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聖書の中の詩篇が大好きでよく読み、暗証していることばは、朝の目覚めや歩きながらでも口ずさみます。 30日(月)-1日(水)は詩篇4篇のインターネット・メッセージです。詩篇は聖書の中でもっとも長く150篇。一番長い章は119篇で176節もあります。またもっとも短い章も詩篇117篇で2節だけです。 詩篇は、さいわいなことよ!で始まります。幸いです!とあるがままで告白できる幸いを体験してください。 イエス・キリストをアーメン信じますと、受け入れ信じた日から幸いになりました。天国にいったらとか、ああなったら、こうなったら幸せになれるのにと考えている間は、山のあなたに住むという幸せで、永遠に幸せになれません。そのように考えていると、幸せになれたら、健康になったら、お金があったら・・・・たら、たら、たらで不平不満、文句など感謝なしのたらたら人生になってしまいます。 どんなことが起ころうと、神の愛を信頼しすべてのことに感謝しつつ、幸せです!と告白できる日々を祈ります。詩篇にある幸せのみことば1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2:12 幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。16:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」32:1-2 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。33:12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。40:4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかったその人は。41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。84:4-5 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。84:12 万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。89:15 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。94:12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。106:3 幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行なう人々は。112:1 ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。119:1-2 幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。119:122 あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。127:5 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも恥を見ることがない。128:1 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。144:15 幸いなことよ。このようになる民は。幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。146:5 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
2009/03/31
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昨日の朝は、東大阪エリムキリスト教会礼拝でした。3年間無償提供の長田駅前マンションで開拓伝道でした。2年前荒本駅前に美しい礼拝堂(ビル3階借室)を献堂し、午後はロー教会としても用いられています。 一年に一回、招かれての説教です。カルフールの駐車場に車を止めて午前11時ちょうどに到着。部屋に入って驚いたのは子ども達がいっぱい。一瞬準備したメッセージではダメ!こどものためにどう話そうかと戸惑いました。 幸い、子どもたちは賛美の後、別室で礼拝とのこと。数名の兄弟姉妹に詩篇103篇より、主を賛美するすばらしを語ることができました。 私を覚えている?と可愛い子に声をかけられ、5年前に長田駅前の開拓伝道で来ていたのを思い出し、将来トラックの運転手になって働くのだと夢を語ってくれ、楽しい昼食交わりまでの時間でした。 大阪エリムで面談の約束があり、大急ぎで車で浪速区新世界亜へ。天気もよく春休み最初の日曜日のためか、駐車場が見つからず少しあわてたが、必ずあるとの確信は変わらず、10分間50円の駐車場にスペースありでした。約束の時間5分前に教会近くの喫茶店で話を聞くことができ幸いでした。おはようございます。朝ごとに新しい恵みの中で、今日もまた天国の一日です!と、元気良く生きれる幸い!主をほめよ。ハレルヤ。 今朝は大阪まで祈祷会出席予定でしたが、来週月曜日に変更にしました。 3日(金)の朝は都ホテルで行なわれている朝祈祷会で短いメッセージです。 今日は今週のインターネット礼拝(月ー土曜日)録画取り。終わると同時に牧師総会。昼食を先生方といっしょにいただき、午後3時より洗顔の指導を受けます。顔などろくに石鹸もつけないで洗う長年でした。テレビやインターネットで話すようになったので、 ちゃんとできるように教えてもらおうと思っています。 主を賛美するとき顔にも奇跡が?・・・・詩篇103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。 103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。 103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、 103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。 103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。 103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。 103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。 103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。
2009/03/30
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種子島から生駒聖書学院に来て51年目の最初の日曜日を迎えました。一人で記念日を祝い、大好きな詩篇103篇を高らかに賛美しました。わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。私は心から神様をたたえます。今までにいただいた祝福を、決して忘れません。神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。一言で言えば、Praise The Lord ! ありがとう! 主をほめます! 感謝します!主をほめたたえると神の栄光が輝きます。人間の目的は神の栄光です。主をほめたたえると、笑顔が輝きます。 〃 生きる喜びが湧き上がり、目が輝きます。 〃 現状が打破されます。ピリピの牢獄での真夜中の賛美のように! 〃 ありがとうございます。感謝しますという気持ち! 〃 元気で生きる勇気が与えられます。 〃 人を愛する気持ちが与えられます。 〃 回りにいる人々を和やかに豊かにします。 〃 生かされている恵みが溢れます。 〃 イエス・キリストの恵みと聖霊の満たしを豊かに! 主はあなたのすべての咎を赦し、神様は私の罪をみな赦し、 詩篇32:1-2幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。【主】が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。 32:1 -2罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。 罪がかき消されたとすれば、どれほどうれしいことでしょう。 罪を告白し、その記録を塗りつぶし てもらった人は、どれほど解放感を味わうことでしょう。32:3 この私には、罪状を認めたくない時がありました。 おかげで、すっかりみじめな思いをし、くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしたものです。 思い通りにならないことを自覚し、それをずっと持ち続けながら重苦しい日々を過ごす。ストレスの原因は罪意識、罪責感、何となくいつも何かに追われ、何かに押さえつけられているような気持ちになることも。それを放置しておくと気持ちが疲れ、そのままにしておけば、疲労感は張りやコリ、痛みさえもたらします。 それはやがて胃や心臓などの臓器に影響し、肉体の病気をもたらすようになってきます。 16歳のとき、種子島の小さなキリスト教会で、イエス・キリストの十字架の救いを知り、アーメン信じますと受け入れました。その日から人生は変えられ、復活の主のいのちに生かされ続けています。 そればかりではなく、主はあなたのすべての病をいやし、病気を治してくださいます。との約束のように、10年前に左脳内出血で倒れましたが、ことばも右半身も守られ、元気で過ごしています。 「わたしは主であってあなたをいやす者である」「その打たれた傷によっていやされた」との、聖書の約束は真実アーメンです。 主はあなたのいのちを穴から贖い、地獄行きの身を身受けし、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 聖書の約束をしっかり受け止めて、迷信や俗信に迷わされないように、感謝しつつ過ごしたいものです。 例えば、厄年などのつまらない言い伝えに捕らわれないように!厄年に惑わされるな!すべて語呂合わせです。女性は、十九歳=重苦 三十三歳=散々男性は、四十二歳=死に通じるので 江戸時代の平均寿命は40歳くらいでした。 19歳は現代の平均寿命では40歳前後で、家庭のことで悩むことが多かった。 33歳は、66歳くらいですから両親や親戚、配偶者に先立たれたり、体調を崩したりで散々だったから。 42歳は平均寿命の終わる頃だから、そろそろ死ぬことしか考えられなかった。 年齢で健康に留意することはある程度必要ですが、気にし過ぎ足り、恐れたり不安になる必要はありません。厄年を前向きに考えてみましょう。訳年=悩みや苦しみをピンチはチャンスと訳して感謝してみましょう。薬年=試練や困難は良薬は口に苦いけれども、豊かな幸いへの道です。役年=どんな出来事も役に立ち、すべてのことが働いて益になり、:結果として役に立つ人生を生きる機会になります。躍年=すべてのことに感謝する結果、飛躍し活躍するちょうど良い年齢だと受け止めて見ましょう。前厄とか後厄とかも同じように考えれば、前後3年間はすばらしい祝福のときとなるでしょう。 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40-28-30】
2009/03/29
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木曜日は、愛知県や三重県の教会を朝早くから訪問。サービスエリアで休憩したとき周辺歩きで、帰宅したときは一万歩になっていました。 昨日は、種子島から生駒に来てちょうど50年。いつものように、テレフォンメッセージやメール返信、ブログを済ませてと思っていたら孫たちが来たのでしばらく相手をして遊びました。ブログを急いで書き上げ、訪問予定の所に向って歩き、昼過ぎに帰宅したときは1万歩に近く、寒さの中だったがポカポカしていました。 昼食は焼肉でも食べようと新しくできた店へ車を走らせ到着したが、昼過ぎなのに車は一台もなくあれ?と思い、案内を見たら午後5時からの開店。あわてて車をターンさせ、クルクル回るすし屋で50年の感謝をつつましく・・・・。 午後からは訪問でゆっくり話を聞き、帰宅したら家内の誕生日のケーキがあり、美味しくいただき、夜もゆっくりとしたときを過ごすことができました。 忙中閑ありで、久しぶりにくつろぐこともできた昨日の一日でした。 「Happy 名語録」という本を娘にもらい、開いた最初のページにあったことば。 毎朝、目を覚ますたびに、 お前はこう言ってもいいだろう。 目が見える。 耳が聞こえる。 体が動く。 気分も悪くない。 ありがたい! 人生は美しい。 ジュール・ルナール(日記)より伝道者の書3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、 すべての営みには時がある。 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を引き抜くのに時がある。 3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。 くずすのに時があり、建てるのに時がある。 3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、 石を集めるのに時がある。 抱擁するのに時があり、 抱擁をやめるのに時がある。 3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 3:7 引き裂くのに時があり、 縫い合わせるのに時がある。 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。 戦うのに時があり、和睦するのに時がある。 3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。 3:10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 3:12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。 3:13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。 3:14 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
