レーゼクライス合宿 0
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芝居は楽しい。良い芝居は演者と客が一体化する。良い芝居は、舞台上の演者の輪の中に、客を完全に食い込ませる。客は芝居の世界に自分の居場所を見つける。芝居小屋は家になり、役者と客は家族になる。だからこそ良い芝居は、芝居が終わったあとの反動が大きい。芝居の親密な小宇宙からひとり取り残されたような猛烈な孤独を客は感じる。芝居終了後客に猛烈な孤独を感じさせる芝居こそが良い芝居である。ところで最近、学校で芝居をする機会が減ったような気がする。私はもっと学校で芝居に力を入れてもらいたいと思う。小学校・中学校では、1年に2~3回は芝居をする機会を与えてほしい。芝居は子供を成長させる踏み台になる。子供に芝居を演じさせる利点は、まず第1に国語力がつくことだ。暗記暗唱は学力向上のための最大の方法であろう。英文を暗唱し古典を暗記することは、学力向上への近道だ。芝居を演じるには台本を完璧に「暗記」しなければならない。上質の台本を記憶し演じることで、必然的に国語力が上がるのは道理だ。芝居とは、良いテキストを暗記暗唱させるための最高の手段である。第2の利点は、芝居を演じると人前で物怖じしない度胸が身につくことである。大勢の観衆の前で正面を向き、台詞を口にすると最初は緊張する。しかし自分の発した台詞で、或いは自分の体の動きで観客を感動させ、笑いを取る快楽は何者にも変えがたい。ふだん子供は学校で知識のinputばかりで、outputの機会があまりない。芝居は子供が自分を表現する手頃な手段だ。第3は芝居は子供の団結力を高め、達成感を与える。芝居には人手がかかる。役者・脚本・演出・舞台装置・照明・大道具・小道具・衣装・メイク・宣伝・・・・多くの人間の努力と才能とアイディアが渾然一体となり、優れたリーダーの下に団結しなければ良い芝居は生まれない。また芝居のために汗水流し、観客から熱い拍手を浴びた時の達成感は何者にも変えがたい。第4、これが一番重要だが、芝居は子供の「人格力」を高める。芝居の役柄になりきり、舞台上で別人に憑依すれば、演者は役柄の人物のエッセンスを吸収し、強い影響を受ける。良い人を演じれば、子供は良い人になる。また役柄の人物の所作や立ち振る舞い、言葉使いを子供は芝居を通して身体で覚える。若者の言葉使いや態度が乱れていると言う大人は多いが、どんな言葉使いが人に好かれ、どんな振る舞いが賢明か、大人は若者に模範的な「形」や「手本」を示せずにいる。形や手本を示さずにただ「最近の若者の言葉使いはなっとらん!」と否定するだけで難癖つけるのは、まるで吉良上野介みたいな陰湿な態度である。芝居を通して子供の頃に、自分以外の人物になりきる訓練をしておけば、成長した時「引き出し」が増えるような気がする。ところで、学校が最近芝居に熱心でないことは、おそらく学校内で左翼教師の力が低下したことにも原因があるだろう。左翼運動の啓蒙は芝居を通して行われた。かつて左翼演劇の説得力は、民衆を熱狂させた。それと同じく、左翼の平和教育や平等教育の血肉化に芝居は大きく手を貸した。これは戦前の皇民化教育の手法をそのまま踏襲したものである。戦前も戦後も、学校ではイデオロギーを子供に染みさせるために芝居を利用した。芝居は子供の頭も心も体も呪縛する。芝居は子供を洗脳する手段としては最高の装置である。芝居にはわれわれの想像以上に危険性を持つ。でも逆に言えば、子供を正しく「洗脳」するには芝居ほど効果的な装置はない。芝居は子供を洗脳する毒薬だ。しかし同時に子供に「形」や「規範」を叩き込む良薬にも成り得る。
2006/07/14
高校生から、高校の授業が眠いという話をよく聞く。生徒が授業中寝ているのは、絶対おかしい。教える側は、子どもの貴重な時間を奪っているのだという、「罪」の意識を持ってほしい。ところで私は「勉強濃度」という数値にこだわってみたい。「勉強濃度」とは、一定の時間に、どれだけ濃い勉強ができるかを示す数値である。1時間の授業で、生徒が最初から最後まで爆睡していたら「勉強濃度0%」きちんと授業を聞いて、ある程度満足感を覚えたら「勉強濃度80%」ということになる。授業を充実させるのが勉強濃度を高める最適の策であることは言うまでもない。ただし、授業だけで勉強濃度を高めようとしても限界がある。特に数学に関しては、どんなに立派な授業をしても、すべての生徒に同じ満足度を与えることは不可能である。数学という科目には歴然とした学力差がある。同じ数学の授業を受けるにしても、理解できる子には勉強濃度80%、しかし分数の計算も覚束ない子にとっては、勉強濃度は1%ということになる。逆に勉強ができる子が、簡単すぎる授業を聞く時の勉強濃度は下がる。内容が薄すぎて無駄な時間を過ごす事になってしまう。そう考えてみると、個別や家庭教師が、勉強濃度を高めるためのベストな方法なのだろうか?とにかく授業中、生徒に濃い時間を過ごしてもらう工夫をしたい。勉強濃度を高めるシステムの構築し、実践したい。アルコール度数の酒は少量でも酔えるように、勉強濃度の高い授業やシステムがあれば凝縮した短い時間で子供に満足感を与えることができる。幸い、某書でフィンランドの学校の授業のルポが掲載されていた。面白そうだ。少し真似をしてみようと思う。
2006/07/14
3歳の子供に対して、父親が大声で怒鳴りながら泣かせて勉強を教えたら、それはかなり異様な光景だろう。しかし、狂言の野村萬斎は、3歳で舞台デビューする自分の息子を、怒鳴り上げ泣かせながら稽古していた。3歳の男の子は初舞台で子猿を演じる。子供が一生懸命「キャッ・キャッ」と叫んでも、野村萬斎は狂気を含んだ厳しい目で子供を見据えながら、「駄目だ」とよく通る声で叱りあげていた。お父さん野村萬斎は「キャッ・キャッ」と子猿というより狼みたいな怖い声で見本を示す。子供が「キャッ・キャッ」と可愛い涙声で叫ぶ。そんな親子の格闘が、テレビで映し出されていた。ところで、子供に厳しく勉強を教える父親に対して、私は病的なものを感じる。父親が会社や組織で不遇感や疎外感を味わっている。その復讐を子供の教育にぶつけるケースが多い。子供から「父さんはオレを利用して社会に復讐しようとしてるんだろ!」と言われても仕方ない教育熱心ぶりだ。自分を冷たくあしらった巨人軍に対する複雑な感情を、息子を鍛え巨人軍に入団させることで晴らそうとした星一徹みたいな父親には、男同士の近親相姦みたいな、歪んで淀んでひねくれた不潔な匂いがして、私は強い嫌悪感を抱く。しかし野村萬斎親子の厳しい稽古には、逆に心地よい清涼感を覚えたのはなぜか?
2006/07/10
パンチ力と、抜き身の刀のような鋭さを合わせ持つ授業がしたい。3時間の長丁場の授業なのに、知的な話術と爽快なスピード感がみなぎるおかげで、体感時間がたった30分、そのくせ10時間分の濃厚な充実感を得ることができる授業。そんな授業ができたら、子供の学力は驚異的に伸びるに違いない。勉強ができる子に対しては知的刺激をふんだんに与えると同時に、勉強にそれほど自信がない子にも上昇志向と向学心をもたせる授業。そんな授業をしたいな。
2006/07/07
私が求めてきたライフスタイルについて話そう。私は中学校・高等学校を通して、登校拒否の気があった。小林秀雄は「世捨て人は世を捨てた人ではない、世に捨てられた人だ」と言っていたが、今考えると私も「登校を拒否した人ではなく、登校を拒否された人」だったのだろう。アクの強い人間は毒をまわりに放つ。まわりの人間は毒を恐れて近づかない。やがてアクの強い人間は孤独になる、学校を避ける。自分の意思で登校を拒否したのではない。アクの強い性格のせいで居場所がなくなったのだ。とにかく極度な学校嫌いになり、進級会議に引っかからないギリギリの限度だけ出席して、あとは野球場と映画館に入りびたっていた。塾へも小6の時1年間広島の進学塾へ、高1のとき半年間代ゼミの本校へ行ったきりだ。友人も深くつき合える3~4人を除いては表面的にしか会話をしなかった。私は人の好き嫌いが異常に激しく、自分と向き合えない軽薄な人間が大嫌いだ。相手方はもっと私が嫌いだろう。とにかく社交的とは程遠い性格だった。私は人嫌いだ。小林秀雄風に言えば「人が嫌いな人間」ではなく「人に嫌われる人間」なのだろうか。そんなわけで、私は集団生活ができない。また教師という人種に、学校生活を通じて生理的嫌悪感を強く抱いていた。こんな性癖を持つ私が目指したライフスタイルは、「人といかに接触を少なくして食っていくか」ということだ。企業への就職は、私にとって奴隷になるのと何ら変わりない苦痛だった。ただフリーターのように、企業に安い賃金で酷使されるだけの存在になることは潔しとはしなかった。だからこそ「個人塾の塾長」は、まさに私にうってつけの職業だ。天職だ。相手にする人間は純粋無垢な田舎の子供だけ、サラリーマンのように嫌な上司に我慢することもない。何のしがらみもなく、自分が正しいと思ったことを素直に口にできる。今の私は、自分の理想の生活を送っている。青春時代に自分が望んだ以上の、信じられないような生活だ。自閉症的な性格を持つ私のような人間がやっている塾に、何故子供が来るのだろうか、親が子供を預けるのだろうか、そんな不思議な感触にとらわれつつ、日々を過ごしている。そして最近、私の個人主義的な性癖が、現在の「自己中心的」な子供達の感性と、不思議に合うことに気がついた。もしかしたら私が自分の短所だと思っていたことが、特定の子供に受ける原因かもしれない。私は自分の個人主義的ライフスタイルを絶対に守りたい。私がもし塾を拡大する場合があるなら、私の現在の幸福を脅かす異物の排除が目的だ。でも、そんな偏屈な私にも最近、「社会的貢献」を成さねばならないという、どこからともなく湧き上がった衝動に突き動かされた。自己を核とする小宇宙的を形成し、そこには誰も立ち入らせない、また自分からも出て行かないライフスタイルに疑問を感じた。正直言うと飽きがきた。何か、教育界に爪痕を残す何かができないだろうか。無名の人間が世の中を動かす最善の方法は、1に暴力、2に言論だというのが私の持論だ。ただ暴力というのはあまりに突飛で非現実的、かつ共感を得づらい手段なので、ブログでものを書くことが、自分にできる等身大の実践だ。
2006/07/04
「天才」という言葉がある。「天才」とは「今まで誰も考え付かなかったモノを生み出せる」才能のことである。文学や音楽や絵画の世界では「天才」以外は食っていけない。文学や音楽や絵画を愛好する人は「天才」にしか興味を持てないし、「天才」の作品にしか金を払わないから当然のことだ。「天才」に必ずしも師匠は必要ない。「天才」の才能とは、師匠から弟子へ伝わるものではない。「天才」の才は伝承しない。個人から突然生まれてくるものだ。だから、毎日のルーティンな授業や、厳しい訓練から「天才」は生まれてこない。「天才」は教育機関には似合わない。文学部へ行っても誰もが小説家になれないし、美術学校へ行っても絵描きになれるとは限らない。小説家や音楽家や画家を確実に育てることを保障する教育機関はない。「天才」は教育機関の外部から、しばしば登場する。繰り返す。文学や音楽や絵画で成功するには「天才」でなければならない。では「天才」になるためにどういう努力をしなければならないか? そもそも努力してなれる才能を「天才」とは呼ばない。しかし努力はしなければならない。努力をすれば眠っていた「天才」を発掘できる可能性がある。しかし勉強の世界とは違って、自らの「天才」を開拓するためには、努力の方法も独自のものでなければならない。ミュージシャン志望の人間が一流になるためには、音楽理論を学び、楽器の腕を上げるよりも、クスリに手を染めた方がベターであるケースもある。単身NYで放浪し精気を吸った方が成功への近道になる。文学や音楽や絵画で成功するには、努力の方法もオリジナルで「ぶっ飛んで」いなければならない。努力の方法で模索し悩む。しかし勉強の世界は違う。勉強とは師匠から弟子へ、先生から生徒へ、参考書から脳味噌へ、知識や思考回路をそのまま伝承することに他ならない。勉強には「今まで誰も考え付かなかったモノを生み出せる」才能は要らない。勉強とは「今まで誰かが考え付いたモノを素直に受け取る」作業だ。音楽や芸術や小説の世界で成功するには「人の真似はしてはならない」か「人の真似はある程度するが、それに独創性を加える」必要があるが、勉強の世界で高い学力を上げるには「人の真似をしなければならない」のである。文学部へ行って「真面目に」努力しても実際に小説家になれる人間は少ない。しかし法学部や理学部や工学部や医学部で「真面目に」教授や先生の言いなりになっていれば、希望の職業に就ける。真似をする努力が自分を高める。勉強の努力は物理的な積み重ねの努力である。しかし小説や音楽や絵画で飯を食うには自分の中で化学的な「変異」を待たなければならない。時には爆発しなければならない。芸術家の大爆発は岡本太郎氏のように面白い作品を生み出し見る者を喜ばせる。しかし外科医が手術中に大爆発を起こしたら患者が困る。手術中の医者は自分が勉強した内容の忠実なしもべでなければならず、オリジナリティの発揮は学んだ内容の延長線上でなければならない。もちろん医学や理学や工学や社会学にも「天才」は必要だ。しかし医学や理学や工学や社会学では「天才」の真似でも食っていける。天才は1%存在すればいい。「天才」以外の人は模倣に徹すればいい。模倣こそが人の役に立つ。そして「天才」の模倣の過程を努力と呼ぶ。
2006/07/03
個人塾やってる私が言うのもなんだが、個人塾の門を最初にたたく時、お母さんや子供は怖いんだなあと思う。大手塾なら1階がガラス張りになっていて、中ではネクタイ姿の先生や、制服を着た事務の女性がテキパキと仕事をしている姿が見える。ドアを開けても洗練された反応が返ってきそうだ。また、講師がズラリ玄関前に並んで送り迎えしている大手塾もあり、それならどんな人が子供を教えているのか一目瞭然で、尚更入りやすい。しかし個人塾は違う。個人塾の先生は怪しい。私が以前個人塾の長渕剛で書いたように、個性的といえば聞こえはいいが、とんでもない人物が先生だったりする。だから雑居ビルの3階4階にある個人塾にお母さんや子供が最初に訪れる時は、塾長がどんな人かわからないので、興味と恐怖で心が一杯になり、コンクリートの階段を上がりながら肉体の疲れだけでなく、緊張で息切れしてしまうだろう。お母さんが個人塾のドアを開ける。「ごめんください」と言う。中から反応は無い。もう一度今度は少し大きな声で「ごめんください」と叫ぶ。奥から「は~い」という声が。塾長だろうか。足音が近寄ってくる。スタスタ。どんな人なんだろう・・・こんな具合だから大手塾のほうが親しみやすく、個人塾は取っ付きにくいと考えるのも道理だ。商店でもそうである。スーパーやコンビニは自由に入れて、何も買わなくても遠慮なく出られる。「来るものは拒まず、去るものは追わず」といった感じだ。逆に個人商店は入りづらい。入った途端に商品をしつこく勧められるとか、あるいは古本屋みたいに偉そうなオッサンが店の奥で腕組みしているとか、買わないと嫌味を言われそうだとかで足が遠のく。またコンビニやスーパーのいいところは、1万円札を出しても何も言わずお釣りをくれることだ。1万円出してガム1個買っても嫌がられない。だから買い物する時、ついついコンビニやスーパーに足が向いてしまう。しかし個人商店では1万円札を出そうものなら、「細かいのはありませんか」「928円のお買い上げですが、8円お持ちじゃないですか」と批難されそうで困る。個人商店にはお釣りの出し方1つにしてもローカルルールがあり、客は店独自のルールに合わせなければならない。大手のチェーン店なら、どこでもルールが同じだから気をつかうことが無い。個人塾にも塾長の個性の匂いがプンプンする独特のルールがあって、保護者や子供がそれに合わせなければならない。それが嫌だから入塾を躊躇してしまうケースが、結構多いような気がする。だから個人塾のルールはkamiesu先生の塾のように、普遍的で理に適ったものでなければならない。また、ある程度個人塾は、HPやブログで自塾の雰囲気を公開するのが望ましい。私の塾のように、得体の知れない伏魔殿のような塾はそれはそれで面白いが、普通の方には怖いだろう、と思う。
2006/06/30
齋藤孝が言うところの「教育欲」は、一定の年齢に達した人なら、ある程度は持ち合わせていることだろう。ビジネスマンは後輩社員に、高校野球の監督は選手に、学校教師は生徒に、相撲の親方は力士に、落語家は弟子に、教育欲のはけ口を求める。ところで、明治以降武士は俸禄を停止され、武士階級の特権もなくなり不満が嵩じた。不満のはけ口をある者は西南戦争をなどの不平士族反乱に求め、またある者は自由民権運動に携わることで解消しようとした。しかし多くの士族は、自分自身の現世での出世栄達を諦め、夢を子供に託した。没落士族は現状の不満を子供の教育でぶつけたのである。おりしも当時のベストセラー福沢諭吉の「学問ノススメ」は、学問を修めることが立身出世の王道である事を説き、多くの士族の共感を得た。福沢諭吉のアジテーションに感化された武士階級は、子供の教育に力を入れた。没落武士の「教育欲」は、自分の現世での不遇に対する怨念とあいまって強い欲望になった。親の強い「教育欲」の結果、学問に励んだ子弟達は、官吏や軍人、或いは実業界で活躍するようになり、富国強兵・殖産興業の原動力となり、明治の日本の隆盛を築き上げる力になった。自分に代わって息子を出世させたい親の執念が、産業の未曽有の発展を成し遂げた。結局、没落武士の「教育欲」は、自分達を武士という特権階級から引きずり下ろした明治新政府に、息子を人材として送り込むことに結びついた。なんとも皮肉なことである。
2006/06/30
高校生のとき、学校サボって図書館で読書に励んでいたら、ある本の中に「民族別知能指数」という恐ろしげなランキング表があるのを見つけたことがあった。民族のIQを、まるで大学の偏差値表のように上から順番に並べたものだ。それによると、1位 ユダヤ人(ダントツ)2位 日本人3位 中国人で、その続きは忘れてしまった。どうせこんなのは、ユダヤ人が調査した結果なのだろうから、1位がユダヤ人という結果はユダヤの陰謀で、実質日本人が1位なんだろうと勝手に解釈する。そして、表の一番下には黒人プエルトルコ人と書いてあったと記憶する。刺激的な本だった。ところで、最近の小学校では子供にIQ調査をしているのだろうか?私は小学校でIQを調査された記憶がある。小学校の時は体育館で迷路のクイズをやった。今思うとあれはIQ調査なのだろう。結果は知らされなかったけど。偏差値や学年順位は、子供の努力で上下する数値だからテストをバンバンやって公表してもいいのだろうけど、知能指数は先天的絶対的能力だから困る。いま、子供のIQを調査することはタブー視されているのだろうか?たとえば「男女の間に、IQの差はあるのか?」という調査1つをするにしても、見えない圧力で厳しく戒められているような気がする。あと、私は島で塾を開いているが、ある人が「うちらは島じゃけえ、血が濃ゆうて、知的障害持った人間が多いわ」という恐ろしい説を唱えていた。確かにうちの島では、「金」や「李」や「朴」という苗字が圧倒的に多い韓国・北朝鮮みたいに、特定の苗字が異常に多い。4つの苗字だけで、島の人口の70%ぐらいを占める。韓国だと、同じ「金」姓の中に「本貫」という細かい区別があって、同じ「本貫」同士では結婚できないと聞く。韓国ではそんな工夫をしながら、「血が濃くなる」ことを防いでいるのだろうか?ところでもしかしたら、雑多な人間が集まる都会と、閉鎖された空間で「近親婚」が続く島と、どちらのIQが高いのか比較実験している研究機関もあるかもしれないが、公表したら大騒ぎになるだろう。たとえ調査していたとしても、興味本位で語られやすい内容だから、調査結果は象牙の塔の塀の中に隠しておいた方が、賢明だと思うけど。それはそうと、私は自分の知能指数が知りたい。小学校の倉庫の奥のファイルに調査結果が残されているのだろうか?
