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しゃっくり同心茂兵衛事件帳控 11 十文飯屋 5 七つ屋 七つ屋通い 亭主の褌(ふんどし) 曲げちまったよ 鬼かかあ 質屋、七屋、七つ屋です、質屋のことを七つやと申します、 「十」という字の下を曲げると「七」の字になりますんで、質屋に入れることを ”曲げる”って言うんですよ、 まあ、判じ物ののひとつでしょうかね、 北町奉行所の遠山金四郎を訪ねて、若年寄り松平長太郎からある相談が持ちかけられていた。 ~江戸じゃあ、何処の町にも質屋がない所がないが、本所の質屋、銭落屋貧左衛門、という店は、旗本相手に屋敷内の家財道具を担保にとって、高利で金を貸し付けているというのだ。 質屋の看板は、大概将棋の駒の形をした板に「質」と書かれているのが相場だ。 将棋の駒の「歩」や「香車」でも敵陣に入れば、ひっくり返って「金」になる、質屋に持ち込むことで、品物が金になるってことをひっかけたしゃれだが、なんでも、その銭落屋の看板には”銭落”と、書かれてるそうだ。つまり、銭は帰らねえよってことらしいんだが、札差にも相手にされない、借金まみれの旗本が食い物されているのだ。屋敷の中の箪笥、火鉢の家財から挙句、襖障子までみな担保にとっていくそうだ。残されたのは二刀だけだという話しもあるほどだ その質屋、銭落屋貧左衛門は、旗本家から金貸しを申し込まれると、荷車を曳いてやってきて、屋敷の中の箪笥、火鉢から襖まで、担保に取っていくそうだ、 とにかく、貧左衛門という男は、ケチが着物を着て歩いているような男で、旗本屋敷の中にあるものに価値のないものはないと言いながら、荷車に積んでいく、何か旗本に恨みでも抱いているんじゃないだろうか、という形相だそうだ。 そして、ついに、貧左衛門から金を借りていた二千石の直参旗本河野倫太郎が借金苦で、旗本の家を捨て遁走したのだ。 幕府を守るべき旗本に、こんな事態が続くようでは徳川幕府も持たぬ。 無論、幕府のご政道にも責任はあるのは承知しておる。だが、これは何とかせねばならぬ、儂も責任を取らされる。そこで町奉行のお主に相談に来たのだ。 なんとか、策を弄して、その質屋の貧左衛門の旗本のへの借金を棒引きにできぬなかとな、この件は、くれぐれも内密じゃがな、」「なかなかに難しいお話でございますが、松平長太郎様の要請とあらば、さっそく探索にかかり、策を練ることにいたしましょぷ」 北町奉行の遠山金四郎は、武士の借金が膨らむのは幕府の政治がが悪いのだと常々考えていたが、若年寄りの松平長太郎は幕閣の中で権勢のある人間である、その人物が頭を下げて頼みに来たのだ、無下には断れない。 ~やらねばならぬだろうな~ 遠山金四郎は、こういうことを処理できる奉行所内の同心の顔はあの男しか浮かばなかった。奉行所最古参の臨時見廻り同心の野呂山 茂兵衛であった。 ~と、云う訳なのだ野呂山、若年寄りからの頼み事だ、内密ににやってくれ、こんな事案を処理できるのは、北町奉行の古狸の お主しかおらぬのだ、うまくやってくれ、頼んだぞ、」 奉行の遠山金四郎から直に頼まれれば、与力同心はどんなことだってやらねばならなかった。 臨時見廻り同心の野呂山 茂兵衛は小者を連れ、本所相生町の二丁目の堅川を曲がって三軒目、”銭落”と書かれた将棋の駒の看板のかかった質屋の前に来た。 つづく 朽木一空
2021年01月31日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 10 十文飯屋4 銭落屋貧左衛門 ~まことに世の中の哀れを見る事、貧家の辺りの小質屋(こじちや)、 心弱くてはならぬ事なり~ 井原西鶴~ 貧乏長屋辺りの質屋は気が弱くてはやっていられないと書いてますがね、、 江戸の地獄耳、岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松が新しい情報を得たのはそれから十日後だった。 丑松の女房廻り髪結いのお勝が拾い聞きしてきたものだった。 ~本所相生町に銭落屋という屋号の質屋があって、亭主は貧左衛門という。 貧左衛門の父親は借金を重ねた金貸しに女房のお里を担保に取られ、その女房お里に横恋慕した旗本の次男坊がお里を銭で買い、力づくで自分のものにしようとしたところへで、旗本と争いになり、無礼打ちで斬られて死んだのだそうだ。母は結局その旗本家に連れていかれたそうだ。酷い話しじゃありませんか、 その母のお里は、子供らにこう言ったそうです。 「私にかかわっていれば、おびんも貧吉も酷い目に合うかもしれない。お武家さんのやることははめちゃくちゃだからね、奉行所へ訴えたってとり合っちゃあくれない、お前たちを、憎くて棄てるのじゃないが、母はいないものと思って生きていくんだ、貧吉、おびん(貧)を頼んだよ、」 貧左衛門(幼少名は貧吉)にはおびん(貧)という妹がいて、兄弟は捨て子になり、頼るものもなく、名前からして貧しそうな貧吉とおびん(貧)は幼いころから、辛苦の泥水を飲みながら、苦労を重ね、いつしか、生きていくには銭だけが頼りになるものだと確信するようになった。 毎日,陽の明けぬうちから、本所深川界隈の町をまわり、ごみ箱を漁り、紙くずを拾い、犬や馬の糞を拾っては売って銭にした。 貧欲で、つつましく、贅沢はせず、浪費はしない、しみったれ、けちん坊そのままの暮しをした。もったいない、もったいない、捨てるものなんてありませんよ、ケチですから、捨てません、銭もめったに使いません、他所で糞はしない、唾も吐かない、屁もひらない。けちであることを恥じてはいなかった、けちこそ美徳だ、けちが人生を救う、貧吉とおびんはその一念で、他人には何を言われようとも、いつもにこにこ笑っていたそうだ。 質素倹約をで胸を張る人はいても「自分はケチです」と、笑いながら言える人はあまりいない。笑ってさえいれば、人との諍いもない、他人に嫌われることもない。笑って暮らすことが、ケチの第一条なのだという。笑顔に銭はかからない、だから、貧吉もおびんも、顔中笑皺でくしゃくしゃである。本物のケチには必ずこの笑皺がある。威張った顔のケチはまだまだ本物の領域には遠い。怒ったりすれば、体に悪い、血圧も上がる、血糖値も上がる、いらぬエネルギーを使う。だから、けちは怒らない。 無論、諍いも、口喧嘩もしたことがない。いつだって、低姿勢、頭を下げる。その方が、得することが多いのである。それが、兄弟のケチの極意だった。 ケチに徹するにはまず、偉いだとか、上だとか、勝つ、とか、屁の役にも立たない自尊心を捨てることから始まるのである。そうすると、楽になる。楽しくケチケチ人生が送れる。 おけら長屋の連中も、貧吉やおびんのことを「糞ケチ兄弟」などと悪態をついていたが、心の中では、兄弟の生き方をどこかで羨ましいとさえ感じているのだった。 だが、差別の好きな長屋の貧乏な子供らは自分たちより貧しい貧吉とおからを見ると、「けちんぼ、けちんぼ」と言って虐め卑しめた。 だが、二人はそんな世間には負けずに、笑顔を絶やさず、必死で働き、爪に火をともすようにして節約して、小銭を貯めると、その銭を元手に、長屋の者に小金貸しを始めた。御定法には触れる闇金融だったが、町の金貸しに相手にされない明日の飯にも困っていた本所辺りの貧しい長屋の人たちには有難たがれた。 いつもニコニコしている兄弟が貸主だったので、借り易すかったのか、小金貸しは貧しい長屋にはなくてはならない金貸しになり、いつしか、貧吉とおびんの住む長屋の畳の下の銭壺は十を数えていた。 「銭がすべてだ、銭さえあれば、何でも手に入る、なあおびん」 貧しくて、借金のかたに女房を旗本に取られた挙句無礼打ちにされた父の無念さが二人の体の底にはこびりついていた。 やがて、四十を超えた時に、兄の貧吉は質屋の株を買い、貧左衛門と名を変え、銭落屋という、質屋を本所で開業した。 妹のおびんは自分のように貧しく飯もろくに食えない子供らを手助けしてあげたいと、本所三笠町の裏長屋の横で子供相手の十文飯屋を始めた。だが、貧しい子供らはその十文さえ払えなかったので、米を買う金もすぐに底をつき、豆腐屋からおからを恵んで貰って、お稲荷さんにしたり、おからご飯を子供を食べさせたり、野草の煮汁に雑炊なんて時もあった。 ところが、ある日からおびんの十文飯は山盛りご飯になったと言うのです。「てえ~話なんですよ、茂兵衛の旦那、それでね、おびんの十文飯屋の米の提供者が、兄の銭落屋の貧左衛門らしいんでございますよ。」「なんだと、ひっく ひっく ひっく、今なんて言った、質屋の銭落屋の貧左衛門だと、こりゃあ、えらいことつながってきたぞ、おい丑松、その相生町の銭落屋貧左衛門、のところへ行くぞ、へ行くぞ、、ひっく ひっく ひっく」「へいっ、合点でいぃ。。」 つづく 朽木一空 しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控
