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江戸の大晦日、盆暮れ勘定騒動記 2 江戸城の御用納めも、江戸の職人、商人などの仕事納めも28日でございます。 しかし、商人のなかには、年内の仕事納めでは一段落とはいかない者もいるのです。 大晦日の「晦日」は末日のことで、晦(つごもり)は月隠(つきごもり)で、月が隠れる月末そのものを指すのでございます。12月31日は一年が終わる晦日ですので、「大晦日」と呼ぶんでございますな。 棒て振り(行商人)からの買い物や屋台の二八蕎麦は現金だが、庶民が町内で買い求める米や酒、醤油や塩、炭や油、などの生活必需品はいわゆる”つけ”がほとんどで、盆暮れ勘定でございます。 そこで、年末になると多くの商人が、この掛け売り代金の回収に走り回るのです。 商人にとって、暮れの勘定は、必ず支払ってもらわねばならない一年の総決算ですが、その日暮らしの長屋の住人に懐の余裕などあるはずもありません。 あの手この手を使って「ない袖は振れぬ!」と、ツケの支払いから逃れようとするのです、な、もんですから、年の瀬、特に大晦日ともなりますと、貸した方も借りた方もまさに一大決戦の場となるのでございます。 年末の大関所ってとこでございます。 大晦日の深夜まで取り立て合戦が続きます。 取立て屋と化した商人たちは、ここが踏ん張りどころ、紋付の提灯を手に、大晦日が終わってしまう午前6時頃(明け六つ)まで、徹夜で取立てに奔走しなければならないのです。 お江戸の大晦日の借金攻防戦は年末名物でございますな、 仮病を使ったり、居留守を使ったり、厠に閉じこもってやり過ごしたり、借金を踏み倒そうと知恵をしぼる方も必死です。 ~大晦日 よくまわるは 口ばかり~ 金欠病で首は回らないのだが、言い訳の口上はペラペラとよくまわります、 ~鬼じゃ〜、鬼がきよった〜。 ~ 大晦日 首でも取って くる気なり~ 金払えねぇんなら、首おいてけ! 借金取りの気合と覚悟がビシビシ伝わります。 ~掛取りも 二足三足で春を踏み~ 大晦日に何軒かを借金取りに出向いているうちに、夜が明けちまった、 (新春を迎えてしまった)という句。必死で頑張ったんでしょうかね、おかしいですね。 さてと、年越しそばを食って、除夜の鐘の音でも聞きますか、年明けもご愛読のほど、よろしくおねがいします、 笑左衛門
2020年12月31日
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江戸の暮れ, 煤払い、餅つき 師走 1 師走ですよ 「ああ、忙しいやい、忙しいやい、ご隠居、いよいよ師走ですなあ、」 「おお,遊び人の風来坊がめずらしいことを言うな、」 「ご隠居みたいにね、朝湯朝酒ってえ訳にはいかねえよ、12月13日が事始め、煤払いの日でござんしょう、新年を迎える準備を始める日だってんで、越後屋の煤払いのお手伝いを頼まれてちまいましてね、」 「おお、そりゃあご苦労なこった、大店だ、御祝儀もたっぷりもらえるだろよ」 お江戸では、仕事が忙しくなる12月後半の前、12月13日に「煤払い」をするのです。まあ、大掃除ってえことですな。 この煤払い、江戸城内の煤払いに習って、大名屋敷や旗本邸なども煤払いをするのでございまして、ならばと、商店も町衆も「煤払い」をするようになり、江戸城下一斉に行われるのでございます。 町人たちは煤払い前夜に「明日は煤払いですから」とお互いに挨拶をいれたのでございます。 彦五郎が手伝いを頼まれた、日本橋越後屋に代表されるような大店(おおだな)の煤払いは、それは賑やかなもので、高張提灯をたてて、頭は手ぬぐい姿に尻端折り(しりぱっしょり)の番頭を筆頭に手代や丁稚、それに、手伝いの者、商家に出入りしている鳶職人が、煤竹(すすだけ*竹竿の先に枝葉を残したもの)などで掃除にとりかかります。 薪や炭、蝋燭、行燈の油を使う江戸の暮らしでございますから、天井や柱、物入れから、障子まで、煤で真っ黒になるのは当然のこでしました。 ~十三日 白い野郎は叱られる~ なんて、川柳があったほどで、 畳をあげて埃を落とし、煤竹(すすたけ)で天井を払う者、みな、顔中を真っ黒にして煤払いをしていたのでございます。 さて、煤払いが終わると、誰もかれもを胴上げして祝うという変わった風習が江戸にはありまして、武家屋敷でも商家でも、殿様、主人から奉公人まで ~ 目出(めでた)目出の若松様よ、枝も栄えて、葉も茂る。目出や、サァーサササ~ などといった歌にのせて皆が胴上げされたのだ。 この風習は、江戸城の大奥でも同じで、13日には大奥女中が大奥の役人を胴上げしたという話です。男の胴上げははいいのですが、女性陣は柱にしがみついたり幼子を抱いたりして胴上げから逃げまくっていたのです。 もっとも、この風習、やはり女性たちには不評だったようで、 ~十三日 下女おいらいや おいらいや~ ~十四日 嫁は昨日の腹を立て~ と川柳にも、下女が胴上げを嫌がったり、胴上げされた嫁が怒ったりするさまが詠まれています。 煤払いが終わりますってえっと、”すす餅”がふるまわれ、煤を落としに銭湯へ出掛けます。湯から帰ると、主人からご祝儀の酒肴(しゅこう)が振る舞われるのでございます。 裏長屋では大家も出張り、家族総出で掃除をして、その後に飲み食いするのが、 お江戸の暮れの楽しい一幕だったのでございます。 彦五郎が手伝いに行く、越後屋ともなれば、豪華なお膳が出るのではないか、 「彦五郎め、裾払いの後の酒肴が楽しみでいくんだな、、」 「御隠居さん、なんてったって江戸一番の越後屋さんですからね、へっへっへ」 「ところで、裾払いの後は、歳の市だが、浅草はいつだったかね」 12月13日が事始めで、神社仏閣の門前で、羽子板、しめ縄など正月用品が並ぶ市「歳の市」が開かれるようになります。 せっかちの江戸っ子はずいぶん早い時期から正月の準備を始めてますよ、 大晦日になると年の市で売れ残った正月用品を捨値で販売する、捨て市が開かれたようです。長屋の連中で賑わったそうでございますよ。 「ご隠居、あっしは、越後屋の煤払いの手伝いを終われば、黒門町の火消し頭の伝助親分に餅つきの手伝いを頼まれていましてね、15日から晦日まで出ずっぱりになるんで、ご隠居といっぱい飲めるのも年内は今日で飲み納めなんでございますよ」 「そうか、ふうてんの彦五郎にも仕事が回ってきたか、腰を痛めねえようにな、晦日にはちゃんとつけが払えるように頑張りな、」 正月用の餅つきは、師走の15日から江戸市中あちこちでで始まります。 日の出から夜中まで、江戸四里四方に餅つきの音が絶えることはありません。 自前の臼(うす)や杵(きね)を使って餅つきができるのは、大名、旗本の武家屋敷や大きな商家、大地主などに限られておりまして、それほど裕福でない商家・町人は「引きずり餅」を利用したのです。 「引きずり餅」というのは、鳶(とび)や火消しの人足が臼に(うす)杵(きね)から蒸籠(せいろ)、釜から薪まで担いで町内を回り、注文を受けた家の前で餅をつくのです。彦五郎はその手伝いに行くんですな。 それもできない 庶民は菓子屋に餅米を渡して餅をついてもらう「賃餅(ちんもち)」を利用したが、見栄っ張りの江戸っ子にとって、賃餅を頼むのは、あまり体裁のいいものじゃなかったが、さらに貧しい裏長屋の住人となると、賃餅も頼めず、餅つきの音に悩まされながら、大家が配ってくれる小さな餅ひとつで寂しい正月を迎える者も多かったのでございます。 もういくつ寝ると お正月 笑左衛門
