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孫が今日で満2歳になります。今日はNHKのディレクターが、芋堀に連れて行ってくれるので、ハッピーバースディの祝いは昨夜、みんなで楽しくすることができました。 夕方6時に家に来て、主役が自分だと分かるのだと思います。ご飯もしっかり食べ、ハッピーバースディをが歌うと、手を叩きながら喜んでいました。 すぐ上の姉(四才10ヶ月)はことばが早かったのですが、男の子はゆっくりでパパ、ママ、ねぇね、ジイィジ、バアァバくらいです。一番早かったのはマンマでママのことだと喜んでいましたが、ご飯のことだと分かりいまでもご飯大好きです。まあ最初にマンマと言ったのは、まだママかご飯か分からなかったからだと思いますが、そうしながらことばを一つ一つ覚えて来たのが私たちです。 学院の駐車場で出会った満2歳の男の子は、赤い!ブウブウときれいな赤色の自動車指さして教えてくれました。ママは隣りの車を指さして、白いブウブウと教えましたが、それも指さして赤いブウブウ・・・・。しばらく名前を聞いたりしながらやさしいママの眼差しの中でバイバイしてくれました。 出会うすべての人の幸せを願いながら、今朝は4時から300冊以上のポスティング。ゆっくり確実に一軒もミスしないように2時間ほど歩き続け、ゆとりの一万歩も達成。一石二鳥の祝福の朝のスタート。伝道者の書11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。 初めてキリスト教会の集会に行った高校生の時、そこで歌われていた賛美歌をポスティングのたびに思い出しながら歌う時もある思い出の讃美歌です。賛美歌503番 春の朝(あした) 夏の真昼 秋の夕べ 冬の夜も勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の 垂穂(たりほ)となる 時来たらん 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も 木枯らし吹く 寒き夜も勤しみ蒔く 道の種の 垂穂となる 時来たらん 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで 道のために 種を蒔けついに実る その垂穂を 神は愛(め)でて 見そなわさん 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 刈り入るる 日は近し 喜び待て その垂穂 毎日の出会いも、一昨日から学院入り口にコミックや書籍を入れるケースを置き、自由お持ちくださいと出しました。 毎日、出しただけの漫画や本がなくなり、興味を持っている方々が多いのだなあと感謝しています。 真実の愛の福音が日本全国に豊かに蒔かれ、30倍、60倍、100倍の実りとなると信じて、毎日多く出会いが与えられています。悩みの相談室を開こうと祈り、年内にスタートします。コリント人への第二手紙 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。 その義は永遠にとどまる。」 と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2009/10/31
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昨日は神学生たちは近くの山麓公園へピクニック。授業もなくゆっくり読書でもと思いつつ、インターネット礼拝録画2日分。 明日2歳になる孫が来て、じぃじ、じぃじとなつかれ離れず、家内が近づくとバイバイしてしまう。可愛さもありめったに来ないので外を散歩したり、書斎ではしゃいだりでした。 昼食後は、相談者があり話をお聞きし、気がついたら夕食の時間になっていました。 毎日ゆとりの一万歩は万歩計はまだ4000歩。残り六千歩を月明かりの山道を歩き、後千歩で一万歩までの所まで来ると、道に迷ったへ車の窓が開き、妙齢?の婦人二人に困りきった顔で道を尋ねられた。 ナビはついているが、かなり外れた所へ来て行き止まりになっている。説明を聞いても分からないというので、同乗し、ラジオ牧師であることやクリスチャンになった証をしながら、阪奈道路大阪方面入り口まで案内しました。 家まで少し遠回りして帰ろうとすると、一台の車が逆そうしようとしている。危ない!と注意しまた道を聞かれてしまう。奥吉野から葬儀会館まで来たが見当たらないという。ナビは車のある所で指示を終わっている。 今年春に葬儀会館は他へ移転したので、ナビが指示した場所にもう今はありません。通夜の時間は迫るし説明の場所へ行くのは難しいと判断し、同乗してガイドすることにした。 幸い、時間3分前に葬儀会館に着き、ものすごく感謝されたが、阪奈道路を側道へ出るまでの1000歩は少々恐かったが無事側道へ。 帰宅して万歩計を見たら13000歩、かなりの時間が2台の車ガイドと、葬儀会館からの帰路に費やされたことになる。 今朝のチャペルメッセージは、今日も、明日も次の日もと、イエス様の進まれるお姿から語る。 ルカの福音書3:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。 13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』ヨハネ 5:16 このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。 人生には3つのポイントがある。 先ず、チェンジすることです。過ちに気づいたら改めること。悔い改め=メタノイアは、方向転換と言う意味で、失敗や罪を犯したらすぐ悔い改めて、イエス様に赦していただく。 ヨハネの第一の手紙1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。 