全30件 (30件中 1-30件目)
1

アメリカ在住のジャーナリスト柳田由紀子さんが著した「アメリカン・スーパーダイエット」を読んだ。恐るべきアメリカの肥満状況とそのダイエット法や法律・経済効果などあらゆる面についてのレポートである。300キロ以上の巨体で自分で立つこともできない人が登場するテレビ番組を見たことがある。映画「ギルバート ブレイク」には巨体の母親が登場していた。でもそれはごく稀な一部の事例だと思っていた。実際は肥満が蔓延していて成人の66%が肥満、そして肥満が原因で死亡する者は年間約30万人、1年に費やされる肥満関連の医療費は約13兆円! 肥満者の人権団体まで存在する。更に単なる肥満ではなく体重が300キロから500キロもある病的肥満が多くなっていて、ダイエッター人口もダイエット法も桁違いである。格差や銃、移民、宗教など、アメリカの抱える様々な社会問題の中でも「肥満」はアメリカならではの「国民的な病」らしい。 その病的肥満者の対策にダイエット都市ダーラム、減量寄宿学校、胃縮小手術、など想像を絶する事業も発展していて肥満者対策は大きな経済効果も生み出しているという。第1章から第9章までそこまでやるか!、そこまでありか!という驚愕の肥満関連記事満載で、一気に読みぬいた。 いやあ、恐れ入った!!アメリカは確かに病んでいる!!日本の肥満者なんてアメリカに比べれば肥満じゃない、可愛いものだと思いながらテレビを横目で見ていたらマツコ・デラックスという人が画面に映っていた。ウウゥ・・・・。日本も近づきつつあるのか?
2010年09月30日
コメント(8)

9月29日先生の無料講習会があったので、3ヶ月ぶりにランナウトに出かけた。ランナウトは8月後半2週間近くを改装に費やして新しくリニューアルし、ジム全体が明るい雰囲気になっていた。天井を以前より高く使っていてルートも少し長くなっている。参加者は男女10名、いつものように基礎組とリード組に分かれて練習した。土日に小川山で二日間クライミングした感覚が残っていて、楽に登れた。トップ・ロープで5本ほど登り、後はリードの練習で5本くらい登った。 リードの練習壁面のリニューアルに伴い、ホールドも全面張替えしてあったが、特に不自然なルートはなく安心してクライミングできた。平日の午後だが、たくさんのクライマーで賑わっていた。 賑わうフロア終了後、この夏ヨーロッパに行ったKさん、Yちゃんと私の三人で近くの和食店で報告会をした。
2010年09月29日
コメント(2)

9月28日、雨がやっと上がった夕方近く、今月最後のお花のお稽古に行った。花材は木苺の木、りんどう、オンシジューム、バラの実である。木苺の大きな緑の葉、りんどうの紫、オンシジュームの黄、バラの実の赤と色彩豊富ではっきりした取り合わせである。やっとこの季節を感じさせる花材が出てきて、正直ほっとしたし、花の色が鮮やかなので気持ちも明るくなる。と言ってもうまく生けられたわけではないが・・・・。 でもこれで家の中が少しばかり明るくなりそうだ。
2010年09月28日
コメント(6)

山のかなたから朝日が空を染め、花のシルエットが浮かび上がるクライミングで小川山に来た時はいつもその山麓川上村に宿泊する。みんながまだ眠っている早朝に一人抜け出して野道を散策するのがちょっとした楽しみになっている。レタス畠のあぜ道に素朴な野の花が咲いていて心和む朝のひと時である。 野菜畠と小川山のシンボル・屋根岩 夏の名残のマツムシソウ 1株だけあったおみなえし いたどり ススキが風に揺れる風情がいい タンポポも綿毛になって 吾亦紅
2010年09月27日
コメント(4)

9月26日朝から良い天気に恵まれた。八幡沢を渡渉して急坂を駆け上がり、父岩に行った。ここは廻り目平からもはっきり見える顕著な岩場である。(昨日の写真)参加者は老若女性4人、熟年男性2人と先生ご夫妻である。まず小川山ストリート(5.9)、小川山ストーリー(5.9)を登る。この小川山シリーズはスラブ系で長いがとっても爽快な気分になり、クライミングの楽しさを存分に味わえる人気ルートである。そこから隣の岩場に移動し、不安定な足場でセルフビレイを取りながらモラリスト(5.8)、タジアン2(5.10a)と進み、弱点主義(5.10d)、岸壁の父(5.10b)とロングルートを登った。スラブ系は割りと得意だが、凹角とハングの「弱点主義」には手こずった。ハングを超えなければならないのだがそのハングの岩に15センチ手が届かない!!苦肉の策で左から回り込んで何とかハングの上にでた。フー・・・・。 小川山ストーリー 取り付き 同 中間部 タジアン2 最近思うのは私にとってのクライミングは頭脳作戦だということである。標準の身長がある人は先生の模範演技どおりにすれば登れる。しかし先生より多分30センチ以上短い私の身長ではそうは問屋が卸さない。真剣に3度そのムーブをトライして出来なければそれは身体的理由で不可能なのだ。そこで自分の身長で登れる方法を模索して開拓していくしかない。身体能力と頭脳のコラボが必要になってくる。この頃は先生の模範クライミングを見ていてあのムーブは無理だなと検討がつくようになったので、あらかじめ異なる方法を考える時もあるが、実際にその現場に行ってみなきゃわからないこともある。
2010年09月26日
コメント(6)