2006/06/29
東大寺学園高1の放火殺人事件について、いましばらく、牛歩のようにじっくりと考察を進めてみたい。まずは当たり前のことから整理しよう。いまでは、塾や学校が親から子供を預かり、親以外の大人が学力の成長を全面的に担当するようになった。親が直接子供に勉強を教えることは稀で、学力向上は塾や学校に任せるのが当然だ。でも子供の教育に関する「分業」が成立したのは、よく考えてみれば時代的に新しいことなのかもしれない。昔は、仕事のノウハウは親が家で教えた。親が子に職業技術を教えるのは当然の事だった。原始人は狩猟のやり方を、百姓は田植えを、漁師は魚の取り方を、鍛冶屋は鉄を打つ技術を、親は子の手を取り直接教えた。身分が固定していて、親の職業を子が継ぐのが当たり前だった時代、父親は親と教師を兼ねていたのである。現在では、子供は大きくなると親離れするのが当然のように思われているが、昔の子供は親離れすることは稀だった。親と子は死ぬまで一緒に暮らしていた。確かに戦国時代になると一旗揚げるために鍬を刀に変え戦いに出る若者は増えたし、また江戸時代には江戸や大坂といった都市に移住する百姓の次男三男が後を絶たず、居住の流動化が進んだが、多くの人は一生同じ土地や家に定住したわけで、生まれた家はイコール死ぬ家だった。ところが明治以降、身分や職業が流動的になると、子が親の職業を継ぐ割合が少なくなった。全国に学校ができて、公務員とか軍人とか江戸時代に無かった職業も増えた。社会構造は大幅に変化し、子は親よりも上のステージの職業を目指すようになり、そうなると親が持つ職業知識は子には不要なものとなった。農民の父には、軍人の子は教育できない。社会の「進化」及び近代の到来が、親と子を引き離した。子供は一定の年齢になったら親と別居し、親は子供に職業技術を教えるケースは少なくなった。近代以降、子供には将来の職業の可能性ができた。子供は親の跡を継がなくてもよくなった。そんな環境の転回が、直接子供を手取り足取り教育するステージから、親は退場を余儀なくされた。子供に職業技術や勉強を教える役目は、教育機関に一任されたのである。
2006/06/29
誰かがTVで、これからはどんどん生徒の学力低下が進んで、先生方も学力が低い子相手に授業がやりにくくなるでしょうねえと発言していたのを耳にはさんだが、私はそんな危惧はしていない。だって、これからますます学力低下が進めば、子供の学力が徐々に下がってゆくのに比例して、教える側の学力も一緒につられて下がってゆく。学力低下した子供が大人になれば、学力の低い教師や大学教授になるのは道理だ。教師のレベルが高過ぎて、「こんなアホなガキ相手にやってらんねえや!」という事態は起こらない。教師もつられて学力低下しているからだ。学力の低い教師が、学力が低い生徒を教える学力低下スパイラル。授業がやりにくくなるなんて、危惧することなんかないのだ。
2006/06/29
保健体育という科目の、通知表の評価がよくわからない。私が高校1年生の時、体育のカリキュラムは、1学期はバスケッットボール、2学期は陸上(走り幅跳び)、3学期は柔道と、くっきり分かれていた。私は高1の時、非常に太っていた。1学期のバスケは、コートをぶよぶよした体躯を持て余してうようよしているだけ。時々相手に体当たりして、反則取られ周囲の顰蹙かっていた。2学期の走り幅跳びは最悪。ドタドタ走って砂場にドテンと尻餅をついた。3学期の柔道は、技の切れ味は全くないけど、巨体なので投げられることは絶対になかった。最強だった。しかし通知表の評価は10段階で全学期とも6。自己評価ではバスケが4、走り幅跳びが5、柔道が8なんだけど・・・なんだか、凄くいい加減な評価だったような気がする。もしマイケル・ジョーダンやカール・ルイスや小川直也が生徒でも、全学期同じ評価をするのだろうか?塾生の通知表でも、怪しい評価はある。バレー部レギュラーなのに、体育がバレーで5点満点で3とか、結構ひどい評価だと思うヨ。一度「こいつは体育は3」とイメージが付いちゃったら、先生が変わるまで3のままなのかしらね。
2006/06/28
うちの子猫は、鶏のささみとチーズと鰹節が好物で、1日5食もするので身体が結構大きくなった。子猫と成猫の中間ぐらいの大きさになり、とにかくよく食べよく動きよく太る。子供がいない私にとって、小さい生命体が食料を得ることで、日に日に身体が大きくなる体験は新鮮だ。猫の身体が大きくなると、猫は私が稼いだ金で買った食べ物で大きくなり、私がいなければ猫は餓死していたかもしれないという、妙な実感が生まれてくる。「こいつの身体は俺が大きくしてやったんだ」と偉そうなことを思ってしまう。心の成長は目ではあまり確かめられないが、体の成長は一目でわかる。子猫の身体の成長は子猫の可愛らしさが失われることでもあり微妙に残念だが、やはり嬉しい。ところで、私のような塾講師や学校教師は、子供の心や学力の成長には関わっているかもしれないが、身体の成長には全く関係がない。塾講師と一緒にいても、子どもの身体はデカくなったりしない。自習室の休憩時間におごったラーメンぐらいしか、塾の講師は子供の身体の成長には寄与していない。だからこそ、子が無い塾講師の私は、猫の身体の成長を新鮮に感じたのだろう。とにかく、塾講師は専ら子供のBODYではなく、SOULを成長させる役割を与えられているのだなと、大きくなった子猫を見てつくづく思った。ところで、親は自分の子供に対して、私が子猫に感じたような「この子の身体は私が大きくした」という気持ちを持っているのだろうか? 身体が大きくなった子供と喧嘩した時に親が、「誰のおかげで大きくなったんだ!」と怒鳴る気持ちが、子猫を育てていて非常によくわかった。
2006/06/28
父親が子供に勉強を教えるというのは、どういうことなのか?中学受験期の子供に勉強を教えている「お父さん家庭教師」は、かなりの数にのぼるだろう。しかし子供が成長するにつれて、だんだん父親は子供に勉強を教えなくなる。教えられなくなる。その理由の第1は、父親の学力にある。難関中学の算数は難しいから、父親が問題を解けなくなる。小6ぐらいになってくると、子供に「お父さん、この問題教えて」と質問されても、お父さんは30分も1時間も頭をひねるだけで、問題が解けない。その間子供は黙ってお父さんが難問と格闘する姿を見ている。お父さんは子供の視線が拷問プレッシャーになり、ますます解けない。難問にイラつき、「こんなもん自分で解け!」と逆ギレするお父さんの気持ちもわかる。難関中学の算数の問題は年々難化しているから、子供時代に中学受験を経験したお父さんでも歯が立たない問題は多いし、また自分の受験時代には存在しなかった面積図が理解できないから、教え方は自然と我流になり、しかも「方程式なら解けるんだけどね」と突如方程式が登場したりして子供は戸惑う。そんな状況が何度も続くと、子供はお父さんの学力と教え方に限界を感じて質問に来なくなるし、お父さんも子供に勉強を教えることに自信を無くす。子供に勉強を教える作業は、専門職集団である塾に丸投げする。かくして、父親が子供に勉強を教える「お父さん家庭教師」は自然消滅する。「お父さん家庭教師」が自然消滅する第2の理由は、父親の多忙のせいだ。特にサラリーマンのお父さんは帰宅が遅く時間的余裕がないし、せっかくの土日は子供の通塾日に重なるケースが多い。小4ぐらいまでは子供に「ちょっと算数教えて」と質問されても瞬時に答えることができるが、小6の子に本格的に勉強を教えるとなると、しっかりした予習が必要だ。一旦教える決意をしたら腹を括らなければならない。塾のプロ講師ですら綿密な予習をして授業に臨むのだから、素人のお父さんが難関中学の問題を生半可に教えることは難しいのが現実だ。本格的に教えるには膨大な時間と執念がいる。でも、たった1~2問ぐらい算数の質問に答えるぐらいは時間的に楽だと思われるかもしれないが、子供は自分が解けないから質問に来るのであって、必然的に質問される問題は強烈な難問になる。お父さんは仕事から帰って来たら突然、進学塾のテキストで選りすぐりの難問を子供から「わからん」と質問される。パパっと解いて鮮やかに説明できる父親は少ないだろう。たった1~2問だからといって、ナメてはならない。予習した範囲を授業形式で教えるのは易しい。逆に、突然子供が持って来た難問を解くのは難しい。サーブを打つより受けるほうが格段に難しいのと同じことだ。持ち込まれた難問に答えるには深い学力が必要で、塾のベテラン塾講師並みに中学受験に知悉していなければならない。だから子供に勉強を教えることのできる父親は、時間に融通が利き予習時間や過去問研究の時間が取れる自営業の人か、あるいは予習しなくても教える能力がある医者か官僚か弁護士か大学教授のような高い学力を持つ人か、或いは本職の塾講師という場合に限られる。「お父さん家庭教師」が長続きしない第3の理由は、反抗期思春期の子供に反抗されるからだ。10歳を超えれば、父親と子供はN極とN極、S極とS極といった具合に反発し合うのが普通ではないか。親子がベタベタの蜜月関係だったら気持ち悪い。狭い部屋で父親と子供が向かい合って、或いは子供の勉強机の横に父親が陣取って勉強を教えている姿はいかがなものか。個人差はあるだろうが、私には強い抵抗がある。子供の立場だったら絶対に嫌だ。だから、ほとんどの子は抵抗を示して、「お父さん家庭教師」から卒業する。ところが、東大寺学園の高1の男の子の場合は、「お父さん家庭教師」が16歳になってまで続く条件が揃っていた。父親は医師で理数系の学力があり、また息子は大人しい真面目な子で真正面から父親を拒絶することができなかった。父親に抵抗する力がもしあったら、殺されたのは母親と妹弟ではなく、父親だったはずだ。執拗な「お父さん家庭教師」は、内田樹氏言うところの「ファミリアル・ハラスメント」の一種だ。
2006/06/26
よく塾生のお母さんから「どんな本を子供に読ませたらいいでしょうか?」とのご質問を受ける。でも私は、小学校・中学校の子供に関しては、明確な答えを出せないでいる。私は一般的な児童文学が嫌いだ。読んでも面白くない。大概の児童文学は、作者が子供におもねって書いているみたいで、照れくさくなってしまう。いい歳した大人が無理して子供の目線を繕って書いた児童文学は、作為の匂いがして、ちょっと気持ち悪い。大人が子供になりきろうと無理して書いた児童文学は、オッサンオバサン作者が子供のコスプレをしているみたいで、読んでてイタい。私は日本の児童文学の、子供の名前の呼び方が嫌いだ。エイジとかヤッチンとかヨッサンとかドテカボチャとか、何で片仮名やニックネームで呼ばれるのか。赤面してしまう。それはそうと、子供がそのまま大人になったような幼児性の強い人じゃないと、優れた児童文学の書き手にはなれないのか?日本の作家ならたとえば、宮沢賢治や中勘助のようなピュアな人間にしか児童文学は書けないと私は思う。というか、児童文学が面白くないのは、私が歳を取ったのが一番の原因だろう。児童文学が理解できないのを、作者のせいにしてはならぬ。子供が読んで面白い児童文学と、大人が読んで郷愁を誘う児童文学は違うのだろう。かつてはあれほど面白かった「週刊少年ジャンプ」も、今読んだら難解で理解できない。(「DEATH NOTE」と「こち亀」は別)その点やはり「ハリー・ポッター」は、大人と子供の両方に愛される稀有の作品なんだろうと思う。
2006/06/21
愛国心論争が盛んであるが、どうやら小学校の通知表で愛国心が評価される事態が起こったらしい。愛国心を評価する側は、一体何を基準に子供の愛国心を評価するのだろう?学校現場で、教え子達の愛国心を「一郎君はA、瑞穂さんはC」と評価できる人がいるのだろうか?もし私が誰かの命令で、塾生の愛国心をABCで評価しろといわれたら途方に暮れてしまう。作文を書かせてみて「僕は国を愛しています。僕の命より国の方が大事です」と書いたらAで、「私は国より自分が大事です」と書いたらCなのか?サッカー日本代表を熱狂的に応援する子がAで、サッカーに興味がなくて裏番組のスマスマを見た子はCなのか?読書感想文で「はだしのゲン」を選んだらCなのか?とにかく、愛国心を判定する基準がつかめない。果たして愛国心の有無を基準に生徒を評価する小学校の先生は愛国者なのか?愛国心を判定する資格はあるのか?公共教育機関の教師が、愛国心という胡散臭い基準で生徒を評価する時の「よすが」になるのは、「国家の権威」という甚だ邪悪なものではないのか?国家の代表者小泉首相ですら、通知表での愛国心評価を好ましくないと見なしている。戦前、学校教育では、国家への愛を死をもって示せという極端な教育が罷り通っていた。愛国心の究極形は国のために死ぬことだと子供は洗脳された。そんなカルトな愛国心の強制が亡国の危機を生んだ。戦後は逆に愛国心強制の反動から、左翼教育が日本中の津々浦々に蔓延し、愛国心という言葉は必要以上に忌み嫌われた。戦前は愛国心が絶対的に肯定され、戦後は絶対的に否定された。愛国心をめぐっての強制とその反動が繰り返された。子供のときに強制された思想は、大人になって必ず反発を食らう。たとえば、我々が子どもの頃は、日教組教育が全盛期だった。もし日教組の思想信条が適切なもので、子供の心を虜にするものだったら、今頃社会党や共産党は政権を握っていただろう。歴史は変わり、土井たか子や不破哲三が歴代首相として名を連ねていただろう。社会党や共産党が泡沫政党になったのも、我々日教組教育を浴びた世代の多くが、左翼的な思想信条をジワジワ強制されたことに反発を感じたからに他ならない。いままた愛国心を強制することは、10年後20年後の成長した子供に、再び愛国心アレルギーを感じさせるだろう。過度の強制は反動を起こす。私は右翼でも左翼でもないが、教育現場での思想信条の強制には頭を痛める。教育現場を軽やかさのない閉塞的な雰囲気にしてはならない。とにかく、もうやめようよ。「愛」なんてものを強制するのは。
2006/06/20
