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宿泊したホテルの上層階から、眼下の函館港やJR車両基地を見る。11階の客室から駅ホームを、12階ラウンジから若松ふ頭などの港湾施設を望める。かつて青函連絡船が発着した大桟橋を思い出す。 箱館駅の北側に、JR函館本線が伸びている。湾岸道路を通す「ともえ大橋」(1997年開通)の西側は、函館湾で海岸街船溜り、および中央埠頭がある。「ともえ大橋」(全長1920m)の東側には、JR北海道函館運輸所と車両基地がある。軌条14条の引き込み線とレトロな転車台がある。 ラウンジからは箱館駅の南側、若松ふ頭、緑の島、そして臥牛山とも呼ばれる函館山を望める。若松ふ頭の奥に見える「緑の島」は、港湾浚渫工事(埋立て量約70万m3)によって発生した土砂で築かれた人工島。多目的広場で港まつりの際には、この島から花火(1万発)が打ち上げられる。写真1 ともえ大橋とJR車両基地を望む。写真2 客室から望む眼下の駅ホーム。写真3 若松ふ頭・クルーズターミルと函館朝市の一部を望む。写真4 若松ふ頭の後方に「緑の島」と函館山。写真5 ホテル12階ラウンジ。写真6 十和田丸の模型と青函連絡船大さん橋(昭和51年頃)。
2023年08月27日
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久しぶりに江戸川の土手を散歩する。台地から昇る日の出を拝む。流山は、江戸川に沿った台地(下総台地の西縁)の伸びる街。従って江戸川土手からみる日の出は、四季によって異なる。この時期、上流から下流へと日の出ポイントが移動してゆく。 北流山エリアは、大型物流施設が台地の下に並んで建っているので、施設の四階屋上から日が昇ることが多い。この日、土手から西方面を眺めると、富士山は雲の中。一方、東側の筑波山は、薄い雲の衣を着ていた。良く見ると、レンズ雲と彩雲が浮かんでいた。写真1 葉月の日の出。写真2 流山台地からの日の出。写真3 早朝の江戸川と南と西の空。写真4 東空の彩雲とレンズ雲。写真5 筑波山とレンズ雲。写真6 台地斜面のサルスベリ。
2023年08月26日
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幕末期からハイカラ文化を取り入れて発展してきた函館。明治に入ると北海道で最大の人口を擁する町となる。大正11年(1922年)には、函館区から箱館市となる。明治から大正期にかけて、個性的な建物を次々と建てた。明治期のレンガ造り、大正期の和洋折衷建物が残っている。 函館が指定する「伝統的建造物」は64件に及ぶ。明治期に建造されたレンガ倉庫類が主体。大正期になると富裕層の個性的な木造邸宅が目立つようになる。大正ロマンを感じさせる、ノスタルジックな街並みがある。昭和になるとコンクリート造りの建物が主体となって行く。 函館山を正面に、港や赤レンガ倉庫を眺める場所に「コメダ珈琲店」があった。令和2年にオープンした2階建、景色を眺めながら身体を休めることができる。昭和から続く喫茶店のような落ち着いた雰囲気の店だ。名物の「小倉トースト」でランチする。写真1 赤レンガ倉庫の中通り。写真2 旧金森船具店と旧金森洋物店(明治期)。写真3 明治館とグラススタジオと元町日和館(明治-大正期)。写真4 旧茶屋亭と太刀川家住宅(大正期)。写真5 遺愛幼稚園と鷲見家住宅(大正期)。写真6 函館山とコメダ珈琲店(令和2年オープン)。
2023年08月24日
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公園の一画の白い樹にリョウブが咲いていた。雪が積もった枝振りで、夏空に伸びている。沢山の小さな花とツルツルした木肌なので、白いサルスベリに似ている。サルスベリの花のつき方は「円錐花序」。リョウブは、一つの茎に下から順々に花をつける「総状花序」とされる。 リョウブの和名は「令法」。若葉が山菜として食べられることから、その昔、飢饉に備える「救荒植物」として植えることを法で定められた。その際に令法の文字があてられたらしい。盛夏に花をつける丈夫な樹だ。ジョウブな花として覚えておこう・・。写真1 公園のリョウブ。写真2 盛夏に咲く、タフな小花。写真3 総状花序の花姿。写真4 夏空に飛行機と残月。写真5 滑らか木肌の幹。写真6 公園の主、大きな桜樹。
2023年08月23日
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昭和51年までフェリーが発着していた東浜桟橋(旧桟橋)付近は、西波止場広場として整備されている。函館桟橋と言えば、青函連絡船の大桟橋だが、明治の開港時代から使用されていた波止場だ。観光地の赤れんが倉庫群に隣接していることもあり、土産店等が集合した「西波止場」(フェリーターミナル跡地)だ。 親水プロムナードが整備された西波止場広場に、「北海道第一歩の碑」がある。幕末から明治にかけて、開拓のためにやって来た先人が先ず上陸した場所。「新島襄のブロンズ像」が立っていた。彼は1864年箱館から密出国に成功して、海外で見聞を広めて帰国して、同志社大学を創立する。妻は、あの「会津藩の八重」だ。 波止場をバックに「赤い靴少女像」も立っている。童謡「赤い靴」の「きみちゃん」2才は、静岡から箱館へ親子で渡った。母親(かよ)は結婚して、留寿都村の農村に入植。女の子は、外国人宣教師に預けられるも、東京の孤児院で亡くなる。母親は、その事実を知らないまま、外国で育っていると想い小樽市内で人生を全うした。 母親の夫・鈴木志郎と石川啄木、そして野口雨情は、小樽で知り合いとなる。その縁で童謡が生まれたという。小樽の運河公園には、「赤い靴親子の像」がある。「きみちゃん」像は、全国6体あるという。北海道3+静岡1+東京1+青森1と・・。写真1 赤れんが倉庫群と西波止場。写真2 西波止場からの眺め。写真3 北海道第一歩の碑と東浜桟橋(旧桟橋)。写真4 八幡坂の下が西波止場になる。写真5 西波止場広場と新島襄のブロンズ像。写真6 波止場の「赤い靴少女像」と小樽と横浜の「赤い靴」像。
2023年08月21日
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綿雲(わたぐも)が江戸川上空に、熱気球大会のように浮かんでいた。真っ白な塊の雲は、縁日で売れられる(わたアメ)のようだ。更に、ネズミやウサギを連想させる雲もある。太陽の近くには、部分ハロが見えた。 積雲(せきぐも)の一種である綿雲は、それぞれの雲塊か離れており、かつ雲底が平になっている。上昇気流の強弱や地上の形状が反映して、積雲の形状が微妙に異なるのだろう。上昇気流が強くなり雲勢が発達すると、雄大雲になる。更に発達する積乱雲になり、強い雨を降らせる。 やはり当日、買い物帰りに夕立(通り雨)に遭う。東の空の下方に、虹の一部が現れた。綿雲、雄大雲、積乱雲、そしてゲリラ雨と虹。そんな、どこでも見られる夏の空を観て過ごした。写真1 江戸川上流に浮かぶ綿雲(わたぐも)。写真2 江戸川下流に広がる綿雲。写真3 色々な形の積雲。写真4 底が平な綿雲が落ちて来そう・・。写真5 綿雲から雄大雲へ。写真6 部分ハロ現象と虹の一部。
2023年08月20日
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はこだてビール、国際ホテル、およびレトロなニチロビルが並ぶ「開港通り」の終着点に、函館朝市がある。JR函館駅、そして豊川ふ頭の海産物卸市場が直ぐ近くある。朝市の店舗規模は250店ほどで、連合組合加盟店150と非加盟店100からなる。年間150人が訪れる観光拠点でもある。 朝市エリアのほぼ中央に位置する大きな建物が「函館朝市ひろば」。かまぼこ形の渡島ドームは、2014年にリニューアルされた。海産物や土産物は、物産街に集まっている。また広い休憩スペースを併設するフードコートがありゆっくり買い物と飲食ができる。 「朝市ひろば」に隣接して、駅側・駐車場側に「どんぶり横丁市場」がある。このエリアも2005年にニューアルされた。食堂15店舗が軒を連ねる。その中で一番人気は、「活イカ踊り丼」とのこと。一人前を二人で分けて食べてみた。個人的には、活イカ刺身の方を好む・・。写真1 箱館ビール煉瓦建物と開港通り。写真2 朝市通りと海産物販売店舗。写真3 朝市ひろばの建物とフードコート。写真4 朝二市場とイカ釣り場といかめしをお土産に。写真5 どんぶり横丁市場と活イカ踊り丼。写真6 函館朝市の店舗マップ。
