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近くの教会の大きな常緑樹、樅の木にクリスマスの灯がともりました。夜になって帰ってきて、バスを降りた途端、午後9時、暗闇にその灯が眼にはいって、しばし立ちつくしました。この町に暮らすようになって30年、始めてその灯をわが町に見つけたときはうれしいでした。 繁華な町に見るそれとは違いました。それは確かにわが町の灯として灯っていたからでした。 今日の一首 ふと立ちて押入をあけてのぞきけりこの暗さにぞ惹きつけらるる 前川佐実雄(『全集第一巻』植物祭より)
2009.11.30
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寒夜素描 ひょうひょうひょう 風に吹きちらされる犬の遠吠え この石ころ奴が 寒いのか うごくな 月、、、、 ウフフフフ 青大将だな 貴様もか わかつてゐる わかつてゐる 候御葛稔 詩集 爬蟲類創世紀 一九二九年十月 発行所 富貴堂書房 深いご縁といいますのは、自分にとってだけでよろしいことでございます。相手様をもからめるのはご無礼ということ。ありがとうございました。このところよくに開かせていただいております。 今日の一首 つひにバベルの塔、水中に淡黄の燈をともしー若き大工は死せり 塚本邦雄(吉田弥寿夫『現代短歌・作家と文体』より)
2009.11.29
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何かしら、諸用から放たれた一日でありました。南禅寺から北白川方向に分かれる琵琶湖疏水の分線べりを歩いてきました。思えば30年の年月をこの道に親しんで来たのでした。多忙でしばらくきませんと、そのことを罪の意識にさえ感じます。今日もそうでした。 そのようなことを特に感じる秘密の小道も歩いてきました。その小道は舗装されていません。わずか1メートルほどの土の道の片側は住宅の裏側、片方も塀続きだったりで、でもわたしの好きな草花が、いいえ低い雑草が、それも変わらぬ草が道沿いに生えています。 ここを忘れてはいけないと自分に言い聞かせました。わたしの一つの表現に対する信念の生みの場所でもありました。そうだったところを、そうだった事を忘れてはいはしないか。そんなふうに自分にいい聞かせました。ありがとう今日の一日、そんなふうに思います。もどるべきところへはもどらねば、言葉すくなにでした。 今日の一首 ゆふぐれて吾(あ)に食はしむと煮し魚(いを)の白き目の玉(たま)噛みゐたりけり 斎藤茂吉(「茂吉秀歌・上巻」佐藤佐太郎著)
2009.11.27
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「きさらぎ」歌会(105回)がいつもの全日空ホテルにて開かれた日でした。都合で河原町お池から、押小路通を西へ、烏丸を越えると二条城の白い天主が真近くに見えます。油小路を上ると三井家址に建つホテル、玄関近くの庭に由緒有り気の幾つかの灯籠が見えるのですが、何となし、どれにも主を失った寂寥感に満ちているように見るのはわたしだけでしょうか。 もみじばをサクサク踏みて秋篠の技芸天女へとあせるこころの 八ヶ岳近きロープウエイの空よりは走れる鹿の影も追ひつつ 出で入りの足元いろどる石蕗はたわわに咲きぬ秋の陽うけて つひにきた しんがたインフル おほはやり がくかうへいさに ワクチンはやくと 西方寺阿弥陀如来の光背になお御座(おは)す仏、三千の余に みそひともじの心はほんとうに、思えばむつかしく、思えばやさしきことにてもあるようでございます。何かしら、みずからの心しだい、そんな気もいたします。それではこの次までおこころやさしゅうに。 今日の一首 この器(うつは)こはれやすると気をつかふ何につながるわが心かも 館山一子(『新風十人』昭和15年・より)
2009.11.26