2009/03/28
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1959年3月27日(金曜日)50年前の今日、種子島より生駒聖書学院に着きました。その日はちょうど卒業式(当時は大阪救霊会館で夜行なわれおり)で、到着するとそのまままた大阪へ出かけました。 大阪駅までの迎えは兄でしたが、卒業式へは先輩に案内され、当時はJR新今宮駅ではなく市電で天王子まで行き、天王子公園を通り新世界へ。じゃんじゃん町を横切り、何ともいえない臭いの中を会場に着きました。 卒業式で厳粛な雰囲気を期待したのですが、大太鼓は叩かれ手拍子で聖歌が、しかも大声で歌われ手いたので、種子島の母教会との雰囲気がまったく違いました。 正直、ここは何?ほんとのキリスト教?と思いました。まだペンテコステ教会と言う存在さえ知らない幼い信仰者でした。聖霊に満たされるとき、異言を語ったり熱心に祈って伝道するのだと言われても、戸惑いばかりが残る最初の経験でした。 式が終わり兄に導かれてクート院長に紹介され、大きな暖かい手に包まれ、「良く来ましただ!」と、変な日本語での歓迎を受けました。その手の温もりが50年間の生駒でのルーツになっていると言っても過言ではないと思います。 クート院長が前進の声を残し天に凱旋したのが1969年(内2年間はアメリカで療養)だたので、わずか8年の教えを受けた期間でした。 今に至るまでその働きを継承し続けているのは、まさしく神の恵みであり、同時に愛し祈り支えてくれている諸先輩や卒業生、教会員や神学生たちのとりなしの祈りであると信じ感謝でいっぱいです。 新しい覚悟と祈りで50年を迎えました。続けての祈りとご支援をよろしくお願いします。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。祝福を祈ります。ピリピ人への手紙 4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。 4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。 4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。 4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
2009/03/27
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イスラエル帰国より充実の日々が続いています。ブログもメッセージをそのまま転載したりでした。 昨日は朝早く愛知県に向ってひた走りの一日でした。稲沢福音教会が新しい教会堂建設完成とのことで、お祝いに行きました。以前の教会堂が市の区画整理で立ち退きのため移転を余儀なくされました。 まだ回りに住宅もなく、スッキリと新し教会堂が朝日を浴びて輝いていました。真新しい礼拝堂の中で牧師夫妻とともに祝福を祈りのときを持つことができ、新しい住まいも美しく、家族の幸せな姿に感動しました。 特に、夫人の勝美牧師は12年にわたって名古屋駅でホームレス伝道を展開し、毎週日曜日午後1時と午後7時の2回、お握りや衣服なども提供し、すでに1500名以上の方々との出会いもあり、200名を越える方々がバプテスマを受けました。 亡くなった方々も多数ありますが、区役所の福祉課が牧師に葬式を依頼することも多いそうです。先日亡くなった方は、長崎での被爆体験者で、長崎から家族の出席もあったと話してくれました。 稲沢市より江南市へ。江南市より豊田市。豊田市より知多半島へ、さらに湾岸経由で桑名市と四日市市での開拓教会を訪問予定でしたが、相手先の都合もありで夜遅く帰宅しました。 マタイの福音書 16:13 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」 16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」 16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。 16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
2009/03/26
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1. まずは自分が変わるように祈る詩篇6:18-20 もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。2. 毎日、神様と個人的に交わりを持つ 詩篇5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。 朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。3. 自分の期待や考えを手放す詩篇62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。(新共同訳)4. 神の最善を期待するヘブル10:35-36 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:35-36 このような、すばらしい祝福が待っているのですから、どんなことがあっても、主を信じ続けなさい。 やがて主から受ける報酬を、いつも思い起こしなさい。神様の約束されたものを、そっくりいただきたいと願うなら、神様の御心を、忍耐強く実行しなければなりません。(リビングバイブル訳)5.信じたとおりになると確信してそのように語り、行動する第二コリン5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。 5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。 5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。毎日の生活の中で奇跡を期待する1. 自分自身が奇跡と!と感謝する。 奇跡の生活を体験するには、まず自分自身の存在が奇跡だと感謝することです。朝目覚めたことが新しい奇跡の始まりです。生きていく上で発生してくる不安や問題は、乗り越え解決するために出会います。具体的な解決策が分からなくても、心配しないで奇跡を信じて行動するとき、不思議な解決の門が開かれて突破できるのです。2. 奇跡は偶然ではなく期待し感謝する。 誰かが何かをしてくれるとか、偶然の助けを頼むのではなく、信仰と祈りと期待で奇跡の起こることを楽しみの待つことです。奇跡が起こるのは、奇跡の起こる瞬間に奇跡の起こる場所にいることです。神そ信じ祈るとき、聖霊がそのことも教えてくださいます。3. 奇跡の流れに委ねて感謝する。 無理矢理、がむしゃらに物事を運ぼうとするのではなく、自分の予想をはるかに超えたレベルで物事がどんどん良くなっていくのが奇跡です。奇跡の流れを感じたら、逆らわずにごく自然に感謝して前進するようにしてみましょう。 窮地に追い込まれ、「お手上げ状態」のときに奇跡が起きやすいのは、自分ではどうにもならないということが、自我ですべてを支配しようとする頑張りがストップし、そこから先は神様の領域という信仰になるからです。4. 常に全能の神の偉大な力を信じて感謝する。 全知・全能・遍在・永遠・不変の愛なる神が、いつも永遠の愛の御手で支えてくれていることに感謝してください。抱えきれないほどの問題に押しつぶされそうになっていても、逃げ場のないような状況に追い込まれて動けなくなっていても、その全能の愛が常に導いてくれていると信じてください。5. 奇跡の日々を感謝する習慣を! 朝の目覚めを「今日もまた天国の一日です!」「主の恵みは朝ごとに新しい!」「この日は主が造られた日。この日を楽しみ喜ぼう!」「今日、生きているのは主の奇跡!」「幸いです!」ありがとうございます。最高の一日のスタートです。感謝します。ハレルヤ。 一日の終わりに、ありがとうございます。「今日もまた天国の一日でした!」今日も一日の奇跡に感謝します。 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。と奇跡の一日を安らかな就寝でおやすみなさい。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。【主】よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。詩篇4:8
2009/03/25
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日本が決勝進出 WBC、米を9―4で破る ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準決勝が22日、アメリカのドジャースタジアムで行われ、連覇を狙う日本が9―4でアメリカを下し、決勝進出を決めました。 新聞もテレビもそのニュースで持ちきりの感です。今日は、すでにベネズエラを破って決勝にコマを進めている韓国と優勝を懸けて対戦します。 たかが野球されど野球で、暗いニュースが多い中で、アメリカを破り決勝に進出したことが、侍にっぽん!と大騒ぎになっています。 特に韓国との優勝戦は、韓国にとっても大変なライバル心で、国中上げての大応援になっています。このブログを書いている間中、ずっとWBC優勝がどうなるかをしゃべりたてています。 世界中で最も明るいニュースは、イエス・キリストが十字架上で全人類の罪の身代わりとして死に、墓に葬られ3日目に復活したことです。 その十字架の救いをアーメンと信じるとき、全ての罪が赦され神の子とされ、永遠のいのちが与えられ、平安と感謝にあふれた勝利の日々を生きる幸いを体験できます。 WBCで優勝することもすばらしいニュースになります。しかしそれは一過性の喜びであり、また何か新しい刺激を求めることでしょう。 コリント人への第一の手紙 15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。 15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。 15:3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 15:4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、 15:5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。 15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
2009/03/24
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あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。(ヘブル10:35) 失敗の最大の原因は、あまりにも簡単にあきらめてしまうことです。人はちょっとした障害や失敗で、何と簡単にあきらめてしまうことでしょう。 R・U・ダービは宝探しの熱に浮かれて、西部へ出かけました。シャベルとピックを持って西部へやってきた彼らは、間もなく金鉱を掘り当てました。そこで、さっそく借金して掘削の機械類を買い入れました。そうして掘り出された金鉱石は、最も良質のものと認められました。ドリルで掘り進むほどに、彼らの夢もふくらんでいきました。借金もたちまちのうちに返済してしまいました。 しかし、失望はその直後にやってきました。ある日突然、金の鉱脈が消えたのです。夢ははかなく崩れさりました。そこにはもう、一かけらの金も残されてはいませんでした。 だが、彼らはあきらめきれません。絶望と闘いながら、祈るような気持ちで、さらにドリルで掘り続けていきました。が、結局彼らはすべてが水の泡と消えてしまった現実を認めざるをえませんでした。 最後の決断を下しました。そして、採掘設備のすべてを、わずか数百ドルの捨て値で、くず屋に売ってしまい、故郷へ帰ったのです。 設備を買い取った男は、念のために鉱山技師を雇って、本当にこの鉱山がダメなものかどうかを調査してもらいました。調査の結果、ダービたちがあきらめた地点のわずか三フィート下から、金鉱脈が発見されたのです。それは豊かな金鉱脈でした。ダービたちは、もうちょっと頑張っていれば、忍耐していればと悔やみましたが、後の祭りでした。 人生でも同じことが起こります。失敗の中にいる人、せっかちな人は、もう少しの辛抱ができません。そうして、すぐにあきらめ投げ出してしまう人が多いのではないでしょうか? しかし、投げ出したり、あきらめたりすれば、それで終わりです。何も良い結果を得ることはできません。 聖書は約束しています。あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。(ヘブル10:35) それではどのような報いが約束されているのでしょうか?1 まず平安です。あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)とイエス・キリストは約束されました。神がともにおられる時、常に平安があります。2 罪の赦しです。罪意識からの解放です。 あなたの心の中にある罪の意識や良心のとがめは、イエス・キリストによって清められます。3 喜びです。 キリストを信じる者は罪を赦され、神の子となります。平安と喜びに満ちて生きることができるのです。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6) 信仰によってこそ、神の存在を信じることができます。信じるがゆえに神が分かるのです。また、求めてくる者には必ず報いてくださる神です。信仰こそ、神の祝福を受ける道なのです。 イエス・キリストを信じる時、病気はいやされます。すべての呪いから解放されるのです。貧しさからも自由になります。そしてこの人生を成功的に積極的に生きることができるのです。仕事は成功します。家庭は幸せになります。 あなたの確信を投げ捨ててはなりません。それには大きな報いがいつでも伴っているのです。神の報いがいらない人は、一人もありません。また神の報いは一つも漏れることがありません。 今日、あなたに向かって大きく開かれている神の愛の手の中に飛び込んでください。あきらめる前にその愛の力と大きさを体験してください。
2009/03/23
