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ぼんくらだねえ、(盆暗) 江戸言葉1 お江戸を歩くのには、江戸言葉を知らねえと馬鹿にされちまうよ、、 阿婆擦れ、(あばずれ) 可愛げのない、すれっからしの悪い女のことよ、 身持ちの悪い女、不貞な女、 品がなく厚かましく、卑しい、意地の悪い女、尻軽女、売女、すべた、 いやはやなんともよくも悪口並べたもんだね、、 でもねえ、江戸の町にゃ、阿婆擦れにだって優しい女もいたんですよ、 悪所ばかりに出入りしているので”悪場所ずれ”が語源だとか、暴れ者の”あば”から来たという説もあるそうですな、、 雲助、 浮雲のようにあちこちをさまよって、呑気に気楽に暮らしているいい男、 いやいや雲助はそんな風流人じゃありませんよ、空に浮かぶ雲どころか、蜘蛛助とも呼ばれるんですから、 駕籠かきや荷役、川渡しの人足を仕事にしている無宿人のことをそう呼ぶんですがね、人の弱みに付け込んで、法外な値段で籠代や渡し賃を要求したりする、まあ、雲助ってえのは、悪いほうの呼び名だね、 蜘蛛のように網を張ってカモになる旅人を待っていたからという説があるほどですからね、、気を付けなきゃ身ぐるみはがされちまうよ、 大根役者 ~大根は、うめえぞ、だがよ、おめえは大根にもなってねえ、へたということ~ 下手糞な役者のことを大根役者という。葭簀張(よしずばり)の芝居小屋には芝居の稽古もしない、見様見真似のこの類(たぐい)の役者がごろごろしていたんだ。三文役者とも呼ばれていたがね。 見た目だけは白粉(おしろい)で塗りたくって、白くて綺麗だがたいした味もしない大根に例えたとか、、、 大根はいくら食べても食あたりしない、つまり”あたらない役者”という洒落のつもりだそうだ。 ぼんくら (盆暗) ぼんやりしている、頭の働きが鈍い、間の抜けた男、要領の悪い人、 ~おめえさん盆暗だねえ、、~ さあ、張った張ったの丁半博奕、盆の上の賽(さい)の目を読むのが下手で、読みが悪く負けてばっかしいる人のことを盆に暗い、ぼんくらといったそうだ、目利きが暗いというわけじゃな、、 てへっ、、笑左衛門
2020年01月30日
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ぼてふり話 その 5 その顔 修繕いたしましょう、、 直し屋の定吉さん、あたしの顔も直してくんなまし、、 お江戸の町は究極のリサイクルの町なんでございます。 古着は何度も洗い張りし張り直し、古着仕立てをし、すり減ったり破ければ、継ぎはぎする。継ぎはぎしていない着物の子はいなかったくらいだ。 古着が、ボロボロになったら赤ちゃんのおしめにし、雑巾や下駄の鼻緒になるまで、使い切り、最後にはボロとして売り払います。 破れ傘にも、古傘の骨買いがいて、傘は張り直しますし、蝋燭のカスも溶かして芯をいれ、新品に生まれ変わりますし、紙くずも紙くず買いがいて。溶かして漉きなおし、便所紙になるのでございまして、この神を浅草紙と申しました。 吉原でも紙屑が大量に出ました。当時の吉原には4000人もの遊女がいて、男女の営みの後始末にちり紙を使いましたが、この屑さえリサイクルされておりました。 その他にも、直し屋のぼてふりが町々を廻っておりまして、下駄の歯の修繕、鏡磨き、たがの緩んだ樽の修繕、こたつやぐらの修繕、行灯と提灯の修繕、羽織の組紐の修繕、そろばんの修理、割れ鍋直し、焼きつぎ屋(壊れた瀬戸物修繕)、煙管の雁首と吸い口を繋ぐ竹の菅の取り換えをする羅宇屋(らおや)、 看板直しまでいまして、修理用の道具や材料を入れた箱などを天秤棒にぶら下げて歩く姿は普通のぼてふりと変わらない恰好でした。 ああ、江戸の町は修繕屋さんがいてうまく回っているんですね、 おっと、おかみさん、ちょいとその顔の修繕はご勘弁くださいね、、 てへっ、 笑左衛門、
2020年01月28日
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両国橋笑流譚 4 河童の見世物だよ、 おやおや、見世物の口上についつられ、ついふらふらと、、、 ~河童の見世物だよ、ここでしか見られねえ、見なきゃ後悔するよ、~ さて、両国広小路の葭簀張りの見世物小屋でも覗くといたしやしょうか、 ~さあさあ、お立合い、御用とお急ぎでない方は覗いておいで、驚いちゃいけない、両国でしか見られない、おお鼬(いたち)の見世物だ、 浅草寺の裏山で捕れたばかりだから近寄ると危ねえよ、一発かまされるかもしれねえよ、さあさあ、見なきゃ後悔するよ、お代は見てからで結構、さあ入って入って間もなくはじまりだ、、、 派手な絵看板に巧みな口上でお客の足をとめ、木戸銭を頂く。 なに、小屋の中に入れば、血の流れた跡がある六尺板があるだけだ、 ~大きな板に血、つまり、おおいたち~というわけだ。 見物人も”やられた”と思うが、お客も目くじら立てて怒ることもなかったようで、ここが洒落がわかる江戸っ子てえもんだ。 この手のアヤシゲな、インチキな、冗談半分の見世物小屋が並んでおります。 芝居小屋は木戸銭32文でしたが、この手の木戸銭は騙されても腹のたたねえ、三文、三文芝居というわけだ。 ~さあさあ、人魚だよ、江戸でしか見られない代物でぃ、上半身は目の覚めるような生身の美人だが、下半身が魚だよ、この人魚、漁師が悩ましくて仕事にならねいってんで、鉄砲で撃ち取られた可愛そうな人魚でございます。 ところがどっこい、この人魚をひと目見れば寿命は延び、悪事災難はどっかへ行き、一生幸せ間違いない、というものすごいご利益あふれる見世物でございますよ、さあさあ入った入った。 はいってみれば、干からびた大鯉が置いてあって、人魚のミイラだと書いてある。 なあんんだと、言われるるような、まあ、いい加減なものでしたね。 大ざるはでかいよ、子ざるは可愛いよ、どんな猿がいるのかと思って覗けば、 大きな笊と小さな笊が並んでる。さるとは言っちゃあいねえよ、ざるだよ、 瓢箪に毛を植えて河童に似せて、紐で瓢箪を操る、河童が泳いでるように見せた河童屋、大きな穴に子供を入れて大穴子と称する駄洒落や、蛙娘、ろくろっ首なんてもありまして、まあ半分はその口上が面白く、騙されるのを承知で覗くのだ。騙されるのを承知で行くなんざ、岡場所の姐さんと一緒だね。 それが証拠にどの小屋も年中大入りでございますよ、 さあさあ、奥羽山脈で捕らえた正真正銘の大熊だ、びっくらこいちゃいけねえよ、背は、七尺(2.1m)を超え、重さは百貫(375kg)を越えてる、生きたまま捕らえた日ノ本一の大熊だ、両国名物の大熊だ、女房質に入れても見るしかないね、、 恐る恐る小屋へはいってみる。後ずさりするほどの迫力で、でっかい熊が。ぶおぉーぶおぉーと咆哮する。 高下駄を履いて熊の皮を被った、あの熊太郎が中にには入っていたのだ。もと津軽富士の相撲取りで、両国橋の押しやの熊太郎、こんなところで働いていたんですね、それにしても大迫力お見事ですよ、 ~なにせ津軽に仕送りしなきゃなんねえからね~ まだまだ、両国広小路には見世物小屋は色々ございまして、 曲独楽(きょくごま)なんかは本格的で人気がりました。コマの刃渡りに糸渡り、扇子の上でコマを回す”地紙止め”に着物の袖の上を渡る”衣紋(えもん)流し”などなど、見た目にも美しいコマを使っての華麗な技の数々に人々の目は釘づけ。 曲屁(きょくべ)なんて、ふざけた見世物もございました。 曲屁における不動のスターは、霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)と言いまして、両国では人気者です。おなら芸は非常に巧みで、かの平賀源内もゾッコン惚れ込み『放屁論』という本まで書いたほどでございます。 ああ、臭いますねえ、、きょうはこれまで、またのご来場お待ちしてます、、 笑左衛門
2020年01月26日
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両国橋笑流譚 3 男任侠、両国広小路取締役の熊五郎一家でござんす。 ”火事と喧嘩は江戸の華”なんて言われてるくらいに、江戸は頻繁に火事に見舞われた。明暦の大火以後、火事になっても、江戸の庶民が逃げられるように、幕府は江戸と本所深川を結ぶ両国橋をつくったんだとさ。 でもね、橋は木で作られているんだから、火事になって燃えちまったら話にもならない。そこで、橋の東西の袂に作った日除け地が両国広小路というわけだ。 ところがどっこい、人が大勢行き来する広い空き地をめざとい者が放っちゃおかない、すぐに無断使用して商売を始めだした。 そのうちに、こんな広い空き地をなにもしないのではもったいねえじゃないか、使わせろと、願い出るものが多く、幕府はしぶしぶ、将軍が船着き場を使う時にはすぐに片づけられる、葭簀張り(よしずばり)ならいいだろうと、という条件で、許可をしたのだ。 さあそうなるってえとてえへんだ。何処からともなく商売人が集まりだして、棒て振りはもとより、葭簀張りだけでなく、仮設の小屋までが立ち並び出だし、 屋台の蕎麦屋、すし屋、甘酒屋、煮売り屋、団子屋、などの食べ物屋に、香具師、テキ屋、露天商、の店が集まり、次第に、賭け将棋に大道芸や軽業、猿回しに手品、浄瑠璃、講談などの見世物小屋に芝居小屋が集まり、あれよあれよという間に火除地は埋まってしまい、柳橋に隣接する西橋詰一帯の両国広小路は江戸随一の盛り場として栄えることになったのでございます。 さてさて、この 両国広小路を仕切ったのが、ご存知侠客の鬼瓦の熊五郎親分でございます、 熊五郎親分は奉行所から十手も預かり、広小路界隈の御用聞きも兼ねていたのだ。 