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柳原白蓮の著書が2冊、そして短冊が手元にあります。手元の著書は大正8年3月13日発行の詩歌集『几帳のかけ』ともう1冊は大正9年6月24日に4版が発行されている戯曲『指鬘外道』です。 いま改めて見ますとどちらも革製です。『几帳のかけ』は柔らかい裏革が使われており、薔薇の花模様が金の縁を使って、ひとつ大きく、ぽったりと押印されたような姿に見えます。いま1冊の方は京都四条南座前にいまもある小間物屋「井沢屋」で、「革の表紙について相談した」と、林真理子さんが『白蓮れんれん』に書いています。相談したのは宮崎龍介。 『几帳のかけ』の末尾のページには、かってこの本を手に入れた人の筆あとが見えます。薄い鉛筆で「1920年2月読了」と見えます。それから60年の歳月を経てわたしが手に入れた年月日を、そのかたわらに、そっと、同じく鉛筆書きでそえておきました。 書店の目録に見出して手に入れた短冊の歌は下記します。すべてが過ぎた今、あらためて眺めるそれらはまこと美しいもの、今日ここにそれらを記しましたのは、昨日表具屋さんがたまたま届けてくださった掛け軸に、一枚の短冊が似合うことがうれしくて、全く思い出したように記しました。 今日の一首 ここにありし見ぬよの人の俤のあるかとぞおもふくらきともし灯 柳原白蓮
2009.04.29
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昨日のことでした。門の脇のポストにエアメールが入っていました。いま孫たちもみんな日本だしと思ってよく見ましたら、海の彼方、遠いお国の短歌の若いお友達の一人、大学の研究員として海を渡った彼女からでした。切手は青い海の絵、裏の〆には猫の子がとんがり帽子をかむり、箒を持っている絵が貼られてありました。素敵なカードには嬉しい言葉がぎっしり。 わたしのブログを見つけて読んでいますとおっしゃってくださる、ありがとう、思わず声に出して応えました。毎月の歌会の投稿もありがとうです。貴女の作品の言葉は何故だか生きているそう思います。自動車免許をおとりになったとか、簡単にスピードが出てしまう自動車より、ぺタルを漕げば漕ぐだけ走る、自分と共にある自転車の方が好きと書くあなたがわたしは好き。6月20日締め切りで夏号が出ます。13首ください。貴女の自転車をまたがんばって漕いでくださいますか、待っています。 今日の一首 海底はお花畑で AはBを食ひCはAを食ひDはCを食ふ 王 紅花(『夏暦』所収)
2009.04.28
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昨日から、都をどり見物のご一行さんが、次女の嫁ぎ先、御在所岳の麓からお越しでした。今朝からは御所と上賀茂神社へ行き、わたしも賀茂街道をタクシーに同乗、道々比叡山のことなど話しをしましたが、比叡山は人様にお話しするほどに自分のものとしての感情が懐かしく悲しくにさへ湧いてまいります。 比叡にはたくさんの伝説があります。そのなかの「ひくひくめ」は子供の頃から知っている話しでした。二組に分かれた子供たちがそれぞれに相手の子供を奪い去ろうと、争う遊びです。これは昔、比叡山の般若院の前に始まる遊びで、獄卒にひかれていく罪人を地蔵菩薩が助けようとして、しばしば、渡す渡さぬの押し問答が繰り返された習いを子供の遊びに表したものといいます。般若院の恵心僧都は縁先に数珠をまさぐりながら座し、穏やかに見ておられましたとか、梢に戯れる鳥たちの声は谷々に響き渡っていたのでした。 今日の一首 阿耨多羅三藐三菩提の仏たち我立杣に冥加あらせたまへ 伝教大師(比叡山中堂建立の時「新古今集」)
2009.04.26
