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燻り侍 江戸詭計 9 幸せな殿様でござります 崖淵藩では国元へ帰るための参勤交代の準備に忙しかった。 ところが、芋野茂兵衛、扇菊三郎、橘千之助の三人部屋では、 「おらあ、出羽に帰らんぞ、もうあんな田舎で しかも百姓仕事はいやだ。このまま江戸に残る。」 「では脱藩して、無宿人になるのか? いまは江戸では帰農令が出ているほどで、無宿人狩りも行われているぞ」 「わしゃあ、芝居小屋の山崎座の座長の市山団九郎が請人になってくれて、 人別帳にも加えられる申し合わせになっているんだ、 いいかい茂兵衛、見ておれ、おらあ、いっぱしの役者になるんじゃ」 「わしも残る、わしには傾奇者(かぶきもの)が似合っておるんじゃ、面白可笑しく生きることに決めたのじゃ、 国元へ帰って、兄者の世話になって生きる部屋住みはご免じゃ、田舎の隠し田での百姓仕事はわしには似わんぞ。 茂兵衛はどうするんじゃ、柳橋にいい女ができたと聞いとるぞそれとも、郷里のおたよが捨てられぬか。」「わしは、出羽へ帰る、出羽の白い雪が見たい、それに藩を裏切ることはせぬ、」「茂兵衛よ、お主の耳はつんぼなのか? おたよはな、お殿様の許しを得て、桶屋の新吉と所帯を持ったのだぞ、 もともとおたよは新吉のものだったのだ、おたよを恨む出ないぞ、」 茂兵衛にとっては寝耳に水、青天の霹靂であった。 すぐに、江戸留守居役の藩留守居役の田野倉右膳に確かめたが,おたよと新吉が所帯を持ったことは嘘ではなった。「こらえよ茂兵衛、殿様はな、武士が町人のものを奪うのが嫌いなのじゃ、 お主が国元に戻っても居場所はないのじゃ。」 ~もしかして、江戸へ行かせ、柳橋のおしのに合わせたのは、殿の詭計であったのか? そう考えれば辻褄があっていたのだ~ 菊三郎も千之助も藩を逐電して、江戸で暮らすという。 帰る場所をなくした芋野茂兵衛も脱藩して江戸で暮らすしか道はなかった。 もう、出羽の藩に戻って、隠れ田で鍬を担ぐ侍百姓をしなくてもいいのか。 小屋で大根を燻らなくていいのか。もう燻り侍などと言われなくていいのだ。 江戸で面白可笑しく暮らせばいいのだと、茂兵衛は涙を流しながら笑っていた。 藩主深渕熊左衛門は争いのない、誰もが飢渇することなく、幸せに暮らしていける 国づくりを目指していた 理想の国造りのために邪魔になる不良侍は藩から追放するのは当然のことであった。そのために毎年、参勤交代の時には、あれっ?と思われる侍が選ばれていたのだ。 藩にとって厄介者の侍は参勤交代で江戸連れてゆき、江戸へ捨てることにしていたのだ。 芋野茂兵衛や扇菊三郎、橘千之助の三人が藩から出奔するように 仕向けたのは藩の詭計であったのだった。謀られたり!燻り侍。 帰りの参勤交代は気楽である、江戸を抜ければ、もう、格好つけることもなく、まして、何日までに帰参しなければならぬということもない. 貧乏行列で、下侍は馬小屋で寝ることもしばしばであったが誰も文句は言わなかった。 参勤交代で江戸に一つ厄介な荷物を降ろして、奥羽までの15日間、殿様と燻り侍たちは和気あいあいで行列を進めた。 奥羽の山奥には少々沢庵を燻る臭いが漂ってはいるが、 崖淵藩という幸せな国があったとさ、、 おしまい 朽木一空
2023年01月31日
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謀られたり!燻り侍 8 江戸よさらば 勤番武士の江戸暮らしも早や一年が過ぎようとしていた。 ~江戸は大層ぶっそうなところで、掏(す)りや、かっぱらいが横行していて、 道を歩く時にも少しも油断はできないところだよ~と脅かされていたが、 一年もすれば江戸の町歩きにもすっかり慣れていた。 上野寛永寺では桜の花見をし、浅草では観音様を参拝し、見世物小屋や 芝居見物もし、大川では舟遊びもし花火も見た、神田祭の神輿も見物した。 深川富岡八幡宮では相撲も観た、目黒不動尊にも、両国広小路にも行った、 吉原へも足を運んだ、思い返せば江戸の町のあちこちを歩いたものである。 なにより、出羽では冬は雪が積もり屋敷に籠ることが多かったが、江戸ではめったに雪も積もらず、正月から江戸の町の見物ができたのである。 うまいものも食った、すし、天ぷら、鰻、団子、汁粉、甘酒、奥羽にはない珍しい菓子も食した。 町中や広小路の屋台の蕎麦やには随分とお世話になったものである。 穏やかで飯もちゃんと食えたが、つつましい曲崖藩の城下の暮らしとは雲泥の差であった。 江戸には刺激がある、活気がある、面白い場所がある飽きることがなった。 そんな江戸には、草木もなびくように、参勤交代の行列とともに男たちが集まり、 百姓や町人も田を捨て町を捨て江戸へいけば何とかなると夢を見て江戸へ流れてくるものが多かったのだ。 そして、何とかなるのが江戸でもあった。 そんな江戸暮らしも、参勤交代の時期が近づくと、短い一年であったように思えた。つづく 朽木一空