2023年08月18日
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大型物流施設GLP流山の周辺を散歩するが多い。ALFALINK流山5-6が2023年春に竣功した。最近、施設内にコンビニも開店した。コンビニ内からフードコートエリアに入ることができる。カフェテリアは、高い天井と十分に広いスペースがある。定食の他に、「はなまるうどん」と「吉野家」が営業している。ランチを「うどん+天ぷら」にした。 ALFALINK流山5は、GLP流山の施設の中心エリアにあたるので、アメニティが充実しているという。「託児所」、「シェアリングルーム」、「マルチスペース」などが施設内に整備されている。更に、常温・冷蔵・冷凍の3温度を管理する物流センターになっている。食品関係の会社が入居している。写真1 GLP ALFALINK流山5の出入口棟。写真2 ALFALINK流山5-6は、コネクション施設。写真3 広いカフェテリア兼食堂。写真4 うどん+天ぷらでランチする。写真5 シェアリングルームとマルチスペース。写真6 施設西側のランニング・ウォーキングロード。
2023年08月17日
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開港の町として、発展をともに歩んできた函館の路面電車(ハコデン)。馬車鉄道から電車に替わったのは、大正2年(1913年)。今年で開業110周年を越えて、市民の足、観光の足として活躍している。レトロな雰囲気の町並みを、ごとんゴトンと毎日、勤勉に走っている。 現在の函館市電の営業距離は10.9km。この区間に、いろいろなデザインやラッピングを施した車両25種類が走っているという。乗って楽しみ、車窓から景色を楽しむのもよい。一番人気は、大正時代のレトロな車体を復元した「箱館ハイカラ號」。またバリヤフリー化を目的とした超低床形電車「らっくる号」も導入されている。 日本国内に現存する路面電車は、全国で17都市20事業者だという。路線延長は200km程度。函館の路面電車は、札幌より2kmほど長い。国内で最も長い路面電車は、高知「とさでん」の25.3kmか・・。宇都宮では、次世代型路面電車「LRT」が8月26日に開業(14.6km)するという。写真1 函館の市街地を縦断する路面電車。写真2 路線が交差する十字街に立つ操車塔。写真3 色々なラッピング車両。写真4 新旧の電車、「らっくる号」と「530号」。写真5 箱館ハイカラ號。写真6 日本最古のコン電柱と馬車鉄道碑。
2023年08月15日
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小中学校が夏休みに入った。静かな通学路を歩くと、ボリュームあるサルスベリが歩行きを止める。夏の強烈な日差しを浴びても、ひと晩休むと、翌日には元気な姿を見せてくれる。この繰り返しで、100日のあいだ紅い花をつける。和名を百日紅(ひゃくじつこう)。 酷暑にも負けないサルスベリ。どこにそんなパワーを秘めているのだろうか。小さな花を沢山つけて、長期間次から次へと開花し続ける。縮れた小さな花が纏まり房状になると、豪華な姿に見える。小さい花に着目して、花言葉に「愛嬌」がある。写真1 通学路の柳と百日紅。写真2 板石塔婆とサルスベリ。写真3 通学路のサルスベリ。写真4 縮れた小さな花の集まり。写真5 校門のサルスベリ。写真6 炎暑に負けない紅い花。
2023年08月14日
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赤レンガ駅舎と呼ばれる東京駅丸の内駅舎。横に長く、シンメトリーな建物と、空に伸びるビル群とで独特な景観を作っている。近代的なビル群を背景に、レトロな建物が横たわっている光景が印象的だ。 丸ビルから眺めると、いつの間にか高いビルが出来ている。八重洲口側の開発が一段落したようだ。一方、日本橋口側では、日本一高いビル「トーチタワー」の工事が動き出した。アベノハルカスの300m超える、高さが390mになる。「日本を明るく、元気にする」がコンセプト。2027年に竣功予定だという。 南北335mに渡る長い駅舎は、世界的にも珍しいという。ハイカラとレトロ感を纏う復元された姿は、威風堂々の言葉が合う。駅舎の見所のひとつに、屋内で観るドーム屋根がある。天井は八角形で作られ、その角に8羽の鷲のレリーフと8方向を示す干支の彫刻が施されている。乗客が通り抜ける場所なので、長居はできないが、美術品のような装飾を眺めよう・・。写真1 丸の内駅舎と日本橋方面。写真2 赤レンガ駅舎と京橋方面。写真3 南と北のドームと背景のビル。写真4 周辺ビルのカーテンウォールと郵便ポスト。写真5 南ドーム内の美術品のような装飾。写真6 日本一高い「トーチタワー」の建設が始まっている。
2023年08月12日
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市電・函館どつく駅から南西へ魚見坂を600mほど上ると、高龍寺(こうりゅう)がある。函館漁港を見下ろす高台に、赤い塀に囲まれている曹洞宗の寺院。山号は国華山。寛永10年(1633年)の創建で、函館に現存する寺院の中では最も古い。和式建築の技術が山門や本堂などに残されている。 山門や開山など合わせて10件が国の登録有形文化財に指定。箱館戦争時には、旧幕府軍の箱館病院の分院として使用された。当時の医長・高松凌雲は、敵味方の区別なく治療にあたる。日本の赤十字活動の草分けとなる。しかし官軍兵の乱入で、負傷兵が殺害され放火される。境内に「傷心惨目の碑」が立っていた。 寺院を護るように、土塀・レンガ塀が巡らされている。東面と北面の壁は、赤レンガ塀の防火塀。度重なる大火の歴史を教訓に、壁厚60cmにもなる重厚な無レンガ壁が作られた。イギリス積みとフランス積みが混合したレンガの積み方が見られる。消防車が無い時代、坂の街は防火水の確保と強風に悩まされたことだろう・・。写真1 魚見坂の国華山高寺の山門。写真2 本堂前と本堂の彫刻。写真3 位牌堂と傷心惨目の碑他。写真4 開山堂と五百羅漢像。写真5 防火用の赤レンガ塀。写真6 本堂への回廊に、地獄絵図などが展示。
2023年08月11日
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盛夏の東京駅近くへ出かける用事あった。熱い暑い夏の都心へ。沖縄地方で強い台風が居座っている頃に出かけた。関東各地では、盆踊りや花火大会が開かれ、夏負けしない人々が何と多いことか・・。 赤れんが駅舎前の「丸の内中央広場」は、皇居に続く行幸通りに接続する広場。中央部の石畳は、幅20mの白い御影石(稲田石)が敷き詰められている。その両側に芝生スペースと水景とケヤキが並ぶ。中央広場全体が花崗岩の石で敷き詰められているので、真夏の太陽の照り返し強い。打ち水が欲しい場所だ。 4年ぶりに広場に「水盤」が復活していた。15m×20mの石畳スペースに「打ち水システム」が稼働。7月19日から9月18日までの2カ月間。駅舎側から染みだした水が僅かな勾配で路面を流れる。地下の浄化装置との間で循環するようになっている。しかし、訪れた時間帯は、打ち水効果を上回る日差しだ。ケヤキの木陰が良い。写真1 東京駅丸の内中央広場。写真2 赤レンガ駅舎と水盤。写真3 駅前広場の打ち水。写真4 水盤と周りの景観。写真5 白御影石(稲田石)の石畳み。写真6 赤レンガ積みと白い擬石とのコントラス。
2023年08月09日
