分かるがどうしても弱気が治せない」という人もいるだろう。そういう人は・自分は弱い人間だと認めてしまうことで、かえって気が軽くなる。言い換えれば、・一人で強い人間などはそもそもいないからだ。前に言ったように気の強そうに見える人も実はさびしがり屋で人一倍弱い人間なのである。 困ったことに職場の人とは「付き合わない」わけにはいかない。一番良いのは苦手の人間の本質を見抜いてスバッと切り込むことである。そうすると相手は意表を突かれてかえってこちらに敬意を表するようになる。それは面白いほどである。要するに、職場の人間を観察して楽しむくらいの余裕を持つことである。 それができない人は、自分の得意技を磨いて、「こいつは役に立つ」と思わせること。例えばあなたが苦手な上司がパソコンには弱い、とか文章には弱いとしよう。あなたがパソコンに強く、文章に強ければ、このパソコンと文章の両面でこの上司を「サポート」してあげることである。私はこの手で、みんなが敬遠していた先輩の心をつかむことができた。もっとも私の場合は、まだパソコンは普及していなかったので、文書と文字でこの先輩をサポートしてあげて、信頼関係を築いた経験がある。 私が勤めた最初の会社で、転勤命令が出た。新しい職場のY先輩は、一般には「怖くて厳しい人」と定評があった。 私が新しい職場へ転勤しYさんと一緒に仕事をすることを知った人たちは一様に「気の毒に」という顔をした。事実、そのY先輩が厳しいことに耐え切れず、何人も前任者が会社を辞めていることを私も知っていた。 私は戦々恐々、覚悟を決めて、新しい職場でそのY先輩と仕事を始めた。ここでいえることは「人の噂は信じてはならない。噂は半分」と思うこと。 実際に仕事を始めると、噂とは異なり、そのY先輩は決して理不尽に厳しさを求める人ではなく、きちんとした仕事をする人でこちらが、真面目に仕事をすれば,決して意地悪な人ではないことが分かった。それどころか、東大出のYさんは、頭の切れる人で私にとって、いろいろ参考になることも教えてくれたのである。さらに、そんな、Yさんにも、「弱み」があることが分かった。その「弱み」とはー字を書くこと、文章を書くことだった。実は、それは、私が「得意」とすることだった。だから私はYさんに代わってYさんの求められた仕事を代行しYさんは、彼の上司である会社のトップや幹部からほめられることが多かった。つまり、私が代行することで、Yさんの上司からの評価は、さらに上がったのだった。Yさんは私を重宝がって、よく私の出番を作ってくれた。Yさんと私は、当初の大方の予想に反し、助け合って楽しく、仕事の実績を上げることができたのである。 こうして考えると人間すべてに「強い人」などは存在しない。 要は「相手も人の子」であることを知ることである。そうすれば相手の弱いところが見えてくるばかりか実は欠点だらけ弱点だらけの人間だったということもわかるかもしれないのだ。ここまでくれば、もはやあなたは「弱い人間」ではないことに気づくだろう。 クールに見れば、強い人間なんてどこにもいない。人間は一人で裸で生まれ、一人で裸で死んでいくのだ。そう考えれば怖いものなんかいないのである。こういう気持ちになることが強い人間になる第一歩、根っこなのだ。・人間をよりよく知ること・職場でも家庭でも人間を観察し、より深く理解することを心がけよう。そうすると、生きるのが楽しくなる。 あなたは「弱くて自信のない人間」と自分のことを思い込み、ずぶとくて(反面無神経な人間を強いと思っていたかもしれないが、そういう人は、繊細であなたが気が付いている、繊細な人心の機微や自然の微妙な変化、現実的な側面などは理解できないかわいそうな野暮天かもしれないのだ。 人間「長所は欠点」「欠点も長所」ということになる。(第5章参照)
2016.12.24
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1 「勝ち負け」を忘れる 「弱い犬ほど吠える」といった。人間も同じで、本当に肝の据わった人間は、日常はもちろんピンチが訪れても大声でわめいたり暴力をふるったりしない。心の中で何か不安を抱えたり、何事も思うようにいかないでイライラしているとき、人の迷惑も顧みずどなり散らしたり、わめいたり物を投げ、ひどい時には刃物を振り回したりする。一種の錯乱状態だ。そういう連中が複数になりグループや集団を形成すると暴力団、暴走族という形になり、警察の手を焼かせ誠に始末が悪い。 そうでなければ、孤立して、妄想に取りつかれ突然意味もなく、無差別に人に襲い掛かり、罪のない人々を殺傷する事件がたびたび起きている。「だれでもよかった」「人を殺して死刑になりたかった」というに及んでは、批判する言葉を失う。挙句の果てに「心身妄弱で判断力なし」などという精神鑑定の結果が出るとすれば、犯罪被害者の人権はどうなった、といいたい。 こうなってくると、最早「自分の身は自分で守るしかない」といってもよい状態である。 「弱い心が形成される過程」はー情報が氾濫し、人間関係が複雑になってくる一方で、少子化、核家族化がすすみ心に悩みを抱える人の「相談相手」がいない。昔ならおじいちゃん、おばあちゃんや隣近所の人が「どうしたの」と声をかけ、励ましたりしたのだが、今はそういう親切な人(お節介?な人)も少なくなり、下手に声をかけようものなら「私の子供です。構わないで!放っておいで下さい!」場合によっては誘拐犯と誤解されたりすることもあるという。 というわけで、社会全体が他人には無関心になり、学校の先生も生徒の反発やいわゆるモンスターペアレントの反撃を恐れて、手が出せない? 群衆の中の孤独、気持ちの通じ合わない家族の中の孤独、は山の中の孤独よりも淋しい精神状態だ。 そういう心の状態で、自分の気持ちに寄り添おうとしない過干渉の親から「勉強しろ、学校へ行け」と声をかけられ、先生からも注意をされる。抑圧された心は「爆発」する。いわゆる切れた状態だ。ちょっと見れば、ごく普通のおとなしい子が切れると「あの子がなぜ?」と首をかしげる。 こうならないための「対策」。世の中に一時「勝ち組」「負け組」という不愉快な言葉がはやったことがある。あるいは「金持ち父さん」「貧乏父さん」という言葉はもっと不愉快だ。 そこで、提案したい。・勝ち負けということをいったん忘れたらどうか、と。 それは、こういうことだ。世の中で、出世したり、金持ちに成ったり、有名になったりするものを「勝ち組」といい、それができない人々を「負け組」というとすれば、「勝ち組」が幸せで「負け組」が不幸か。 閣僚や高級官僚、社長や資産家が幸せな人生を送ったか。有名タレントが幸せか。本人たちは「忙しくて自由がない」というだけでなく、「いろいろ煩わしいことが多い」と答えるに違いない。いや、世間の手前、そうは答えないかもしれないが、本音はそれに近い答えが返ってくるにちがいないのだ。なぜか。 ある有名タレントのコメントがそれを示唆している。「6畳一間のアパート暮らしの頃は豪邸に住んでみたいと思った。念願かなって、高級住宅街にかなり大きな屋敷を構えることができた。だが、今は忙しすぎて、一か月のうち何日もその家で過ごすことができない」と。 さらに、かつては結婚相手の男性が3高と言われた。高学歴、背が高く、高収入。ところが最近の若者アンケートによれば、「高収入、出世指向」の男性は敬遠され、「優しく思いやりのある人」というのが理想だ、という。 だから、かつての「勝ち組」「負け組」は取りあえず、過去のものとなった。勝ち負けの考えはいったん忘れよ、というのである。 人間は「観察:すると面白い。威張りたがる奴は?弱みを握れば、コロッと参るものだ。
