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♪ 伸びきったパンツの護謨のごとき冬 締まりなきまま年の暮れゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ 年末のアクションプラン暖冬に誑(たら)し込まれて愚図愚図になる♪ 暖冬にずんと重たき白菜の手に入らずにキムチ漬けざり♪ 乱高下みせし気温の下げ止まり仕事納めは初雪を見む
2018.12.25
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♪ 初雪のまだ降らざらん霜月の花梨は未だ瑞々しかり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一人横綱でチャンスかと思いきや、稀勢の里は何と無残な3連敗。横綱になった時から「拙いんじゃないの」と危惧していた私としては、なんとも言葉がない。ハッキリ言って、横綱にするべきではなかったと思っている私にしてみれば、「ああ、やっぱり」と。 これ以上は書くまい。相撲協会が日本人の横綱を欲しがるあまり、強引に稀勢の里を横綱にしたことが諸悪の根源だ。大衆迎合とか大勢順応の波に圧されてとった采配が間違っていたことが明白となっただけ。 四日目は窮状で休場かと思いきや、「取る」との意地を見せた。これはちょっと見逃せない。5時40分頃にテレビを点けた。 で、結びの一番。「勝った」と思ったら「物言い」となった。 ここで私は席を立った。花梨ジャムを作っている最中だった。ちょうど予定の20分が経過したのだ。 “笊で漉さなきゃ” と思って鍋を下し、流しに笊を置いて、ジャー。 「アーッ!」と思ったのも後の祭り。下に別の鍋を置くのを忘れた!! ショック! 「下ゆで」はしたことがあるものの、こういう手順は初めてだったので、ついウッカリした。 ウッカリはした、が、それをさせたのはヤツだ、稀勢の里だ。結びの一番にタイミングが合ったのがいけなかった。「物言い」がいけなかった。 あまりの馬鹿さ加減にショックで、やけ酒飲んで、「物言い」の結果を見るのを忘れた。一晩経ってだいぶ水分が出てきた。 お隣さんに頂いた花梨は、大きくて立派。1つ380gもあり、一個でも充分すぎる大きさだった。半分は予定通りハチミツ漬けにし、残りの半分をジャムにしようとしていたのだ。 切って塩水につけてあったのを鍋に入れて火に掛け、さあ今宵の稀勢の里は如何に? とテレビを点けたのだった。 今朝になって、ネットで調べたら、最悪のこの結果。嗚呼、あーあ。すくい投げで栃煌山に・・ 横綱の初日から4連敗は31年1月場所の宮城山以来、87年ぶりで、1場所15日制になってからは初だそうだ。3度目となる3日連続の金星配給は千代の山(53年春、55年初、58年秋)以来、60年ぶりと負の歴史を刻んでしまった。支度部屋では無言を通した。 初日から3連敗した後皆勤し、唯一、勝ち越した横綱がいるそうで、88年秋場所の大乃国(現芝田山親方)がそう。その親方は「下を向いても白星はやってこない。自分の持っているものを全部出し切るしかない。人じゃない。自分がやり切るか。(勝ち星は)8番でもいいじゃないか」と。一人横綱という責任もある。 意地と矜持と責任と、今場所ほど “自分を決定付ける” 絶好の場は無いんじゃないか? 俺だってやり直しだ。花梨のジャムは美しい赤い色をしている。その赤をきれいに出すためには、三温糖のように色のついてない、白砂糖がいいという。普段使わないのでコンビニで買ってきてある。 リベンジだ。 お隣さんの木にもう一個小振りなのが生っている。丁度いい大きさだ。貰いに行ってこようっと。最後の四つ。良い色してるでしょ。 昨日、花梨のお返しに差し上げた自家製の干し柿は、二種類のやり方で作った「もみもみ」しなかった方。揉んだ方より柔らかくて歯触りがいい。 きっと気に入ってくれたはず。 こちらの方が渋の抜けるのに時間がかかったが、見た目は変らないものの揉まなかった分、水分がほんの少し残ったらしい。 二種類やってみたのは正解だった。
2018.11.15
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♪ 大勢に惜しまれながら逝く刹那 価値極まりてなほ悲しけり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先の知多市民俗資料博物館での法海寺創建1350年特別記念展で、愛知県指定文化財の涅槃図も展示してある事を描き洩らした。 涅槃図は、釈迦の涅槃すなわち入滅 (死) の情景を表わした図。 双樹下の宝座に北を枕にし,右脇を下にして横臥する釈迦を取囲んで、菩薩、天部、弟子、大臣などのほか、鳥獣までが泣き悲しんでおり、樹上には飛雲に乗って、臨終に馳せ参じようとする仏母摩耶夫人の一行が描かれている。 日本では平安時代以降、涅槃会の盛行に伴ってその本尊である涅槃図が制作されたそうだ。なかでも高野山金剛峰寺の応徳3 (1086) 年銘のものが最古のすぐれた遺品だそうで、以後、鎌倉時代を中心に大小多数の遺品が残っているという。涅槃図(室町時代初期)縦214cm(法海寺-展示品) 涅槃図と言えば知多市にもう一人、加藤不譲という今では稀有な存在となった文人画家を書いておかねばなりません。岐阜県関市の照慶寺の依頼を受けて、2016年に釈迦涅槃図を製作されています。絹布に日本画の技法によって、繊細な筆致で描き上げられています。 原本を基にしているとは言え、水墨画を主な表現手法としてきた人にとって日本画の材料で極彩色のものを描くのは困難を伴うものと推察できます。ましてや、文人画という技巧や芸術性から離れた世界に生きる不譲氏にとって、対極にある表現手法を求められるものであるだけに難しい。 それを見事に描き上げてしまう技量は大したものでしょう。書も篆刻もこなし、陶彫で千字文などを成して来た人だからこそできる離れ業と言えるかもしれません。(クリックで拡大します。) 水墨画から文人画へとその境地を展開されて、八面六臂の活躍をされてきました。その最も特徴的なのは、来賓や観衆によって入れられた線を絵の中に融合させながら、目前で揮毫実演を披露しながら襖絵を完成させるというところにある。 静と動を融合させるように、その時その場に湧出した気韻を一気呵成に描き留めるという、常人には考えられないパフォーマンス。国内外の様々なシチュエーションで成し遂げ、多くの実績を積み上げて来られた。画歴をご覧になればその活躍のあらましが分かります。ご本人には無断で、一部を抜粋したものです。(拡大します)涅槃図の前で 涅槃というのは、梵語のニルバーナを漢字にあてはめた語で、このニルバーナというのはもとは「消滅する」という意味。すべての煩悩が消滅して悟りを完成させた境地を指している。 或いは「吹き消す」こと。煩悩を吹き消し迷いを滅却した状態、転じて釈尊の入滅を意味するようになった。釈尊の死を「涅槃に入る」というのはそのためなんだね。 画面中央に宝台に横たわるお釈迦様を描く。『涅槃経』に「頭北面西右脇」で涅槃の境地に入られ、その証拠に全身が金色に輝いていると記されているんだとか。 お釈迦さまの枕元の木に描かれている赤い袋が、摩耶夫人がお釈迦さまのために投じた薬の入った袋で、「投薬」という言葉はこの故事が元になったとも言われているとか。この薬は摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかってしまったという事らしい。 「頭北面西右脇」涅槃の境地に入られた証拠に全身が金色に輝いている。 三重・中山寺蔵 岐阜・少林寺蔵 宝台をかこんで生えているのは沙羅の樹で、二株づつ計八本ある。 この樹は常緑樹なのですが、釈尊の死に際して突然白く変色したというので、向って右側三本は葉が白く変色しており、中央の二本も白くなりかけているように描かれている。 画面右上部に、雲に乗ってこの場へ向かっている一団があり、 中央が摩耶夫人で、四人の天女が付き添っている。 摩耶夫人は釈尊の生母で釈尊を出産して七日後に亡くなり、忉利天という所に生れかわっていたが、釈尊の死を聞いて忉利天から駆けつけて来ようとしているところらしい。 先導しているのは釈尊の弟子阿那律尊者で、宝台の手前で、手を投げ出して倒れている。 釈尊の最後のお説法があるというので、たくさんの動物たちが集って来ている。虎や象、水牛といった日本には棲息しない動物や、空想の動物も描かれている。彼らは平常は互いに喧嘩したり、喰いつ喰われつしたりしているが、このときばかりは争うことなくみな一様に釈尊の死を悲しんでいる。 とに角、様々な涅槃図が存在していて、釈迦への信仰心は広くて深い。グーグルの検索画像のほんの一部
2018.11.14
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♪ 立冬を過ぎた空から烏合(うごう)の声四季をちぐはぐにしたのは誰だ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 巽が丘駅前に「竹内養蜂園」という養蜂業社の店がある。先週書いた喫茶店の二軒隣にあるのだ。 あのドルシネア姫の御尊顔を拝見するためと、花梨を漬けるための蜂蜜を買うこと、それと言わずと知れたウォーキングのための三つの目的のため、いそいそと出掛けた。前回からちょうど一週間経ったところ。 「毎週月曜日。片道7キロのウォーキングコース」と決めてしまおうかと思ったてみたりして。 歩いていて、確かあの辺りに臭木の花が咲いていた、今頃は濃い紫の実がなってるんじゃないかなんて眺めてみるも、遠目ではよく分からない。実も小さくまだ葉も付いているので全く目立たないのだ。「この辺りには幾らでもあるょ」と、他人に言いふらした責任もあって、確認しているわけだ。 やはり白い花の咲く時期にきちんと場所を特定して、記録しておく必要があるなぁ。途中でこんな竹藪の光景を目にした。竹が伐採した竹を支えている 伐採した竹を処理するのは大変だが、こうしておけば整理できるわけだ。間引きに切った竹をこうして片づける事が出来るなら、手入れが出来ていない竹藪を間伐するのにも活用できるんじゃないかな。★ 14時15分に家を出て竹内養蜂園に着いたのが15時50分。色んな種類が並んでいて、どれにするか迷ってしまう。奥のショーケースにはローヤルゼリーとかプロポリスの文字が見える。 それで、聞いてみた。 「花梨を漬けるんですが、どれがいいですかねぇ」 「安いので良いし、香りも強くない方がいいかな」と用途を説明する。「もう花梨の時期ですか」「それなら 、百花か上百花がイイでしょうね」 「漬けるのは初めてなんです。せっかく有るのでチャレンジしてみようと思って」 「百花ってどういうものなんですか?」「百花は、色んな花が混ざっているんです」「上百花は、櫨(はぜ)のものです。ここの人は北海道にも行くんですよ」 「櫨蝋を採るやつですよね」 私もローケツ染めをやるのでこの木のことは知っている。最高級の和ロウソクの材料でもあるんだね。「そう、あの ”かぶれる” やつです」 ウルシ科の植物なのでかぶれることもある。「櫨に他の花が混じっているので、百花として出してるんですよ」 「色がずいぶん違いますね。如何にも濃厚という感じですね」「香りは上百花の方が強いですね」 「じゃぁ・・、百花を下さい」 中くらいの大きさの瓶を選んだ。600g入りで、2,370円もする。これでも一番安いやつだ。そりゃああの小さな蜂一匹のが運ぶ蜜の量なんて知れている。丹精込めて、せっせと集めた蜜を頂くのだ、高くて当たり前。蜜蜂さんに感謝しなければ。「漬ける時に種をよけてしまう人がいるけれど、一緒に入れた方がいいですよ」 「種には薬効が多く含まれてるらしいんですよね」と知ったかぶりの悪い癖。 「半年ぐらい経ったら実を取り出すんでしたっけ?」「よくご存知ですね」 「一応、ネットで調べたんですょ」「半年は漬けすぎです。もっと早く出した方がいいですよ」「あまり長く入れて置くと渋味が出ちゃいますからねぇ」 そう言われても見当がつかない。「じゃあ三カ月ぐらいですか?」 「そうねぇ、目で見て適当に判断すればいいですよ」 「適当にって言われても、初めてですからわかんないですよ」「漬かってくると水分が抜けて実がぺしゃんこになってきますから、分かりますよ」 その実の様子を頭に描いているのだろう。言葉で説明するのがもどかしそうだが、何となくイメージは伝わって来た。 「今からだと3月末ぐらいかなぁ」「出来上がったら、発酵しちゃったりするので、保管は冷蔵庫に入れて置いた方がいいでしょうね」 なるほどと、大きくうなずく。 10分ほど居ただろうか。二つ隣の喫茶店へ移動。 おや? あのドルシネア姫がいない。高齢のママさんが一人で切り盛りしている。 ホットコーヒーを注文し、間が持たないので入り口近くの本棚に雑誌を取りに行く。何という雑誌か忘れてしまったが、手作りライフを提唱、アイデアを紹介するような雑誌があったのでそれを眺めていた。 と、隣に座っていたご婦人が声を掛けてきた。「読んで下さる人がいるなんて、嬉しいです。私が寄贈した本なんですよ」 常連客でもないのにお客さんから声を掛けられるというのは、そうそうあることではない。 「あ、そうなんですか。面白いですよ」 「私ももの作りが好きですし、こういう本はよく見るんです。いいアイデアが見つかったりしますしね」「嬉しいですわー。誰も読んでくれないと思ってましたから」 「この近くに良い本屋がありましたよね。気の利いた本が置いてあって好きだったんですが」 「ずいぶん前の話ですけどねぇ、もうないんですね」「もうずいぶん前に無くなってしまって・・」「私、本屋が好きなんです」 「本はいいですね。本屋がどんどんなくなっていくって、寂しいですね」「本当に!」「私とおなじ思いの人がいて嬉しいですゎ」 先に来ていた年配の男性が席を立ち、店を出る様子を見たママさんがとても愛想がいい。常連さんなのだろう。「またねー」とか言い合って・・。この店には何か暖かいものが流れている。 私が、毎日短歌を詠んでる事などを話すとご婦人が、「イツキとかいう人居ますよね。黒田杏子さんの弟子だったと思うんですが」「なんか色々と取り決めがあって難しいようですね」 「??ああ、夏井さんですね。あっちは俳句ですね」 「制約がある方が却って入りやすいんですよ」「・・??」 「たとえば、真っ白な紙を渡されて、自由に書いて下さいって言われても困りますよね。好きな花を描いて下さいとか言われると、案外描きやすいじゃないですか?」「ああ、なるほどね!」 こういう話になると止まらなくなってしまう悪い癖が出て、ついつい余分なことまで・・「すみません、帰らなくちゃならない時間なので・・」「ありがとうございました。楽しかったです」 「(こちらこそ)ありがとうございました」 こんな会話をしている間に、ふと見るとドルシネア姫の姿が。喫茶店の什器を整えたりしている。 先週見た時と印象が違う。ちょっと老けた感じと言うか、前より5つぐらい上に見える。ポニーテールはそのままだけど髪飾りを付けているし、顔もなんだか大きく見える。 ちらっちらっと、見ると話に見る。別人かとも思ったが、時間が経つにつれて徐々に雰囲気が変わってゆく。どうしてなのか分からないが、最初の印象とは明らかに違ってきている。まじまじと見ては不審に思われるし、出来るだけ無関心を装いつつもどうしたって目がいってしまう。 確認したい。何が? 外見から知り得るすべてのものを。 6時ごろには家に帰る必要があり、もうここを出なくてはいけない。その間20分ほどの出来事だった。レジへ。 やっぱりドルシネアだ。右の頬に黒子があって、それが顔の印象を強くしている。最近、黒子が個性になっている女優やモデルがとても目に付く。そう思っているところなので余計にそこへ目がいく。 口紅が濃い感じ。どうやら前とは化粧が違うようだ。それでかー。 「日曜日が休みなんですね」「そうなんですよ。日曜休みなんです」 交わした言葉はそれだけ。その短い間に、私は姫の顔を品定めする様な視線を向けていたんじゃないかと、店を出てから少しだけ気になった。★ 前回とは逆コース。佐布里池に到着すると橋の上を跨ぐ高圧線の鉄塔にカラスの群れ。薄暗くなってきている5時少し前。今まさにあちこちから集まって来ているところだ。 これから暗くなる直前に森の中へ入って、休むのだろう。ムクドリと全く同じパターンだ。 フラッシュを焚いたら一斉に飛び発ち、大きく旋回してすぐにまた戻って来た。もし襲って来たら・・。多勢に無勢でボコボコにされ、血だらけになって・・・、なんてことは、そうは起こらない。 昔、北海道中山峠の近くの森。カラスが沢山いて、あまりにうるさいので石を投げつけた。二投目に命中して、そこにいたカラスが一斉に飛ぶ上がって、物凄い声で鳴き叫び始めた。至近距離ということもあり襲ってこないかと、そりゃああ怖かった。ヒッチコックの「鳥」を思い出して・・・。 幸い襲われることは無く、じきに静まった。可哀想なことをしてしまったと詫びながら、亡骸は穴を掘って埋めてやりましたよ。カラスを見るとその時の事を思い出す。 16時20分に喫茶店を出て17時50分帰着なので、7キロほどを1時間半。そんなもんだ。往きと帰りは違うコースを取ったが、ほぼ同じ所要時間となった。20,000歩ちょっとで先週より1,500歩ほど少ない。★ そうそう、往きに出会った立派な石垣のある駐車場。やけに目に付き、いかにも何かを誇示している風で呆気にとられた。 桜だろうか、満開のピンクの花木がその脇にあって遠くからよく見える。近づいてみるとお寺の駐車場で、その寺への階段脇に立っている花だった。 満徳寺という曹洞宗のお寺。どうやら四季桜のようで、これだけ立派に花を付けるのは暖かいからなのか? 例年はどうなんだろう。
2018.11.13
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♪ 生(あ)れ出でて流転の際に三万余 日に日を継いで流されてゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 知多市には668年に創建されたという法海寺という天台宗のお寺があります。今年創建1350年に当たり、祝賀行事が予定されていて、その特別記念展が「知多市歴史民俗博物館」で開催中だ。法海寺仁王門 そこには両界曼荼羅も展示されている。県指定文化財の寺所有のものはかなり傷んでいるため修復の手が入っている。この機会に新しいものを制作するべく依頼されたのが前住職とゆかりがあり、すぐ近くにお住いの立松脩画伯。 2年半の歳月をかけて新たな体動界曼荼羅と金剛界曼荼羅を製作され、旧来のものと合わせて展示されている。ご本人から案内を頂いたので見に行って来た。県指定文化財の両界曼荼羅 室町時代初期 縦190cm お寺で安置される場所が横長で本来の縦長の構図を取れず、大日如来を中心とするメインの部分を忠実に再現するものの、外回りの部分では独自性と省略をもって制作したとのこと。作家からの案内パンフより写真撮影は許されるもののフラッシュは禁止なので、暗い室内でのコンパクトカメラによる手持ち撮影ではまともに撮れるはずもない。 とても精緻な筆使いを要求されるものを完璧に描き上げてある。その完成度の高さは今年83歳になるという人の手になるものとはとても信じられない。根気と集中力、そしてその持続力。 元々、ドローイングの洒落たセンスとテクニックには定評があった。しかし、それにとどまらず表現領域を果敢に広げられ、後年は抽象性が「禅」と「和」の融合した新たな新境地を開拓して驚かされた。 この両界曼荼羅は、最後の大仕事として精魂込められたのでしょう。 「一般的にネパールなどの曼荼羅は極彩色で描かれているのを踏まえ、古来から日本に伝わる伝統食をも重んじてあくまでも現代の曼荼羅として制作した」と書いています。 画材は、日本画の絵具は経年変化で退色するので避け、ガッシュという顔料をアラビアガムの水溶液で練ったものを使ったとのこと。不透明水彩と呼ばれることもあるが厳密には違うもので、古くは中世の装飾本の挿絵の彩色に使われた。 寺伝によれば、開基は新羅国明信王の太子動行法師といわれ、由緒は「日本書紀」巻二七の天智天皇七年の条につながっているとされる。 会場には法海寺の1350年の歴史をたどる、創建前の出土品や寺の文化財などが展示されている。 法海寺遺跡出土弥生人骨 出土品 阿弥陀三尊 不動明王 普賢菩薩座像知多市歴史民俗資料館 拡大します
2018.11.12
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♪ 感冒の流行ればきっと罹りたる息子一家の個々の憂鬱‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ♪ 孫を連れて来る嫁さんの痩せ具合 海霧のように気になっている♪ 花梨には風邪の薬功あるというジャムかシロップ作りてやらん 息子の庭には2本の花梨の木があり、毎年、黄色く色付いた実がそのまま活かされることもなく落ちてしまっている。そりゃあモッタイナイわ。 で、せっかくあるその実を使って、花梨シロップかジャムを作ってみようっと・・・立派な花梨 奥がウバメガシ 花梨は、花・果実とも楽しめ、さらに樹皮・新緑・紅葉が非常に美しいため家庭果樹として良く植えられるんだね。カリンが「金は借りない」の縁起担ぎの語呂合わせだし、女?の子が生まれると庭にカリンを植えるという習慣(山梨だったか)があって、隣家の前庭に植わっている。 収穫した果実を部屋に置くと部屋じゅうがいい香りで満たされるので、中国では「香木瓜」とも呼ばれるらしい。 実肉には果糖、ビタミンC、リンゴ酸、クエン酸、タンニン、アミグダリンなどが含まれている。加熱すると渋みは消える。 生食は出来ないが、古くから民間療法で咽喉の炎症を抑える、咳止め、利尿に利用。中国では酔い覚まし、痰切り、順気、下痢止めの効用があるとされている。 種子に含まれるアミグダリンが加水分解した成分ベンズアルデヒドに咳止効果があるらしい。 ただし、アミグダリンは加水分解により猛毒のシアン化水素(青酸、猛毒であるが長期保存すれば分解されて無害になる)も発生するため、国立健康・栄養研究所などが注意を呼びかけているとか。 「癌に効き、癌細胞だけを攻撃する」「ビタミンの一種であり、アミグダリンの欠乏が癌や生活習慣病の原因となる」などといったアミグダリンの持つとされる健康効果について、その科学的根拠が確認できない、あるいは否定されているにもかかわらず、その健康効果を強調した健康食品が後を絶たないことや、そのような健康効果について特別な期待をして過剰摂取することは健康障害を招く危険性があるとして注意を呼びかけている。サプリは特に要注意。 花梨酒、ジャム、シロップなどに加工して、味、香、色、薬といろいろ楽しめる。赤く美しい花梨ジャムあるいは花梨飴 ◎咳止め、痰、ぜんそくに効果がある薬用成分 誰もが知っていると言えるくらい、咳止め、痰、ぜんそくに効果があるアミグダバリンという薬用成分を含んでいます。これはかりん酒でも効き目があります。 ◎インフルエンザの予防効果 カリンに含まれるポリフェノールの一種がインフルエンザウイルスを抑制する強い効果がある事がロッテと日本大学医学部感染症ゲノムセンター・清水一史客員教授との共同研究によって明らかになりました。 〇不溶性食物繊維 ジャムなどにすることで、豊富な食物繊維がたっぷりと摂る事が出来ます。特に不溶性の食物繊維が多いので、便秘の予防や改善に効果がある他、有害な物質を吸着し体外に排出するのを助ける働きもあります。
2018.11.11
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♪ 補欠らのチームはエラー重ねしも相手もへぼい草野球かな‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ 内部より突き上げるものあるらしき去勢の猫が屋内に咆える♪ トランプのゲーム神経衰弱はカードすり替えのインチキも込み♪ 尉鶲(じょうびたき)目白鵯(ひよどり)椋鳥(むく)雀 庭を彩る秋のこえごえ♪ 穿たれて更地に響く工事音 二カ月後にはアパートが建つ すぐ近所に二階建てのアパートが建つらしい。その土地は半分は空き地で細い道に面し、道路からは家があって車で入れない土地だった。その家が空き家となって取り壊され、奥にあった小さな貸家も取り壊して全部が繋がって広い敷地になった。そのためアパート用にお誂え向きの土地になったようだ。大東建託の手になるもので、更地になって1年も経たないうちに工事が始まり、年内には建ってしまうという。 工事期間は2月の末までとなっていて、その頃には新しい住人が入って来るのだろう。駅に近いし公共施設はすぐ傍だし、産業道路のインターも近い。駅前整備の計画もあるので便利な所には違いない。一体いくらぐらいの家賃になるのだろうか。 字に加盟してくれれば字費が入るが、入るのを拒否する人もいるのでどうなるか。隣保班の班長の仕事が増えるのは有難くないが、年寄りばかりで活気がなくなっているのを思えば、若い人たちが増えるのも悪くないか。
2018.11.10
