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長男が誕生した直後から、アメリカのテキサスのインターナショナル・バイブル・カレッジを訪問しようと思った。そこの院長は、クート師の長男のダビデ・クート師が務めていた。私が生駒聖書学院の院長になるという話が出た時、だれかがアメリカのダビデ・クート師に、院長になるのを阻止するよう手紙を書いた。ダビデ・クート師は、榮義之が院長になるのが一番ふさわしいから協力するようにと、牧師会宛に手紙を書いてくれた。そんな経過があったからだ。 アメリカ行きを十月の一カ月間と決めた。ただ信仰だけで行こうと思い、祈りはじめた。教会の週報にも献金のお願いはせず、アメリカに行くとだけ書いた。お金がないけれども、信じて告白するなら不可能は挑戦となり可能となることを試してみたかった。今までに知り合った宣教師たちに手紙を書いた。全員から訪米を歓迎するとの返事が届きはじめた。 旅行社にも航空券の手配を依頼し、準備は着々と進んだ。しかし九月になってもお金は予定の十分の一もない。朝目が覚めると、思わず「お金どうしよう」ということばが出た。毎朝のように言うので、家内に「あなたは信仰によって行くと言っているのに、どうしてお金がないと毎朝言うのですか」と言われた。反省した。翌朝から「お金がない」ということばが出たら、まだその近くにあると思って、そのことばをつかんで投げ捨て、足で踏みつけ、「与えられる」と言い直した。笑われながらも一週間ばかり同じ動作を繰り返すうちに、目が覚めると同時に「与えられた。ハレルヤ!」と自然にことばが出るようになった。おかしなものだが、手元にお金はないのに、気持ちが豊かになった。そして詳しく書けばページが足りなくなるような奇跡が起こり、出発までには新しいスーツやネクタイを買う余裕ができるほど、必要が満たされた。 信じたとおりになると語られた主は、あなたの言うとおりになるとも教えられ、そのとおりにしたら、すべてが備えられた。どこからもサポートも援助もない学院を、神様だけを頼りに維持していける強い確信が与えられた。ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。 11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
2007/11/30
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今朝は、午前6時生駒駅出発で九州まで出かけるので、久しぶりに天の虫けらを転載します。新幹線と特急有明経由で羽犬塚まで行きますが、10時25分に到着ですから、速いなあと「思いながら、生駒駅までは30分歩いて電車に乗ります。今日もゆとりの1万歩をと・・・・。榮義之牧師「天の虫けら」(58)・・・長男誕生 私たち夫婦には、結婚して五年も過ぎても、子どもが生まれなかった。家内は祈ったが何の兆しもなく、心ない人々からは信仰がないからだとかいろいろ言われ、ずいぶん辛い思いをした。病院で調べたら、子どもができにくい体質で、手術をしたら五分五分の可能性はあると言われた。しかし手術の費用もなく、どうしようか迷っていた。 そんなある日、学院で特別聖会があった。私は司会をし、家内はオルガンを弾いていた。アメリカから来た講師が、途中で話をやめると、「オルガンを弾いていた姉妹は、前に来なさい。主人がいたらいっしょに前に出なさい」と言った。何ごとかと前に出ると、「主が言われる。わたしはあなたがたに男の子を与える。失望しなくてよい。あなたの祈りは聞かれた。なぐさめを受けよ」という預言のことばだった。 それから六年後の一九七六年、長男義嗣が誕生した。当時では高齢出産だった家内は苦しめるだけ苦しみ、八時間かかってやっと出産した。 その産院は料金が高いという評判だった。私には国民健康保険しかないから、少しは覚悟していた。しかし退院の日、事務所で請求書を見ると、永遠にここから出せないと思った。何回か数えて見たが、どう数えてもそうとしか読めない。事務所に行き、「間違いではないですか」とびくびくしながら尋ねても、何を言うのかというように、平然と「そのとおりだ」と言う。それでも私の顔があまりにもひどかったのか、もう一度請求書を見てくれた。今度は相手が驚いた。丸を一つ多く付けていたのだ。私にはそれでも高かったというのが、率直な思いだったが。 角掛姉が湯浴みをさせてくれた。結婚十二年目に生まれたということで、今までつき合いもなかったような親戚や多くの友人知人が、お祝いにかけつけてくれた。子どもが生まれると預言したダビデ・ショック師も、アメリカからお祝いの品を届けてくれた。 神の計画に狂いはなく、ちょうど良い時に長男は生まれた。それから一年半後の一九七八年には、娘の愛香が生まれた。神のなさることはみなその時にかなって美しいことを、子どもの誕生でも豊かに経験でき感謝だった。その長男も31歳、3人の子どもの良いパパとして、幸せな家庭が与えられています。いつの間にか、お祖父ちゃんと「呼ばれる幸せを体験しています。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2007/11/28
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12日前に坂出市内で悲しい悲惨な事件が起こりました。祖母と幼い孫二人が殺されたと最初からの報道でした。今朝の毎日新聞には、犯人逮捕が報じられていました。香川3人不明:身内が逮捕...関係者らに大きな衝撃 山下清さんと三浦啓子さんの自宅前に集まった多くの報道陣=香川県坂出市林田町で2007年11月27日午後6時16分、幾島健太郎撮影 香川県坂出市林田町のパート従業員、三浦啓子さん(58)と孫娘の計3人が行方不明になった事件は、発生から12日目に三浦さんの義弟で元会社員、川崎政則容疑者(61)が3人の死体遺棄容疑で逮捕され急展開を見せた。家族らはこの間「無事に帰ってきて」と願いをつないできたが、川崎容疑者は県警坂出署捜査本部の調べに3人の殺害を認めたうえ「山中に捨てた。子どもは騒がれたので殺した」と供述、最悪の結果となった。容疑者と三浦さんには金銭トラブルがあったとの情報もあるが、容疑者として身内が逮捕されたことで、関係者らに大きな衝撃が走った。 関係者によると、川崎容疑者は少なくとも1年以上前には坂出市内のパン製造会社に臨時社員として勤務し、製造業務に就いていた。勤務時間は週5日で、1日約8時間。社員は「仕事上のトラブルや勤務態度に特に問題はなかったと聞いていたが......」と驚きを隠せない。 川崎容疑者は事件発覚後、「一身上の都合」を理由に退職を申し出た。職場では「親族が事件に巻き込まれ、迷惑を掛ける」と理由を話していたという。別の社員によると、川崎容疑者の妻である三浦さんの妹(故人)も生前、同社で勤務経験があった。 三浦さんの親族男性は川崎容疑者について「おとなしく温和な人で、人を殺すようには思えない」と驚いた様子。「金などに困った様子はなく、自分のところに無心に来ることもなかった。親族間のトラブルも聞いたことがない」と話した。 「茜は活発な子。彩菜は優しい子や。(3人とも)一分一秒でも早く無事に帰ってきてほしい」 山下茜ちゃん、彩菜ちゃん姉妹の父清さん(43)は事件後、市内の病院に手当たり次第に電話をかけるなど、3人の行方を捜し続けていた。しかし川崎容疑者が3人殺害を認めたことで、希望は身内の手でかき消されてしまった。 三浦さんの母カネ子さん(82)は三浦さんについて「私が(福祉施設の)デイサービスから帰る時間には『母ちゃん、どなんな』と体を気遣う電話をくれる優しい子だった。目が不自由な夫と、足が不自由な私を心配してくれたのに」と肩を落とした。 関係者によると、三浦さんは事件の1週間前にスーパーで「林田町の家に孫もできとんや」と話しかけたり、孫を自分の家に泊めるなど可愛がっていた。 川崎容疑者の妻にあたる妹とも仲が良く、2、3年前まで働いていたスーパーでは休日に2人で一緒に歩く姿が見かけられていた。姉妹でカラオケ喫茶にも通っていたという。 また現在の食品製造会社に勤める際には面接で「車の運転免許がないけど、自転車で20分で来られる。採用してほしい」と熱意を見せ、まじめな働きぶりだった。 捜査本部の調べに対し「1人でやった」と供述しているという川崎容疑者。だが、三浦さん方の寝室ではカーペットの一部が切り取られ、風呂場で血を洗い流したり、タンスの引き出しを開けてかき回した跡があるなど、動き回った形跡があった。 3人はその後、隣家の山下さん夫婦らに気付かれることなく、自転車と一緒に運び去られたとみられる。更に近くの女性が16日早朝、仲間に呼びかけるような「はよせんか(早くしろ)」と話す男の声を聞いたとの情報もある。一連の手際の良さを含めて複数犯の可能性も捨てきれず、捜査本部はなお慎重に調べを進めている。 人の命の尊さが軽んじられている現代日本です。余りにも多い殺人事件に驚きを禁じえません。聖書は、「殺してはならない」と言明しています。自殺も「自らを殺すので殺人です。人を殺すのは当然過ぎる殺人です。個人的であれ、暴力団抗争であり、戦争であれすべて殺してはならない命令違反です。 全世界よりも尊い命の重さをシッカリ受け止めて、命の尊さを国全体で認識する国でありたいと心から祈ります。 出エジプト記 20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。 20:13 殺してはならない。 20:14 姦淫してはならない。 20:15 盗んではならない。 20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。 20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」 黙示録21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。
2007/11/28