2020年12月29日
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べらぼうめ、、あたぼうよ、、江戸言葉 ちゃきちゃきの江戸っ子と言えば、向こう見ずで喧嘩っ早く、細かいことにこだわらない。それでいて、人情に溢れていて涙もろくて正義に熱い、そんな江戸っ子言葉で遊んでみようかねえ ~べらぼうめ!こちとら、江戸っでぃ、、~と、勇ましいが、、 ”べらぼう”は江戸時代に見世物で人気を博した奇人の名前”便乱坊(可坊)”が語源でございます。 広辞苑によりますてえと、 寛文年間、見世物に出た、全身真っ黒で、頭がとがり、目は赤く丸く顎は猿のような姿に似ていて、容姿が醜く、愚鈍なしぐさで笑わせた。 その奇人のことを、便乱坊(べらんぼう)可坊(べくぼう)箆棒(べらぼう)と呼んでいて、この見世物から「ばか」「たわけ」「あほう」をべらぼうめというようになり、馬鹿や阿呆のことをべらぼうと呼ぶようになったんだとか、 そのうちに、筋の通らないこと、酷(ひで)えこと、とんでもないこと、 はなはだしくて、信じがたいさま。程度が華hなしいこと、普通では考えられないことをべらぼうだというようになった。 ~夕べはべらぼうに酔ったぜ!~ ~あの店はべらぼうな銭を要求してきやがって~ ~蕎麦一杯100文とはべらぼうな値段だねえ~ ~そいつはべらぼうな話 でございますよ、~ ~べらぼうな値上げでございますね、~ ~べらぼうに暑い~ ~なにをぬかしやがる、べらぼうめ~ じゃあ、あたぼうってのはどんな意味だい? あたりめえよと、べらぼうがくっいた言葉よ、、~あ(っ)たりめーだぁ べらぼうめ(ぇ)~の短くなった形です。 つまり、あたりまえだよ、馬鹿野郎が、、あったりまえだ、当然だ。 「それぢやぁ、あんた、外の人にほれてるのぢやありませんのだね」「あたぼうよ、おれはおめえの亭主だよ」「あんたが最高!」 ~あたぼうよ~のような言い方を「べらんめえ口調」と呼びましてね、 早口で威勢よく、。これが江戸っ子とばかりに、巻き舌で荒っぽい言葉つきで言い放します。 彦五郎、今月の家賃を払ってくださいね、、 ~あたぼうよ~と景気のいい言葉は出るが、はてっ、 笑左衛門
2020年12月27日
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夜鷹 古着屋 柳原土手をぶらぶら歩く 2 ご隠居と彦五郎、筋違い門から火除地でもある、八つ小路まで、柳の葉に頬を撫でられながら、神田川を行き来する人や荷物を積んだ川船を眺めながら歩いた。 八辻原(八ッ小路)広場は、明暦の大火の後にできた日除け地で、筋違御門、昌平橋、駿河台、小川町、、連雀町、日本橋通、柳原通、小柳町の八方向へ向かえるので、八辻原というのだ。 人の行き来も多いので、料理屋、一膳めしや、蕎麦屋、団子屋、甘酒屋などの食い物やが軒を並べていた。「ご隠居、腹の方もぐ~とっ、泣きだしましたよ」 「更科蕎麦でも腹に入れたいねえ、」 ご隠居と彦五郎も信濃屋という蕎麦屋の暖簾を潜り、出汁巻き卵で酒を呑み、更科蕎麦で腹を満たした。 「さて、腹ごなしに、柳橋までまた歩きますよ」「へえ、御隠居、まだ見るものがあるんですかい」 土手を一里も歩かぬうちに、 「ご隠居、飲みすぎですかな、小便がしたくなったよ」「彦五郎、安心しな、柳原土手には小便所がるんだよ」 「小便所」のある所は,江戸市中にも少なくて,道端の「下水」に小便を垂れ流しにするのが,普通だったのだが、ここ、柳原土手には小便所があったのです。で、ついでに小便川柳を ~このところ小便たれろ柳原~ この句は,言葉通り,柳原には「小便所」があることを詠んでいます。 ~小便に後ろを見せる古着店~ この句は,古着を買わずに,「後ろを見せて」店を出ること(小便をする)と,店の後ろにある「小便所」を見せて,「ここが小便所だよ」と教えていることの,両方の意味に取れそうな気がします。柳原の「小便所」が川柳に詠まれたと言うことは,柳原には「小便所」があるということが,江戸の人たちによく知られていたのだと思います。 小便もすまし、ぶらぶら、歩いているうちに暮れ六つの鐘も鳴りまして、辺りがすっかり薄暗くなってまいりました。 「ご隠居、昼間の雑踏が嘘のように閑散としてきましたねえ」 「そうよ、お粗末な床店には寝るとこ櫓もないんで、古着商は、夜になれば、店を収めて、それぞれ家に帰へるのよ、ここらの床店は人が集まる場所を目ざとく見つけて場所どりをした商人が店を開くので、毎日決まった店が開くわけじゃあねえんだま、明日は明日の風が吹くってとこかね、」 ご隠居と彦五郎が歩いていた、柳原の堤も、夜になれば商人が店を閉じていなくなり、辺りは索漠閑散としてきて、柳原土手の夜景は、一層もの淋びしくなってきます。 「ご隠居、なんだか背筋が寒くなってきましたよ、あの柳の木の下の暗がりに 妖怪でも出てきそうじゃありませんか」「彦五郎、よく、目ん玉擦って見てみな、」「あれっ、さすがは柳原土手、蓆が柳腰で歩いてますねえ、、」「100文の女もいるが、中には24文の夜鷹もいるらしいいがね、注意一病怪我一生だ、鼻がもげちまうよよ、、」 其所にも此所にも蓆(むしろ)を抱いた夜鷹(夜娼)が出現してきたのだ。 柳原土手は昼の古着屋と変わって、夜は夜鷹が大勢活躍する場所だったのだ。 吉原は別格としても、江戸の岡場所の遊女の値段は500文ぐらいが相場だが、柳原の夜鷹(路傍で春をひさぐ下級の売春婦)は100文(2000円)位と、古着売り同様、馬鹿安だった。 だが、ここでも安かろう悪かろうの夜鷹もいるようで、まだまだ下があったのだ。 