9月25日東日本を台風が通過する朝、強風に吹かれながら自宅を出発。韮崎あたりから雨は止んでいたが、小川山は先ほどまで雨だったとかで、まだ岩場が乾かないため、とりあえずクライミングジム「オンサイト」で登る。 先生の模範クライミング 参加メンバー昼前頃までオンサイトで肩慣らししていたら、お日様が出てきたので岩場に移動した。雨上がりの真っ青な空に木々の緑が輝いて美しい。今日は水晶スラブに行った。ここはスラブとダイクが特徴の岩場である。初めはスラブに取り付いた。ルート全体がのっぺりとして明確なホールドが無くてどこでもホールドに見立てて足をしっかりおいてずり上がっていくスラブは結構好きである。ツイスト(5.10a)あばたもえくぼ(5.10c)無名ルートとスラブをのぼり、ノイズ(5.11a)にチャレンジした。ノイズは右上がりに明瞭なダイクが走り、とても面白いルートだった。リーチのない私はまず離陸することが第一の核心だった。手も足も届かない所を先生にいろいろ教えてもらって何とか離陸(地面から岩に取り付くこと)、その後も難しかったが頑張って登った。 小川山父岩 「あばたもえくぼ」 終了点から 青い空に緑の木々がさわやか
2010年09月25日
コメント(6)

9月24日、前日からの雨で今日も寒かった。季節が三ヶ月先に進んだ気温だと報じられていたが、体が寒さに馴れないため、せっかくの休日だったが何かをしようという積極的な気持ちになれなかった。ウォーキングに出かけた道端に朱色と白の彼岸花が並んで咲いていて秋を感じた。しかし今年は彼岸花も例年よりかなり開花が遅く、彼岸花で有名な観光地でほとんど咲いてなくて訪れた人々ががっかりしている様子も放映されていた。 紅白の彼岸花ウォーキング、ヨガ、図書館で一日がスタティックに終わった。こんな生活をしていると私はエネルギーを失って少しづつ欝っぽくなる。さあ、明日はクライミングに行こう!!
2010年09月24日
コメント(4)

「醜の歴史」に続き、ウンベルト・エーコの「美の歴史」を見た。こちらのほうもかなり面白かったし、美しいものを見て感激することもできた。やはりおぞましいものより美しいもののほうが心が清んでくる。「美」は「醜」よりシンプルなのだろうか、「醜の歴史」よりはるかに解説が理解しやすかったので、少しは文章も読んだが、ほとんどは優雅なビーナスの絵や古代の端正な彫刻やパリのノートルダム大聖堂のステンドグラスなどの図を見て楽しんだ。主にヨーロッパのあらゆる分野の美しいもの=正しいもの=良きものがあますところ無く集められていてた。よくぞここまで集めたと思う。その作品を所蔵している美術館やコレクションの名前も記されていたので、世界の美術館の名前をたくさん知ることもできた。冒頭に本文に登場する全作品が分野別・時代別・系統的に並べられていてそれを見るだけですごく頭が整理された。時代とともに変遷する美の様式がよくわかったし、面白かった。 表紙 レカミエ婦人 ローザンヌ大聖堂より一段と大規模で華麗なパリノートルダム大聖堂のバラ窓 ビーナスビーナスだけでも着衣のビーナス、裸体のビーナス、ビーナスの顔と髪といくつも分類があったし、男性のアドニスも同様で、美しいものの様々な形を見ることができた。キリスト像や聖書関連の作品も豊富で、フィレンツェのウフィッツ美術館所蔵の作品が莫大だった。次のヨーロッパ登山の帰りにはそこに寄ろうと新たな願望が湧いてきた。最後のほうにはマリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、ハンフリー・ボガード、ベッカムなど現代の美形の人たちが登場したので、これまで過去の作品だった美が突然現実的になってきて、美は連続しているのだと納得した。
2010年09月23日
コメント(5)

9月21日、今日もすごく暑い一日だった。職場の私の部屋はエアコンがない。窓を開けても扇風機を回しても暑い空気は変わらない。こんな劣悪な環境でこの年で仕事するのがとうとう苦痛になった。身の振り方を考えなければ思いつつ、退勤後、プールに行って体を冷やし、9月第2回のお花のお稽古に出かけた。花材もしっくりこなかった。紅葉した雪柳、貧相な糸すすき、黄色のピンポン菊、白いこぶこぶのシンホリカルオス(??!)だった。この暑さで花がないのである。ああ、もっと秋の風情を感じる花が生けたいと身勝手なことを思いながら、生けた。
2010年09月22日
コメント(10)