2023年01月29日
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謀られたり!燻り侍 7 茂兵衛の女 私用では屋敷の外に出ることが許されなかった勤番武士としては、数少ない外出日は制限時間いっぱいまで使いたいところである。 門限は暮れ六つ(午後6時)、門限破りには藩留守居役の田野倉右膳は厳しく、茂兵衛や菊三郎と千之助らと、一緒に江戸へ来た勤番の長坂亀次郎は岡場所からの朝帰りが発覚し、見せしめであろうか、国元に強制送還となり、長きにわたり謹慎に処せられた。 菊三郎や千之助のように屋敷を抜け出しては遊びまわる危険な橋を渡る者は少なった。 門限を過ぎてしまった時には、門番に賂(まいない)100文を渡して門の脇の潜り戸を通るしかない。したがって、勤番の門番の懐は暖かかったのだ。 下級侍たちは、せいぜい、8文の湯屋に出かけるのを外出の口実にして、屋敷を抜け出し、湯屋の二階で囲碁や将棋を指すのを楽しみにすることぐらいであり、藩に忠実な勤番武士は屋敷の長屋で過ごすこことが多かったのだ。 そんな勤番武士相手に大名屋敷には出入りの貸本屋が出入りしていた。 頼んでおけば様々な読み本を持ってきてくれた。 軍記ものから、滝沢馬琴の小説、江戸の恋愛小説、人情本、遊廓を舞台にした洒落本、錦絵、春画(しゅんが)は若い侍には欠かせない読み物であった。 芋野茂兵衛も読み物が好きだったので小石川の屋敷内で貸本を読みふけっている日が多かった。 菊三郎や千之助のように江戸の悪臭に染まりたくはなく、郷里に残した女房のおたよが懐かしくてたまらなかったくらいだった。 屋敷に籠っていた茂兵衛は藩留守居役の田野倉右膳に呼び出された。 「おぬしは、折角の江戸なのに楽しんでおらぬようだのう、」 「はっ、お役目は殿を警護するためでござりますれば、、」 「うむ、殊勝な心掛けだ、ところで、用を一つ命じる。 柳橋の清風という料亭にいる”おしの”という女にこの書状を届けてくれ、 今日はな、骨安めをせい、ゆっくりしてこい、なんなら泊ってきても許すぞ、 これは駄賃だ、もってゆけ」 留守居役の田野倉右膳の言うことはよくわからなかったが、芋野茂兵衛はいわれたとおり柳橋の料亭清風にいた”おしの”という女に会った。 面長で切れ長で涼しげな一重の目鼻筋が通り、小さな口、きめ細やで白い肌、美しく豊かな黒髪、それにいい匂いがしていた。まさに絵にかいたような江戸美人の女がいたのだ。 「田野倉様から、大事におもてなししますようにと伺っておりまする。、、 さあおひとつどうぞ、」 誘い上手なおしのに乗せられて酒を口にした。「茂兵衛さん、出羽のもんですよね、懐かしい匂いがするでねえか、」 「拙者は出羽崖淵藩じゃが、なぜわかるのだ?」 「浅葱裏の着物着て、燻りがっこの臭いをさせて、訛った言葉で話せば、出羽の者だとすぐわかりますよ、あたいは亀田村で、隣の藩です。」 おしのという女、天保4年の飢餓の時に江戸に売られたのだという、村のおなごはみな親や兄弟を助けるために売られたのだという。それが宿命だと幼いころから覚悟はしていたのだ。 江戸のお屋敷の下働きと云われたけど、着いたところが柳橋の料亭だった。 崖淵藩の殿様はそのようなことがないように藩の政治を差配していた。 郷里が近ければ話は弾み、懐かしくなり、心が通い合い、肌を合わせるのに時間はかからなかった。 芋野茂兵衛は郷里に残したおたよを忘れたわけではなかったが おたよとはまたべつの柔らかい肌のあか抜けしたおしのに惹かれていく自分を感じていたのだった。夕陽に町々が染められてゆくように江戸の町に来た参勤交代の男たちも次第に江戸色に染まってゆくのが常であった。 つづく 朽木一空
2023年01月27日
