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何時の事か忘れました。まだ河原町や丸太町に古本屋さんがよく見られた時代のことです。丸太町であったと思うのですか、その書棚にわたしは、ふいと『黄河の水』という字を脊文字に見つけて、角川文庫のその本を買いました。 何も深く考えていませんでした、惹かれたのはその脊に見た題字だけでした。最初に「この書を手にされる方々へ」と書いた案内書きがあります。そこには「この小著はアジアいな世界の多くの民族の中でも、遠い昔にすでに花花しい文化を生み、そうしてそれを育て、持ちつづけて来た珍しい民族の一つとしての、漢民族の歴史をつづったものであります。」と。 さらに「『黄河の水』と名づけたのは、黄河は漢民族とその文化とのシンボルともいえるからであります。」とも。なるほど、そうでありましょう、同じくわたしが惹かれたのもそこだけでありました。 黄河の水、黄土層に特色づけられたそのものに自分が惹き付けられたのは、それが自分の父そのものであったからなどといえるものではありません。 今日の一首 はるくさ なつくさ あきくさ ふゆくさ 毛根いたくなるまで洗う 蒔田律子(『火の流域』1989年刊)
2009.10.29
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少し寒くなったこのごろ、わが家の大工さん、ペーターがプレゼントにとずーっと前に、彼の友達のアトリエから選んできてくださった羊の毛の首巻き、上手に使えなかったのを、今日は「きさらぎ」の友達に直してもらいましょうと、大胆に巻いていきました。 そうしましたら、別のラッキーがありまして、昔の学校の同級生にあいました。きょうはいい日です。そして、「きさらぎ」さんからは誕生日ということで、ポルトガル人直伝のカステラをいただきました。皆さんありがとうございます。死んでもいいほどうれしいけれど、わたくしは死にません。しなければならないことがいっぱいありますから。 もやひたる舟のへさきに青鷺の首をすくめてみじろぎもせず 鳴沢の氷室は匍伏にしりぞけり黄泉のくになるごとき暗さに 裏木戸に庭草の蔓からまりてしばらくのとき遠まわりする 今日は写真がどれも出なくて、てふてふの画になりましたけれど。 今日の一首 美しき平行線を張りいそぐ蜘蛛の行ひためらひもなし 高安国世(『真実』昭和24年)
2009.10.28
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2,3日、ブログを書き損ねています。仕事が重なったせいもあります。わたしはブログが嫌いではない、どなたのためではなく、何となくこうしてキイを打っているといそがしいときでも一人ごとをいっているような感じがして好きす。 だいたいわたしは一人っ子ですから、ままごと遊びも一人遊びでした。しかしそれは子供ながら多くの想像を生んで楽しいことでした。お父さんお帰りなさいもただいまも一人でやってました。そこには、どんな想像も幻想もあり、退屈なんか全くなしでした。 思えばいまもあんまりかわりがないかも知れません。同じことをやっている、結婚してもそうでした。誰もそのことに気がつかなかったというのが今日までのわたしです。わたしはわたしを知らないのかもと思うときがありますけれど、短歌は時折其の翳をおしえてくれます。 今日の一首 イヤホンで聞く夜のニュース南方の小さき国に革命おこる 浜田康敬(『望卿篇』昭和49年)
2009.10.26
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或る雑誌にいつの間にか90回書かせてもらっている、暮らしについての話のことで、今回はふとしたことから、代々絵をお描きのお方のご家族に、何代目さんで?と確認させていただきましたら、「画家は何代目とはいいません」と叱られてしまいました。ごもっともという気持ちもありましたが、でも普通の者にはそれだけでは、ちょっと困ってしまうこともあるのですけれど。 さて、いま一つ今日あったことといいますか、穏やかな波の立たない暮らしのなかで、今日は夜に爪を切りました。もう切ってもいいから夜に切ったのですが、思えば悲しいことでありました。 「灯下に爪を切らず」とは白隠さんの教えであったようですが、人間は薄闇で生きるものですが、無心になり切れないと予期せぬ怪我をするからという戒めであったといいます。それよりも、昔は夜に爪を切ると親の死に目にあえないという、はっきりとした怖い言い伝えがありました。ほんとうにわたしはその言い伝えを守っていました。でもいまはもう、守る必要がなくなったのでした。 今日の一首 おろかなる存在よなと凝視すればわれにふれ何をかきらめかし去る 坪野哲久(『新風十人』昭和15年刊より)