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ブログを書く時間はどうしても今頃になります。しばらく書いていませんとどうしても書かねばならないと思ってしまいます。今夜もそうです でも書き出しますと愛しくなってまいります。今日は用事があって曼殊院へまたいきました。特別に微生物を供養する山手の「菌塚」を拝見するチャンスを得、その後、ひとつのあつまりの食事会に参加しました。ゆえありまして、吉井勇、谷崎潤一郎の話しなどが出たのですが、わたしは、京都における、そうした方々の旧跡といいますか、わたしたちと繋がるその思い出の地、場所を大切にしてもらえないものかとちょっと発言してきました。大層でなくていい、その気持ちの表れだけでいいと思います。町家保存だとか大騒ぎする前にでございます。そのわりに町家も観光的な営業の対象にしかなっていませんが。 京都には「地味」という言葉があります、「派手」の反対です。地味な京都をなつかしくに思うこのごろであります。 今日の一首 秋雨に窓ぬれてゐる日本の小さき家をとざし出できぬ 岡野弘彦(『砂漠へ』百首詠から)
2009.11.23
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近頃、見ている詩集の言葉から、一つを記しとめておきたいと思います。 蛇 部屋のなかにゐても 自分ひとりではないと感ずることはないか ぬらぬらとはひまはる黒い思想を感ずることはないか 柱の陰とか 本箱のなかから びらびらと青い眼を光らす黒い思想を感じはしないか 恐れることはない それは宿命といふやつさ 俺はそれを愛そう 近頃、ちょっと固い言葉をきくことがあって、苦しく思っていました。このような詩でも見て慰みたいそんな気分でした。わたしをそうした人は善人だから、全く感じていない、そう思います。ほんとうにいい人なのです。 今日の一首 アンプルの殻(から)に泡立つ雨を見て<舌圧子煮よ>ただ一語のみ 岡井 隆(「斉唱」)
2009.11.20
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わが家の近くからの市バスで祇園石段下まで行こうとしますと、銀閣寺、永観堂、平安神宮、八坂神社と社寺のつながる観光ルートで市バスの案内は、英語をまじえた賑やかさ。常時のお客にはいささかのうるささでもあります。 出身幼稚園の名を冠する寺院の名までその中に入っていました。ちょっとなつかしい気分になって、なるほど、うんうん、自分もいつの間にか観光客気分。どこか遠くからきたような顔つきになってしまいます。でもわたしが降りる場所の名はその連呼の中にはありませんでした。いまは呼称が違うのですね。そこがちょうど石段の下なのですけれど。 さて、それから徒歩で山手へ、八坂神社の正門から入りましたら、あら、今日は二軒茶屋さんはお休み、仕方がないので楼門前の大灯籠にもたれて人を待ちました。それから目的地である「迦陵頻」へ。知人の「つくるつくろう(作る繕う)」の会の展示を見にきたのでした。 木の作品ばかりで気持ちよくお連れ(わたしの娘)とそぞろ歩きました。お連れは何とご亭主が濁酒を飲むうつわ、素敵!!。わたしはお茶杓をもとめました。 帰路は南座前、菊水で昼食、なにごとにも変わりのないのがよさであって、お安い店。 そんな半日。午後はその反面、しんどいことでした。その緊張がないと駄目なわたしなんですけれど。 今日の一首 あらはなるうなじに流れ雪ふればささやき告ぐる妹の如しと 近藤芳美(『早春歌』昭和20年)
2009.11.19
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あっけらかんと書いている、何事かを、何事とも知れず書いているときの自分は幸福のようですね。今日はなんとなくそうはいかないようであります。 でもよく勉強はしました、わたしの勉強とは考えることであります。よく出来ました。そう思いましょう。しかしもう一歩を歩きたい、でもいいかもしれない、このあたりで。出来上がったと思ったとき、また始まりはある、ですから始まりでなくて、このへんでとめれば始まりには少しありますから楽ともいえましょう。 苦しみも楽しみもたっぷりといえる今日のおわりです。 今日の一首 風の音のはげしく渡る梢よりむら雲寒き三日月の空 永福門院(「玉葉」910・花月五百年 二十一代集名歌二百選 塚本邦雄)
2009.11.17