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謀られたり!燻り侍 6 役者と傾奇者、 ~江戸の役者はやっぱり立ち回りも芝居も上手だのう、~ 扇菊三郎は、留守居役の目を盗んでは猿若町や浅草寺裏の浅草奥山の芝居小屋”山崎座”へ通い、小遣いはみな木戸銭に消えてしまった。 それでも芝居見物はやめられず、 ~どうせ、刀ももう使うこともあるまい~ と、武士の魂である刀を質に入れて木戸銭を作り、腰には竹光をぶら下げていた。 ~んん、この方が軽くてよろしい、~ その扇菊三郎、浅草奥山の芝居小屋でとんでもない事件を起こしたのだった。 義理と人情にかけた芝居を見物していたが、あまりに芝居に夢中になりすぎて、 筋立てに納得がいかなかった菊三郎は、思わず舞台に駆け上がり、 「弥三郎、それでは武士の義理が立たぬではにか!」 と、役者に斬りかかってしまった。幸いなるかな菊三郎の刀は竹光であったので大事に至らなかった。 それどころか、客は菊三郎も役者だと勘違いし、拍手喝采を浴びせたのだった。 「よっ、千両役者!」 菊三郎は~面白い男だ!~と、座長の市山団九郎にみとめられ、山崎座の芝居小屋の雑用をするようになった。 毎日芝居が近くで観れるし、役者のそばに入れるだけで菊三郎は嬉しかった。 だが、天保の改革で、芝居小屋は取り壊されてしまい、山崎座は浅草寺裏の善福寺という寺の境内で芝居をする日が続いていた。 常連の客で境内は賑わっていたが、町奉行所も寺の中の芝居では手が出せなかった。 菊三郎は留守居役の目を盗んでは毎日のようにその山崎座の芝居小屋へ通ったのだ。 一方血の気の多い橘千之助の喧嘩っ早い性分は治らず、浅草広小路で傾奇者と大立ち回りを演じてしまった。 その大喧嘩を裁いた旗本奴の頭、氷野九郎左衛門に千之助はすっかり惚れこみ、 六方組の仲間に加わった。 徒党を組んで、江戸町を飲み食い代を踏み倒し、女にただ乗りし、町人に因縁を吹っかけては金品を奪ったりして無頼を働くようになっていた。 江戸では、旗本御家人の次男坊三男坊の行き場のない部屋住みの侍たちが 破天荒な格好をし傾奇者になってうっぷんを爆発させていたのだった。 みな、橘千之助と似たような境遇の侍たちだった。 千之助は小石川の藩の屋敷を出ると、浅草寺裏の古着屋へ入り、女ものの着物を重ね着し、一目で傾奇者とわかる派手な異相に変身して町を闊歩していたのである。すっかり、江戸の町の壁蝨(ダニ)に成り下がっていたのだった。 出羽崖淵藩にいた時から無法者だった千之助が傾奇者になったのが水を得た魚のようにも見えたのは皮肉であろうか、 つづく 朽木一空
2023年01月25日
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た謀られたり!燻り侍 5 ~江戸見物じゃ~ だが、干し大根が出羽から送られてこなくなれば、燻りがっこを作ることもなくなり、江戸勤番の下級武士の仕事は、門番や、炊事、洗濯、庭掃除、殿様が登城する時の供廻り(ともまわり)を勤めることぐらいで 暇を持て余すのであった。 そうなると江戸の町を見物したくてもじもじしてくるのが人情である。 江戸見物を楽しみにしていた芋野茂兵衛、扇菊三郎、橘千之助も、ぞもぞと落ち着かない。 ~江戸には別嬪なおなごがおおけおるで気をつけや~ ~面白い芝居、浮世絵、見世物もあるそうじゃ、~ ~江戸へ行ったら田舎者と馬鹿にされるで、方言に気をつけろっちゃ~ ~江戸の者は喧嘩っ早いので気をつけろっちゃ~ ~きーつげで、えがっしゃえ、~ 郷里の出羽の人がやっかみ半分で言っていた言葉を思い出していた。 勤番武士はみなお上りさんの田舎者だったので、江戸の事情には疎く、 屋敷外で他藩の侍旗本や御家人や浪人たち、町人と、悶着、いざこざ、喧嘩などを引き起こすことも多かった。表沙汰になれば、殿様の深渕熊左衛門の名前に傷がつき、大目付からお叱りを受けることになる。 おまけに、頻繁に外出させると、江戸の悪風に染まって、身持ちを崩したり散財する者が出ることを恐れ、藩留守居役の田野倉右膳はできるだけ勤番者の外出を控えさせた。 ~せっかく花のお江戸に来たのに、めったに外へ出られねえのか~ 菊三郎や千之助は如実に不満顔で嘆いて見せていたが、そこはまた悪知恵が働き、 目を盗んでは、代わりばんこに江戸の町の見物に出かけたのである。 どういう風の吹き回しか、留守居役の田野倉右膳は茂兵衛、菊三郎、千之助には甘く、月毎に一分金(1000文)の小遣いまでくれたのである。 江戸へ来れば、日本橋、両国、浅草を見物し、うまいものを食い、歌舞伎、芝居、 見世物を見るのがお登りの侍には大きな楽しみであった。 そしてやはり、吉原遊郭へ足を運ばなければ男として江戸へ来たことにはならないので、男はみな内緒で吉原の大門を潜った。 だが、吉原通いといっても、門限は暮れ六つ(午後6時)なので昼間に出かけるのだった。 あこがれの花魁道中は見物するだけで、高嶺の花、貧乏侍はお歯黒どぶに面した河岸見世(小格子)や局見世の低級な遊女相手に時間遊びで済ますのであった。 250文、鉄砲女郎は一発100文の安さであったが、病気を貰いに行くようなものなので、郷里に別嬪の女房のおたよを残してきた芋野茂兵衛は目を瞑って自らの手で慰めていた。そこへいくと、独り者の扇菊三郎や橘千之助は気にも留めずに、 「なあに、富くじにもあたらぬのだ、梅毒なんぞに当たるものか、 折角の江戸の女だ、抱かねばや後悔が残る。」 と、吉原だけでなく、深川八幡宮辺りの岡場所にも通っていた。 つづく 朽木一空