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市電・函館どつく駅から西へ300mに函館漁港がある。この漁港は、明治32年に完成した「船入澗(ふないりま)防波堤」によって守られている。西向きの外洋からの波を防ぐ目的に、3年余りをかけて完成させた「石積の防波堤」。 北側104m、南側54mの防波堤だ。 船入澗防波堤は、かの廣井勇氏が監督技師として着工した港湾施設工事。小樽港の北防波堤よりも1年早く着工している北海道の近代港湾施設。更に、耐海水コンクリートブロックは、日本人が製作した最初のものだ。近くの函館第1乾ドックと共に、「函館港湾改良施設群」として、土木学会選奨土木遺産に認定。 明治29年に設立された函館船渠(株)が乾ドック第1号を建設したが、難航して明治36年に仮開業する。日露戦争の影響により、途中から当初計画の3倍のドック規模(長さ240m×幅34m)になり、費用調達等に時間を要した。なお、日本で最初の様式ドライドックは、横須賀に明治4年に完成している。写真1 函館漁港の船入澗防波堤(外側)。写真2 漁港の船入澗と位置関係。写真3 石積防波堤(内側)。写真4 北海道土木遺産カード他。写真5 土木学会推奨土木遺産、防波堤断面図。写真6 函館第1号ドライドック(土木遺産)。
2023年08月08日
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市電通りに建つ緑色の洋館(相馬株式会社社屋)前から登る坂道を「基坂(もといざか)」と呼ぶ。坂の上には、幕末から箱館奉行所、開拓使の支庁、北海道庁支庁などが立ち並んだ歴史があった。明治維新後に、坂下に「里程元標」が立てられたことが坂道の由来。 延長約200mの坂が直結する元町公園は、昔の函館の中心にあたる。公園をぶらつくと、箱館発祥の痕跡が色濃く残っている。円の東側に三角形の切妻破風の美しい洋館がある。「旧北海道庁箱館支庁庁舎」の若草色の姿が佇む。現在、「ジョリジュリ公園店」にリノベーションされ、「ステーキピラフ」が人気メニューだという。 坂の途中には、ペリー公園や旧イギリス領事館、アイカラさん像が並ぶ。人道部はブロック舗装であるが、車道部はピンロコ石舗装になっている。自然の風合いを作り出すピンコロ石は、一般的に花崗岩が切り出す。アスファルト道路より割高の工事費になるが、景観と坂道の安全走行に適しているのだろう・・。写真1 ピンコロ石舗装の基坂を見上げる。写真2 基坂の上は、元町公園。写真3 元町公園のブロンズ像とレンガ造りの書庫。写真4 旧北海道庁支庁をイノベーションしたジョリジュリ店。写真5 坂道の途中にペリー広場や「はいからさん像」がある。写真6 坂下付近にはレトロな建物が佇む。
2023年08月06日
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東京夏の風物詩「隅田川花火大会(46回目)」が7月29日にあった。連日の暑さやコロナへの用心もあって、静かに自宅で「テレビ鑑賞」する。平均世帯の視聴率は11.2パーセント。NHKの大河ドラマ並か・・。4年振りとあって、103万人の人出があったという。混雑・トラブルがあったものの無事に終えた。 隅田川の花火は歴史が古い。1733年、前年の大飢饉や疫病で犠牲になった人々の慰霊と悪疫退散を祈って打上られた「両国の川開き」の花火が由来。当時の江戸為政者は、八代将軍徳川吉宗。1978年に現在の隅田川花火大会に改名、二つの会場で計2万発の花火を打ち上げ、花火コンテストが行われる。 2023年7月の東京は、観測史上最も暑かった(月間平均気温)という。猛暑日数が13日、熱帯夜が17夜。7月29日の花火開始時刻19時の気温は29.4度。大勢ひとが集まった場所は、更に気温と湿度が高くなったことだろう。屋形船やスカイツリーから鑑賞できたのは、準備段階で幸運を呼び寄せた人達だ。写真1 第46回隅田川花火大会。写真2 スカイツリーの眺め(抽選900名)。写真3 上空からの花火観賞。写真4 花火コンテストも行われた。写真5 フィナーレの花火。写真6 歴史ある打上花火、東京夏の風物詩。
2023年08月05日
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函館山の麓に建つ「旧函館区公会堂」は、明治43年に建設され、函館を体表する洋風建築物(国の重要文化財)。大規模修理(2018年10月から2021年2月)を経て、明治時代の姿がよみがえった。青灰色と黄色のカラーリングに彩られ華麗な建物だ。天気が良ければ、バルコニーからの眺めが素晴らしい。 旧区公会堂は、明治40年の大火により町会所と商業会議所が焼失後に再建された。その際、当時の豪商・相馬鉄平氏の多額の寄付があって、コロニアル様式の美しい洋館になった。そのため演奏会や展示会に利用される。また歴代の天皇・皇后陛下や皇族が宿泊・休憩している。 300円で入館内し、見学や写真撮影が可能。ハイカラ衣装館が併設されおり、ロングドレスや髪飾りなど一式を着飾り写真に収まり、思い出づくりを楽しめる。1階の球戯室では、旧公会堂の歴史を紹介するパネルを掲示。昭和32年から昭和54年の間外壁は、ピンク色と白色に塗られていた。優美な姿を連想した・・。写真1 華麗な佇まいの函館旧区公会堂。2年前にリニューアルされた公会堂。写真3 バルコニーからの見晴しが良い。写真4 館内の食堂、御座所、廊下等。写真5 二階の大広間。写真6 球戯室における展示物。
2023年08月03日
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全国で「訪れたい坂」の上位に、ノミネートされる函館「八幡坂(はちまかざか)」。ベイエリアの西波止場から函館山へ向かって伸びる270mの坂道。石畳と並木、そして港景によって印象的な坂風景となる。函館19の坂のなかでも、一番景観が良いと言われ、多くの観光客が訪れる。オートバイクのライダーも立ち寄る・・。 八幡坂は、電車通りと交差している。レトロな電車が通過することもある。映画ドラマ、CMによく見かけるので有名。街路樹は四季を通じて坂道に彩りを添える。新緑の夏、紅葉の秋、イルミネーションの冬などフォトジェニックスなスポットだ。並木はケヤキであろか。なお、坂道の歩道にはロードヒーティングが施されている。 坂の名称は、坂の上に函館八幡宮が鎮座していたことよる。大火の被害を受けて、明治13年に谷地頭へ遷宮(せんぐう)した。本殿は、大正4年に造られた聖帝八棟造り荘厳な佇まい。函館の総鎮守府に相応しい。市電・谷地頭駅から南約1kmに立待岬がある。石川啄木のゆかりの地でもある。写真1 函館・八幡坂(はちまんざか)。写真2 若松ふ頭から八幡坂を望む。写真3 石畳と並木の坂道。写真4 八幡坂歩道とロシア関係の建物。写真5 港に真直ぐに伸びる坂道と夜景輝く石畳。写真6 谷地頭の函館八幡宮と立待岬。
2023年08月02日
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函館山の麓に、美しいビザンチン風の教会建物が建っている。八角形の鐘塔と白い漆喰の壁が特徴の「函館ハリストス正教会」だ。形の色合いが夜景や冬景色に映えるので、函館を代表する景色のひとつ。今年2月、2年余り続いた修復工事が完了して、一般公開をしている。10時から入館(200円)。 北海道の正教会は、安政6年に函館のロシア領事館に隣接した教会から始まる。函館ハリストス正教会は、日本正教会の最初の聖堂を持つ教会だった。明治40年の大火で焼失後、大正5年には再建された。聖堂は、国の重要文化財に指定。聖堂は、イコノスタスが飾られハリストス(キリスト)の復活を記念する場所。 ガンガン寺と呼ばれたハリストス正教会。大きな鐘1つと5つの小さな鐘が打ち鳴らされた際、日本の梵鐘(ぼんしょう)に聴き慣れている市民には、ガンガンと聞こえたのだろう。現在、日曜日の礼拝時、約5分から6分間鳴り響くという。「日本の音風景百選」に選ばれているという。人それぞれに音の好き嫌いがあるが・・。写真1 改修工事を終えたハリストス正教会。写真2 緑色から青色の屋根に変化・・。写真3 八角形の鐘塔。写真4 復活聖堂と東側の出入口。写真5 イコノスタスと鐘鳴らしとカラーマンホール。写真6 異国のような夜景と元町の坂と教会。