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月曜日のことをブルーマンディと言いますが、昔からスカイブルーマンディだと元気でスタートです。スカッと身も心も爽やかに目覚め、与えられた使命を果たせる喜びでいっぱいです。 日曜日は奈良市、大阪市、堺市と3カ所のエリムキリスト教会で礼拝です。普段は生駒市ですが、富雄キリスト教会まで車は数分ですが、娘に途中で降ろしてもらい日曜日の朝約1時間街中を歩きながら祈ります。礼拝を終え一度自宅に帰り、今度は自分で運転して教会員といっしょに大阪エリムへ。日曜日の高速は空いているので40分ほどで着きます。駐車場の祈りで必ず空きがあり、しかも1時間200円のため、礼拝時間を含めて500-600円での駐車料金です。 大阪が終わると26号線で堺エリムへ。堺の駐車場は80分100円(6時過ぎると200円)で、大体いつも200-300円です。礼拝には娘が奏楽のため参加しますが、帰路は高速で第二阪奈経由で約35分、生駒駅で同乗の教会員を降ろし、近くのコンビニで夕食を買い求め帰宅すると8時過ぎです。 夕食、シャワー、メールなどであっという間におやすみタイム。主の恵みで安らかに伏し眠りに着き朝まで熟睡。朝の目覚めとともに祈り賛美しつつ、まだ暗い山道(今週は月明かり)を歩き、月曜日はあだのチャペルが8時半のため少しゆっくり?の朝のスタートでうす。 昨日は今学期最後の人間学と説教学の講義。最終講義で乞食哲学を学ぶ。 そのような毎日を過ごしています。火曜日は午前5時30分より早天祈祷会とチャペルタイムが7時まで。それからの一日のスタートです。エレミヤ哀歌3:19 私の悩みとさすらいの思い出は、 苦よもぎと苦味だけ。 3:20 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。 3:21 私はこれを思い返す。 それゆえ、私は待ち望む。 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。 主のあわれみは尽きないからだ。 3:23 それは朝ごとに新しい。 「あなたの真実は力強い。 3:24 【主】こそ、私の受ける分です」と 私のたましいは言う。 それゆえ、私は主を待ち望む。 3:25 【主】はいつくしみ深い。 主を待ち望む者、主を求めるたましいに。 3:26 【主】の救いを黙って待つのは良い。 3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。 3:28 それを負わされたなら、 ひとり黙ってすわっているがよい。 3:29 口をちりにつけよ。 もしや希望があるかもしれない。 3:30 自分を打つ者に頬を与え、 十分そしりを受けよ。 3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。 3:32 たとい悩みを受けても、 主は、その豊かな恵みによって、 あわれんでくださる。
2007/11/27
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エリムキリスト教会年度替りは、11月です。昨日25日が07年度最終礼拝でした。この1年間、聖霊の愛と力に満たされよう!」を標語に、詩篇の聖句を告白し続けました。 1:2まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 聖書のことばは生きていて力があります。書かれていることばにアーメンと同意し、告白しつつ実行すれば、必ずそのとおりになることを経験できた1年の歩みでした。 「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。聖霊を受けなさい」とのイエス・キリストのことばで元旦をスタートしました。御霊の実=愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、自制のメッセージを春まで毎週語りました。 1月に84歳の兄弟がバプテスマを受け、それからぞくぞくとクリスマスまで洗礼を受ける方々が続いています。 新築の堺エリム、門真エリムを3年間無償(権利金も家賃も共益費も無市、光熱費のみ)で、11月23日には東大阪エリム&ロー教会(貸しビル内38坪、保証金30万円、家賃15万円)と3箇所の献堂式を行ない、すべてアドナイイルエで借金無しのみごとなまでの備えでした。 5月にはインターネットラジオ放送を、7月からインターネット礼拝も配信できるようになり、準備費用も録音配信料もすべて満たされ、地の果てまで福音を伝える備えができ、アフリカや中国、イギリスやアメリカ、ブラジルやスエーデンなど、ほとんど五大陸からのアクセスがあります。 アフリカ宣教もパラダイス孤児院を中心に18年間、ラジオ放送が35年、テレフォンメッセージは37年、ゆとりの一万歩も4年1ヶ月と継続中です。すべては皆様の祈りと主の恵みによります。左脳内出血も癒され9年目を迎え元気に感謝しながらの日々です。 新しい年度に向って与えられた聖書のことばは、創世記26章12-13節です。 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった」蒔かぬ種は生えません。シッカリと豊かに種を蒔きたいものですね。祝福をお祈りします。 コリント人への第一の手紙15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
2007/11/26
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昨日は洗礼(キリスト教徒になるために受ける水のバプテスマ)を受け50年の記念日でした。安曇野から届いたリンゴの箱に、立派な書体の大判の紙が・・・・。 イエス・キリストの有名なことば、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」が、墨痕鮮やかに記されていました。 安曇野に住む卒業生須佐二三子先生が、3年前出血で倒れ九死に一生を得た、「私は天国を見た」という小冊子を、宮城刑務所で読んだ青年がイエス・キリストを信じて救われました。 そして聖書を読み始め、心に響く聖書のことばを習い覚えた習字で、墨痕鮮やかに書いた、宮城刑務所から送られてきたままの書であるとのこと。 イエス・キリストを信じて50年、まさしくその通りだと書斎の壁に張り、その十字架により全ての罪が赦され救われた原点に立ち、多くの人々に十字架と復活の福音を、聖霊に満たされて地の果てまでも伝えて行こうと決意した、受洗50周年の朝でした。 今年は不思議なように刑務所や拘置所、留置場、少年院、少女の家、鑑別所、裁判所など縁がありました。直接面会したり手紙だったりでしたが、十人の内二人を残して全員出所し、ひとりはバプテスマを受けクリスチャンとなり、自立の道を歩んでいます。その他の方も全員礼拝に出席(継続している方は少ないが)し、学業に家庭にアルバイトにと励んでいます。 だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ。すべてが新しくなりました。第二コリント5:17の聖書のことばは真実です。 今日もイエス・キリストを信じて、新しい人生に出発される方々との出会いを楽しみに、朝から夜まで奈良市、大阪市、堺市への礼拝に出発です。 今朝は富雄キリスト教会礼拝説教。10月31日に誕生した孫(潤弥)の献児式も行います。幼子は知恵も背丈もまし加わり、神と人との愛されつつ健やかに成長して行くように、牧師としての祈りをささげます。マタイの福音書 9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。 9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」 9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
2007/11/25
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聖歌 292 今日まで守られ 1今日まで守られ 来たりし我が身 露(つゆ)だに憂(うれ)えじ 行く末などは 露(つゆ)だに・・・少しも 如何(いか)なる折りにも 愛なる神は 全ての事をば 良きにし給わん2か弱き者をも 顧(かえり)み給う 我が主の恵みは この身に足れり 賑(にぎ)おう里にも 寂(さび)しき野にも 主の手に縋(すが)りて 喜び進まん3主の日ぞいよいよ 間近に迫る 浮き世の旅路も 暫(しば)しの間のみ 間もなく栄えの 御国に行きて 常盤(ときわ)に絶えせず 我が主と住まわん ときわに・・・永遠に 1957(昭和32)年11月24日(日)、イエス・キリストを信じて種子島の海でバプテスマ(洗礼)を受けクリスチャンとしてのだ一歩を踏み出しました。高校1年生16歳のときでした。 今朝の目覚めとともに、ものすごい感謝の思いがあふれ、思わず、「今日まで守られ来たりしわが身 露だに憂れえじ行く末などは・・・・」と口ずさんでいました。 昨日は東大阪エリムの献堂式、ちょいうど満堂の120名、ペンテコステのさながらのスタートでした。同時に思いもかけないほどの花束贈呈や記念品も用意され受洗50年を祝ってもらいました。 すぐ近くのカルフール内洋食レストランを借りきりバイキングの祝賀会。店も頑張ってくれて満席で立食の方もあるくらい美味しく楽しいお交わりのときでした。 祝賀会終了とともに大急ぎで聖書学院に戻り、堺エリムで若い兄弟姉妹に誘われて救われた40代男性の洗礼式。 すぐ着替えて名神高速を飛ばし、20日(火)の午後に5時間余りかけて乳がん手術をした牧師夫人を、愛知県江南市昭和病院まで見舞い、ちょうど牧師も在室中でともに回復を祈ることができました。 今月初旬、市のがん検診の案内が届き、気軽に申し込んだ所、抽選に当たり、そこでガン(レベル2)であることが分かり、21日入院翌日手術。元気そのものの夫人で、朝は早くから働き、昼間は銀行勤務、銀行終了後はまた別の仕事と、教会のことや家のこととフル回転で明るく元気な生活でした。がん検診に抽選もれしたら、レベルが最悪になるまで元気で働き続け手遅れになること必然でした。 まさに、「神のなさることはそのときにかなって美しい!」と聖書にあるとおりのグッドタイミングでした。愛なる神は眠っているときにも必要を満たしてくださいます。牧師も、試練は神様からのビッグプレゼントですと、ほほえんで語ってくれ、そのことばとともにオリーブを注ぎ、いやしと回復を祈って帰路に着きました。充実の一日で感謝!ローマ人への手紙 15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
2007/11/24
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賛美歌312番を紹介します。(What a Friend We Have in Jesus)いつくしみ深き 友なるイェスは罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う心の嘆きを 包まず述べてなどかは下ろさぬ 負える重荷をいつくしみ深き 友なるイェスは我らの弱きを 知りて憐れむ悩み悲しみに 沈めるときも祈りに応えて 慰め給わんいつくしみ深き 友なるイェスは変わらぬ愛もて 導き給う世の友我らを 捨て去るときも祈りに応えて 労(いたわ)り給わん キリスト教会の神は友だちなんだと、16歳のとき素直に思いました。聖書を読むようになってイエス・キリストの約束のことばを知りました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」(ヨハネ15:13-15) その約束を信じて50年、いつくしみ深き友なるイエスを何千回と歌い続けました。また友なるイエスに何千何万回も語り(祈り)続けました。 友あり遠方より来るとありますが、イエス様は神の座を捨ててこの世界に生まれ、種子島の貧しい少年の心に訪れてくださいました。そして見捨てることなく、いつもともにいてくださいます。 今は牧師として友なるイエス様に助けられながら、友なき人の友となれるよう祈りつつ生かされています。 水曜日(21日)には、サバンナの愛の光 永遠に(榮義之牧師物語・近代文芸刊)の著者、中学時代の担任だった東亮吉先生から、牧師に会いに行きなさいと勧められたお二人が来訪されました。星原中学の後に赴任した菱刈中学の教え子(といってももう還暦)でした。中学生の気分になって2時間ほど歓談。お帰りになる前に、健康と健康と幸せを祈り、「イエス・キリストを信じます。心にお迎えします。アーメン」と素直な気持ちで受け入れてくれました。 木曜日は牧師の息子で幼い日からお父さんのようになりたいと願ってきた青年が、来週入学のため面接に訪れました。大学を出て2年、父のような牧師になりたいと願い続けてきたと語る顔は輝いていました。 昼には訪ねてくれた教え子の牧師と歓談。また授業を終えた元気イッパイの教授とも歓談。午後から夕方までは喫茶店で歓談。富雄まで出かけたので帰宅する前に息子宅を訪ね、3週間ぶりに10月31日に産まれた孫の顔を見、健やかで元気な孫を抱かせられ、しばし歓談。2歳8ヶ月の孫がお姉ちゃんぶりをシッカリ発揮、いろいろおしゃべりしてくれ足り、本を読んでとねだったり・・・・。 帰宅して夕食を済ませて万歩計を見ると4000歩。それから暗闇の道を一時間ほど、聖書のことばを安書したり、祈ったり歌ったりしながらゆとり?の一万歩を完歩。途中で携帯がなり、うれしい声が飛び込んでくる。金沢医大に孫が合格しました。感謝します!殿に喜び祝福を祈りつつ・・・・ハレルヤ。 今日は東大阪エリムの新しい教会堂の献堂式。キッチリ祈ったとおりに満堂(120名)の参加申込み者。式後はカルフール内レストランでバイキングの祝賀会。すべてがアドナイイルエ! 式には新学校時代の同級生(76歳)が参加してくれル野で、今日も友あり遠方より来る、また楽しからずや! 祝賀会後は、聖書学院の戻り40代男性の洗礼を終え、乳がんで手術を終えた牧師夫人を愛知県江南市に見舞う予定。充実の時が流れてゆく収穫感謝の日です。ヨハネの福音書15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