2021年01月29日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 9 十文飯屋 3 泥棒飯屋 おびん(貧) 絞りかすにも 意地があります 捨てられたって 負けやせぬ 「八丁堀の旦那、何か御用でございますか」 店主のおびんは怪訝そうな顔つきで、茂兵衛と丑松を警戒した。「どうしてこんなに安い値段で飯が出せるのか解せねえって、見廻りの旦那がおっしゃるんでね、それに、奉行所の方に一膳飯屋や蕎麦屋からも、あんなに安く飯をだされちゃ、こっちは商売にならねえって、訴えがきてるんでね、ちょいと、話を聞かせてもらおうかと思ってね」「お役人さん、わたしは儲けようと思って、貧乏な人の腹を満たしてやろうと思ってるわけじゃありませんよ、人手だって、私と子供らでやってるんで、人件費というものがかかりませんし、それに、江戸の町には私らの店を応援してくれる方もたくさんおりましてねえ、」「なーるほど、それにしてもだ、十文で大盛飯に汁におかずとは豪勢なもんだ、誰だっておかしいと思うわな、、、 おびんとやら、以前にな火付け盗賊改め方の長谷川平蔵が捕らえた者の中にな、盗人飯屋というのがあってな、馬鹿安で飯を食わせる店が、実は盗んだ銭でやってたということもあったんだよ、いや、その事件とはお門違いってことはわかっちゃいるがね、やはり、銭の出処を確かめるのがあっしらのお役目でな、」 「いやですよ、こんな場末の、貧しい食堂のおかみが泥棒じゃないかって疑ってるんですかい?、お上っていうのはなんでも人を疑うんですなええ、」「いやあ、何もおびんさんを疑っているわけじゃあねえが、この店を支援してくれているお人がまさか鼠小僧じゃあるめえなってことよ、義賊の真似事してんじゃねえかとも思ってな、そんな悪い虫のついた米を食わされたんじゃあ、子供らだって浮かばれねえんじゃんえかと、思ってな、で、聞くが、誰でいっい、この店の米櫃を支えてるのは、?」「八丁堀の旦那、わたしはね、いい人を谷底に落とすようなことはできませんよ、米を届けてくれる人が誰かなんて、口が裂けても言えませんがね、その人は鼠小僧なんかじゃない、それだけはお天道さまも知ってる筈ですよ。私がその人の名前を言わなかったら、伝馬町の牢にぶち込みますか、、」 おびんの声が喧嘩ごしになってくると、面倒を見ている子供だろうか、五人の子供が野呂山 茂兵衛 と岡っ引きの丑松を囲んで睨んできた。「おびん、今日は帰えるが、深川のお客を独り占めにされちゃあ、閑古鳥の鳴いている御同業の飯屋は干上がっちまいますよ、そこんところ、少しは考えておいてくれねえかな、」~ひっく ひっく ひっく ひっく ひっく ひくっ~ 野呂山 茂兵衛 のしゃっくりが止まらくなった。「茂兵衛の旦那、しゃっく止めの 柿蔕湯(していとう)を飲んでくだせえ、 唐辛子の粉をうどん粉でくるんだものじゃ吃逆はとまりませんよ、 柿のヘタの黒焼きがしゃっくりを止めるのには一番ですよ。」 つづく 朽木一空
2021年01月27日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 8 十文飯屋 2 満腹満腹 満腹笑顔の 子供腹だね 十文飯の 笑い皴 本所南割下水から三笠町の路地を入って、貧しそうな九尺二間の裏長屋が並んでいた。貧しい長屋で、銭のない奴が住んでいるので、おけら長屋と嘲笑されていた。 丑松は御用の筋でこの辺りを探索したことがあるが、江戸の町の中でも特に貧しい場所であったと、記憶していた。 そのおけら長屋の裏手にその十文飯屋はあった。 飯屋の看板も無く、暖簾も下がっていなかったが、客らしき者がひっきりなしに店を出入りしていたし、店の中が混んでるのか、路地の床几に腰を降ろして、飯を食っている者もいたので、そこが噂の十文飯屋だということがすぐに解った。 しばらく眺めてから、臨時廻り同心の野呂山 茂兵衛と、岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松は互いを促すようにして、店の中へ足を踏み入れた。 薄暗い店の中の真ん中に幅六尺長さ三程度の半丸太の杉板の卓が置かれていてその周りに空樽が置かれている。店の中に飾りはなく品書きもなかった。 「へい、いらっしゃい、こちらの席が空いております」 愛嬌のある、にこにこした子供が相手をする。なにも聞かぬいうちに、お茶が出、飯の乗った膳が運ばれてくる。 「おらあ、まだ何も注文してねえ、品書きも見てねえや」 「はいっ、うちは、日替わり飯一つしかありませんので、これを召し上がってください」 「うん、そうか、、、これで十文ねえ」 「さようでございます」 その日は、大飯と汁、芋の煮っころがしに、焼煮が付いた、豪華な飯である。 「うめえよ、坊主、いい味だよ、」 「はいっ、女将さんは、天下逸品の味付けしますから」 客は満足そうで、にこにこ笑顔の子供が、嬉しそうに膳を運んでくる。 結構な御馳走だった、十文とはとても考えられぬ。 客は入れ代わり立ち代わり、たしかに、貧乏そうな子供の客もいるが、半分以上は町人だった。つぎはぎだらけの着物を着た貧乏人ばかり、じゃあなかった。商店の丁稚に手代らしい者や、職人、無宿者、痩せ浪人、出かける前の夜鷹らしき女までいた、 臨時廻り同心の野呂山茂兵衛 と、岡っ引き一文疣は腰を下ろさず、壁際に寄り掛かって、店の中を観察していた。 継ぎはぎの着物を着て、膝当てが破れて、膝が丸出し、裸足で、鼻水を垂らした顔でむしゃむしゃ飯を食い終わりると、膳をもって、奥へ行き、「おばちゃん、銭がない」「与吉かあ、いいよ、じゃあ、その代り井戸端で洗い物しておくれ、」「へいっ、ごちでござんす、」 銭を払えない子供も、銭を貰えない店主のおびんも明るい顔で、にこにこしている不思議な光景だった。 店主のおびんは、貧しい子供からは銭をとらないのだ。 おびん自身、五人の子供を養っていた。みんな捨て子だ。腹をすかして江戸の町をほっつき歩いていた宿なしの子供を引き取って養っているのだ。 その、捨て子たちに町を歩かせ、物貰いをさせていた。米蔵のおとし米、魚市場で棄てられる魚のあらや内臓、青物市場で棄てる野菜のくずを拾い、貰ってくる。 大川や神田川では蜆を採っては蜆売りもさせ、残った蜆は店で蜆汁にした。 野原では食える草を摘み、林ではきのこをとった。 生きて行くということは、泥水を飲まねばならない。ただ、貧しいと泣いているだけではいつまでたっても貧乏から抜け出せない。と、子供らに教えていた。 大名家の門の前に立たせ、旗本屋敷の前に立たせ、両国橋の船宿の裏口に立たせては僅かな食べ残しや、棄てられる寸前の食材を貰ってきた。それを。おびんが調理した。十文飯屋では、その日集めた食材でその日の汁やおかずを作るのだ。 だから、店で出てくるおかずは豪華な日もあるが、飯に汁,沢庵だけという日もあったのだ。店には品書きがないのもそのせいだ、その日限りのお任せ定食なのだった。誰も文句は言わない、十文飯屋だからである。 「それにしても、解せねえな、これじゃあ、どうひっくりかえっても大赤字だ、こんな商いが続くわけもねえや、ここは、店主のおびんにどんな裏があるのか、聞かねばならぬな、ひっく ひっく ひくっ、」「まったくでぃ、、、、」 臨時廻り同心の野呂山 茂呂左衛門 と岡っ引きの丑松は、顔を見合わせて頷いた。 つづく 朽木一空
2021年01月25日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 7 十文飯屋 1 一文疣(いぼ)の丑松 ひっくひっくと しゃっくり同心 茂兵衛 丑松 事件帳「でね、 茂兵衛の旦那、大した事件にもなりそうもねえ、手柄にもならない、面倒そうな事件になりそうだと、定廻りの日下部の旦那は ~同心の俺が出張ることでもねえだろう、丑松、おめえの器量でかたづけちゃあくんねえか~と、こうくるんでございますよ 」 丑松贔屓(ひいき)の柳橋の船宿「さざ波」の二階の座敷であさりの佃煮とぶり大根の煮物を肴に 北町奉行、臨時廻り同心の野呂山 茂兵衛と、岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松が話し込んでいた。 丑松は文句を言いながらも、事件を任されれば、意気に感じて、「へいっ、合点でぃ、任しておくなせい!」と、定廻り同心の日下部栄五郎に啖呵を切った挙句、自分一人じゃ無理だとわかれば、北町奉行所の臨時廻り同心、野呂山 茂兵衛 に泣きついて、手を借りるのだった。 岡っ引き丑松が同心の茂兵衛に相談する時には大抵柳橋の船宿「さざなみ」を利用して一杯おごるのだった。「日下部も定廻りだ、町内の見廻りをおろそかにもできめえよ、まあ、儂は臨時見廻りだからな、力を貸そう、でぃ、そのややこしい事件とはどんなことでい、、」「へい、それが、、本所三笠町に十文で腹いっぺえ食える飯屋があるんだそうで」「ほう、そりゃあ、また随分安い飯屋だな、」「ところがですよ、旦那、、、、 十文で大盛の飯が食える、始めの頃はあの辺りには貧乏長屋が多いので、腹をすかした子供相手の飯屋だからと、目を瞑っていたのですが、そのうちに長屋の連中も来るようになり、十文で大盛の飯が食えると言う噂が広がると、商店の小僧や、棒て振り、うらぶれた浪人まで来るようになり、本所両国あたりの飯屋、蕎麦屋うどん屋、がみな閑古鳥が鳴いて、飯を売っているのにおまんまの食い上げだと、町名主、町役人に訴えましたが、埒が明かないということで、奉行所へ訴えてきたそうなんですよ。 ~お江戸では商いは自由でございますが、十文で大盛の飯が出せる筈がない。悪い裏が隠されてるんじゃねえか、そいつを奉行所で調べて、もし、不正があるのなら、店をやめさせほしいと、まあそんな訴えでございます」「なるほどな、商売敵をとっちめろってことかい?」「ま、そんなところなんでしょうがね、旦那、確かに十文で腹いっぱいの飯を食わせるとなると、ちと怪しかあねえですか、それでね、あっしのかかのお勝が本所北迷橋の方へ髪結いに行ったときに聞き込んできた話しですがね、(お勝は丑松の女房で廻り髪結いをしながら、町の噂を拾っては丑松の探索を助(す)けていた) ~十文飯屋はそりゃあ、もう、長屋の連中の間ではたいした人気だそうだよ、かけ蕎麦が16文、天ぷら蕎麦なら32文、団子だって一串四文、鮨は一貫で八文だというご時世に大盛飯に汁に菜も魚も付いて、十文ぽっきりだってんで、貧乏長屋の子だくさんたちはみんなが喜んでますよ~ 同心の茂兵衛には十文飯という絡繰りが読めなかった。 「でぃ、その店の主人は誰なんでぃ?」 「おびんとかいう白髪交じりの五十を超えた婆さんと、子供ら五六人がやってるそうです」 「ひっく ひっく ひくっ、おびんのびんは貧乏の貧かい?また随分珍しい名前だな、百聞は一見に如かずだ、まずはその店を覗いてみるか」 「しゃっくりがでましたね、さすが、茂兵衛の旦那、臭ってきましたね、、」 北町奉行所臨時見廻り同心野呂山茂兵衛は、事件の臭いがしたり、解せぬことがあると、しゃっくりが出て止まらなくなる変な癖があったのだ。 その茂兵衛と丑松は柳橋の船宿「さざ波」から腰を上げ、両国橋を渡り、堅川に沿って、相生町を東へ歩いていた。 「丑松よ、日下部から任されたこの案件も、大騒ぎするほど、てえした事件にゃなりそうもねえな」 「ですが、見逃すわけにはいかねえ、こうおっしゃるんでしょう、」 「まあ、丑松の仕事への熱を留守にしちゃあ可哀そうだと思ってよ、、」 つづく朽木一空