2016.12.23
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「強さ」の根っこ 「理屈では分かるがどうしても弱気が治せない」という人もいるだろう。 そういう人は ・自分は弱い人間だと認めてしまうことで、かえって気が軽くなる。 言い換えれば、 ・一人で強い人間などはそもそもいない からだ。前に言ったように気の強そうに見える人も実はさびしがり屋で人一倍弱い人間なのである。 困ったことに職場の人とは「付き合わない」わけにはいかない。一番良いのは苦手の人間の本質を見抜いてスバッと切り込むことである。そうすると相手は意表を突かれてかえってこちらに敬意を表するようになる。それは面白いほどである。要するに、職場の人間を観察して楽しむくらいの余裕を持つことである。 それができない人は、自分の得意技を磨いて、「こいつは役に立つ」と思わせること。例えばあなたが苦手な上司がパソコンには弱い、とか文章には弱いとしよう。あなたがパソコンに強く、文章に強ければ、このパソコンと文章の両面でこの上司を「サポート」してあげることである。私はこの手で、みんなが敬遠していた先輩の心をつかむことができた。もっとも私の場合は、まだパソコンは普及していなかったので、文書と文字でこの先輩をサポートしてあげて、信頼関係を築いた経験がある。 私が勤めた最初の会社で、転勤命令が出た。新しい職場のY先輩は、一般には「怖くて厳しい人」と定評があった。私が新しい職場へ転勤しYさんと一緒に仕事をすることを知った人たちは一様に「気の毒に」という顔をした。事実、そのY先輩が厳しいことに耐え切れず、何人も前任者が会社を辞めていることを私も知っていた。 私は戦々恐々、覚悟を決めて、新しい職場でそのY先輩と仕事を始めた。 ところが、噂とは異なり、そのY先輩は決して理不尽に厳しさを求める人ではなく、きちんとした仕事をする人でこちらが、真面目に仕事をすれば,決して意地悪な人ではないことが分かった。それどころか、東大出のYさんは、頭の切れる人で私にとって、いろいろ参考になることも教えてくれたのである。さらに、そんな、Yさんにも、「弱み」があることが分かった。その「弱み」とはー字を書くこと、文章を書くことだった。実は、それは、私が「得意」とすることだった。だから私はYさんに代わってYさんの求められた仕事を代行しYさんは、彼の上司である会社のトップや幹部からほめられることが多かった。 つまり、私が代行することで、Yさんの上司からの評価は、さらに上がったのだった。Yさんは私を重宝がって、よく私の出番を作ってくれた。Yさんと私は、当初の大方の予想に反し、助け合って楽しく、仕事の実績を上げることができたのである。 こうして考えると人間すべてに「強い人」などは存在しない。 要は「相手も人の子」であることを知ることである。そうすれば相手の弱いところが見えてくるばかりか実は欠点だらけ弱点だらけの人間だったということもわかるかもしれないのだ。ここまでくれば、もはやあなたは「弱い人間」ではないことに気づくだろう。 クールに見れば、強い人間なんてどこにもいない。人間は一人で裸で生まれ、一人で裸で死んでいくのだ。そう考えれば怖いものなんかいないのである。こういう気持ちになることが強い人間になる第一歩、根っこなのだ。 ・人間をよりよく知ること ・職場でも家庭でも人間を観察し、より深く理解すること を心がけよう。そうすると、生きるのが楽しくなる。 あなたは「弱くて自信のない人間」と自分のことを思い込み、ずぶとくて(反面無神経な人間を強いと思っていたかもしれないが、そういう人は、繊細であなたが気が付いている、繊細な人心の機微や自然の微妙な変化、現実的な側面などは理解できないかわいそうな野暮天かもしれないのだ。 人間「長所は欠点」「欠点も長所」ということになる
2016.12.22
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5 弱い犬は吠える?いじめの話が長くなったが、本来いじめる人間は「弱い」のである。自分が弱いからその不満をぶつけやすい対象を見つけていじめたり、いやがらせをするのである。本当に強い人間は決して「よわいものいじめ」はしない。いじめに走る人間は実は何らかの意味で「心の病人」である。ただそういういじめが続くといじめられている人間は次第に自信を失っていく。これが怖い。いすれにしてもいじめ対処法は、十分の心から「弱さ」を追い出す重要な方法なので、ぜひ、肝に銘じてほしい。「弱い犬」(いじめをするもの)は吠えるのである。本当に強い人は吠えたりしないのである。いじめやいやがらせをする人間は、心が強いのでなく弱くて歪んでいるのだ。心を病んでいる。心を病むのは環境的になんらかの心の抑圧があるからだ。それを癒そうと?他人をいじめてストレスを解消しようとしているのだ。人間は心を抑圧されるといたたまれず逃げ出したくなる。家庭が不和だったり、親が無責任で子供を放任し、わがまま放題にさせる。決して愛情があってそうしているのではなく、親自身がストレス状態にあるからである。あるいは過干渉になっている。こういう環境では寂しさや空しさややりきれなさを感じ、欲求不満に陥る。それを満たそうとして、自分の言いなりになりそうな弱いものを見つけていじめる。あるいは万引きを強要したり、家から金品を持ち出させようとする。(恐喝や窃盗の始まり)または肉体的に痛めつけて喜ぶ。これは一種のサディストのやることだ。不健康なストレスの発散方法だが、本人にはその意識はないだろう。こうしてみると、いじめる人間は、かわいそうなストレス社会の病人なのである。心を病んでいる人間はもっとエネルギーを健全に燃やす方法を見つけさせることだ。最近はやたらにカウンセラーを養成していじめられている被害者の心のケアを奨励するが、カウンセラーが万能ではない。むしろ、いじめている人間にこそ心のケアが必要な状態だ。
2016.12.21