2023年01月23日
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謀られ 謀られたり!燻り侍4 ~燻られて いい男になりぬ 長屋門~ 小石川出羽崖淵藩の江戸藩邸の敷地は1000坪を越える広さがあり、屋敷内には江戸詰めの殿様を護るための家臣がおり、江戸勤番の者は藩主深渕熊左衛門とともに一年間を江戸で暮らすのだった。町人から見れば、武士はいい暮しをしていると思われたが、優雅な暮らしをしていたのは、藩主とその家族や留守居役や上級役人たちの一部で、芋野茂兵衛や扇菊三郎と橘千之助ら、江戸勤番の下級武士は長屋門横の勤番長屋で、町人よりも狭い長屋に三人づつ押し込めれていたのである。 ~これでは手足も存分に広げられぬし、屁も放つこともできぬな~ 広々とした屋敷で育った田舎侍にとっては窮屈な日々であったのだ。 茂兵衛たち、下っ端の侍には三日に一度の炊事当番の他に、大根を燻して味付けする”いぶりがっこ”を作るいう役割を与えられていた。 勤番武士の長屋には広い、囲炉裏が備え付けられており、楢や桜の木の薪を焚き、 出羽から運ばれた干し大根をその囲炉裏の上につるして朝から晩まで燻り、燻された大根を樽に並べ米ぬかで漬け込むのである。 出羽では漬物ののことを「がっこ」と言うので”いぶりがっこ”と言われるのである。 そのいぶりがっこを江戸の町の漬物問屋に卸して藩の財政の助けにしていたのである。 藩主、深渕熊左衛門もうまい手を考えたものである。暇な下級侍を遊ばせることはせず、せっせといぶりがっこ作りの内職をさせたのである。 そうでもしなければ江戸藩邸の財政は持たなかったのである。 この殿様、なかなか抜け目がないのである。 来る日も来る日も大根を燻している長屋で暮らしていれば、侍たちの体にも燻煙が染み込み、なんともいえぬ薫香を放つようになっていて、その香りは屋敷の外にまで漂っていた。 口性無(くちさがない)い町の者は出羽崖淵藩の侍のことを ”燻り侍”と揶揄(やゆ)したのである。 ~でもな、出羽崖淵藩の財政の端っこを支えているのは燻り侍なんだ、 それに、旨かんべえ、いぶりがっこ、、、~ もともと、土の匂いのする田舎侍の芋野茂兵衛と扇菊三郎と橘千之助である。 なれっこの出羽侍はいぶりがっこの臭いなど気にも留めていなかった。 つづく 朽木一空
2023年01月21日
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謀られたり!燻り侍 3 ~貧乏草が 揺れて街道 参勤交代 江戸が待ってる れんげ草~ 出羽崖淵藩にとって参勤交代の出費は尋常ではなかった。 大名行列の100人の侍の飯代、旅籠賃、それに荷物を運ぶ馬や人足代も銭くい虫であった。道中は銭のかからぬように質素にし、茂兵衛や菊三郎、千之助らの足軽は馬小屋で寝ることもあったくらいだ。 だが、大名行列も江戸が近づけば、他藩や江戸の旗本御家人や町人から馬鹿にされぬように、威厳のある大行列にするため、町人や百姓を臨時雇いし、衣装を着せ俄か家来に仕立て行列を伸ばした。その費用もばかにならず、さらに幕府要人への土産(献上品)も必要だった。 100万石の加賀藩ではわざわざ特性の大判(進物判金)まで造らせていたといわれるが、出羽崖淵藩では将軍家への土産は将軍家慶公が出羽のいぶりがっこ(大根を干して燻した漬物)が大好物だったのでそれを土産にできたが、それだけで済むはずもなった。 そこへもってきて、江戸藩邸の維持費は大名としての面子を保たねばならず莫大な出費がかかった。 小石川の江戸藩邸の藩士の数は二割だが、国元の藩より、江戸藩邸の方に三倍の費用が掛かっていたのだ。 藩の勝手向きは危機的な赤字続きであったが、大名家としての面子を汚すこともできず、藩庫は慢性赤字で、国元の藩士たちは、汲汲として暮らしていたが、江戸藩邸は対面上立派に見せかけていなければならなったのだ。 大名としての体面があり、みすぼらしい形では幕府から、 ~出羽崖淵藩の財政状況は厳しいのでは?