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2021年7月31日、東京オリンピック聖火台がお台場に設置されているので、写真を撮りました。聖火台の燃料は水素だそうです。↑ お台場に設置されている聖火台。↑ 紫の花で「TOKYO2020」が浮かび上がる。↑ 観覧車と、空に浮かぶ警視庁のバルーン。↑ 警視庁のバルーン。下にカメラが付いている。
2021.07.31
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2021年7月23日、明治神宮を参拝しました。私は32年ぶりの参拝です。とても懐かしい感じでした。32年前に引いたおみくじは、明治天皇の詠まれた「大空にそびえてみゆるたかねにも 登ればのぼるみちはありけり」でした。財布にこのおみくじを入れて、長い間繰り返し見ていたので、完全に覚えました。今回、明治神宮でおみくじを引くと、次の和歌でした。「あらし吹く世にも動くな人ごごろ いはほに根ざす松のごとくに」↑ 原宿駅近くの「神宮橋」。↑ 神宮橋の紹介。神宮橋は大正9年、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁でした。60余年して建て替えられました。新しい橋は古い橋の姿をできるだけ損なわないように、高欄は御影石を使って再現し、親柱は当時の石桟(せきさん)を補修しそのままの形に復元しました。↑ 定車馬ヲ乗入ルコト、魚鳥ヲ捕ルコト、竹木を伐ルコト右境内ニ於イテ禁止ス 大正9年11月1日 明治神宮。↑ 境内案内。↑ 代々木。この地には昔から代々樅(もみ)の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。この前の名木「代々木」は昭和20年5月の戦禍で惜しくも消失しましたのでその後植継いだものであります。↑ 代々木。↑ 明治神宮御苑入口。新型コロナウイルス対策のため、閉まっている。↑ 明治神宮御苑。明治天皇御製。「うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」この御苑は江戸時代の初めから大名加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でありましたが、明治初年皇室のご料地となり、明治天皇の思召により所々模様替えがなされ、昭憲皇太后にはたびたび行啓になられた由緒深い名苑であります。↑ 奉献 清酒菰樽(こもだる)。↑ 奉献 葡萄酒樽について明治天皇御製「よきをとりあしきをすてて外國に おとらぬくにとなすよしもがな」↑ 大鳥居。我が国で最も大きい木造の「明神(みょうじん)鳥居」。昭和50年12月23日建替竣功、篤志家により奉献。形式寸法共に大正9年創建の鳥居に同じ。原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶひのき。高さ12メートル、柱と柱の間9.1m、島木の長さ15.5メートル、柱の径1.2メートル、笠木の長さ17メートル。↑ 明治天皇御製「われもまたさらにみがかむ曇なき 人の心をかがみにはして」昭憲皇太后御歌「むらぎもの心にとひてはじざらば 世の人言はいかにありとも」↑ 本殿。↑ 明治天皇御製「日ざかりはここにくらさむしげりあふ 松の木かげの風ぞすずしき」昭憲皇太后御歌「ひく水もあつくなりぬる日ざかりに 田ぐさとる身をおもひことやれ」↑ 国立代々木競技場。
2021.07.30
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2021年7月23日、ユニクロ原宿店で、「YOASOBI」とユニクロのグラフィックTシャツブランド「UT」のコラボ商品が紹介されていました。同新宿店の地下1階では、「YOASOBI」のライブで使用された巨大な電飾サインが設置され、絵コンテや楽譜など、「YOASOBI」のアイテムが紹介されていました。↑ 「YOASOBI」のライブで使用された巨大な電飾サイン。ユニクロ原宿店地下1階。↑ 「YOASOBI」とユニクロのグラフィックTシャツブランド「UT」のコラボ商品。↑ ユニクロ原宿店。↑ ポップアート界の礎を築いた、アンディ・ウォーホル、ジャン・ミシェル・バスキア、キース・へリング。今もなお色褪せない彼らの普及の名作を用いたコレクションです。↑ キース・へリング。↑ ジャン・ミシェル・バスキア。↑ アンディ・ウォーホル。
2021.07.29
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2021年6月23日、久しぶりに原宿の竹下通りを歩きました。↑ 原宿の竹下通り。↑ アシックスの店。↑ アシックス「公式スポーツウェア」JAPONISM(ジャポニズム)開催国の代表である日本代表選手団が代表としてのほこりを感じられ選手団の強さを表現できるものを目指しました。「JAPONISM」には、今回のオフィシャルスポーツウェアがオリンピック選手、パラリンピック選手、応援する人など、様々な人をつなぐウェアであってほしいという思いを込めています。さらに日本の高温多湿の夏の環境に合わせて、選手のパフォーマンスが最大限発揮できるよう、日本発祥のスポーツメーカーであるアシックスの技術と思いを結集させています。↑ JAPAN TEAM KEY GRAPHICカラーは、朝日が昇る力強さをイメージした鮮やかな「サンライズレッド」をキーカラーとしています。日本代表選手団の存在感をさらに強め、際立たせ、選手たちが日本代表として誇りを感じられるカラーを採用しました。グラフィックでは、「折型(おりがた)」や「かさねの色目」など日本の伝統文化を表現に取り入れデザインアクセントとしました。さらに、大小の点や線、5種類の赤など、さまざまな要素を組み合わせて一つの柄を作り出すことで多様性を表現するグラフィックとしています。グラフィックを「JAPAN TEAM KEY GRAPHIC」とし、Tシャツ、ポロシャツ、ウィンドブレーカーなどに採用しています。↑ SPORTS SHOP KAMO
2021.07.28
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大正時代の1924年から使用されていた木造の原宿駅舎ですが、今の耐火基準を満たしていないということで、2020年8月24日から解体が始まりました。R東日本の計画では、旧駅舎の外観を再現した駅舎を建設するとの事です。旧駅舎は、尖塔のある西洋風の建物で、とてもオシャレでした。旧駅舎跡の横には、2020年3月に完成した近代的な駅舎もあります。原宿駅前の道路からは、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構:International-technology Promotion Agency)の看板が並んでいます。安易なパスワードは設定しないように、漫画を使い啓蒙をしています。↑ 原宿駅旧駅舎の建物の外観を再現する建物イメージ図。↑ JR東日本ニュース。2020年8月7日。↑ 新しいJR原宿駅。↑ 原宿駅入り口。↑ 新しい原宿駅舎の横は、旧原宿駅の解体現場。↑ 旧原宿駅舎の解体現場。↑ 旧原宿駅の駅舎跡。奥は近代的な新しい原宿駅舎。↑ 旧原宿駅舎跡。↑ 原宿駅横の道路。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーIPA(独立行政法人 情報処理推進機構:International-technology Promotion Agency)。「安心してネットやスマホを楽しむための胸キュン♡ラブストーリー」「パスワード もっと強くきみを守りたい」
2021.07.27
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原宿駅近くにある「五輪橋」です。橋の下はJRの電車が走っています。1964年東京オリンピックで使用された、グラフィックデザイナーで有名な亀倉雄策(かめくらゆうさく)氏のエンブレムのプレートが橋にはめ込まれています。亀倉雄策氏のエンブレムは、赤い太陽の下に五輪があり、TOKYO 1964という文字が入っていました。シンプルですが、とても印象的です。亀倉氏のポスターも有名で、各国の選手が一斉に走る横の姿を写したもので、本やテレビで何度も眼にしてきました。橋の親柱には地球儀が設置してあり、欄干の下には、柔道、体操、陸上のレリーフがあります。↑ 原宿・五輪橋の地球儀。↑ 五輪橋。↑ 亀倉雄策氏のエンブレムプレート。本当のエンブレムは、太陽が赤いです。↑ 柔道。↑ 体操。↑ 陸上。↑ アシックスのビル。↑ 奥はJR原宿駅。↑ 丹下建三氏が設計した国立代々木競技場が見える。↑ アシックス。
2021.07.26