2023年07月31日
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異国情緒あふれる元町の大三坂(だいさんさか)。石畳みと街路樹(ナナカモマド)、複数の宗派の教会などで、エキゾチックな坂道と知られている。「日本の道100選」にもなっている。路面の石積みは、二十間坂とは異なり、不規則な形の石が敷き詰(乱張り)められ、アートとも言われている。 淡い水色の高い尖塔がシンボルなのが「カトリック元町教会」。ゴシック様式の建物で、大三坂を見下ろす位置に立つ。最初の教会は、安政6年(1859年)に創建されたとされる。幾度なく火災で焼失したが、現在の建築物は、大正12年に再建された。大聖堂内には、ローマ教皇から贈られた祭壇が輝いている。 大三坂からチャチャ登りの近くに、四面の白壁に十字架をあしらった「函館聖ヨハネ教会」が建っている。遠くからでも、白い船部のような尖塔が目立つ。上空から見下すと、屋根が十字架の形をしている。減殺の建物は、昭和54年に完成。近代的なデザインの教会。教会の入口付近に、アジサイが咲いていた。写真1 異国情緒漂う「大三坂」。写真2 淡青色尖塔がシンボルのカトリック元町教会。写真3 アジサイと教会内部。写真4 函館聖ヨハネ教会。写真5 アジサイと教会内部。写真6 坂道マップと元町浄水場から教会を望む。
2023年07月30日
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函館市の西部は、坂の町。くだり坂の方向は、すべて北東方向で、函館山を背にして函館湾に向いている。「はこだてガイドマップ」によれば、北の「魚見坂」から南の「青柳坂」まで19の坂道がある。函館山の麓の弥生町から青柳町の間に集中している。寺院や教会、その他建物が関連して、個性的な坂道を創り出している。 市電の「十字街駅」で下車して、坂の上にある元町配水場を目指す。「まちづくりセンター」のレトロな建物から「南部坂」を進み、途中から「二十間坂」をのぼる。二十間坂は、度重なる火災の延焼を防ぐために幅36mの防火帯を設けた。長方形の石を規則的に敷き詰めている。石の表面が黒っぽいが花崗岩のように見えた。 坂道の上方に、大きな瓦屋根を持つ寺院がある。教会が多いなか、お寺の瓦は目立つ。「真宗大谷派函館別院」または「東本願寺函館別院」で、創建が江戸期1641年とされる。明治40年の大火で焼失するも、大正4年に耐火性の寺院として再建された。 国内最初の鉄筋コンクリート造りで伝統様式を再現した寺院。函館市における不燃建築普及の契機となったという。本堂、正門、鐘楼が国の重要文化財。幅広い石畳みと大きな屋根の寺院が特徴の坂道。写真1 函館山の麓、元町を中心に19の坂がある。写真2 市電通りから「二十間坂」を望む。写真3 道路幅36mの石畳の二十間坂。写真4 二十間坂と真宗大谷派函館別院。写真5 別院の本堂と鐘楼。写真6 レトロな建造物(旧百貨店)から「南部坂」を上った。
2023年07月28日
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函館市末広町の波止場に、赤レンガ造りの倉庫群が並んでいる。レトロな赤レンガ倉庫7棟が、妻部を波止場に向けている。港沿い倉庫、運河、船着き場が一体となり、函館の観光拠点。人通りの少ない早朝に散歩する。 現在のレンガ倉庫は、明治40年の大火を教訓に、耐火性に優れたレンガ倉庫に再建(明治42年)したもの。物流がコンテナ輸送になると、波止場に建つレンガ倉庫の役割が低下してゆく。昭和60年代、倉庫の活用が検討されて、ショッピングモールを兼ねた複合施設に生まれ変わった。4つのカテゴリーに、各倉庫を区分している。 波止場沿に、赤レンガ建物と石畳道路を歩けば、小樽運河と同じように異国情緒が漂う。夕刻、街灯の灯が入ると、海運業が盛んな頃の面影を一層感じることができるだろう。北洋漁業や北方開発の先駆者・高田喜兵衛の資料館が「金森洋物館」倉庫の南側に佇んでいた。写真1 西波止場通りと函館山。写真2 七財橋と遊覧船発着場。写真3 「BAYはこだて」のレンガ倉庫外壁と運河。写真4 金森赤レンガ倉庫「金森洋物館」。写真5 石畳みの道路と少女ブロンズ像。写真6 金森赤レンガ倉庫群の案内図と高田屋喜兵衛資料館。
2023年07月27日
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函館駅から海側へ300mほど歩くと、若松ふ頭エリアとなる。青函連絡船記念館「摩周丸」が係留している。1988年まで23年間、青森と函館間を就航した船だ。この辺りは、35年前までは連絡船が発着する桟橋があったところ。現在、ふれあいイカ広場とクルーズターミナルの建物と駐車場に整備されている。 シンボルのイカモニュメントから旧市街的な元町と函館山を見渡すことができる。イカモニュメントは、3体の烏賊が群れている様子を表している。ともえ大橋との連絡ループ橋袂の広場に、「青・海・テティス」のブロンズ像がある。海の女神テティスが摩周丸、そして若松ふ頭のクルーズ船に手を振っているようだ。 摩周丸に平行して、海側に長い桟橋が伸びている。昨年完成した新設の埠頭で、大型クルーズ船が接岸できるようになった。接岸長さとして、250mの桟橋と110mのドルフィンからなる。6月中旬に、ダイヤモンド・プリンセス号(11.5万トン)が接岸した。市内へのアクセスが便利なので、クルーズ客船が入港すると街が賑わうだろう。写真1 若松ふ頭(大型クルーズ船用)と函館山。写真2 ふれあいイカ広場と青函連絡船記念館摩周丸。写真3 イカモニュメントと錨。完成したク函館ルーズターミナル。写真4 手を振る「青・海・テティス」ブロンズ像。写真5 釣ができる豊川ふ頭と対岸の函館ドック。写真6 大型クルーズが接岸可能な若松新ふ頭。
2023年07月25日
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函館駅前ホテル(JR INN)に宿泊する。食後の運動に、駅前広場を夜散歩する。駅舎などの灯りがあるので、防犯上安全なようだ。20時を過ぎると、やはり人通りが少なくなる。地方シティの寂しさが漂う。 函館駅舎の右側(北側)に「駅前の灯り」処がある。HAKOVIA(ハコビバ)という交流広場のようだ。人を惹き付けるように、高さ6.5mの大門と大提灯「誠」が設置されている。更に、樹高15mのヒムロスギがライトアップされていた。昭和のレトロ感がある「函館駅前横丁」も並んでいる。 宿泊部屋(11階)からは、駅のプラットホームが眼下に見えた。弧状の島式ホーム4条と線路、および列車を暫し眺める。ホテル12階に展望風呂がある。その出入口にラウンジがあり、函館山や港が見える。無料のコーヒーを飲みながら、湯あがりのほてり癒すことができる。街の灯りを眺めて、眠気を待つ。写真1 函館駅のあかり。写真2 オブジェ「OYAKO」と改札口。写真3 駅前の灯り、大門・提灯とシンボリツリー。写真4 交流広場「コハビバ」と駅前横丁。写真5 12階建のホテルJRインと12階ラウンジ。写真6 ホテルから見る弧状ホームと港夜景。
2023年07月24日
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函館山の山麓、ロープウェイの下に元町配水場がある。明治期、函館西部地区は、人口増により慢性的な水不足に陥っていた。そこで、赤川水源地(笹流ダム)から函館中心部へ水を引く事業が始まった。元町の高台に配水池を造り、水を一旦溜めて市内に供給した。現在でも約2万人が利用する水道水だ。 元町浄水場は、中区配水池4,700m3(明治22年)と高区配水池2,700m3(明治29年)の2段構となっている。現在は芝生に覆われている。大正12年になると、水の汚染と凍結防止のために、鉄筋コンクリートの蓋を被せた。地下への出入口は、立ち入り禁止。広大な芝生広場と煉瓦造り管理所が印象的・・。 「函館市の水道施設群」は、平成13年度土木学会推奨土木遺産に登録されている。笹流ダムと元町浄水場とがセットになっている。中区配水池は、日本人(平井晴二朗)により作られた最も古い浄水場。敷地内には、函館港を見渡す展望散策路が整備。またソメイヨシノが植えられ、桜の名所としても知られている。写真1 函館山山麓にある配水場と市内を望む。写真2 元町配水場の入口と土木遺産碑。写真3 噴水「清泉滾滾(せいせんこんこん)」と記念碑。写真4 地下配水池出入口と赤レンガの事務所。写真5 散策路途中の展望台から噴水その他を望む。写真6 中区配水池の芝広場と案内図他。