前から気になっていた登山用品をやっと整理した。狭い家なのでこれまで階段の踊り場やドア前の空間、リビングなどに装備を分散しておいていたのだが、上の娘が巣立っていったのでその部屋を登山用品専用にしようという魂胆である。 付箋で暫定的に分類ラベルをつくり、必要なもの、不要なものを分別し、種類ごとに入れる場所を決めた。案外と不要なものは少なかったが多量な装備に愕然とした。これみーんなお金を出して買ったものなんだ!!特に靴・ザック・アイゼン・カラビナ・遠征用の大バッグ類。自分の酔狂さを改めて認識した。でもこれが生きがいでエネルギーの源なんだから仕方がない。装備は命を護るかけがえのない大切な物なんだから・・・・と言い訳しつつ、所定場所に収めた。あとはきちんとラベルを印字して貼れば終わりだ。ああ、2年ぶりに整理して肩の荷が下りた。 用途別ザック 愛用のピッケルとストック
2010年09月21日
コメント(12)

9月19日丹沢に行った。大倉尾根から二の塔→鍋割り山→栗の木洞→寄(やどろぎ)のルートである。鍋割り山からの下山はいつも後沢乗越から大倉だったので今日は寄バス停へ降りてみようと思ったのだが、この気まぐれが思わぬ結果になった。三連休の中日で人は少ないし、曇りで涼しくてけっこうよかった。ただし稜線付近はガスってほとんど展望はなかった。 ガスってグレー一色の樹林帯鍋割り山稜から後沢乗越→栗の木洞→くぬぎ山は快適で気持ちよく歩けた。後沢乗越からは全く人がいない。午後になると樹林帯もガスって一面にグレーに閉じ込められ、幻想的風景だった。順調に下山したが、最後に道を間違えた。その理由をあれこれ記しても結局は自分の地図読みの不十分さだから自己責任である。まるっきり人気の無い山間部を延々と歩いていたが、夕暮れも近いしバスもないだろうと考え、生まれて初めてのヒッチハイクを決心した。車を止めて下さったのはご夫婦と成人したお子様二人のご家族だった。事情を話すと気持ちよくドアを開けて頂き、小田急渋沢駅まで送って下さった。有難くて伏して拝みたい気持ちだった。あの時刻にあの道を通過する車はめったに無いから本当に僥倖である。おかげで8時頃には無事帰宅できた。温かい人の情けに助けられてほっこりした気持ちで一日が終わった。
2010年09月20日
コメント(12)

美術館で絵を観たあとはお決まりの植物園散策に出た。時期的に夏の花は終わり、秋の花には少し早いため、あまり多くの花は無かった。しかしここで珍しいものを見た。ヘビ瓜である。 垂れ下がるたくさんのヘビ瓜 極彩色のヘビの胴体のよう口直しに普通の秋の花をどうぞ。 ひつじ草 紫 ひつじ草 赤 白式部 紫式部 白萩 宮城野萩広大な芝生の上で靴下と靴を脱いで裸足になり、木陰で昼寝をした。力が抜けてしばしうつらうつらと夢うつつ状態だった。おいしいコーヒーを呑んで早めに帰路に着いた。
2010年09月19日
コメント(6)

9月18日、今日は湿度が低く程よく太陽が降り注ぎ、天からのプレゼントのようなさわやかな日だった。訳あって山に行けず、佐倉の川村美術館に出かけた。春以来五ヶ月ぶりである。いつもの常設展も多少変化があったが、今回の目玉は20世紀の最も重要な画家と言われるバーネット・ニューマンの日本初の個展である。川村所蔵作品の中に晩年の大作「アンナの光」があり、その明るいけど深みのある赤を来館する度いつも見ていた。いつもはニューマンルームという両サイドがガラス張りの大きな部屋に「アンナの光」だけが展示されていた。窓からは戸外の緑と溢れる光が見えてとてもすばらしい展示室であった。、見る度に気持ちがすかっとするが、その内に椅子にかけてじっと見続けたりしたものだった。 アンナの光 川村美術館 ニューマンルーム今回はそれ以外にたくさんの作品があちこちのコレクションから集められていた。 ここ 2 原初の光 存在せよ 名 1 (タイトルの作品の一部分です)彼の作品の特徴は一色に塗られた画面に「ジップ」と呼ばれる垂直線を配して、シンプルで力強い構成による独自のスタイルをとっていることである。こんなアイデアは誰にでも思いつけそうにも思えるが、実際に作品の前で佇んでじっと見入るとそんな安易なバランスではないし、そのタイトルが哲学的で考えさせられた。私はこれまで人物や風景などが描かれた具象画が好きだったが、川村美術館にはポロックやロスコなどかなり抽象画がある。特に好きでもなく嫌悪感を感じることもなかったが、何年も繰り返して見ているうちに抽象画にかなり馴染んで違和感を感じなくなった。というより好きになってきた。人の感性は進化するんだろうな。ベルン美術館でロスコの作品を見つけた時はなつかしい友人の顔を見たような親しみを覚えたのだった。
2010年09月18日
コメント(0)