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第32回オリンピック競技大会東京大会は、新型コロナウイルスの感染拡大で1年延長しましたが、2021年7月23日20時から、開会式が行われました。テレビで見ましたが、1824台のドローンが夜空に描く、東京オリンピックのエンブレムや地球の形がとても印象に残りました。2021年7月24日(土)朝日新聞1面によると、日本国内の夏季大会は1964年の東京大会以来、57年ぶり2度目で、2021年8月8日の閉会式までの17日間、史上最多の33競技339種目を実施します。不参加となった北朝鮮を除く205の国・地域(ロシアは個人資格での参加)と難民選手団を合わせて約1万1千人の選手が参加する予定で、首都圏1都3県と北海道、福島県の会場は無観客になるとの事です。↓2021年7月24日付朝日新聞朝刊 1面 「東京五輪 コロナ下の会幕」↓ 国立競技場。「無観客で行われた開会式で選手たちが入場し、花火が上がった」。↓ 2021年7月24日付朝日新聞朝刊 14面。「開会式で入場行進をする日本選手団」↓ 国名のプラカード。漫画の吹き出しの中に国名が入っている。↓ 2021年7月24日付朝日新聞朝刊 25面。「緊急事態宣言下の東京の夜に、開会式の花火が国立競技場から上がった」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 週刊ポスト 2021年8月13日号 p8。「1824台のドローンが描き出す地球」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2021年7月24日付日刊スポーツ。「始まった東京五輪 点火は大坂」 ↓ 「東京五輪大会式で生家の最終ランナーを務めた大坂なおみ」↑ 「開会式が始まり花火が打ち上がる国立競技場」 ↑ 1964年:東京、1968年:メキシコシティー、1972年:ミュンヘン、1976年:モントリオール、1980年:モスクワ、1984年:ロサンゼルス、1988年:ソウル、1992年:バルセロナ、1996年:アトランタ、2000年:シドニー、2004年:アテネ、2008年:北京、2012年:ロンドン、2016年:リオデジャネイロ、2021年:東京。↑ ブルーインパルス57年ぶり5輪マーク。↑ 「この日の都心の空は、伝説の1964年(昭和39年)10月10日、前回開会式の時よりも雲が多かった。飛行隊長の遠渡(えんと)祐樹2佐率いる6機8人は、昼過ぎに埼玉・入間基地を出発。都庁、東京タワー、スカイツリーなどを周回後に、国立競技場付近に進入。午後0時50分ごろ、2~6番機が赤、黒、青、緑、黄のスモークで輪に挑んだ。かすれて見にくいところもあったが、1つの輪の直径は1.2キロ、全体の幅は約4キロだった」
2021.07.25
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2021年7月23日19時から、東京タワーが五輪幔幕(まんまく)ライトアップされたので、写真を撮りました。日本の祝い幕をモチーフにしあた青、白、赤、黄、緑のライトが使用され、時間とともに東京タワーの色が変化していきました。↑ 2021年7月23日夕方の東京タワー。万国旗がはためく。↑ 五輪幔幕ライトアップ。(東京タワーの幔幕色が、どんどん変化していく)
2021.07.24
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東京オリンピック開会式がある2021年7月23日、原宿駅近くで昼過ぎにブルーインパルスの飛行を見ました。5色のスモークが流れ、晴れやかでした。雲が多く、くっきりではなかったのですが、空中で描いたリングが一部見えました。5つのリング全てを見るためには、高層ビルか、もっと遠い場所から見る必要があると思いました。手持ちのポケットカメラは、いつもの「Canon Power Shot SX720 HS」です。時々ズームで望遠にしながら撮影しました。トリミングはしていません。ーーーーーーーーーーーーーーーーー【12時35分】↑ カメラをズームにしたとき、ブルーインパルスから丁度スモークが流れ始めた。【12時36分】↑ ブルーインパルスが遠くに行き、一旦視界から見えなくなる。ーーーーーーーーーーーーーーー【12時27分】 原宿駅広場の様子。ーーーーーーーーーーーーーーーー【12時38分】↑ 再び、ブルーインパルスが近づいてきた。↑ スモークが白い雲と重なり、見えにくい。↑ 機影が木の陰に隠れる。空は雲が多く、スモークが見づらくなってきた。ーーーーーーーーーーーーーーーー【12時42分】↑ ブルーインパルスが1機見えた。↑空中で、スモークによるオリンピックマークが作られていく。黄色と青の輪が見えた。↑ 3種類のリングが見える。 画面上部に1本、左右に1本ずつ。↑ 雲のためリングが見えづらかったのが残念。↑ 再び、遠くに飛行していった。ーーーーーーーーーーーーーーーーー【12時47分】↑ 再び、遠くにブルーインパルスが見えた。
2021.07.23
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2021年7月22日、東京の半蔵門に所用があり、在日英国大使館周辺を歩きました。英国大使館では「Innovation is GREAT」の垂れ幕が目を引きます。イギリスの最先端技術、サービスを日本に紹介するキャンペーンです。オリンピックに関するパネルもありました。英国大使館の周りに、歴史的紹介案内板や石碑があったので、紹介します。ーーーーーーーーーーーーーー① 「アーネスト・サトウ公使の植桜の地」の看板「アーネスト・サトウ(1843~1929)はイギリス出身の外交官です。幕末に通訳官・書記官として来日し、流暢な日本語を生かして討幕派だけでなく佐幕派とも広い交流関係を作りました。明治維新後、1870年(明治3年)に東京のイギリス公使館に赴任し、その後、バンコクやモロッコなどで公使を務め、1895年から1900年(明治28年~33年)には日本公使に任じられました。1898年、サトウは英国公使館(現在の英国大使館)前の空き地に桜の木を植え、東京府に寄付しました。のちに、それが見事な桜並木となり多くの人々に親しまれました。サトウの植えた桜は戦災等で枯れてしまいましたが、戦後再び付近に桜の木が植えられ、新たな桜の名所となっています。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーー② 「千代田区歌 佐藤春夫作詞」石碑。詩人で作家の佐藤春夫氏が、千代田区歌を作詞しました。「並ぶ官庁 広場 濠帝(みかど)の宮居(みやい)とりめぐりわが千代田区に誉あり大東京の中心地江戸の名残も風情にてここを都の都ぞと澄めり千代田の城の月オフィスセンタア テレビ塔世界の文化ひしめきてわが千代田区に栄あり新日本の心臓部国の要(かなめ)と他(ひと)も見むここを都の都ぞと住めり千代田の区民われ」ーーーーーーーーーーーーーーーー③ 「海嶽楼(かいがくろう)跡」看板。儒学者である安井息軒(やすいそっけん)が住んでいた家で、富士山と東京湾が見えたので「海嶽楼(かいがくろう)」と住処を名付けました。「1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井息軒(やすいそっけん)は半蔵門外の旗本伊庭(いば)家の屋敷に居を構え、西に富嶽(富士山)を望み、東に金杉の海が見える所から、海嶽楼(かいがくろう)と名付けました。息軒は日向飫肥藩(ひゅうがおびはん:現在の宮崎県)の藩士の子として生まれ、1819年(文政2年)に大坂に出て儒学者の篠崎小竹(しのざきしょうちく)の弟子となりました。1824年(文政7年)江戸に出て昌平坂学問所に入り、儒学者の松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事します。1839年(天保10年)、袋二番町(現在の千代田区1番町)に三計塾(さんけいじゅく)を開き、次世代を担う優れた人材を数多く輩出しました。1861年(文久元年)には、幕府に召し出されて儒官に任じられています。飫肥と東京にて門弟教育に力を注いだ息軒は、176年(明治9年)東京で亡くなりました。なお海嶽楼は、1868年(明治元年)の火災によって残念ながら消失してしまいました。(東京半蔵門の在日英国大使館)↑「Innovation is GREAT」の垂れ幕が見える。↑ 東京オリンピックに関する英国紹介パネル。ーーーーーーーーーーーーーー① 「アーネスト・サトウ公使の植桜の地」の看板↑ アーネスト・サトウ公使。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー② 「千代田区歌 佐藤春夫作詞」石碑。↑ 佐藤春夫作詩。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー③ 「海嶽楼(かいがくろう)跡」看板。↑安井息軒(やすいそっけん)。
2021.07.22
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2021年7月21日12時35分頃、カメラを持って虎ノ門界隈を散歩していると、急に上空に飛行音が聞こえました。思わず上を見ると、ブルーインパルスが高速で飛行しており、白いスモークが青空に映えて見えました。ブルーインパルスは東京オリンピック開会日の2021年7月23日、東京都内を巡り、新国立競技場上空付近でオリンピックリングを5色のスモークで表現するということで、予行演習をされていたようです。私は予行演習の事は全く知らず、たまたま虎ノ門エリアで行われている再開発工事の様子を定期的に写真に撮ろうとして、カメラをオンにしていたので、ブルーインパルスの姿を撮影することができました。会社に戻ると再び飛行音が聞こえたので、もう一度、虎ノ門・霞ヶ関付近上空を飛行したと思います。↑ 2021年7月21日12時35分 虎ノ門上空。ブルーインパルスの飛行。
