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震災のどさくさでブログに書くチャンスを逃していたけれど、1年間大学を休学して海外の企業でインターンシップをしていた息子(旅立ち)が帰国した。成田に着いたのは3月末。そこから仙台に戻ってくるのも大変だった。今は震災で日程の見通しのたたない中、論文の準備と就職活動をしている。 震災の影響を受けて就職活動のピークは例年より遅く、6月~7月になるのではないかとのこと。親としては不安だけれど、とりあえず無事に日本に帰って来てほっとしている。ブックオフで中古の安い本を買ってきて、暇を見つけては読んでいる息子がこの本を勧めてくれた。【送料無料】勝てる子供の脳ブックオフで、105円で買ったそうだ(笑)。「なんだかいやらしいタイトルだなあ」と思ったけれど、書かれているのは親の押し付け教育が子どもの能力(脳力)をいかに蝕んでいるかということ。そしてどういう働き掛けが子どもの能力(脳力)を引き出すかということだった。普段感じていたことが脳科学の視点から分かりやすく書いてあっておもしろかった。教育の主役は親ではなく子供。勉強はもちろん何をするにしても、いかに「受け身」ではなく「主体的にする子」に導いていくかが親の腕の見せ所だなと思った。教育熱心な親御さんに読んでほしい。どんなに熱心でも理にかなっていなければ逆効果だ。
2011.04.30
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地震で壊滅状態に陥った仙台のガス施設。家屋の流失などで困難な地域を除いて4月16日にほぼ復旧した。全国51のガス事業者からのべ8万人、多い時で3700人の応援を受けたそうだ。 我が家のガスの復旧は4月10日。その日を心待ちにしていた。うちには静岡ガスの方が、夫の実家には広島ガスの方が、夫の兄の家には東京ガスの方が、それぞれ作業に来て下さった。本当に、本当にありがたかった。各地からの応援が無かったらさらに2~3カ月、もしかするともっと待たなければならなかったのだと思う。そうなっていたらきっと精神的に参っていた。水源を失い水道の復旧に苦しむ岩手県のある地域には、関西から水道局の方たちが応援に駆け付け、給水や水道の普及に尽力しておられるそうだ。仙台では一時全てのライフラインが途絶えた。そして当たり前のことだけれど、ライフラインが無ければ何もできないことを思い知った。事務所も商店も飲食店も、全ての活動はライフラインあってのことなのだ。普段、ライフラインを支えている人たちが取り上げられることはほとんどない。でもそれがどんなに大切なお仕事であるかを今回身にしみて感じた。大切なことってどうしてこう普段は見えないものなんだろう・・・
2011.04.23
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人として尊敬できる人が大きな舞台・華々しい場所にいるとは限らない。「こんな目立たない地味な場所に、こんなすばらしい人が・・・」と思ったことが何度もある。 福島の原子力発電所の事故では、東電や協力企業の社員、自衛隊員や消防隊員が命がけの作業をしている。日本で有数の大企業である東電の社長は一度でも現場に足を運び、作業している人たちの労をねぎらい、その人たちの働きに報いる「長(リーダー)」としての責任を果たしているのだろうか?会見する社長からはその"覚悟"が見えない。「船長とは船が沈む時、船から最後に逃げる人」と教えてもらったことがある。「長」というものを「高いお給料をもらい、最高の待遇を享受し、周りからちやほやされる人」と考えているような「長」の下では、私は働きたくない。「長」とは全ての責任をとる人、その覚悟を持っている人。特権の大きさは責任の重さの裏返しだ。だから「長」の意味を本当に理解している人は、「長」になったからといって喜んではいない。女川町のある小さな水産加工工場では中国からの研修生20人が働いていた。地震直後逃げ惑う研修生たちをその工場の専務は近くの高台に誘導した。その後その専務は自分の家族を助けに戻り、津波にのまれて亡くなったそうだ。研修生たちの命は助かった。中国からの若い研修生を預かっていることへの強い責任感があったのだと思う。津波に命を落としたその専務さんを思うと切ないけれど、同じ日本人として誇りに思う。小さな町の小さな加工工場の専務さんが「長」としての覚悟を持っていたのだと思う。社会的地位が高いとか、立場が良いとか、大企業の偉いさんだとか、そういうことが何の物差しにもならないということを痛感する。私にとって尊敬できる人は、どこにいようと、どんな立場であろうとその人の心と行動で決まる。
