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20年近く前のこと。放課後に公園で息子(小学2年)とその同級生たちと一緒に遊んでいた娘(小学1年)が血相を変えて帰ってきた。「お兄ちゃんがM君と喧嘩してる!」 聞くとちょっとしたことから口喧嘩になり、そのうち叩きあいの喧嘩になったと言う。息子は大人しくて喧嘩なんてめったにしないので、私もびっくりして様子を見に行こうとした所に息子が帰って来た。「M君と喧嘩したの?」「うん」とさすがにご機嫌が悪い。M君は同じマンションに住む同級生。朝はいつも一緒に学校に行く。M君の家に電話しようかと思ったけれど、どうやらどちらも怪我はしていないようなので、様子を見ることにした。翌朝、M君はいつものようにニコニコと息子を迎えに来た。息子もニコニコと一緒にでかけていった(笑)。後日家庭訪問の時に先生にその時の話をしたら、意外にも先生は嬉しそうに「ああ、それは良かった!」とおっしゃった。息子は遠慮やで周りに気を遣うことが多いそうだ。言いたいことを我慢している、と。でも我慢して表面上上手く付き合っているのを「仲が良い」とは言えない、と。他の友だちとは違いM君は心を許せる相手で、自分の気持ちをさらけ出すことができるのだろう、とも言われた。そして本当の友だちはそういう本音の付き合いから生まれるもの、「喧嘩しない=仲が良い」とは限らない。喧嘩できるほど仲が良いということもある、と言われた。確かに、自分の本当の気持ちを言わずに我慢して周りと合わせ、それでどんなに周りの人に好かれても、それは本当の自分を好いてもらえたということにはならない。それでは何年一緒に過ごしても、本当の自分を理解してはもらえないし、そういう関係を本当の意味で「仲が良い」とは言えない。もめることを怖れて本音を隠してばかりいては、本当の友だちにはなれないなあと思った。子どもに「喧嘩してはだめ」というのが普通だけれど、教師と親で「喧嘩できて良かったねぇ」と話し合う、なんだか変な家庭訪問だった(笑)。
2011.09.24
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「ツイてる」「嬉しい」「ラッキーだ」といったポジティブな言葉を口にしていると、そういう言葉を口にしたくなるようなことが次々に起きるそうだ。 反対に「運が悪い」「上手くいかない」「嫌なことばかり」といったネガティブな言葉を口にしていると、同じようにそういう言葉を口にしたくなることが次々に起きると・・・一日の終わりに眠りにつく時は、その日にあった一番嬉しかったことを思い浮かべるといいよ、と教えてもらったことがある。人の考え方の癖(傾向)はそう簡単には変えられない。でも、だからこそ、形から、言葉から変えていくのは一つの方法かもしれない。一種の自己マインドコントロール(笑)。「ありがとう」「○○してくれて嬉しかった」という言葉も、もっと素直に相手に言えるといいのになあと思う。友だちや同僚には結構言えるのに、相手が身近な人であればあるほど言えなくなる。「今さら」と思ったり、照れくさかったり・・・6年前に亡くなった父には言えずに終わってしまった。言えるチャンスはまだいくらでもあると思っていた。同じ失敗を繰り返してはいけないなあと思う。
2011.09.17
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困ったことが起きて、心配で、心配で、何も手につかなくなることがある。そんな時どうしたらいいのかを教えてもらったことがある。 まずその困ったことの「最悪の状況」を予測して、その「最悪の状況」を受け入れる覚悟をしなさい、と言われた。その上で、今気がつくこと、今できることを一つ一つこなしていきなさい、と。腹をくくって「最悪の状況」を覚悟してしまうこと。それが大事だと教えられた。心配性な私はこのアドバイスに何度か救われた。「命以外のものなら全てを失っても仕方がない」「人からどう思われてもいい」「最悪の場合は責任をとって辞めよう」覚悟を決めてしまうと返って気持ちが楽になった。そして心配のあまり動けなくなっている間は見えなかったことが、一歩でも動き出すと見えてくることもあった。覚悟が決まらないから苦しいのだと思う。覚悟を決めることができると人は強くなる。
2011.09.10
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長い期間何かをする時、時々そのことをする目標を自分自身に問い直すようにしている。気がつかない内に目標がずれてしまっていることがあるからだ。 私の子育ての目標は「子どもが幸せになること」。勉強が好きになるような働きかけをしたり、子どもの周りに本を置いたり、テレビゲームを制限したりしたのは、子どもに幸せになってほしいからだ。そして期待する結果も「子どもが幸せになること」。けれど子どもに何らかの成果が表れると親は周りから評価される。そうしている内に「良い親だと思われたい」という思いが出てくる。「子どもの状態=親の評価」と感じ、「親として評価されること」がいつの間にか目的になってしまうことがある。「子どもの幸せを思って子どもに何かをさせていたら、そのことで親が周りから評価された」ということと、「良い親だと思われたくて、子どもに何かをさせる」ということでは、表面上は同じように見えても意味合いは全く違う。後者の場合、結果として子どもは親の自己実現の道具になってしまう。当の子どもはその微妙な違いを感じ取るだろう。親がどう評価されるかは本来「おまけ」に過ぎないのに、その「おまけ」が目標にすり替わる。こうなると子どもを愛する気持ちより自己愛の方が強いと言わざるをえない。難しいのはそういう状態になってしまっていることを、親自身がなかなか気付けないということだ。政治家も最初は「国の為」「国民の為」という高い志を持っていたに違いない。でもいつの間にか「人気を得ること(選挙で勝つこと)」「権力を握ること」が目的になってしまう。今ほとんどの政治家が「自分のことしか考えていない自己愛の強い人たち」に見える。本当にめざしたいのは何なのか・・・時々自分の心に問いなおす。目標がずれていると感じたら、軌道修正することも必要だと思う。
2011.09.03
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