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♪ 葦原にヨシキリの声ひびきおり空ゆ降りくる光のシャワー 市の勤労文化会館で友人の所属している写真のグループ展があった。 彼の写真には詩があってエモーションがある。物語性があると言ってもいいのかもしれない。とにかく見ていて飽きない。前回のこのグループ展の作品もとても素晴らしく、出展作の中では一番の傑作だと思ったくらい。 今回もいい写真が出品されていて、やはり一番いいと思った。独特の感性で撮られた作品には遊び心があるし、とにかくアングルと構図が素晴らしい。 写真の宿命というか、どうしても報道写真的なものが多い。既視感のある写真を見てもあまり感動しないし、興味を惹かれない。写真の肝はシャッターチャンス。良い表情や、よくぞ撮ったなぁと思うものもある。しかし、それは写真の一部であって目的ではないはず。 絵葉書のような景色という表現があるが、観光写真的なものや画面の中央に安定よく収まっている写真には、感動というものは生まれないと、私は思う。今回感じたのは、タイトルが良くないものが多かったように思う。タイトルが作品の魅力を半減させてしまっていたり・・ 写真は光を撮る芸術でもある。同じ風景でも撮る時間や天気、時期によっても全く違ったものになる。光の角度、明暗、コントラストなどその要素はたくさんあって、それらを配慮した上で、構図やシャッターチャンスなどが加わって来る。それだけに難しい。 私がブログに載せる写真は、日記でもあることから記録的な要素が大きい。作品ではないし、単なる説明だったり、インサートカット的な要素もある。でも、少しは面白い写真を撮ろうとは思うし、他人が注目しないようなものに目を向けたりもする。 心が反映されているかどうか。何を撮りたいか最初から分かっているのがプロで、シャッターを押してから考えるのがアマチュアなのかもしれない。
2024.07.14
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♪ 古都京都過去と未来をないまぜて重くあやしき風がなでゆく 「Gallery 1866」オープン記念「5人展会作品展」を、京都で開催中。京都市下京区燈籠町588(東洞院通・高辻下ル/松原ビル) 8月21日の暑い熱い日曜日に会場で打ち合わせが有り、名古屋駅の混雑にウンザリして京都へ。元ブティックだった3階建てのビルを購入し、ギャラリーにするという。この時点では海のものとも山のものとも分からなかった。その時のことは8月22日のブログに詳しく書いたので、詳しいことは省きます。 どんなギャラリーになるのか分からないまま、持参した作品を展示することとし、すべてお任せすることになっていた。 11月にようやくオープンの運びとなった。当初は土・日のみの開催だったが、来年1月中旬頃からは火曜日〜日曜日の営業を予定しているとか。 京都独特の奥に広がるウナギの寝床のような部屋。“引き” が取れないので大きな作品は展示できない。2階、3階も使うようになれば、コンテンツも増えて面白くなっていくのだろう。私の作品 一番右は暖簾の片割れのみの展示になっている。極薄の麻のれんや手作り製本も持参したのだが・・。吉田一之 つづれ織り左・福田真基 製本・銅板 右・川島久子 ドライフラワー&装丁奥村克美(箔付師)金箔アート 販売もしていて、外人さんがよく通る道らしく興味を持ってくれることを期待しているのだが、どうだろう。京都の人は目が肥えていて、素人っぽいものは見向きもされない。 メタバースとかVRとかが得意なオーナー会社。今後はそちらにも手を広げての展開を構想していて、それらがメインとなる。それによって、海外の人にも広くアプローチしていくことになる。
2023.12.17
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♪ 自裁あり八十路の絵あり自適あり人なき里に青きびわの実 市内の超ベテラン画家の “米寿を記念して絵画人生を一巡する” という展覧会を観に行ってきた。グラフィックデザインをしていたこともあって、DM製作はお手の物。 自宅に保管されていた作品に新作を加え、20号作品をメインに80余点。3つのテーマに分けての展示。新作展ではないので目新しさはないものの、遠方の作品展にはなかなか行けない地元の友人知人にとては有難い。久しぶりに先生にお会いできるというので、大勢の人が観に来ていた。 88歳になられてもシャキッと姿勢がいいし顔艶もよく、お元気そうだった。久し振りにお会いし、耳がちょっと遠いけれども独特のしゃべり方が心地よかった。話の中で「私もトレーニングルームに通っていたんですよ」と言われるので驚いた。 5年ほど前に、週1~2回を3年間続けたそうだ。よほど体力が落ちたことを身に染みて感じていたのでしょう。自転車をこぐとかの軽い運動だったらしいが、3年は続けないと効果が出ないといわれたらしい。 奥さんが対応してくれるので助かるというものの、さすがに5日間の期間中、毎日会場に詰めて訪問客に対応するのは疲れることでしょう。 これだけ広い会場を埋めるのにはエネルギーがいる。準備から搬入までの間も大変だが、展示にも体力がいるし終われば搬出も待っている。 息子の武君(現代美術の企画・販売などをやっている)が手伝ってくれるのだろう。ずっと補佐役で行動を共にしていたので、阿吽の呼吸でことが進んでいくのだろう。来客が途切れると椅子に座って・・。 2015年6月15日松坂屋美術画廊での個展に行き、2018年11月12日に法海寺の曼荼羅を描いたものがこの民族博物館で展示され、同19日に名古屋であった弟子の女性画家たちとのジョイント展にも顔を出している。80過ぎても現役で、今でも毎日絵を描いているというからすごいと思う。 2年半の歳月をかけて製作された、新たな胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅。この制作をしている前か後かにトレーニングルームに通っていたようだ。この精緻な曼荼羅は凄いと思ったし、その集中力と体力には年齢からするとかなりの負担だったに違いない。