村上春樹の「1Q84」を今頃になってやっと読んだ。Book1からBook3までおよそ1600ページとかなりの分量である。読解力と知的持久力が衰えている私には珍しいことである。毎日1冊づつ読み、Book3に二日かかった!? Book1を読み始めたら面白くて止められなくなった。この作者の作品ははるか昔に「ノルウエーの森」を読んだだけだが、特に鮮明な記憶がない。しかし今回は惹きずり込まれ、次を読まずにいられなかった。作品の中にオウム、エホバの証人、ヤマギシズム、連合赤軍、父親が高名な学者である若い女性の文学賞受賞などを想像させるさまざまなものが登場してくる。そのどれもが既成事実で作者の独創的アイデアではないにもかかかわらず、事件の配置や絡ませ方や味付けが巧みで、読む側もあらぬ想像を働かせながらのめりこんでしまった。この作者のファンならとっくに知っていることらしいが、私は初めてこの作者が音楽に対して並々ならぬ造詣の持ち主であることを知った。 大体冒頭からヤナーチェックの「シンフォニエッタ」が登場する。普通じゃない。更にこの物語は「青豆」という若い女性と「天吾」という男性の話がパラレルワールドのように交互に出てくる。Book1の始めの頃はこの二人に何の関係があるのだろうと思わせるような展開であった。しかしこの手法はバッハの平均律クラビーア曲集の構成(つまりすべての調の長調と短調が交互に出てくる)にのっとって、青豆と天吾の話が交互に書かれたという。仰天した。おまけに設定されている土地が私がよく知っていて実際に行ったことがある場所ばかりである。中央線立川行き電車、二俣尾、市川、千倉、津田沼、高円寺、なんて不思議な一致だろう。津田沼の小学校の先生という人物がとっても現実感があった。しかし理解しがたいこともけっこうあった。、「リトル・ピープル」「空気さなぎ」っていうのが何なのか?想像するしかない。それにすごい旧型の恋愛物語である。これだけプラトニックだとかえって新しいかもしれない。村上春樹ワールドにはまった4日間だった。
2010年09月17日
コメント(8)
あさ、目を覚ますと雨の音がする。もう雨の音や雨の降り方など忘れるほど久しぶりの雨だった。まだ薄暗いが、路面はしっとりと濡れている。久しぶりに涼しくて昨夜は落ち着いて眠れた。今日はウォーキングは無理だなと考え、しばし家事をして体をほぐした。体が少しこなれた所でヨガを始める。手足の関節ほぐし、逆転のアーサナ4種類、腕と肩・背中周りのアーサナを4種類、ねじり、背骨のブリッジと続けて、ヨーガ・ムドラーを3回、後はサバ・アーサナでリラックス。最後に瞑想の入り口を少し。アジナチャクラに集中。トータル約60分。朝のこの時間が必需品になっている。特に心が落ち着くヨーガ・ムドラーと紫の光が見える瞑想の入り口が好きである。
2010年09月16日
コメント(8)

とても珍しい本を見つけた。ウンベルト・エーコの「醜の歴史」という分厚い本でカラーの図版がふんだんに入れてある。同作者の「美の歴史」と言う本もあったのだが、私は「醜」のほうを選んでしまったのである。ハッキリ言ってウンベルト・エーコの表現というか文章はものすごくわかりにくい。昔ショーン・コネリーが出る「薔薇の名前」という映画をとてもおもしろく観て、その後に原作を読んだら良く理解できなかったことがある。それで今回も文章はあまり読まず図説を丹念に見た。ものすごく広範囲にわたって怖いもの、おぞましいもの、醜いものが集められていて、それだけでも価値がある。 表紙 メジューサ本の帯には「現代の知の巨人エーコが絵画や彫刻・映画・文学など諸芸術における暗黒・怪奇・魔物・逸脱・異形といった恐ろしくぞっとするものを徹底的に探求。なぜ我々は死・病・欠陥を恐れるのだろう。はたまた醜さが持つ磁石のような魅力は何に由来するのだろう。」と記されている。全編醜い物で埋め尽くされているが、醜さが持つ磁石の魅力に逆らえずじっくりと見た。キリストの受難など目をそむけたいけど美しい?ものもけっこうあったが、これには耐えられないというものもあった。ブリューゲルやピカソなど著名な画家の作品がけっこうあったのも以外だった。 解剖でも惹きつけられはしたが何となく落ち着かない。次は口直しに「美の歴史」を見よう。
2010年09月15日
コメント(11)

図書館で本を探していたら下段の隅っこに「イタリアで家庭料理を学びたい」という本を見つけた。著者は前澤由希子さんで友人の妹さんである。友人から前澤さんの生き方を聞いてとても共感していたし、FM放送に出演された時、偶然に放送を聴いたこともあったので、親しみがあった。早速読んだらとっても痛快だった。 前澤由希子さん (HPより)大手生保会社のOLで何不自由なく毎日を謳歌していた前澤さんがイタリア料理に目覚め、夫を残してイタリアはシエナを中心に7ヶ月料理留学し、更に料理教室を開いた話である。イタリア語を学習し、夫を説得し、単身イタリアでホームステイし、語学学校、料理学校に通って自分の願いを着実にかなえていく。手打ちバスタをはじめとするさまざまなイタリア料理とイタリア語満載である。家庭料理を習いながらシエナで暮す毎日の様子が実に生き生きと素直な感想で綴られていて、とても新鮮だった。噂に聞くイタリア人のルーズさやいい加減さが悪い印象でなく、人生を陽気に楽しむ国民性として描かれている。登場する料理がおいしそうで毎日こんな料理を食べたらさぞ太るだろうなと余計な心配をしてしまった。自分の夢にまっしぐらに進んでいく姿がとても気持ちよかった。
2010年09月14日
コメント(4)