2007/11/23
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空気がなければ身体はすぐ死ぬ。食物がなければ餓死してしまう。同じように霊魂は、神のことばがなければ枯渇し、衰えてしまいます。マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」女王蜂の謎蜂のほとんどは雌で、女王蜂と働き蜂の2種類があります。同じ雌蜂ですが、大多数の働き蜂は体が小さく、産卵もなく6ヶ月しか生きないそうです。 それに比べて少数の女王蜂は、寿命が長く5~6年も生きながらえ、一生の間に数10万個の卵を生んで君臨します。こうした差はなぜ起こるのか。これは昆虫学者の間でも長年解けなかった謎でした。しかし、やっと分かったことは、多くの雌蜂と違って、ただ一匹、女王蜂として成育する蜂は、幼虫期に1週間ほど王乳(ロイヤル・ゼリー)という特殊な食物で養われるからだということが判明したそうです。 王乳とは、女王蜂からでる乳ではなく、蜂蜜でもありません。働き蜂が特に幼虫を育てるための栄養分として、自分たちの頭部咽頭腺から出すゼリー乳です。ミツバチの世界ではある期間、女王蜂の治世が続くと、働き蜂は次の女王蜂出現の用意をして、巣の下面に「王台」という特別な容器を造リます。女王はその台に、次の女王となる卵を産みつけます。3日経つと卵が孵化し、幼虫になると若い働き蜂が幾百幾千となく群れ交じって、この王台を訪れます。そして誕生した女王蜂の食する王乳を、口から「カッ」と吐き出して内側に塗りつけて飛び立ちます。 王台の中にこうして蓄えられていく王乳(ロイヤルゼリー)を食べ、幼虫はまたたく間に急速な成長を示し、体の大きさは他の働き蜂も3~4倍もする美しい容態の蜂として、めざましく成長を遂げていきます。 決して王台という特殊な環境が女王蜂を生むのではなく、卵がそのホルモンを異にしているわけでもない。女王蜂が普通の巣に産みつける卵と、王台の中に産みつける卵とは全く同一のものなのです。 試しに、普通の働き蜂の巣の中から卵を一つ取り出して、ローヤルゼリーが蓄えられた王台に入れてみます。1週間ほど経つと、ロイヤルゼリーを食べた幼虫は見る見る普通の働き蜂のさなぎの2~3倍も大きくなります。 そしてやがては女王蜂として立派な姿を現します。つまり、普通ならば働き蜂で終わるのに、ロイヤルゼリーに養われたことにより、女王蜂になります。 聖書のことばに養われて、何をしても成功する祝福の人生を歩みましょう。詩篇119:103 あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。 蜜よりも私の口に甘いのです。エゼキエル3:3、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。
2007/11/22
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昨日は久しぶりに電車で淀屋橋まで往復し、車中で人間関係の力(五木寛之著)を読みました。 著者は、40代後半から50代にさしかかったころ、かなり長い期間、うつ状態が続いたことがありました。うつ病と言うよりうつの気分だそうです。 そんなとき「喜びノート」を書き始めました。一日のうちに、何か一つ、これはうれしかった、ということをみつけて記録するそうです。どんな小さなことでも良く、「今日はネクタイが一度できれいに結べて、うれしかった」と必ず、うれしかったと最後に書きます。何もなくても、「今日は無事に過ごせてうれしかった」と、必ず一行でもうれしかったと書きます。 60代になって同じような気分になり、今度もうれしかったと書いてみましたが、うまくいきませんでした。それで今度は、「悲しかったノート」にしてみたら、かえって気持ちが解放るような気になり、「よろこぶ」ことと、「かなしむ」こととは、両方とも心の大事な働きなのだな、と、あらためて感じて鬱屈感から自由になったそうです。 70代になって三たび鬱の気分が訪れてきました。三冊目のノートは、「ありがとうノート」になり、毎日ありがとうということばを書きました。 今朝のデボーションはローマ 8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」でした。 そして、昨日の五木寛之著の人間関係の力からヒントを得て、「感謝ノート」を必ず手帳に書き続けてみようと決めました。そのような水曜日の朝です。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2007/11/21
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キリスト教2,000年歴史最大のキリスト教会が韓国ソールにあります。ダビデ・チョー牧師がゼロからスタートした教会ですが、現在、日曜日の礼拝は70万名を越え、全世界にその働きは広がり続けています。日本にもフルゴスペル教会は70近く全県に広がっています。 今回、第3回目の「教会成長セミナーが中之島公会堂で行なわれるので、神学生全員と朝から参加することにしています。みんなは堺エリム・クリスマス会(午後7時)に行くので車で参加します。 淀屋橋なので生駒駅まで歩き、地下鉄で時間までに着く予定で出発です。大きな救いが日本中のあふれることを祈りつつ一日を過ごします。詩篇126:1 【主】がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、 私たちは夢を見ている者のようであった。 126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき、国々の間で、人々は言った。 「【主】は彼らのために大いなることをなされた。」 126:3 【主】は私たちのために大いなることをなされ、 私たちは喜んだ。 126:4 【主】よ。ネゲブの流れのように、 私たちの繁栄を元どおりにしてください。 126:5 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろう。 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、 束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2007/11/20
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昨日の礼拝は生駒、大阪、堺の3カ所でした。大阪エリムへの途中東大阪エリムに立ち寄りました。内装も完成しすっきりとした礼拝堂になっていました。23日の献堂式には100名ちょうどが集まるよう祈っていましたが、120名ほどになりそうです。収容限度を越え嬉しい悲鳴を上げています。祝賀会もカルフール内のレストランを借りきり、立食のバイキングパーティです。アドナイイルエ!主の山には備えがありと、告白どおりの23日になりそうです。 富雄キリスト教会には、アメリカのダラスからナッパ・かおりミュージック・パスターと、国沢エリヤ牧師夫妻が参加してくれました。すばらしい体験談を語ってくれたと報告を受け、早速電話でお礼を申し上げ、お話しすることができました。 エリヤ先生は牧師の息子です。高校生のときアメリカから生駒聖書学院へ来て2週間献身生活を体験しました。牧師となる決心をしオーラル大学へ進学、卒業してダラスの教会で英語礼拝を担当しています。まだ若いですが結婚し、情熱と会いに満たされた神の器です。 かおり先生は出身が生駒市でご両親が富雄キリスト教会員です。父上のお見舞いで短期間の滞在です。2週間前のリバイバル新聞に紹介されたように、主婦で二人の子どものお母さんですが、ダラスの神学校で学びミュージック・パスタートしてダラスの教会の賛美を担当しておられます。来夏は家族で帰省するので、教会でも賛美を盛上げてくれると期待しています。 今日は月曜日、朝のチャペルでスタート、オリエンテーション、2時間連続講義です。さあ今日もスカイブルーマンディ!スカッと爽やかに新しい力を受けて出発!ハレルヤ。イザヤ書 聖なる方は仰せられる。 40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2007/11/19
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日曜日の朝、生駒聖書学院教会でインターネット礼拝説教。昼は大阪エリムで礼拝説教。夜は堺エリムで礼拝説教と3回連続のメッセージです。第四週は富雄キリスト教会と堺エリムの2箇所です。 今日まで7回連族で創世記のアブラハムの生涯より、祝福のメッセージを語っています。創世記12章でアブラハムの祝福への選びと召命。同じ12章で失敗のドン底から祝福の中へ。13章では不毛の地より祝福のビジョンを。15章では「あなたの「受ける報いは大きい」と拡大されてゆく祝福について。17章でアブラムからアブラハムへの改名により、全能の神の絶対的な約束を。18章でアブラハムの妻サラに、「いやたしかにあなたは笑った」と語りかけられる神のことばにより、信仰の母と変えられた祝福を。 来週からクリスマスメッセージに入るので、今日の礼拝は創世記21章を通して、神のことば通りになる祝福のすばらしさを語ります。 今週はいろんな意味で感謝の記念日が続きます。19日は東京で左脳内出血で倒れて9年目になり、「わたしは主であってあなたをいやす者です」(出エジプト16:25)との約束通りに何の後遺症もなく、癒され元気で8年間を過ごせ感謝でした。 23日は3年間無償のマンション階下の集会所を返却し、東大阪市新荒本町(京阪奈線荒本駅2分)で、献堂式と祝賀会を行ないます。 24日は、1957(昭和32)年に種子島の海岸でイエス・キリストを信じてバプテスマを受け、クリスチャンとしての歩みを始めて満50年の記念日です。半世紀もの間、アブラハムへの約束のように、聖霊により多くの祝福をいただき、ますます「以前よりも祝福する」との聖書のことばどおりに恵まれて前進しています。 生駒聖書学院新年度入学希望者もすでに数名与えられ、4月の入学式にはかつてなかったほどの献身入学生が押し寄せてくることを祈りつつ期待しています。創世記 21:1 【主】は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに【主】はサラになさった。21:2 サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。21:4 そしてアブラハムは、神が彼に命じられたとおり、八日目になった自分の子イサクに割礼を施した。21:5 アブラハムは、その子イサクが生まれたときは百歳であった。21:6 サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」21:7 また彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