2021.07.21
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東京青山・明治神宮外苑のいちょう並木入口に、「パビリオン東京2021」の芸術作品として、芸術家・会田誠さんの作品「東京城」が展示されています。いちょう並木の両側にある台座の上に、片方は段ボールで作った城、そしてもう片方はブルーシートにくるまれた城が置いてあります。解説板があり、下記記載があります。会田誠(あいだまこと)「東京城 Tokyo Castle」「協調したいのは恒久性とは真逆の仮設性、頼りなさ、ヘナチョコさ - しかしそれに頑張って耐えている健気な姿である。どうなるか、やってみなければわからない。一か八か作ってみる。それを現在の日本-東京に捧げたい。」(会田誠)「会田誠(1965年~)は段ボールとブルーシートでできた2つの城を作りました。段ボールとブルーシートは、非常に廉価であるにもかかわらず堅牢性を備えた頼もしい素材で、恒久性ではなく仮設性も象徴する点に、共通した特徴があり、会田は1995年から作品の素材に使用しています。このパビリオンは、このような2つの素材を使うことで、何があっても容易に挫(くじ)けない人間のしなやかな強さを示しています。また重くて硬くて高額で恒久的な素材のみを使う現代彫刻などに対する批評性をはらんでいます。本作が設置されている石塁は、かつて江戸城を支えていた石垣を用いて神宮外苑造営の際に建設されたもので、関東大震災後のバラック建設の指揮官であり、小学校の鉄筋コンクリート化を推進した建築構造家・佐野利器が計画・建設したものです。その石塁の上に立つダンボールとブルーシートの城は、東京からいまだ災害の爪痕が残る各地方への『共にがんばりましょう』というメッセージとなるでしょう。また、東京にいつの日か来るかもしれない大災害への覚悟を示すものであります。会田誠は、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ています。平面作品に限らず、彫刻、パフォーマンス、映像、小説や漫画の執筆など活動は多岐にわたり、都市に関する作品に「新宿城」(1995年)、「新宿御苑大改造計画」(2001年)、「セカンド・フロアリズム」(2018年)などがあります」ーーーーーーーーーーーーーー私の本棚には、会田誠さんの本が2冊あります。①「青春と変態/会田誠/ちくま文庫」②「カリコリせんとや生まれけむ/会田誠/幻冬舎文庫」会田誠さんの本の内容もすごいのですが、会田さんの絵も一度見ると忘れられない作品が沢山あります。「巨大フジ隊員VSキングギドラ」とか、「滝の絵2007-2010」などは、初めて絵を見た時、色々な意味でびっくりしました。「カリコリせんとや生まれけむ/会田誠/幻冬舎文庫」p164には、会田誠さんの「新宿城」の作品を写した写真が載っています。今回の「東京城」に通じるものがあるのではないかと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【会田誠さんの「東京城」】↑ 神宮外苑のいちょう並木と、両側に会田誠さんの「東京城」の作品がある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー①「青春と変態/会田誠/ちくま文庫」②「カリコリせんとや生まれけむ/会田誠/幻冬舎文庫」↑「青春と変態/会田誠/ちくま文庫」↑「カリコリせんとや生まれけむ/会田誠/幻冬舎文庫」↑ p164。会田誠さんの「新宿城」の紹介。
2021.07.20
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2021年7月18日夕方、オリンピックスタジアムの周辺を歩きました。競技場に入る道は、日本オリンピックミュージアム前の所だけになっており、他は閉鎖されているようです。五輪モニュメントが設置されており、スタジアムを背景に記念写真を撮りたい人たちが長蛇の列になっていました。スタジアムの上部を見ると、色々な国旗がはためいているのが見えました。↑ オリンピックスタジアムとゲート。↑ 五輪のモニュメント。↑ ゲートの様子。↑ 五輪のモニュメント。↑ 五輪モニュメントとオリンピックスタジアム。↑ スタジアムから飛行機が見えた。↑ カメラをズームにして飛行機を写した。↑ 国旗が並ぶ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーオリンピックスタジアムの周辺。警備が厳しく、スタジアムへの道は封鎖されていた。
2021.07.19
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2021年7月18日、山手線周辺で見かけたオリンピック関連の風景を紹介します。1)恵比寿駅と目黒駅の間にある、東京都目黒区・日の丸自動車学校の球体に、東京オリンピックエンブレムが描かれています。2)大崎駅と品川駅の間にある、東京都港区・キヤノンSタワー。ビルにエンブレムがあり、「キヤノンは東京2020オリンピックを応援しています」というメッセージが付いています。3)有楽町駅と東京駅の間にある、東京都千代田区・東京スポーツスクエアに、ミライトワ、ソメイティ、そしてエンブレムなどを見ることができます。4)東京駅の階段で、「大阪なおみ選手」の笑顔があるパナソニックCMがありました。5)東京駅の北口広場に、オメガのカウントダウンクロックが設置されています。オリンピック開催日まで、あと「5日」でした。6)タクシーのサイドに、パラリンピックのエンブレムが付いていました。7)東京駅前の丸の内ビルディング、新丸の内ビルディングの壁面ですが、美術家の横尾忠則さんと娘で画家の美美さんが壁画を描かれ、窓ガラスに特殊シートを張り付けています。8)東京駅で、JR東日本の水素シャトルバスを見ました。ーーーーーーーーーーーーー1)恵比寿駅と目黒駅の間にある、東京都目黒区・日の丸自動車学校の球体に描かれた、東京オリンピックエンブレム。ーーーーーーー2)大崎駅と品川駅の間にある、東京都港区・キヤノンSタワー。ーーーーーーーーーーーーー3)有楽町駅と東京駅の間にある、東京都千代田区・東京スポーツスクエア↑ 東海道新幹線と東京スポーツスクエア。ーーーーーーーーーーーー4)東京駅の階段。「大阪なおみ選手」の笑顔があるパナソニックCM。↑ 東京駅の改札口。ーーーーーーーーーーーーーーーー5)東京駅の北口広場に、オメガのカウントダウンクロックが設置されている。オリンピック開催日まで、あと「5日」。↑ 東京駅。↑ オメガのカウントダウンクロック。あと「5日」。↑ 時計の反対側は、パラリンピック用のカウントダウンクロック。あと「37日」。ーーーーーーーーーーーーーーーー6)タクシーのパラリンピックエンブレム。ーーーーーーーーーーーーーーー7)東京駅前の丸の内ビルディング、新丸の内ビルディングの壁面には、美術家の横尾忠則さんと娘で画家の美美さんが壁画を描かれ、窓ガラスに特殊シートを張り付けてある。ーーーーーーーーーーーーー8)東京駅で見た、JR東日本の水素シャトルバス。
2021.07.18
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JR新宿駅東口広場近くに、クロス新宿ビルの3Ⅾビジョンがあり、巨大な立体三毛猫が時々映されます。スクリーンから猫が飛び出すように見えます。ニャアニャアと鳴き声も聞こえます。
2021.07.17
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2021年7月16日、東京オリンピック開催まであと「7日」になりました。東京・霞ヶ関の文部科学省入口横には、開会式までのカウントダウン電光板があり、開催まであと「7日」の表示になっています。(パラリンピック開催まであと「39日」)その他に、東京2020オリンピック 聖火リトーチが飾ってあります。日本人に最もなじみ深い花である桜をモチーフにしています。日本代表選手団オフィシャルスポーツウエアとして、アシックスの紹介もされていました。↑ 東京・霞ヶ関の文部科学省入口。↑ 文部科学省。ーーーーーーーーーーーーーー↑ 東京2020オリンピック開催まで、あと「7日」。↑ ミライトワの人形。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 東京2020パラリンピックまで、あと「39日」。↑ ソメイティ。ーーーーーーーーーーーーーー↑ 東京2020オリンピック 聖火リレートーチ。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 日本代表選手団オフィシャルスポーツウエアとして、アシックスの紹介もされていた。↑ 東京2020オリンピック。ジャパンオリンピックチーム。↑ 東京2020オリンピック。ジャパンパラリンピックチーム。
2021.07.16