「春の祭典」から一場面久しぶりに土日に山に行かなかった。するべき家事をしても暇でたまらなかったので潔く文系に転じ、二日連続で映画を観た。日曜の今日は見たくてたまらなかった映画「小さな村の小さなダンサー」を観に電車に揺られて渋谷の文化村まで遠出した。期待以上のすばらしい作品だった。厳しいバレエの英才教育、文化革命時代にアメリカに亡命する困難さ、アメリカと中国のさまざまな違い、中国の寒村の生活などが描き出されていて興味深かった。しかし何といってもバレエのすばらしさに圧倒され、興奮した。特に最後の「春の祭典」!!これはすごかった。こんな振り付けとこんなドキドキするバレーをこれまで見たことがなかった。ある意味衝撃的振り付けとそれ以上の表現力!!ストラビンスキーの作曲した音楽のうねりがそのままダンサーの動きになっているような錯覚さえ覚えた。美しく官能的で一心に見つめた。脱帽だった。もう一度この「春・祭」だけを観たい!!さらにそのステージにはもうひとつの感動が用意されていた。それにはさすがに感動ものに慣れている私も涙がでた。 少年時代 父母との別れ 「春の祭典」フィナーレ このバレエのジャンプとターンもすごかった母親を演じていたのがジョアン・チィエンだったのも発見だった。「ラストエンペラー」で皇后役だったあの美しいジョアンが粗末な衣服で化粧もせずただ子どもを思う愛情豊かな母を演じていた。何か心打たれた。たくさんの人に観てほしい映画だ。
2010年09月13日
コメント(4)

モントリオール世界映画祭で深津絵里さんが主演女優賞を受賞したことで話題になっている映画『悪人」を公開初日に早速観にいった。 まず驚いたのは妻夫木君の大変貌、金髪だけでなく死んだ魚のようなそのさえない表情、土木作業員としての服装と雰囲気が身についてこれまでのイメージを100パーセント覆していた。日常は祖父母(井川比佐志、樹木)の面倒を見て暮らすおとなしい青年だが一方では殺人をおかす心の奥の危うさや母に置き去りにされ祖母に育てられた生育歴を感じさせる無表情で自己表現が苦手な若者になりきっている。しかし光代(深津)と出会い、行動をともにしていくうちに、自分のことを話し、表情にも変化が出て血の通った人間に変わっていく。最後の狂気的な目の光はすさまじかった。 草津絵里は地方の紳士服販売員という地味な役柄をそつなく演じていたが、後半になってがぜん輝いてきた。灯台で別れが近づく場面あたりの彼女の表情はモナリザかマリアのように見えすばらしかった。何より象徴的なのが灯台である。この灯台がすごく物語に精神性を与えている気がしてならない。深く考えさせられたのは柄本明演じる被害者の父親が「あんた、大切な人はおるね?」というセリフである。「大切な人?」息子、娘などその大切な人を殺されたら私ならどんなことでもして復讐するだろう。本当に誰が悪人なのか考えさせられた。私だって悪人だ。この映画はひとつの殺人事件を軸に殺人者とその家族、殺された娘とその家族、恋人とその家族などどの立場の人も平等に描いてその心情に迫っている。どの立場に身をおいてもその言動は共感できる。祖母の樹木希林と柄本明の演技には引きずり込まれた。自分もその立場にたっていた。更にマスコミに怒鳴るバスの運転手が小気味よかった。わさびのように効いていた。この映画は出演者みんなが卓越した演技者ですごかった。最近「インセプション」「告白」「悪人」と奥深くに「家族」が潜む映画や小説にばかり出会っている。「家族を大切にしなさい」という警告にも思えた。おまけに帰宅途中の車の中でふと「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と唱えた人のことが頭にぽっかりと浮かんできた。ひょっとしてこの映画に関係がある?
2010年09月12日
コメント(5)

