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豪雨後、道路が冠水し、通行止めになる光景を目にする機会が多い。台風2号+梅雨前線により、大雨が降った翌日、江戸川の右岸地域を土手から眺めた。吉川市に隣接する越谷市のアメダス観測点では、24時間雨量が260mmの観測史上最多を記録。 吉川市から越谷市の一帯は、中川と元荒川が蛇行して流れている。また水田地帯なので用水路が整備されている。その用水路から水が溢れ出て、冠水地帯が出現したのだろう。吉川市は、「なまずの里」と知られ郷土料理に鯰が使用される。吉川駅前には「金の鯰」のモニュメントがある。 江戸川土手から西へ500m離れた場所に、吉川市民農園に隣接した多目的広場がある。道路より高いため、冠水が免れていた。ベンチや四阿があり、清掃工事の展望台や東京スカイツリーを眺めることができる。ふと思った。冠水した水中に、ナマズが泳いでいるのでないかと・・。写真1 江戸川右岸土手から冠水状況を見る。写真2 吉川および越谷方面を望む。写真3 沼のような光景と「金なまず」写真4 道路が寸断。写真5 市民農園の芝生広場。「なまず盛土」上空から見ると・・。写真6 「水上バイク」が走っている。
2023年06月15日
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県立柏の葉公園に。日本庭園と西洋庭園が並んでいる。西洋庭園は、ドーナツ状の円形花壇で、色とりどりのバラを植栽している。春と秋に開園され、無料でバラの花姿と匂いを楽しめる。 西洋バラ園には、86品種×約1000本が植栽されている。バラ品種には名前が与えられているが、横文字が多く覚えることは困難。リーフレットによると、バラの品種を4つに分類している。HT:ハイブリット系(枝先に大輪)、F:フロリバンダ(枝先に中輪を数輪)、CL、S:クレイミング(蔓バラ)、Min:ミニチュア(ミニバラ)。 比較的、花姿が新鮮なものバラを撮影した。名前を探してアップします。春季の開園は、5月初旬から6月中旬までの約1.5ヶ月。写真1 柏の葉公園の西洋庭園バラ園。写真2 HT系のベルサイユのばら、ヨハンシュトラウス。写真3 HT系のノヴーリス、ブルーライト。写真4 F系のファビュラス、伊豆の踊子。写真5 S系のアプリコットキャンディーズ、メイディランド。写真6 中央ドームのフランソワジュランビル。
2023年06月14日
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台風によって活発化した梅雨前線は、関東にも大雨被害をもたらした。住宅の浸水被害は、越谷市や取手市が大きかった。厚い雨雲が次々と発生し、帯状のエリアで豪雨となった。北流山地域では住宅浸水や崖崩れは無かものの、生育中の稲が水没した。秋の収穫に影響がなければ良いのだが・・。 雨の上がった朝と午後に江戸川土手を歩く。江戸川の水位上昇はそれほどでもない。降水地帯が限定され、流域山地での降水量が少なかったためだ。しかし中小河川における内水排水設備の能力不足があったようだ。低地の緑地や低い道路は、冠水に遭っていた。写真1 北流山地区のおける田畑の冠水。写真2 江戸川左岸田圃が水没。写真3 水没した田畑。写真4 台風一過の冠水田と物流タウン。写真5 江戸川に「湿原」が出現した。写真6 江戸川の増水状況と調整池の貯留。
2023年06月12日
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ツツジが終わり、暫くするとサツキが花をつなぐ。約1ヶ月後に、赤紫色の小さな花が密に咲く。公園や住宅の生垣を彩る。 ツツジ(躑躅)とサツキ(皐月)は、花や葉などが良く似ている。その主な違いは、花の大きさと色だろうか。サツキの花の大きさは約4cm、ツツジは6cmほど。サツキの花の色は、赤紫色が一般的。ツツジは色彩豊かな品種だ。旧暦の5月に咲くツツジと言われ、花名に「皐月」が転用された。 柏の葉公園の管理棟とボート池の間にある、四季の広場に、大きなヒノキとクスノキの樹が立っている。そのうちクスノキの新緑の葉が太陽光を浴びて輝いていた。南の木と画いて、クスノキになる。北海道では見られず、西日本でよくみられる樹。寺院などの御神木になっているケースが多い。九州らには樹齢千年を超えるものもある。写真1 柏の葉公園の大クスノキ。写真2 サツキと新緑のクスノキ。写真3 絨毯のような密なるサツキ花。写真4 緑輝く楠木の葉と花。写真5 四季の広場の主役、樟と欅の樹。写真6 ボート池からクスノキとビルを望む。
2023年06月11日
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コロナの制限が解けて、海外の観光客が押し寄せる浅草寺雷門。時間帯によっては、日本人より多いかも知れない。雷門は、浅草寺の総門に当り、風雷神門とも呼ばれる。門表の左右に、雷神像、風神像が立っている。洪水や火災から守るシンボルだ。門裏には、天龍と金龍の彫刻像が立っている。 仲見世通りの先に建つ宝蔵門は、旧仁王門とも呼ばれる。二重の楼門で仁王像を安置。過去に幾度も焼失したが、昭和39年に鉄筋コンクリート製で再建される。上層階には、国宝の法華経など収蔵されている。檻の中に閉じ込められているような金剛力士像は、身長5m×重さ1t、木曽檜材で創られている。 浅草寺本堂は、東京大空襲を含めて、過去20回ほど焼失している。鉄筋コンクリート造りで再建されたのは昭和33年。拝殿に扁額「施無畏(せむい)」が掲げられていた。観音菩薩には、不安や恐怖を取り除くことができるとの意味。拝殿の外陣天井に、「龍之図」と「天人之図」が描かれている。天を見上げて天人にも祈願できるように配慮したものだろうか。写真1 金龍山雷門と提灯と底彫刻。写真2 身長5mにおよぶ雷神像と風神像。写真3 宝蔵門(仁王門)とジャンボ草鞋写真4 美しい屋根の浅草寺本堂と境内。写真5 拝殿の大提灯「新橋」。写真6 本堂外陣の天井画。「龍の図」と「天人之図」
2023年06月10日
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江戸川右岸側(吉川市)で、水田越の五月富士を眺めた。初夏の富士を「五月富士」、「皐月富士」とも呼ぶ。雪解けが進み、残雪の富士山は、日本的美しさがある。松尾芭蕉ら多くの俳人も詠んだ題材だ。五月富士の季語は夏・・。 田植したばかりの水田を「早苗田(さなえだ)」という。まだ苗が小さいため、水面に光が反射し、周りの景色が美しく映える。農家さんも大事な作業を終えて、ひと安心の時期だろうか。機械化の普及で、苗は等間隔に植えられる。暫くすると稲へ育ち、水面が見えなくなる。そして真夏が訪れる・・。写真1 江戸川左岸の早苗田風景。写真2 クスノキと水田。写真3 早苗田と五月富士写真4 残雪の五月富士。写真5 江戸川上流の日光方面。写真6 玉葉橋から富士山と筑波山を望む。
2023年06月08日
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神田駅から国道17号沿いに北へ進むと、神田川に架かる万世橋に至る。この橋を渡ると、景色が一変する。橋の北詰で、左折すると国道17号・神田明神方面、直進すると秋葉原の中央通りとなる。秋葉原は、アキバと呼ばれポップアートの聖地となっている。なお、秋葉原の地名は、秋葉神社が由来。 万世橋の前身は、江戸・延宝4年(1676年)の「筋違橋」とされる。当時は中山道の本道の橋だった。明治5年に入り、徳川将軍家が使用しなくなったこともあり、「萬生橋」と変更する。洪水や関東大震災へ経て、昭和5年現在のコンクリート造りアーチ橋となる。 万世橋の上流右岸沿いに、鉄道高架橋を活用した飲食などの店舗・マーチエキュートが営業。その場所にはかって国鉄・万世橋駅があった。国鉄中央本線のターミナル駅になるはずだった。しかし東京駅・神田駅の相次ぎ開業(大正8年)、震災等の影響で貨物・旅客の利用が減り、昭和18年に廃止となる。 かつての万世橋駅舎は、辰野金吾氏が設計した。東京駅のような赤レンガ造りの豪華な建物だった。駅敷地に造られた鉄道博物館には、駅付近の模型が展示されていた。今は再開発の高層ビルが建っている。写真1 万世橋とアキバ街。写真2 万世橋の風景。肉の万世と親柱。写真3 万世橋から神田川上流と下流を望む。写真4 神田川と再開発ビル等と初代駅舎模型。写真5 アキバ中央通上空を走る総武線電車と秋葉神社。写真6 ポップアートの街。壁画は移ろう。