「自由」な校風を謳う、教師からの拘束が少ない難関中学の生徒が、中1最初のテストで悪い結果しか残せなかった場合、挽回方法は簡単だ。それは直ちに「塾に通う」ことである。小学校で進学塾に通っていた時期は、宿題やテストに追われながら流れ作業のように勉強ができた。1週間1ヶ月に1回は必ずテストがあったし、テストが勉強のペースを作った。塾から与えられる適度の拘束が、ペースメーカーのように心地よかった。しかし難関中学に入学したら、いきなり「自由」を与えられ、「自由」に戸惑ってしまう。過度の自由は人間を不安にする。勉強は適度に上から拘束された方がやりやすい。「自由」な校風を謳っている難関中学の先生は子供を拘束しないから、学校だけに頼っていたら子供は拘束される機会がない。そりゃあもちろん、自力で成績を上げ這い上がるのがベストには違いない。ただ、進学塾のレールに慣れている子から、レールを取り上げてしまえば、機関車は道の真ん中でどうすればいいのだろうか?善は急げ。成績が下がったら、直ちに塾に通わせるべきだ。「自由」に慣れずに何を勉強しようかウジウジ悩むより、塾で拘束されたっぷり課題を与えられ勉強疲れする方がどれだけ楽か。子供を何を勉強していいかわからない「自由」という名の砂漠の真ん中で迷わせてはならぬ。一本道を1歩1歩噛み締めながらゴールに向かって行く環境を作ってやらなければならない。その一本道とは塾に他ならない。砂漠で膝を抱えて途方に暮れる子供に、道を指し示してやるのが大人の役目である。
2006/06/17
難関中学に入学した子にとって、中学校最初の中間試験は非常に勉強がやりにくい。どうやったらいい点が取れるのかわからない。とにかく勉強のやり方がわからない。「のれんに腕押し」のような感覚だ。定期試験の勉強がやりにくい第1の原因は、難関中学に入学した子が、進学塾のカッチリした勉強のやり方に慣れているからだろう。進学塾ではテキストもカリキュラムも「カチッ」としている。綿密にシステム化されているテキストとカリキュラムは密接に連動していて、カリキュラム表を見ればテスト範囲は一目瞭然だ。試験範囲は「算国理社すべてテキスト第2分冊第7回」という具合に明確で、試験勉強がしやすい。また塾のテスト問題も何百人何千人が同時に受験する問題であるから、必然的に最大公約数的な問題になり、難問ではあるがクセが極力排除された、出題者の体臭がしない問題になる。だからテキストを勉強すればするほど、正比例してテストの点数は上がる。対して中学校の定期試験は範囲も曖昧で、各教科の統一感もなく、問題も各先生の体臭がプンプンするローカルなもので、子供は戸惑う。そして、学校の定期試験で子供が一番困惑するのは、進学塾の試験範囲が「テキスト」中心であるのに対して、中学校の試験では先生の板書を写した「ノート」が出題のメインを占めることだ。進学塾のテキストは問題形式になっているものが主で、問題を解いていれば自然にテストで点を取れるようになっている。勉強が非常にやりやすい。逆に板書ノートはテスト勉強が非常にやりにくい。ノートからどのような問題形式で出題されるか、慣れないうちは非常に戸惑う。だから塾の先生は試験勉強がやりやすいように、学校の先生の板書ノートを元に、せっせと一問一答問題を作ったりするのである。さらに困ったことに、難関中学の先生は学究肌の先生が多く、教える内容も出題方式も独特だ。先生の「体臭」に慣れなければならない。おまけに板書をしない先生もいる。中学入りたての子にとっては、内容が独特でしかも板書をしない先生のテストに向けて、何を勉強すればいいのか途方に暮れてしまう。とにかく大学の試験勉強と同じ勉強法が、中1の段階で求められる。要するに進学塾のテストは相撲のようなルールがわかりやすい「単純系」で、中学校の定期試験はルールが難しい野球やアメフトのような「複雑系」だと言えるのかもしれない。
2006/06/15
中学受験の際に親はエキサイティングし、子供の教育に大いに口出しするが、中学に入学したらいきなり「本人任せ」になってしまうケースが、結構多いような気がする。中学受験が終わると、親子ともども「祭りのあと」のような気分になる。親の教育熱が中学受験前にはヒートアップし、合格したら急速にクールダウンしてしまう。小学校までは子供扱いで過干渉、中学生になると途端に大人扱いして過放任。小学校と中学校の間には大いなる断絶があるような感じがするが、よく考えてみると小6は12歳、中1は13歳。たった1歳しか違わない。それなのに扱い方が180度変わってしまったら子供は戸惑う。確かに思春期・反抗期の子供にかける言葉は難しい。実は受験期の子供に対する声がけは結構簡単だ。目標は中学受験一直線だから、ゴールが決まっていて、子供も十分それをわきまえている。だから「努力だ根性だ」と、旧日本軍的なチープな精神訓話でも子供は素直に受け取る。しかし受験が終わると、手垢のついたワンフレーズの、勢いに頼った無神経な励ましの言葉は効果がない。たとえば中1の最初の定期試験で大きな挫折感を味わった、私のようなひねくれた子供に、「お前は中学受験の時みたいに勉強しなくなった」なんて言ってしまったら、親子断絶への道まっしぐらである。また「お前はやればできるんだから」という励まし言葉も、親は絶対に口にしてはならぬ。「やればできるんだから」という言葉は一見無難に聞こえるが、実は子供を敵に回す毒が仕込まれている。「やればできるんだから」と言われたら、中1の私はどう受け取るか?まず「やれば」という仮定の言葉には「お前はいま勉強をしていない」と努力不足への批難が含まれている。そして「できるんだから」と言われることは「お前はいま勉強ができていない」と言われるのと同じことだ。「できるんだから」という言葉をかけられると、成績の悪さをグサリと客観的に指摘されたようで、子供はショックを受ける。結局「やればできるんだから」という言葉は、子供にとって努力も能力も否定される嫌な言葉なのである。それから、親は思春期反抗期の子に対して、「私はあなたのことを、こんなに思っているのに」と、愛情を表に出して説教しては絶対にならない。4歳5歳の子が「お母さんはあなたのことが一番好きよ」と言われたら嬉し泣きするだろうが、ティーンエイジャーの思春期反抗期の子に「あなたが一番好きだから頑張って」なんて言葉をかけると気持ち悪がられる。親離れが加速的に進む思春期反抗期は、親の心配、親の愛情、そして時には親の存在すら「ウザイ」時がある。その事実を親は絶対に忘れてはならない。親が説教中に自分に酔って涙を流しても、親の熱い意に反して、子供は冷めた目で親の涙を眺めている。とにかく、思春期反抗期の子供は難しい。ただだからといって、子供に対して腫れ物に触るような扱いは良くない。思春期反抗期の子供は途端に気難しくなるが、自分を真に理解してくれるような、ピンポイントの鋭い言葉を実は求めている。(気が向いたら続く)
2006/06/14
厳しい中学受験を突破して、晴れて難関中学に合格した中学1年生の子供達は、ちょうどいまの時期、中学校ではじめて定期試験を体験した直後だろうか。難関中学に合格した子は、小学生の時に学校のテストを意識したことは、ほとんどなかったに違いない。勉強しなくても満点が取れた。小学校でテスト順位を発表することはあまりないが、学校のクラスの誰もがNO.1と認める学力を持っていただろう。しかし難関中学のテストは、そんな簡単にはいかない。難関中学で1番を取るのは1人。当然あとの子は1番になれない。難関中学の中1たちは、クラス順位を異常に気にする。小学校でダントツで一番だった子が、クラス50人中37番なんて結果が返却されたら、大いに傷つく。屈辱を感じる。難関中学最初の中間試験は、自分の学力が意外と振るわない現実をグサリと突きつけ、強いショックを子供に与える。難関中学で定期試験の順位は、子供の世界で一種の「ヒエラルキー」になる。偏差値やクラス順位はもちろん変動可能な数値であり、方向性を間違えず努力精進すれば上昇する数値なのだが、最初の試験で衝撃を受けて、その衝撃が無力感につながると、子供は偏差値やクラス順位をインドのカースト制度のような、固定した数値として捉えてしまいがちになる。俺はクラスで37位の男、私は偏差値43の人間と自己既定してしまう。自分をヒレラルキー下位の人間と規定することは、最初のうちは痛恨の極みでショックが大きいが、低い成績にいったん慣れてしまうと、同時にそこが安住の地になってしまう。「俺はバカだ」といったん開き直ってしまうと「低いポジションの方が居心地がいいや」という退廃的な気分になる。努力して好成績をめざす過程で傷つくより、低い位置に安住している方が楽であることに気付く。また大学入試は6年後という遥か先だから、現実から思い切って目を背けることが可能だ。「俺はバカだ」と言い放つことは、快楽であり現実逃避である。とにかく、難関中学に通いだした中1の子は、人生最大の疾風怒濤の時期を迎えている。中学受験も大事だが、入学後の今の時期は人生最大の転機と呼んでいいくらい、とてつもなく大事な時期である。kamiesu先生のブログにも似たようなご指摘があるし、私も中1の時にノイローゼになってしまった。疾風怒濤の時期に試されるのは親の対応である。最終的に子供を救えるのは親しかいない。
2006/06/13
自習室に来る子は成績が伸びるのだろうか? まあ80%の子はそうだろうなあ。たしかに塾で定期試験前に「自習室、朝の10時から夜の10時まで開いています」と宣伝しても、お馴染みの勉強熱心な子や、人懐っこい子ばかりがやって来る。もはや常連と化している。彼らは概して向学心が強い。というか、1つ1つの試験を重要視し、手を抜かない。ただ自習室は、特定の生徒の「できる子サロン」や「先生のお気に入りチルドレン」や「塾のメインメンバー」にならないように、ある程度気をつけねばならない。でも、自習室の常連になる子は、教師の側から見ればカワイイのも確かだ。どうしても贔屓してしまう。私は塾が講師と生徒が、親密になり過ぎる場になっても、それはそれでいいと思う。講師と生徒が擬似的な親子になるような、強い人間関係で結ばれる雰囲気の塾が私は好きだ。そんな雰囲気が好きだからこそ、私は塾講師をやっている。ところで私自身の話で恐縮だが、私は受験生時代、図書館や自習室の雰囲気が駄目だった。受験生が醸し出す静寂感に恐怖を感じた。私は真面目でも何でもない男だが、家で勉強する方が性に合っていた。大きな図書館や自習室だと、人数の多さが私を圧迫した。200人ぐらいの受験生が一斉に勉強しているピリピリした冷厳な熱気と、カリカリ筆記用具の音だけが立ち込める静粛な空気と、若い体臭がムンムン立ち込める部屋は、私のような神経が細い人間には耐えかねた。また、図書館や自習室に行くと、同年代の受験生が、参考書や問題集はどんなのを使っているのか非常に気になる。他の受験生が自分よりレベルの高い問題集を解いていたら「負けた!」と胃がズキズキするし、逆に基礎レベルの問題集をやっていたら「勝ったね、オレ!」と間違った優越感に浸ってしまう。あと、同じ問題集を使っている受験生を見ると、まるで同じ洋服を着た人間に、街でばったり出くわしたような感じで非常に気まずい。その同じ問題集が、自分のよりボロボロで使い込まれていたら居ても立ってもいられない。激しい闘争心がわく。とにかく図書館や自習室は、ライバル(こっちが勝手に思っているだけだけど)が気になって勉強が手につかなかった。特に自習室で一番気になるのが「赤本」である。周囲の受験生がやっている赤本の大学名は無性に気になる。「こいつ、どこの大学受けるんだろ?」隣の受験生が「東京大学(理系)」などという赤本をやっていたら、吐き気すら覚える。赤本の表紙と背表紙には、大きな大きな字で大学名が書いてある。赤本はそれ自体が真っ赤で強烈に目立つし、そこに「××大学」と大学名が必要以上にでっかく、ゴシック体太字で表紙と背表紙の2箇所に黒々と書かれている。赤本のデザインは、自分の志望大学を隠せない悪魔的なデザインだ。あんなに派手な自己主張の強い本は少ない。志望校が一目瞭然で、「俺は××大学を受ける人間だ!」と、満天下に誇示しているようである。また「赤本」に限らず、Z会の「緑本」や河合塾の「青本」は難関大学しか出版していないので、大学名が見えなくても「緑本」「青本」を持っている時点で「おぬし、できるな」と刺激を受けてしまう。今でも図書館や本屋の赤本コーナーに行くと、受験生の赤本を「ちらっ」と見て、「こいつ、どこの大学受けるんだろう」と、受験生時代の郷愁だろうか、探ってしまう癖がついている。性格の悪いオッサンだと、自分でも思う。
2006/06/07
kamiesu先生の息子さんは、いつか先生のブログを読まれる日が来るだろう。たとえば息子さんが40歳になり、もし父親と同じく独立創業を心に決められるようなことになったら、同年代の父親の独立創業記をどんな気持ちで読まれるだろうか。自分と同年代の父親の戦いの記録は、独立創業をめざす息子さんの最大のバイブルになるに違いない。息子さんはkamiesu先生の文章の隅から隅までを、なめ尽くすように読むだろう。また息子さんが40歳になったら、kamiesu先生は80歳に近い。そのとき息子さんは80歳の父親の熟成した意見も聞けるし、40代の自分と同年代の生々しい記録にも接することができる。40代の父親が書き言葉で、80代の父親が話し言葉で、同時に息子さんにアドバイスする。何とロマンチックなことだろうか。また息子さんが10代の受験期に入り、自分の殻を破り大きな目標にチャレンジする時、お父さんの独立創業の記録を読めば、どんなに素晴らしい糧になるか計り知れない。浅田次郎の「地下鉄に乗って」という小説は、人生に行き詰った中年の男性がタイムスリップして若き日の父親と出会い親友になり、父親からパワーを貰い復活する話である。でもブログの文章があれば、タイムスリップという非現実的な装置を用いなくても、同年代の親子が交流することが可能なのだ。私見だが、昔から小説家や著述家の親子、特に父親と息子は仲がよく、普通の親子より分かり合っているような感じを受ける。それは息子が父親の作品を読み、父親の人となりの繊細な部分に接する機会が、普通の親子より圧倒的に多いからだと私は思う。無口で無愛想な生の姿の父親が、文章では饒舌に繊細に、自分の心のうちを語っている。父親は文章のプロだから、語り口は巧妙かつ真摯で、心を打つ。また作品やエッセイの中には、子供に対する愛情の痕跡が、あちこちに見受けられる。子供は全面的に自分を愛してくれた親を失ったあと、かつて自分の全てを愛してくれた人間が若い時分には存在したことを、文章を通じて知るのである。
