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今日のお昼は長女と、長女の子供のお婿さんのカナダの人と三人でお蕎麦を食べに行きました。長女はわたしとカナダさんに海老の天ぷらが二つもついた上等を食べさせてくれました。それからお昼なのにビールも注文してくれました。ラッキーでした。 お蕎麦屋さんのおばあさんが出てこられたので、おばあさんにカナダさんを、わたしの孫ですと紹介しましたら、不審な顔をされました。でもそういうことになるのですから。幸せとはこういうことですね。帰路、好物のシュークリームを買ってもらって帰りました。 そうそうそれからわが家ではこれからがお雛様!!。昔からわが家は旧暦なのです。長女が押入れからお雛さんをお出ししてくれました。いまは夜です。でもお雛様をお飾りした部屋の電気は消しません。これからお久しぶりのお二人の積もるお話しが始まるのですから。わたしはそれではこれにて失礼しますと、襖をしめました。 今日の一首 手をふれてさびしいふたり何にでもなれる万能細胞のやうで 魚村晋太郎
2009.03.31
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また昨日のようにバックがアウトになるのかしらと不安です。してみなければわからないということですが。いまするべきことを終えて真夜中になりました。落ち着きます。するべきことを終えますと。 さっきまで比叡山のことを書いていました。わたしが書くことはみな実験済みとういう言い方より、自分が体験したことです。そいうことを幼稚園の園児にように書きます。わたしはそうしていることが至福なのです。 ということは、わたしは幸福なのでありますね。ありがとうございました。これで本日は休ませていただきます。あすは長女がまいります。お昼はおいしいものをたべさせていただきましょう。思えば、わたしは何でもおいしくいただけます。でも長女といただくおいしさは違います。なにやらわからんことをのろけていないで、おやすみします。はい。 今日の一首 たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ 齋藤史(『魚歌』)
2009.03.30
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「春は花、いざ見にごんせ東山、色香争ふ夜ざくらや、うかれうかれて、粋も無粋も物固い、二本差してもやはらかう、祇園豆腐の二軒茶屋、みそぎぞ夏は打ちすぎて、河原につどふ夕涼み、真葛が原にそよそよと、秋は色づく華頂山、しぐれをいとふ唐傘に、ぬれて紅葉の長樂寺、思ひぞつもる円山の、けさも来て見る雪見酒、そして矢倉の差向ひ。」 江戸中期の詩人中島棕隠(1779-1855)『京の四季より』 何故か今夜はこんなことを書いてしまいました。6歳の6月6日から舞いを習わされて、戦争でどこかへ飛んでいってしまいましたが、いつの間にかこの詩は忘れられないものとなっていました。わがふるさとの絵そのものであったからでしょうか。 中島棕隠は一度江戸に出ましたが、京都に戻ってからは順正書院などの文人サロンにも出入し、頼山陽らとも交遊、晩年は洛東聖護院村に隠棲しました。墓は黒谷にあります。 今日の一首 両の手にかすか動ける風のあり微風のこえは父母の声 岡部桂一郎
2009.03.29
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夜9時ごろ帰宅しましたら、玄関前の庭に赤い椿が一輪、ほうりこまれてありました。こんな嬉しいサインをしてくれる人は誰、考えました。そうたくさんあるわけはありません。同時にポストを見ましたら了解、一通の便りもほうりこまれてありました。 OKよ、行くわよ、貴女と私の間に乾杯。そうです、当日は歌人協会の日です。帰路お寄りします、作品展に。素描、着彩とか、専門的なところ教えてください。 いつもじっとしていない人、とどまっていない人、勿論それは表現を思う上に。見習います。わたしもそうでありたいですから。 今日の一首 はりねずみが互みに針の空間を保つは叡智あるいは孤独 小島熱子(『クレパスの線』)
2009.03.27