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一つの歌会から帰った夜でした。早速、楽しかったその様子を書こうと思ったのに、持ち帰ったはずの資料がありません。三日を経た今日、何となく持参のものでない別のバックの中をまさぐっていましたら、その中にあったではありませんか。バックを間違えて探していたのでした。 東寺なる池にしずもる中鷺のするどきうごき魚とらへたり はじめての はつぺうかいなり ほんにんより まはりのおとなが ハラハラドキドキ はるかなる大地思ふや小さき花「紅花ヒマラヤ雪の下」とふ 乙御前(おとごぜ)の釜の松風かそかなりほほほと笑ふ声あるごとし 高遠のさくらさくらの花かんざし風に流され花びらの池 設立以来、三冊目の歌集出版後、はじめての歌会でした。どこか違います、それぞれに新しい意欲と力が見えます。写生をしていても、薄っぺらな一枚の写しではなく、そこに作者の心理の動きが見えます。よって、抽象に近づく動きが見えます。 今日の一首 かの椅子によりて物かき此床(このとこ)に入りて又ふす日毎夜毎に 西田幾多郎(昭和4年)
2009.04.25
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日は時は驚くことに失笑を禁じえないほどに過ぎていきます。追う気持ちはありませんが、今日も今日とて遅れた記録は続けていこうとしています。そうでした、この前の「今日の一首」に記した浜田康敬とのそれも一瞬の出合いを書こうかなと考えます。 彼はまだ青年でした。その青年との出合いは或る短歌集会の席上、わたしの前に坐っており、自己紹介に、彼は黙って立ち上がり、突然に「ちいちい、ぱっぱ、ちい、ぱっぱ、すずめの、がっこの、せんせいは♪♪」と挨拶代わりに「雀の学校」をうたい出したことに始まりました。その集会はそんなことがあっても、特別驚く人のいない会であります。 一回り挨拶が済んで、雑談の時間、評判の歌集、角川短歌賞受賞の『望郷篇』を送ってもらう約束が自然にできました。彼は約束を破りませんでした。冒頭の章「成人通知」から数首を。 残業は日々続きいてポケットに少女に名前の活字秘めつつ 刷り間違えし忌中はがきの束なども焚き火にくべて温みつつおり わが童話聞くべく集まり来し児らに氷菓買うべく銭をかぞうる 豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている 最後の歌について塚本邦雄は「解説」の頁に「浜田康敬はみづからの二十歳をこのように記念した。正確に言へば呪ったのであらう。少なくもここに頌歌の趣は皆無であり、当然のことながら感傷は微塵もない。さらに言ふなら無感動と呼ぶ艶消しの感動すら翳を止めず、有るのは青春への憎悪と愛想尽かしであり、ひいてはかく呪はねばならぬ不条理への告発だった。」と書いています。 『望郷篇』の発行は昭和49年、題字は安永蕗子、製作雁工房、発行者は福島泰樹。浜田康敬自身は、「覚書」に「私は、多くの日常的な不幸とはうらはらに、しみじみと思い返している、その短歌的なところでは幸運が付いて回っていた。」と。もう一首を 動くこと美しければチェロ奏きのチェロの高さにのどぼとけ見ゆ 昨日も今日も明日も、若者に歌壇のみならず幸運がめぐリ来ることを願っているのは、わたしだけではないでしょう。歌壇においては特に彼のような青年が待たれていることは隠しようが現実ではあります。
2009.04.23
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石川県は曽祖父の出所です。出所(でどころ)と辞書には読ませていますが、祖父母たちはそれを「でしょう」といっていました。大きいおじいちゃんの、「でしょうは石川県やったのえ」というふうに。 その石川県のさらに大聖寺が曽祖父の「でしょう」でした。そこへわたしは小学生のころ祖父母に連れてもらいました。広い囲炉裏の間がありまして、太い鉄の鎖が天井から下がっていて、お釜にお湯がしゅんしゅん沸いていました。何だかすべてのものが太く大きく強そうに見えました。冬だったのでしょう、外には白い雪がいっぱいありました。でも寒くなかったそんな記憶があります。そこがわたしは好きでした。 その帰路でしたか山中温泉というところに連れてもらいました。そこで深く印象に残ったのは「こおろぎ橋」という橋の名でした。小さい胸に何と響いたのでしたでしょうか、今の自分にはわかりませんけれど。 ところで、荒俣宏の『世界大博物図鑑』を見ていて、「コオロギ」の項の中に「コオロギ橋」という名の見出しを見つけてびっくり、読んでみました。そこには 誰かが自殺したとか殺されたといった言い伝えをもつ橋のこと。全国各地にあるが、な かでも石川県の山中温泉にあるものは有名。由来はよくわからないが、黒っぽい体色を持つ ことから、不吉なイメージと結びつけられたものか。<こおろぎ橋>のこおろぎは(清 ら木)の意味だとする説もある。昔その聖木のまわりで、神事などがとり行われた名残だと いう。 小さいときの記憶が、近頃に読む書籍のなかに見つけるのも縁あることでしょうか。日々に重なり残る思い出がまた、どのようにひろがるか興味あることだと思っています。 今日の一首 浜田家は短命家族しかれども今年はわれも七十歳になる 浜田康敬(「角川短歌」)
