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昨日は堺市上野芝で、来る11月12日(土)にホテルアゴーラリージェンシー堺に於いて開催される「鳳高校27期学年同窓会」の幹事会でした。上野芝というのは、幹事クラス「1年10組」の幹事の1人の自宅だったのです。どこか会議室を借りるのもイイですが、経費も掛かりますし、幹事会を既に何回もしていますので、その幹事の厚意に甘えてしまいました。改めてこの紙面を借りてお礼を述べたいと思います。荒木(旧姓 川嶋)さん、いつも有り難う!彼女がいなかったら、毎年行われる1年10組のクラス会も、5年毎の学年同窓会も難しかったでしょう・・・何も考えず何もしなかったら、何も残りません。ところが、何かを企画して、実行に移す・・・には、必ず犠牲を伴うものです。犠牲以上に得るモノが大きければ、ヤル価値は十分にあると思います。クラス会も学年同窓会もそういう意味で、ヤル価値はあると思います。10年前の50歳の時に初めて学年同窓会をして、みんな大感激しました・・・そして、55歳の時も感激。その5年後の今回の「還暦同窓会」です。15歳で高校入学してから45年です。45年前の繋がりで、未だに会おうというのはスゴイ事だと思います。もちろん、全員が来る訳でもありませんが、卒業生約450人中、前回同様150人くらいは出席を見込んでいます。前回よりも1人でも多く来れるように、 鳳高校27期ホームページだけでなく、この私のブログでも集客?を図ろうと思います。同窓会ホームページには住所不明リストもありますので、判明情報があれば、是非連絡をお願いします。連絡先は同窓会ホームページの掲示板か、 072-446-0798 或いは info@sasatani.com 笹谷まで宜しくお願いします。しかし、60歳と言えば改めて言うまでもなく「還暦」です。私が20代だった頃の還暦のイメージは、もう完全にジイサンバアサンの「老人」でした。そして、晴れてその老人になったのです・・・(笑)。自分では「まだまだ、そんな・・・」という無駄な抵抗もありますが、孫を抱いて顔を近づけると、私の加齢臭に「臭い!」と言わんばかりに嫌がる孫を見ると、もう立派なジイサンかと悟らざるを得ません・・・(笑)。そんなジイサンバアサンの集まりも、同窓会では一瞬にして45年前の楽しかった青春にフィードバックします。今思えば「楽しかった」ですが、実際当時は勉強について行けずに悩み、部活も高校から始めたトランペットの上達の遅さに悩み、好きだった女の子に告白できずに悩み・・・・・・青春特有の多くの悩みに翻弄されました・・・(涙)。何をヤッテも上手く行かず、心の底からヤル気が出て来ず、誰からも褒められず、注目されずに、・・・全く自信を失っていた低空飛行の青春の日々でした・・・(涙)。そんな暗く情けない青春でしたが、45年経った今から思えば、不思議とそれらすべてが「楽しかった」に変わるんですねェ・・・当時は真剣に悩んだことも、落ち込んだことも、悶々とした日々も・・・すべて「楽しかった青春」の一言でオワリです。決して腐らず、グレず、真摯に自分と向き合って、もがき苦しんだ事が結果的にヨカッタのか・・・その背景には、深夜遅くまで綿埃まみれになって織物工場で働く両親の姿があったのか・・・一生懸命働く親の姿を見れば、普通の子供は非行には走る訳がありません。これがサラリーマンだと、親が何をヤッテいる分かりませんが、家業だと子供の頃からずっと見ている訳ですから(自分も手伝わされて)、仕事内容が肉体的にも精神的にも子供の頃から知りすぎてしまうのです・・・やはり、子は親の背中を見て育つというのは、いつの時代でも変わらないと思います。という事で、同窓会幹事会も3回目で具体的に細かい作業に入ってきました。手分けして、住所確認を個別に電話したり、印刷物の段取り、ホテルとの打ち合わせ、BGM、司会進行の段取り、恩師との連絡・・・クラス会と訳が違います。