全170件 (170件中 1-50件目)
某店店主のご厚意でいただいた某有名製麺所の麺で夕食を作った。近くのスーパーが安いつけ汁の素を売っているので、それを購入し、つけ汁を作った。 つけ麺用の麺でなく、ラーメン用の麺だけど、もっちりしておいしい。つけ汁の濃度の調整がうまくできず、水をかなり入れてもややしょっぱいように味わえた。ただし、スープ割りしたらそういう感じがなかったので、素材自体の問題かな?とりあえず、この一食では、麺は主役だね。さすが有名製麺所によるものだ。 大学時代で、自分が牛肉麺のスープを一から仕込んで完成したことがあるが、この麺なら合うんじゃないかと思うけど、一から仕込みする時間がわしにはもはやないってことだが…。
2010.05.16
コメント(0)
某のような日本語が下手クソの留学生が立ち上げたこのブログは、今日に訪問者数30万人を突破しました。まさに長い間にこの某の下手クソな日本語を我慢して、ブログを読んでいただいた皆様のお蔭様です。ありがとうございました。 単純にラーメン好きだけだったがブログを書くつもりはありませんでした。ところが、ブラック研究科に入ってから、日本語での会話チャンスが少ないので困っていました。日本語が下手クソなので、日本語に慣れるためにさらに使わなくてはならないと思って、日本語で言いたいことを文章にするという意識で、このブログを始めました。しかし、まさか今日までブログを続けてしまったとは思いませんでした。 最初から博士課程一年生のため、1日1時間でゆっくり日記を書くだけではなく、何回自らが使った言葉、文法を推敲し、文章を修正する時間もあったが、この2年間で、1日30分で日記を書く時間さえありませぬので、この2年間で書いた文章には、間違ったところも昔より増えたと考えられます。また、最近も、ますます遅い時間帯でしか書くことができなくなりました。その上、この2年間にわたって、ブラック研究科で遭わされたことによって、憂さ晴らしのため書いた文章を書くようになりました。 もちろん、研究職と経済サポートをめぐるトラブルはどこの大学でも起こりそうですが、ほかの研究科の方々にとって非常にありえない話は、うちで日常茶飯みたいで起こっているもんです。例えば、うちでは虚偽なことをやっている人は研究サポートを受けられる、および研究成果一つもない人は研究職に就いたという非常に理不尽なことがあります。某自身は、力不足のところがあるため、研究職に就く力がしばらくなかったとわかっていましたが、認められる業績を出せば、研究サポートをしてあげるという師匠からの言葉を期待して、アルバイトして研究資金を貯めて、できる限り論文を書いています。本当は、アルバイトしながら勉強すべきでしたが、勉強しながらアルバイトしているとは現状です。 ところが、学会で某は業績とその成果を認められたにもかかわらず、学内で理由なしでいずれのサポートから排除されました。しかも、まったく交流がなく、業績が出せないのにバックで研究職に就いた人から、ポストがないから暇で勉強できるみたいなことを言われました。さらに、ブラック研究科では、すでに国費をもらっている国費留学生に研究経費を提供しただけではなく、国費留学生の研究環境を破壊する行動も無視します。つまり、ブラック研究科はさらに頑張りたい人をサポートせずに、まともにやろうとしていない人にしかサポートしていませぬ。こっちはこっちなりの努力を欠けずにしなくてはなりませぬが、例え研究経費がもらえないと言っても、せめて整備された研究環境および教育体制で勉強したいというのは、高い授業料を取られた私費留学生の権益でしょう。したがって、研究者の卵として、某は事業仕分けで文部科学省の大学への支援を削減する手法、およびそれが基づいた考え方に納得いきませぬが、自分自身の経験でその指摘を認めます、というより認めざるを得ませぬ。もし仕分け人がブラック研究科の実態を知れば、削減じゃなくて廃止という結論を出すに違いありませぬ。 こういう時、がんこ西早稲田の小川店主、勢得の佐々木店主、バッソ ドリルマンの品川店主、千代作の千代店主、稲穂の長谷川店主、兎に角の山田店主、きびの渡辺店主をはじめ、多くのラーメン屋の店主たちがいつも精一杯で作ってくれたラーメンは、某にとって、期待できなさそうな師匠の言葉より、何よりの励ましです。確かに苦しいけど、まともに研究をしようとしていない人は、日本国民の税金による研究経費を使って、日本だけではなく世界各国へ遊びまわっているということを考えれば、自らの血と汗で貯めた金で、努力している自らへの御褒美としての一杯を食ってもいいのではありませぬか。 そのため、いろんなドロドロな事情に直面したので、本当にこのブログを我慢強く読み続けている皆様に、ありがとう、だけではなく、申し訳ない、とも言わなくてはなりませぬ。7ヶ月ぐらいで、20万人から30万人に達したとは、自分も信じられませぬ。これから、帰国すればこのブログを続けるか、続けてもどのような形で続けるかということを考えなくてはなりませぬが、某も将来が見えないままで、サポートをしてもらえずに就活についてチャレンジしなくてはなりませぬので、ブログについていまだ決めておりませぬ。とりあえず、いい時期で、これについて改めて報告したいと思います。 30万人を突破したのは、皆様のお蔭様です。本当にありがとうございました。
2009.12.06
コメント(4)
臼井先生、20年間ありがとうございました。安らかにお眠りください。しかし神様は残酷ですね。みんながたくさん笑う作品んを作ってくれた臼井先生にあんな様で死なせたとは…。本当に、世の中の善と悪とを比べれば、恥ずかしながら悪が勝つ!神も仏もねえものか!
2009.09.20
コメント(0)
残念ながら会場に入らずに撤収した。 23年前になくなったけど、今もこのような人気があるとは、さすが裕ちゃんだとしか言えない。そもそもわしも、ボス、木暮課長に惚れた人の1人である。 しかし、今日の場外対応があまりひどすぎると言いたい。もちろん、その待合区にいたわしが見たい現状に過ぎないが、いろいろな意味で、暴動にならなくて、石原プロの運もよかったと思う。 10時半到着した時、外苑西通側の駐車場、つまりあのホープ軒の向かいにあるところに誘導された。行列ができることも予想したけど、1時間半に経ってもまったく動いていない。さらに、ほとんど年配の方は来場したが、立っているままで待たされていた上で、スタッフから今の状況を知らされていなかった。そして、その場所でお手洗いは一箇所のみだ。 12時に近い時、だんだん怒った年配の方が増えてきた。また、ようやくスタッフは順番で入場することになっているとアナウンスし始めた。しかし、入場のメドが立っていないということだ。実際に、行列がまったく動いていないので、入場できるかどうかもわからない。しかし、アルバイトのスタッフは詳しいことを知らされていないので、聞かれても答えようにもできない。 朝食を少なめに摂ったので、このままじゃ午後2時以前の入場ができないかもしれない。裕次郎が好きだけど、狂熱なファンではなく、ただ見物したいだけだったので、そのまま撤収した。 正直、今日は風もあるので涼しいのだ。もし、もっと蒸し暑いなら、年配の方が多いので、事故が起こりかねないのではないか。裕次郎のファンは年配の方が多いということで、石原プロはこれについてもっと配慮すべきだと思う。
2009.07.05
コメント(2)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080416-OYT1T00600.htm かなりショックなことだ。見に行こうと考えていたけど、主水はがんになったとは… これってしっかり養生していただきたい。回復を祈りたい。 時代劇が低迷しているからこそ、世の中に汚いことがまだあるからこそ、まだまた必殺仕事人中村主水が必要だ。もう主水とジャニーズらの絡みを見たくないけど、主水、勇次、秀、念仏の鉄が出た必殺なら、見たい。 中村主水を演じなくても、毎年の年末の「はぐれ刑事純情派」を見るのはまさに年課と言ってもよい。まだまだ主水に活躍してもらわないとだめだ。
2008.04.16