2021年01月23日
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不義、密通、姦通、 色恋沙汰、 ~町内で 知らぬは亭主 ばかりなり~ ~女房は ゆるく縛って 五両とり~ 亭主が密通の現場を押さえた時の口上は、出刃包丁を突きつけ、 ~間男めっけた。重ねておいて四つにするとも八つにするともオレが勝手だ。そこ一寸も動くな~ と、脅すのが通り相場だそうだ。 密通の示談金は七両二分とも五両とも言われている 五両(およそ40万円)は大金でございます、いあやはや浮気は高くつきますな、 それでも、密通はなくならない、そこで、美人の女房を持った、悪人の考えることは美人局(つつもたせ)だった。 女房が「かも」になる男を誘って姦通し、男が挿入した途端、または終わった途端に亭主が現れ、「人の女房に手を付けやがって」と、因縁をつけ、法外な金銭を脅し取ることである。岡っ引きとグルになって荒稼ぎをする者もおります。 旦那も、気を付けてくださいましよ、、 亭主、かみさんに頭を下げて、 「間男で捕まっちまった、なんとか七両二分都合してくれねえか、そうしねえと、八つ裂きにされちまいます。」 「あんたはドジだねえ、さあ銭渡すから、釣りをもらってきておくれ私はあの男と二度やったから、おつりがもらえるはずだ」 ~江戸小咄より~ ~女房の損料亭主 五両とり~ 伝吉、酔っぱらって隣の留蔵の家へへやってきて、「どうもおれがかかは、間男をしてるらしい、ひとつ現場をとっつかまえて、重ねておいて四つ切りにしてやろう、」と、ぐちだか本気だかえらい剣幕、、、 留さん夫婦は驚いて、何とか伝吉を宥めようと、「伝吉どん、軽はずみなことをしちゃあいけえねえよ、はっきりと証拠を掴むまでは手を出しちゃだめだよ」翌日の朝、伝吉いつものように道具箱を肩に担ぎ長屋を出掛けたふりをして、隣の留蔵の家へ身を潜め、女房のお万の様子を見ていた。 案の定、間男がやってきて家に入った。伝吉、裏庭に回って、障子を開けて、部屋に入った。するってえと、枕屏風の外に八両の金が並べてあるじゃねえか、伝吉、驚いて、嬉しくなって、その八両をそっと懐へ入れ、後ずさりして縁側から降り、すごすごと隣の留蔵の家に帰ってきた。滅多なことでもおらなければいいと思っていた留蔵夫婦、「どうした、現場をみとどけたのか?」と、聞くと、伝吉「おかみさん、二分ばかり貸してくんねんか、あいつに釣りをやらなきゃなんえのだ」 ~江戸の小咄より~ 色恋沙汰とも縁遠い 笑左衛門
2021年01月21日
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江戸の小咄でござんす、 土左衛門 川に納涼に行くと,人間らしいものが流されてくる。「泳いでるにしては様子がおかしい。見てまいれ」 下男が川面を見て、帰ってくる。「土左衛門であろう,どうじゃ」「申しわけありませぬ。名前を聞くのを忘れました・・・・」 ~江戸小咄より~ 遊び人 何処で飲んだか、遊び人風の男がいい機嫌で、縄のれんを潜って店に入ってきた。「よう、亭主、鰯のぬたで一本つけてくれ、早くしてくれ、騒ぎのおこらねえうちに頼むぜ」「へいっ、お待ち」 亭主が一本つける。「旨いねえ、いい酒だねえ、騒ぎのおこらねえうちにもう一本、」たちまち飲みほし、もう一本もう一本、もう十本も銚子を空けた。「亭主もう一本たのんだぜ、、騒ぎのおらねえうちに頼んだぜ」「旦那、さっきから騒ぎ騒ぎとおっしゃるが、いったい何の騒ぎがおきるんでございますか」「おらあ、一文無しなんだ、亭主が騒ぎ出すんじゃねえかと思ってな、、」 ~江戸の小咄より~ 初鰹 「三太、いい所へ、けえってきた、」今日は思い切って初鰹を買ってきた、刺身にしていっぱい飲もうと思ってたところだが、急に名主様から急用があるからと呼び出しが来たんだ、三太、おめえ暇人だから、留守居をしてくれ、何、すぐにけえってくるよ、この鰹、猫に取られねえようにちゃんと、見張ってろよ、頼んだよ」と、いって、出ていったきり、大家はなかなか戻らない、こっちにだって用はあるんだが、この初鰹を目の前にしちゃあ、黙ってはけえれねえなあ、「よし、この鰹は猫が食ったことにして、あっしが食っちまおう、、」と、つまみ食いしようと、手を出すと、じっと見ていた猫が、背中の毛を逆立てして「ふぅ~~~」 ~江戸の小咄より~ お後がよろしいようで、、 笑左衛門
2021年01月19日
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しゃっくり同心 茂兵衛 事件帳控 66 しんでれら物語 6 人はやがて死ぬ、いつか必ず死ぬ、これには差別はないのです。 戒名や墓石で差別してみても、身分のあるもの、ない者、金持ちも貧乏人も善人も悪人も、何かをやり遂げてもやり遂げなくともみな同じ、死は平等にくる。 生きてきた証もやがては消え、記憶から消えてゆく、燃え滓の灰と同じ、 墓など作っても、やがて忘れ去られ、朽ちて崩れて消えていく。 人間の最後は、解き放されて自由になるべきだ。 生きようとするから自由は無い、生きようとするから、束縛から逃れられない、 家のこと、家族のこと、商売のこと、銭のこと、身分のこと、付き合いのこと、 死ぬことこそ、自由なのだ 。。。。極楽寂無寺 楽匠和尚。。。。 ~流れよる ものははずして 柳かな~菊舎 ~ならいゆかん すめるこころの いけのみず~ 菊舎 (この池のように私も心を澄まし俳諧の道を極めよう) ~道はなし 雲と遊んで 空にいる~菊傘 ~弱草(なよくさ)の 頭を撫ぜて 家を捨て~菊傘 北町奉行臨時廻り同心野呂山 茂兵衛 、岡っ引き一文疣の丑松、 日本橋室町の油問屋 杵屋惣兵衛のかみさんのお万の三人が境内にいた小僧に訳を話すと、僧服を身にまとった楽匠和尚がにこにこした表情で三人を出迎えてくれた。「こちらに杵屋惣兵衛さんがいるとかみさんのお万さんがおっしゃるので来たのですが、、」「おや、お役人様でございますか、この寺がお咎めを受けるようなことはございません、」「おいっ、どうして、役人だとわかったんだい」「その目配り、隙のない歩き方、誰だって寺には似合わない者だというくらいすぐにわかりますよ」「よし、それなら話は速い、だが和尚、今日は十手はおいてきてるんだ、それに、ここは寺社奉行の管轄だ、邪険なことはしねえよ、それでな、ここの極楽寂無寺に、杵屋惣兵衛さんがいるとかみさんのお万さんがおっしゃるので来たのですが、、、、」「ああ、惣兵衛様ですね、いらっしゃいますよ、あちらの庫裡で写経をしていらっしゃいますよ、どうぞ、御会いになってください」「あちらの竹藪の中の建物ですか?」 お万は野呂山 茂兵衛と丑松をおいて、そそくさと早足で、竹藪の中の庫裡の方へ歩いて行った。「和尚、ちょっと伺いたのですが、よろしいですかな」「はいはい、なんでもどうぞ、いつかは町方のお役人がいらっいしゃるだろうと思っていましたよ」 楽匠和尚はにこにこ笑みを絶やさずに二人を本堂へ案内した。「ここは、終末を楽しく迎える寺でございます。誰にも迷惑かけずに、我慢せずに人生を終わるところでございます」「だが、病気の人の治療もせず、医者の煎じた薬も飲まず、節制もせず、自由にしておいたら、、死期が早まりませんか?自殺幇助にはなりませんか?」「いえいえ、みなさんご自分の意志でございますから、私がこうしなさいといいうことは一切ありません。健康管理をしたければすればいい、薬を飲みたければ飲めばいい、もう、楽になりたいと思う人は”命断茶”というお茶を飲めばいいのです。 ええ、介護する者もおりますし、本所の町医者の環道先生も見えていただいています。ただ、みなさん治療はもう結構、痛いのと苦しいのは嫌なので、痛みを止める薬を処方していただければそれで結構とおっしゃる方が多いのですよ。それはもう、その人の自由でございますから、患者さんがそうい言えば、医者も仕方ないでしょうね、私にもどうこうしろというつもりもございません。 まあ、呑気に構えて、物事にとらわれず、気にしないと、病気の方から逃げていくこともあるんだそうで、小石川療養所から、見放された方で、この寺に来て元気でおられる方もいらっしゃいますよ、病は気からともいいますので、、」「ではこの寺では、死人はでないのですか?」「いや、みなさん嬉しそうに死んでいきますよ、もちろん医者の環道先生に死体は確認してもらっておりますよ。 死体遺棄だとか、通報義務違反とかの疑いを家族の方から言われたことも御座いますが、なにしろ、本人が自死だと言いますもので、、、」「うひっ、うひっ、うひっ、うひっ、丑松よ、これはいったいどういう事件になるのだろうか?」 北町奉行臨時廻り同心、野呂山 茂兵衛 は頭を廻らした。さすがの熟練者でもこのような案件に巡り合ったことはなかったのだ。「お役人さん、人はみないつか必ず死ぬものですよ、その死に方を自分で選んでいるだけです。 町医者に診てもらい、薬漬けになり、ただ息をして生き延びることが寿命といえるのでしょうか、それが、人間の最後として相応しいことなのでしょうか?最後は好きなようにして過ごす、薬も飲まない、我慢もしない、好きにする、死が来るのだったらいらっしゃいませ、お待ちしておりました。という気持ちですな。ここにいる方は誰も延命治療どころか、延命我慢を望んでおりません。 なにしろ、みなさん、生前葬を終えて、一度死んでいますから、死を恐れていないのです。しんでれら しんでらあ、と言いながら、死んでいきます。安楽死ではございませんが、痛み止めだけをして、あとは静かに見守っております」 岡っ引き丑松は自分の母のことを思い出していた。 病名もわからない長患いで、長屋の陽の当たらない部屋で寝ていた。井戸端で顔を洗うこともできなくなり、厠へも這うようにしていっていたが、それもできなくなり、糞小便垂れ流しになった。 長屋のみんなは親切だったが、心の中じゃ顔をしかめていた。母の病が移るんじゃないかという恐怖もあったのだろう、だんだんと、近づかなくなった。 そのうちに、菌が頭に回ったのか、母の呆けが始まり、丑松のことさえよくわからなくなってしまった。