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東京都港区虎ノ門にあるホテルオークラ東京(The Okura Tokyo)ですが、入り口にある巨大な貯水池に五輪マークのモニュメントが設置されています。新しいホテルのガラスは青空を映しており、五輪モニュメントと調和が取れていると思いました。ホテルオークラですが、2015年9月に旧ホテルを閉館した後、建て替え工事が行われ、2019年9月に新しい高層ビルのホテルが開業しました。ホテルオークラの前は霊南坂で、その向こうはアメリカ大使館です。会社が霞ヶ関にあり、昼休みになると昼食をすぐに済ませ、カメラを持って散歩にでかけます。街の中で面白い風景があると、写真に収めています。時々ホテルオークラ付近を歩くので、五輪モニュメントは気になっていました。曇りの日はどんよりした写真になるので、晴れの日を狙っていました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーホテルオークラ東京 (The Okura Tokyo)↑ ホテルオークラ東京の新しいビルと五輪モニュメント。↑ ホテルオークラ東京の入り口。↑ 五輪マークのモニュメント。↑ 隣は「大倉集古館」。
2021.07.15
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2021年7月11日、お台場のガンダムベース東京(THE GUNDAM BASE TOKYO)に行きました。設計、金型、成型など、バンダイがプラモデルを製造する流れが紹介されており、とても興味深かったです。↑ ガンダムベース東京。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーバンダイのプラモデル製造説明。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ ガンダム、ハローキティのコラボ。
2021.07.14
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2021年7月11日、お台場のダイバーシティ東京で、機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)に出てくる「ユニコーンガンダム像」を撮影しました。↑ お台場・ダイバーシティ東京の「ユニコーンガンダム像」。↑ 記念撮影。
2021.07.13
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2021年7月11日、東京・お台場の五輪モニュメントを写真に撮りました。その他、自由の女神像、フジテレビビルなども撮影しました。↑ 東京・お台場にある、五輪モニュメント。横33メートル、縦15メートル、重さ69トン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー新橋駅から無人モノレール「ゆりかもめ」で、台場駅へ移動する。↑ レインボーブリッジ。↑ 台場駅。↑ 無人モノレール「ゆりかもめ」のルート。↑ 大場駅。↑ お台場の自由の女神像とレインボーブリッジ。↑ 五輪モニュメントと、競技案内。↑ お台場イルミネーション。↑ フジテレビジョン。↑ ゆりかもめの車窓。↑ 五輪モニュメントが見える。
2021.07.12
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【PCR検査】2021年7月8日、会社の帰りに東京・新橋の新型コロナPCRセンターで検査を受けました。唾液を容器に入れるだけで、翌日メールにて結果が通知され、陰性でした。【ワクチン接種】2021年7月11日、地元の自治体に申し込んでいたワクチン接種1回目を受けました。最寄りの保健所で医者の問診に答え、看護師にワクチン注射を打っていただきました。部屋で15分待ち、何も異常が無かったので保健所を出ました。家に帰って腕を見ました。私は何も変化がありませんでしたが、妻の腕は注射した部分が膨らんでいました。ーーーーーーーー2021年7月8日 東京・新橋。新型コロナPCRセンター。↑ ニュー新橋ビル内にある、新型コロナPCR検査センター。↑ 検査センター入口。↑ 新型コロナPCR検査のブース。↑ JR新橋駅。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー2021年7月11日。新型コロナワクチン1回目接種。
2021.07.11
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昔、オランダに住んでいた頃の話です。オランダ・ボイマンス美術館の近くにギリシャ料理店があり、絵を見た帰りはそこで食事をしました。ギリシャ人のマダムと顔見知りになり、ギリシャの食事や文化について教えていただき、ギリシャに興味を持ちました。その店に行くといつも「ウゾ」という蒸留酒を飲みました。透明な酒ですが、水を入れると白く濁ります。アルコール度数が高いので、たくさん飲むと酔ってしまいます。その後、ギリシャを見てみたいと思い、飛行機で遊びに行ったことがあります。パルテノン神殿、アテネ国立博物館を回り、一日エーゲ海クルーズ船に乗り、エギナ、ポロス、イドラ島を巡りました。山裾から海辺まで密集して建っている白い家々を見ると、ギリシャだなあと感じました。旅行を終えて、飛行機でオランダに帰る時、機窓からエーゲ海に突き出るハルキディキ半島がよく見えました。この半島は独特な地形で、半島の付け根には、3本の足のような半島が伸びています。3本の半島は、東から、アトス半島、シトニア半島、カサンドラ半島です。アトス半島は、とても不思議な地域です。ギリシャの中にあるにも関わらず、東ローマ帝国の皇帝が勅許状によりこのアトス半島を修道院に与えたため、ギリシャ正教の聖地として、ギリシャからある意味で独立した宗教自治区のようになっています。「修道院共和国」とも言われています。多くの修道院が半島に建てられ、修道士たちが生活しています。女性は立ち入り禁止となっています。この修道院共和国に入るのは簡単ではなく、審査を受ける必要があります。そして中の生活は、朝から晩まで全てを神にささげたものです。アトス半島の修道院の生活がどのようなものか、村上春樹さんと立花隆さんの本を読むと、イメージがわきます。お二人ともにアトスの修道院を巡り、その記録を本に残されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【村上春樹さん】1)「雨天炎天 ギリシャ・トルコ辺境紀行/村上春樹/新潮文庫」p9~88。「アトス ー 神さまのリアル・ワールド」【立花隆さん】2)「エーゲ 永遠回帰の海/立花隆 写真:須田慎太郎/ちくま文庫」p80~114。「聖山アトスへ」3)「思索紀行(上)/立花隆/ちくま文庫」p251~274。「キリスト教芸術への旅」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ オランダに住んでいた時、ギリシャへ遊びに行ったときの写真。↑ 帝国書院 最新基本地図ー世界・日本ー15訂版。 p29。地中海。ギリシア共和国とその周辺。↑ ギリシャの首都アテネ。その北に、エーゲ海に突き出るハルキディキ半島がある。この半島は独特な地形で、半島の付け根には、3本の足のような半島が伸びている。3本の半島は、東から、アトス半島、シトニア半島、カサンドラ半島。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ ハルキディキ半島から伸びる3本の半島。東から、アトス半島、シトニア半島、カサンドラ半島。アトス半島は修道院共和国と言われ、ギリシャでも独立したエリア。世界遺産にも認定されている。ーーーーーーーーーーーーーーー【村上春樹さん】↑「雨天炎天 ギリシャ・トルコ辺境紀行/村上春樹/新潮文庫」p9~88。「アトス ー 神さまのリアル・ワールド」↑ ギリシャの位置。↑ アトス半島。(アテネ、テッサロニキ、アトス半島の位置)↑ アトス半島の地図。修道院の位置。ーーーーーーーーーーーーーーーーー【立花隆さん】↑「エーゲ 永遠回帰の海/立花隆 写真:須田慎太郎/ちくま文庫」p80~114。「聖山アトスへ」↑ アトス半島の修道院の地図。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー【立花隆さん】↑「思索紀行(上)/立花隆/ちくま文庫」p251~274。「キリスト教芸術への旅」
2021.07.10