2009.10.23
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いつの間にかストーブを出すようになって、庭隈の一箇所からだけ聞こえていた鉦叩きの音もぱたりとやみました。今もパソコンに向いながら、肩にストールをかけています。なるほど読書の時期でもあります。なんとなく書棚に手がのびたりもいたします。 小林秀雄 「西行」より 「西行はおもしろくてしかもこゝろ殊にふかくあはれなる、ありがたく、出来しがたきかたもともに相兼てみゆ。生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」(後鳥羽院御口傳) まことに簡潔適格で、而も余情と暗示とに富んだお言葉であるが、非凡な人間が身近にゐるといふ素直で間違ひのない驚き、さういふものが、まざまざと拝されるところがもつと肝心なのである。 今夜はこの文章を読むことが出来、少しくながら書きうつすこともかなって、幸せな夜でありました。 今日の一首 秋ものへまかりける道にて 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ澤の秋の夕ぐれ 西行法師(『山家集』秋歌)
2009.10.21
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かれこれしていて今日はふと、葛原妙子の歌集『原牛』に書かれた室生犀星の叙文を改めて書いてみたい気持ちになりました。 叙文 和歌の体位 高度の感情といふものは最早素材を再度くり返して詠むことを拒む者である。この為につねに内材はあたらしく用意され、それを狙ふことが作者の真実の行為になる。葛原妙子さんはくしくも其処に行き着いてゐられる。歌の形をこはしたかに見える一応の見方をなほ熟視してゐると、葛原妙子の流れの落着きは美しい古歌をその下に浸透させてゐる。それでゐて決してそのながれに安易に身を置いてゐない。再度くり返して云ふなら凡ゆる文学作品では内在を何時も捉へるに、あたらしく羽ばたきをしてそれを狙ふといふことほど大切なことはないし、それが作家の難しいかぎになるのです。 私は和歌は専門外ではあるが、彼女が幼児の唾液が透明なかがやきを持つことを発見したやうに、玲瓏感のあふれた集歌の原野を此処まで来て眺め、妙子さん自身で引いた明るい克明な地図の制作が、なみなみでなかったことを私は私自身の仕事の上にも眺めたいのである。 昭和三十四年初秋 室 生 犀 星 ここ一月ほどの間に、ささやかなわたしどもの歌会に二人のお方がお入りくださいました。わたし自身、歌うことに身ふるわせているものです。どうか支えあっていただけますなればうれしくと思います。 今日の一首 ゆきずりに 少年が引くリヤカーは泥の窪みにおち入りにけり 葛原妙子(『原牛』より)
2009.10.18
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近頃わたしはおしろいの花とご縁深くしています。何となくでありますが、いまは、ここにいたっては逃れられない関係といってもいいようになりました。ゆきかようところの道ばたに群生していたことがはじめですが、もちろんおしろいばなは子供時代から好きでありました。 ところで尾崎紅葉の『金色夜叉』にはこのはながあらわれます。それは田鶴見子爵邸の庭園でありました。ちょっと書いておきます。 築山陰(つきやまかげ)野路を写せる径(こみち)を行けば、踏処無(ふみところな)く地を這ふ葛(くず)の乱れ生ひて、草藤、金線草(みづひき)、(おしろい)の色々、茅萱(かや)、穂薄(ほすすき)の露滋く、泉水の末を引きてちょろちょろ水を卑(ひく)きに落せる汀(みぎわ)なる胡麻竹の一叢(むら)茂れるに隠顕(みえかくれ)して苔蒸す石組の小高きに四阿(あずまや)の立てるを、やうやう辿り着きて貴婦人はなやましげに憩へり。 という場面は宮さんと寛一が別れてはじめて偶然にもめぐりあうという場面のところであったのでした。 ところで、わたしはおしろいのはなが好きです。 今日の一首 野のひろさ吾をかこめり人の世の人なることのいまは悲しも 片山広子(『野に住み』昭和29刊)
2009.10.16