コメント(0)
80年代の頭の時、里見様は「松平右近事件帳」とその続編「新・松平右近」という時代劇を演じた。11代将軍・徳川家斉の実弟にあたる松平右近が市中で暮らしながら江戸の町にはびこる悪を倒したという時代劇だった。基本的に、長七郎江戸日記と同じパターンだ。しかし、松平右近は、本当に実在した。 元禄時代、越前で葛野藩という3万石の小さい藩ができた。藩主の松平頼方の官位は従四位下右近衛少将だということなので、松平右近という名前としてもよかろう。 しかし、面白かったのは、この松平頼方ののちの進路だ。2人の兄がなくなったので、松平頼方は紀州大納言に継いだ。そして将軍にもなった。紀州大納言になる前に、将軍綱吉の吉をもらって、徳川吉宗に改めた。つまり、松平右近のモデルは暴れん坊将軍だ。 時代劇がわからない人にとって面白くないが、わしにとって興味深いことだ。
2008.01.09
コメント(0)
38部、明日初回放送だね。アキちゃんの降板が惜しいが、鬼若の降板と二代目風車の弥七の登場で、アキちゃんの存在感が薄くなってきた上、当然なことであろう。とりあえず、ご老公の新たな旅、よろしくね。水戸光圀:里見浩太朗佐々木助三郎:原田龍二渥美格之進:合田雅吏疾風のお娟:由美かおるおけらの新助:松井天斗志保:小沢真珠風車の弥七:内藤剛志
2008.01.06
コメント(0)
今日のある専門職大学院の定期試験が終了したとともに、今回の試験監督のバイトが終了したということだ。しかし、また試験規則を遂行したため学生とのトラブルがあった。 ある学生は試験開始の直前に来て、前から配付物をもらった。試験開始したばかりの時、某は巡回し始めたが、あの学生は「座らないようにしてください」という席に座っている。試験開始したばかりなので、すぐあの野郎を注意して、移動させようとした。ところで、あの野郎は移動するつもりはない。しかし試験規則を強調しつづけた上、その人は席を移動した。 ところで、試験終了後、その人は後から追いかけて、その移動という行動は彼にとって不利益だと主張した。すぐ職員が対応したので、某は彼と接触しない。帰宅する前に、対応した職員に、自らの対処は正しかったと言って、その時の状況を説明した。職員はもちろん、某の対処は正しかったと返事した。 ところで、弁護士、会計士、税理士の卵は、規則を守れないにもかかわらず、注意されたことを自らにとって不利益と主張したというのは何だ。 この2年半間、専門職大学院の定期試験で多くの基本的な試験規則を守らない学生を注意するためトラブルに遭った経験は少なくない。学部の学生が注意されたら理屈ということがわかったため文句を言わない。だが、弁護士、会計士、税理士の卵は試験規則に反したにもかかわらず、注意されても構わないだけではなく、一々反論したりしやがるとは… このような弁護士、会計士、税理士の卵が試験に合格すれば、日本人はこのような人に、自らの権利を守ること、金をこのような弁護士、会計士、税理士に頼ることになる。これっていいのか?
2007.08.02
コメント(0)
皆さんの馴染の音楽「あゝ人生に涙あり」で、水戸黄門の明治座舞台が始まった。 全体的な流れは、光圀は実の子で、高松藩主松平頼常の謀反を確かめるため高松の旅に出たということだが、水戸藩江戸家老藤井紋太夫の出番も重要なポイントだ。最後、高松藩主松平頼常の謀反の噂を流して、光圀を高松で暗殺しようとする藤井紋太夫に切腹を命じた里見黄門の退場で終わった。藤井紋太夫は光圀に切られたのは本当の史実だということだ。 いくつかのテレビで見られない点があった。例えば、飛猿とお娟は山野辺兵庫に学問を習わされたが、兵庫の教えが全然わからないというリアクションは面白い。ところが、これは笑点だと思ったが、中盤で飛猿とお娟の会話で、さらにこのシーンの深い意味がわかった。飛猿が、自らは忍であるかどうかわからなくなったと言っていたら、お娟は、「われわれはもう忍ではなく、ご老公の子供みたいになったのではないか。だからご老公はわれわれに学問を習わせた」と返事した。これも、ご老公は、自らの部下を部下として見なすのではなく、家族みたいに接したしるしであろう。 また、「黄門様はマジレンジャーに助けられた」というシーンもあった。路金を無くしたため、黄門様一行は旅籠の主人に掃除をやらされた。そして、一行と一緒に同行した、旅の芸人の女性お幸はマジックで金を儲け、一行を助けた。ところで、お幸を演じた別府あゆみちゃんが女優としてデビューした作品は、2005年のスーパー戦隊で、「魔法戦隊マジレンジャー」だ。これって、黄門様はマジレンジャーに助けられたことになるのではないか。 観客が一番喜んでいたのはもちろん、松平頼常が悪国家老、山崎軍兵衛の悪事を暴いたゆえ、山崎軍兵衛に殺されそうになった時馴染なトリオの登場だ。由美かおるも華麗なアクションで観客を喜ばせた。言うまでもなく、格さんが印籠を見せた時、全観客は拍手した。 某にとって、一番忘れられないのは、最後シーンで光圀の服装だ。確かにそれは普通の日本の能楽の服装だが、その服装はなんと、長七郎江戸日記第一シリーズのオープニングの時、里見さまが着た服装とほぼ同じものだった。黄門様を演じているが、思い出したのは里見様の長七郎の姿だった。 ステージも華麗だった。里見様はまず和の踊りで源氏物語の一部の内容を表現した。本当に70歳と思われない。実は、里見様はこれから長七郎の二刀流の殺陣を完成したということだ。 このような素晴らしい演出、日本に来てから一番の心残りに違いない。お土産も買ってしまったが、金が足りないので、絶版した里見様のCDが買えなくなった。
2007.06.30
コメント(0)
いよいよ明日、内藤剛志が演じた二代目風車の弥七の登場だ。期待しているが、思い出しているのは、同じ人の姿だ。 改めて、ただの架空役を水戸黄門のレギュラー役にさせた中谷一郎さんのことに尊敬する。そして、1969年から2000年まで、東野黄門、西村黄門、佐野黄門を守り続けていたことに、感謝する。 今、中谷さんは相変わらず、東野黄門、西村黄門と一緒に、酒を飲みながら、里見助さん、いいえ、里見黄門を見守っているのだろうか。
2007.06.17
コメント(0)
まさかZARDの坂井泉水さんはなくなりました。「負けないで」に励まされたこともあるから、かなり悲しい。ご冥福を祈ります。そして、負けないで頑張る。
2007.05.29
コメント(0)
4月9日夜8時、水戸黄門37部初回。よろしく。見所は、「風の鬼若」の卒業と内藤剛志が演じた2代目弥七の登場だ。水戸光圀:里見浩太朗佐々木助三郎:原田龍二渥美格之進:合田雅吏疾風のお娟:由美かおる風の鬼若:照英アキ:斉藤晶おけらの新助:松井天斗風車の弥七:内藤剛志
2007.04.02
コメント(0)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070212-OHT1T00116.htm 新聞を読んだら、キャスト陣でジャニーズの若い奴ばかりだからちょっとがっかりした。だが、まさか藤田まこと、いいや、必殺シリーズで中村主水と呼ばなければならない。まさかあの中村主水(なかむら もんど)も出るとは思わなかった。 中村主水の最後の登場作となった映画『必殺! 主水死す』では、主水はいつものように南町の定回りを務めていたが、かつての仕事人仲間だった権の四郎(津川雅彦)との抗争の果てに、その生涯を閉じるということだ。藤田まことさんも「主水封印」と宣言した。だが、座長として劇場で主水を再び演じることにした。そして、今回のスペシャル「必殺仕事人2007」ので復活した。 藤田まことの二つの代表作「必殺仕事人」と「はぐれ刑事純情派」が大好きなわしにとって、嬉しいとしか言えない。しかしスペシャルより、テレビドラマシリーズのほうがよい。また、ジャニーズの若い奴ではなく、秀(三田村邦彦)、鍛冶屋の政(村上弘明)、三味線屋の勇次(中条きよし)、勇次の母であるおりく(山田五十鈴)でさえ出たらもっと必殺の雰囲気が感じられるのではないか。 とりあえず、ジャニーズの若い奴ばかりだが、必殺といえば中村主水だ。だから、主水が出るから我慢して見よう!