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ジャーナリスト・立花隆さんの書斎兼事務所「ネコビル」の黒猫は、舞台美術家の妹尾河童(せのおかっぱ)さんがデザインされました。「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎術/立花隆/文春文庫」P185~201には、妹尾河童さんの「立花隆さんの仕事場 『ネコビル』顛末記」の文章があり、妹尾河童さんが覗いた「ネコビル」の中は、P196~201に、詳しく俯瞰図が掲載されています。妹尾さんは色々な人々の部屋上から見た俯瞰図を描いたり、国内外の旅のエッセイを本に書かれたりしています。さまざまな部屋の俯瞰図を見ると、住んでいる人たちの生活を想像することができて、とても面白いです。私の本棚にある妹尾河童さんの本は、6冊ありました。1)「河童が覗いた『仕事場』/妹尾河童/文春文庫」2)「河童の(対談)おしゃべりを食べる/妹尾河童/文春文庫」3)「河童が覗いたトイレまんだら/妹尾河童/文春文庫」4)「河童が覗いたヨーロッパ/妹尾河童/新潮文庫」5)「河童の手の内幕の内/妹尾河童/新潮文庫」6)「河童が覗いた仕事師12人/妹尾河童/新潮文庫」上記の4)、5)は、文庫本の裏を見ると、シンガポール紀伊国屋書店のシールが貼ってあり、4)はSGD14.19、5)はSGD15.05になっています。私が若い頃、シンガポールに駐在していたことがあり、シンガポールのオーチャードにある紀伊国屋書店でよく本を買いました。日本で600円の本が、シンガポールでは円換算で約1,000円くらいになっていました。当時を思い出すのですが、シンガポール紀伊国屋で日本の週刊誌を買おうと思い、雑誌の中を見ると、グラビア部分が全部切り取られていました。シンガポールは検閲が厳しく、日本の雑誌で肌が露出している写真記事は、カットされたりしており、そこまでしなくてもと思っていました。↑ 立花隆さんのネコビル。妹尾河童さんのデザイン。↑ 黒猫の顔。↑「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎術/立花隆/文春文庫」妹尾河童さんの「立花隆さんの仕事場 『ネコビル』顛末記」の文章があり、妹尾河童さんが覗いた「ネコビル」の中は、P196~201に、詳しく俯瞰図が掲載されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 私の本棚にある、妹尾河童さんの本。1)「河童が覗いた『仕事場』/妹尾河童/文春文庫」。↑ P151。立花隆さんの書斎。ネコビルができる前の書斎。2)「河童の(対談)おしゃべりを食べる/妹尾河童/文春文庫」3)「河童が覗いたトイレまんだら/妹尾河童/文春文庫」4)「河童が覗いたヨーロッパ/妹尾河童/新潮文庫」5)「河童の手の内幕の内/妹尾河童/新潮文庫」6)「河童が覗いた仕事師12人/妹尾河童/新潮文庫」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ シンガポール紀伊国屋書店で購入した本。紀伊国屋のシールが貼ってあり、シンガポールドルの表示がある。
2021.07.09
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2020年12月6日、東京都文京区に行ったとき、ジャーナリスト・立花隆さんの事務所で有名な「ネコビル」を撮影しました。「立花隆のすべて/文藝春秋編」p39にビルの事が説明されています。立花隆さんは平成4年(1992年)、東京都文京区小石川に書斎兼事務所ビルを建てられました。ビルの構造は、建坪27平方メートル、鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建て、各階ワンルームで、設計は立花さんの上野高校以来の友人・河合尹盛(ただもり)さんです。ビルの壁面には巨大な黒猫が描かれています。立花さんの友人で舞台美術家の妹尾河童さんが発案し、デザインされました。妹尾さんの友人の画家・島倉二千六(ふちむ)さん率いる「アトリエ雲」の4人が3日がかりで描き上げたそうです。ビルの中は本だらけですが、何冊あるか立花さんは把握しておらず、ビルを建てた頃は35,000冊くらいだったのが、その後増えていき、どうも10万~20万冊の間くらいはあるのではないかとのことです。(立花隆の書棚/立花隆・薈田純一写真/中央公論新社)p4。「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論/立花隆/文春文庫」p185~201に、舞台美術家でエッセイストの妹尾河童さんが「立花隆さんの仕事場 『ネコビル』顛末記」という文章を書かれていますので、少し紹介します。1991年秋のある日、夜の二時過ぎに立花さんから妹尾さんに電話がかかり、「仕事場のビルを建てている最中だけど、ちょっと見てもらいたい」との話で、妹尾さんは深夜にビルを見にいったそうです。立花さんが「このビルの壁で何かおもしろいことをして遊べないかなあ?」と言ったので、妹尾さんが黒猫ビルのアイデアを出すと、立花さんが「じゃ、河童さんがその絵を描いてくれる?」と依頼しました。妹尾さんは、「ぼくの友人で、映画や芝居の巨大な背景画を描いている『アトリエ雲』というグループの島倉二千六(ふちむ)という画家がいるんだけど、頼んでみようか?」と提案しました。翌日、島倉さんは「面白い、ぜひやらせて下さい」と快諾でした。作業ですが、足場を組みビル全体を塗料で真っ黒に塗ってから、アクリル系の水性塗料で猫の顔を描くことになりました。作業には島倉さん率いる『アトリエ雲』の三人の若者や、妹尾河童さんの御子息で美術家の妹尾太郎さんが参加されました。猫の目の位置をどこにするかとか、間抜けヅラの猫顔になりそうなので、調整して描いた事が書かれています。完成した時の事も妹尾さんは記載されています。(p190~191)「真向いの人は、『これから毎日この猫に睨れるんだなあ』と悲鳴のような声をあげた。ぼくは、『デカイ招き猫を家の前に置いたようなもんですから、これから縁起のいいことがありますよ』と口から出まかせの無責任なことをいって慰めた」その後、妹尾さんは文藝春秋の「本の話」の編集部から、「ネコビルの中を、立花ファンの読者は覗きたいでしょうから、”河童流俯瞰図”で描いてもらえませんか? 各階ごとに資料や本がどうなっているか? できるだけ克明に・・・・」(p192)p196~201には、妹尾さんが描かれた、ネコビルの俯瞰図が紹介されています。地下一階から3階まであります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【東京都文京区小石川にある、立花隆さんの「ネコビル」】↑ 六角坂の曲がり角にある「ネコビル」。↑ ネコビルの入り口。↑ ネコビルの黒猫の顔。↑ ネコビルと、六角坂の紹介板。↑ 六角坂(ろっかくざか)「六角坂は上餌差(かみえざし)町より伝通院の裏門の前に出る坂なり。古くより高家六角家の屋敷の前成る坂故にかくいへり」(『改撰江戸志』)とある。『江戸切絵図』[万延2年(1861年)の尾張屋清七板]をみると、この坂が直角に曲がっているあたりに、六角越前守の屋敷があったことがわかる。餌差町は、慶長年間(1596~1615)、鷹狩りの鷹の餌となる小鳥を刺し、捕らえることを司る「御餌差す衆」の屋敷がおかれた所である。近くに歌人・島木赤彦(しまぎあかひこ)が下宿し、『アララギ』の編集にあたった「いろは館」があった。東京都文京区教育委員会 昭和63年3月ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 立花隆のすべて/文藝春秋編。↑ p33。小石川「猫ビル」探検記。ーーーーーーーーーーーーーーーー↑「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論/立花隆/文春文庫」↑ p185。妹尾河童(舞台美術家・エッセイスト) 立花隆さんの仕事場『ネコビル』顛末記。↑ p200~201。 妹尾河童さんが描いた、ネコビル3階の内部。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 立花隆の書棚/立花隆・薈田純一写真/中央公論新社。↑ 目次。↑ ネコビル全図。
2021.07.08
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ジャーナリスト・立花隆さんの本ですが、私は学生の頃から少しずつ読んできました。本の中で一番印象に残っているのは、「ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論/立花隆/文芸春秋:単行本」(文庫本:春秋文庫)の中の、「年齢学歴不問・主婦可 ぼくの秘書公募、500人顛末記」の文章です。(文春文庫は、p107~121)立花隆さんがアシスタントを募集すると、500通以上の応募が舞い込み、書類選考で絞り込んだ後に筆記試験をしました。筆記試験の第一問は「歴代大蔵大臣の名前をあげよ」、第二問は「科学者の名前をできるだけあげよ」、第三問は「次の人々の職業、肩書ないし、仕事のカテゴリーを述べよ」、そして英語の試験があります。驚いたのは上記第三問です。50名の名前が並んでおり、その肩書と仕事を書くというものですが、50名のリストは、「鎌田慧。米沢富美子。スパイⅯ。川島雄三。石川六郎。平岩外四。景山光洋。Ⅽ・Ⅼ・ケーディス。吉田秀和。ゲーデル。森嶋通夫。山村暮鳥。米山俊直。幣原喜重郎。松井孝典。ウィルハルム・ライヒ。那野比古。瀧口修造。フォン・ノイマン。伊藤隆。古井喜実。ロバチェフスキー。チョムスキー。イヨネスコ。ジョン・ケージ。井筒俊彦。ボリス・ヴィアン。清岡卓行。フランシスコ・ベーコン。日高敏隆。ネフェルティティ。松野頼三。トマス・アクイナス。