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4 いじめに対抗する「強い意志」 学校のいじめは、少なくとも、生徒同士、あくまでも対等の関係で職場のような力関係はないはずである。いじめる方がいじめられる生徒の生活の面倒を見ているわけではない。中学、高校それぞれ3年間たまたま同じ学校に在籍する関係に過ぎないはずである。それなのになぜ、いじめが原因で不登校になったり自殺にまで追い込まれるのは、筋の通らないおかしな話である。おかしな話といっても現実にそういう痛ましい悲劇が起きているので、生徒同士の間に何らかの力関係が働いていると認めざるを得ない。とはいえ、ここに「いじめ対策」の真髄があるように思われる。いじめられて学校に行くのが嫌になったら、そんな学校はやめてしまえばいい、それだけのこと、と気づくとともに、いじめられたら両親や関係者にそれを打ち明け、みんなで彼(彼女)いじめられている生徒を支えることができたらすくなくとも、いじめによる自殺は未然に食い止められるはずである。もちろん、実際の場面では、そう割り切れないところにこの問題の難しさがある。しかし、基本的にはいじめられたら、「自分の今いる環境がこの世界ではない。環境は終始変化している」と強く自分に言い聞かせれば、いじめの悲劇は避けられるはずである。私自身もいじめを経験したが、少なくとも私はそう自分に言い聞かせて難を免れてきた。いじめで悩んでいる当事者や家族に私は次のように助言してあげたい。「だれがいじめているか知らないが、そんなものは無視しなさい」「あなたが住んでいる世界がこの世のすべてではない」「いじめているあんな奴(ら)のために、せっかく授かった大切なこの命を無駄にしてたまるものか」「命がけになるなら、もっと大切なもののために、命がけになれ」「自分をこの世に生み出してくれた親、自然の恵みを考えたらあんな奴(ら)に捧げる命はない」こう考えたら、いじめを苦にして自殺などできないはずであるもちろん、無抵抗の個人に集団で暴行したりする輩、経済力、生活力がない子供を虐待する親を考慮に入れると、常識はもはや通用しない。
2016.12.20
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3 自信のある人、無い人誤った判断の犠牲になることを防ぐ具体策は状況判断次第である。問題を未然に発見するにはあとで述べる「感性」にかかっている。それについては後で取り上げることにして、ここでは「なぜ、あなたが弱気なのか、。強気の連中の声の大きさに圧倒されてしまうのか。」を考える。やはり前述のように「自信がない」のが大きな原因となっているように思われる。すなわち「こんなことを言ってにらまれたら損をする」「自分の立場が悪くなる」「心証を悪くする」などと色々な思いが交錯して結局言いたいこと、異論を唱えることができなくなってしまうのではないか。あるいは「自分一人が異を唱えても多勢に無勢で負けてしまう。それだったらおとなしくしていた方が賢明だ」という打算もある。特に職場の上司と部下、先輩と後輩の間のように、力関係が明らかに相手が「上」の場合は下手に逆らうとあとで気まずい思いをすることになる。それだったら逆らわないほうが得、という心理が働くことは確かである。少なくともかつての日本の組織は年功序列、終身雇用だったから、「出番が来るまではおとなしくしているのが賢明」という不文律が働いていた。しかし、バブル崩壊、年功序列、終身雇用の崩壊と失われた20年、景気の低迷が長く続いた時期には、リストラの嵐が吹きまくり、誰も将来を保証してくれないことがはっきりしてきた。それに加えて、若年層の間には企業への帰属意識は薄れ、上司のことでもおかしいなと思ったら遠慮なく反論する傾向もみられるようになった。何しろ新卒者の3分の1が3年以内にやめてしまう、というそれまででは考えられないような現象がみられるようになった。そんな環境の許では「なぜ、上司の言うことに服従しなければならないか」という考えになっても不思議はないだろう。というわけで、職場の環境はすっかり様変わりしてしまった。いや、職場だけではない。家庭においても、かつては「働き手」であり、経済力を握っていた男に主導権があり、妻や子供は、一家の大黒柱である夫(親)の言うことには一目置いていた時代は遠い過去の話となり、夫婦共働きで夫婦は対等、場合によっては女性の方が経済力を握る家庭も出現するに及んで、妻の発言力は多くなり相対的に夫の発言力は縮小したといってもよい。がそれにもかかわらず、複数の人間の構成する社会においては、「力関係」が存在する。学校で「いじめ」が横行?するのは、この「力関係」が働くからに他ならない。それは、経済力でも規則によるものでもなくましてや階級や身分があるからでもない一体何がはたらいているのか。
2016.12.19
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2 声の大きい人、よくしゃべる人が羨ましい?いま、気が弱くて損をしている人が「羨ましい」と思うのはどんな人だろうか。声が大きくて人前でも自分の考えを堂々と述べ、周りの人たちを説得できる人。多くの人の支持を得てリーダーシップを発揮できる人―こういう人かもしれない。では、なぜ羨ましいと思うような人は、そういう「資質」を身につけて来たのか。どうすれば、そういう人のようになれるのか。羨ましい人、つまり多くの人の支持を得てリーダーシップを発揮している人は、なぜ、「そう」なのか。考えてみよう。よく見ると、人の支持を得られる人は「自分の考えをしっかり持っている」から「自信」に満ちているはずである。少なくとも、声が大きい、よくしゃべるだけで人の支持を得られるわけではないことがわかるだろう。だから、自分の弱い性格をうんぬんする前に「自分はしっかりした考え」「信条」「信念」というものを持っているか、と考えてみてほしい。弱い、自信がない、と落ち込んでいる人の大多数が、『自信がない』―「自分の考えを持っていない」ことが、弱さの原因であることを認めてほしいのである。だから弱い自分が嫌で、強い人、堂々としている人になりたければ、声を大きくしたり、堂々とふるまって強い人をマネするだけではだめで、強い人を強くしている「力」、自信の原動力となっているもの=「きちんとした考えをもち、多くの人から支持される考えを整理しておくこと」が先決であることを知るべきだ。
2016.12.18
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1 なぜ、強く主張できない? 気が弱くて損をしている人は意外に多いものである。日ごろ言いたいことも言えず「誤解され」悔しい思いをしたり、希望を聞いてもらえなかったり、いつも気の強い人の言うなりに成ったり…もっとひどい場合は理由もないのに「いじめ」の対象になることもあるだろう。「強くなりたい」と思うのだが生まれつきの性分で強くなれない。 しかし考えてみると「気が優しすぎる」というのは生まれつきなのだろうか。まえがきでも述べたように、人間、体の丈夫な人もいれば、生まれつき弱い人もいる。 「心」にも生まれつき“強い”人と“弱い人”があるのだろうか。 そうだとすれば、この競争社会に生き残ることは困難だ。不公平だ、と思う。がそう、思ってもどうしようもない。 結論的に言うと、生まれつきもあり、育った環境の影響もあり「何が原因で心の弱い人間になったか」は、一言で決めつけるわけにはいかない。 が、さらに開き直って考えてみよう。かりに原因がはっきりわかったとしても、気が弱いのは、それだけでは治らない、それよりも大切なことは ・どうしたら、「強くなれるか」を知ることだ。 それさえわかれば、過去がどうであれ、生まれつきがどうであれ、問題ではない。「強くなればよい」だけの話だからである。ここまでかなりしつこく話をしてきたのは、わけがある。 人間の性格は「遺伝」か「環境」か心理学の長い間の論争のテーマであり、偉い学者の間でも、未だに明快な結論は出ていない。 そんなことを論じるのは学者に任せておけばよいことで、ここで大切なことは、現に生きている人間が悩んでいる問題を解決できるかできないか、が我々には大切なことである。 今「弱い性格」で損をしている人がどうしたらよいか、という問題を解決するには、少なくとも「原因」を究明しても解決できない、ことだけは確かである。そういう遺伝子を親や先祖から受け継いだにせよ、環境が悪いせいで弱くなったにせよ、「過去」を知っても「現在」の問題は解決しない、これは、明らかなのである。ではどうするか。そこで、この話を一時お預けにして話を先に進めよう。」