私の担当として、音楽愛好同好会やフォークソング部やギター部だった同級生を集めて、会場のホテルで「ライブ」するという事でしたが、諸事情があって今回見送る事にしました。しかし、「音楽担当」としての責任がありますので、「何とか、音楽で盛り上げたい!」というのがあり、ならば「2次会のライブハウスで盛り上がろうぜ!」という想いもあり、2次会用のライブハウスを物色中です。幸い、会場が堺という事もあり、住んでいる場所も堺市が多いです。この「堺」という好立地条件を活かさない訳にはいきません。南海堺駅や堺東駅周辺には、ライブハウスがいくつかあります。ミナミまで行けば沢山ありますが、1次会ホテル会場から徒歩圏内で行けないと意味がありません。これが結婚式や法事、宅建協会泉州支部でもよく使うスターゲートホテル(関空前)や岸和田グランドホールといった岸和田以南の泉南エリアだと、こういう訳にはいきません。周辺に2次会するところが無いのです。せめて、地元の2次会用と言う狭い視点ではなく、りんくうタウン駅内の商業施設をインバウンド需要向けも視野に入れて再開発し、バーやライブハウスといった外人受けするテナントも導入すれば、ミナミに直行する観光客を阻止できて地元に留める事ができるのでは・・・先日弊社スタジオに来られた老舗ライブハウスの「三国ヶ丘FUZZ」さんにも打診しておきました。考えているのは、2次会で何処かのライブハウスに100人くらいが雪崩れ込んで(貸し切り?)、ディスコミュージックをガンガン掛けてもらい踊り狂う・・・踊り疲れたら、バラードを掛けてもらいチークタイム・・・そして、フォークソング部の同級生を中心にフォークソングの数々を演奏・・・体力が回復してきたら、ラストは音楽愛好同好会にキャロルの「ファンキーモンキーベイビー」でライブ会場が一層盛り上がって惜しまれながら締めくくる(楽器機材はライブハウスから借りる)・・・なんて、シナリオに賛成してくれる人、いるかなァ・・・(笑)。練習場所は弊社スタジオを無償で提供させて頂き、何時間でも何日でもOK! 鳳高校27期ホームページ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.06.26
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今、スタジオでの個人的ドラムの練習で、フォリナーの曲に合わせてドラミングを楽しんでいます・・・(笑)。フォリナーと言えば、1977年デビューのロックバンドで、70年代後半から約10年ほど世界的に一世を風靡したと言えるほど、ヒット曲を連発した伝説のバンドです。正に、私の大学時代の青春の1ページを飾ったバンドのひとつだったのです。高校時代は使える小遣いの制限もあってLPレコードを買うのも「シカゴ」オンリーでしたが、大学生になってからは小遣いも増えシカゴ以外のLPを買ったり、カセットデッキとオープンデッキが普及し始めましたので、まだ開局して数年しか経っていなかったFM大阪の深夜音楽番組「クロスオーバーイレブン」を毎晩エアーチェックして、オープンデッキ → カセットデッキへとせっせと「シカゴ」以外の曲を最終的にカセットテープにダビングしていたのです・・・このカセットにノイズリダクション(雑音低減システム)のドルビー(デッキはビクターでしたのでANRS)を掛けるか否かを、車載用と家庭用と用途別に2本同じ曲をダビングしていたという、今考えると、恐ろしくマメだったんだなァと感心します・・・(笑)。更に、特に好きな曲はノーマルテープだけでなく、更にメタルテープやクロームテープといった高品質高級カセットにもダビングしていた(合計3本)という徹底ぶりでした。