二番目にチャンスと捕らえることです。 ピンチ ピンチ チャンス チャンス 嬉しいな!と、どんな出来事の中にもチャンスがあると信じて進むことです。座り込まないで神が与えてくれたチャンスと考えて見よう。伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。三番目にチャレンジです。 生駒聖書学院はチャレンジの場所です。前に置かれている限りない可能性にチャレンジ、神の栄光を配したいものですね。 朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!感謝でスタート。 一日の終わりには、今日もまた天国の一日でした!感謝でおやすみなさい。ハレルヤ。ヘブル13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。 「主は私の助け手です。私は恐れません。 人間が、私に対して何ができましょう。」 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
2009/10/30
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立派なマンションに招き入れられた瞬間、そちらの部屋に今来客中ですとのこと。入って見るとだれもいない。だれもいませんね。見えますかと尋ねると、だれもいないという。牧師が来たので帰ったと思うと応接間へ。 いろいろ話を聞くうちに、原因がハッキリしてきて、自分でも幻影と幻覚であることがハッキリ分かり、しゃんとしてきました。 イエス・キリストのお名前によって祝福を祈り、悪しき霊を追い出す祈りをすることもできました。 すばらしいことに奥様の顔も穏やかになり、救いがこの家に来たことを喜びつつ辞しました。 途中送迎もあり、帰宅したのはかなり遅く、さらにその夜に住之江区粉浜のバス停でフラフラになって倒れそうだから助けて欲しいとの電話が入りました。 9時過ぎに粉浜へへ走り、お金も一円もないという主婦を乗せ、泉大津市の公団まで送りました。目的地に着くと小学生二人が団地の家の入り口で待ち、米やラーメン、焼きそばやお菓子などを持ち、母親をいたわりながら帰って行きました。 それから阪神高速助松インターまで走り、家に帰り着いたときは午後11時50分を過ぎ、それからシャワーを使い、今日もまた天国の一日でした。おやすみなさい。バタンと熟睡の阪神高速道路2往復に半の一日でした。マタイの福音書25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。 25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、 25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。 25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。 25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、 25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。 25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。 25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』 25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』 25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。 25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、 25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』 25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』 25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』 25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
2009/10/29
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珍しい一日(と言っても毎日のようにですが)でした。 朝のうちに月曜日に導いた方から電話があり、訪問者が多過ぎてなかなか帰らないので、助けてほしいとのこと。 詳しくは書けないが、悠々自適過ぎる生活をしていた元お役人で70過ぎ。幻覚に悩まされ家の中に人が入って来るので鍵も変えたが、新しい鍵まで合鍵を持って入ってくる。ついには奥様にもそこにいるのに見えないのか?お茶を出しなさい。食事も用意しなさいと言う。もう夜も眠れないほどの憂うつな毎日です。 すばらしい高級マンション暮らし。何不自由のない老後が今月になってからズタズタになっている夫婦です。 月曜日に出会い、アーメンと信じれば救われると、イエス・キリストの十字架と復活の救いを語り、素直にアーメンとお二人とも祈りました。 その後で幻覚が消え、悩み苦しめる悪霊が出て行くようイエス・キリストの名によって宣言しました。 火曜日は少しましになりましたが、昨日また同じような幻覚に悩まされの電話でした。家まで行くにはゲートの交番で乗り入れ許可証が必要で、近くの駐車場に車を置いて交番まで。 月曜日はすぐ許可をくれましたが、昨日は女子警官。荷物車以外が侵入禁止だからダメですと許可は出せないという。昨日はOKだったようと言うと、規則は規則です。荷物は何ですかと何回も言われ、コミックを積んでいたので本ですと言う。何キロ?5キロくらいかなというと、それくらいなら持って行ってください。車に足の不自由な人でもいたら別ですがと言う。 幸い杖をついた同乗者がいたので、その旨を告げるとしぶしぶOKが出て乗り入れることができました。 急用が入り、この項は続きはまた書きます。