藩主交代させてはどうか?~ などという沙汰が出るやもしれぬ。 また、万が一にも、幕府から、江戸城にまつわる修繕の普請など仰せつかれば膨大な出費となり、藩の存続にもかかわる事態になりかねないのだ。 江戸藩邸ではそのような普請を押し付けられぬよう、老中首座の水野忠邦をはじめ上席の大名家への気配りと贈り物は必須であった。 出羽崖淵藩一万二千石深渕熊左衛門の行列は何とか期日前に江戸小石川の出羽崖淵藩の上屋敷に無事着いたのだった。 参勤交代の供侍として勝手係りなどの雑用をしながら藩邸に着いた芋野茂兵衛や橘千之助、扇菊三郎は、旅装を解き、半袴に着替え、御用部屋到着の挨拶を江戸留守居役にし、ようやく藩邸の勤番長屋へ落ち着いた。 勤番侍の長屋は、大名屋敷門の横に壁のような形で配置された長屋であった。 警護も兼ねる宿舎だったので、道路に面しており、格子窓も付いている三人部屋であった。扇菊三郎は畳にごろんと寝ころび、 さて、これから江戸で見る芝居の楽しみを瞼の裏に浮かべてにんまりとしていた。 ~本物の団十郎を見てみたいなあ~ 橘千之助は道中で見かけた出羽の女とは月と鼈(すっぽん)の江戸の女を瞼に浮かべてにんまりと笑っていた。 芋野茂兵衛は国を出てから始めて壁に寄り掛かり足を投げ出し目を瞑って、 郷里に置いてきた女房のおたよを思い浮かべたのだった。 ~無事に江戸へ着いだぞ、おたよ、~ 参勤交代の供をして、江戸へ着いた者の内、とんぼ返りする者を「立ち帰り」、 残る者を「江戸詰め」といった。 茂兵衛、菊三郎、千之助は江戸勤番であり、殿様の深渕熊左衛門と供に一年間を江戸で暮らすのであった。 田舎育ちの茂兵衛ににとって、江戸を体験できる勤番は楽しみでもあったが、 郷里に残した美形の女房のおたよをが恋しくもあったのだ ~お前さん、梅毒なんて恐ろしい土産はいらねえがらな、~ ~おめえこそ、不義理して子なんぞこしらえるなよ~ 遠い北の空の向こうを眺めながら、女房のおたよが桶屋の新吉とよりを戻さないかと心配もしていたのだった。 さて、江戸暮らし、丁と出るか半と出るか、、 つづく 朽木一空
2023年01月19日
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謀られたり謀られたり!燻り侍 2 参勤交代貧寒行人 ~町民よ、そこのけそこのけ大名行列が通る、 貧乏行列威張るでないぞ、~ 崖淵藩などの小藩の参勤交代の旅は甘い道中ではなかった。 毎年4月には国中の250以上ある大名は参勤交代で各々の領地から大名行列を連ねて江戸へ赴く旅が始まるのが恒例であった。 出羽崖淵藩の参勤交代は奥羽から江戸まで15日間の長旅であった。 江戸へ近づくにつれ、他大名と宿場が重らないか、十万石以上の大大名の行列とすれ違わないように配慮しながら、気苦労を使いながらの行列であった。 何しろ、加賀藩百万石の前田家の大名行列ともなれば3000人もの大行列になり、街道も宿場も埋め尽くされてしまうのである。 とても一万三千石の小藩で、しかも外様である出羽崖淵藩、深渕熊左衛門のような100人にも満たぬ大名行列は大大名に出くわせば、前に進むことができなかった。 されど、予め幕府へ届出を出した期日までに江戸に到着できずに遅延すれば、幕府から徳川家への謀反の疑いありとの疑惑の目を向けられ処罰の対象になりかねないのである。 よって、いかなる理由があろうとも決められた日時にまでに江戸に到着しなければならなかった。 大名行列が街道を通る時には庶民は道を譲らなけばならず、 将軍家と紀伊・水戸・尾張の御三家の大名行列は~下に、下に~という触れを出しながら町民の頭を下げさせていたが、 それ以外の諸藩は~片寄れー、片寄れー~という掛け声を用いて道を譲らせながら行列を進めた。 傍から見れば優雅で威厳のある行列に見えたが、小藩の大名家にとっては銭のかかる、厄介で面倒で迷惑な参勤交代であったのである。 とくに、財政難で苦しんでいた、出羽崖淵藩などの小藩は節約節約の大名行列であった。 もっとも、徳川幕府の参勤交代を命じた狙いはそこにあり、幕府の権威を保つとともに、参勤交代により諸藩の財力を削ぎ、謀反を防ぐことにあったのだった。 ~草鞋は擦り切れ、腹は減る、宿では粗末な部屋に五人も押し込められ、 道中では小走りで雑用をこなさねばならなかった、~ ~なんじゃ、大名行列は外から見るもんじゃ、城勤めのほうがなんぼも楽じゃのう、~ 芋野茂兵衛と扇菊三郎と橘千之助の三人はぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、江戸への憧憬を抱きながら大名行列の尻っぽの役目を果たしていたのでござる。 つづく 朽木一空