2023年06月07日
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江戸川に架かる玉葉橋を通っている時、白い虹を観る。日が昇り始めて約1時間後、東の空は白いベールのうす雲が広がった。白いベールの中に、大きな輪が輝いていた。ハロ現象(日暈)で、見た人に幸運をもたらすとされる。一方、天気が崩れてゆく前触れとも・・。筑波山の山容は見えたが、富士山と日光連山の姿はベールの中だった。 太陽を中心に白く輝くリングをハロという。それは、うす雲が太陽の周りに広がっている時に出現する。日の出後と日の入り前によく観られる。上空の氷の粒によって、太陽光が屈折して見える現象。太陽の横方向で、虹色に輝くものが幻日と呼ばれる。写真1 玉葉橋から見る光の大アーチ。写真2 白い虹のようなハロ現象(日暈)。写真3 筑波山の山容。写真4 富士山と日光連山はベールの中。写真5 ハロ環と幻日。
2023年06月06日
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都心を流れる神田川には140ほど橋が架かっている。河口から数えて8番目の橋が昌平橋。直下流の橋は万世橋。昌平橋の少し上流で、鉄道が交差する。国道17号の上空を走るのがJR総武線。秋葉原駅とお茶の水駅との間に造られた鋼製アーチ橋は、「松住町河道橋」と呼ばれる。 松住町河道橋は、ビル街の中でひと際目立つ緑色している。トラス構造による二重アーチの鉄骨の橋(タイドアーチ)は、レトロ感を醸し出す。強い直線と優雅な曲線は、見る人に安定感を与える。昭和7年(1932年)に架橋されたもので、このタイドアーチ式の鉄道橋は、国内最古とされる。千代田遺産に登録されているが、鉄道遺産とも言える。 この地に最初に架橋されたのは寛永年間(1624-1645)とされ、芋洗橋または相生橋と呼ばれていた。しかし元禄年間に湯島聖堂が完成すると、「昌平橋」に命名された。現在の橋は、数代を経て大正12年鉄筋コンクリートアーチ橋となった。当時は電車も走っていたという。歌川広重の名所江戸百景に「昌平橋湯島堂神田川」が描かれている。写真1 神田川と昌平橋と総武線。写真2 国道の上に架かる「松住町河道橋」。写真3 JR総武線橋梁を望む。写真4 昌平橋交差点と昔の高架橋跡。写真5 神田川と御茶ノ水分水路の吐口。写真6 歌川広重の江戸名所百景「昌平橋湯島堂神田川」。
2023年06月04日
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ツツジが咲き誇る「流通タウン」の緑道(つつじロード)から富士を眺めた。しかし春霞がかかり、冠雪している山頂のみが浮かんで見えた。[撮り溜めた写真から] つつじロードから利根運河左岸の「におどり公園」を通ると、光沢のある黄色い花が地面に這っていた。5弁の小さな花で、妙に艶がある山野草だ。花名は、ハイキンポウゲ(這金鳳花)のようだ。花言葉に「毒舌」がある。花の汁液に触れると皮膚がただれる。まして口にすることはNGである。写真1 ツツジ散歩道から富士山を。写真2 江戸川越の淡い浮き富士。写真3 紅白のツツジ。写真4 緑地にツツジが咲きほこる。写真5 流通タウンのツツジを遠くから眺める。写真6 利根運河のハイキンポウゲ(這金鳳花)。
2023年06月03日
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江戸川上流域、春日部大凧揚げが開催される近くに、東光山大王寺がある。右岸土手下の墓地に、石仏と無演供養塔が並ぶ。5つのお寺を統合して、昭和30年に創立された真言宗豊山派の寺院。本尊に大日如来像を安置。本堂は、寛政3年(1791年)に建立され旧宝蔵寺の建造物。 複数のお寺が合わさっているの、で境内には山門(仁王門)、六角堂、鐘楼堂など点在している。珍しいものに、「虚無僧塚」もある。この辺り(宝珠花村)は、江戸時代、編み笠と尺八を吹きながら、全国を行脚した虚無僧らの拠点だったのだろうか。 正観世音菩薩の石像も立っている。観音霊場のひとつのようだ。「武州葛飾郡新秩父三十四観音霊場」の16番札所とされる。1番札所は杉戸の「延命寺」、34番札所は岩槻の「妙音寺金剛院」。多くの地域に、寺院を回る巡礼道がある。写真1 東光山の山門。写真2 仁王門と吽形像。写真3 大王寺本堂と彫刻。写真4 境内の様子と獅子像に囲まれる鐘楼堂。写真5 観音像と板石塔碑他。写真6 石仏群と無縁供養碑。
2023年06月01日
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早朝の土手を散歩していると、変わった雲を見かけた。東雲(しののめ)の空に、紐(ひも)状の雲が、十数条が伸びていた。太陽からロープが投げられたような光景だ。波状雲の一種で、天候が下ってゆく兆候と言われている。 江戸川沿いの田に水が引かれて、田植えが始まっていた。大型物流施設の外壁が黒く眠っているようだ。日の出が近くなると、水面が朱色に染まってゆく。田植えから約3ヶ月後には稲刈りが始まる。それまで順調にコメに育つよう願う。 ロシアによるウクライナ侵略と天候不順(洪水と干ばつ)で、世界的に小麦と飼料が不足する見通し・・。恵みの雨がある日本。用水路と水田がある北流山。稲作を続けてほしい・・。写真1 東雲の空と江戸川沿いの水田。写真2 初夏のあけぼのと紐状の雲。写真3 建物の奥から伸びる筋。写真4 丘陵から朝日が昇る。写真5 上空へ螺旋状に舞い上がる。
2023年05月31日
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江戸川土手の斜面に、三つ葉のクローバーがコロニーを形成していた。一昨年の堤防補強工事で、新たに芝が張られたのり面だ。芝が広がっていた場所に、雑草の仲間・クローバーが白色と赤色で陣地取りのように固まっている。徐々にその勢力を広げて行くのだろう・・。 クローバーの和名は、ツメクサ(詰草)。初夏、シロツメクサとアカツメクサがいたる処で咲く。痩せている土壌に咲き、雑草のごとく強い生命力を持つ。幼い頃の遠足を思い出す。女の子が四つ葉のクローバーを探しながら、花冠を編む情景を・・。 ツメクサの「詰める草」語源は、緩衝材からきている。江戸時代、オランダなどから持ち込まれた植物だという。西洋の陶器を箱に詰めて輸入される際、箱のすき間にこの山野草を詰まっていたことに由来。明治・大正を通じて、日本各地の牧草地などに、瞬く間に広がったクローバー。クローバーやタンポポは、ウサギの好物。写真1 江戸川堤防の芝法面。写真2 発達中のクローバー・コロニー。写真3 シロツメクサのコロニー。写真4 白色と赤色のクローバー。写真5 土手斜面の山野草畑写真6 土手から観る「流通タウン」。
2023年05月30日
