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昨日の朝、庭の畑?のさつま芋を収穫した。10本だけだったが立派な芋ができていた。苗をただ植えただけで手入れもせず、草もとらずそのまま放置していたので、小さな芋しかできないと思っていたが、鍬で掘り起こしてみて驚いた。 有賀喜一先生にもおすそ分けで喜んでくださった。身体を弱くして寝ていた方にも泥の突いたままでお分けしたら、元気が出ましたと大喜び!命の不思議さ、尊さを感じながらの祈りのひと時でした。 マルコの福音書4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」 「天の虫けら」(41)・・・何をしても栄える 富雄で初めて迎えた新しい年は、二月の夜の集会から変化が見えてきた。風通しのよい十畳一間で火鉢を囲みながらの集会が終わろうとした時、玄関のドアがガタピシと勢いよく開いた。そして威勢のよい声で「こんばんは。ここは何をする所かな」と、一人の青年が元気よく入ってきた。彼は上がり込むと、火鉢に手をかざしながら、しゃべるはしゃべる、二時間にわたって一人で話し続けた。酒でも入っているのではと思うほど、ひとしきり話すと、「さあ、帰るか」と言うなり、来た時と同じようにさっと帰っていった。三人とも呆気に取られて、「主よ、今晩初めて来たあの青年を救ってください」と祈るのが精一杯だった。 それから毎晩、彼、松田末作兄は遅い時間に現われて、「榮さん、松田や。今からいいかな」と上がり込み、二時間ほど話して帰っていくようになった。私と同年齢の彼は、近くで製材所をもち、夜遅くまで働き、仕事が終わると教会に来ていたのだ。やがてイエス・キリストを信じて救われ、バプテスマを受け、富雄キリスト教会が最初に導いた信者となった。 あまりにもみすぼらしい教会に驚いた彼は、新しい教会を作ろうと宣言した。地主も建て直しに好意的で、さっそく私たちの住まいにしていた五畳一間と小さな台所を残して、屋根をはぎ、のこぎりで家を半分に切り分けてしまった。そしてブロックを積み上げると、あっと言う間に十五坪、三十畳の礼拝堂が完成した。 彼は費用も支払い、ほとんど一人で建ててくれた。富雄に来て二年目、新しい真っ白い礼拝堂でクリスマスを祝う恵みが与えられた。 彼はその後も、「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩篇1:3)との約束をしっかり握り、成功人生を走り続けてきた。現在は奈良市市議会議員として、若い日に情熱をこめて夢を語り合った時よりも、もっと大きな夢とロマンをもち、新しいビジョンに燃えて、人々の福祉のために邁進している。
2007/10/30
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昨日は、高齢の婦人を訪問。幸いカーナビがあるので迷わずに到着。腎臓に問題があるとのことで、医者に腎臓透析をするか、食事療法でするか決めなさいと言われ迷っていると話してくれた。 塩分を控えなければと思うが、魚や鶏肉が食べられず肉が大好きで、しかも漬物も大好物、明日食事療法の指導をお嫁さんといっしょに受けに行くことになっている。嫁に世話になるのも大変だし・・・・等々悩みをおき聞きし、聖書を開きいやしと健康の回復をいっしょに祈りました。出エジプト記 15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、【主】の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたをいやす者である。」23:25 あなたがたの神、【主】に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。第一ペテロの手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。第一テサロニケ人への手紙 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。 「天の虫けら」(40)・・・すべて疲れた人 富雄の教会には、吉川絹江さんという七十代の忠実な信徒がいた。いつも祈り会に出席し、心を合わせて祈り、励ましとなってくれた。彼女は駅前で花屋を開いていた。 彼女は若い時に玉造の大問屋の長男に嫁ぎ、いずれは大店の女将さんとして差配をふるうことになっていた。ところが長男誕生の七ヵ月後、主人が肺ガンのために三十代の若さで亡くなってしまった。そうなると、立場は変わってしまう。姑は次男に後を継がせようと嫁いびりを始め、彼女は子どもを連れて実家のある富雄へ帰ってきた。実家は富雄でも素封家であったが、一度嫁いだ身は自分で生きなければと、明治女の心意気で、あらゆる仕事をしながら、子どもを養い育てた。息子の身体が弱く、結核に冒されていたこともあり、親子は山の中の掘っ建て小屋を借りて暮らしていた。(現在、富雄キリスト教会が立っている所は、吉川さん親子が住んでいた土地である。) いつも近くの光さんというクリスチャンが、「吉川さん、今日は牧師さんが来て、家で家庭集会があるからいらっしゃい」と声をかけてくれた。だが、他宗教の布教師となっていた吉川さんは、一度も行かなかった。 やがて教会に導かれた息子さんは、病身を気遣う母親の反対を押し切り、浸礼によるバプテスマを受けた。そして案の定、風邪をひいて寝込んでしまった。母親はそれ見たことかと怒ったが、三日後起き上がった息子は、ほうきを手に取り、掃除を始めた。今まで何もしなかった息子の激変に驚いた彼女は、教会でイエス・キリストのことばを聞いた。 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28) 主人の死以来、多くの苦労を重ねてきた彼女だった。青酸カリを息子に飲ませて死のうとしたことさえあった。宗教を遍歴し、傷つき疲れた心を、十字架の主は優しく包み、いやし、すべての罪を赦し、神の子とし、永遠のいのちを与えられたのだ。 その日以来、彼女の人生はイエス・キリスト中心になった。いつも聖書を読み、病の人のため祈った。話し下手の牧師のメッセージをいつもノートに取り、「アーメン」と大きくうなずきながら聞いてくれた。九十六歳の長寿を全うして天に召されたが、今でも彼女の信仰は、講壇を飾る美しい花として、あかしを続けている。
2007/10/29
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昨日の礼拝は富雄キリスト教会で、あなたお抜ける報いは非常に大きい!」と題してメッセージ。 7月からインターネット礼拝開始で、富雄キリスト教会での礼拝は月一度になり、昨日は牧師がアメリカ研修で留守でもあり、久しぶりに富雄へ。早く出かける娘に同乗させてもらい途中で降りて、一時間ほど祈りつつ歩いて教会へ着いた。2歳7ヶ月の孫がおじいちゃん!と飛びついてくる。教会員たちの温かい歓迎の瞳に包まれてメッセージ。「天の虫けら」(39)・・・富雄へ赴任する 結婚後も東淀川へは通っていたが、今まで一人分でよかったのに、倍の交通費が必要となった。また牧師の結婚が、礼拝に来ていた若い女性たちを遠ざける結果にもなってしまった。加えて碓井君の事故や、学生たちの進学や就職、転居なども重なり、集まる人数がほんとに少なくなってきた。集会所も定期的に借りれなくなり、公園を使ったり、場所を変えたりしながら、何とか集会を続けていた。 ある夜のこと、クート師の自宅に呼ばれ、富雄キリスト教会に行くようにと言われた。私にはまったく予期しないことばだった。驚く私にクート師は、聖霊がそのように示され、御旨に従えば祝福があると、懇々と諭すように話してくれた。それまで富雄は、喜島牧師が責任を持って伝道していた地域であり、そのことも気がかりだったが、すでに喜島牧師も了解しておられるという。私はその導きに従うことにした。 しばらくは東淀川とのかけもちが続いたが、ある夜遅くまで、淀川の堤防で一人祈りに祈り、涙とともに開拓伝道四年目、東淀川から撤退することにした。 私の開拓伝道は、挫折と敗北に終わってしまったのである。しかし、どんな挫折も失敗をも益として、新しい勇気と希望を与えてくださる主によって、深き淵より立ち上がり、牧師として仕えることが許されている。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5) 今でも新大阪へ行く度に、あの日のことを思い出し、再び何らかの方法で福音を伝えたく思っている。 富雄で伝道することが決まり、一九六七年十二月に生駒から引っ越すことにした。富雄の家を調べもせず移転したので、到着して驚いた。窓ガラスは割れ、畳はすり切れている。台所の壁はぼやを出して、真っ黒にすすけていた。冬場だったので、すきま風には悩まされたが、まだナメクジやゴキブリがいなくて助かった。暖かくなると、狭い台所から、家内の悲鳴がよく聞こえた。私は虫も殺さぬいい男で、虫を見ると逃げ回っていた。家内がずいぶん鍛えられ、たくましくなったことも感謝である。マタイの福音書6:13 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」 16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」 16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。 16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」 18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
2007/10/29
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昨日は門真市に新しくできた大阪キリスト栄光教会の献堂式に出席しました。途中で教会の場所をたずねると、ほとんどの方が新しい教会の場所を教えてくれました。古い家を買い改装したので工事が大変で地域住民から苦情が殺到し、大変だったとの経過報告があり、それで皆さんが知っていたんだと変な納得でした。大改装だったそうですが、牧師の長男が経営する建設会社ができれいな教会堂へと完成し、地域からの苦情も立派に処理してくれたと、嬉しそうに語る牧師に感動しました。多くの来賓の牧師たちとの出会いも楽しいひとときでした。 「天の虫けら」(38)・・・主が家を建てられる 私の夢は温かい愛があふれる家庭を築くことだった。子どもが生まれたら、自分のような思いは絶対させないと、堅く決心していた。愛があり喜びが満ちる、イエス・キリストを中心とした家庭をいつも思っていた。 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。 見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らは、まさに勇士の手にある矢のようだ。 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(詩篇127編) 高校生の時、初めて教会に行った夜に読んだ聖書のことばを、今でもしっかりと覚えている。それは、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。・・・・・・『しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。』麗しさはいつわり、美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」(箴言31:10、29-30)ということばだった。そして主はその約束を実現してくださった。良き妻との出会いを与えられたことを感謝している。 家のことは全部任せきりして、自由に主のために働けることは、大きな恵みであり祝福である。決して要求しない愛を、彼女はもっている。いつも背後にあって祈り、支えてくれる。 人生は出会いで決まると言うが、良き妻とのめぐり合いもまた、人生を決めていくように思う。 あなたの受ける報いは非常に大きい! 創世記15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」 第二歴代誌15:7 しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」 マタイ6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 ヘブル10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 コロサイ3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 黙示録22:12 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。22:20 「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
2007/10/28
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守口市駅前にあった大阪栄光キリスト教会(福田章男牧師)が、門真市に新しい教会献堂式を今日午後から行ないます。日本全国に神社は8万社もあり、占い屋も5万軒あります。カラオケ店は12万軒、そば屋でさえも5万軒あるそうです。 キリスト教会は全国に8,000あります。新しいキリスト教会がコンビニの数(いくらあるか調べていませんが)ほどに増えることを願っています。幸い今年は3月に堺市、4月に門真市、来月には東大阪市で献堂式です。広い敷地にヨーロッパのような大教会をと願いながら、まだマンションや貸しビルでの教会活動ですが、イエス様は、「マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」と約束してくださいました。明日は日曜日に、ぜひ近くのキリスト教会へお出かけ下さい。私は明日奈良市富雄川西1-19-18の富雄キリスト教会と、大阪市浪速区恵美須西2-3-4の大阪エリムに午後2時、夕方5時30分より堺市堺区南瓦町1-15堺エリムで説教です。 「天の虫けら」(37)・・・記録的結婚旅行 結婚旅行は、2人が最初にデートした奈良公園だった。結婚式に出席した彼女の母や姉、妹も一緒だった。生駒から電車で15分、たった3時間だけという、おそらく最短距離、最短時間、しかも徒歩の記録的結婚旅行だった。 新居はクート師の好意で、学院の教師ホームが提供された。愛児園の母親たちが結婚祝いに電器釜とトースターをくれた。私が持っていたフライパンには穴が開いていて、油を入れて火にかけたら燃え上がり、家内はびっくりのスタートだった。唯一のごちそうは、市場で10円で売っていた鶏の皮の親子丼。おかげで鶏肉は、食べたいとも思わなくなってしまった。 聖書には、「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが苦労すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起す。・・・また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単に切れない」(伝道4:9‐12)とある。私は結婚して、このことを実感した。またやっと布団の上に寝ることができる身分になったことも感謝である。ペテロの第一の手紙 3:1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。 3:2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。 3:3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。 3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。 3:6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。 3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