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家を出るときは雨は降っていませんでした。疏水の桜の今日の具合を見たくて、ついでに寄らせていただいたお宅の奥さんが、傘を持っていかねばとおっしゃって下さったので、そうなのかなとお借りすることにしました。 外に出るとなるほど雨が降っています。いまさっき降っていなかったのに、不思議な雨です。バスに乗りまして、地下鉄に乗りまして、地上に出ましたら、また、雨は降っていませんでした。目的地まで傘を畳んで歩いて、目的地の鍵のかかる傘箱に入れました。大事な傘ですから。鍵も失くさぬようにと、ハンドバックのチャックの付いた場所にしっかり入れました。 帰路、やはり降っていませんでした。日が照り始めていました。昔、農林学校だったところの農園にそう道を、地下鉄に乗らずにバスのあるところまで、ゆっくり歩きました。雨上がりの風が気持ちよかったです。 今日の一日のことでありました。 今日の一首 馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ 塚本邦雄(『感幻樂』昭和44年)
2009.03.26
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未だにストーブをつけているわが家ですが、あまり暖かいより、これくらいの方が安心できる気持ちです。今日は二条城前のホテルでの歌会に行きました。たのしいお仲間と頂くお昼のおいしいこと。みなさんが揃ったところで始まりです。 春の宵門口に立てば頬なでる芽吹くかをりに旅立ち思う 芸術(アート)という光にうかぶ庭石は怖ろしくもある下河原園徳院 ユーユータンゆうやゆうくんゆうやくん呼び名変わりてもう五年生 釜座通(かまんざ)のかぐろき町屋花店主花とるリズムにかよう風あり じみんたうかいさんもせずしがみつきいつぱうみんしゆはおかねあやしげ このホテルの庭の各所によき形に、大きく、小さく点在する石灯籠は、かっての三井さんのものかなあと、ふと懐かしく思うのでした。 今日の一首 あやまれぬままに携帯電話を切られたり日傘のなかの小さき蔭に 江戸 雪
2009.03.25
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今日はラッキーでした。蹲に必須のもの、杓を疏水の前のお知り合いからいただきました、それも素敵、よい木の香りがいたします。 杓置きは三条大橋ほど大きなものに竹の都合でなりましたが、不思議にそのやさしい杓がつりあいます。三条大橋にかかる、まるで姫の袖のようであります。とにかくこれで、我が蹲も落ち着きました。庭も落ち着きました。 ところでわたしは何々某の作といわれる庭園はあまり好きではありません。その庭前で京料理などの宣伝を見ますと、もうそれだけで大方のことがわかり嫌になります。そのようなところとわが家の庭を比べるわけではありませんが、庭は適当に荒れているのがよろし、情というのはそういうものでありましょう。 この度のわが家の蹲の三条大橋は全くの傑作でした。わたしは三条大橋に近く生まれました。その橋上に坐っていた、子連れの「おこじきさん」など忘れられないものとなっているのであります。 今日の一首 苦しかりし半生ののちの喜びを詠ひ上げむに何をはばかる 青木ゆかり(アララギ派)
2009.03.24
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午後、日米の野球をテレビに見てから、府立図書館へ5冊の返すべき本を返しにいきました。重かったです。自業自得。平安神宮の赤い鳥居は相変わらず赤く大きいことでした。 後、5番のバスで、上終町まで引き返し、204番に乗り換え、北大路から地下鉄で、今度は府立資料館まで。用事は、1987年の自分の白川書院に於ける取材記事をいま一度確認したかったことです。早速司書さんに探してもらいコピーをして外へ出ました。時間はきっかり4時。 さあここからどうしましょ、北山通りの突き当りには大比叡が招きます。思い立って、もっと比叡に近く、宝ヶ池までこのまま歩くことに決めました。都合で北山通りは避け、妙法送り火の山の麓伝いに歩きました。 松ヶ崎とは、山の出崎を称したもので、西から東へ高低起伏する丘陵が、東方の高野川に接するあたり、昔の風光明媚さに充分、融合できます。わたしは京都七福人巡りの第一番所、松ヶ崎大黒天から、村の總墓地を過ぎ、小さな石橋に腰を下ろし一服しました。 いい道です。ゆるりとここまで30分余、今朝まで机の前詰めであったため、実に歩くことは爽快、廻りの柔らかい土に咲く小さな花などに、そっと触れながら肉体も精神も完全によみがえりました。 今日の一首 鈴蘭をかってくれたる人は無いその人の夢未だ見る五月 エリ(「短歌人」)