2023年01月17日
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謀られたり!燻り侍 1 ~江戸と背中が見て死にてえな ~ 江戸からはるかに遠い雪深い奥羽の国に慈しみに満ちた殿様がいて、人々は争うことも飢餓に苦しむこともなく、平和で幸せに暮らしていた藩があったとさ、、 出羽崖淵藩一万二千石の家来で下役の芋野茂兵衛は、江戸は絵や話で聞くだけで、 まず己が江戸へ行くことはあるまいと思っていたのだが、どういう風の吹きまわしか、 「芋野茂兵衛、扇菊三郎、橘千之助、の三名は江戸勤番じゃ、しっかり務めっしゃえ」 と、家老から参勤交代のお役目を受けた。 菊三郎は密通の罪で橘千之助は乱暴狼藉で町の者に嫌われ、 芋野茂兵衛は桶屋の新吉と相思相愛で許嫁であった藩内一の誰もが羨やむほどの麗しい子町娘のおたよを無理やり奪って女房にしたことが殿の不興を買い、最下級の雑兵の身分に落とされていた。藩の殿様は何より武士が町民や農民を泣かすことを嫌忌していたのだ。 雑兵に落とされた三人の侍は、城の務めよりも、幕府にも秘密にしてる出羽崖淵藩の隠し田の開墾と、大根を作りをさせられていた。 というのも、天保4年以降、出羽地方では飢餓が続き、どの藩も飢渇に苦しんでいたのだった。 米つくりを百姓だけに任せていては米が行き渡らず、百姓一揆や打ちこわしの米騒動が起きかねなかった。 崖淵藩は食い扶持は自ら稼げとばかり、幕府には秘密の隠し田を作り、武士にも田を耕やさせ、米つくりをして何とか飢餓を防いでいたのだ。 特に、素行の悪い、過ちを犯した侍には罰として隠し田で百姓仕事をさせていたのだった。 出羽崖淵藩は、表高一万二千石だが、隠し田を入れれば実高は二万石を超えていた。 藩主深渕熊左衛門は争いのない、誰もが飢渇することなく、幸せに暮らしていける 国づくりを目指していた。 そのためには幕府に内緒の隠し田はなくてはならぬもので、その隠し田を開墾し米や野菜を作るのが下級武士に与えられたお役目であった。 つまり、武士という身分を与えられた百姓そのものだったのだ。 茂兵衛も菊三郎も千之助も泥(つち)の匂いのする半侍半百姓の芋侍であったのだ。 そんな芋侍の三人が参勤交代のお役目を仰せつかったのであるから小躍りして喜んだのは無理もない 棚から牡丹餅、瓢箪から駒、嘘から出た誠であった。 新田の開墾や大根作りから解放されるのだ。三人とも有頂天になったのである。 ~おら、江戸さいぐだ!江戸へ行げるのだ!~ 生涯に一度あるかないかの江戸行き、富くじに当たったようなの幸運な機会が訪れたのである。 扇菊三郎は崖淵藩の団十郎と呼ばれているほど芝居好きで、村祭りとなれば、あちこちの村へ出掛けては田舎芝居に出るのが道楽であったが、二枚目の役者とくればモテモテで、密通を繰り返し、百姓の女子を孕ませたりした罰として、雑兵に落とされたのだった。 ~江戸の芝居が見てえなあ、本物の芝居が見てえなあ~ 橘千之助は勘定奉行芦澤大善の次男坊の部屋住みで、気性が荒く、喧嘩っ早くて素行が悪く、本来島流しになってもよいのだが、勘定奉行の息子ということで、隠し田で百姓仕事をさせられていた。 ~江戸の女子(おなご)は白くて別嬪なんだべえなぁあ、 うまいものも食いたい、いろんなところを見てみてえ、~ 独り者の扇菊三郎と橘千之助は南の空の白い雲に江戸への羨望の思いを重ねていた。 女房持ちの 芋野茂兵衛だとて、江戸への湧き上がる期待を隠すことはできなかった。 ~江戸はよかんべえな、、~ つづく 朽木一空
2023年01月15日
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江戸川柳 居候(いそうろう) 江戸川柳 食客のことですな、他人の家に寄食する者、つまり無為な同居人で、厄介(やっかい)者でございます。 「えっあっしの居所でございますか?へえ、仁右衛門方居候でございまて、」 ~居候三杯目にはそっとだし~ まっ、肩身が狭いとはこのこと、少しは遠慮するものでございます。 ~居候 角な座敷を丸く掃き~ 居候は横着者が多いという意味でございますな。 ~ 居候いつもせんべいかしわ餅~ せんべいとは煎餅布団、かしわ餅とは1枚の煎餅布団にくるまる寝方のことでございます。 ~居候よんどころなく子ぼんのう~ 子供に嫌われないように気を使ってるのでございます。 ~口がるく尻のおもたい居候~ 行くところがねえんですよ、まあ、そういじめなさんな、 江戸には 居候が多かったのでございます、 笑左衛門