2007/10/27
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昨日久しぶりに娘とふたりで、グッド・シェパードという映画を見た。 CIAの誕生をめぐり、1人の男が運命に翻弄(ほんろう)されていく様を描いた壮大な人間ドラマ。『ブロンクス物語/愛につつまれた街』以来13年ぶりにメガホンを取ったロバート・デ・ニーロが、監督、製作、出演の3役をこなす。主演の諜報部員役にマット・デイモン、その妻役にアンジェリーナ・ジョリーがふんする。これまであまり描かれることのなかったCIAメンバーの、1人の人間としての苦悩が胸に突き刺さる。1961年4月17日、キューバのカストロ政権転覆を狙った上陸作戦がCIA内部の情報漏れにより失敗し、CIAは窮地に立たされる。その数日後、作戦を指揮したエドワード(マット・デイモン)の元にCIA内通者と敵側スパイと思われる男女が映ったテープが届く。彼は部下のレイ(ジョン・タートゥーロ)にその分析を依頼するが......。 (シネマトゥデイ) 国家とは・・・・家族とは・・・・愛とは・・・・生きるとはを問いかけて来る映画だと思った。しばしのくつろぎ。帰りに途中で運転を交代し、東生駒から家まで歩いて帰り一万歩。「天の虫けら」(36)・・・結婚式 一九六五年四月二十九日、晴れて私たちは結婚した。結婚式は学院の大チャペルで行なわれ、クート師と込山牧師の陣頭指揮で準備が進んだ。反対していた兄も、山から緑の木を取ってきて、みごとなアーチを作ってくれた。喜島牧師夫妻が証人として立ち、二〇〇名もの参列者が見守る中、クート師の生涯で最後の司式となる結婚式が厳粛に行なわれた。 式後のレセプションは、チャペルの地下室で豪華に開かれ、私はただ呆然とそのすばらしさに圧倒されていた。クート師はすごい人だ。「義之が出ていくか、私が学院を辞めるか、どちらかだ」と言われた数年前の出来事を思い、謝礼も払えない牧師の結婚を豪華に祝ってくれたと感動した。だがこれも結婚後十五年くらいして分かったことだが、プレゼントされたのはケーキだけで、ほかのごちそうは全部家内が自分で用意したものだった。このことも知らず、うかつにも感激していた自分を恥ずかしく思うとともに、そんな牧師に惚れて苦労の連続だった家内に感謝することしかできない。 ここまで書けば、もう一つの事実も書かないわけにはいかない。結婚式のハイライトは、二人が神と証人との前で約束をする場面である。「あなたはこの女子(男子)と結婚し、妻(夫)としようとしています。あなたは、この結婚が神の御旨によるものであることを確信しますか。あなたは神の教えに従って、夫(妻)としての分を果たし、常に妻(夫)を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日のかぎり、あなたの妻(夫)に対して堅く節操を守ることを約束しますか」と牧師が問いかけ、二人が順に誓約する。普通ならそこで「誓約の印として指輪を交換します」と牧師が言い、二人は指輪を交換する。私たちの時は、家内だけが指輪をはめた。私は彼女に結婚リングも買ってやれないほど貧乏だった。最初は家内も指輪なしでも良いと言っていたが、やはり若い女性である。牧師の妻となる召しが実現した記念に、自分で買うことにしたのだ。その時に買った安物の指輪は、三十三年過ぎた今も、純愛の輝きをそのままに家内の指に光っている。箴言31:10 しっかりした妻をだれが見つけることができよう。 彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。 31:11 夫の心は彼女を信頼し、 彼は「収益」に欠けることがない。 31:12 彼女は生きながらえている間、 夫に良いことをし、悪いことをしない。 31:13 彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、 喜んで自分の手でそれを仕上げる。 31:14 彼女は商人の舟のように、 遠い所から食糧を運んで来る。 31:15 彼女は夜明け前に起き、 家の者に食事を整え、 召使いの女たちに用事を言いつける。 31:16 彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、 自分がかせいで、ぶどう畑を作り、 31:17 腰に帯を強く引き締め、 勇ましく腕をふるう。 31:18 彼女は収入がよいのを味わい、 そのともしびは夜になっても消えない。 31:19 彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、 手に糸巻きをつかむ。 31:20 彼女は悩んでいる人に手を差し出し、 貧しい者に手を差し伸べる。 31:21 彼女は家の者のために雪を恐れない。 家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。 31:22 彼女は自分のための敷き物を作り、 彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている。 31:23 夫は町囲みのうちで人々によく知られ、 土地の長老たちとともに座に着く。 31:24 彼女は亜麻布の着物を作って、売り、 帯を作って、商人に渡す。 31:25 彼女は力と気品を身につけ、 ほほえみながら後の日を待つ。 31:26 彼女は口を開いて知恵深く語り、 その舌には恵みのおしえがある。 31:27 彼女は家族の様子をよく見張り、 怠惰のパンを食べない。 31:28 その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、 夫も彼女をほめたたえて言う。 31:29 「しっかりしたことをする女は多いけれど、 あなたはそのすべてにまさっている」と。 31:30 麗しさはいつわり。 美しさはむなしい。 しかし、【主】を恐れる女はほめたたえられる。 31:31 彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、 彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。
2007/10/25
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エリムキリスト教会の全ての活動は、教会員の献金によってまかなわれています。しかも強制ではなく自発的なささげもので、約束献金も予約献金もない自由な心からの献金です。 11月23日(祭)に東大阪エリムの献堂式ですが、昨日から内装工事が始まりました。思ったより費用がかかることが分かりましたが、教会員の設計士の努力により願いどおりの費用で請け負ってくれるとのこと、アドナイイルエの感謝でした。 昨日の集会前に大阪エリム階下の喫茶店で、バルセロナへ旅行へ行っていた夫妻が帰国報告を兼ねてお会いしました。スペイン土産とともに東大阪エリムキリスト教会のために、工事代金の半額の献金をいただきました。3人で手をつないで祝福をお祈りました。今年クリスチャンになったご夫妻ですが、毎日聖書を読みお二人で祈りつつ祝福の中を歩んでおられます。東大阪エリムのために覚えてお祈りください。「天の虫けら」(35)・・・結婚を決断する 思いがけない出会いから私との交際が始まり、主に祈り求めながら数カ月が過ぎた。ちょうどそのころ、彼女の妹のキヨ子さんの結婚が決まった。田舎の習慣では、姉が後に残るわけにはいかない。矢のような催促がくるようになった。私にも結婚の意思はあったが、まだ数年後と思っていたので、慌ててしまった。何せ当時の私は、ほんとのスカンピン、ないと言ったら文字どおり一円もない貧乏牧師だった。学院にいるので食べるには事欠かないが、東淀川へ行く交通費さえままならないのだ。 父や兄に相談すると、猛烈に反対された。先輩の牧師たちも口をそろえて、まだ早過ぎると言う。私自身も内心では二十三歳で結婚は早いかなと考えていた。彼女はなおさら辛かったと思う。 そんな四面楚歌の中、強力な味方が出現し、持ち前の実行力で、私に決断させてくれた。それはすでに二年前に同じ二十三歳で結婚し、日の出の勢いで伝道牧会に携わっていた先輩の村上好伸牧師だった。彼の奥様は学院時代の私の同級生だった。二人の祈りと勧めも功を奏して、すべての反対を振り切って、私たちは結婚することを決めた。 私たちが決断すると、村上好伸牧師はさっそく彼女の実家がある鹿児島県出水市に私を連れて行った。彼女の家でも大騒ぎだった。あんなに優しい娘が婚約を解消した時も驚いたが、若いハンサムな(?)青年に「サダ子さんを私にください。きっと幸せにしますから」と顔を真っ赤にして頭を下げられ、キッパリと宣言するように言われて、彼女の両親は開いた口がふさがらないほど驚いてしまった。田舎の朴訥な両親は、「サダ子がそれで幸せになるなら・・・」とかろうじて答える以外にことばがなかった。 その時、彼女から「これを父に渡してください。何も言わないで、ただ渡すだけにしてください」と一つの包みを預かっていた。頼まれた物が何だったのか、実はこの原稿を書きながら、結婚三十三年目にして初めて知り、自らのうかつさに驚いた。何とそれは彼女が用意した結納金だったのだ。すでに妹は結納も済み、結婚式の日取りも決まっていた。父親は私が手渡した結納金があまりに小額なのに驚き、この青年は貧乏な牧師だと強く確信し、心配になったという。しかし娘の今までの堅実な歩みに、それとなく感服していたので、結納金をそのまま娘に祝いとして贈ったとのことだ。書きながらも顔が赤くなる。私は非常識なまでに純粋な青年だったのだ。 その日から43年、家内は7人兄弟の中で一番?幸せな(物心両面とも)生活を若々しく続けている。 コリント人への第二の手紙 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。 その義は永遠にとどまる。」 と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2007/10/25
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火曜日の朝、二人の孫が家に来ていた。姉はクリスチャンスクールの遠足で天王子動物園まで、妹はじいの絵本読んでもらうと張り切っている。少しの時間、先日古本屋さんからもらった30冊シリーズの「ディズニー絵本「王子と少年」を読み、さようなら! ママが11月出産予定。パパが明日からアメリカへ研修に出かける。帰って来たら生まれているかもしれないと弟の誕生を嬉しそうに待つ孫たち。 肉が食べたい!と時々叫ぶ孫たちと夕食に出かける約束をしていたので、昨夜しか時間がなく「木曽路」まで出かける。ちょうどしゃぶしゃぶ祭りでいつもより安いサービス期間中。楽しい夕食のひと時でした。「天の虫けら」(34)・・・出会い 東淀川のアパートから再び聖書学院に戻り、教師兼アドバイザーとして、男子寮の一室に住むようになった。 イースターが近づいたある日、選んだ復活の賛美のメロディーが難しく、音程が取れないで困り果てていたら、下の保育園室からオルガンが響いてきた。だれが弾いているか分からないまま下りていくと、最近保母として鹿児島から来た姉妹だった。彼女も口数が少ない女性で、それまで顔を合わせたことはあっても、一度も話したことはなかった。奏楽を頼むと、上手に弾きながら歌ってくれた。それが家内との最初の出会いだった。 実は生駒に来る以前に、彼女には将来を約束した人がおり、卒業と同時に結婚することになっていた。ところがいくら祈っても、祈れば祈るほど不安になる。夜を徹して祈るうち、婚約が神の御旨でないと確信した。紹介してくれた牧師にそのことを話すと、思い切り叱り飛ばされ、将来が祝福されないとさえ言われた。しかし牧師には分かってもらえなくても、内なる平安は川のようにその心を満たしていた。周囲の中傷や誤解もあり、苦しい思いも少なくなかったが、神が牧師夫人として召しておられるという確信は揺るがず、ますます祈りのうちに主を待ち望み、グレース愛児園の子どもたちのために心こめて働くようになっていた。その夜も、独習で覚えたオルガンに必死で取り組んでいたのだった。ピリピ人への手紙4:4 いつも、主にあって喜びに満たされていなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。 4:5 自己中心的でなく、思いやりにあふれていることを、だれからも認められますように。 主がもうすぐ来られると、いつも意識していなさい。 4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。 4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。 4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。 4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。 4:10 あなたがたが、また助けてくれるようになって、どんなに感謝し、また、主を賛美しているか知れません。 あなたがたはいつも、できるかぎりのものを私に送ろうと心がけていたのに、機会に恵まれなかったのです。 4:11 生活に困っていたから、こう言うのではありません。 私は、物が豊富にあろうとなかろうと、楽しく生きていくすべを学びました。 4:12 文なしの時にも、何でもそろっている時にも、どのように生活すべきか知っています。 満腹の時にも空腹の時にも、豊かな時にも貧しい時にも、どんな境遇でも満足する秘訣を身につけたのです。 4:13 なぜなら、力を与え、強めてくださるキリスト様に助けられて、私は、神様の要求を、何でも成し遂げることができるからです。
2007/10/23