2007.02.12
コメント(0)
昨日試験監督のバイトの時、トラブルが起こった。一応昨日書くべきだから、昨日の日付とした。 60分の試験だったが、先生は前回の講義の時に配付したレジュメで試験時間60分+αと書いたということなので、一部の学生は試験時間は60分以上と思っていた。 しかし、試験中こういう質問をした学生もいなかったし、先生もしくは事務所の職員もこういう指示をしていなかったため、主任監督員はもちろん、補助監督員をなさる助手およびわしもこのことを知らなかった。そのため、回収した時、トラブルが起こった。 わしが書き続ける学生をやめようとしたら、その学生は、先生からのプラスという指示を主張した。某はもちろんこういう指示を受けたことがないから、書くのをやめようとしていた。しかし、その学生はわしに「日本語が分かる人を呼んでください」と言いやがった。 怒りを抑えて、主任監督員に対応してもらった。そして、わしはその人の前に、だからこういう指示を受けていないと大声で言っていた。もちろんあのヤロウは謝ろうとしない。 その結果、そのヤロウだけではなく、一部の学生も主張したため、先生はそれぞれに5分を与えることにした。 事務所に戻ってから、念のため職員にこのトラブルを報告した。一緒に勤務した助手の方も職員に説明した。職員は理解してから、わしに謝って、もしあのヤロウが事務所に文句を言いに来たら彼は対応すると言っていた。 はじめて日本人に差別されたのではないため、平気だ。しかし、慣れたというより、あの学生が哀れだと思っている。最初から自分の権利と思っていたら質問すべきだと言えよう。だが、先生がずっと教室にいらっしゃったのに、試験中で時間プラスと先生に質問する学生はまったくいなかった。そして自分のせいで起こした問題なのに、留学生TAの日本語のせいにしようとしたとは呆れたことだ。こういう人が卒業し、社会人になれば、責任を取って仕事できるのか。
2007.01.18
コメント(0)
水戸黄門“風車の弥七”が内藤剛志で復活 風の鬼若を演じている照英の卒業が決めたから、代役の忍者役があると考えられるが、まさか内藤剛志が風車の弥七を演じることになったとは思わなかった。 言うまでもなく、第一部から東野黄門、西村黄門、佐野黄門を影で守っていた忍者の中で、最も人気があるのは、故・中谷一郎が演じた「風車の弥七」だ。黄門一行がピンチになると風車形の手裏剣を悪人に投げつけて、黄門様を救うというシーンは定番となった。それ以来、黄門様を守る影の忍者はこのような形で最後の殺陣に登場することも多い。 怪我で欠番したことがあるし、佐野黄門時代から癌の手術で長期欠番して、後ほとんど出番がなくなったこともある。が、風車の弥七は中谷一郎に等しいという強いイメージができたと言われる。昔、街で子供に「弥七だ」と声をかけられたことを「徹子の部屋」で話していたが、そのときに声をかけた子供が、実は石橋貴明だったというエピソードがあるそうだ。 病気でキャストでありながら28部に出ていない。リニューアルした29部から風車の弥七が消えたということだが、1000回スペシャルにも過去の映像で登場した。そして1001回の放送する前に、中谷一郎さんは帰らぬ人となった。 かなり複雑な気持ちだと思う。やはり東野黄門から見ているわしにとって、弥七=中谷一郎というイメージが強い。内藤剛志の演技もうまいし、わしにとって好きな俳優の一人でもあるが、やはり彼は中谷さんが作ったイメージを超えるかどうか疑っている。弥七を見たことがない人にとって、内藤剛志が演じる弥七はただの新しい役に過ぎないかもしれぬ。が、第一部から見続ける人にとって、弥七の代役がなしということが変わらないと言えよう。 とにかく、複雑な気持ちで見よう。--追記ミクシィでも多くの人はこの件について反対しているらしい。内藤剛志の演技を否定することではないが、故・中谷一郎さんが作ったイメージが強すぎるというより、中谷一郎は弥七に等しいというイメージがファンに覚えられたと言えよう。
2007.01.15
コメント(0)
学校でほぼ1年半ぐらいアルバイトしている。出勤の調査で学生と喧嘩したもしくはほかの理由で学生にからかわれた経験がある。もちろんこのようなのはわし1人だけで経験することではない。だが、今日はじめて変な理由で学生とケンカした。 金曜2限の授業は講座の形で、毎回違う分野の先生が講義を行うことになっている。今日は講義の最終日ということなので、担当の代表の先生をはじめ、5人の先生はいらっしゃって、自分の授業の総括して、学生の質問を受けることになった。そのため、講義の時間も長引いてしまって、いつもより30分ほどまで延長した。 しかしその時間は昼休みだった。昼飯の時いつも多くの学生がその教室で食事するため、授業がまだ行われているのに勝手に入って食事しようとする学生は少なくなかった。ほとんどの学生は同僚とわしの説明を聞いて、納得いってすぐ出た。が、一人の学生がわしに注意されたら、「授業が行われていても、授業時間に過ぎたから教室で食事するのは私の勝手」のような態度で、「もう特に授業時間に過ぎた」と言いながら教室に入ろうとした。 もちろんわしは彼を教室を追い出さなければならぬ。しかし、その人はまったく納得しない顔をしていた。まさかこのような学生がいたとは想像していなかった。 さらに、その人以外、大声で教室の外に話して、自分がこの教室で食事できない不満を示す学生もいた。今の大学生は大学生らしくないように感じられる。まぁ、出席の問題でスタッフおよびTAとケンカしたり、変なことでTAをからかう院生も結構少なくないから、大学生がこのようなことをするのが当然だと考えられる。歪みは一日で生まれたものではない。ただ日本の教育および若者のいい心を育てるのについての問題の深刻が感じられる。 やはり子供が小さい頃から水戸黄門を見させるのはそれを見直す唯一の方法だと考えられる!