今回の旅で私のミスでスムーズに事が運ばず戸惑うことがいくつかあった。そのすべてが電車・地下鉄・航空機と乗り物ばかりである。まずスイスカードの失敗。スイスカードがどのようなカードなのか取説をきちんと読まず、フリーパスのような切符だと早とちりした私はグリンデルワルトからベルンに行くのに気軽に使った。車掌が来てそれに最終使用日を記入したため、カードの効力はその日で終了。最後にローザンヌに移動するためのカードだったのに、結局再び切符を買わねばならず、かなりの損失になった。無知は罪!!無知は損!!次にベルン駅で電車がわからなかったこと!!ベルンで一日街探検して夕暮れになり、グリーンデルワルト行きのホームに行ったが、今ひとつ確信がもてない。ベルン駅は東京駅のような大規模な駅なので私の如き日本の駅ですら迷っているような者がすぐわかるはずがないのだった。どうも来た時と電車が違う。不安になって近くの女性に尋ねたら全く違うといわれ困惑。親切なその女性に教えてもらってやっと正しい電車に乗れた。 ベルン駅ローザンヌで地下鉄で迷った話はすでに記したが、再度書く。大聖堂から下り、レマン湖畔のウシー駅まで地下鉄で行こうとしたら、切符を地区の番号で買うようになっている。眼鏡無しで細かい字が見えないし、例え見えても土地の位置関係が全く把握できてないのでどの地区なのかわからない。困ってしまい、近くにいた青年に聞いたら11だと教えてくれてやっと乗った。しかし途中で何だか元の駅に戻っているような気がして青ざめた。フロン駅で乗ったと思っていたがどうやらそれが違っていたようだ。またもや車内で女性に尋ねたら、乗り換えが必要だといわれ、結局その女性に乗り換えホームまで案内してもらったのだった。 ローザンヌの地下鉄 駅の表示板その駅で表示板を見たらM.ベジャールと出ている。ひょっとしてモーリス・ベジャールバレエ団の場所かなと思い、降りてみたい誘惑に駆られたが、ますます混乱すると思って我慢。何とかウシー駅にたどりついたのだった。最後はスイスエアラインでの話。液体の土産を買ったところ重量が増えてしまった。スーツケースは20キログラム、機内持ち込みのザックは8キロまでなのでザックに重いものからどんどん入れたのだが、うかつにもアイゼンまで入れた。空港の安全チェックで引っかかり「クランポン、ノー」ということでもう一度チェックインカウンターに戻って預けなおしと指示された。このときはかなり困惑した。だってスーツケースはとっくにコンベアに乗って進んでいるだろうし、どうやって?とか追加料金がかかるのでは?などど考えてしまったのだ。しかし親切なスイス人がクランポンだけ手持ちの袋に包んで再度預けてオーケーとしてくれたので助かった。この係員は最初の手続きの時、スーツケースの重量が22.8キロ位だったのを「本当はだめだけど今回はいいでしょう。でも次回からは20キログラムまでにしてね」とはじめから優しい男性だった。旅全体を通じて感じたことは「スイスの皆さんは親切だった」ということである。
2010年09月11日
コメント(6)

ついにヨーロッパを去る日が来た。最後にもう一度大聖堂を見たくて早朝坂道を昇った。大聖堂は朝の光を受けて陽炎のように見えた。 朝の大聖堂 ホテルを後にし、ローザンヌ駅から電車でジュネーブ空港駅まで移動した。スイスエアラインに乗ってチューリヒへ、更に乗り継いで成田行きに無事搭乗した。 駅から1分以内 ホテルミノテル・アラガレ 人影まばらな朝の ローザンヌ駅 旅は終わろうとしていた。少し感傷的になったが、今回の旅ほど充実した旅はそんなにはなかったので無事帰途につくことになってとにかく一安心だった。機内からレマン湖がひょうたんのような形で見えた。 機内からレマン湖成田に着き、外に出たとたん、むっとする熱気とベタっと体にまとわりつく湿気に日本に帰ったことを肌で感じた。2週間のヨーロッパツアーが終わった
2010年09月10日
コメント(14)

ヨーロッパツアー報告に戻ります。 国際オリンピック委員会(IOC)は1917年以来ローザンヌに設置されており、ローザンヌはオリンピックキャピタルを名乗っている。中央駅にもはっきりとRouzannne orympic capitaru と明記されていた。レマン湖畔に添った植え込みやホテルが並ぶプロムナードをしばらく歩いていくと左側にオリンピックミュージアムが見えてくる。1933年にオープンしたという。 ランナーの銅像が象徴的なエントランス 五輪マークが流水に映える噴水 オリンピックミュージアム正面入り口すごく広い敷地で斜面のずっと上にあるミュージアムまで昇っていくためにエスカレーターが設置されていたのには驚いたが、助かった。ミュージアム入り口までたどり着いた所で久しぶりに日本人に出会った。中年の男性二人で山からの帰りだという。「ローザンヌでここ以外に見ておいたほうがよい場所はありますか」とのたまうので「大聖堂をぜひご覧ください」と答えておいた。 アニメ「ラピュタ」の兵士を思わせる銅像 ランナーの像小高い丘の上にあるミュージアムからレマン湖の景色を楽しみ、再びプロムナードを歩いてウシー駅に戻った。 道路にあるオリンピックの旗を持つ像
2010年09月09日
コメント(0)

7月・8月とお花のお稽古をお休みしていたので、今日は猛暑にめげず2ヶ月ぶりにお稽古に行った。 花材はふうせん唐わた、浜なでしこ、パニカム、カークリコ というまたしても珍しいものばかりだった。こう猛暑が続くと花も育たないだろうからこういう花になるのだろう。しかしおみなえしやススキや桔梗が生けたかった。ふうせん唐わたのふうせんが淡いグリーンでかわいく涼しそうに見えた。パニカムの穂先が赤くはかなげでちょっと秋の風情だった。
2010年09月08日
コメント(6)

2日目の9月5日はこれまた涼しい木陰のリバーサイドに行った。この岩場は私にとっては記念碑的岩場である。今日も岩のコンディションはよく、快適なクライミングができた。まず「アウトオブバランス」でアップし、「ブラックシープ」「マダム・バタフライ」「時の踊り」と進んだ。2007年10月20日「アウト・オブ・バランス」に取り付いて腕の力だけで自分の全体重を支えた私はもう死にそうなほど苦しく泣きそうだった。隣の「ブラックシープ」は3度トライしたが終了点まで抜けられなかった。2010年9月5日の今日は「アウト・オブ・バランス」はレイバックでスムーズに登れたし、ブラックシープもしっかりこなせた。その時は触ることすら不可能だった「マダム・バタフライ」「時の踊り」(5.10c)も何とか登れた。 アウトオブバランス(5.9) ブラックシープ(5.9++) ブラックシープ 中間部 マダム・バタフライ(5.10b)時の流れと自分の成長(!?)を感じ、一人感慨にふけった。 余談になるがこのリバーサイドの岩場は音楽関係のルート名が多い。ポンキエルリ作曲のオペラ「ジョコンダ」とその中の有名な1曲「時の踊り」がこの岩場の人気ルートだし、その他に「ソナチネ」「フォルテ」「カルメン」「マダムバタフライ」と音楽関係のルート名が目白押しである。「DOKUHU」というのもありこれは「読譜」?「毒婦」?
2010年09月07日
コメント(4)