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祭最終日(5/21)、未明から夜まで例祭が行われる。神幸祭(安全祈願)の後、さらしを撒かれた宮神輿3基を宮出し、町内を渡御(とぎょ)が始まる。四十四ケ町の街々を、東・西・南の3ルートに分かれて一日かけて練り歩く。宮神輿は、定められて中継場所で引き継がれる。駅伝のように・・。 雷門通りは8時から、馬道通りは11時から歩行者天国になり、お祭り広場となる。前日練り歩いた町内神輿を繰り出し、お祭りはピークとなる。担ぎ手らが「オイサ、オイサ」と掛け声をあげながら、神輿を上下左右に揺り動かすことを「魂振り(たまふり)」という。これは神輿の神霊を高め、豊作や豊漁、疫病退散になるとの信仰。 宮神輿の渡御を待つ、または終えた町会は、空いた時間に町神輿をお祭り広場へ繰り出す。いたる所で神輿の渡御に遭遇する。雷門前、吾妻橋、言問橋付近が人気の見物ポイント。宮神輿が浅草神社に戻り、宮入りするのは20時頃。そして関係者により「神霊返しの儀」が斎行されて例大祭を終える。写真1 雷門通りのお祭り広場。写真2 雷門前での神輿渡御と人波状況。写真3 花川戸公園の神輿渡御(さらし巻の三ノ宮神輿)。写真4 言問橋西交差点の宮神輿渡御。写真5 一之宮神輿渡御と芸者衆の行列。写真6 雷門通りと三社祭のビル壁画。
2023年05月28日
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北流山の江戸川沿いに伸びる「流通タウン」。大型流通施設棟の西側に、舗装されたクリーム色の散歩道が整備されている。やや遅れて開発されたプロジェクトには、緑地の道脇の花木に統一感がある。ツツジ、サクラ、メタセコイヤ、クスノキの配置について・・。 流通施設と区別・境界を示す生垣には、カナメが多く植樹されている。カナメモチは、若葉は赤く、白い小さな花をつける。そして徐々に常緑になってゆく。赤い生垣から白色そして緑に変化して行くのを観るのは、散歩の楽しみのひとつ。 GLP流山とDPL流山の西側、県道5号に沿って、メタセコイヤ並木が植樹されている。その延長は、9棟分で2.5kmにも及ぶ。今は若樹で幹が細いが、順調に育つと20年後の姿が楽しみだ。冬は防風林、夏は猛暑対策になりそうだ。その頃までに毎日散歩できる体力が残っているだろう・・。写真1 物流施設DPL流山4の西面。写真2 生垣のカナメモチの変化(赤色から緑色へ)。写真3 DPL流山4の西散歩道のカナメモチの白い小さな花。写真4 GLP流山8のメタセコイヤ並木。写真5 GLP流山8の西面。写真6 ツツジ・メタセコイヤ並木ゾーンの緑地散歩道。
2023年05月27日
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梅雨入り前の初夏、東京周辺ではお祭りが各地で繰り広げられる。コロナ禍を克服した喜びもあって、従来以上の盛り上がりがある。東京の初夏を代表する風物詩。浅草三社祭が5月19日から5月21日に開催。江戸風情の残る下町・浅草が1年で最も活気づく時期だ。 「三社祭」は、浅草神社の例大祭。4年ぶりに、本社神輿3基(一之宮、二之宮、三之宮)が各町を練り歩いた。担ぎ手の氏子は、これまでのうっぷんを晴らすように、満足な表情だった。江戸っ子は、お祭りが大好きな人種なことが改めて解った。 「三社」とは、浅草神社の旧名の「三社権現」が由来。飛鳥時代の事。浅草観音像を浅草浦(宮戸川)から拾い上げた漁師2名と土地の識者の3名を祀ったことから三社と呼ばれた。社殿内と神楽殿では、3日間、奉納の舞が奉奏される。「びんざらさ舞」、「巫女舞」が新聞・テレビで報道される。写真1 浅草神社例大祭の幟と鳥居。写真2 境内と社殿。写真3 三社祭ポスターと故事の観音像引上げ図絵。写真4 本社神楽3基。担ぎ上げ時、装飾を外してさらし巻き状態になる。[東京新聞]写真5 神楽殿での巫女舞(少女4名)。写真6 奉奏・奉納される芸能。
2023年05月25日
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日本海を見下ろす丘陵に、「北の美術豪邸」と呼ばわれる旧青山別邸がある。青山家は祝津の大網元。にしん漁で巨額の富を築き上げた。この財を使用して、大正6年から6年半余りの歳月をかけて別邸を建てた。 北前船で運ばれた最高の素材と匠の技で建てられた母屋には、春慶塗(しゅんけいぬり)が施され、18室の各部屋の襖絵や書は、当代一流の画家・書家が描いている。2011年、有形文化財として国に登録された。小樽市の指定歴史的建造物(第3号)でもある。 旧青山別邸内の各部屋の写真撮影は禁止されている。バンフレットとホームページなどにより、「八仙人の間」と「牡丹の間」、「うぐいす張りの廊下」を掲載。帰り際、出入口近くに「石狩挽歌」の石碑があった。なかにし礼氏が作曲したヒット曲。彼は、少年時代小樽で過ごしている。写真1 貴賓館レストランから旧青山別邸を見る。写真2 旧青山別邸の正面。写真3 個性的の鬼瓦。写真4 豪邸内の一部様子。八仙人の間、牡丹の間など。写真5 枯山水庭園にある龍の姿に似た赤松。写真6 出入口の門と石狩挽歌の記念碑。
2023年05月24日
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祝津にある「小樽貴賓館」でランチし、その後「旧青山別邸」を見学する。「にしん御殿小樽貴賓館」は、食事ができる貴賓館と旧青山別邸、および庭園からなる。樹齢百年とされる赤松脇の鋼製門から入園する。牡丹・芍薬で知られる庭園だが、訪れた日はまだ早かった・・。 貴賓館の一階大広間(ホール)には、色とりどりの花が描かれた天井画があり、訪れた人々を迎えてくれる。北海道に咲く花をテーマに、道内の画約家百名で描いたという。1m四方の花絵139枚が配置されている。正面の琴演台の金屏風図と左右の壁にも絵画などを観賞。このホールでは、写真撮影はOK。 大きなガラス窓から旧青山別邸建物と庭園を眺めながら、食事できる和風レストラン・花かずら。一階80席。上階は団体用で、最大150名規模の宴会や法事等に利用されるという。窓際の席で、ニシン料理と食後のコーヒーを楽しんだ。写真1 小樽貴賓館(レストラン)写真2 貴賓館ホールの天井画。写真3 天井画花の絵。写真4 ホールの「四季花鳥図」他。写真5 建物位置図と牡丹の咲く頃の様子。写真6 和風レストラン「花かずら」でランチ。
2023年05月23日
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神田祭のハイライト、神輿宮入(みこしみやいり)の様子を見に出かける。自宅からJR秋葉原駅まで約1時間10分。丸一日の「観戦」は、体力的にきついので午前中のみ。散歩気分で道中神輿を観ながら駅に戻る。 秋葉原駅に着くと、電気館口ではすでに「万世橋町会」が出陣式に集まっていた。先回りして境内へ行くと、本殿前では、女性陣により奉納太鼓が鳴り響いていた。境内の邪鬼を打ち払うかのように。大小200基を超える各町会神輿が町内を練り歩き、境内本殿を目指す。 交代で神輿を担ぐため、1チーム当りの編成人数が百人規模になる。200基の各部隊は、一度に境内に入ることはできない。宮入の順番が決まっているようだ。先陣(9時)をきるのは、「外神田地区」の神臺會、神田5軒町会、万世橋町会と続く。トリ(18時)を受け持つのは、日本橋地区の町会のようだ。 5月14日(日)の神田明神周辺は終日、いなせな江戸っ子たちの掛け声が響き渡る。本殿前は、氏子たちの熱気で壮麗な景色が広がる。写真1 秋葉原駅前の神輿出発式(万世橋町会)。写真2 神輿宮入前の境内で行われた奉納太鼓(保谷太鼓会他)。写真3 鳥居の下で犇めき合う氏子たち。写真4 参道前の国道は、宮入時間の「調整坂」。写真5 神輿を担ぐ各町会の氏子。写真6 人形神輿と警察署前の神輿。
2023年05月21日