雑多な人間の集まりの広小路は 奉行所の定廻り同心なんかじゃ、とてもとても治まららしない、なんせ、両国広小路には、一旗揚げようと、一癖も二癖もある連中が集まっきていた。無宿者、流れ者、破落戸(ごろつき)に相撲取りのなり損ねまでも、一発当てようと入り乱れている、 いざこざ、喧嘩、縄張り争いは日常茶飯事で、あちこちで小競り合いがおきて物騒な町になりそうだが、それを抑えているのが鬼瓦の熊五郎親分だ。 もともと博徒で広小路のなかでも博奕場も開いていて、縄張り内の店からは「守り代」と呼ばれる銭(かすり)をとっていた。 ~何かあったら俺たちに言いな~という銭であり、銭を払えさえすれば、安心して商いができたが、銭を出さなければ、商いはできなかった。そう、葭簀張りの店などあっという間に潰されたのだ。 ~おいっ、興行は七分三分という決まりだぞ、~ つまり上がりの三割は熊五郎一家が取り上げる。 侠客、やくざだと言われ、寄生虫だ、悪の権化のように言われているが、熊五郎親分のような度胸と意気の男がいるから、両国広小路の規律は保られていたのだ。ちんけな破落戸も町奴も旗本奴も広小路の店にいちゃもんをつければ、熊五郎一家の者が駈けつける。 まあ、用心棒代として、高いか安いかは別として、 ~強きをくじき弱きを助ける~ 任侠の熊五郎は両国広小路では一目置かれていたのである。 義侠心は男の中には誰にでも存在する感情で、自分を捨てても他人を助けてえと思う、義侠に生きる男こそが侠客だった、子分たちもその感情に酔っていたので、 熊五郎一家は両国広小路では人気が高かったのである。べんべん 笑左衛門
2020年01月24日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 14 芽が出 花咲き やがて散る、 生きるとは終いに向かって歩むこと、 老いて、萎んで、縮んで、朽ちて、 老いた忍草は醜草(しこくさ)、お笑い草でございますよ、 冬の忘れ草なんざ、うっちゃっておいて、くださいませんか、 遠山景元は猿若町の一軒以来、変身して町を徘徊する楽しみに嵌まっていった。花川戸町七軒店、『変身処百顔堂』の藤兵衛に金四郎は口やかましく説教された。「よいですか、変身するのは見た目だけではないのです、外も内も変身しなければ意味がありません。形も心も行動もすべてなりきるのが変身なのです。正体を明かすようなことをしていただいては二度と変身することはできませぬ、」「悪かった、藤兵衛、それは必ず守る、変身したら遠山景元は捨てる、忘れる、約束する。」「お約束ですよ、では、今日も金四郎に変身いたしましょうか」「その前にひとつ頼みがある。あの芝居で見せた桜吹雪の刺青、あれは下着であろう、あの桜吹雪の刺青の下着を譲ってくれ」「ようございますが、まさか、お白州で使うのじゃないでしょうな、、」「いや、悪の奴らに、あの刺青を見せると面白いかもしれぬな、はっはっはっ」 遠山影元はもともと、引っ込み思案の気弱な性格だった。若い時に放蕩したという噂もあるが、旗本仲間に誘われ、若気の至り程度の町遊びであり、江戸の庶民の生活や悪所に精通しているわけではなかった。庶民の町の面白さを感じたのは花川戸町の変身処『百顔堂』を知ってからである。 猿若町の一軒以来、たびたび隠密で奉行所を抜け出し、百顔堂で変身し、隣の一膳めしや『猫まんま』で酒を飲み、猫飯の『やみつき丼』を食べ、ほろ酔い機嫌で浅草寺や本所深川をぶらつきながら裏長屋の庶民の生活を横見し、門前の茶店で団子を食い、屋台の蕎麦を食い鮨をつまみ、樽に座って安酒も飲み、吉原遊郭の格子の女に足を出すこともあった。 北町奉行 遠山左衛門尉影元は完全に捨て、町民の金四郎になりきっていた。 浅草花川戸町七軒店の変身処『百顔堂』の前に扉付きの豪華な籠が停まった。遠山景元はきょろきょろと、周りを見渡してから、さっと、百顔堂の店の中に消えた。 隣の一膳めしや『猫まんま』の奥の小上がりでは老忍、礫の退四朗こと、陰庭退四朗が暗い顔をして、浅利の佃煮を肴に酒を飲んでいた。「お奉行様などと、いいきなもんだ、こっちの気持ちは知りもせず、庶民の気持ちを理解するためだとはよく言うよ、、、」 このところ、遠山影元の警護の機会が増えて、退四朗は身心が疲れ切ってもいた。「いいかげんに草という仕事から三郎太のように逃げて、、、殺されてしまうか」 そんな退四朗の気持ちを無視するかのように、畳の下から竹筒が顔を出すした。 江戸の頭目、上忍筧三蔵からの繋ぎであった。今日も金四郎様のお出ましか、そのたびに退四朗は酒杯を伏せて、遠山影元の影になって警護しなければならなかった。 だが、遠山影元は猿若町の事件以来、変身したら、奉行の身分は一切消し去り、下層の町人になりきったので、陰庭退四朗の礫が江戸の町に放たれることはなかった。 遠山の金四郎の方は呑気なもので、忍草、礫の退四朗が自分を警護していることなど、まったく気がついていなかった。 今戸町の大川の原っぱの萱の白穂が、夕陽を浴びて茜色に染まり、風に揺れてきらきらと光っていた。ぴたっと風が止んだ。ザワザワと葉が擦れる音も消えた。夕凪であった。大川に静けさが漂う夕刻である。 萱を揺らす兎も狐もいないのか、萱の穂はじっと頭を垂れていた。 老忍、礫の退四朗が『猫まんま』の小上がりに姿を見せなくなったのは翌年の早春であった。影に生き、闇に消えた忍草、礫の退四朗は冬の忘れ草になってしまったのだろうか。おわり 朽木一空
2020年01月22日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 14 座敷席の遠山金四郎、ここで黙って、臆病風に吹かれていたのでは、男が廃る。だが、出て行って、叩き潰されたのでは奉行として恥の上塗りになる。 が、ここで立ちあがらなければ、遠山の金さんが惨め過ぎる。えいっ、金四郎は矢も楯もたまらずに立ち上がった。 「ちょいと、赤鳥だか、阿呆鳥だ知らねえが、庶民の楽しみを邪魔立てするのは、やめときな」「何を、田舎者が、きさまは誰だ!!」「この江戸の塵どもが、聞いて驚くな、腰を抜かすんじゃねえよ、俺が本物の遠山の金四郎だ!庶民を虐める奴を黙って見ちゃあ、いられねえんだ」 だが、遠山の金さん、啖呵を切ったもの、声が裏返り、足が震え、咽が引きつり、胸が高鳴り、もう倒れる寸前であった。 荒くれどもが顔を揃えて、遠山を睨み付け、一歩前に出た。絶体絶命!! 鳥居耀蔵の遠山を潰す策は当たった。ここまで読んで、赤田左膳を猿若町に行かせたのだった。遠山影元はまんまと、鳥居の罠に嵌まったようだった。 六尺を超える大男の赤田左膳が金四郎を睨み付け、ぎんぎらの鞘から長刀を抜く、その刃が金四郎の頭上に振りかぶったその瞬間、、、 ビューンと、礫が飛び、赤田左膳は眉間を打ち抜かれ、顔面から血が噴き出して倒れた。次に飛んできた礫は、舞台の上で破裂し、赤い粉が飛び散った。唐辛子の礫だ。舞台の上は赤い唐辛子の煙幕で視界が消えた。眼を開けていられない、 咽や鼻は痛くて、咳が出る、うつぶせになるもの、しゃがみ込むもの、何が起きたのかわからない。 ビュー、ビュー、とまた礫が飛ぶ。 ドタン、バタン、ガタガタ、グエェ、ギャアア、舞台が揺れ、悲鳴が鳴る。 やがて、霧が晴れるように、煙幕が消えると、舞台の上に立っていたのは遠山の金四郎一人だけだった。 赤田左膳以下、天保赤鳥党の五人は舞台の上で倒れて動けない。 それを見ていた客席からはまたも、やんやの喝采が起きた。「いよっ、遠山の金さん、あっぱれ あっぱれ!!!」 もちろん、礫を放ったのは、陰庭退四朗である。 赤田左膳には石の礫、舞台には唐辛子の礫を投げ、赤い煙幕で無頼者たちの目が見えない間に 次々と礫を放ち、礫は正確に、無頼者たちの額、眉間、咽ぼとけ、こめかみの急所を射止めた。北町奉行 遠山左衛門尉影元、客席に向かって「これにて一件落着!!」と言い放った。つづく 朽木一空
2020年01月21日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 12 田んぼの中の吉原遊郭 歌舞伎座のある猿町 弾左衛門様の新町、 山に囲われた伊賀の里、 囲われたるほうが、気儘で自由に 暮らしてるじゃありませんか、 さてさて、金四郎、大門を潜って、その囲いの中の猿若町に足を踏み入れた。「あっぱれ御存じ、遠山の金さん、天下の名裁き、でんでん!!」 金さんの役者絵が描かれた大垂れ幕の芝居小屋の前で、金四郎はにんまりと笑った。自分のことを褒めちぎっているので、こそばゆいが悪い気はしない。 座敷席に座って、ちびちび酒を飲みながら舞台を見る。どんな筋書きなのか、金四郎は、わくわくしてきていた。 舞台の上で物語が進むうちにだんだん引き込まれていき、いよいよ芝居も佳境にはいってきた。 舞台は北町奉行所、白州に捕縛された悪人たちが曳き出されてきた。 ~北町奉行 遠山左衛門尉様、ご出座~!!~ の声と太鼓と共に、歌舞伎役者菊之丞の遠山奉行が登場する。 ~待ってました金さん!!~ 客席から声がかかる。 吟味役の奉行に悪党どもが、のらりくらりと薄ら笑いをしながら、「身に覚えがござんせんが、」と、すっとぼけると、北町奉行遠山景元の態度が一変する。今までの謹厳な口調とはガラリと変わり、べらんめえ調の江戸言葉で一喝する。「やかましぃやい! 悪党ども!! 黙って聞いてりゃ寝ぼけた事をぬかしやがって!、おいおいっ!この桜吹雪が目にはいらぬかぁ、まさか己ら! 見忘れたとは、言わせねえぞ!!」」 と、啖呵を切り、片肌脱ぐと鮮やかな桜吹雪の刺青が浮かび上がった。 ~いいぞ、金さん!~ と、またも客席から声がかかる。 だが、その時、座敷席の後ろの方から、五人の薄汚れた浪人風情の侍が舞台に駆け上がってきた。 「待った、待った、待ったの助だぃ!」 どかどかと舞台に駆け上がってきたのは、あの赤田左膳率いる、『天保赤鳥党』の荒くれ者だった。 奇異で派手な衣装と、如何にも悪人面なので、客には芝居役者のようにも見え、まだ事の顛末を理解できずに、舞台を唖然として眺めていた。「お侍様、猿若町は幕府から許可を頂いているご意見無用の囲地(かこいち)でございますよ、」「いや、勘弁ならぬ、派手な着物、飾り物、すみな御禁制だ、取り上げろ、これが天下の御定法だ。それに、庶民の心を乱れさせる、嘘で固めた糞芝居は即刻禁止だ、お奉行の鳥居様を愚弄するなどもってのほかのとんとんちきだ!おいっ、そこの役者、菊の丞とか言ったな、お前のその顔二度と拝めぬ顔にしてやるから、そこに居直れ!」「いいえ、このお芝居は、悪い人を懲らしめる、お江戸の味方、遠山の金四郎のお芝居でございます」「何を申す、幕府のご改革にいちいち文句をつける弱虫奉行に陽をあてるとはけしからん!!」天保赤鳥党の赤田左膳は役者たちを蹴飛ばし、客に向かって言い放った。「わしらは、南町奉行鳥居耀蔵様配下の、『天保赤鳥党』である。 今後、猿若町であろうと、遠山の金さんの芝居は禁じる。演じる者、見る者、みなひっとらえるのを覚悟しておけ。、、この芝居小屋は今日をかぎり叩き潰す!」つづく 朽木一空