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今朝訃報が届きました。九州までお見舞いに出かけた88歳の方が召されました。牧師の娘に導かれて洗礼を受けクリスチャンになり、今年の夏も教会でお会いして祝福を祈りました。葬儀では母親がクリスチャンになったことをお話しできる証のときもあり、「主の聖徒の死は、主の御前において尊い」ことが参列者にも伝わるときとなるよう祈っています。 「天の虫けら」(33)・・・まもなくかなたの 翌日、警察へ出頭して調書を作成してから、前夜式を終え、聖書学院に向かった。暗闇の中を生駒駅から学院に歩きながら、私は何度も彼の名を呼んだ。「碓井君、生き返ってくれ!俺はどうしたら良いのか分からない。答えてくれ!」しかし呼べど呼べど、聞こえるのは、夜空をそよぐ風の音のみだった。寂しかった。悔しかった。どこにこの悲しみをもっていけばいいのか? その時、碓井君が子どもたちといっしょに歌っていた賛美が聞こえたように思った。 まもなくかなたの 流のそばで 楽しく会いましょう また友だちと 神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 私は、風にそよぐようにかすかに聞こえる声に合わせるようにして、夜道に立ち止まり歌い続けた。 水晶より透き通る 流れのそばで 主を賛美しましょう み使いたちと 神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 銀のように光る 流のそばで お目にかかりましょう 救いの君に 神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや(聖歌687番) わずか18歳の生涯、イエス・キリストを信じて1年と少し、輝くばかりの信仰生活を駆け抜けて、天国に行った碓井学君の人生を忘れることはない。その日から、さらに天国は現実味を帯び、イエス・キリストの福音をこのいのち続くかぎり伝え続けることこそ、与えられた使命であることを確信した。 今日私が牧師として、こうして主のために仕えさせていただいているのは、ただ主のあわれみによるが、天国へ駆け昇っていった碓井学君への尽きない思いも一つの原動力である。 東淀川での集会は、この出来事の後も、高校生や中学生を中心に続いた。しかし私が受けた痛手はあまりにも大きく、長らく打ちのめされたままだった。その上、様々な要素がからまり、やがて中止するに至る。このあたりの事情については、また後で触れる。 その日以来臨終の方のベッドを訪れ、神の愛と十字架の救いを語り、アーメンと言えば救われ、罪が赦されて永遠のいのちを持ち、天国へ行けることを伝え続けています。ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 3:21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。ヨハネの黙示録 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
2007/10/23
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人生にはいろんな出来事があります。昨日の礼拝でアブラハムの歩みを創世記15章から語りました。 15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」 これらの出来事の後とあります。様々な出来事があり、それがさらなる不幸を呼び込んだり、逆に災い転じて福となるような幸せに通じることもあります。聖書は神のなさることはみなそのときにかなって美しいと約束しています。今日は生涯で経験した一番深い悲しみを天の虫けらから転載します。そのできごとが今日牧師として働いている大きな原因の一つになっています。 「天の虫けら」(32)・・・悲しい出来事 1964年の夏期聖会が聖書学院で開かれ、東淀川の教会からも碓井君と国松君が参加することになった。彼らは自転車で生駒までやってきた。 午後には近くの喜里池で泳ぐ時間があり、2人も参加した。ところが帰る時間になって、碓井君がいない。そのことに気がついた国松君が、聖会の用事でその場にいなかった私に「碓井がいない」と知らせてくれた。 池に急いだ私は、その辺の山にでも寝そべっているのではと思い、大声で叫んだ。しかし返ってくるのはこだまだけだった。やがて事の重大さに、消防団や警察が駆けつけ、アクアラングを付けて池の中を捜索しはじめた。いつしか夜の闇が覆い、たいまつを灯しての捜索も限度に達し、もう明日にしようと消防団が決めかけた時、アクアラングで潜っていた人々の中から「いたぞ!」という叫び声があがった。一縷の望みをかけて、主にうめきながら祈り求めていた私は、良かった助かったと喜んだ。だが「いたぞ!」という叫びは、単に見つかったということだった。私は彼の冷たくなった身体を必死でさすり続け、「主よ、主よ、復活の主よ」と声も出ぬまま、涙を滴らせながら祈った。 どのように責任を取ればよいのだろう?もう自分の牧師としての使命は終ったと思った。碓井君は北野高校に通う秀才で、東大合格間違いなしと言われていた。もともと人格的にも穏やかだったが、クリスチャンになってからは、その品性はさらに輝いていた。教会の集会の時もいつもリーダー格でみなの世話をし、路傍伝道にもいっしょに出かけていた。学校中がと言ってもいいくらいよく知られた、評判の高校生だった。だが、もう彼はいない。イエス・キリストを信じているから、永遠のいのちをもっているから、天国だと言っても、何の慰めにもならない。息を吹き返してくれ、復活のいのちよ来たれと、祈り続ける私の身体を、優しく引き離してくれたのは、彼の母親だった。「もういいのです。学は満足しています。ほんものを見つけたと、いつも語っていました。あの子はイエス・キリストに出会って救われたのです。天国に行ったのです。先生、顔を上げてください。学が悲しみます。あの子は先生を慕っていました。先生が悲しむのをあの子は喜びません」。このことばに答えるすべは、私にはなかった。私は流れる涙を止めることもできず、母親に語りかける言葉もなかったことを昨日のように覚えている。そして自ら無力を、主の助けのみが支えることを知った。コリント人への第二の手紙1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。 1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。 1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。 1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。 1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、 1:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。 1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。 1:11 あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。
2007/10/22
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昨夜はいつもより早く熟睡。朝の目覚めも爽やかに歩き始める。寒い!と感じセーターを着て歩いた。毎日ゆとりの一万歩とスタートしてから5年目に入り継続している。4年間体重に変化なく、まあ歩いているから美味しく食べれるし、家内はもっと食べるようにいつも言うが、接待の食事も多く結構食べているので元気そのものです。 日曜日はインターネット礼拝を学院教会でスタートし、富雄キリスト教会礼拝を最終の日曜日だけになりました。28日(日)は牧師がアメリカ研修なのでグッドタイミングです。 東大阪エリムキリスト教会は、今日から新しい会堂(まだ内装も未完成)で最初の礼拝を行います。竹腰明人先生が張り切って活躍してくれています。 新し住所は、東大阪市荒本新町20番地美津和ビル302です。近鉄けいはんな線荒本駅4番出口から徒歩2分と至便の場所です。礼拝は午前10時 午後2時よりロー礼拝。お祈りをありがとうございました。11月23日(祭)午前10時半より献堂式を行います。 「天の虫けら」(31)・・・開拓伝道 それでも何としても開拓伝道を始めたくて、大阪市東淀川区を伝道地と定め、最初の天幕伝道を試みた。しかし先輩のためにはフル回転した印刷所は、たった千枚のビラを刷ってくれただけ、しかも自分で植字をして作らなければならなかった。資金はゼロだったし、クート師が説教に来てくれたものの、神学生の応援はほとんどなし。一人でトラクトを配り、路傍で声を張り上げて案内した。集会が始まっても、テントの中はほとんど空っぽの状態。そのような失意の中のスタートだったが、その集会で橋梁設計技師の寺尾猛兄が救われ、引き続き熱心なクリスチャンとなった。また美容師をしていた景山敬子姉も救われ、いつも仕事が終わると飛ぶように、集会場である富士保育園に駆けつけてくれた。この二人はやがて結婚し、現在は生けるキリスト一麦大阪教会で、原村秀子牧師の良い指導のもとに導かれている。 学院で教えても給料が出るわけではなく、ただ食事と住まいは保証されていたので、日曜日毎に東淀川へ出かけていた。何となくもの足りなく、先輩の村上好伸牧師としばらく同居させてもらい、やっとのことで伝道地に安い下宿屋を見つけた。そうすると今度は、学院へ教えにいく交通費が大変になった。もちろん帰りにはもらえるのだが、行きの片道分がないのである。 ある時、お金が全然なくなり、思い切って布団を売ることにした。ぺらぺらのせんべい布団で、屑屋が文句を言いながら二十円で買ってくれた。そのお金で何とか東淀川から大阪駅までは行けた。ここから先はどうしよう?聖書には紅海が真っ二つに分かれ、イスラエルの民は乾いた道を行くように渡ったとある。ヨルダン川の流れは止まり、道ができたともある。エリコの城壁は崩れ、水がぶどう酒に変わり、祈れば答えられ、不可能は可能になるとも書いてある。大阪駅のホームで手を広げて祈った。「神様、生駒までの交通費をください。明朝の授業のために、どうしても今晩行かなければなりません。信じます。アーメン」。入れかわり立ちかわり環状線ホームに電車が入ってきたが、お金は入ってこなかった。これでは歩くしかないと、大阪駅から奈良の方角へと歩き始めた。夜の八時だった。生駒に着いたのは真夜中、自分の部屋にそっと入り、翌朝は何食わぬ顔で教室に出て、授業した。当時はだれもその窮状を知る者はなく、十年以上たってからあかしをした。 布団がなくなったので、畳の上に何も掛けずに眠る夜が続いた。背中は痛むし、寒い季節になると震えながら夜を過ごすことも多かった。後年、リバイバルミッションの原田牧師に会った時、健康のために板を敷いて寝ているという話を聞き、私は自然の健康法を実践していたのだと、一人で苦笑いをした。 伝道はトラクト配りを中心にした。何しろ人と対話するのが苦手な駆け出し牧師だ。いくら議論で勝っても、魂を優しく慰めることができない。集会の前に人が来ても、「よくいらっしゃいました」とだけ言うと、始まる時間まで沈黙が続く。お互いに気詰まりで、「今から賛美します」と礼拝が始まるとホッとした。礼拝が終わると、「それではさようなら」だけ。味もそっけもない集まりだった。それでもイエス・キリストを信じて救われた兄弟姉妹は、心から主を愛し、牧師を慕ってくれた。すべては神の恵みだけだ。 やがて、高校生の出口君が救われ、友人の碓井君や、国松君、平島君、新田君兄弟、五十嵐君など、素敵な高校生や中学生が集うようになった。それに連れられるように、中学生の山村さんや布引さん、石田さんも来てくれ、いろいろと手伝ってくれた。その年のクリスマスには、何と七十名近い中学生や高校生が集まり、保育園の小さな椅子に座って、楽器もないのに、音痴の牧師のリードで、クリスマスキャロルを力いっぱい賛美した。 私が日曜学校が好きだったので、中高生に加えて、小学生たちも来はじめた。桂さん姉妹、中井さん姉妹、円さん、海籐さん、遠藤さんたちのグループが、いつも若い牧師の周りにじゃれるように集まり、イエス様の話に心を開いてくれた。 私のアパートに遊びに来る子どもたちは、何もない部屋に驚いたが、家の人には言わないように厳命しておいた。そのうち田中さんや新田さんも加わり、また、寺尾さんや影山さん、井上さんなどと若い女性も来た。さらに原さんや三原さんと高校生も加わり、少しずつ教会らしくなり、夜を徹して福音を語り明かすこともあった。 お金は相変わらずなく、献金も集会所代がやっとという状態だったが、いつも生駒まで歩くわけにもいかず、百貨店の配達をしたりしながら、伝道を細々と続けた。ピリピ人への手紙4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
2007/10/21
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生駒や奈良は長年住んでいるのですぐ分かるが、東大阪市や門真市、大阪市や堺市などエリムキリスト教会に新しく来られた方を訪ねるとき、カーナビを着けた車を運転するので、ものすごく便利になった。知っている地域ではナビ無しでも大丈夫だが、全く知らない土地では時間の節約にもなりありがたい。 人生の道もガイドの手引きがあれば迷わないで生きることができる。昨日出合った30台の美容師は、辰年生まれだから龍の彫刻と、沖縄が好きだからシーサーの像を飾り、店が繁盛するように毎朝お願いしていると自慢そうに話してくれた。 文明が進み知識が増し加わる日本の現実を見た思いで、天地万物の創造者、唯一のまことの神を紹介したが、縁遠い話と思われて残念だった。 生まれる前から選び愛してくださったまことの神、イエス・キリストの十字架によりすべての罪を贖い、神の子としてくださり、永遠の天国に帰るときまで、いつも見捨てずにともに歩んでくださる復活の主にガイドされる幸せな人生を、ひとりでも多くの方に歩んでいただきたいと祈りながらの日々です。「天の虫けら」(30)・・・卒業後の進路 卒業が近づくと、進路に大きな関心が寄せられる。自分のことより同級生のことが気になる時でもある。先輩の3人は、クート師に大いに期待されていた。卒業式で金縁の皮表紙の聖書を贈られ、誇らかに決意表明する先輩たちの姿は、私の目に焼き付いていた。 3人の中でも、村上好伸牧師はもっとも期待された器であり、卒業と同時に大阪市旭区で開拓伝道を始めた。学院の印刷所はフル回転で、天幕集会のビラを惜しみなく印刷し、神学生たちも総出で開拓伝道へ出かけた。最初の礼拝から数十名が出席し、すばらしいスタートだった。 また兄の榮一仰牧師は結婚し、大東市の教会に赴任すると同時に、泉州で開拓伝道の火蓋を切った。 同級生の小林さんは、母校・市岡高校のある大阪市港区で、NTCの開拓教会としてスタートすることが決まった。その伝道からは、当時看護婦をしていた現奈良ベタニヤ教会の吉開稔牧師が救われている。また学生の時から活躍していた原正幸牧師は、同級生の勝子夫人と結婚し、尼崎市でNTCの開拓伝道を始めた。現在は三重県津市で恵まれた牧会を続けている。 私の進路だけが、なかなか決まらなかった。最初は種子島の母教会に帰ろうと思ったが、大阪聖書学院で学んで教諭の資格を取るよう勧められた。何回か聴講したが、ペンテコステ体験をしていた私には少しもの足りなく、断念せざるを得なかった。そこでアメリカへの留学を考え、クート師に相談したが、「聖霊がほんとうにそのように導いているだか」と言われた。何も聞こえず、感じもしないので、聖霊に導かれているとは言えなかった。そうこうしているうちに、大阪救霊会館で働かないかと言う話が持ち上がった。しかし、まだ若いし経験も浅いから無理だという反対意見で、その道も閉ざされた。 結局、卒業と同時に学校に残って教師となる道を、院長が備えてくれた。思いがけない話だったので、自分にはできないと断ると、初めからできる者はないし、できないからこそ聖霊は助けてくれると励まされた。まさしく学院のモットー「不可能は挑戦となる」そのままの教師就任だった。 それ以来今日まで生駒聖書学院を本籍として奉仕を継続している。神のなさることはみなそのときにかなって美しい!ハレルヤ。イザヤ書 30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。