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♪ 口当たり楽しむ内に毒が回る知ったかぶりの私の末路‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」著者・矢部 宏治 (講談社現代新書 907円) が、2017年8月17日に刊行されている。未読 首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」は、米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているという。 3つの「裏マニュアル」ともいうべき最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」を参照しながら、日米合同委員会の実態と対米従属の根幹に迫り、日本における「真の権力構造」を徹底解明したもの、となっている。「なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟」著者の「矢部 宏治」が解説している。矢部 宏治 1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。 私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」。 内容は、 第1章 日本の空は、すべて米軍に支配されている 第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある 第3章 日本に国境はない 第4章 国のトップは「米軍+官僚」である 第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営する 第6章 政府は憲法にしばられない 第7章 重要な文書は、最初すべて英語で作成する 第8章 自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う 第9章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である 追記 なぜ「9条3項・加憲案」はダメなのか 4コママンガでも解説している。(クリックで拡大します) こうい著書を出す目的は、沢山売って儲けることと自分の意見を広く知らしめることにある。その本心を見据えて裏の裏まで読み込むようにしないと、著者の作戦にまんまと引っ掛かる。 この本には多分に誇張があり、強引な論旨でまとめるような傾向も見られるらしい。 【著者の狙いはずばり、世の「リベラル・左派」を「改憲派」に転向させることにある。矢部宏治を「リベラル」には数え入れない。矢部は著書で自らの正体を隠しているのではないかとの疑念を私は持った。矢部は最悪なら孫崎享と同じ右翼、良くてもせいぜい「保守」だろう。】という意見。 【矢部氏は、多くの憲法学者と同じように「マッカーサー三原則」を強調するが、将来にわたる軍隊の保持の禁止は、GHQ内部での議論の段階ですでに削除された考え方だ。 日本国憲法典を反米ナショナリズムの政治的イデオロギーにしたがって解釈するのではなく、憲法典が調和することを予定している国際法の原則にしたがって解釈すべきだ。矢部氏の著書の実質部分を、誇張と扇動を切り落として読み込めば、本当は、そのような見解が出てくるはずである。 矢部氏が言うように「日本の空は、すべて米軍に支配されている」といったほど、その条約上の権利が行使されているわけではない。 指揮権についても密約があったと言う。自衛隊が、専守防衛の原則にしたがって、数々の米軍との共同行動を前提にした仕組みを持っている事は、周知の事実である。あまり非現実的な民族主義的主張をしても、自衛隊を機能不全に陥らせるだけだ。 矢部氏は「保守派」を糾弾するが、むしろ護憲派憲法学者こそが、砂川事件最高裁判決の意義を貶めるために、あれは統治行為論だった、という宣伝を行ってきたのではないか。などなど(篠田英朗・東京外国語大学教授)】という意見もある。 自民党の構想では、「世論や公明党に理解の得られそうな条項」で憲法改正を国民に「試食」させたあと、第2段階で「9条改憲」を行うという段取りになっているらしい。 巧妙な形で少しずつ規定事実を積み上げていき、気が付けば何の疑問も抱かないような状態に持って行く、というのが政府のやり方の一方にある。 政治家が失言を装って口に出し、ごめんごめんという顔をして「サブリミナル手法」のように、国民の心の中に毒をしみ込ませていったりもする 怖いのは「大勢順応という時代のわな」という風見鶏的で自己主張のない大衆の、無自覚で無責任な行動だ。 知識を得るのは大事だが、自分の頭で考えてちゃんと咀嚼した上で飲み込むようにしない、知らないうちに飛んでもないことに巻き込まれる。 イギリスのEU離脱もジャスミン革命も、その後を見れば明らかなように・・。
2018.11.09
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♪ ポリシーに揺るぎなしなり滑革(ぬめかわ)の光しなやかに猫族は生く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 僕はオス猫。生まれて数カ月のころ(2011年9月18日)に縁あってこの家にやって来た。ピピという根拠の不明な名で呼ばれて、あれからもう丸7年が過ぎた。 捨てられて雨の中を一週間以上、はらぺこでうろついていていた。辿り着いたこの家の前で二日ほど鳴いていたと思う。家の中では、飼っている猫がいるので2匹になるのはどうしたものか、かなり迷っていたらしい。そこで次男(当時24歳)さんが自分で勝手に決めて、家の中に入れてくれたんだ。命の恩人のこのお兄ちゃん、それからずっと甘えっぱなし。 猫好きの家族らしく最初に飼った猫は、小学生だった長男さんがゴミ置き場で鳴いていたの助けたんだって。ママチャリの前カゴに入れて連れ帰って来たらしい。チャミーと名付けられたそのメス猫。やんちゃで活発なおてんば娘となって、よく小鳥を捕まえてきたそうだ。 チャミーなき後に来たアンリというオス猫は、2年ほどでどこかに行ってしまったそうだ。 その後に出入りしていた「オヤカタ」というあだ名で、とても信頼されていた「ギン」という猫。かなり高齢だったようだけど、僕をとてもかわいがってくれた。オッパイが恋しい僕は、まとわりついて煩かったろうに、お母さんのように面倒を見てくれた。喧嘩も強く、男気があって面倒見のいい、ホント、立派なオッちゃんだったなぁ。 会いたいなあ。大きくなった僕を見たら何というかなあ。 何と言ってもここは環境がいい。隣の家の庭がL字型に接していて結構広く、だれも常住していないのがいい。気楽に出入りできて、そりゃあもう良いあそび場だ。塀に囲まれているので、他人の目気にせずにいられて安心だし。 極たまに、他所からオス猫がやって来ることがある。 そんなときは、温和で臆病と思われているようだがそうじゃないところを見せつけてやる。この楽園を侵略するものは、絶対に許さない。ハクビシンが来た時なんか、かなりビビったけど追い返してやったよ。 体重が7.5キロ。8キロあったが最近ちょっと減った。壮年期を迎えるに当たって、これを維持なら上等でしょうか。好きなジッちゃんの椅子で、ぬくぬくとキモチイイ昼寝。 2歳児の脳を持つのが自慢だ。孫ちゃんが1歳のころ、声を上げて近づいてくるのが恐かった。一方的につき進んでくるので対応に困る。どうしていいか分からない。得体のしれない生きものって感じでなんか苦手だった。ふん、そんな事も分からないのかって、けっこうバカにしてたけど、最近はもうすっかり追い越されちしまった。 まあ僕もツンデレなんて言われている自己中だ。それが自分の性格なんだからしょうがない。忖度とか斟酌とかはまったく苦手。思ったことを口に出し、やってもらいたいことだけはハッキリ言う。それで、ジーちゃんバーちゃんの言うことを聞かない。聞こえないふりをする。というより理解しようとする気が起こらない。 孫ちゃんが2歳のころと同じことをやっている。まあこれからもずっと、これで行くしかない。それが僕のポリシーだから。 しかしどうでもいいけど、ここの頑固者同士の夫婦口喧嘩。最近、質がかなり落ちたように思って眺めている。僕みたいに聞き流していればいいものを、一々つっかって売り言葉に買い言葉。最近は尾を引いたままで、空気が重い。齟齬か確執かなんか知らないが、まだまだ若いって事なのかねえ。 「猫のふり見てわがふり直せ」って昔から言うじゃないの。いいかげん大人に、いやジジババになって好々翁媼とかになれないもんかねぇ。
2018.11.08
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♪ 人の子が畏怖と畏敬を知り初める大蟷螂の往生の際‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 塀の上にカマキリが居た。雌のオオカマキリらしい。産卵を終えたあとらしく、恍惚の中に余生を送るさ中なのかあまり動かない。しかし、案外しっかりしていて、まだ暫くは生きていそうな・・。 艱難辛苦を乗り越えて、生き延びてきた立派なプレイングマンチス。無事に子孫を残す大役を終え、3-4月からの一生を思い起こして感慨にふけっているのか。臨終前の最も満ち足りたひと時なのかも知れない。 風邪で微熱があり咳も少し出るので保育園を休んだらしい孫が、何時もより早めに来ていた。良い機会なので近くで見せてやろうと、捕まえて家の中へ。 子どもは親の影響をどうしたって受ける。ママが大の虫嫌いなので当然その波動が伝わって、虫が恐いと感じている孫は触ろうとしない。ちょっと距離を置いて眺めるばかり。 何か反応するのを期待して、「こんにちはー」とか言って手を振って見たりする。子どもなりに畏敬のようなものを感じているか。想定した結界を越えようとはせず、おずおずと畏まっている。 写真を撮るからといって傍に座らせる。その演出を伴った写真撮影には素直に応じてすまし顔。 見つめ合ってる 「触ってごらんよ」「あまり元気がないんだから、怖くなんかないよぉ」 触って見せても、鎌を振り上げたりせず動作も緩慢だ。威嚇するのを無理やり二本の鎌を同時に掴んで捕まえるところなんかを見せてやりたいが、それも叶わない。 だめだ。興味はあるんだけど何となく手が出ない。カマキリも危険を感じないのか、命を見切った強みからか、ジッとして何の所作もポーズも見せない。 孫がいなくなると、こちらのカメラマンに危険を感じたのか或いは親愛の情が湧いたのか、その三角の頭をこちらに向けた。 この三角頭が非常にコワくて口に出すのも悍ましいと言って、顔を引きつらせる男を知っている。その彼の前世は何だったのかとても知りたい。が、今はどうでもいい。 「わたしの よせいを じゃま しないで ください」そう言っている様な、悲し気な眼差し。居心地は良さそうだと感じているか・・ 「このまま、ここで逝ってしまってもいいかもしれない」なんて考えている様な風情が、この写真にはある。生を全うし、充実感に包まれている姿はなんか美しいじゃないですか。手厚く葬って上げたいものだ。 「虫かごに入れてほしい」と孫が言い出した。興味が湧いたらしく、家に持ち帰りたいらしい。虫かごは生憎手元にないので、代わりになるものを探す。アオスジアゲハが羽化したこの容器に入れてみよう。写真は瞬間の表情を逃さない。 カマキリの大きさの割に容器が小さい感じ。カマキリも入るのを拒否して足を踏ん張って、いくら入れようとしても入らない。このカマキリの抵抗に何かを感じている孫。 この顔に現れているのは、幼児の内奥に生まれつつある畏怖と畏敬のない交ぜになった、人としての感情の始まりかもしれない。 この後、私はこの場を離れていた。 孫が「帰るよー」というので、階下に降りてみると靴の入っていた段ボール箱をかざして、「ここに入れたよ。持って帰るんだー」と、嬉しそうな声でいう。 「そうか、イイねぇ」「ママにも見せてやってねー」 「はーい」 日本には15種ほど生息するカマキリ。その最大種がオオカマキリ。 名前の通り、他の種類のカマキリと比較しても大きめのサイズで、オスが68~90mm、メスが75~95mmほどになる。 一説によると、卵から産まれたカマキリが成虫になれるのは僅か3~4%だそうだ。4月~5月にかけて孵化し、度重なる脱皮を繰り返して8月頃に最後の脱皮をして羽化し、成虫になる。 羽化から1~2週間経った個体は交尾を始めるそうで、オスにとっては正に命懸けの交尾で、メスの機嫌と空腹の加減など状況によっては食べられてしまうことも少なくない。 交尾、産卵を経て10月~12月に死んでしまう。 産卵を終えると力を出し尽くしてしまったのか元気がなくなります。ほとんど移動することもなく、この時期は同じような場所でじっとしているのをよく見かける。 世界にはおよそ2,400種類のカマキリがいるらしい。その形態は様々で擬態のものも多く、昆虫の世界は本当に奥深くて、興味が尽きない。
2018.11.07
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♪ しもつきの二万一千五百歩の旅に出会ひしドルシネア姫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 翌日は雨の予想と出ていることだし、中三日空いたのでちょいと長めのウォーキングをと、午後2時半頃に家を出た。暑からず寒からず、ほぼ無風の曇天だ。このところの定番、長袖Tシャツにノースリーブの重ね着で。 いつもとは違うコースをと思いつつ、歩きながら足が向く方に身を任す。おお、そっちへ行きたいか、よしよし。それでどこを目指す?と内蔵のコピュータに問う。「半田街道、巽が丘の本屋」と出た。佐布里池経由だな、OKそれでいこう。 梅の館に着いて、給水&休憩。ちょっと変わった毛色の日本犬らしきもの2匹を連れた御仁がやって来た。 「何犬ですか?」と、キュリオシティーにかどわかされた口が動いた。 「紀州犬です」 「なんかカッコいい毛並みの犬ですね!」 「ありがとう」 こんな他愛ない会話が休憩時には相応しい。 紀州犬には白毛と胡麻毛と斑毛とがあるらしく、胡麻毛のやつは初めてだった。真っ白だったら何とも思わなかったが、狼にもシベリアンハスキーにも似ているその精悍で賢そうなところがいい。 息子に “広い庭があるんだから、犬飼うといいよねぇ” なんて話していたことを思い出し、このぐらいの犬がいいだろうなぁと。血統書付きの犬なんて高いので、雑種でいいし。佐布里池 まさに明鏡止水のごとき佐布里池ではあるが、われの心はそんなもんじゃない。この静かな水面に小さな波紋を起こしてゆく水鳥のようなもの。静穏の日々に敢えて自虐の徒歩(かち)の旅だ。 いつもながらこの平らかなる水面を見ていると、その物理的性質などを超越した絶対的な何かを感じて、心が平らに均されていく気がするのです。柵を越えて水面近くまで下りた。 今年の紅葉はあまり期待できないだろうと勝手に思っている目の前に、実生で芽生えたナンキンハゼが、紅く色付いていた。 さっきから頻りにカラスの声聞こえてくる。そうだ、最近この辺りはやつらの塒になっているのだ。左の鉄塔の下が塒なのだろう。外敵のこないサンクチュアリだ。 夕方になるとかなりの数のハシブトが集まって、一日の反省会でもやってているのか、そりゃあもう賑やかになる。 早めに戻って来た暇なヤツらが鉄塔の上で啼いているようだ。小学校にもいたね、こういう先走って騒いでるやつ。鉄塔は糞で真っ白になってるだろうなぁ。 フラッシュを焚いたら一斉に飛び上がった。岸辺から直線距離で210mほど離れている。「コンパクトカメラ」の小さなフラッシュに反応するのだから驚くゎ。 17時ごろになると数十羽が集まって来て、カーカーカラスの勝手でしょ的大合唱がそりゃもう・・。「お前、今日どうだった?」「おおおー、結構イロイロあったわ」「おもろかったぜ!」「キジバトにパワハラしたったわ」「クソガキが石投げよった」「爺がションベンしとったぜ」「線路に石置いたった」「カマキリ喰った」「ゴミ置き場のネット、キライ」・・・。 大声で話す内容でもないだろうに。嗚呼! ヤカマシイ。 民家がないのでどれだけ啼いてもイイとはいっても、カラスの声はデカイし、一本調子で抑揚がない。ハシボソの「だみ声」よりましだとしても、かなり遠くまで聞こえて耳障りだ。頭はいいのに鳴き声ばかりは全く・・。 夕暮れから逢魔が時、冥界へ誘うような声は悍ましい。やっぱりマジックアワーは静かであってほしいねぇ。サワグルミ オニグルミの実の内側のように入り組んでいる。 カラスや野鳥はとても目がいい。目が横についているので、視野が広いということもある。 隣家の柿の木に止まっているのをガラス越しに見ていて、ちょっと動いただけでスッと逃げる。まさか向こうからもこっちが見えているなんて、こっちが驚くわ。 巽が丘の住宅街を抜けようと、闖入者の気分で足を踏み入れた。右折左折しているうちに方向が分からなくなるのがオチだ。特に夜はどうにも厄介だで。元の場所に出て狐につままれたことがある。が、この日はまだ空が明るく、辛うじて西の方角が分かるので大丈夫だ。こんな地図なんて持って歩かないし・・ 適当に歩いていると、夫婦連れが横道から現れた。夫唱婦随でウォーキングしているらしい。追い越して次の角を曲がってもう一度曲がってみると、さっきの夫婦が前を歩いている。?? 同じ方向に向かっているらしい。山を削って出来た住宅街は道が複雑。碁盤の目にはなっていないし道そのものが真っ直ぐじゃない。 三叉路やT字路を適当に曲がる。さっきの夫婦がまた違うところから出て来て、ずっと先の方を歩いている。その内、見失った。 念のために、向こうからやって来た学生さんに、 「ここをまっすぐ行くと、どこに出ますか?」 「巽が丘駅前の交差点に出ます」 おお、勘は合ってたんだ。 しばらく歩いて、ふと前方を見るとさっきの夫婦が歩いている。まったく同じ方に向ってる。ただのウォーキングだぜ、他所から来たエトランゼだぜぇ。まるで狐が先導している様なもんじゃないかい。奇遇と言わずに何と言おうか。 疲れちまったのでどこかで休憩したい。駅前なので喫茶店ぐらい有るだろうと、半田街道に出たら目の前に、あった。私を待つように佇んでいる。引き寄せられるようにドアを開けた。 目の前に可愛いらしい娘さんが座っていた。本でも読んでいたのか、私の顔を見てニコッと笑顔で迎えてくれる。チラッと見ただけなのに、つぶらに輝いている瞳が爺の心をつんッと刺した。ほんの一瞬のこと。 その娘が注文を取りに来た。小柄で、丸顔。年の頃は二十歳前後か。ポニーテールがゆれるとても温和な表情がいい。珍しく「カフェオレ」なんか頼んでしまったよ。トイレから出る直前にカフェオレを持って来たらしく出てきた私に、わざわざ引き返して「お待たせしました」と声を掛けてくれる。むっさい爺に向けるその険のない自然な笑顔がとてもいい。 私の心は鷲づかみされ、いやナイチンゲール掴みされた。胸がきゅんと悲鳴を上げた。 カフェオレに付いてきた小さな「わらび餅」と「ゴマを絡めたモチ菓子」、子袋から柿の種&ピーナツも出して、ぜーんぶ食べちまった腹も減っていたし、なんか気分が良くてね。歯に悪い「雷おこし」でも「石ころ」でも、何が出ても食べただろう。グーグルのストーリトビューに映っていた。 名前を確と確認せずに来てしまったが、ググればわかる。これで次のロングウォークの目標が出来たのは僥倖というもの。これから彼女を、ドルシネーア(デル・トボーソ)姫と呼ぶことにする。 そうそう、良い本を扱っていたちょっとマニアックな本屋は既に無く、他のものに変わっていた。日本中からいい本屋が消えてゆく。喫茶店にはドルシネーア姫がいる。 ここから家までは7キロ以上あるだろう。暗くなりかけた半田街道を北へ向かい、八幡新田経由で西へ向かう。途中で完全に暗くなった。 翔洋高校の近くまで来たところで自転車の男子生徒二人に挨拶された。 顔も見えないのにだ。これには驚いたが、悪い気はしない。咄嗟に挨拶を返したのは言うまでもない。 小学生もアイサツをくれるしご婦人が会釈してくれたりもして、すべてが神の采配と思って素直に受け取っておく。 14時半に出て帰着したのが18時10分頃。いつもなら喫茶店などには絶対と言っていいくらい無縁なのに、この日は何かに引っ張られていつもと違うゾーンに入った感じ。 21,500歩、15.6キロほどのちょいと歩き甲斐のあった彷徨、逍遥、立ち小用。知らない場所を無目的に歩く、これを小旅行という。 畑と竹藪のあったところなのか、ソーラーパネルの設置作業が行われている場所があった。 中部電力は、社名から「電力」という言葉を外す予定とか。もはや電気だけを売る経営は出来ない状況になってきている。寡占企業としてうまい汁を吸って来たのは、もう昔話になりつつあるようだ。
2018.11.06
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♪ 渋ちんが渋い顔して渋々と渋を喰ってる渋谷の渋滞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 風だけの作用で渋柿が甘い干し柿になるという不思議。陽は当たらない北の軒下で、その実態を知るために吊るしてから11日が経過。どんなんかな~と、途中経過を見るため試食してみた。10月24日 こうして振り分けて吊るした手前の方の分だけ、一週間後に指で揉んだ。揉むことで柔らかい干し柿が出来るらしいことと、甘くなるのを早める効果があるらしい。その違いを知るために、半分は揉まずにそのままに。もんでうれしいはないちめんめ。もまれてうれしいしぶがきちゃん。 左がモミモミしてやった方で、右は何もしないでシカトしたやつ。 モミモミして4日しか経ってないが、見るからに揉んでやった方の色が濃く、水分の抜けも多そうで、細く萎んでいい感じ。しかしまあ、肌の具合はゴワゴワで、なめしそこなった牛革みたいに突っ張っている。何だーぃ? せっかく揉んでやったのに、この意固地な感じは。 左、モミモミ。右、ドンタッチ。 割って見れば、揉んで水分の抜けた方は、三日風呂に入らなかった婆さんみたいで何だか頼りない。揉まなかった実の方が、水気が多い分まだ生物のエビデンスを感じさせていて、柔らかそうに微笑んでいる。 Sour and puckery persimmon のアストリンゼントな実の肝心の変容具合はいかがか?って、 そう、それそれ、その味のことね。 指先でマッサージした方は、もう十分に甘くなっていて食べごろだ。歳の頃なら22-23ってとこか、あ、いや違う、立派な干し柿だってこと。 何もしてやらなかった方はというと、刺激がなくてその方の発達も遅れがちな、田舎の乙女って感じかな。まだ渋味が残っていて、「まだダメー」って。やはりあと一週間は世間の風に当てて、内側から色気、いや甘味が出てくるのを待つ必要がありそうだ。 もみもみしたほうが早く熟すなんて、わっかりやすいねー。やっぱ、柿も生き物なんだねぇ、女性名詞だったっけか? 晩熟の私には知らないことが多すぎる。 孫が来たのでモミモミしたのを半分割って食べさせたら、外の硬いところが皮と思ってか、柔らかい実の部分だけを食べようとしている。「全部食べられるんだよ」と食べて見せたら、パクッと口に入れ、食べた。 「美味いか?甘いだろ!」と言うと、「うん」と言って笑った。しかし、皮と思った部分の食感がイマイチだったらしく、神妙な顔して貝になった。 「息子に持って行くか?」と言えば、普通の柿を貰っていくと。「甘いんだぞー」と言っても干し柿には関心無さそうだ。そうかやっぱり、水気いっぱいのピチピチした奴の方が良いか。こんな干からびた雑巾みたいになって落ちぶれた柿なんて、魅力がないか。 爺も時どき自分の手を見て、そのシワシワ加減にウンザリしている。水分が不足してるのかなぁなんて思ってお茶を飲んだりするけど、何の変化も起きないわね。鏡なんか絶対見ちゃいけないぞ!って、自分に言い聞かせている今日このごろであります。
2018.11.05