2020年01月20日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 11 隠忍自重、堅忍不抜、忍気呑声、 忍とはしのぶことなり、耐えることなり、 怒り、悲しみ、悔しさ、辛さ、 我慢し、抑え込み、自重する、 すなわち、忍者とは自分を殺すことなり、 天保13年、幕府は天保の改革を推し進めていたが、改革が進まぬ苛立ちを感じていた南町奉行の鳥居甲斐守耀蔵は寄席、歌舞伎、芝居小屋の全廃を主張し老中水野忠邦に進言した。 「手品、講談、声帯模写、浄瑠璃、人形遣い、小唄、落語、などが庶民の人気を買っておりますが、不謹慎極まりないことでございます。さらに、役者どもは、贅沢三昧の着物を着、きらきら光る簪、派手な化粧で、人気を博し、町中を徘徊し、女どもの心を惑わし、淫らな芸で金を稼いでいる。 彼らは屁の役にも立たない無益の遊民にすぎず、江戸から追放すべきです。このままでは奢侈贅沢の取り締まりもままならぬ。寄席、歌舞伎、芝居小屋を城下から無くすべきだと存じます」「うむっ、芸人、役者は無益な遊民だとな、世の乱れの根源であるとな、、、して、遠山はどう思う?、、、」 北町奉行の遠山左衛門尉景元は席亭や歌舞伎、芝居小屋から膨大な賄賂を受け取っており、何とか歌舞伎や寄席の存続に尽力しなければならない立場にあった。 遠山影元は今日の評議の前にその冥加金から、千両を老中水野忠邦に裏金として届けてあった。「鳥居さまのおっしゃることに一理あることは紛れもございませぬが、庶民の娯楽を奪うことは却って人心の安定に役立ちませぬ、水野様、かって、遊女たちを、田圃の中の吉原遊郭に隔離したことで、江戸の町の風紀はよくなりました。しからば、歌舞伎座、芝居小屋も、囲ってしまえば、世の乱れにもならぬと思うのですが、、、 丁度、浅草聖天寺の裏の小出伊勢守の下屋敷が空地になっております。あの辺鄙なところへ、吉原と同様に、歌舞伎座や芝居小屋を閉じ込めれば、町の風紀も乱れませぬ、さすれば、庶民も大騒ぎすることもなかろうかと、、これで、万事解決かと存じますが、、」「つまり、全廃ではなく、隔離された囲い地でのみ生かしてやろうという策か」「すれば、庶民の不満も和らぐと思えますが、、、」「うむ、第二の吉原とな、旨い事を考えたものだ、良い方策じゃ、して、遠山、お主の懐にはいくらはいるのだ、はっはっはっ、、まあよいわ、但し、役者たちが頭に乗らぬよう、見せしめのために、大江戸の海老飾りなどともてはやされている市川海老蔵(団十郎)は江戸所払いの処罰にする。それと、役者が囲いの外の町に出る時には、編み笠を被るか、ほっかぶりをしなければならぬという触れも出せ、よいな、」 老中首座水野越前守忠邦の裁定は下された。 南町奉行の鳥居耀蔵は苦虫を潰したような顔で遠山を睨んでいた。 こうして、歌舞伎、芝居小屋の全廃は遠山の進言で免れ、 聖天寺の裏の小出伊勢守の下屋敷の跡地に三か所の門を置き、町屋と区切り、吉原遊郭と同様、隔離された空間に閉じ込められ、この場所のみで存続を認められ、猿若町とよばれる町になった。芝居廓だと蔑む者もいたが、囲われた猿若町の中では、中村座、市村座、森田座などの歌舞伎座や芝居小屋が立ち並び、派手な幟が天を突き、芝居茶屋、料理屋、土産物屋、大道具、小道具屋に交じって、蕎麦、鮨、天ぷら、鰻のかば焼きなどの屋台店も軒を連ね、役者や関係者の居宅も建てられ江戸の町とは別天地のような賑やかさを増していた。 役者たち芸人も、何糞負けるものかという意地で、発奮し、吉原遊郭が田圃の真ん中に閉じ込められても、桃源郷になったように、猿若町にも、別天地のような明るさが漂ってきていた。 囲われているから不自由ってもんでもないらしい、囲われてない外も案外不自由らしいねえ、、、 つづく 朽木一空
2020年01月19日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 10 人間なんざ他愛のないもの、 ちょいと顔に悪戯しただけで気分が変わっちまう、 刺青を見せただけで、びくびくしてやがる、 鬱屈してたら変身してみなさいよ、気分が変わるよ、 陰庭退四朗は、今日も暗い顔して一膳めしや『猫まんま』の小上がりで酒を飲んでいた。江戸の頭目、上忍筧三蔵から、ある人物の警護をせよとの密命はきたが、その時がいつなのかわからない退四朗は、石の礫や、唐辛子の礫、楔などの忍者道具を入れた頭田袋を脇に置いて、不安な気持ちを隠すように酒を飲んでいた。 その退四朗の小上がりの座敷の畳の下から、竹筒が伸びてきてその小さな穴から声が聴こえた。上忍筧三蔵からの繋ぎであった。「いま、店にはいってくる金四郎という遊び人風情の男がお前が警護する人間だ」 退四朗が店の入り口の方に目をやると、暖簾を潜ってきたのは、襤褸な木綿の袷を着た、色黒で、大きな鼻の横に黒子(ほくろ)をつけた町人であった。 その金四郎はやけに嬉しそうに、徳利三本を空け、旨い旨いと言って、『猫のやみつき丼』を食べた。忍草の陰庭退四朗には、すぐその筋書きが読めた。 多分、隣の百顔堂で変身した、どこかのお偉いさんが隠密で町に繰り出そうという算段だ。密命だから仕方がないが、お偉いさんの気ままなお遊びの警護とは、忍草も随分落ちたもんだ。ほろ酔い気分になった金四郎は店を出て、勝蔵院に突き当たると、浅草寺の裏手の寺ばかりが並ぶ、馬道を通って、猿若町へ向かって歩いていた。 その後から、つかず離れず、礫の退四朗も影のように動いていた。 礫の退四朗が江戸の頭目、上忍筧三蔵から受けた密命は、隠密で町に外出した北町奉行遠山影元の護衛であったのだ。 礫で決まった相手を仕留めるのとは訳が違う。かなり、神経を使う仕事だ。槍か刀か、短筒か、手裏剣か、いつ何時、見えない敵が、どこから、遠山影元を襲ってくるのかわからないのだ。 遠山影元がどうしても猿若町の芝居小屋に出向きたかったのは、密偵から持たされた情報で、 ~江戸桜、あっぱれ遠山の金さん~ という、遠山景元を主人公にした、痛快愉快な芝居を猿若町でやっていると聞いたからである。 その芝居では、遠山影元が江戸のヒーローで、鳥居耀蔵が江戸の妖怪、悪の権現のような筋書で、庶民からやんやの喝采浴びているということだった。 江戸城では老中首座の水野忠邦の前で、鳥居耀蔵から、改革に真摯に取り組む姿勢が不足しておると、いつも嫌味を言われていた。 その鳥居耀蔵を懲らしめる芝居を見れば気も晴れるだろうと思ったからである。人間、案外小さなことにも恨みを持つようで、、、気をつけなきゃねえ、、、つづく 朽木一空
2020年01月18日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 9 江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、 けどね、毎日そよ風が吹くわけじゃねえ、 強風が吹けばくるくるまわって目を廻し、 雨に濡れればだらしなく垂れ下がる、 だがねぇ、腹の中は空っぽだもの、腹黒じゃねえよ、 だからよ、ねっ、安心しな、 浅草広小路を左に折れて、千住街道に出る角には大店の駕籠屋『駕籠虎』がある。その店前で、煙草をふかしながら、客引きをしている駕籠かきの前を、千住街道あたりでは珍しい、豪華な扉付きの塗り駕籠が行き過ぎた。「おいっ、なんだ今通った塗り駕籠は?将軍様が吉原の花魁に、ほの字にでもなったのかい?、、」 だが、その塗り駕籠は勝蔵院にぶつかる手前の花川戸町の角を左に折れて、七軒店の一軒、変身処『百顔堂』の前で止まった。 顔を手拭いで隠してはいたが、塗り駕籠から降りたのは、紛れもなく北町奉行遠山影元であった。奉行職ともなると、めったなことでは、外出(そとで)は許されなかった。今日の外出は隠密である。奉行所の与力同心も知らない。周りの眼を確かめるようにして、『百顔堂』の暖簾を潜った。 浅草花川戸町 七軒店の百顔堂は変身処として、知る人ぞ知る店であった。 店主の藤兵衛は歌舞伎座の裏方で役者の衣装の着付けや化粧をしていた関係で、変装道具を芝居小屋のある猿若町から手に入れることには事欠かなかった。 浅草寺近辺は寺だらけで、寺の中には坊主が溢れていて、皆聖人君子でもなく、酒も飲みたい女も抱きたい、だが大っぴらにはできない。