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あてもなく書き始める、今日この朝、そんな横着をしはじめているわたしであります。計画をもたない、思えば私の人生はそうであります。そうなればこの人生の朝、出来るだけ、無駄ごとをたらたら書き始めるしかないです。 しかしながら解き放たれた実にいい気分、今朝はお仲間の早朝電話から始まりました。寝室は二階のわが家に二階に通話装置がいまないのです。子機がこわれて、何度、修理にだしても治らないで帰ってくる、うちへかえればまた駄目になるらしいです。 世の中は便利になりました。こまめにさへすればなんでも適います。でもしなかったら何ごともかなわない、あたりまえながら、決してずぼらではない範囲で、自然にしていたい、そんな気分でいる自分であります。 いままた電話が鳴りまして、気分がちょっと途切れました。もっと書きたかったですけれどこれにて。でも電話はいい電話、待ち合わせの場所は祇園、二軒茶屋の茶店にしましょという報せでありました。相手はわが娘です。下記は友人の女子高の教師がナンパ(ちょっと古いか)の歌よといって生徒に楽しくすばやく暗記させていた歌、わたしもお蔭さまで。 今日の一首 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそは 告らめ 家をも名をも 太泊瀬稚武天皇(万葉集巻一の一)
2009.11.16
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一日一日は予期しない出合いの繰り返しです。生きるとは実にたのしいことであります。昨日は、京都府立医科大学病院、わたしたちは昔から単に府立病院とよんで親しんでいるところの名前を聞くご縁がありました。 わたしがその名にはじめて親しんだのは、小学校一年生の春のことでした。身体検査で肺門淋巴腺が悪い、結核の初期とかいわれたらしく大騒動になったようで、すぐさま、比叡山麓に一軒家をもとめ、祖母につきそわれて療養に入ったのでしたが、たしか月一回でしたか、府立病院へ「ピルケ」?とやらいいます反応検査にかよったことを覚えています。 そのときの小学校の校医さんは鷹取常安さんといいましたが、府立病院の先生であったかどうかは知りません。昔からの古い医家の家系の先生ではありました。比叡山麓まで家庭教師にもきてもらっての大騒動のおかげて、いまはご存知の方はご存知のとおりであります。 したがって、府立病院というとそのことを一番に思い出します。わたしには楽しい転地療養の期間でありましたが。 なお京都府立医科大学病院の前身は明治五年、粟田口の青蓮院に開設されたといいますが、その前に、中京区木屋町御池、現在の御池大橋の西たもと左側にあたるところの路地の奥に最も初めはありました。青蓮院への移転は、当時、蹴上の山中にあった解剖場から近かったせいもありましょう。 今日の一首 ソ聯参戦二日ののちに夫が呉れしナルコポン・スコポラミンの致死量 心臓の標本一つある窓にぶだうの蔓の影ある時間 葛原妙子
2009.11.14
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眼 ひとつの眼がある 私の眼をじつとみつめてゐるひとつの眼がある 街をあるいてゐると 私をゆううつにさせる眼である うつくしい女性が死ぬると その眼は悪魔の食べもとなる 私はいつかその眼をてのひらの上でなぐさめてゐた夢をみたことがある その眼は私に人生を明るく見るようにしてくれた しかし私はその眼をふたたびみることが出来なくなった うつくしい女性の眼は うつくしい月の出ない国からやつてくるにちがいない うつくしい女性が死ぬると その眼は月の出ない国の食卓にはこばれる この詩は候御葛稔(まつおかつとし)著、昭和4年発行の『爬蟲類創世記』22頁の「眼」と題する詩です。好きな詩ですから、今夜なんとなく今夜のブログに書き記すことにしました。それだけのことであります。おやすみなさい。 今日の一首 コンクリートの肌あらはなる冬の階のぼりつめゆきたたかはむこころ 葛原妙子(『飛行』より)
2009.11.13
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今日はお昼寝をちょっとしくじったことで、人生、一日を得したようであります。人様にいえないことなのでご推察をですが、じつは今日は今日なのでありますが、わたくしには今日という日がだぶりました。 この宇宙にはない、他人にはないこの時間をどうつかいましょう。やはりいま立ち向かっているわたしのひとつの仕事にかわりなく打ち込むしかない、ありがとう、しくじりの昼ねでした。思えばラッキーな時間、こんなことやってないでがんばります。でもブログは書いておかないと気になりますので。 今日の一首 この朝は櫛とることも物憂くて夫に我が見する髪のみだれを 杉浦翠子(『みどりの眉』大正14年刊)
2009.11.11