2023年07月22日
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新中野ダムと同じ亀田川水系に建設された笹流ダムを訪れる。昔のビルデング外壁、または水道橋を連想される壁だ。国内では数少ない形式のバットレス(扶壁)型ダム。現存するこの形式は6ダムでは最も古い。200m弱の止水壁を25基程度の扶壁で支えている。ダムの諸元は、堤高25.3m×貯水量約60万m3。 明治に入いると外国にも開港された函館は、入港する船の給水や人口の増加で、水需要が逼迫した。当時コスト面と短い工期で作れるバットレス形式が採用された。函館市の水道施設群の笹流ダムと横浜に次いで古い元町配水場が土木学会推奨土木遺産に登録されている(2001年)。但し、1983年に扶壁は改修補強された。 堤体の下流右岸側にダム天端へ通じる人道がある。日陰の坂道沿いに、青いアジサイが咲いていた。ダム天端右岸天端道路を歩くこともできる。貯水池右岸の洪水吐き付近は立ち入り禁止。清水を湛えるダム湖は、「ダム湖百選」のひとつ。またダムサイト下流の前庭広場は、桜と紅葉の隠れた名所でもある。写真1 笹流ダムの扶壁。水道橋にも見える。写真2 土木学会選奨土木遺産の碑写真3 ビルの外壁を思わせる扶壁が並ぶ。写真4 ダム天端道路と右岸貯水池側の洪水吐き。写真5 ダム全体と周辺環境。前庭広場、散策路。写真6 補修前のダム姿とダム断面図。
2023年07月21日
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函館市郊外、亀田川に建設された嵩上げ方式の新中野ダムを43年ぶりに訪れた。ダム湖の名称は、「なかの湖」で、334万m3を貯水する。山あいの中、静かに初夏の緑に囲まれて水を湛えていた。工事に従事した若いころの日々が甦ってくる。 新中野ダムは、水道専用であった中野ダム(堤高53m)に、洪水調節機能等を付加するために嵩上げを行ったもの。嵩上げ高さは、旧ダムの高さの41パーセントに当たる21.9m。国内最大規模の嵩上げダム工事であった。この事業により、新ダムの貯水量が4.4倍となる。親が大きな子を背負うような断面構造だ。 ダムの下流側に下りて、堤体コンクリートの状態を眺める。外見上問題はないようだ。今後も数十年、地域の社会インフラを支えるダムであってほしい・・。旧仮排水トンネルの出口には、河川維持水を放流すると同時に、小水力発電所(260kw)が設置されていた。また資材置き場などに使用した敷地は、ダム公園(ミニダム湖)と整備されていた。写真1 水を湛える新中野ダム。写真2 新緑に囲まれる「なかの湖」。写真3 左岸天端広場とダム管理事務所。写真4 ダム下流側と越流部、小水力発電。写真5 ダムカード(Ver.2)とダム嵩上げ断面。写真6 下流ダム公園とミニダム園。
2023年07月19日
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北海道の初夏、函館で同窓会的な集まりがあった。飛行機を使用する案もあったが、新幹線はやぶさ号で行くことを選択。自宅から大宮駅へ東武線1本なので、メリットがある。羽田空港へは3回の乗り換えが必要。大宮から新函館北斗駅まで約3.5時間。仙台を過ぎ、ひと眠りして目を覚ますと、青函トンネルだった。 40年ぶりにJR函館駅に降りる。昔学生時代に、青函連絡船に乗るために函館駅に世話になる。しかし直に長い連絡さん橋に向かうため、駅舎をスルーする。昭和54年前後、函館で仕事をしていのたで、たびたび駅または朝市に出かけた。当時、駅周辺はゴミゴミしていた。今回訪れると、近代的な駅舎に生まれ変わっていた。(2003年に供用開始) 函館本線函館駅は、青函連絡の発着駅として長く利用されてきた。青函トンネルの開業(昭和63年)に伴い、旅客航路が廃止された。その後徐々に駅前の再開発が成されてきたが、北海道新幹線の開業で、急速に周辺整備が進み、ホテルも多く建つ。開放的になった駅前広場には、四季の花壇やモニュメントやアブジェが設置され、訪れる人を楽しませてくれる。 暫くは函館市内探訪を掲載します。写真1 現在の函館駅舎と昔の函館駅周辺。写真2 新幹線で函館へ。途中の新青森駅ホーム。写真3 新函館北斗駅の乗継開札口。写真4 0マイル地点記念碑と駅ホームの様子。写真5 駅前広場を彩る花壇。写真6 連絡通路の陶板壁。
2023年07月18日
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北流山のGLPアルファリンク流山は、流山(1)から(8)の8棟で構成される超大型物流施設。総敷地面積が42万m2(総床面積90万m2)で、東京ドームの9個分に相当する。8棟すべての外構工事もほぼ完成した。全8棟の外周をランニング可能なコースも整備されている。 外周コースは、中距離2.7kmコースの途中(1.9km)から外周の長距離コースに接続している。富士眺望の池(調整池)の西路を進み、流山1棟をコーナリングして施設建物の東路を進む4.7kmコースだ。流山1・2・3棟は五年前に完成しているので、ランコースの一部は雑草が繁っていた。 膝痛が回復して、この中距離コースを2周できる日が訪れるように、地道に努力しようと思う・・。写真1 完成したGLPアルファリンク流山4。写真2 富士眺望の池と西路。写真3 GLP流山3~流山1の西路。写真4 GLP流山1の南路と弁才天。写真5 GLP流山4から8までの東路。写真6 物流施設が直線的に並ぶGLPアルファリンク流山と配置図。
2023年07月16日
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臨海副都心の青海エリア、潮風を感じて散歩する。お台場潮風公園から首都高速湾岸線は、東京港の下に潜る。東京港トンネルの換気塔が立っている。この海底トンネルの上を多くの船が行き交う。竹芝ふ頭、日の出桟橋、芝浦ふ頭から出航した船舶は、レインボーブリッジの下を通り、第一航路へと接続する。 潮風公園の対岸は、品川区になる。品川火力発電所の煙突タワーや若潮橋方面を眺める。南北方向の京浜運河と天王洲南運河が合流点に若潮橋が架かる。若潮橋の海側に、年老いたトラス橋が架かっている。大井車両基地に接続する東海道貨物線の「京浜運河橋梁」だ。 バースに係留展示されている南極調査船「宗谷」を見下ろすように、東京湾岸警察署ビルがある。警視庁で一番新しい警察署。東京23区内で最も広い面積を管轄している。また、唯一水上を担当する「水上安全課」を有する。薬物使用芸能人がお世話になったりしている。ドラマや小説に出てくる警察署で有名・・。写真1 江東区青海から東京港越の都心を望む。写真2 東京港トンネルの換気塔とレインボーブリッジ。写真3 潮風公園と品川方面。写真4 船の科学館とお台場のホテル(ニッコー、ヒルトン)。写真5 東京湾岸警察署ビル方面と宗谷。写真6 湾岸署建物と玄関、キャラクター・ピーポくん。
2023年07月15日