ウィリアム・ジェームス。辻正信。児島襄。中村元。ファインマン。フリッチョフ・カプラ。スウェーデンボルグ。Ⅿ・エリアーデ、岸田秀。高畠通敏。ラス・カサス。アレン・ダレス。キュブラー・ロス。渡辺格。ケイト・ミレット。井谷純一郎。ガルシア・マルケス」です。知らない名前が多く、もし私がテストを受けたら、散々な結果だったと思います。筆記テストの次は、電話取次応対の試験があり、秘書は佐々木千賀子さんに決まりました。田舎の倉庫に、本を入れた箱を沢山積んでおり、その中に単行本の「ぼくはこんな本を読んできた/立花隆」、「ぼくが読んだ面白い本、ダメな本、そしてぼくの大量読書術、驚異の速読術」そして、秘書の佐々木千賀子さんが書かれた「立花隆秘書日記」があります。これらは内容が面白く、若い頃に何度も繰り返して読みました。以前、立花隆さんの本で、「脳死」、「証言・臨死体験」、「サル学の現在」、「二十歳のころ」、「東大講義 人間の現在1 脳を鍛える」を持っていましたが、古本屋に売ってしまいました。今になってみると、残しておけばよかったと後悔しています。田舎の倉庫と、今生活している部屋の本棚に立花隆さんの本があるので紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー【田舎の倉庫の段ボール箱に入れている、立花隆さんの本】↑①「ぼくはこんな本を読んできた/立花隆」②「ぼくが読んだ面白い本、ダメな本、そしてぼくの大量読書術、驚異の速読術」③「立花隆秘書日記」。秘書の佐々木千賀子さんが書かれた。↑ 田舎の倉庫に本を入れた段ボール箱が沢山置いてあるが、その中の一つの箱。立花隆さんの本がある。ーーーーーーーーーーーーーー私の今いる部屋の本棚にある立花隆さんの本。ーーーーーーーーーーーーー【今住んでいる家の本棚にある本】↑④ 立花隆のすべて/文藝春秋。 ↑⑤「戦争」を語る/立花隆/文藝春秋。↑⑥ ぼくらの頭脳の鍛え方/立花隆 佐藤優/文藝新書。↑⑦ 知的ヒントの見つけ方/立花隆/文春新書。↑⑧ 知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと/立花隆/文藝新書。↑⑨ ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論/立花隆/文春文庫。↑⑩ 精神と物質/立花隆 利根川進/文春文庫。↑⑪ 宇宙よ 上/立花隆 秋山豊寛/文春文庫。↑⑫ 宇宙よ 下/立花隆 秋山豊寛/文春文庫。↑⑬ 臨死体験 上/立花隆/文春文庫。↑⑭ 臨死体験 下/立花隆/文春文庫。↑⑮ 巨悪VS言論 上 田中ロッキードから自民党分裂まで/立花隆/文春文庫。↑⑯ 巨悪VS言論 下 田中ロッキードから自民党分裂まで/立花隆/文春文庫。↑⑰ 立花隆の書棚/立花隆/中央公論新社。↑⑱ 宇宙からの帰還/立花隆/中央文庫。↑⑲ 宇宙を語るⅠ/立花隆/中央文庫。↑⑳ 宇宙を語るⅡ/立花隆/中央文庫。↑㉑ 田中角栄研究 全記録(上)/立花隆/講談社文庫。↑㉒ 田中角栄研究 全記録(下)/立花隆/講談社文庫。↑㉓ 青春漂流/立花隆/講談社文庫。↑㉔ 自分史の書き方/立花隆/講談社学術文庫。↑㉕ マザーネイチャーズ・トーク/立花隆/新潮文庫。↑㉖ サイエンス・ナウ/立花隆/朝日文庫。↑㉗ エーゲ 永遠回帰の海/立花隆/ちくま文庫。↑㉘ 思索紀行(上)/立花隆/ちくま文庫。↑㉘ 思索紀行(下)/立花隆/ちくま文庫。
2021.07.07
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2021年6月24日付朝日新聞に、ジャーナリストで評論家の立花隆(たちばなたかし)さんが2021年4月30日に、80歳で死去されたことが書いてありました。「1940年、長崎県に生まれた。1974年、現職首相の金脈問題を追及する『田中角栄研究』を文芸春秋誌に発表。『政治とカネ』の問題を社会に提起し、『調査報道』の先駆的事例として知られた。その後も『中核VS革マル』、『日本共産党の研究』など、綿密な取材で組織の内幕に迫る作品を手掛けた。無類の好奇心は先端科学へも向けられた。『宇宙からの帰還』は、宇宙体験が人間の内面にどう影響するかを宇宙飛行士へのインタビューで探り、話題を呼んだ」と、同新聞に紹介されています。私は若い頃、立花隆さんの本『ぼくはこんな本を読んできた』に影響されました。『実践』に役立つ14か条という文章があり、例えば1条は「金を惜しまず本を買え。本が高くなったといわれるが、基本的に本は安い。一冊の本に含まれている情報を他の手段で入手しようと思ったら、その何十倍、何百倍のコストがかかる」とか、2条は「一つのテーマについて、一冊の本で満足せず、必ず類書を何冊か求めよ。類書を読んでみてはじめて、その本の長所が明らかになる。そのテーマに関して健全なパースペクティブを得ることができる」と書いてあります。確かに、本は高いようにも思えますが、自分の足でその情報を得ようとすると、1回の交通費だけで本代と同じくらい出費するでしょうし、トータルで考えると断然安いと思います。また、立花隆さんの「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本、そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」を読んで、紹介された面白い本を少しずつ読んでいったことがあります。本屋に置いてない本も沢山ありましたが、その本のどこが面白いのかが詳しく書いてあり、とても参考になりました。↑ 2021年6月24日付朝日新聞1面。立花隆さん死去。80歳。知の巨人・「田中角栄研究」。 ↑ 2021年6月24日付朝日新聞30面。立花隆さん。文理越えた知りたがり。科学分野の名著次々。ーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 週刊文春 2021年7月8日号。↑ 追悼 立花隆。知に生きた男。ジャーナリスト・評論家として活躍した”知の巨人”が生涯を閉じた。享年80。小社秘蔵写真、関係者の証言と共に好奇心の赴くまま駆け抜けたその足跡を辿る。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 文藝春秋 2021年8月号。追悼 立花隆「知の巨人」の素顔。
2021.07.06
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2021年5月29日付朝日新聞「be フロントランナー」で、地図研究家の今尾恵介(いまおけいすけ)さんが紹介されていました。今尾恵介さんは中学1年の社会科授業で、地形図に一目ぼれし、大型書店で地形図を買い始めたそうです。中2の時、物理学者で地図エッセイストとして有名だった堀淳一さんの『地図のたのしみ』を母親が買ってきてくれたそうで、ますます地図の興味がかきたてられたとの事です。「鉄道好きの仲間はいましたが、地図の話ができる友人はいなかった。堀さんの本を読んで、こんなにそっくりな趣味の人がいたんだって驚きました。新旧の地図を比較する面白さや、外国の地形図の美しさを教えてくれたのもこの本です」今尾さんは明治大学時代、同大交響楽団で打楽器を担当されていました。その後もバイトの延長で管楽器の専門誌パイパーズ編集部に就職されました。趣味で地図の収集は続け、CDや楽譜を輸入販売する業務を担当してからは、そのノウハウで海外から地形図を個人輸入されました。31歳でフリーランスになり、地図に関する文章を書かせてほしいと見本をつけて出版社に直接送って売り込み、返事をくれたうちの1社から『地図の遊び方』を出してもらったそうです。「デジタル地図は確かに利便性は高い。心配なのは、人々の頭の中が出発地と目的地だけになってしまうことです」とあります。「たとえば、少し前までJR常磐線に佐貫(茨城県)という駅がありました。(現在は龍ケ崎市駅に改称)。そこの改札に、『当駅はマザー牧場の最寄り駅ではありません』と貼りだされていたんです。千葉県にあるマザー牧場の最寄り駅は内房線の佐貫町駅。想像すると、マザー牧場に行こうとしてスマホに佐貫と入力したとたんに二つの駅名が出てきて、うっかり佐貫駅をタップしてしまう人が少なくなかったのでしょう」「アナログの時代なら、まず地図を調べたはずなんですよ。それで内房線が東京湾沿いに房総半島を南下していると分かれば、電車に乗りながら、そろそろ海が見えるはずだとか、木更津だとか考えるはず。今は途中が抜け落ちているから、窓から筑波山が見えても間違いに気づかない。こうなると、そもそも日本列島がどんな形をしていても構わないってことになる」ーーーーーーーーーーーーーー私は今尾恵介さんの「地図帳の深読み/今尾恵介/帝国書店」を持っています。読むと地図帳の見方が変わります。帝国書院の地図は、「最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院」、「地図で訪ねる歴史の舞台ー日本ー最新版/帝国書院」、「旅に出たくなる地図 景観地図日本 三訂版/帝国書院」、「旅に出たくなる地図 世界編最新版/帝国書店」を持っており、調べるときに使います。↑ 2021年5月29日付朝日新聞「be フロントランナー」。地図研究家の今尾恵介(いまおけいすけ)さん。ーーーーーーーーーーーーーーー↑「地図帳の深読み/今尾恵介/帝国書店」↑「最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院」長く使ってきたので、表紙が取れて無くなってしまった。↑「地図で訪ねる歴史の舞台ー日本ー最新版/帝国書院」。↑「旅に出たくなる地図 景観地図日本 三訂版/帝国書院」。↑「旅に出たくなる地図 世界編最新版/帝国書店」。