2007/11/18
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地引網出版社より、「すばらしい悲しみ(グリーフが癒される10の段階)」グレンシャー・F・ウェストバーグ著、1,000円プラス税が送られてきた。 世界で200万通りの悲しみに寄り添った本 泣くのは悪いことではない。 ひどく落ち込んでも大丈夫。 怒りだって普通にあること。 ただ・・・・ 悲しみ(グリーフ)に向かい合うことができるなら あなたは「きっと「新しい自分」になれる。 と、本の帯に紹介されている。 人生には様々な悲しみがあります。特に何か大切なものを失ったとき、言い知れない深い悲しみ投げ込まれてしまいます。 人生において幾度となく経験するそのような悲しみを乗り越え、生きる力と変えていくことができればなんと言う幸いでしょうか。コメントを書くより目次を紹介してみます。第一段階 ショック状態に陥る第二段階 感情を表現する第三段階 憂うつになり孤独を感じる第四段階 悲しみが身体的な症状として現れる第六段階 パニックに陥る第七段階 怒りと恨みでいっぱいになる第八段階 元の生活に戻ることを拒否する第九段階 徐々に希望が湧いてくる第十段階 現実を受け入れられるようになるお読みになりたい方はリバイバル新聞社まで。、電話 03-53423883 FAX 03-5343-3882mail unfo@revival.co.jpヨハネの福音書16:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。 16:21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。 16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。「天の虫けら」(57)・・・一所懸命 一学期はジレンマだった。 ちょうどそのころ、私たち夫婦は、登校拒否の中学二年生の女の子を預かって育てていた。彼女が通う中学には給食がなく、しかも妊娠中の家内は絶対安静の身。弁当作りから、家内の世話、炊事、洗濯、掃除、学院の朝の祈り、授業。次から次へと諸問題が迫ってきて、毎日大騒動だった。(そのわが家のもう一人の娘、みっちゃんもやがて高校に進学し、後には中学の音楽の教師になった。長いこと会っていないけれど、懐かしく思い出す。) その時、主は「一所懸命」を教えてくれた。「一生懸命」の書き違えではない。学院にいる時は学院のことだけを考え、教会まで自動車で七分移動する間に頭を切り換え、教会のことだけを考えるのである。一日だけ生きる。明日のことは、明日が心配することに徹してみた。夜ベッドに入る時は、死ぬことにした。そう決心すると、死んだように眠れた。それは二十一年経った今でも継続している。ともかく与えられた一日のエネルギーを使い切ってしまう。すると聖霊によって死ぬべき身体に、復活のいのちが注ぎ込まれる。ジレンマから解放され、ストレスもたまらなくなった。主を待ち望む者は、新しい力を受ける。走っても疲れない。と言っても私はあまり走らない。走るのは苦手だが、歩いても弱ることはない。鷲のように翼をかって上ることができる。聖書の約束が実際的であることを体験した。 この年の六月、結婚十二年目にして長男誕生、神様の特別なプレゼントだった。父親になった。その息子も今年(07年)は31歳、富雄キリスト教会牧師となり、2人の娘と誕生したばかりの長男の父親、五人家族で幸せに暮らしています。神のなさることはみなそのときにかなって美しい!(伝道者の書3:11)
2007/11/17
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昨年6月より請われて都ホテル喫茶室での集会が続いている。キリスト教に初めて接する方もあり5名の方が洗礼を受けてクリスチャンになられた。昨日は湯川胃腸病院の「院長も参加され、2時間を共に過ごされ感謝だった。 毎月第三木曜日(12月は20日)午後3時-5時の集まりで、参加者は経営者や管理職、自営業や営業マンなど、2時間を何とか自由に使える方々がほとんどです。集会の後で会社に帰ル事の方が多い方々です。賛美の時間はなく、祈りとディスカッションをしながらの聖書の学びです。月一度ココアが飲めるとき!参加費はドリンク1杯分だけなので。 集会の帰りにクリスチャン新聞大阪支局長と歓談。日本のキリスト教界情報を聞き、日本のリバイバルを祈りました。 今日はミッションバラバ会長の金沢泰裕牧師の講義があり、CGNTVが取材で生駒聖書学院に来る日。日本全国と世界中にイエス・キリストの愛の知らせがあふれることを祈りながらの一日です。 インターネット放送 http://elim.jp 詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2007/11/15
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教会のピアノ調律は同じ方が20数年続けてくださっています。富雄キリスト教会、聖書学院、大阪エリムキリスト教会、そのほか我が家のピアノも含めるとかなりの数のピアノを調律してもらっている。 昨日は大阪エリムの調律へ来てもらい、初めて顔を合わせ会うことができました。いつも家内や他の責任者が対応してくれており、留守にしていることもあり・・・・。ラジオ放送を朝早く聞いてくださったこともあると良い出会いが与えら、来週から賛美の奏楽がさらに優美に流れるとニッコリほほえみつつのお別れでした。 人生にも調律が必要ですね。イエス・キリスト様は人生の調律をしてくださいます。心が疲れるとき、苦しいことや試練の出会うとき、プッツンと切れてしまう前にしっかり調律すると、毎日毎日がさらに充実と感謝の日々に変わります。 理想ではなく愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、希望と感謝にあふれて、天国に召されるまで続けることができるのです。 アーメン。信じます。私の心にお入りください。と素直にお願いするとき、救いが実現し神の栄光が輝くのです。マタイの福音書 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 「天の虫けら」(56)・・・院長就任 生駒聖書学院は、奈良県生駒市にある、牧師、伝道師、宣教師養成の神学校である。イギリス人宣教師レオナード・W・クートによって1929年に創設され、戦時中の迫害や試練を経て、1950年に再開、今日に至っている。 クート師は1913年に来日し、神戸でイエス・キリストによる生まれ変わりを経験した。その後、異言のしるしが伴う聖霊のバプテスマを体験し、五年間のビジネス生活にピリオドを打ち、本国の教会や、どのキリスト教団体にも所属せず、独立の宣教師として、聖書と聖霊だけを信頼し、生駒聖書学院を創設した。一九七五年、七五歳の時、糖尿のため体調を崩し、アメリカの息子のもとに行き、その二年後、日本のリバイバルを願いつつ、「前進!」と叫んで、召されていった。 ちょうどそのころ、学院にはダビデ・カップ宣教師が借家をしていた。ベタニヤ・ミッションの宣教師として、上野福音キリスト教会(藤江士善牧師)や、奈良ベタニア教会(吉開稔牧師)を建て、働きを進めていた。クート師に留守中の学院を託されていたカップ師は、アメリカの母教会とショック牧師の承認を得て、その任に着いた。 主を賛美することのすばらしさを強調し、創立者不在の学院に新しい聖霊の風をもたらし、試練の冬を乗り切ったカップ師は、現在はロングビーチのベタニヤ教会の牧師として活躍している。 カップ師帰国後も、院内に借家していたNTC宣教師クレメンズ師が、院長代理として二年間学院を守ってくれた。 その間、だれが院長になるかが大きな問題となった。生駒聖書学院は、宗教法人生駒日本ペンテコステ教会に属する神学校である。同時に超教派的神学校としても知られていた。卒業生の多くは教団や単立教会をもち、それぞれに活躍しているが、ペンテコステ教団自体はまだ小さな群れであった。最後の最後に私に白羽の矢が立ったが、それも多くの論議を呼び起こした。まだ若いし、それほど実績があるわけでもない。反対者はアメリカへ手紙を送り、それを阻止しようとした。直接面と向かって忠告する者もいたし、脅しとさえ取れる発言もあった。 クート師には「ほんとうに聖霊様が語っただか」とよく言われたが、院長就任にあたっては、聖霊の導きと確信があり、反対や非難の中にあっても平安だった。しかし風当たりは強く、最初の二年間は院長代理として就任した。 私が院長になると同時に、今まで学生を送っていたある教団は、在学中の5名のうち4名までを引き上げてしまった。しかし主はそのような試練の門出を、13名入学という祝福で祝ってくださった。生駒聖書学院としては、それまでになかった数である。彼らは今、日本のリバイバルの器として、それぞれ用いられ活躍している。 試練は経済的な面でも襲ってきた。それまでは少ないながらも、諸外国からのサポートや宣教師関係のミッションからの援助があった。ところが私が責任をもつと同時に、外国のサポート名簿はアメリカへ行き、全部の支援がストップしてしまった。教団のわずかな援助と学生が納める小額の月謝だけがすべてだった。その上、未払い分の請求書の山だ。しかし「アドナイ・イルエ(主の山に備えあり)」「不可能は挑戦となる」が、就任へのプレゼントだ。神のことばの約束に変わりはない。「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)。イエス・キリストの言葉に間違いはないのだと信じて乗り切った。 富雄キリスト教会は、私の働きを全面的に応援してくれた。学院の事務を担当したのが教会の伝道師だったこともあり、すべてが整えられていた。何年も無給で、院長室すらなかったが、ともかくやるしかないと主にゆだね、祈りと信仰の歩みだった。 両立は難しいとよく言われ、教会か学院かどちらかを選ぶよう、常にアドバイスされた。しかし問題を指摘するのは易しいが、解決法を示さないアドバイスは聞くに値しない。問題を指摘する以上、解決策を提示し、祈り、支援しなければ、行いのない信仰となると常に思う。
2007/11/15