「死にたいよう、丑松、もういいよう、早く始末してくれ」 と、幾度も頼まれた。「丑松よ、お前には疣(いぼ)をつけて産んでしまったが、そんなことで負けるんじゃないよ、人間はね、みんな何処かに傷を持って隠して生きてるんだから、お前は、堂々と人前に傷を晒して生きてくんだ、くよくよ泣いてるんじゃないよ」と、しゃきしゃきしていて、丑松を叱り、面倒をよくみてくれたあの元気な母の記憶が、いい思い出が惨めな姿に変貌してしまったことが、悲しかった。 ~おっかあも、極楽寂無寺のような寺があったら入りたかったんだろうな~ いい母さんだった、いい婆さんだったと思われて死にたかったのではないかと、そんなふうに丑松は思った。 ところで、瀬戸物問屋の陶蔵屋の陶吉さんにも会わせていただけますかねえ、、「ああ、陶吉さんならね、八日前にに死にましたよ、ええ昨日が初七日でございました。嬉しそうに、よかったよかったと幸せそうになくなりましたよ、」「そうけえ、ついでに、ちょいと聞かせてほしんだが、お布施の百両というのはべらぼうなような気がするんだが」「お布施でございますか、死んで花実が咲くものか、墓場まで銭を持って行っても仕方ありませんよ、みなさん、お布施は自由です、お布施が払えない人は寺で色々お手伝いをしていただいています。みなさん、気持ちよく死にたいだけなんですよ、ですから、本人が現世とお別れするのですから、家にある銭の自分の分をお持ちになっているだけのことでございます。」「なるほどね、ところで、俳句の会「季道」の菊傘という俳句の師匠を御存知ですかな」「おお、菊傘俳人のことですな、あの女人もこの寺へ来ては、俳句を教えてくださって、みなさん、楽しみにしていたんですが、何やら突然、松尾芭蕉の足跡をたどって雲遊(うんよう)の旅立ちにでると言いまして別れを言いに来ました。菊傘俳人はもう、六十を過ぎているのですが、松尾芭蕉の辞世の句のように ~旅に病んで夢は枯野をかけまわる~の心境なのでしょうか、夢の途中で倒れるのもまた楽しとか言っておられました。もう、奥州会津くらいを歩いいるのでしょうかねえ、いいですねえ、自由ですねえ、」 本堂でお茶を飲み饅頭を御馳走になりながら、 同心野呂山 茂兵衛 と岡っ引き丑松は楽匠和尚の話を聞いていた。 ~そうか、菊傘という俳人も世捨て人だったのか、、、~ 楽匠和尚の穏やかな話を聞いていると、焦らず、いらいらせず、悲しまず、苦しまず、命を終える、こんな場所があってもいいのかもしれぬ、と、隠居したがっている野呂山 茂兵衛と、母の終末を思い出していたも丑松は思っていた。 奉行所の役人と御用御用の岡っ引きらしからぬ感想であった。 庫裡の方から、杵屋惣兵衛と、お万が歩いてきた。惣兵衛は思ったよりしっかりした足取りで、お万も自身番に訴え出てきた時とは違って柔和な表情を見せていた。「お世話になりました。夫、惣兵衛を連れて帰りたいと思いやってきたのですが、思ったより夫は元気で、心も穏やかになったようで、安心いたしました。 煙草もお酒もお食事も自由にしていいので、家に帰りましょう、助け合って、もう一度一緒に暮らしましょうと言いましたが、夫は余程、ここが気に入ったようですので、諦めて帰ります、お布施の百両も喜んで届けさせていただきます。」「えっ、それではお万さん、極楽寂無寺を詐欺で訴えるということはやめたのですか?」「ええ、夫のこんな幸せそうな表情は今まで見たこともありませんでしたので、幸せということは、なんでも自分の思い通りになすることでもなく、自らの寿命を素直に受け入れて、欲を捨て、楽になることだということがわかったのでございます。」「そうですか、穏やかにねえ、それができれば一番ですよ」「で、和尚様。お願いが一つだけあります。私もこの 極楽寂無寺、へ入りたいと思いますのでよろしくお願いいたします」「はいはい、いつでもどうぞ、汚れものや重たい荷物を降ろしてきてくださいね」 北町臨時廻り同心野呂山 茂兵衛と、岡っ引き一文疣の丑松は唖然として目を見合わせた。「だからよう、おめえの持ち込んでくる案件は大袈裟なだけで、事件にもならねえことが多いんだよ、ひっく ひっく ひくっ、、ひっく ひっく ひくっ、しんでれら しんでらあだと、丑松、しゃっくりがとまらねえよ、、なんとかしろい!」「がってんでぃ、茂兵衛の旦那、柿蔕湯(していとう)がようござんすよ、柿のヘタを丸焼きにしたもんでございます、そのしゃっくり、とまりますよ、」 ~よのはなを あつめいわわん 寺の庭~ 菊傘 菊舎の句は江戸の俳人の句、菊傘の句は小説の中の人物の句でございました。 おわり 朽木一空
2021年01月17日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 しんでれら物語 5 最後の我儘をお許し下さい 自分の命を医者や薬には預けません 我慢してすこし長生きするよりも 楽になって 軽くなって この羽根が動くうちに、空を飛んでみたいのです。 ~姨捨た 里にやさしやほとゝぎす~ 菊舎 ~どの道へ けふは行ふぞ 日永時(ひながどき)~菊舎 ~柿の実が 落ちてさっぱり 死にに行く~ 菊傘 ~終わりよし 花びら散らす 山茶花よ~ 菊傘 「小梅村とは芸者の名のようで、粋な地名よなあ」 田圃ばかりだが、二月の今は殺風景な田園風景が広がっていた。「なんでも、ここらあたりは、地面が低くて、大川が増水すると水浸しになってしまうらしいですぜ、埋め立てたので、、梅たて、、そこから小梅っていう地名になになったとか、もっとも地の人は、”こんめむら”なんて言ってますがね、そんなに風流じゃありませんよ、」 三人が小梅堤へ足を進めると、梅の香りが微かに漂ってきた。 鄙びた田園風景だが、小さな白い梅の花が咲いていて、銭持ちの別荘だろうか、こじゃれた家がぽつんぽつんと建っていた。 北町奉行臨時廻り同心野呂山 茂兵衛茂と柳橋の親分、岡っ引きの丑松、それに油問屋杵屋の女房お万の三人はそんな風景の中を極楽寂無寺ヘ足を進めた。 田園の中に木立で囲まれた一画があり、その木立の中に 極楽寂無寺はあるという。 その、極楽寂無寺は低い土地にあるせいか、よく水が出て水没する陰湿な土地なので、檀家も次第に減り、墓終いも増え、墓石も歯抜けになっていて、もう廃寺寸前のまま、十年以上もほったらかしにされていたのだ。 ところが、二年前位から、何処からか坊主が来て、せっせと、寺の周りに土塁を積み、寺を整備し、掃除しているうちに、参拝者とおもわれる老人がぽつぽつ訪ねてきていて、寺に住む老人が増えはじめ、棒て振りの青物や納豆売り蜆売り、魚売りが毎日のように、業平橋を渡って極楽寂無寺へ行き、帰りには籠が空になっていた。極楽寂無寺では棒て振りの売れ残り、つまり、余ったものをみんなひっくるめて買い取ってくれるのだった。それだけ人が多く暮らしてるんだろうか、「ひっく ひっく ひくっ、、、」 茂兵衛の吃逆が始まった。 「ところで、お万さん、宗兵衛は何が不満で出家などしたのですかね」 「不満ですか?あのひとは本来気遣いの人なんですが、店の仕事を息子の宗太と番頭の友蔵がしきるようになると、いつまでも自分を殺した生き方は御免だ。これからは、自分に正直に生きていくつもりだとか言いだして生活するものですから、息子や娘とも折り合いが悪くなり、孫も可愛がるどころか、うるさい餓鬼だなどと寄せ付けない。近所の人にも余計な挨拶は無用だからしないと、そんなことで、居ずらくなっていたのはたしかですけれど、、、」「それで、宗教の方は?いつごろから?」「それが、ぜんぜんその気配をみせなかったのです、俳句の会で知り合った菊傘俳人に紹介されたと聞きましたが」「ふうん、儂はね、お万さん、無宗教で神も仏も信じない口なのですよ、うひっ、うひっ、うひっ、うひっ、宗教家は最大の詐欺師だと思ってるんですよ。日の本の国中、立派なお寺があって、坊主がいて、訳の分からぬお経をよんで、人々から敬われ、崇められ、寄進してもらえる。何とも理解できない現象ですな。計り知れない力だ。魔力ですな。これこそが詐欺師じゃないですかね。地球上にいろんな神様がいて、それぞれに莫大な人数の信者がいる、一つの神様が正しいとすれば、ほかの神様はみんなインチキになりますよね、それとも、神様仏様はいっぱいいるのですかね、、」 野呂山 茂兵衛がお得意の無神論者の持論を展開した。 北町奉行臨時廻り同心野呂山 茂兵衛 、岡っ引き一文疣の丑松 日本橋室町の油問屋 杵屋惣兵衛のかみさんお万の三人は、極楽寂無寺、の境内に足を入れた。 境内は広々としていて、見晴らしの良い景色が広がっていた。欅の大木が空に向けて両手を広げるように思い切り、若葉を繁らせていた。石積の参道を歩くと、赤い鳥居があり、その奥に 極楽寂無寺があった。二年前まで、無人の寺で、庭も荒れていて、草が生え放題で、寺も朽ちそうに荒れていたのだが、 今は、庭も参道も寺も見違えるようにも良く手入れされていた。 つづく 朽木一空
2021年01月15日