2021.07.05
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2021年2月28日付朝日新聞で、「福岡伸一博士さんと考える『コロナ時代の生き方』」という記事がありました。青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さんがウイルスについて述べられた事がまとめられています。「ウイルスは構造が単純なので、生命が誕生した38億年前から存在してたと勘違いされがちだが、実は私たち多細胞生物が生まれてから現れた。私たちの細胞の中にあるゲノムの一部がちぎれ飛んだ『私たちの遺伝子のかけら』がウイルスなのだという。生命は通常、親から子、孫へと垂直に遺伝子を伝えていくが、ウイルスは水平に遺伝情報を渡し、しかも種を超えて伝えることができる。いわば遺伝情報の『運び屋』として生体の間を渡り歩いている。ウイルスは大半が無害で、自ら移動することはできない。だから新型コロナウイルスも人間が運び、人間が増やして広めている。『ウイルスは本体、私たちを含む大きな生命圏の一部で、完全に撲滅したり、排除したりすることはできない」「ウイルスを『正しく畏(おそ)れる』ことに尽きる」と(福岡教授)は話す。自然の一部であるウイルスに対して畏敬の念を持つのと同時に、自分自身の体の免疫システムを信じることが大切だという」「人間とウイルスとの間に『動的平衡(どうてきへいこう:変わらないために絶え間なく変わるという意味)』を成立させるためには、このウイルスにかかって回復した人が増え、ワクチンが普及することで集団の中に免疫が広がる事が必要になる。人間の側の免疫システムがウイルスに対する平衡(つりあうこと)状態を獲得することで、このウイルスを乗り越え、日常的なものとして受容できる状態に達するのだという」ーーーーーーーーーーーーーーーー福岡伸一博士の本ですが、初めて読んだのが「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」でした。この本の中で、「動的平衡:ダイナミック・イクイリブリアム:DYNAMIC EQUILIBRIUM)」の詳しい説明がされていました。その後、少しずつ福岡博士の本を買っては読んできました。今本棚に置いているのは、下記の本です。1)「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」2)「せいめいのはなし/福岡伸一/新潮文庫」3)「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで/福岡伸一/文春文庫」4)「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見/福岡伸一/文春文庫」5)「やわらかな生命 福岡ハカセの芸術と科学をつなぐ旅/福岡伸一/文春文庫」6)「変わらないために変わり続ける 福岡ハカセのマンハッタン紀行/福岡伸一/文春文庫」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー福岡博士がニューヨークのロックフェラー大学で研究していた時代の話が面白いのですが、特に私が記憶に残っている部分を紹介します。1)「ルリボシカミキリの青」P172~174「活字の未来」という文章があります。福岡ハカセが「生物と無生物のあいだ」の本で、マンハッタンの摩天楼を船の上から眺めて驚いた事を書いた話が記載されています。ハドソンリバーの埠頭から出発し、エンパイアステートビルまでの風景を書いた原稿を編集部に出したところ、ゲラ刷りとマンハッタンの地図のコピーが手元に送られてきて、「見える順番が違います」というメモが付いていたそうです。出版社の校正者が原稿をチェックし、遊覧船から見える建物の順番を調べて、順番の間違いを指摘したそうです。「確かに校正者さんの言うとおり、観光船で上っていくと、33丁目にあるエンパイアステートビルは、42丁目のクライスラービルよりずっと前に見える。国連本部が見えるのはそのあとである。でも私は、いろいろと考えた末、この部分は、書いたときの流れを尊重してもらって、このままとした」「書き手、編集者、校正者。この間のてまひまが活字というものを支えているのである」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)「変わらないために変わり続ける」P26~28。「となりの神さま」という文章があります。福岡博士が、ロックフェラー大学主催のルイス・トマス文学賞の授賞式に参加されたときのことが書いてあります。「授賞式のあと、ちょっとしたサプライズがあった。福岡ハカセは公演が聞き取れるようオーディトリアムのかぶりつきに座っていたのだが、となりに上品な老夫婦二組が座っていた。司会者がおもむろに紹介を行った。本日は、過去の受賞者もお見えになっています。こちら、オリバー・サックスとフリーマン・ダイソンさんです。えええ!サックスは、『レナードの朝』(デ・ニーロ主演で映画にもなった、ダンスシーンが切ない)、『妻と帽子をまちがえた男』、『火星の人類学者』などの著者として有名な神経学者で日本でもファンが多いはず。そしてダイソンは数学の天才で宇宙物理学者。代表作は『宇宙をかき乱すべきか』。なんといってもダイソン球の発案者である。もし宇宙のかなたに高度な文明があるとすれば恒星のエネルギーを補足するための巨大な天蓋を作っているはずだという仮説。その後、スター・トレックをはじめ数々のSFで引用された。私たちの世代にとっては、まさに神さま。サックスもダイソンももうかなり高齢のはずだが、スーツに身を包んで若々しかった。いやあ、うれしいなあ」私はオリバー・サックスさんの本が好きで、上記の本は全部読みました。特に「火星の人類学者」はお気に入りです。↑ 青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん。↑ 2021年2月28日付朝日新聞、「福岡伸一博士さんと考える『コロナ時代の生き方』」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 私が持っている福岡伸一さんの本。1)「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」2)「せいめいのはなし/福岡伸一/新潮文庫」3)「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで/福岡伸一/文春文庫」4)「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見/福岡伸一/文春文庫」5)「やわらかな生命 福岡ハカセの芸術と科学をつなぐ旅/福岡伸一/文春文庫」6)「変わらないために変わり続ける 福岡ハカセのマンハッタン紀行/福岡伸一/文春文庫」
2021.07.04
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小林美樹さんは山形県出身で、1973年に「スター誕生!」で合格し、1974年7月に歌手として「人魚の夏 歌詞:阿久悠、作曲:都倉俊一、編曲:小谷充」でデビューしました。当時私は小学生でしたが、「スター誕生!」をいつも見ており、デビューした歌手が歌う新曲を聴くのも楽しみでした。小林美樹さんがテレビで「人魚の夏」を歌われた姿も記憶に残っています。瞳がキラキラ輝くように感じられる人でした。ぐいぐいと心を引き付けるイントロと、夏のシーンを呼び起こす歌詞やメロディに驚き、すぐ好きになりました。最初の「自転車を走らせて 灯台をまわり ギラギラの砂浜を 私は駆けて行く」という歌詞が特にお気に入りです。学生時代に日本の各所を自転車で回っていましたが、灯台のある場所に着くと、自然にこの「人魚の夏」を口ずさみます。去年も千葉県の犬吠埼灯台に行ったとき、思わず歌ったほどです。「夢を食った男たち 『スター誕生』と黄金の70年代/阿久悠/道草文庫/小池書院」p233~237に「小林美樹」という部分があり、阿久悠さんが小林美樹さんのことを次のように書かれています。「1973年8月15日、山形市民会館での『スター誕生』合格であるから、ぼくらが”日本一周・ろまんの船”を降りて、特急列車で駆けつけ、海と太陽の残像の気分の中で、異常興奮して選んだ少女である」「実際に、その時、ぼくらの目の前に登場した彼女は、新鮮そのもの、土のついた野菜とか、露に濡れた果実とか、清流に躍る魚とか、いろんな印象を与えた。とにかく、よく陽に灼けて、まさに珈琲色、黒々と光る瞳も魅力的であったが、白目の部分が見事に白い。都会の子はどこか黄色かったり、赤かったりするものだが、この子のは汚れが全くないなどと、そんなことまで賞賛していたのである」「歌はそれほど上手くないが、鮮度!鮮度! 