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♪ 文体が雲の切れ間ゆ降りてきぬ町田康とふ星の瞬き‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 外に出しておいた観葉植物を防寒の為に取り入れねばならないなあと、爺はふと思う。急に寒くなったからで、爺は大概寒さが嫌いと、ヨブ記に書いてあるとの情報をフェイクと知りつつ受け入れる。 なので何だか気が急く感じがしたものの、今週は冬型に似た気圧配置だったものが緩むらしい。とはいうものの、スコンと抜けた青空になることはなく、ウィンディでペスミスチックな一週間となるらしいぜょ。 全体を水蒸気が覆って鬱という字が漂っている様なスッキリしない空をセッティングしてきた天の支配者。そこへ、西から南海岸を雨雲を東に移動させて、ちょこちょこと雨を降らせる計画らしい。 最低気温を14-15度で推移させ、最高気温も20度以上を持続させるという、爺には顔のしわも緩む知らせが気象庁に届いているらしい。ちょとっとまだ時期的には余裕がある ほんでもやりかけたことを止めたら爺が廃る。屋内に取り込んだ背の低い観葉植物の台にするのに、何かいいものは無いかと探したら、有った。探してみるもんだ。佐賀設楽熱田なんてねぇ。 机というか小テーブルらしきものが、物置に土ぼこりまみれになって裏ぶれて悪しき気色に包まれていたゎ。 確か、長男が学校の何かの課題に作った15年ほど前のもの。よくも御無事で生きておられたものだ。光陰人を待たず、小テーブル我を待ちおり。 雑巾で拭いて汚れを落とすも、そこはやはり肥料や赤玉土、腐葉土だのなんやかんやが一緒くたに押し込んである所の、その台にされていたものだけに往年の姿は影を潜めて、まあ薄汚い。 これじゃあそのまま部屋に置くのは、美意識をもって淫靡に生きるわれと手も気が引けるというもの。いっそ化粧を施して新しく生まれ変わってもらおうじゃないか。 どんなテーマの課題か知らないが、段ボールが組み合わされていてちょっと面白い姿をしていらっしゃる。先ずは、天板にグリーンを塗って様子を見る。いいじゃん。 次は何をしてほしい? うむ、脚をきれいにしてほしいって? そうか分かるよその気持ち。美脚秀麗、眉目秋冷っていうくらいだから脚は大事だ。美しくあらねば。 しかしよくよく見ると、木工用ボンドが接着面からはみ出たり飛び散ったりしているのが見える。意外に盲点になってるこのボンド跡。塗装をしない場合は問題ないなかったものが、いざ塗装となった時に接着作業の不手際を暴露する様に、その因業な正体を現してくる。 ボンドがついているところは塗装が弾かれ、そのままボンド痕が白子のように残ってしまうのだ。アナ恐ろしや。であるからして、その部分を避けて塗装するようにデザインを考えねばならない。美意識を捨てるか歪曲かし、自我を殺して堅忍にして撓ず。 で、結果は上の写真の通りになったという次第。当然、キャスターも取り付けてある。 イタリアンに和の食材を使ったごとく、段ボールがなかなかいい面白い味を出している。芸大では時代の先の先を考えて既成の枠を超えるものを思考する。その中の一つに軽量とコスパを考えるものが有ったのか、爺にはあずかり知らぬこと。 取りあえずは蘭の鉢を置いてみたが、爺と同じ寒がりはまだ他にもある。本格的な寒さが来る前に取り込んで、爺の気分と鉢の機嫌を重ね合わせて沈思黙考してみようっと。 文体が、三日前から突如変わた。空から何かが降りて来ているらしい。
2018.11.04
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♪ 本質を知りて慮外の心持ち前期高齢楽しからずや‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ この時期になると網戸を(外し洗って)片づけねばならない。外れ止めの無くなっているビスを付けたり、破れたのを張り替えたりする。今回は2枚張替えが必要だった。 タイミング良くというか、玄関の引き戸の動きが急に悪くなった。 2年半前に入り口側がイカレて交換したので、遅ればせながら反対側も寿命が来たらしい。ウンコラショっ!と、かなり力を入れないと開け閉めできない。これじゃあ替えないわけにもいかないので、ついでにやったろうじゃんと・・。 左は今回外したもので、右が前回のもの。写真は撮っておくもんだ。 外して見れば案の定、駒の部分を覆っていた黒い樹脂?が取れてしまって金具が丸出しだ。で、1016年5月6日のブログを見ると「サッシ用取替戸車 15-B-35型」の写真が載ってる。それで、それを選んで買ってきたのにどうもうまくいかん。駒が出すぎているのにそれ以上引込められない。どうやってもダメ・・???? 拙いじゃん。イカンじゃん。 そんなはずはと思いつつ、一応、前回に替えた方を確認してみる。原因を知るためには原点に戻るのがいいと、ドンキホーテか植村直巳か誰かが言っていたとかいなかったとか。 なにぃー!?大きさが違うじゃん。一回り小さいじゃん。 日記ブログに写真が載せてあるぐらいだから、当然それがそうだって誰だって思うべぇな。書いた本人だろって、今言った? そう私は後先の事が読めないんです。アホなんです。泣きながら「必要なんです!」って、政活費をネコババしていたどこかの市議と一緒なんです。これは参考写真で実際のものとは違います、とか書いておくべきだったと、後のお祭り御柱。こいつが嫡男。正しい後継の代用品の姿だ。「アルミサッシ(玄関引き戸)取り換え戸車」14B-35羽根バネ式・車高調整付 厚み:14mm 高さ:44mm 長さ:60mm 交換しに行きましたよ、仕方がなしに。前のより小型タイプなので、追い金どころか432円のお釣りがきたぜぇ。スギちゃんも嬉しいぜぇ。 カーマで1,274円(税込み)、ネットでは1,610円で売っている。ネット通販の方が高いって、ちょっと納得いかないねぇ。 それで首尾よく戸に嵌ったのはいいが、戸が上手くレールに収まらない。今回の側はちゃぁんと嵌るのに、以前替えた方の駒がチョッいと出過ぎていて、レールに引っ掛かるのだ。 戸を無理やり外したことは、そりゃ覚えているさ。2年半前も苦労して嵌めたのを思い出したぐらいだから。それじゃあ、今回の方と同じ状態にすりゃあいいだけの事。ちょいと引っ込めてやりさえすりゃいいことだ。前の時はメンドクサイと思ってそのままにしてあったんさ。 調整ネジを回せば下がるはず、下がって欲しい、下がらねばならない。でも下がらない。本体をグイッと押したら、下がった。やれやれ、手こずらせやがって。無駄な抵抗は便秘のもと。私は武士の娘です、便秘はしませんって、足軽のくせに。 重い重い玄関の戸。一体何キロあるのだろ。腰にずいぶん負担がかかる。重い思いをしてやっとのことでセットした。 実はこの引き戸、二三カ月ほど前からカギの掛かりが悪くなっている。 昨日なんか出掛けに鍵をしたはずなのに、帰って来たら何と、戸が開くじゃないの。おかしい!!? おかしいって笑ってる場合じゃない。お菓子なんか喰ってる場合じゃない。絶対にカギは掛けた。引いてみて開かないことも確認したし、脳裏にも焼き付けもした。 さては、泥で出来た棒でも入ったか? 盗るものなんか何もないぞ。むしろ置いてってほしいぐらいだ。しかし、無くなったものは何もないし、何も置いてはなかった。 カギが勝手に外れたようだ。そんな事って有っていいのか、イイわけがない。良いのはカープ鈴木のホームランだけ。鍵は谷崎純一郎。知らぬ振りして知った振りして。 泥棒が入らないとしても、出るかもしれない。鍵は大事だ、キーポイントだ。 「替えないとだめだねぇ」とカミさん。 「そうだな」と俺。 天井の高さの問題でもないので、揉めることもない。 内側 外側 しかし待てよ。鍵を交換するという事は、今あるものを外して新しいものを、同じところに装着するわけだろ? という事は、その穴に合うように調節できるようになってるんじゃねーか。 先ずは、どうなって鍵がかからなくなっているのか、現在状況を把握し原因を探査する必要がある。どうやらカギ穴が7-8mmズレているらしい。何で戸車を交換しただけで穴がズレる? わけわからん。穴と留め金具が仲たがいしてシカトし合っている。あの新婚の時の熱い交接を拒否しているかのように。 それなら私めが、仲を取り戻す調停員となって、尽力してやろうじゃないか。別れるのは良くない。なんとか機嫌を直してもらおうじゃないの。 それで徐ら、内側のカギを固定しているネジを緩めてやった。お互いの確執を解いてやったわけだが、うん、簡単に鍵が動いた。その状態でカギを掛けてみる。おお、ちゃんと嵌るじゃん。良い子だ根は素直だったんだねぇ。 鍵を掛けた状態で、ゆるめたネジを締めてやる。それで、どうかなーと思いつつ、上下に上げ下げするのツマミを下げて、鍵を開けてみる。と、カチャリと良い音を立ててすんなり開いた。掛け直してみても問題なし。 直ったじゃん。機嫌が治って、新婚の二人に戻ったぞ。今さら子どもなんか作らないと思うけど、仲睦まじく暮らすんだぞ。これからまだまだ先は長いんだからね。39年間も一緒にいればそりゃあ色々あったでしょう。主と同じ歴史を刻みつつ、一蓮托生で参りましょうか。
2018.11.03
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♪ 健康を自慢するごと良く熟れたバナナがくるりと流れゆくめり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ こんな歌は誰も詠まないでしょうから、ならば私が代表して詠んでやろうじゃあーりませんか。 最近は、ストレスレスの生活ゆえ無臭のいい塩梅のものが殆どで、そんなのはトイレットペーパーにはほとんど何も付いてこず、そりゃあスッキリと気持ちがいいもんです。 でも、何らかのストレス、食事や水分の関係からか、たまにそうじゃない日があるわけです。人間だもの。 そんな日は、なかなか出そうで出なかったり、催さなかったりする。そうなるとルーチンがズルーチンになり、時間が狂ってどうにも落ち着かない。出すものを出さず、重要なミッションを怠っていてはIMFも許しては呉れぬ。 私は、有り難いことに便秘というのはほとんど経験がない。出ない日があっても、次の日には律儀に必ずお出ましになる。新聞の次に正確な仕事をしてござるのよ、吾が腸は。 私的にはどちらかというとイレギュラーな様子を詠みましたが、ニヤッと笑って共感するなり、ウンチクを語るなりして雲古話のネタにでもして頂ければありがたい。それじゃ、うんコラショっ、行ってみようか―♪ 出るまではまだ間がありそうな昼トイレやおらに開く和英の辞典♪ 空砲が3発つづき手応えなし実弾装填未だされざらん♪ かろうじてワンピース出し時合にて「ご飯だよー」に急かされている♪ ほんわかと布団の中ゆ上りくる我が身より出しいとしき匂ひ♪ するすると形も色もほれぼれと匂ひもなくて紙さえいらず♪ バリウムを飲みたる後のトイレでは確か手応えあったはずとぞ
2018.11.02
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♪ 飛ぶための苦労を知らず行く鳥の輝くはその覚悟なりけり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ とうとう11月だ。大雨に祟られて水浸しだった日本列島も、秋の乾燥した空気に覆われている。今年も残り2カ月になった北海道中山峠では、30日の夜に雪が降り、31日は数センチの積雪となった。 この時期になってくると、太陽の昇る位置がずいぶん南にずれているのにお気付きでしょうか。7月3日5時7月3日の日の出は4:42 方位61 11月1日6時20分ごろ 右の写真の向うから昇って来る11月1日の日の出は6:12 方位107 方位が7月3日:61、11月1日:107。これが冬至の頃になると118になる。冬至の太陽が通過するのは南緯 23°27′の緯線で、夏至には北緯 23°27′の緯線を通過する。その幅は46°以上もあるわけだ。 7時半。柿の木にメジロがやって来た。もっと早い時間に集団でやって来ることもある。10月の18日にはもうすでに渡ってきていて、冬の間をこの辺りで過ごす一派だ。集団で来る時はそりゃあもう賑やかだ。枝の間をあっちへこっちへ飛び回って、その甲高くも可愛らしい声を聞いていると、まるで幼稚園児が遊んでいる様、何だか微笑ましい。 遠くからその高くてピチピチした声が聞こえてくると、空気がさざ波のようにきらめく感じがする。 それに比べてムクドリはどうにもならん。黙って食べる事を知らないのはメジロも一緒だが、こちらは鳴き声が人を苛立たせる周波数なのか、ヤカマシイ!!と、つい叫びたくなる。それも数羽なら可愛いかも知らんが、20~30羽ともなれば騒音公害そのものだ。ピーピィ、ギャーギャとウィーン少年団全員が声変わりしたうえに風邪を引いて、飲んだタミフルにやられながらメニエール病に罹ったような声で鳴く。どこかのお山に追い込んで禁足にしておくべきだ。 ヒヨドリ、こいつもピーピーと大きな声で鳴きながらの食事はいかにもマナーが悪い。インディアン居留地を襲った勢いで街に繰り出した、アーバンカウボーイと言ったところか。食い散らかしてウンコたれて、爪楊枝をシーシー言わせながらバタバタと飛び去って行く。 その点、柿は食わないが単独でやって来るモズなんか可愛いもんだ。時どき声を上げるものの一匹オオカミ的な自負心と縄張りを敷く自立心がにじみ出て、凛々しい男を思わせ、見ていて気持ちがいい。 ジョウビタキも直ぐ傍で、テリトリーを誇示して鳴いては飛んで、また啼いている。ヒーヒーとかカッカッカと、声が短いながらも良く通る。やはり自陣を独りで守り通す心意気がその立ち姿にも表れいて、羽根の白紋凛々しく茶に映えてコッコイイ。 スズメも柿を食べると知ったのは一昨年あたりだったか。臆病で用心深いゆえにメジロ以外の鳥が近くにいる時は決して寄り付かない。メジロなんか小さいくせに気が強いというか、無頓着というか。案外平気でいるのに比べると、その差はメタノールとエタノール、似て非なる小鳥なんだなぁ。 カラスは時どき下見に来ていたのに、今はほとんど姿を見せない。今年は当たり年で豊作の柿のこと、至る所にあって喰うには困らないのだろう。立派に実がなっていても収穫されずに放置されているのが里へ行けば幾らでもある。 人間の生活に密着して生きる彼らにとってこの状況はベターであり、ベースを残して人口が減ってくれればモアベターの楽園となる。 地上と空間を自由に飛び回っている野鳥たちが我々のそばにやって来て、その自然のふるまいを見せてくれ、その存在は憧れの存在でもある。 鳥のくせに水中へ潜ってスイスイ泳ぐヤツなんか言語道断。「どっちかにせい!」と一喝してやろう。
2018.11.01
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♪ 自分では身動きできず意思もなく闇に息づく台風の卵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝日新聞の記事に興味深いことが書かれていました。知って自覚しておかねばならないこととして、是非読んで頂きたく引用しました。「大勢順応という時代のわな」 編集委員・大野博人 「赤狩り」旋風が吹き荒れていた1951年(昭和26年)の米国で奇妙な実験があった。 大学の教室に集めた7人から9人の学生に、2枚のカードを見せる。1枚目には直線が1本、2枚目には長短の異なる3本が並んで描かれている。このうち1本だけが1枚目の直線と同じ長さだ。 学生たちは、その1本が3本の中のどれかと問われる。長短はかなりはっきりしているので、ふつうならまちがえる率は1%に届かない。 だが、グループの学生のほとんどが「サクラ」で、本当の被験者が1人だけだとどうなるか。「サクラ」は事前に指示されたとおり同じ誤った答えを口にする。そのときただ1人、事情を知らない学生の反応は? 多数派に引きずられて答えを誤る率が36・8%に上った。だれも同調を強制していないし、答えが違っても罰則はないにもかかわらず、である。 社会の多数派の声がどれほど個人の判断に影響するか。それを考えるために、心理学者のソロモン・アッシュ博士が行った有名な実験だ。 55年の米科学誌に掲載された博士の報告によると、多数派への同調の理由は一様ではない。自分がまちがっていると信じた人もいれば、全体の和を乱すのを恐れた人もいたらしい。自分に欠陥があると思い込み、それを隠そうとした例もあったという。 「コミュニケーション技術が発達して、人々の考えが操作され同意へと誘導される時代だからこんな研究をしておく必要がある」、と博士は述べている。★ コミュニケーション技術はその後さらに飛躍的な発達を遂げた。博士の心配は深刻な現実となった。 ネット社会では、人はしばしば少数派に陥ったような心細さに襲われる。まるで半世紀以上も前の教室で孤立した学生のように。 たとえば米国のトランプ大統領を賛美するネット空間に入り込めば、違和感を抱いても判断が揺らぐ。メディアが真実を突きつけても「フェイクニュース」だと信じる側に傾く。森友・加計問題は大した話ではない、という言説があふれるところに身を置くと、なにやらそんな気がしてくる。 直線の長短の判断でさえ、多数派と違えばぐらつく。より複雑な政治や社会の問題ではなおさらだろう。 今、内外の政治を包む空気は右傾化やナショナリズムの高まりと呼ばれることが多い。けれど、むしろ支配的なのは大勢順応の気分ではないか。 自民党の総裁選挙では、安倍晋三氏への支持は党員票では55%だったのに国会議員では82%という高さだった。ネット空間ではないけれど、永田町もまた狭く閉じられた空間なのだろう。そこで大勢順応に流されていく議員たちの心の動きが透けて見えるような数字だ。 もっとも、少数派だけが集う空間に浸れば、今度はそこでの多数派に影響されるかもしれない。 同調を重ねながら、人は自分の意見を見失っていく。★ なぜ人々は世界のひどい現状を受け入れるのか。問題は人々が反抗することではなく、従ってしまうことにある――。 そんな視点から現代を読み解いた本が昨年、フランスで話題になった。著者は、パリ政治学院のフレデリック・グロ教授(政治思想)。政治的隷属や市場への服従、大勢順応などの歴史と思想をたどる。米国の同調実験にも触れている。 みんなの意見に溶け込んだときの「綿毛で」くるまれるような心地よさ、その「地味で自発的な大勢順応」がもたらす危うさ。 教授は「あなたの代わりに考えることはだれにもできない」と、「従わない」姿勢の意義を強調する。 アッシュ博士によると、実験で一貫して正しく答え続けた被験者は約4分の1。この人たちも心理的な圧力は感じたけれど、はね返したのだという。 自分の考えは大勢順応ではないか。時代のわなに陥らないためには、そう自問し続けるほかない。 朝日新聞(日曜に想う 2018年10月21日)内容はそのままに、全体を読みやすく手を加えました。 この記事はかなり抑えた表現に終始していますが、他人の言質に左右され社会の動きに流されやすい人々に対して、警鐘を鳴らしています。 自戒を含めて、本質を見極める努力をしていかないとと、思う次第です。
2018.10.31
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♪ 少しずつ形作ってゆく塑像凸凹として老いゆく夫婦‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昭和の時代は結婚は人物評価の一つの基準になっていた。つまり、結婚しない(していない)男は信用がないと。 結婚することを「身を固める」と表現し、社会的責任において、確固たる立ち位置を決め足場を固めることがその人の生き方と覚悟を示していた。 家族制度に基づく考え方でもあるわけで、国家を為して維持していく上で必要なものであると、誰もが信じて疑わなかった。 1964年(昭和39年)の東京オリンピックや1970年(昭和45年)の大阪万博を経て高度経済成長の波に乗り、1986年(昭和61年)12月からのバブル経済がそれまでの価値観を一変させてしまった。 地に足を付ける必要も感じなくなり軽佻浮薄を論う空気は失せ、「良いじゃないの幸せならば」と、社会全体が「重し」を無くしていった。 1991年(平成3年)2月にバブル崩壊して以降、その凹んと空いた大穴に落ち込んで20年。 戦後、新たになった教育を受け、高度経済成長の片棒を担ぎつつ、前だけを見て生きて来た。守り築き上げてきたものが知らないうちに失なわれ、失った子の歳を数えるように生きて来たのが団塊の世代だ。「悲しみや悩みは漬物石みたいなものよ。それで心が潤み、旨味が出る!」 家族(家族の様な関係も含めて)は、お互いを支えることで命の根が育つ。夫が「重し」として心の支えになるという感覚。 所詮は個の集団には違いない家族について回る束縛は、同時に凭れることの出来る「壁」でもある。邪魔だけれど身を隠し守られることにもなる。 体育館を利用した避難所の様なただただ広い空間に人は安住できない。囲われていることが必要なのだ。それは身体的なものというより精神的な部分にこそ必要なもの。 完全な自由は却って生き難いもので、われわれはある種の束縛を必要としている。どこかに所属したり団体行動をするのも大勢順応するのも、独りでは生きてゆけないからだ。自分の城を築いて主になる、それが結婚。社会的責任を担うと同時に、自立して自前の壁を築く事でもある。 結婚は軋轢と齟齬に溢れているが、それを糧として美味しい漬物を漬け、乳酸菌の恩恵にあずかるという究極の楽しみに向けていく。多少の雑菌は手なずければ旨味に変わる。喧嘩や諸々の行き違いも「漬物石」だと思えば耐えられる。
2018.10.30
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♪ 生存を保障されれば争いの無くなることを見せられている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ この人、どこの国の人か知りませんがツイッターで動物のおもしろ画像や動画をアップしています。世界中から集めている様で、特に猫の登場するものが多く猫好きには堪らない。猫のものだけ抜粋して紹介しちゃいます。15秒とか30秒とかほんの短いものばかりですが・・・。 アカウントを登録してなくても見るだけは可能だと思います。画像をクリックしてください。その動画のツイートに飛びます。 ついでに是非、こちらも覗いてみてください。 以前も紹介したことある気がしますが、「Tips & Tricks」というDIYのアイデア満載のとても楽しく、為になるものばかりのツイートです。 料理やお菓子作り、服のリメイク、ドローイング、工作、などなど目から鱗の情報が・・。 クッキングだけ集めても面白いですが私はクッキングしませんのでパス。他の「アイデアもの創り」は面白いのがたくさんあるので、そのうち暇が出来たら・・・。
2018.10.29
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♪ 空気なる重き気体のただ中に音と光とため息が溶け‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日今日と、すぐ近くの公共施設周辺一帯で産業まつりが行われている。毎年、結構な数の来訪者が来る。いつも使える駐車場も会場になっているので、車で来る人は大変だ。 一本中へ入った元堤防の道路には違法駐車避けんのカラーコーンがズラーっと並べられている。 右の車だって、公道に常駐している違法車なんだけど・・ 直線距離で3ー400mのところに特設ステージがあり、こちら側を向いているのでその大音量のPAの喧しいこと。二階で本を読んでいたがとてもじゃないが無理だ。特に重低音を響かせている時などは70間近のオッサンにとって騒音暴力でしかない。 昔、デパートの入り口に「エアーカーテン」なるものがあった。冷房利いた館内と外部を仕切るため、ドアを設けずに上から冷たい空気を吹き下ろし、空気で遮断するもの。エアーカーテンなんて洒落た名前がついていた。自動ドアが使われるようになって姿を消した。 このクソ喧しい音を遮断するには「真空カーテン」でも引くしかない。真空の部分で音は途切れるはずだから、そこでピシャッと遮断できるんじゃないか? なんてことを考えたりしていた。 会場には、いつも盲導犬が来て寄付を呼び掛けている。育成にはかなりの期間を要し、まだまだ絶対量が不足している。今日はちょっと行って、ちょっとばかりの寄付をしてこよう。 そのすぐ前では献血も呼びかけている。私はA型なので珍しくもないが、OとかAB型は何時も不足している。まあ近所でやってよしみで、輸血の世話になったこともあることだし400ccを拠出して来ようじゃないか。 せめてそれくらいして、せっかく至近でやってる産業祭に参加する。平成最後のお祭りだ。 お祭りのお囃子の演奏なども有り、何故だか嫌いなピピはスピーカーから音が流れ始めると「グウウゥー」と唸って、どこかへ雲隠れしちまった。昨日は、暗くなるまで姿を見なかった。今朝もいつもと違う気配を感じているのか、早々と何処かへ行ってしまった。 近くに住んでいると興味が湧かず、あまり行く気がしないのは何故だろう。観光地と同じで、些末なことまで分かっているので新鮮味を感じないし、全部が分かったような気になっているのか、触手が動かないのだ。結婚した途端に、姫の様な存在だったのがただの女になってしまう様なものか。 室生犀星は『抒情小曲集』(大七)巻頭の詩「小景異情」その二(全部で十行)の冒頭で、 「故郷は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・」と書いた。 これは、「故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである 大岡信」所詮そんなものなのかも知れない。 昔、ヒッチハイクをしながら旅をしていて、帰って来てからもその癖が抜けずに地元でヒッチハイクをしたことが何度かある。その時の気分は、言葉ではうまく言い表せない、何か妙な感じがしたものだ。地元というだけで何も変わらないのに。異郷にあってこそのヒッチハイクとでもいうか・・。 帰巣本能のようなものの裏側にある、ある種の甘えから来る期待のようなものと実際に感じるものとのギャップのような何か・・。 ああ始まった。間もなく開始のアナウンスが・・。 今日も騒がしい一日になる。 おおおー!? 左から斜めに飛んできた鳥が、目の前の(二階の)窓ガラスにいきなりぶつかった。落下せずにそのままフラフラと飛んで行ったので大したことはなかったのだろ。一体何が起こったのか。ガラスなんて透ける硬いものが有るなんて、鳥は知る由もない。 飛んで来たのは全身が茶色い鳥だった。ジョウビタキが鳴いていたのにその声が聞こえないところを見ると、そいつなのか? あるいは百舌鳥かも知れない。一体何を慌てていたのだろう。 お祭りの気配に驚いたわけでもないだろうに・・。野生の生きものにとっては確かに普通じゃないわなぁ、この騒がしい雰囲気は。 それで午後になって行ってみたら、盲導犬は居ないし献血は65歳までと言われ、敢え無く撃沈。 白いプラスチックの鉢だったので、馬子にも衣裳とばかりに竹で出来ている敷物を巻いてやった。でもやっぱり地味だなぁ。 仕方ないので300円で売っていた菊の鉢を買って帰った。もっと賑やかな赤い色のものが欲しかったが、売れてしまったのか黄色しかなかった。