2009.04.20
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自分の高女の同窓会のために、20数年前に書いた市内の今は無き、高女全ての取材記事の整理をしました。今年も都合で同窓会に出席できないので、手元に揃えたその掲載雑誌16冊から、母校も含む当該の記事をコピーして、皆さんに見ていただこうと思ったからです。見た人もありましょうし、何も知らない人も多いと思いますから。 敗戦後、日本の教育は、当時の最高司令官マッカーサーに提出された「アメリカ教育施設団報告書」により、急激に著しく変更されました。具体方針として、そのとき生まれたのが現在の6,3,3制の実施でした。6,3を義務教育とするところに、教育の機会均等が盛られたわけです。よって男子の旧制中等学校、女子の旧制高等女学校は廃止、それらは高等学校に一本化されたのはよいのですが、そのため、同窓会の奔走の甲斐なく、6,3、3のまん中の3の校舎の不足による、校舎提供のため、校舎はおろか、校名を高校に残す間も術も無く、たちまちに廃校の憂き目にあった高女もありました。それは全く一瞬の出来事のようでありました。 今日の一首 敗戦日 空また晴れて日晒しの青姦のやうな日本も見ゆ 日高尭子(『睡蓮記』若山牧水賞)
2009.04.17
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「COTY」の匂いは母の匂いでした。「COTY」はフェイスパウダーです。ニューヨークやロンドン、パリに店があったのでしょうか、そのような表示が箱の裏に印刷されています。10数年くらい前までは大丸の化粧品売り場でも見つかったのですが、いまは見つかりません。寂しい気持ちでいます。大丸の化粧品売り場で、その行方を尋ねるのですが、どの売り場でもはっきりした返事をしてくれません。それに、どこの種類の化粧品売り場も他所のものを訊ねると何となく冷たいです。そのことはデパートとしてはよくないことだと思います。 もともと「COTY」はかっての上海で祖父母が母へのお土産に買ってきたものでありました。わたしの子供の頃の話です。その頃からは母は亡くなるまで、同じものを使っていたのでした。わたしも続いてなるべく同じものを使いました。その箱が好きでしたから。オレンジ色の地色に白い大きなパフの模様も大好きでしたから。いまはもう、その空き箱一つしか残っていません。 もう「COTY」のお店は世界中探してもないのでしょうか。母の匂いのフェイスパウダーは永久になくなったのでしょうか。 今日の一首 小半時なりしが思ひ出永久ならむ庭の桜桃きみと摘みしは 行本昭子(「地中海」)
2009.04.16
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「このごろ不思議です」なんだか変な言葉使いかもしれませんが、そう言う言葉が一番ふさわしい気持ちです。玄関横のポストを開ける度に嬉しい便りが入っているのです。これといって意味付けるものでなく、人の心のやさしさとでも言うものがすべて無償のこととして還って来るのです。 信仰心というものではありません。自然なのです。生きてきて、接した人々、お一人お一人から、ぽっつうん、ぽっつうんと。恥ずかしいけれど、ちょっと昔?(2004年)のわたしの短歌を書かせてください。「百年はもう経ちましたミヒャエリス「森の鍛冶屋」と山の学校」???こんな歌、理解不可能、さりながら何だかそこから流れてくる幸せのリズムみたいなものをいま感じています。 ミヒャエリスは作曲家、「森の鍛冶屋」は曲名、山の学校は腺病質であったわたしが小学一年生の一年間通っていた学校です。 今朝のポストからも喜びがこぼれました。明日からもいのちいっぱい、わたしは生きていこうと思います。 今日の一首 新しきヒール小さく鳴らしゆくすこやかにあれわが二足歩行の 荻野由紀子(「50番地」)