そこで、藤兵衛は坊主を変身させて、極楽往生させようということで変身処、百顔堂を開いたのであるが、今では坊主だけではなく、商人が千石の旗本の姿で町中を威張って歩いてみたい、水戸黄門様のいで立ちで旅をしてみたい、女装して女になりたい、女が侍に変身したい、と、歪んだ客の変身願望が百顔堂にやってきていた。 ~今の姿が本当の姿なのか、姿は自分を縛るものでしかないのか、姿を変えれば人間が変わる。人間が変われば人生が変わる。今の姿は与えられたもの、自分で選んだものではない。本当の自分が探せる自分探しの変身できる店、それが百顔堂だ~ 藤兵衛がうまい宣伝文句をいうものだから、だんだんに知られてきて、今では結構忙しくしていた。 四半刻も過ぎただろうか、その『変身処百顔堂』から出てきたのは、木綿の着流しに、頬っ被りをして、やけに鼻のでかい色黒の、町人が出てきた。気持ちよさそうに伸びをしている。「いってらっしゃい金さん、いいですか、間違ってもお武家様の言葉をつかっちゃいけませんよ、すぐにばれちまいますよ、あなたは裏長屋の町人、金さんですよ」 まさか、遠山影元だとはお釈迦様でも気がつくめえ、という変身ぶりである。「おいっ、わかってらあな、おいら、江戸っ子の金さんよ、じゃあ、いってくらあ」 汚いなりの町人姿で出てきたのは遠山影元である。顔は日焼けたように化粧し、つけ黒子(ほくろ)につけ鼻までして、見事にぶ男に変身している。 名前も金四郎にした。誰が見ても遠山影元とは思えない。 その気楽さが遠山、いや、金四朗の心を軽くしていた。 つづく 朽木一空
2020年01月17日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 8 いいことをしている人が悪いひとになる 悪いことをしているひとがいいひとになる えっ、そんなことがあるのかねえ、 花川戸の一膳めし屋『猫まんま』の一件で、赤田左膳は地獄に落ちた。『天保赤鳥党』の威厳は地に落ち、赤田左膳の右手はいまだに肩までしか上がらなかった。南町奉行鳥居耀蔵から、呼び出しを受けた赤田左膳には、狂気のような傾奇者の勢いはなく、それこそ借りてきた猫のように小さくなっていた。 鳥居耀蔵が愛用の黒檀の煙管に火をつけ、一服し、広い庭を眺めていた。「殿様、雉(きじ)が騒いでおります、、、」 留守居役用心の彦五郎が庭の東の隅の槇(まき)の木の下の方を指さした。「キィー キィー 」という叫ぶような鳴き声を発し、雉が蜥蜴(とかげ)を咥えて、緑色の首を激しく振っていた。蜥蜴は必死に尻尾を振って無駄な抵抗をしたが、暴れながらも雉に食われていった。 赤田左膳は大きな体を縮めて恐縮しながらその情景を見ていた。「見よ,あの雉を、雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言うが、赤田左膳よ、ちと、吠えすぎたかのう、まあ、暴れ者も、たまには傷つくこともある、一度の失敗なぞ、気にするな、めげるでないぞ、儂は、『天保赤鳥党』を見捨てるようなことはせぬ、よいか、傷が癒えたら、戦闘再開じゃ、今度は猿若町の歌舞伎座、芝居小屋で大暴れしてもらいたい。 芝居小屋では『あっぱれ遠山の金さん』などという、儂を虚仮(こけ)にしておるとんでもない芝居が大受けだそうだ。その芝居ではの、儂、つまり鳥居耀蔵は妖怪などと呼ばれる悪者嫌われ者で、北町奉行の遠山影元が庶民の味方の善人なのだそうだ。 老中水野忠邦様は奢侈贅沢を取り締まるのには、世の中を乱すもとになる、寄席や歌舞伎役、芝居小屋を撤廃すべきだとのお考えであった。それに異を唱え、歌舞伎を猿若町に囲って存続させてはいかがかと、遠山影元が進言したのだ。 遠山景元は歌舞伎界や芝居小屋から多大な賄賂を受け取っており、何とか歌舞伎の舞台を存続させねばならなかったのが本当のところだ。老中水野様はそこを察し、遠山を助けるために猿若町に歌舞伎と芝居小屋を移転させることを許したのだ。 それを、あの嘘つき瓦版屋の朝読屋が、歌舞伎座が存続できたのは遠山様のお陰だと、面白おかしく書きたてたものだから、みんな、遠山が歌舞伎座や芝居小屋を助けたと勘違いしているのだ。 猿若町は幕府が唯一認めた歌舞伎や芝居小屋がある町で、三か所の門で囲われた閉塞な町であった。その囲われた中だけは、歌舞伎も、芝居も、派手な衣装も化粧も許されていた。鳥居耀蔵はその猿若町で我慢のならない芝居をしている小屋を赤田左膳を使って、叩き潰そうと算段していたのだった。 「よいか、その芝居を見、勧善懲悪の本意を失い、遠山賛辞の、人寄せ芝居であったなら、その芝居小屋を叩き潰せ、よいな、赤田左膳!」「はっ、こんどこそ、必ず、芝居小屋叩き潰してみせましょう、」 鳥居耀蔵には北町奉行の遠山のやり方がどうしても納得がいかなかった。泣き虫、弱虫、軟弱虫の、北町奉行の遠山景元には困ったものだった。 このまま遠山を放っておいては、遅遅として御改革が進まぬ、歌舞伎座や芝居小屋だけの問題ではない。町名主が二重底の箱詰めの饅頭を持って、願い事をしてくれば、遠山は大概は大目に見る、商人、町民からも陳情を受けると、幕府の立場を忘れ、すぐに彼らの立場に立って処理してしまう。そして、袖の下をもらって、手心を加え、罪を見逃している。 部下の与力同心の諌言にも同様のことが言えた。 御改革の取り締まりの仕事は、庶民から嫌われる嫌な仕事で、辛く、心が痛むときもある、だが、容赦なく、厳しく、しなければ改革は進まぬのだ。それを遠山は、「まあ、それほど、締め付けなくともよかろう、ほどほどというのが肝心じゃ」 などという大甘な考えだった。これではご改革も笊で水を救うようなものだ。 庶民の味方だ、江戸の人気者だと、遠山は喜んでいるが、何、町民の方が一枚上で、煽てておけば、取り締まりが甘くなることを知っていたのだ。 徳川幕府の御定法に忠実に実直に、改革を進めているのが鳥居耀蔵だった。 だが、世間では、蝮だの妖怪だのと言われて、悪者になっている。南町奉行鳥居甲斐守耀蔵の心の鬱憤は晴れそうにもなかった。 腹いせに、猿若町の遠山賛辞の芝居を叩き潰すべく、赤田左膳に言い含めたのだった。悪いことをしているひとがいいひとになり、いいことをしてるひとが悪いひとになる、合点がいかなかった。つづく 朽木一空
2020年01月16日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 7 にゃあん、にゃあん、、にゃあん、、にゃあん、 食いねえ、食いねえ、猫肉食いねえ、 えっ、姐さん、猫の肉は気色が悪いって? 鶏も豚も牛も馬も同じなんじゃねえのかい、 旨いよ、一度食べたらやみつきになる、 浅草花川戸町七軒店の名物、『猫のやみつき丼』でぃ、 浅草寺の参道から左に折れて、馬道を横切り、勝蔵院の塀に沿って右に曲がり、千住街道に出る手前の角を入ると、唐辛子屋の七兵衛の持つ浅草花川戸町の七軒店があった。その店の一軒が一膳めしや『猫まんま』である。 店先には、今戸焼の招き猫が座って、手招きしている。 浅草寺の暮れ六ツの鐘がゴーーンと鳴り、軒先の提灯に灯がはいる頃になると、『猫まんま』の店には仕事を終えた職人や、商店の番頭や手代、長屋の連中に浅草寺詣での旅人まで混じり、賑やかになる。 この一膳めしや『猫まんま』では『やみつき丼』が人気だった。 飯の上に猫肉をのせ、鰹節を散らし、青菜を振る、それに醤油をかけた丼だった。常連はほとんどその味を求めて『猫まんま』にやってきていた。主人の歌右衛門は二足の草鞋を履いていて『猫まんま』の亭主と、浅草下谷に職人を抱えて三味線作りをしていて、山谷町から猫腹の皮を仕入ていた。三味線用に猫の腹の皮を剥げば、猫の肉が余るのは自明の理であった。 歌右衛門はその猫の肉が無駄に捨てられるのがもったいなかった。 当時、江戸の庶民の間で、肉を食うという習慣はなかったが、両国橋の袂には、『ももんじや」』という、山くじら料理(猪肉)の専門店があり、味噌肉丼や牡丹鍋(猪鍋)が名物で、通人には人気があったし、本所の小料理屋、五鉄の軍鶏鍋(しゃもなべ)は鬼平こと、長谷川平蔵も贔屓(ひいき)にしていた。 歌右衛門は密かにももんじやと五鉄でその味を確かめ、真似し、一膳めしや『猫まんま』を開業することにした。 『猫まんま』の店には亥の刻(夜十時)になると、頬っ被りした山谷町の夘助が桶に入って油紙に包まれた肉を勝手口からそっと運びいれる。牛の肉のような赤肉で、煮ると、脂も程よく、繊維が溶けて柔らかい肉質の肉だった。 その肉がなんの獣肉なのかは捌かれた肉なのでわからないが、、へっへっへっ、、にゃおーん、 『やみつき丼』」は今まで食したことのない美味な味で、たちまちその味に客は惚れ、やみつきになる。 噂が噂を連れて、一膳めしや『猫まんま』の『やみつき丼』は花川戸の知る人ぞ知る名物料理になりつつあった。 おきみ、およしの二人の茶汲み女を抱えた、歌右衛門の一膳めしや『猫まんま』には、精進料理しか食べられない、寺の坊主までが内緒で通うようにもなっていた。 天保13年、徳川幕府は緩んだ幕政を立て直すため、天保の改革を推し進めていた。 倹約令を発し、贅沢禁止、奢侈(しゃし)の禁止、風俗取り締まりを強化し、歌舞伎や芝居小屋など寄席や、春本などの出版物の統制強化、着物、帯、簪に至るまで、派手なものはみな取り締まり、江戸の庶民は息の詰まりそうな閉塞感を感じていた。 『猫まんま』でも、そんな幕府の取り締まりに対して、煩(わずらわしい)いだけの野暮なご改革だと、不満や愚痴を肴にして酒を飲み、鬱憤を吐き出していた。