2016.12.17
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この精神貴族の第1~7条をさらに絞り込むと、・経済的、精神的に「自立する」。・価値ある目標をもつ。・自分を知り、他人と喜びを分かち合う。この3条件に集約される。 これらの条件を前提に、これから、精神貴族になる条件,前提、具体的方法などについて、順次考えていくことにしよう
2016.12.16
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12月14日(水)天気予報に反して意外にいい天気なのでかねてから、計画していた、星先生の絵画教室へゆ~バスに乗って出かけた。延々と回り道するバスでようやくついた停留所疎水公園前のそばのように案内図にはあったが、探しても見当たらない。道を尋ねても要領を得ない。電話をかけて確かめようと、ポケットを探ったが、あ~充電きにかけて置いてきてしまった!歩いて歩いてへとへとになり大きな道に出て、通りかかった車に手を挙げたら、止まってくれた。今日の計画はあきらめてとりあえずJRの駅まで行ってもらうつもりだったが、「行き先まで送ってあげる。案内図を見せて」と言ってくださり、絵画教室にたどり着いた。送ってもらった車を見ると「タカラスタンダード」とあったので、「せめて名刺でも」といったが、名も告げずに走り去った。あきらめて家に帰ろうと持ったのに、目的も果たせた。帰宅してタカラスタンダードの営業所を探したが、電話帳にもインターネットでもそれらしい会社、事業所が見つからない。今時親切な人にめぐりあった。心当たりに人が、このブログを見ていたらいいのだが…本当にありがとうございました。
2016.12.15
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第5条:精神貴族は、自分自身のことをよく知っている。従って、自分自身の力を最大限に引き出し、生かす術を心得ている。他の人々が苦痛に感じることをやすやすとやってのけたり、人が感じるほど苦痛だと感じない。むしろ「楽しんでいる」ようなところさえある。だからこそ、収入の面でも、普通の人よりは恵まれているのである。 第6条:彼(彼女)らは、一般に質素である。しかし、それは彼(彼女)らがケチなのではなくあまり意味のない贅沢にお金をかけたがらないだけの話である。「心の安らぎ」のためには、思い切った支出も拒まないし、たとえばブランド品や高級品や高貴な雰囲気、珍味などのよさも一通りは理解している。 ここで第1条と第2条について「勝ち組」「負け組」と関連付けて考えてほしい。第1条:精神貴族は「貧乏」ではない。第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。 「持てる者」、つまりいわゆる「勝ち組」大金持ちや権力者たちは、この条件の1条は既に満たしていることが分かる。では「持たざる者」つまり一般市民はどうか。安定した収入源を持っていればいいわけだから、これもクリアできる人が多いであろう。 問題は、第2条の条件である。「勝ち組=持てる者」は、金や権力を使って、何ごとも思うがままにできそうに見えるが、意外にそうでないことが多い。いや、十人のうち九人までが組織のしがらみ、派閥、資金源(スポンサー)などの関係で、身動きとれない状態だ。これでは精神貴族にはなれないのである。大物といわれるほど「不自由」なのだ。 一方、一般市民はどうだ。これも、大ていの人が1条をクリアできるのに対して、2条は、なかなかクリアできないはずである。権威に屈したり、組織の力関係や行きがかり上、自分の信念に反することや不本意なことも我慢してやらなければならない。「すまじきものは宮仕え」とは清少納言の昔から、勤め人の辛い心情である。 「今、上司や周りと気まずくなって、もし会社を辞めたりしたら、ローンも返済できないし、子どもの学資も出なくなる。だから、不本意だが……」と、現実と妥協してしまう。これでは、精神貴族とはいえない。 そこで、2条の後半の部分が生きてくる。すなわち「……勤めを辞めても、生活を支える収入源がほかにあるか、または、組織に依存しないでも収入を上げる技能、技術、ノウハウを身につけているから、仮に現在の職場を辞めても、直ちに生活に困るようなことはない」。 ◎常にウデを磨いておけ 「勤めを辞めても、ほかに収入源がある」というのは、既に持たざる者ではなく、持てる者である証拠だ。だから、一般のサラリーマンは、普通はこの条件を満たすことは難しい。親譲りの財産があるか若いうちから財テクでもやって個人資産を増やしておくか、奥さんがキャリア・ウーマンで高収入があるか..ということになるが、いずれも特殊なケースであり、一般的なケースとはいえない。だが「組織に依存しないでも、収入を上げる技能……」は、実現可能である。 さらに精神貴族の第7条。これが非常に大切だ。 第7条 精神貴族は、いかなる権威、財力にも屈しない。彼(彼女)らは、何よりも「自由」を尊ぶからである。 だからこそ、「勝ち組」「負け組」の考えはしばらく忘れようと言いながら、それは必ずしも、「貧乏の勧め」ではなく、ある程度は「お金」も必要といったのである。
2016.12.15
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精神貴族(品位のある善意の人)になろう。この項は以前にUPしたが、Lea&Jensの物語が続いたので改めて掲載する。 私は拙著「ちょっと先が見え来る本」(1989年産能大学刊)の中で、「精神貴族」とうコンセプトを紹介し、ストレス社会を乗り切るには、 ・精神的に「自由」であること、つまり、何ものにも、そして誰からも拘束されない生き方として「精神貴族のすすめ」を説き、精神貴族になる7つの条件を解説した。ここでそれを紹介し参考に供す。 *精神貴族の条件精神貴族とは、耳慣れない言葉なので、言い換えれば「品位のある善意の人」のことである。以下精神貴族とは「品位のある善意の人」のことだと思っていただきたい。 第1条:精神貴族は「貧乏」ではない。そのために彼(彼女)らは、安定した収入源をもっていることが必要である。それは、経営の安定した企業や役所勤務の給与である場合もある。しかし、彼(彼女)らは、その勤めを「食べるために仕方なく続けている」わけではない。 第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。