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4年ぶりに復活した神田祭を観に行く。5月13日(土)神幸祭と5月14日(日)神輿宮入とが一般庶民と観光客にとってのイベントになる。日本三大祭のひとつ神田祭(他の二つは京都祇園祭、大阪天神祭)の見所は、華やかな大祭行列と200基の町内神輿が境内に入場シーンか・・。 江戸総鎮守の神田明神は、三柱(大黒、恵比寿、将門)の神霊を祀る神社。江戸城の表鬼門守護の場所に当たるため、幕府が社殿の造営・維持する。武士から庶民まで多くの人々が崇敬した。関東大地震で社殿が焼失したが、昭和9年には耐震耐火性の社殿を復興。隋神門は昭和51年に建立される。 神田明神へは秋葉原駅から歩く。駅前の神田明神通りを300m進むと、国道17号(旧中山道)の交差点・神田明神下に至る。上り坂を300m歩くと、左手に湯島聖堂、右手に神田明神の鳥居が見えて来る。更に緩い坂道の参道が続く。近くを流れる神田川より比高15m高台に神田神社・本殿が建っている。 本殿向かって右側に、山車が展示されていた。高さ7mを超える「加茂能人形山車」と小ぶりの「桃太郎人形山車」。魚河岸会所有の加茂能人形山車は、昭和30年に復元したもので、中央区の有形民俗文化財。写真1 国道17号から鳥居と隋神門を望む。写真2 2023年神田祭ポスター。写真3 壮麗な隋神門。写真4 朝の境内、本殿と「加茂能人形山車」他。写真5 浮世絵にみる神田祭。写真6 雨模様の神幸祭から(東京新聞)。
2023年05月20日
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年忌法要のために小樽市真栄の龍徳寺に上がる。1年が過ぎるのは早いものだ。肉親の一周忌の法要を龍徳寺で行う。故人の冥福を祈り、共に過ごした日々を偲んだ。更に、兄弟の眠る祝津へ移動して、墓参りを済ませた。天気に恵まれ、遠くの手稲山が見えた。 海雲山龍徳寺には、小樽市内最古(明治6年)の寺院本堂がある。美しい入母屋造りで、「市の歴史的建造部」に指定されている。創建は安政4年とされる。本堂の内陣は、煌びやかに飾られている。日本一大きい木魚があるお寺。また、撫でるとその部位の病気が治るという仏像「びんずる様」が座っていた。頭をナデナデする。 お寺の裏手に墓地があり、桜が咲き始めていた。墓地の空き地に、水色の小さな花「エゾエンゴサク」が咲いていた。北海道では、桜の頃あちこちで見られる草花。「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」の仲間だという。漢方薬「延胡索(えんごさく)」に似ている。菊の花のように、お浸しで食べられるというが、これまで味見したことはない。写真1 海雲山龍徳寺は、小樽市内最古の寺院本堂。写真2 本堂内部の内陣と日本一大きい木魚。真3 龍徳寺の桜。写真4 赤い頭巾と前掛けした撫仏「びんずる様」。写真5 春の妖精、エゾエンゴサク「蝦夷延胡索」。写真6 祝津霊園から手稲山を望む。
2023年05月18日
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大型物流施設周り、新しく造成された緑地道に、躑躅の帯ができていた。流山市の「市の花」がツツジなので、大量に植樹された。かなり密に植えられている。今後、維持費が掛かりそうだ。五月晴れの下、ツツジを観ながら散歩すると、歩数の割に時間を要する。 先月(2023年4月下旬)、4棟目の施設DPL流山Ⅱが竣功した。約7年間におよぶダイワハウスの「流山プロジェクト」が完工した。計4棟のマルチテナント型物流施設(テナント企業が複数入居可能)の規模は、総敷地面積32万m2×総床面積74万m2(東京ドーム15個分)の「物流タウン」。 県道5号線沿いに縦に配置され、江戸川上流から流山1、2、3、4と番号が付けられている。施設を取り囲むように、並木ゾーンが配置されている。西側に「ツツジ・メタセコイヤ並木」、東側に「クスノキ並木」、施設の間を抜ける東西道路沿いには「サクラ並木」を配置。周辺環境の配慮と防災対応をコンセプトにしているという。写真1 DPL流山Ⅳの南側の道路とツツジの帯。写真2 物流タウンのツツジ。写真3 流山の「市の花」は、ツツジ。写真4 DPL流山Ⅳの西側の散歩道とツツジの帯。写真5 DPL流山Ⅳの北側道路の躑躅帯と石のベンチ。写真6 DPL流山Ⅳの西側の散歩道とツツジ。
2023年05月17日
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小樽市の港と町を南側から見下す公園がある。中心市街地より南東へ3.7km、平磯岬に位置する平磯公園。三方を山に囲まれた港町を一望できる。「市の重要眺望地点」に指定されている。岬頂部は、整地された平坦地無で、運動場や遊戯広場がある。 坂の町・小樽には、高いところにある桜の名所が多く、平磯公園もそのひとつ。北の丘陵地にある手宮公園と遠く向い合う位置関係となる。平磯公園には、エゾヤマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラの3種類が計100本ある。それぞれの桜の開花時期が重なると、花見のピークとなる。 この公園から北へ300mに、小樽を代表する歴史的建造物のひとつ銀燐荘が建っている。ニシンで栄えた大網元が豪壮に居を構えた「鰊御殿」。現存するニシン御殿で宿泊できる希少な宿。昭和13年(1938年)に積丹半島から移築され、「北の迎賓館」と呼ばれたこともあった。写真1 小樽・平磯公園から眺望。写真2 眼下に小樽市街地を見下ろす。写真3 重要眺望地点と防波堤を望む。写真4 2分咲き程度の平磯公園の桜。写真5 平磯岬の桜樹と白樺樹。写真6 マリーナから平磯岬と銀燐荘を望む。
2023年05月16日
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JR札幌駅の北口側に、ホテルを予約して宿泊する。北海道大学が近いので、北大キャンパス内を朝散歩する。早春の空気中を歩くと、身体にエネルギーをもらえる。ランナーが駆け抜けるメインストリートで、2020東京オリンピックのキロ・ポイントプレートを探した。 構内道路近くの大野池にミズバショウが咲いていた。大野池に流れ込む小川が湿地帯を形成しているため、水芭蕉が群生地するという。都会の札幌中心部でも、水芭蕉が見られる。北大構内は、多様な植物が棲み付いている。 「夏の思い出」の唄に出て来るミズバショウ。尾瀬の美しいし自然を連想させる。花言葉に「美しい思い出」、「変わらぬ美しさ」がある。また、「カンノンバス(観音蓮)」との異名もある。白くて神々しい、たたずまいから名付けられた。白い葉は、仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれ、仏像の光背をイメージさせる。写真1 北大構内で見られるミズバショウの群生地。写真2 北大構内の大野池。写真3 「美しい思い出」の花言葉を持つ水芭蕉。写真4 北大構内に咲く早春の桜(エゾヤマザクラ)。写真5 ポプラ並木と手稲山。写真6 北大構内道路とマラソン記念キロプレート。
2023年05月14日
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サッポロに宿泊すると、ジンギスカン(成吉思汗)が食べたくなる。知人に連絡して、札幌ビール園で、ビールを飲みながら羊肉を食する。ビールパークには、5つの食事建物があるが、これまで3カ所(トロンメルホール、ケッセルホール、ガーデンクリル)を制覇した。あと2箇所は、次回の楽しみとする。 ライトアップされた赤レンガの建物は、札幌市内の観光名所にもなっている。サッポロビール博物館とサッホロビール園開拓使館は、明治時代の貴重な建造物となっている。北海道遺産に認定されている。入口付近に大きな樽が積上げられている。「麦とホップを製すればビールという酒になる」との広告樽壁。 サッポロビール(株)の前身である「開拓使麦酒醸造所」の開業は、明治9年(1875年)。開業140年を記念して2016年、レンガ建物の外観をそのままにして、内部をリニュールして博物館としている。原則無料なので、食事前に立ち寄ってはいかがだろうか・・。ビールの違いが判るかも知れない。写真1 サッポロビール博物館の赤レンガ壁。写真2 エントラスの「樽文字」と煮沸釜モニュメント。写真3 赤レンガの歴史的建物とサクラ。写真4 ライトアップされ輝く博物館とビール園開拓使館。写真5 ビールの博物館の内部。写真6 ガーデングリルでビールとジンギスカンをゆったりと楽しむ。
