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「名選手、必ずしも名監督にあらず」という言葉が結構好きだ。 「できる人」ができない人を指導するのは難しい。自分にとっては「できて当たり前のこと」だから、他の人がどうしてできないのかが分からないからだ。反対に、自分ができずに苦労して学んだ人は、自分がしてきた試行錯誤が他の人に教える時役に立つ。監督として選手を指導する時、自分の苦労の一つ一つはかけがえのない財産になる。回り道も、挫折や怪我も、決して無駄にはならない。つらいことを経験したからこそ、同じような立場で苦しんでいる人の気持ちが分かるし、力になることができる。力を引き出すこともできる。自分の苦労が誰かを助ける。そういう人生の巡り合わせがなんだかとても素敵だなあと思う。名選手の人生よりも、むしろ名監督の人生の方に私は魅かれてしまう。現サッカー日本代表のザッケローニ監督も、肺の病気や怪我に苦しみ、20歳を前にしてサッカー選手を引退したそうだ。その後は、家業のペンションの従業員を務めたり、保険代理店を経営したりしながら、指導者の道を目指したという。控えの選手や目立たないスタッフたちに言葉をかけるザッケローニ監督の原点は、その苦労にあるんだなあと思った。ウィキペディアにザッケローニ語録があった。2010年:「日本は自分たちの特徴に合わせたサッカーをすべきだと思う。つまり今のテクニカルなサッカーをスピードに乗せてやることだ。確実に言えることは、私は日本の伝統を変えていくつもりはない。その伝統の中に入っていくのはこの私であって日本人が私に合わせるのではない」2011年、日本について:「教育、しつけ、清潔さ。すべてが素晴らしい。物価は2倍だが、お金を払うのも気持ちいいぐらい」「私は半分日本人だと思っている。日本に恋している」「君が代を歌えるように努力したい」すっかりこの苦労人監督のファンになってしまいました(^_^)。ちょっと単純かな?(笑)。
2011.08.27
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最近、教育番組を見ていて、子どもの叱り方で「間違っていたなぁ」と思ったことがあった。それは子どもが物を壊してしまったような時だ。 どんな物でもいずれは壊れる。だからわざと壊したのではなく、不注意で壊してしまった時は叱ってはいけないそうだ。それは誰にでもあることだし、そういうケースで叱ると、子どもが必要以上に緊張し委縮してしまうからだという。ただし、後始末(片づけ)は自分でさせる方がよいそうだ。子どもが小さければ親と一緒に、ある程度大きくなったら全て子どもに後始末をさせることで、「自分で責任をとること」を教えるそうだ。子どもが不注意で何かを壊してしまった時、私は「もっと落ち着いて丁寧に扱いなさい」「他のことに気を散らしているからだよ」と叱っていた。そして後片付けは私がしていた(^_^;)。「やっていたこと、全く逆だったよ」と言うと、息子が「そうだよ~、そういう時は叱っちゃいけないよ。わざとじゃないんだからね」とニヤニヤ笑っていた。何を叱り、何を叱らないのか・・・それは結構難しい。「子どものため」と言いつつ、実は「親にとって都合が悪いから」叱る時も多い。虫の居所が悪くて、叱る必要のない所で叱っていることもある。それを親が気付かずにしている時もある。親だって完璧ではないからそういうことがあっても仕方がない。そういう時、私の両親は自分が間違っていたと、後で私たち姉弟に謝ってくれた。「親が子どもに謝ると親の威厳が無くなり、子どもが親を尊敬しなくなる」と思う人がいるかもしれない。でも実際は反対だった。「間違っていた」ときちんと謝ってくれる親を人として全面的に信頼することができた。相手が子どもだからといってごまかしたりはしないと。親の言っていることに筋が通っているかどうかは、子どもにだってちゃんと分かる。成長するにつれて親の状態(例えば八つ当たりしている、などということ)も分かるようになる。だから親が自分の非を認めず、自分の威厳を保とうと、屁理屈をこねたり取り繕ったりすると返って子どもの信頼を失うことになると思う。
2011.08.20
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震災後初のお盆を迎える。震災によってではないけれど、私も今年大切な人を失った。亡くなった方への一番の供養は、その人が天国から安心して見ていられるように、毎日を精一杯生きること。そして、折に触れてその人を思い出し、その人がいてくれたことやその人と一緒に過ごした時間に感謝することだと聞いた。人は自然から生まれて自然に帰って行くのだと・・・だから歌にもあるように、自分の周りの土や空気や樹や空に亡くなった方はいるのだ、とも聞いた。 きっと自分を見守っていてくれる。だから故人に対して恥ずかしくないように、毎日を大事にしようと思う。
2011.08.13
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司法書士、行政書士、社会保険労務士など、個人事務所を構えている友人が数人いる。その中の一人が「不況で資格試験を受ける人が増えているけれど、せっかく猛勉強して資格をとって開業しても、多くの人が軌道に乗せられずにやめていく」と話していた。資格さえあれば上手くいくという甘い世界ではないようだ。 資格と同じ位必要な能力がコミュニケーション能力だそうだ。資格をとって事務所を開いても、じっと待っているだけでは仕事はやってこない。知らない人にも気軽に声をかけ、すぐに打ち解けて話をし、相手に「この人は信用できる」と思ってもらうことのできる積極的なコミュニケーション能力。相手の「興味のあること」や「触れてほしくないこと」をちょっとした表情から読み取ることのできる繊細なコミュニケーション能力。どんなタイプの人とも喧嘩せずに、それなりに上手く付き合っていくことができる柔軟なコミュニケーション能力。不況下で相手にお金が無いと分かっていても、何とか集金することができる粘り強いコミュニケーション能力。開業にあたっては会う人ごとに名刺を渡し、自分を売り込まなければならない。人を怖がっていては、それはできない。就職活動中の息子も「コミュニケーション能力の必要性」を痛感するようだ。企業側は2回・3回と、それも1対1、グループと色々な形で面接をしてコミュニケーション能力を見ようとする。コミュニケーション能力は、人と接する体験を数多く踏むことで育つ。「ちょっとした言葉の行き違いで相手を怒らせてしまった」「相手の言動に悲しい思いをした」「気まずい思いをしたけれど謝って仲直りした」「喧嘩をしたけれど、その後前より仲良くなった」-そういう様々な経験が人と接する上でのたくましさを育てる。「子どもに勉強させること」に熱心な親は多いけれど「子どものコミュニケーション能力を育てること」に関心のある親は少ない。しかもテレビやゲーム、携帯の普及で子どもたちのコミュニケーション能力は昔に比べて落ちている。子どもたちが集団で自由に遊んでいた頃に比べて、今は子どものコミュニケーション能力が育ちにくい時代。親はそれを意識して子育てする必要があると思う。
2011.08.06
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