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3月8日(日)夜から14日(土)夕方まで、ヨルダンとスラエルを旅行しました。ガリラヤは春でムラサキや黄色、白や赤の花が咲き乱れる山上の教えが語られた丘にも立ち、イエス様のことばを思いました。 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教三大宗教のエルサレム。ガザ地区との戦いは未だに終わらず、時おりロケット弾が飛んでくる情勢です。イスラエル軍の若い兵士が虜になり、イスラエル刑務所の1500人の政治犯やテロリストとの交換をハマスが求めています。 イエス様は、平和をつくり出すものは幸いです。彼らは神の子と呼ばれますと教えてくれました。 20日にたかつガーデンでENOの集いがあり、里深兄が力ある信仰オステップ、知識からいのちへとすばらしいチャレンジをしてくれました。クリスチャンの信仰は頭にあり、理屈だけの世界に留まってしまいます。みことばを腑に落とせば聖書の言葉どおりの結果が現されるのです。日本人の心は腹にある!腹の底からということばのように! ある本に書いてありました。 林の中でキリン10頭とキリン十頭が出会いました。するとどうなるでしょうか。同じ仲間としていっしょの群れになったりします。シマウマや山羊や羊でも同じですね。草食動物には、同種のものは味方という遺伝子情報が書き込まれているんからです。 虎やライオンは肉食動物、同種のものは敵、常にライバルで生きる性です。 日本人は元来草食動物でした。しかし、ヨーロッパ、アメリカ式生活様式になれ、日本人の食生活も肉食中心になり、競うこと、比べること、争うこと、抜きん出ること、敵対することなど肉食動物遺伝子に変化させられました。体と心に多くの負担がかかり、様々な病気が増えてきました。 「いのちの本音」にも、100パーセントも元気で過ごせる!とありました。 一日にリンゴ2個、3週間食べ続けたら中性脂肪が21%減った。 みそ汁を一日3杯以上食べる人は、一杯以下の人に比べ、乳がん発生率40%減少 トマトソース料理を、一日一回食べると心臓病の危険が30%減少。 このような研究成果を集めていくと、野菜、果物、魚介類、そしてキノコ類を良く食べる人は、合計で100パーセント以上も、病気になりにくい結果になっています。病気になることを心配する暇があったら、草食の食事を楽しむこと。そう簡単には病気になりません。いやなれませんよ! 日本古来の考え方は、目の前の人がみんな味方だということでした。だから日本は和の国というのです。特に奈良は大和の国。その中心に富雄があります。 富雄は鳶の庄、鳶の村、富雄と変遷。金の鳶ならぬ黄金の聖霊様が富雄キリスト教会の上に留まり、平和と愛の癒しあふれる教会としてくださることを祈っています。 愛する兄弟姉妹が義嗣牧師を中心として、世界中に類のない平安の場所となることを確信します。 クリスチャン生活は草食動物の模範です。詩篇23:1 -3主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、こいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 競わない、争わない、怒らない、威張らない、敵を作らないで生きる、すべての人を味方にするような人生を生きて生きたいものですね。すべての人を味方にしようと思って生きていると、いつのまにかすべての人が味方になっています。 特に、日本は世界に類のない平和憲法を持つ国です。第九条1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 1 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 2 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.[1] ではどのように実行できるでしょうか。イエス様のことばを! 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:43-45)旧約聖書レビ記にも、「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」とあります。 しかし、ユダヤ人たちは自分たちの都合の良いように、「自分の敵を憎め」と言い変えてしまい、今日に至るまでそれが彼らの伝承となっているのです。 イエス様は、神のことばの真実をそのまま宣言されました。1 隣人を自分自身を愛するように愛しなさい。それは夫婦関係、親子関係から始まります。エペソ5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。 3 自分の敵を愛しなさい。あなたの人生において、敵をもっているでしょうか。あるいは、敵と味方という人の分け方は、あまりなさらないでしょうか。主イエス様はは言われました。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」 「汝の敵を愛せよ」という事をかかげて、果敢に黒人差別と闘った一人の牧師がいました。アメリカの南部バプテストの牧師で、有名なマルティン・ルーサー・キング牧師です。彼は、1929年、ジョージア州アトランタの黒人牧師の家に生まれました。もの静かで聡明な青年でしたが、25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になります。26歳になったときのある日、彼は、市バスでの差別に抗議した主婦が逮捕されたのをきっかけに、公民権運動に加わりました。以来、反対派や警察から何度も暴行を受け、投獄されたりもしました。。危険な目にも幾度も会いました。しかし、キング牧師は「暴力には魂の力で応えるのだ」と訴え、暴力をつかわない運動を指導し、その先頭にたって、リーダーシップをとりました。 「 白人に対する黒人の勝利でなく、すべての人の自由と平等という勝利を白人と黒人がともに見るアメリカの夢」を説き続けたのです。彼の行った勇敢な戦いは、特に多くの黒人たちに大きな影響を与えました。そして、彼はノーベル平和賞とケネディ平和賞を授かりました。彼の演説に、とても印象的な言葉があります。「私には夢がある。いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい、腰掛ける時がくるという夢を。」 このように、差別を受けている黒人たちへの夢を、訴え、励まし続けました。キング牧師は、人々に望まれていたことを、したといえるでしょう。その結果、彼は殺されてしまいました。それでも、「憎しみには憎しみで返さずに、愛することで答える」ということを全うしたのです。彼は、主イエスの教えられた、「汝の敵を愛せよ」という言葉を自ら実践し、自由な、差別のない、「神の国」の実現を望んでいたのではないでしょうか?4 迫害する者のために祈りなさい。最高の祈りをイエス様は十字架の上で示してくださいました。ルカ23:33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 23:35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」イエス・キリストの十字架こそ、「敵をも愛する」という、聖書での教えの究極の、そして真実の、愛の姿なのです。 昨日の健康講座の中でも、7度と70倍赦すところに健康の秘訣があると強調していました。自分の問題を誰かのせいにし、敵対感情を持つ限り、真の愛はありません。十字架の救い主を見上げて、回りの人に赦しの愛を注ぐとき、全能の愛の神の子どもとなるのです。5 あなたがたを憎む者に親切にしなさい。エペソ4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。すべての人を味方としようと思い生きていると、いつの間にかすべての人が味方になってくれます。イエス様はあなたの信じるとおりになると教えました。またあなたの言うとおりになりますとも教えました。そしてあなたの実行するとおりになるともおっしゃいました。 そのようの教えた方は、十字架上でその敵をも愛する愛を実践し、墓に葬られ3日目に復活し、今も生きておられます。信じるあなたの心の中におられます。聖霊によって神の愛は、今朝も豊かにあなたを通して流れ出しています。ローマ8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。聖霊が導いてくれます。ヤコブ1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
2009/03/22
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新しい思いが与えられ、ENOの集いを大阪府教育会館たかつガーデンを会場に、健康といやし講演を行ないました。 35人定員でしたが60名近くの申込みがあり、盛り上がった講演となり、昼食懇談会も初めて出会う方々との交わりも楽しいひとときでした。 「あなたが診ようが診まいが、ほとんどの外来患者の病気は治るものである」 「時間という軟膏は最高の薬である」 「人はたいてい健康で長生きするものである」(ドクタースクール425 医者の心得集 福井次矢訳)を引用し、医者向けの本にそんな一文が書いてあった。やっぱり健康でいることは自然なのだと思うと、健康について聖書のことばを語りつつ、一時間以上熱く語り続けてくれました。 参会者のなかには医者も病院経営者もあり、実際に病を持つものもあり、熱心にメモを取りながらの時間でした。 5月22日(金)午後6時より、大阪府教育会館たかつガーデンを会場に、「聖書と経済的繁栄と成功の秘訣」と題して、株式会社ムラサキスポーツ金山良雄会長を東京より迎え、第二回のENOの集いを行ないます。会費は夕食懇談費を含めて6000円です。 ENOの集いに参加した方から、心斎橋SOMAで行なわれたJAYE公山&KIKIのニューアルバム発売記念ライブに出席。光と音の中で2時間半を過ごし、帰宅と同時にぐっすり就眠 今日もまた天国の一日です!新しい希望の朝を迎えています。詩篇 103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。
2009/03/21
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ENOクラブ(ELIM Nobless Oblige!!)を立ち上げました。第一回の集いを今日(23日)大阪府教育会館たかつガーデンで開催します。 第一回は、里深太典紀グッドワーク研究所所長を講師に、「私たちは四つの聖言葉(みことば)で癒される!」と話してもらいます。 自らの壮絶な病の経験と、2万5千人以上の健康相談から得られた元気の秘訣を、健康&医学の最新情報です。 35名定員でしたが、締切日までに50名を越え会場満員の盛況です。昼食懇談会もビッフェ形式楽しいときになりそうです。お祈りおりがとうございました。 ノブレッス・オブリージュ(noblesse oblige)は、「高貴なる者の義務」という意味です。高貴な人、社会的に身分の高い人は、それだけ大きな義務を背負っているという考え方です。 英国では、戦場における戦死率は、貴族の方が庶民よりも高く、戦場での危険を負担するのが、ノブレッス・オブリージュ精神です。 ノブレッスなのに、ノブレッス・オブリージュを自覚していないと下等であり、ノブレッスであってノブレッス・オブリージュをちゃんと自覚している人は高貴です。ノブレッスが高貴人間ではありません。高貴な義務を実行する人こそ重要なのです。 イエス・キリストの十字架の救いを体験し、神の子とされたクリスチャンは、ノッブレス・オブリジェの精神を生きるのです。 「高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする」(イザヤ書30:8)「あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」(箴言3:25) 「あなたは施しをする場合、右手のしていることを左手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は(神)は、報いてくださるであろう」(マタイ6:3-4) ENOクラブは、聖書のことばに従い、ノブレス・オブリージュの精神を持ち、「受けるよりも与える方が幸いです」(使徒20:35)を実行していく高貴な人々の交わりです。お祈りとご支援をよろしくおねがいします。 ENOクラブ 代表 榮 義之イザヤ書 32:1 見よ。ひとりの王が正義によって治め、 首長たちは公義によってつかさどる。 32:2 彼らはみな、風を避ける避け所、 あらしを避ける隠れ場のようになり、 砂漠にある水の流れ、 かわききった地にある 大きな岩の陰のようになる。 32:3 見る者は目を堅く閉ざさず、 聞く者は耳を傾ける。 32:4 気短な者の心も知識を悟り、 どもりの舌も、 はっきりと早口で語ることができる。 32:5 もはや、しれ者が 高貴な人と呼ばれることがなく、 ならず者が上流の人と言われることもない。 32:6 なぜなら、しれ者は恥ずべきことを語り、 その心は不法をたくらんで、神を敬わず、 【主】に向かって迷いごとを語り、 飢えている者を飢えさせ、 渇いている者に飲み物を飲ませないからだ。 32:7 ならず者、そのやり方は悪い。 彼はみだらなことをたくらみ、 貧しい者が正しいことを申し立てても、 偽りを語って身分の低い者を滅ぼす。 32:8 しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、 高貴なことを、いつもする。
2009/03/20