2007.01.12
コメント(0)
学部のTAはいつもMBAのより楽だが、今日の3限はいつもと違った。 元々木曜3限のTAは主任TAを含めて9人いるはずだった。が、1人は春学期卒業したのに入られた。それに、その人の相棒も都合で秋学期から3限の勤務をやめた。また、わしのゼミの先輩は11月からうちの研究科のパートをすることになったため学部のTAを全部やめざるを得ない。先輩がやめたから、わしは先輩の代わりにほかの授業の勤務に入った。そして、1人はいつもオフィスにいないため、オフィスでいつも5人しかいなくなった。 さらに、1つの授業は11月から急に出席を取ることになった。追加募集が難しいかもしれないため、主任TAとわしは出席を回すことになった。また主任TAは本来その授業のPCセットを回した。また、本来わしが担当していた授業のPCセットが必要がなくなったため、ほかの勤務に回してもよくなった。だから、人が足りないわけではない。 しかし、今日の状況はさらに厳しくなった。 いつもオフィスにいない人は今日都合で休み。だから彼のかわりにPCセットをする人が必要となった。それから、今日の3限で1つの教場試験を行うが、2人の監督員が必要なのに1人しか応募しない。そのため、主任TAは教務の人に頼まれて試験監督を回した。つまり、多くの人数のクラスに担当した2人以外、残したわしともう1人は3つの授業の出席と2つの授業のPCセットをしなければならない。 結局TA管理の職員も一緒に勤務せざるを得なくなった。彼は8号館の新しい教室のPCセットをした。本来彼がわしを行かせようとしたが、わしはその新しい教室のPCセットをしたことがないから、15号館へ行かされた。つまり学校で、新しい教室の設備はいつもの教室のPC設備と違うことがある。セットしたことがないと、わからない場合がある。 それから、わしは1人で8号館の講座の授業の出席を取ることになったが、TA管理の職員は手伝いに来た。 また、わしはもう1人のTAと一緒に本来いつも3人一緒に出席を取る授業の出席を取った。 はじめてハードな学部のTAに体験したが、多くの人がかばってくれるから、別に苦しいとは言えない。やはり学部のほうがMBAより楽だ。つまり精神的に学生に迫られることがないから、比較的に楽だということだ。
2007.01.11
コメント(0)
中華圏で、29歳は厄年という話があるそうだ。今年確かにわしにとって波瀾万丈の一年だ。多くのいい経験と悪い経験にあったのだ。 まず松平長七郎と同じようなことにあったとは最も大変なことだ。そのせいで、生活と勉強の両立を求めるため、いろいろな苦労した。また、職場にしろ、日常生活にしろ、差別と嫌がらせとかされてしまった。外国人にとって、特に中華圏の人にとって、差別されるとか、嫌がらせとか、普通だ。だから、わしが日本に来てから何回差別とか、嫌がらせとかされたことがあるが、今年のほうが最も勉強になったのだ。もちろん、わしの不覚、勉強不足および人を見る目がないところがあるが、向こうにからかわれたのも原因だと先輩とか、友達とかに言われたから、かえって向こうのほうがかわいそうだと思う。いつか天罰が彼らに下ろすのではないか。そして、研究生活の最も長いスラップから脱出して、研究を進めさせるのが最も大事なことだ。しかし、まだいろいろな課題が残っているから、さらに努力しなければならぬ。 来年の目標は三つある。まず、4月に提出できる研究計画書を仕上げしなければならぬ。しかし、年明けから2月中旬まで試験監督員のアルバイトがたくさん頼まれたから、勉強とバイトもしなければならなくなった。とにかく苦戦だが、今まで通りやるしかない。次に、三年の後期で中間発表をしようと思う。そのため、論文を理論の話から実証研究の段階へ行かせなければならぬ。それとともに、学会の研究会で1回発表したいと思う。 とにかく、「人生涙と笑顔あり。そんなに悪くはないもんだ。なんにもしないで生きるより、何かを求めて生きようよ」!今年お疲れ。そして、来年、「歩いてゆくんだしっかりと、自分の道をふみしめて」!<追記>2006年、助けていただいた人たちに、この歌で感謝の気持ちを伝えたいと思う。ありがとう SMAP 歌詞情報 - goo 音楽
2006.12.31
コメント(0)
今日は里見様の誕生日です。古希ですね。おめでとうございます。
2006.11.28
コメント(0)
ちょっと本文に入る前に、歴史の話をしたいと思う。 徳川家康の本来の名字は松平だった。征夷大将軍になってから、家康は、将軍家と御三家の直系以外の親族が松平を使うことをした。だが、将軍の息子たちも徳川を使うことになっていたが、子たちの名字は状況によって変わるということだった。家康には11人の子がいたが、世継を秀忠にする前に、松平一族で家康しか「徳川」を使わなかった。しかも義直、頼宣、頼房が元服する前に、徳川を使うことができるのは家康と秀忠のみだった。頼房にも多くの子がいたが、徳川が使えるのは世継の光圀のみだった。だが、徳川と使えなくても、将軍の席に座ることができないとは限らない。六代家宣がなくなった時、のち七代となった家継がまだ子供だったから、新井白石、間部詮房はほかの世継を探していた。一人の有力者は家宣の弟であり、館林藩主の松平清武だった。だが、血縁からみればよいが、松平清武はすでに50代だし、子もいないということだから、同じように世継の問題によって政争が起こるかもしれない。だからかえって家継を将軍にするとか、尾張もしくは紀州を将軍に継がせるとかのほうがよいと言われて、松平清武は将軍になれなくなった。のち八代将軍の時も同じ理由によってなれなかった。もし松平清武が20代だったら、将軍になれるかもしれない。(家臣に育てられたのも理由だが、光圀にしろ、吉宗にしろ、最初から家臣に育てられたのにそれぞれ世継となった。吉宗さえ生母は百姓と言われたのに紀州大納言だけではなく、将軍となった。から、その理由は主な原因ではないと考えられる) そしてもう一つの例外の話は村上元三が書いた時代小説となった。もし、子なしの家綱、綱重、綱吉、さらに綱豊が全部なくなったら、御三家以外誰が将軍に継ぐ資格があるのか。つまり、忠長に子がいれば、御三家より将軍家の直系、つまり二代将軍秀忠にさらに近いから、御三家よりさらに将軍に継ぐ資格がある。その忠長の子を主役とする小説はのち時代劇とされた。それは里見浩太朗の十八番と言われる「長七郎江戸日記」だ。 父がなくなった頃、元々死ななければならない長七郎は母の織田家に引き取られた。そして紀州大納言頼宣に庇ってもらってから諸国漫遊した。島原の乱が起こった時、兄弟みたいな松平伊豆守信綱(長三郎)の軍に参加した。その時妊娠した女子を大阪の鷹司家に預けてもらった。その子は鷹司松平家の祖・松平信平と言われたが、誤伝だと証明された。実際に、長七郎という人物が存在していたかどうか確認できないそうだ。 とにかく、時代劇にしろ、テレビにしろ、長七郎はこの参軍によって、かつての生活ができなくなった。本来剣術を柳生宗冬から学んで、免許皆伝を得たが、この参軍で剣聖宮本武蔵と出会って、二刀流を覚えた(島原の乱は宮本武蔵の最後の合戦だったということだ)。その後松平長七郎(里見浩太朗)は家光の名取立ての話を断って、両国の読売やの居候として世に姿を隠した。だが、いつ豊臣、島原、忠長の残党に揚げられて反乱を起こすかわからないし、家綱三兄弟にとって将軍職を争うライバルに違いないと思われたので、長七郎は完全に姿を隠すことができなくなった。つまり、行き先は町奉行だけではなく、剣の師匠でもあり、いつ自分の命を狙うことになるかわからない敵でもある柳生宗冬(丹波哲郎)にも知らされなければならない。 人間関係で、常に三宅宅兵衛(下川辰平)、田村右平次(加藤淳平)2人の家来が付いていたが、最も親しいのは柳生から送り込んで、いつ自分の命を狙うかどうかわからない隠密の六さんごと沢木兵庫(三田明)だった。六さんという役が原作にはないということだ。また、田村右平次は第一シリーズの三分の一のところで殺された。六さんも第二シリーズの中盤で殺された。原作でおれん(野川由美子)という元女賊がいたが、テレビ第一、第二シリーズで読売や「夢楽堂」の女主人とされた。第三シリーズから降板された。長七郎、宅兵衛、辰三郎も口入れ屋「浪花屋」へ移った。結局、日テレの三シリーズの最後まで長七郎に付いたのは三宅宅兵衛と辰三郎のみだ。(もともと長七郎のテレビシリーズの最初の番組である「長七郎天下ご免!」はテレ朝によって放送されたが、里見浩太朗が日本テレビに移籍した事によって、1983年10月に新たに番組として「長七郎江戸日記」はスタートした。「長七郎天下ご免!」のストーリーと人物設定は原作とまったく違った。例えば、原作であまり出番が多くない松平伊豆守はレギュラーとなった。また原作ではない一心太助と大久保彦左衛門も出た) ふだん長七郎は速水長三郎を名乗った。二刀流ではなく、大般若長光という刀だけ使った。だが、六さん、辰五郎(火野正平)の調べによって悪事を明らかにすれば、葵の紋がついた着物を着て、悪人の屋敷に殴りこんだ。まるで水戸黄門のように身分を明かすが、印籠より威力がなさそうで、いつも暴れん坊将軍のような展開となった。この殺陣のみ二刀流を披露した。そして、きめゼリフは「俺の名前は引導代りだ!迷わず地獄へ落ちるがよい!!」とだった。(長七郎はただ葵の紋を使う権力のみ持つが、無官の人だから、悪人にとって、長七郎のことをかまわなくてもよい) もう1回里見様の長七郎を見たいが、里見様は「もう長七郎をやらない」と明言したそうだ。残念だ。
2006.11.26
コメント(0)
調べたら、なんと「慢性疲労」の症状に全部合った。びっくり!