2023年01月13日
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笑左衛門残日録 54 初春川柳 こいつぁ春から縁起が良いわい ~元旦や 膨れてにらむ 餅女房~ 狭い長屋でごろごろしてちゃ、恋女房もっちょいと膨れて餅の様じゃ、 ~御新造さん つきたて餅の 白い肌~ ~食べたいな 絵に描いた餅 どこにある~ ~餅食わせ いい人だったと お見送り~ 年寄りに無理やり持ちを食わせる嫁はいねえだろうがな、、 ~すごろくで いったりきたり お正月~ 大した変りもない正月が来た たいした変りもねえ一年が始まる。 ~初夢よ いい夢見たく 二度寝する~ 何度見たってね、富くじが当たるわけでもなかろうに、 いい夢は出てきませんよ。 心の中の写し絵でございますからね。 笑左衛門
2023年01月11日
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笑左衛門残日録 53 正月川柳 だるまさん ~だるまさん 手も足も出ぬ お正月~ 銭がなけりゃ吉原にも繰り出せねえよ、 ~ 門松に 小便かけて 武士の犬~ 犬だけじゃない、お武家様もでございますよ、 ~ご隠居は 独楽をまわして 目をまわし~ お歳でございますから、孫が可愛いのはわかりますが、そこそこに、、 ~獅子舞に 頭かまれて 嬉しがる めでたくもなし 4文銭~ 正月になれば呼びもしないのに、角付がくる、 息子の頭かじらせて4文銭を口に放り込む、江戸の正月の風習、 ~おみくじで 大凶出すな 初詣~ この一年が暗くなりますようにと、どこの神社でぃ? ~獅子舞も 天保通宝 不満顔~ たったの4文で運を呼ぼうたってそうはいきませんよ御家人さん。 笑左衛門
2023年01月09日
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笑左衛門残日録 52 正月川柳でお笑いくださいませ ~初詣 掏りも繁忙 浅草寺~ 掏りの本場の浅草にや、万吉、虎、勇九郎など名うての掏り名人がおりまして、 浅草界隈を跳梁跋扈し初詣ともなれば、手当たり次第に掏りまくり、 掏り取った紙入れ(財布)は炭俵1杯分あって大川に放り込んだとさ、 ~酔いつぶれ 羽根つき音で 目を覚まし~ 正月朝から酒を飲み 寝ころんでいたら、 羽根つきの音で目が覚める、正月らしい目覚めだよ、 ~奴だこ 股ぐら涼しと 独り者~ 奴だこを見てると、江戸勤番の独り者の正月は寂しくなるもの 下半身がすーうすうーしていけねえな、 ~ 酔いざめの 正月の空 子が跳ねる~ こちとら飲み続けてぼおっとしてるが、外じゃ 子供らが元気に遊んでる。まっ平和な風景でござりまするな。 笑左衛門
2023年01月07日
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笑左衛門残日録 51 ~初春や 乱れ俳句で暇つぶし~ 今年もお付き合いくださいませ、、 ~正月や 今年も来るか 大晦日~詠み人不明 ~老人の 日課の如く走馬燈~高浜虚子 ~またきたか 早すぎないかお正月~拙作 ~正月が くるたびひとつ 忘れ物~拙作 ~くるくると 走馬灯のよう 日が過ぎて~ 拙作 ~正月や 思い出せない こと増えて ~ 拙作 ~ご隠居が ぼやぼやすごす お正月~ 拙作 とにかく歳を重ねると時の回りが早く感じられるのだ。 いや、実際に年寄りをからかうように時が早く回るのかもしれない。 正月がきて梅の花が咲き一晩寝て桜の花が咲き鯉のぼりが舞い、 若葉が茂り、夏が来て、秋が来て ああまた冬が来て ~元旦を 昨日のごとく 思う夏~拙作 ああ今年も忙しそうだ、 若い者の十倍も時間の過ぎるのが早いのだ。 どなたか、ゆるりと回る走馬燈を下さらぬか、、 ~正月よ 何しに来たかと 奴だこ ~ 笑左衛門
2023年01月05日