2007/10/20
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昨日は月一回の大阪都ホテル喫茶室での集まり。昨年の6月から続いています。5名の方が受洗しクリスチャンとなり、昨日もキリスト教会は初めてと言う証券コンサルタントの方が参加されました。 コーヒーを飲みながらくつろいだ雰囲気での集まりです。いつもココア(千円)を頼むのでウエィトレスが今日もココアですかと注文をとってくれる。 祈りにイエス様が答えてくださったなど・・・・と体験話を聞きながら過ごす楽しい2時間でした。 今朝は今日の講師が朝早く来てくれるので、近くの喫茶店でモーニングサービスで朝食交わりです。聖書のことばと聖霊に満たされて感謝しつつの日々です。「天の虫けら」(29)・・・素直な祈り 三年生の夏になり、生駒キリスト教会に泊まり込んで奉仕することになった。この教会には一年生のころから派遣されていた。喜島巌牧師は温厚な方で、いっしょに訪問伝道に歩いてくれたり、路傍伝道などを教えてくれたりした。 礼拝の前には消防会館を借りて、日曜学校をした。毎週寝坊の子どもたちを訪ねて起こし、朝九時からの集まりに誘った。子どもたちの中に木平歯科医院の娘、恵巴さんがいた。いつも私が朝早く起こし、自転車の荷台に乗せて日曜学校に連れて来ていた。当時彼女は小学二年生だったが、よく「先生、口を開けて」とせがみ、歯並びの悪い歯を見つけると、「私が歯医者さんになったら治してあげる」と言うのが口癖だった。それから三十年後、ほんとうに歯の治療をしてもらうことになった。懐かしい思い出である。 夏の伝道奉仕は、朝の祈りから始まり、午前と午後は訪問伝道へ出かけるのが日課だ。しかし「ごめんください。キリスト教会です」と案内を請うても、ほとんど「間に合っています」「結構です」と言われるばかり。時には塩を撒かれたり、シッシッとニワトリを追うように手を振られたりと、散々な目にも遭った。そうして毎日歩き回るうちに、靴に穴が開いてしまった。買いたくてもお金がないので、新聞紙を敷いたり、段ボールを入れたりしたが、夕立の後などは悲惨極まりなかった。それでも平気で訪問を続けていたある日、ある家で「どうぞ上がってください」と言われた。うれしかった。やっと聞いてもらえる人に会えたと喜んだが、足元を見て愕然とした。穴の開いた靴に水が染みている。真っ赤になり、玄関先で立ち話することしかできなかった。恥ずかしい。悔しい。惨めさで涙がこぼれそうだった。 重い足取りで帰る時、「求めなさい。そうすれば与えられます」という声を聞いたように感じた。クート院長は、入学した日からいつも、「求めるだよ。祈るだよ。靴のため、帽子のため、シャツのため、何でも祈るだよ」と、口癖のように勧めてくれていた。だが私は一枚のYシャツでも平気だった。夜になると洗面器でジャブジャブと洗い、校庭でくるくる回して水を切り、掛けておけばたいてい朝には乾いていた。乾きの悪い冬の朝も、体熱で乾かしてしまっていた。若さの特権、貧学生ゆえの知恵。一年間シャツ一枚で過ごし、それをだれにも気づかれないようにする秘訣も知っていた。そして祈りは物質を求めるものではない、神との高尚な対話であるなどと主張していた。 教会に帰り、講壇の前にひざまずいて、生まれて初めての素直な祈りを献げた。「天のお父さま。靴が破れました。新しい靴をください。アーメン」。素直に、純粋に求めた。 その夜の集会が終わって部屋に入ろうとしたら、ドアのところに一通の封書がはさんであった。一瞬ラブレターかな、それだったら困ると思い、牧師に見つからないように聖書にはさみ、後で開いてみた。「義之兄へ。このお金はあなたが一番必要なことのためにお使いください」と記されていた。差出人の名前はなかった。あまりにも早い神からの答えに驚きながらも、神が求めに応えてくれたことを感謝し、祈りへの大きな確信が与えられた。 「祈らなくてもその手紙はきっと届いたに違いない。偶然ですよ。長い人生、時にはそんなこともあるものですよ」と言う人もいた。祈らなければ偶然と言われても仕方がない。しかし確かに祈った直後だった。神が答えてくださったのだ。人生を偶然の産物にするか、祈りの答えとして受け取るかは、祈った人だけが知る特権である。その日以来、生涯のすべての働き、必要のすべてが祈りの答えとして、備えられてきたことを感謝している。 いろんなことがあったが、三年間の学院生活は楽しかった。わが青春に悔いなしである。とは言え、歌は相変わらずの音痴だったし、人前で話せば赤面恐怖症で、耳のつけ根まで真っ赤になる。三年間で説教をしたのは、たった一回だけ。その一回も、チャペルの当番で十五分間もらったのに、足がガタガタ震えて、たったの五分間しか話せなかった。 三年間、寛容と忍耐をもって教え導いてくれた院長はじめ、舎監の込山牧師、長曽我部牧師、喜島牧師、安藤牧師、可知牧師、すでに天国に凱旋された為房牧師、村田牧師など、多くの神の器に支えられた献身の日々だった。また、同じ釜の飯を食った小林さん、原牧師夫妻、勝牧師、先輩の村上牧師夫妻、中川牧師夫妻、そして何よりも献身へと導いてくれた兄の榮一仰牧師にも感謝している。さらに後輩の三坂牧師や黒石牧師夫妻、奈良崎牧師夫妻、教師としての最初の授業を忍耐をもって聞いてくれた向牧師夫妻や、前川牧師夫人などにも、いくら感謝しても感謝し足りない。ヨハネの福音書15:7 しかし、もしわたしのうちにとどまり、わたしの命令に従うなら、何でもほしいものを求めなさい。 きっとかなえられます。 15:8 わたしのほんとうの弟子は、実をいっぱい結びます。 そのことによって、父が大いにほめたたえられるのです。 15:9 父がわたしを愛してくださったように、わたしもあなたがたを愛しました。 わたしの愛のうちに生きなさい。
2007/10/19
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昨日は三菱京都病院まで退院者を車で迎えに出かけた。10日間の入院だったが元気で退院。入院するまでの不安がすっきりなくなり、若返ったように輝いていた。自宅の近くで軽く昼食をとり「懐かしい!」との声とともに家に入る姿は、ほんとうに嬉しそうだった。 喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しめと聖書にあるが、喜びの日に悲しみに日に常に共にいてくださるイエス様を紹介できることを感謝し、そのような心を少しでも持てる牧師でありたいと願いながら、大阪エリムの集会の出かけた一日でした。「天の虫けら」(28)・・・悔い改め 次の日もその次の日も、授業もチャペルもなかった。先輩も同級生も後輩たちも、舎監の込山牧師にとりなしを依頼して、院長の下へ悔い改めに行き、許されてそれぞれの活動に戻っていた。 私一人事情を飲み込めないままでいたが、同級生で十歳上の小林佐平さんが、「義之君、君が問題の元凶なんだよ。悔い改めなければいけないのは君なんだよ」と忠告してくれた。村田牧師に私が話した要求がいけなかったらしい。何でも話しなさいと言うので、思っていることを純粋に話しただけなのに、なぜ悔い改めなければならないのだろう?私には理解できなかった。 昼食も食べず、学院の裏山へ出かけた。いつも一人で歩く山道を登り、落ち葉が舞う日だまりに腰を下ろした。みんなのためを思って話したのに、迷惑をかけているようだ。私が学院を辞めれば、この問題は解決するだろうか?いや、良い知らせを伝える足として召されたのに、自分が納得できない理由で辞める必要はないはずだ。かと言って、クート院長が辞める理由もない。でもこのまま授業がストップし、明日の日曜学校の時も外出禁止だったらどうしようもない。 考えるのが面倒になり、落ち葉の上に寝ころがり、雲一つない青空を眺めていた。静かになった心に、聖霊の語りかけを聞き、クート師のことを思った。 二十二歳の時にシベリヤ鉄道で来日、日本で十字架の福音を聞き、生まれ変わりを経験した先生。五年前の社長秘書としての契約が切れるとともに、独立の宣教師として日本に残り、ただ神様だけを頼りにして、西洋キツネ憑きとあざ笑われながら、異言の伴う聖霊のバプテスマの真理を掲げ、ペンテコステ信仰を旗印に、不可能をチャレンジとしてきた神の器。関東大震災の悲惨さにもくじけず、関西に導かれ、ここ生駒に五〇〇〇坪の敷地を取得し、信仰だけで聖書学院を建て、戦争中はアメリカに渡り、そこでも聖書学院や教会を建設した器。戦後はいち早く来日して学院を再開し、大阪救霊会館を建て、三六五日休む間もなく伝道に次ぐ伝道の日々を過ごし、ただ全能の神だけを頼りに、支援者もなく信仰だけで生きている。糖尿の身体にむち打って、朝早くから神学生を養成し、日本のリバイバルだけを願って、生涯を燃焼している器だ。 院長のことを考えるうちに、不覚にも涙がほほを伝っていた。「主よ、お赦しください。理由はどうであれ、私のことばや態度が、このような事態を引き起こしてしまいました。悔い改めます。院長が学院を辞めなさいと言えば、無条件で従います」と悔い改めた。 学院に戻り、スッキリした気持ちで舎監に事情を話した。クート師は「分かればいいだよ。私はあなたを赦します」と、謝罪を快く受け入れてくれた。そして、学院の歴史始まって以来の、これからも決してないであろう不測の事態に、終止符が打たれた。 その日以来、クート師は厳父のように私を訓練し、慈母の愛で指導してくれた。授業の時はいつも「義之兄弟、聖書のどこに書いてあるかね」と尋ね、また私が何かやろうとすると「聖霊がほんとうに導いているかね」と心の奥底まで見透かすように動機を探ってくれた。そして「伝道するだよ。伝道しないなら、あなたの若いいのちを私がもらうだよ」とチャレンジを繰り返してくれた。師からの最後の手紙には、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える」(詩篇2:7,8)と、聖書のことばが書いてあった。 私は今、この偉大な慈父のようだったクート師が創設した生駒聖書学院の院長として、その働きを継承している。この恵みをどのように表現したらよいだろうか。ローマ書 2:1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。 2:2 私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。 2:3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。 2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。 2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。 2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。 2:7 忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、 2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。 2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、 2:10 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。 2:11 神にはえこひいきなどはないからです。
2007/10/18
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先週火曜日に手術を受けた方が今朝の退院になり、まだ術後の経過を見守る必要もあり、家族が仕事などの都合で迎えにいけないので、変わりに迎えに行くことにしました。 病室を朝のうちに明け渡さなければとのこと。大きな病院だがホテルのチェックアウトより早い時間の退室だなと思いながらです。 毎日よとりの一万歩!と決めて歩き始め、今日で5年目に入ります。4年間一日も休むことなくと書きたいけれども、一日だけどうしても歩けずベッドの中の日があったが、それ以外は救急車で運ばれた時(2回)も、雨の日も雪の日もアフリカでも行く所どこででも歩き続けました。自分で決めたことだからただ歩いているだけですが・・・・。感謝です。「天の虫けら」(27)・・・事件の発端 2年生の2学期のことだった。学院には強制自習の時間があり、全学生教室に集まり、舎監の監督の下で過ごすことになっていた。その夜は、軽井沢のキャンプ場へ招いてくれた村田牧師が、自習している教室に入ってきた。「みなさんは、院長に話したいことがあるはずです。けれどもクート先生はイギリス人ですから、直接は言い難いと思います。私がよく話しますから、不満や要求があったら話してください。今夜は自習をやめて話し合いの時間にします」ということだった。 だれにでも不満はあり、言いたいこともたくさんあると思ったが、先輩たちは何も言わないし、学年長も黙っている。同級生も後輩も沈黙している。 自分は純粋に受け取ったつもりで、私が口火を切ってしまった。聖書をもっと知りたい、英語もギリシャ語もヘブル語も、教養的なことも、釈義学も考古学も、組織神学も歴史も、説教学も牧会学もと、次々にまくし立てた。普段はあまりしゃべらないが、共産主義の父に育てられ、議論することも知っていたし、論理的にも少しは鍛えられている。ただ話さないだけ、どうでもよいことはどうでもよいからむだ口を叩かないだけで、本質は厳しい自分が、突然目覚めてしまったのだ。 そう言えば、中学3年生の時、英語の授業が面白くなくて、倉庫に3日間も閉じこもって、教師や担任を手こずらせ、校長先生まで引っぱりだしたこともあった。クリスチャンになり、平和が心を支配し、感謝に満ちていたはずなのに、いっきょに不満が爆発してしまったのだ。そして、自分では思っていなくても、日ごろ学生同士で話していることまで、何もかもぶちまけてしまった。 何でも話せと言われたので、本音で話したつもりだったが、翌日から学院は大騒ぎになってしまった。 朝のチャペルの時間、クート院長は突然「今日からこの学院を閉鎖します。授業はありません。外出も禁止します。集会にも行かなくてよい。食事だけは用意するが、なぜこのような処置をするか、祈ってよく考えなさい。聖書に示されたら悔い改めなさい。悔い改めができた人はいらっしゃい。赦してあげます。義之は学院を辞めなさい。あなたがやめなければ、私が辞めます。以上」と言った。そしてそれだけ言うと、恐ろしい顔で私をにらみつけて出ていった。 チャペルは騒然となった。私一人が何が何だか分からず、平然としていた。みんなの視線は気になったが、何が起こったのか分からないので、チャペルを出て食事をし、久しぶりに聖書をゆっくり読めると喜んでさえいた。マタイの福音書18:15 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。 18:16 もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。 18:17 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。 18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