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先週の木曜日は、朝早くエルサレムのホテルを出てガリラヤ湖に向いました。バスの窓から眺める道端や山々は黄色や赤、ムラサキや白に美しく輝く春の野花がいっぱいでした。 ガリラヤ湖は、周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさであり、166平方キロメートルの面積を持つ。最大深度は43m。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さで、大きさは琵琶湖の四分の一です。別名テベリヤ湖、あるいはその形が竪琴に似ているのでキンネレテ湖とも呼ばれます。イエス様が歩かれたゆかりの場所がたくさんあり有名です。 ガリラヤの海と呼ばれることもありますが、純粋な淡水湖です。ガリラヤ湖という名前は湖があるガリラヤ地方に由来しています。近代ヘブライ語では「ヤム・キネレット」 と呼ばれ、これは湖が竪琴に似ているためで、竪琴を意味する「キノル」に由来しています。新約聖書の『ルカによる福音書』5:1では「ゲネサレト湖」とも呼ばれています。ゲネサレトとは湖の西側にある平原地帯の名です。旧約聖書の民数記34:11、ヨシュア記13:27では『キネレテ湖』とも呼ばれています。 ヨルダン川が注ぎ込む所へ到着すると、そこが洗礼場(実際にイエス様が洗礼を受けた場所ヨルダン領にある)にもなっており、ヨルダン川でバプテスマを受ける希望者二人とともに水に入り、洗礼式を行ないました。イエス様のバプテスマのときも同じだったと思うと身が引き締まる思いでした。水の冷たさもありましたが・・・・。 特に、洗礼を受けた二人にとっては格別の経験であり、感動のひとときだったことでしょう。 私たちの洗礼式のすぐ後に、インドネシアからのグループがあり20名ほどが次々とバプテスマを受け、イスラム教国に進むリバイバルを目の当たりにでき、来年はもっと多くの日本人のバプテスマを見たいものだと祈りました。 真っ白な洗礼着とバスタオルは10ドルで用意されているので、聖地旅行で洗礼着の用意は不要です。シャワー室も完備し、よく整えられた洗礼場です。 洗礼式が終わるともう12時、レストランでピーターフィッシュ(ペテロ鯛)のご馳走。ガリラヤ湖には多くの淡水魚があり、その中でも一番美味な魚だそうです。日本のしょうゆがあればもっと美味しく食べられますが、今回も誰も持参していなくて残念でした。 ペテロ鯛についての記事は福音書にあり有名な奇跡です。マタイの福音書17:24 カペナウムに着いた時、神殿に納める税金を取り立てる役人がペテロのところへ来て、「あんたがたの先生は、税金を納めないのか」と尋ねました。 17:25 「もちろん、納めますとも。」こう答えると、ペテロは急いで家に入り、このことを話そうとしました。 ところが、まだ話を切り出さないうちに、イエスのほうから、お尋ねになりました。 「ペテロ。 あなたはどう思いますか。 世の王たちはだれから税を取り立てるでしょうか。 自分の子供たちからですか、それとも、ほかの人たちからですか。」 17:26 「ほかの人たちからです」とペテロは答えました。 「では、王の子供たちは税金を納める必要はないのです。 17:27 しかし、役人たちを怒らせたくはありません。 今から湖へ行ってつり糸をたれてみなさい。 最初につれた魚の口から、わたしたち二人分の税金を払うだけのお金が見つかるはずです。 それで払いなさい。」 税金の季節です。聖書は税金についても教えています。ローマ人への手紙 13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。 13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。 13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。 13:6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。 13:7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。 13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。 13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。 13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
2009/03/19
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普通、聖地旅行は出発6ヶ月前くらいから募集を始めるそうです。特に3-4月は受難期とイースターが重なり、ユダヤ教徒にとっては過越しの祭りのため、エルサレムのホテルは満室状態になります。 最初に依頼した聖地旅行社は、45万円を提示して貧乏人と旅行はしないと言われ、こちらから断りました。 それでいつもアフリカ行きを依頼する知り合いの旅行社に切り替え、参加者11名が決まったのが一月末でした。ドバイ&アンマン経由でイスラエルへ。ホテルは四つ星の条件で27万円(三食付で誘惑の山ケーブル代も含まれ、ガスチャージャー代込み。シングルルームはプラス4万円)春のツアーとしては格安の経費だと思います。 旅行社の話しによると、現地イスラエルの旅行社が、今の時期に申し込んで四つ星ホテルの部屋(シングル2、ツイン3、トリプル1)が取れたことは不思議だと驚いていたそうです。 いったいどんな人たちですか?よっぽど行いの良い方たちですね。お世辞にしても嬉しい旅行社のことばでした。しかも、現地の案内ガイドは30年のベテラン信夫兆平氏で、数年前にもガイドしてもらい再会に喜びでした。現地に着くまで誰か分からないままの出発でした。 初めてイスラエルツアーを計画してくれた旅行社でしたが、今年の11月には来年3月ツアーを計画し、もっとすばらしい聖地旅行ししてくださいと、嬉しそうに話してくれました。 主に信頼する者は、恥かしめられることはなく、失望することもありません。団長ですが自分もみなと同じように全費用を払っての同列旅行を楽しみ、元気いっぱいをいただいています。アドナイ・イルエ!ハレルヤ。感謝します。 来年3月もまたイスラエルへ。20回になるまで続けようと思いながらの楽しい聖地旅行でした。 今日もまた天国の一日です!と、春の輝きの中を元気で過ごしています。イザヤ書 30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。 30:25 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。 30:26 【主】がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。
2009/03/18
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エリコは、元アラファト議長のときからパレスチナ自治区になり、現在もパレスチナ人が平和に暮らしています。ガザからは今でもイスラエルに向ってロケット弾が打ち込まれ、イスラエル兵士一人とパレスチナ政治犯&テロリスト1,500人の交換交渉は暗礁に乗り上げ、ハマスはイスラエルを地中海の追い落とせと意気盛んです。これからさらに戦乱になるのではとの恐れがあります。 エリコにはイスラエル人は入れません。パレスチナ人はエリコを出るとき、厳しいチェックを受けないとイスラエルに入れません。エルサレムで働いているパレスチナ人も多く、エルサレム周辺の自治区(ヘブロンやベタニヤなど)に行く場合もあり・・・・。 エリコからは、海抜ゼロメートルと良いサマリヤ人の宿、荒野は少しずつ緑があり、ベドウィンのテントや羊の群れなどを見ながらエルサレムへ向います。 オリーブの山へと登りきると、夕日に輝く黄金のドーム(エルサレムの象徴でイスラム教の神殿)が展望され、ああエルサレムだと感嘆の声が満ちました。 エルサレムの宿は、モリヤクラシックホテルでものすごく大きく、エルサレムでもかなり古いが有名なホテルだった。聖地旅行の団体客で夕食のブッフェもほとんど満席。 8階建ての最上階に部屋をもらったので、朝早くおきて朝食までの時間、ゆっくりと祈りつつ地下一階まで歩き、また最上階まで登りでゆとりの一万歩を楽しんだ。2日目はナザレ近郊のグランドホテルだったので、朝早くホテルを出て近くの丘まで登り、朝日に輝く景色を楽しむこともできた。 毎朝、今日もまた天国の朝です!と元気で過ごす、主の祝福の日々を生きています。詩篇121:1 私は山に向かって目を上げる。 私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、 あなたを守る方は、まどろむこともない。 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、 まどろむこともなく、眠ることもない。 121:5 【主】は、あなたを守る方。 【主】は、あなたの右の手をおおう陰。 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、 夜も、月が、あなたを打つことはない。 121:7 【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、 あなたのいのちを守られる。 121:8 【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、 今よりとこしえまでも守られる。
2009/03/17
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先週は一週間(8日ー14日)イスラエルへ聖地旅行でした。10回目のイスラエルでしたが、計画した当初ガザ地区での戦争が起こり、決行を危ぶまれました。参加を取りやめた方もありましたが、11名で出かけることができ感謝でした。 ガザでの影響で観光客が激減し、毎回参加者を案内していたイスラエルダンスが中止になっており残念でした。その代わりに10日がちょうどプリムの祭り(エステル書)になっており、夜の街の祭りの中を散歩する恵みも与えられました。 集合場所に立っていたら、爆竹が靴の下で爆発し、足が吹き飛ぶような衝撃を受けてしまいました。ものすごく痛みましたが木傷にもならずで良いプリムの思い出です。 今回のツアーは、いつもアフリカ・ケニアを世話してくれるアイエーシートラベルで出かけました。思ったより料金も安く設定され、ホテルも四つ星クラスでバスも新車の大型(スペイン製)で、11名にはもったいないくらい気楽な聖地巡りでした。 アンマン空港での迎えには、「Inpossibilities Become Challenges」と書いたプラカードを持つガイドが待ち、そのままパスポートを預け、待ち時間もなく出国。帰りの航空機チェックインもすべて問題無しで感謝しでした。 イスラエルのバスにも大きく「Inpossibilities Become Challenges」と書かれており、まさしく不可能は挑戦となり可能となる旅でした。 日本の旅行社にもアンマン、イスラエル旅行社にもお願いしなかったのですが・・・・不思議なツアーで、文字通り平安に守られ、全員元気で過ごす楽しい旅。 現地のガイドとも話して、あと10年くらい毎年イスラエル聖地旅行を計画したい思いで帰国しました。 今週20日(祭)は、初めての試みですが、第一回のENOクラブの集いを計画し、定員オーバーの申込みもあり嬉しい悲鳴を上げています。 どんなことにも不可能は挑戦となり可能となる!生駒聖書学院スピリットで、神様に信頼し感謝することのすばらしさを毎日体験しています。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。エレミヤ書 17:5 【主】はこう仰せられる。 「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、 心が【主】から離れる者はのろわれよ。 17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、 しあわせが訪れても会うことはなく、 荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。 17:7 【主】に信頼し、 【主】を頼みとする者に 祝福があるように。 17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、 流れのほとりに根を伸ばし、 暑さが来ても暑さを知らず、 葉は茂って、 日照りの年にも心配なく、 いつまでも実をみのらせる。
2009/03/16
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イスラエルより帰国して最初の礼拝で、「黙って回れば大勝利!」と題してメッセージです。 聖書のみことばは、「信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました」(ヘブル11:30) イスラエル旅行の2日目に、長い時間をかけてイスラエル入国でした。お昼にはパレスチナ自治区のエリコに到着し、ザアカイが上ったいちじく桑の木を観光。「今日救いがこの家に来た。わたしが来たのは、失われた者を見つけ出して救うためです」とのイエス様の声を聞く重いでした。 またエリコの道端に座り、「イエス様。私をあわれんでください」叫んだバルテマイを思い出しだり、まさしく聖書の世界の真中にいる幸いを感謝し、レストランでビュッフェ式のパレスチナ料理に舌鼓。 そして有名なエリコの城壁跡を見学しました。黙って回れば大勝利と、紀元前1000年前の出来事を偲びました。 新指導者ヨシュアに率いられてヨルダン川を越えたイスラエルでした。早速の大問題は目の前にそびえるエリコの町でした。世界最古の歴史を持つ町は、戦車が4台も通るほどの城壁がそびえる都市国家でした。 神は一日に一回6日間、ただ黙して城壁の周りを歩き、7日目には7回回り大声で叫べという珍妙な戦略を授けました。ヨシュアとイスラエルの民は、そのことばにアーメンと従い、ただ黙々と歩き回りました。ただラッパの音が響き渡り、契約の箱の黄金に輝きが太陽に映えるだけの奇妙な行列でした。 七日目に彼らは朝早くより命じられたとおりに六回は沈黙したまま歩き続け、七回目に大声で叫びました。そのときエリコの城壁はちょうど囲み将棋のように街全体を包み込み、大城壁は崩れ落ち大勝利を収めました。 余りにも多くを語りすぎるために、問題が大きくなる場合もあります。不平不満や文句を言わずに打ち込めば、解決は早く問題はスムースに処理できることの方は多いのです。ブツブツ、ガタガタあれやこれやと言い過ぎるので、さらに多くの問題を呼び寄せてしまうこともあります。 ここは黙って、沈黙は金!しっかりと神様に信頼して前進したいものです。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。 詩篇62:1 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。 私の救いは神から来る。 62:2 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。 私は決して、ゆるがされない。 62:3 おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。 おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。 あたかも、傾いた城壁か、ぐらつく石垣のように。 62:4 まことに、彼らは彼を高い地位から 突き落とそうとたくらんでいる。 彼らは偽りを好み、 口では祝福し、心の中ではのろう。 セラ 62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。 私の望みは神から来るからだ。 62:6 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。 私はゆるがされることはない。 62:7 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。 私の力の岩と避け所は、神のうちにある。 62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。 あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。 神は、われらの避け所である。 セラ