2018.10.28
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♪ 快眠し快歩快食快便の快楽(けらく)の日々を快飲で〆‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ あっという間に日々は過ぎ、中三日のウォーキングの日がやって来る。毎日は歩かない自分にとってせめて中三日のウォーキングは欠かしたくないので、午後2時過ぎに出かけた。いつもとは違うコース、東方面に舵を取る。いい天気で気温も23度ぐらいまで上がるとの予報なので半袖にノースリーブの重ね着で。 コースには階段を入れてある。今回のは御嶽神社で北の正面から緩やかなの120段駆け上がり、裏へ回って階段を下り、再度その77段を駆け上がって折り返し下りてくる。なんとかギリギリではあるがクリアできた。 そこから東の方へ。前回、臭木の実を持参した「ペジーブル」に今回はドングリを持って行くつもりで、翔洋高校前の落葉樹の植わった小山へ登り暫しの逍遥。時期が遅いのであまり芳しくないが、見本になる程度のものはある。一か所で、それも狭いエリアで何種類ものドングリがゲットできる場所なんかそうはない。とても貴重なので、それを教えてあげたいという “老婆心?” の出来心的お節介。 さすがに生きのいい?ドングリは少なく、枯葉の中に紛れて“さあ目を出すぞ”とばかりに色気を強かさに移行したような、艶を失ったようなものばかり。それでも何種類か形の違うのを拾うことが出来た。 ここから更に東へ向かい、佐布里池に向って南下。家から6キロほどに歩いたところで水飲み場がある梅の館に到着し、水分補給。池のそばの一角にマテバシイの木があり、たくさんのドングリが落ちる。大きめで美しいドングリなので使い道が多い。是非これも加えておきたい。 結構疲れているので5分ほど休憩をとる。 これらの内、コナラ、ミズナラ、クヌギ、アラカシ、ウラジロガシ、マテバシイなど拾えるし、ウバメガシならどこにでもある。 息子の嫁さんの教室でハロウィンパーティをやるというので、自由に持って行ってもらおうと、たくさん採って持って行っていたが、「虫が出て閉口した」と後になって聞いた。去年は人形のサンプルも作って添えたりしたが、今年は止めにした。 1キロほど歩いてペジーブルへ。「臭木の実」の話などしたかったが、オーナーは二階で接客中。スタッフの女性にあらましを説明し、カウンターに丁度いい「つり銭用のトレイ」があったので、そこへポケットからドングリを取り出した。案の定こういうものにはあまり接してこなかったらしい彼女は、珍しそうに眺め「カワイイ、色々なのがあるんですね」「飾ってもおいても素敵ですねー」と興味津々。 名前や採れる場所、虫が出るかも知れないので熱湯にくぐらせること、など私の説明を楽しそうに聞いていた。「小学校の校長先生が、ドングリで人形を作ってましたね」など母親らしく、感触も良さそうだった。自由にどうぞ、と言って置いてきた。 この日は結構歩いたようで、歩数計は14,800歩を過ぎていた。11.2キロの足と大地のコミュニケーション。半袖が正解でけっこう汗もかいた。夕食後には健康食品の柿を二個食べ、日本酒を3合ほど飲む。体に良い事ばっかりの、なんかとてもいい一日だった。 住民健康診断の結果通知が届き、去年とほぼ同じで*印は幾つかあるが、そんなもの設定数字がそもそも信用できないのだから問題なしと無視するだけだ。 腎機能に少し問題があると出ているのは、尿鮮血が「+-」というのとクレアチニンが増加傾向(基準値以内)の為らしいがどうってことない。腎臓に石があるのは分かっているし、その石が動くと血尿が出ることがあるのも体験済みだ。 アルブミンの値が少し基準値を下回っているようだった。 アルブミンは血漿タンパクの中で、血管内に水を保持する働きが最大で、血管中の血液量や体内での水分の量を調整する重要な働き (血液の浸透圧*の維持)をしている。血液中のアルブミンが低下すると、血管内の血液の量が少なくなったり、血管外(お腹や肺など)に水が溜まったりする。また、アルブミンは脂肪酸やホルモン、薬物など様々な物質と結合して、必要な部位にこれらを運搬する働き(各種物質との結合と運搬)もしている。 これらの数値とてかなり高めに厳しく設定してあるに決まっている。基準値は病人を作るために設けられているようなもんで、コレステロールや血圧の数値に一喜一憂するのは馬鹿げているというのは今や世間の常識だ。 快歩、快食、快飲、快便、快眠それで何の問題がある? あるわけがない。自分のことは自分で管理し、自分が決める。自分の足で立って、自分で判断し、自己責任で。 それ以上でも以下でもない。
2018.10.27
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♪ 創造と分解あそびは異母兄弟見えない糸で繋がっている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日は孫が来る日だったので、息子の古くなったノートパソコンを分解して見せた。 見えているビスを全部外してもどこも外れて来ず、簡単に分解できそうにない。さあどうする? 隠しネジなど探しながら色々いじってみる。やはり隠しネジのように必然的に隠れていたネジが有った。裏面の四隅に滑り止めの様についてる小さなゴム製のポッチ。これを目打ちで刺すようにして取ったらその下からネジが現れた。 これで裏面から攻略できるようになった。かと思いきや、一部が露出しただけで肝心の基盤のある内部を開くことが出来ない。片側は開くのに反対側(液晶画面と繋がっている方)が全く開かない。根気よくそして大胆さも加えて少しづつこじ開けるようにしていくと、パかッと外れた。 目に付くビスを片っ端から取ってゆく。いろんな形をした部品が取れてゆく。 キーボードのキー一つ一つも面白い仕組みになっていて、四角い枠が入れ子のようになり、真ん中部分が支点になってXの形に少し浮いている。これでキーの上げ下げをバネ様に支えているらしい。 他の電気・電子部品の意味などはさっぱり分からず、どれが何でどんな役割をしている部品なのかサッパリ分からない。 小さなビスの数もすごくあって、それだけ多くの部品を組み合わせて出来ているというわけだ。それぞれの機能別・役割別に設計班が分かれ、(設計と開発は別としても)この限られた大きさの枠の中に収めるための方策に、一体どれだけの時間と労力が使われたのだろうか。 ホンダのフィットが後部座席を倒した時に真っ平らにするため、床下にガソリンタンクを持って行ったのは業界初のことだった。こんな小さな函の中に収めるための努力は、部外者の私なんかには到底計り知れない。 今は、スマホのようなもっと小さな世界での熾烈な競争だ。業界の中で歯車の一つになって開発に関わって働いている人たちの苦労は、並大抵のものじゃないでしょう。 無理に引きはがしたりすること無く、最後の最後まで完璧に分解できた。古いスマホやケイタイから東京オリンピックのメダルを作る計画は、金も銀もまだ不足しているらしい。これらの部品のどこかにも使われているのだろう。 何処かに回収ボックスってあったっけかな? 孫もその分解作業を傍で観ながら、次々に外されていく変な部品が面白くて、はしゃいでいた。 ばーばが、孫と遊ぶためにと作った銃もどきのものに、形のおもしろい部品を孫に選ばせてくっつけてやった。如何にも厳めしい感じが出ておもしろくなった。 あー面白かった。孫もどこで覚えたのか、3歳の時から「ブンカイしたい」と言っていた。男子は生まれつき分解が好きなのだ。 私も、何でも分解したくなる質で、古くなって要らなくなれば必ず分解する。時計やカメラなどは当然だし、デスクトップのPCも分解した(PCのハードディスクを取り出すのには難儀したが)。アップライトのピアノも分解したことがあるが、これなんかは稀有な体験の筆頭だね。 中学の時だったか、ゴルフボールを分解したことがある。55年も前のことになるが、当時のゴルフボールは今のものとは随分違っていたようだ。 躯体には細いゴム糸がカチカチに巻いてあり“ヘー! やっぱりゴムなんだぁ” と感心し、それを全部解いて行った。 どうした弾みか、その芯の部分から、青くてドロッとした液体が噴出して天上に飛び散ったのには驚いた。顔に当たったり、目にでも入ったらと思うとゾッとしたのを覚えている。 こういう経験は宝だね。新しい発見が必ずあるし、手先と頭を使わないと出来ないものも多い。それを作った人をリスペクトしないではいられない。 そんな数々の経験から得たものは多く大きな財産でもある。「ちょっとした機械的な故障なら何でも直せる」という自信を持てたのもそれがあっての事だね。
2018.10.26
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♪ 柿の木の影かそけゆく夕暮れの空にわき出し蝙蝠が舞ふ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 隣家の庭に柿を収穫するため、お手伝いの婆ーちゃん二人が来て、二階の窓に私の顔を見つけて声を掛けてくれた。柿の木は4本有って、どれも品種が違うらしい。 高枝ばさみはけっこう力が要るし、高いところは婆ーちゃんたちでは届かない。それで結局私が代わりにやることに。何のことはない、飛んで火に入る秋の蛾だ。でもまあ、人のお役に立てることは嬉しい事だ。 そんなに獲ってどうするの! というほど獲れた。近所や知人に配るらしい。鳥たちの分を少し残して置いた私一人が食べるだけなので、沢山はいらないと言ったのに・・ 中庭にも柿の木があって、それはどうやら渋柿らしい。昔、ここのお婆さんが存命の頃、「中庭の柿が一番おいしいんですよ」と言っていたのを思うと合点がいかない。完熟して柔らかくなったのを食べたか、干し柿にして食べたのかも知れない。渋柿も完熟すれば甘くなる。 立派な柿なので私も干し柿を作って見たくなった。比較的青味のあるのを選んで15個ほど持ち帰り、さっそく皮をむいた。実も大きく、なかなか立派な渋柿だ 熱湯消毒してから干すと黴が生えにくいらしいので、50cmほどの紐の両端に柿を括りつけ、熱湯に5秒ほど浸けた。最近は気温が高めなので、そのままでは黴が生える確率はかなり高い。熱湯に浸けた後に焼酎にくぐらせて、更に念を入れる人もいるようだがそこまではやらなかった。 北側の軒下に棒を渡し、それに振り分け荷物のようにして掛けて完了。日は当たらないが風通しは良い場所だ。 半生とろとろの干し柿にするには、1週間位して外皮が固くなったら、親指と人差し指を使って押すようにして軽くもむ。さらに5~1週間ほどしたら柿の中心までよく揉む。渋が早く抜けて、半生とろとろの干し柿(アンポ柿?)ができるらしい。 半分をこの方法でやってみて、後の半分は何もしないでやってみることにしよう。 渋柿のタンニンは「可溶性」で水に溶やすい性質があり、唾液に溶出して渋さを感るらしい。甘柿の果肉にある「ゴマ」は、タンニンが不溶化して固まったものなんだとか。 渋柿を干すことで柿の水分が抜けてタンニン成分が凝固し、渋みを感じなくなるということらしい。水分が抜けて糖度も高くなり、干し柿の甘味は、甘柿の約4倍にもなるという。 干し柿は、太陽の紫外線や赤外線の効果で甘くなるのだと勝手に思い込んでいたが、そうではなく “水分が抜けさえすればいい” という事らしい。 面白いのは、渋柿は元々普通の甘柿よりも糖度が高く、糖度計で計るとメロン14~18、ぶどう17に対し、渋柿は乾燥前でも糖度20以上もあるらしい。その甘さをタンニンが邪魔しているという訳だ。普通の甘柿を干しても大して甘くはならず、干し柿にするのは渋柿に限るというのはそこに有る。色んな吊るし方がある。少量なら右の方法が一番簡単だ。 干す代わりに、柿のへたに焼酎を付けてポリ袋に入れて密閉しておけば、一週間ほどで渋さを感じなくなって美味しく食べられる。ホルムアルデヒドが発生してタンニンを凝固させるらしい。昔は、米糠や米びつに入れて置いたりしていた。 「柿が赤くなると、医者が青くなる」といわれるほどの健康食材で、β-カロテンの抗酸化作用で老化の原因の活性酸素を除去し、必要に応じて体内でビタミンAに代わって粘膜を強くし、カラダの抵抗力を高めてくれて風邪の予防になる。目や粘膜、皮膚の健康を保ち、成長を促す作用もあるとか。 干し柿になることによってさらに栄養価が高まり、高血圧、脳卒中などの予防、二日酔い、むくみ、腹水、発熱性疾患の軽減などが言われているらしい。
2018.10.25
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♪ 人生の光と影はダマスク織(だますく)の経(たて)緯(よこ)糸のちなみに如くを‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日染め直しを頼まれたシルクのシャツを取りに来てもらった。大いに気に入ってくれ、提示した染め代から予算より安かったと1,000円をバックさる。 自分でも良い色に染まったと絶対の自信があったので、遠慮なく受け取り、結局5,000円頂いたことに。 何時でもいいと言われていたが、“早く染めろ” と腕が鳴って落ち着かず。2週間足らずで染め上がったことも意外だったらしく、甚く喜んでくれた。 生地は傷んでいないので、好きなシャツがこれからまだ当分の間着られると思えば安いもの。今着るのにちょうどいいので、何かの会合か社交の場で嬉しさを振りまいているかもしれない。 最近はウォーキングしていて、赤ちゃん連れのお母さんに挨拶されたり、犬を連れたご婦人に微笑みかけられたり、小学生に挨拶されたり、平和な空気が流れているような親愛の波動が伝わっているような、そんなほわッとした気分を感じることが増えた。 こちらは知らない人だし、その場所も時間もまちまち。 禿げのオッサン(ジィサンか)だけにそりゃあ悪い気はしない。声を掛けても返事がこなかった時からすれば雲泥の差、 “土壁と石膏ボードの差” だ、そりゃあ嬉しいものです。 人相が変わったのか? 男の放つ湿った光が消えたのか。 確かにストレスのない生活に、「便」は悪臭を出さなくなったし、眉間にあった重い影も潜めている。変にトゲトゲしていた心の襞の棘が取れ、頭は増してツルツルとして、浮世の憂さも滑り落ちる。 健康寿命のカギを握る「テロメア」という染色体の先端部分は、歳とともに短くなっていくらしい。合せて、ストレスがそのスピードを速めてしまうらしく、心配性の人は癌になりやすんだとか。クローズアップ現代+ それを防ぐには 1、有酸素運動 2、野菜、魚・海藻を食べること 3、睡眠を十分にとる(7時間) 4、人とのコミュニケーションを取ること(孤独は煙草と同じくらい有害)の四項目が重要とか。100%満たした生活をしていったら100歳まで楽々に生きられるかも知れない。 今の私は、この4つがおよそ70%のところで満たされている。このぐらいがちょうど良いんじゃないかな。適当というのが何のストレスも受けない最も「適正・妥当」な状態なわけで、適当な生き方というのは70%を維持するということでしょう。 ヨガの瞑想と呼吸法(4秒で吸って4秒で吐く)も老化を防ぐテロメアーゼ酵素を促す効果があるので、健康寿命を延ばすにはとても良いらしい。「クローズアップ現代+」に詳しく出ています。 心を広く取って、楽しいと思うことをグイッと引き寄せる。天網の恢恢に倣ってカスミ網を広げ、密にして洩らさぬ心意気。 適当に食べて適当に飲み、適当に寝て適当な雲子をし、適当な運動して適当に遊ぶ生活。ここにちょいと「色」が加わればいうことなし(言わぬが花?)。これを「最適」と呼ばずになんとしよう。
2018.10.24
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♪ とめどなき晩婚少子 早朝の歩道にひとりギンナンを拾う‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ わが家の近くの道路には50本ほどの公孫樹の並木がある。今銀杏の真っ盛りで、木によって様々ではあるが夥しい実を歩道に落としている。採る人もなく踏みつぶされたり、落ちて間もないものはその金の粒を誇らしげに輝かせている。♪ たおやかに子を生す雌木や空高くゆったりと陽に手をひろげをり 公孫樹にはご存知のように雄株と雌株がありますが、歩いていて歩道の様子が違っているのに気付き、この並木には北の方に雄株が多く植えられているようだ。もちろんすべてではなく、南の方にも雌株の間に少しは混ぜてある。 何故そんな植え方がしてあるのか。清掃の都合と思えなくもない。何せ落ちた銀杏を掃除するのも大変だ。葉は落葉樹なのだからしょうがないにしても、落ちた銀杏はまた別のもの。雄株ばかりが並ぶ。並木の北の端から南へ南側の端。ここまでずらーっと雌株が並ぶ この雄株と雌株の見分け方は意外に簡単で、その枝ぶりを見ればほぼ100%当てることが出来る。雄株は、枝ぶりに柔らかさが無く、如何にも情緒がない感じでつんつんとしている。雌株はそれに比べて横に枝を広げ、曲線を伴って木全体が大らかな印象がある。雄株雌株 一見して分かり難いものもあるが、よく見ると脇枝の出る角度が違うようだ。葉の切り込み方が違うとか言う人もいたりするが、葉では全く判別できない。この時期なら下に実が落ちているかいないかで判断できるし、いっそ落葉してしまえばその特徴もハッキリする。 雄雌の体型がちがうなんて人間と同じようで面白い。♪ 採る人もなき銀杏を踏みゆけばピチッピチッと歩道が応ふ 木にも個体差があって、ほとんど実が落ちてしまったのもあるし、まだ木にびっしりと実を付けているのもある。 自然界の植物は、施肥もせず消毒もしなくてもちゃんと実を付け、子孫繁栄の営為を怠らない。気に入らないからと言って場所を移動したり、環境を変えたりすることも出来ないのに、その生命のしたたかさには畏怖さえ覚える。 ギンナンは栄養価が高い食材で、でんぷん、カロテン、ビタミンCなどを含み、カリウムをはじめ、マグネシウムやリン、鉄など、骨を作るのに欠かせないミネラルを沢山含んでいるそうです。 みすみす捨てておくのは勿体ないというものです。せっかくタダで手に入るのですから、散歩の途中にでも拾って帰り、酒のつまみにでもするのも良いんじゃない。 封筒に塩と一緒に入れて、電子レンジでチンすれば簡単に火が通り直ぐに食べられます。ハンマーやペンチを使って亀裂や割れ目が入るくらいに軽く割っておくといいでしょう。 500Wの電子レンジで60~90秒ほど加熱。2~3個ポンポンとはじけたくらいができあがりの目安で、加熱しすぎると実が硬くなったり、破裂しちゃったりします。 ただ、ギンナンには「メチルビリドキシン」という中毒物質が含まれており、食べ過ぎるとけいれんなどの中毒が起きるそうです。特に幼児は解毒能力が弱いので注意が必要の様で、食べさせないのが無難とか。また、ビタミンB6の働きが阻害されるという。 成人は一日10粒程度にしておいた方が無難らしい。私は良い気になって食べ過ぎ、「胃痛」になって困った経験が有ります。何にしても度を越しては逆効果ですね。
2018.10.23
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♪ 北駒に雪の声聞く晴朗の佐布里の里に酒酌みにゆく♪ 持ち寄りの馳走に個性散りばめて意気の粋なる宴の始む♪ ご馳走と酒に言葉をないまぜて歳を忘れる秋天の下 ♪ 名東区の三美人なほうつくしきこころ人なる理を見せ♪ 六十と七十そして八十代最高齢がいちばん元気♪ 磊落に気楽に生きて快楽と愉楽の時を笑ひ過ごさん♪ 階段を上りゆく歳下りゆく酒量に時の流れを思ふ♪ 往年の矍鑠と意気 再生の画面に見れば時あしぶみす♪ 控えめな奥さん一人寡黙にて自我の溢れる場にかしこまり♪ たちまちに時すぎゆきて暮れ方の空に茜のホリゾントかな (ホリゾントは、舞台やスタジオで使われる背景用の布製の幕または壁、またそれを照らす照明のこと。) 話題の中で「十四夜」を何というのかという声が上がって、みんな知らないらしい。ではと、スマホで直ぐに調べられる便利な世の中。 どうもこれといった呼び名は無いらしく、十四日月の別名として「小望月(こもちづき)」というのがあるらしい。満月(望月)の一つ前という意味らしい。十六夜(いざよい)があるのに、片手落ちのような気がしたんだよねぇ。満月の直前はあえて言うまでもなかったのかなぁ。 新月の翌日が月齢1となるのは、満年齢と同じ数え方なんだね。(「月齢+1の整数部」が旧暦の日付とほぼ一致する。)そして満月の月齢が16で、満月迄の期間が15日ではなく16日というのが良く分からない。時期によって変わるという事なのかな。
2018.10.22
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♪ ガリバーになった気分の昼下がりすべてのものは相対にあり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 息子が使っていた部屋を片づけていたカミさんが、「こんなものが出てきたよ」と、高さ7.5cm、直径2.5cmのちいさな砂時計を持って来た。プラスチック製だ。 多分、会社の研修で3Dプリンターで作ったのだろう。他にも5cm角のサイコロもあった。中が空洞になっている複雑な構造だが、簡単に作れてしまう最新技術。誰でも簡単に拳銃が出来てしまう、問題になっているあれだ。 小さなものだけど、こんな複雑なものがボタン一つで出来てしまう時代になったことを、これらの現物を見て確と納得。金型などを作ったりモデリングを得意とする会社なので、この技術の普及は会社にとっても非常な脅威に違いない。大変な時代になったものだ。 大企業の言語道断のデーター改ざんが当たり前になっているのも、技術革新で競争が苛酷になった故の安易な逃げ道なのだろう。同じ3分計 この砂時計、計ってみたら3分計だった。私の作ったものと比べると、月とスッポン、まるでガリバーと小人の「リリパット」だ。見方を変えれば巨人のブロブディンナグ国とガリバーみたいとも言える。 同じ機能を持っているわけなので、大きさの価値をどう判断するかは一概には言えない。小さければ紛失する可能性もあるし存在感もない。大は小を兼ねる、いや兼ねない。失うことはないという事だけは確かだ。 「ガリバー旅行記」。この世紀の一大風刺物語を私はよく知らないが、拡大解釈して「文明を持った金持ち国と、プリミティブなまま金銭の価値基準ではない生活を謳歌している国」を対比したものとして眺めると、さまざまなイメージが湧き上がって来る。理屈ではなく直感でのこと。 現代テクノロジーが、革新という名で本来の価値を破壊してゆく姿が反映されているような気もしてくる。スウィフトの言いたかったこととは少しずれているかも知れないが、ガリバーになったの気分で眺めてみるのも悪くない。 左 「第一篇」リリパットの海岸にうちあげられ気絶しているところ右 「第二篇」ブロブディンナグの農夫に見世物にされるガリヴァー 初版が1726年に出版された「ガリバー旅行記」。一・二編が子供向けに出版され知られているが、全四編からなる社会風刺物語のことはあまり知られていないという。「これまでに書かれた最高の政治学入門書の一つとして、確固として成立している。法における判例上の対立、数理哲学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日の数多くの議論が、本作には予見されていた」 第三編で「大きな島国であるラグナグ王国に着いたガリヴァーは、不死人間ストラルドブラグの噂を聞かされ、最初は自分がストラルドブラグであったならいかに輝かしい人生を送れるであろうかと夢想する。 しかし、ストラルドブラグは不死ではあるが不老ではないため、老衰から逃れることはできず、いずれ体も目も耳も衰え集中力も記憶力もなくなり日々の不自由に愚痴を延々こぼし、歳を取った結果積み重なった無駄に強大な自尊心で周囲を見下す低俗極まりない人間になっていく。 80歳で法的に死者とされてしまい、以後どこまでも老いさらばえたまま世間から厄介者扱いされている悲惨な境涯を知らされて、むしろ死とは人間に与えられた救済なのだと考えるようになる。」Whikipediaより この辺りの記述など、まさに今の先進国の状況そのものを描いているようだ。 700年ほど前に想像したものが現実のものになるって、想定外じゃないってことを意味していることにつながって来る。