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毎日一万歩を歩こうと続けています。生駒聖書学院は朝5時30分始まりなので、早朝の散歩ができるのは土曜日、日曜日、月曜日の早朝だけです。火曜日から金曜日は朝4時から歩くときもありますが、それは早く休んで目覚めが早いときだけです。 聖書学院の中を所用(ごみ拾いや掃除なども)で歩くと大体3000歩くらいです。生駒駅までも3000歩余り、往復すると大体一日1万歩になります。さわかな朝、澄み渡る秋空に向って山合いの道をハレルヤ!と歌いつつ歩くのは快適です。プレイヤーウォーキングもまた楽しい祈りのときです。 毎日が聖霊様に導かれて福音を伝える喜びでいっぱいの歩みです。水曜日は大阪エリムのリバイバル集会。礼拝前にカウンセリングを教会下の喫茶店で行ないます。 さあ!今日も聖霊様に導かれてすばらしい魂との出会いを待ち望み、感謝して前進です。ローマ人への手紙 8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。 8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。 8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。 8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。 8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。 8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。 8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。 8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。 8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
2007/11/14
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月曜日から聖書学院はスタートします。当たり前と言えば当たり前ですが、月曜日休みの神学校もかなりあります。と言うのはキリスト教会は日曜日が礼拝の日で、朝から教会学校や礼拝など夜遅くまで活動します。そのためほとんどの牧師たちは、休養を月曜日にとります。アメリカなどキリスト教国の牧師は週休2日だそうです。 旧約聖書出エジプト記 20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。 20:10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も── 20:11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。 ユダヤ教は土曜安息を厳格に守ります。キリスト教会は安息日の精神を守りますが、イエス・キリストが十字架に死に、墓に葬られ復活したのが日曜日の朝だったので、その日を喜び祝う礼拝の時として守ります。 生駒聖書学院は月曜日朝6時に起床し、清掃奉仕後朝食、午前8時30分チャペルタイムとオリエンテーション。その後2時間の講義で新しい週をはじめます。 今週は今日と明日、京都福音教会牧師小平元昭先生が、旧約聖書小預言書を講義なさいます。丁寧に詳しく教えてくださるので、神学生たちも講義を楽しみにしています。 今日の午後から神学生たちは、堺市堺区南瓦町1-15のエリムキリスト教会で伝道集会を行ないます。毎回、新しい方々が導かれ盛り上がった集いです。お近くの方どうぞお出かけください。午後7時からの集まりです。今夜は少し早いクリスマスの集いです。使徒信条 我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。 我はその独り子、我等の主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生れ、ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ(、陰府に下り)、三日目に死人の内よりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐し給えり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者を審き給わん。 我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信ず。アーメン。
2007/11/13
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不二家洋菓子にはじまり、産地偽装の日本ライス、コロッケのミートホープ、白い恋人の賞味期限不正、赤福餅の製造日偽装、その後ものすごく売れに売れたけれども同じく製造日偽装の緒福餅、さらに船場吉兆の消費期限改心ざん・・・。今年は出るわ出るわの食品不信行為。中国製品はひどすぎて書く気にもならないくらい。 食品だけでなく政治の世界の腐敗行為。教育の世界も産業界も建築業界も、ブランド品もさまざまなサービスも、人をだまして儲けることばかりを考えているようにしか見えない姿なのに、「そんなの関係ない!」というけったいな芸が子どもたちの間に流行っている。 箴言14:34正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(慈善は国を高め、罪は民の恥となる)と聖書にあるが、儲けばかり企むのではなく、国民の利益を考える産業人たちが増えることをいのります。 国民のためにと言いながら私腹を肥やす政治家が少なくなり、ほんとうに真実をもたらす政治家の出現をも祈ります。 イエス・キリストの十字架の救いを受け、罪が赦され神の国(義と平和と聖霊の喜び)を第一として、教育に政治に産業に携わる国になるよう心から祈ります。主の祈り天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに会わせず、悪より救いいだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
2007/11/12
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朝の目覚めは4時半ごろです。日曜日は生駒と大阪、堺市と3箇所で礼拝メッセージです。今日は生駒の礼拝にアフリカ・ケニアよりパラダイス孤児院で成長した2人の青年とスタッフが来る予定です。 また七五三の祝福の祈りを持つので、孫の着物姿を撮影するため、祖父母やパパが礼拝に参加します。インターネット礼拝ですが、今日はにぎやかな礼拝になりそうです。 朝の目覚めもスッキリ、いつもの散歩コースを祈りながら歩きます。今日もアブラハムの信仰に学ぶメッセージをするので、説教箇所を瞑想しつつ、ひとりでも多くの方に真実の幸せを届ける説教ができるよう聖霊様に助けを求めています。 散歩帰りに事務所でテレフォンメッセージ(37年間毎日継続=0743-73-3740)を終え、シャワーを使い朝食(普段は一日2食ですが・・・・) メール返信を終えブログを書いています。そのような毎朝を元気で迎え、「この日は主が造られた日。この日を楽しみ喜ぼう!」(詩篇118:24)と、すばらしい礼拝に向ってハレルヤと叫びつつ備えています。詩篇16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。 16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。 16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。 【主】が私の右におられるので、 私はゆるぐことがない。 16:9 それゆえ、私の心は喜び、 私のたましいは楽しんでいる。 私の身もまた安らかに住まおう。
2007/11/11
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先週土曜日の朝、家の前に朝市を開いている主婦の方と挨拶。散歩道のいろんなところに朝市がでるが、ここが一番野菜もきれいだし安いですねと話しが弾む。以前に冬瓜を100円で買い美味しかったと言うと、家にはまだたくさんあるから来週出しておきますとのこと。 今朝早く車で通りかかると大きな冬瓜(2キロくらい)が一つ出されている。野菜は全部100円均一なので100円で冬瓜を買う。子どもの頃は大きな冬瓜がゴロゴロ取れて、もう食べるのも見るのもいやだと思ったが、久しぶりに食べると美味しい!しばらくは冬瓜ファンになりそうだ。ルカの福音書12:22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。 12:23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。 12:24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。 12:25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。 12:27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 12:28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。 12:29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。 12:30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。 12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。 12:32 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
2007/11/10