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しゃっくり同心 茂兵衛事件帳控 しんでれら物語 4 ~着飾らぬ影こそすゞし鏡池~菊舎 ~つきをかさに きてあそばばや たびのそら~ 菊舎 (風流な月を旅の供にして、、) ~もういらぬ おだやかな日々 あればいい~菊傘 ~欲もなし 言うこともなし それでよし~菊傘 ~どう歩いても、まっすぐでも曲がっていても、早くとも 遅くとも 楽しても 苦労しても 笑っても 泣いても 行きつく先はみな同じ、みんな死に向かって歩いているのです 一度しか味わえない死を、後悔することなく楽しみませんか せめて最後は自分の意志で棺桶に蓋をしてみませんかああ、面白かったなあ、と、思いながら往生いたしましょう~ 。。。 極楽寂無寺 楽匠和尚 。。。 日本橋室町の、油問屋杵屋惣兵衛、商いも順調で、息子の宗太もしっかり者で、番頭の友蔵は間違いのない男で、店を切り盛りしていけるので安心だった。 一息ついて、隠居でもしようかと思いながら、さて、自分は商いの他に何をしてきたのだろうか、これから、何をして、どう生きていこうかと、暇を持て余し、やることもなく、ぼんやりした日を過ごしていた時だった。 このままだんだん歳を取って、萎んでいって死んでしまうのだろうかという不安があった。そんな時に知り合った深川の俳句の会「季道」の菊傘という女俳人から極楽寂無寺の話を聞いた。矢も楯もたまらず、惣兵衛は本所の先にある、小梅村の極楽寂無寺へ足を運んだ。 そこへ行けば、死を待っているだけの生活から抜け出して、なにか新しい生き方が見えてくるかもしれないという淡い期待があったのだった。 極楽寂無寺、の楽匠和尚はにこにこして迎えてくれた。「ええええ、人間産まれた時から死に向かって歩いているんですよ、生きるということは死に向かって歩いていくことですからね、誰も避けることはできないんですよね、けれどもね、人間はですね、産まれてくる時は選べませんが、死ぬときは選べるのです。これは人間だけができる素晴らしいことなんですよ。 何もすることがない、なにをやってもつまらない、生きていても意味がないという人はもう十分生を全うしたということなんですよ。 寿命は皆にあるのです。それが多少長いか短いかの違いです。少しの寿命を延ばすために喜びを避け、我慢をし、苦しい辛い日々を過ごし、周りの人に迷惑をかけ、不幸に巻き込むのはのはどういうものでしょうかね、今までの人生を汚してしまうもったいない話です。 充分生きたら後は死ぬことです。そして最後は自分の意志で『ああ面白かったなあ』と思いながら死ぬことです。ですから、この寺へ入る人はみなさん死んでおります。生前葬をします。そして、みなさん自分のお墓もつくります。その後は しんでれら しんでらあ、ですから、なににも縛られず、何の心配もなく、すべてのことから解放されて、楽しく楽に過ごし御臨終です。なにしろ寿命をまっとうしてすでに死んでいるのですから、、、 お金のこと、身分のこと、病気のこと、夫婦のこと、子供のこと、近所のこと、政治のこと、明日のこと、なんにも気にしなくていいのです。誰にも気を使う必要もありません。いらいらすることもありませんし、怒る必要もなくなります。心が軽くなって、ああこんな人生があったのだと思いながらああ面白かったと思いながら、本当の御臨終を迎えるのです。いい死に方をしたかったらいらっしゃい」 油問屋杵屋惣兵衛は楽匠和尚の話を聞いて、ますますこの 極楽寂無寺、に魅入られてしまい、寺に入ることを決心したのだった。 そうだ、高齢になり、よたよたになって、不自由になり、呆けがくる、癌がみつかる、長生きすればするだけ嫌がられるのだ。親の犠牲になるのは御免だ、夫の犠牲になるのは御免だ、自分のことは自分で完結して迷惑かけないで終わってくれと、きっと誰しも思うことだろうよ、地獄の介護だけは避けたいと、やがては寝たきりになり、自我も忘れ、土壇場に来て、意識もなく惨めな姿で生涯を終わる。そんな惨めな老後が見えていた。もうすぐそこまで来ていた。 ああ嫌だ、捨てられる前に自分で捨てよう。楽匠和尚の言うとおりだ、俺の人生は自分で蓋をしよう、人生は一度なのだ、それにも必ず終わりがある。死ぬために生きてきたのだ、最後はきちんと自分の意志で、格好よくおさらばしたいものだ。 自殺ではなく自死だ。死を自分で選ぶのだ。女房、子供に話しても理解されないだろう、産まれてきた時は裸で一人なんだ、最後も裸で一人で終わろう、杵屋惣兵衛は決心した。そして、離縁状(三行半)を書き置き、逃げるようにして、極楽寺に入ってしまったのだ。 生前葬をして、墓石には「風如」と彫ってもらった。もう、気に病むことは何もなかった。なにしろ、惣兵衛は しんでれら しんでらあ、なのであった。 塩分控えめ、糖分控えめ、油控えめ、煙草は吸うな、お酒は一合、さすれば、命永らえるなどという言葉に惑わされずに、我慢せずに饅頭を食い、煙草をたしなみ、気持ちよく酒を呑む、それがしんでれらの生活だった。 惣兵衛は健康のことなず気にせずに、食べたいものを食べ煙草を吸い、酒を呑んで、気儘にしている今の暮しの方が、体調がよくなってきているのを感じていた。ちょっと長生きするために、残りの人生をつまらなくしようとしていたことが無駄なことに思えていた。 惣兵衛は小梅村の極楽寂無寺で、~ああ楽しいなあ、ああ面白いなあ~という日々を過ごしていた。 つづく 朽木一空
2021年01月13日
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しゃっくり同心茂兵衛事件帳控 3 しんでれら物語 3 ~山中や 笠に落葉の音ばかり~ 菊舎 ~秋たつや 何所へか散(ちり)て宵の雲~ 菊舎 ~花が咲き やがて萎れて 散る椿~ 菊傘 ~百両が 三途の川の 渡し賃~ 菊傘 「小梅村まで歩くのはかったるいなあ、」 「なに、茂兵衛の旦那ひとっ時も歩けば着きますよ、柳橋から両国橋を渡り、堅川を下り、加賀町の手前で左に折れ、今度は横川を北に歩けばわけはありませんや」 「随分歩くなあ、惣兵衛のかみさんのお万も一緒に行くのだろう?」「そうですよ、依頼人ですからな、おっつけ、ここへ来ることになってますんで」「ひっく ひくっ、ひっく ひくっ、じゃあこうしよう、行きは船、帰りは駕籠だ、そのくらいの駄賃は室町の油問屋 杵屋のおかみさんだ、出してもらえるだろう」「旦那、閃きやしたね、奉行所のお役人がそんな軟な体じゃ悪をふんじばることはできませんが、まあ、今日のところは、そう致しましょうか」 で、結局柳橋の船宿「さざ波」に船を出してもらうことになった。「おっ、、船頭さん頼みますねえ、大川から、堅川を東に漕いで、柳原町の手前、北迷橋をで左に折れて、横川を北へ進んで、本法寺の先、太田隠岐守様の屋敷あたりにつけてくれ、」「へいっ承知、一時(二時間)もかからねえで着くでしょう」 臨時見廻り同心野呂山 茂兵衛と岡っ引きの丑松と、それに室町の油問屋 杵屋のおかみさんのお万の三人を乗せた船は水面を滑り出た。 さすがは杵屋のおかみさんだけあって気がきいていて、料理の煮詰まった重箱と徳利酒を用意してきていた。「どうぞ、お召し上がりを、、」「こりゃあ御馳走だ、すまぬな、遠慮せずに頂くぞ、」 酒好きな 茂兵衛の手が出るのは速い。 「お万さん、楽隠居できるのは男の甲斐性だね、儂はの、そなたの亭主杵屋惣兵衛が羨ましくてならのだ。実はな、儂も隠居したいのだよ、いつまでも奉行所にしがみ付いていなければならぬは辛いのだ。もう、儂も齢でな、六十の坂を上り始めていりうのだよ、体のあちこちが痛み、頭も錆びついて、この頃の若い与力や同心たちの考えていることがよくわからぬのだ。 だがな、武士という立場はな、自分の我儘では隠居できぬのだよ、根津の方にでも隠居場をつくってな、何にも縛られず、武士の矜持などという面倒なものも捨て、酒を呑み、鶯の声でも聴いて、俳句の一つもうなる、ああ、いいことじゃ、隠居こそ男の最後の夢じゃのう、そう思わぬか丑松」 「それができれば、結構な身分でございますがね、茂兵衛の旦那、隠居なら問題ねえんですよ、ですがね、宗兵衛は隠居先がお寺で、百両の金を持ってこいじゃ隠居とは言えませんよ、そうじゃございませんか」 野呂山 茂兵衛 は北町奉行の臨時廻り同心であった。 奉行所には市中見廻り役の定廻り同心が6名いて、黒羽織に銀杏の髷を結い、朱房の十手を背中にという格好で市中見回りをし、賭博、売春、喧嘩、犯罪捜査から、揉め事の仲裁、そして、御用御用の捕縛役を務めていた。その他に、臨時廻り同心6名、偵察役の隠密廻り同心2名がいた。彼らは三廻りと呼ばれていて、それぞれ江戸市中を取り締まっていたのだった。 臨時廻り同心には定廻り同心を長年勤めた五十歳過ぎの熟練した者が就き、定廻り同心の応援、補佐、指導が主な役目であった。むろん、三廻りだけで江戸の治安を守るには手が足りず、同心たちは私的に岡っ引きと呼ばれる手先や、協力者の密偵を私的に雇い抱えていた。 三十俵二人扶持は武士の中では下の俸給で、自分の食い扶持さえやっとだった、町奉行の同心は、岡引きへの給金や事件ごとの報償、密偵に小遣いを与えるために、町の商売人や商店から袖の下、鼻薬、付け届けを貰ったり、内職をして、補っていたのだった。 岡っ引き、一文疣(いぼ)の丑松は見廻り同心日下部栄三郎配下の岡っ引きであったが、昔は茂兵衛の雇われて働いていて、もう、三十年からの付き合いであり、いわば腐縁というやつで、今では、岡っ引きの丑松が野呂山 茂兵衛の手を借りることが多くなっていた。臨時廻り同心の 野呂山 茂兵衛のことを”茂兵衛の旦那”と気やすく呼ぶのはそんな付き合いがあったからなのだ。 一文疣の岡っ引き丑松もまた、江戸の岡っ引きの中では古株であった。同心から貰える給金は雀の涙しかなく、とてもそれでは食えないので、岡っ引きは他に仕事を持っていた、風呂屋だったり、蕎麦屋だったり、中には十手をかざして、奉行所の威光を笠に着て、町の者にたかり、銭を巻き上げ、私腹を肥やす岡っ引きもいた。 丑松は女房のお勝に廻髪結いをやらせていた。毎日、あちこちのおかみさんや御新造さんの髪を結いに行くので、そこの世間話からも貴重な情報が得られたのである。 鼻の横に、銭貨ほどの疣(いぼ)があるので、一文疣(いぼ)という綽名がついている。その疣のなかから、若い時分は太くて黒い髭が威圧するように生えていたが、この頃では白髪がちょろちょろと下を向いてぶら下がっている。丑松も、もうすぐ。六十に手が届くところまで来ている、丑松は岡っ引きの中でももう隠居まじかの江戸の古株であった。 江戸の岡っ引きは同心にも内緒の横のつながりを持っていた。縦の糸が同心の命令なら、横の糸は岡っ引き仲間の貴重な連絡の糸であった。お江戸は狭いようで広い、仲間内での情報網は岡っ引きの役割に重要な役割を果たしていた。賭場や矢場、岡場所や飲み屋などの悪所から遊び人や博徒、やくざから漏れる、犯罪の臭いは、表仕事の同心の耳にはいることのできない貴重なものであった。その横の糸の中でも丑松は顔役であった。 江戸の町の裏の情報を手に入られる丑松にとっては、悪者を追い詰め捕縛する貴重な源泉となっていたのである。 江戸の岡っ引き仲間からは一目置かれていて、「おやっさん」と呼ばれていた岡っ引きの十文疣の丑松爺であった。 