薄暗がりなので、よく顔が見えない、四十すぎた女が墨にて眉を作り、白髪を染めて、若々しく島田髷に結ひ、手拭を頬かむり、敷物を抱えて、柳の蔭に立っているのである。四十五十でもまだ若い、六十過ぎの老齢夜鷹もいるというから驚き桃の木山椒の木だ。そんな婆さん夜鷹は真っ暗闇にしか仕事ができなかった。 夜鷹の多くはもとは岡場所とか吉原遊廓などでお客を取っていたりした遊女で、歳を取ったり、病気を持って容姿が崩れてしまって追い出され、どこも雇ってくれなくなったので夜鷹になった女が多いのだった。 海千山千の夜鷹の巣窟であれば、性病の巣窟でもあったのだ。 夜鷹としてしか生きていけない可哀そうな女たちだったのである。そんな夜鷹の江戸川柳でございます ~提灯で夜鷹を見るはむごいこと~ ~人目も草もいとはぬは夜鷹なり ~ ~幽霊も手持無沙汰な枯れ柳~ ~蛙さへ飛びつきそうな柳こし~ 夜鷹の柳腰はご注意ですぞ ~古着屋と 二十四文と 入れかわり~ 彦五郎、古着を買うか、古女を買うか? さてと、あっしは帰えりますよ、、 笑左衛門
2020年12月25日
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柳原橋から八ツ小路まで柳原土手ぶらぶら歩き 揺れる柳に 振り落とされて 船宿見つめる 垂柳跳蛙 しだれ柳で 寛ぐ蛙 おまえは何処へ いきなさる「さてと、彦五郎、~お白粉の風薫るなり柳橋~正岡子規~の柳橋へでも繰り出そうかい、、」「さすが、ご隠居、粋でございますね、万八楼ですか、河内屋ですか、どちらの会席料理も下りものの酒も飛びきりと評判でございますよ、 ~贅沢な人の涼みや柳橋 ~正岡子規~何て申しますからな、、」 「彦五郎、」そうじゃねえんだ、今日は柳橋から八辻原まで 神田川沿いの柳原土手十町ばかりをを歩こうっていう寸法よ、、」「へいっ、あっしはてっきり、、粋な柳橋芸妓とお座敷遊びでもするのかとおもいましたよ、」「彦五郎、今日は、歩きますよ、」 てな、ことで、ご隠居と彦五郎,、隅田川を行きかう白帆の舟も見える、船宿や待合茶屋に料亭などが軒を連ねた、花町柳橋の、白粉の匂いと、三味の音を振り切るように橋の袂に大きな柳の木がある、柳橋から歩きはじまた。 柳原堤(土手)というのは、柳橋から浅草御門、新橋、和泉橋、筋違御門、八ツ小路、までの神田川に沿った土手(堤)のことで、八代将軍徳川吉宗の命によって植えられた柳が、すっかりすっかり伸びて、今では、江戸の名所となっていた。 「ご隠居、堤と言えば、浅草聖天町の今戸橋(待乳山聖天付近)から箕輪浄閑寺までの、日本堤が浮かびますねえ、吉原土手だとか、八丁土手どてなんて呼ぶ人もいますがね、、」 「そうよな、あの日本堤は大川の水が江戸府内に水が流れ込まないための治水のために造ったんだが、この、柳原土手も神田川の氾濫に備えて造られんだよ、その土手を丈夫にするために、八代将軍徳川吉宗公が柳を植えたそうじゃよ、」 「じゃあ、隅田堤の桜と同じでございますね、、」 さて、その、柳原土手を歩くと、浅草御門から筋違門に至る間、十町余りにわたり、柳原土堤下には土手を背にして 各々間口九尺奥行三尺のお粗末な床店が互いを支え合うかのように並んでいて、~古着商の巣窟にして價の廉なるは、驚くべき程なれど、~何て言われていて、刀剣諸道具古物商の類等の古道具やもあるが、そのほとんどが古着商で店の数、500軒は超えているだろうか。 柳原と云えば、富沢町と並んで江戸最大の古着屋の集まっている古着商の巣窟であった。店先から。三尺ばかり道にはみ出して、商売物の古着が溢れるように吊るされていた。 江戸では、呉服屋で反物を買い、その反物を仕立て屋で仕立ててもらって、新しい着物を作るのだが、値段が高くて、庶民には手が届かない、ほとんどの着物は古着屋で買って間に合わせていた。 とにかく、この柳原土手下の床店の古着は驚くべき程の安さ故、人気が高い。 「ご隠居、安くて、うちのかかあにも、着物の一枚買って帰ろうかな」 「彦五郎、安物買いの銭失いにならねえように気いつけな、ここらの商店はな、あんまり評判がよろしくないぞ、、 もちろん、上物を売る店もあるのですが、廉いからと買うと、食わせ者である事も多いという。 いかがわしい着物を売る店も多いのだ。古着を 良く洗いうまく繕って、巧に新品として商うこともあり、一回着ると、もう着られないものも多く、田舎から参勤交代で出府した武士なぞは、カモにされていて、かなり騙されているようだよ。 ~柳原 合羽と化ける正一位~ 江戸川柳 正一位とは稲荷の大明神の幟(のぼり)のことで、その幟を盗んで改造した怪しげな合羽が売られていた。 ~ふんどしが とっしに化ける柳原~ 江戸川柳 ふんどしが宗十郎頭巾(訥子は宗十郎の俳号)に改造され、それとも知らずに、 頭にかぶっているという話です。だが、そんな怪しげな模造品も人気があったのでございます。 ~両側で小便をする柳原~江戸川柳 店の前(表側)では,客が古着を値切るだけ値切っておいて,挙げ句の果てに何も買わずに帰ってしまいました。 こういうのを俗に「小便をする」と言っていました。 店の裏側の土手下には「小便所」が出来ていました。ですから,店の両側で「小便をする」というわけです。ここで、柳原床店小咄をひとつ、 柳原の床店に吊るしてある頭巾、「すべて、この辺りに吊るしてある頭巾は女郎の脚布(ゆぐ)(腰巻)の古いのを黒く染めて仕立てるというが、いよいよ左様か?」と、聞くと、「これは勿体ない。脇(よそのみせ)のは存ぜず、私などが売りまするは、呉服屋から黒ちりめんを買いましてしたてまする、ゆめゆめ(けっして)左様なるむさい(きたない)ことはいたしませね」「そうか、それなら買うまい」 ~江戸小咄~ 柳原土手散歩 笑左衛門
2020年12月23日
