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2005.09.20
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅


 非常の時には必ず非常の人が現れるという文で井伊直弼と評価してもよい。直弼が大老に就任した時、幕府は病弱の家定の将軍家の後継問題および日米修好通商条約の調印という難しくて、重大な問題にあった。当時、幕府の顧問格である水戸斉昭は攘夷論によって米国との通商に反対した。また、一橋家の養子としての斉昭の息子である一橋慶喜は紀伊慶福(のちの家茂)と将軍家の後継を争っていた。

 だが、直弼は天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約に調印して、開国の路線を決めた。水戸斉昭は直弼の罪を問おうとしたが、慶喜を将軍家の後継を内定すれば、罪を問わないと示した。特に、22才の一橋慶喜は13才の紀伊慶福よりさらに賢いと評判されていて、すぐ病弱の家定の代理として勤めることができると思われたため、斉昭にとって負けない戦だったのではないか。
清水谷公園
 これに対し、直弼は、将軍家の後継は賢明より血縁によって決められるべきだと主張し、将軍の従弟である慶福を将軍家の後継に決めた。わずか二ヶ月ぐらいだけで幕府の二大難題を決着した。その時の紀伊慶福の中屋敷は現在の赤坂見附の清水谷公園と赤坂プリンスホテルのところにあった。
増上寺徳川家の霊廟
 ところで、家茂が14代将軍に就い時、日本の歴史は激しく動き始めたところだ。攘夷、倒幕などの事件が次々若い家茂に迫っていた。その結果、家茂の体調が崩れて、第二次征長の役の最中に、朝廷に辞表を出して、一橋慶喜を推薦してから、21才の若さなのに大阪城になくなった。のち東京の港区にあり、徳川家の菩提寺である増上寺に葬られた。増上寺の「徳川家の霊廟」にも、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶の墓がある。勝海舟によって「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価された。

つづき

清水谷公園
増上寺





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最終更新日  2005.09.22 00:17:48 コメントを書く
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