2018.10.21
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♪ 木の幹を成せるは女 男など咲いて散りゆく花だと思う 家庭とは、夫婦とは、男と女とは。男女二種類の「人」という生き物は、全く違う生きものだと思うことが度々ある。全く違って当たり前なのだろうが、時どきそれを忘れて喧嘩になる。 人は、十人十色というぐらいだから全く同じ人は存在しない。それは分かる、それは分かっているのに男女という別の区分けで、明確な線引きがなされている事を忘れてしまう。 両方が理解しようとして歩み寄っても、どうしても埋まらない溝がある。それは身体的な外見上の問題ではなく、脳の構造に違いがあるようなのでどうしようもない。 だから惹かれるという事にもなるわけで、その厄介な相違点を如何に認め合えるか。男と女の関係は人類の永遠のテーマではある。そこにAIが介入してくる近未来は、それに対抗すべく人間男女はより近いものへと進化していくのだろうか。ソフトバンクの人型ロボ「Pepper」 家庭とは、大きな川に蓋をして設けた舞台の上に乗り、日々に演じる台本のないエンドレス芝居なり。 ダブルキャストで妻夫 ヒロイン・ヒーロー演じます。時に感情さらけつつ、善後策など考えて即興芝居に明け暮れる。 思ったことを口に出す女の口の軽きこと。うまく言葉にならぬまま無言で通す男とは、意思の疎通のままならぬ。思慮に頓着せぬ女、思慮に埋没する男。 口喧嘩せば、10倍も反撃喰らって返り討ち。必ず負ける男(お)の心、よどみに溜まる塵芥 心に澱の溜まりゆく。 妻は妻とて父ちゃんが 仕事で留守の昼日中、子どもに愚痴をこぼすなり。如何に自分が正しいか事あるごとに刷りこんで、味方に付けてゆくが癖。 愛と情は格段に俺が上だと思いつつ、言わぬが故に伝わらぬ男は何時も孤独なり。 やがて夫は居心地の悪さに嫌気まさりゆき、ついに舞台を去るという。妻を追い出すことなどは 優しさゆえに能わざり。己が身を引き悪者となりて無言の旅烏。 あんなに熱く燃え上がり、時に娼婦も負けるほど寝屋を焦がした日もあらん。それは単なる生物の子孫のためのメカニズム。止むにやまれぬ情熱のミトコンドリアの為せる業。 齢を重ねてゆくほどに演技は上手くなるものか。思い遣りなる術ありて、小技いろいろ使いつつ騙しだましのテクニック。おしどり夫婦を見せながら、個を消してゆく夢芝居。「黒の舟唄」男と女の 間には深くて暗い 川がある誰も渡れぬ 川なれどエンヤコラ 今夜も 舟を出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowお前が十七 俺十九忘れもしない この川に二人の星の ひとかけら流して泣いた 夜もあるRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowあれから幾年 漕ぎ続け大波小波 ゆれゆられ極楽見えた こともある地獄が見えた こともあるRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowたとえば男は あほう鳥たとえば女は 忘れ貝真っ赤な潮(うしお)が 満ちるときなくしたものを 思い出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowおまえと俺との 間には深くて暗い 川があるそれでもやっぱり 逢いたくてエンヤコラ 今夜も 舟を出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Row── 黒の舟唄 ── 長谷川きよし 野坂昭如 (クリックでYouTubeへ)
2018.10.20
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♪ 笊の目をぬけて消えたるものたちが秋の夜ふけによみがえりくる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ Yahoo!ジオシティーズの運営が2019年3月いっぱいで終了するというメールが届いた。大変驚くとともに移転手続きなど面倒な作業があり、ちょっとウンザリしている。 ジオシティーズは無料と有料のホームページを提供していて、私も自分のものと知人の分と計3つのHPを管理運営している。 サービス終了の理由は、採算面や、今後システムを維持するためのテクノロジーに関する複数の課題などを総合的に判断した結果で、一言では説明できないとのこと。 ジオシティーズは1994年アメリカで誕生し、誰でも簡単にホームページを開設できる仕組みや、ストリート名と番地を選んでホームページを開設するという、いわば仮想の都市を作るユニークな試みにより、瞬く間にインターネット初期の代表サービスの1つとなった。 1997年に日本法人ジオシティーズ株式会社が設立されて21年、Yahoo!ジオシティーズとなってから18年が経つ。アメリカを始め各国で提供されたジオシティーズは2009年にサービスを終了し、日本のジオシティーズだけが残って運営していた。 98年に後発のグーグルが誕生し、ロボット検索エンジンを開発。その波に出遅れたヤフーは2000年にグーグルの検索エンジンを採用するが、同社の急成長ぶりに慌てて自社製に切り替える。これがヤフーの迷走の始まりで「グーグルにひさしを貸して母屋を取られた」と後の祭り。 オークションサービスの拡充のため、99年から00年にかけてネットオークションの米イーベイとヤフーの合併を模索。覚書まで調印したが本契約の直前で折り合わず、一転して白紙となってしまった。これが二つ目の躓き。 イーベイがNECと提携して日本に上陸するとヤフー日本は徹底抗戦し、孫氏は「イーベイが日本から撤退するまでヤフオクの手数料を無料にする」と宣言。実際に2年でイーベイを追いやったが、オークションを巡るいきさつが結果的に日米ヤフーの明暗を分ける分水嶺になった。 第3の誤算は10年前。米アップルが発売したiPhoneが幕を開けた、モバイル時代への乗り遅れだ。パソコンからスマホへの需要の移行を読み誤って、「爆速」の掛け声とともに軌道修正する。 この間、米ヤフーは坂道を転げ落ちていた。08年に米マイクロソフトから提案された買収を拒絶し、ヤン氏も最高経営責任者(CEO)退任に追い込まれ、中核事業をベライゾンに売却。「アルタバ」に社名を変え、実質的に保有株の管理会社となる。去年の事だ。 米Yahoo!が主要事業を売却した後も、日本のヤフーがYahoo!ブランドを維持するとなると、Verizon傘下のYahoo!ブランドのサービスと、日本のYahoo!が並立し、同じブランドを別資本が運営することになる。 私は2002年にホームページを立ち上げた。50の手習いで、PCを買って自力でセッティング。その半年後にHTML言語を使って、ホームページビルダーなどのソフトを使わず完全な手作りでやった。基本のきの字も分からない状態でPCを立ち上げ、用語辞典にも載っていない基本の基本用語も知らない中での作業。そりゃあもう大変で気が狂わんばかりだったが、無事に完成した時は自分を褒めてやりましたよ。 あれからもう16年も経つんだねえ。その間に検索エンジンの登場でアクセスアップの為のノウハウが変わり、マメに更新していたHPはトップに表示されるようにもなった。今はもう必要性も落ちているので更新もほとんどしていない。 自分のものもまだ少し消したくないし、知人の分もある。これらを他社に移行しなければならない。
2018.10.19
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♪ 生かされて流されてゆく鳥たちよくうねるあそぶの話をしよう‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 天気は秋らしい澄んだ高い空がちっとも見られない。ともすると積乱雲がもこもこと空に立ち上がり夏を名残のだらしなさ。しかし、ここへ来てようやく秋らしい気温になってきた。 朝晩はひんやりして暖房便座はオンになり、猫が朝寝の場所が寒いと駄々をこねる。 さすがに半袖では寒いので長そでになるものの、日中が暑くなりそうな日は長袖の上に半袖のレイヤード。いつでも脱げる体制で。 見下ろす隣家の柿の木は、鳥類のヒエラルキーと用心深さの違いなどを見せ、日に日にその実の色を増しゆく。 先日の午後、あまりに腹が減って何か食いたいと思った時、目の前の柿の実が私を呼んだ気がした。早々に庭に入って、手の届くのをもいで食ってみた。ちょっと硬い。まだ早かったようで甘みも少なく、ここの柿はもっと旨いはずだが・・。今年は柿の当たり年らしいが味はどうなんだろうか・・ 誤解のないように書いておく。普段は無人のこの家の主に「柿は自由に取ってください」と、許可を貰ってあるのです。シルバーセンターのオバサン三人、時々家の掃除に来ていていてそのオバサンた達も、10月第四土日の産業まつりのころになると高枝ばさみを持って取りに来る。 先日も試し取りしているのを見て、「その時にはこちらにも少し分けておくれ」と頼んでおいた。 やはり11月にならないとダメの様だ。鳥たちは如何にも気が早いのだ。硬くて啄めない中にちょっと早めに色付いたやつがあって、そいつを狙ってやって来る。 今朝はまずムクドリが来て、直ぐ後にヒヨドリが来て啄んでいる。電線の上にキジバトが来て、少し後にスズメ。キジバトとスズメは柿の木には止まらず、様子を見ているだけだったが・・ 10月下旬ともなると入れ代わり立ち代わりして、カラス、ムクドリ、ヒヨドリ、モズ、メジロなどが喧しくなるし、最後にはスズメも残った柿を食う。頭の中の果樹カレンダーに、ポッポッポと明かりが点くのだろう。 中三日のウォーキングを兼て図書館まで歩く。 そこここに幾らでもある竹を使って、庭の模様替えでもしようかと思っていて、どこぞで竹をゲットしようかと、物色しながら歩いている。帰路、細めの竹がある竹林があった。真竹だろうか。孟宗竹は幾らでもあるがこういう竹は案外少ない。そんな竹林を探していたので、これぞとばかり目をつけた。 その横を通る時、ちょうど向こうから老人が歩いて来た。 「この竹藪の持ち主は近所の人かね?」と聞いてみた。すると老人は、「好きなように取って行けばいいいいだがね。みんなここで切っていくだがや」との返事。 良い事を聞いた。こんな風に荒れた竹林があちこちにある。 どこの竹藪も手入れがされず、荒れ放題だ。切ってくれる人が有れば、それこそ有り難いということなのだろう。 もう安心だ。コソコソしながら一二本採ってくるというのも卑屈なもんだ。そうと分かれば大ぴらに何本でも採って来られる。 真冬の休眠期に伐採して、油抜きかなんかして・・。“設計図でも考えようかな” って、小さな庭に設計図もあったもんじゃないわ・・。 最低気温が13度だった日の夕方、今秋始めて、中電の煙突の水蒸気が威勢よく立ち上っているのが見えた。空が冷えてきて季節の変わり目だということを知る。この水蒸気の上がり具合で大気の冷たさが良く分かる、いわば気温のバロメーターだ。私にとっての冬の風物詩でもある。♪ 夕冷えて姿あらわすくもの種身を朱にして空へと昇る
2018.10.18
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♪ 魁(さきがけ)の人見絹江や光輝なり人絹道路に名を残したり *人見絹江とは‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 知人が、知り合いにシルクの服を染め直しできないかと聞かれ、私のところへ問い合わせしてきた。現物を見てみないと分からないということで、後日その本人を連れてやって来た。 その服は、濃いターコイズブルーの厚手のシルクで、色といいデザインといい、そん所そこらの日本人にはなかなか着こなせるシロモノじゃない。かなりハイソサエティーのハイセンスな人なんじゃないかと踏んで、話を振ってみた。本人は謙遜して言いたがらなかったが、連れてきた元市会議員の婦人が言うには、色んな部会や組織に所属して幅広く活動している人だとのこと。 居酒屋のオーナー婦人でもあり、70歳になったのを機に息子に任せ、今はフリーの身でいろいろ活動しているらしい。 肩から袖に掛けて色褪せているし、襟のエッジ部分がかなり色落ちしてている。かなり気に入っている服だそうで、着る回数も多かったらしい。しばらく箪笥の中で眠っていたとのこと。どうりで防虫剤の匂いがする。 話の中で色んな人の名前が出てくる。交流や繋がりがあるそれらの人と共通の知人も幾人かいた。私も若い頃は顔が広いと言われていたので、お互いに世間は狭いですねぇと驚くばかり。 シャツはどこかに染め直しを頼んでみたが断られたらしい。縫製品を染めるのは手間もかかるし、何かと問題が出ることがあってリスクも高い。私はGパンやポロシャツなど綿製品だけでなく皮のジャケットや絹製品も染めたことが有り、何だって染められる自信がある。 手間さえ惜しまなければ大概のものは染め直しが出来る。ただ、石油由来のアセテートとかポリエステルなどの化学繊維だけは染められない(ナイロンは別)。 この日ご婦人は、大島と他の着物の生地を組み合わせて、洋服に仕立てたものを着ていた。着物は沢山持っているので洋服に仕立て直しすることも多いらしい。デザイン・縫製代は決して安くない。現役を引退した今は国民年金暮らしなので贅沢も出来ずちょっと困っているという。 それでポリエステルなどの服も着たいと思っているが、化学繊維の服を着るとアレルギー反応が出るんだという。かぶれたり痒みが出るので着られないとか。それでどうしても絹の製品ばかりを着ることになっていたらしい。 「レーヨンなら問題なく着られると思いますよ」と伝えると、非常に喜んでいた。 レーヨンはセルロース繊維(紙と同じ木材パルプが原料)なので、石油化学的アレルギーを起こすことはない。シルクを人工的に作ろうとしてできた素材で、昔は人絹(じんけん、人造絹糸)とかステープル・ファイバー(略してスフ)と呼ばれていたもの。 名前の由来は、光線(英:ray)からきた「光る糸」という意味で、ヤーン(yarn)「紡いだ糸」との合成語かも知れない。レーヨンは、やわらかさ(ドレープ性)と光沢が魅力の繊維だ。裏地に使うキュプラも同じ仲間で、製法が少し違うだけ。断面が三角形の形状で、光が当たると乱反射を起こすため光沢がでる。 しかし、レーヨンはとにかく水に弱い素材で、濡れた状態での強度が極端に落ちる。水洗いして乾燥すると縮んでしまうことがある上に、摩擦にも弱くシワになりやすい。家庭での洗濯は難しいのでレーヨンを使った高価なシャツなどはクリーニングに出した方がいい。水滴や雨によって、水ジミになることがあるので雨の日の着用は避けた方がいい。 セルロース繊維なので土中に放置すれば土に還ってしまう。微生物の作用による分解なので、地球環境に非常に優しい繊維だ。燃やしても煙の発生が少く、有毒ガスは出さないし灰がほとんど残らない。 自然の中から生まれて自然に還るレーヨンは、環境汚染に無縁で安全性が高く、循環型社会に貢献できる化学繊維といことが言える、優れものなのです。 染色は容易だが、縮む恐れがあるので怖くて安請け合いはできない。染め上がり。どんな色でもいいと言われたが、一応色見本で提示したのがこの色。 絹の染色は正しいやり方でやるとかなり時間がかかる。40~50度から染め始めて30掛かって徐々に温度を上げ、沸騰させて30分間染めなければならない。 手抜きをすると堅牢度が低くなり、日光や水濡れによって色落ちすることになる。着物が雨にぬれた時に色が滲んだり、汗で帯揚げの色が着物に移ったりするというような問題が起る。洗おうとして水につけたら、スーッと色が抜けてしまったりとか・・。 私が染めたものはそんな心配は要らない。多分、気に入ってもらえると思う。
2018.10.17
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♪ 重連の貨物列車が光彩の一徹一路を走りゆく見ゆ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今やってる朝ドラ「まんぷく」のヒロイン・今井福子役の「安藤サクラ」を見ていると、とても懐かしい感じがするのは何故だろう。そういう顔立ちなのか、醸し出す雰囲気がそう感じさせるのか。何だか知らないが胸の奥の方に囁きかけて来るような、得体のしれない何かを感じる。 こういうものを感じさせる人って、そうそう居るもんじゃない。歌手は声の質がすごく重要で、才能は声そのものに有ると言ってもいいぐらいだが、女優の才能はこういうところに表れるのだろうか。吉永小百合にも興味が湧かなかったし、好きな女優はいるもののこんな風に感じる女優は初めてだ。 最初、彼女が「万引き家族」に出ていた女優だということさえ気づかなかった。ドラマや日本映画をあまり見ないので彼女の存在と活躍も全く知らない。当然、「まんぷく」で顔を見るのが初めてだと思った。「万引き家族」 確かに母親役でリリー・フランキーとの悩ましい演技も目を引いていたが、松岡 茉優と樹木希林の方に気が行っていてあまり記憶に残らなかった。今改めて思い返せば、確かにその演技の断片が脳裏に浮かんでくる。迂闊だった、もっとしっかり見ておくんだった。 少し経ってから、イオンウォーターのCM(野球編)に出ていて「おとなって、なっがいよー」とやるあれを見て、「あっ彼女だ!」と漸く気付くのだから、頭の鈍くなったオッサン丸出し。 左の画像は若いころの母親そっくり それにしても凄い女優なのに、あの「まんぷく」の親近感のある演技は「やっぱただ者じゃねー」。31歳にしてティーンエージャーそのもののように演技し、しっかりドラマを引き締めて浮いた感じがないのは、さっすがじゃのォ。 5歳にして父の舞台を見、女優になろうと決意したというから恐ろしい。芸能一家という周りの声が気になって、小学2年生のときにその夢を一旦封印し、アルバイトなどの経験を積んだうえで高校生になって初めて、女優の道へ足を踏み入れたんだって。 2007年に父・奥田瑛二が監督を務める映画『風の外側』で初デビュー。 2009年、園子温が監督を務めた映画『愛のむきだし』で、カルト教団の勧誘員・コイケを演じ、ひと際強い存在感を発揮したというから、持って生まれた天職なのだろう。 2011年、2010年に映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を始め5本の映画に出演し、第84回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞。 2013年1月、映画『かぞくのくに』の演技が高く評価され、第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞。また同賞で助演女優賞を受賞。主演女優賞、助演女優賞のダブル受賞はキネマ旬報ベスト・テン開始以来初めての快挙。TVドラマにも多数出演している。 2014年、姉が監督を務めた映画『0.5ミリ』と、オーディションの募集記事を見て応募した『百円の恋』で主演など5本の映画出演し、2年連続でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞をするなどその年多くの主演女優賞を受賞している。 第29回東京国際映画祭にて(2016年) 翌年度、『百円の恋』で第39回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞。 キネマ旬報が企画したオールタイム・ベスト 映画遺産 日本映画男優・女優100(映画雑誌『キネマ旬報』創刊95周年記念)の女優ランキングでなんと第8位に選出されるという、もう日の出の勢いだ。 2018年、映画『万引き家族』がカンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞。泣くシーンが審査員長で女優のケイト・ブランシェットに絶賛された。 是枝裕和監督も、みんな素晴らしいんですけど、サクラさんの泣くシーンは、現場でカメラの脇で立ち会っていても「特別な瞬間だ」と思ったと。そして審査員たちが、何かとんでもないものを見たという顔をしながら「安藤サクラがすごい」と言っていたという。 そういえば、「まんぷく」で姉の結婚披露宴で笑い泣きするシーンがあって、その演技に感心しまくっていたのを思い出す。 こりゃあも一回観るしかない。今はすぐにTVで放映されるので見逃さないようにしなければ。 ご存知のように、父の俳優・奥田瑛二、母のエッセイスト・安藤和津の間に次女として1986年2月に誕生。姉は映画監督の安藤桃子。俳優の柄本明と角替和枝の長男・佑と2012年3月に結婚、2017年に第1子を出産し連続テレビ小説史上初の「ママさんヒロイン」となった。 何度もオーディションに挑戦し落選していた憧れのNHK連続テレビ小説のヒロイン。オファーが届き夫や両親、義父母の叱咤激励や、NHK側からの育児に協力するとの約束を受け、育児と撮影を両立することを1ヶ月も悩んだ末に納得し決意したんだとか。 NHKの「働き方改革」を背景にNHK大阪放送局内にキッズスペースが開設され、ほぼ毎日子供をNHKに連れての撮影に臨んでいる。 だらしない役を演じるとき、「女優さんが汚い役を演じている」と思われるのが嫌で、本当に汚くだらしない人間になろうと心がけ、そのために歯をガタガタにしようとした際に歯科医に断られたという。三国廉太郎を思い出す。樹木希林が「万引き家族」で入れ歯を全部はずして老婆を演じていたのは当然としても、歯は俳優の命とも言ったりする女優にとっては最も大切なもの。それを平気で崩そうと思える女優は彼女の他には、まず現れないでしょう。 『百円の恋』では、ニートからボクサーになる主人公を演じるため、まず太ってだらしない体型を作り上げ、撮影の後半の10日間で体を絞ってプロテストに合格できるボクサーの体型を作ったという。これらの役者魂は父親・奥田瑛二譲りでもあり、求められる役柄への洞察力と手抜きをしないプロ意識には全くゆるぎがない。 親の教育と環境が天性の素質とが相俟っていて、何がダメで、どうするべきかがよく分かっているようだ。一枚の絵を見て一瞬にその絵の神髄を見極めるごとく、役柄の求めているものが判断出来るのだろう。 今までにない途轍もないスケールの女優になるかも知れない。原節子は絶頂期に引退してしまったが、もしそうでなければ相当なスケールの女優になっていたかもしれないが、タラレバは意味がないし比較のしようもない。 安藤サクラは果たして、どんな女優になっていくのか。本人のモチベーション次第とはいえ、絶大なる期待を持って眺める価値はあると思う。“業界に消耗されてしまう” のだけは避けなければならない。
2018.10.16
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♪ 知っていて得することの数多ありPC裏技また一つ知る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ブログを読んだり書いているといろいろ困ることがある。そんな時に役立つ裏技(表か?)をご紹介します。 先ずは基本のショートカットキーの[機能別一覧] (Windowsの標準機能、Internet Explorerの機能、Windows Media Playerの機能など)あまり使う必要のないものが多いですが・・─ 知っていると便利な機能 ─ 小文字の入力 *漢字入力:「X」または「L」+文字キー 例(X-Y-U→ゅ)(L-Y-U→ゅ) *ローマ字(Altキーと同時に押す)入力:「L」+文字キー 画面の文字が小さくて読みにくい場合など *画面にカーソルを置いて「Ctrl」を押しながらマウスの 中央のボタンを、前後に動かすと拡大・縮小できます。 高齢者にはありがたく、「おおー」と声が出ますよ、ハズキルーペ なんていらないから。 *デスクトップのアイコンもこれでサイズ変更できます。 表示画面全体を保存 *「Alt」を押しながら「Prt Scr/Sys Rq」を押す。 画像編集ソフトで必要な部分を切り取る。 私は毎日の短歌をワードで書いて、この方法で画像にしています。 右クリック禁止のサイトのHTMLソースを見る方法 *「Ctrl」と「U」を同時に押す。同画面に表示される。 時間がかかる場合があります。 ショートカットキーの[キー別一覧]。 初心者にはありがたいですが、あまりに多くてまごまごしちゃうかも。 知ってるとちょっと嬉しい小技のいろいろ。役に立ちそうですか?