勤めを辞めても、生活を支える収入源がほかにあるか、または組織に依存しないでも収入をあげる技能、技術、ノウハウを身につけているから、仮に現在の職場を辞めても、直ちに生活に困るようなことはない。彼(彼女)らが、今の仕事を続けようとするのは、その方が便利であり、楽しいし、効率的でスケールの大きな仕事もできるからであって、決して辞めると生活に困るからではない。 第3条:精神貴族は、価値のあるテーマ、目標をもっている。それは、仕事と一致したり、重なり合っていることもあるし、仕事とは全く別の分野のテーマであることもある。後者の場合は、仕事は、その価値あるテーマを支えるための重要な手段となっている。 価値のあるテーマとは、当事者にとってもちろん価値があるのだが、それだけでなく社会性のあるテーマのことを指す。人の悩みを解決したり、人の役に立ったり、人を喜ばせたり、励ましたりするような何らかのテーマである。第4条:精神貴族は、価値あるテーマを達成するために努力することによって、人と喜びを分かち合い、自分自身も、それを生きがい、心の支えとしている。 つづく
2016.12.14
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人間の運命とはわからないものだ。Hello BillI am sorry to hear your newsBut happy to hear that you are still with us and now recoveringThis must be a shock for you, Sakiko and your familyBoth Jens and I send you our warmest wishes and hope for a speedy return to good healthWarm RegardsLeaリーから 私の急病への見舞いと慰めのメッセージが届き、懸命にリハビリに励んでいたころ今度はリーに不幸がー最愛の夫Jensが亡くなったのだ。すぐにも飛んで行って慰めたいところだが、病気療養中の私にはできないし、行っても余計な心配をかけるだけと思い慰めの言葉もないが、とりあえず下記のメッセージを送った。Dear Lea, We are very surprised and sad,as we went the other day toShiobara where we drew together view of river and mountain.and then We talk on Jens waited us taking hot spa there. Jens is so younger than me.You deeply loved each other We know.We feel sympathy with you.We also hope you would be become recover in long term. Warmest Regards,Bill & Saki Kunishi PS I sent a new book. It will arrive soon in which Jens smile with youin 1999 and 2000. だが、リーはまだ50代の若さた。きっと立ち直ってくれることを期待してこの項を閉じる。
2016.12.13
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20世紀最後のオリンピック&パラリンピックも17年(二=ふた昔)前の昔話になってしまった。考えて見れば、この項の最初、つまりリーに初めて会った1995年から既に21年経ったことになる。随分長い付き合いだ。 とは言え、未だに彼女との交流は続き、私の水彩画作品にも、コメントをくれ、励ましてくれた。 孫がNZ留学の時も「いつでもいいから連絡して」と言って来たし、 最近の私のアクシデントにも左記のような、お見舞いをくれた。 Hello Bill I am sorry to hear your news But happy to hear that you are still with us and now recovering This must be a shock for you, Sakiko and your family Both Jens and I send you our warmest wishes and hope for a speedy return to good health Warm Regards Lea 外国人とここまで、精神的に深くしかも長期間にわたって心の交流ができたことは、やはり、私の生涯のハイライトの一つといてよいだろう。
2016.12.12
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熱狂的なシドニーオリンピックも、やがてフィナーレを迎えていた。Leaは閉会式の夜の花火をemailに添付して送ってきた。この頃になると、彼女もカメラワークになれて、画像を縮小して何枚も短時間で送ることができるようになっていた。其のうちの一枚が左の写真である。ハーバーブリッジが花火に映えて美しい。 この画像に誘われたように、私はシドニーヘ旅立った。 シドニーでは、Leaが「風光明媚なところへ案内する」といって、郊外の景勝地へ案内してくれた。 その日は、あいにく、風の強い日だったが、どうやら絵を描くことができた。今度はかなり複雑な構図と色だ。Leaの指導もかなり手厳しく注文する内容も難しくなってきた。春とはいえ身を切るような冷たい風が身にしみた。 ある程度描き終えてほっとしたところを、二人で交代して写真を撮りあった。 Leaの家へ戻って、絵の具だらけの上着を脱いでおいたら、JENSが洗濯するという。「ついでに何でも出しておけ」といって、そのとおりにしたら、私の下着まで洗濯して干しておいてくれた。シドニーの元検事に下着まで洗ってもらったのはLEAを除けば、私くらいのものだろう。 次の日は雨だったので、リーの家で絵を完成させた。(写真右) 「絵が完成したら、パラリンピックへ行こう」 Leaとはそういう約束だった。 数日後のある晴れた日に Leaと私はパラリンピック会場へ観戦に行った。テニス、卓球、陸上と見て回った頃お昼になっていた。 メインスタジアム裏へ来たとき、 Leaは「そこへ立って、トーチをかざすポーズをとって」といって、茶目っ気たっぷりに写真を撮ってくれた。(写真左) Leaは 絵の指導のときは、容赦なく厳しいが、絵を離れると、やさしくて茶目っ気のある女性に戻る。 この数日間夫のJENSは、2回外食に付き合ってご馳走してくれた。昼食は仕事場からわざわざ私たちが絵を描いたウオーターフロントの、シーフードレストランへ来てくれた。夕食はアジアレストランで、それぞれすばらしいものだった。
2016.12.11