「おいっ、絹の褌はいけえねえとよ、うっかり尻しょっぱりもできやしねえな」「褌つけてるだけ御立派だよ、こっちなんざ、ガキが産まれて褌までおしめになっちまった、お陰で袷は捲れねえが、股の下がすーすーして屁も気持ちがよさそうだ」「なあに、もっとかわいそうなのが、黄金虫さんよっ、名前からして贅沢だ、見つかれば、打ち首獄門だってんで、もう地面の中に潜りっぱなしだよ、あっはっはっ」「おそういえば、金魚様だって、色鮮やかな肢体をくねらせて、ついこの間まで優雅に泳いでいたのが、今じゃ、石の陰に隠れたままで出てきやしねえそうだ、、馬鹿馬鹿しいねえっ、」「ところがよ、お奉行の鳥居様の下谷のお屋敷の池じゃ、錦鯉が優雅に泳いでいるっていううじゃねえか、」「まったく、老中の水野様や奉行の鳥居耀蔵様の考えてることは庶民虐めだねえ」 言いたいことを言いながら愉快に酒を飲んでいたところへ、『猫まんま』の看板猫の今戸焼の招き猫を蹴飛ばし、暖簾を破って入ってきたのは、赤田左膳率いる御存じ『天保赤鳥党』という柄の悪い五人の無頼者だった。 女物の襤褸古着を重ね着して引きずり、金ぴかに飾った鞘の三尺を超える大太刀を落とし差しにし、蛇のような眼で睨み付け、捲りあげた腕に龍の刺青をしているのが、赤田左膳だった。今、江戸の町中で、最も評判の悪い暴れ旗本奴『天保赤鳥党』という、荒くれ者の集団だった。 店にはいると、ドカンと腰を降ろし、あたりを睥睨し、「おやじ、酒だ、樽ごと持ってこい、それに、なんだ、猫飯か、そいつも持ってこい、早くしろ」 店の空気は暗転した。常連の客らはさっきまでの勢いはどこへやら、触らぬ神に祟りなしと、目を合わさないようにして、一人二人と姿を消していった。 店の中に残ったのは、おきみ、およし、の二人の茶汲み女と、亭主の歌右衛門、それに奥の小上がりで居眠りをしている陰庭退四朗しかいなかった。 無頼者たちは、しこたま酒を飲み、「さてと、亭主、われらはこれから吉原遊郭へ繰り出すのだ、ついては軍資金が不足しておる、地獄の沙汰も金次第だ、幕府のご改革のためだ、三十両もあればよい」「そんな、銭があるわけもございません、」「何をぬかすか、この店では猫の肉を食わせてたんまり儲け。貯め込んでいることは、先刻承知の助だ、よいか、われらは、北町奉行鳥居耀蔵様直属の天保赤鳥党であるぞ、奉行所に、猫の肉を食わしていると報告してよいのだな、なにしろ店の看板に猫飯と書いてある、」「旨ければいいじゃありませんか、猫の肉などと、洒落でございますよ、」「何をほざく、お主が下谷の三味線作りで猫の皮を剥いでいるんのは調べの上だ、皮は三味線として、猫肉はどう始末しているのだ、んっ?答えてみいっ、これがその肉か?まあよい、三十両で水に流そう、よいな、金ができるまで、われらはこの女と遊ぶことにしよう」 暴れれば暴れるほど、見逃し料が高くつくのを赤田左膳は体で覚えている。「いやぁ、いやぁ、許してぇ、助けてぇ、、」おきみ、およしが腰をひねって悲鳴を上げる。「退四朗様、起きてください、出番でございますよ、」 万事休すかと、歌右衛門も諦めかけたが、小上がりで眠りこけてる退四朗に、だめもとで声をかけた。こんな時のためにただ酒を飲ましていたのだ。 その退四朗、ゆっくりと欠伸をして、立ち上がった。「うむう、騒々しいなあ、赤鳥党とやら、静かに飲まんか、」「何をほざく、貧乏浪人め、天保赤鳥党に逆らう奴は許さんぞ!!」 赤田左膳は刀を抜いて、退四朗を恐喝する。「煩くて寝ておれぬわ、分からぬ奴めじゃ、唐辛子でも御馳走しようか!」 退四朗の手から礫が飛んだ、礫は赤田左膳のこめかみにあたり、凄まじい炸裂音をあげ、唐辛子の粉末の赤煙が飛び散った。無頼者たちの双眸に激しい痛みが走り、泪があふれ、眼を開けていられない。「おのれ、戯け者めが、許さんぞ、この店叩き潰せ!!」 開かぬ目で、台の上の丼や銚子を払いのけ、長脇差(ながどす)をめったやたらと振り回す。だが、次の瞬間、次々と男たちの腕は背中のほうへ捻り上げらえ、ぼきっと骨が折れる音がする。「痛えっ痛えっ、手が動かねえ」 天保赤鳥党の五人は何がどうなったのかかわからない、両手が後ろに回ったまま痛くて動かない。 赤い煙幕が消えていくと、狼藉者たちは這う這うの体で退散していった。 旗本奴の赤鳥党の五人をあっという間にやっつけたのは、もちろん、礫の退四朗である。素手で関節を締めあげて腕を折っていった。忍法、骨法術である。 どうにでもなりやがれという、やけっぱちで生きている下級武士の赤田左膳が、忍者の下層で蠢(うごめく)く死にぞこないの退四朗に、痛みつけられたのは、それぞれの身分制度の下の底辺で生きる者同士の宿命の因縁であったのだろうか、 陰庭退四朗は何事もなかったかのように、飯の上に残り酒をかけた酒茶漬けをかきこんだ。 にゃおーん、空耳だろうか、猫の鳴き声が聞こえてきた。 つづく 朽木一空
2020年01月15日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 6 人が寄ってくるのは おいしい餌があるからだろう なにもなければ、だれも来やしないよな、 人とは そういうものだ 、なあ、鯉さんよ、 下谷、新屋敷通りに面する鳥居耀蔵の私邸は広大な敷地であったが、南町奉行に就任して以来、数寄屋橋御門の奉行所の奥の座敷で日夜忙しく働き、下谷の私邸でくつろでいるのは非番の時の休日だけで、ひと月ぶりのことである。 庭の真ん中に掘られた瓢箪池の括(くび)れた橋の上から餌を撒くと、優雅に体をくねらせていた錦鯉が我先にぴしゃぴしゃという音を立て、競うように集まってきて、ぱくっと大きな口を開けて餌を吸い込む。餌がなくなれば背を向けて泳いでいく。「誰でも、餌があるから集まってくるのよのう、餌がなければ、誰も寄り付きはぬ、奉公人も部下の者も拙者に付いてくるのではないのだよ、悲しいことだが、これを忘れてはならぬぞ、なあ、彦五郎」 鳥居耀蔵は錦鯉の動きを眺めながら、独り言のように留守居役用心の彦五郎に呟いた。 下谷練塀小路の裏門を潜って、赤田左膳は鳥居耀蔵の待つ、部屋へ通された。 六尺を超える大男で、総髪に派手な模様の袷を二重に着て、捲(まくり)りあげた腕には龍の刺青、眼光鋭く、ふてぶてしい態度で、南町奉行鳥居耀蔵に面会するには不釣り合いであったが、赤田左膳は島送りか妖怪の手下になるか、どっちみちのやぶれかぶれの心境であった。「これ、赤田左膳、お奉行の鳥井様であるぞ、控えよ!」「よいよい、成程いかましい面構えだ、お主が江戸で暴れている旗本奴の頭目の赤田左膳じな、泣く子も黙る恐ろしき傾奇者たちという噂じゃ、なるほどなるほど、あっはっはっ」 鳥居耀蔵は、愛用の長煙管で煙草盆をぽんっぽんっと叩き、左膳の顔を覗いた。 武家諸法度を無視し反発する傾奇者の集団は、本来、奉行所としてしては、風紀と治安を乱すものとして厳しく取り締まるのが筋であるのだが、鳥居耀蔵にはある狙いがあった。 風俗取締りの天保の改革を進めていくには、与力同心だけでは到底手が足りず、悪の枢軸にはなかなか切り込めないでいた。 蛇の道は蛇、悪には悪の眼、澱んだ泥の中に潜り込んでいる悪を掘り出すのには善の者では難しかった。与力、同心は所詮お坊ちゃまで、悪の蔓延(はびこる)る、悪所街の取り締まりには不向きだった。やくざや博徒に十手を預ける同心までいて、岡っ引きとして、犯罪捜査の手助けまでしてもらい、そのかわり、賭場や悪所の取り締まりには手心を加え、賄賂も受け取っていた。 やくざや博徒と与力同心は持ちつ持たれつの関係にさえなっていた。それで江戸の町の平和の均衡が取れていたともいえたが、、、 賄賂や忖度のないきれいごとだけで、政事(まつりごと)が進まないことは鳥居耀蔵は無論承知していた。 奉行所内でも知っているものが少ないが、鳥居耀蔵自身も直属の密偵、忍者、必殺仕事人を多数抱えていた。 与力同心だけでは到底江戸の事件は片づけられなかったし、表にだせぬ裏の事件を解決するためにも彼らが必要であった。 それにはかなりな資金が必要だった。いくら権力があろうとも、人は金がなければ動きはしない。鳥居耀蔵が商人に賄賂を要求していたのは、私腹を肥やすためだけではなかった。江戸の治安を守るためには必要悪な金なのであった。それは、北町奉行の遠山景元にも同様のことがいえた。夜五つ半を過ぎ、暗闇の遠山景元のいる北町奉行所の裏玄関にも影の者が出入りしていた。 鳥居耀蔵が密偵の他に、新たな別動隊として、眼をつけたのが、赤田左膳率いる旗本奴でった。与力同心が手をこまねいている悪所の取り締まりをさせれば、奉行所としては一挙両得である。 赤田左膳に八丈の島送りの裁定を下し、恐怖を植え付けてから、影の手下になって働くかを迫った。鳥居耀蔵は赤田左膳に問いかけた。陰謀術策を謀る時には、優し気な顔を見せる。「お主たちも辛いのじゃろう、何しろ同じ旗本といっても家督を継げぬものは生涯厄介者だからのう。武士の身分制度は差別が激しすぎると、儂も思っておる。腐る気持ちもわからぬでもない。だが、世の中はどうひっくり返るかわからぬぞ、北町の遠山などはのう、妾腹の次男坊で、元は500石の旗本じゃ、それが、今では北町奉行になっておる、八代将軍徳川吉宗公は四男からだぞ、」 赤田左膳はどうにでもなれ、という、自棄な気持ちで対座していた。「赤田左膳、八丈島送りが良いか、儂の別動隊として働いてもらうか、どっちを選ぶのだ、返事をせい、」「はっ、わたくしは無頼者で、何もできませぬ、わたくしには傾奇者が似合っております、お奉行様のお役に立つことなど到底できませぬ、八丈送りなどと言わず、いっそこの首を刎ねていただきたい」 居直った左膳であったが、鳥居耀蔵はその度胸が気に入った。「うむっ、よい度胸だ。それでよい、それでよいぞ。ではそなたの首、この鳥居耀蔵が預かった。もう問答無用じゃ、今後も、旗本奴をやれ、今までどおり、江戸の町で大暴れしてくれ。