2018.10.15
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♪ 三十年努力をすれば報われるそうか百まで生きてみようか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ すげえ人がいるもんだ。一級建築士、岡啓輔(52)が一人で作り続けている奇怪な名をもつビルがある。東京・三田の聖坂にあり、その名は「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」という。 私は先月のEテレで知った。『せかい!! 岡啓輔の200年』という漫画になったり、「タモリ倶楽部」でも取り上げられたりしているらしい。2018年 完成も近い蟻鱒鳶ル。 大家夫妻によるセルフビルドの建物で、日本の九龍城と言われているらしい「沢田マンション」老若男女が住んでいるという。 美術評論家ジョン・ラスキンの《楽しんでつくったモノは美しく、イヤイヤながらにつくったモノは美しくない》の言葉に触発され、この日本の九龍城に感銘を受けて、自分でビルを手作りしている人がいる。 2005年11月、着工。ホームセンターで資材を買い、セメントに混ぜる砂や砂利は生コンクリートの業者から調達。効率や合理性は度外視し、愚直にひたむきにセルフビルドをこだわり抜く。鉄筋の赤さびが長い歳月を思わせる。 ビルの地下にあるミキサーで練り上げるが、水の量を減らすことで鉄筋コンクリート造りの建物の耐用年数が50年とされるものが「200年もつ」ものに。一般的なコンクリートはセメントに対する水の質量が60%近いが、蟻鱒鳶ルのものはわずか37%ほどだなんだとか。 1999年に結婚した妻の言葉「家の設計も大工仕事もできるんだよね? じゃあ、私たちが住む家をつくってよ」と言われてその気になったというから、カミさんの力は偉大だ。2000年9月三田の聖坂、都心の一等地に40平方メートルほどの土地を購入。不動産会社は「建築条件付きで6500万円」という条件を提示してきたが、粘り強い交渉の末に5千万円近い値引きを実現し、1550万円で手に入れたというから驚く。カミさんの言葉の力は偉大だ。壁面のテクスチャー 上の模様はコンクリートの型枠の一部に農業用ビニールを使うことで出している。木の端材など思いつくものを自在に応用する。建物全体がひとつの「生命体」だ。 1965年、福岡・筑後に生まれ、大牟田にある国立有明工業高等専門学校の建築学科に進学し、卒業後。住宅メーカーに就職。入社2年目の12月で会社を辞め、全国の建築を見てまわる自転車の旅へ。30歳までの7〜8年の間に、日本を1周半したという。建築に対する情熱は絶えることなくその内面に燃え続けていたらしい。 24歳の時、飛騨高山で開校した建築家の私塾「高山建築学校」に出会い通い始める。3度目の夏を迎えたところで校長の倉田康男に、ある理由から「お前1年間、建築禁止」と言われる。そんな時、土方巽の弟子にあたる舞踏家、和栗由紀夫のもとで踊りのイロハをみっちり仕込まれ、「思考を追い抜く」即興表現の力を学んだというから、その前向きで柔軟な思考に驚く。 実際の建築現場を知りたくて、鳶職や鉄筋工、型枠大工、住宅メーカーの大工としても働き、建築というものの神髄を身体全体に叩き込んでいる。紆余曲折の足取りなど、自著に詳しく書いてある様だ。岡啓輔著「バベル!」(筑摩書房) 「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」という呼称は、肯定的な響きのある「あります」の後ろに、「シェラトン」「ヒルトン」のように景気良さげな「トン」を付け、動物の漢字を入れたくて、大地・水・空を象徴する「蟻」「鱒」「鳶」をあてたんだとか。駄洒落的なその発想には遊び心の本質が良く現れている。最後の「ル」には、建築家ル・コルビュジエへのオマージュも込められているんだとか。 アントニオ・ガウディになぞらえて、人は彼を「三田のガウディ」と呼んでいるとか。いい顔してるなあ。 会って話が聴きたいが、色んな人が訪れるんだろうなぁ・・ 蟻鱒鳶ルを建て始める前、自分が無能な存在に思えて何をなすべきかを見失っていた時、友人に打ち明けると、「そう思った時から30年ちゃんと努力したら、自信のある人間になるらしいよ」と励まされたそうです。「100年は無理だけど、30年ならできる。じいさんになるまでに、自信のある人になれるんだと。蟻鱒鳶ルが大きくなっていくに連れて、僕のなかでも自信のようなものが育ちつつある気がします」 困難に直面しながらも、友人知人や家族の協力を得つつ、植物を育てるようにゆっくりと作りつづけ、2018年現在でようやく完成の目途がついてきたらしい。あと3年でその時を迎える算段だとか。 「人間ってすごいなー!」。偉業を成し遂げた人や驚異の記録を打ち立てる人、グレートレースに生きる実感を味わう人。そんな映像を観たり読んだりすると、つくづくそう思う。
2018.10.14
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♪ 生きてゆくことの全てに空前の最先端にじゃんけんをする‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今日は孫の保育園の運動会。ウォーキングの日でもあるので帰りは歩いて帰るのも良いかと思って、観戦に参加した。 暑くも寒くもなく丁度いい天気で、絶好の運動会日和だった。 80人ほどの園児に父母、祖父母が参加すれば、そりゃあかなりの賑わいになる。 9時から12時までの3時間、年少・年中・年長それぞれに合わせた種目がよく工夫されていた。こういうものには参加したことがなかったが、自分が小学校の時にやったような種目が保育園でやられていることに隔世の感を感じながら眺めていた。 年長のマスゲーム 規律を重んじる日本にあって、協調性と同調圧力の根源を教え込まれてゆく過程のマスゲーム。アーチストを標榜する人間にとって、個性が最も大事なものである以上それを抑え込むことで成り立つものを消していかなければならないのは面はゆい。保育園に入れたということはそれら諸々を受け入れたということなのだから仕方ない。 共同生活、団体行動をする上ではやむを得ないことだし、集団生活の経験も大切なことと分かってはいるんだが・・・。 偉人となって後世に名を残した人ならいざ知らず、日本で生きていくには社会が求めるものから外れることはかなりハードルが高い。それとて考え方次第で随分変わる。頭が良ければ結果オーライだが、そうでなければ無駄な抵抗となる。アウトローの烙印を押され変人扱いされるのがオチだ。 運動会中にそんな事を考えていた、なんてウソ。後付けもいいところ。 運動会が終わって、私は一人「常滑屋」まで送ってもらって、気の向くままの別行動。オーナーに盆栽鉢を売っているところはどこか尋ねようと「伊藤さんは?」と聞くと、目の前でお茶する客と接客中だった。 「あら、お久し振り」「つい先日、貴方の噂をしていたところなんですよ」 「生きてるかって?」 「そう、そんな感じで。誰だったかなあ」「ほんのついこないだなんだけど」 伊藤さんも私と同じゾーンに入って来ているらしい。 盆栽鉢の事を言うと、「まともなものじゃなくて、ちょっとひょうげた様なものでしょう」と、店の外につくねてあるものを二つ三つ、「こんな感じのものでしょう?」 「そうそう、失敗作でその辺に方ってあるような・・」 「しばらく置いて飽きると交換するるの。これなんか、苔がついていい味が出てるでしょう」 そんなのを「いいからもってって」というので、頂いてきた。 一応、教えてもらった陶房も言ってみた。小振りの盆栽鉢が幾つも並んでいて、なかなかいいのがあるが結構する。2,500円というのがあったので、折角だから購入することに。運がいい事に丁度「常滑焼祭り」の日だった。20%オフで買うことが出来た。 伊藤さんに生きている事を確認してもらったことだし、「常滑焼祭り」のメイン会場には寄らずに帰途へ。途中、陶器の荷物は重いので息子の家へ寄って、まだ居たカミさんに預けた。 常滑屋から家までは以前歩いたことがあるし、息子の家からも歩いて帰った事もある。大した距離じゃないと思うものの、運動会では立っていることが多く結構疲れてもいた。なんとかなるだろうと常滑街道を一路北へ向かう。 途中、大野の喫茶ギャラリー「きょう屋」で一服。帰りがけにオーナーの井上さんにバッタリ会った。前日、我がのお客と噂話をしたところなので、いろいろ話をしたいのも山々なれど、挨拶だけして先を急ぐことに。犬連れなので外の緋毛氈の床几でコーヒーを飲みたいというお客がいた。 テリア系の犬だということは分かるが、私の知っている犬種ではなさそうなので聞いてみると「ジャックラッセルテリア」という答えが返って来た。犬のことは詳しくない私には初耳だった。 この犬、ジャックラッセルテリアは素質として強いテリア気質を持つ犬種だそうです。 ●猟欲と好奇心が強く、活発で運動能力が高い、頑固で負けず嫌いな性格です。 ●思い込んだら一直線という側面があるため、時に笑いを誘いますが、逆に大変な問題を発生させてしまうことがあります。 ●ジャックラッセルテリアは飼い主以外の人間に従うことは少ない典型的なワンマンズ・ドッグです。 ●賢さゆえに飼い主の力不足を見抜くと、暴君と化すとさえ言われています。 そんなワンちゃんとバイバイして、ここからはまだ8キロほど有る。やや負担に感じながらも「何じゃそれしき」芭蕉は一日7里以上歩いたのだと、老骨に鞭を打つ。 疲れもピークながらスピードを落とさずに歩き続ける。けっこう掛かった感があり、薄暗くなりかけた家のすぐ近くのコンビニへ。当然、ビール(発泡酒)を買うのが目的だが、往復はがきが必要なのを思い出して所望するも置いてなかった。 今時、往復はがきを買う人がいないらしい。コンビニは世相を映す鏡でもあるなあ。 一日の総歩数23,600歩余り。疲れた。70を境にしてガクンと落ちる大きな段差があると聞く。それが如実に表れてきたのだろうか。意気沮喪。
2018.10.13
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♪ あめつちのピースは乱れジグソーの穴ふえゆくも季節はめぐり来 10月に入ってから一日が進むのがやけに早い。天候が不順なせいか、行事が多いからか、日々が充実しているからなのか。もう中旬に差し掛かって来た。この分だとあっという間に11月だ。 今年も残り2カ月という時期になると、お尻の辺りがもぞもぞとして落ち着かなくなる。ピピにとってなんとも落ち着かない、そして苦手な季節がやって来る。 ピピ 天気が良い日は屋根の上で日向ぼっこ。あんまり良すぎると暑くなってくる。かと言って日が陰れば寒くなって来る。ボクちゃんと違って天気って気まぐれだよなぁ。入れてー ここならけっこう快適かもねぇ。 今日は陽射しが弱くって、落ち着かない。部屋に戻ろうか。でも誰もいないので開けてもらえない。 わたし「痛い痛いっ、止めろって!」「腿の上に乗って、おっちらおっちら、爪立てるのは止めろって!」「いつまでやってるの! もういいからっ」「イテ イテテ・・」 まだ寒い時期じゃないのに、今からこんなんじゃ先が思いやられるなぁ。お前こんな狭い膝の上で、ゆっくり寝られると思ってるの? ああ、足がしびれてきた。おまえ8キロもあるんだぜ、こっちの身にもなれよなー 10月ともなると小寒く感じる日が多くなって、ついつい私の椅子を寝場所にする。 ついこの前までこんな極楽のような日々だったこと、覚えてるかいピピよ。 「ネムリソウ」が未だに次々と可憐な可愛い花を咲かせている。ずいぶん花期の長い花なんだねぇ。
2018.10.12
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♪ 一分はまさに心でカウントす三分CMむやみに長し‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日作った3分式の砂時計。なかなかどうして、とても役に立っている。 元々はTVCMの3分を計るために作ったもの。チャンネルを変えた時にその3分を計れるといいかなと思って。 CMが終わる時間が分かれば、その間に他のことが出来たりするので都合がいいしね。 時計では一々数字を覚えておくのも面倒だし、秒針が一回りしたのか二回り目なのかよく分からなかったりする。デジタルだと時間の流れが分からないし、あとどのくらいで3分が終わるのかもよく分からない。 砂時計はくるっとひっくり返しておけば、砂の残量で視覚的に時間を把握しやすい。1分半ほど過ぎたとか、あとどのくらいで3分になるのか一目瞭然だ。 最も役に立っているのが、他でもない歯みがきの時間。 歯科医師には、歯の表裏を磨き、歯間ブラシも裏表やって、総計20~30分はやらないと汚れは取れないと言われている。しかし、実際にそんな長い時間やってられない。目一杯やってまあ5~6分ぐらいだろうと思っていた。 それで試しに計ってみたら、3分間の長いこと。ガンバッテやったつもりでも、せいぜいが3分程度しか経っていない。 実にもうガッカリだ。えーっ冗談じゃない、こんな風で20~30分なんてとても無理だ。 表側だけを3分やってひっくり返し、計6分間ひたすら頑張ってみた。かなり長い気がするが、砂時計が励ましてくれるようで我慢できた。裏側も同じようにやって合計で12分。このぐらいなら毎日出来そうな気がする。 12分はかなりやった感があって、歯もツルツルだし、歯間ブラシに汚れがついてこない。しっかり磨けている証拠だ。 確実な時間が分かる上に手抜きもできない。“今日もしっかり磨いたぞー” という達成感もある。 夏のシャワーの時以外は風呂場で歯みがきしていたが、それはもう止めることにした。 テレビを観ながらじっくり腰を据えて、一日の総最終仕上げだと思ってやれば気分も良い。 こりゃあ良いものを作ったもんだわ。うひひひひ。
2018.10.11
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♪ 胎生のごとくに事を進めゆき腹に嘘なす卵を抱ふ 中三日のウォーキングは久々に長浦の奥の丘陵地へいってみた。 自然と言っても人手が入った人工的な荒れた自然というべきものが広がるエリア。人口減、高齢化、離農、過疎、物欲、金銭価値などなど今とこれからの日本の縮図が垣間見られる場所でもある。 路辺のあちこちにカタバミの花が咲いている。黄色いのが普通と思っていたがここにあるのは紫のもの。緑の草の中で補色の個のいろはかなり目立ち、淋しい荒れ果てたエリアに華やかさを演出している。 かなり大きな竹林があり、全く手入れがされていないために竹が密集して人が通り抜けることなど出来ない程だ。管理用の道か、真ん中が通れるようになっている、以前入ったことはあるがどこまで行けるのか行けるとこまで行ってみることに。 荒れ放題のこのエリアで人に会うことはほとんどないが、一部はまだ手入れしてあるところもあって、下草が刈ってあったりする。昼顔?木瓜の狂い咲き 荒れ果てた竹藪の中へ入っていく 反対側に出て振り返ったところ。葛が繁茂した荒れ地の向うに中電の火力発電所の煙突が見える。 やけに大きな柿の木、7~8mはあるだろうか。自然を謳歌している感じ。 東側の丘陵地に出た。耕作地で田畑がが広がっている。休耕田には秋桜が定番になっている田んぼの横の水路にメダカらしきものがたくさん泳いでいた。後で孫と一緒に捕りに来よう。この日は、12,200歩ほど歩いたが大して疲れを感じなかった。民家で出合ったこの美しい薔薇の花。何という名前のものだろうか? 午後になって何時ものように孫がやって来たので、さっそくメダカを取りに行く。いとも簡単に捕れたので拍子抜けした。 なんかメダカにしては大きすぎるし、生息している場所もちょっと違う感じで、カミさんがメダカじゃないかも知れないと言いだした。取りあえず持ち帰ることに。 その帰途、一つだけ家にあった椿の実を見て、孫が自分で採りたいといっていたので、家の近くで降ろしてもらった。持っていた車で遊んだり採った椿の実を並べたりして急に「オシッコがしたいー!」ぎりぎりで、セーフ!とった実をポケットに入れて持ち帰る。三つに裂けて、実が弾けたあとの外皮はなかなか味がある。例によって料理のまねごとをして、お皿にていねいに盛り付けをした。「弁当」と、全部容器に入れて持ち帰った。 で、肝心のメダカはどうだったか。しげしげと眺め、ヒレの形や体型、背中の色など吟味する。うーん、メダカじゃないな~。この敷いてある新聞の写真は加計学園の、いい加減な記者会見で厚顔無恥を曝したあの人。リンクしているのが偶然とはいえ、何と皮肉なこと。 どうやらメダカではなく「カダヤシ」だったようだ。上から見た感じではメダカに見えたけど、背中にハッキリした筋はないし、横から腹びれを見ると一目瞭然。まさしくその特徴がカダヤシそのものだ。ガッカリだ。 カダヤシは繁殖力が旺盛の上に卵胎生で、卵を他の生物に食べられる恐れがないのでメダカを駆逐して大繁殖している。特定外来種に指定されていて、飼育・販売・放出すると懲役3年以下か300万円以下の罰金だとか。この尾の説明はちょっと信じ難い。カダヤシの尾はこんな風に丸くなかったようだ。角にほんの少し丸みがある程度に見えるが・・。 不衛生な時代に、蚊の退治を考えボウフラをたくさん食べてくれるというので、外国から導入したものだ。メダカだと思って飼っている人も多いようだが、カダヤシと分かったら「絶対に池や川に逃がさないで下さい」と呼び掛けているぐらいなもの。カダヤシ 左がオス、右がメスこうしてみると尾はやはり丸っこい感じだねぇ。メダカオス:クロメダカ × メス:ヒメダカ で交配種を作ったりされる
2018.10.10
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♪ 長生きをしたくはないと言いながら体に良い事ばかりしている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 中高年男性に耳寄りな話があるんだけど、聞いてくれる? テストステロンというホルモンをご存知の方も多いと思いますが、男性にある(女性にもあるらしいが)もので骨や筋肉をつくり体脂肪を減らして男らしい肉体をつくる働きがあるんですよね。そればかりではなく、性格や社会性にも大きな影響を与えていることが分かってきたらしいんです。 「冒険心」や「社会性」、「競争心」を高める作用があり、テストステロンが少ない男性は、チャレンジ精神が乏しく、人に勝ちたいという気持ちも弱くなりがちなんだとか。 リーダーに必要なチャレンジ精神、他人や社会に貢献しようとする気持ち、公平・公正さを求める気持ちなどすべてにテストステロンが関係しているらしいんです。キレにくいのもその一つだし、難しいことに挑戦し、勝利することでテストステロンの分泌は増えるらしい。 要は「男」を形作っているものは、このテストステロンに因るものだということなんですね。尾畠春夫さん これぞ男。テストステロン出っ放しって感じですね。 テストステロンは95%が精巣で作られますが、長期記憶を司る脳の「海馬」でも産生されていて、情報伝達に関わる神経細胞間の接点「シナプス」の増加を促し、記憶力の向上にも関与しているというのは初耳ですね。 テストステロンを投与されると社会に貢献しようという気持ちが強くなって、「他人や社会を思う公共心とウソをつかない公正さが増す」ことが証明されたという。(誰か、安倍総理に投与してくれまいか。) テストステロン値が高い人は “社会の中の自分” を意識するので、多くの人が価値を認めるブランドやステータスを好む傾向があり、不安を感じにくい“鈍感力”も強くなるらしい。(この部分では、安倍総理は十二分に満たされている。何だか矛盾を感じるなぁ。) 生まれつきのテストステロンの多さは、手の指の長さに表れるらしい。テストステロン値が高い人は「人差し指よりも薬指が長い」傾向があるんだとか。しっかりエビデンス(科学的根拠)があり2000年に『ネイチャー』にも掲載され話だそうです。 自分の手はどうかと思って見てみれば、なんとなんと左右とも薬指の方が長い。おお、それで・・と納得したわけでもないけれど、自分を再認識するにはいいデータかも知れない。(安倍総理のように、自分に都合の良いように解釈する。)>スキャンした左手 庭の草取りをした後なのでちょっと汚い。 一般に年を取るとテストステロンの分泌は減っていくわけだけれど、ストレスが多分に影響するのも分かる気がする。ストレスが視床下部から脳下垂体に作用して、精巣でテストステロンがつくられる量が減るらしいんだ。 最近耳にする “男性更年期” は、加齢やストレスによってテストステロンが著しく減ってしまった状態らしいよ。気持ちが沈む、やる気が出ない、よく眠れない、頭が痛い、疲れやすいなど、テストステロンが減ることで心身に多くの不調が表れるんだ。まあ女性の更年期と同じようなものだね。 > テストステロンが低い人は内臓脂肪が増える傾向があるとかで、実際、テストステロンを補充すると「脂肪が減って筋肉が増える」らしいです。転倒、骨折をしやすく、要介護の大きな原因となるサルコペニア(筋肉の減少)にもテストステロンが関係しているそうだし、テストステロンが低い男性は寿命が短い傾向があることも分かっているとか。 『社会に自分の居場所がある人』はいくつになっても分泌量が多いことがわかっていて、70代でも会社の一線で働いている人は若い時と同じようにテストステロンが分泌されているんだとか。テストステロンが増えると寿命も延び、「男性のアンチエイジングは、テストステロンを増やすことがポイントだ」という意見も出てくるわけです。(安倍総理はかなり長生きしそうだねえ。)ソースもと「日経Gooday」 この記事には「男性ホルモン値を上げる10カ条」なんてものも列挙されています。 ●男性ホルモンの大敵、過度の緊張を和らげよう●積極的にゆとりのある生活を送ろう●食事を大切に●忙しいときこそ短時間でエクササイズ●良い睡眠を取ろう●仲間を大切に●無理しておしゃれをしよう●凝り性になろう●大声で笑おう●目標を持とう、冒険をしよう、わくわくしよう ストレスや運動不足で影響を受けやすい男性ホルモン。男は案外デリケートな生き物なんだねぇ。「人間らしい規則正しい生活をして、前向きに生きろ」ということなんでしょう。何も特別なことはないわけですが、「男らしさ」という言葉が消えつつある時代にあって、堂々と「男」を自認・自負することで維持され発揮されるものなのかも知れませんね。 男女同権、ジェンダーフリー、ユニセックスもいいけど、男は男らしく生きていないと「冒険心」「社会性」「競争心」も無くなって「肥満体」にもなり、孤独を抱えて生きる羽目になるかもよ。 私なんか薬指長いしウォーキングしたりたまに筋トレやったりするし、ストレスのない生活してますから意に反して長生きしちまうかも知れない。適当なところでぽっくり行きたいのに、こりゃあ拙いぞ。 そうかと言って病気にはなりたくない。敢えて後ろ向きに生きるなんてことも出来ないし、ストレスを抱えるのも嫌だ。趣味も持たずにボケーとしてる生活も苦痛だしなあ。 To be or not to be. What do you do?