2006.11.16
コメント(0)
最近いじめの話題が盛り上がってきたらしい。話の内容から見れば、日本人の精神力が弱いね。要するに、日本人が思う「いじめ」、「嫌がらせ」というのは、ほとんど台湾からの人にとって普通のことだ。 わしも似てる状況に経験した。軍隊で、先輩たちにいじめられただけではなく、先輩たちに人をいじめさせられたこともある。しかも、人をいじめないと、自分が責められることになった。さらに、一日二時間しか寝られなかったし、クビのケガも休めないため悪化し続けただけではなく、精神的と体力的なプレッシャー、恐怖感が迫ってきて、毎日何が起こるかわからない。だから、まるで生き地獄みたいだった。だが、学生のように学校に訴えることができない。もし軍の上層部へ訴えたら、下のレベルの幹部もそれに加えるかもしれぬ。要するに、下層部の幹部は元々そういうことを容赦するもしくは容赦されるからだ。兵役の年限が短くなったとともに、今やそういう状況もしくはチャンスが少なくなった。 たぶんそういう経験があるため、いじめにあった人に対し、同情するが、もっと強くなれと言ってくれたい。しかし、人をいじめもしくは嫌がらせする人なら、ただひとごとと言いたい。それは「迷わずに地獄へ落ちればよい」っていうことだ。そして「人の命をもて遊んだ貴様らに、もはや見る夢はないだ」!
2006.11.16
コメント(0)
無事だったらとにかく、電話とか、メールとかで連絡して!
2006.11.15
コメント(1)
里見様の公式ホームページで「『水戸黄門』明治座にて舞台化決定!2007年6月29日(金)→7月24日(火)」の速報は掲載された。 日本に来てはじめての劇場の日は遠くないらしいね。
2006.11.13
コメント(0)
「内容が行けるけど、テーマはかなり普通だ」と副査の先生に言われた。 三人目の先生、しかも外交政策理論の専門家からいい評価を得たので、心強くなってきた。確かにテーマは地味だが、中身は一番大事なのではないか。これから、もっと自分を成長させていきたい。 人としても同じやり方で生きていたい。外見とか別にいいんじゃないか。中身が一番大切だと思う。浪人風の外見と言われても、変えるつもりはない。自由闊達に世を生きていきたい。
2006.11.10
コメント(0)
明日バイトがあるし、授業もあるし、副査の先生にお目にかかることにもなったのに、飲みたくなった。たぶん精神的なダメージが強すぎるかもしれぬね。明日太陽はまた昇ってくると知っているし、失ってもほかのやるべきなことがあるとも知っているが、今夜やはり飲もう。もちろん飲みながらやるべきなことをするけど。TOMORROW詞: 岡本真夜・真名杏樹; 曲・歌: 岡本真夜涙の数だけ強くなれるよアスファルトに咲く花のように見るものすべてにおびえないで明日は来るよ 君のために突然会いたいなんて夜更けに何があったのあわててジョークにしてもその笑顔が悲しいビルの上には ほら月明かり抱きしめてる 思い出とかプライドとか 捨てたらまたいいことあるから涙の数だけ強くなれるよアスファルトに咲く花のように見るものすべてにおびえないで明日は来るよ 君のために季節を忘れるくらいいろんなことがあるけど二人でただ歩いてるこの感じがいとしい頼りにしてる だけど時には夢の荷物 放り投げて泣いてもいいよ つきあうからカッコつけないで涙の数だけ強くなろうよ風に揺れてる花のように自分をそのまま信じていてね明日は来るよ どんな時も涙の数だけ強くなれるよアスファルトに咲く花のように見るものすべてにおびえないで明日は来るよ 君のために涙の数だけ強くなろうよ風に揺れてる花のように自分をそのまま信じていてね明日は来るよ どんな時も明日は来るよ 君のために
2006.11.09
コメント(0)
資料を調べるため三田にある「台湾資料センター」へ参った。台湾研究の研究者としてかなり重要な図書館だと言われる。だが、日本植民地時代の研究者としてかなり重要かもしれぬが、民主化以後から2000年政権交代までの新聞紙バックナンバーがまったくないので、かなりショックだ。また、重要な論文誌がかなり保存されたが、整理していないので調べにくい。少しだけの資料を調べたら、資料センターの人に新聞紙が保存してある交流協会の図書館を教えてもらったので、そっちへ参ろうと思う。 もし、ただのウォーキングだったら、学校から三田にもウォーキングするに決まっている。しかし、今回が研究だから、電車で三田へ参った。本来も電車で交流協会へ行くと思ったが、地図を見れば、歩いて25分ぐらいかかる六本木にあることがわかったから、歩いていくことにした。しかも勉強だから普通のウォーキングのベースよりさらに早いスピードで行った。 本来、4時まで台湾資料センターで資料を調べてから代々木上原へウォーキングするつもりだったが、交流協会で4時半まで資料を調べたので、資料整理と研究の時間のため青山の駅まで行くしかない。しかしあわせて1時間も歩いたので、かなり運動ができたのではないか。カッカッカッカッ!
2006.11.08
コメント(0)
水曜日は出勤日ではないが、学部の教場試験の監督員のバイトを引き受けたため出勤した。240人ぐらいの受験生がいるがわしを含めて3人のTAと2人の事務所の人がいるから、大丈夫だと思った。だが、思わない事件があった。 学科別と学年別で解答用紙の数を合わなければならないので、試験終了以後、皆は解答用紙の数を確かめていた。しかし、ある学生の解答用紙がずっと見つけられなかった。学科別と学年別で、その学科と学年の学生はその人一人しかいないが、受験生の全部の数に合ったがその学生の解答用紙がどうしても見つけられなかった。試験終了30分に経ったのに、私たちがなかなか戻ってこないので、事務所の試験担当の人も試験場へ来た。 その教室がすぐ授業があるので、事務所へ戻って確かめることになった。最後やっと見つけた。その学生は「自分の学籍番号を間違えた」ということだ。もちろんその人のお陰様で、1時間半の勤務時間が2時間となったので、給料も増やしてもらった。しかし、本当にあきれた。
2006.11.08
コメント(0)
習慣のように上野樹里を殴るなんてひどい。面白いドラマだが、このようなシーンっていうのがいいのか?女を殴るやつは最低だ。女を泣かせるうやつも最低だ。助さん、格さん、懲らしめてやりなさい! ところで、関係ない話だが、「懲らしめてやりなさい」っていうセリフができたのは西村黄門だった。東野黄門は「遠慮はいらんぞ」とか、「やっちまえ」とか、「助さん、格さん」とかよく言っていたが、毎回必ず何をいうとは限らない。西村黄門から、「懲らしめてやりなさい」というセリフは定番となった。また、佐野黄門もこのセリフを継いだ。しかし威勢からみれば、やはり西村黄門のほうがそのセリフを言ったほうがよいね。
2006.10.30
コメント(0)