2006/06/06
kamiesu先生の大手塾からの独立、そして新しい塾設立のドキュメントは、そろそろ佳境を迎えつつある。進学塾「SORA」の開塾が、いよいよ間近に迫っている。 たった2ヶ月前には、kamiesu先生の頭脳の中にしか存在しなかった理想の塾が、実体を持ち現実に始動しつつある。名前が決まり、ロゴマークが完成し、テナント工事に取りかかり、広告を撒き、おまけに何と先生の似顔絵まである。 塾が出来上がってゆく経過は、まるで映画のようだ。2次元のシナリオが3次元の映像に変わる瞬間が、刻々と近づきつつある。 さて、kamiesu先生のブログは、どんな人がどんな視点で読んでいるのだろうか? ある人は「プロジェクトX」的なダイナミックな創業ドキュメントとして読み、特に同世代の人は40代の人生再スタートを羨望の気持ちで見つめるだろう。 大手塾の経営者や教室長は「こんな優秀な先生に辞められたらアカンな」と人事管理を徹底し直すだろうし、逆に大手塾の力量のある講師は「俺も独立したい」と夢想したり「いや、大手塾に残る方がいい」と現実に戻ったり、反対の思いが交錯するだろう。 「進学塾SORA」の近隣の塾は戦慄を覚えているに違いない。「進学塾SORA」という塾名は味方には爽やかだが、敵から見たら得体が知れなくて掴みどころがないヌエのような名だ。私の塾の近くに「進学塾SORA」ができたら、私は恐怖で失禁する。 全国の個人塾の塾長はkamiesu先生にエールを送り、また自分が塾を創業した頃の緊迫感を回顧しているのかもしれない。 既存の塾に物足りなさを感じる賢明な父母の方は、「進学塾SORA」に子供を通わせたい、この塾には何かあると絶対に感じるだろう。 上昇志向と向学心が強い生徒の皆さんの中には「進学塾SORA」の第一期生になりたいと願う人もいるはずだ。「進学塾SORA」に通ったら、自分の何かが変わる。イラクの激戦地に行かなくても、「進学塾SORA」に行ったら自分探しの糸口がつかめると、聡明な若者なら直感する。(余談だが私はkamiesu先生にメールを差し上げる時、「進学塾SORA」ではなく、間違って「劇団SORA」と書き、慌てて消したことがあった。「SORA」という名前と、kamiesu先生の教育信条がmixし、なんだか倉本聰の「富良野塾」的な、塾長と劇団員の密接な24時間すべての生活を演劇に賭けた関係を連想してしまったのだ。泊り込んででもKamiesu先生の下で学んでみたい中学生・高校生の方は多いに違いない。)とにかく塾関係者も、父母の方及び中高生も、一般の読者の方も、先生の教え子の皆さんも、kamiesu先生の塾誕生の、現在進行形の臨場感溢れるノンフィクションに注目している。 ただ、kamiesu先生のここ半年弱続いた一連の「独立戦記」を、一番熱意をこめて、一番深く自分と一体化して読む最大の読者は、塾関係者でも保護者の方でも中学生高校生でもない。kamiesu先生のブログの最大の読者は、絶対にこの人だ。彼以外にありえない。 (つづく)
2006/06/05
いま流行の、成分分析を「US塾」でやってみた。US塾の94%は信念で出来ていますUS塾の6%は鍛錬で出来ていますいいじゃん!ちなみに私の名前でやったら59%は勇気で出来ています21%は気の迷いで出来ています9%は濃硫酸で出来ています7%は成功の鍵で出来ています4%は言葉で出来ていますこれもなかなか。濃硫酸とは何ぞや。さらに、猫ギターなら猫ギターの96%は鉄の意志で出来ています猫ギターの4%は歌で出来ています歌?よくわからぬ。でもオレは「信念」と「勇気」と「鉄の意志」の男なのね。
2006/06/03
子どもから「やる気」を引き出すのは難しい。勉強をやる気にする「媚薬」でも発明されたら、どんなに素晴しいことか。飲んだらたちまち机にかじりついて離れない、勉強に惚れてメロメロになる薬。スポーツ界で使われている筋力増強剤ならぬ、脳力増強剤。そんな薬を発明したら、配合比率は門外不出にして、私は大儲けを企むだろう。また20~30年後には、子どもの知能指数を上げ、やる気にする脳外科手術が行われているかもしれない。顔がブサイクなら整形外科のお世話になればいいように、怠け者のバカチンでも勉強嫌いでも、学校や塾に頼ることなく脳外科へ行って頭蓋骨にメスを入れてもらえば勉強嫌いはすぐに解決・・・・媚薬も外科手術も、近い将来実用化されそうな気がする。欧米や日本だったら倫理問題になるけれど、中国やロシアだったら秘密裡に天才児とか「やる気」の塊のパワフルな子供が人為的に作られる可能性がある。さて、冗談はともかく、子供をやる気にするには勉強の動機づけが必要だ。勉強したら将来どうなるか、しなかったらどうなるか、明確なビジョンがないと、目的意識は生まれない。目標なしに勉強することは、ゴールのないマラソンを走っているようで、子供も行けども行けども休みなく走らなければならない状況に嫌気がさし、途中で挫折し苦痛を感じる。だから私は子供の目標をはっきりさせるため、本気で洗脳ビデオでも作ろうと考えた。たとえば中学校2年生のA君。明日は中間試験。午後11時。眠い。眠るか眠るまいか、2つの選択肢がある。まさに人生の分かれ道。眠らずに午前2時まで頑張った場合。テストは95点。その10年後のA君の姿はどうなるか・・・霞ケ関の役人か、ドイツの学会で研究発表する医学博士か、マンハッタンの摩天楼で働くビジネスマンか。眠った場合。テストは45点。その10年後のA君の姿はどうなるか・・・派遣で25歳の上司に怒鳴られてる45歳の無気力なオッサンか、山谷か釜が崎で野糞たれてるジジイか。で、シナリオも少々書いたのだが、95点のA君の人生が薔薇色、45点のA君の人生が地獄というような単純なストーリー展開になることは、私のような貧困な想像力しか持たない人間でも許せない。95点のA君だって大きな苦悩を抱えるし、45点のA君だって挽回の可能性はある。人生のストーリーは単純にはいかない。結局、「勉強しないとひどい目にあうぞ」という脅迫洗脳ビデオの製作はご破算になった。
2006/05/26
仙台では、野村監督率いる楽天と、古田監督のヤクルトが戦っている。いわゆる「師弟対決」だ。古田は野村監督の薫陶を受け日本一の捕手の名を欲しいままにし、野村は古田の活躍でヤクルトの黄金時代を築き名監督と賞賛された。「日本一の捕手」のスキルが野村から古田へ伝承されたのだ。師匠の力で弟子が一人前に育ち、弟子の活躍で師匠の株が上がった。お互いの存在がお互いを引き上げた。野村と古田の邂逅は奇跡的で、この上ない理想的な師弟関係と外野からは見える。ただ、古田にとって野村は、どうしようもなく煙たい存在だと思う。名監督と呼ばれる人は、自分が能力を認めている選手に対して、悪口とボヤキの集中砲火を浴びせる。気に入った選手ほどいじめる。野村は未だに古田をあまり褒めないし、著作は古田に対するボヤキで満載だ。私のような教育関係者には、野村が古田にボヤけばボヤくほど、野村が古田の力を認めているのが痛いほど分かる。野村にとって古田は目の中に100人入れてもいい可愛い弟子だ。しかし野村の目の中に入れられた古田は窮屈でたまらない。古田の側にしてみれば、未熟だとか性格に問題アリだとか、自分に対する悪口やボヤキが本にあれだけ書かれて、いい加減ウンザリしているだろう。また野村は「古田は俺が育てた」と盛んにあちこちで言い触らしている。古田が内心腹を立て、呆れるのは強く理解できる。そして、古田は野村の能力は認めざるを得ないが、性格は大いに疑っているに違いない。息子のカツノリを肉親贔屓で起用し続ける行為にも疑念を抱いているだろう。野村監督が阪神時代の3年間、一度も二軍に落ちなかったのは、どうやらカツノリだけだったらしい。今岡や桧山でさえ二軍落ちを経験したにもかかわらず、である。しかし、古田は野村と出会わなければ、あれほどの超一流選手になれなかったことも事実だ。たとえば古田がヤクルトではなく、巨人軍にルーキーとして入団したとしたら、長嶋茂雄の目に古田の姿は絶対にとまらなかっただろう。一見華のなさそうな古田の才能を、長嶋茂雄は見逃したに違いない。野村は古田の拾いの神であり、救いの神であり、育ての神だった。ところで古田はピンチに陥った時、野村の姿が頭に浮かんでくるのだろうか?たとえば、古田は今季からプレーイングマネージャーとして、監督と選手を兼任する事になったが、開幕当初ヤクルトは勝てずに、また古田自身も打率が一割台で、相当苦しんだに違いない。師匠の野村はプレーイングマネージャーとして成功を収めた第一人者だ。南海時代は監督を兼任する傍ら、現役4番打者としてホームランをかっ飛ばした。野村は捕手のイメージが強いが打者としても超一流で、本塁打数は王貞治に次ぐ歴代第2位である。野村は古田にとって、捕手としてだけではなく、プレーイングマネージャーとしても先達である。おそらく古田はプレーイングマネージャーで窮地に陥った時、野村だったらどうピンチを乗り切るか、空想上の野村と「対話」している、と思う。現実の野村の姿は顔を思い出すだけでも腹立たしいし、もし実際に電話で野村に相談でもしたら、野村がマスコミに「古田がオレに相談しに来やがった」と皮肉な笑顔を浮かべて暴露するのは目に見えている。だから実際に野村に教えを請うなんて、死んでも嫌だろう。しかし、野村の思考法は古田の血肉になっている。古田の頭の中に、野村の思考回路が構築されている。だから実際に野村と語らなくても、長年野村から口を酸っぱくして語られた言葉のパーツが、古田に語りかけてくるのだ。師匠とは弟子にとって、「あの人ならこの局面で、どう考えどう行動するだろうか?」と空想上の対話ができる人物である。古田にとって野村克也はまことに嫌な男だが、自分を認めスターダムに上げてくれ、強い影響を受けた生涯最高の師匠だということは、渋々ながら認めざるを得ない。また「野村の考え」は、古田の脳味噌に取りついている。師弟関係というものは、複雑なものだ。
2006/05/17
生徒や選手に「無関心」な教師や監督は駄目だ。言い換えれば良い教師・監督の条件は、生徒や選手に強い「関心」を持つ人に他ならぬ。ただし、生徒に「関心」を持つ教師とは、生徒に積極的に声をかけたり、常に誉めたり、またどんな生徒からも慕われ「いい先生」と呼ばれるタイプの、フレンドリーな人だけではない。実は教師が生徒の悪口を言ったりボヤいたりするのも、生徒に「関心」を持っている立派な証拠だ。というか、妙に生徒を褒めるより、生徒の悪口を言ったりボヤいたりする教師の方が、生徒に強い「関心」を持っている。そしてそんな教師こそ生徒の能力を真に伸ばすような気がすると、個人的に思う。生徒が嫌う「悪い先生、嫌な教師」の中に、素晴らしい先生が潜んでいるのだ。生徒を罵倒したり、生徒の行状をボヤいたりする教師は、生徒に対して強固な理想像を持っている人が多い。生徒の学力はもっと上がるのに、もっと能力を発揮できるのにと、熱く期待している。生徒の理想の姿と現実の姿の剥離を常に意識して、生徒を理想形に近づけようと腐心している。そんな教師は生徒に対して、俺の理想の姿まで上がって来いよと発破をかける。現実に甘んじることを許さず、飢餓感を持たせる。発破をかけられる生徒は、教師によって常に自分のマイナス部分、理想に足りない部分を意識させられるから、教師に対して「俺を認めていない」「俺のことは分かっていない」と不満を持つ。でもそれは大きな勘違いであることが多い。熱心な教師は、自分が可愛がり能力を認めている生徒に対して、他の誰よりも強い不満を述べがちだ。お気に入りの生徒への要求水準は高くなる。野村監督が古田に対して一番厳しかったように。生徒の側からすれば「何で俺ばっかウジウジ説教されるんだ」と不平不満を持つのは当然だろうが、ウジウジ言われるのは教師から能力や将来性を認められ猛烈な関心を持たれている証拠か、逆に本当に骨の髄まで嫌われているかのどちらかである。
2006/05/16
愛知県の海沿いにある全寮制の学校といえば、海陽学園と戸塚ヨットスクール、どちらを思い浮かべるだろうか?戸塚ヨットスクールは暫し忘れられた存在だったが、戸塚宏が監獄から帰ってきてマスコミに露出を重ねて以来、久しぶりに注目を浴びている。戸塚ヨットスクールに対しては賛否両論あるが、私は戸塚ヨットスクールを断じて許せない。確かにスパルタで押さえ込めば、家で暴力を振るう問題児の淀んだ顔がスッキリ生まれ変わり、社会性が身につくという理屈は理解できる。しかし、過ぎたるは及ばざるが如しで、教育機関が子供を殺しては絶対にダメだ。子供を殺す場所を教育機関とは言わない。子供を殺す人を教育者とは呼ばない。圧倒的な存在を目の前にすると、人間は謙虚になる。しかしその圧倒的な存在とは精神的なものでなければならず、決して暴力であってはならない。戸塚ヨットスクールは、私塾に携わる同業者として断固否定せざるを得ない存在である。同業者の恥といっても過言ではない。戸塚宏は刑務所で不当な扱いを受けたと、マスコミで盛んにアピールしている。しかしかつて、刑務所が戸塚に施したよりも何十倍も酷い扱いを、ヨットスクールの生徒に行った。刑務所は戸塚の命を奪いはしなかったが戸塚は子供の命を奪った。さて、戸塚ヨットスクールが生まれた背景、それは1980年前後の家庭内暴力の頻発である。開成高校生の父親が家庭内暴力で荒れる息子の首を思い余って絞め殺したり、一柳展也という青年が父母を金属バットで殴り殺したり、巷では家庭内暴力のニュースが次から次へ飛び込んできた。1960年代・70年代の若者が反抗する相手は国家権力だった。大学では紛争が巻き起こり、若者はゲバ棒持って暴れ若さを発散させた。しかし学生紛争が収まると、若者の鬱屈した怒りはやり場を失った。学生運動が下火になったからといって、若者の反抗心は一朝一夕に消えやしない。そして若者の怒りは、国家権力と比べてあまりにも小さな権力、父母や教師へと向けられた。1980年代の家庭内暴力・校内暴力は、1960年・70年代の学生運動の縮小版である。学生運動・左翼運動を押さえ込んだのは警察だった。しかし家庭内暴力を警察は抑える事が出来ない。警察は基本的に家族間のいざこざには不介入だからである。そこで家庭内暴力を抑え込み、家で猛獣のように暴れるハイティーンの子供を更生させる期待を担ったのが戸塚ヨットスクールだった。家庭内暴力で苦しむ親は藁にでもすがりたかった。その藁こそが戸塚ヨットスクールだったのである。