2018.10.09
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♪ 秋めきて星ふるよるやむらぎものこころしずかに文字にとけゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5日に行った「天気輪の柱」のマスターは、喫茶店経営をしながら文筆活動をしているらしいことを聞いていたので、是非その辺りの話が聴きたいと思っていた。2012年7月、2014年6月に、二度行っているがマスターとは話ができていない。 店構えが懐かしい。 すぐ近くまで行くとチェーン店らしき大きな喫茶店がでんと構えていて車がたくさん停まっていた。こっちの客の入りはどうかなあと思いながら入っていくと、案の定だーれもおらず、私一人の貸し切り状態。これならゆっくり話が聴けそうと、店には悪いが内心しめしめと思った。 頃合いをみて話しかけてみる。 「マスターは文筆活動をしているって聞いたんですが・・」 「ええ、まあいろいろと」 「小説も書いてるんですか?」 小説も書くし依頼された原稿も書く。ジャンルを決めると表現の幅が限定されていく気がするので、自由に書ける今の状況がいいという。 カテゴリーは特に決めておらず、書くことの内容が問題なのであってカテゴリーは単なる入れ物に過ぎない。何をどう描くか、どんな料理を作るのかが問題なわけで、見せ方とか器は二の次のことでしょうと。 「宮沢賢治がお好きなんですね」 小学校高学年の時に図書館で「銀河鉄道の夜」に出会って以来、宮沢賢治が好きになったという。なぜか分からないが色を感じたそうだ。それが不思議でそれ以来、子供たちが長嶋茂雄を好きなのように賢治が憧れの人になったそうだ。それからずっと、今でもファンなんだとか。 野球少年だったので本ばかり読むような子どもじゃなかったが、文章を書くのは好きで、賢治のようになりたいという漠然とした思はあったらしい。中学に入ってから、小説のようなものを書くようにはなっていたらしいが、ご多分に漏れずバンド活動をやっていたので、そんなに真面目に書いていたわけでもなかったという。 大学に入ってから本格的に小説を書き始め、雑誌の賞に応募したりするようになっていて、予選は通過していたのでそんなに悪くはなかったのかなという。しかし、社会人になってからは飲食関係の仕事で忙しくなり書くことは叶わず、かなりの間ブランクができてしまったらしい。 その後、ようやく書くことを再開できるようになって、ネット上のちょっとした公募に応募したところ運よく受賞した。それを機に、ある人から記事を書いてみないかと誘われてそれから色々なジャンルの記事を書くようになったとのこと。 「日本語はボキャブラリーが豊富で、漢字、ひらがな、カタカナと文字の表現においても多様性があって面白いですね」「二人称なんてこんなに種類がある言語も珍しいですよね」 「まあそれをどう使うかはセンスの問題ですけどね」 「制約があると入りやすいですよね、白紙の紙に好きなものを書いてと言われても困るけど、何かテーマを与えられると書きやすい」 「自由と言っても基本が出来ていなければどうにもならないでしょう」 「個性的な文章というのは簡単に書けるもんじゃないですね」 「文章に個性を出したり型破りのものをと思っても、基本が出来ていなければそもそも破るべき型がないんだからしょうがない」「舞踊の世界で言うように、まず基本を身に着けてそれを破っていかないと」 「守破離というやつですね」 「とに角、自分が書きたいものを書くしかないですね」 「賞なんて運みたいなもんで、どういうのを書くべきかなんて分かんないですね」 「芥川賞なんかでも選考過程を見てみると、賛否両論どころかバラバラだったりしますからねえ」 窓から名鉄の赤い電車が、色付いた田んぼの向うを南の方へ走って行くのが見える。 「引出しに色んなものが詰まっていて、溢れだして来るっていうのが理想でしょうけどね。町田康なんか読んでるとそんな感じがすごくします」 「何かを表現すると言っても自分の中に有るものが出てくるわけで、何も無い人からは何も生まれないですよ」 「表現するっていうのは自分を出すことですからね」 「隣家の庭に柿の木があって、まだ色付き始めたばかり何にもうカラスがやって来ます。下見に来てるんでしょうが、その後にムクドリが来て、大分日数が経ってからヒヨドリがやてくる。それを上の電線でスズメが眺めている。こんな情景も、上手い文書が書ける人にとっては面白いエッセイの素材になったりするんでしょうね」 「日本には四季があるでしょう、それぞれに違う表情を見せてくれるっていうのは有難いことですね」 「毎日、ブログに色んな事書いてますが、自分の自由ですから好きなように書いてます。七五調で書いてみたり会話形式で書いてみたりで楽しんでます」 「今はネット上で発表するのも簡単で、無料で本が出せちゃったりしますね。それでボーナス分ぐらいは稼いでいる人がいるし、作家も生まれていますよね」「旅行記などは良く売れるらしいですよ。誰も書かないテーマとか面白い視点での表現ができれば、ネットで出版してみるのも良いんじゃないですか」 店内のコーヒーの木 店内には鉢植えのコーヒーの木が数本有り、4年前の倍ぐらいになっていて雰囲気も随分違う感じがする。 「時どき日に当てたりするんですか?」 「苗が小さい時はやってましたが、最近は全く。ずっとこのままです」「赤道近くにある木のイメージですよね。でも大丈夫みたいですよ」 「えーっ、日に当てなくていいんですか?」 「あそこのは実がついてますよ」 窓の近くにある鉢を指さして言うので見てみると、緑の小さな実が幾つも付いていた。葉の緑も濃いしつやつやしていて、とてもこんな薄暗いところで育っているなんて信じられない。 「わが家にはパキラがあって花を咲かせたいと思ってるんですよ」 ここに全部は書ききれないが、短歌日記ブログのことや、エッセイの公募に応募したり歌会始にも応募していることなどこちらの紹介も交え、いろいろ意見交換ができて楽しかった。電子書籍やWeb小説の情報もありがたかった。 コーヒーは自家ローストだしパンも自家製というマスターの拘りから察して、寡黙なとっつきにくい人だと勝手に思っていたが、案外話し好きな人だった。こういう拘りを持っている人は、自分を認めてもらいたいという密かな自己顕示欲を持っていたりする。物書きでもあることを思うと孤独を感じながら生活しているかも知れないし、案外寂しがり屋なのかも知れない。 「いろいろ聞かせていただき、ありがとうございました」 「文筆活動のほう頑張ってください」 いつか、もう少し踏み込んだ話をしに来たいなあと思いながら、誰もいなくなる店を後にした。また同じ9キロの道のりを歩いて帰ると思うと気が重い。秋の日は獲物を狙うアジサシだ、さーっと鈴鹿の山の向うに落ちていって、家に着いたころにはもう真っ暗だった。 いつものようにネットで「コーヒーの木」について調べてみた。 春~秋にかけて屋外で管理することができるが、直射日光を当ててしまうと刺激が強すぎて葉焼けを起こしてしまうので、30%~50%の遮光をする必要があるんだとか。耐陰性があるので、屋内でも日光が入る場所なら大丈夫とのこと。 室内でも直射日光は厳禁で葉焼けを防ぐためにレースのカーテン越し程度にするべきというから、日本の夏の猛暑を考えたら室内の方が却って良いのかも知れない。 ネットで簡単に手に入るので観葉植物として育てている人も多いらしい。オリーブの木ほどの人気ではないだろうけど・・・
2018.10.08
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♪ ツクツクと虫の音聞こゆ昼下がり店主に会いに里を越え行く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 前からウォーキングの目標としていてなかなか実現できていなかった喫茶店「天気輪の柱」。河和線の坂部駅のすぐ傍なので常滑線沿線の自分の家からは東の方向へ、およそ9キロ(もう少し有ると思っていたが、地図で距離測定したらこんなもん)の距離がある。 意を決して出掛けることにし、2時頃家を出る。 往き、通り沿いに和菓子屋があり「栗きんとん」の張り紙を見たら無性に食べたくなった。帰りに買って帰ることにする。少し行くともう一軒和菓子屋があって、こちらの方が店構えが立派だ。老舗なのか、商売上手の店主なのかも知れない。 復路、店構えが立派な方の和菓子屋に入る。栗きんとんが1個づつ透明アクリルの四角いケースに入って20個以上並んでいる。思ったより小さい。中津川の川上屋のものはもっと大きかった気がするなあと思いつつ、値段を聞くと1つ320円だという。まあ大きさから言うとそんなものか。 「どこ産?」。 「熊本です」。 川上屋のものも確か、熊本産と地元のものをブレンドしていると聞いたことがある。 そこへお客が入って来て即座に栗きんとんを4個注文。私を差し置いて買うことに気兼ねしている。店の女主人が「大丈夫ですよお客さん、まだ十分にありますから」という。ショーケースには20個近く並んでいるというのにそんなことを言う。何だか買う気が失せた。 「また来ます」と言って店を出た。この先にもう一軒あることが分かっているから。熊本産の栗きんとん で、もう一軒の方に入ってみるとケースのトレイに4個だけ、済まなさそうに並んでいる。こちらのはアクリルの四角いケースには入っていない。値段を聞くと200円だという。大きさはさっきのと変わらない。 「どこ産?」。「熊本です」。 ものは同じようだ。どうもあのアクリルの四角いケースに入っているだけで30円違うらしい。贈答用ならいざ知らず自分用なら安い方がいい。それにしても30円は高いだろう。10円で十分なもんだ。 見てくれを良くして付加価値を付け、店のブランドとともに高めの設定で客を欺く商売上手。 帰着したのがほほ暗くなった6時半ごろ。往復24,300歩あまりの里越えのウォーキング。いつもなら帰路は別の道を通るが、時間的に遠回り出来ないし疲れてもいる。この日は100%同じ道を引き返した。 田んぼと畑、葡萄畑や竹藪などを両側に見る尾根づたいの田舎道。往復18キロばかしなのにやけに疲れた。筋力、体力の衰えを実感させられてた。 体力は70歳前後にガクッと落ちるというのを聞いてはいたが、まさにそんな感じ。 今、三百名山筆筆書き(グレートトラバース)をしている田中陽希の凄さを思うと(比較する対象ではないにしても)何とも情けない気分になる。楽に一日30キロぐらいは歩けるようになりたいと思っているが、あまりにも力不足の不甲斐なさ。 単純計算で一歩が平均33cm程度になるようだ。歩くと言っても一定の平らな場所を一定のスピードで歩いているわけではないので、歩幅は様々に変化する。以前同じ道を歩いた時、歩幅設定の歩数計で計算したら11キロと出た。それを鵜呑みにしていたが、そこには落とし穴があったと知る。 今の歩数計は距離が出ないので、これからは「一歩を33センチで」計算することにする。 夕食の後に買って帰った「栗きんとん」を食べた。栗が好きなのでケーキはモンブランだし、ウォーキング中に栗のイガが落ちていれば胸が騒ぐ。大風の後なんかに道の脇に落ちていることがあると拾って帰る。 栗きんとんは美味しかったが、甘すぎた。1つでもうそれ以上は受け付けないほどに甘い。ちょっと残念だった。世の中、甘いものが好きな人が多いらしく、チョコでもなんでもやたらに甘かったりする。 何にでも砂糖が入っている。甘みがあると旨く感じるのは確かだが、味覚音痴の人が増えている気がしないでもない。甘さを控えたものなんか、何だかケチ臭い感じがして敬遠する人が多いのだろ。
2018.10.07
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♪ 数分で消えたる虹を見た人と何か共有した気がしている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今朝6時20分頃にふと南西の窓から外を見ると、何と何と! きれいな虹が出ているじゃないか。こんな時間に、それも南西の空に虹を見るなんて初めてだ。目覚めたばかりの、まだ活動を渋っている頭が見る虹は、なんかとても新鮮なものに見える。 太陽の反対側に虹が出来るということは知っているけれど、虹は “雨上がりの夕方” というイメージがあって、たいがいは東の空に見えるものだという印象がある。 東側の空はと見てみれば案の定、雲はあるものの朝の鋭気を誇る様な、10月としては強い陽射しが、真横から射しこんでくる。西側の重く曇った空とは正反対の明るさだ。東の空 コンピュータ解析の雲の配置を眺めれば、西に雨雲がかたまって北方に移動中なのが分かる。かなりの量の雨が降っているようだ。東側には雨雲はまったく見えず、晴れていることが分かる。 この雲の配置に、ある条件が重なると虹が出来るのだろう。三重・滋賀の県境、鈴鹿山系から北に雨雲が伸びている。 台風25号が日本の西の海上を北東に移動中で、この位置を台風が通過する時は南からの湿った空気が、日本列島に次々と吹き込んでくる。 6時現在の衛星写真と風の様子 写真を撮ってPCに取り込んでいる間に虹の形は変化して、“どうなった?” と見てみれば、下のほうからスーッと雲散霧消して、あっという間に消え去った。わずか数分のできごと。 太陽のいたずら、或いは何かの前兆か。美しいものには棘がある。吉兆の背景には凶が潜んでいる。なーんて、何もわざわざ悪い方に考えることもない。 ふと、外に目をやらなければ見ることはなかった今朝の虹。幸運だったことには違いない。 この際、虹にちなんで「ナンバーズ4」でも買ってみるか。1124(イイニジ)とか、2424とか・・・。
2018.10.06
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♪ 天に何か意図のあるらん週末を狙うがごとく台風が来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 秋の空は、鳥たちにとっても気分のいいものなのだろう。曇っているところも少しはあるが、全体的には晴れてさわやかな風が吹いている。柿の木にはカラスとムクドリが順にやって来る。それを少し離れた電線の上で眺めているスズメたち。キジバトも鳴いている。 どこからか、ピーヒョロロという声が聞こえてきた。この辺りでトンビが鳴くなんてことはほとんど無いので、その特徴のある声にすぐさま耳が反応した。なんと珍しいこと、郷愁を誘う声はとても懐かしい感じがする。 声のする方向ははどっちだろう? 東の空を見ると、おおいるいる。お寺の小山の上の方に浮かぶように飛んでいる。いつもならこの山の上にはハシブトガラスが何羽かいて、朝のひと時を良く通る声で鳴いている。木の天辺から飛び上がったり、木の陰になったりしているが、この日はどうも様子が違う。カラスはおらずトンビだけが舞っている。 地方へ行くと飛翔中のトンビとカラスが争う光景を見かける事がある。トンビとカラスは食性が似ているため競合関係にあるためらしい。特にカラスは近くにトビがいるだけで、集団でちょっかいを出したり、追い出したりすることもあるというから、カラスの方が気性が荒いのかもしれない。 この日は、たまたま上空を通過中、羽を休めるためにこの山の木に舞い降りたのかも知れない。運よくカラスが出払った後だったということか。 じゃれ合っているのか、中空で三羽が上になったり横に回ったり交差して飛んだりしている。一羽がスーッと離れて行ってしまったかと思うと、もう一羽が寄って来る。 さっき離れていったやつがまた戻って、近づいて来る。三羽が一つになって付かず離れず、同じあたりで舞っている。ピーヒョロロロ。距離が遠いので上手く撮れない。 三羽が距離を保って、小さな円を描きだした。上昇気流をつかまえたのか、徐々に高度が上がって行く。羽を広げたまま羽ばたきもせず、定点上昇飛行とでもいうように一定の場所で旋回している。トンビ特有の飛び方だ。 風を読んで、労力をほとんど使わずに上昇していく。その姿はいつもながら惚れ惚れする。 どんどん高く上がって米粒ほどになり、ほとんど見えなくなった。上空の気流に乗って、どこか遠くの旅への続きを始めたのかも知れない。ほんの十数分の朝のスケッチ。 トビ(鳶、学名: Milvus migrans)は、タカ目タカ科に属する鳥類。トンビと言った方がしっくりくる。 三橋美智也の歌 夕焼空が マッカッカ とんびがくるりと 輪を描いた ホーイのホイ そこから東京が 見えるかい 見えたらここまで 降りて来な 火傷をせぬうち 早くこヨ ホーイホイ 古いなあ~確か曲のタイトルは「夕焼けトンビ」だったっけ。 河口、海岸、河川などを生息場所にしているのは、水辺は動物の死体などがよく見つかるかららしい。視力が良くてかなりの上空から獲物を見つけて急降下してくる。 一度、どこかの海辺で遊んでいる時に、すぐ目の前に急降下してきてびっくりしたことがある。あの大きさだ、驚かない方がおかしい。 全長は60〜65cmほどで、カラスより一回り大きい。翼開長は150〜160cmほどになり、小柄な大人の身長ほどもある。 トンビは英語で kite(black kite)。スポーツカイトこれはトンビが基になってるんだね。知らなかった。
2018.10.04
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♪ 優秀な脳に備わるキュリオシティ未知を希求の火星探査機 6年前に打ち上げられた火星探査機の名は「キュリオシティ」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日、ノーベル医学生理学賞を受賞された本庶祐(ほんじょたすく)氏76歳が、時代を変える研究には「6つのC」が必要だと説く。 Courage(勇気) Curiosity(好奇心) Challenge(挑戦) Confidence(確信) Continuation(継続) Concentration(集中) 学生時代からこれらの「C」を追い求めてきたという。研究で心掛けている事を尋ねられて、好奇心、そして、簡単に信じないことだと語った。「自分の目で確信できるまでやる。自分の頭で考えて、納得できるまでやる」。それが基本的な姿勢。「多くの人が石ころだと思って見向きもしなかったものを拾い、10年、20年かけて磨き上げ、ダイヤモンドにする」それが研究の喜びだと。 子どもたちに向けて「重要なのは知りたい、不思議がと思う心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じない。あきらめない。そういう小中学生が研究の道を志してほしい」と。 こういうことが出来る子は元々優秀な子に違いない。周囲がそれを如何にサポートしていけるかが重要になってくるのでしょう。 おさらいのために、受賞した研究内容の一部をWikipediaから引用して記しておくことにします。本庶佑・京都大特別教授 受賞会見 今回受賞した研究は「免疫チェックポイント阻害剤」が免疫療法の中で初めて確固たる効果が確認され、手術・化学療法・放射線治療というそれまでの癌治療法に「癌免疫療法」という新たな選択肢を設けることに成功しつつあること。PD-1の発見だけでなく、その機能の解明、応用としての免疫チェックポイント阻害薬の開発に対し、関与を続けてきたこと。これらの業績が評価され手の事に対してジェームズ・P・アリソンと共同で受賞することになったもの。 1992年、研究メンバーたちと、免疫細胞の一種であるT細胞の細胞死が誘導される際、T細胞表面での発現が増強されるPD-1という分子とその遺伝子を特定・命名。 その後の研究で、PD-1は抗原提示細胞などの表面にあるPD-L1という分子と結合し、T細胞による免疫反応を抑制する機能を有することが分かった。さらに驚くべきことに多くの癌細胞が、その表面にPD-L1を発現していることが発見された。つまり癌細胞は自分の持つPD-L1をPD-1と結合させT細胞の機能を抑えることで、自身を排除しようとする免疫から逃れているという仕組みが明らかにされた。 もしPD-1に対する抗体(抗PD-1抗体)を作製し、癌細胞より先にPD-1に結合させれば、癌細胞のPD-L1は抗体に邪魔されてPD-1に結合できない。すると癌に対するT細胞の免疫が抑制されず、癌細胞が免疫から逃れることができなくなる。その結果癌細胞はT細胞の免疫反応により排除される。 その戦略に基づき、ヒト抗PD-1抗体としてニボルマブ(製品名オプジーボ)、ペンブロリズマブ(製品名キイトルーダ)といった免疫チェックポイント阻害剤が製品化された。 理論上あらゆる癌に対し効果が出る可能性があり、現在も様々な癌に対する効果が検証され、治療に使われ始めている。 (Wikipediaより) 「抗PD-1抗体」の発見は「ペニシリン」に匹敵するとも言われる。このことで癌を制圧するべき理論が確立され実証されたわけで、これを安く作る方法を如何に確立するか、に重点が置かれることになる。 当初は一部の皮膚がん向けとして発売されたため、少数の患者で採算がとれるように高めの価格となった。その後、一部の肺がんや腎細胞がんにも適用が広がり使える患者が急増しているという。世界では現在57カ国以上で承認されているとか。 当初は100ミリグラムで約73万円とされた。これは患者1人当たりで換算すると年間約3500万円にも上る。高額療養費制度によって患者自身の負担は月々10万円以内で済むものの、それを超える分が保険財政を圧迫することが懸念された。 「オプジーボの国内販売価格は、100mgがワンボトルで73万円です。肺がんの場合、患者さんの体重1kgに対して3mgが必要になり、60kgの人であれば1回の投与あたりで180mg、約130万円の薬代がかかります。投与量は患者さんの体重とがんの種類によって大きく変わってきます」(小野薬品広報部) その後、適応が拡大して販売額が増えたことで、新たに設けられた特例市場拡大再算定の対象となり、17年2月から50%引き下げられるという異例の措置がとられた。 高価な上に副作用も有り、まだまだ開発途中の薬であることに変わりはないが、今世紀中に癌は制圧されるかもしれない。