2009.04.15
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突然ですが、前田夕暮は、島木赤彦に「前田氏の歌は一般に外延的であって、包含が乏しい、平面的であって、厚みに欠けてゐる。」と非難され、鬱状を深め、自分が創刊した冊子を休刊にまで追い込んだという話は、古い雑誌に読んだことでありましたが、やや時を経て、その後の発表であるという「ああ春だー仏蘭西美術展覧会をみて」12首、(大正12年4月9日・東京朝日新聞)を見る機会を持ち、その、絶えず繰り返し自壊しては再出発を企てる夕暮に、当時としては、いえ現今にこそない気迫に感動したことでありました。 ああ春だ春だ「花園」の雪解靄のやうな裸の少女(マルヴァル夫人) 線と線とのよれあつてゐるローランサンの「提琴の娘」何かさみしく ほんたうの赤い色を初めてみたやうな驚きでみるコッテの静物 うすあかい靄のかたまりルノアールの坐れる少女乳すこし紅し 己へのかなしみが何でありましたか、また、他者へのさみしさが何でありましたかを思うことではあります。
2009.04.13
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一夜が明けました。ゆうべは平野の花見にいってきました。平野は京の七野のひとつ、平野神社を中心とする一帯です。古くは宮廷の医薬を扱った職、典薬寮の薬園や禁野がありました。明治期はまだ菜種、柿、鶏卵などを生産する京都の近郷の穏やかな村でありました。 平野神社には花山天皇お手植という桜にはじまり300本余の桜があります。東の円山と並び花見の名所です。版画家やシャンソン歌手、景観計画の先生方ら、たくさんのお方々のお集まり、感心することや、びっくりすること、いろいろの刺激がありました。 今日は午後、南禅寺の料亭の、都合があって最後となるお花見です。数十年の仕事の関係ですから行かねばなりません。午前中ゆるりと休んでから出かけます。いま表の間を通して、カーテンごし、小さなわが家には不似合いの昔の家の大きな灯籠が見えています。おだやかなその輪郭に励まされる思いであります。 今日の一首 青春はみずきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき 高野公彦(『水木』昭和59年)
2009.04.12
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昨日は山科の病院へ歌友のお見舞に行きました。このところ頼りにする男性の歌友が二人も入院で少し心細く思っています。 山科は三条京阪から地下鉄で行くのですが、昔の東海道に沿う道あたりの地下です。蹴上から粟田山にかけてはかっての罪びとたちの処刑場のあったところ、大勢の人が充分に罪を糺されることもなく磔になったといいます。その場所には京都で最初の解剖所がありました。現在の府立大学のものです。四方ガラス張りでありましたとか。 その道?その地下を通りますと、わたしはどうしてもそのことを思います。処刑された死体はそのへんに転がされていたとも言います。 疲れて帰った夜、何ですか嬉しいことに、ひょっとしたら歌友になってくださるかもしれない、若い女性と出合いました。わたしの歌をどこかで、知らない間に読んでいてくださつたのでした。そういう偶然がいちばんうれしいことです。 今日の一首 被爆して恐る恐る生きて来し六十二年子はガンに死す 渋谷計二(「丹波歌人」)
2009.04.10
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久しぶり、二十年近くだったでしょうか、瓜生山の病院へ行きました。驚きました。すっかり変わっていました。わたしの記憶にのこる何物もありませんでした。ここはその昔の島津邸でした。その庭園、屋敷の面影を残すこじんまりとした、温かい病院がわたしは大好きでした。 一人暮らしでちょっと風邪をひいても、お腹が痛くても入院しました。その雰囲気に触れているだけで、病気が治りました。立派な病院になったことを喜ばねばならないのに、いけませんね、こんなセンチメンタルをいっていますのは、でも、そのショックはこうして晩まで残ってしまいましたから、ごめんなさい。 裏山の小澤盧庵のお墓へ訪れようかと思いましたが、なんとなくやめました。 今日の一首 回想の終わりのごとく雪の降る波打ち際に黒猫がいる 谷岡亜紀
