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カブキの日(著者:小林恭二|出版社:新潮社) 初めて小林恭二の本を読んだ。 こういう小説を書く人だったのか。 虚実織り交ぜ、どこからどこまでが虚なのかわからないように巧妙に書かれている。うまい。 最後は、なるほど、そいうことだったのか、と納得できる。 しかし、今まで慣れ親しんできた小説と違うせいか、入り込みにくい。 歌舞伎は何度か見たことがあるが、知らないことの方が多く、勉強になった。 襲名披露において、客は家門に拍手しているのであって、役者にしているのではない、というところなど、なるほどと思った。 終わりの方の、「閉じこめられているからこそ、混沌は力を保てるの。解き放たれた野獣は急速に力を失い……」のところで、女子プロレスを思い浮かべた。 団体交流戦が実現してしまった後、一時は隆盛を誇ったように見えたが、今では力を失い、団体はやっと存続している状態だ。禁断の実を食べた代償は大きかった。もう一度光を取り戻すためには、何かを封じ込めなくてはならないのだろう。 小説に戻ると、興味深いのは、「芸」という字を決して用いず、「藝」のみを用いていること。理由はわからない。(講談社版で読んだが、現在は品切れ。新潮文庫で出ている)
2001.11.30
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関八州の旅がらす(著者:縄田一男|出版社:新潮文庫) 渡世人・博徒を主人公とした時代小説傑作選。 発表された順になっていて、下母沢寛・長谷川伸から始まる。 この二人は二編ずつ収録。 山手樹一郎も股旅ものを書いていたのに驚いたが、作風は「桃太郎侍」などと変わらない。 もっとも面白かったのは、考証の面を持つ、山口瞳「繁蔵御用」と、結城昌治「森の石松が殺された夜」の二つ。 山口瞳は、「血族」で、自分の先祖が、飯岡助五郎に縁のある人物だったことを述べているが、飯岡側から、天保水滸伝の実像を明らかにしようとしている。繁蔵の首の話は初めて知った。 結城昌治のものは、森の石松を殺したのは誰か、という、作者の推理をもとにかかれている。言われてみれば、通説ではつじつまが合わない。あるいはこれが真実かもしれない、という気にさせる。 笹沢佐保は、木枯らし紋次郎ではなく、「見返り峠の落日」が収められている。20年ほど前に読んだことがあるのだが、すっかり忘れていた。
2001.11.20
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蜜蜂・余生(著者:中勘助|出版社:岩波文庫) 小説ではなく随筆。 兄嫁が亡くなってからしばらくの日記。 著者の家庭環境が分からないのでよく理解できないのだが、半分廃人のような兄と兄嫁と著者の三人で暮らしていたらしい。 兄嫁は四十年もの間、家を守るために苦労し続けており、著者だけが身近な理解者であり、著者にとっても、兄嫁が唯一の理解者であったらしい。 全編、追慕の情で満たされている。 「余生」は、「蜜蜂」への感想の手紙と、亡き兄嫁を読者に見立てた、手紙へのコメント。 兄は釣りが好きだったようだが、漱石の「私の個人主義」に登場する兄弟というのは、中兄弟のことなのかもしれない。 表現の面では、独特の表記法を用いている。 「そのうち我にかえって ああもう姉はいないのだな 二度とふたたび帰っては来ないのだが と思うと声もあげ得ず深みへ沈んでゆくような気もちになる。」(p83)というように、空白を用いているところが多い。普通に読点を用いているところもある。 違いはよく分からない。
2001.11.15
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辺界の異俗(フォークロア)(著者:高沢秀次|出版社:現代書館) 対馬の民俗の考察と、これまでの取り上げられ方の検証。 題は余り良くない。「異俗」に「フォークロア」と読ませるのはそれなりの考えがあってのことなのだろうが、副題の「史詩」というのが何を指しているのかわからない。 「はじめに」を読んでいる時は、読みにくい本なのではないかという不安を覚えた。「ほんの少しの湿りさえも許さない乾いた民族学や、人類学が、風土のつらさに対する共感や想像力を非歴史的に還元して、侵略も戦争もなかったかのようなフィールドワークの成果を披瀝し合うとき」という文章など、かなり読者を身構えさせる。 しかし、それほど難解な本ではなかった。 こういったものにつきものなのは、柳田国男や宮本常一が何と述べているか、という引用である。この本にも随所に見られるが、それらに依存しているわけではない。むしろ異議を唱えていたりする。 時にははっきりと、「宮本常一という人はその弟子筋や学者仲間が思うほど、生真面目な人間ではないのかもしれない」(p158)とまで言っている。 『忘れられた日本人』の「梶田富五郎翁」で、「土佐源氏」と同じように、かなりの脚色を加えていることが明らかにされている。
2001.11.13
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旧聞日本橋(著者:長谷川時雨|出版社:岩波文庫) 日本橋に生まれ育った筆者の思い出話。 生まれたのは明治12年だが、江戸時代の習慣がかなり残されている。 髪型は、頭の中心部は剃っていたようだ。 和服の生活で、髷を残したままの人も少なくなかったらしい。 鼠小僧を見たことがある人の話や、仕立屋銀次が出てきたりする。おまけに、父親は千葉周作の門人だったのだ。今も虚構の世界に生きている人たちが、著者にとっては身近な存在だったのだ。 文章は非常にうまい。子供の頃から草子類を読むのが大好きだった、ということだが、おそらく、文字だけでなく、芝居などからも表現法を学んでいるのではないだろうか。 なお、江戸言葉らしく「すくない」を「すけない」と書いている。 ・昔は、店の印鑑は墨で黒く押したが、明治の途中から朱肉を用いるようになったらしい。(349ページ)・「北京」に「ペーピン」とルビが振ってある。「北平」といっていたのを反映しているのだろう。・「元来、大所(おおどころ)は、みんな自宅風呂があるのだが」(383ページ) 江戸時代には大店でも内風呂はなかったというが、実際はどうだったのだろうか。・398ページから、西洋小物を扱う唐物屋の景気がよかったことが書いてある。半七の養子も唐物屋だった。当時の新商売で、脚光を浴びていたのだろう。
2001.11.01
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