2007/10/17
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民営化された郵便局へ昨日初めて行きました。振り替えを長いこと放置していたので、ついでに引き出そうと番号札を取ると、待ち時間が20分ほど。どうしようかと思ったがせっかく来たのだからと待機。 どれくらいの入金があるのか不明だったが、少し大きい額を書いて窓口へ行き、こんなにはないと思いますがと言うと、すぐ分かりますよとのこと。調べてもらったらほんの少しのお金しか残っていなかった。払い出し証に訂正印を押して全額引き出すことができたが、窓口で予想より少なかったと笑いながら言うと、次回はどうぞたくさん下ろしてくださいとほほえみ返された。少々照れくさい窓口でのひとときでした。 今日の天の虫けらは、神学生時代の軽井沢の夏です。今年は軽井沢へ3回も出かけたがいつも日帰りでした。一番優雅に過ごした夏の思い出です。「天の虫けら」(26)・・・軽井沢の夏 二年生の夏が来た。学院は休暇中は院内に居住することが許可されず、自分で伝道期間をすごさなければらない。故郷は遠く、母教会にも受け入れてもらえない。祈った時ふと、種子島でバプテスマを授けてもらった牧師が、対馬でヨット伝道をしている姿を、写真入で紹介した記事を思い出した。ここだと確信して手紙を書いたが、待てど暮らせど返事はない。夏期休暇も目の前に迫り、困り果てていたら、時々クート師の通訳や講義に来ていた村田牧師が招いてくれた。軽井沢のキャンプ場を手伝わないかというのである。 夏の間、白樺やカラマツの中で過ごし、浅間山に登ったり、島崎藤村の「千曲川旅情の詩」を口ずさみながら、時間を見つけては散策したり、無許可でバイクを乗り回したり、楽しい夏休みを過ごすことができた。もちろん遊んでばかりいたのではない。キャンプ場の炊事係りや雑用をし、朝も昼も夜もジャガイモの皮むきと、涙を流しながらタマネギ刻みに精を出した。 そのキャンプ場で、アッセンブリーの白石禎男牧師に会い、東京へ出てくることがあったらいつでも訪ねるよう言われた。そのときはそのことばに甘えることになろうとは、考えもしなかった。 十月になり、ボブ・ピアス・クルセードが東京で開催されることになり、三年生は参加してよいという許可が出た。二年生には許可が出なかったので、院長に直談判したら、自分で交通費、宿泊費すべてを準備できれば参加してよいとの許しがやっと出た。 許可を勝ち取ったまではよかったが、文なしでどこにも頼れない。四方八方ふさがり、途方に暮れた。東京へ行けると喜んでいる同級生を見ると、お金がないのが悔しい。必死で祈った。何とか各駅停車で東京まで行く旅費は工面できたが、食事代も宿泊費もない。そこで白石牧師に手紙を書くと、泊めてくれるという返事が来た。しかし会場で待ち合わせをしていたのに、何千人もの会衆の中では会うことができず、電話をかける知恵もなく、一晩中皇居の周りを歩き続け、警察に不振がられた。しかし、お金がなく歩いている神学生だと分かると、同情して交番で熱いお茶を飲ませてくれた。三十七年後にその交番を訪ね、若いお巡りさんにお礼を言ったら、不思議そうな顔をしながらも喜んでくれた。 翌日、白石牧師は心配して会場中を捜してくれ、その夜から品川ベテル教会にお世話になった。そのうえセミナー費まで出してもらい、牧師研修会にも参加できた。 学院の生活は楽しかった。生駒聖書学院は荒野だとよく聞いたが、荒野ではなくエデンの園のようだった。食事も寮も完備している。自分で大根の葉っぱを買って、自炊しながら高校へかよっていたころに比べると、天国みたいだなと思った。ただ献身者は男女交際がご法度なので、ガールフレンドたちには手紙を出さないように全部断った。それでも自分はすべてを捨てて神に従ったのだという深い感謝があった。そしてあれだけ好きだった本も読まず、ただひたすら聖書を読み続けた。テモテへの第二の手紙 3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 3:13 しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。 3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
2007/10/16
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昨夜は夕食をしたので堺の礼拝からの帰宅が珍しく遅くなった。シャワーで一日の疲れを洗い流し、イエス様の愛と恵みに感謝して熟睡。 朝の目覚めとともの窓の外をみると(夜眠るときもカーテン開けっ放しの部屋なので)、すっかり秋の空になっている。思わずハレルヤと叫び、主が造られた新しい日のスタート。 月曜日はチャペルが午前8時30分より始まる。今日も元気で力いっぱい聖霊に満たされて前進!「天の虫けら」(25)・・・殺人犯を導く 聖霊のバプテスマを経験した翌日、大阪救霊会館に伝道に出かけた。神学生全員が、個人的に新しい方々と話をしていた。ふと気づくと、目の前に一人ポツンと取り残された男がいた。私が知っている聖書のことばは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)だけだったが、思い切って近づき、話しかけてみた。相手の目を見る勇気もなく、ボソボソと説明し、言うことがなくなったので、顔を上げてみると、男は泣いていた。あわてて「イエス・キリストを信じませんか」と言った。何と彼は、イエス・キリストを受け入れる祈りをともにしてくれた。 それから三ヵ月後、千葉の刑務所から一通の手紙が来た。あの夜、イエス・キリストを信じますと告白した男からだった。彼は神奈川で板前をしていた時、ちょっとした言い争いがもとで、刺し身包丁で相手を殺して、大阪へ逃げてきた殺人者だったのだ。 イエス・キリストの十字架の救いを信じて、神の愛の赦しを受け入れ、自首した旨がしたためてあった。自分が経験したことがなければ人の気持ちが分からないと、今まで散々言われていたが、人を殺したことがなくても、殺人者を救いに導くことができたのだ。それは、自分の経験や知識ではなく、神のことば、福音が人を救う力であることの、新しい発見だった。種子島で電報配達をしていた時のことを思い出し、良い知らせを伝える足として、今こそ福音に仕えるのだという、新しい献身のスタートとなった。「神のことばは生きていて力がある」(ヘブル4:12)と聖書は証言しているが、まさしくそのとおりである。イエス・キリストのことばこそ、天地が過ぎ行くことがあっても、変わることのないいのちのことばなのだ。 聖書が神のことばであることを、知識的に学んだだけでなく、必死で年間四回通読する中で、聖書のことばを語る時に人々が救われるのを体験できたのは、大きな喜びであり祝福であった。そして神が召してくださったのは、ただ良い知らせを伝えるためであり、それこそが自分に与えられた使命であることが分かり、それが伝道生涯の秘訣となった。ルカの福音書 4:18 -19「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。 主は、貧しい人たちにこのすばらしい知らせを伝えるために、 わたしを任命された。 主はわたしを遣わして、 捕虜には解放を、 盲人には視力の回復を告げられる。 踏みにじられている人を自由にし、 主の恵みの年を告げられる。」
2007/10/15
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今年の3月、堺市南瓦町に新しいキリスト教会が完成した。思いがけずも3年間無償提供との申し出を受け、3月4日の日曜日からスタートした。阪神高速道路を出るとすぐかに道楽の店。その前のJP堺郵便局の西隣にある新築のマンション、SAKAI SHALOMの2階がきれいなチャペルだ。今日も午前10時はインターネット中継礼拝。大阪エリムの礼拝を終え午後5時半から堺エリムの礼拝へ。 屋根とマンション壁面には大きな十字架が夜になると美しく輝き始める。入り口に小さくエリムキリスト教会の表示。思い切って案内板を2枚看板屋さんで作成してもらい、昨日完成したので今朝から置いたので、マンション入り口と別の玄関なのですぐ分かるようになった。感謝!「天の虫けら」(24)・・・聖霊のバプテスマ 力が欲しい。自由が欲しい。もっと大胆に、もっとおおらかに、良い知らせを語りたい。何度も願った。やがて聖霊のバプテスマという体験があることを教えられた。イエス・キリストが天に帰られる時、「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。...聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:5,8)と約束されたのである。 高校生の時に水のバプテスマを受けたので、自分では聖霊のバプテスマもいっしょに受けたと思っていたが、どうもペンテコステ教会ではそのようには考えていないことが分かってきた。聖霊のバプテスマを受けると、異言を語るという証拠が伴うという。それで祈りの時、あのわけの分からないことばをしゃべっているのだということも、だんだん理解できるようになった。しかし私自身は、異言を語る必要はないと思っていた。聖霊を受けると力が与えられることはすばらしいが、異言は困る、語りたくないというのが率直な思いだったのだ。それにいくら異言を語っていても、礼拝が終わって、人の悪口や否定的なことば、つまらない冗談や軽口、だじゃれを言うくらいだったら意味がないと、否定的に考えていた。 六月に入って、神学生だけの祈り会が開かれた時のことである。司会者の先輩が、「今夜は聖霊のバプテスマを受けていない兄弟のために祈りましょう。受けていない人は前に出なさい」と勧めた。 異言を語る聖霊のバプテスマの体験がない神学生は二人いたが、もう一人はその場にいなかった。しかたなく、しぶしぶ前に進み出た。「この兄弟のために今、手を置いて祈りましょう」との声と同時に、みんなが私を囲んで祈ってくれた。だが当の私自身は、黙っていればあきらめてやめるだろうと考えてじっとしていた。そして心の中では「神よ、早くこの時間を終わらせてください」と祈っていた。 その時、不思議な気持ちになった。理性では否定しているのに、お腹の底で何かが弾けるような、わき上がってくるような気持ちになったのだ。何もかも任せてゆだねてよいような感動に満たされ、思わず口を開いた。今まで語ったことのないことばが、くちびるからあふれた。熱い感動とともに、聖霊が全存在を包み込み、腹の底から生ける水の川が流れ出るようだった。そして異言だけではなく、預言のことばも自由に語っていた。その時預言したことは、今となってはほとんど忘却の彼方であるが、それでもおおかた実現しているように思う。 聖霊は現実のお方であり、パラクレイトス(助け主)である。真理の御霊、神の霊、キリストの御霊、自由の御霊。聖霊によって神の愛は注がれている。そして信じる者は聖霊によって喜び、聖霊によって自由とされ、聖霊によって新たにされていく。人知をはるかに超えた聖霊の世界を飛翔する恵みを体験できるのは、クリスチャン生涯の宝である。 翌朝、お手洗いでクート院長と出会った。「義之兄弟、聖霊を受けただね」とのことばに、「どうして分かるのですか?」と尋ねると、「顔を見たら分かるだよ」と言われた。聖霊が来る時、目に入るものがみな輝き、力が与えられ、人生が輝くようになることを体験した。聖書が開かれ、祈りも自由になった。人を赦し、受け入れることが容易になった。イエス・キリストをあかしすることも大胆になった。使徒の働き 19:1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。 19:3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。 19:4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。 19:5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。 19:6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
2007/10/14
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今朝は昨夜早く寝たので4時に目覚め、真っ暗闇の中を散歩に出かけた。シンとして物音一つしない田んぼ道や川のほとりを、「主にすがる我に悩みはなし 十字架の御許に荷を下ろせば 歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を」と愛唱の聖歌498番を高らかに?と思いつつ口ずさむ。 東の空が白みかかる頃、1万歩を終え帰宅。メールに目を通しシャワーを使い、新しい恵みのスタートです。 「天の虫けら」(23)挫折感の襲われる 生駒聖書学院での生活は、祈りと聖書の学びが中心である。私が来た卒業式の日以来、何と入学式後も継続し、四月から六月まで集会が続いた。伝道会に次ぐ伝道会、路傍伝道から天幕集会。中でもフェスティバル・ホールで三週間にわたって行なわれたボブ・ピアス・クルセードはまさにリバイバル状態で、最後の夜にはホールに入りきれない人々が、肥後橋のたもとに鈴なりになるほどだった。 そんな中で私が困ったのは、救いのあかしをする路傍伝道の時間だった。「私はこの手で何度も人を殴りました。両手に手錠をかけられ、浪速警察に連れて行かれたことは数知れず...」とか、「競輪、競馬、酒、タバコ、パチンコ。道楽の中に浸りきっていたが、イエス・キリストの十字架を信じて救われ、今は幸せです」。「虚しい心で、赤いネオン、青いネオンの下を、靴がすり減るほど、幸せを求めてきました」。「私は罪深い人間です。こんな私のために主は死んで下さいました」。次々に立って体験を語る先輩や同級生たち。 司会者が突然、「今度は若い兄弟に体験を語ってもらいます」と私を指名する。みかん箱の上に立つと、顔だけが赤くなり、かろうじて蚊の泣くような声で、「私は十六歳の時、種子島の教会で、イエス・キリストを信じて救われました」と言う。そのうちに集まっていた聴衆が一人去り、二人去り、いつしかいなくなってしまう。 反省会では、「救われた体験を話せ」「酒を飲んだことのない者に酒飲みの気持ちが分かるか」「もっと人の心を打つようなあかしをせよ」と怒られっぱなしだった。キリスト教は悪いことをしないと救われないのかと思ったり、散々だった。何しろ種子島には、きらめく星空はあっても赤いネオンはない。透き通るような青空はあっても、失望に襲われたこともあまりない。人を殴ったこともなく、勉強が嫌いなわけでもなく、失恋したこともない。みんなのしたような体験が私にはほとんどなかったのだ。 十六歳のあの日、イエス・キリストが十字架に死なれ、墓に葬られ、三日目に復活した救い主であることを聞いた時、心が震え、自分の罪を示され、「十字架の血にてきよめぬれば、来よとの御声をわれはきけり。主よ、われはいまぞゆく、十字架の血にて、きよめたまえ」と賛美しつつ決心したことは、だれにも否定できない事実である。その日の午後に種子島の澄みきった海で、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けたことも事実である。そのことを自由に話せない自分が情けない。大胆に語れない自分を哀れに思った。ハバクク書3:17 いちじくの木が枯れて花も実もつけず、オリーブの木も実りがなく、畑が荒れたままになっても、また、羊の群れが野で死に絶え、家畜小屋が空っぽになっても、 3:18 私はなお、神様を信じて喜びます。 私を救ってくださる神様に感謝します。 3:19 神様は私の力です。 神様は私を鹿のように速く走れるようにし、山々を安全に越えさせてくださるのです。