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Lea は最愛の人Jensを伴って東京の代々木にあった、私たちのマンションに一泊後私たちのいる那須へやって来た。 リーは荷物の中から自作のブロンズの裸女の彫刻を出して「この世に2つしかないもの、私の大事な2人の人にプレゼントする。一人はJENSに,もう一人はあなたよ」といった。なんだか、くすぐったいような、見え透いたような言葉だが、でも、何となく嬉しかった。一生懸命制作し、重いのを厭わずに持ってきてくれたことが嬉しい。もっとも、荷物を持たされたのはJENSだが。このときつくづくLEAのナイトにはなれなかったな、外国の男は大変だな。自分は日本の男でよかったと思った。 幸いなことにこの年は空梅雨で比較的天気のいい日が多かった。 JENSは2メートル近い大男、かつてシドニーで検事を務め、今は弁護士を開業している「気はやさしくて力持ち」だった。那須の山荘では1.8メートルの鴨居に、しばしば頭をぶつけて悩まされていた。私たちは那須の山荘を1週間彼らに開放し、日光への1泊旅行もプレゼントした。 東日本滞在の最終日妻は鯛尽くしの手料理でもてなした。幸い、妻はLEAについて「女の私が魅力を感じる。素敵な人ね」と彼女を気に入ったよう だった。(妻の鯛尽くしの手料理でもてなし乾杯!写真)
2016.12.10
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次の年1998年の春、 リーは今度はノースヘッドという市の中心部の、対岸に位置する小高い丘へ私を案内した。 そこからはシドニーの中心街が海の向こうに見える。折からうららかな陽気で、私たちは楽しみながら絵を描いた。 午前中はいい日よりだった。が、春の日は気まぐれである。ほぼ、下絵ができあがった頃、空には急に雲が現れ、やがて大粒の雨が降り出した。私たちは急いで描きかけの油絵をたたみ、私のアパートへ引き上げた。 リーは床に敷物を敷き、再び絵が描けるようにした。実に鮮やかな手際だった。 再びキャンバスに向かい、リーと私は絵を完成させた。それから彼女は「友人を迎えに空港へ行くから」といって夕食も取らずに帰るという。帰る間際に彼女はこういった。「雨にぬれたし、絵の具で手も汚れたので、ちょっとシャワーだけ使わせて」といってシャワーへ入った。シャワー室から出てきた リーは少し上気した頬を高潮させ、とても初々しい感じだった。 お化粧もそこそこに、私の絵を上手に梱包してくれた。 思えば、私が独身のリーと過ごしたのはこれが最後となった。つづく
2016.12.09
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私が初めて油絵を描いたのは、60歳の冬(現地の冬で、日本では夏)のことだった。私は14年前(1986年頃)から毎年オーストラリアへ行くのが慣わしになっていた。 そもそも油絵の最初のキッカケは5年前の1995年に遡る。私が長期滞在していたオーストラリア、ニューサウスウエルズ州の保養地、ポートスチーブンスのホテルでのこと。ふとした偶然から私はあるオーストラリア人の女流画家Lea Kannarと知り合った。 ふとした偶然とは、その女流画家がホテルのランドリー室で、腰にタオルを巻いてスカートにアイロンをかけていたところへ、私が突然現れて鉢合わせしたのだった。そのときはお互いに「目のやり場」に困ったのだが、不思議にザックバランになれるのが、保養地の常である。 因みに5年後の2000年にこのホテルに泊まったときは、アイロンはシドニーのシテイホテルのように、各部屋に備えられるようになっていた。今だったら、リーと私は会わずにすれ違っていたに相違ない。「運命の不思議さ」を感じる。 その後、私は彼女の部屋の前を通りかかったときに、彼女はドアを半開きにして絵を描いていた。ごく自然に、中で描いている絵が私の視野に飛び込んできた。そこには、この風光明媚な保養地の風景が、まことにみごとに描かれていたのである。 私が『すばらしいですね』とほめると、彼女は素直に喜んだ。それから、彼女の名前がリー・カナー、シドニーに住み、将来はプロの画家を目指しているが、当時は仕事をしながら、休暇を取って絵を描きにきていることなどを話してくれた。 数日後、彼女がシドニーに帰る際、自分の電話番号と住所をメモしてくれたのである。 それから1年後の1996年私はリーと再会した。このとき彼女は自宅に私を招いてくれた。かなり広い庭のある家に、彼女は一人暮らしをしていた。芸術家を目指している人の家― というイメージからすると、はるかに小奇麗に片付けられていた。が、壁には所狭しと彼女の作品がかけられていた。つまり、家中が『小美術館』という感じだった。 私は彼女を夕食に誘った。最初彼女は自宅で手料理を食べさせるつもりだったようだが、「日本食を食べたことがある?食べてみたい?」と聞くと、「食べたい」というので結局外食することにした。場所はシドニー高島屋のなかにある日本食レストラン鴨川。 彼女にとっては、はじめての日本料理、といっても寿司なのだが、彼女はおいしそうに、生まれてはじめての生魚を食べた。ただ、いかは苦手だったようで、これだけはすぐに吐き出してしまった。 食後二人は近くのダーリングハーバーをツーショットで歩いた。名前のとおり若い恋人たちのデートスポットとして有名な、ロマンチックな海辺のデートコースである。 歩きながらリーは『あなたは、佐紀子、私は彼のイメージを心に描いて歩きましょう』といった。佐紀子は私の妻の名前である。初対面のとき電話番号と住所を教えてくれた彼女は、オーストラリア風の奔放な生き方をしている女性かと思ったのだが、このときのせりふで、ずいぶん私の妻に対しても気を使っていることがわかった。次の年、1997年の冬、私はリーに「あなたが絵を描いているところを見たい」といった。このときまでは、まさか自分が油絵を描くなどとは夢にも思っていなかった。次の日の朝、リーは私のアパートまで車で迎えにきてくれた。誘われるまま、私は彼女の車に同乗した。トランクには、イーゼル、キャンバスなど画材が所狭しと並んでいた。 30分ほどドライブして、シドニー郊外のある浜辺についた。その浜辺はロングリーフビーチといい日本人はもとより、冬の海には現地の人さえほとんどいなかった。マンリーやボンダイという、シドニー近郊のビーチは冬でもサーファーで賑わっている。しかし、ここにはほとんど人影が見当たらないのだった。 ある程度できあがったところで、私にも「描け」という。描けといわれても、どうしていいかわからない。しかし、みようみまねでスケッチし、彼女の真似をして描いてみた。 「いい、いい」と、彼女は励ます。そして、絵の中の岸壁の部分に茶色のタッチを入れた。私は『鳥肌の立つ』感動を覚えた。このタッチで岸壁の影がまるでほんもののように浮き上がったからである。さらに、空と雲の光と影をいれた。これが本当に自分の描いた物だろうか、とわが目を疑った。が、まさに、自分が描いたのである。 一通り出来上がって我に返ると3時をまわっていた。急に空腹を覚えた。リーは籠からりんごとオレンジを1こずつ出して、どちらかを選べといった。私はリンゴを選んで夢中で齧った。ワイルドな、しかし充実したランチだった。それから彼女はジュースも取り出してすすめてくれた。彼女の分は?とたずねると「私はこれ」といってコークを飲んだ。