9月4日2ヶ月ぶりに小川山にクライミングに出かけた。猛暑は相変わらず続いていたが、小川山は涼しくて天国のようだった。でも陽射しを避けて木陰にあるおばさん岩に行った。参加者はおじさん2名・おばさん3名と若者1名の6名に先生ご夫妻である。岩は乾いていてベストコンディションだった。おばさん岩は短いけれど私のような初級者向きのルートが少ない。今回は私意外の皆さんはベテラン揃いなので、私にとっては難しいルートを登ることになり、とても有意義だった。まず「私がおばさんになっても」(5.9)でアップし、「子供をなめんなよ」(5.10a/b)「母子草」(5.10c),レール・デュ・タン(5.11a)を登った。 「子供をなめんなよ」 中間部 「母子草」 終了点まじか 「母子草」をスムーズにゆくクララさん 「レール・デュ・タン」の先生「子供をなめんなよ」は小林由佳さんが子供のとき開拓したからこのルート名がついたとか聞くが本当かな?。手と足のホールドが決まっているのでそれに届かないと厳しいが、何とかなった。「母子草」はほんのわずかの岩の筋に浅く指を掛け、耐えながら足で登るルートなので頑張って登った。 レール・デュ・タンはとてもダイナミックなルートで岩が飛び出している。途中、私のリーチではとても困難と思う場所がありスリングを掴んでハングを超えた。その上はじっくり進んで何とか登れた。難しいルートばかりで私にとっては「わたしがおばさんになっても」以外はすべて体験学習レベルだった。しかし気楽に力を抜いてスタートしたせいかけっこうチャレンジできて、皆さんのアドバイスを聞きながらクライミングでき、学ぶことが多かった。
2010年09月06日
コメント(3)

先日の前穂4峰正面壁北条・新村ルートを登攀中の写真をガイドの棚橋さんから頂きましたのでアップします。 草つきの第1ピッチ目から登攀開始 後のクライマーは同行のY氏 垂壁のフェース 私は黄色のロープ、Y氏は赤のロープでビレイされています 高度感のあるいやらしいトラバースで横に移動
2010年09月05日
コメント(12)

村橋からパノラマ新道をしばらく登ると、樹林の中に「若山五郎君」の碑があった。小さな仏像と焼香壷があり、周辺の石は苔むしている。 昭和30年1月2日厳冬期の前穂東稜に登攀中、絶対切れないと言われたナイロンザイルが切れ、当時大学生だった若山五郎さんが遭難死した。その年の7月に遺体が発見され、若山五郎さんはここで荼毘に付された。そのナイロンザイル事件から1年後の昭和31年7月に火葬した地点に、ご遺族や沢山の友人の手で《遭難碑》が造られたという。若山五郎さんはこの ≪遭難碑≫ に眠っている。 その事件を元に井上靖が「氷壁」を執筆し、テレビ化、映画化もされている。映像化された「氷壁」はこの事件をベースにしていてもフィクションのような気がしてならなかった。しかし、この場所でその若山五郎さんが荼毘に付され、眠っていると知ると、その死が生々しく現実化して、ひどくドキドキし、しばしの間心が乱れた。55年前の出来事である。
2010年09月04日
コメント(8)

8月も末で花はすでに最盛期を過ぎて少なかったです。奥又白池周辺で見た花を紹介します。花名は正確ではありません。 ミヤマセンキョウ とりかぶと ななかまどの実 ミヤマリンドウ オトギリソウ ? ふうろ
2010年09月03日
コメント(6)

ほんのりばら色に染まる前穂北尾根8月30日下山の日になった。今日も朝からすっきりと晴れ空気は澄んでひんやりと気持ちよく、下山がもったいなかった。昨深夜、テントの外から見た空には星が輝き、月がこうこうと照って明るかった。前穂北尾根が月の光の中で白くすっきりと見えていた。こういう風景が撮れる腕が欲しい。今日、前穂北尾根は昨日にもましてくっきりと天を突き、透明な水面にはさかさ北尾根が姿を写していた。 今日も美しい朝焼け テント場 ガイドとテントを撤収し、荷物をまとめて6時45分下山開始。あの中畠新道を下った。露が残っていて最初足元が濡れたが途中から平気だった。こんな急坂をよく登ったものだと思いつつ安全第一に下った。分岐で休憩し、後は普通に歩ける道なので、楽しく徳沢まで到着した。ここでガイドの知り合いの徳沢園のKさんからコーヒーと名物ソフトクリームをご馳走になった。とってもおいしく、感謝した。そのKさんは和風のコスチュームがとっても素敵だった。涸沢フェスタも終了して今日は静かな徳沢に戻っていた。メインストリートを下って明神から上高地に近づくにつれて一般観光客が激増し、賑やかになった。明神岳と前穂主峰、2峰、3峰が同時に見える場所があった。残念ながら4峰は見えなかったが感慨深かった。 明神と前穂更に歩くと河童橋にでた。観光客に混じって橋の上から穂高連峰を見た。見事に晴れわたってすべての峰々が見え、何の心残りもなく上高地を後にできた。 反対側の焼岳8月最後のチャレンジが無事終了。夏が終わった。
2010年09月02日
コメント(8)