野呂山 茂兵衛とは、三十年来の付き合いになる、~旦那と出っくわしたのが運のつき~と、丑松が言うように腐れ縁というやつだった。だが二人とも腐っているかもしれない縁が嫌いではなかった。 北町奉行臨時見廻り同心、野呂山 茂兵衛は 寛政10年、小田切土佐守直年が北町奉行の時に、駆け出しの定廻り同士を務めて以来30年間定廻り同心を務め、10年前に臨時見廻り同心になった。都合40年間同心を勤めた野呂山茂呂左衛門は江戸の町の隅々まで知り尽くしていていた。 悪を追いついめる、推理も、事件の真相を見抜く慧眼にも一目置かれてはいたが、最古参の野呂山 茂呂左衛門は、この頃では、体力もついていかず、冴も見られず、若手の同心からは昼行燈だとか、たそがれ茂兵衛、などと陰口をたたかれていた。 それも頷ける、 茂兵衛は終業の鐘がなる前から、いそいそと帰り支度をする、ひっく ひっく ひくっ、と、吃逆をこらえながら、同心部屋で座布団を温めている。 早く組屋敷へ帰って内職をしたいのだった。野呂山 茂呂左衛門の内職は提灯張だった。三十俵二人扶持の給金では好きな酒も飲めず、配下の岡っ引きに碌な小遣いも上げられなかったのである。 五十の坂の途中にいる野呂山は、常々隠居して気儘な暮らしがしたと願っていた。だが、北町奉行遠山金四郎は、野呂山茂呂左衛門のような男が奉行所には必要だと思っていたので、隠居願いは許されなかった。 若手の同心は功を焦って、冤罪を産むことがままある、野呂山茂呂左衛門のような経験眼を持つ男が真実を見つけ出すこともあると考えていた。黄昏れの中にこそ、人生の機微というものが眠っていて、それが探索の役に立つのだ。そう、北町奉行の遠山は考えていたのだ。 野呂山 茂兵衛はさぼっているわけではない、ただ歳のせいで、動作が遅い、鈍い、がつがつしていない、冷静というか、慌てない急がない、同心としての経験、仕事勘、若い者が持っていない慧眼はいまだに持ち合わせていたのである。 だが、 茂兵衛は辛いのである。定年退職がない同心勤め、幾度か、隠居願いも、奉行の遠山景元に提出したが、その度に「野呂山のように、六人もの北町奉行に仕えた者は貴重なのだ、江戸の町を知り尽くしている、奉行所の生き字引だ。 儂に力を貸してくれ」と、遠山景元に引き留められている。 八丁堀の拝領屋敷に住まわせてもらっている身の同心は奉行には逆らえない。 船は冬の日差しを浴びて、川面がきらきらと光る中を、横川を東に進み、法恩寺橋を潜り、、太田隠岐守の塀を右に見ていた。「おっ、船頭さん、そこいらの船着き場で降ろしてくれ、」「うひっ、うひっ、うひっ、うひっ」「どうしたんですかい、茂兵衛 の旦那、なにか臭いますか?、無駄に吃逆をしちゃあいけませんや、柿の葉の黒焼きの柿蔕湯(していとう)、飲んだ方がよくねえですかい。 北町奉行臨時廻り同心野呂山 茂兵衛 、岡っ引き一文疣の丑松 日本橋室町の油問屋 杵屋惣兵衛のかみさんお万、の三人は業平橋下の船着き場の岸に降り立った。 つづく 朽木一空
2021年01月11日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控2 しんでれら物語 2 しんでれら しんでらあ、しんでれら しんでらあ 死ぬ頃合いは 己で選びましょうや、 死ぬ頃合いを 己でけじめをつけられるのは人間しかできませんぜ、 惨めに死んじゃいけませんぜ、みっともない醜態を晒しちゃいけませんよ、 己を失わずに、威厳を持って死にやしようよ さばさばと、ああ、面白かったと死んでいきやしょうよ、 ~そまるあきも ふたばのすえか うめもみじ~菊舎 (見事な紅葉も緑の若葉から始まっているよ) ~散り際を 見せぬ花あり江戸の粋~菊傘 「で、茂兵衛 の旦那、極楽寂無寺のことが気になりやしたんで、岡っ引き仲間に探らせると、そりゃあ、またどえらいことがわかりまして、てえへんでございますよ、 瀬戸物町の”陶蔵屋”の主人の陶吉も 通油町の味噌問屋、湊屋金次郎も、その極楽寂無寺とやらへ身を寄せ、銭を運んでるというんですよ。 しかもですぜえ、極楽寂無寺へ姿を隠した者は、どうも、日本橋だけじゃねえ、深川や浅草の方の商人もいるらしいんです。年寄りがその極楽寂無寺寺へ銭を持ち込んで入って、死んでいくんだそうですよ、こりゃあ、大事件でございますよ」 さすがは江戸の町の地獄耳を持っている岡っ引き一文疣の丑松の調べだった。 「みんな誑かされてるんじゃねえのか? 」 「そうですよ旦那、ぷんぷん臭いますねえ、こいつは狐や狸の騙かしじゃあありませんよ、寺の犯した詐欺でございますよね、まだ、吃逆がでませんか、、」「ひっく ひくっ、ひっく 百両持って寺に入って死ぬ?んっ?それじゃあ、まるで、あの世へのお引越しじゃねえか、その三途の川の渡し賃が百両とはべらぼうなあ、丑松、こいつは確かに臭えや、畜生、ひゃっくりが止まらなくなってきやがった、ひっく ひっく」「でしょう、で、その極楽寂無寺に探りに行こうと思い、お願げえに上がったわけでござんすよ」「だがよ、丑松、その話しが本当だとしても、寺が相手じゃ、町奉行にゃあ手は出せねえよ、寺社奉行の管轄だからな、ひっく ひっく ひくっ、」 面倒な話になってきやがった。臨時見廻り同心の野呂山 茂兵衛 の吃逆が止まらなくなっていた。「旦那、しゃくりがもうかれこれ十年もとまらねえ婆さんがいるって話しを聞いことがありますよ、そのままにしておいたら、しゃっくりで死んじまいますよ。 この柿蔕湯(していとう)という薬を飲んでみてくだせえ、柿のヘタの黒焼きがしゃっくりを止めるのによい、と昔からの言い伝えにありますが、その柿のヘタを含む生薬がこれですよ、日本橋の薬種問屋伊勢屋で手に入れた秘薬でございますよま」 「ありがとうよ、試してみらあ、ひっく ひくっ、それでその形(なり)で寺へ探りに行いこうってのかい?」 「旦那、わかってまさ、あくまでも町人の形で探りに行きますよ、野暮な十手も置いきますよ、茂兵衛の旦那もね、その黒羽織は仕舞っておいて、あっしは町人の手代、着流しの旦那はそうさね、御家人の三男坊ってとこですかね、そんなとこで、お願いいしますよ、まあとりあえず、様子を探るだけで、後のことはまた後で、」「だが、まてよ丑松、どうもひっかかるんだ、小梅村に行くめえに、瀬戸物問屋の陶吉と、通油町の湊屋金次郎の店の者にも当たってみようじゃねえか、」「へいっ、そうでがんしたね、がってんでぃ、こりゃあ、忙しいや!」 北町臨時廻り同心の野呂山 茂兵衛と岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松は早速、瀬戸物町の陶器屋”陶蔵屋”の店を訪ね、妻女のおかじと娘のお美代、番頭の音吉に事情のあらましを聴いた。 ~陶蔵屋陶吉は駿府から江戸へ出て、陶器問屋の”美濃久”の店で修行し、二十八の時に独立して瀬戸物町に”陶蔵屋”という店を開いた。陶吉は陶器を鑑定する眼力に優れ、買い付けにしても値のつけ方にしても商売上手で、あれよあれよという間に、瀬戸物町の陶器問屋でも一二を争うほどの大店になったのでございます。 今では、店の他に、駿府に陶窯も持ち、長屋も六箇所も持っている大店でございます。ですが、その陶吉、半年前に卒中で倒れ、体を動かすのがやっとになり、 言葉も口の中でもぐもぐ言って何を言ってるのかよく聞き取れない状態になったのでございます。 三月も寝込んでいましたが、深川の俳句の会「季道」の女俳人の菊傘という方が幾度か見舞いがにきているうちに、元気が出てきまして、動けるようになりますと、「儂は隠居して家を出て、極楽寂無寺へ入ることにした、」と、突然言い出したのでございます。 ~おとっつあん、その身体じゃ、死にに行くようなもんですよ、~ ~おかじにお美代、悪いなあ、世話になったなあ、わしゃ死にに行くのだよ~ ~何を言うの、おとっつあんの面倒を見るのが私の喜びなのよ~ ~私のことを看病してもらって、感謝しているよ、ぐずぐずしてねえで、早く死んじまえばさっぱりすると、腹の底では思っていながら、、儂を看病する喜びをなくしてしまって悪いが、儂は極楽寂無寺で最期を送ることにしたよ。 おかじ、お美代、音吉、それに店の者も、儂がいなくなると淋しいなんて言うが、そんなことは思い違いだ、年老いた病人なぞ、面倒で、臭くて堪らないのが正直な気持ちだろう、病人がいなくなれば、店の中の陰気臭さがとれて、清々するだろうさ。 儂に寝ていろ、動いては毒だ、何も心配しないで、寝て居ることが肝心だ、餅を食べてはいけない、塩も砂糖も加減しろ、あれも控えろ、これも控えろ、効くかどうかもわからぬ高い薬を日本橋の薬種問屋楽天堂から買ってきて儂に飲ませて、じっとしていなさいじゃ、だんだん弱っていくだけだ。 不便でも動きが遅くとも、不格好でも、儂はもう、自分で動けるんだ。親切な看病をする人には快楽を伴うだろうが、介護される身は塗炭の苦しみだ。してあげる、いやしてほしくないのに傲慢な親切の押し売りには辟易したよ、 介護される方は惨めなだけなのだ、陰惨の谷に突き落とされ、ぐしゃぐしゃになって腐り始めているんだよ、 うんこや小便を漏らし後始末の不快感に慣れることはできやしなかっただろう、汚い、臭い、でも、それをやる喜びに支配されていて、人からは、偉いのねえ、感心ねえ、と褒められる、いや、他人が誉めなくとも、自分の心の底から、お前は偉い人だとほめあげるものがある。でもそれは違うよ、お梶にお美代、もう嘘はつかなくていいんだ。もう、病気の老人の褌を洗って過ごすなんてつまらない暮しはもうやめて、これからは、楽しく自分の人生をいきるこったよ、 儂もこれから押し付けの親切から解放されて、幸せに死にに行くのじゃ、寝たまま、惨めな姿をさらしたまま死にたくはないのじゃ、今まで生きてきた自分の人生を否定するような死に様にはなりたくはないのだ。 さあ、駕籠をよんどくれ、小梅村の極楽寂無寺までだ、おお、それと、お布施の百両を包んでおくれ、、それじゃあ、さようなら~ ~ええ、百両抱かせて送り出しましたよ、親切を押し付けないでくれ、迷惑だ、儂は犠牲者だとそこまで言われればね、こっちの辛抱の糸も切れましたよ、今どうしてるかですって?