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大型物流施設が連なる「流通タウン」に、周回ジョギングコースが整備されている。ヒト形のキロ表示案内板と行き先目印が嬉しい。GLPアルファリンク流山の8棟を回るコースには、3コースが用意されている。(1)短距離約1.2kmコース、(2)中距離約2.7kmコース、(3)長距離約4.7kmコースである。 今回、2.7kmコースについて「急ぎ足」で歩く。No8棟目に整備されている「アルコパーク」がスタート・ゴール地点。先ず、調整池の東端を北へ300m進み、左に曲がる。ここまで3コースが重なっているので、3人のヒト形案内板。東西方向の道沿いには、桜が植樹されている。10数年後に桜並木が楽しみだ。 施設5棟目から8棟目の西側コースは、直線約1kmで、県道と平行に伸びる。コース沿いにメタセコイヤが植栽されている。若樹なので、日除け・風除けにまだ早い。陽が低い朝に限っては、建物の陰になり涼しい直線だ。 アルファリンク流山5棟をコの字に進むと、ゴール地点が見えて来る、施設の東と北高校を左手に見て進み、信号交差点を横断するとゴールだ。当面の目標は、2.7kmを22分台(普通に歩けば34分)。写真1 スタート・ゴール標識が設置されているアルコパーク。写真2 最初の300m、調整池の東路。写真3 施設8番目の北路とヒト形キロ表示板。写真4 施設8から5番目までの西路は直線が1km続く。写真5 施設5番目の南路(1.6kmから1.8km区間)。写真6 施設5から7番目の東路とゴール手前交差点。
2023年07月13日
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梅雨の晴れ間に、江戸川土手を歩く。この時期、富士山の姿を見ることは稀だ。冠雪の消えた夏の富士山は、うすい青紫色(薄花色)。周りの空や雲に溶け込み、ぼやけた景色となる。遠く離れた江戸川からみる「夏色富士」だ。 富士山登山が解禁されている。7月1日から山梨県側から、7月10日から静岡県側から富士山頂を目指している。今年の富士山登山は、アフターコロナと世界文化遺産登録10周年が重なり、登山客が殺到すること予想されている。更に円安のため、外国人も増える。景観維持と安全確保を問われる夏になりそうだ・・。写真1 薄花色の富士と棚引く雲。写真2 江戸川と夏富士。写真3 右岸土手と富士山。写真4 左岸土手と緑の田んぼ。写真5 江戸川の空と雲と。写真6 筑波山と空と雲に同化してゆく富士。
2023年07月12日
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江東区青海と有明を結ぶ「夢の大橋」。最大幅員が60mと日本一広い歩行者専用・自転車専用橋だ。有明西運河を跨ぐ、橋長360mの大橋(1990年完成)。2020東京オリ・パラ大会の聖火台がこの橋に設置され、注目が集まった。 夢の大橋下の水路・有明西運河は、延長が約1400m×幅220m。「水の都」と呼ばれる副都心には40余の運河があり、そのひとつ。かつて有明南運河もあったが、東京ビックサイトなどを開発する際に消滅したらしい。この運河は、運河北の端に「のぞみ橋」、南端(海側)に「あけみ橋」など計7つの橋が犇めいている。 あけみ橋から北・都心の方を眺めると、運河に架る橋とりわけ首都高速道路JCTや高層ビル群などの景色は、未来都市を思わせる。また夜景スポットにもなっている。あけみ橋東詰近くの展望台(休息所)は、カップルに人気・・。但し、大観覧車が撤去されたので、夜景として物足りなくなった。写真1 カスケード広場より夢の大橋を望む。写真2 夢の大橋の上・・。写真3 首都高JCTと手前の青海橋(廃止)を望む。写真4 あけみ橋とゆりかもめ線。写真5 あけみ橋の南側歩道を歩く。写真6 海の広場の展望台(休息所)と東京ビックサイト。
2023年07月10日
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利根川東遷事業以前には、利根川と荒川の本流だった中川。更に荒川の西遷事業により、流域面積が激減する。中川は、埼玉羽生市街地の中に源を発する延長84kmの一級河川。時代が進み、中川流域に人口が増え、治水と利水の社会インフラが必要になった。 権現堂桜堤・巡礼樋管の対岸にあたる中川左岸側に行幸(みゆき)水門があり、水門の奥には権現堂調節池(みゆき湖とも呼ぶ)がある。この調節池は、南端の中川寄りの行幸水門・給排水機場で、北端の利根川側の川妻・給排水機場で締め切られている。 みゆき水門は、堤高14.5m×長さ89mの堰と3門の貯水ゲートと2門の放流ゲートからなる。 行幸湖は、総貯水量410万m3×延長5.2kmの行幸湖。但し洪水期には、中川の水位より下げておき、洪水調節量として360万m3確保する。水道水や工業用水も取水する多目的ダム(堰)。行幸とは、明治天皇が数回視察に来たことに由来する。名物の大噴水の噴水口に、勾玉と「しらこばと」のデザインが採用されている。写真1 行幸(みゆき)水門および堰。写真2 中川に架かる外野橋を渡る。写真3 水門ゲート類と給排水機場。写真4 みゆき湖を眺める展望台。写真5 みゆき湖と噴水装置、ダムカード。写真6 カッパ博士と権現堂調節池の碑(しらこばと)。
2023年07月09日
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東京お台場を歩くと、大きな2体の立像に出会う。「新台地」の守り神のように、自由の女神像とガンダム像だ。台場は、平成7年世界都市博覧会(中止となる)に向けて、企業誘致やホテルを建設した経緯がある。港区、品川区および江東区からなる臨海エリア。港区台場の人口は約5500人。 お台場海浜公園に立つ「自由の女神像」。像の高さ12.3m×9トンのブロンズ像で、ニューヨークの女神像46mよりかなり小さいが、レインボーブリッジを従えているようで大きく見える。現在の像は、2代目で日仏友好のシンボル。2000年フランスで造られたレプリカとのこと。 ダイバーシティプラザの前に、ユニコーンガンダムの立像が立っている、こちらも代替りで2017年にバージョンアップされたもの。夜には光を放つ演出が行われる。2012年頃、ライトアップしたガンダムを観た記憶がある。 お台場の観光スポットのひとつに「自由の炎」オブジェがある。高さ21m、台座を含める27mにもなる。この像は、やはりフランス彫刻家から、平成12年に寄贈された。ナポレオン三世の勝利の象徴を顕しているという。お台場は、江戸時代から仏蘭西に縁があるようだ・・。写真1 お台場からレインボーブリッジを望む。写真2 お台場の「自由の女神像」。高さは、像+台座=12.2+5.2=17.4m。写真3 ガンダム像の今昔(2012年と比較)。写真4 高さ19mのユニコーンガンダム。写真5 日仏友好のシンボル「自由の炎」から船の科学館方面を望む。写真6 杉山惣二氏の彫刻「美神の門」。高さ4.6m。
2023年07月08日
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権現堂桜堤の東側(川側)に、小さな水路と池がある。権現堂川の名残のようだ。あじさい橋を挟んで煉瓦造りの樋管群が保存されている。上流側にあるのは煉瓦造りの新圦(しんいり)跡で、現在山羊の小屋が建っている。下流側には、巡礼樋管が桜堤の中を貫通している。 現堂桜堤は、利根川の支川であった頃の権現堂川の堤防。この堤防に、土木遺産・巡礼樋管がある。(平成22年度土木学会推奨) 創建は天保12年(1841年)。島中領(現在の栗橋市)の排水を目的につくられた。しかし下流では用水に使用するため、樋管の管理をめぐる争いが絶えなかったという。 巡礼樋管の近くには、権現堂川用水の取水口と思われる新圦(しんいり)が保存されている。明治23年(1905年)に煉瓦造り。農業用水の取り入れ口。現在流れているのは中川。権現堂川は締め切られ「調整池」・行幸湖(みゆきこ)として名残を留める。河川管理上は利根川水系になる。写真1 旧権現堂川の樋管類。写真2 巡礼の碑の近くにある「巡礼樋管」(土木遺産)。写真3 山羊小屋近くにある土木遺産の碑。写真4 あじさい橋。写真5 あじさい橋付近の紫陽花。写真6 権現堂桜堤あじさい箇所と樋管場所。
2023年07月06日