8月29日3時半起床、少し風があるがすばらしい天気である。赤飯に味噌汁、キウイフルーツの朝食をとり、ヘッドランプをつけて4時半出発した。池の左手の尾根道を登り、ガラガラの悪い道なき道を下降して雪渓に出る。軽アイゼンとストックで雪渓を通過し、さらに登って取り付き地点に到着した。すでに陽が登り始め、蝶が岳方面や南アルプス方面の朝焼けや雲海が墨絵のように美しい。 蝶が岳方面から陽が昇る 富士山・南アルプスと雲海大きな三角形状の草つきの岩を見上げて登攀開始、2ピッチ目で少しぎくしゃくしたがまあいけた。 取り付き地点より草つきの北条・新村ルート 第1ピッチをリードするガイド 凹角をリードするガイドそして問題の二つのハングがある第4ピッチに来た。最初のハングは難なく越えたが二つ目のハングで大ピンチに見舞われた。左側から岩が覆いかぶさってきているため、開けた右側から超えるしかないのだが、その右側に安心しておけるホールドが見つからない。のっぺらぼうの岩の上部にお助けスリングがかかっているがそれにすら手も足も届かない。絶壁を前にここをどう攻略するか考えたものの確実な方法が浮かんでこない。しからばこのスリングに何とか手が届くムーブをつくり上に抜けるしかないと決断し、トライしたがうまくできない。腕力だけでスリングにぶら下がる姿勢になってしまった。こうなるともう最悪のパターンに陥る。腕力はほとんどないからすぐ消耗してしまう。2度トライしたができない。進退極まった。上にも抜けられない、下降もできない。何が何でも自分の頭と体力でここを切り抜けて確実な岩に抜けるしかない。上のビレイポイントには私を確保してガイドが待っている、下にはYさんが登攀を待っている。じりじり暑さは増してくる。孤独な時間が過ぎていった。いったんテンションをかけて腕を休め、再度トライ。ロープを引いてもらいそれとリズムを合わせるようにして渾身の力で何とか安心できるハンドホールドを掴んだ時にはホントに助かった!!という思いだった。このハングの通過がこのルートの核心なのだが、ネットで読んだりガイドブックで調べたところではほとんどが人工で超えるとある。今回アブミは装備になかったのでフリーで越えるわけだけど、リーチのない私は大丈夫だろうかという不安は大的中した。アルパインクライミングをそこそこ経験してきたが、こんなピンチにあったのは初めてだった。それも前穂北尾根の高度感のすごい絶壁でのことである。30分ほど待たせたYさんはさすが順調にスムーズにハングを超えて到着された。その後はいやらしいトラバースや草つきスラブを超えて終了点まで順調に進めた。終了点から4峰の肩をめざし、更に稜線に出ると反対側の視界がぱっと開けた。おお!槍だ、思わず声を出した。槍・穂高・涸沢カールと涸沢小屋の赤い屋根などなつかしい風景が広がっていた。 槍が岳絶景を見ながら4峰を下り4.5のコル、5峰を登り5.6のコルと岩稜を慎重に通過していった。浮石が多くルートを見つけ確かめながらの岩稜歩きでスリル満点だった。岩が雪で覆われた残雪期にここを登ったことがあるが、岩がむき出しの夏はまた違うルートになっていて面白かった。こういう場面は大好きで生きる喜びを感じてしまう。 涸沢カールと赤い屋根の涸沢小屋 奥又白池とテント5.6のコルで休憩した。谷のむこうに奥穂と涸沢岳が堂々と青空を突いていた。反対側には奥又白池がはるかに見える。灰色で無機質な岩だけを相手にしている日、緑に囲まれた奥又白池と豆粒のようなオレンジ色のテントを見た時はまさにあそこが人が住める場所で水があるオアシスだととても愛しいものに思えた。あそこまで帰還するのだ。いったいどこを通って?と考えるほど道は見えなかった。そこからは本当に悪路で足を乗せるとガラガラと崩れ落ちるガラ場や崩壊地を慎重に慎重を重ねて下ったりトラバースした。道をふさぐ潅木や草をストックで捌いて地面を見つけた。最後に急登を潅木につかまりながらよじ登り一般道と合流した。 前穂北尾根5.6のコルから見る奥穂高岳と涸沢岳奥又白池に無事到着した時には思わず「帰ってきたよ~」と一人で声を出して叫んでいた。嬉しかった。実に登り甲斐があるワイルドなルートだった。充実して気力がみなぎっていた。
2010年09月01日
コメント(6)
全30件 (30件中 1-30件目)
1


![]()