2023.05.28
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♪ 勘だけを頼りに使うヘルプさえ英語のソフトの共通言語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ そういえば、連休明けの作品展のためのDMを作らなければならなかったと思い出し、慌てて作った。イラ10を使えなくなって久しくずっと代替ソフトがない状態だった。 今回、「Canva」というオーストラリアのスタートアップ企業が提供する、ブラウザベースのデザイン作成ツール(無料版)をダウンロードして使うことにした。 これがなかなか良い。説明が英語なので困るけれど、慣れればどうってこともない。テンプレートから選んで、その構図を基にしたものに自由に画像や文字が入れられる。描画ツールが無いので新たなアクセス用の地図を作れないが、過去に作ったもので充分だ。 何とか2タイプのDMを作り上げた。 「ポストカードを印刷」に進むと、マット仕上げ 50枚で2,300円で出来るとある。用紙は、上質紙(216~300gsm-米坪量g/m2)かデラックス紙(300~350gsm-米坪量g/m2)から選ぶ。「ポストカード」のサイズは、A6(一つ上のサイズ 14.8×10.5㎝)とA5(21×14.8㎝)から選ぶ。試し刷りするとピッタリといかない。それで、JTrim(画像処理ソフト)に取り込んでリサイズして仕上げた。これは、表面に別の地図を入れた。 昨年の12月にCanonの複合機を買ったのでそれを使わない手はない。それで2種類、0.2㎜と0.3㎜厚のハガキに計80枚ほどをプリントした。足りなければまたプリントすればいい。 ちゃんとしたソフトを持っていれば、それで作ったデータを送って業者に印刷してもらうことも出来る。「プリントパック」なら、最低100部で、マット紙、厚さ標準(180kg)で、1200円ほどでできるようだ。 ゴールデンウィーク明けの時期が良いのか悪いのか分からない。「まん延防止等重点措置」適用されたり、第4波で相変わらずの感染者が出ている中での連休で、出掛ける人は少ないのだろう。いつもの年よりはいいかも知れない。 きのう、会場の「茶房じゅん」に行ったら、もうナニワイバラが咲き出していた。いつもより半月ほど早いらしい。私がやる5月7日以降にはもうほとんど無いかも知れず、それだけが残念でならない。
2021.04.14
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♪ 表現の 自由は何をもたらすや 自由は時に足かせとなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 友人知人の作品を観に、県の芸術文化センターに行って来た。 一つは「主体美術」展。 正直、この団体の主義と方向性が分からない。「自由美術」から独立した経緯も良く知らないが、一貫して流れているものがなく何でもありの様相だ。 行動美術協会と合同で、「作家にとって公募団体とは何か」の問題にとり組んだりし、「デッサン会と研究会を定例化し、研究面では文化・社会などについて広く現代の創作営為に関連する問題の提起を試みたり」しているが、イマイチ明確なテーゼが伝わってこない。 作品のレベルにも差がありすぎで、先ずは「数有りき」のお体裁を感じてしまう。 それに比べて、もう一つの展覧会「表現者たち」展は、タイトル通り表現したいものを自由に表現するという単純明快な「表現者」の熱気があふれていた。今年で18回目を迎え、創立メンバーとして参加していた事があるだけに愛着もある。 メンバーは随分代わっていて、当初から参加しているのは22人中6人にすぎない。新陳代謝によって活性化が図られ、新しいメンバーが「表現者」の熱を新たに注入する役目を果たしている。それが長く続いている原動力になっている。 それと、当初から労を惜しまず諸々の世話を一手に引き受けている、人望の篤いリーダーの存在が大きい。 今回も多種多様で個性的な作品が並んでいた。その中でも、リーダーの作品には笑ってしまった。沖縄のフルマラソンに毎回参加していて、地元の人に案内された海岸で拾って来たサンゴで使ったシーサーだ。 こっちは「ひげラク商店」の名で、似顔絵、看板、ポスター制作、鳥瞰図制作などを独自のタッチで表現するノスタルジー満載の絵を描くマルチな画描き。彼は、テレビにも出演して街中で面白いものを探索して、その面白い風貌までを売り物にしている。ひげラク・ワールドこのホーロー看板も手描きだ 他にも陶芸あり、写真あり、きり絵あり、その上クラシック・ギターの生演奏まであった。 半分は堂々たる作品だが、残りの半分は参加する事で満足しているものだった。それらの制作者は、自由を享受しているとは言い難い。 「自由」と言うのは時に足かせとなるものです。 何でもいいというのはでたらめで良いという事にはならないし、本当に表現したいものが無ければ何も生まれやしない。 制約がある方が、遥かに楽な場合も多い。 例えば、まったく知らない土地に連れていかれて、「何処へでも自由に行ってください」と言われてもどっちへ行ったらいいのかさっぱり分からない。 その時、「北へだけは行かないでください」と言われれば、選択の幅は狭まり少しは動きやすくなる。また、「南の方へしか行ってはいけないと言われれば、そっちへ向かってそこで可能な限りの自由を駆使することが出来る。 丸っきりの自由は却って不自由なものです。 自由を与えられた若者が、行くあてが見つからなくてウロウロしているのは当然の帰結です。 戦前戦後の不自由だった頃の方が、よっぽど自由の有難味を感じていた。「なけなしの自由」ってやつこそが、自由のだいご味なんだと。 どこにでも転がっている自由なんて蝋でできた食品見本みたいなもの。立派そうに見えても喰えやしない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.06
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