2009/03/15
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8日(日)礼拝を終え、午後11時15分間空発エミレーツ航空でドバイ、アンマン経由で9日午前中には、ネボ山ピスガの頂きに立っていました。午後は少し寒く波も立っていましたが死海浮泳を楽しみました。 10日にはヨルダン川を越えてイスラエル入国。すべてがスムースに行くかに思えて感謝し、聖地ガイドの信夫(しのぶ)さんの顔も見えほっとしたところ、一人がパスポートでストップされました。18歳のときのヘアスタイルと入国時のスタイルが変わっていたので、質問攻めのため遅れました。 もう一人は入国スタンプを押してもらいましたが、スーツケースが重すぎるのはなぜか、何が入っているのか?と質問攻め。ケースを開けて中を見てくださいとお願いしても、質問が先でそれから中を開けて一つ一つ調べたためかなり時間を取りました。 イスラエルは入国チェックが厳しいので一番安全な国ですねと感謝しつつ、11名全員スタンプを押してもらい、待望の聖書の土地を歩きました。 昨日の朝、ガリラヤのナザレのホテルを出て出国。ヨルダン入国後アンマン国際空港よりドバイへ、6時間のウエイトで14日(日)夕方寒さに驚きながらの気候でした。 お祈りありがとうございます。10度目のイスラエル旅行を聖書とともに旅しての帰国でした。感謝します。 今日もまた天国の一日でした!感謝します。創世記28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」 28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。 28:17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」 28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。 28:19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。 28:20 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、 28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして【主】が私の神となられるなら、 28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」
2009/03/14
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しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかってのぼることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31) 現代人は慢性的な疲労感をもっていると言われます。そしてその疲労感は心構え、つまり心の持ちようにあると、よく指摘されます。ある小冊子にこんな話が書いてありました。 電車の運転手が順法闘争をやると、ふだんの二倍疲れるそうです。もちろん、信号や規則を守ることは大切ですが、意識的にダラダラ仕事をしようとすると、それが大変な心の負担になるのです。 また、こんな話もあります。イギリスで第一次世界大戦の最中、ある軍需工場で、一週間の実労時間を20パーセント減らしてみました。ところが、時間当たりの出来高がかえって20パーセント増えたため、一週間の生産高はほとんど変わりがなかったというのです。 この二つの事実から、ダラダラ働きはかえって能率を妨げることが分かります。ことに、意識して働かないような働き方は、よくないようです。能率が落ちるばかりではなく、疲れもひどくなります。 だいたい、仕事や家事なんていうものは、そうそう楽しいものではありません。それを人からやらされると思うから、ますますイヤになり、疲れも倍増するのです。 だから、自分の作業には、自分が主人公になって、楽しく積極的に取り組むことが大切なんですね。言わば、ほれ込むことです。無心ともいえる状態で熱中すれば、体の疲れも心の疲れも少なくてすむのです。 子どもを連れて遊園地に行ったことがあります。子どもは珍しいもの、楽しいことばかりなので、夢中になって動き回ります。こちらはもう夕方ごろには、かなりくたびれていました。しかし、子どものほうは、まだ熱中しています。子どもも、さすがにその夜はすぐぐっすり眠りましたが、次の朝はまた元気に起きてきました。 何事でも熱心に積極的に取り組むなら、体の疲れも心の疲れも少なくてすむのです。 さらに、ものごとに熱心に取り組む時、脳の疲れも少ないという研究もあるそうです。アインシュタインの脳波の写真を見ると、この偉大な人物の脳波は、何もしないでいる時より、何か難しいことを考えている時のほうが、かえってゆったりとして、疲れにくいものになっているということです。 私たちも同じです。だから、同じ仕事をするにも、積極的に楽しく働く姿勢が大切になってくるのです。 イエスさまは、すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28) と招いてくださいました。 疲れを下ろす場所、精神の補強をする場があるとは幸いですね。心も体もキリストの下に来る時、休まります。クリスチャンは6日間働いて、7日目を休みの日として守ります。神を礼拝するための時間は、私たちの人生に「ゆとり」を与えます。一週間働きづめよりも、身も心も休める礼拝をもつほうが、長い目で見ると、勝利につながるのです。 心の中にたまる疲労感は、私たちの人生から活気を奪い、やる気を失わせます。ですから、十字架のもとにすべての心の疲れを下ろすことが大切です。また過去の罪や悲しみ、傷ついた心などすべてを、イエス・キリストの十字架の血潮は清めてくれます。 心が新しくなる時、考え方が変わります。積極的な心で人生に取り組むことができるようになるのです。新しい人生が始まります。まったく新しい生まれ変わった人間、三日坊主ではない、いつまでも続く新しい人生の喜びが生まれるのです。 あなたはどのような心構えで人生を生きていますか? 今日、イエス・キリストをあなたの心にお迎えになりませんか?私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13) 心からあなたの上に祝福をお祈りします。
2009/03/13
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私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。(詩篇3:5) 夜ぐっすり眠れるのは、たいへんうれしいことです。健やかな眠りは、さわやかな目覚めをもたらします。眠りは、悩みある人間に神様がくださった、すばらしいプレゼントです。 この詩篇3篇は、ダビデがわが子アブシャロムから逃れた時の賛歌です。ダビデは、羊飼いの少年から身を起こして、イスラエルの偉大な王となり、紀元前一〇〇〇年ごろからのイスラエル黄金時代を築いた偉大な王様です。ところが、彼の王国が栄えつづけていた時、こともあろうに、王の最愛の息子アブシャロムが反逆したのです。アブシャロムは父ダビデ王を殺害して、自分が王位に就こうとしました。 ダビデはアブシャロムから逃れて、ユダヤの荒野をさまよいました。この詩を作ったのは、その時でした。悲劇のまっただ中、死の恐れの中でも、彼は安らかな心で眠ることができたのです。それは彼が人一倍神経が太い人だったからでしょうか? いいえ、彼も人の子、息子の反逆にその心は痛み、涙していたのです。最愛の息子の裏切りに、胸が破れるほど悲しんでいたのです。しかし、そのような中にあっても、ダビデには信頼できる神がいました。 彼は、自分が安らかでいられるのは、主が支えてくださるからだと、力強く歌っています。支えてくれる人がそばにいること、それは大きな力であり、また助けです。 私が中学三年の夏のことです。数人の友人といっしょに、ある教師に引率されて、キャンプに行きました。目的地に着いた時は、もう夕方でした。ちょうど満ち潮で、海岸が洗われていました。その海岸を横切った先のキャンプ地に向かって、私たちが渡りはじめたその時です。大波が押し寄せ、私の体は、あっと言う間に波にさらわれかけ、半分浮き上がりました。しかし、そばにいた教師がさっと手を伸ばし、私の腕をつかんで引き寄せてくれました。まさに九死に一生を得たのです。この時ほど、教師が頼もしく思えたことはありませんでした。 私たちの人生には、愛する息子に裏切られるような悲痛の時もあります。また、何もかもうまくいかない八方ふさがりの日々もあるし、体が病気にさいなまれるようなことも少なくありません。そして、夜も眠れないような悩みのある日もあることでしょう。しかし、たとえどのような波が押し寄せる日にも、揺るがない人生を生きることができるのです。 それは、私たちの人生を支えてくださる神をもつことです。 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。(詩篇3:1-3) 私たちの神様は全能の神、何でもできる神様です。あなたがもうだめだと思う時、眠ることすらできないような悲しみのただ中にある時、神は「回りを囲む盾」となってくださいます。神は安らかな眠りをくださるのです。そしてあなたは、神こそがあなたの人生を支えてくださることを知って、心安らかな日々を生きるのです。 また、ダビデは「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる」(詩篇3:4)と歌いました。神様は守ってくださるだけでなく、声をあげて呼ばわる時、答えてくださる方です。あなたもこの答えてくださる神様に何でも告げることができるのです。「神様、眠れません。眠りをお与えください。アーメン」。「神様、苦しいのです。この苦しみを取り去ってください」。「神様、寂しいのです。この寂しさから救ってください」。 八木重吉は歌いました。さて赤んぼはなぜに あん あん あん あん なくんだろうかほんとにうるせいよあん あん あん あんあん あん あん あんうるさか ないようるさか ないよよんでるんだよかみさまをよんでるんだよみんなもよびなあんなに しつっこくよびな 私たちの人生のすべてを神様に告げることができるとは、何と幸せなことでしょう! あなたが今日、もし不眠症で困っておられるのなら、ぐっすり眠ることができる秘訣をお分かちしたいと思います。 あなたは私の心に喜びをくださいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩篇4:7、8) この詩篇を声に出してお読みになり、信じて床にお入りください。
2009/03/12
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あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。(ヘブル10:35) 失敗の最大の原因は、あまりにも簡単にあきらめてしまうことです。人はちょっとした障害や失敗で、何と簡単にあきらめてしまうことでしょう。 アメリカのゴールドラッシュの時代の話です。 R・U・ダービは宝探しの熱に浮かれて、西部へ出かけました。シャベルとピックを持って西部へやってきた彼らは、間もなく金鉱を掘り当てました。そこで、さっそく借金して掘削の機械類を買い入れました。そうして掘り出された金鉱石は、最も良質のものと認められました。ドリルで掘り進むほどに、彼らの夢もふくらんでいきました。借金もたちまちのうちに返済してしまいました。 しかし、大失敗はその直後に起こりました。ある日突然、金の鉱脈が消えたのです。夢ははかなく崩れさりました。そこにはもう、一かけらの金も残されてはいませんでした。 だが、彼らはあきらめきれません。絶望と闘いながら、祈るような気持ちで、さらにドリルで掘り下げていきました。が、結局彼らはすべてが水の泡と消えてしまった現実を認めざるをえませんでした。 最後の決断を下しました。そして、採掘設備のすべてを、わずか数百ドルの捨て値で、くず屋に売ってしまい、故郷へ帰ったのです。 設備を買い取った男は、念のために鉱山技師を雇って、本当にこの鉱山がダメなものかどうかを調査してもらいました。調査の結果、ダービたちがあきらめた地点のわずか三フィート下から、金鉱脈が発見されたのです。それは豊かな金鉱脈でした。ダービたちは、もうちょっと頑張っていれば、忍耐していればと悔やみましたが、後の祭りでした。 人生でも同じことが起こります。失敗の中にいる人、せっかちな人は、もう少しの辛抱ができません。そうして、すぐにあきらめ投げ出してしまう人が多いのではないでしょうか? しかし、投げ出したり、あきらめたりすれば、それで終わりです。何も良い結果を得ることはできません。 聖書は約束しています。あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。(ヘブル10:35) それではどのような報いが約束されているのでしょうか?1 まず平安です。あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1) とイエス・キリストは約束されました。神がともにおられる時、常に平安があります。2 罪の赦しです。罪意識からの解放です。 あなたの心の中にある罪の意識や良心のとがめは、イエス・キリストによって清められます。3 喜びです。 キリストを信じる者は罪を赦され、神の子となります。平安と喜びに満ちて生きることができるのです。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6) 信仰によってこそ、神の存在を信じることができます。信じるがゆえに神が分かるのです。また、求めてくる者には必ず報いてくださる神です。信仰こそ、神の祝福を受ける道なのです。 イエス・キリストを信じる時、病気はいやされます。すべての呪いから解放されるのです。貧しさからも自由になります。そしてこの人生を成功的に積極的に生きることができるのです。仕事は成功します。家庭は幸せになります。 あなたの確信を投げ捨ててはなりません。それには大きな報いがいつでも伴っているのです。神の報いがいらない人は、一人もありません。また神の報いは一つも漏れることがありません。 今日、あなたに向かって大きく開かれている神の愛の手の中に飛び込んでください。あきらめる前にその愛の力と大きさを体験してください。