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へぼ碁親爺 長考か 居眠りだろか 石取られ 碁仇(ごかたき)は 勝負に負けて 口で勝つ へぼ碁でも 楽しかりけり 長屋の碁 「今年の御城碁(おしろご)も、本因坊秀策の中押し勝ちだったのだな」「秀策先生は、将軍の御前試合で負けなし、19連勝ですよ、さすがに「碁聖」でございますな」「さて、本所名人のご隠居、一局お手合わせ願いましょうか、こちらは長屋碁で、」「よおし、碁敵の伝蔵、手抜きはするなよ、」 江戸じゃあ、神君家康公が囲碁好きで、幕府が肝いりで囲碁を奨励援助し、本因坊秀策という囲碁の天才が産まれまして、江戸の町の庶民にも囲碁が流行っていたのでございます。 大名屋敷や寺はもちろん、髪結い処、湯屋、船宿、料理屋、廓、にまで囲碁盤が置かれておりましたし、碁会所もあちこちにできたのでございます。 さてさて、大家と伝蔵の対局開始、 切られても 検使のいらぬ 碁の喧嘩 ~江戸川柳~ 検使は殺傷・変死の現場に出向いて調べる役人のこと。 助言無用と小便に立つ ~江戸川柳~ 助言せぬ 碁や風凪(かぜなぎ)の 濱千鳥 ~江戸川柳~ 対局者が厠にいってる間に助言をしてはいけないよと、見物人に釘をさす 助言のない碁はないだ海のように平穏ですよ 思う様 勝つと小便 したくなり ~江戸川柳~ 我慢して勝負にかけていたんですかな 雪隠で くしゃみをするは 勝ったやつ ~江戸川柳~ 勝者が小便に立つと敗者は見物人と悪たれ口をたたくので、、、 碁に負けて おかしや下戸の 酒うらみ ~江戸川柳~ 下戸のくせに酔っていたので負けたと言い訳する ~ご隠居、黒が危ない~ 湯屋の二階、碁盤を囲んで隠居の爺さんが、さっきからうつらうつらと、こっくりさんをしている。「黒が危ないよご隠居さん」ご隠居、はたと、目を覚ますが、只今思案中だと腕組をする、「うーむ、こう出れば、こうおさえるな、ここをきるな、 大丈夫、繋がっておる、何も危ないことはない」「いや、いや、あぶねえですよ、ご隠居、黒が危ない」「やかましいな、何処が危ないのだ」「その端の黒が、碁盤から落ちそうですよ」 ~ 江戸小咄でございます~ あっしも へぼ碁が趣味でございまして、、、笑左衛門
2020年12月21日
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お江戸ぶらぶら 新宿百人町、忍者の暮らす町「ところで、彦五郎、内藤新宿に百人町ってえ町があるのを知ってるけえ、、」「百人町ですか、きれいどころの芸者が百人揃ってるんですかい?」「そうじゃあねえんだ、徳川家康公が江戸に幕府を開いた時、内藤新宿の名にもなった内藤清成が鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めたそうだ。 その、内藤清成が率いていた伊賀組鉄砲百人組同心の屋敷、「大久保百大繩屋敷」(拝領された敷地)があった場所なので、百人町と呼ぶんだよ、(現在の新宿百人町) 百人組組屋敷の敷地は間口10間(18メートル)に対し、奥行きが200間(360メートル)と南北に細長い敷地なんだ、敷地の中には組屋敷はもちろん、鉄砲の射撃場もあるんだ。 耳を澄まして聞いてみな、ばあぁん、ばあぁんと鉄砲の音が聴こえてこねえかい。銃や火器の扱いに慣れた忍の衆による実戦部隊が行われてるんだ。 その、百人組と呼ばれた鉄砲組百人隊は江戸城の将軍直轄の軍団で、その鉄砲術は抜群の腕前を誇っているのじゃ。 伊賀百人組と呼ばれているように、彼らはそもそも「伊賀忍者」たちだったのじゃよ、伊賀町という伊賀者が住む組屋敷も四谷にはあるんだよ、そうよ、この町には、伊賀の忍者が住んでいるのよ、気をつけろ、」「へええ、ですが、もう戦さ何ぞありませんがね、忍者がまだこのお江戸にいて、やることがあるんですかい?」「儂もそう思うがな、、よしっ、四谷御門の方へ足を延ばそう、」 甲州街道に沿って、外堀内の番町には旗本屋敷があり、その外側には百人組の組屋敷が作られ江戸の守りを固めていた。「では、百人町にある皆中神社でもお参りしようか」「また、神社ですかご隠居、」 「百人町の皆中(かいちゅう)神社はな、皆中(かいちゅう)、すなわち、~みなあたる~という意味じなんじゃ。鉄砲百人組の1人がこの皆中稲荷に参拝したところ射撃が上達し、百発百中の腕前になったということじゃ、で、儂もな、ご利益がありますように祈るのだ、、、」「ご隠居、まさかこの百発百中の神社にお参りして、子作りするつもりじゃあないでしょうね」「ふっふっふぅ、だがな、彦五郎よ、世の中てっえのは、いつまでもいいことが続くわけじゃなえんだ。 家康公が幕府を開いて以来、すでに二百年が過ぎ、その間、戦もなくなり、泰平の世となった江戸では、鉄砲や戦闘など武力を使う仕事もなくなり、時間を持て余す、貧乏な武士が増えたのだよ、」 とはいえ武士は武士、「武士は喰わねど高楊枝」と言われるくらい気位が高く、武士としてのそれなりの体裁を整えなくてはならず、そのためには銭が必要で、下級武士のほとんどが、借金をしてやり繰りしていて、あとは、内職をして食い扶持を補っているのだよ。 百人組っていうのは、内藤新宿の二十五騎組の他にも、大久保に伊賀組、青山に甲賀組、市谷に根来組、と、江戸には四組があり、その百人組もみな内職をしていた。 甲賀組は青山で傘張りの内職をし、根来組は牛込で提灯を作り、伊賀百人組は千駄ヶ谷の組屋敷で鈴虫やコオロギの養殖や虫カゴ作りを内職にしていた。 ここ、内藤新宿の組屋敷では、鉄砲百人組の二十五騎組が組屋敷の庭や垣根でツツジを栽培していて、花の盛りともなれば武家の奥方から庶民まで多勢の見物客が押し寄せるほどの人気で、いい内職になっていた。 祖先が忍者だからかが、みな卓越した技術を持っていて、どの組の内職も評価が高かいのだよ。 それにしても、あの黒装束の忍者がねえ、傘張や、虫の養殖、ツツジの栽培で食い扶持を得なければならないとは、、忍者もつらいですなあ、、 ご隠居の内職は 子作りでございますか? 笑左衛門
2020年12月19日
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お江戸ぶらぶら 内藤新宿 飯盛り女 成覚寺「彦五郎、天気もいいや、内藤新宿(現在の新宿)の方へ足を延ばしてみようかねえ、日本橋から二里だ、歩いても二時(四時間)も歩けば着くじゃろう、ま、疲れれば旅籠もいっぱいあるし、泊ればいいだろう、帰りは駕籠に乗ればいいし、」 「ご隠居も健脚で、御盛んですな、吉原の女は飽きましたか? 内藤新宿の遊女は馬糞臭いなんて悪態をつく奴もいますが、なかなか、掏れてなくて、深川芸者のようにツンとしていなくて、純朴な女が多いそうですよ、ところで、ご隠居、なんで宿の名前が、内藤新宿なんて野暮な名なんですかねえ」 「内藤新宿はな、日本橋伝馬町から次の宿場の高井戸宿までは四里も離れていて、人馬の提供に負担が重かったので、元禄の時代に中間の地点に新しい宿場を設けることになったんだよ、 信濃国高遠藩、内藤家の土地を幕府に返上させて宿場用地としたので、内藤新宿という名がつけられたのだよ。