2023年05月13日
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江戸川土手の色合いが新緑から青葉に変わりつつある。乾燥した風が吹いた日、遠くの山々は春霞でぼやけて見える。しかし春の富士山は、まだ冠雪があるので、山容がそれなり見える。対岸の濃緑の柳が吹き流しのようだった。 春の富士は、流山からだとくっきり見えることはない。5月1日ウエザーニュースで、「農鳥」が現れたとの報道あり。「農鳥」は、富士山の春の風物詩。地元では田植えの目安とされる。例年よりも1週間以上も早く、お披露目となった。今年の桜も、異常に開花した。夏の訪れが早く、長期間の夏を覚悟した方がよさそうだ・・。写真1 江戸川土手と冠雪を抱いた富士。写真2 緑の土手と春富士。写真3 青葉の中の富士山。写真4 霞む春富士と5月初旬の「農鳥」(ウエザーニュース)。写真5 春霞の丹沢山地と対岸のゴルフ場。写真6 田植え始めた江戸川(北流山)地区。
2023年05月12日
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札幌市内における桜の名所のひとつが中島公園。歓楽街「すすき」に隣接しているものの、水と緑が豊かな都市型公園だ。園内には、エゾヤマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラ、チシマザクラなど約400本の桜がある。地下鉄を利用して花見ができる名所。 中島公園に潤いを与えているのは、菖蒲池と鴨々川(かもかもがわ)。昔、豊平川の分流が流れ込んでいた場所。本川と鴨々川に挟まれた場所が「鴨々中島」と呼ばれていたが、時代が進むにしたがい中島地区となる。明治20年、木材の貯木場を整備して中島遊園地とする。その後、市民の娯楽、スポーツ、文化芸術、商業的イベントなどを通じて、札幌市発展と歩みを共にして来た公園。写真1 中島公園日本庭園の池と桜。写真2 日本庭園のシダレザクラ。写真3 枝垂れる枝と花びら。写真4 葉が赤いエゾヤマザクラ。写真5 花団子のような桜。写真6 「母と子の像」とサクラ。
2023年05月10日
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桜の咲き始めた頃、法事他の用事で札幌市内に宿泊した。近場の中島公園で桜散歩する。緑多い公園で、ひと際目立つ、白と水色の洋館・豊平館に自然と足が向く。桜が建物に花を添えていた。 豊平館(ほうへいかん)は、明治13年(1886年)に、西洋式ホテルとして開拓使が建造した。当時では珍しく、白壁が水色(マリンブルー)に縁どれた建物。戦後、札幌市民会館と改称され、結婚式場とし人気があった。昭和39年に国の重要文化財に指定。 2012年から4年間かけて、耐震改修など行われて、2016年にリニューアルオープンした。2階広間では結婚披露宴が行われる。これまで22,000組のカップルが利用。コロナで機会の減った結婚披露宴が盛んなることを期待したい・・。写真1 中島公園の北側の池畔に佇む豊平館。写真2 桜と水色(空色)。写真3 爽やかで女性的な洋館。写真4 正面玄関とバルコニーと装飾柱。写真5 エゾヤマザクラは、見頃始め。写真6 豊平館内部の様子。
2023年05月09日
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江戸川上流50km付近の右岸河川敷で、行われる大凧揚げを観にゆく。新型コロナウイルスの影響で、4年ぶりの開催となった「春日部大凧あげ祭り」。西宝珠花の江戸川河川敷で5月3日と5日子ども日の2日間行われる。対岸の左岸河川敷には、国内で大きい「グライダー滑空場」がある。 大凧は、上若組と下若組がそれぞれ一面ずつ製作し共同で揚げる伝統行事。高さ15m×幅11m×重さ0.8tの大凧だ。竹の骨組みに和紙1500枚(45cm×35cm)が使用される。その年を象徴する文字が書かれる。今年は、ウクライナ戦争もあり、下組が「世界」、上組が「平和」が採用された。下組を観戦する。 江戸期、西宝珠花地区は、江戸川の舟運により、河岸場として繁栄した。明治に入り蒸気船が就航すると、寄航地として繁栄する。しかし昭和のカスリーン台風の被害で、江戸川堤防が大幅に改修するになる。村の大規模な移転事業の歴史がある。今は、河川敷は広く堤防が高く、大凧揚げに向いているロケーション。 江戸川土手を延々と走るマラソン大会がある。昭和町と春日部市が合併するまでは、「庄和町大凧マラソン」と呼ばれていた。小生もこの大会(ハーフ)によく参加した。江戸川越の筑波山とグライダーが舞う空の下で・・。写真1 江戸川河川敷に舞い揚る大凧。写真2 下若組の「世界」と大凧の反り状況(90cm)。写真3 小凧の「皐月」と「挑戦」が高々と舞い上がる。写真4 飛翔前に展示されていた小凧。写真5 春日部大凧あげ祭りの会場。写真6 宝珠花橋・筑波山と堤防法面に座る観客。
2023年05月07日
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古くて広い清水公園(28万m2)の一角に、「花ファンタジア」カーデンがある。平成14年にオープン。花を愛でる市民の憩いの場として整備された。花ファンタジア内は、ゆっくり回って約1時間コース。レストハウス前のメインカーデンには、春にネモフィラ、秋にコキアが植えられる。 ペット同伴の入園者が最近目立つ。愛犬と花を写真に撮り、SNSにアップしているようだ。ネモフィラの花は、輪郭が青く、中心部が白いので、英語で「赤ちゃんの青い瞳(Baby blue eye)」と呼ばれる。和名として、瑠璃色で唐草模様なので、「瑠璃唐草」がある。 ネモフィア・ガーデンの東側に、低木を刈り込み立体的に仕上げて造形物「トピアリー」がいる。ゾウさん、おウマさん、クマさんの3体。更に奥に進むと、休憩所のカフェがあり、藤が見頃を迎えていた。写真1 清水公園の花ファンタジア。写真2 レフトハウス前にネモフィラが広がる。写真3 「赤ちゃんの青い瞳」の名前もあるネモフィラ。写真4 馬さんと象さんのトピアリー。写真5 藤棚と池の藤。写真6 フラワータワー「ピンクパンサー」とハス池。
2023年05月06日
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羽田空港から新千歳空港へ向かう際、ANAを利用した。たまたま、特別デザイン機の「鬼滅の刃」に乗り合わせた。機内で出されるソフトドリンク用の紙コップにも、鬼滅の刃機が描かれていた。試しに、コップを捨てずに持ち帰り家族に見せたが・・。 乗り合わせたのは、「鬼滅の刃 じぇっと-参」で、2022年10月から就航している機材。3号機には、炭治郎、煉獄、天元らが細やかに描かれている。遠くからだと見づらいかもしれない。2022年1月に1号機、2022年3月に2号機が就航している。「想いをつなげ、絆のツバサ」でキャンペーンを実施中。グッズも販売されている。 新千歳空港に着陸する際、窓から支笏港の方角に、風不死岳(ふっぷしだけ)が見えた。難読の山岳名前で、鬼が棲んでいるような印象を与える。アイヌ語の「トドマツがあるところ」に由来するというか・・。写真1 羽田空港搭乗待合室から搭乗機を見る。写真2 機体に描かれた宇髄天元のイラスト。写真3 展望デッキから飛行機の離発着をみる。写真4 新千歳空港到着時に見た“風不死岳”。写真5 鬼滅の刃機のデザインとグッズ。写真6 鬼滅の刃機デザインと販売されているグッズ。
2023年05月05日