(写真右) 「外で絵を描くときは飲み物はコークにしている。これにすると、トイレにいかなくてすむ」と彼女は笑った。そういうことがあるのかどうかわからないが、いずれにしても女性には切実な問題のようだ。 野趣あふれる昼食が終わり帰り支度をし始めたとき、彼女は私の生まれてはじめの作品を丁寧に梱包してくれた。マンリーに戻り、御礼を込めて夕食をご馳走した。食後、彼女は私のアパートの駐車場まで送ってくれた。別れの挨拶が切なかった。 こうして持ち帰った私の最初の作品を妻に見せると「これ、ほんとにあなたが描いたの?もし、そうなら、なかなかのできよ」とめったに人を誉めない妻が誉めてくれた。かねてから還暦祝いに娘と息子がプレゼントしてくれた、額縁に入れてみると、我ながら「まんざらでもない。」と思った。(写真右) その年の秋(南半球の春)リーから一通の手紙と写真が届いた。あの時描いた冬のシドニーの海の絵が、現地のメジャーのコンテストで第2位(銀メダル)を取ったというのである。そして、その銀メダルと、あの海の絵の前で微笑んでいるフォーマルスーツに身を包んだリーの写真が同封されていたのである。賞をもらったのは彼女の絵で決してわたしではないのだが、我がことのように嬉しくなった。(写真) 彼女は確かに私の中に眠っていたものを目覚めさせてくれた恩人である。これで、どれほど私のシニア・ライフが豊かになったかわからない。つづく
2016.12.09
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soft bankの孫正義社長がアメリカの次期大統領トランプ氏に会いに行ったニュースは、NHKをはじめ各TV局が挙って報道した。私も一視聴者として、なんとなくテレビを見ていたがこれは非常に驚くべきことだ。国家の代表でも業界団体の代表でもなく一企業の日本の資産家がアメリカの次期大統領と、高額の投資とアメリカでの大量雇用をお土産に、直に面談した、ということだ。つまり、アメリカの次期大統領が日本の一資産家に動かされたという「金の力」の威力を如実に示すものだからだ。これについて、私は是とも非とも言わない。が、そういう事実が現実の世界で行われているということを認めざるを得ないということだ。
2016.12.08
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自信のある人、無い人 誤った判断の犠牲になることを防ぐ具体策は状況判断次第である。問題を未然に発見するにはあとで述べる「感性」にかかっている。それについては後で取り上げることにして、ここでは「なぜ、あなたが弱気なのか、。強気の連中の声の大きさに圧倒されてしまうのか。」を考える。やはり 前述のように「自信がない」のが大きな原因となっているように思われる。すなわち 「こんなことを言ってにらまれたら損をする」「自分の立場が悪くなる」「心証を悪くする」などと色々な思いが交錯して結局言いたいこと、異論を唱えることができなくなってしまうのではないか。 あるいは「自分一人が異を唱えても多勢に無勢で負けてしまう。それだったらおとなしくしていた方が賢明だ」という打算もある。 特に職場の上司と部下、先輩と後輩の間のように、力関係が明らかに相手が「上」の場合は下手に逆らうとあとで気まずい思いをすることになる。それだったら逆らわないほうが得、という心理が働くことは確かである。少なくともかつての日本の組織は年功序列、終身雇用だったから、「出番が来るまではおとなしくしているのが賢明」という不文律が働いていた。しかし、バブル崩壊、年功序列、終身雇用の崩壊と失われた20年、景気の低迷が長く続いた時期には、リストラの嵐が吹きまくり、誰も将来を保証してくれないことがはっきりしてきた。それに加えて、若年層の間には企業への帰属意識は薄れ、上司のことでもおかしいなと思ったら遠慮なく反論する傾向もみられるようになった。何しろ新卒者の3分の1が3年以内にやめてしまう、というそれまででは考えられないような現象がみられるようになった。そんな環境の許では「なぜ、上司の言うことに服従しなければならないか」という考えになっても不思議はないだろう。 というわけで、職場の環境はすっかり様変わりしてしまった。いや、職場だけではない。家庭においても、かつては「働き手」であり、経済力を握っていた男に主導権があり、妻や子供は、一家の大黒柱である夫(親)の言うことには一目置いていた時代は遠い過去の話となり、夫婦共働きで夫婦は対等、場合によっては女性の方が経済力を握る家庭も出現するに及んで、妻の発言力は多くなり相対的に夫の発言力は縮小したといってもよい。 がそれにもかかわらず、複数の人間の構成する社会においては、「力関係」が存在する。学校で「いじめ」が横行?するのは、この「力関係」が働くからに他ならない。それは、経済力でも規則によるものでもなくましてや階級や身分があるからでもない一体何がはたらいているのか。
2016.12.07
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第3条:精神貴族は、価値のあるテーマ、目標をもっている。 ここが、現代社会では、最も大切なこと。今、生きる価値を見失った若者が薬物依存やいじめに傾倒する傾向がある。 これに追い打ちをかけるように、政府までカジノ法案を強行採決により合法化して、若者、中高年を問わず、「生きる価値、人生の意味を見失った人たちを危険な方向へ誘導しようとしている」。カジノは、一時的には地域経済を活性化するが、間もなく民衆は、カジノに飽きて、かえって、衰退、地域に不況、失業をもたらすという前例を識者は指摘している。目先のギャンブルによる経済活性化に目を奪われる政治家、そしてそれに踊らされる民衆は愚かである、 価値のあるテーマとは、当事者にとってもちろん価値があるのだが、それだけでなく社会性のあるテーマのことを指す。人の悩みを解決したり、人の役に立ったり、人を喜ばせたり、励ましたりするような何らかのテーマである。
2016.12.06
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あなたは「優しい性格」?「強い性格」? 1 なぜ、強く主張できない? 気が弱くて損をしている人は意外に多いものである。日ごろ言いたいことも言えず「誤解され」悔しい思いをしたり、希望を聞いてもらえなかったり、いつも気の強い人の言うなりに成ったり…もっとひどい場合は理由もないのに「いじめ」の対象になることもあるだろう。「強くなりたい」と思うのだが生まれつきの性分で強くなれない。 しかし考えてみると「気が優しすぎる」というのは生まれつきなのだろうか。まえがきでも述べたように、人間、体の丈夫な人もいれば、生まれつき弱い人もいる。 「心」にも生まれつき“強い”人と“弱い人”があるのだろうか。 そうだとすれば、この競争社会に生き残ることは困難だ。不公平だ、と思う。がそう、思ってもどうしようもない。 結論的に言うと、生まれつきもあり、育った環境の影響もあり「何が原因で心の弱い人間になったか」は、一言で決めつけるわけにはいかない。 が、さらに開き直って考えてみよう。