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例年のインフルエンザの予防注射をしました。それから看護師さんにマスクの正しいかけ方を教わりました。その後、整形外科では骨密度の検査を受けました。年相応でした。姿勢をただして歩くようにいたしましょう。よく歩くようにいたしましょう。 さて、帰路はお昼も回りましたから途中、おぞばをいただきました。わたしが「せいろそば」と注文しましたら、其のことばが通じませんでした。いまいちど「それでは、ざるそば」といいましたら「ああそうですか」ということでした。でも、ざるなんていわんといておくれやす、こころのなかでつぶやきました。きれいなことばは残したほうがよろしおす。 しかしながら出て来ましたおそばは、せいろにもられておりました。立派なせいろそばでございました。 今日の一首 やわらかな秋の陽ざしに奏でられ川は流れてゆくオルゴール 俵万智(『かぜのてのひら』)
2009.11.10
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何故か今夜は現在の時間にいたっても元気です。 実はお昼、内科のお医者さんへ行きそこなって、明日、整形外科とともに行くことにしました。といいますのは、瓦斯の始末が気になったから、もどったからでした。それでよいと思うわたしの人生です。火気関係だけでなく、わたしは気になるときは、何でも、何時でももどります。やり直しをして、後悔したことはありません、学校の落第はしたことありませんが、そうばればそうでわたしはそうしたでしょう。確かなことが一番。 ところで、せっかちなのもまた一番、でも人生なんとかやれるもんですね。後悔とやり直しは違います。どんなことがあってもやり直せばいいとわたしは思います。これからもわたしはどこへいくにも、何をするにもターンを繰り返すでしょう。同じ景色をもう一度見るっていいなあと思いながら、明日はまちがいなく内科と整形へいきましょう。 明日の景色はどんな景色かな、きっと今日よりいいでしょう。 今日の一首 照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に 渡辺直巳(中国河北省にて戦死、『昭和万葉集』より)
2009.11.09
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ほとんど日々にこの紙面の言葉を書いていますと、何を書くかというような、何はもうなくなって、とにかくこの面の白を埋めようということになります。 今日は何、はてさて、今日はどうして一日が暮れましたっけ。何を考えていましたか?ああそれならお応えできます八百万の神様、仏様。今日まで生きてきたほどは生きられないわたくしの生き方についてでありました。 それを考えることはとてもたのしいことであります。 それは考えることです。えっ、同じことをいっていますか、いえ、考えることを考えなさんと実行しているわけで、これほどロマンチックなことはありません。 今日の戦いは一軒のカフェの二階の画展、嵯峨美大卒の一人の女性が催す会場にはじまりました。高価なものは買えないけれど、800円ほどのかわいいブローチを買わんとなしているとき、この世ではじめての一人の人が声をかけてくださいました。その人の言葉「これが似合うようで」「はあ?あっそうか!」わたしはそれを求めました。 瞬間の判断と決断みたいなものが縁をひいて、来年の年賀状の話しまでまとまってしまいました。一日の報告です。さあ今夜はもう、次の仕事へ。 今日の一首 野にかへり野に爬虫類をやしなふはつひに復讐にそなへむがため 前川佐美雄(『新風十人』昭和15年刊)
2009.11.07
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時折りに読み返す文章があります。 例へば 今夜は寒垢離を見よと思ふてわざわざ出かけて往た。月は冴えて風は肌を刺すやうに吹い ている。 などゝ筆を起し いくら此の辻に立つて待つて居ても寒垢離は来ない。夜は次第に更けるが地上に写つて居 る自分の影法師は小さくなつて足もとは氷りつくやうに冷えて来る。時々聞える犬の遠吠 に其度ごと頬の粟粒が殖えるやうに思はれる。チリンチリンといふ音が聞えた。来たと 思ふてそちらを見ると饂飩屋が荷を担いで今こゝへ曲つて来たので、寒垢離の鈴でなかつ た。 面白いからもっともっと写し書きをしていたいが、もう眠る時間です。自分の小さいころ、「寒坊さん」というて、深夜かどを通る修行坊さんがありました。たのしい文章をよんでいますと、楽しい連想が果てもありませんけれど、途中でおやすみなさい。 今日の一首 我に神の歌をよめとぞのたまひし病ひに死なじ歌に死ぬとも 正岡子規(病中・31年)