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清水公園を散歩し、ツツジとボタンを見て回る。園内には2万株の色とりどりのツツジが植えられている。牡丹は金乗院の境内に植えられている。清水公園は、梅から桜、そして躑躅に花のバトンを繫いでる。躑躅と牡丹そして藤を同時楽しめる。 和製トランプ「花札」では、3月弥生の「桜と幕」、4月卯月の「藤と不如帰」、6月水無月の「牡丹と蝶」と描かれている。躑躅は花札の絵柄に採用されていない。紫色が格式高かったためだろうか。旧暦の4月は、現在の5月頃に相当する。昨今の桜の開花時期を見ていると、旧暦と新暦に差か無くなって来た。 躑躅は、日本の四季を代表する花になっている。ツツジの漢字名は、何と難しい文字で表記するのだろう。「躑」と「躅」には、共に足へんが宛がわれ、「見る人が足をとめるほど美しい」との意味が込められている。赤色、ピンク色、白色の花が密に咲くと、つい立ち止まって見とれてしまう・・。写真1 清水公園・ツツジトンネルを潜る。写真2 花の散策路を巡る。新緑の中の躑躅。写真3 躑躅の花々。写真4 金乗院の牡丹。写真5 手水舎回りのボタン花。写真6 藤棚は日除け処。
2023年05月03日
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史跡・二本松城跡(しろあと)の天守台および東櫓台に立ち、眼下の市内と安達奈良山(あだたら)を望む。平成18年日本の100名城に選定されている。訪れた日、多くの桜散っていた。遠くの山並みも霞んでいた。 二本松城は、中世から近世にかけ同じ場所に存在した城として知られる。築城は畠山氏される(1414年)。伊達政宗により畠山氏が滅亡するが、豊臣秀吉の命により会津上杉藩に組み入れられる。蒲生氏や加藤氏を経て、丹羽秀重が10万石で入封(1643年)。明治維新までの約230年間、丹羽家が統治した。 昭和の後半になり、箕輪門・二階櫓が再建された(昭和57年)。平成になると、朽ちかけていた本丸石垣や天守台を修復整備(平成7年)された。要害を誇った梯郭式・馬蹄形平山城を連想できる。本丸の下に築かれている「大石垣」は、東北地方で最古の野面積み。大地震でも崩れなかった。 バス駐車場(トイレ)の近くに巨岩の「戒石銘碑」がある。5代藩主丹羽高寛が藩政改革と綱紀粛正の指針として、一夜で刻ませたと伝わる。4句16文字の銘文とされる。写真1 天守台から本丸跡広場と市内を眺める。写真2 本丸下野面積みの大石垣。写真3 東櫓大と本丸虎口。写真4 天守台と東櫓台先端から公園と市街地を望む。写真5 三の丸の石垣。写真6 巨岩に刻んだ「戒石銘碑」。
2023年05月02日
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江戸川の土手を散歩する。堤防法面の一部が「お花畑」のように見える景色に出会う。流水側の法面は、緩い勾配に造られているので、斜面を歩くことができる。そのため、近くで花を観察できる。 花畑に見えたのは、薄紫とオレンジ色が織りなす山野草。群落化していた。昨年、堤防補強工事が行われた法面区間。その際に、生芝を張った斜面だ。生芝に種が混入していたのだろう。来年になると、他の雑草が活発になり、この光景は見ることはできない・・。 薄紫色の細い花は、マツバウンラン(松葉海蘭)で、オレンジ色のポピーのような花はナガミヒナゲシ(長実雛罌粟)か・・。ポピーの和名はヒナゲシ。ナガミヒナゲシもケシ科の花であるはあるが、外来種で繁殖力が強い。この時期、道端でよく見かける山野草だ。写真1 江戸川表法面の「ミニ花畑」。写真2 爽やかさを感じさせる薄紫色の山野草花。写真3 堤防法面に広がるウンラン(海蘭)。写真4 薄紫色とオレンジ色の法面。写真5 ナガミヒナゲシが優勢な群落。写真6 長実雛罌粟と白い雲。
2023年04月30日
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阿武隈山系の裾野、白旗ケ崎に位置する二本松城。地形を利用した要害堅固の城郭。しかし、大砲・銃中心の戊辰戦争においては、城の陥落・建物は焼失した。その後、城内に製糸会社の設置・撤退があり、昭和24年に県立自然公園となる。平成19年「国の史跡」に指定された。 春には園内(城跡)に約2,500本の桜が咲き誇り、霞がかかったような情景になることから霞ケ城と呼ばれる。訪れた日、多くの桜は散り、名残の花となっていた。霞池周囲の樹は葉桜となり、水面に花筏が浮いていた。ちなみに、霞ケ城と呼ばれる城は他にもある。丸岡城(福井県)と山形城(山形県)てある。 霞ケ城公園へは箕輪門から入った。防御に優れた二階櫓・桝形門だ。建築当時、領内の箕輪村の御神木を使用したのでこの名称が残っている。箕輪門手前に「二本松少年隊群像」がある。大壇口戦場での奮戦姿とわが子の出陣服を仕立てる母の姿が印象的・・。写真1 霞ケ城公園入口の「二本松少年隊群像」。写真2 箕輪門から桜を見ながら入場する。写真3 園内の桜は1割ほど残して、葉桜に移行。写真4 霞ケ池に花筏が・・。写真5 樹齢350年の傘松。東西方向に14m広がる大傘。写真6 さくら名所100選の地。もう少し早ければ、花霞の景色が・・。
2023年04月29日
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東北本線・二本松駅から西1km二本松観光センター(隊士館)で昼食をとる。この食事処の向いに、大隣寺がある。その境内に樹齢200年のしだれ桜(エドヒガンザクラ系)が佇む。福島県の枝垂れ桜番付表では、東前頭38番目。 明治の動乱期、戊辰戦争の悲劇を見つめた悲壮桜である。 巨邦山大隣寺の創建は寛永4年(1627年)。白河藩主丹羽長重が白河城近くに開基するも、20年後二本松藩に転封となる。その際大隣寺も移転する。山号の「巨邦山」は、戦国武将・丹羽長秀の戒名に由来するという。丹羽家代々の菩提寺であるが、「二本松少年隊」の供養塔が並ぶ。 戊辰戦争における「二本松の戦い」の悲話が伝えられている。少年隊62名の悲劇だ。会津藩の少年16才、17才からなる白虎隊に異なり、この二本松市少年隊は、13才から17才の少年らあること。藩兵の主力が白河口に出兵して、城の守備隊は手薄状態。 少年隊62名を含めた藩兵千名弱で、西軍7千人と激戦となった。劣勢の二本松藩側は、337人の死者を出して二本松城が落城。現在、当時の建物は焼失して、城址公園(霞ケ城公園)となっている。桜の名所であり、昼食後に訪れる場所・・。写真1 大隣寺のしだれ桜。写真2 巨邦山大隣寺の参道2箇所。写真3 散りゆく悲壮の枝垂れ桜。写真4 二本松少年隊の墓地と説明書き。写真5 墓地側の紅しだれ。写真6 二本松・隊士館で昼食(うどんすき定食)。
2023年04月28日
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福島県庁から東へ約3km行くと、渡利(わたり)地区に花木が賑わう小山がある。春、色とりどりの花が咲きそろうと、桃源郷のような景色が現れる。阿武隈川右岸の丘陵地中腹の「花見山」だ。両側にちいさな川(鈴ケ入川とくるみ川)流れているので、里山の原風景が残る地域だ。 花見山を縫うように散歩道が整備されている。体力に応じて、30分、45分、60分コースが用意されている。60分コースを選択すると、頂上の四阿から吾妻連山の山並みや福島市街地を望むことができる。公園付近には約1000本の桜が植えられているが、連翹、花桃、木瓜、木蓮なども彩る。写真1 菜の花畑から花見山を眺める。写真2 木瓜や桃畑から花見山山頂を望む。写真3 山頂展望台から福島市街地を望む。写真4 花見山から渡利の里を観る。黄色い菜ハート。写真5 花見山公園内の観花木通路。写真6 公園出口から駐車場へ戻る途中の景色。
2023年04月26日