まァ、昔オーディオ小僧だったオッサンらは、アナログ時代にアナログの「致命傷」だった雑音に、テープ以外にもちろん高級機材機器やレコード針(MCやMM)、配線コード(ケーブル)まで目を配り、「雑音低減」に命を懸けていたのです・・・(笑)。しかし、こんな努力もその後CDというデジタル機器が出来てから一挙に解決できるようになったのです(雑音低減から解放された)・・・(涙)。これは織物機械(織機)がアナログの旧式のシャットルから、100年ぶりにデジタル&エレクトロニクス化された新式のエアージェットに変ったとの同じ「衝撃」でした・・・「空気で横糸を飛ばす」という全く新しい方式が現れた事によって、これまでの経年劣化(摩耗&摩擦)によるメカニック的な不安定なシャットルの飛走管理から解放されたのです。またレンタルレコード屋が出来始め、これもよく利用しました。当時ディスコやライブハウス、ウインドサーフィンと遊びに忙しく小遣いも不足がちでしたが、これで最小限の費用で最大限の音楽を楽しむ事が出来ました・・・(笑)。本格的な家庭用オーディオ(スピーカー、アンプ、チューナー、レコードプレーヤー、レコード針、カセットデッキ、オープンデッキ)にドーンとお金がかかりましたが(イニシャルコスト)、ランニングコストはカセットテープだけでしたので殆んどかからず、投資を遥かに上回る恩恵(沢山の曲が聴けた)に与かったのです・・・(笑)。また当時未だ車載用音楽機器が「8トラ(モノラル)」が主流の車に、パイオニアが新発売したカーステレオをいち早く父親のクラウンに無理を言って取付け、仕事用のエアコンもない軽トラック(当時360CC)にも、無理やり大きなスピーカーを付けてました・・・(笑)。父親から8トラで森進一の演歌が聴かれヘンやないかと文句が出ましたが、自分の車が買えるまで「そんな野暮ったいモン聴くより、最新のビリー・ジョエルをカセットで聴いた方がクラウンに似合うでェ・・・」とか訳の分からない理由で説き伏せると、何故か不思議な顔で納得した親父の顔が懐かしいです・・・(笑)。このフォリナー、まだヤッてんのかと思う人も多いと思いますが、39年経った今でも現役バリバリです。現在でも精力的に、世界中をライブツアーで回っているのです。普通に考えたら、??? ですが・・・厳密に言えば、結成当初のオリジナルメンバーはギターのミック・ジョーンズだけで、他のメンバーは代わっています。そして、ヤッテいる曲は過去のヒット曲だけです。これは、シカゴやディープパープル、アース、ウインド&ファイヤー、シャカタク、クール&ギャング・・・といった往年のバンドとビジネス的に同じ路線です。しかし、フォリナーの違いは「完全コピー」です。所謂、完コピっていうヤツです。我々往年ファンの多くは、3,40年前の曲を忠実に「再現」して欲しいのです。知らない新曲なんて、聴きたくありません。これが現実のニーズです。ビジネスの基本は当たり前ですが、ニーズに出来るだけ応える事です。しかし、3,40年前に若者だったミック・ジョーンズも今年72歳を向かえます。では、どうしたか?元ボーカルのルー・グラムにそっくりな新しいボーカリストを見つけてきたのです。元ハリケーンのケリー・ハンセンのボーカル加入が、フォリナー「復活」の大きな要因のひとつになった事は否めません。同じような事がボーカルがスティーブ・ペリーからこれまたソックリなフィリピン人のアーネル・ビネダに代わった「ジャーニー」にも言えるかもしれませんが、過去のヒット曲数の違いでフォリナーほどではないようでしょう・・ケリー・ハンセンのパフォーマンス豊かなボーカルは、ルー・グラム以上かも・・・ルックスもまあまあで、中年女性ファンのハートも掴んだのでしょう・・・バンド構成も、ミックとケリー以外含めて6人でコンパクトにまとめています。ドラムはよく代わりますが(会社で言う派遣社員?)、トム・ギンベルは曲によってテナーサックスとギターとバックグラウンドボーカルを器用にこなし(多能工)、バンド人件費削減に大いに貢献しています・・・(笑)。