今じゃ、東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれておるのう、」 ご隠居と彦五郎、てくてくてくてく、日本橋から、壕沿いに、和田倉門、馬場先門、桜田門を過ぎ、半蔵門、から西に折れて、四谷御門を過ぎ、しばらく歩いて、内藤新宿に入りました。 「へえ、びっくりだ、浅草も負けそうなほど、賑やかでございますね」 追分から大木戸まで宿場通りの両側には、旅籠や茶屋、芸妓楼が軒を連ねて賑わっていた。 花魁さんが、台の上に座って並び、くわえた長煙管を、一杯機嫌の嫖客(ひょうかく)の前にさしだして、「おや、いい男だね、上がっていきなよ、」と、誘っている。毒々しい化粧の女だが、艶な姿態でもあった。 今や、内藤新宿は岡場所(色町)としても賑わっていたのだ、宿場に遊女を置くことは認められてはいないが、そこは抜け目のない商売人だ、客に給仕をするという名目で飯盛女・茶屋女を置き、その女が遊女の役割をしている。宿場内には旅籠屋が五十軒を越えていた。 茶屋や一膳めしや、蕎麦屋、煮売り屋、団子屋、甘酒屋、それに、古着屋、小間物売りなど物売りの店が軒を並べていた。お江戸の裏側にもこんな賑やかなところがあったんだ。彦五郎も田舎者みてえにきょろきょろしてる。 馬背に荷物や旅人を乗てやってくる馬子(まご)や、武蔵野や多摩の近在の農村から野菜を売りに、荷車を曳いてやってきて、帰りの荷車には買った堆肥を積んで戻る「江戸稼ぎ」と呼ばれれている百姓も、いい稼ぎになるってえことだ。 そんなこんなで、甲州道の人の行き来が多く、ぼやぼやしてると、ぶっついてしまいそうだ。 銭を稼いだ、馬子や百姓が、遊女の誘惑にまけて遊んでいくことも多いので、江戸っ子は新宿の遊女は馬糞臭いと言って笑うのだった。 「さて、ご隠居、どこぞの芸妓楼か、旅籠へ入りましょうか」「まてまて、彦五郎よそこの路地を入ったところに成覚寺という寺がる。そこへお参りしてからだ」「 へえ、なんでまた、内藤新宿まで来て寺参りなんですか」「成覚寺はな、飯盛り女の投げ込み寺なんだよ、浅草の吉原にも浄閑寺という投げ込み寺があって、二万人もの女が投げ込まれたって話は彦五郎も聞いてるだろう、この内藤新宿の成覚寺にも二千人の霊が眠ってるって話だよ、ほれそこに、”子供合埋碑”という碑があるだろう、子供のことじゃない、遊女が遊郭に売られた子供ってえ意味だ、ほとんどの女が、十八から二十四までに死んで、この寺に投げ込まれるんだそうだ、その話を聞いてから、哀れでな、儂は、とても遊ぶ気にはならねえよ、」「せっかく内藤新宿まで足を運んだすよ、今夜はどういたしましょうか」「まあ、料理屋で茶汲女でもかまいながら、呑もうじゃねえか、明日は四谷の方へ歩いてみようか」 甲州道最初の宿場 内藤新宿でございやした ~笑左衛門~
2020年12月17日
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娘 川 柳 ~江戸川柳~ ~くどかれて 娘団扇を廻してる~ 初心な娘(うぶ)、純情ですな、 年の頃なら十六七、番茶も出花眩しいばかり、 ~愛嬌は 毀れて減らぬ宝なり~ そうよ、不愛想にしてねえで、 愛想ふりまきゃいいことあんべえ、、 ~愛嬌娘 そこからもここからも~ 愛嬌のいい女は降るように縁談が持ち込まれすがね、 娘さん、でいじなことは愛嬌だけやありませんぜ、 ~愛想も 男にすれば疵になり(きず)~ 愛想がよいのを惚れられたと勘違い、よくある話で、 純情男は惑わされ、傷つきます、娘さんほどほどに、、、 ~わが好かぬ 男の文は母に見せ~ またあの助平男からの恋文だ、 辺りをきっと見まわし、母上、この者からの艶文ですと、母に見せる。 ~惚れ薬 十日過ぎても沙汰はなし ~惚れにくい顔がきて買う惚れ薬~ 惚れ薬とは、イモリの黒焼きのことでござんすよ、 イモリの雄雌を隔てて竹の筒に入れると、一夜にして竹を食い破って交合し、 山を隔てて焼けば、煙まで交わるといわれておりますぞ、 まずはお試しを、、、ちゃんちゃん、 娘さん、惚れ薬の 呑みすぎです 笑左衛門
2020年12月15日
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江戸の直し屋 2 鋳掛屋(いかけや) ~破(わ)れ鍋(なべ)に綴(と)じ蓋(ぶた) ~ この似たもの夫婦も補修できますかいな、いかけやさん、、 ~鍋、釜ぁ~、いかけ~と町の路地を呼び歩く、 穴があいたり、ひびが入った鍋や釜をその場で補修する『鋳掛屋(いかけや)』は、七輪や鞴(ふいなどの道具を携えて歩いて回ります、持参してやって来て修理する。 鍋や釜は、すが入りやすく、ヒビ割れたり、穴が空くことがよくあるのですが、鍋釜は非常に高価なものですので、おいそれと買い換えはできません。そこで、鋳掛屋という商売が繁盛しているのでございます。 研ぎ師~はさみ、包丁、剃刀研ぎぃ~「おいっ、あんまり切れるように包丁研ぐんじゃねえよ、怖くて寝れやしねえじゃねえか」 「あんた、どこぞの女と浮気したら、まら切り取ってやるからね」 剃刀、包丁、小刀、鋏み、と何でも、20文~30文くらいで研いでくれる。 だが、刀は別物です。武士の魂の刀を、魚や野菜を切る包丁と一緒に研ぐなどもってのほかだ。刀磨工(とぎや)はきちんと、店を構えていて、刀の研ぎ代は一振り3分~1両ほどもする。包丁とは月とスッポンだ。~研ぎやのかみさん、産気づき、取り上げ婆を呼びにやり、かれこれするうち やすやすと産出したるは、子ではなく錆び刀なり、胆をつぶしてびっくらこいていおると、やがて、その錆び刀泣きだした 「トギャア、トギャア、トギャア」 商魂たくましい、研屋の二代目誕生物語でございました。 ~江戸の小咄~ へっついなおし ~ええ~へっいなおし~鏝(こて)鉄槌(てっつい)小道具と、重い粘土を布切れに包んで、江戸のどこの家にも、飯を炊き、煮物を作る、暮らしには欠かせない、竃(へっついがある。 その竃、土と石でできているので。薪を無理やりくべたりすると、へっついの一部が崩れてしまうことがよくあるんですよ。 竃直しを頼むと、左官屋が鏝(こて)や鉄槌(てっつい)の小道具と、重い粘土を布切れに包んで運んできて、修繕して塗りなおします。 へいっ、なんでも直しますよ 江戸の直し屋でぃ、、 朽木一空
2020年12月13日