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りんかい線・東京テレポート駅からセンタープロムナード(あおみ区間)を歩く。ブロックで舗装された道路から、花壇の花や高層ビルを眺めながら歩く。この区間は日陰がほとんどない。日差しがキツイので、マイ日傘を使用する。 夢の大橋から出会い橋の間は、花と緑とが多い。プロムナードの幅は80m近くもある。プロムナードとは、散歩道または遊歩道を意味するが、これだけ広いと各種イベントを開催できる広場だ。脇道にピンク色のアナベルが並んで咲いていた。 東京テレポート駅の東側に長く伸びる「テレポートブリッジ」が架っている。お台場地区と青海地区を結ぶ歩行者専用橋。橋長341m×幅員9mの斜張橋。この橋桁を支える主塔は、背が高く、身体を傾けるように立っている。国道357号と首都高の横切って造られた(1996年完成)。写真1 センタープロムナード緑地。後方にダイバーシティ東京オフィスビル。写真2 ペチュニアポットによる壁と柱そして白いヤマボウシ。写真3 プロムナード脇の花壇。写真4 ピンクアナベルの坂道。写真5 東京テレポート駅とバクのオブジェ(夢の広場)。写真6 橋長341mのテレポートブリッジ。
2023年07月05日
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あじさい時期が終盤に入った頃、幸手権現堂桜堤のあじさい祭りに出かけた。権現堂桜堤は、桜並木と菜の花で知られたところ。初夏の季節に、桜の終わった桜堤(さくらつつみ)に彩をと考えて、紫陽花を植えたのが始まり。今やその数が約1.6万株となり、あじさいの名所のひとつになっている。 県道下吉羽幸手線に面する第一駐車場では、約3000株のアナベルアジサイが出迎えてくれる。堤の斜面に真白に咲く。さながら雪山のようにみえる。「あじさいの坂」をゆっくり上ると、峠の茶屋があり、ひと息つける。 権現堂は、昭和初期に廃止になった権現堂川の堤防。戦後伐採されていた桜を再植樹して、1kmの桜並木と公園が出来た。春に桜まつり、初夏にあじさい祭り、秋に曼珠沙華まつり、そして冬に水仙まつり開催される。埼玉県内では、花の名所のひとつになっている。写真1 権現堂桜堤の桜樹と紫陽花。写真2 権現堂公園の入口と坂道のアジサイ。写真3 あじさい祭りと峠の茶屋と巡礼の碑。写真4 桜堤西斜面のアナベル。写真5 雪山のような景色。写真6 権現堂公園の種々のアジサイ
2023年07月03日
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散歩すると色々な草花に出会う。初夏の街角を彩ってくれる花たち。写真をメモ替わりにアップしておく。数年後には、街角からこれらの草花が消えているかもしれない。少子高齢化により、町並みも徐々に変容している。最近、朽ちた空き家が目につくようになって来た・・。[撮り溜めた写真より]写真1 線路脇の枇杷の実。写真2 石榴(ざくろ)の花と実。写真3 街角で見られるホタルブクロ。写真4 鮮やかな紫、カンパニュラとデラフィニウム。写真5 線路沿いの花壇とユリの花。写真6 ピンクが眩しい、マツバギクとフロックス。
2023年07月02日
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お台場・シンボルプロムナード公園に、アジサイの観スポットがある。当該プロムナードは、臨海副都心の台場、青海、そして有明を結ぶ細長い公園。延長約4km×幅80mの帯状遊歩道で、東・中央・西の3つのエリアに分かれている。 西エリアの出会い橋東詰から交差点に下りる階段は、曲線で勾配が緩やかだ。その階段の両側と橋台盛土斜面が白いアナベルで埋まっている。ダイバーシティ東京に近いので、訪れる観光客も多い。一方、出会い橋西詰の階段は急勾配なので人気がないが、もうひとつアナベルの階段がある。 シンボルプロムナード公園内の、臨海線テレポート駅よりに、「生きものの谷」があり、青色の西洋アジサイが多く植えられている。こちらにも階段の両脇にアジサイ咲いている。花の付きがあまり良くなかったが、青アジサイの階段と呼ばれている。出会い橋の白い階段と併せて上り下りする・・。写真1 お台場・出会い橋東詰め斜面のアナベル。写真2 白いアナベルの階段。写真3 出会い橋から白いアジサイを観る。写真4 純白のアナベル。写真5 出会い橋西詰め斜面のアナベル。写真6 生きものの谷の青アジサイの階段他。
2023年07月01日
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散歩すると、よく紫陽花を見かける。公園や広場そして畑の縁などで・・。そこで梅雨時期の六月は「あじさい月」との異名をつけたくなる。古くから水無月とも呼ばれる。この場合「無」は「の」という意味もあるので、「水の月」も良いかも知れない。 英語名「ハイドランジア」は、「水の器」との意味がある。アジサイは、葉が大きく茎が太く、水を蓄える植物とされる。従って雨をとくに好むので、雨上りにより美しく見える。花の色によって印象が変わる。青色は、冷淡・無情。ピンク色は元気な女性を連想させる。 紫陽花は、原産国は日本。海外で品種改良されて逆輸入されて人気花。その品種は3000種類を超える。大まかな分類として、も(1)ガクアジサイ:日本固有の品種。(2)西洋アジサイ:手まりのような花姿で多種。(3)ヤマアジサイ:ガクアジサイに似ているが花や葉が小ぶり。(4)北米アジサイ:アナベル、カシワバアなど。 外国では「東洋のバラ」ともてはやされたというアジサイ。また紫陽花の漢字名は、唐の詩人「白居易」が命名したという。身近な花ではあるが、世界的な花でもある。写真1 壺垣と西洋アジサイ。写真2 青紫色のガクアジサイ。写真3 白ブチのガクアジサイ。写真4 カシワバアアジサイ他。写真5 ピンク色のガクアジサイとヤマアジサイ。写真6 青紫色系のアジサイとウズアジサイ。
2023年06月29日
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ゆりかもめ・青海(あおみ)駅の南側に、海の広場公園が整備されている。この時期、純白のアナベルが一面に咲き誇る。のり面が段々畑になっており、日差しを浴びて輝いている。都内では、白いアジサイの名所のひとつ。 アナベルは、北米原産のアジサイとされる。白い小さな花が密に集まった集合体。手毬から蹴鞠ぐらいの花姿。咲き始め淡い緑色から純白に変化してゆく。ウエディングドレスを連想させる美しさがある。またアナベルは、西洋アジサイより日差しに強いようだ。日光を反射させるのだろう。 青海駅の西側に、パレットタウンや大観覧車はない。造成工事が進められていた。南側では港湾景色の一部を楽しめる。広場からは、10号地埠頭に停泊する貨物船、ゲートブリッジ、羽田空港に着陸する旅客機などを望むことができる。日傘をさして、暫し海景色眺めた。写真1 青海(あおみ)のアナベル。写真2 南に面する海の広場。写真3 純白の斜面。写真4 アナベル以外のアジサイ。写真5 大きい白鞠と小さな桃鞠。写真6 海の広場公園の海景色。
2023年06月28日
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梅雨時期、鉄道沿いのアジサイ小径を散歩することが多い。東武鉄道線路の西側に設けられた緩衝緑地。100mほどの区間に、本アジサイやガクアジサイが植えられている。狭い小径に迫る花を、近くで観察できる。 アジサイの手入れは、近くの住民をおこなっているようだ。今年も花つきが良く、奇麗に咲きほこる。電車が頻繁に通過する通勤時間帯。江戸川台駅に近いので、電車の速度は遅い。アジサイに電車を添えて撮影した。写真1 鉄道沿いのアジサイ小径。写真2 100mほど続くアジサイの散歩道。写真3 色付くアジサイと上り電車。写真4 アーバンパーク線の電車とアジサイ。写真5 西洋アジサイ。写真6 赤紫と青紫色のガクアジサイ。
2023年06月27日