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暗いニュースが続くこの頃です。政治も経済も、学校も家庭も・・・・、一つ一つのニュースを具体的に報じるテレビを見るのもイヤになります。殺人事件も多く、人の命の尊さがますます失われる感がします。「殺してはならない」と、聖書は明言しています。自殺も「殺してはならない」教えに従えば罪です。 イエス・キリストを信じて義とされ、正しい人生を生きる健やかで、祝福されながら天国への道を歩める幸せを体験してください。テサロニケ人への手紙5:1 もちろん、それらがいつ起こるかという質問には、愛する皆さん、私は何も答える必要がありません。 5:2 その時を言い当てることができる人などいないことは、よくご存じのはずです。 主の日は、夜中にこっそり忍び込むどろぼうのように、思いがけない時に来ます。 5:3 人々が、「万事順調で、何もかも平穏無事だ......」と、たかをくくっている時、突然、災いが襲いかかるのです。 それはちょうど、出産の時、母親に陣痛が襲うのに似ています。 その災いから逃れうる人はいません。 身を隠す場所など、どこにもないからです。 5:4 しかし、愛する皆さん。 あなたがたは、このことについて皆目わからない、暗やみにいるわけではありません。 ですから、主の日が来ても、強盗に襲われた時のように、あわてふためくことはないはずです。 5:5 あなたがたはみな、光の子供、真昼の子供であって、暗やみや夜に属する者ではないからです。 5:6 ですから、ほかの人たちのように眠りこけないで、目を覚まして見張っていなさい。 主が再び来られる日に備えて、慎重に行動しなさい。 5:7 夜、人々は眠り、また酔いつぶれます。 5:8 しかし、私たちは、昼の世界に生きる者らしく、信仰と愛のよろいで身を守り、すばらしい救いの望みのかぶとをかぶり、慎しみ深くふるまいましょう。 5:9 なぜなら、神様は、怒りをぶちまけるために私たちをお選びになったのではなく、主イエス・キリストによって救うために、選んでくださったからです。 5:10 主イエス・キリストの死は、主が再び来られる時に、私たちを、その生死の状態にかかわりなく、永遠に主と共に生かすためでした。「天の虫けら」(50)・・・忠実な老聖徒 良い知らせを伝える足に翼ができたような気持ちで、新しいバイクで熱心にトラクトを配り、教会案内のポスターを市内全域に張りめぐらした。少々疲れ気味になったので、生駒市上村のほうへ走った。人家は見えないのに竹やぶのそばにポストがあったので、そばの電柱に「日曜日は教会へ」と大書したポスターを貼り、むだかなと思いながら、一日の伝道活動を終えた。 当時、日曜日の礼拝出席者は八名ほどだった。次の日曜日、これからメッセージを語ろうとした時、真夏なのに白い麻のスーツに身を包み、パナマ帽をかぶった上品な紳士が、スッと空いている席に座り、身じろぎもせずまっすぐに前を見て、話を聞きはじめた。私はてっきり引退牧師が来たと思い、あがってしまった。しどろもどろの話が終わると、老紳士は、自分はクリスチャンだが、もう三十年以上も教会へ来たことがなく、山の中の一軒家で妻と二人、世捨て人のように暮らしていると話しはじめた。昨日のポスターを見て出てきたのだ。自分は救われているし、十六歳で召された娘すみれも信仰をもっていたが、妻がまだキリストを受け入れていない。五十年も連れ添った良い妻だが、信仰だけはどうしても自分の言うとおりにしてくれない。若い時、未信者の女性と結婚すれば、自分の愛と力でクリスチャンにできると自負して結婚した。自分は傲慢だった。人間の力で人を救うことはできないとよく分かった。これからぜひ妻が救われるように助けてほしいと、若い牧師に涙ながらに切々と訴えた。 翌年、この老紳士、大森米吉兄は八十六歳で倒れた。戦艦南雲の元海軍軍人にふさわしく、病院のベッドに最後の力を振り絞って座ると、妻にこう語りかけた。「美乃や、長い間ありがとう。良い妻であってくれた。私はこれからすみれに会いにいく。私たちに天国で会いたかったら、イエス・キリストを信じておくれ」。そしてそれだけ語ると、そのままの姿勢で天に召された。倉病院の看護婦さんが「今まで多くの臨終を見てきたが、この方はいったいどなたですか?」と尋ねるほど、立派な臨終だった。 半年あまりのつき合いだったが、この老聖徒を通して、多くの教えと生きざまを学ぶことができた。そして牧師として初めての召天式を、建ったばかりの教会堂で行なった。聖書には「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116:15)とあるが、まさしく厳粛な時だった。 その1週間後の伝道会に、美乃姉は毎晩出席し、イエス・キリストを主として受け入れ、救われた。今まで一度も山の家から出なかったのに、主人が死んだら日曜日毎にいそいそと山から下りてくる美乃さんは、きっといい人ができたに違いないと噂され、村中の評判になった。ほんとうにイエス様が恋人になってくださったのだ。七十八歳でバプテスマを受け、九十三歳で召されるまで、いつも「感謝、感謝」と言いながら、小さな体にほほえみをいっぱい浮かべて、牧師よりはるかに多くの教養を身につけていたのに、どんな話をしても「アーメン、アーメン」と聞いてくれた。 八十四歳の誕生日には、韓国製の講壇を教会に献品し、翌年には感謝だと言って、学院にまで立派な講壇を献品してくれた。今でも私はその講壇からメッセージを語り続けている。 だれも死後の面倒を見る者がない大森米吉・美乃夫妻は、わが家の後ろにある納骨堂に、約束どおり静かに眠っている。一つの悲しさは、だれ一人納骨堂を訪れる者のないことである。人間の悲しさと浅ましさを思う時、この老夫婦が教会を訪れたのは、まさに神の摂理と導きであり、牧師としてその晩年をみとれたことを心から栄光に思う。 いかに生き、いかに死すべきかは、すべての人の課題であり、天国か地獄か、そのどちらかに行かなければならないのである。イエス・キリストを信じる時、すべての罪は赦され、贖われて、永遠のいのちをもち、天国に行く者とされる。 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである」(黙示録14:13) 若い日の伝道牧会で、多くの忠実な老聖徒たちを導く特権に出会えたことは、大きな感謝であった。彼らの寛容と忍耐の中で、牧師を続けることができたと思っている。
2007/11/09
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一昨日よりお訪ねしなければという強い思いがお二人の方に感じていました。毎日予定があり訪ねる方もありの日々ですが・・・・。特にお一人は末期がんで入院中。一度もお会いしたこともなくキリスト教は嫌いとのこと。でも一昨日その思いは強くなり、ちょうど大阪市内にいたとき携帯電話がなり、訪ねて欲しいとの家族からの願いでした。すぐ病院へ夕方に着き個室を訪ね、イエス様のお名前によって祈りをしました。アーメンと応答してくださり、イエス様を心にお迎えしましょうと申し上げると、アーメンと信じてくださいました。 昨日はもう一軒の家を同じ思いで訪ねました。突然の訪問でしたが、「まあ牧師先生!ちょうどお会いしたいと思っていたところです!」と驚きの声を上げ、いろいろとご夫妻のお話を聞き、祈りの中で問題が解決の方向へ向い、感謝しつつ辞することができました。イザヤ書30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 「天の虫けら」(49)・・・テント集会 仕事を辞めた。今までの償いを込め、一カ月間のテント集会をすることにした。真新しいテントの寄付もあり、朝は訪問伝道、昼からもマイク片手に路傍伝道と子供会。夕方は駅前でチラシを配り路傍伝道。集会が始まると、司会も説教も一人でする以外にない。 空き地に張られたテントに人々が集まり話を聞いていると、不良たちが爆竹を鳴らして邪魔しにくる。その夜も外は騒がしかった。一人の男がスッと外へ出て、一言低い声で注意した途端、悪ガキは雲の子を散らすように逃げていき、二度と邪魔しなくなった。後であいさつすると、奈良では有名な組織に属する方だった。長い間おつき合いし、彼の子どもたちも教会学校に通ってくれた。 一カ月間の真夏日の伝道で、真っ黒に日焼けした。そう多くの人が救われたわけではなかったが、充実感が身体にみなぎり、聖霊の助けと力を感じて、たくましくなったように思った。 集会が終わると、吉川姉と木下姉が、「先生、ご苦労さまでした。1ヶ月間のご苦労にプレゼントをしたいのですが、自転車がいいでしょうか?バイクをと思うのですが、免許をおもちじゃないでしょう?」と言うではないか。言われて驚いた。実はテント集会が終わる前日、何となく導かれて警察に行き、バイクの免許を取っていたのだ。
2007/11/08
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ミスターチャンスには前髪だけがあるそうだ。向こうからチャンス氏がやって来るとき、さっと前髪をつかめば捕らえることができる。しかし、あっ!ミスターチャンスだと見逃すと後ろ髪がないからスーと通りすぎてしまい、チャンスを逃してしまう。 毎日、ミスター・チャンスとの出会いはあります。自分はだめだとか、できないとか言い訳ばかりの人生にサヨウナラし、チャンスをシッカリ捕らえ今日から幸せになりたいものです。伝道者の書9:10 あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。9:11 私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。「天の虫けら」(48)・・・チャンス到来 市場リサーチで考えるなら、キリストを信じていない九十九パーセントは、大きな市場であり、チャンス到来ということになる。 こんな話がある。あるアメリカの靴会社のセールスマンが、アフリカに派遣された。彼はアフリカに着くなり本社に電報を打った。「当地に靴を履く習慣はないので、すぐ帰国します」と。次に派遣された社員もすぐ電報を打ち、「アフリカに靴を履く習慣はないので、大量に靴を送ってください」と伝えた。 日本はプロテスタント宣教一四〇年(08年で50年)になる。クリスチャン人口が増えず、一九九七年度の統計によると、プロテスタント約六十万、カトリック四十万、合わせても一〇〇万人だ。しかもリサーチによれば、プロテスタント六十万人のうち、礼拝に出席するのはわずか二十六万人。韓国には一つの教会だけで七十万人が出席する教会があり、日刊新聞を一〇〇万部発行していると言う。 日本の伝道が難しいと嘆くのは、セールスマンに比すれば、「靴を履く習慣なし。すぐ帰る」と打電した負け犬と同じだ。イエス様は、「収穫は多いが働き人が少ない」と言われた。「靴を履く習慣なし。すぐ靴を送れ」と言うチャレンジ精神が、日本のキリスト教会にみなぎりあふれる時が、近づいている。 すべてのクリスチャンが、イエス・キリストのセールスマンとなり、一億三〇〇〇万の同胞に十字架の福音を伝え、さらには全世界に出ていって、すべての造られた者に福音を伝えていきたいものである。
2007/11/07