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江戸の直し屋 1 江戸の町じゃ、壊れたからって、すぐにものを捨てやしませんよ、なんだって直しちまう、直し屋という棒て振りが江戸の町を歩いていたんでございますよ。 ~じゃあ、ついでに、しわがれ女房も捨てずに顔の修繕してもらおうか~ ~先にあんたの 垂れ魔羅(逸物)が使えるように修理してもらっとくれ~ 下駄直し ~で~い、で~い~「ああ、下駄の歯が欠けちまった、今日は、美濃屋の手代の公平さんと隅田の花火を見に行く約束なのに、ねえ、おっかさんどうしよう」「大丈夫だよ、まだ、日が暮れるまでには時があるっよ」お美代が涙ぐんでいると、 ~で~い、で~い~と、低く唸るよな声が聞こえてきた。でいでいというのは、「手入れ手入れ」が転訛した言い方で、雪駄、下駄の手直し屋さんで江戸の町の路地から路地を流して歩いていた。「ちょいと、でいでい屋さん、娘の下駄の歯が欠けちまったの、治してちょうだい」「あいよ、おや、鼻緒も切れそうだ、可愛いのに取り換えときましょう、」 下駄の修理屋は朴歯屋(ほうばや)ともいう。すり減った下駄の歯を入れ替えたり、鼻緒のすげ替えを掏る商売だ。もちろん、新しい下駄も売っていた。 羅宇屋(らおや) ~羅宇のすげかえ 商人か職人か~ ~江戸川柳~ 「おいっ、この煙管の煙の通りがよくねえな、煙草がまずくていけねえよ」 ~羅宇屋〜キセル〜という呼声が町ではよく聞かれます。 煙管直しの羅宇屋(らおや)という外商いの者が下りまして、煙管の真ん中の竹でできてる筒部分のことを羅宇と申します、ここに煙草のやにが詰まるのでございます、そのやにを掃除してくれたり、筒が割れたりひびがはいっていて具合が悪ければ、取り換えてくれるのです。 手間賃は非常に安く、8文から10文程度だったと言いますが、この、羅宇の職人が羅宇をすげ替えるとき、家の中でやけにじっくりゆっくりと仕事したそうで、何処かの岡っ引きの親分の密偵の役目も兼ねていたんじゃねえかとも言われてますがえ、、気を付けなきゃね、 焼継師(やきつぎし) ~焼き継ぎ屋 夫婦喧嘩の門に立ち~ 江戸川柳 夫婦喧嘩で瀬戸物が割れるのを待っているのでございますよ、「あんた、また、あの女のところへ褌忘れてきたんでしょう、もう、我慢ならない」 てんで、女房殿が茶碗を投げつけた、哀れ茶碗は二つに割れた。「おめえ、明日から、どうやって飯を食うんだい、この瀬戸物は高いんだぜ」 ~やきつぎぃ~やきつぎぃ~ 世の中上手くできている、焼き継ぎ屋の声がしたじゃないか、「ちょいと、焼き継ぎ屋さん、この茶碗元どうりになるかしら?」「おまかせよ、16文頂きますよ」 白玉粉で継いで、窯で焼きなおすと、あら不思議、元の姿に早変わり、おっと、白玉粉ったって、食べる白玉じゃあござんせんよ、ガラス粉と鉛を混ぜたものです。漆で継ぐ金継ぎなんて言うのもありますが、こちらは値が張るので、庶民の食器とは無ですな、高価な器や壺しか頼みませんでした 瀬戸物が欠けたり割れたりしても、捨てやしません、焼き継師という、商売があるのでございまして、あまりに腕がよくて見事な出来栄えなので、瀬戸物屋の商いが薄くなったと言われるほどでございます。 へっ、この文章も焼き継でしてねえ、、 笑左衛門
2020年12月11日
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間男は命がけ、でも、やめられねえ、、 ~密通之男女共ニ 夫殺シ候ハ、紛レ無キニオイテハ 構イ無し~ 密通の現場を夫が押さえれば、二人を斬り殺しても構わないと言う、定めでありまして、「殺し候」ってかなり怖い言葉でございます。 江戸の不倫は命がけでございます、亭主が密通の現場を押さえれば、間男と女房の二人を束にして斬り殺してもお咎めなし、と言われております。くわばらくわばらですが、それほど間男が多かったのでございますよ、 ですがねえ、実際には示談金で済ませるということが行われていたようで、しかもその相場は七両二分と決まっていたのでございます。ですから「美人局」なんてことを考える夫婦もいたんですな。 一方、男のほうは、岡場所へ行こうが、妾を囲うが、おとがめないのは不公平でございました。 でぃ、間男の川柳でもご賞味くだせえ、、 ~外へ出るふりで亭主は縁の下~ まるで亭主の方が、が間男のように隠れています。 ~間男と亭主抜き身と抜き身なり~ 間男は男性器を露出したままで、亭主は刀を抜いています、笑えますねえ、、 ~五両で己が首を買う大たわけ~ 示談金は五両という説も、、 ~間男のからだ一尺が一両~ 首を斬られるくらいなら、金で解決致しましょう、 一両13万円位という説があるので、65万円位でしょうか。素人相手でかなり高くつきました。それでもやめられない浮気の味は、、 ~間男をするに等しき鰒(ふぐ)の味~ と、危険と隣り合わせの快感を味わえたからでしょう。 ~間男の不首尾こぼしこぼし逃げ~ 密通(不倫)は死罪となるのです、妻が密通すること、またその密通した相手の男のことを、俗に「間男」(まおとこ)と言うのです。 ~間男は首を拾って蚊に食われ~ しかし、現実には示談金で済ませるということが行われていたようで、しかもその相場は五両と決まっていたとの記述もある。 ~その罪を許して亭主五両とり~ ~据えられて七両二分の膳を食い~(柳多留拾遺) 七両二分とは大判一枚に相当する金額で、この句は、据え膳に応じたら、なんと夫婦共謀で示談金を巻き上げる「美人局(つつもたせ)」だったのだというお話しです。 密通は金になると、金儲けの材料に利用する者が続出、天保期には幕府の取り締まりも強化されたのでございます。 ~密男せぬ女房は無いもの~(たとえずくし) ~密男七人せぬ者は男のうちにあらず~ などと、命がけだったにも関らず、この密通の迷いの止め難きは、結局いつの世も替わらぬのが男女の営みなのでありましょうか、、、 あっしは一穴主義でございまして、真面目一筋 笑左衛門
2020年12月09日