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「たすく」という名前の子供がわたしの係累に存在します。字は一文字です。人偏に有をつけます。、ここの紙面に書いて、赤字がぎらぎらと出ると、嫌ですから書きませんが。同じく先ほどから長文のなかに「あきこ」という字の名前、火偏に華をつけた名前も書いていたのですが、考えれば考えるほど心配になって立ち止まってしまっています。何だか嫌な予感がします。 自分の不手際とあきらめるにはなんだか癪で、そんなことをしていて時間が経ったせいもあり、先ほどはこれまた雲散霧消。降参。しかれどもこの夜、夜中、悔しくてそのことが話題でまた書き出しました。悔しさってなんだろうと研究です。 ところでとにかく、ものを、言葉の形をつくるということは、たのしいですね。その気持ちがそこにあれば大丈夫。そんな気がします。おしまいということはない、単純なそんな気持ちでいいのなら、わたしは大丈夫、電気代がもったいないという現実にかえって、今夜はこれでやすみましょうか。 今日の一首 踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反古いだき立てる火の前 柳原白蓮(『踏絵』大正4年)
2009.10.15
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近頃、出している写真は、この夏の合評会の会場付近の写真ですが、今日の写真に見える白い袋はスズメバチが入ったら、もう二度と出てこられないという、恐ろしい袋と聞き、珍しいから撮りました。中には捕らえられている蜂がいるのでしょうか、怖いから近づいて見ることは出来ませんでした。 それでも、みんなは知らぬが仏のようで、たのしく遊びましたが、思えば怖いところでした。でもすぐにまた忘れて会場の近くの山中へ入っていったりしたのでしたが、そのあたり一帯は水源の地でありました。いかにも山深くに入ったという気分でありました。 写真のことから夏にもどりましたが、今日、はや冬支度をしました。台風が過ぎますと季節がかわりますね。先日、早い目に灯油を納屋に仕入れて、何となく落ち着いていましたが、今日は早々とストーブに点火しました。懐かしい匂いがぷうんとしてわが家は冬になりました。そして、なんだか落ち着きました。 しかし、思えばわたしたちの会の冊子の冬号の原稿、仕事用の原稿が三つとやや目が回りかけてもいます。早い目にいたしましょう、と優等生ぶってはいますが。でもがんばるのが間違いない自分ではあります。 今日の一首 おろかちふ庵(いほ)のあるじのあれにたびし柿のうまさの忘らえなくに 正岡子規(明治30年、柿の歌)
2009.10.14
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今夜はお世話になっている出版社の招きでチェコのフィルハーモニー八重奏団の演奏を聴くチャンスを得ました。弦の国チェコと称されるその演奏は始めてであったと思います。ただ、これは違う違うと知らぬ間に曳き入れられておりました。 2曲目のときでした。チェン・イという中国人の女性が加わり、二胡+弦楽五重奏の演奏が始まりました。正直わたしの耳には初めてのことでありました。わたしは二胡の音にぐんぐんひきこまれました。楽章により、中胡、京胡と使い分けていたことは、のちほどに知ったことでしたが。 2部になって、二胡+弦楽八重奏のスラブ舞曲、そしてドボルザーク・・・と。感動は次第に尊敬となっていきました。すべてが終わってアンコールに、やさしく二胡と八重奏の「浜辺の歌」が鳴り出したときは、客席からは漣のような拍手がやみませんでした。わたしは泣いてしまいました。音楽を聴いて泣いたのは初めてではなかったでしょうか。 もちろんチェコの弦楽もさりながら、この感動は自分でも気付かなかった同じ東洋の国、中国への不思議な郷愁、それが二胡に呼び覚まされたのではなかったかと、自分では思っています。 今日の一首 老婆よお前は無用なるを なぜにしばしばもわれをのぞける 葛原妙子(『葡萄木立』より)
2009.10.12
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木山君の人がら 井伏鱒二 終戦直後のころ、私が備中笠岡港の突堤でママカリ釣りをしてゐると、肩章のない兵隊服を着た木山君がひょっこりやって来た。久しぶりの偶然の出合いだが、いきなり木山君がかう云った。 「僕はね、こなひだ満洲から引揚げて、この近くの僕の生れ在所にころがりこんじゃった。」「それで君は、その生れ在所で何をしてゐるんだ」と聞くと、「僕は地主で、家内が小作人だ」と云った。 これは木山君の郷里に疎開してゐる奥さんが、空閑地利用で菜園か何か作ってゐて、木山君自身はぶらぶらしてゐるという意味に解された。 こんな風に木山君は、お互いに久闊でびっくりしてゐる場合でも咏嘆的な言葉や感傷的な口吻を見せない人であった。詩や随筆を綴る場合にもその傾向があった。根底は感傷的でありながら、感傷はユーモアで消してゐる。ぎらぎらする大げさな言葉は、素朴な風化した言葉にしなくては気恥ずかしい。さういふ人柄であった。作品に飄々とした風格があったのも、この人がらのためだらう。 木山君が亡くなってから、気のせゐか作品が深さを増したやうな気持がする。 昨日友達が来ました。帰ったあとのお座布団の上に紙切れが一枚泳いでいました。今朝になっても、何とも言って来ませんから、貰っとこと思ってここに映しました。 今日の一首 もろともに秋の滑車に汲みあぐるよきことばよきむかしの月夜(つくよ) 今野寿美(『星刈』)