2009.03.23
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ただいまのわたしの机のかたわらに、明治12年生まれの祖母の鏡台の下部の台を置いています。その台というのは深さ、幅、大きさの違う、細やかな小引き出しが七つ付いている小さな小箪笥のようなものです。その上には鏡が立てられてあったはずです。 どの引き出しも滑らかに引き出すことができます。木材は何でありましょう、撫でますと実になめらかで、すべすべと指が滑ります。時には長い年月を労わるように柔らかい布で乾拭きします。祖母の嫁入道具であったことでありましょう。 祖母が生きておりましたら、120歳、結婚は20歳としましても、100年の歳月は経ていることになります。各引き出しの金具も実に頑丈です。いまはわたしの宝物入れになっています。母の形見の鼈甲の蝉も、紅の筋ひくリチルクオーツも、銀河系のブローチも、拾い集めた小石たちもです。それから一番大事なもの、わたしたちの短歌会の印鑑もです。 でも、たったいま、このわたしの手にあるこの引き出しの運命も、いつ、どうなっていくことでしょう。それは神様だけがご存知ですね、よろしくお願いします。 今日の一首 宇宙の形はさまざまであるホームランを打ったのは誰であったか 宮崎信義
2009.03.22
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蹲の内部を束子でこすって気持ちよくし、水を満たすと、そのままに心が清浄に満たされます。次にまえの小石を一つ一つ洗って、敷き詰め直しました。どこか地の底で水の流れる細い音がします。 その間、昨日の続きに来てくださったpさんが、表の縁側の虫食いの傷みのつくろいを何と美しくしてくださいましたことでしょう。わが家は80年以上は経ています、でもこれで、わたしの一代の棲みかはまだまだ大丈夫。 仕事を終えたpさんが、わたしの求めに応じて、竹垣などの竹の余りで、ちょっと太いかなといいながら、杓置きを作ってくださいました。わたしはうわー立派、三条大橋やと歓声をあげました。次はふさわしい曲物の杓を探すことが目的です。 今日の一首 清盛は白河の子であるかともかなしかれども書き遺されき 由良琢郎(「短歌研究」)
2009.03.20
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暖かい一日でした。寒がりの方ですが、今日は動くほどに一枚二枚と脱いでいきました。ほんとうにもう春、いいえ、もう春が過ぎていくのかもしれません。 今日は昔からのわが家の大工仕事、庭のお仕事をしてくださるpさんが来てくださる日でした。まず一番は裏庭の藤棚修理、pさんは修理ではなく、持参くださった吉野の竹で狭い庭にまるでお伽噺の小さな家のような三角の藤棚を新しくつくってくださいました。 庭がだんだん美しくなると、忘れていました榾木に椎茸が出来ていることをpさんが見つけてくださいました。pさんといっしょに来てくださったpさんののお友達のsさんもよくお仕事をしてくださって、午後は表庭の竹垣まで新しくなりました。 お二人ともありがとうございました。ちょっと桜の幹の下部が病気なのではないかと見つけてくださったsさんが、近いうちに樹木医を志して勉強しておられる方をつれてきてくださるそうです。何もかもありがたいことでございます。 今日の一首 君がゆく道の長手を繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも 狭野弟上娘子(『万葉集』15-3724)
2009.03.19