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ふくべ、ひさご、ひょうたん(瓢箪)噺 「瓢六爺さん、腰に瓢箪ぶら下げてますが秀吉の馬印を真似してるんですかい」「いいや秀吉の千成瓢箪は金色だが、儂のは朱色じゃ、瓢箪は末広がりの形をしてるんでで縁起がいいんで、ぶら下げているんじゃ、 「瓢箪から駒」(駒とは馬のこと、瓢箪の小さい口から馬が出てくる、)なんて諺があるくらいだからね、どんないいことがあるんだろうと楽しみでねえ、」「それで瓢六爺さん、瓢箪の中には何が入ってますんで、水でございますか、酒でございますか、」「儂の瓢箪には薬が入ってるんだよ、ところでどうでい、いつまでも瓢箪んみてえにぶらぶらしてねえで、彦五郎もこの千成瓢箪を腰にぶら下げちゃあ、「千」と「成す」って言われてるくらいの縁起物だよ、」「爺さん、あっしなんぞは、それじゃあなくとも、浮瓢箪、のらくら、なまけもの、ふまじめだといわれてるんですぜぃ、瓢箪をぶら下げて歩いちゃ、瓢箪の川流れだと、また笑い者にされちまいますよ、、あっしとご隠居じゃあ、瓢箪に釣り鐘ですからね、」「おや、彦五郎、その釣鐘が暮れ六つの鐘を鳴らしたよ、じゃあ、一杯のみに出かけるとするか、」「瓢六爺さん、また煮売り屋の「ひさご(瓢)」のお加代の店でございますか。瓢箪のお好きな方で、、、」 では瓢箪の句を、、(ふくべも、ひさごもひょうたんのことでございます) いふがほや 秋は色々の ふくべかな 芭蕉 くりぬいて 中へはいらん 種ふくべ 瓢 正岡子規 (種ふくべとは種を取るために残しておく大きな瓢箪) たのしみの 其中にある ひさごかな 瓢 正岡子規 ひさごから 出して見せうか 時鳥 (ほととぎす) 正岡子規 ふらふらとして 怪我もなき 青瓢 井上井月 井月の 瓢は何処へ 暮の秋 芥川龍之介 ぶらぶらと 小窓うれしき 瓢哉 瓢 正岡子規 ものふとつ 我が世はかろき ひさご(瓢箪)かな 芭蕉 出初を 祝うて叩く 瓢(ふくべ)かな 一茶 叩く時ひさご飛び出せ時鳥 時鳥 正岡子規 瓢を抱て浅瀬に泳ぎ習ふ人 泳ぎ 正岡子規 児等が植ゑし ひうたんの蔓がのびたり 尾崎放哉 わたしゃ、ひょうたんを浮袋にして、川流れといきますか 笑左衛門、
2020年12月07日
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花のお江戸の浮世風呂の川柳でございます ~江戸川柳より~ 大声も無(ない)女湯の やかましさ 大声を出しているわけじゃあないが、女はよく喋るので女湯全体がなんとも騒がしいという意味。 留桶を 遣い長屋で 憎まれる 湯屋では自分専用の留桶を預けておくことができた。貧乏暮らしの長屋の者だから、 一人留桶なんか使おうものなら、みんなから妬まれたそうですよ、 抱いた児を ふたにして出る 柘榴口 若い嫁さんですな、柘榴口を出る際、子供を抱いていると前を隠すことが出来ない。 そこで子供を前にぶら下げて隠すという意味。 風呂の屁は 背ぼねかぞへて のぼるなり 音は隠せても、ぶくぶくと泡は隠せませんよ、、 江戸拾遺(しゅうい)書くなら湯屋の 二階番 『江戸拾遺物語』を書くんだったら、噂の飛び交う湯屋の二階がもってこい。 女湯を のぞきがてらに 小便し 湯屋の外の溝に小便をするついで、障子にあけた穴か板のふし穴から、女湯をのぞきみる。 女湯の 喧嘩片手で 掴み合い 喧嘩はしても、大事な部分は隠さなければなりません。 だから片手の掴み合いになるという。 名が売れて 我慢しとおす 熱湯好き これっきしの湯なんざ、へでもねえやい、 我慢して意地を張って熱い風呂に入る江戸っ子、 いい湯だねと、のんびり朝湯にでも行きますか、、、 笑左衛門
2020年12月05日
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いい湯だね 花のお江戸の浮世風呂 2 ご隠居と彦五郎風呂から出て、着物を着て、「番台さん、今日の湯は丁度良かったよ、二階へ行くよ、」と、ご隠居が番台に挨拶していると、、「ご隠居、八丁堀の旦那(奉行所の同心のこと)が女湯へ入っていきましたぜ、それに、番台がご苦労さんなどと、おべんちゃらを言って、湯代も取りませんよ」 「彦五郎、同心てえのはな、女湯の一番風呂に入ってもいいってことになってるんだよ、女は男のように、朝から湯に浸かる者は少ないんだ、。 八丁堀近くの湯屋の女湯の壁には同心の刀掛けというのがちゃんとあるんだよ。 普段から、奉行所の与力や同心は夜遅くまで仕事することも多いので、役宅ではなかなか風呂に入れず、そこで朝出勤の際に近所の銭湯に入るのが主な習慣になってるんだそうだ。風呂屋の方も、町の治安に世話になってる奉行所の見廻り同心への感謝なので、銭湯代は貰わない。もっとも、同心の方には女湯の朝湯に入る訳ってものがあるんだそうだ。 男風呂の朝湯には、矢場や賭場、遊郭帰りの遊び人が朝風呂を浴びに来ることが多いので、与力や同心は朝から客のいない女湯に潜んで、隣の男湯の与太話や噂話から、情報収集して犯罪の臭いをかぎ出すんだと、おっしゃいますがね、本当は朝に一番風呂に入れるのが楽しいんじゃんえのかな。」「へえ、そんな役得が八丁堀の旦那にはあったんですね、玄人筋の女は朝に湯を使うことがあるっていうから、たまには朝湯の女と混浴なんてこともあるんでしょうから、ああ、うらやましい、、」 「まあ、彦五郎、二階へ行こう、まだまだ、湯屋の楽しみはこれからだよ」 番台に二階の代金三文を払って、とんとんと、ご隠居階段を上がる。 どうも、ご隠居の楽しみは湯屋の二階にあったようだ。 二階では、茶が用意され、頼めば菓子やも羊羹も煮物のお重もたのめる、むろん酒も出してくれる。 二階の客は様々な格好で寛いでいて、櫛で念入りに髪を撫ぜる者、爪を切る者、耳ほりをしてる者もいれば、貸本を読みふけっている者、座布団を枕にして眠りこける者、それぞれ、勝手に過ごしているのでございます。 ご隠居はってえと、まっすぐに将棋盤の前に座って、相手を探していた。「よっ、ご隠居、一局いきますか、十文ですよ」 早速将棋仲間がやってくる。 湯屋の二階といえば、将棋が大流行りだったのだ。 将棋盤が十台も並んでいる湯屋もあったほどで、こうなると、湯に入りに来たのか、将棋を指しに来たのかわからない。 それも常連になれば、賭け将棋は当たり前で、真剣そのもの、今日もご隠居は夜鳴き蕎麦屋のの儀平と十文をかけて、手合いが始まった。 貸本をめくったり、将棋を覗いたりして、手持無沙汰だった彦五郎に湯屋の下男が声を掛けてきた。「旦那、女湯の覗きは如何ですか、三文にまけときますよ」 下男に誘惑され、隅の格子窓を覗くと、女湯が覗けたのだった。 ~こりゃあ、いい眺めだわ、絶景かな絶景かな~ さてと、ご隠居と彦三郎、もう、昼時を過ぎて、湯屋を出まして、「さあ、小腹もすいたな、どこぞで、腹ごしらえするか」 湯屋の近所には、髪結い処がありまして、すし屋、居酒屋、蕎麦屋煮売り屋などが大抵軒を並べてありまして、湯の帰りに一杯やる客を待ち構えていた。 湯に浸かり、一杯飲む、江戸庶民の浮世風呂のお遊びでございました。 いい湯だね、、 笑左衛門
2020年12月03日