さあ、どうしているのか知りませんねえ、もう死んだんじゃございませんか」 三行半(離縁状)を預かっていた、かみさんのおかじはちゃったかりしてましてね、二番番頭の色男の佐吉とさっさと所帯もって、店を継いだということでございます。なんだか腑に落ちねえ話ですがね、、、 通油町の味噌問屋、湊屋金次郎は、銭も貯まった、還暦も迎えた、何不自由はないが、何かぽっかりと心に穴が開いている。何をやっても感動という者に出会わない、何を食ってもああ美味かったという若い頃の嬉しさが浮かんでこない。 女の体に触るのも疲れるし、その間の駆け引きも面倒になってきた。昨日まできたことが今日できなくなる、齢をとるという空しい風に吹かれていたんでしょうな、そんな時に出会ったのが、またあの女、深川の俳句の会「季道」の菊傘という女俳人ですよ、もう、六十に近い歳の女で、色気とかではなく、凛とした知性に惚れたんでしょうかね、 今までに出会ったことのない女で、俳句の会に誘われて幾度か逢ううちに行くうち、すっかり菊傘俳人の魅力に引き込まれて、やがて、小梅村の極楽寂無寺へ行くと言いだし、百両持って、すべてを棄てて、家を出て行ってしまったのだ。 何が不満だったのかいまだに、家人には理解できないでいた。 どうも、瀬戸物問屋の陶吉も、味噌問屋、湊屋金次郎が揃いも揃って百両もの大金を持って、極楽寂無寺入ったというのが胡散臭い。 ~こりゃあ、てえへんなことがおきてますね、まさか、寺で殺されたんじゃあねえでしょうな、それに、菊傘とか言う女俳人の影もちらついて、茂兵衛の旦那、こいつはお江戸が吹っ飛びますぜぃ~ 丑松の大仰病が再発した。「ひっく ひっく ひくっ、三人とも坊主のの餌食になっちまったのか、お天道様はお見通しだと思うがな、ま、このままじゃ、お江戸の町のためにならねえな、ほっとくわけにもいかねえだろう。」「よっ、そうこなくっちゃ、北町奉行野呂山 茂兵衛同心殿!」 つづく 朽木一空
2021年01月09日
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しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 しんでれら物語 1 しんでれら、しんでらあ、 動いちゃいるが ていした意味もなく 鐘の音だけが時を刻み 飯を食って糞をするだけの日々が過ぎ、 だんだんに萎んでいく ぼけてゆく 死んでいく ああ、しんでれら しんでらあ ~秋風に 浮世の塵を払けり~ 菊舎 ~ 葉を落とし 花を落として 軽くなり~菊傘 「てえへんでぃ、茂兵衛の旦那、お江戸を揺さぶる大事件にならねえともかぎらねえや、ひとつ小梅村の方まで出張っちゃもらえませんか、」「ひっく ひくっ、、また丑松の大迎病が始まったな、小梅村とは本所の裏か?」「旦那、まだ何にも言ってねえうちからしゃっくりはねえでしょう、早過ぎはしませんか」 野呂山 茂兵衛は嫌な話の時や閃いた時驚いた時にはしゃっくりが出るのが癖であった。一日中吃逆が止まらなくなる日もあった。 ひっく ひくっと、奉行所の同心部屋ですっとんきょうな声を漏らしていることもままあったので、北町奉行所内ではしゃくり同心と揶揄されていた。 その、臨時廻り同心の野呂山 茂兵衛 に、岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松が持ち込んでくる事案は大抵、殺しや殺傷沙汰などの血なまぐさい事件ではなく、緊急を要することでもなく、取るに足らない些末な事柄なのだが、丑松はさも大事件のように興奮して ~てえへんだ、てえへんだ~と、は茂兵衛の手を借りにくるのであった。 奉行所に訴えがある案件の中で、ややこしく糸が絡み、たいした事件でもなさそうな事案の上、面倒で、成果の期待できない、案件は、見廻り同心の腰が引け、岡っ引き稼業三十年を超える一文疣の丑松に投げられることが多かったのである。 こんどの案件も、多忙な見廻り同心日下部栄三郎から ~丑松よ、おめえだけでなんとか解決してくれ~と、頼まれたのであった。 その丑松は任された案件が自分一人では手に負えそうもないと、北町奉行、臨時廻り同心の野呂山 茂兵衛の力を借りにくるのであった。 臨時見廻り同心は同心の中でも古参で、定廻り同心のように、毎日決まった見回りがあるわけでもなく、その時その時に見廻り同心の応援に駆け付けるのだった。だから、丑松のような依頼にも気軽に応じることができたのである。 丑松が捜索の時によく使う柳橋の「さざ波」という、船宿の二階で、野呂山 茂兵衛 と岡っ引き、一文疣の丑松が、もろこと浅利の佃煮をつまみにして、杯を傾けていた。 「いやあ、茂兵衛の旦那、江戸中があっと驚く事件になるやもしれぬ、怪奇な事件でございまして、そりゃあ、てえへんなことでございますよ」 「ま、、そう興奮するな、丑松はいつだって大袈裟だからな、でぃ、その訴えの中身を聞かせてもらおうか、」 「へいっ、日本橋室町の油問屋 杵屋惣兵衛のかみさんのお万からの訴えでございましてね、まあ、話せば、曲がりくねった六尺蛇のように長くなりますんでぇ、まっ、一杯やりながら聞いてくだせえ、 ~日本橋室町の、江戸でも指折りの老舗油問屋、杵屋惣兵衛、商いの方は順調で油問屋の中でも儲け頭でございまして、跡取り息子の宗太もしっかり者で、番頭の友蔵も腰が低く堅物で、店の方は安泰なのですが、或る日突然、惣兵衛が隠居すると言い、三行半(離縁状)を置き、隠居金として100両を懐に入れ、店を捨てて出て行ってしまったそうなのでございます。 ねっ、てえへんでしょう?、おかしいでしょう?、臭うでしょう? おかみさんのお万はどうせ、大年増の深川芸者とでもできて根岸あたりに古家でも買って、のんびり暮らす寸法だろう、なに、岡場所の女などすぐに飽きて帰ってくるだろうとたかを括っていたのだ。 もう、夫婦関係もご無沙汰してるし、主人の宗兵衛がいなくとも困らない、私は私で、歌舞伎役者の尾上菊八郎の追っかけができれば幸せってもんだ。 そのお万の女の勘が当たったのか、二月もすると、惣兵衛ふらっと帰ってきて、「どうだ、商いの方は順調か、掛け売りはちゃんと回収できているか、大名家への挨拶は欠かしていないだろうな、」などと主人面をして、店の中をじろっと見まわし、番頭の友蔵へ、「百両都合してくれ」と、突然言いだした。 百両と言えば杵屋にとっても大金だ。こりゃあ、てえへんですよ、、ねっ、女に騙されているに違いないと思い込んだ息子の宗太に女房のお万、それに番頭の友蔵が膝を並べて、「いったい、そんな大金を何に使うのですか?」と、惣兵衛を問い詰めた。 惣兵衛は一年前から菊傘という女俳人が主催している俳句の会「季道」という会に顔を出していたそうなんだ。 その菊傘という俳句の師匠は、なんでも、松尾芭蕉の女弟子で、女芭蕉と呼ばれ、奥の細道の行程を逆に辿り俳諧の旅をした俳人田上菊舎の弟子だそうで、菊傘という俳号を貰ったということです。 その菊傘という女俳人は、日本橋の大店の茶問屋静岡屋のお内儀だったのだが、60歳を過ぎてから、突然、家を出て俳諧の道を歩むと言いだし、大店の内儀という贅沢な暮らしも主人も子供も捨てて、世間と縁を切ったというんですよ。 菊傘という女俳人は深川の大川端に庵を持ってひとりで暮らし俳句の会「季道」を主催し、句作の日々を送っているそうで、、 その、菊傘という女はもう盛りを過ぎた老婆だが、まだかくしゃくとしていて、品のある、知性的なふるまいの女らしいのだ。宗兵衛はその菊傘という俳人と、時々、茶屋であっていたのだ。 お万は気にも留めていなかったが、大金の行く先がその菊傘という女のところではないかと目星をつけて、問いただすと、惣兵衛は、そうではない、百両の金は極楽寂無寺へのお布施だという、女など囲ってはいない、俳人の菊傘さんとは俳句だけの繋がりだという。 だが、そんなことが信用できるものですか、もともと、惣兵衛は信心深い人間ではなかったのだ。お布施などといい加減なことを言って、女に騙されているに違いない。こいつは詐欺に違いない。「父上、隠居後の暮しに困らないようなお金なら出しますが、そんな意味不明のお金は出せませんよ」ぴしゃり、息子の宗太、女房のお万、番頭の友蔵は断った。「嘘じゃないんだ、小梅村の極楽寂無寺という寺で暮らしているんだから、嘘だと思うなら、そこへ持ってきておくれ、」 と、にこにこしながらそう言うんだ。商いの時には厳しい顔しか見せなかった惣兵衛の変わり様にお万も、宗太も友蔵も驚いたそうだ。 それから一月も音沙汰がなかったのですが、惣兵衛から飛脚便が届きたのでございます。 ~今は小梅村の 極楽寂無寺、という寺に出家して修行生活をしております。すでに、生前葬儀を終えました。私は楽しく死んだのです。私はもう死んでいまから、店や家族、取引先お得意さんなど修行の妨げとなる世俗の生活すべて捨てました。百両だけ届けてくれれば、後は何もいりませんので、どうぞ、皆さんで分けて仲良くお暮しください。しんでれら、しんでらあ~ という、意味のよくわからない、ふざけた内容の手紙でした。 この手紙を読んでお万は不吉な予感がし心配になった。三行半(離縁状)は宗兵衛から貰っているがお万にはは惣兵衛と離縁するつもりはないというのです。 小梅村の極楽寂無寺とやらで、主人の宗兵衛がどうしているのか確かめたい、惣兵衛が百両もの大金を騙され、挙句の果て殺されるのではないかと不安で夜も寝付かれない、宗兵衛は拉致されているのではないか、そうならば、連れ戻さなければいけないと思い、奉行所に訴えたのでございます。~ と、まあこんな訴えなんでございますよ、ねっ、茂兵衛の旦那、何とも摩訶不思議な奇怪な事件でござんしょう、江戸がひっくり返りかえるかもしれねえ大事件になりますよね、放ってはおけえねえと、野呂山 茂兵衛の顔に書いてありますぜ」 つづく 朽木一空
2021年01月07日