2007/10/13
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昨日は京都市西京区の三菱病院までお見舞いに出かけた。手術が終わった翌日だだったがお元気で、ハレルヤの声に迎えられてきれいな個室で回復の祈りをともに祈った。 イエス様のも一つの呼び名は、インマヌエル「神が私たちとともにいます」だ。手術で入院しているときも、不安や恐れがあるときにも、試練や問題で悩むんでいるときにも、インマヌエルの主がおられる! 大きな仕事や大事な問題を処理するときにも・・・・。いつでもどこでもどんなときの、インマヌエルであるイエス様がともにいて助け、慰め、力を与え支えてくださいます。「天の虫けら」(22)・・・生駒聖書学院へ 大阪駅には兄が出迎えてくれた。2人で近鉄電車に乗り換えて生駒に向かっていた時、兄が突然「義之、ヨハネ3章16節を暗唱聖句で言ってごらん」と言った。私には言えなかった。覚えていなかったのだ。「そんな知識でどうするのか」と叱られ、恥ずかしさで真っ赤になった。種子島での決意が、ガラガラと音を立てて崩れ去るようだった。 生駒聖書学院に着くと、予想に反して見すぼらしい建物で、少々落胆した。どう見ても学問の府には見えない。けれども輝くような笑顔の女性たちが、「ハレルヤ!」とあいさつしてくれた。 すぐに薄暗い男子寮に案内された。ここは勉強するところではないのかも知れないと失望し、落胆しかけた時、その薄暗い寮に元気いっぱいの明るい声が響いた。先輩の村上神学生だった。そして私を力強い握手で迎えてくれた。ちょうどその日の夜、大阪救霊会館で公開の卒業式が行われるとのことで、案内を約束してくれた。 夕方、上本町から市電に乗って天王寺まで行き、ジャンジャン横丁を通って、大阪救霊会館に着いた。ホルモン焼きの香りに混じって、汚れた臭いが漂っていた。大阪に着いた最初の夜だというのに、それだけ度肝を抜かれるようだった。 どんなに厳粛な式が始まるのかと期待していたのに、卒業生4名だけの卒業式だという。大きな体の外人が登場すると、「皆様よ!賛美していらっしゃいませだよ!」と号令をかけるような大声で叫んだ。すると大太鼓が響き、100人を越える会衆が大声を張り上げて、手を打ち鳴らして歌いはじめた。 種子島の母教会は人数も少ないが、とても静かで紳士的な教会で、静かな声で上品に賛美歌を歌っていた。「聖歌」なるものを聞いたのも初めてだったし、大声をあげ手を叩いて歌う姿には仰天した。兄からは「どんなことを見ても聞いてもつまづかないようにしなさい」と言われていたが、その心得を教えられていなかったら、逃げだしていたことだろう。 でもまだ序の口だった。もう一度あの外人の変な日本語が響きわたった。「皆様よ、手を上げて賛美していらっしゃいませだよ!」 同時に、参列者が両手を天に向かって差し延べると、なにやらわけの分からない大声で祈り始めた。私は腰が抜けそうなほど驚いた。これがキリスト教か、異端だ、間違った所へ来てしまったと思い、それから続く説教も、卒業生の決意表明も、何もかも耳に入らなかった。 さしもの長い集会も終わりに近づき、兄があの変な日本語を語る外人に、「クート先生、弟の義之です」と紹介してくれた。クート師は大きな手で握手をし、「良く来ましただ」の一言だけ。けれどもその暖かさ、いのちの温もり、包み込むような大きな信仰の姿に、私は胸を打たれた。来て良かった。献身して良かった。これから良い知らせを伝えるために勉強するぞ。揺らぎかけていた私の決意は、この出会いで再び固まった。 その日以来、「聖書を読むだよ。祈るだよ。聖霊に満たされるだよ。伝道するだよ」と幾度も聞き続け、今は自分が同じことを神学生に勧めていることを思う時、出会いの不思議さに驚き感動するばかりだ。 ここで、恩師レオナード・W・クート師のことを少し紹介したい。 彼はイギリス人である。ラックスの石鹸会社の社長秘書として22歳で来日し、日本でイエス・キリストの救いを体験した。そして異言のしるしが伴う聖霊のバプテスマを受け、「日本とペンテコステのために、イエス・キリストの来る日まで」との強い召命で、ペンテコステの牙城を築いた。関東大震災に遭ってすべてを失ったが、大阪に導かれ、生駒聖書学院を創設。第二次世界大戦中は、夫人の国アメリカで、日本から来たスパイと言われながら、インターナショナル・バイブル・カレッジを設立し、さらに戦後は韓国やフィリピンにまで神学校を設立した、パイオニア的人物である。日本の救いへの情熱止みがたく、日本で約55年間を過ごし、「前進せよ!」とのことばを遺して78歳で召されるまでのその生涯は、まさしく神の人と呼ぶのにふさわしいものであった。若い日にこのような信仰の人に出会え、その薫陶を受けたことは大きな祝福であったと感謝している。(その生涯は『不可能は挑戦となる」という自叙伝にある。) マタイの福音書 1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。 1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。 1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) 1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
2007/10/12
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ホーム > コラム > 記事 印刷をする この記事をメールで送る 昨日訪ねた店の店長と握手をして、店の繁栄と来客の皆様の祝福、そして彼女の健康と幸せを祈ったら、アーメンと応答してくれました。アーメンと言えば救われると確信しているので、イエス様を心に受け入れ信じるように勧め、またいっしょに声をだして「イエス様信じます。アーメン」とお祈りしてくれました。 今日午前中の講義が終わり、昼食後京都市内の病院で昨日手術を受けた方を見舞います。毎日、いろいろある日々ですが、イエス様の助けと力で感謝しながらです。「天の虫けら」(21)・・・召命榮義之牧師 二月のある昼下がり。久しぶりに開拓の労働が休みで、山に薪を取りに行った。そのころ私のポケットには、いつも新約聖書が入っていた。日だまりの中に座り、聖書を取り出して、いつものように読みはじめた。その時、一つのことばが目に飛び込んできた。 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ローマ10:13ー15) この聖書のことばが心を捕らえ、私は引きつけられてしまった。電報配達をしていたので、意味もよく分かった。どんな立派な家でも、真夜中でも、「電報です」と叫べば、必ず出てきてくれた。「何だ。お前まだそんなに若いくせに。もっと学識のある者に電報を持ってくるように言え。俺は受け取らないぞ」などと言われたことは一度もない。持っていった内容がうれしい知らせなら喜んでくれたし、悲しい知らせの時は持っていくのも辛かった。 「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」。良い知らせをまだ聞いたことのない人に知らせるのだ。主は今、呼んでいてくださるのだ。これが神の召しなのだという思いが来た。もう迷わなかった。十字架にいのちを捨て死んでくださったイエス・キリストに生涯を献げるのだ。その良い知らせを伝えるために、献身しようと決心した。 父に決心を語り、牧師に相談し、校長に会いに行った。まだ早い、何とかして高校の学びを続けるよう、みなに説得された。確かにそのとおりだとも思ったが、良い知らせを伝えたいとの思いのほうが強く、思い切って退学した。 牧師に推薦状を書いてもらった。父は別れの日、送別の讃美歌を歌わず読んだ。小さなトランク一つに聖書一冊と少しばかりの着替えを詰め、学生服を着たまま、靴も一足の着たきり雀で、献身の道を歩きだした。無謀とも思える決断だった。 西之表港から鹿児島に向かう連絡船上で、池田牧師の投げたテープをしっかり握り、遠くで手を振るガールフレンドにさようならを告げた。これから行く所がどんな所かも知らないで、ただ「良い知らせを伝える足」になろうとの思いだけの旅立ちだった。 イザヤ書 52:7 良い知らせを伝える者の足は 山々の上にあって、なんと美しいことよ。 平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、 救いを告げ知らせ、 「あなたの神が王となる」と シオンに言う者の足は。 52:8 聞け。あなたの見張り人たちが、 声を張り上げ、共に喜び歌っている。 彼らは、主がシオンに帰られるのを、 まのあたりに見るからだ。 52:9 エルサレムの廃墟よ。 共に大声をあげて喜び歌え。 主がその民を慰め、エルサレムを贖われたから。 52:10 主はすべての国々の目の前に、 聖なる御腕を現した。 地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。
2007/10/11
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昨日は11月放送分録音のため、朝日放送スタジオへひとりで出かけた。警備員さんともおなじみになり、駐車場のスペースがなかったが玄関前に駐車するスペースを見つけてくれて滑り込みセーフ。駐車場の祈り?はここでも聞かれていた。感謝!毎日いろんなことがあるが神様の恵みの中ですべてが感謝しかえられていく・・・・。 何事であれ、」イエス様のお名前によってお願いします。アーメン」と「祈ります。祈りお終えたら必ず、「信じます。ありがとうございます。祈りは答えられました。感謝します。神の栄光のために!アーメン」と感謝します。そのような素直な心で疑わずお祈りしてみませんか。毎日奇跡を体験しつつ心楽しく生きてください。祝福を祈ります。アーメン。 「天の虫けら」(20)・・・献身の勧め 兄の手紙は相変わらずだった。その執拗とも思える献身の勧めに辟易(へきえき)するとともに、自分は牧師になどなれるはずがないと思っていた。 母教会の池田牧師は、大阪聖書学院を卒業して種子島に赴任してきた。賢明でハンサムだし、奥様も美人で、二人とも音楽家である。しかも字も絵も上手で、人格識見ともに優れた牧師だった。私はそんな池田牧師を見て、「牧師ってすごいな。何でも出来るし、いつもニコニコして穏やかで、話も上手だ」と、いつも感じていた。 それに比べて、私はどうだろう。兄は牧師になれと勧めてくれるが、歌は折り紙付きの音痴。字は下手。絵も書けない。運動も大の苦手。そして何よりも話すのがダメ。しかも人間嫌いときている。みんなといっしょにいるよりも、独りでいるほうが多い孤独な性格。それにまだ高校休学中の身、知識も学問も身に付いていない。とても無理だ。そういえば子どもの時から、教師と坊さんと自衛隊は嫌いと公言してきた。そのような者がどうして牧師になどなれようか。なれるはずがないし、なろうという気にもなれない。マタイの福音書 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
2007/10/10
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昨日は朝早く少し降り始めた雨の中を大阪クリスチャンセンターでの祈り会に参加。朝食はサンドイッチとプリンとコーヒー。久しぶりにたくさんの朝食・・・・。 帰宅後、小さな結婚式を司式。新郎新婦とそれぞれの家族みんなで8名。28歳の新郎は11年前母親を亡くし、叔母様が母親代わりに出席し、ほほえましい家族だけの式でした。 雨が降り続け、今朝は少し冷たさを感じるほど涼しい朝。今日から古い家を一軒解体するので雨が上がったらいいなと思いながらの新し日のスタートです。「天の虫けら」(19)・・・再臨を恐れる そんなある日、激しい開拓の野良仕事を終え、郵便局の夜勤に向かう途中だった。山道を自転車で上り切り、ホッと一息ついた時、異常なまでの静寂と、あかね色に染まる夕空に、聖書のことばがフッと思い浮かんだ。 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。(マタイ24:27) と同時に、何といなずまが東の空から西にひらめきはじめた。瞬間、「再臨だ」と思った。イエス・キリストが雲に乗って来られるんだ。このごろは教会の礼拝にも行っていない。聖書も読んでいない。祈りもしていない。ひとりは上げられ、ひとりは残される...。 道の真ん中に自転車を止め、両手を夕焼け空に向かって差しのべた。いなずまはひらめき続けるが、いつまでも身体は上に昇っていかない。冷や汗が流れた。再臨の主に会えなかった。残されたのだ。必死で自転車を走らせ、西之表キリスト教会の電話を回した。電話口に出た池田牧師に、何かわけの分からないことを口走った。強烈な体験だった。 再臨に残されたくないとの恐怖心で、関西聖書協会の大型聖書の広告を見てさっそく購入し、真剣に読み、祈った。教会まではバスで一時間だが、お金を節約するため約二十キロの道のりを四時間以上かけて歩き、礼拝にも時々出席した。テサロニケ人への第一の手紙 4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。 4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。 4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
2007/10/09