2011.04.16
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4月9日から今日まで、大学を卒業して勤務先の街に引っ越すことになった娘の手伝いに行ってきた。被災県から被災県への引っ越し。当初3月末に予定していた引っ越しがすっかり宙に浮いた状態になっていた。娘はこの「先の見えない状態」が辛くて仕方がないようだった。 「引っ越しがいつできるかは全く分からない、と業者さんから連絡がきた」「引っ越し先から、今住んでいる人が転出するめどがたたないからいつ入居できるか分からない、と言われた」「勤務先から求められている戸籍謄本を送ってもらおうとしたけど、市役所の機能が復旧していないのでしばらくは送れないと言われた」と娘から度々心細そうな声で電話がかかってきた。その都度「今は緊急事態だから、あなたと同じような状態の人がたくさんいるはず。なんとかなるから心配しないで」と励ましていた。幸い住んでいたアパートは次の入居者が決まっていなかったので1ヶ月契約を伸ばしてもらうことができた。勤務先からも18日からの勤務でよいと連絡がきて、引っ越し先、引っ越し業者もようやく都合がつき、晴れて引っ越しができるようになった。娘に「お母さんって強いよね」と半分褒められ、半分からかわれた。「そうよ。母は強しだから。少し強くなりすぎたとお父さんは思っているみたいだけど」と言って二人で笑った。でも娘は知らない。私がどんなに頼りない母親だったのかを。息子(上の子)が生後半年で初めて高熱を出した時、私はただオロオロするばかりだった。不安で心配で、駆け込んだ病院で私自身がぽろぽろと泣いてしまった。「お母さん、しっかりしてください」と小児科の先生に慰めてもらった。あれから20年以上。泣き虫の私は何かあるとよく泣いていたけれど、泣きながらも強くなったのだと思う。いや、もしかしたら今も本当は強くなんてないのかもしれない。電話口で娘の声を聞いた瞬間、私は気持ちがシャンとした。「私がしっかりしなくては」と。子どもを支えているように見えるけれど、本当は子どもの存在が私の気持ちを支えているのかもしれない。自分のためには強くなれなくても、誰かのために、守りたいもののためになら強くなれる。人って不思議だなあと思う。
2011.04.11
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「餌を与えるより、餌の取り方を教えよう」と言われる。子育てで言えば「子どもに財産を残すより、働く上での拠り所となる教育や能力を身につけさせよう」ということになるのかな、と思う。 でも若い人たちの現状を見ると首を傾げたくなることが多い。小さい頃からたくさんの習い事をし、塾に通い、様々な能力を身に付けたはずの人たちが、引きこもったりニートになったりしてその能力を全く使おうとしないケースを見かけるからだ。能力は誰かの為・何かの為に使ってこそ意味がある。どんなに素晴らしい能力を持っていてもそれを全く使わなければ、表面上その能力は無いのと同じだ。教育や能力を身につけさせることに夢中になるより、「誰かの為・何かの為に役に立ちたい。自分の能力を役立てたい」という「気持ち(熱意・意欲)」を育てることの方が大事なのではないか、その「気持ち」がなければ、どんな能力を身につけても無駄なのではないか、と思う。今、避難所では中学生や高校生たちが周りの人たちの為に一所懸命動いていると聞く。避難所は勉強のできる環境ではないだろう。でも困っている人たちを見て「何かの役に立ちたい」という「気持ち」が若い人たちの心の中で育っているのだとすれば、それは今勉強することよりもすばらしいことなのかもしれない。仕事の中で「気持ち」のある人が「経験」や「能力」のある人を凌ぐ働きをするのを何度も見てきた。この震災の中で育つ「気持ち」が、いつか大きな花を咲かせるといいなあと思っている。
2011.04.02
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