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いい湯だね 花のお江戸の浮世風呂 1 「 彦五郎、暇を持て余してねえか、」 「ご隠居、今日は雨でね、でえく(大工)は雨は休みと決まっておりますよ」「そうかい、じゃあ、朝風呂でも浴びてこようか」「ご隠居はいい身分でございますな、では朝風呂を御馳走になりますか」「ここんとこ、北風が強かったんでな、風呂屋は火事を出しちゃあいけねえてんで、 ”お留”といってな、風呂屋は休んでたのよ、今日は混んでるかもしれねえな」 「ご隠居、堀江町の湯が人気でございますな、」 「おお、今朝はな、足を延ばしては橋本町の湯だ、あそこの湯を贔屓(ひいき)にしてるんだ、別嬪の三助に背中流してもらうんでな」 江戸っ子は風呂好きだ。町人にも商家にも、薪代が高く火事の危険もある風呂はなく、みんな町内に一軒はある湯屋(ゆうや)に通うのでございます。 江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえ風呂はないのですから、町内の者、みんな、職人,棒て振り、隠居,遊び人、博徒、医者,番頭,丁稚、中風の男から子供まで、江戸の銭湯は賑やかでございますよ。 湯屋の中では裸の付き合い、身分を越えて、世間話をし、湯屋仲間と挨拶をかわし、和やか親しくなるのがお江戸の湯屋でございました。 風呂代ですか? 六文でございます、安いですなあ、風呂屋の方は値上げしたくとも、幕府に入湯代は決められていて自由に入湯代金を決められねえんですよ、まあそれだけ、江戸の町人の生活には欠かせないてえとこですかねえ、 裏長屋暮らしの江戸っ子は、生活のほとんどが近所の人の視線に晒されているせいか、見栄っ張りが当たり前になっていた。「おいっ、ひとっ風呂浴びて、くらあ」 と、明日の飯の心配などほっといて、新しい褌をつけて、湯屋に行き、日髪を結うのが常だった。 職人なんぞは、汗臭いのを嫌い、日に何度も湯屋に通う色男もいたという。 さてさて、ご隠居と彦五郎、富沢町の銭湯につき、彦五郎の六文を番台に渡し、ご隠居宇は番台に木札を見せるだけで銭を払わない。「なんですか、それは、関所を通る、鑑札のようなもんですか」「まあそんなもんだ、「羽書」といってね、常連は皆先払いのこの木札を使うのよ」「ご隠居、あの番台に座ってる禿げ頭の親父は助兵衛爺いですね、」 「~アイサ朝の五つから夜の五つまで(美しい女の裸を)飽きるほど拝みます~という湯汲みの言葉があるほどだからねえ、だがね、彦五郎、番台が脱衣所を向いて座っているのはなにも、女の裸を見たいためじゃあねえんだよ、粗末な襤褸着で、銭湯にきて、早々と入浴をすませ、帰りは金目になりそうないい着物を着て、何食わぬ顔で出て行く、こういうやつを 「板の間稼ぎ」という盗人なんだが、そういうやつを見張ってるんだ。まあ、彦五郎のような継ぎはぎだらけの着物なんぞは、狙われる心配もねえが、儂の着物なんかはあぶねえよ、、」 「ああ、その話、聞いたことがありますね、板の間稼ぎをとっ捕まえると、湯屋は大騒ぎ、五尺ほどの棒にくくりつけて、晒し者にし、顔に油煙の 煤を顔にぬり付けるてえやつですね。」 ご隠居と彦五郎、裸になりまして、風呂場へ入ります。 風呂場の中は身分制度じゃありませんが、きちんとした順序というものがございまして、年長者や、ご隠居さんが優先でございます。 湯船に近い洗い場の特等席は長老専用、外壁に近く寒いところが新参者の場所でございまして、若い者(もん)が上座へ座って、洗い始めれば、「てめぇ、何のつもりだ」と、どやされ、水をぶっかけられるのがおちです。「お背中流しましょうね、、」 ぬか袋で体を洗ってると、別嬪の湯女(ゆな)が背中を流してくれるのです。 これがご隠居が富沢町の湯に来た理由なのです。むろん、三文の心づけは番台に渡します。 彦五郎もせっせと垢を落とす。 ごしごし擦って、垢ぬけした、いい男にならなけりゃ、女にはもてねえからなあ、 ついでに、毛抜きで余分な股間の毛を抜き、毛切り石で股間の毛を擦り切り手入れをする。尻っ端折(しりっぱしょり)のときに、褌から毛がはみ出したんじゃ様にならねえから、職人はみんな、湯屋にいけば、股間の毛の手入れをしたのです。 女湯でもやってますかって? ちょいとそれは、見ていませんのでねえ、、 さて、ご隠居と彦五郎洗い場から、浴槽へ体を移します。 流し場と、湯槽の間には 湯気が逃げて、湯が冷めないように、「幕板」が下がっておりまして、これを「柘榴口」と言いまして、湯槽に行くには腰を屈めていくのです。 さて、柘榴口を潜りますと、中は湯気が籠って薄っ暗いのです。 それから、浴槽に入るわけでございますが、この湯の温度が熱いのです、 江戸っ子は、我慢を競い合うほどの意地っ張りで、肌へピリピリ食らいつくような熱湯に浸かり、「これっきしの湯なんざ、へでもねえやい」と、見栄を張るのです。 ぬる湯を”日向水”と嘲り、「猫が日向ぼっこしてるんじゃねえやい」とそしる。 あんまり熱くて、湯を薄めたいときにも、いきなり「お湯薄めてよろしいですか?」 では、年寄りの反感をかう、年長者やご隠居ににお伺いをたてるのが湯屋の流儀、 「ご隠居さん、湯加減はいかがでござんしょうか?」「ちょうどいいねえ」 こう、ご隠居に言われれば、熱くてもじっと我慢してつきあわねばならない。「ちと、熱いかのう」と、くれば、ああ嬉しやと、「あっしも、さよう存じておりました」 と、返事をして、ようやく薄められます。 威勢のいい、鳶の者などは茹蛸のような肌になることを自慢して、水を薄めようとする者をどなりつけたといいます。 てな具合だったもので、江戸っ子は火傷するほど熱い湯に慣れていますので、長湯はしない。熱い湯にサッと入ってサッと出る、烏(からす)の行水だなんて言う輩もいるが、それがせっかちな江戸っ子の湯屋の流儀というものだった。 湯船に入る時にも、 ~、冷えもんでござい~、~田舎もんでござい~~御免なさい~ といって、冷えた体が相手の体に触らないように、無礼があってはいけないので、挨拶しながら浴槽へはいります。 湯気で薄っ暗いなかで、黙って、すうっと湯舟にはいったりしますと、男の逸物が湯に行かっていたご隠居の顔にぶつかることもあって、「なんだ、このふにゃまらは、、」 などと、ひと悶着あったこともあったそうでございます、ご用心ご用心、、 さて、湯から出ると、浴槽から出て、洗い場で体を洗い、湯くみ番から綺麗なお湯を柄杓で湯桶に、 “上がり湯”(岡湯という)をもらい、体にかけて、出るのでございます。 湯の話 つづきます 笑左衛門
2020年12月01日
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