格さん:「静まれ、静まれ、この印籠が目に入らぬか。ここにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の天下の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」助さん:「(一同!)ご老公の御前である!頭が高い!!控え居ろうっ!!!!」(里見助さんは「一同」と言った) これは今皆さんご存知の水戸黄門の印籠シーンのセリフだ。しかし里見助さん時代で、助さんもしくは格さんは「ここにおわすお方...」というセリフを言ったことがある。本当に今のセリフの言う順番が定着したのは三代目助さんあおい輝彦と三代目格さん伊吹吾朗のコンピができた以後のことだ。 つまり、セリフの本来の形は:印籠を出した助さんもしくは格さん:「静まれ、静まれ、この印籠が目に入らぬか。」助さんもしくは格さん:「ここにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の天下の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」もし助さんが「ここにおわすお方...」と言ったら、格さんは:「ご老公の御前である...」 順番は毎回によって変わったらしい。だから里見助さん時代で、助さんと格さんのセリフの言う順番は定着していなかったと言えよう。あおい助さんが就任した18部でも、この流れでセリフを言ったことが多かった。たぶんほぼ19部から、順番は今のようになったのではないかと思う。 また、伊吹格さん就任以前、里見助さんは印籠を出すのが少なくなかった。しかし、あおい助さん就任以後、助さんは印籠を出すことがかなり珍しくなった。記憶の中で見たことがない。
2006.10.29
コメント(0)
昨日郵便局からの手紙をもらった。読んだら、年末年始のアルバイトの募集のことだ。たぶん応募した人が少ないから、去年やったことがあって、今年応募しないわしにやってもらおうと考えられる。 しかし、4月以来3日以上の連休がないわしは本当に休みたい。その上、その時給は本当にひどい。去年750円があったのに今年はただ730円だ。実際に郵便局のスタッフはかなりまじめにやっているように見えた。しかし、部長とか、局長とか、ただ暇そうにグルグル回っていただけだ。 これに対し、江戸川の向こうの葛飾郵便局の年末年始のバイトの時給は800円だ。交通費も含めば、850もしくは900円となるかもしれぬ。もし再来年またやりたければ、松戸郵便局ではなく、都内の郵便局でやろうかな。 本当にひどい。だから応募する人が少ないのではないか。やはり「郵政民営化」をやり遂げる。
2006.10.26
コメント(0)
必修履修せず197人卒業ピンチ 富山・高岡南高岩手の4高校も必修履修させず 県教委には虚偽報告 このニュースを見た時、高校時代の記憶は甦った。 わしが在籍していた私立高校は台北市でかなり有名な進学校だ。普通の中間、期末試験の問題は大学の連合入試の問題よりさらに難しい。だが、問題が生じた。例えば英語科の先生たちは、問題の困難さについて競争したということだ。その時全学年の平均点数は30点台ぐらいは普通だった。英語に得意ではないわしはそのせいで英語への興味を失って、勉強をやめた。先生のせいにしたくないし、自分も英語の重要さがわかっているが、いくら勉強しても合格できないというのは、二十歳に満たない人にとってかなり大変な挫折だと今でも思っている。 もちろん、このニュースと同じなのは学校のカリキュラムだった。台湾の教育部に規定では、高校三年生まで、理科系は歴史、地理の勉強をしなければならない。文科系も物理、化学の勉強をしなければんらない。しかしうちの学校はそれを無視し、自己流のカリキュラムを編成した。成績書でその科目を履修した成績がちゃんと載せられたが、わしはただ一年生の前期で履修したことがある。 進学からみれば、うちの学校のやり方は正しいと思う。つまり、公立高校で確かにその授業をやっていたが、試験のため取り消したことも少なくなかった。また、授業を行う教師もまったく学生がちゃんとその知識を覚えたか気にしていなかったそうだ。だから、受けても知識とかまったく覚えていなかろう。 だが、今回日本の場合からみれば、教委の学生の受験前の補習という決定があまりだ。学生はその科目を履修すべきかどうかというのは別の問題だと思う。本当の問題は、学生は大人の間違いの決定によって傷つかれたと言えよう。要するに、学生はそのようなことを決めるわけがないのではないか。つまり、大人の命令に従うだけだ。しかし、教委がただ口を出すことしかしないくせに、学生はその決定によって負担を増大させられた。ほかの方法もあるはずだ。 一つの決定は後の出来事に大きい影響を与えるのが可能だ。だから、決定する前に、ちゃんと考えなければならないね。
2006.10.25
コメント(0)
まず、来年の3月以前学会の定例研究会で発表できるものを書くつもりだ。そうすれば、これからまとめるつもりの博論の理論の所をさらにうまくまとめることができる。 また、来年4月に研究計画書を提出し、中間発表をやるつもりだ。そうすれば、早めに就職のことも考え始めることができる。 また多くのことをしなければならないかもしれないが、とにかくしばらくそうする。
2006.10.25
コメント(0)
人の迷惑をかけないように、これから勉強生活の一部の日記をミクシィへ移動するつもりだ。時々ストレスを解消する内容を書いたが、自分の日本語がうまくないため、ほかの人に内容を誤解される可能性が高い。実は本当に誤解される内容を言うつもりではないのに誤解されたことがある。わしの身分を知っている知人なら簡単にミクシィでわしを見つけられるのだろうか。声を掛ければ、マイミクシィへ入れてあげる。
2006.10.25
コメント(0)
勉強の時間を確保するため、いつもバイトと授業をある時間帯に集中しようとしている。過密なスケジュールのように見えるが、時間管理からみれば、確かに効率的に時間を運用できるようになった。しかし秋学期からわずか三週間、すでに過密なスケジュールによって困る問題が起こってしまった。 まず、食事生活のバランスの大混乱だ。特に月曜日と火曜日のほうが大変だ。 本来、月曜日に朝バイト、午後聴講という形ですでに一年間やってきた。バイトの勤務が終わったらすでに12時半ぐらいなので、ちゃんとした食事するのが無理だから、いつも簡単に食べてから授業に出る。そして授業が終わってからの帰り道で食事するという形でやっていた。しかし、今学期から4限目にも授業を聴講することにしたから、昼ちゃんと食べないと4限まで耐えられない。だが、現実的に、勤務が終わってからちゃんと食事をしたのが無理だから、4限終わってから食事せざるを得なくなったせいで、昼飯と晩飯を一緒に食うことになった。もちろんこれは不健康な食事生活だ。 さらに、火曜日の5限、6限も隔週のバイトを引き受けた。本来火曜日の午後にゼミがあるため、全部の時間帯を空いておいた。しかし急に会計研に5、6限のTAを頼まれた。遅番ができる人がいないので、事務所はいつも早番をやっているわしに頼まざるを得ないという状況だから、人がいいわしも理解して引き受けた(自分が自分のことを人がいいっていうのはずうずうしいね)。しかし、勤務が終わったらすでに夜7時以後だから、昼ちゃんと食べても、7時間以上にわたって食事できない状況になった。学校エリアで食事してもよいが、疲れたので早めに帰りたい。また、そうすれば高いカロリーの食事しかできない。そして、もっと遅く帰ると、常磐線の電車がさらに混んでいるので、乗れない状況が多いと思って、帰ってから食事することにした。しかし、その時間帯で、サラダと惣菜はすでに売り切れだ。半額のポテトサラダが買えるのは運がよい時だけだ。さらに昨日強風で電車が遅れたので、晩飯を食い始めた時はすでに九時半だった。 次に、過密だから、突発な状況への対応をしにくくなった。 そろそろ研究活動をさらに展開しなければんらないので、指導教官と自分の研究科の副査の先生だけではなく、ほかの学校の副査およびほかの研究科、学校の先生からの指導を受けなければならぬ。問題は、わしは先生たちにわしのスケジュールを合わせるわけがないということだ。 はじめて気づいたのは今回の学会誌への投稿の前だ。知り合いの非常勤の先生に読んでいただいたが、彼の時間によって、学校にいた時に指導を受けることができないから、先生の職場へ行くと言われた。