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昨日は12月のラジオ録音で朝日放送スタジオへ出かけた。いつもは火曜日だったがスタジオの都合で月曜日になった。12月は3日(月)の午後6時にスタジオ行きです。いつも1ヶ月先の録音なので、もうクリスマスおめでとうございます!と挨拶を送りました。 今日の講義は、甲子園プレイズチャーチ牧師の原田慎吾先生。生駒聖書学院で学んで以来初めての講義です。神学生一同楽しみにしています。詩篇63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。63:4 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。63:5 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、 私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。63:7 あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。 「天の虫けら」(47)・・・福音のセールスマン 学院に入学して以来、一九七九年までは、ほとんど一般の書籍を読んだことがなかった。しかし何とかもっと説得力のある話ができればという思いに、初めてビジネス書コーナーに立った。『説得力』と大きいタイトルが目に飛び込んできたので、内容を確かめもせず購入した。それがきっかけとなり、AIAの柳平氏や服部氏、田中真澄氏や有川一三氏らと知り合った。ボブ・コンクリンの著書や、ロバート・シューラー牧師、SMIやナポレオン・ヒルの本を続けて読んだ。カーネギー話し方教室にも通った。大阪話し方教室や、カルチュアセンターでも話し方を学んだ。デール・カーネギーの『人を動かす』なども読み、聖書が心だけでなく生活にも応用されているのも知った。 『積極人間のXYZ』という本で、イエス・キリストを信じて救われ、実業家として神の栄光のために生きているというあかしを読んだ。著者の夏目志郎氏に電話をし、TBRという積極的考え方のプログラムを、大枚を投じて購入した。すばらしい発想の転換だった。うれしくて楽しくて、だれかれかまわず、TBRのことを話した。みんな欲しがったので紹介するうち、半年間で何と七十本もの契約をもらっていた。 里深行信兄もその時出会った一人である。現在は家族で教会員として牧師に協力してくれるとともに、国際グッドワーク協会理事長として、末期のがん患者や病苦に悩む人々に、健康を提供し、全国を講演で飛び回っている。 さまざまな出会いの中で、自分なりのプログラム「マン・オブ・プロミス」を作成した。そのテープ・プログラムは後に、『輝き・可能性への変身・』という本にもなった。テープ・プログラムは沖縄の株式会社グローバルの新城恵子社長が販売してくれることになり、それがきっかけで沖縄エリムのメンバーとの出会いが与えられた。今年(一九九八年)、砂川竜一夫妻が、祈りと犠牲により沖縄エリムに新会堂エリムチャペルを建設した。神のなさることはみなその時にかなって麗しく、人の思いをはるかに超えて、神の栄光が輝くのである。 セールスマンなどと言えた者ではないが、貧乏のどん底から何とか福音を伝えようと願い、必死で生きてきたことが、現在の働きの大きな肥料になったことを感謝している。 そのような中から、西田雅信兄や池田武志兄、株式会社エマオの中橋勝美兄が、現場のセールスマンとして信仰をもち、それぞれの与えられた場で、神の栄光を目ざして励んでいる。メンバーの中には、生命保険や損害保険などの業界で、必死に戦っている兄弟姉妹も多く、私のセールス経験など、彼らの足元にも及ばない。 日本のリバイバルのために、兄弟姉妹が福音のセールスマンとしても、そのキャリアを生かし、大胆にイエス・キリストを伝え、魂の大収穫者としていっしょに戦ってほしいと、心から祈り願っている。
2007/11/06
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秋!を身体中で感じるさわやかな朝です。日曜日は朝4時おきで1万歩を祈りつつ歩き、シャワーで汗を流して、メール返信。ブログに書き込み、テレファンメッセージ2分30秒を録音、それから普段は野菜ジュースだけだが日曜日は軽く食事をとり、礼拝に備えます。生駒聖書学院教会礼拝がインターネット放送のため、富雄キリスト教会は月一度の礼拝になりました。 書斎からチャペルまでは2分で着き、礼拝前の祈り会に参加します。礼拝が終わると家で家内が用意してくれた昼食をいただき、午後1時には大阪エリムへ。大阪の礼拝が終わるとすぐ26号線で堺エリムの午後5時30分の礼拝へ急ぎます。 月曜から聖書学院がスタートし、チャペル説教とオリエンテーション。午前中2つの講義、今日は午後から12月のラジオ録音で朝日放送スタジオへ・・・・。毎日充実のときをお祈りに支えられ元気に過ごしています。朝の目覚めもスッキリ。この日は主が造られた日!この日を楽しむ喜ぼう!(詩篇118:24)ヘブル人への手紙 13:20 -21偉大な羊飼いである主イエス様を、死人の中から復活させてくださった平和の神様が、どうか、あなたがたに、神様の意志にそった行ないをするのに必要な、すべてのものを満たしてくださいますように。 神様とあなたがたとの間に立てられた永遠の契約の血によって、このことが可能となりますように。 また、キリスト様の力によって、主に喜ばれるものだけを、あなたがたのうちに造り出してくださいますように。 どうか、キリスト様に、栄光がいつまでもありますように。 アーメン。「天の虫けら」(46)・・・もう一つの神学校 やがて年度代わりになり、社長から直々の辞令が下りた。女性だけの営業所を作るので、所長になれということだった。長年勤めて成績も良い社員ではなく、入ったばかりの者になぜと、私も最初は辞退した。ところが社長は「榮さんが牧師さんだから、安心してお願いするのです。ぜひ新しい試みを成功させてください」と、ビルの八階のフロアにナショナル・ミュージック・センターという営業所を設置してくれた。本社採用の女性が、事務担当として派遣された。この仕事は結果的には成功した。もう三十年も前のことだが、女性パワーは他の営業所の男性に負けないくらいの好成績を上げてくれた。 その間に、富雄キリスト教会には新しい会堂が与えられ、私は仕事を辞める時が来たと聖霊に促された。信徒も会社も仕事を続けるように望んだが、主の時は今だと確信し、惜しまれつつ会社を辞め、フルタイムの牧会伝道に戻ることにした。 この二年間は、実に多くのことを学んだ貴重な時間だった。信仰によって生きることは会社でも通用すると知った。イエス・キリストのことを仕事の場で話しても、問題はないことも分かった。酒や宴席も、自分は飲まなくても、にこやかに対応すれば座をしらけさせることもないし、そのような時こそ、主のあかしができることも体験した。何よりも大きかったのは、見ず知らずの人と何のわだかまりもなく話せるようになったことだ。「自分は田舎者で、歌も歌わず、スポーツもしない。学歴もないし、知識も足りない。貧乏で・・・」といった劣等感も、主の恵みでうそのように消え、自信にあふれていた。心を開いて交われば、どんな人も心を開いて、自分から悩みを打ち明けてくることも知った。まさしくこの二年半は、もう一つの神学校だったのだと今でも思っている。
2007/11/05
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今日の礼拝メッセージは、創世記 17:1 アブラムが九十九歳になったとき【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」より語る。 神は天地宇宙の万物を創造された偉大な全能者です。神にとって不可能なことは何一つありません。16歳まで無神論でした。キリスト教会で神の存在を知り、イエス・キリストの十字架の救いを信じてクリスチャンになりました。その日以来、全能の神を天のお父様と呼び、できればと言うのか。信じる者にはどんなことでもできると、チャレンジの人生を幸せに生きるようになりました。ヨハネの第一の手紙 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。リビングバイブル訳4:18 私たちを心から愛してくださる方を、どうして恐れる必要がありましょう。 もし恐れがあるなら、それは神様が私たちに何をなさるかと、不安をいだいている証拠です。 神様の完全な愛は、そんな恐れを、すべて取り除きます。 恐れている人は、神様の愛をまだ十分理解していないのです。 「天の虫けら」(45)・・・神様のごほうび 翌日は早く出社したが、千田所長だけでほかにはまだだれも来ていない。五分くらい前になると、「おはようございます」と元気よく、次々にドアを開けて入ってくる。すごい、みんなやる気だと感じた。本を棚から出し、思い思いにかばんに詰めている。「榮さんも早く本を用意しなさい」と言われ、手当たり次第にいっぱい詰め込んだ。何しろ昨日の面接で、この本は見せるだけで飛ぶように売れるという説明を聞いたのだから。 所長の激励が終わると、ビルの前に待機していたマイクロバスに飛び乗り、予定のコースへまっしぐらだ。勢いのある者から順番に飛び下りる。「行ってきます」という声まで弾んでいる。最後まで乗っていると、運転手と二人だけになった。この人が指導してくれるのかなと思い、じっと座っていると、「榮さん、早く降りなよ。ラストだよ。最初に降りた堀川君なんか、もう何本も上げているよ」と促された。指導も何もあったものではない。売ればそれで良かったのだ。困ってしまった。訪問伝道なら少しは慣れているが、それすらも断られ専門だった。そんな私が「本屋です」と言っても、だれも相手にしてくれない。かばんに思いっきり詰め込んだので、重くて重くてふらふらになった。昼が過ぎても一冊も売れない。やがてバスが迎えにくる。帰路は何冊売れたかの武勇伝が、あちこちから聞こえてくる。日当ゼロ、昼食はなし、交通費は持ち出し。家内には大金を稼ぐと言って出てきた。顔向けできない。 翌日も翌々日も売れない日が続いた。それでも四日目ごろから、真面目に軒並みに訪ねたごほうびが出始めた。あいさつをすると、何も言わないのに、「何持ってきたんや?見せてみ。なんや、本か。なんぼや?買うたるわ」。売れた。奇跡のようだった。ほとんど説明もしないのに、会社の休み時間や、市役所、職員室、商店、美容室、貸しビルの小さな会社、町工場、仕事中だろうが、休み時間だろうが、おかまいなしだ。売れる、売れる。本などまるで初めて見るような感覚で、喜んで愛しそうになでている人を見ると、こちらまでうれしくなる。売って売って売りまくる感じだ。帰りのかばんは、ほとんどからっぽ。「榮さんには、キリスト様がついているから、かなわんわ」と、冗談とも本気とも取れるように言う仲間たち。 売れる喜びももちろんあったが、これでトラクトが作れる、伝道会が開ける、人々に良い知らせを伝えることができる、という喜びのほうが大きかった。さっそく教会案内のトラクトを作り、毎朝五時に起きて、早天祈祷もかねて配布した。仕事をしているから伝道しないのだとは言われたくないから、伝道会を毎月五日間続けて開き、「直行・直帰」の特権をフルに活用させてもらった。売り上げが上がるから、早く帰ってもだれも文句は言えない。神様のごほうびだったと今でも思っている。 二十四歳で初めて世の中で働いたが、仕事もやればできるという自信は大きかった。飲まなくても遊ばなくても、実績を見せれば人は一目おいてくれるのだ。 そんな私の姿をじっと見ている本社の社員がいた。武田さんといい、高校時代までは教会に行っていたが、大学に入ってから、信仰をもっていると世の中についていけないと思い、教会から離れ、飲めない酒もたしなむようになっていた。私が入社して三カ月目、彼はそっと耳打ちしてくれた。「榮さんの姿を見ていると安心しました。僕、これから教会に行きます」。彼はバプテスマを受けた。やがてフィアンセも信仰をもち、教会で式を挙げ、すばらしいクリスチャンホームが生まれた。
2007/11/04