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宮澤賢治の短歌は、大方が彼の16歳から25歳までに詠まれているといわれています。ちょっと知っておきたくてあげてみました。考えるのは後でいいと思います。 岩鐘の きわだちくらき肩に来て 夕べの雲は 銀のあうさつ オパールの 雲につつまれ 秋草とわれとはぬるる 種山ヶ原 あまぐもは 氷河のごとく地を掻けば 森は無念の 群青を呑み ものみなはよるの微光と水うたひあやしきものをわれ感じ立つ 黒雲の 北上川の橋の上に 劫初の風ぞ わがころも吹く サイプレス 忿りは燃えて 天雲の うづ巻をさへ灼かんとすなり 考えるのはあとでいいですね、でもこの人間の傷ましさ、やさしさは、そしてその修羅をもっと知るためには、そこにはスペースシャトルでないものがありますね。またよろしく。 今日の一首 外界があまり春らしく過ぎる日に裂けたるはわが青き水掻き 斎籐史(「うたのゆくへ」)
2009.03.17
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今日の、朝、宇宙への旅に、満面の笑顔に出かけたわれら地球人の友がありました。なんというすばらしいことでしょう。感動のふるえがやまないようないま、そんなときに、「銀河系」と名づけられる個展にもとめられ、いただいた銀のブローチを、いま、両てのひらにそっと置いて眺めつくしています。あまたの星を抱く形の月を表現したといおうか、それとも宇宙そのものなのか、時をそうも違えず、いま手にしている、この不思議を思います。 今日の一首 花のごとく黙してありぬ花のごとくかをりてありぬ命の奥に 大塚陽子(『遠花火』昭和39年)
2009.03.16
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今日の仕事を終えたら、いえ、終えたらでなくて、もう止めたらこんな時間となりました。なんですか、今日は「京町家」でなく「京の町家」と書きたい、そんなことにこだわっていて、少し疲れました。書くすべがなくなったというわけでしょうか。 でもわたしたちは商売をやっているわけではないから、それで利益を上げる人と同じ言葉を使うことはないと思います。「京町家」はなんとなく、「京ブランド」的でいやなのです。そう異論を唱えてくれる人もありまして、わたしはその人の本を読んではっきりそう思いました。 とにかく何にでも「京何々」とつけたがる現今の商売根性がいやであります。町家は全国的に江戸期から存在する商家、町並、ただ京都に多く残っているからといってブランドものにするのはいかがでしょう。いやなご時勢であります。わたしはもっと地についた京都でありたく思います。 今日の一首 慈姑(くわゐ)という字がいいなあと思ひをり慈姑のやうな青を着ようか 石川不二子(『ゆきあひの空』)
2009.03.13
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この月の6日の記事として書かせてもらいます。6日は毎月の綾部へ通う日でした。折悪しく雨でしたが、会場の山際の清絃寺さんは早春の雨にしっとりと湿って美しいことでした。今日はお客様の京都からの詩人と一緒でした。 歌会の間の中央の甕には寺内に育てられた水仙がいっぱいでした。そのおおらかさが素敵です。 良きことは何もなかりし一日すぎ木瓜の蕾はふくらみており 春を呼ぶ冷ための雨だが雪とかし堰下る水の音高し 冬畑に花菜のつぼみはじくとき「摘み取り販売」看板立ちおり 飼いなれし兎は逝きて野辺に送る子等に雪降る如月二十日 何故つぶる神仏拝むその時に教えなくても孫までつぶる 限界のきびしき里に生くるひと山に抱かれたおやめとなる きらきらと桂の樹下に降れるもの真鶸(まひわ)の群れの昼餉のかけら エコごころ頂き物の布の山リフオームめざし七十路はいそし 「ポニョ」五歳トテテトテトテふらふら歩く我が奥底の記憶がうずく 詩人からの指摘が皆さんには新鮮であったかもしれません。折々にはジャンルの違う方からの意見を聞くことも大事かと思われました。短歌というものは堅苦しくなり勝ちかもしれません。 今日の一首 子の顔を近づけ匂いかがせれば大泣きに泣くこれは水仙 奥田亡羊(「短歌研究」)
2009.03.11
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お昼に長女が来て、ご飯をいただきながら、何となしにわたしはいいました。あなたが生まれた昔の家覚えている?。嗚呼、覚えている、あの深い深い町家のと彼女は応えました。そうね、その深い深いどんつき、母屋から中庭をへだてたあの離れでわたしはあなたを生みました。 そんな会話ができる、ひととき、至福であります。これが病院だったらどうでしょう、感慨は変わると思います、ご近所さんは思いやり深く、物音一つしなく、しかしながら励ましはしっかりと感じられて、中庭には小雪がしんしんと降っていました。 長女は何かしら、そのときの全てのを受けとめて生まれました、わたしはそう思っています。いま、わたしを口数少なく見守ってくれる静かな確かな子です。 一ヶ月おきに書く京都のエッセイ、わたしはこの度は、わたしも生まれたその家のことを書こうと思います。 今日の一首 ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台 塚本邦雄(『感幻楽』)