ただしだ、与力や同心が手が出ぬ、悪所、つまり、岡場所、出会い茶屋、賭博、矢場、まあ、博徒ややくざが絡む、いかがわしい悪所だ。そこを見り、奢侈贅沢を厳しく取り締まれ、よいな、、」 こうして、赤田左膳率いる愚連隊の旗本奴は鳥居耀蔵お墨付きの影の別動隊となったのである。「旗本奴の名は、『天保赤鳥党』と名乗れ、どんどん、暴れろ!、構わぬ構わぬ、鳥居耀蔵のお墨付きじゃ、はっはっはっ」 赤田左膳には俄かに信じられぬ話であったが、50両の軍資金もでるという、渡りに船の悪い話ではなかった。 泰平の世を謳歌していたのは町民で、旗本御家人の下級幕臣はみな困窮していて、蔵前の札差(米屋)から、借金をしていない家はないといわれたほどの金欠病に罹っていていた。赤田家も同様に借金漬けで、家計に窮していて、居候の左膳は心苦しい思いをしていた。そんな計算も働き、鳥居耀蔵の裏の別動隊として、与力同心が逃げ腰の悪の枢軸のどぶ攫(さら)いを引き受けたのである。 赤田左膳率いる『天保赤鳥党』にはしがらみがなかった。悪の巣に土足で入り込めた。遠慮は無用だった。取り締まりだが、殴り込みなのか区別のつかぬ、めちゃくちゃな天保赤鳥党の悪所見廻りが始まった。 天保赤鳥党は鳥居耀蔵の術中に嵌まっていて、ずぶずぶと泥沼に足を突っ込んでいった。もうその足は抜けそうにはなかった。 ふっふっふっ、人は使いようなのだ。操(あやつ)る者と、操られる奴がいて、世の中は上手く回るのだ。鳥居耀蔵はにんまり笑った。 赤田右膳は表、左膳は裏、兄弟が鳥居耀蔵の配下になって、天保の改革の片棒を担ぐことになったのである。 つづく 朽木一空
2020年01月14日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 5 捨てる神あれば拾う神あり、 渡る世間に鬼はなし、とはよく言うが、 拾ってくれた神様の腹をつついてみたら、 悪の虫が蠢いていたんじゃ、、、 それでも、、、鬼じゃなくて神様ですかねえ、 ~ないないない、金もなければ、女房もいない、どこが、天下泰平だ、ああ、面白くねえ、町人以下、百姓以下の身分の侍だぁ!~ 徳川家の家来である、旗本、御家人の次男坊、三男坊は家を継ぐことができず、養子の口でもなければ、家督を継いだ兄から貰うわずかな小遣いだけで毎日を暮らす惨めな部屋住みの身分であった。 なすべきこともなく、自分の存在も示せず、明日という日に希望を持てず、不満と、鬱憤を溜め、吐き出すことができずに悶々として暮らしていた者が多かった。 武士でありながら、武家社会からはみ出た、いわば武家社会の身分制度の犠牲者でもあったともいえた。 虐げられた無職者(ぶしょくもの)の行き場のない若い者の捌け口は、酒、女、博打、等の悪所だけでは発散しきれずに、旗本奴という傾奇者(かぶきもの)の不良集団を作り、江戸の町民にも牙をむき、暴れた。またそこで、世間から嫌われ者になり、排除され、益々反発し、凶暴、狂暴になっていった。底なし沼の沼底を這いずりもがく、溺れ犬の有様であった。 赤田家の次男坊、背が六尺(180㎝)を超える大男の赤田左膳はその愚連隊の頭目であり、旗本奴とよばれ、江戸の庶民から恐れられ、蛇のように嫌悪されていた。 女物の継ぎはぎした袷を重ね着した者、獣の皮を腰に巻いた者、立髪大髭の者、常識外れの突飛で派手な身なりをした半端者を従え、蕎麦に虫が入っていた、酒を水で薄めたななどと、いちゃんもんをつけて飲食代を踏み倒し、武士の面子を潰したと、岡場所の女にはタダ乗りし、気に食わなければ、因縁をふっかけて商店から金品を強請り、奪う、やりたい放題、狼藉三昧の集団であった。 それでも旗本の身分なので同心も岡っ引きも迂闊に手を出せない。~不浄役人めが!~で、一括される。 世間の決まり事など糞食らえ、武士の秩序も糞くらえ、糞食らえ、糞食らえ節を唸り、怒鳴り、不満鬱積の顔で町を闊歩する。 その愚連隊の頭目の赤田左膳に兄の赤田右膳から、呼び出しがきた。 700石の旗本、赤田家の兄の右膳は南町奉行鳥居耀蔵配下の見廻り同心だった。 その赤田右膳の弟の左膳が傾奇者で、江戸の町のあちこちで諍いをおこしていては、当然のことながら、兄の右膳は奉行所内でも肩身が狭く、同心としての面目も立たず危惧していた。 左膳は覚悟を決め、しぶしぶ八丁堀の同心屋敷の敷居を一月ぶりに跨いだ。 また、兄右膳から、矢のように飛んでくる、小言、叱りの言葉を、耳を塞いで聞かねばならぬのだろうか?それとも、とうとう堪忍袋の緒が切れて、弟を捕縛して、入牢させ、遠島にでもするつもりなのだろうか? ~それもしかたなかろう、悪さの果ての宿命だ。所詮、江戸の武家社会にに俺の居場所などありやしねえのだ、生きてく、場所も価値も、認められない、部屋住みの厄介者なのだ。どうなろうとかまいやしねえや~ 覚悟はできていた。散々兄者に迷惑もかけた。母上も、兄嫁の紗枝殿も左膳の顔を見るのも嫌だったろう。 下城したばかりなのか、兄の赤田右膳は黒巻羽織の同心の服装のままで対座した。 左膳をきっと睨むと、ぶっきらぼうに話しかけてきた。 「左膳、お前の乱暴狼藉のお陰で、儂までお役御免になるところだったのだ。よく聞けい、お前には八丈島送りという裁定が奉行の鳥居様より下されたのだ」 左膳も覚悟はしていたが、いざとなると不安で足に震えがき、唾を飲み込んだ。「左膳、八丈への島送りの者で、帰れた者など無きに等しいのだ。島抜けした奴は荒波に砕かれ溺れ死に、島に残った者も大概は野垂れ死にだ。残念だが因果応報というやつじゃの、、」「兄者、兄者の力で何とかならぬのか、鳥居様に取り入ってはもらえぬのか」 さすがの左膳も島送りにはなりたくなかった。「うむっ、そこでだ、左膳、助かる道が一つだけある」「兄者、なんでもする、八丈島送りだけは勘弁してくれ」「よいか、いま、江戸では老中首座の水野忠邦様が、風紀取り締まり、質素倹約、奢侈禁止、など綱紀粛正の天保の改革を進めているのは左膳も知っておろう」「天下の悪法だね、おかげ様で江戸の町では閑々鳥がないて寂れてますよ、江戸っ子は怒ってますがね、」「黙れい!左膳、この天保の改革は幕府財政の立て直し、生活の規律を正し、身分制度を守り、しいては、徳川幕府、武士の世の中を安泰にするための、施策なのだ。このまま放っておけば、商人は図に乗り、武士は商人に頭が上がらなくなり、百姓は村を捨て、江戸の町には無宿者が溢れ、世は乱れ、やがて徳川幕府は立ちいかなくなるのだ、わかるか、、、老中水野様の懐刀の南町奉行の鳥居耀蔵様が、先頭に立ってご改革の旗振り役で頑張っておられるのだが、北町奉行の遠山影元様などは、 何を考えているのか、改革に真剣に取り組んでおらぬのだ。わしら見廻り同心も江戸八百八町を取り締まっているのだが、何しろ手が足りんのだ。 とくに、悪所には手が回らぬ。賭場、岡場所、出会い茶屋、やくざが絡む場所には与力同心もなかなか手を出せぬ、そこを、見廻ってもらいたいのだ。風紀取り締まりに力を貸せ、というのが鳥居様のお考えだ。」「うむぅ、、あの鳥居耀蔵様のねえ、、、、、」「何を悩んである、お前が、八丈の島送りにならぬためには、鳥居様の手足となって働くことしか道はないのだ。わかったか、とにかく、明日、下谷の鳥居様のお屋敷に出向け!鳥居様直々にお会いになるそうじゃ、よいな」 犯罪人の罰の免除と引き換えに、奉行所の密偵や影の手下となって働くという噂は聞いていたが、左膳は、まさか、自分がそうなろうとは思ってもいなかった。島送りになって死に果てるか、江戸の庶民に妖怪と呼ばれている鳥居耀蔵の影の手下になるか、、、、左膳にはどちらの道も棘の道のように思えた。捨てる神あれば拾う神あり、その神様が妖怪とはね、、、つづく 朽木一空
2020年01月13日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 4 死ねぬから ただ息をしているだけのことだ 死ぬ日がくるのを ただ待っているだけのことだ みずから死ぬことはなかなかできぬが おだやかに自死への坂を下っている 忍草でも儂は冬の枯草だ。草も冬には草枯れするように、陰庭(いんば)退四朗も体の衰えを感じこの齢での忍草としての仕事はもう、かったるく感じていた。 隠居の夢も絶え、体の衰えを隠せぬ陰庭退四朗は、朝から何もする気がせず、部屋の中に、竹細工の材料をほったらかしにして、だらだらと一日を過ごし、夕暮れになると、一膳めし屋『猫まんま』の暖簾を潜り、小上がりの畳でただの酒を飲んでいる。 特段酒が飲みたいわけでもない、飲めば、胸やけもし、便通も緩む、頭もぼーっとする、酒を飲めば飲むほど、気持ちが自棄になり、駄目な方へ駄目な方へ、自らを追い詰めていくのも解っていた。 暗い酒なのである。飲まなくてすむのなら飲みたくはない。酒は不味いのである。死神を手招きしているような酒の飲みかたであった。 たまに、素手で金玉を転がしてみても、息子はお辞儀したまま、頭を擡げようとはしない、気力も萎み、精力も体力も衰えた。帰るべきところもない、すべきことも特段なかった。 このまましょぼくれて、くたばって、儂の人生は何だったのだろうか?と、酒で濁った頭で考えるが、闇の中をぐるぐる回るだけで、かえって、混沌とするだけである。 地べたの中に潜り込んでいくような暗さの退四朗は、もう、すっかり死ぬ準備はできていたといえた。 ~早くたばらなきゃあいけえねえのに、いつまで未練がましく生きてるんだ~と、自分を罵ってみるが、 ~春になると草というやつ、芽を出したがる、往生際が悪すぎらぁ、~ 自分で命を絶つこともできぬ退四朗は自虐的に自分を嗤っていた。 陰庭退四朗は近江水口藩江戸家老石川監物を殺った時以来、江戸の町に溶け込んだまま暮らし、もう十年間も草としての密命は受けてはいない。 