都会の少女たちがどこか病んだ印象を与えるのに比べて、この素朴さと健康さ、明るさとみずみずしさは何にも替え難いと、最大級の言葉、それも、かなり詩的な調子で賞め称えた」「その次に彼女を見たのは、その年の12月19日の決勝大会の時であるが、少し印象を異にしていた。実に単純明快なことであるが、季節が夏から秋、そして、冬になって、彼女の陽灼けはすっかりさめて、むしろ、色白の少女になっていたからである。『駄目だよ。陽に灼けてなきゃ。まるで別人じゃないか。こんな生ッ白い美樹だったら、合格させなかったよ』などと、ぼくらは無茶を言っていたが、決勝大会で彼女を指名するプラカードが上がり、プロダクションは芸映、レコード会社は、キャニオン系のNAVに決まった」「そのデビュー曲をぼくと都倉俊一が手がけたのであるが、あの夏の日の、山形市民会館での第一印象が忘れ難く、あの鮮度、あの野生美と呟きながら、『人魚の夏』というのを書いたのである」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「昭和歌謡職業作曲家ガイド/監修:馬飼野元宏/シンコーミュージックエンタテイメント/2018年4月15日発売」のP172から都倉俊一さんの紹介があり、P175に阿久悠さん作詞、都倉俊一さん作曲である小林美樹さんの「人魚の夏」の事が書いてあります。「『スター誕生!』出身の小林美樹のデビュー・シングル。キャッチーでポップなメロディ・ラインと、実力を感じさせる歌唱力の隠れた佳曲。『可愛いし、性格もいい子だからなんとかしてやりたいと思って書いた』と都倉俊一は語った」「74年下期の銀座音楽祭ではテレサ・テンと共に熱演賞を受賞。引退後は、開局したばかりのテレビ新潟のアナウンサーとして活躍した」ーーーーーーーーーーーーーーーーーー色々な記事を読むと、小林美樹さんは、阿久悠さんと都倉俊一さんからとても愛されていたことが分かります。小林美樹さん。「人魚の夏 歌詞:阿久悠、作曲:都倉俊一、編曲:小谷充 1974年7月」「HOTWAX PRESENTS 歌謡曲 名曲名盤ガイド 作曲家編1959~1980/編集:髙護/ウルトラ・ヴァイヴ/シンコーミュージック・エンタテイメント」P122。↑ 「HOTWAX PRESENTS 歌謡曲 名曲名盤ガイド 作曲家編1959~1980/編集:髙護/ウルトラ・ヴァイヴ/シンコーミュージック・エンタテイメント」↑ P118。都倉俊一さん。「華麗なオーケストレーションと独自のビート感覚による『都倉サウンド』」↑ P122~123。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑「夢を食った男たち 『スター誕生』と黄金の70年代/阿久悠/道草文庫/小池書院」。↑ 目次。第三章「スター誕生」の時代。P233~237。小林美樹さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「昭和歌謡職業作曲家ガイド/監修:馬飼野元宏/シンコーミュージックエンタテイメント/2018年4月15日発売」。↑ P174~175。↑ P175。 小林美樹さん。「人魚の夏」。
2021.07.03
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1988年3月、川中美幸さんは「豊後水道 作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、編曲:丸山雅仁」を歌われました。私はテレビやラジオで「豊後水道」を知り、すぐにCDを購入し、繰り返し聴きました。川中美幸さんのこぶしの効いた歌も良いのですが、聴くと大分の海の景色が思い浮かび、大好きな曲です。歌謡曲、ニューミュージック、アニソン、演歌、洋曲など、個人的には垣根が無く、若い頃は幅広く聴いていました。演歌のレコード、CDはほどんど処分したのですが、「豊後水道」など一部は手元に残しています。「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう/阿久悠/新潮文庫」p91~93に「豊後水道 大分を舞台に演歌の南限」という文章があります。大分県知事をされたことがある平松守彦さんと作詞家の阿久悠さんは交流があり、平松さんが阿久悠さんに、演歌の南限の歌を大分を舞台に作ってほしいとの話があったそうです。「北の宿から」、「津軽海峡・冬景色」、「舟唄」、「北の蛍」、「能登半島」、「おもいで岬」など阿久悠さんが作詞された演歌は北を舞台にしたものが多く、ポカポカと陽が照る大分の演歌を作るというのは、一種の挑発であったと書いてあります。阿久悠さんは「南国に悲恋がないわけではないし、哀愁を感じないわけでもなし、人間がいて、男と女の組み合わせがあれば、悲恋も失恋もあります」と言って、作曲の三木たかしさんと一緒に大分へ移動し、大分から佐賀関(さがのせき)までクルーザーで行ったそうです。「その日はやや荒れ気味で、波頭から波頭へ飛び魚のように飛んだ。その衝撃で『豊後水道』というタイトルを思いついたというのは嘘だが、海猫が棲む南限だともいわれる島を見て、これはそそられた。『春は何日早かった 風もうららで甘かった海猫の棲む島をぐるりとひとまわり何を想うか 豊後水道』歌は川中美幸である」↑ 「豊後水道 作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、編曲:丸山雅仁、歌:川中美幸」↑ 川中美幸さん。ーーーーーーーーーーーーー↑「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう/阿久悠/新潮文庫」↑ 阿久悠さんの紹介。↑ p91。「豊後水道 大分を舞台に演歌の南限」
2021.07.02
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メカニックデザイナーで有名な大河原邦男(おおかわらくにお)さんですが、竜の子プロダクションに入社され、『科学忍者隊ガッチャマン」でデビューされました。「メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人/大河原邦男/光文社/2015年8月20日発行」を読むと、大河原邦男さんが「科学忍者隊ガッチャマン」の仕事をするきっかけや、「科学忍者隊ガッチャマン」のタイトルロゴが採用されて、それがデビュー作になった事が書かれています。このロゴは独特なデザインで、当時私は、ロゴを真似て紙に写したりしていました。大河原邦男さんはアニメ制作会社の竜の子プロダクション(現・タツノコプロ)に入社し、美術課に配属され、アニメ用の背景を描かれていました。上司は中村光毅(なかむらみつき)さんです。中村さんは大変人気のあった「マッハGоGоGо」(1967年)や「ハクション大魔王」(1969年)、「昆虫物語 みなしごハッチ」(1970年)の美術監督をされていました。大河原さんが研修中、新企画が立ち上がり、美術監督になった中村さんが「大河原君、今度の企画は『007』みたいにいろいろ小道具などが出てくるんです。機械やメカを設定する人が必要なのですが、私ひとりではちょっと荷が重すぎるんですよ。もし興味があるんだったら、この作品に関してメカを設定するセクションを作るからやってみませんか」と声をかけたそうです。(P27)その頃はまだ新企画の名前が決定されておらず、『バードマン』や『シャドウナイツ』などと呼ばれていましたが、やがで、新作アニメの名前が『科学忍者隊ガッチャマン』と知らされたそうです。(P28~29)p29で「タイトルロゴを任される」という部分があります。「(科学忍者隊ガッチャマンという)タイトルが決まると、今度はタイトルロゴをつくらなくてはなりません。当初、『バードマン』と呼ばれていたくらいですから、『飛んでいるようなロゴで』というオーダーが美術課に届き、その仕事が私のところに来ました。『ガッチャマン』はカタカナです。デザイン的にカタカナに傾斜を入れると、違う字に見えることもある。『チ』が『テ』に見えたり、『ン』が『ソ』に見えてしまってはタイトルとして用をなさない。そんなことを考えるとタイトルロゴデザインという仕事はなかなか難しい。しかし、私はグラフィックデザイナーでもないし、ひとつひとつ微妙なバランスを考えていると大変なので、『科学忍者隊ガッチャマン』という文字からなるひとつの絵として考え、美大で習ったレタリング時の法則性は一切無視して仕上げました」「中村さんにロゴを提出すると、じっと見て『じゃあ、これでいこう』とロゴを机の上に置きました。一切直しはなく、一発ですんなり採用されました。こうして『科学忍者隊ガッチャマン』のタイトルロゴが、私のデビュー作となりました」(P30)本を読むと、「ガッチャマン」のロゴの経緯が分かり、とても興味深かったです。「科学忍者隊ガッチャマン」のタイトルロゴ。↑ メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人/大河原邦男/光文社」↑ もくじ。「ガッチャマン」の文字が見える。↓ P31。大河原邦男さんのデビュー作となった『ガッチャマン』のタイトルロゴ。
2021.07.01
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