シカゴやアースのように、ブラス隊が加わって大所帯になれば人件費だけでなくツアーの移動費の他、固定費だけでも大きく膨らみます。そもそもフォリナーは残っているミック・ジョーンズと脱退したルー・グラムの2人が中心のバンドで、ビートルズのポール・マッカートニーとジョン・レノンとヒストリーがよく似ています。ボストンのトム・シュルツのように強烈なカリスマが1人いれば、他のメンバーが誰に代わろうと、ボストンというバンドの「ブランド」が残るモノです。それが2人いるから、普通は話がややこしくなります・・・会社で言う「2頭経営」で、上手くいくはずもありません。ビートルズも解散せずに、ポールかジョンのどちらかがビートルズを継承すれば、もっと商業的に成功していたでしょう・・・バンド名は商標登録があっても会社のような株式も法人登記もありませんので、法的拘束力が強くありません。だから、スタイリスティックというバンドが2つ存在するのです。あるのは、誰が作詞作曲したか?という著作権です。その辺の著作権をミックはルーとキチンと話をつけて、ブランド(バンド)維持を第一優先に考えて(ビジネス的に)バンドメンバーを揃え得たのだろうと思います。著作権とバンド名・・・この大事なポイントを押さえた事がミックの音楽ビジネス的な勝因でしょう。今のデジタル社会は月額1000円程度で何千万曲も聴ける時代で、CDが売れない時代に変わってしまって、ミュージシャンや音楽制作会社にとって苦難の時代です。だから、ミュージシャンはライブによってしか稼げないのです。ミックジョーンズはフォリナーの過去の沢山のヒット曲を完全にコピー出来るバンドを揃え、今のデジタル社会に敢えてライブという「アナログで勝負に出た」のだろうと思います。先見の明があり、日本では既に体力に自信のある矢沢永吉や長渕剛が、ライブで先行しているのは周知の事実です。これからはアーティスト(ミュージシャン)も、ライブに耐える体力勝負の時代か・・・(笑)。デジタル機器に頼りすぎてCDと同じ曲をライブで演奏できない体力に自信のないミュージシャンは、今頃焦ってジムに通っているかもしれません・・・(笑)。シカゴやアースは更に、同世代バンドとの「ライブのコラボ」で生き残りを賭けています・・・まだ、シカゴとアースのコラボは日本では実現していませんが(全米では数年以上前から実現)、今年の日本でのシカゴの超満員のコンサートで、来年以降のコラボ(アースかドゥービーとの?)が現実味を帯びているようです・・・バンドと会社を比較するのもオカシイですが、バンドを辞めても食っていくのはバンドヒット曲の作詞作曲を抑えるのが大事なように、会社では誰が売り上げを伸ばしたか?新規開拓したか?誰が発明したか?という「実績」ですが、最近のイトーヨーカ堂の内紛や青色発光ダイオード(LED)発明者の一連の騒動をみると、いくらサラリーマンで成績を残しても、然るべき法的対応策(株式取得、個人名での特許申請)を取っておかないと報われません・・・しかし、3,40年前に世界中で一世を風靡したバンドが、今必死になってライブ活動しているのも理由が見え隠れします・・・というのも、彼らは既に多くは70代。ライブと言っても、あと10年は無理でしょう・・・あと数年?ファンも同年代か、5,60代・・・一番金に余裕のある世代です。今正に、稼ぎ時という事です。そして更に追い風として、3,40年前に社会主義や共産国だった東ヨーロッパやロシアが、7,80年代のロック(ディスコ、R&B、ソウル)の大きなマーケットになっているようです。同じ社会主義の中国が完全に西側の音楽文化が遮断されていましたが、東ヨーロッパは遮断されてもチョロチョロ漏れていたようで、それに対する渇望がマーケット形成に繋がっているようです・・・時代背景と政治体制が音楽と密接にかかわっているのも興味深いです。