密命もなく、忍者としての仕事はしていないが、草の任務から解き放されているわけではなかった。いつ、密命は来るのか、死刑囚が執行の日を待つように、暗い眼の奥で退四朗は怯え、心が芯から解れるということはなかった。 『見てる!!』木の上から、長屋の屋根から、通りの端から、どこからか、上忍の筧三蔵が監視しているはずである。 ~江戸の頭目、上忍の筧三蔵様よ、もう礫の退四朗は役立たずだぜぃ~ 草という忍者として、もう役にたたないと、引退時期だと言わんばかりに、わざとらしく上忍の目を意識して、ふらふらと千鳥足で花川戸の路地を歩く、 だが、人生というのは皮肉で残酷にできていたのだ。 七日前、伊賀の江戸の頭目、上忍筧三蔵から有無を言わせぬ密命がきた。 憂鬱だった。体は酒に蝕まれ鈍っている、俊敏に体が動くかどうか自信がなかい、だが、密命がきた以上やらねばならない。伊賀忍者組織の掟は厳しいのだった。 ふらつく体を引きずって、裏長屋の木戸を潜った。 長屋の住まいの腰高障子の前にしばらく佇んでいた。 じっと辺りを窺がう、耳と鼻、闇目が気配を感じとる。酔いは醒めている。いつもの癖だ。周りを窺がうようにして、安全を確かめる。静かに障子を開けた。 部屋の中の冷たい空気は動いていない、異臭もしない。竹細工用の竹が乱雑に散らかっているが朝と同じ位置にある。 ふーっと、息を吐く、躰に染みついた忍者としての臆病な習性である。水甕から柄杓で水を飲んだ。 障子を開けた土間にはびっしりと、石が敷き詰められていた。退四朗が使う『忍法礫の術』に使う石である。 うすべったい石、丸い石、矢じりのような石、先の尖った石、石集めは大川だけではない、猪牙舟で荒川を登り、武州秩父の方まで石を探しに行って集めることもある。川の上流、急流によって石の形状が違うのである。 礫の術で使う石は、石の形、重さ、薄さ、尖り具合、反り具合で微妙に石の動きが違ってくるのである。狙う目標、相手、距離、風向きで石を選んでいたのだ。 陰庭退四朗の忍者としての礫の技は誰にも真似のできない技であった。伊賀曲崖郷の中でもずば抜けて礫の術に秀でていた。『水切石』びしゃっぴしゃっと音を立て、水の上を飛びながら敵を捕らえる。大川の鯉を仕留めた技。『燕石の術』石が弧をえがきながら急角度で方向を変えて、飛んでいく。木陰に隠れた敵であっても、敵の横に正確に礫を当てることができた。『蛇行石の術』戦う相手はまっすぐに飛んでくる礫なら防げても、くにゃくにゃと曲がりながら飛んでくる礫は防ぎようがない、『曲飛行の術』飛ぶ鳥を追うように石が飛ぶ、曲飛石の術、大川で鵜を落とした術である。天井からは、目潰し玉、胡桃玉、煙幕玉、唐辛子玉、糞玉、屁玉などがぶら下がっていた。 その時の状況に応じて退四朗は、石の他にも様々な礫を使用するのである。 陰庭退四朗は伊賀の江戸の頭目、上忍筧三蔵から、逃げられぬ密命を受け、その仕事に耐えられるように、酒と怠慢な生活で鈍った体に活を入れ、礫の感覚を戻そうと、早朝、今戸町の萱の原っぱを駆け、汗を流し、礫を飛ばしているのだった。つづく、 朽木一空
2020年01月11日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍礫の退四朗衰記 3 なあに、何処へ住もうと、どんな仕事だろうと、 銭があろうとなかろうと、別嬪だろうと、色男だろうと、 『幸せ』とかいうものには、とんと、関わりはござんせんよ、 要は心持ございますから、 旨いものを食ったって、冷や飯を食ったって、あしたになれば、皆同じ、 糞になって尻からでてきちまいますよ、 陰庭(いんば)退四朗は、草と呼ばれる下忍であったが、もう還暦を過ぎた老人であった。六十を過ぎたら、故郷の伊賀、曲崖郷に隠居して、畑でもいじくりながら、ゆったりと余生を過ごすのが、忍草として働いた退四朗の老後の夢であった。 忍草のように、いつ密命がくるかと、びくびくすることもなく、自分を隠した嘘の生活でなく、自分の顔で、自分の言葉で、正直に、おだやかに暮らしたかった。 裏表なく生きるとは、どんなに安穏なことだろうか、目を瞑って想像すると、心が浮き浮きしてくるのであった。 現に、伊賀の里では、忍者としての仕事を終えた、老人がおなごや子供たちとゆったりと、のどかに暮らしていた。 だが、悲しいかな、陰庭退四朗は伊賀の里に帰れない事件に巻き込まれてしまったのだ。 同じ伊賀曲崖郷で弟のように可愛がっていた、三郎太が抜け忍になった。忍者組織から抜けるのは許されない掟だった。許せば、忍者の組織が潰れる。 すぐに、伊賀の頭から三郎太暗殺の指令が出て、江戸の頭目、上忍の筧三蔵から、陰庭退四朗にその三郎太を始末する密命がきたのである。 上忍の密命に逆らうことはできない、逆らえば、また其の身も消されることにる。 三太郎は忍者の中でも、動物のまね声や他人の声色を使う特異な技(わざ)を持っていて、座持ち芸人の太鼓持ちとして、敵の懐の中に紛れ込み、五車の術、喜車の術、を使い、敵をおだてて、喜ばせ、ご機嫌を取りながら、諜報活動を行い、隙を狙って密書を盗み出したりした。 だが、まだ若かった三郎太はそんな生活に飽き飽きしていた。 もっと違う生きかたがある筈だ、まだ知らぬ幸せというやつがあるはずだ。 このまま幇間(ほうかん太鼓持ち)の忍者で年を取っていくのは耐えられない、という気持ちが強くなり、山の向こうにあるかもしれぬという幸せを求めて、伊賀の里を捨て江戸に逃げた。 だが、江戸へ潜り込んでも、抜け忍となった三郎太が飯を食うためには、得意技の物まね芸で身を立てるしかなく、深川永代寺門前の芝居小屋で白足袋に雪駄、扇子(せんす)をぱちぱち鳴らしながら、鶯や猫、犬、鶏などの動物の物まねをして、舞台に上がっていた。 忍者として仕込まれた秀逸な動物の物まね芸は大受けで、江戸屋猫八と人気を二分するほどだった。だが、それこそがが運の尽き、伊賀の捜索隊にすぐに三郎太の居所がばれてしまった。 ~コッコッコッコッ、コケコッコォ~と、 三郎太が鶏の鳴き声の真似をし大きな口を開けた時、客席から放った退四朗の礫(つぶて)が口から入り、咽ぼとけを塞ぎ、三郎太はあっけなく窒息死した。 仕方がなかった、止むを得なかった。江戸の頭目上忍の筧三蔵からの密命である、殺らねば退四朗が殺られる。伊賀忍者の残酷な掟である。 だが、身内ともいえる三郎太暗殺の密命に退四朗はある疑念も感じていた。 もしかして、三郎太暗殺の密命は退四朗を伊賀の里に返さないための謀(はかりごと)だったのではないだろうか? 案の定、伊賀の里、曲崖郷の村人は密命であろうと、身内の三郎太を殺した陰庭退四朗を許すはずもなかった。退四朗は伊賀の里、曲崖郷に帰ることはできなくなったのである。 老後のささやかな夢は消え、帰るべき故郷を失った。 江戸の片隅の裏長屋で孤独に生涯を終えるしかないのだった。 陽の当たらない湿った地面に苔が生えるように、退四朗の躰からも暗く黒い苔が染み出ていた。 つづく 朽木一空
2020年01月09日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 2 飯だけ食えればいいってもんじゃないらしいやっ、 自分の居場所だとか、生きがいだとかいう、訳のわからぬものに悩まされ、 やがて、気がふれるか、胃の腑が腐ってくる、 ふんっ、人間様ってやつは、厄介な生き物よ、 大川の対岸を滑る箱舟を見つめる陰庭退四朗の頭の中には、十年前の仕事が鮮やかに蘇っていた。 賄賂で膨れ上がった黒腹持ちの、近江水口藩五万石の江戸家老、石川監物を殺った時のことである。 吉原遊郭から朝帰りの、石川監物を乗せた箱舟が今戸橋を潜って大川に出た。 石川監物は小便が我慢できずに舟の横腹から、気持ちよさそうに放尿していた。 その石川監物めがけて、退四朗の礫(つぶて)が水面を滑って跳ねた。 江戸家老石川監物は逸物を握ったまま、ぶるるんと震え、突然よろけた。船が揺れ、小便があちこちに飛び、挙句、大川に投げ出された。 泥酔の上、大川にて溺死、という不名誉な事件で片付いたが、石川監物の股間が退四朗の放った礫で紫色に腫れあがっていたのは誰も気がつかなかった。あの事件からもう十年が過ぎた。 陰庭退四朗は普段、裏長屋で、虫篭、楊枝、耳かきなどの竹細工を作り、つつましく暮らしている。 浅草寺の暮れ六つの鐘がゴーーンと響くと、腰を上げ、表店の一膳めしや『猫まんま』の暖簾をくぐり、奥の小上がりで、一人、ゆっくりと三合の酒を飲むのが日課だった。 その一膳めしやで、事件が起きたのは、丁度一年前の秋だった。 常連客が冗談を言い合って和やかだった店の中が突然、険悪な空気に包まれ、騒々しくなった。 月代も伸び放題の汚れた崩れ浪人が、徳利五本も飲んだ頃、何が気に食わないのか、突然大声で怒鳴り散らし、卓の上の酒や料理皿をまきちらし、刀を抜いて振り回して、暴れだした。「ああ、畜生め!俺のことをわかっているのか、本当の俺様のことを、、産まれてきて、酒飲んで、飯食って、糞して、死ぬだけの無意味な人生なんか糞食らえってんだ。俺の気持ちがわかるか?俺の居場所がねえんだよ!俺様はこんなもんじゃ終わらねえんだ!こんなはずじゃなかったのだ、なあそうだろう、おいっ、お前ら、なんとか言え!!」 訳の分からないことをわめきながら客に突っかかってくる。心が病んでいるのだろう。手がつけられない有様だった。とんだ災難にぶつかって、客は次第に青ざめ、縮こまって震えていた。 退四朗は、ただの酒好きの老人のように見せてはいたが、草と呼ばれる忍者であり、伊賀で、『忍者八門』を習得していた。武器を持たず素手で戦う骨法術の達人でもあり、礫にかけては右に出でるものがいない腕を持っていた。 