2009.11.06
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初冬のひかりが終日おだやかでした。こんな日がいつかあったよう気がします。記憶ってなんでしょう、そんなこと、短歌をやっていますと何気なくにとどめることができて好都合といえるかもそしれません。でもそれは私の場合、そうとは都合よくには考えられません。わたしは深く悩みたい、いくつになってもそんなことをいっている自分です。 今日の歌会の記録を下記します。 十月のブーゲンビリアの見る夢がカサカサの手に浮かぶシミになる それなりに いきてきたけど そうかしら いかされてきた そうこれからも 駅裏の更地となった一角に地蔵菩薩はオリオン座の下 雨あがり朝日に光る松葉なり雨のしづくがガラス細工に 葉をとばす風におされてふらつけり桜落葉の道ぬれていて なりのよい朱の椀みつけ求めたり秋風まとふ能登の朝市 願いごと掛けるいとまもあらばこそ流星ひとつ南天に消ゆ 帰路、たまたま来たバスに乗って、自宅とはまったく違う方向にいきました。そこは市中の最北端、しばらく橋の上で風に吹かれて帰りました。山が屏風のように迫るところでした。 今日の一首 アポロンやその弓よりも弦(つる)よりもはげしく撓ふ夜々の草花 坂井修一(『ラビュリントスの日々』より)
2009.11.05
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生まれて、生まれた土地を離れないでいることは幸せなのでしょうか、よくわかりませんが、あたえられたすべてを計り知れざるものからの思し召しとありがたくいただくわたしでございます。思えば、極楽とんぼでございます。 今日は「洛趣会」という催しものの会場へいってまりました。お恥ずかしきながら、わたしが生れました翌年から続いているふるさとのお店屋さんの年次会でございます。 風呂敷屋さん、人形屋さん、すだれ屋さん、履物屋さん、そば餅屋さん、場所は美術倶楽部であったり、お寺さんであったり、歌舞練場であったりいたしますが、わたしにはどこもかもなつかしいところ、お茶席とおそば席がありまして、子供のころは、よくおかわりに走ったりしたものでした。 また来年、そんな気持ちがわたしの励みとなります。 今日の一首 城中(じやうちゆう)の千株(せんしゆ)の杏花咲きて関帝廟下人市をなす 正岡子規(『竹乃里歌』、「金州二首」より)
2009.11.03
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午後から雨、知らなかったら降りだしていました。ひとにいいますと予報が出ていたとのこと。そうですか、おかげでわたしはただいま予報を気にしなくてもいいくらしで。いいくらしをしているというわけではなく、それでもすむくらしでございます。 ところで、今夕、修学院あたりの明治か大正のころでしょうかの村を写生した絵を見ました。なつかしいでした。わたしは昭和の初期の生まれですが、事情があってそのころ八瀬に住んでいましたから、市中とはよく行き来をしていました。其の時代の目に残る修学院あたりと同じ情景が其の絵には見られます。 わたしの人生の初めの頃ですからそうそうにいうほど昔々のことではありません。一人の人間が生きている間ですから。わたしはたいへんな時代に生きたものだと思います。これだけ風景がかわる時代もありますまい。 よく通った街道は、自動車ですが平八茶屋の前の道でした。白川通りはまだまだ開けていませんでした。その道から、比叡山、赤山、修学院山あたりの裾の村落、田んぼのうつくしかったこと。 ところで、日常そのもののありさまを言語化、写生といってもいいでしょう、するとき、わたしたちは認識の根本的な変化を強要されることを身をもって感じます。また感じなければ現代を写すすべはないはずです。 今日の一首 晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて (『葡萄木立』昭和38年刊)
2009.11.01
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