かりに原因がはっきりわかったとしても、気が弱いのは、それだけでは治らない、それよりも大切なことは ・どうしたら、「強くなれるか」を知ることだ。 それさえわかれば、過去がどうであれ、生まれつきがどうであれ、問題ではない。「強くなればよい」だけの話だからである。ここまでかなりしつこく話をしてきたのは、わけがある。 人間の性格は「遺伝」か「環境」か心理学の長い間の論争のテーマであり、偉い学者の間でも、未だに明快な結論は出ていない。 そんなことを論じるのは学者に任せておけばよいことで、ここで大切なことは、現に生きている人間が悩んでいる問題を解決できるかできないか、が我々には大切なことである。 今「弱い性格」で損をしている人がどうしたらよいか、という問題を解決するには、少なくとも「原因」を究明しても解決できない、ことだけは確かである。そういう遺伝子を親や先祖から受け継いだにせよ、環境が悪いせいで弱くなったにせよ、「過去」を知っても「現在」の問題は解決しない、これは、明らかなのである。ではどうするか。そこで、この話を一時お預けにして話を先に進めよう。」
2016.12.05
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この精神貴族の第1~7条をさらに絞り込むと、・経済的、精神的に「自立する」。・価値ある目標をもつ。・自分を知り、他人と喜びを分かち合う。この3条件に集約される。 これらの条件を前提に、これから、精神貴族になる条件,前提、具体的方法などについて、順次考えていくことにしよう。
2016.12.04
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第5条:精神貴族は、自分自身のことをよく知っている。従って、自分自身の力を最大限に引き出し、生かす術を心得ている。他の人々が苦痛に感じることをやすやすとやってのけたり、人が感じるほど苦痛だと感じない。むしろ「楽しんでいる」ようなところさえある。だからこそ、収入の面でも、普通の人よりは恵まれているのである。第6条:彼(彼女)らは、一般に質素である。しかし、それは彼(彼女)らがケチなのではなくあまり意味のない贅沢にお金をかけたがらないだけの話である。「心の安らぎ」のためには、思い切った支出も拒まないし、たとえばブランド品や高級品や高貴な雰囲気、珍味などのよさも一通りは理解している。ここで第1条と第2条について「勝ち組」「負け組」と関連付けて考えてほしい。第1条:精神貴族は「貧乏」ではない。第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。「持てる者」、つまりいわゆる「勝ち組」大金持ちや権力者たちは、この条件の1条は既に満たしていることが分かる。では「持たざる者」つまり一般市民はどうか。安定した収入源を持っていればいいわけだから、これもクリアできる人が多いであろう。 問題は、第2条の条件である。「勝ち組=持てる者」は、金や権力を使って、何ごとも思うがままにできそうに見えるが、意外にそうでないことが多い。いや、十人のうち九人までが組織のしがらみ、派閥、資金源(スポンサー)などの関係で、身動きとれない状態だ。これでは精神貴族にはなれないのである。大物といわれるほど「不自由」なのだ。 一方、一般市民はどうだ。これも、大ていの人が1条をクリアできるのに対して、2条は、なかなかクリアできないはずである。権威に屈したり、組織の力関係や行きがかり上、自分の信念に反することや不本意なことも我慢してやらなければならない。「すまじきものは宮仕え」とは清少納言の昔から、勤め人の辛い心情である。「今、上司や周りと気まずくなって、もし会社を辞めたりしたら、ローンも返済できないし、子どもの学資も出なくなる。だから、不本意だが……」と、現実と妥協してしまう。これでは、精神貴族とはいえない。 そこで、2条の後半の部分が生きてくる。すなわち「……勤めを辞めても、生活を支える収入源がほかにあるか、または、組織に依存しないでも収入を上げる技能、技術、ノウハウを身につけているから、仮に現在の職場を辞めても、直ちに生活に困るようなことはない」。◎常にウデを磨いておけ「勤めを辞めても、ほかに収入源がある」というのは、既に持たざる者ではなく、持てる者である証拠だ。だから、一般のサラリーマンは、普通はこの条件を満たすことは難しい。親譲りの財産があるか、若いうちから財テクでもやって個人資産を増やしておくか、奥さんがキャリア・ウーマンで高収入があるか..ということになるが、いずれも特殊なケースであり、一般的なケースとはいえない。だが「組織に依存しないでも、収入を上げる技能……」は、実現可能である。 さらに精神貴族の第7条。これが非常に大切だ。第7条 精神貴族は、いかなる権威、財力にも屈しない。彼(彼女)らは、何よりも「自由」を尊ぶからである。 だからこそ、「勝ち組」「負け組」の考えはしばらく忘れようと言いながら、それは必ずしも、「貧乏の勧め」ではなく、ある程度は「お金」も必要といったのである。
2016.12.03
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*精神貴族の条件 第1条:精神貴族は「貧乏」ではない。 第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。彼(彼女)らは、組織に頼らないでも、いざとなれば、経済的に自立するすべを持っているからだ。 第3条:精神貴族は、価値のあるテーマ、目標をもっている。 第4条:精神貴族は、価値あるテーマを達成するために努力することによって、人と喜びを分かち合い、自分自身も、それを生きがい、心の支えとしている。 第5条:精神貴族は、自分自身のことをよく知っている。 第6条:彼(彼女)らは、一般に質素である。 第7条 精神貴族は、いかなる権威、財力にも屈しない。彼(彼女)らは、何よりも「自由」を尊ぶからである。
2016.12.02
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ますます厳しさを増す国際情勢、企業環境、社会環境の中で、高齢化社会だからこそ、体の健康法を説く参考書は数多くあるが、心の強化法を説いた本は見当らない。あるとすれば、宗教書、心理学参考書で、いずれも観念論がほとんどで実務書は皆無だ。 このブロでは、「精神貴族の7か条」を軸に、 「感性を磨く10か条」「本当の「強者」の7か条 などいくつかのノウハウが紹介されている。人によっては「何を優先し心がければよ いか」迷う人もいるに違いない。実は、これらの諸条件はお互いに絡み合っている。「鶏 と卵はどちらが先か」という言葉があるが、これらの諸条件は、それ以上に複雑に絡み 合っている。が、そういうことにこだわらず、自分のやりやすいところから取り組んで いただくことをお勧めしたい。そうすれば、自ずから、 ・ストレス社会を生き抜く「賢者の知恵」が身につき、 ・弱い心を強くするヒントになるだろう。
2016.12.01
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