だが、先生のご都合がよい時にわしはまったく学校から抜け出せなかった。よかったのは、先生とわしの住まいが近いから簡単に会えるということだ。とにかく無事に指導を受けたが、先生とわしはご近所という都合がよいことはもう二度とないのではないか。 さらに、わしの一人副査の先生は明治大の教授だ。彼はうちの研究科でも非常勤を担うが、2限の授業を行うため、ゆっくりわしと論文について話するのが無理だ。だから、わしが彼のオフィス アワーで明治大へ行って話すれば一番よいと言えよう。しかし、今の時間割からみれば、半日とはいえ、2時間さえ空けない日が多い。まだ正式的に連絡していないが、もう頭が痛くなった。 また、学会のシンポジウムとか、大会とか、ほとんど土曜日に行われることが多い。しかし、土曜日さえ出勤しなければならないので、行こうにも行けないもしくはぎりぎり到着したことが多い。 いくら調整できると言っても、早番のわしは臨時にTAの調整ができない。また、引き受けたのはほとんどできる人がいない時間帯だから、調整したいと言っても、向こうの状況を知っていたわしは調整について言いにくくなった。また、実際に調整しにくい。そして、登録しないので聴講している授業を欠席してもよいと言っても、聴講したいのでやはりできる限り欠席したくない。もちろん物事の重要さがわかるけど。 それから、自分の調子を調整できる時間がない。 先学期からすでに土曜出勤だから完全に慣れた。しかし、今学期のバイトの授業の量が増えたのに、休日は同じだが、空いている時間帯が少なくなった。水曜日の授業に出なくてもよいと授業の先生に言われたが、聞きたいテーマがあれば出るつもりだ。また、指導教官のオフィス アワーも水曜日だから、空いていると言っても、学校へ行かなければならぬ時もあるのではないか。 さらに、あまり勉強しすぎることが好きではないので、ウォーキングとか、食べ歩きとか、歴史の見物とか、いろいろなことをやっていた。しかし、このようなスケジュールからみれば、日曜日にただ掃除と洗濯で半日がかかったので、出かけるわけがない。それに疲れたので、半日だけでやはり昼寝が一番よかろう。実際に鎌倉または水戸へ見物するつもりなので、企画もちゃんとできたが、実行の時間がなければ、ただの企画だけだ。つまり、気分転換の時間ができないだけではなく、ゆっくり休みを取ることもできない。 なぜバイトしなければならないかと言われたら、生き延びるためとしか答えられない。しかし学生の本業はやはり勉強ということだから、この状況になったのはわしの自業自得としか言えないね。
2006.10.25
コメント(0)
わしにとって、裕次郎の北の旅人だ。カラオケへ行ったら必ずこの歌を歌う。 「北の旅人」は石原裕次郎の最後の作品と言えるのだ。昭和62年7月17日に裕次郎はなくなった。そして、8月に1963年の「夕陽の丘」以来、24年ぶりのシングルである「北の旅人」は発売された。 北の旅人 唄:石原裕次郎 作詞:山口洋子 作曲:弦 哲也 たどりついたら 岬のはずれ 赤い灯が点く ぽつりとひとつ いまでもあなたを 待ってるといとしいおまえの 呼ぶ声が 俺の背中で 潮風になる 夜の釧路は 雨になるだろう ふるい酒場で 噂をきいた 窓のむこうは 木枯まじり 半年まえまで 居たという 泣きぐせ酒ぐせ 泪ぐせ どこへ去ったか 細い影 夜の函館 霧がつらすぎる 空でちぎれる あの汽笛さえ 泣いて別れる さい果て港 いちどはこの手に 抱きしめて 泣かせてやりたい 思いきり 消えぬ面影 たずねびと 夜の小樽は 雪が肩に舞う
2006.10.22
コメント(0)
それは「たったひとつの恋」のことだ。 2話を見たが、やはりいつものパターンだ。つまり、貧乏で、クールで、格好よい男(亀梨和也)と綺麗なお金持ちのお嬢様(綾瀬はるか)の話だ。もちろん現実で起こるはずがない話なのではないか。別にわしは貧乏で、クールでもないし、性格も暗いので、それが羨ましいのではない。もし現実でそういうチャンスをわしに与えれば、わしも勇気を出して、できる限り運命の人を幸せにしたい。 だが、あの内容はあまり芝居にすぎる。普通にそういう状況があったら、女性のほうの親は絶対賛成しないと考えられる。さらに、女性のほうは男に騙されたのに、男のことが好きになったとは本当にありえない。また、お金持ちの女子は貧乏な男のことが好きになるのもありえないことではないが、ありえることでもないと思う。しかし、わしだけではなく、普通にこのような男が好きな女性を騙すことが許せるはずがない。だから、もしかしてキムタクもしくはタキ、亀梨にはそういう特権があるかもしれぬ。 普通の人が貧乏そうな人を見たら、最初の感じは多分「なんだ」とか、「フン」とか、と思う。芝居だが、水戸黄門で、悪代官もしくはお金持ちの人が貧乏そうな越後の縮緬問屋の隠居を見たら、最初の反応はもちろん「田舎ジジの分際」だ。それは芝居とはいえ、人に近いのだと思う。 このドラマの主役はジャニーズの亀梨だから、ドラマの最後が必ず二人が幸せになるだろうか。つまりこれもジャニーズの人が出演したドラマの定番結末だ。結末がほぼ間違いないので、来週からこの時間も水戸黄門を見よう。どうぜ作り話なら、悪を懲らしめる話を見たほうがよいのではないか。
2006.10.22
コメント(0)
テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の父親役などで知られた俳優の藤岡琢也は今日(20日)の午後なくなった。 最初から藤岡琢也を知ったのはもちろん「渡る世間は鬼ばかり」を見たのだ。また、時々水戸黄門にもゲスト出演した。 ご冥福を祈ります。
2006.10.20
コメント(0)
先々週知り合いの先生の授業を聴講した時、隣の席に座っていたお姉ちゃんをどこかで見たことがあるような気がした。そして、この2週間たまには研究科にあるビルで見たこともある。しかし見たことがあるのに思い出せなかった。 今日政経学部のTAの勤務中で、あるTAはある映像を見ていた。彼によると、その映像の主人公は、うちの研究科で在籍しているという。その時、わしは思い出した。あの見覚えのあるお姉ちゃんはNHKニュース7のお天気お姉ちゃんの半井小絵だ。もちろんその同僚が見た映像は半井小絵の予報の映像だ。 けっこう恥ずかしいが、帰宅の時間のため、ニュース7を見ることが多い。だから半井小絵の予報もよく見る。しかし、わしの隣の席に座っているのに思い出せない。やはり年のせいなのではないか。 チャンスがあれば、一緒に写真を撮りたいね。カッカッカッカッ!
2006.10.19
コメント(0)
今週の水曜日から、テレビ東京昼の時代劇再放送枠で、あの「八百八町夢日記」は復活だということだ。 「天保年間-1830年代、世にはびこる悪に向かって二人の男が挑戦状を叩きつけた。時の北町奉行、榊原主計頭忠行と榊原の手で処刑されたはずのねずみ小僧次郎吉である」。北町奉行榊原忠之を演じたのは里見浩太朗だ。 去年の5月の毎週月曜日に昼は長七郎江戸日記(里見浩太朗の十八番の作品と言われる)、午後は水戸黄門17部(即ち、里見浩太郎が助さんとしての最後の作品)、夜は水戸黄門34部(五代目黄門様出演中)だったので、わしに「里見の日」と呼ばれた。今年、一月から三月までも八百八町夢日記の第一シリーズと第二シリーズの最初のところを再放送したが、一月から三月まで里見浩太朗の助さんの水戸黄門の再放送をやっていなかった。四月からまた長七郎江戸日記の再放送をやっていたが、夜の水戸黄門の放送がなかったので、里見の日になれなかった。 水戸黄門の再放送のサイクルからみれば、次の再放送は東野黄門の可能性が高い。そうだったら、里見の日になれる。この冬の楽しみも増えたね。カッカッカッカッ!