2009/03/11
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わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。(黙示録3:8) 私たちの周りには、いつもできないということを考える人と、できるということを考える人、二種類の人がいます。すぐ「できません」と言う不可能主義者は、決して成功することはありません。どんなに多くのチャンスがあっても、「できない」という考えが、その門を閉じてしまうのです。しかし、「できる」と考える人はいつも可能主義者です。できると考える人は、いつも将来に目を向けます。過去ではありません。過去がいらないと言っているのではありません。過去は自動車のバックミラーのようです。必要なものなのです。しかし、それは前に進むためであって、後ろに向かって走るためではありません。多くの人がバックドライブをしています。前に向かって進む代わりに、過ぎ去ったかこの時のことを悔やみ、嘆き、ほじくり返すのみで、今、目の前にあるチャンスを逃してしまうのです。 こんな話があります。チャンス氏は前髪だけをもっているそうです。チャンスが向こうからやってきますよね。チャンスだと思ったら、その前髪をパッとつかまなければなりません。行き過ぎてから捕まえようとすると、後ろ髪がありませんので、スルっとすべって捕まえることができなくなるからです。それは真実ですね。だれの前にも祝福の扉は開かれているのです。 スタイレン・スタインという男の話を読みました。彼はハンセン氏病でした。目も全然見えません。一生出ることはない病院に入っていました。もし彼がそのままだったら、彼は埋もれ、朽ち果ててしまったことでしょう。彼はある日、「自分に残されたもので何ができるか」と考えたのです。 彼は考える力が残ってるのに気がつきました。そこで彼は本を書こうと思いました。彼は盲目という大きな障害、恐ろしい病気をかかえていました。その障害をチャンスに変えてみようと思ったのですね。そして、その障害を本にしようと決心しました。 白い杖をつきながら図書館へ行き、自分の部屋へたくさんの本を持って帰ってきました。そして、友達にどのようにしたら文章が書けるか、ベストセラーが書けるかという本を読んでもらいました。彼は今度はテープレコーダーを手に入れ、自分の思いを吹き込んだのです。その次に、その声を活字にしてくれる人を探しました。彼がそのようにして書いた『もう一人ではない』という本はとてもよく読まれ、ベストセラーになりました。彼は言いました。「私は失ったものを嘆き悲しむのではなく、私に残されているものでこのことができたのです」と。 あなたの前にも、今日二つの道があります。一つは「できない」とあきらめる、失敗者の道です。もう一つは、神様を信じて、「どんな不可能も可能になる」と信じる成功者の道です。 今日、イエス・キリストをあなたの救い主として受け入れてください。あなたの人生は大きく変わります。どんな不可能の中にも可能性を見出して進んでいく、すばらしい人生となります。
2009/03/10
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久しぶりの10回目の聖地旅行です。昨夜11時15分にエミレーツ航空でドバイ経由、ヨルダンのアンマン空港へ到着しました。日曜日の朝は早く起きてゆとりの一万歩を歩きました。アンマンと日本は7時間の時差があるので、万歩計は午後5時に数字がゼロになります。イスラエル旅行中は午後5時までにゆとりの一万歩を歩きます。 ドバイ国際空港では待ち時間を利用して広い空港ロビーを4回往復します。夕方は死海のほとりを一人でゆっくり歩き、朝も早く目覚めて歩きます。もうゆとりの一万歩と決め歩き始めて5年と5ヶ月になり、ヨルダンとイスラエルでも歩いてきます。 10日はバスとケーブルカー利用が多く、朝のうちにしっかりと死海を歩かないと一万歩が大変です。 11日はエルサレム観光で、朝から夕方までほとんどが歩きなので、ゆとりの一日です。12日はガリラヤ湖周辺をバスと船で観光するので、エルサレムで朝のうちにしっかり歩く必要があります。ただ早朝は危険なのでホテルの中を歩くことにしています。そんなこんなの聖地旅行を続けてきます。 明日からのブログは、ラジオ放送希望の声メッセージを転載します。祝福を祈ります。ヨシュア記1:1 さて、【主】のしもべモーセが死んで後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。 1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。 1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。 1:4 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。 1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
2009/03/09
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日曜日はいつものように午前9時一部礼拝、午前10時学院教会礼拝、午後2時大阪エリム礼拝と続きます。いつもは午後5時30分の堺エリム礼拝へ行きますが、今日は伝道師に委ね一度帰宅し、準備を済ませて関西空港午後11時15分発EK317(エミレーツ航空)便でドバイ経由アンマンへ出国します。 イスラエルへの旅は久しぶりで今回が10回目。ガザの爆撃などがあり旅行が危ぶまれましたが、11名といっしょに出かけます。 明日の午前中には、モーセが死んだネボ山のピスガに頂に立ち、彼が望み見た乳と蜜の流れる聖地を眺めます。 モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。主は、彼に次の全地方を見せられた。ギルアデをダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの地、ユダの全土を西の海まで、ネゲブと低地、すなわち、なつめやしの町エリコの谷をツォアルまで。 そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」 こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。 主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:1-7) 午後には死海のホテルにチェックインし、塩の海で浮遊体験です。死海(しかい - The Dead Sea)は、アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418メートルと、地表で最も低い場所でっす。 海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海は30%の濃度を有する。1リットルあたりの塩分量は230gから270gで、湖底では300gを超える。この濃い塩分濃度のため浮力が大きく、人が死海に入って沈むことは極めて困難です。 また当然ながら、生物の生息には不向きな環境であるため、湧水の発生する1ヶ所を除き、魚類の生息は確認されていない。死海という名称の由来もここにあります。 しかし、緑藻類のドナリエラ(Dunaliella salina)や古細菌類の高度好塩菌の生息は確認されています。 死海からは流れ出る川がなく、年間を通じて大量の水が蒸発します。内陸の巨大湖の特徴として、周囲の土壌に元来含まれていた塩分が雨によって流され、下流の湖で凝縮する形となり、塩湖が形成されると考えられていますが、死海についてはこの他に、ヨルダン川および主に周囲から涌き出る温泉から塩分が供給されているとも考えられています。 ヘブライ語では(塩の海)と呼ばれ、聖書には「アラバの海」、「東の海」などと記されています。 ロトの妻のことを思い出しなさい。(ルカ7:24)創世記19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。と言う記事でも有名な死海です。エゼキエル書(死海についての預言)47:1 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。47:2 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。47:3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。47:4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。47:6 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。47:7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。47:8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。47:10 漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。47:11 しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。47:12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。
2009/03/08
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2008年度の卒業式を昨日終えました。朝からドシャ降りの雨でしたが、祝い事に雨は最高の祝福です。 聖書には秋の雨、春の雨の祝福が約束されています。日本は雨が豊かに降り、水不足にはほど遠い国ですが、イスラエルは雨期乾期がハッキリしており、種まきと収穫前には雨が必要です。 イスラエルには明日からの聖地旅行で10回目になります。一度も雨に会ったことのない旅でした。9回目のときカペナウムでドシャ降りの大雨になりました。雨期で葉ありませんでしたが、ガイドも初めての経験だというくらい時期外れの大雨でした。雨の後で回りを見ると、すべての草木や花が活き活きと輝いていました。 聖書には雨が祝福であることを説明することばがたくさんあります。申命記8:7 あなたの神、【主】が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、 8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。 8:9 そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地、その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地である。11:9 また、【主】があなたがたの先祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われた地、乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。 11:10 なぜなら、あなたが、入って行って、所有しようとしている地は、あなたがたが出て来たエジプトの地のようではないからである。あそこでは、野菜畑のように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやらなければならなかった。 11:11 しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。 11:12 そこはあなたの神、【主】が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、【主】が、絶えずその上に目を留めておられる地である。 天の雨で潤う地への約束はすばらしいですね。詩篇65:9 あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、 これを大いに豊かにされます。 神の川は水で満ちています。 あなたは、こうして地の下ごしらえをし、 彼らの穀物を作ってくださいます。 65:10 地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、 夕立で地を柔らかにし、 その生長を祝福されます。 65:11 あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、 あなたの通られた跡には あぶらがしたたっています。 65:12 荒野の牧場はしたたり、 もろもろの丘も喜びをまとっています。 65:13 牧草地は羊の群れを着、 もろもろの谷は穀物をおおいとしています。 まことに喜び叫び、歌っています。 ゼカリヤ書10:1 後の雨の時に、【主】に雨を求めよ。 【主】はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、 野の草をすべての人に下さる。 雨が振り込むように恵み豊かな卒業後の進路を祝福しての式でした。 今日は4歳になる孫の誕生祝。もう4歳になるよ!と何ヶ月も前から会うたびに言われ、待って待って待ち望んだ誕生日です。昨日も式が終わってわが家に立ち寄り、あしたのプレゼント何?と。目に留まったのが娘が用意して置いてあったプレゼント。あっ!これプレゼントだ!開けて良いの。でもダメだね。明日もらえりんだから、嬉しいと帰って行きました。 そのほほえましい姿に、神様の前であんなふうに爽やかに、愛なる神の最善を楽しみに生きていく信仰でありたいと思いました。 心から神様の前で恵みを素直に喜び、ありがとうございます。愛されています。幸せです。感謝します。今日もまた天国の一日です!