2009.03.10
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関係する歌会の会員、Tさんが現在がなさっているお仕事をくわしく知って驚きました。 Tさん、ごめんなさい。Tさんは1994年初めてネパールを訪れたとき、栄養失調のため路上で亡くなっていく子供を目前に見て衝撃を受け、職業上「わたしが子供たちに出来るのは学校給食しかない」決心、その決心は帰国後もかわることなく、翌年再訪、ご自身の従来の給食調理員の仕事を生かし、「ネパールムスタン地域開発協会」の一員として、村の学校で同国初の給食を始められたといいます。電気や水道もないため、煮炊きは灯油で、水は雪解け水をためて使われたのでした。 現在ネパールと日本を行き来する生活を繰り返して16年になられるそうです。ネパールは今年も行かれる予定とか。Tさんは「ネパール全土に学校給食を広めるのがわたしの夢」であると語られます。Tさんの作られるパンは、料理は、どこか大きさがあります、あたたかさがあると思っていました。 いままでつつましく語られるTさんからは全貌を知り得ませんでした。この度は新聞面から知ったことでしたが、わたしは正直、作歌の上からしか応援することができません。わたしは貴女ご自身を応援するだけしかできません。ごめんなさい。すべてを知って何もいえなくて。 今日の一首 げんげんの花原めぐるいくすぢの水遠くあふ夕映えも見ゆ 島木赤彦(『馬鈴薯の花』所収)
2009.03.09
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夜にならないうちに書きましょう。さて、わたしは隣組に郵便局がありますのに、ぐずぐずしていて、上手に日曜日に一足遠い本局へ原稿を出しに行かねばならないような仕事の仕方をします。それがあまり上手なので驚きです。本局へ行けば何時でも、何とかなると思っているようです。油断ですね。 今日もそうでした。それに加えて、本局へ行けば、12時開店のカフェにうまく間に合って、好きなカレーライスを食べられるという計算まで、いま一人のわたしはやっているのです。 しかしながら、世の中というものは、あまりきっちりしたやり方より、何となく危うい綱渡りに、何かしら、いうにいえない出会いがあったりするものです。見えないものが見える、言い方は我田引水ながら、わたしはその身のこなしにむしろ真実とぶっかるときがあります。やはり一番嫌いなのは、世渡り上手というやりかた、そうする人、虚偽にあるようです。 所謂、鈍でもいい、回り道、無駄をしてもほんまと出合いたいです。でも、無駄な動きをしないよう、まじめに働くことも大切でありますが。仕方がない自分なりにがんばってまいりましょう。 今日の一首 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき 近藤芳美(『早春歌』昭和23年)
2009.03.08
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朝から出町へ行くことがあって、豆餅とちょっと早いが花見団子、桜餅をもとめました。お昼に娘たちの家族が来るからでした。 しかし家へ帰って庭掃除をしていましたら、仲良しの表具屋さんが来はったので、先に花見団子を一本あげました。わたしもいっしょにいただきました。ああおいしいことでした。器は都踊りの、お皿を使って、すっかり春気分。表具屋さんは木瓜の花が開きかけたからと持って来てくださったのでした。 玄関口の甕の金魚が大きくなったとびっくり、昔々わたしが生んだのといったら、大笑いしやはりました。楽しいことでした。やがて娘たちがお越し、食事に町内の中華屋さんに行きました。お昼からビールもいただいてありがたいこと。 娘たちは短時間で家の中を綺麗にしてくれました。彼女らもわたしが生んだのでした。こんなかわいい子供たちを神様、ありがとうございました。一人になっても夜までルンルンで、夜に手紙を二通書いて眠ることにいたします。 今日の一首 声もたぬ木ならばもっと君のこと想うだろうか葉を茂らせて 小島なお