2009.04.08
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4日の雨の嵐山の櫻はうつくしいことでした。川沿いの嵐亭の葛屋はひとしおのしずもり、わたしども「きさらぎ」の身内がつどうにはもってこいの処。この日は当会の3度目の小冊子出版の記念会でありました。ひとりのお仲間への贈答歌「やごとなきゑにしのひともみそひとのさみしきよろこびよろこびとして」の意がちょっとわからないからとのことで、くちずさみつつ説明をして、そのさみしさを、よろこびとせんものかなとは思ったことでありました。 いまひとりのお仲間へは「さらちゃんを うたへるきみに てならひて あさきゆめみしゑひもせずん」と書いて贈りました。気持ちは前者とかわりありません。みそひととはそのようなものにてございます。 帰路、長いレールに上の電車にのって、桜のトンネルを抜けて帰りました。 5日は歌人協会の日でありました。大切な歌友の歌集をここでもご紹介して、わたしの喜びの日は続きます。 今日6日は宝ヶ池へさそわれて、岩倉川の岸辺の野花をつんで帰り、お仏壇に供えました。 今日の一首 神も許すこの放埓と誰かいふ歌思ふ間のあやなきこゝろ 柳原白蓮(『幻の華』)
2009.04.06
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4月3日、午前9時23分定刻の列車にのって目的地に向かいました、月に一度変わりない行動を起こせることの幸せを思います。今日は更に幸せのこととして歌友の歌集を持参できることでした。 夫人の急逝にともない、「突然に歌が湧き出してきたのです。」とあとがきに書かれる作者はさらに「歌を作っていたときのことです。悲しいことは悲しいですが、よい歌が出来上がったときは、心の内にかすかな喜びが湧いてきました。その喜びは、心の地下水を通じて生きる喜びに繋がっているようです。」と書いています。 ともあれ当地での歌友の作品を記します。 ぶっつける何のうらみもないけれど何か楽しい味噌作りかな すんすんとチューリップの芽ののびてきて新しき葉のみどりやわらか 気づかざることの多かり帰りしな空を仰げば角榛(ツノハシバミ)の うら山の小道に入れば黒き土目覚めた山の鼓動感じて 奥山に三椏の花まっさかりうつむきて咲く蜂とわがため 温めの朝小雨にぬれたアスファルトみみずらのびて行く手危ぶむ 裏庭に秘密を埋めるふりをして胡桃三粒に枯れ草かける 皆さん決したお若くない、でも、町の人たちと違って、何といきいきなさっていることかといつも思います。足の手術を積極的にした女性も「やっぱりわたしは百姓女」といって畑仕事に精出しておられる姿が美しいです。 今日の一首 花店を過ぎむとしたり水仙を見るわたくしを水仙が見つ 稲葉京子
2009.04.04
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今日は落ち着いた一日となりました。裏の藤棚、小さい庭ですからそれにふさわしい小さい三角形の藤棚とひと時をあそびました。この家に来たときですから二十五年も前のこの庭に蛇のように這っていた藤です。棚の作り直しは三度目、三角にして何か新鮮になりました。 それから、同じ裏庭に咲いている花、この家に来るまでの家の庭に一乗寺の円光寺さんから頂いた草花です。頂いてからもう30年になりましょうか、そのころの円光寺さんは尼僧修行道場でありました。円光寺さんからは毎月お参りがありましたから、わたしの好きそうな草花を持ってきてくださったのでした。 無精者で、その名を未だに知りません。今日も植物図鑑を繰っていたのですが、どうもわかりません。鈴蘭に似ているのですが、そんな上等らしくない素朴なところが好きなのですが、この春はまたよく咲いています。今日はそんな取り留めなさを思い巡らすよき日でありました。歌友の新しい歌集の旅立ちも順調で、これほど嬉しいことはありません。 今日の一首 鏡に向き朝の発生練習を繰り返す父 まだまだ生きる 大島史洋(短歌研究)
2009.04.02
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