2006/05/15
さて、生徒や選手に「無関心」な教師や監督はアカンと、私は3日前に書いた。巨人を順位・人気の両面でどん底に突き落とした堀内監督も、選手に「無関心」な監督だったような気がする。堀内監督はおそらく、選手との距離を置くことに腐心し過ぎて失敗した。堀内監督が一番影響を受けた監督は、おそらく川上哲治だろう。川上監督はV9を成し遂げた、日本プロ野球史上最も成功した監督だ。ルーキーの歳からエースに登り詰めるまでの十数年間、堀内は川上の下で働いた。10代後半から20代前半の多感な時期、しかも自分を最も輝かしてくれた実績抜群の監督から影響を受けないわけがない。堀内の頭は「プロ野球の監督=川上哲治」と自然に刷り込まれただろう。川上は監督時代厳父のような立場を取り、選手との間に距離を置いた。川上哲治は大正生まれだが「明治男」のような威厳に満ち、圧倒的な父性で選手を操縦した。選手には滅多に声をかけなかった。軽い饒舌を嫌い、重く無口な態度を通した。堀内監督は川上監督を真似た。選手が監督に会談を申し入れても、「一選手が監督に口を利く立場じゃない」と斬り捨てたと言う。川上時代なら通用した態度も、現在の若者には尊大にしか映らない。堀内は川上のイミテーションにしかなれなかった。ある世代より下の人間には、父性愛を嗅ぎ取る力が決定的に欠落している。酒の味の分からない子供のように、無愛想で無口で辛口な大人の男性から優しさの旨みを味わう能力を我々は失った。監督や教師の無口イコール自分に対する「無関心」にしか捉えることができない。川上監督は終始一貫して選手と直接コミュニケーションを取ることを避け、「冷厳な熱血人間」としてV9を成し遂げた。若い選手が父性を読み取る感性があった時代の話だ。川上監督を表面的に真似た時代錯誤の堀内監督は、選手から「陰気な冷血人間」にしか見えず、「無関心」で冷淡な監督として選手から疎まれた。子供と距離を取るのは難しい。感情量の少ない冷たい人間が距離を取ろうとすると、子供の心は離れてしまう。逆に愛情の強い教師が子供に近づきすぎると、愛の熱で子供を焦がす。教師が太陽、子供が惑星という距離感が最適なのだろう。
2006/05/13
今日はぜすと艦長先生の文章にインスピレーションを得て書き散らかす。艦長先生の文章は大好きだ。中毒になる。ところでぜすと艦長先生の呼び名だが、「ぜすと艦長先生」という具合に、艦長・先生という2つの地位を連ねて書くのは変な気がしてきた。なんだか「現人神大元帥天皇陛下さま」的な感覚だ。「艦長先生」も今村昌平の「カンゾー先生」みたいで変だ。また「艦長閣下」もイメージ的に格好いいが、閣下という敬称が「艦長」に付けていいものなのかわからない。「大統領閣下」はOKだが「艦長閣下」は許されるのか? たぶん許されないと思う。「ぜすと艦長」だと、何だか呼び捨てみたいで失礼だが、皆さん先生をそう呼んでいるので、私も「ぜすと艦長」とお呼びしてみたい。さて、私のブログは匿名ブログなのか、実名ブログなのかわからない。一応塾名を書いているから実名ブログなのだろうか。私のブログは時間系列を変えたり、生徒を特定できないように工夫をしたり、また些細なことを大袈裟にデフォルメする面はないわけではないが、基本的に嘘はついていない。また、自分の容姿については諸事情により写真は貼れないが、以前ここに私の容姿について客観的に文章で正確に描写したので、こちらも嘘はついていない。ところで以前ryoさんが指摘されたことだが、自分の文章、自分の主張に自信があれば自分の名前を晒す事はできると思う。というか、晒さずにはいられない。だって格好いいこと書いて、他人の手柄にされたらもったいないし。匿名は自分を安全地帯に置くメリットはあるが、同時に功名心をも満足させてくれない。素人が匿名でブログにいい文章書いて、それをネタの尽きたプロにパクられたら腹が立つでしょ。だから匿名ブログを書いている人の気がイマイチわからない。謙譲の美徳か、無名のダンディズムなのか。絵描きは銘を右下にチョロリと書くが、自信のある文章家は自分の名を絵の中心にどでかく書きたい衝動に駆られるだろう。私ならゲリラ戦法で顔隠して闇討ちするより、「やあやあ、我こそは!」と古式にのっとり正々堂々名を名乗って戦いたい。あと私は「文章=虚飾の世界」という受け止め方を必ずしもしていない。まさに文は人なりで、文章こそ人の内面の世界を正確に捉えたものである。ということは、一見リアルに思える外面こそが虚飾という見方もできる。私個人としては、文章の方をリアルな自分、実際の姿を虚飾の自分と見なされたい願望がある。ブログで気障な文章書いている自分と、近所のスーパーで半額シール貼られた国産和牛しゃぶしゃぶ肉を見つけ「ラッキー」とつぶやいている自分と、どちらがリアルでどちらが虚飾かと聞かれたら、やっぱり文章の方が本当の姿だと人様から思われたい。冗談はともかく私は教師の経験上、一見明るく元気に振舞う子が、どんなに心の中に大きな闇を抱えているか知っている。外面の明るさと、内面の闇のどちらが子供の本当の姿か、また子供は大人にどちらを本当の自分の姿と受け取ってもらいたいか。内面を綴った文章を虚飾と言い放ち、虚言と斬り捨てることはできない。リアルな内面、虚飾の外面という見方に、個人的には軍配を上げるたとえ仮に文章が虚飾に満ちたものだとしても、人間は虚飾の世界を長期にわたって演じることには耐えられない。虚飾の中で生きるのは拷問だ。ブログを200回300回も書き続けていたら最終的にはメッキが剥げ、本質が表面化する。ブログをウソで飾り立て、虚言癖に浸って違う自分を演じていたら最終的には息苦しくなって、本音という二酸化炭素が体にたまり、それが一気にゲロゲロ吐き出される。クサイ息をかけられる読者はたまったものではない。虚飾に満ちた綺麗事を書く人は、ある日突然変異して「悪」へと変貌する。逆に毒を日常的に吐ける人は、文章=虚飾という図式に悩み、いかに文章とリアルを近づけるか悩む誠実な人である。自分の性格や主義主張に自信があるから毒を吐ける。裸身を晒しても腸を引きずり出しても大丈夫だという自信がある。毒を吐いたら実はかなりの確率で金の卵に変身する。そして、心の清い毒舌家は毒舌の反動で謙虚さが立ち現われる。毒舌と謙虚が綱引きをして揺れ動く方は魅力的だ。岡本先生やぜすと艦長のような優れた毒舌家には、恥じらいを持った魅力的な笑顔が仄見える最悪なのは、自分が正常な紳士淑女であることにいささかの疑念も持たず、無意識のうちに「性格の悪さ」が滲み出る気取った人である。清純派を自認しながら、実は歯の裏は煙草の脂でまっ黄色な人である。本人は全く気付いていない。私はそんな腐った内面を、牛の皮を剥ぐみたいにビリビリと晒してやりたい意地悪い衝動に駆られる。カッコつけんなよ、と言いたい。
2006/05/13
私は中学高校大学時代、野球に異様にのめり込んでいた。野球部に入部して甲子園を目指していたわけではない。野球を球場で観戦したり、テレビを見たりラジオを聴くのが好きだった。新聞のプロ野球のスコアを丁寧にスクラップしたり、神保町の古本屋で古い公式記録を買ってウットリ眺めたり、野球をオタク的に楽しんでいた。私は広島の親元を離れて中高は東京で一人暮らしをしていたが、夜になると後楽園や神宮や横浜スタジアムの外野席でカープを応援した。帰省すると広島市民球場へ行くのが、何にもまして楽しかった。親からは「野球に熱心にならずに、もっと勉強しなさい」とよく叱られたが、聞く耳を持たなかった。20歳を過ぎてからは、仕事とナイターの時間が重なるので以前ほどの野球熱は自然消滅したが、それでもカープへの愛だけは持ち続けている。さて、私が中高時代に野球を通じて最も関心を持ったテーマは「どんな監督がチームを強くするか?」ということである。監督の人柄・能力と、チームの強さの連関性を探った。強いチームの監督が書いた著作は、何度も何度も繰り返し読んだ。選手のモチベーションを高め、強いチームに仕立て上げるために、監督やコーチはどう振舞えばいいのか、徹底的に探り尽くした。もちろん私は中高時代教師になるなんて、一瞬たりとも考えていなかった。ただ研究対象として、良い監督とはどんな人間かというテーマに興味があっただけなのである。まさか中高生時代の野球に対するのめり込みが、大人になってからメシの種になるとは予想すらしなかった。良い監督像を研究することが、自動的に良い教師像を捜し求めることにつながった。若い時に、一見無駄に思えることでも、深くのめり込む経験があれば将来役に立つとよく言われるが、私に関しては正しい。さて、どんな監督がチームを弱くするのか?私の答えは、ただ一つ。チームを弱くする監督、子供の学力を下げる教師は、総じて選手や生徒に対して「無関心」な人でである。「無関心」こそが、ダメ教師ダメ監督に共通する最大の欠点だと僕は思う。たとえば、近鉄に鈴木啓示という監督がいた。現役時代は300勝を上げた稀代のサウスポーで、左腕一本で西宮の高台に豪邸を構え、大阪湾を見下ろす大浴場を作った。鈴木啓示は投手独特の自己中心的人間だった。異様なほどのエゴイストである。現役時代、ヤクルトから鈴木康二朗投手が移籍してきた時、新聞に「鈴木啓」と書かれるのを嫌がり、「近鉄の鈴木といえば私のことだ。あっちを鈴木康と書けばええでしょ」とマスコミに言い放ったというエピソードがある。彼は自分以外の人間には興味がなかったのではないか。愛情の総量の100%が、自分自身に向けられた。そんな男が監督として成功するわけがない。案の定、監督時代に選手と揉め事を起こし、せっかく仰木彬監督の元で常勝西武ライオンズに対抗するチームになった近鉄を、元の弱小チームに貶めてしまった。当時近鉄の主力投手だった野茂がメジャーに挑戦したのも、鈴木監督の下では野球をやりたくないというのが遠因だったと噂される。野茂が先発して完投勝利を挙げたあとマッサージ室に向かったら、鈴木監督が疲労の極地にある野茂を差し置いてマッサージを受けていたエピソードがある。野茂の他にも、吉井や阿波野といった主力選手が鈴木監督に嫌気がさして、どんどん近鉄を離れていった。鈴木監督の強い自己愛が原因の、選手に対する「無関心」が近鉄を凋落させたのだ。鈴木監督は自己愛を抑えきれず、監督として失敗した。ただ、自己愛の強いエゴイスト・ナルシストが、名監督・名教師になれないかといえば、そうではない。自己愛が強ければ、その強い愛情を他者に対する愛に転化する装置があれば、端から見ていて病的で気色悪いほどのエゴイスト・ナルシストでも、一気に名監督・名教師になり得る。愛情という川の流れを、治水工事で自己から他者に変えれば、爆発的な名監督・名教師が誕生する。ただ愛情の総量を自己の中に留めたままで、他人に対して無関心な態度を取る人間には、教師や監督になる資格はないのである。
2006/05/10
「塾経営コンサルタント」という職業があるらしい。「生徒数を100人増やす秘訣」などと書かれたダイレクトメールが、私の塾の郵便受けに頻繁に入っている。ブログ界でも「コンサルタント」を名乗る人を、ちょくちょく見かける。正直言って「自称コンサルタント」のブログの文章を読んで、「この人に金を払って、コンサルタントになってもらいたいな」と思った人は、残念ながらまだ一人もいない。コンサルタントを名乗る人は、個人塾の塾長が無知で、自分が有能だという自信が根拠になっている。自分が上で、塾長が下。だから金払って教えを請いに来い、ということなのだろうか?これは、非常に不愉快な振る舞いだ。私がもし塾のコンサルタントを始めたら、どうやって個人塾の先生方から金を取るか、やり方をいろいろ考えてみた。個人塾の先生は猛烈な潔癖症であり、「生徒への思い」がまず頭にあるから、金儲けと聞いた時点で拒絶感や嫌悪感を抱く方が多い。「組織化」とか「事業拡大」という言葉を、ことのほか嫌う。私がもしコンサルタントをやるなら、そんな塾長の純粋さを利用して説得するだろう。「先生の生徒に対する愛情、熱意は凄いです。でもね、先生、その熱意をもっと多くの生徒に伝えていく意志はおありですか? 先生がこんな小さなところでやっているのは、もったいないですよ。先生は金儲けのために塾をやっているのではないとおっしゃる。でも先生の人格で、講義で、愛情で、何人の生徒さんが幸福の道へ進んでいることか。あなたにはわからないのですか? お金はそんな生徒さんと保護者の方の、先生に対する感謝の気持ちです。先生はもっと儲けて然るべき方です。しかし先生は塾を大きくするやり方をご存じない。それは先生が純粋な方だからです。でもね、塾を拡大することが生徒への裏切りになるという、先生のお考えは素晴らしいですが間違っています。でもそんな先生が僕は好きだなあ。塾を拡大するのは相当のノウハウが必要ですが、そんな下品なことは私がやりますから、先生は今までどおり、生徒に愛を注いでください。先生の塾をホンダに例えるなら、先生は本田宗一郎みたいに一種の「技術馬鹿」になり、生徒さんのカリスマになればいい。私は藤沢武夫役になって、先生の熱意を世間に広め、また経営を担当するお手伝いをします。私は先生から50万円いただきますが、2年後には20倍にしてお返ししますよ。手を汚す役は、私にお任せください」こんな風におだてて金を取るだろう。冗談はさておき、私ならコンサルタントにすがる前に、ごうまじまじ先生の松江塾を真似る。松江塾のブログを見たら、流行る塾がどうやったらできるのか、一瞬にしてわかる。こんなに塾の内面を、ガラス張りで見せてくれる先生はいない。まるで松江塾は、塾ブログ界の旭山動物園の円筒水槽に入れられたアザラシだ。こんな感じで、周囲から松江塾の中身がたちどころに分かる。ごうまじまじ先生の一挙一動が観察できる。先生の隠し事がなく、オープンな姿勢にはいつも感心する。また、副塾長のあきらん先生や、松江塾生のafterlifeさん、NoAhさん、・BLACK・さんもブログを公開している。塾生が松江塾に何を感じて何を学んでいるのか、全部ガラス張りになっている。ごうまじまじ先生の一挙一動を真似してみれば、たちまち塾の経営状態は改善するに違いない。何で生きた手本が貴重な塾での日常を包み隠さず公開しているのに、わざわざコンサルタントに金を払って教えを請わなければならないのか?