振り返って、日本には昭和3,40年代から50年代(1950年代~1970年代)の歌謡曲やフォークソングやニューミュージックに膨大なコンテンツがあります。森進一、五木ひろし、八代亜紀、グループサウンズ(スパイダース、テンプターズ、タイガース、カーナビーツ、ブルーコメッツ、ゴールデンカップス等)、クールファイブ、郷ひろみ、山口百恵、ピンクレディ、松田聖子、岩崎宏美、山下達郎、ユーミン、竹内まりや、サザンオールスターズ、五輪真弓、ハイファイセット、アリス、トワエモア、大橋純子、中島みゆき、小椋佳、かぐや姫、松山千春、長渕剛、吉田拓郎、井上陽水、チューリップ、オフコース、ツイスト、杏里、安全地帯、ペドロ&カプリシャス、杉山清貴、稲垣潤一、桑名正博、矢沢永吉、ゴダイゴ、YMO、ビリーバンバン・・・私が小学生から大学生の間で、イイ曲が膨大にあります・・・そして、今聴いても新鮮な曲も多いですし、昭和40年までの演奏が古い曲なら今風なアレンジで蘇ると思うのです・・・日本だけウケるんちゃうか?と思われそうですが、昨年末のハワイ・ロングステイでほぼ毎晩通っていたライブバーで坂本九の「上を向いて歩こう」が客全員で合唱されているのを見て感激し、日本の音楽もイチロウの野球と同じように、世界に通用するんとちゃうか?と自信を持ちました・・・それを世界に発信すれば、日本のアニメのように日本の音楽が一大ブームになる・・・と思うのは、私だけでしょうか・・・という事で、かつてのバンドも家のリフォームと同じで、戦略(設計)さえ間違わなければ、復活(再生)できるものと信じています。何も今更、新しいことをする必要もないのです。これまで培ってきた既にある土台(文化)を元に、上手にアレンジするだけです。トランクルームも織物工場をアレンジ(コンバージョン)したものですし、音楽スタジオはトランクルームと同じ「レンタル」ビジネスに変りはなく、部屋に付加価値(防音と音楽機器機材)を付け月極を時間貸しにアレンジしたものに過ぎません。まァ、フォリナーの最新のライブ模様もYOU TUBEで見ながらドラムを叩いていますが、完全にスマホやパソコンで見れるように意識して作っているようで、今すぐにでもライブに行きたくなります・・・(笑)。最近はスマホと小型プロジェクターをWi-Fiやブルートゥースで繋いで、壁やカーテンに綺麗な動画を映せる出来るようで、更に「ライブ感」が増せるようです・・・我々は70年代の青春時代に世界中の沢山の素晴らしい音楽のシャワーを浴び、今5,60代になってそれを「再現」できるという、ホント、イイ時代になったものです・・・(涙)。しかし、ボーカルのケリー・ハンセンはまだ今年55歳ですが、看板のミック・ジョーンズが今年72歳なので、5年後が心配と思うのは私だけでしょうか・・・同族中小企業の事業承継と同じで、会社(バンド)を死守する為に、ミックの代わりに娘か孫娘がバリバリのギターを弾く、なんていう「新生フォリナー」のウルトラCが出るか・・・(笑)。ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.06.16
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先日までアメリカ・フロリダ州マイアミから出ている「カリブ海クルーズ」に行ってきました。初めての大きな船でのクルーズ旅行で、以前からとても楽しみにしていましたが、それを決して裏切らない楽しい旅でした・・・今回は残念ながら関空からマイアミへの直行便はなく、伊丹空港まで車で行って預け、羽田ー成田ーニューヨークーマイアミと、片道約20時間もかかりエコノミー症候群になりそうなくらいシンドカッタですが、その辛さを遥かに上回る楽しさがありました・・・今回はイタリア船籍のMSCのディヴィーナという、14万トンもある乗客3500人、乗務員1400人も乗れる18階建ての巨大な豪華客船(クルーズ船)でした。