2006.10.16
コメント(0)
先週水曜日指導教官とお目にかかった時、急に、「いつ書くつもり」と聞かれた。そして、金曜日に出したばかりのものについても評価された。 自分はあまり自信がないが、そこまで評価されたり認められたたりすることにかなりびっくりした。もちろん嬉しいが、自分には甘いところがあるとわかっている。期待されたのがいいことだが、それによるプレッシャーもかなり大きいのではないか。しかし、プレッシャーをエネルギーに変えさせて、前へ歩いていかなければならない。だから、もっと自分を磨きたい。
2006.10.16
コメント(0)
せっかく締め切りに間に合ったのに、一日しか休まずにすぐ日曜出勤だ。本当は行きたくない。だが、締め切りが2週間遅れたことも予想しなかった。また引き受けたので、約束を破りたくない。そして、この国家試験の監督員のバイトの給料は結構よい。普通の国家試験の時給は800円ぐらいだが、この情報処理技術者試験の補助監督員の給料は一日11000円だ。 さらに、この試験で、留学生は主任監督員を努めることができないことになっている。会計研究科の演習もしくは期末試験の時よく主任監督員を勤めた。時間管理とか、いろいろな状況についての対応とか、けっこう疲れた。だから補助監督員を努めるのはわしにとって楽だ。 国家試験だから、仕方なくて、スーツを着て出勤した。前回スーツを着て出かけたのも、同じ試験の監督員の勤めのためだったような気がする。あまりスーツを着たくないが、マニュアルでスーツ着用が書いてあるため、着用したしかない。しかし、その試験の試験センターの事務局のスタッフたちはほとんどスーツを着ない。着た人がいても、ほとんどネクタイをしない。 楽とはいえ、多分疲れたのせいで、寝そうになる時はかなり多い。しかも今日の分野は最初の欠席者が多いが、午後の欠席者がかなり少ない。4月より忙しくなったように感じられる。 来年またやるかもしれないね。しかし日曜の朝6時半出勤というのは疲れることなのではないか。カッカッカッカッ。
2006.10.15
コメント(0)
最終修正終わりだ。明日ではなく、今日中に郵送する。できることをすべてした。後は結果を待つだけだ。多くの人に助けていただいた。うまく言えないが、本当に感謝する。
2006.10.12
コメント(0)
やっと最終的な修正の段階に入った。しかし困ったことがある。それは文法の修正だ。自分の作文力に対し、かなり自信を持っているが、最も大変な問題は日本人らしくない日本語だ。つまり、文法と言葉自体に問題がないが、日本人が使う日本語ではないという問題だ。 しかし、うちの大学でこのような留学生のため作文をチェックしてもらう機構が設置されていない。また、普通の日本語の作文の授業で、先生はチェックするが、大きい問題ではなければ、あまり厳しく指摘しないような気がする。 今日も仕方なく、ゼミの先輩に直していただいた。もちろん予想通り、文法と言葉遣いの間違いがあまりない。しかし日本人が使う日本語らしくないところがけっこう多い。しかも日本人が使う日本語よりきちんとしすぎるところもある。だが先輩も自分の発表があるから、先輩に迷惑をかけたくないためほかのルートでチェックするつもりだ。 正直言うと、直してもらえる人がいないのがかなり困った。もちろんさらに自分の日本語の力を上がらせるしかないが、何処まで上がらせることができるのか自分もわからない。
2006.10.11
コメント(0)
先学期の期末から通学のコースを変えた。いつも早稲田通りを学校へ歩いて行ったが、今神田川に沿って、学校へ行くことが多くなった。 早稲田通りを沿っていけば、タバコを吸う人が多い。その上、通行の人も多い。これに対し、神田川を沿っていけば、遠まわしになったが、比較的に通行の人が少ない。また、タバコを吸いながら歩く人が必ずいるが、道が込んでいないため彼らを越えやすい。 もちろんもう一つの神田川を挙げたくなった。それはかくや姫の名曲「神田川」だ。わしもよくカラオケでこの歌を歌った。神田川歌:かくや姫 作詞:喜多条忠 作曲:南こうせつ貴方は もう忘れたかしら赤い手拭い マフラーにして二人で行った 横丁の風呂屋一緒に出ようねって言ったのにいつも私が 待たされた洗い髪が 芯まで冷えて小さな石鹸 カタカタ鳴った貴方は 私の身体を抱いて冷たいねって 言ったのよ若かったあの頃何も怖くなかったただ 貴方のやさしさが怖かった貴方は もう捨てたのかしら二十四色の クレパス買って貴方がかいた 私の似顔絵巧(うま)くかいてねって言ったのにいつもちっとも 似てないの窓の下には 神田川三畳一間の 小さな下宿貴方は 私の指先見つめ悲しいかいって きいたのよ若かったあの頃何も怖くなかったただ 貴方のやさしさが怖かった
2006.10.11
コメント(0)
今日はゼミの初日だし、ゼミの飲み会もある。しかしTAだから行かないようにした。わしにとって、はじめて夜の演習のレギュラーを受け入れたということだ。本来ゼミと同じ日だから受け入れたくなかったが、いつも朝一のバイトしかやっていないわしに頼んだら、たぶん本当にできる人がいないからわしに頼んだのではないかと思ったから、受け入れた。 頭を使わなければならないゼミに出てからすぐ2限のバイトをするのがちょっときついかもしれない。しかし、代理として演習をやったらいつもの授業より楽だし、普通の授業より勉強の時間も多いから、大丈夫だと思った。 だが、教室に入ってからちょっと後悔した。実際に出席を取ったら、50人以上の学生がいることがわかった。普通の試験で最低二人の監督員がいるが、今日一人で二人の仕事をやらなければならない。確かに普通の授業より楽だが、勉強の時間があまり増えていない。また、時間の管理を注意しなければならないので、勉強に専念できなくなった。そして、出席カードでの作業ではなく、学生証を見てから紙で登録する形となったから、普通の授業より面倒くさくなった。 木暮課長がいれば、あの歌をうたってくれるんだろう。時間よお前は...歌:石原裕次郎 作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介泣くな泣くなよ 俺の相棒よ今は死ぬほど つらくても時間がすべてを 洗いながして消してくれるはずだよさよなら 今 このひと時さよなら 今日という一日タバコをかかとで もみ消しふりむけば 夢のかけらよ覚えているかい 俺の恋人よ二人別れに 泣いた日をいっそ このまま 死んでしまおうと心決めた あの日をさよなら あふれる涙よさよなら 別れの悲しみ涙でつづった 日記も日がたてば おとぎ話さ時間よ お前は なんて素晴らしいすべてを 美しくてくれるそしてやがては 思い出さえも遠く連れて ゆくのさありがとう 時間のながれよありがとう 過ぎゆく人生指からのがれて こぼれる砂浜の 浜の いとしさ
2006.10.10
コメント(0)
久しぶりに別科の友達と一緒にカラオケへ行った。一年ぶりかな。かつてたまには彼女たちは一緒に行ったが、それぞれの進学の学校と住まいが違ったから、なかなか一緒に出かけられなかった。それに、わしも時間でこの一年間ゼミの二次会へ行けない。だから、カラオケは本当に久しぶりだ。 もちろん暴れた!いつも裕次郎の「北の旅人」を唄ったが、今日それをやめて、「夜霧よ今夜もありがとう」と「時間よお前は」を挑戦した。挑戦したことがあるが失敗したプリンセス・プリンセスの失恋の名曲「M」も成功した。小泉純一郎が好きなX JAPANの名曲「Forever Love」、B'zの「ONE」、沢尻エリカのあの「タイヨウのうた」も唄った。 しかし、「悲しい歌しか歌わないんじゃないか」と言われたから、スピッツの「ロビンソン」、光GENJIの「勇気100%」を唄った。 やはりたまには暴れていかなきゃならんね!
2006.10.09
コメント(0)
http://pocky.jp/cm/pocky/index.html ポッキーのTV-CMでの新垣結衣は可愛いね!一緒に踊りたくなった!やはり綺麗な女子の明るい笑顔は一番だよね。 ところで、マツケンサンバのコンサートで5回マツケンサンバを踊った結果、二日間腰が痛かった。やはり無茶してはダメな年になったかな。 カッカッカッカッ!
2006.10.08
コメント(0)
先学校へ向かう電車に乗っていた時、あの矢田亜希子に似てるOLを見た。本当にかわいいね。いつ水戸黄門でゲストとして出たらいいね。カッカッカッカッ。
2006.10.03
コメント(0)
今日授業を聴講するため学校のある館行った。そこで驚いたことを見た。その館の1階から地下1階への廊下で、そこに座らない、食事しない、居座りしないというルールが書いてあった張り紙がある。夏休みの集中講義の時、いつもそっちを通していたため、わしはそれを知っていた。 しかし、今日そっちから地下1階にある教室に行くつもりの時、大勢の学生がそっちで座って食事しているシーンを見た。張り紙がかなり見えやすいところに貼ってあったため、その学生たちは見ないはずがない。しかも、その館は法学部が使っている館ということなので、そっちにいる学生はほとんど法学部の学生だと考えられる。要するに、未来の日本の弁護士、検事、裁判官になるかもしれない人は学校のルールを無視したということだ。 このような人は日本の未来を担うことができるのかと戸惑っている。しかも大勢の人がいたので、さらにびっくりした。このままでは日本という国は多分ここまで終わるかもしれん。本当に助さんと格さんといればあいつらを懲らしめてやりたいね。
2006.10.02
コメント(0)
全170件 (170件中 1-50件目)