2006/05/06
またまたプロギタリスト志望のY君の話。彼はスタッフとして申し分ない男だ。仕事の瞬間瞬間で「こいつやるな」と思わせてくれる。私は彼に全幅の信頼を置いている。Y君には時々、塾のオリジナルテキスト・プリントを作るため、教材をパソコンに打ち込む仕事をしてもらっていた。文字をキーに打ち込むだけの単純な作業だ。Y君はギタリストなので、キーを打つのが異常に速い。ちなみに携帯メールを打つのはもっと速い。世の中のギタリストはみな、キーボードや携帯メールを打つのが速いのだろうか?それはともかく、Y君は仕事で決して手抜きをしない。裏表が全くない男なのだ。ある日のこと、Y君が都合で塾にいなくて、別の教え子P君にパソコンの打ち込みをバイトで頼んだ。パソコンのある講師室は、授業の部屋とは離れ密室のようになっている。私は時々講師室に資料を取りに帰ったり、お茶を飲みに戻ったりする。ところがP君は私が講師室に戻るたびに「ガサッ」と音を立てる。そして、パソコンの横には本が置いてある。要するに、私が講師室にいない時は仕事に手を抜いて本を読み、私が戻る気配を感じると仕事をやった振りをする、というわけだ。P君には何も言わなかったが、二面性のある彼を塾で雇うことは2度となかった。逆にY君は、いつ私が講師室に戻っても、背筋を伸ばして黙々とキーを打っている。私が「休めよ」と言っても、「キリがいいとこまでやります」と、しばらくキーを打ち続けている。そんな裏表のない姿勢が、塾のある種の「凛」とした空気を与えている。それから、こんなことがあった・・・うちの塾生は車でお迎えに来られるケースが多い。田舎の島なので夜10時には公共交通機関なんて全く走っていないのだ。学年が重なると、外には車が40台ぐらい並んでいることがある。狭い島が喧騒となる。その日も中2と中3の授業が重なり、塾の外は車であふれた。窓の外は車のライトで眩しかった。そこへ、パトカーのサイレンの音が聞こえた。私は「やばい」と思った。近所から苦情が来たのだろうか、警察が塾にやって来たのか?私は警察に弁解するため外に出ようとした。しかし警察に対する恐怖で、足がすくんで動けない。出て警察に叱られるのは嫌だ。でも行かなければならない、そう意を決した時、Y君が現われ「僕、ちょっと見てきます。」と、自分に任せてくださいと言わんばかりに、ダッシュで外に出て行った。しばらくしてY君が嬉しそうに戻ってきて「警察行っちゃいましたよ」と報告してくれた。どうやら警察が来たのは、塾の外にあふれている車の件ではなかったらしい。Y君、何という頼もしい男だろうか。警察が来て足がすくんで動けない情けない経営者、逆にただの一従業員なのにピンチの時に迅速な行動力を発揮するY君。人間の本質は、ピンチの時に如実に表れる。それをまざまざと見せつけられた。
2006/05/06
kamiesu先生の塾行脚がつづく。先生のお好きな井上陽水ではないが、まさに「東へ西へ」だ。ネット時代になって、文章を拝見した後でご本人の姿に接するケースが増えた。「文面が先、顔面が後」といったところだろうか。以前にはあまりなかった「出会い」の形だ。文章から人となりを想像するのは実は結構たやすいのだが、文から顔や容姿をイメージするのは難しい。頭蓋骨から生前の顔を想像する100倍難しいと思う。過激な文章を書く女性に対してナンシー関みたいな容貌を想像してたら黒木瞳みたいなフォルモン出しまくりの奥さんだったり、松山千春みたいな傲慢オヤジっぽい文を書く人が実は妻夫木聡みたいにシャイだったり、スタイリッシュな文章からオダギリジョーみたいな風貌だと思ったら意外や意外サンボマスターのボーカルみたいなルックスだったり、初対面の瞬間は緊張もするが楽しい。でもよく考えてみたら、大昔も「文面が先、顔面が後」だった。平安時代は歌を詠み合い、歌からお互いの性格や容姿を想像し、それから対面した。戦国時代や幕末も、書簡を交わしてから人を訪ねるケースが多かった。ネット時代になって突然「文面が先、顔面が後」という古代中世近世の古めかしい出会い方が復活するなんて、何と素晴らしいことか。さて、kamiesu先生は写真と文章から得たイメージと寸分違わぬ方だった。講師としての力量は素晴らしいのに、とても謙虚な方だ。ブログの写真の、少し恥ずかしそうに下をお向きになったアングルが、先生の人柄を物語っている。また、先生は紳士・ジェントルマンである。私のようなガキがそのまま30代後半になってしまったような、いびつな人間とは違う。なにしろkamiesu先生は、関西の大手塾で口うるさい百戦錬磨の保護者の方たちに高い評価を得てきた方である。保護者の方には、アクの強い方もたくさんいるだろう。面談はさぞ大変だったに違いない。やしきたかじんみたいに毒舌で吼える父親、上沼恵美子みたいに自慢ばかりする母親、上岡龍太郎みたいに偏屈な理屈で攻める祖父、ミヤコ蝶々みたいに自分の生き様を延々と何時間も語る祖母・・・・・そんな方と渡り合い味方につけてきた方だ。私のような引きこもりの、経験不足な人間とは違う。おまけに先生は紳士然とした中にも、強い独立の気概を持っていらっしゃる。そんな良い意味での、二重性のある方だ。大手塾の看板講師の安定感と、個人塾の塾長の野人の魅力を、6:4ぐらいの割合で持っていらっしゃる。この6:4という比率は、私にいわせれば成功の黄金比だ。大手塾の雇われ講師では収まらず、また個人塾の閉塞された空間では息苦しい。個人塾はアナログ、大手塾はデジタルという一般的なイメージがあるが、先生がもし塾を開かれるなら、「アナログな大手塾」をお作りになりそうな気がする。
2006/05/01
私は本を読むのが遅い。コミック本でも1冊40分ぐらい、西村京太郎の十津川警部モノのような、軽く読める本でも2時間はかかってしまう。いま、最近75歳で作家デビューした注目の歴史作家、加藤廣「秀吉の伽」を読み終えたところだ。「本能寺の変の主犯は秀吉」というストーリーの、ハードカバー2冊の重厚な歴史ミステリーだが、読了するのに丸4日かかった。それにしても本屋に行けば、膨大な数の本があって圧倒される。時々「これを全部読まなければ」と、いらぬ強迫観念に襲われる。だから、もっと速く本を読めたらいいのに、と思う。今のスピードの3倍で読めれば、3倍の量の本が読めることになる。司馬遼太郎は新しい作品に取り掛かるとき、神田神保町の馴染みの古本屋に史料になる本の収集を頼み、それを何百万単位で購入し、物凄いスピードで読破し頭に叩き込んだという。そんな話を聞くと、速読に憧れる。しかし、世に出ている速読術には「文庫本を5分で読める」などとオカルト的な怪しいものが多いので、絶対に手を出さないことにしている。ところで、本の種類によって読む速度が変わるのは当然だろう。平易な文章で書かれた本は速読が可能だとしても、難解な本は速読が難しい。ラーメンなら1杯5分で食える。しかし丼いっぱいのイカの塩辛を5分で食べれるだろうか?たとえば、神は実在統一の根本という如き冷静なる哲学上の存在であって、我々の暖き情意の活動となんら関係もないように感ぜられるるかも知らぬが、その実は決してそうではない。さきにいったように、我々の欲望は大いなる統一を求むより起こるので、この統一が達せられた時が喜悦である。いわゆる個人の自愛というのも畢竟此の如き統一的要求にすぎないのである。しかるに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統一を以て満足するののではない。更に進んで一層大いなる統一を求めねばならぬ。我々の大いなる自己は他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を表わし他人と自己との一致統一を求むようになる。我々の他愛とはかくの如くして起こってくる超個人的の要求である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大なる平安と喜悦とを感ずるのである。而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本である。我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限の喜悦、平安であるという難解な哲学書を速読できるだろうか?ある種の教養人には可能だろうが、私には無理だ。というかこの手の文に速読の必要性を私は感じない。新聞やビジネス書のような、情報を取り入れる文章は速く読めるに越したことはないが、小説や思想系の文章に対して、ことさらに速読を強調するのは、文書に対する冒涜のような気がする。本にはそれぞれ、読むスピードの適正速度がある。難解な本の中には、作者が書くスピードと同じくらいの遅い速度で読まねばならぬ物もある。あと、オリジナリティに溢れた名著は、読み流しを絶対に許さない。ときおり文面を追いながら、著述に圧倒され、しばし感心し読むのを中断してしまうことがある。本の中に素晴らしいフレーズがあった時は、本を開いたまま机に置き、文章の鮮やかな切り口と心地よい毒の刺激が、読者である私の体を循環するまでしばし待つ。作者の意見が憑依して自分の意見になるまで、脳の中を整理する時間を名著は与えてくれる。内田樹氏や養老孟司氏の本が、私にとってそんな本だ。とにかく、私は気の合う作者の本を、少量じっくり読めればいいと思っている。世の中に人間は数多くいるけれど、友人になれる人間は少ない。熟読に値する「好きな作家」が30人ぐらいいればいい。あとは適当に「速読」でお付き合いする。そんなスタンスで私は読書している。
2006/04/27
受験期の子供は格好いい。目標に向かって顔つきが変わる。受験は子供を一気に大人にする。大人は子供が受験で苦しめば苦しむほど子供の将来について親や教師は安堵する。「ああ、たくましくなった」と感じる。これだけ自分一人で立派に勉強できるのだから、将来凄いことになるだろうと期待する。受験は大人と子供の心を一体化する。受験という強敵に向かって意志が一つになる。子供は大人を頼る。大人はそんな子供達を可愛く思う。子供が受験を通して世間の厳しさにほんの少し首を突っ込むことで、子供は今自分が経験している受験地獄より遥かに厳しい世間の荒波を耐えて来た大人を尊敬し始める。大人の経験から生まれた何気ない一言の的確なアドバイスが、子供の胸に染みる。子供は受験を通して「大人の世界」にデビューする。そして子供に認められた大人は自分の存在意義を感じ、世代間の壁が一時的に壊れる。大人は受験によって子供に必要とされていることが、実は嬉しい。 しかし受験が終わった時、子供は楽しいフレッシュな学校生活を謳歌し始める。子供の人間関係の興味は、ピンチの時に頼りになる大人から、友だちや異性に移行する。受験期二人三脚だった大人はポツンと取り残される。新中1・新高1は、4月は新学期で緊張感が持続するのだが、5月頃からだらだらと弛緩し始める。大人も5月くらいまでは「まあ、厳しい受験の後だから少々遊ばせてもいいや」とたかをくくる。しかし6月・7月になっても子供は遊びつづける。大人は受験期の「格好いい」子供の姿があるから、その幻想に囚われる。「高1のとき勉強していれば高3になって苦しまなくてすむのに。誰も勉強していない今やれば志望校のランクだって上がるはずなのに」と、大人には欲が出る。 受験の疲れと解放感でまだ遊び足りない子供と、親と教師のすれ違いが顕著に表れる新学期。せっかく大人の世界にデビューしたと思ったら、また子供の世界に回帰する子供。そんな「新学期ボケ」の子供に、大人はどう接すればいいのか?少々話は変わるが、私はおくてだった。20歳まで私は誰に対しても恋愛感情を持ったことがあなかった。20歳まで最愛の人は母親だった。母親が死んだら自分も自殺するだろうなと、漠然と思っていた。20歳の時に恋愛の怒涛の嵐が押し寄せてくるまでは・・・ 子供の中で、母親が最大の愛情の対象ではない時期が来る。新学期は、もしかしたらその転機かも知れぬ。子供は着実に、親の知らない大人の世界に突入する。
2006/04/23
私は何故か斜陽産業に惹かれる。小学校の時は国鉄に就職したかった。高校生になったら映画関係の仕事。そして今やっている職業は塾経営者。流行の華やかな職業が性に合わないのかもしれない。衰退する産業を少しでも立て直そうとするささやかな冒険心かもしれない。とにかく、斜陽産業が好きだ。ただこの職業をやってみて、我々の世代は「遅れて来た世代」だという悲しい事実に行きつく機会が多い。今から天守閣のある巨大な石垣のある城を構えようと思っても、もう周囲は城だらけ。百戦錬磨の大名達がしのぎを削っている。私は離れ小島で、孤剣宮本武蔵を気取っているしかない。一緒に働く若い人材がいない。凄いヤツほど私はこの業界に誘えない。誘いたい、誘えない。せめて大学時代の4年間、輝きを子供に伝えてもらうしかない。私は正直、起業家として名声で栄達を望むことは、きっぱりとあきらめた。しかし私が子供に知識やイデオロギーを伝える塾という名の小宇宙は守りたい。妨害する奴には、命のやり取りをするほどの気概をもって相手したい。
2006/04/22
首都圏や京阪神の国立を目指せる子は別として、地方のある程度学力を持っている子にとって、志望校を地方の国立にするか、それとも東京の難関私立にするか、大いに迷うところだ。僕は高1終了段階で、数学が苦手な文系の子に、数学を捨てさせることがよくある。英語と国語と社会のうち2科目以上得意で、数学に苦手意識を抱いている子。そういう子には迷わず、東京の難関私立をすすめる。早慶に行けば、地方の国立大学よりも、就職戦線で絶対に有利だ。数学が苦手でも、日本の「学歴社会」の勝者になれる。数学で人生決められたら、たまりませんわ。苦手な数学を抱えたまま、受験直前にバタバタと国立から私立へ志望校を転換した子を、どれだけたくさん見てきたか数知れない。自分の意に沿わない進学をする子があとをたたない。直前になって早慶や明治や同志社に志望校を変更しても、絶対合格するわけがない。地方は親も教師も官学志向が非常に強い。近所の進学高も、国公立以外は大学とは思っていない風潮がある。昔ながらの「官高私低」感覚の人が多い。だから数学が苦手な子は、国公立に行けない二流の人物とみなされる。それは間違いだ。また私立文系の大学を、誰でも入れるものと甘く考えている。実際には中堅以上の私立文系は、直前になって対策できるほど簡単ではない。たしかにここ数年、中堅私大はバブル期に比べ合格しやすいのは事実だ。だが、私立を「滑り止め」とか「直前の駆け込み寺」と考えていたら痛い目に合う。私なら、高1段階で数学の偏差値が50を切った状態の子は、迷わず私立文系一本に、志望校を絞らせる。数学は勉強時間に多大な時間がかかる。数学を捨てた分の時間を英語や社会に回す。数学を捨てる代わりに、英語の能力をハイパー化する。高校の方針で数学に固執してしまえば、必ずや直前になって国立をあきらめ、中途半端な私立大学にしか合格できない。社会が得意な子も私立文系がいい。私立の問題は「社会オタクキング決定戦」のような細かいカルトクイズ的な問題がたくさん出される。センター試験の感覚で難関私立の社会の問題を解いたら、とんでもない目に合う。ゲームでマイナーな戦国武将の名まえをたくさん知っている日本史オタクの子。戦艦や零戦に詳しく、太平洋戦争の戦史について物凄い知識を持っていて、ミッドウエイ海戦やレイテ海戦について講師にレクチャーをする子。そんな子には、興味がそのまま試験勉強につながる道を探ってあげたい。だから私立文系こそ最も有利かつ個性を生かした選択だと思う。早期に私立文系一本に絞るのは、数学からの逃げではなく、英語・国語・社会の更なるパワーアップの積極的転進(旧日本軍が使った意味ではない)だと考えている。また、私立文系大学は、いろいろな事情があって高校時代勉強していない子にとって、大逆転の大きなチャンスだ。「ドラゴン桜」は、誰でも東大に合格できると謳っている。しかし現実的に東大は難しいことは確かだ。高3・浪人から勉強を始めて、英語数学国語理科社会、全科目高いレベルの学力に到達するのは難しい。しかし英語・国語・社会の3教科なら何とかなる。高校時代回り道をしても、遊びまくっていても、慶応はともかく早稲田には合格できる。僕はそう信じている。やり方さえ間違っていなければ。高校時代勉強が苦手でも、落ちこぼれ扱いされても、早稲田大学は下剋上が可能な大学なのだ。
2006/04/22
