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我が家は地震の後2日間停電していた。携帯電話はとっくに充電切れし、2つの懐中電灯とラジオが暗闇の中での頼みの綱だった。予備の電池はわずかしかなく、いつ懐中電灯とラジオを使えなくなるかとハラハラしながら3日目の晩を迎えていた。 「今日も停電なんだ・・・」とあきらめていた夜9時頃、パチンと音がなって電気がついた。どんなに嬉しかったことか。思わず「やったー!」とガッツポーズをしてしまった。電気が使えないのは辛い。それも夜は特に。我が家は仙台市内でも電気の復旧の早い地域だったけれど、「電気のない生活なんて考えられない」と思うにはその2日間で充分だった。でもその後、福島原発での事故の報道が伝わるにつれ、電気をふんだんに使うことのリスクを思い知る。電気が使える喜びを実感する一方で、放射能の恐怖にさらされている福島県の人たちのことを思った。その恐怖はじわじわと他の地域にも広がっている。東電の対応には不信感が募る。「原子力発電が安全だ」なんていう話を信じる人はもういない。東電にはしっかりと責任を持って対処してもらいたい。その一方で今後のことを考えると東電だけを責めていても問題は解決しないと思う。この問題は私たち一人一人に突きつけられている。電気を今まで通りに使いながら原子力発電を排除するのは不可能だからだ。「電気を使えない不便さを受け入れるのか」「原発の恐怖を受け入れるのか」原子力発電に替わる発電方法を見いだせない限り、この二者択一しかないように思う。そして原子力発電を受け入れる以上は、自分の住む町の隣に発電所があるという前提で考えなければならない。米軍基地にしろ、ゴミの焼却施設にしろ、原子力発電所にしろ、目の届かない誰かにリスクを背負わせて、自分は便利な生活を続けるというエゴは許されない。計画停電によってすでに経営が危うくなっている製造業もあると聞く。経済の停滞や電気のない不便さを受け入れるのか、原発の恐怖を受け入れるのか。私たちの覚悟が問われている。
2011.03.26
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地震と燃料不足の影響で交通網が寸断されているので、いつもならバスで20分の職場への道を1時間徒歩で通っている。 昨日もいつもより早く家を出て歩いていると、数人の作業着姿の人たちと出くわした。見るからにガスや電気の工事関係者のようだ。まだ7時半、もう復旧作業をしているんだなあと思った。信号が青になるのを待ちながら何気なく見ていると、その人たちは腕に腕章をつけている。そしてその腕章に「神戸派遣」と書いてあるのが見えた。「神戸からの応援なんだ・・・」そう思った途端、私は胸がいっぱいになって泣いてしまいそうになった。神戸の震災の時、不眠不休で復旧作業に関わったであろう人たちが、今またこの遠い東北の地のために朝早くから復旧作業をして下さっているんだと思った。「ありがとう」と言いたい思いでいっぱいだったけれど、涙ぐんでしまって何も言えなかった。こうやって色々な所から応援に来て下さっている方々の支えがあって、私たちの街は復旧していくんだなあと思った。この数日仙台はとても寒い。慣れない寒さの中での作業はとても大変だろうと思う。あちこちから応援に駆けつけて下さっている皆さん。本当にありがとうございます。支えて下さる人たちがいるのだから、私たちも頑張らないといけない。
2011.03.19
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毎日の食料の調達や、介護老人を抱える夫の実家での手伝いで忙しいせいもあるけれど、ブログの記事を書く気になれないでいた。 女川に住む友人の弟さんは、いったん家族で避難所に逃げた後、足の不自由な近所のおばあちゃんが取り残されていることに気が付き、その方を助けるために引き返して亡くなられたそうだ。壊滅状態に陥った南三陸町では、最後まで住民に避難を呼び掛けていた職員20人の所在が未だ不明だという。宮城県内だけでもたくさんの警察官が亡くなっている。そういう方々がどうして命を落とさなければならないのか・・・と、正直天に文句を言いたい気持ちになる。タクシーの運転手さんが話していた。「地震の時私は仙台の街中を走っていて無事だったけれど、その時たまたま沿岸部でお客さんを乗せていて亡くなった同僚がいるんです。私が死んでいたとしても何も不思議はない。ほんのちょっとした運で生きるか死ぬかが分かれてしまう」と。天災は地球という星が活動をしている限り、常に起こりうる地球の新陳代謝の一つのようなものだ。いつ誰の身に起きてもおかしくないのだと思う。だから「天罰」などという言葉を使う人の神経を疑う。美しい心を持って亡くなった方々に恥ずかしくないように、生きていきたいと思う。
2011.03.17
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「かっこいいなあ」と思う。市民ランナーとして世界陸上の出場権を獲得した川内優輝選手のことだ。実業団には所属せずに埼玉県の県職員として、フルタイムで働きながらランナーとしての夢を追い続けていると聞く。 夢を追い続けることは簡単なことではない。「必ず夢が叶う」という保証はないし、叶うとしてもどの位時間がかかるか分からない。その間の生活費の問題もある。私の周りにも夢を追い続けている若者はいるけれど、学校卒業後、親のすねをかじって夢を追い続けているというケースも少なくない。そんな話を聞くと「自分の夢を追うのなら、自分の食い扶持くらいは自分で稼ぐべきだ」と思う。それが厳しい道であることはよく分かる。それでもその決意と覚悟なくして夢が叶うとは思えない。フルマラソンを走った翌日も川内選手は仕事に向かったと聞く。どんなにしんどい道でも、夢を目指して、自分で考え自分で決断し自分で責任を負う。人に頼らず自分の足でしっかりと立っている。自分に厳しい人、本当に強い人でなければできない「かっこいい生き方」だなあと思う。
2011.03.08
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15年ほど前、雪深い町に2年ほど住んだことがある。子どもがまだ幼稚園生の頃。冬は雪が積もりひどい時はつるつるに凍った「わだち」が出来て、歩くのがとても大変だった。 真冬のある日家へ帰るためのバスを待っていた。でも一向にバスがやってこない。予定の時間を20分過ぎても30分過ぎてやってこない。寒いし足元はつるつるして危ないし、だんだん腹が立ってきた。雪で道が混んでいるのだろうとは思っても、いらいらする気持ちがつのる。何度も時計を見てはため息をつく。ふと同じようにバスを待っている他の人達が目に入った。待っているのは私以外に5人、みんな私より高齢だ。中には腰の曲がったおばあさんもいる。でもみんな全くいらいらした様子を見せずに寒い中じっと待っている。一番若くて元気な私が、一番いらいらしていることが、急に恥ずかしくなった。私は堪え性がないんだなあ・・・と思った。考えてみると大阪にいた大学生の時は駅から歩いて5分の所に住んでいた。就職してからも駅から歩いて7分の場所に。嫁いで仙台に来てからは次々にバスが来るバスターミナルから歩いて5分の所に住んでいた。便利で恵まれた環境にいて、知らず知らずの内に我慢のできない人になっているのかなあと反省した。なんでも順調に進むことが当たり前になっているのだと。蛇口をひねれば安心して飲める水が出る。スイッチを押せば電気がつく。今とても便利な時代に生きている。そして日本に住む外国人によく言われる。「こんなに豊かな国はないですよ」と。生活が便利になればなるほど、豊かになればなるほど、気をつけないと我慢のできない我儘な人間になってしまうなあと思った。何か思うようにならないことがあると、あの雪の日のおばあさんの姿を思い出すようにしている。
2011.03.01
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