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磐梯山南麓に広がるスノー・リゾートアルツ磐梯に隣接する温泉に宿泊する。大浴場「朱嶺の湯」に朝晩2回浸かり、花見の疲れを癒す。スキー場とゴルフ場の間にある星野リゾート・磐梯山温泉ホテル。ホテルからは、北に磐梯山、南にゴルフ場越の猪苗代湖を望むことができる。朝食前に、周辺を散歩する。 民謡の「会津バンダイサン」で知られる会津地方。「エンヤー」で始まる唄と踊りは、日本三大民踊とされる。朝寝朝酒朝湯の好きな小原庄助さんが身上を潰した話がある。館内いたる所に、会津地方の郷土民芸玩具「赤べこ」がいる。頭を撫でると福を呼ぶという。花見時期に合わせて、赤ベコ・ツリーを設置されていた。写真1 磐梯山温泉ホテルと磐梯山。写真2 ホテルからゴルフ場越の猪苗代湖を望む。写真3 ホテル前から会津地方南の山並みを望む。写真4 アルツ磐梯寄りのレストラン「キッセ・キッセ」と赤べこ。写真5 ロビーの踊り舞台と酒バー。写真6 室内と朝食とレストラン赤べこ。
2023年04月25日
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東武線・藤の牛島駅から徒歩10分の住宅街に「藤花園」がある。藤花園には、樹齢1200年の九尺藤(ノダフジ)があり、花房の長さは最も長いもので2mになる。藤棚の面積は700m2に及ぶ。ミニ見晴し台があり、撮影スポットとなっている。風にそよぐ紫と甘い香りとで、訪れたひとを癒す。 藤花園には、他に藤棚が2か所ある。樹齢800年、樹齢600年の大藤で、歴史を感じる。昭和30年に、国の自然記念物から「特別天然記念物」に昇格した。牛島の藤は、日本で最古級の樹齢とされ、藤では唯一の特別天然記念物。福山市にも樹齢1200年のヤマフジ(京都府の天然記念物)がある。 牛島の藤の活力源と長寿の秘訣は、「酒粕」にあり・・。毎年、幹の根元付近に酒粕を追肥するという。県内外から酒粕の寄贈がある。酒粕は、人間にとっても夏バテ、熱中症対策に効用があると言われている。藤の樹に与えると、土壌を豊かにして、樹の成長を促進させるという・・。根を張る地盤へ栄養補給が大切・・。写真1 樹齢1200年の牛島の藤。特別天然記念物に指定。写真2 花壇の花と牛島藤。写真3 甘い香りが漂う野田藤。写真4 酒粕で長寿パワーを吸収する大藤。写真5 樹齢600年の藤棚と薄桃色ダルマフジ。写真6 「牛島の藤」の由来を刻む石碑。
2023年04月23日
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猪苗代湖の北を通る磐越自動車道の磐越河東ICを過ぎると、会津盆地が広がる。と同時に標高1816mの百名山・磐梯山の秀峰が良く見える。会津盆地は、複数の河川が流れ込んで形成された複合扇状地。そして流れを集めた阿賀野川は、新潟市を経て日本海に注ぐ。昔から治水事業が行われ、東北有数の穀倉地帯。 会津の地を見守る巨大な白亜の観音像が立っている。国道49号沿いに整備された「祈りの里会津村」に建立された高さ57m「会津慈母観音」だ。赤ちゃんを抱いている容姿は、若々しく優しい表情の立像。観音像内部には1万の小仏像が安置され、胎内巡りができるという。 会津盆地から眺める磐梯山は、三角の頂きが見えることから会津富士と呼ばれる。活火山に指定されている。明治21年(1888年)には大規模の水蒸気爆発で、山体崩壊が起きた。その際、500名弱の犠牲者を出す。磐梯山の麓は、南が表磐梯、北が裏磐梯と呼ばれる。表磐梯の高原ホテルに宿泊した。写真1 磐越道・磐梯高原IC付近から磐梯山を観る。写真2 会津若松市内から磐梯山と高さ57mkの会津慈母観音像。写真3 会津盆地から見る「会津富士」。写真4 スキー場とゴルフ場と磐梯山。写真5 アルツ磐梯と磐梯山。写真6 ビュッフェ形式の夕食を楽しむ。
2023年04月22日
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ラーメンで有名な喜多方市。春は東北地方屈指の花見の名所となる。昭和59年に廃線になった旧国鉄日中線跡地を「自転車歩行者道」として整備。約3kmの道に渡り、1000本のしだれ桜並木が建ち並ぶ。日本最大級のしだれ桜並木として、全国的に知られ、観光客が押し寄せる。 日中線は、喜多方駅から熱塩(あつしお)駅を結ぶ延長11.6kmの鉄道。熱塩地方で産出する石膏、銀・銅鉱石の輸送を担った。しかし、これらの鉱山は昭和47年に廃鉱となる。日中温泉への乗客数も増えず、廃線の道を辿る。 蔵の町として知られる喜多方は、会津若松の北7kmに位置し、会津盆地の北方地がその名の由来。江戸時代、会津藩と米沢藩とを結ぶ米沢街道の宿場町で、物資の集積地として栄えた。良質な水、米処を背景に醸造業・漆器業が盛んな街。写真1 喜多方・日中線しだれ桜。写真2 千本のしだれ桜並木。写真3 SL広場としだれ桜散歩道。写真4 たおやかな枝垂れ花。写真5 会津盆地の北の山並みが見える。写真6 バス駐車場付近の桜。
2023年04月21日
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紅枝垂地蔵ザクラは、三春滝ザクラから南へ3.5kmの郡山市中田町にある。福島の桜ツアーでは、滝桜と地蔵桜とがセットなることが多い。福島県の一本桜・番付表では、滝桜が東の横綱、地蔵桜は「西の横綱」と評価されている。樹齢400年といわれ、樹高16m×枝張18mの立派な枝垂れ桜だ。 三春滝ザクラの娘とされる地蔵ザクラの枝ぶりは、翼を広げた鳥のような形をしている。その幹元に、「延命地蔵堂」を抱きかかえている。昔村人は、赤ん坊の短命、夭折(ようせつ)の難を逃れるために、この地蔵尊に願をかけたという。 地蔵ザクラの山手側(丘陵地)に、「さくら・はなもも回廊」がある。遊歩道約900mの回廊からは、桜や紅色白色の花桃、黄色の花の花・レンギョウが咲き誇る。ちょっとした桃源郷を思わせる場所だ。集合時間があるので、回廊全長を歩くことができなかった。写真1 郡山中田の枝垂地蔵ザクラ。写真2 滝桜の娘にあたる。樹齢400年のベニシダレザクラ。写真3 桜下の延命地蔵堂。写真4 地蔵桜近くの「桃源郷」。写真5 赤・ピンク・黄色・緑の花が咲き誇る景色。写真6 さくら・はなもも回廊の見晴しの丘と案内図。
2023年04月19日
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利根運河の西側河口に、花見ができる小さな公園がある。天候に恵まれると、富士山や筑波山を望むことができる。江戸川左岸土手と利根運河右岸土手が交わる場所なので、チャリダーが休憩する処(四阿)にもなる。ここから運河土手を東に約8km進むと、利根川に至る。[撮り溜めた写真から] 今年の桜期間中に、河口公園から富士山をはっきり見ることが出来ず。雨降りが多く、気温も高い日が続いた。従って、春霞・花粉・黄砂などの影響で、西南の空は、薄曇り状態が続く。異常な暖かい天候で、桜以外の花も見頃が前倒しになる。庭のフジがいつのまにか満開になっていた。写真1 運河河口公園を江戸川下流から見る。写真2 河口公園を江戸川上流から見る。写真3 運河土手から河口公園を望む。写真4 休憩場所(四阿)の桜。写真5 桜の枝から垣間見る筑波山。写真6 江戸川左岸天端道路と雉が鳴いていた。
2023年04月18日