2018.10.03
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♪ 若き娘(こ)がペットを抱えうたう歌『サマータイム』は子守歌なり ペットとトランペットを掛けて ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何気なくYouTubeを観ていて出合ったジャズシンガー。最初に聴いたのがこの「サマータイム」で、なんと歌に続いてトランペットを吹きだした。ミュートを付けたソフトな音とフレージングが、若さに似合わぬアンニュイな雰囲気でとてもいい。一発で気に入ってしまった。 女性版チェット・ベイカーとして名を馳せつつあるとても貴重な歌手兼トランペットプレイヤーらしい。 スペイン・バルセロナ出身(1995年生まれ)のアンドレア・モティス。2018年5月で23歳となる若手だが、トランペットのキャリアは7歳からというから驚く。その3年後からジャズを勉強し始めたらしい。 2007年にビッグバンドに参加し、50回以上のコンサートを行い、ジャズ・ベーシスト兼サックス奏者のジョアン・チャモロ(マルチプレーヤー)に才能を見いだされ、わずか14歳で「Joan Chamorro」のレコーディングに参加しデビュー。それからすでに9年のキャリアがあるという訳だ。Summertime Andrea Motis Joan Chamorro Quintet & Scott Hamilton(クリックでYouTubeへ) 歌唱は粗削りではあるるものの音楽的センスはさすがにラテン系の乗りの良さと、抑制の利いた節回しには非凡なものを感じさせる。 何と言ってもトランペットのアドリブを吹いている佇まいがいい。背は低いがスレンダーで寡黙で内向きな雰囲気もチェット・ベーカーを彷彿とさせる。SOLITUDE ANDREA MOTIS JOAN CHAMORRO & SIMFONICA DEL VALLES (クリックでYouTubeへ)2015年5月に来日してるんだね。その時のスナップ。 既に本国スペインでは人気急上昇中で、最近は雰囲気も随分大人びて別人のようだ。 「He's Funny That Way」ミュージック・ヴィデオ 今度来日したら是非、観に、聴きに行きたい。「ブルーノート」あたりでやってほしいものだ。
2018.10.02
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♪ ゆくりなくこれは偽だと偽サイト虚実にフェイクの蔓延るばかり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ これはどうにも怪しい画面だ!!Microsoftを装ったニセの画面。 アドレスを見れば偽物だということがよく分かります。Microsoftには全く関係のないアドレスになっています。ウッカリ信じてユーザー名とパスワードを入力してしまうと、何をされるか分かりません。書いてある番号に電話することもご法度(フリーダイヤルが06から始まるわけがない)です。「偽Windowsがブロックされました」という偽画面拡大します 悪質なのは、この画面をどうやっても閉じることが出来なくしてある事。どこをクリックしても閉じない。PCに詳しくない人は「何とかしないと!」と慌てふためいて、つい要求されている通りにに行動してまんまと引っ掛かってしまう。それは、いかがわしいサイトだったりするので、それを家人に知られたくないという罪悪感と引け目がある。そこが狙い目なんだね、奴らの。 「登録が完了しました」と登録料を要求してくるものもあるし、「消えなくなった画面を基に戻すには○○円払え」というようなものもある。 また、普通の一般サイト をネットサーフィン中に、裏でリダイレクト型広告コンテンツを読み込ませて偽警告ページへ強制誘導させる手口もある。けっこう多いらしい。 これらの攻撃者は、海外の広告配信ネットワークの広告枠を購入し、そこに偽警告ページへ転送させる不正なコンテンツを出稿する。それが複数の広告配信サーバーを経由して日本にも流れてきているらしい。 「システムがひどく破損しました。4件のウイルスが検出されました」 「マイクロソフト ウイルス汚染 Windows エラーコード 3x400012」 「アップデートセンター 1件の更新が必要」 「WinX9 エラー Microsoft 警告 システムファイルが古くなっています」 「PC修復ツール」「Windowsのエラー修復方法」と無意味な ”PC修復ツール” をダウンロードに誘うページ など、様々あるようです。 偽警告ページの特徴は、もっともらしい外観デザインなどを偽装して「マイクロソフト」「Windows」「Google」「Internet Explorer」 のブランド名やロゴマークの悪用 して、警告メッセージの信憑性を巧みに装っている。コンピュータ用語やセキュリティの表現を織り交ぜて衝撃的なコトバを散りばめることで、今使用してる PC が 危険な状態に陥っているとか不安になるように危機感を煽って来る。 これらの狙いはWindows向けの迷惑ソフトを PC に導入させることにあるらしい。 もし、フィッシング詐欺だとしたらこんなもんじゃ済まない。誘導に乗って安易にクリックしないことが重要。 慌ててクリックする前にその対処方法を取ってください。シャット・オフできなくなった画面を閉じる方法もあります(PCの再起動だけで解決するものもあるらしいが)。 A,「ショートカットキーでタブを閉じる方法」 ブラウザのタブを閉じるキーボードのショートカットキーを押すというもの。 ●「Ctrl と W」 ●「Ctrl と F4」 ●「Alt と F4」 ●「Command と W」 ブラウザの警告ダイアログが表示されてないタイミングをうまく見計らって押すといいらしい。 B,「 ブラウザを強制的に終了させる方法」 Aでショートカットキーを押しても「消えない」「消せない」「閉じられない」 場合はブラウザを強制的に終了させる。 1、Windows の タスクマネージャー を開く 2、*画面下のタスクバー上で右クリック → [タスク マネージャーの起動(K)] *Ctrl + Alt +Del キーの同時押し → [タスク マネージャーの起動(T)] Windows10の場合 スタートメニューの「Windowsシステムツール」→タスクマネージャーの起動 3、終了させたいブラウザを選択し、下にある [タスクの終了(E)]ボタンを押す。 これで画面は消すことが出来るが、起動しても再び同じ画面が出る様なら使用中のブラウザを一旦アンインストールして再インストールするといい(お気に入りなどのデータは継続できるので何の支障もない)。 「迷惑ソフト対策」についてこちらのサイトを参考にしました。
2018.10.01
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♪ 今朝もまたエントロピーの増大の極みし義母より不思議な電話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 人などの生物の仕組みは人間の脳が思いつくような事をはるかに凌駕して作られている。調べれば調べるほど巧妙で精緻で複雑なシステムが構築されていることが分かって来る。一体どうしてこんな事が出来るのだろうか。 「神=造物主」を想うしかないわけだが、考えて作ったわけでもなく何億年という時間の中でマイナーチェンジをして進化という形でそうなったものなのか。「種の多様性」のほとんどが突然変異によるものだということを考えると、訳が分からなくなってくる。拡大します 福岡伸一先生の話はとても興味深い。 私たちが毎日、タンパク質を食物として摂取しなければならないのは、自分自身の身体を日々、作りなおすためなんだそうです。 生命にとって重要なのは、作ることよりも壊すことらしい。細胞はどんな環境でも、いかなる状況でも壊すことをやめず、むしろ進んでエネルギーを使って積極的に先回りし、細胞内の構造物をどんどん壊しているという。なぜかといえば、生命の動的平衡を維持するたねだと。 たとえば私たちの消化管の細胞はたった2、3日で作り替えられていて、1年も経つと自分を形作っていた物質はほとんどが入れ替えられ、現在の自分は物質的には別人となっている。生命は絶え間のない分子と原子の流れの中に、危ういバランスとしてある。先生が自らの生命論のキーワードとしている「動的平衡」。動的平衡の流れを作り出すためには、作る以上に壊すことが必要で、細胞は一心不乱に物質を分解する必要があるのだそうだ。 「壊し続ける」ことで状況は不安定になるが、それゆえに、次の「合成」のプロセスが立ち上がるのだと言う。これは不思議なことではなく、人間が歩く行動もそれに近く、片足を前に差し出すことで、体全体のバランスを崩してしまうが、その不安定な状態を解消しようとして、もう一方の足が自然と前に出る。最初に「分解(エントロピーの増大)」があり、「合成(自己組織化)」が起きるというサイクルを、絶え間なく繰り返し続けていることで、高次元の「安定」をつくり続けている、これが「動的平衡」の考え方らしい。 ひとつの細胞とその周囲の細胞の関係はとても不思議で、互いに情報・エネルギーを交換することで影響し合っている。分子単位でみても細胞単位でみても、1年前とはまったく違うものに変化し続けている。それでも影響し合うという「関係性」「つながり」だけは変わらない。 細胞は変わっているのに細胞同士がつながりながら、全体としてはバランスを取っているのだと言う。 こうした「生命のバランス」を、実験で最初に指し示したのが、ドイツ生まれの米国の科学者ルドルフ・シェーン ハイマー(Rudolph Schoenheimer)で、1930年代のこと。彼は「身体構成成分の動的な状態」と説明し、福岡伸一はこの概念を拡張して「動的平衡」と名付けたという訳。福岡伸一 お勧めの本5冊 秩序あるものは必ず秩序が乱れる方向に動く。これが宇宙の大原則「エントロピー増大の法則」というものだという。この世界においてもっとも秩序あるものは生命体で、これにもエントロピー増大の法則が容赦なく襲いかかり、常に、酸化、変性、老廃物が発生する。これを絶え間なく排除しなければ新しい秩序を作り出すことができない。そのために絶えず自らを分解しつつ、同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要になって来る。これが生きていること、つまり動的平衡であると。 大隅良典氏がノーベル賞を受賞した「オートファジー」とは自食作用のことらしい。細胞内にはミトコンドリアや輸送小胞など構造体があり、細胞は特殊な膜によってこれらの構造物を取り囲み、隔離してしまう。 隔離したあと、この区画に酵素を送り込んで(この酵素が貯蔵されている小器官をリソソームという)、あっという間に構造体を分解してしまう。分解産物はリサイクルされたり、排泄されたりする。つまりエントロピーが捨てられているという事になるらしい。 ノーベル賞の大隅良典氏のオートファジー研究は、酵母という微生物をモデルに使って、オートファジーのメカニズムを詳細に明らかにしたというもので、まさに画期的な発見だったらしい。 体系的に学んだことのない人間にはこれらの専門的な事柄は分かった様で分からない。一枚の静止画像に何かが写っていて、そこに映っているものは分かるとする。しかし、それが連続して動いて現わしている内容までは想像もできないし、知る由もないのと同じ様なものだろう。 その静止画さえ興味が無ければ見ることもない。その人にとってそれは存在しないのと同じことだ。 「動的平衡を保つためにタンパク質を摂取し続ける必要がある」ということのついでに・・。そのタンパク質摂取に優れている食物は「かにかま」だと、先日のあるTV番組でやっていたのを思い出した。 「トリビアの泉」では、パリのシャンゼリゼ通りのおしゃれなカフェでは「かまぼこ」が人気、というのをやっていたらしい(私は見ていない)。
2018.09.30
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♪ モルタルはいいがコンクリートはダメなんです部分入れ歯のようなドリル歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日、息子の家の車庫の扉がまたスムーズに動かなくなっているのを知った。以前に補修したレールのつなぎ目部分を固定できなかったので、再びそれが浮いて戸を移動する時に引っ掛かってしまう。なんとかきちんと直してやらないとこちらの気が済まない。 先日、たまたまウォーキングで通ったコースに金物店があったので、立ち寄っていい方法は無いものかと相談してみた。コンクリート用の釘を打ち込もうとしても全く入らない。以前はビス止めしてあったのでその方法で固定できないかと思っている旨を説明。 コンクリート用のドリルビットは普通の電動ドリルで使えるものなんか近くのカーマにもカインズホームにも置いてない。 「コンクリートかモルタルか、どっちですか? 厚さは?」聞かれるも良く分からない。取りあえずコンクリート用ビスがあったのでそれを5本ほど買った。六角軸のコンクリート用ドリルビットはネットで調べてを買うことに。4㎜のネジなので3.4か3.5㎜のものを買うといいとの説明を受けて帰って来た。 ネットで買えたのでさっそく行ってやってみた。しかし、上手く穴が空いてくれない。何とか二か所だけ空けることが出来たがそれ以上は無理だった。歯が焼き付いて鈍らになり、頭が完全に潰れて使い物にならなくなった。 肝心のレールのつなぎ目ともう一か所、ビスで二か所を固定できたので扉はなんとかスムーズに動くようになったようだ。一応、補修は不完全ながら成功したという訳だ。「セメント」の主原料は石灰石、粘土 今更ながら、セメントに数倍の砂を混ぜたものがモルタルで、モルタルに砕石(砂利)を混ぜたものがコンクリート。駐車場は荷重がかかるので、モルタルではなくコンクリートで施工してあるということが分かった。 ドリルが利かなかったのは、ちょうど砕石(砂利)のあるところに当たったのだろう。石は固いのでインパクトドライバーの回転が速すぎるものでは砂利が削れず、ドリルの先端が磨耗してしまったために穴が開けられなかったようだ。 小型ドリルで開ける場合は、「磁器タイル用のドリルビット」を使うと比較的開きやすいという記事があった。開け方は、しっかり押さえてなるべく刃が滑らないようにし、常に切り屑が出続ける感覚で開ける。刃が焼けるような状態の場合は、刃を水の中に入れて休ませるといいとあった。 しかし、これも多分無理だろう。 コンクリートは鉄より硬い。しかし、石とかコンクリはもろいので叩けば割れる。その原理を利用して、ドリルに超硬の刃をロウ付けしたもので叩くようにすれば穴が空くという。 ハンマードリルが一番楽に開き、次に前後に振動しながら回転する「振動ドリル」がいいとのこと。 一般的に直径が10㎜以下の穴をあける場合は「振動ドリル」を使用し、20㎜以上の穴を開けたり、砕いたりする重作業の場合は「ハンマードリル」を使用するらしい。ただし、ハンマードリルのほうが振動ドリルより効率よく穴をあけることができるため、砂利の入った硬いコンクリートに穴をあける場合や、数をこなす作業には「ハンマードリル」を使用する場合もあるという。 一般にはあまり聴き慣れない「振動ドリル」だが、通常の使い方と振動させる使い方とを切り替えられるようになっているので、多用途に使えるらしい。今回のような穴あけが必要な事が有りそうなら、購入予定の人は「振動ドリル」を買っておくといいようだ。 また、電動ドリルと振動ドリルの中間に「振動ドリルドライバー」というのもあるらしい。クリックでYouTubeの動画へ コンクリート用のドリルビットは、ちょっと太めの四角形の軸になっているものが主流で、それは多分「ハンマードリル」用のものらしい。カーマにあるのもそれだった。 改めてよくよく見たら、六角軸のものも置いてあったしビスも並んでいた。今回やってみた感じでは、モルタルやレンガ、石膏ボードまでが可能範囲で、コンクリートブロックには文字通り歯が立たないと思う。 ホームセンターにもよるが「ハンマードリル」を貸し出しているところもあるらしい。これが借りられれば厚いコンクリートにも難なく穴があけられる。
2018.09.29
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♪ ひんやりと朝の便座の冷たさに寒がりピピの憂いを想う ピピの歌と孫の写真だけの、どうってことない今朝の短歌日記。ピピの短歌だけでも淋しいし孫の写真もエピソード無しでは面白くもない。 こうしてPCに向っていると陽が射し暖かくなってきたので、ピピがすぐ後ろに寝そべっている。 昨日は孫の子守をする日。雨も上がったので、ちょっとそこらへカメラを持って散歩に出た。 こちら側は全部孫が撮った写真。 手振れやピンボケが多いので載せられなかったのが多い。上りたいと言うが無理な相談だ。 朝は雨だったので長靴で登園。散歩も当然、長靴のまま。ともすると直ぐに脱げちまう。 爺バカを発揮してしょうもない写真をアップしているなあ、と・・。♪ 真夜中のベッドの横にピピがいる寒暖の差のはげしき一日 昨夜、初めてピピがベッドにやって来た。寒い程でもないのだろうが、日中との気温差が13℃ほどあったので寒く感じるのだろう。 これから真冬になって、8キロの重さのものが腹の上に乗って来ることもあると思うと、今から気が重い。
2018.09.28
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♪ 数店舗消えて生まれし駐車場そはコンビニの寒々しきを‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 創作本を作るのに興味を持っていたとき、「ソトコト」という雑誌の名前に興味を持って手に取ると、たまたま「ZINE」の特集だったので買ったことがある。 「全日本リトルプレス図鑑」という特集で、各地で発行している情報発信の小冊子を紹介している。手作りの小ロットのものだけに個性があって味わい深いものが多く、「ZINE」というのに興味を持っていたので楽しく読んだ。 自分でも作ってみたいとも思ったが、地元にはそれだけのニュースソースがなく、無料で配るほどの余裕もないし、有料にして売れる見込みも想定できない。所詮は田舎のベッドタウン、誰も喜んで読んでくれそうにもないので、早々に諦めた。 あちこちに取材をして記事にするのは面白そうだし、自分に向いている気はしているものの取材対象があまり浮かんでこない。知らないだけで埋もれている貴重な文化人は居るだろうし、アーチストも結構いるにはいる。 しかし、住民が興味を持つような対象だとは思えず、話題性にも乏しいので売れる確信がない。そうであれば手を出すわけにはいかない。 「ソトコト」の意味が雑誌のどこにも書いてなく、とても意味ありげなのに分からない。「外、事」?、「疎と孤と」とか「祖と個と」とかいろいろ当てはめてみたり・・。で、調べてみた。 1999年の創刊以来、「スローライフ」「ロハス」「ソーシャル」「ローカル」など、社会をリードするさまざまなキーワードを発信しているトレンディーマガジンで、 「SOTOKOTO」とは、アフリカのバンツー族のことばで「木の下」という意味だと判明。 『ソトコト』という木陰で議論しあい、未来につながるいい知恵を生み出そう。そして、それを愉快に伝えていきたい。そんな想いを込めて送り出されている雑誌なんだね。「ソトコト」最新10月号クリックでサイトへ これは果たして仕事なのか? 生き方なのか? それとも遊び? 仕事の概念に凝り固まった頭を刺激する、ユニークで、楽しくて、価値ある『あたらしい仕事』を紹介している。 なかなか興味の沸きそうな記事が盛りだくさんだ。 昔からあった「事、物、人」をあらためて取り上げて紹介することもまた意味のある事だ。そこから新しいヒントや方向性が見えてくることもある。これからの若い人たちは、付和雷同とか群集心理、因習や慣例、同調圧力などから決別して、新しい個の生き方を模索して行ってもらいたい。 実際、そういう新しい芽が今育ちつつあることも確か。今後、人口が減っていくことが目に見えている中で、今までの価値観は通用しないことはハッキリしている。 今まで経験してこなかった社会が訪れようとしている。そのためにも視野を広く持って、固定観念から脱け出し、自分の考えを持ち、自信をもって伝えられるようになってほしいと思う。これらの本がその情報とヒントを与えて呉れる。
2018.09.27
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