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爽やかな秋、朝の気温は15度くらい!大きな民家の軒先から金木犀の香が漂い、あの家もこの家からもの香に包まれて朝の散歩を続けている。 今朝は、玉造の大阪クリスチャンセンターで毎週行なわれている朝祷会説教に、副院長が招かれているので祭日の月曜日、学院チャペルも無いため参加しようと思う。朝7時から30分、8時まで朝食会。出勤前の1時間のひと時、祈りと聖書のことばとクリスチャンとの交わりでスタートする。大阪城学院となりにあり、早朝の時間で生駒から車で30分ほどで着ける距離だ。 帰宅後の午前中に結婚式を行なうので、体育の日の祭日だが相変わらず充実した一日になる。ありがとうございます!すばらしい充実の一日でした。感謝しますと祈りつつの朝のスタートです。「天の虫けら」(18)・・・ウナ電 家に帰ると、さっそく仕事を探した。しかし十六歳の少年にできる仕事はほとんどない。近所の仲さんが見かねて、新しい田んぼの開拓作業に雇ってくれた。朝八時から夕方の五時までの肉体労働で、つるはしやくわを使って新田を開く作業である。土をもっこに入れて担ぎ、泥だらけになって働いたが、収入は父と弟の食事代にもならなかった。 特定郵便局の上妻局長が見かねて、夜勤をさせてくれることになった。ウナ電(至急電報)が来た時だけ配達すればよい仕事だ。日中は土方、夕方六時から朝の六時までは郵便局。朝から晩まで、晩から朝までの労働に明け暮れたが、収入は知れたもの。ほとんどが食料を買うお金に消えていく。悔しいけれど、どうすることもできない。ただ闇雲に泥だらけになって働くだけだった。夜は郵便局で教科書を開こうとするが、昼間の疲れでウトウトしてしまう。これではいけないと思いつつも、どうすることもできない。そうこうしていると、電報が来る。六キロも先の万波村だ。真っ暗闇の中をランプも付いていない自転車をこぐ。 「電報です!」と真夜中にドアを叩いても、なかなか起きてはくれない。泣きたくなる。それでも良い知らせの時は、お茶やお菓子まで出して、「義之さんも大変だね。がんばってね」と優しく声をかけてくれることもあった。そんな優しい声に送られてこぐ帰路の自転車は軽かった。 秋が過ぎたころから、生駒聖書学院に入学した兄の手紙が、頻繁に届くようになった。書いていることはいつも同じで、「生涯を献げて献身し、将来は牧師になるように」との勧めだけである。兄さえ、その献身なるものをあと一年遅らせてくれたら、休学しなくてもよかったのにと、悔しさに手紙を破り捨てたこともあった。しかし、人それぞれに導かれた道があるから、兄は兄、自分は自分だ、人のせいにして当たり散らしてもどうにもならないと思いを変え、クリスチャンの端くれとして、兄がすばらしい牧師になれるよう祈った。 ペテロの第一の手紙5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
2007/10/08
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昨日の朝、新しいクリスチャンが誕生しました。イエス様が「信じてバプテスマを受ける者は救われます」と命じたように、アーメン。信じますとイエス様を心に受け入れ、そのことをバプテスマによって確実なものにします。 「アーメン。信じます」とイエス様を受け入れるのは、プロポーズに答えて婚約をし、結婚式で正式に入籍することにたとえることができます。 イエス・キリストを信じる人生はやり直しではなく、生まれ変わりの人生。洗礼はその誕生の喜びです。ハレルヤ!「天の虫けら」(17)・・・決心 夕日が東シナ海を染めていた。イエス・キリストを信じて八ヶ月目の六月、不思議に落ち着いた気持ちだった。決断を下す時が来たようだ。二年生になった時から胸の中にわいていた思いが、一つの方向に定まってきた。 高校を休学する。それは考えたくないことだった。学校が好きだし、勉強も楽しくなり、友人もたくさんいる。クリスチャンとして学校中に知られ、教会に誘えばいっしょに来てくれる。先輩の中島さんなどは、自分から教会に連れていけと言う。楽しい寮生活。舎監の床次先生も、日曜日だけは門限を大目に見てくれる。先輩の久保田さんは、クリスチャンだったらこれくらいは読んでおけよと、聖書物語やキリスト教関係の本をくれたり、紹介してくれたりと親切だ。もし礼拝をさぼろうものなら、松井、川崎、神園という三人の美人先輩から、きついお叱りが来る。教会へ行くように、みんなが応援してくれていた。 わずか十数人の集まりだが、ハモンド先生を中心に家族的な愛の交わりの西之表キリスト教会。すばらしい先輩や同級生。慕ってくれる後輩の女生徒。教会生活も学校もいつも順風満帆の日々だった。 父は学費を工面するために、山仕事をして現金を稼いでいる。しかし、若い時に徳之島でハブに噛まれた後遺症で、無理はできない。しかも家には寝たきりの病人がいる。 ちょうど同じ時期に、大阪で大工をしていた兄が献身し、神学校に入ることになった。兄はそれまで少なからず仕送りをしてくれていたが、それも入ってこなくなった。お金の工面に苦しんだ父は、少しばかりの持ち山を売って、私の学費に当てようとした。が、田舎のことで、そうお金にもならない。時々家に帰ると、家計の苦しさを感じ、胸の痛む思いがしていた。 「お父さん、学校をしばらく休もうか」と、何度か言おうと思ったが、声にならないまま六月を迎えていた。それがこの日、いつも出かける古城ガ原で、大隈半島に沈む夕日を眺めていた時、胸のつかえがスッと取れるように、休学しようと決断した。 久しぶりに会う父の顔はやつれていた。私はそんな父に「お父さん、しばらく休学するよ。お金が大変なことは分かっているから、何も言わなくていいよ」とぽつりと言った。父はかすれた声で、「そうか。すまないね。学校好きのお前には言いだしにくくて...」と涙ぐんだ。 一学期の終わりが近づいたころ、牧師にそのことを話したら、教会に住んで学校を続けたらよいと言われた。友人たちもしきりに休学を撤回するように、新聞配達のアルバイトを紹介してくれたり、家庭教師の口を捜してくれたりした。いつも慕ってくれた中学三年生の中村文子さんは、「お父さんに頼んでお金出してもらうから、休学なんかしないで、私の家庭教師になって」と、涙を流して引き止めてくれた。校長先生までもが、もう少し早く分かっていればと気づかってくれた。が、もう心は決まっていた。 私の計算では、一年働けば卒業までの学費が稼げるはずだった。休学届けを出し、「種子島高校よ、来年は帰ってくるから待っててくれ」と、いささか時代がかった思いで、母校に別れを告げた。詩篇10:16 【主】は世々限りなく王である。 国々は、主の地から滅びうせた。 10:17 【主】よ。あなたは貧しい者の願いを 聞いてくださいました。 あなたは彼らの心を強くしてくださいます。 耳を傾けて、 10:18 みなしごと、しいたげられた者を かばってくださいます。 地から生まれた人間が もはや、脅かすことができないように。
2007/10/07
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昨日は朝モーニングサービス、来週手術する予定の方と昼食。 宣教師が15年間住んでいた家が空き家になり、壊す方が良い状態と判断し業者に見積もりをしてもらう。いつの間にか帰国し家の中にはベッドや器材、ものすごいゴミがそのまま残っており、「立つ鳥後を濁さず」のことわざを教えておけばよかったと思った。午後に片付け業者がきてきれいにしてくれた。引っ越した宣教師が友人にお金を預け方付けを頼んでいたのに、頼まれた方がこちらから言わなければそのままで良いと思っていたようだ。ともかくもきれいになったことを感謝している。 今日は午前中洗礼式。午後から入学希望者との面談。毎日恵みの中で感謝しつつの日々です。「天の虫けら」(16)・・・最初のあかし 翌月曜日の一時限目が終わると、クラスの男子生徒のほとんどに周りを取り囲まれた。みんなにやにやしている。私はなぜだか真っ赤になった。そんなに大胆でも積極的でもないし、バンカラでもない、どちらかと言えばおとなしい真面目な生徒だったのだ。そのうちにクラスで一番大きい生徒が、私の前にひざまずき、胸の前で十字を切った。それが合図のようにみなで、「アーメン・・・・・・」とはやし立てた。私の真っ赤な顔が、さらに赤くなる。どうして分かったんだと心臓の鼓動が聞こえるほどだ。 海岸で歌を歌い、服を着たまま海に入る人々を、柔道の練習に行く途中の友人が見て、不思議に思い近づいたら、その中に榮義之がいたという次第であった。だれにも知られないよう決心した私だが、バプテスマを受けたのは厳然たる事実である。イエス・キリストを信じたのも、だれに強制されたのでもない。十字架にいのちを捨ててまで愛してくださった方を、深い感動とともに信じたのも事実。だから真っ赤になりながらも、蚊の鳴くような声で、「そうだ。僕はアーメンになったんだ。みんなもいっしょに教会に行こう」と言った。それが精一杯だった。しかしこれがクリスチャンになって最初のあかしとなった。 その日以来、クリスチャンであることを恥じたことはない。酒も飲まず、タバコも吸わず、人生何の楽しみがあるのかと冷やかされたこともあった。しかし、この世の楽しみは、それが何であれ、虚しさに終わる。そのことは、本人自身が一番よく知っている。そんな虚しい空洞を、イエス・キリストは満たしてくださるのだ。人はイエス・キリストを受け入れる時、初めて真の満足を得る。その腹から生ける水があふれ、流れ出すような、いのちの充実を体験することができる。 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」 (ヨハネの福音書4:13、14) さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」 (ヨハネの福音書7:37、38)
2007/10/06
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今朝は講師の先生が朝5時半から来院。祈り会とチャペルが終わり近くの喫茶店(往復2000歩)でモーニングサービス。数ヶ月前に「雪よりも白く」を渡したので。おはようございますの挨拶とともに、本読みましたよとママが話しかけてくれた。モーニングサービス(コーヒー・トーストにサラダ・野菜と卵と味噌汁付き)は400円。久しぶりの朝食だった。しばらく歓談後、授業へ。「天の虫けら」(15)・・・洗礼式 しばらくして帰宅した喜和先生が、「榮君、お昼からもう一度教会に来るようにと、ハモンド先生が言ってたわよ。洗礼をするそうですよ。私も受けるから。忘れないで教会へ行ってね」と言う。そして「あっ、それからね。何か着替えも持ってきなさいとも言ってたわよ」と言い足した。 「せんれい」がよく分からなかったが、ともかく三キロほどの距離を出かけた。「着替えを持ってきましたか?」と問われ、ないと答えると、ハモンド先生がズボンとシャツを貸してくれた。旧約聖書に登場するサウルのよろいを着たダビデのようになった。それから城ノ浜の海岸にみなで行き、バプテスマ式なるものをすると言う。どうもイエス・キリストを信じた人が受ける儀式のことのようだ。男は私だけだったので最初になった。ダボダボのズボンとシャツを引きずるように、遠浅の沖で厳粛な顔で待つ、ハモンド先生と牧師の前へ進んだ。 「あなたは天地の造り主、全能で唯一の父なる神を信じますか?」素直に「ハイ」と答えた。 「あなたはイエス・キリストが、あなたの罪のために身代わりとなり、十字架に死に、墓に葬られ、三日目に復活した救い主、主であることを信じますか?」数時間前に、信じたばかりだ。「ハイ」と答えた。 「あなたは西之表キリスト教会の教会員として、忠実に礼拝を守り、会員としての務めを果たすことを誓約しますか?」初めて聞くことだが、今さら引き返せない。「ハイ」。 「主イエス・キリストの御名によって、榮義之にバプテスマを授ける」と言うと、二人は私の身体を水の中に沈めた。驚いたの何の。「備えあれば憂いなし」だが、突然だったので、塩水は飲むし、アップアップで水の中から引き出された。岸に向かいながら、こんな恥ずかしい目に遭ったことは、だれにも知られないようにしようと、心に決めていた。 岸にいたクリスチャンたちが、「おめでとう」「よかったね」「感謝ですね」と祝福してくれた。だが自分ではあまりめでたいとは思わず、ただびっくりしたのと、寒くて早く着替えたいだけだった。詩篇 16:1 神よ。私をお守りください。 私は、あなたに身を避けます。 16:2 私は、【主】に申し上げました。 「あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。」 16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、 私の喜びはすべて、彼らの中にあります。 16:4 ほかの神へ走った者の痛みは 増し加わりましょう。 私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、 その名を口に唱えません。 16:5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。 あなたは、私の受ける分を、 堅く保っていてくださいます。 16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。 16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。 16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。 【主】が私の右におられるので、 私はゆるぐことがない。 16:9 それゆえ、私の心は喜び、 私のたましいは楽しんでいる。 私の身もまた安らかに住まおう。 16:10 まことに、あなたは、私のたましいを よみに捨ておかず、 あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。 16:11 あなたは私に、いのちの道を 知らせてくださいます。 あなたの御前には喜びが満ち、 あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
2007/10/05