もう駅前ビルと言ってもイイくらいの、恐ろしいくらい大きなスケールでした。しかしイタリア・ナポリで見たクルーズ船は、この倍のスケールはありましたので、よく海に浮かんでいるなァ・・・と感心したものです・・・マイアミから乗船し、オーチョリオス(ジャマイカ)~ジョージタウン(ケイマン諸島)~コズメル(メキシコ)~ナッソー(バハマ)~マイアミに寄港というカリブ海を巡るスケジュールでした。この辺は既に雨季に入っているにも拘らず、殆んど晴れでとてもラッキーでした。海外旅行はだいぶ前から予約しますので、天候次第で晴れれば価値が2,3倍になり、ずっと雨だと楽しみが半減どころか、行かなかった方がイイくらいです・・・それほど、天候に左右されるものです。もちろん、現地の天候(四季&雨季乾季)の調査は言う間でもなく、予算との兼ね合いで旅行を決定するのですが、それでも運不運があるのは仕方のない事です・・・今回はデッキ側の部屋を確保しながら、格安ツアーをたまたたまゲットしていましたので、2重のラッキーだったのです・・・(涙)。今回は伊丹と成田の合流ツアーで、20人くらいだったでしょうか。ツアーと言っても、通常のツアーと違ってずっと一緒ではなく、船上で会うのは夕食ぐらいと寄港地で一緒に散策するするくらいで、殆どノンビリ自由に行動していました。部屋のデッキチェアに座って、カリブの青い海をボーッと眺めていると、すべてを忘れてしまいそうです・・・(笑)。4,5日目のケイマン諸島でアカエイと遊んでいる時に、携帯を水没してしまい、それ以降は全く日本からの電話やメールが無くなってしまいましたので、文字通りすべてを忘れてしまいました・・・(笑)。それまで夜中に、時差が14時間の日本からの電話攻撃に熟睡できなかったので、チョッと複雑な気持ちでした・・・(笑)。20年来何処へ行っても、会社の固定電話から携帯に自動転送しているのは、零細企業経営者の悲しいサガです・・・(涙)。船上ではヒマでしたので、朝から昼はプールで泳いだり、ジャグジーに入ったり、スライダープールで遊んだり・・・夜は毎夜替わるシアター鑑賞、4つのミュージックライブバー、ディスコ・・・日本のオッサンは徘徊に忙しかったです・・・(笑)。ビザの関係なのか、海外旅行で何処でも見る中国人が少なかったのがイイですねェ・・・アメリカとヨーロッパからのお客さんが中心で、けっこう英会話の練習が出来ました・・・(笑)。日本では英語の歌を聴くくらいで、自主的に英語を勉強する時間もその気もありませんが、海外旅行では自分の「度胸試し」の意味も含めて、実践的な英会話の練習場なのです。イヤ、一般的な日本人にとって、母国語でない英会話はその人の「度胸のバロメーター」と言ってもイイかもしれません。別に英語を使うビジネスもしていませんし、日本で住むには英語が出来なくても何も困りません。しかし、せっかく外国人と触れ合う海外旅行は絶好のチャンスです。英語が出来れば出来るほど、海外旅行の楽しみが倍増どころか、10倍以上になる可能性があります。今回もチャンスがあれば、積極的にこちらから話しかけていきました。何も難しい事ではありません・・・プール前のデッキのテラスで隣に座ったり座られたら、どこの国であろうと、男であろうと女であろうと、若者であろうと年寄りであろうと、美人であろうとブサイクであろうと、イケメンであろうと強面であろうとなかろうと・・・一呼吸おいて、ニコッと笑い、同じ日本人に話しかけるように普通の顔で「どっから来たんや?」と言うだけです。そして後はテキトーに、拙い自分の英語力をカバーするためにジェスチャーやジョークネタを交え、事前に仕入れておいた相手の不得意な日本史や日本経済ネタをチョイチョイ挟むだけで会話がはずみます・・・(笑)。