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笑左衛門残日録 50 隠居の江戸のお正月 武士の世界は元旦から繁多の極みであった。 江戸城では、元旦明け六ツより三日にかけて、尾張、紀伊、水戸の御三家を筆頭に譜代大名、外様大名、そして御目見え以上の旗本番頭衆らが総登城し、徳川将軍に年始の拝謁をするのである。 その江戸城総登城の風景を見ようと、大手門の大名小路は見物する野次馬でごった返した。 武士の社会は特に義理を重んじ、正月の挨拶は欠かすことができない。 同心の住む八丁堀の屋敷も新年の挨拶で行ったり来たりで多忙を極めていた。 某も昨年までは ~奉行様 どこに来たのか お正月 ~ と、嫌みの一つも呟く多忙さであったのだ。 武士の世界だけではない大店の旦那衆も、武士と同じように紋付袴、白足袋、雪駄で正装し、さらに脇差を1本腰に差し、正月2日から年始回りをするのだった。 町の商店は元旦だけ休み、二日には「初売り」をはじめ、初荷の幟を立て荷を積んだ大八車などが行き交った。 日本橋の魚河岸でも初売りが行われ、大勢の買い物客でごった返しました。 初売り、初荷、初商いなどで人々がにぎわう喧騒(けんそう)は江戸の町の正月の風物詩なのであった。 旦那衆の楽しみの不夜城”吉原は残念ながら元日は完全休業でございますよ。 江戸の庶民はお屠蘇気分で近所の寺へ初詣に出かけます。 「七福神参り」などと称して一月かけて寺社に参詣するのも楽しみであった。さて、隠居の身の某(それがし)の正月はのどかなものである。 元旦早朝、新しい手桶で新年一番に汲んだ井戸水を「若水」と呼び、その水を沸かしたお茶を「大福茶」として飲むと、その年の邪気を払う効力があるとされているので拙者もまね事をいたしたのである。 それから、お屠蘇と雑煮を口にする。 息子の苦茶谷真正は南町奉行所の同心なので、お役目大事と、与力様のご挨拶周りに同行して、親の様子を伺うこともなさそうだ。 代わりに隠居所にはお筆の寺子屋の子供たち、お美代、直助、左吉、与次郎、がやってきて、今年の願いを込めた、若水を使った書初めをした。 お筆は、お年玉として、女の子には羽子板を男の子には独楽を持たせた。 子供たちの元気な声が消えたころ、小春日和で家の中より外の方が暖かいので、ほろ酔い気分でお筆と柳原土手に散歩に出た。 柳原の広小路では、町火消の出初(でぞめ)が披露され、猿回しに 獅子舞、軽業や手品、棒手振りや屋台の露店商などが立ち並ぴ、そりゃあ、にぎやかでございます。 柳原の土手の青い空にはいくつもの凧があがっていた。 お筆と笑左衛門が墨入れしてやった凧も風に踊っていた。 あっちの凧は正助の、こっちの凧は佐吉、向こうの凧は吾一のだ。 ~やっこ凧 空に踊って 嬉しかり~ カーンカーンカーンと、広場では羽根つきの音、 親父が負けまいと子供と独楽回しを競っている。「おふで、手をつないで歩こうか」「そういたしましょうか、お正月ですものね、うふふふふ、、」 ~おいぼれが おててつないだ お正月~ 本年も生きながらえますように、、笑左衛門
2023年01月03日
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笑左衛門残日録 49 新年之御吉慶目出度申納候 (しんねんのごきっけいめでたくもうしおさめそうろう) ~手で掃き寄せる元旦の塵(ちり)~ 元旦は何もしないのが江戸庶民の流儀でございますから、元日は掃除も致しません。 朝からおせちをつまみに酒を飲み、ほろ酔いでごろんとしてるか、 のそのそとおきて、近所の寺に散歩がてら初詣に出かけるのが相場でございますな。 銭湯は元日から営業しており、酔い覚めには「初湯」を楽しみました。 初湯では入浴料とは別に“おひねり”が必要で、常連の客は 湯銭に御祝儀を足して白紙にひねって三宝に乗せるのが流儀だ。 某も湯屋へ行ったが、いやはや湯屋の中はまさに芋洗いの混雑で、 とてもゆったりと湯に浸かるどころではなかった。 さて、正月2日の夜に見る夢が「初夢」でございます。 七福神が乗った宝船の絵を枕の下に敷いて眠るとおめでたい初夢が見られるのでございます。「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」 (長き夜の 遠の睡ねむりの 皆目醒めざめ 波乗り船の 音の良きかな) という文字が書かれていまして、これは上から読んでも下から読んでも同じいわゆる 「回文歌」になっております。 某もお筆も「お宝、お宝」と宝船の絵を売る歩く「宝船売り」から、 宝船の絵を買い求め、枕の下にして眠ったのですが なかなかいい夢にであえずに何度も寝返す始末でありまして、 はて、このことを寝正月とでも言いましょうか。」 ~初夢よ いい夢見たく 二度寝する~ 初夢を見るまでは大切に扱われた宝船の絵も、朝になれば用済みになってしまい、 ~紙屑のたまりはじめは宝船~ なんて川柳もございます。 紙屑にならぬよう、、、笑左衛門
2023年01月01日
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