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昨日は久しぶりに神学生全員と生駒山に登った。真っ先に走るように上った神学生は道に迷い、平地を歩くときはフウラフウラと頼りないと思っていた神学生はしっかりと一番で登頂した。100キロ超の神学生は身体中から湯気を立てるように大汗を流しながら2時間余かけて登りきった。 強力に導かれて富士登山をしたことがある。40年間も富士山で強力をしている彼のアドバイスは、余分な荷物を持つな。自分より先に行くな。自分から遅れるな。自分と歩調を合わせろだった。シッカリとアドバイスどおりに山頂まで元気に歩いたことなどを思い出す山歩きだった。 ちなみに学院から山頂までは8000歩(約5キロ)、下りは大阪側を回り9500歩(約6キロ)、午後から大阪の教会へ出かけたので、25,700歩(約14キロ)も歩いた一日だった。 「天の虫けら」(14)・・・キリストの救い 行ったり行かなかったりの週が続き、十一月下旬になった。長崎県対馬でヨット伝道をしている牧師が講師として来島し、公民館で伝道会が三日間開かれた。最後の日は教会の礼拝だった。 バイブルクラスに出席するようになって八ヵ月目、初めてキリスト教の教えを系統的に聞いた。 天地宇宙を創造した唯一の神は、目で見ることのできない霊的存在であり、人格をもつ天の父である。全知、全能、偏在、永遠、不変であり、聖い義なる神、公平で完全な神、しかも愛である神がおられる。 そのような神を天の父と呼べるのに、人間が不幸なまま生きているのは罪があるからである。罪の支払う報酬は死であり、そのために地獄がある。罪とは法律違反であり、法治国家であれば法が裁き、道徳的な罪は良心が裁くが、人の良心は麻痺しており、道徳は変転極まりない。そして罪の本質は、人が神から離れて己を義とし、神を認めず信じないことである。人は生まれながらに罪人であり、神との関係では霊的に死んでおり、肉体の死と同時に滅び、やがては審かれ、地獄へ行く。 どのように宗教や哲学、教育や学問を学び、道徳や修養を重ね、世界中の富を手にし、栄耀栄華を極めても、罪があるかぎり平安も喜びもない。富や地位や名誉、人の善行では、救いを得ることはできず、人は滅びへと向かっていく。 イエス・キリストがこの世界に来られたのは、人類の罪を背負い、十字架に死ぬためだった。人間の罪だけでなく、病気や呪い、貧乏やすべての重荷、死と滅びを、自ら十字架に背負って死なれた。キリストはあなたを愛して、十字架に死なれ、墓に葬られ、三日目に復活された。心を開いてお迎えすれば、今すぐに心にお入りくださり、救ってくださる。 何か感動した。母は自分のいのちを削るようにして、私を愛してくれた。しかし、病には勝てず、三十七歳のいのちを閉じた。父の愛は厳しさだけだったように思う。ガールフレンドも友人も、私のためにいのちは捨てなかった。そういう自分も、だれのためにも死んでいないから生きている。 イエス・キリストは頼みもしないのに、私のために死なれたということだ。すごい人だと思った。話の終わりに「イエス・キリストの救いを受けたい人は手を上げてください」と招きがあった。だれも手を上げなかったので、牧師は『讃美歌』五一五番を歌っている間に決心するようにうながした。「十字架の血に きよめぬれば 来よ」との御声を われはきけり主よ われは いまぞゆく 十字架の血にて きよめたまえという歌詞だった。 私には小学校五年生のころから、きれいな心になりたいと思う時があった。種子島は高い所でも二三〇メートルくらいだが、向かいにそびえる九州最高峰の宮の浦岳を望む屋久島の峰々には、真っ白な雪が見える。白雪を仰ぐ時、きれいだなあ、雪のように純白の心になれたらいいのにと、何度も思ったものである。 今、その願いがかなおうとしていた。イエス・キリストの十字架の血、罪がない神の子がむちで打たれ、十字架に両手両足を釘付けられた。耳に聞こえる讃美歌が、無条件の愛で今、血が流れる両手を広げて招いている声に聞こえた。「主よ、われは いまぞゆく 十字架の血にて きよめたまえ」。目を閉じて、思い切り手を上げた。その日、その瞬間、私は救われた。ただ信じただけだったが、心に感動と平安をもった。喜びにあふれて顔を上げ、胸を張って下宿へ帰った。これでよかったのだ。罪は聖められ、真っ白な心にされたのだ。詩篇51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、 罪ある者として母は私をみごもりました。 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。 それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。 そうすれば、私はきよくなりましょう。 私を洗ってください。 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、 喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、 私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、 あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、 喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、 あなたの道を教えましょう。 そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
2007/10/03
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生駒聖書学院では恒例の生駒山上祈祷があります。聖書学院から640メートルの生駒山頂まで、1時間半(元気な者は1時間ちょっとで)上りきることができます。ケーブルカーではあっという間ですが・・・・。 今朝は5時半に神学生たちといっしょに登り、山頂で東に奈良県、北に京都府、西に大阪府と兵庫県、南に和歌山県を見晴らしながら、関西と日本全国の救いを祈ります。 イエス様も高い山に登りお祈りなさったと福音書に記述されています。山の上でそのお姿は美しく輝き、神の栄光が現れました。 新しい力と輝きが今日も与えられることを確信し、これから登山に出かけて来ます。 「天の虫けら」(13)・・・あなたは罪人 私は「ばあ」の葬式後、最上医院の離れで行なわれていた家庭集会に初めて出席した。「神は愛である」ことを感じる温かい集まりだった。 しばらく出席するうちに、ハモンド先生が一枚の紙に「罪」という字を、火星人のようなイラスト入りにして書き、見せてくれた。そして「あなたは罪人。これはあなたにそっくりでしょ?」と片言の日本語で教えてくれた。 それまで私は、自分の名前のとおり、この義によって栄えると思っていた。特に教会に行くようになってからは、その度合いは増していた。父には正しく生きるように育てられ、東亮吉先生には正義感を、阿世知のおじさんには厳しいしつけを、キリスト教会では愛と親切の心を教えられてきた。また自分でも幼い時から、人の迷惑にならないように、まっすぐに生きてきたという誇りをもっていた。それなのに「あなたは罪人だ」と言われ、失礼な人だと思い、二度と教会へは行かないつもりで帰った。 人間が罪人であり、人の心が汚いことは分かっていた。しかし教会に通っているので、いくらかでもみんなよりましだと思っていた。一方で、宣教師は自分の心の奥を見たのだと考えると、惨めな気持ちになった。思春期であり、Hなことも考える。行ないこそなかったが、雑食みたいに手当たり次第に本を読みあさり、古本屋と図書室が大好きな少年だった。だから行為としての罪はなくても、思いとしての罪はあると分かった。そして宣教師にあなたは罪人と言われたのは、教会に来るなという意味だと思った。 ミカ書 7:7 しかし、私は【主】を仰ぎ見、 私の救いの神を待ち望む。 私の神は私の願いを聞いてくださる。 7:8 私の敵。私のことで喜ぶな。 私は倒れても起き上がり、 やみの中にすわっていても、 【主】が私の光であるからだ。 7:9 私は【主】の激しい怒りを身に受けている。 私が主に罪を犯したからだ。 しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、 私を正しくさばいてくださるまでだ。 主は私を光に連れ出し、 私はその義を見ることができる。
2007/10/02
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アメリカのアイダホ州の建築会社に、社長も大工さんで自ら1年間滞在し、総建坪で650坪に及ぶすばらしい建物が完成し、もう17年にもなります。昨日はその奥様が来日し訪ねてくれたので、感謝を込めてレストランで接待。楽しいときを過ごすことができた。 「天の虫けら」(12)・・・父の厳しさ 「ばあ」が倒れてからは、洗濯も食事も、破れたズボンを繕うことまで、自分のことは自分でやった。やがて私のズボンの繕いがあまりにも不格好なのを見かねた近所のお姉さんが、それからいつも繕ってくれるようになった。自分で書くのもおかしいが、私はいつも大事にされて、周りにはいつも味方になってくれる親切な人がいた。きっと神様は、私が意気地なしだから、愛の手で守ってくれるよう天使を遣わされたのだと思う。 父には優しい面がほとんどなく、私が感じたのは厳しさだけだった。マンガはだめ、村祭りも、年に数度くる活動写真もだめ。浪曲もサーカスも、あんなつまらないものは人を堕落させるだけだと許さなかった。マンガを家に持って帰れないから、借りて読むのがだれよりも速くなり、買った本人よりも詳しいことも多かった。また、アイス・キャンディ売りが来ると、他の子どもたちが先を争って飛び出すので、ある時私も欲しいと思い、五円くださいと言ってみた。父は「あんなものは砂糖水を冷やしただけだ。泉の水のほうがいい」と、相手にもしてくれない。今考えても面白い理屈だと思う。 父はものごとを決める時、正義がどうかをものさしにしていた。不正を許すことができず、相手がだれであれ、恐れることなく、よく面と向かって詰問した。弱い者から搾取したり、だましたりする人を許すことができなかった。情にもろい面もあり、自分が困るのは分かっていながら、食べるに事欠く人に種芋を出して与えたりもした。だからといって感謝されるかと思えば、助けてもらった人ほど悪口を言うことが多かった。 「ばあ」を亡くしてから、父は聖書を読むことに熱中し、伝道にも力を入れた。特に大きな実を結んだのは、南操さんを信仰に導いたことである。南家の息子や娘のうち四名が献身し、生駒聖書学院を卒業した。 晩年の父は、大阪救霊会館に住み、九十九歳と一五六日の人生を終え、天の故郷に帰っていった。父の最後を見取ってくれた孫の恵吏也は、祖父の死にざまを見て、生駒聖書学院に入学し、今は大阪救霊会館で牧師としての道を歩んでいる。詩篇 10:16 【主】は世々限りなく王である。 国々は、主の地から滅びうせた。 10:17 【主】よ。あなたは貧しい者の願いを 聞いてくださいました。 あなたは彼らの心を強くしてくださいます。 耳を傾けて、 10:18 みなしごと、しいたげられた者を かばってくださいます。 地から生まれた人間が もはや、脅かすことができないように。
2007/10/02
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先週は2日間ほとんど寝ないで深夜の運転だったが、熟睡で疲れも取れ元気で新しい週を迎えている。昨日は久しぶりに富雄キリスト教会で説教。雨の朝だったが生駒駅まで歩き、富雄駅から教会までも歩きで7000歩。家内が雨の日くらいは自動車にしたらと親切に言うが、まあ、自分で決めた1万歩以上だからと、今朝も歩き続けている。 今日はチャペル説教と2講義。昼から東大阪エリム内装の件で業者と売り合わせ。夕方にはアメリカより3名の来客で夕食接待・・・・。毎日いろいろですが主の恵みと皆様の祈りに支えられて元気に祝されています。ハレルヤ!感謝します。 「天の虫けら」(10)・・・母との別れ 私が「ばあ」にこんなにこだわるのには理由がある。私は「ばあ」を誤解し、憎んでいたからだ。まだ幼かったし、知識がなかったせいとはいえ、彼女が生きているうちに、そのことに気がつけばよかった。しかし悔やんでも、もう遅い。せめてここに書くことにより、「ばあ」への思いを伝えたい。そして、すべてを理解し、私を引き取り、わが子として育ててくれた愛に感謝を表わしたい。 私が父の家に引き取られたのは、小学校三年生の時だった。ある日学校から帰ると、母が「義之、大事な話があるから座りなさい」と正座した。「おっかん(お母さん)、何の話かい?」と、私も神妙に座った。「今日から、お父さんの家に行きなさい。ここはもうお前の家ではないから、お前はお父さんの所に行くんだよ」。母は涙を見せないように、きっぱりと言う。「どうして?俺にはお父さんはいないよ。おっかんだけじゃないか」と答えながら、私は一年生のころを思い出していた。字が読めるようになっていた私は、一学期の通信簿をもらい、自分の名前は榮義之なのに、母の名字が違うのに気がついたのである。「どうして名字が違うの?おっかんと同じにしてなあ」とせがむと、母は困り果て、とても悲しそうな顔をした。私は聞いてはいけないことを聞いたと思い、そのまま沈黙した。きっとあの時のことだと思うと、それ以上何も言えなかった。 母はしっかりと抱きしめてくれた。まるで二度と会えないかのようだった。それからわずかの荷物と勉強道具を、風呂敷に包んでくれた。動きたくなかった。行きたくなかった。自分を母から引き離す父はひどいと思った。 約二キロの夕方の道を涙をこらえて、私は一人歩いた。「おっかん」と、母の住む方角を何べんも振り返りつつ、父と言われた人の家に向かった。父の家は知っていた。「榮おじい」と「ばあ」と呼ばれている夫婦が住む家だった。運命を呪うということばはまだ知らなかったが、知っていたらきっとそう思い、人を呪い、神を呪ったであろう。 父の家はランプの光も明るかった。「ばあ」はごちそうを用意して待っていてくれた。「さあ、早くお上がり。遠慮しないでね。義之ちゃんの家はここなんだから」。優しく何くれとなく世話をしてくれる白髪の「ばあ」を見た時、私はこの「ばあ」が母をいじめ、自分を引き離したんだと思ってしまった。父はほとんど無口のままだ。「今日からお前のお父さんだよ」と言われ、「今日からここが義之ちゃんの家ですよ」と優しく言われても、それが八歳の子にどう理解できよう。新しい机、柔らかい布団、おいしそうな食事、全部が母から引き離す策略にしか見えなかった。もう何も言わない、返事だけしようと心に決めた。「今夜は早くお休み。疲れただろうから」と寝床を敷いてもらうと、もぐり込んで、声を出さずに泣いた。母が慕われ、ぬくもりが恋しい。 いつの間にか朝になっていた。様子がすっかり変わり、戸惑うことばかりだ。小学校だけはすごく近いので、急いで学校へ逃げ出した。小さな村で、もうみんなが知っていた。だれにも新しい家には来てほしくなかった。同じ方角の友達もいたが、母の所にまっすぐ帰った。そしてじゃれつく子犬のように母から離れなかった。「おっかん、ばんめし食べていい?」と聞いた。「だめです。向こうで用意してあるからね」。母はきっぱりと宣言するように言った。 弾むように母の所に帰り、後ろ髪を引かれるように父の家に帰る日が続いた。どうしても「榮おじい」にも「ばあ」にもなじむことができなかったが、言うことを聞かなければ母が悲しむ。 そのうちに、母の身体が思わしくなくなってきた。若い時の火傷が化膿したのだ。村には医者はいないし、町まで見てもらいに行く手段もお金もない。私は少しでも手伝いたくて、一〇〇メートルほど下の泉から水を瓶一杯に汲むのが日課になった。薪も拾ってこなくてはと、自分なりに頑張った。母は苦しい顔を見せなかった。だがその痛み苦しみは、どれほどにか辛かったに違いない。 詩篇27:7 聞いてください。【主】よ。私の呼ぶこの声を。 私をあわれみ、私に答えてください。 27:8 あなたに代わって、私の心は申します。 「わたしの顔を、慕い求めよ」と。 【主】よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。 27:9 どうか、御顔を私に隠さないでください。 あなたのしもべを、 怒って、押しのけないでください。 あなたは私の助けです。 私を見放さないでください。見捨てないでください。 私の救いの神。 27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、 【主】が私を取り上げてくださる。 27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。 私を待ち伏せている者どもがおりますから、 私を平らな小道に導いてください。 27:12 私を、私の仇の意のままに、させないでください。 偽りの証人どもが私に立ち向かい、 暴言を吐いているのです。 27:13 ああ、私に、 生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが 信じられなかったなら── 27:14 待ち望め。【主】を。 雄々しくあれ。心を強くせよ。 待ち望め。【主】を。
2007/10/01
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