よぼよぼの爺さんでも、そこらあたりの無宿人や遊び人の関節を締めあげることなど朝飯前であった。 退四朗は、関わりたくはなかったが、絡まれては仕方がなかった。すすっと、その浪人の前に立つと、振り上げた無宿者の剣先を手で挟み、捻り上げた。たまらず浪人は土間に転がった。退四朗はその浪人の腕を ぼきっ、と折った。 刀に対して素手で挑む「忍法無刀取り」という骨法術の技であった。顔を歪めて倒れ込んだ浪人は、 「俺ははだめな人間だ。生きてゆく価値のない人間だ。俺など死んだほうが良いのだ、俺の居場所などどこにもなかったのだ、亭主ご迷惑をかけた」と、泣き言を言いながら、折れた腕を抑え、小銭を投げて、店から出て行った。 陰庭退四朗にはその浪人が”俺はだめな人間だ”と泣きながら喚いていた気持ちがグサッと心に刺さった。 一膳めしや『猫まんま』の亭主の歌右衛門にとっては、店の中のいざこざが一番頭の痛いことであり、常に不安を感じていたことであった。 退四朗の技を目の前でみた歌右衛門は、その日以来、用心棒のつもりで、奥の小上がりを定席にして、毎日退四朗にただ酒を飲ませている。 陰庭退四朗にとっては、いい話なのだが、暮れ六つの鐘から、店が閉まるまで毎日ただ酒を飲む生活に慣れていしまうと、だんだんに生活も荒んできて、長屋でつつましく竹細工をしながら糊口をしのいでいたのが、ついついほったらかしになり、忍草の仕事のことも遠くに霞み、いよいよ、酔い酔い爺さんになりつつあった。 『ねこまんま』の店に、暴れ者が年中来るわけでもなく、職人同士のたわいのない喧嘩の仲裁や、茶くみ女の尻から手を離さない助平爺をとがめる程度のことをしていたにすぎない。~これではいかん~と自省しながらも、ただ酒の魔力に引き込まれ、汚沼にずぶずぶと身を浸し、毎日泣きながら酒を飲んでいたのである。 つづく 朽木一空
2020年01月07日
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忍草 浅草花川戸町 七軒店 戯噺 老忍 礫の退四朗衰記 1 錆びた刀じゃ人は斬れぬ 錆びた心じゃ生きてはいけぬ 仇も情けも身からでた錆び 動けやしねえ、 なあに、錆びついたって大丈夫だよ、 錆なんてのは、刮(こそ)げれば、落ちていくもんだよ、 でも、旦那、錆を落とす砥石が見つからねえんで、、 大川から舟の帆先を山谷の方へ曲げると、吉原遊郭に繋がる山谷堀がある。暮れ六ツ(午後6時頃)にもなれば、粋で優雅で助平な若旦那が胸をどきどきさせて、吉原遊郭へ通う舟で賑あうが、明け六ツ(午前6時頃)の山谷堀には、吉原遊郭からの朝帰りの客を乗せた猪牙舟が静かに水面を滑っていた。 船が今戸橋を潜ると、浅草今戸町の萱(かや)の原っぱが大川沿いに広がっていた。 人の背丈より高い萱の白い産毛のような花穂が、風にゆらゆらと、気持ちよさそうに揺れていたが、突然、風がピタッとやみ、ザワザワと葉が擦れる音も消えた。 朝凪(あさなぎ)であった。大川に静けさが漂う時刻でもある。 その沈黙を破るように、じっと頭を垂れた一面の萱の白穂が、一直線に揺れたか思うと、急に横に揺れ、斜めに揺れる。不思議な光景が繰り広げられた。 兎が狐に萱の中で追われているのだろうか、、、、、? その、萱の原っぱの中から、礫(つぶて)が飛んだ。 大川の水を切って、ぴしゃぴしゃぴしゃ、と、いう音を立てながら水面を跳ねるように飛ぶ、礫が獲物を捕らえた。ビシャンという鈍い音がした。大川の中程で、大きな鯉が腹を上にして浮き上がった。 次の礫が飛んだ。ビューンという風を切る音がする。今度の礫は曲線を描くようにして、対岸の水戸様のお屋敷の横に広がる水田から飛び立った鵜を追いかけて命中した。鵜はギャアーという悲鳴を上げ、羽を散らして、田圃に落ちた。 萱の中から姿を現したのは、狐ではなかった。 「ふっー、まだまだ、錆びついてはいなんだわ、」 暗く沈んだ眼をした、いくらか腰の曲がった老人が、ぼそっと呟いた。 老人の名は陰庭退四朗という。もう還暦を過ぎた爺さんで、草と呼ばれる下層の忍者だった。普段は庶民の生活の中に紛れて暮らし、密命がきたときだけ忍者としての仕事をするのである。 退四朗は、伊賀曲崖郷の忍者の中でも、礫の術に秀でいる忍者で、行列の籠の中の敵を礫で仕留めたり、賑やかな祭りの人込み中で、敵の眉間に礫を命中させたりすることは、朝飯前であった。 伊賀の忍者仲間の間では礫の退四朗と呼ばれていた。 退四朗が、今戸町の萱の原っぱで礫の訓練を再開してから今日で三日目であった。 怠慢な暮らしで礫術にも心にもびったりとこびりついていた錆は、徐々に剥がされていた。 つづく 朽木一空
2020年01月05日
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両国橋笑流譚 2 はいっ、橋銭二文でございます、、 「はいっ、二文だよ、この笊に入れてくだせえよ」 橋番の伝助が橋を渡る町人に声をかける。 両国橋を渡るのには橋銭という渡り賃が必要だった。 橋のない時の渡し船の渡し賃が2文(約40円)だったことから橋渡りも2文になったそうだ。 奉行所の管轄の橋の袂にある橋番所には伝助という橋番役の者がいて、渡り賃を徴集する、伝助は橋の清掃や点検、それから、橋から身投げしようとする人を宥め止めたりもするし、喧嘩があれば仲裁もする、迷子や捨て子の面倒も見るし、道案内もする、町の番屋と同じだ。 あいつは怪しい動きだ、巾着切り(すり)の取り締まりもしなきゃあね、番太の伝助は忙しい忙しい、、 でもよう、橋銭を払うのは江戸の庶民だけ、僧侶や武士は橋銭を払わなくていいってお達しだ、差別だねえ、、 ~おいっ、そこの町人、侍のふりしてただで橋を渡ろうとしてもだめだよ、はいっ、二文~ ~おいっ、姉さん被りのお姐さん、一文じゃねえ二文だよ~ ~なに言ってやがる、わたしゃね、もう生きてくのが嫌になっちまっいたんだよ、橋から身投げするんだ、半分しか橋を渡らないんだ、だから一文だよ~~それじゃあ、三途の川の渡し賃六文も貰わねえといけねえな、しめて七文だよ~ さて、その両国橋だが、東照神君家康様が江戸の幕府を開いた時には、墨田川に架かる橋は千住大橋しかなく、大川を渡るには渡し船でいくしか向こう側にはいけなかったんだ。 そうよ、徳川幕府は敵から攻め込まれないよう墨田川に橋を作らせなったのだそうだ。 ところが、明暦の大火(1657年、明暦3年)では江戸城天守閣が焼失し、十万人以上の人が死に、江戸市中の6割が焼失する大火事があったんだが、墨田川に橋がなかったため、逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれて死んだのだ、 その大火事を契機に大川(隅田川)に、二番目の橋、両国橋を架けたってわけよ。 はじめは大橋って名付けたんだが、武蔵の国と下総の国を跨ぐ橋だったので両国橋とよばれるようになったのだとさ、 当時は、川向こうの本所両国は海水の干満する隅田川の河口のぐしゃぐした湿地帯で、とても人の住めるような場所じゃあなかった。 幕府は北十間川、大横川、横十間川、小名木川などの堀割をはじめとして、町中に網の目のように掘割を掘削し、その余った土で湿地帯を埋め立てるという、土木大工事を命じたんだ。 おかげで、本所両国の土地の水捌けがよくなり、そこへ、大火で焼け出された武家屋敷を本所深川に移転させるために大名や旗本の屋敷割 を行い、さらに、寺社、町屋も移転したって訳でえ、 いやはや、すごい江戸の改良工事を行ったもんだ、てえしたもんだぜ、徳川様は、いや、老中様の知恵伊豆、松平信綱様のお考えらしいぜいっ、、 なんてたって、神田日本橋と結ぶ橋だ、人口増が進む江戸府内から押し出されたようにして、本所深川はどんどん発展していって、この両国橋はますます賑やかになったってことさ、、 小さい子を連れたみすぼらしい身なりの三味線引きが橋番の前を通る、お辞儀をして橋銭を払わないつもりのようだ。 惨めな身なりの親子を見て、伝助どん、~いけいけ~と、手を振った。またお辞儀をしてい親子は橋を渡っていった。そんな貧乏人が日に何人もいた。橋番、伝助どんの小さな心配りだったろうか、、、 笑左衛門
2020年01月03日
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新年之御吉慶 目出度申納 (しんねんの ごきっけい めでたくもうしおさめそうろう) ~江戸こぼれ話 笑左衛門残日録~このブログも凡そ半年を過ぎましたのでござりまする。どなた様が目にしているか存じませぬが、品のない話を掲載して失礼の段、お許しくださいませ。何しろ、性根が下品な上に、気取ってもしょうがねえ、面白く本音でいきましょうかと、思う所存でござりまする。 残日録とありますように、もう、拙者の寿命も永くないことは薄々感じておる次第で、やっとの思いのブログでございます。本年もまた、品があろうが無かろうが、ブログらしい涙と笑いと正義と愛と感動に包まれてもいないであろう、小説に挑戦していく所存でござりますれば、よろしくお引き立てのほど、隅から隅まで御よろしくお願いたてまつりますぅうううーーーー。昨年好評だったべすと3の作品は1位 忍草、蛇抜け長屋の巻2位 忍草 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 3位 忍草 表裏の巻 忍草シリーズでした。是非、一読あれ、、、あれえええええ、 今年も書きます、 本年もよろしく、、、笑左衛門
2020年01月01日
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