何もオバマ大統領と日米交渉をする訳ではありませんし、何億と言う輸出商談する訳ではありませんので、単なる「世間話」で失敗も糞もありませんので、肩の力を抜いて気楽に構えるのがミソでしょう・・・今回もイロンナ外人さんと知り合いました・・・モーリシャスの金持ち、アルゼンチンの普通のジイサン、カリフォルニアから車で2日間かけてマイアミまで来た黒人のオバチャン、何故か?三菱自動車ファンの日本語の「おはよう」と御自身のオハイオ州出身を掛けるダジャレ好きなオッチャン、プエルトリコの民泊サイトAirbnbで小金持ちそうなジイサン、バリに妻子を残してきた出稼ぎの船のスタッフのニイチャン、アメリカに亡命して10数年の幸せそうな脱北者のオバチャン、70年代のアメリカンロックで大いに盛り上がったジョージア州の同じ3人娘を持った同世代のパイロット・・・中でも、中東ヨルダンから来ていた30代の歯科医さんが印象的でした。ヨルダンと言えばシリアの隣国で、外務省の危険情報では「レベル1(十分注意)」と「レベル2(不要不急の渡航中止)」になっているほど政情不安のようです。彼はフレックスタイムでヨルダンだけでなくドバイでも歯科医の仕事をして、まとまった休暇を利用して奥さんと小さな子供さん2人連れて毎年アチコチ旅行しているようです。今回もアメリカとヨーロッパの1か月のバカンスで、ついでにこのクルーズ旅行に来たようです。たった30分しか話せませんでしたが、彼の「Life is short(人生は短い)!」には、ハッとさせられました・・・(驚)。彼の「日本人は寿命が長いでしょ」には言外に、「我々はいつも危険と隣り合わせです・・・」と言いたげでした・・・そう、ヨルダン男子の平均寿命は70歳と、日本男子より10歳も若いのです。それどころか、いつミサイルが家に飛んできて一瞬に命が断たれる可能性が日本より遥かに高いし、難民として国を追われる可能性もあるのです。自分と家族を守るために、若いうちから世界に通用するグローバルなスキルを持って頑張りながら、人生を楽しむ・・・彼の人生(運命)に対する真摯なライフスタイルに、共感するとともに尊敬に値します・・・(涙)。我々日本人は普段無意識に考えたり喋ったりするのも、「日本は安心と安全が前提」ですが、彼らはそうではないのです。彼の何気ない一言が、ショックでしたねェ・・・世界から信用され、安心で安全な日本、日本人である幸せを感じざるを得ませんでした・・・(涙)。先祖や先人たちの努力で、日本がここまで来れた事に対して感謝せざるを得ません・・・まァ、根本的な人生観や死生観というのは、国によって全く違うのだという事を彼に教えられたのです。日本に居ては、いくら本を読んだりニュースを見ても、彼らを本当に理解するのは無理です・・・たった30分の会話でしたが、直に聞く事によって、私の人生観が少し揺らぐほどのショックでした・・・直接人の話を聞く、音楽ライブを聴く・・・今のデジタル社会において、このアナログティックな事が、どれほど人生にプラスになるか・・・(涙)。という事で、あっと言う間の11日間の旅でしたが、距離が長すぎて行きと帰りの時差ボケで、完全に取り戻すのに前後で3,4日もかかってしまったのが今後の課題です。こんな事でも、年を取れば対応能力の低下を客観的に知らされます・・・(苦笑)。そして、同じツアーの中で堺市に住んでいる方が、ちょうど地元自治会が新しいだんじりを探しているという事だったので、さっそく名越のだんじりの売り込みを掛けました・・・(笑)。来年、名越も新調だんじりが出来上がってきますが、今曳いているだんじりの売却先が決まっていないのです。もし、これで堺市の方の町が購入という事になれば、これこそ人生何があるか分からない・・・という事で、言う事なしですが・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.06.09
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