団塊の世代の大量退職者が教師を務める、公立塾ができるそうだ。「塾」と名がついているわけだから、公立塾の授業は夜。われわれ民間の塾と真っ向から時間が重なる。学校と塾の直接対決だ。 授業料はなんと無料。長期休暇には講習会も行うらしい。多くの塾関係者は、危機感を抱いているに違いない。 特に学校の補習中心の、定期試験対策をメインにしている塾は、大打撃を蒙るだろう。だって、公立塾で教える先生は、ついさっきまで学校現場で定期試験を作っていた人である。学校の試験対策には、学校のOBが一番だと思う人は多い。 学校OBの公立塾の先生に、「先生さあ。去年まで試験問題作っていたんだよ。どんな問題が出るか、コツを教えてあげる」と言われたら、説得力がある。公立塾は民間塾と比べて、定期試験に関する情報量が違うと考える人は多いに違いない。 とにかく公立塾が、なりふり構わず「定期試験過去問対策」をやり始めたら、補習塾の定期試験対策はお手上げである。定期試験対策メインの民間塾は、厳しく淘汰される可能性がある。 また、近所の学校が加齢臭のするオッサン退職講師ではなく、バリバリの有名人講師を、夜の公立塾に投入してきたらどうなるか? たとえば去年まで、私の塾の近くの小学校の校長は、あの「百ます計算」の陰山英男氏だった。4月から陰山氏は立命館小学校の副校長に就任したが、陰山氏が校長だった2年間、塾生の5分の1は景山氏の小学校の生徒で、昼は陰山校長の小学校で学び、夜はうちの塾にやって来るという状況が続いた。 昼は陰山校長の授業を受け、夜は私の授業を受ける小学生は、私と陰山校長の力量を無意識に比べている。日本で一番著名な教育者と比較されて、私が大きなプレッシャーを感じていたのは事実である。 さて、陰山校長級の有名校長がいる小学校・中学校が、公立塾を始めたらどうなるか?陰山校長自身が、夜の公立塾に講師として登板してきたらどうか? 勝つ自信は、正直言ってあまりない。強い不安がよぎる。
2006/04/19
2002年に文部科学省本省から、文化庁文化部長に「左遷」されていた、ゆとり教育の推進役・寺脇研氏が、4月から大臣官房広報調整官に就任するらしい。今回も部長級から課長級への降格という、事実上の左遷となる。退職予定だった寺脇氏は、小坂憲次文科相から慰留されたという。知名度抜群の寺脇氏を退職させて、在野に放ち活発な言論活動させるのを恐れての引き留めなのか、実際のところはよくわからない。ところで、ゆとり教育の「罪」は、降格という形で寺脇氏が全てかぶることになった。これって、何から何までおかしくないか?どうしてこれまで一官僚・一個人に過ぎぬ男が、大事な大事な国の教育行政を振り回してきたのか。官僚にしては、寺脇氏の影響力は大きすぎやしなかったか?ここ数年の「ゆとり教育」騒動は、一官僚にすぎぬ寺脇氏の独断に振り回され、寺脇氏個人の奇抜なアイディアが文科省全体の意見とされ、学校・塾を問わず日本国のあらゆる教育機関を引きずり回したような印象を与えてきた。教育行政は、財政・軍事・外交と並んで、国の大事なファクターであるはずだ。本来なら、国民の代表者である政治家が教育の大計を練るべきであり、一官僚の寺脇氏の手に委ねられるものではない。教育行政の指針は本来、国民のコンセンサスを得た政治家が立案し、実行し、失敗し、責任を取るのが当然の姿である。「ゆとり教育」は寺脇氏個人が立案し、実行し、失敗し、責任を取ったというイメージが強い。われわれは寺脇氏に、教育改革を委託したわけではないのである。寺脇氏は政治家でも国会議員でもない。行政は政治家が主導して行われるべきものであり、官僚が表面に出てはならない。政治家の指示によって、官僚が動くのが本来の形である。政治家は行政機関の「脳」であり、官僚は「身体」であるべきだ。ところが、一連の「ゆとり教育」騒動には、政治家の匂いがしない。利権の絡む建設行政には細かいところまで口出しする政治家が、文部行政には無関心すぎる。教育行政は官僚に丸投げされているかのようだ。教育に関しては、政治家が「脳死」状態になって、官僚の「身体」が勝手に動いている印象が強い。お父さんがお母さんに子供の教育を任せっきりにしまうように、政治家は官僚に教育行政を一任しているみたいだ。もし、巷で言われているように「ゆとり教育」が寺脇氏の独断で行われてきたのなら、今回の「ゆとり教育」騒動は、一人の官僚が国に強烈な影響を与えた、稀有な一例である。寺脇氏は、昭和初期に満蒙対策に独断で大きな力を振るった、陸軍の石原莞爾以来の官僚権力者ということになる。政治家が脳死状態になり、官僚に権力を振るわせてしまえば、亡国の危機に陥ることは歴史が証明している。ところで、日本の政治家の教育に対する無関心とは逆に、イギリスのブレア首相は「Education! Education! Education!」をスローガンに、教育を国家の最重要課題と位置づけ、積極的に教育改革を推し進めてきた。ブレア首相は公立校の充実を計り、また金持ちの私立校の子しか進学できなかったオックスフォードやケンブリッジ大学に、公立校から一定枠進学できるシステムを作った。ブレア首相は、極左政策を堅持し政権から遠ざかっていた労働党を、中道左派にシフトすることで政権を得た。労働党の支持層のターゲットを、ブルーカラーから中流家庭に移した。一見、長い間労働党を支持してきた、貧困層のブルーカラーに対する裏切り行為のようだ。だが労働党本来の左翼的革命精神は、教育の充実によって受け継がれている。かつてはブルーカラーが成り上がるためには、ロックやアートやスポーツしか道がなかった。だが、ブレア首相は、ブルーカラーが教育でも出世できる環境を整えようとしてきた。ブルーカラーが貧乏から脱却するためには、教育こそが最高の道筋だと主張し続けている。逆に、日本の内閣はどうだろうか?首相にとって教育改革は、自分の手柄にならない。即効性が強い改革が優先される。たとえば、ある内閣が教育改革を実行したとする。ところが改革の成功・失敗がわかるのは、改革実行から長い時間が経過してからだ。一内閣が教育改革に取り組んでも、結果が出るのは早くて5年、長くて20年先のことだ。10年も20年もの長期政権を保障されている内閣なら、結果がロングスパンで現われる教育改革に積極的に取り組めるが、基本的に任期が短い日本の内閣では、教育改革の重要性がわかっていながら教育改革は後に追いやられ、首相のパフォーマンスが生かされる政策や、短期間で結果の出やすい緊急の懸案事項が優先される。せっかちな小泉首相が、ロングスパンでしか結果が出せず、成功しても自分の手柄にならない教育改革に興味を持たないのは当然の帰結だ。国民の支持を得る政策の開発に神経を尖らす小泉氏が、持ち前の嗅覚で「教育では票にならない」という結論を出すのは正しい。イギリスのブレア首相が教育を国家改革の最大の懸案事項として取り組めたのは、イギリスでは上流下流の二極分化が今の日本と比べ物にならないくらい激しくなり、退廃的な気分が社会に蔓延し切羽詰った状況になったからだろう。小手先の改革ではもはや手の施しようがない。国家の根幹を長期間で改革する必要に迫られた。イギリスでは教育改革を推進し、子供に学力をつけ、50年先の国家の大計を子供に託したのである。教育改革とは、実はどうしようもなくなった国の改革を子供に「丸投げ」することなのである。国家は国債という借金を子供に残す。でも、しっかりした教育を施すことで、借金を返済する知恵も同時に与える、というわけだ。日本もあと5年くらい後に、1970年代後半パンク音楽が流行した時代のイギリスのような淀んだ社会が現われてはじめて、政治家は腰を据えて教育改革に真剣に取り組み始めるのかもしれない。
2006/04/18
広島県は首都圏・関西圏並みに中学受験が盛んな県だが、東部と西部の私立中学受験事情は大きな違いがある。私の塾は広島県東部にあるが、私の目から見ると広島市を中心とする県西部には、大学の進学実績があり個性あふれる中高一貫校がたくさんあるように見える。広島大附属(皆実本校)・広島学院・修道・広島城北・工業大附属・ノートルダム清心・広島女学院など、まさによりどりみどり。選択の幅が非常に大きい。しかしその一方で、福山市を中心とする県東部は、実績ある中高一貫校の数が限られている。広島大附属福山・暁の星・近大附属・・・ あとは? う~ん・・・如水館が最近がんばっているが、県東部の学校の層は極めて薄いと言わざるを得ない。県西部なら、もし広島大附属に不合格になっても、広島学院・修道を選択することができる。進学実績では広島学院がずば抜けているので、はなから私立一本に目標を絞ることもできる。ところが、県東部は附属福山の一人勝ち状態で、附属に対抗する私立中学がない。県西部では勉強が得意な子供はそれぞれ「学院」「修道」「附属(=皆実の附属)」「清心」と志望校は微妙に違うのに、広島県東部では男女とも勉強ができる子は、判を押したように志望校が附属福山である。県東部では「附属(=附属福山)」に合格することがステイタスであり、大袈裟な言い方かもしれませんが、将来の安定につながる礎になっています。高校野球選手の目標が甲子園であるように、県東部で中学受験する子供の目標が「附属」一本槍になっている。価値観が「附属」で凝り固まっていると言ってもいいだろう。暁の星と近大附属にもう少し頑張ってもらいたいのだが、両校ともに大学進学実績では附属福山に水をあけられている。そんな事情もあり、附属福山に不合格になったらどの中学校に通っていいのか、正直言って迷う。公立中学に通って、高校受験でもう一回チャレンジする子も数多くいる。一番かわいそうなのは、附属福山に学科で合格したのに、抽選で落とされた子だ。附属福山に進学できなかったら、中学受験に命を張ってきた子供は行き場を失う。だから附属福山の抽選会場は、くじに外れた親子が抱き合って悔し涙を流す阿鼻叫喚の世界である。では附属福山中学に不合格になったら、いったいどの中学へ行けばいいのか?私が子供を持つ身であれば、男の子なら公立中学に通って、再度高校で附属にチャレンジするか、北高を目指すという選択肢を取るだろう。公立中学は以前にまして、中学校の先生方の努力で状況が大幅に改善されている。6~7年前までは公立中学のトイレが喫煙所だったり、校庭にバイクが走っていたり絶望的な教育環境だったが、今ではそんなことはない。どれだけ現場の先生が熱心に指導されたか、頭の下がる思いがする。だから公立中学に通いながら、友人とだべる塾ではなくて、しっかり応用力をつけてくれる塾を選び、3年後の捲土重来を期すのが最高のパターンだと私は思う。男子校で附属に代わる学校は正直言ってない。女の子だったら断然暁の星だ。英語教育の熱心さは非の打ち所がないし、生活指導の素晴らしさも特筆ものだ。また大学の推薦入試制度も充実していて、進学への面倒見も素晴らしい。以上はあくまで私の個人的意見である。進路についてはいろんな人の意見を聞いていただきたい。
2006/04/18
私の親類に、首都圏の人間なら誰でも知っている某中学受験塾の講師がいるのだが、その塾には、2chやyahoo掲示板専門の、ネット対策係がいるらしい。要するに「掲示板スパイ」だ。彼らはもちろん専属ではないが、2chやeduやyahooなどの匿名掲示板に張り付いて、父母の書き込みをチェックしているというのだ。もちろん、楽天やライブドアのブログも、チェックされている。ブログや掲示板には親の刺激的な本音があふれている。他塾と自塾の比較対照もできる。経営の参考になる情報が散りばめられている。「掲示板スパイ」は保護者の方の本音を聞いて、今後の指導に生かすために存在するらしい。もひとつ、「掲示板スパイ」第2の仕事は、ブログや掲示板に書き込む保護者が誰か、特定することらしい。塾に不平をもっている親は、大手塾個人塾問わず、気になる存在だ。たとえば、楽天やライブドアのブログなら70%、yahooやedu掲示板の投稿なら20~30%程度は、人物を特定しているようだ。特定する上で、一番役に立つ判断材料は、どうやら子供の成績らしい。「私の子は小5の時は61だったのですが、受験前の今では49しかありません」とかいう情報が掲示板に書き込まれていたら、それがいったい誰なのかは、一発でわかる。また、偏差値が60しかないのに、ブログでは67とか、嘘をつく親もあとを絶たないという。「掲示板スパイ」は、掲示板が荒れた時には父母を装い、自塾に有利なように、話の流れを軌道修正したりする。「掲示板スパイ」は無闇に楽天やyahooに削除を求めたりしない。そんな下手な方法は使わない。塾に対して怒りを持つ親を優しくなだめて、落ち着かせる。とにかく、私の想像よりも遥かに多くの人が、ネットを眺めているらしい。ネットの情報は、一種のマスコミ化している大手塾の人がネットに神経質になるのは、今更ながらよくわかる。私はそんな事実を知っているから、校舎の名前とか子供の成績とかを晒している人がいると、あまりの無防備ぶりにハラハラしてくる。
2006/04/13
毎年4月の初旬は、長期の海外旅行へ行く。去年は北京・上海、一昨年はロンドン・パリ・ブリュッセル・ブリュージュ・ベルリンを駆け足で、2003年はバンコク、2002年はロサンゼルス・サンフランシスコ、2001年は香港、2000年はニューヨーク・ラスベガスへ行った。今年は初めてイタリアを旅した。ローマ・フィレンツェ・ミラノ・ヴェニスを放浪した。主に教会と美術館を回り、ミケランジェロやラファエロやダ=ビンチの「天才の色気」に生で接した。現在日本は午後6時、イタリアは午前11時だ。飛行機の中では映画を3本見たので、睡眠時間は2時間ぐらいしか取っていない。当然、時差ボケ状態だ。海外を旅行するごとに、自分の脳味噌がリフレッシュするのがわかる。イタリアの心地良い刺激で、新鮮な脳が移植されたような気分だ。ただ、新しい脳にはまだ完全には慣れず、少々頭痛がする。頭痛は時差ボケのせいだけではなく、新しい脳に免疫ができるまでの、ちょっとした我慢なのかもしれない。かつて吉田松陰は日本中を旅して、錚々たる学者と会見し、その学を深め先鋭化させた。福沢諭吉は洋行を重ね、西洋から猛烈な刺激を受け、受けた刺激をネタに数々の本を著し、若者を啓蒙した。「教育者」は金銭的・時間的に無理をしても、旅をしなければならぬ。旅は苦痛だ。ただ苦痛の中から、鋭気が生まれ、新鮮な講義で生徒にアピールできる。私も「教育者」のはしくれ、旅を重ね、脳に刺激を受ける機会だけは常に用意しておきたい。
2006/04/12
いったい、先生1・生徒2の、1対2の個別指導というのはどうなのだろうか。講師も生徒も、やりにくくはないだろうか。たとえば、1人は勉強ができる素直で真面目な子、1人は勉強が苦手で「ひねくれた」子、それに講師3人の小さな空間。勉強ができない子の側に立ってみれば、非常に好ましくない、居心地の悪い環境に違いない。彼は学校では「お客さん」だ。勉強は全くわからず、1日中ヘブライ語を聞いているのと同じような、退屈極まりない時間を過ごしている。それと同時に彼は、勉強ができる子の姿を目にしながら、能力的に越えることのできない壁を常に感じている。勉強ができる子の存在は、自分の劣等感をかき立てる不愉快な存在でしかない。だからこそ個別塾に通い始めた。心機一転個別塾では居心地のいいマイペースな環境が与えられると思ったら、隣には自分よりもずっと勉強のできる子が立ちはだかっている。学校と同じ状況だ。しかも、学校だったら自分と同じ「お客さん」は数多くいるが、塾では自分ひとり。逃げ場がない。常に隣の優秀な子と比較されているそんな状況で講師はどうすればいいのだ?講師が本能に忠実だったら、素直な優秀な子に愛着がわいて、言葉に棘がある勉強嫌いな子を知らず知らずのうちに遠ざけてしまうに違いない。教師と優秀な子の間は密接になり、勉強が苦手な子は疎外感を抱く。まるで小出監督と高橋尚子の密接な師弟愛の中に割り込む、しがないマラソンランナーみたいな気分になるだろう。逆に、勉強ができる子の側から考えてみると、立場が逆になる。巷で塾が流行るのは、優秀な子はより優秀にしたいという、親の願いが強いからに他ならない。だからこそ、勉強ができる子の父母の方は、勉強が苦手な子と同じ環境で学ぶことに抵抗を持つ方が多い。学校ではそんな環境に対して当然ながら文句が言えない。しかし塾では勉強が苦手な子と隔絶された環境で勉強して欲しい。特に集団塾じゃなく個別塾を選んでいる優秀な子の親は、なおさら自分の子供を「特別扱い」して欲しい願望があるだろう。勉強ができない子を近づけるなんてとんでもない。とにかく、1対2対応の個別指導で、勉強ができる子とできない子を同室にすることは良い対応とは言えないし、やむを得ずそうなった場合は、講師や個別指導塾の室長は、トラブルが起きないように神経を尖らせておくべきだろう。