2009.03.07
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ちょっと前、久しぶりに出会った旧制高女の同級生が楽しいことを語ったのを、ふと思い出しました。在学中のその友の家を知らなかったので、たずねましたら、山紫水明処の隣だったということでした。それを聞いてわたしは何だかうれしくなりました。そしてなんだか親しい気持ちになりました。 山紫水明処とは、江戸後期の儒者頼山陽が晩年住んでいた水西荘の書斎で、入母屋造、わら葺平屋建、内部は四畳半と二畳の二室からなるきわめて質素なものですが、賀茂川西岸から、東山三十六峰をのぞむ景観は、山紫水明の名にそむきません。山陽は文政五年、この地に居を移し、天保三年九月、五十三歳で没するまで、ここで、もっぱら「日本外史」さらに「日本政記」の筆を捨てませんでした。 その隣にわが友は住んでいたというのです。なお語るところによると水明処には参観者のためのトイレがなかったので、皆さん、「うちへ来てはったのえ」と、京都に住んでいても誰も知らないそんな秘話を話してくれたのでした。 いまも川端通りを歩くときも、タクシーのときも、わたしは首をのばして、その風景に見とれます。京都の数少ない、原風景です。そこに友の家があったことを思いますと、嬉しくなってくるのでした。丸太町東三本木上がるのそのあたり、いまも高い建物もなく、無闇な電灯のあかるさもないところです。 今日の一首 京に来ぬ山紫水明処といえるその家の名をなつかしみつつ 吉井 勇
2009.03.05
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何となしに、むなしい日は古い書籍に手のばします。 今夜、手に触れてきたのは、『国文学』第28巻3号「短歌に何を求めるか」でありました。そこにはなつかしい寺山修司の名も見えました。大岡信、佐々木幸綱らとの座談会で寺山はこういうことを語っています。「短歌は意識するしないに関わらず自己肯定の文学で常に内面化の方向に向かっていく。つまり自分自身を身体的に(あるいは非身体的にでも構わないけれど)、見つめることに非常に適しているという思い込みがあると思う。つまり、病気にでもならない限り、「個」と「個の内面性」への退行は自己を密室化し、閉鎖的にしていく傾向があるということに反発している。僕の場合も、そうした退行現象からできるだけ離れようとして演劇にのめり込んで行ったわけだしね。」寺山の言葉はもう少し続きますが、今日のつまらないことにつかれて、これにて筆?を置きます。 でも惜しいからもう少し「しかし、身体が病むと「個」の問題が再燃してくる。そしてそれは、現在短歌をやっている人間たちの中にも根強くある内面化への衝動と無縁ではないと思う。」・・疲れた夜に。 今日の一首 マッチ擦るつかの間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
2009.03.04
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短歌雑誌として始めて目を通したのは『短歌研究』でした。今年もとにかく年鑑だけはいただいておきましょうと求めました。自分の歴史とともに古い雑誌であったと表紙の片すみをよく見ましたら、「昭和20年1月11日第三種郵便物認可」の文字が読めました。なるほど古いです。 のぼりきれば必ず海がひろがるとわが裡にありし螺旋階段 城門と積木が名づけられていて子供の夢に王妃が歩く 乾きつつ色失いてゆけるもの赤きポロシャツとわれのかなしみ 両腕を垂らせば午後は神のなきことたしかなり陽の中は塵 わたしは自分の書いたものを隠さないつもりです。下手だから、恥ずかしいからそんなことをいって名前も付さないのは傲慢だと思っています。自分はそれだけの者なのでありますから。 今日の一首 文体を揺り動かして居たりけり液晶のなかに息づく言葉 加藤治郎(『リキッド』)
2009.03.02
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