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東京のウオーターフロントを散歩する。2020年に開業した東京国際クルーズターミナル(略:東京ICT)は、東京五輪大会の延期、コロナウィルス・パンデミックで、暫く閉鎖していた。この3月からクルーズ船は入港しているが、海外の大型クルーズ船はこれからだ。 東京ICTへは舟の科学館入口交差点から「東八潮緑道」を300mほど歩く。屋根に特徴のあるターミナル建物だ。徐々にねじれる形状で、「うねり」を表現している。また海上に突き出した桟橋と一体的な建物のようだ。建物内部は、解放的で天井が、竹を並べた感じで簀の子のようにもみえた。 4階送迎デッキからは、東京港の景色が素晴らしい。訪れた日、接岸していたのはオーシャンクルーズ所有の豪華客船「Scenic Eclipse」号。17500t×乗客定員228名のスーパーヨット級。清水港から東京入りして、八戸港へ出向する予定。約10日間をかけて、日本の文化・風景を巡る航海だという。 レインボーブリッジの高さ制限で、大型クルーズ船が停泊できる埠頭ということで造られた東京ICT。接岸長さ430m×水深11m。これまで接岸した大きな船は、MSCクルーズの92,000t級。今後の大型船の入港が楽しみだ。いつか東京ICTからクルーズの旅に出かけたいものだ。写真1 東京国際クルーズターミナルとアクセス道路橋。写真2 東京ICTのエントラス付近。写真3 ターミナル建物と東八潮緑道他。写真4 送迎デッキからScenic Eclipse号を望む。写真5 送迎デッキから都心と青海コンテナ埠頭を観る。写真6 ターミナル建物内部の様子。
2023年06月25日
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約20年ぶりに、柏日立台を歩く。JR柏駅東口から南へ1.5km進むと、柏レイソルのホームグランドがある。通称「レイソルロード」に沿ってウォークする。日柏サッカー場は、命名権の関係で「三協フロンテア柏スタジアム」となった。 以前、日立台には日立製作所の軍需工場があった。昭和40年代になって、区画整備事業が始まり、公園、運動場、住宅地などに変わる。その頃に、あかね住宅団地などが造られたようだ。 サッカースタジアムの道路向いに「あかね緑地」がある。半分が森エリアであるが、この高台の東斜面にアジサイが植栽されている。急主面なので、道路から眺めることなる。近くの人は、朝散歩でアジサイを観ながら散歩を楽しめる。写真1 柏市あかね緑地とサッカースタジアム。写真2 あかね緑地と住宅地とを上り下りする階段。写真3 道路のり面のアジサイ。写真4 東向の急斜面に咲く紫陽花。写真5 青色と赤色のアジサイ。写真6 レイソルロード案内地図とスタジアム。
2023年06月24日
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長谷山本土寺は、鎌倉時代に創建されたお寺。寺号の命名は、日蓮上人によるものとされる。境内には約5万本のアジサイが植栽され、千葉県における「あじさい寺」として知られている。梅雨時期、晴れ間をぬって多くの人々が訪れる。 源氏の平賀家の屋敷跡と伝わる長谷山(ちょうこくざん)。建治3年(1277年)、領内の地蔵堂を移して、法華堂として始まった。江戸期には、四院六坊がとりまき、七塔伽藍が山容を誇った。「本土」とは、佛になったお釈迦さまが住む国土に由来。本佛に捧げる草花で境内を満たす。現在、「花の寺」として親しまれている。 本土寺への参道は、旧水戸街道から続いたという。その途中に常磐線・北小金駅が造られた(明治44年)。当該駅から本土寺へは徒歩10分程。参道沿には飲食店やお土産店が並び、昔の参道の面影がある。写真1 長谷山本土寺の五重塔。写真2 紫陽花と新緑に埋もれる五重塔。写真3 本堂への石階段と祖師堂。写真4 像師堂へ続く小参道。写真5 回廊と妙朗堂などと紫陽花。写真6 境内に咲く紫陽花の例。
2023年06月22日
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本土寺像師堂へ向かう参道の途中に瑞鳳門ある。その右側にミニ弁天池があり、浮島に弁財天が祀られている。フジ鞘が垂れ下がる藤棚越に、池を見るとスイレンが浮かんでいた。 以前、この弁天池でカワセミを見かけた。ここ数年飛来していないようだ。多くの人間が訪れるようになったので、引越をしたのだろうか。天敵の蛇やイタチが現れたのだろうか。カワセミは、えさ場の近くに巣をつくりという。漢字で「翡翠」と書くように、「飛ぶ宝石」とも呼ばれている。写真1 藤の額縁と本土寺弁天池。写真2 瑞鳳門の右側に弁天池がある。写真3 弁天池のスイレン。写真4 弁天池のカワセミ[2013年撮影]。写真5 睡蓮と翡翠。写真6 像師堂と「お願い地蔵」と「銭洗い弁才天」。
2023年06月21日
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散歩の際に立ち寄ることが多い浄信寺境内。地元では、「花のお寺」とも称されている。雨が降った後のアジサイは、特に美しい。また、品種により、開花時期がずれるので、長い間楽しめる。また、サルスベリの樹に、青色と紫色の紫陽花が寄りかかるように咲いていた。 旧街道に面した山門を潜り、本堂へ続く石畳みを進む。参道には石仏とアジサイが配置され、「アジサイ寺」の雰囲気がある。石仏は、如意輪観音像が多く、地蔵像や石燈篭もある。 深井山浄信寺は、戦国時代に創建された浄土宗の寺院。本尊の阿弥陀如来像が本堂に安置されている。拝殿の扉越しに拝むことができる。無事平穏な日常に感謝する。ロシアのウクライナ侵略のさなか、巨大貯水量を誇るカホフカダムが破壊された。人々の生活と地球環境が壊れてゆく・・。祈りだけでは戦争は終わらない。しかし早期の戦争集結を願うばかりだ・・。写真1 深井山浄観寺の山門。写真2 門から本堂を望む。御本尊は阿弥陀如来像。写真3 石畳参道と紫陽花。写真4 如意輪観音像などの石仏。写真5 社務所玄関と鐘楼堂とアジサイ写真6 色々な紫陽花景。
2023年06月20日
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今年関東の梅雨入りは、6月8日だった。晴れ間が出るが、曇と雨が主体の空模様が続く。北小金駅近くの本土寺は、花しょうぶと紫陽花が同時に観ることができる場所。但し、花菖蒲が早く見頃を迎える。境内奥の菖蒲池には、約5万株の花菖蒲が植栽されている。 花菖蒲は、江戸時代から庶民に親しまれてきた。その品種は、5000品種にもなるという。歌川広重も、名所江戸百景「堀切の花菖蒲」に描いている。花菖蒲は大きく3つに分類される。(1)江戸系・茎が真っ直で多彩、(2)伊勢系・花弁が垂れ下がっている、(3)肥後系・花びらが6枚。本土寺は、やはり江戸系が主体のようだ。写真1 本土寺の菖蒲池。写真2 色豊かな花菖蒲田。写真3 花菖蒲と紫陽花。写真4 江戸系の紫花しょうぶ。写真5 江戸系と肥後系の花しょうぶ。写真6 歌川広重・名所江戸百景「堀切の花菖蒲」。
2023年06月18日
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柏の葉ボート池の西縁に植えられているアジサイが見頃になった。第二調整池へ排水する水路を跨ぐようにアジサイ田が造られている。大雨の影響なのか、例年見られた水路のスイレンがいなかった。 この日ボート池の水位がやや高く、池縁が広がっていたようだ。池に棲む鯉は、人が近づくと水際に寄って来る。餌を求めていかのように・・。総合競技場から歓声が聞こえたので、帰り際に覗いてみる。中学生の記録会のようだった。中学生から本格的な競技場でプレーすることができる。設備が整っているので、安全なのかも知れない。写真1 柏の葉・ボート池畔。写真2 ボート池西縁のアジサイ。写真3 水辺の紫陽花。写真4 涼しげなブルーなアジサイ。写真5 池に浮かぶ「スワン」と餌を求める鯉。写真6 総合競技場の空と陸上トラック。
2023年06月17日
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