2006/04/04
アメリカやヨーロッパに塾がないのは、宗教の影響が大きいだろう。欧米ではキリスト教の影響が強く、日曜日は安息日になっており、人間としての営みを最小限にして神とともに過ごす時間ということになっている。日曜日は神と過ごす時間なのだから、塾の先生と一緒に過ごしてはならないという訳なのだろうか?だから欧米人は、日曜日スパッと休む。たとえばロンドンは、日曜日はかつてデパートや商店は全面的に休みだった。ここ数年、デパートは日曜日にも開店するようになったが、それでも開店時間は正午から午後6時までと、圧倒的に短い。だからロンドンの日曜日の夕方は閑散としている。ゴーストタウンのようだ。逆に日本人は、土曜日・日曜日に暇をもてあますことができないらしい。デパートは稼ぎ時だ。日本人は遊びに忙しい。また土日も骨身を削って働く人もいる。平日も休日も動きまくる。日本人は動いていないと死んでしまうマグロやカツオのようだ。だから日本の大人は、子供が休日ダラダラしていると不安になる。子供にも休日に動いてもらわない時がすまない。土日の「貴重な」時間を利用して勉強すれば将来凄いことになるんじゃないか、そんな欲も出てくるし、よその子はせっせと塾に通っているから、自分の子も塾に通わせる。どうせ子供は自分で勉強できないんだから、どこか評判のいい塾に預けよう。そんな親の気持ちが塾を流行させ、受験熱はヒートアップするのだろう。そんなわけで子供の休日は塾通いで潰れる。そもそも日曜日というものを作り、7日に1日は休みにしようという概念はキリスト教圏ののものである。日本に「週」という概念が導入され、日曜日が終日休日に、土曜日が半ドンになったのは、明治以降のことだ。江戸時代以前の日本に日曜日はなく、正月と盆の薮入りで丁稚や奉公人が自宅へ帰るのを許された以外は、まともに休日などなかった。月月火水木金金じゃないけど、日本人は放っておいたら毎日働く民族だったのである。もしかしたら今でも日本人の体内時計に日曜日は組み込まれていないのかもしれない。よって日本人の子供が、学校や塾に拘束される時間は、途方もなく長くなっている。平日は朝7時からクラブの朝練、8時半から16時まで授業、16時から18時までクラブ活動、19時から22時まで塾。土日もクラブの練習や大会、そして塾で休む間もない。これを大人の世界にあてはめると、9時から17時まで勤務したあと、夜また別の職場で働かなければならない、ということなのである。しかも別の職場は土日にもある。しかも、宿題という在宅勤務までたっぷりと用意されている。子供が疲れないわけはない。ところで、私は儒教についてはまるっきり素人だが、日本や韓国や台湾など儒教文化圏の地域で塾が流行っていて、起きている時間全て勉強で埋め尽くさねば気がすまない、「蛍雪の功」的な狂気スレスレの勤勉さを見ると、儒教文化とどうしても結び付けたくなってくる。そういえば閑散とした日曜の夕方のロンドンも、チャイナタウンだけは暗黒の中の篝火のように、とても活気があった。
2006/04/03
いま、塾の時間講師は、どれくらい賃金をもらっているのだろうか?今日は私が時間講師だった頃の給料を、包み隠さず公表しよう。私が塾でアルバイトを始めたのは1988年。バブル絶頂期だった。その頃の労働条件は、次のようなもの。●授業 時給2000円~(講師によって差あり)●特業(空きゴマの時もらえる賃金)時給550円●教育相談・テスト監督 時給1000円~(講師によって差あり。額は授業時給の半分)●昼食費 時給650円●残業手当(8時間以上労働した時につくもの)1.25%例えば、ある講師の夏講での日課を例にとる8:00~9:00 ミーティングと玄関での生徒の出迎え特業1時間 550円×1=550円9:00~12:00小4国語 授業3時間 2000円×3=6000円12:00~13:00 昼休み昼食代650円 650円×1=650円13:00~15:00 小6社会授業2時間2000円×2=4000円15:00~17:00 空きゴマ 質問教室の監督特業2時間550×2=1100円17:00より1日の実働時間が8時間をオーバーし17:00以後の時給は1.25倍に17:00~20:00中3国語・中2社会授業3時間2000円×3×1.25=7500円20:00~22:00 生徒の補習・ミーティング・掃除・プリント作成など550×2×1.25=1375円合計額は550+6000+650+4000+1100+7500+1375=21175円今思うと、かなり恵まれた労働条件だった。その後バブルがはじけると、特業と昼食代、残業手当が削られるようになった。バブル崩壊以後の給与体系で、時給を計算し直すと、8:00~9:00 ミーティングと玄関での生徒の出迎え0円9:00~12:00 授業3時間2000円×3=6000円12:00~13:00 昼休み0円13:00~15:00 授業2時間2000円×2=4000円15:00~17:00 空きゴマ0円17:00~20:00 授業3時間2000円×3=6000円20:00~22:00 生徒の補習・ミーティング・掃除・プリント作成など0円6000円+4000円+6000円=16000円同じ業務内容でも、バブル崩壊以後は1日にして5175円も安くなった。私が働いていた大手塾で問題だったのは、特業や残業手当が削られた後も、講師がしなけらばならない業務がそのまま残ってしまったことである。経営者の側からは、特業の費用は削りたい。しかし業務を縮小してサービスの質は低下させたくない。経営者も、また室長レベルの校舎を預かる中間管理職の意識も、ミーティングやプリント作成特業の時給を払わなくなっても、講師は無償でも仕事をやりなさいという意識が後々まで残っていた。バブル崩壊後は、時間講師の「ただ働き」が、恒常化したのである。
2006/04/03
目先の成績に一喜一憂して、多くの生徒の自学自習の力の芽をつむ塾の作り方をお教えしよう。まず、最初の入塾説明会の時、塾長は親子に伝える。「はじめまして。ようこそツバサ・アカデミーへ。塾長の酒井です。一緒に頑張りましょう。ご存知のとおり、うちの塾は勉強に厳しいです。でも私のやり方、当塾のカリキュラムについていけば、成績は絶対に伸びますよ。私にお任せください。ただ、やる気がない子は、時々やめていきます。最後まで歯を食いしばってがんばってください。」こんな巧みな言葉で、厳しさについていけずに塾をやめる子は「やる気がない子」という、情けないレッテルが貼られることになる。塾をやめる事は逃げることだと、お母さんは釘をさされる。入塾したら、子供はかつてない勉強攻撃にさらされる。○1日何時間もかかる、膨大な宿題○ビンタ・正座・2kmマラソンなど、忘れた場合厳しい制裁が待っている○重箱の隅をつつくような宿題チェック○授業にいい加減な態度で臨んだときに浴びせられる厳しい罵声○テストの順位は常に全員に配布。当然1位から最下位まで掲載○成績が落ちた時の、ライバル達のたっぷりと軽蔑のこもった冷たい視線○得点がアップした時の、講師のおおげさなほめ言葉(子供をほめることは、悪の道の王道)○授業終了時間など有名無実化した、夜遅くまでの延長授業○子供にとって、大事な大事な日曜日に実施する長時間補習○電話での頻繁な叱咤激励ありとあらゆる、成績を即効的に伸ばすための仕掛けが待っている。子供は、塾の先生に怒られないため、成績が下位になって恥をかかないため、それだけのために勉強する。ツバサ・アカデミーは厳しいだけではない。子供の勉強における障害を前もってことごとく取り除く。子供が自力で試行錯誤することすら許さない。講師が得点力アップのために、一番効率的だと思った教材・プリントをやらせる。いかに楽して得点力を伸ばすか。講師の意識はその一点に収斂される。ツバサ・アカデミーに入った子供は、学校の定期試験が飛躍的に伸びる。40点だった英語が、塾で暗唱を強制させられ56点、85点と、ぐいぐい、目に見えて伸びていく。手取り足取り、ほめてけなして、忙しいことこの上ない。オリックス元監督の故仰木彬さんは、弱小球団オリックスを華麗な采配で日本一にした。その姿をマスコミは「仰木マジック」と評した。それと同じように、ツバサ・アカデミーの近所のお母さんは、ツバサ・アカデミーに入塾した中学生の成績が著しく伸びるのを見て、「ツバサマジック」という言葉でツバサ・アカデミーを讃辞する。「ツバサマジック!」かっこいいですね。塾長は調子に乗って、広告にも「ツバサマジックを、体験しよう!」と書く。コピーの巧みさに、親達は引き付けられ、ツバサ・アカデミーには入塾希望者が殺到する。親達は、ツバサ・アカデミーに通い出してから、部屋にこもって勉強する時間がぐっと増えた息子や娘の姿を見て、「塾の先生が厳しいからもう安心。」と、子供を「やる気」にしたツバサ・アカデミーを絶賛する。塾で厳しく勉強させられている子供の姿に、親達は大きな満足を覚え安堵する。厳しさの名の元の過保護を見過ごす。最愛の子供に厳しく接することは、親にとっては辛いことだ。厳しさが必要だと思っていても実現することは難しい。一部の親は厳しさを放棄し、赤の他人の塾講師に、子供に厳しくしてくれるよう嘆願する。しつけも勉強も厳しい塾を、求め続る。ツバサ・アカデミーに子供を通わせる親の中には、時々自分の子供の力を過大評価して大手進学塾に子供を転塾させる。子供の力を、正真正銘掛け値なしの学力だと勘違いし始める。「ツバサ・アカデミーくらいの中規模塾でこれだけ伸びたのだから、大手だともっと伸びるに違いないわ」しかしその目論見は見事に外れる。大手進学塾は意外と自由放任でやらせているところが多い。成績は見る見る下がり、また親は「ツバサ・アカデミー」に戻る? と子供に聞くが、子供はもう二度と「ツバサ・アカデミー」での地獄体験を味わいたくないので、塾には2度と行きたがらなくなる。勉強に対する生理的嫌悪感が、子供の心に根付く。ツバサ・アカデミーを中学校で卒業した後、卒塾生達は高校で勉強が大いに伸び悩む。勉強しなくても叱られないので、勉強しないし、勉強しようと思っても、やり方を教えてもらっていないから、わからない。厳しい塾で極度の勉強嫌いになっているから、勉強アレルギーになる。廃人製造機、「ツバサ・アカデミー」に乾杯!
2006/03/31
教室運営が上手くいっているかどうか、そのバロメーターの1つは、生徒の「笑い声」である。やる気がある子が揃うクラスは、授業の雰囲気にメリハリがある。騒いでいい時は騒ぐ。しかし聞くときは、まるで英語のリスニングの時間のように、講師の話を聞き漏らすまいと猛烈な集中力で聞く。そして、講師がギャグを飛ばす時の「笑い声」が大きい。「静寂→大笑い→静寂→大笑い」という、メリハリのある授業サイクルが続く。講師も授業がやりやすい。アクセルにちょこんと足をかけただけで驚異的な加速を見せる、安定したドイツ車を運転するような感触だ。ところが・・・やる気が無い子が多いクラスは、そうではない。勉強が苦手な子は、オンとオフの使い分けができない。騒いでいい時か悪い時か「場」の雰囲気がつかめない。状況が察知できない。だから甘い先生の時は、教室がずっと騒がしいサル山状態のクラスになる。逆に先生が怖ければ、倦怠的な静寂が支配する死人の群れみたいなクラスになる。「中間」がない。勉強に対してやる気が無い子は、怖い先生に対して「面従腹背」の態度を取る。講師が独裁者のように全員を怒鳴り上げたら、生徒は亡者のように沈黙し、教室が革命前夜の独裁国家みたいに殺伐となる。講師がたまにギャグを飛ばしても、シラ~として笑わない。表面上の服従、裏での嘲笑と反抗。一向に伸びない成績。とにかく、騒がしいクラスは問題だが、静か過ぎるクラスはもっとタチが悪い。授業中にメリハリがなければ、教室運営は失敗だ。講師がギャグを飛ばして、笑い声が大きくなったら教室運営は大成功だろう。
2006/03/31
良心的な塾は授業を公開しているところが多い。体験学習をいつでも実施している。自分の塾に自信のある塾長は、自分の塾を見せたくてたまらない。だから入塾希望の親から「入塾迷っているんですが」と問われたら、即座に「じゃあうちの塾の授業風景をご覧になってください。」と答えるはずだ。逆に、ヒドイ塾も授業を見せてくれる。ただし、電話をかけてからから1週間後に。時間が塾のほうから一方的に、指定される。その間塾長は半年くらいしていなかった塾の掃除、今までしてこなかった授業の予習、それから授業を完璧に見せるために、ふだん使ったことなんかない模造紙なんか使って授業の準備。普段着でない授業をたっぷり見せてくれる。絶対にそんな日は、自分が一番教えるのが得意な科目をやる。とっておきの雑談を用意し、子供の関心を引こうとする。もし出来の悪い講師がいたら、その日はお休み。授業態度の悪い子、有名ないじめっ子がその学年にいたら、その子たちは体験学習の日には授業に参加させない。万が一、入塾した場合、子供は体験学習のときと全く違う授業を体験することになる。先生は遅刻してくる、休みが多い、授業はつまらない&やかましい、休憩時間にはいじめっ子がいてひどい目に合う。見せかけには注意しなければならない。良い塾の見分け方を教えよう。それは、休憩時間の子供達の過ごし方を見ればわかる。休憩時間、子供達がギャ-ギャ-騒いでいる塾と、静かに子供達が待っている塾、どちらがいい塾だと思うか?それは意外なことに、ギャ-ギャ-子供達が騒いでいる塾の方だ。ただし授業中になると、ただならぬ緊張感が漂っていなければならない。優秀な講師は、子供達の疲れを知らない底知れぬパワーを、授業の集中力に簡単にシフトさせてしまう魔術師だ。子供達は休憩時間に騒ぐパワーと同じ力を、授業にも注ぎ込む。休憩時間の外的なエネルギーが、授業中の内的なエネルギーに転化する。逆に休憩時間子供が疲れて死んでいる塾は、授業中の集中力も実は大したことがない。受験前は、当然少し様子が違ってくるのだが。
2006/03/28
現在春講の真っ最中。一日11時間授業の毎日が続く。今は束の間の休憩時間。kamiesu先生のブログを拝見していると、またまた共感してしまった。「チューカンシケン」は中学生の踏み絵である。小学校のテストとは違って、中学校のテストは「テスト勉強」をしなければならない。「テストのためには、テスト勉強をしなければならない」こんな当然至極なことを理解していない子が結構いる。というか大部分の小学生がそうである。3月中旬、私はフレッシュな新中1諸君に、世界の国名50個、日本の県名・県庁所在地名全部(もちろん「さいたま市」以外は漢字で書かせる)を暗記する宿題を出した。テスト前、中学受験経験者や、小学校時代から塾にいる子は、塾に来るやいなやプリントを出して、テスト前の最終チェックに余念がない。しかし、3月から入塾した子は、友達と語り合ったり、本を読んだりしている。テスト前の緊張感など、どこにもない。私は授業前の教室に入って「君達は今、何をすべきか!」とホワイトボードにデカデカと書いて、その場を立ち去った。小学生時代からの塾生の姿を見習い、彼らも暗記し始めた。もちろん塾で騒いでいる子は、家でテスト勉強なんかしていない。テスト前にチョロッと読み返したくらいで、良い点数が取れるわけがない。実は私は、塾に来たばかりの小6達が、塾でテストをやると予告してもテスト勉強なんかやらないことなんて、全てお見通しである。彼らがサラッとプリントを眺めただけで「勉強やったつもり」になることも、結構長い教師経験から予測している。テストをする時、私はわざわざ「テスト勉強してこいよ」「覚えて来いよ」とは言わない。「テストをします」とだけ告げる。そして、案の定ろくすっぽ勉強せずにやって来て、中途半端な点数しか取れない子に対して、強い喝を入れる。故意に私はテスト勉強しろとは言わない。勉強しないと、どんなに悲惨な点を取るか体得して欲しいのだ。私のやり方は、少々意地悪に映るだろう。ただ、5月後半の中間試験で愕然とさせないために、前もって塾で「テスト勉強をしないと、痛い目に合うよ」と思わせておかなければならない。塾に来て1ヶ月ぐらいすると、「テストのためには、テスト勉強をしなければならない」という当たり前の習慣を、ほとんどの子が身につける。
2006/03/28
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