2009/03/07
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生駒聖書学院は創立80周年を迎え、今日(6日)戦後56期生を送り出します。 イギリス人、レオナード・W・クートによって1929年に創立され、1941年に宣教師退去命令により第二次世界大戦中閉鎖を余儀なくされました。 1950年再開され、56期生卒業式を迎えました。3名卒業で2名が修了する、小さな卒業式ですが、最高の喜びで送り出します。 アメリカ留学一人、教会伝道師就任二人、教会奉仕二名とそれぞれに巣立地、開拓伝道に出るものはいませんが、内一人がチャーチスクールの働きを始めます。 創立80周年記念聖会の講師、永井明牧師は一人卒業の6期生でした。 【主】が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千人を追い、ふたりが万人を敗走させたろうか。(申命記32:30)とあるように、大きなお働きを今もなお継続しています。 大阪茨木市、宮崎市、福岡市、宮城県大衡村に聖書学院創設し卒業生が開拓伝道で教会創設、海外にまでその働きは広がり、ご自身佐賀県鳥栖市に開拓伝道で大きな教会を創設し、お元気に活躍中です。 大勢の献身者を願い祈っていますが、イエス・キリストの十字架の救いを大胆に伝える器が輩出されることこそ、最大の願いです。 今朝のニュースに、警察庁は5日、1月に全国で自殺した人は2645人だったと発表したとありました。 経済環境の悪化で自殺者数が増える恐れがあることから、これまで年1回発表していた自殺者数について初めて月別の数を公表した。一方、企業の決算期にあたる今月は、経営難を理由にした自殺が増える恐れもあることから、パトロールを強化したり、支援窓口を検索できるホームページを開設したりするなど、いのちを守る動きが広がっている。 同庁によると、自殺者のうち男性が1894人。都道府県別では東京都が255人と最も多く、次いで大阪府159人、埼玉県155人、神奈川、愛知県138人だった。 国内の自殺者は1998年以来10年連続で3万人超を記録。98年は、前年に金融不安が広がり、決算期の3月に自殺者が急増。今年も経済環境が悪化していることから、関係者は危機感を募らせている。 自殺が多いことで知られる福井県坂井市の東尋坊では、自殺対策に取り組むNPO法人「心に響く文集・編集局」(茂幸雄代表)が、昨年11月以降の4か月間で19人の自殺志願者を保護した。例年は年間20~30人で、茂代表は「信じられないハイペース。元派遣社員などこれまであまり見なかった若者が増えている」と話す。ともありました。 15歳のとき、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」との、イエス・キリストのことばを聖書によって知り、いのちの尊さをしっかりと受け止めました。 イエス・キリストを信じて救われると伝えることは、その尊いいのちを救い守ることです。地上のいのちだけでなく、死んでからも地獄へ行かないように、永遠のいのちを伝えることです。 イエス・キリストが十字架にいのちを捨てて贖ったいのちを、全世界の人々に伝えの働きをする器を養成する働きをしているのが、生駒聖書学院なのです。 テモテの第二の手紙 4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 4:5 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。 4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
2009/03/06
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生駒聖書学院は明日卒業式です。式はインターネットでも配信するので、生駒聖書学院ホームページをご覧ください。http://ibcelim.com/ 今日は神学生のちょとユーモア?エピソードを紹介します。 遠くにいるN神学生を見つけて、「おねーちゃん!」と大声で叫ぶ3歳の女の子。Aちゃん!と答えるN姉の声はもっと大きい! 本人に自覚はないようだが、良くミスっているY神学生。「私はみんなに言われるほど酷くはない!」と常々言っていた。 先日、レポート提出の「講義」を「抗議」と入力し、ミスに気づかずそのまま教授に提出してしまいました。普段からの抗議が仇となり大失敗。 W神学生。毎日退屈しストレス解消のため、自転車にのり院内をグルグル回っていた。S神学生が感動して、「聖書学院をきよめるためまわっているんですね!」と声をかけた。 なんとW神学生、「うっぷん晴らしに乗り回しているのよ!」それを聞いたS神学生は、なぜか顔を真っ赤にして大爆笑!答えたW神学生、今でもどうしてそんなにおかしかったのか不思議だそうだ。 A神学生は、聖書のことばを歌に作って歌っているが、字余りになると早送りになる。彼女しか歌えない歌がいっぱいで残念・・・・。 いつもはしっかり者でみんなのお母さん役のT神学生。しかし、「あ!鍵わすれた。コート忘れた。ケータイ忘れた。カーディガン忘れた・・・ 先日は大阪エリムの集会帰りに、コート、マフラー、携帯電話を忘れた帰ってしまった。不思議なT神学生です。 いつもは穏やかで上品、とてもエレガントで優しいM神学生。しかし、ハンドルをにぎると人格が変わる。「オリヤー!行け!行け!」ジェットコースター並み。先日初めて同情させてもらった副院長の一言。乱暴でビックリした! A神学生はどんなときでもマイペースで平和主義者。そして食べるのはだれよりも早い(なのに細い!よく言っている一言は、「平和が一番だよ~」お茶目な、とっても癒し系な神学生です。詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2009/03/05
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毎週火曜日に集会に参加している神学生たちと夕食会。08年度も最後の週で一年の感謝をいっしょにし、大阪エリム集会前であわただしけれども楽しいときでした。 ラジオ放送録音が終わって駆けつけてたので、イタリア料理フルコースの途中でレストランに着きました。臨席の神学生夫婦がちょうど結婚記念日ということで、大喜びの二人を中心に11名が舌鼓を打ちながらの美味しい時間でした。 マスターが思い切りスパゲッティを盛り付けるようにしてくれたり、特別デザートをサービスまで提供してくれたりで、久しぶりにお腹いっぱいの食事でした。 雨の中を駐車場に走り、午後7時の集会に全員間に合い、喜びと感謝の賛美とともに、初めての方の出席もありすばらしい集会でした。 集会では、申命記より祝福についてのみことばをたくさん読みました。ご紹介します。 十字架による限りない祝福を与えられて! ガラテヤ3:13-14 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 申命記1:11 ──どうかあなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように── 7:13-15 あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる。あなたのうちには、子のない男、子のない女はいないであろう。あなたの家畜も同様である。【主】は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。 15:6 あなたの神、【主】は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。 23:5 しかし、あなたの神、【主】はバラムに耳を貸そうとはせず、かえってあなたの神、【主】は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、【主】は、あなたを愛しておられるからである。28:2 あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。(28:1-14】 エペソ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 ペテロの手紙第一3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 最後にみんなで、ありがとうございます。大いに祝福され、その祝福を与えることができました。感謝します! 今日もまた天国の一日でした!と告白し、大きな喜びの中で家路をたどりました。
2009/03/04
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聖書の神はことばの神です。神のことばは生きていて力があります。神のことばは空耳で聞いたり、神がかりになって聞けるものでもありません。想像や霊感のひらめきのことばでもなく、聖書に書かれたことばが生きていて働く神のことばです。 聖書のことばをアーメンと本音で受け止めるとき、そこに書かれているとおりのことが実現します。今日もいのちが与えられて生きているのは、神のあわれみと愛による恵みです。 哀歌にあるとおりです。 「私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。 主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。なたの真実は力強い」3:23-24 聖書のことばを読みアーメンと信じるとき、神のことばを聞いているのです。 「まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(申命記30:11-14) クリスチャン生活は聖書を読み、聖書のことばをアーメンと受け止め、それを心にも知識にも蓄え、そのように生かしてくださる聖霊に信頼して幸いに生きることです。 神のことば聖書に、「すべてのことに感謝しなさい」(テサロニケ第一5:17)とあります。悩みや問題、病や事故トラブル、経済的不安や家族のこと、人間関係のことなど告ぎ次ぎと押し寄せてきます。それはすべてのことに感謝しないからだけなのです。 愛なる神様は、感謝できる遺伝子を与えてくださいました。ありがとうございます!とすべてのことに感謝し始めると奇跡と思えるようなことが起こり始めます。不思議なことですが、ほんとうのことです。思い切りすべてのことを感謝して見ましょう。 NASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙飛行士は、毎日2時間ずつの訓練を二年(延べ約1400時間)行います。 その訓練の大半は、トラブルをどのように解決するかだそうです。エンジン停止、アームが動かない、耐熱タイヤがはずれた・・・・。その様々なトラブルを起こさせ、それをそれぞれ解決していくという訓練です。 訓練が千時間を越えたころから、宇宙飛行士たちの本質的な性格が出てくるそうです。短気やイライラや怒りの性格があっても、千時間くらいまでは何とか我慢できるそうですが、それ以上はムリな人がでてきます。 1400時間の訓練達成直前が近づくと、何か感情的なことばを叫んでしまいます。「こんちくしょう!」「何でこんな故障ばかり起こるんだ!」 そう叫んだ瞬間、訓練は終わります。宇宙飛行士の訓練を受けている人は、みんな優秀な頭脳を持ち、技術や知識にはそう差はありません。 最終的にされるのは、訓練の場でも絶対に感情的にならない人物であることが決め手になります。自分の短期やイライラなどを我慢し隠し続ける人ではなく、1400時間の訓練で問題を処理できるようになることです。そのとき宇宙に飛び出しても安全を維持できるのです。 人生で最高に生きる秘訣は、すべてのことに感謝し続ける訓練です。不平不満や、イライラ、短期や喚き叫ぶのではなく、すべてに感謝し続けたいものです。 人生で起こる出来事はすべて神の恵みだと聖書にあります。神の声をしっかり聞きつつ、感謝の気持ちと感謝のことばで過ごしたいものです。 今日もまた天国に一日です!ピリピ人への手紙4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。 4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。 4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