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人口約1.7万人の三春町にあって、郡山市と接し複雑な町境を有する岩江地区の高台でランチする。見晴しが良く、近くに桜並木もある。JR磐越東線(ばんえつとうせん)の舞木駅から東1.5km丘陵地。洋食レストラン、パン屋、そして岩江中学がある。難読駅のひとつ舞木駅(もうぎえき)は、郡山駅と三春駅の中間に位置する無人駅。鉄道と平行に国道288号が通っている。 高台のレストラン「エルマールガーデン」の前は、T字路になっている。南西方向に下り坂が続き、岩江中学校が坂の途中にある。中学校の周囲の桜は満開を迎えていた。入学式を終えた時期。2023年の入学生徒は34名だという。郡山市に近いので、通勤の住民が多いようだ・・。写真1 岩江中学の坂道。遠くに郡山駅前のノッポビル「ビッグアイ」が見える。写真2 グランドの桜とパン屋「杜のくまさん」。写真3 岩江中学のグランドに咲く満開の桜。写真4 レストランの斜め向かいの枝垂れ桜。写真5 郊外型レストラン「エルマール」でツアーランチ。写真6 やわらか豚ロースソティ・ランチ。
2023年04月16日
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春に梅と桜と桃が同時に咲く田村郡三春町。人口1.7万人が住む「さくらの里」として知られている。町内には1万本を超えるさくらがあり、なかでも樹齢100年を超えるシダレザクラが70本あるという。町の木はしだれ桜。福島県内の一本桜の番付表がある。東の横綱は「滝桜」。寸評に、「風格があり東から撮ると滝が流れ落ちる様である。観覧遊歩道近過ぎる」とある。 横綱・滝桜の風格を保つために、滝地区の桜保存会や小学校活動などある。定期的な草刈や追肥、そして天然記念物周辺の清掃活動が・・。滝桜を見下す丘では、ソメイヨシノが満開。日本さくらの会の「さくら名所100選の地」の碑がある。また丘から西側に三春ダム・さくら湖が見える。 三春ダムは、阿武隈川の右支川・大滝根川に建設された重力式コンクリートダム。ダム湖畔の公園には、2300本の桜が植樹されている。ダム堤体から湖上流東2.3kmに三春滝ザクラがある。さくら湖に架かる斜張橋「春田大橋」を通行してみたかった・・。写真1 三春町滝地区の天然記念物「滝ザクラ」。写真2 ソメイヨシノとベニシダレザクラ。写真3 さくら名所100選の碑がある高台。写真4 滝桜を見下ろす丘のサクラ。写真5 三春ダム・さくら湖とダムカード。写真6 車窓花回廊と三春ソフトと福島県番付表。
2023年04月15日
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江戸川土手の斜面が黄色に染まる春。しかしここ数年、堤防補強工事に伴い、菜の花の咲く面積が減少している。「国土強靭化計画」の一環で堤防が改変され、表土と共に菜の花が除去されているため。[撮り溜めた写真から] 江戸川は利根川の分流(分派)。本流は55km下って東京湾に注ぐ。河の起点は、関宿分流店点(関宿城歴史博物館近く)の利根川にあたる。江戸川土手をサイクリングする人の多くは、関宿を目指している。サイクリスト(Cyclist)は、向風と花粉に負けない。風を切って進むヘルメット姿が凛々しく見えた。写真1 江戸川土手天端のサイクリングロード。写真2 堤防表法面の菜の花。写真3 堤防裏法面の菜の花。写真4 堤防法面のハナニラ。写真5 利根川の分流点の関宿。写真6 菜の花と桜。
2023年04月14日
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国の天然記念物に指定されて100年が過ぎた「三春滝ザクラ」。約25年ぶりに三春町を訪れたが、幹の樹盛は衰えていない。堂々たる枝ぶりだ。四方に伸びた枝から桜色の滝が、ほとばしるように見えたことから付いた桜名。小生には、大鳳(おおとり)が羽ばく姿に見えた。 三春滝ザクラは、岐阜県「薄墨ザクラ」と山梨県「神代ザクラ」とならんで、日本三大桜のひとつ。樹齢は千年を超えているという。時代を超えて、時代を翔けるように咲き続けている。キャッチコピーは「その美しさ 目を見張る」。訪れた日、滝桜は散り際で薄墨がかっていたが、菜の花が華を添えていた。 今回、福島のさくらツアーに参加した。JR柏駅から特急ときわ号を利用して、JRいわき駅で下車して、磐越自動車道をバスで移動する旅。しばらく「ふくしまの桜景色」を連載します。よろしくお願いします。写真1 大鳳が羽ばたくような「三春滝ザクラ」。写真2 樹齢千年を超えて、花を咲かせるベニシダレザクラ。写真3 菜の花と滝桜。写真4 幹と枝と流れる花姿。樹高13.5m×根回り11.3m。写真5 ソメイヨシノが同時に咲く。写真6 駐車場と「三春滝ザクラ」の案内看板。
2023年04月12日
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利根運河に流れる水を近くで見ることができる場所が「運河水辺公園」。水量が少ないので、少し堰き止めるようにして水辺を造っている。両岸に桜並木があり、ささやかながら「さくらまつり」も開催される。左岸の斜面は、ライトアップされ、幻想的な夜桜を観賞できる。 水辺公園の右岸側には、階段護岸があり腰かけて対岸のステージのイベントを観ることができる。常設トイレがある右岸天端広場には、オランダ技術者の「ムルデルの石碑」がある。平成22年にオランダの皇太子が日本を訪問された際に、当時皇太子様が案内され利根運河を視察している。船は航行できないが、土木遺産とし保存されている。写真1 利根運河水辺公園の桜。写真2 オランダ技師ムルデル石碑と利根運河右岸。写真3 左岸斜面の桜。写真4 桜並木をライトアップ(18時から21時)。写真5 夜桜と料亭。写真6 夜桜の桜並木。
2023年04月11日
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流山・三輪野山(みわのやま)の西側に「一本桜広場」がある。芝生広場の中央に、大きな桜の樹が立っている。閑静な住宅街の一画の敷地は、約6500m2(100m×65m)。近隣の幼稚園児や小学生たちが、桜の周りを遊び回っていた。 三輪野山の由来は、古代に西国から移住した人々が江戸川方面から丘陵を眺めたら、大和国の三輪山に地形が射似ていたから、とされる。三輪野山周辺には、大規模な貝塚があり、縄文土器が出土している。三輪野山と市野谷は、自然林として保護されている。 近くの茂呂神社に寄る。祭神の大物主命は、大和国の三輪山(御諸山みもろやま)にある大神神社(おおみわ神社)の分霊とされる。正月に行われる「ヂンガラ餅行事」は、市無形民俗文化財に指定されている。写真1 流山三輪野山の一本桜広場。写真2 芝生広場と大桜1本。写真3 広場の桜の周りで遊ぶ子ども達。写真4 一本桜の花びら。写真5 三輪野山の茂呂(もろ)神社。写真6 三輪野山の茂呂神社と奈良の大神(おおみわ)神社。
2023年04月10日
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比較的近場に位置する野田・清水公園には、年に2回から4回(梅・桜・躑躅・紅葉など)訪れる。適当な運動歩数となる。当該公園は、千葉県で3カ所目の「日本さくら名所百選」の地。次いでながら、県内の他2ヶ所は、茂原公園と泉自然公園。ソメイヨシノを中心に約2000本の桜が園内外に連なる。 コロナの影響で自粛されていた「さくらまつり」が再開された。3月18日から4月9日。屋台やキッチンカーが出店しているので、賑やかさ戻る。花だけを愛でる日本人は少数派。やはり飲食とお喋りがあってこその「お花見」だ。 日本さくら名所百選は、平成2年に(財)日本さくらの会創立25周年を記念して、全国都道府県からの推選をもとに選定したもの。各県などには最低1箇所ある。最多の東京都の5箇所、次いで京都府・愛知県の4箇所と続く。最近は100選の地以外にも、人気の花見スポットが数多ある。例えば、外国観光客の大人気の新倉山浅間公園(山梨県)など・・。写真1 清水公園入口に建つ金乗院仁王門。写真2 仁王門脇のしだれ桜。写真3 金乗院境内の桜樹。写真4 花見の芝生広場と上空の白い線。写真5 水上アスレチックの桜。写真6 周辺道路等の桜並木。
2023年04月08日
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