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チアにっぽんはホームスクールを推進している団体です。学校でのいじめや登校拒否児童の増加や、日曜日の学校行事のため教会の礼拝に参加できなかたりで悩む親たち。学校が暴力や麻薬な性道徳の腐敗にさらされる子供たちを守ろうとお願いからアメリカで始まった運動でアメリカでは市民権をすでに得ているようです。 日本でもチャーチスクールやホームスクールが開始され、すでに学校のような形態をとり始めているところもあるようです。チアにっぽんでも11月に白馬で全国大会が行なわれるそうです。関西で来年5月23日ー24日行なう会場を求めて東京からの来客でした。本決まりになるかどうか分かりませんが、生駒聖書学院を会場に借りたいとの申込みを受けました。お祈りください。ピリピ人への手紙4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。 4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。 4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 「天の虫けら」(44)・・・就職 生駒聖書学院のモットーは「不可能は挑戦となる」である。神に信頼し祈るなら、不可能の壁は崩れ、必要も満たされることを繰り返し教えられてスタートした伝道牧会だった。 富雄に行く時、フルタイムの伝道牧会を望んだが、現実は厳しく、教会案内のパンフレットを印刷することもできなかった。駅前に立ち、イエス・キリストを信じるように呼びかけても、人々は振り向いてもくれない。家内は学院の愛児園に勤めていたが、ここも奉仕と同じ条件なので、その給料では食べるのにも事欠く状態だった。 教会の前の川に釣り糸を垂れ、小魚を釣って夕食のおかずにしたこともあった。しかし食べるのは好きだが釣るのは苦手だから、漁獲は少なかった。こんな惨めな気持ちになるくらいなら、いっそ断食したほうがよいと思った。そんな時、松田さんが投網でいっぱい小魚を取り、唐揚げと煮つけにしてくれた。最初は喜んで食べていたが、一週間ばかり同じ物を食べると、もう見る気もしなくなった。山菜を取ったり竹の子をもらったりして、餓死はしなかったが、死して餓死を待つより、働こうと決心した。 当時の風潮では、献身者が一般社会で働くことは罪であり、信仰のない証拠であった。信仰があれば旧約の預言者エリヤのように、カラスがパンと肉を運んでくれる。またイエスさまがなさった奇跡のように、五つのパンは五〇〇〇人分に増え、水はぶどう酒に変わる。だから大丈夫だと頭では理解していても、お腹は鳴るし、路傍伝道へ出ても、それでなくても話し下手なのに、大きな声も出ない。 祈って決断し、新聞の求人広告で「保証高収入」とあった募集先へ面接に出かけた。履歴書に牧師と書くのは恥ずかしいが、書かなければ偽りの罪になる。ともかく最初に正直に言おうと心に決め、「ダイレクト・サービス」と書かれた会社のドアをノックした。 温厚な紳士が対応してくれた。それが千田所長だった。「ああ、牧師さんですか。この仕事ならピッタリですよ。ぜひわが社で働いてください。給料も良いし、日曜は絶対仕事はありません。時間は十時から五時までです」と説明してくれたが、私のほうはだんだん不安になってきた。「給料はいくらぐらい出るのですか?」と恐る恐る聞くと、「もう取り放題です。いくらでも出ますよ」と言う。仕事の内容を聞くと、セールスとのこと。もう真っ青だ。人と話す、しかも物を売り込むとは、最も苦手とすることだ。表情の変化に気づいたのか、千田所長は慌てて、「いや、変なものじゃありません。本です。画報ですよ。わが社はこの分野では信用があります」と言い、何冊かの婦人画報や美しい写真集を並べた。私はそれまで本は読むだけのものだと思っていたが、子どもの目に触れてもよい、とてもきれいな本ばかりだった。「大丈夫です。すぐ慣れますから。ちゃんと指導もします。さっそく明日から来てください。採用です」と、簡単に採用された。 給料は売上次第、交通費は自己負担、ただし「直行・直帰」を牧師に限り認めるという寛大な採用条件だ。何よりも「直行・直帰」に心が動いた。学院で教え続けることもできる。伝道会の時は早く帰れる。それだけでここで働くことを決めた。
2007/11/03
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生駒聖書学院は学期ごとにピクニックがあり、昨日はすぐ近くの生駒山麓公園へみんなそろって出かけた。院長差し入れで美味しい洋菓子をいっぱい持ち、一学期はバーベキューだったが、午後から聖会に参加するので昼食持参。 あいにくの雨模様だが元気で昼過ぎまで遊んで帰り、夕食は泉栄光キリスト教会でご馳走になったようだ。 31日に孫が誕生し、息子が明日アメリカから帰るので、産院へ行ったりふたりの孫(10歳と2歳)の送り迎えなどで忙殺。夜は伝道師家族と木曽路へ夕食。1歳2ヶ月の子どもがいるので話題はそこへ。まだ話せないが自分でいしょうけんめい食べようとする。パパとママが食べさせようとするが・・・・。子どもたちは自分で失敗しながら学び成長していくんだなと思ったり・・・・。詩篇128:1 幸いなことよ。すべて【主】を恐れ、 主の道を歩む者は。 128:2 あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、 幸福で、しあわせであろう。 128:3 あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、 豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。 あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、 オリーブの木を囲む若木のようだ。 128:4 見よ。【主】を恐れる人は、 確かに、このように祝福を受ける。 128:5 【主】はシオンからあなたを祝福される。 あなたは、いのちの日の限り、 エルサレムの繁栄を見よ。 128:6 あなたの子らの子たちを見よ。 イスラエルの上に平和があるように。 「天の虫けら」(43)・・・神話の里・富雄 富雄は、金鵄(きんし)発祥の地という鵄邑(とびのむら)であり、そこから鳥見郷(とりみのさと)・鳥見庄(とりみのしょう)となり、この地を流れる富小川(とみのおがわ)にちなんで、富雄と呼ばれている。『新千載集』には「いかるがや富小川の流れこそ絶えぬみいつのはしめなりけり」と歌われている。 この地にある教会として、金の鵄(とび)ではなく、聖書の鳩が臨み、リバイバルの光を全世界に放つ教会となることを祈っている。またこの小さな富雄川の流れが、旧約の預言者エゼキエルが見た幻の川のように、聖霊の流れを豊かに流し出す群れとなることを確信している。 現在の富雄キリスト教会は、一九八四年に移転した場所に建っている。この時は土地の購入と建築のため、生まれて初めて借金なるものを経験した。最初は相手にしてくれる銀行もなかったが、土地の売り手が保証人になってくれたので、銀行はすぐお金を出してくれた。 しかし牧師の強い信仰の決断に、不満をもつ信者も数人あった。そして自分たちは責任をもてないと、新しい教会の完成とともに、教会から去っていった。 私はコミュニケーションが下手で、口数も少ない。また本音で説教を語っているので、みんなが礼拝で「アーメン」と応答したら、それでよいと信じていた。しかも結論はあるがプロセスがないため、信仰によって会堂を建設すると言えば、教会が建つと思っていた。実際にそうなのだが、もう少しお金の集め方とか、返済方法のプロセスを話し合うことも必要だったかも知れない。 しかし信仰と希望と愛の中で、牧師を信頼し、理解し、祈ってくれる信者も少なくなかった。労苦をともにしてくれた信者たちには、どのようなことばでもっても感謝を表明することができない。彼らの祈りと支えによって、富雄キリスト教会は常に前進している。ちなみにあれほど問題になった借金は、十年目に全額返済するという恵みを与えられた。感謝!
2007/11/02
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息子は先月25日より3日までアメリカでの牧師研修へ出かけている。7日出産予定の嫁が昨日午後4時20分、予定より早く3100グラムの元気な男の子を出産した。パパがアメリカから帰国するまで名前はまだない。10歳と2歳8ヶ月の孫たちは弟が生まれてことで大喜びで帰宅を待っている。 今朝早く産院へ行き嫁に面会し、看護師に教えてもらった赤ちゃんをガラス窓越しに祝福を祈る。新しい命の誕生を迎えたすべての赤ちゃんの幸せを祈りつつ、クリスチャンスクールへ孫を連れて行き、午後から産院へママを見舞う約束をする。詩篇8:1 私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。 あなたのご威光は天でたたえられています。 8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。 それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。 8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、 8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。 人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。 8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。 8:7 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、 8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。 8:9 私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。「天の虫けら」(42)・・・二度目の建て替え 一九七一年、富雄キリスト教会は、破格の安い経費で二度目の建て替えをした。 きっかけはある日曜日の朝のことだった。近くの富雄団地から、若い奥さんが礼拝に来た。ところが彼女は教会の前まで来ると、「あら、これが教会?もっときれいな所と思ったのに・・・」と、中にも入らないで帰ってしまった。そのことを聞いた時、建て直しを決心したが、まだ経済的には微力だった。しかしせめて会堂の玄関に十字架のある塔屋を作れば、少しは見栄えがよくなり、教会の前まで来て「回れ右」する人もいなくなるのではと思ったのである。 私たちの教会も、みんなが自発的に喜んでする献金によって支えられている。約束献金も予約献金もない。教会債もなく、借金もしない。常に与えられた献金で維持し、牧師に支払う給料がゼロでも、会計は赤字決算にはしない。私も必要があれば、新聞配達や、デパートの商品配達もした。夜勤でアイスクリーム工場に行った時は、辞めた後も十数年ほど、アイスクリームを食べたいとも思わなかった。 教会堂改築の献金を週報でお願いした。礼拝の時、小さな献金かごに「会堂建設のために」と書いた献金が入れられた。その年、破格の建築費で会堂が完成し、二階部分を牧師館とした。 以前から私には書斎を持つ夢があった。数年前には製材所で拾った木で枠を作り、ベニヤ板の壁、ビニールトタンの屋根を付けたこともあった。自分でもよくできたと完成を喜んでいたが、その直後に雨が降ると、屋根の勾配を考えていなかったので、溜まった雨水で部屋がびしょ濡れになった。冬は外にいるのと同じようで、暖房器具もなく、朝は部屋の中に霜が降りることもあった。けれども会堂が完成し、牧師館の中にも小さな書斎が与えられ、それからは不自由なく祝福が続いている。
2007/11/01
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