2009.10.11
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台風が過ぎて、季候がすすんだことをはっきり感じます。服装の入れ替えも楽しいことです。仕舞い込んでをり、ああこんなのもあったと、得をした気持ちになったり、女は欲張りなものです。そして過ぎた時間ととも思い出すこともたくさんあって。 灯油も早い目に用意しました。そのおかげで、納屋も片付いたりします。簾のお古も随分たまりました、このごろは物を捨てることが、まず、むつかしくてはたと考えこみます。先ず焚き火をすることが出来ません。わたしはこれはいいことか、わるいことか知りませんが大きな変動だと思います。 しかしながら、かれこれしながら、どうにか思えば冬支度もできたことでした。早めに冬支度をいたしますと、風邪もひきませんし。 ところで、昨日、むつかしいけれど、でも好きな梁塵秘抄の歌を書かせてもらって、気をつけたつもりがやはり一文字を間違えていました、訂正します。 「東には女は無きか男巫 さればや神の男には憑く」でありました。 今日の一首 くちびるの朱き仏はのびやけき手にみづからの、纏衣(てんい)を撮む 初井しづ枝(『冬至梅』法華寺三首より))
2009.10.10
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京都ホテルは幼い頃からのおなじみです、昔々母の従姉妹の結婚式もここでしたし、遠くモンゴルに仕事をもっていた父の定宿でもありました。そんなときわたしはいつも父と一緒でしたし、ベルボーイの脇さんとは仲良しでした。いいえお世話になったというべきでしょう。 いまここで一つの歌会のお世話をさせていただいています。 現でも幻でもなくその不在が秋霧の朝に刻印を打つ うたかたのわれなればこそたえまないときのながれのいまをいきなん いつからか「いってらっしゃい」と言わぬ朝戸口の姿残像となり 空は澄み月のまわりにオーラーがオレンジ青の満月ちかく 月明に影を濃くする湯谷(ゆや)の宿作務衣の男茶を立てており 蟋蟀のついぞ見かけたこともなく美濃路の夜長耳かたむける 夕暮れの花屋にふいに立つ蘭の花束抱えたく病いある手に ちょっと重いな、もう少しかろく、よろこびもかなしみもと思ったりします。こんなときベルボーイの脇さんがいてくだされば楽しくなりますかも。彼は京都ホテルにに54年もお勤めになりましたとか。そういえば、自分が子供のときから、大きくなって、子供を連れて来ましてもまだいらっしゃいました。わたしは不思議な気持ちで脇さんのお顔を眺めていたものでした。 今日の一首 東(あづま)には女は無きか男巫(おとこみこ) さればや神は男には憑く 梁塵秘抄巻第二
2009.10.08
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台風を待つ夜となってしまいました。これも時よ時節でございましょうか。家の雨戸という雨戸は全部締め切りました。これでわたしは逃げ場がありません。 小さな坪庭のようなところに建つ古家、大風でぐらりと傾きかけたら、掘り炬燵の中にでも、もぐりこむしかありません。先ほど電話があった娘にそういっときました。炬燵の中を探せと。 さて、極楽とんぼのわたしです。子供はちょっと平素と違うとはしやぐものです。わたしは、いま、そんな気分でこのあて先不明のお手紙を書いています。実は、わたしたちの会に、いま、ひとりの大学の研究者さんが入ろうとなさっています。 そのお方とあれこれ話していましたら、どうも両方に縁のあるお人がありますようで、たのしいことになりました。たのしいことともに、そのお方はもう、みまかっていることがわかって悲しくもありましたが、こころゆたかになる、思い深いことではありました。 今日の一首 ふるへつつ孵化する蝶を見てをりぬ誘(いざ)なへば暗き森に入りゆく 吉田弥寿夫(「海馬」創刊号1976、12)
2009.10.07
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ブログを始めませんか、写真も添えて。そんなふうに誘いをうけて、始めたのでありましたが、もうどれほど時間が経ったかさえ考えていません。 よそ様を覗くこともなく、またその術も知らないことでした。わたしのブログは誰に向ける言葉でもないようです。受取人なしの葉書、むかし少女のころ、そんなことを考えていたことがありました。 写真は、「デジカメ」といわれる、近年一番嫌いな呼称で呼ばれるもので撮っています。全く、対象、被写体にはこだわりがありません。 この短文をどうして結んだらよいかわかりません。それで、いま机辺にある、林真理子の『白蓮れんれん』から、「では又あした りうさま れん」の言葉をお借りして結ばせてもらいます。 今日の一首 横長く幅せまき机にランプ置く明治の少年正岡子規は 初井しづ枝(『冬至梅』1992復刻版発行)