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江戸こぼれ話へた絵でございます 日本橋の大店でございます。 へたくそだが、味のある絵だなんて、そんなおだてにのって描いてます。 苦みばしったいい男、粋と鯔背な二枚目? それとも遊び人の傾奇者でございましょうか、、 御用だ!御用だ! お江戸を守るのは御用聞き(岡っ引き、目明し、手先、)だってんだい。 事件解決は奉行所の同心の手柄になってるが、十手を預かり、同心の手先となって動く、親分と言われた岡っ引きの腕次第だってこと忘れちゃ困りますね。 賄賂、袖の下、恐喝、初場代、見逃し料を巻き上げるので、悪い輩だなんてほざく町人もいるが、何せ岡っ引きは、同心の私的雇用人、月に一分一朱の僅かな給金だ。これだけじゃあ、おまんまの食い上げですよ。 江戸の町の穏やかな暮らしを守るのが我々の仕事、江戸の掃除人だ、町のために動いてんだ、少しは、町の人から貰わねえとな、、、 町人に罪の疑いがかかり、お白州に引っ張り出されることになればと大変だった。名主、町役人、大家まで奉行所に引っ張り出されて詰問を受ける。 そこへ、岡っ引きが出てきて、ことと次第によっては情けもあるよ、丸く収めてやるからと、奉行所の世話にならずに済ませてあげる。 ありがとうございましたと、お礼の銭、まっ、あったりまえでしょうな、 花のお江戸を守ってるのは、十手かざした、岡っ引きでい、 大家といえ親も同然なんて言いますが、大家さんは忙しい、断っておきますがね、大家は家主じゃありませんよ、家主から頼まれて管理しているのでございます、家主ですか?まっ、表通りの大店が多かったようですな。 さて、大家さんの仕事は、家賃の回収はもちろん、井戸や下水、雨漏りなどの長屋の補修、店借り人のもめ事の仲裁から、人生相談、結婚だって大家の承諾が必要でございまして、大家は、まあ、長屋よろず世話焼き係りといったところですかな。 ~大家さん、今月の家賃もう少し、待ってください~ ~だって、おちよさん、もう三月もたまってるよ、~ ~飲んだくれの旦那に一発ガツンと言ってやりましょうか、~ ~お願いしますよ、大家さん、~ まだまだこれからおもしろい江戸はなし 笑左衛門、
2021年01月05日
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御慶申し入れます、、、、、商人、武士の正月 江戸時代は陰暦(旧暦)で、元旦から春でございます。1月から3月が春、4月から6月が夏、7月から9月が秋10月から12月が冬であります。 1月7日までは松の内、この間、家の掃除はやりません、箒(ほうき)で幸福を吐き出しちゃあいけねえ、てなことで、7日までは手足の爪も髪の毛も切らないのであります。おっと、糞や屁はしますがね、、 元旦には初日の出を拝み、近所の神社で初詣、三が日は、年始回り、2日から商店の売り出しがはじまり、町には、獅子舞、門付け芸人、三河万歳、角兵衛獅子、春駒踊り、すごろく売り、の声が響き、賑やかになるのでございます。 一月の下旬からは鶯が鳴き、桃の花が咲きだします。 おっとその前に、商人と武士の正月の風景をごらんくけだせぃ、 商家の正月はぐうぐう寝正月が多かったのでございます。 大晦日に夜通し働いていた人たちは、明け方、近くの寺社仏閣にお詣りに出向き、帰ってきて屠蘇酒をのみ雑煮をいただく。その後は、ぐうぐうと寝正月。正月ほど侘しいものはない。食べるのはおせちと雑煮だけ。 松の内(七日まで)は店は休んでいますが、大名家やお旗本様や取引先へ、年始のあいさつへ窺がわなくてはなりませんので、店は休んでも、元日はゆっくりと過ごし、翌日から仕事をしている店もあったのです。商家のあいさつ回りは二日からでございます。 日本橋の魚河岸は、初売りが二日でございます、元日の夜には、準備や挨拶まわりで大忙し。二日の朝からは、市場も商店も料理屋も開くため江戸中からひとが押し寄せての大賑わいでした。 商人が挨拶廻りにくれば、店や家に招きいれて酒を飲ますのが習慣でございますので、番頭さんなどは、これを目当てに挨拶廻りに出かけますが、10軒まわるはずが酔っぱらって、2軒でお終いなんてこともありまして、武家の新年の挨拶とは違って、商人たちは、千鳥足の楽しげなお年始参りでございます。 さてさて武士のお正月でございます。 武家の正月は、上役への年始回りは欠かせない。新年のご挨拶は「年礼(ねんれい)」と言われそりゃもう、義理ごとこそ何より大事なお江戸の武士の方々でござりますれば、元旦からあっちへ年礼、こっちへ年礼、礼者(挨拶まわりする本人)は、羽織袴の正装、従者を連れ、年始の扇を持ってあいさつ回りでございます。 旗本以上の武士ともなれば、江戸城への年賀登城はお決まり、元日の朝六つ半(7時ごろ)から御三家はじめご一門、譜代大名、諸役人が挨拶に登城します。そして二日・三日は朝五つ時(8時ごろ)から外様大名、諸役人、京坂江戸の大町人などが続々と江戸城へご挨拶に訪れました。 大変なのは、元日に挨拶へと出向く大名家です、大晦日のうちから準備を整え、夜が明けきらぬうちにお供を連れだし江戸城へと向かうのです。 また上級旗本はもちろん小者とて同じ。式服での年賀登城からはじまり、主君への挨拶など、関係各所を訪ねて年始回りをいたします。式服を着用して、江戸中を歩きまわり、年頭のご挨拶をしてまいりますが、挨拶すべき相手方の本人も、もちろん年始回りに出掛けているため、玄関番や取次の「申し伝えます」との言葉でおしまいでございます。 武士のたしなみとでも申しましょうか、武家の形式美を毎年こなす、お正月でございます。挨拶に出向くには体面上、お供の一人もいなくては様にならないのだが、中間も正月は暇を取っているので、三が日は町人を雇って臨時雇のお供を連れて誤魔化す武家が多かったのです。 1日に10軒以上の挨拶回り、お供役の臨時雇いの町人は荷物を持って歩くのですから体力もいります。その分実入りがよかったのでしょうね、年末にツケを返せなかった分を稼いだのです。 ~どんなに金を積まれたって、正月は骨休めと決まってんだい、武士のお供なんぞ馬鹿馬鹿しくてやってられねえやい~ と、啖呵を切った彦五郎、おやおやそんなこと言ってると、昨年のツケを払わなきゃあ、明日から、どの店も彦五郎には売ってくれやしませんよ、、、 お正月には七福神参りも盛んでございました、人間の七福を七神にあてた信仰からはじまったとされていまして、商売繁盛、五穀豊穣をもたらす恵比寿(えびす)、竈を守る神様で商売繁盛をもたらす大黒天(だいこくてん)、武神の毘沙門天(びしゃもんてん)、財や富をもたらす女神の弁財天(べんさいてん)、福徳や人徳の神である福禄寿(ふくろくじゅ)、健康や長寿をもたらす寿老人(じゅろうじん)、開運や良縁をもたらす布袋(ほてい)のいいことづくめの七柱でございます。 浅草寺境内では羽子板の音が子供らの歓声とともに響いておりまして、空では子供たちが奴凧と奴凧をからめて奪い合う“からめっこ”をして遊んでます。 新春の日も昼を過ぎ、お参りをし、おみくじで今年を占いながら、酔い覚めしの草履を運べば、颯々と、めでためでたの正月風が、頬をかすめ、御慶申し入れます、とご挨拶しているようでございます。 ~元日や 今年もあるぞ大晦日~ 誰が作者か馬鹿馬鹿しいが面白れいやっ、、 笑左衛門
2021年01月03日
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御慶申し入れます、、、、、お江戸の正月 「ご隠居、御慶申し入れます」 江戸時代の新年の挨拶言葉は、明けましておめでとうございます、じゃあない、 御慶申し入れますと申します。御慶とはおよろこびのこと。「おお、彦五郎、おめでとう、今年も江戸散歩のお付き合いよろしく頼みますよ、 では、お年玉じゃ、この本渋扇子(せんす)をあげよう」 「早速ながら、お年玉など頂戴いたしたし、ありがとう存じます」 江戸時代の正月のお年玉は、末広がりで縁起がいいと、扇子を贈ったのでございます。日本橋当たりの大店なんかは、新年のあいさつ回りでいただいた桐の箱に入った「お年玉」の扇をみんなから見えるように、玄関に積み上げ、 ~ほうごらんよ、うちの店はこんなに挨拶される立派な店なんじゃ!~ と誇らしげだったとか。 さて、お江戸の正月はというと、 ~武士はばたばた 商人はぐうぐう 長屋じゃ呑め呑め、 外じゃ、凧あげ、 羽子板の音~ 長屋暮しの庶民の正月は質素なもので、元旦の朝には雑煮、餅を食い、昼はお節料理を食べた。雑煮はしょうゆのすまし汁に焼いた切り餅や小松菜、里芋、大根などを少し入れれば良しとされています。 米が大好きな江戸っ子たちは3日間雑煮を食べ続け、4日になってようやく待ちに待った白いごはんにありつけるわけです。 ~三日食う雑煮で知れる飯の恩~ なんて川柳もございます。 おせちは「一汁三菜、平(ひら)、膾(なます)、焼肴(やきざかな)」です。汁物のほか、平は煮物、膾(なます)は酢の物(レンコン、大根や人参をせんぎりにしたもの)そして焼き魚です。 ~ほつほつと 喰摘(クイツミ)あらす 夫婦(メオト)かな ~江戸川柳 「喰い摘み」は、御節(おせち)料理を重箱に詰めたものです。 ~喰摘に ことしの物ハなかりけり~ さて、正月は何をしてるかってえと、庶民は働くなんぞもってのほか、長屋でごろごろしています。元旦は湯にも入らず、掃除もしない、何にも縛られずに、朝からお屠蘇を飲んで雑煮を食べて酒を酌み交わし、お節料理をつまみ、ごろごろしている休息の時なんでございます。 子供たちが狭い長屋にから外へ出て、はしゃぐ声が聞こえるのと、羽根つき音が かつーん、かつーん、と、聴こえるだけで いつもの、棒て振りの声も物売の声も聞こえず、町中は静まり返りかえっていますねえ。 やることもなく、酒でほんのり頬赤く。男も女も燻っていた手を延ばし、足伸ばし、二人の子供に三文握らせ、風にでもあたっておいでと長屋から追い出して、子供だって親がなにするかぐらいわかってらあ、、、 ~松の内 我が女房にもちょっと惚れ ~ ~かゝあどの ひめはじめだとばかをいゝ~ ~元日は夢とほうきにようはなし~ ~掛り人 数の子などはころし食い~(掛り人とは居候のこと、音を殺して数の子を食べた、まあ遠慮してるってことですよ) 本年もよろしく可愛がってくだせえまし、、、 笑左衛門
2021年01月01日
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