2009/03/02
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ELIMの集いご案内 ENO(Elim Nobless Oblige)の集いは、健康不安、経済危機、社会のひずみなど、混沌とした時代に届けられる聖書のことばの驚くべき現実感を語る集いです。 その経験済みの具体的ヒントを、それぞれの専門分野の専門家に、惜しげなく披露していただき、少しでも多くの方々の実学として活用し成功の道を歩んでもらえたらと願って計画した第一回です。日時 2009年3月20日金曜日(祭日) 午前9時45分受付・午前10時30分開始 昼食懇親会:12時ー1時30分講師 里深太典紀(さとふかたつき)テーマ 私たちはわずか4つの聖書のことばで癒される!講師プロフィール エッセイストで、日本医学ジャーナリスト協会理事。グッドワーク研究会会長。 OST(大山式ストレッチトレーニング協会)理事長。 松下電工電子メールニュースで5年間コラム(里深太典紀のなるほどウエルネス)を掲 載。またナショナル公式WEBで3年間「里深太典紀の元気探索」と「健康Q&A」を連載。 そのほか多くの団体k理事歴任。公共団体、学校、商工会議所や大手企業の講演多数。 熱心なクリスチャン家庭に生まれ14歳で大喀血、2年半闘病。肺結核再発で200回 以上の喀血とB,C肝炎のため20代の10年間を寝たっきり。 30歳から働き出すも多発性関節リューマチ、肝硬変、十度の不整脈で7度の緊急入 院、眼底出血で右目一時失明、他多種・・・・)を通じ、癒しの経験を体験。そのころの 試練のさ中で榮義之牧師と出会い、20年以上の交友関係が続いている。 現在まで企業経営やコンサルタントを含めて多忙を極め、全国的に健康の秘訣を指導 し、著書も「なるほどウエルネス」「いのちの本音」「生命賛歌」など多数を出版。 イエス・キリストを信じ、榮義之牧師との出会いなどもあり、大成功を収めている。 自らの壮絶な体験と、2万5千人以上の健康相談から得られた元気の秘訣を、分かり易 くだれでも納得できる健康・医学の最新情報を惜しみなく公開します。 (奇跡的)治療には3つの形がある。 信じようと無理しなくても、わかればOK. 癒しは「奇跡」ではなく「科学」のお話し。 心のブレーキをはずすと、すぐ治り始める。 質疑応答の時間があります。また講演後の食事懇親会でもゆっくり交われる時間があります。春分の日の一日、春の風がやさしく通り過ぎていくようなさわやかな健康講座にご参加ください。 会場 たかつガーデン 大阪市天王寺区高津町7番11号(上本町駅より「北へ徒歩1分)会費 6,000円(当日受付でお支払いください)申し込み先 E-mail elimyoshi@kcn.jp定員 35名締め切り 3月15日(日)懇親会食事予約都合上・15日まで申込みの場合、講師著作の本 いのちの本音(千円)を当日プレゼントします。 食事会の準備のため必ずお申込みをお願いします。当日申込みはお断りします。 ENOの集いは次回は5月に計画しています。お祈りください。 五月の講師には、売上高330億の株式会社ムラサキスポーツ代表取締役金山良雄会長を東京よりお迎えし、「聖書のこおtばと経済的繁栄」をお話しいただく予定です。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2009/03/02
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春3月。今朝はこれから大阪クリスチャンセンターで行われている朝の集い(大阪朝祷会/毎週月曜午前7時)に出かけます。 3月20日(祭)に計画しているENOの集い案内もあり、久しぶりの参加です。月曜日朝は生駒聖書学チャペルや授業開始のため院内にいつも留まります。今朝は試験の週で問題を提出して委ねての参加です。ENO(Elim Nobless Oblige)の集いは、健康不安、経済危機、社会のひずみなど、混沌とした時代に届けられる聖書のことばの驚くべき現実感。その経験済みの具体的ヒントを、それぞれの専門分野の専門家に、惜しげなく披露していただき、少しでも多くの方々の実学として活用し成功の道を歩んでもらえたらと願って計画した第一回の集いです。日時 2009年3月20日金曜日(祭日) 午前9時45分受付・午前10時30分開始 昼食懇親会:12時ー1時30分講師 里深太典紀(さとふかたつき)テーマ 私たちはわずか4つの聖書のことばで癒される!会場 たかつガーデン 大阪市天王寺区高津町7番11号(上本町駅より「北へ徒歩1分)会費 6,000円(当日受付で御支払いください)申し込み先 E-mail elimyoshi@kcn.jp定員 35名締め切り 3月15日(日)懇親会食事予約都合上・15日まで申込みの場合、講師著作の本 いのちの本音(千円)を当日プレゼントします。イザヤ書53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、 おのおの、自分かってな道に向かって行った。 しかし、【主】は、私たちのすべての咎を 彼に負わせた。
2009/03/02
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先週の礼拝は、申命記1:6-7「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ」1:10-11 あなたがたの神、【主】が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。──どうかあなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように──とのメッセージを語りました。 私たちが向きを変え(悔い改め、方向転換)さえすれば、神様の限りない祝福を体験できるとは何という幸いでしょうか。 今年度、教会に与えられたみことばもそのことを教えています。 ルカ5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。 申命記を読み、大きな祝福と幸いを与えるとの約束に感動し、イエス・キリストによってすでにその祝福を体験している幸いに感謝しています。 2章7節に、 「事実、あなたの神、【主】は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、【主】は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった」とありますように、40年間の荒野の旅でしたが、彼らの着物はすりきれず、足ははれませんでした。靴は破れなかったという意味です。 試練も多くありましたが、それは彼らの心のうちにあるものを神様が知るためでした。そして全能なる神の愛を彼らに分からせるためでした。それは彼らが祝福され幸せになり、神様をほめたたえるためでした。 神様は彼らの精神的支柱となる十戒を与えられました。神のみことばを守り行なう限り祝福は限りなく続くとの契約でした。 申命記28章には多くの祝福が、彼らが神のみことばに従うとき、豊かに与えられると約束なされています。 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。 あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。 【主】は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。 【主】は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。 あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り、主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。 地上のすべての国々の民は、あなたに【主】の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。 【主】が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、【主】は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。 【主】は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、【主】の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。【1-14】 旧約聖書の律法と新約聖書の救いを正しく認識することが必要です。旧約聖書には、祝福の約束がたくさんあり、それは条件があることが分かります。 その律法を守り行なえば祝福され、守らなければ呪われるという宣言です。すごく分かりやすい宣言です。戒律を守れば救われ、守らなければ救われない。従順に従い守れば祝福されるが、不従順になり逆らえば呪われる!ハッキリしています。 クリスチャンにとってどのように理解したらよいのでしょうか。聖書には律法を守ることによっては救われないとあります。なぜなら神の戒律を完全に守ることはイスラエル民族にはできなかったからです。守れなかったイスラエル民族も全人類も呪いの元に置かれてしまいました。 律法は良いものです。しかし、だれもそれを完全に守ることはできませんでした。使徒パウロは、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」とうめき、「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します!」と喜び叫びました。 イエス・キリストがこの世界に生まれたことにより、救いに大きな転換が起こりました。 「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです」(ガラテヤ3:13-14) 「木=十字架にかけられる者はすべてのろわれたものである」(申命記21:23) 律法を行うなうことのできない呪いのいから解放のために、イエス・キリストは十字架の上にいのちを捨ててくださいました。 なぜ律法を全人類は守ることはできないのか。それは罪があるからです。その罪を取り除かない限り、全人類はのろいの下に閉じ込められているのです。イエス・キリストは十字架の上に、全人類の罪を背負われました。十字架上の「全てが完成した。すべてが終わった」は、そののろいからの解放宣言なのです。 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」十字架の主を見上げ信じるだけで救われるのです。アーメンと信じて、バプテスマを受けてください。そうすれば新しい人生が始まります。 全人類は救いのない状態の山に長くとどまり続けています。向きを変えて出発するときが来たのです。信じれば救われる。アーメン信じますと、イエス・キリストを心にお迎えください。 クリスチャンも救いの確信へと向きを変えてください。自分が恵まれないのは行いが悪いからだ。足りないからだと自分を責めてばかりいると、律法の呪いに縛られてしまいます。 すばらしい祝福の約束は、十字架と復活のイエス・キリストを信じることにより、聖書のみことばどおりに実現するのです。ペテロの第一の手紙 3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。 3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 3:10 「いのちを愛し、 幸いな日々を過ごしたいと思う者は、 舌を押さえて悪を言わず、 くちびるを閉ざして偽りを語らず、 3:11 悪から遠ざかって善を行い、 平和を求めてこれを追い求めよ。 3:12 主の目は義人の上に注がれ、 主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
2009/03/01
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