2009.10.06
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学校の一年先輩と修学院離宮へ行って来ました。この頃は服装は自由であるらしいですが、彼女はカトリックの修道女、シスターです。活動の期間を終えられて、いま静かな祈りと自由の時間を得られています。帰路、わが家へ寄ってくださり、お茶を一服差し上げたり、たのしいひとときを持ち得ました。 夕方何となく書棚から、一昔前の同人誌『海馬』でいっしょだった、吉田弥寿夫の著書『現代短歌・作家と文体』を見出しました。 あとがきの最後に彼は「論のおおよそは執拗なまでに文体にかかずらわっている。文芸評論は表現の実際に即してなされるべきであるという筆者の信念のあらわれである。あいまいな印象を安手なレトリックで粉飾した感想などは、何の役にも立たないのである。このささやかな小著が、冨士田君らのプロモートによって推進され三十年代の短歌運動の再興につながればとねがっている。 五十三年初秋の日」と書いています。 今日の一首 薔薇つむ手・銃ささへる手・相擁(あひいだ)く手・手・・・の時計がさす二十五時 塚本邦雄(『水葬物語』・吉田弥寿夫の著書234頁から)
2009.10.04
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雨をいささか心配していましたが、行き帰りは上手に逃れて、歌会中は発言も聞き取れないくらいの降りでした。 いつもながら逞しい自然を真っ向から相手の方々の作品に打たれました。 真夜中に夫の救急送る道うりぼう数匹かたまりふさぐ ぎっちりとすみからすみまで青空に稲穂ついばむ雀見あたらず 背のまるくなりてしまいし妹よつれあいの介護に仰ぐことなし 刈り終えて畦に腰をおろすとあかね色の夕やけ空にくぎづけされる ひとり寝の秋の夜長く鈴虫の声いつになく近々として 蝉を食ふ人達あるは新知識口にひろごる胴の震へや 豆でさえつるが伸びれば手をつなぐ人間社会も助け合わねば 山の上の笹のあはひに一輪の青き竜胆つぼみほどきぬ 一首目、「うりぼう」はいのししの子。この地に通って118回目、いつも力をいただいています。刈り終えて夕焼け空にくぎづけになる農婦、この方はネパールの子供達の食事の指導に当地へ度々足を運んでおいでです。 今日の一首 蛇・さそり冬の砂漠にあらはれて壁画のごときいくさはじまる 仲つとむ(『音霊(おとだま)』平成20年)
2009.10.03
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むくげの花は寒くなるころまで咲いているときもあります。わが家の今年のむくげはそろそろ盛りが過ぎたようですが、よく咲いてくれました。表庭のむくげは底紅色、裏のむくげは赤紫、一番たくさん見る色です。 わたしはむくげに一つの劣等感を持っています。小さい頃から花といえばむくげと思うくらいに早くに名を知った花でしたが、それが劣等感に繋がってしまったのは、名前の呼び方でありました。わたしの祖母はわたしにその名を「もくげ」と教えました。わたしはずっと「もくげ」と読んで大人になりました。 実は現在、わたしは一つの短歌の会の代表をしていますが、25年の昔、むくげを「もくげ」と集会の場でいったばかりに、当時5人いっしょだった仲間のみんなから、不信任案を提出されてしまいました。そんな間違いの呼び方をするような人の会には居られないというのです。 わたしは祖母から聞いていた名前でしたから悲しくてなりませんでした。近頃になって色々な本を見ても、ムクゲは一名モクゲとも呼ぶと、ちゃんと載っています。 ところで、話は全く違いますが、わたしには実の祖母にあたる人がありました。その人の名は「ます」といいます。おますさんはわたしの母を生んで間なく、21歳で他界したのでした。むくげの花が咲き盛るころでありましたとか。 また話しが変りますが、我が家の洗面所は裏庭に向かって硝子窓が開いています。むくげの花が盛んな頃は洗面所の白いタイルに溜める水が美しい紫に染まるのでありました。 今日の一首 ここはどこどこの細道白き黒き血の満月の照る歌の道 佐々木幸綱(「ここはどこ」)
2009.10.02
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