2009/10/29
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ダイヤモンドの土地と言う有名な話があります。 アメリカのラッセル・コウィンエルによって、6000か以上もの説教や講演の中心の話で、本でも紹介されています。その講演により多くの成功者が輩出し、失望から立ち上がった人々も多くありました。 またすばらしいキリスト教会が建てられたり、学校も設立されました。 その話しとは、 昔、インダス川のほど近くに、広大な農場や果樹園、穀物畑、庭園を持つペルシャ人の農夫がありました。 ある日、旅人がやって来て、夕食の後で暖炉のそばに座り、彼にダイヤモンドと言うすごい価値のある宝石があることを話しました。 親指ほどの大きさのダイヤモンドを一つ持っていれば、国を買うこともでき、ダイヤモンドの鉱脈を一つ持っていれば、その巨大な力によって子どもを王位につけることもできるという話しでした。 農夫はは、ダイヤモンドについてありとあらゆることを聞き、その大きな価値を知ると、「ダイヤモンドの鉱脈がほしい」と興奮し、一睡もできないほどどでした。 朝早く起き上がると、旅人を揺り起し、「どこに行けばダイヤモンドを見つけることができるか、教えてください。」と頼みました。 「ダイヤモンド! ダイヤモンドを見つけてどうするんですか?」 「決まっているでしょう、もっともっと豊かな大金持ちになりたいのです。」 「それなら探しにいくだけです。それだけです。見つけて手に入れればよいのでしょう」 「しかし、どこに行けばよいのですか」 「そうですね、高い山に挟まれた、白い砂の川を見つけられれば、その白い砂のなかにダイヤモンドが必ず見つかるかもしれません。見つかればあなたの物になるでしょう。 ダイヤモンドの夢に取り付かれた農夫は、広大な農場や果樹園、穀物畑、庭園を売り払ってお金に換え、ダイヤモンドを捜しに出かけました。 ダイヤモンドを探しに出かけた彼は、ありとあらゆる山や川を調査士ながら、ついにはパレスチナを訪れ、それからヨーロッパ十を放浪しました。 そしてあり金すべてを使い果たし、ぼろぼろの身なりで、惨めさに貧しさをまとってスペインのバルセロナの岬に立っていました。 ヘラクレスの塔に大きな波が押し寄せてきたとき、貧しく、病んだ、不幸な、死にかけのこの男は、押し寄せる潮に飛び込んでしまいたいという気持ちを抑えることができず、とうとう泡立つ波の下に沈み、再び浮かび上がってくることはありませんでした。 後日談は、ある日広大な農場や果樹園、穀物畑、庭園を買った男は、小川の浅瀬にキラリと光る不思議な輝きを見つけました。 男はその小石を家に持ち帰り、暖炉の上に置き、そのまま忘れていました。 数日後、その男のもとをあの旅人が訪ねてきました。客間のドアを開けた瞬間、彼は炉棚の光に気づき、駆け寄って叫びました。 「ダイヤモンドだ! ここの主人は帰ってきたのですか?」 「いいや、私がここの主人です。ここの小川で見つけたただの石だよ。」 旅人は驚き、そのダイヤモンドを見つけた所へ急ぎました。小川の白い砂を指でかきわけてみました。すると、どうでしょう! 最初のものよりもさらに美しく輝く宝石が出てきました。 ゴルコンダのダイヤモンド鉱脈は、このようにして発見されたのです。 イギリスやロシアの王冠を飾る宝石コイヌールやオルロフのように、地球上で最も大きなダイヤモンドはこの鉱脈から産出されたのが事実なのです。 これが歴史の真実なのです。 このペルシャ人の農夫が自分の家に留まり、自分の庭の小川や庭や畑を掘っていたら、惨めに飢え、身投げ得することもなく、ダイヤモンドの土地を手に入れていたのです。 農夫はダイヤモンドの土地の上に住んでいながら、その事実に気付かずにダイヤモンドを捜し歩いていたのです。 この物語から学べるのは、あなたは自分の中にダイヤモンドの土地を持っていることです。自分はだめだ、できない不可能だと、いくら自らを責め苛み苦しんで、ああであればこうであればと嘆いているだけでは、惨めになるだけです。 あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している!(イザヤ書43:4)と、あなたの内なるダイヤモンドよりも価値ある心に一刻も早く気付いてください。 またあなたの一番身近にいる人がダイヤモンドだと気づいてください。子どもが親が、夫が妻が身近にいる者こそが、あなたのダイヤモンドなのです。 職場や学校や環境もそうです。なぜいつも遠くへばかりいこうとするのですか。幸せは一番身近なところにあるのです。 最高のダイヤモンドは、イエス・キリストがあなたの内に住んでいてくださる事実に気づくことです。 アーメン。信じます。心にお迎えしますと、イエス・キリストの救いを受取る時、永遠になくならない真実の救いを経験し、輝くばかりの人生を感謝しつつ生きることができるのです。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2009/10/28
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先ほど、講師が到着。先週までの海外宣教の旅を終え、まだ時差ぼけが残っていると言いながら、すごく若々しくお元気でした。 ルーマニアは雪で同行者のひとりはあわてて防寒具を買い求めるほど寒く、雪の中を移動しつつ、恵みと祝福のルーマニア宣教とのこと。 カタール航空を使ったのでイスタンブールも観光、スモッグとタバコの煙で悩まされ、二度と行きたくないほどだったそうです。 それからエーゲ海を望み、聖書では有名なエペソを訪れました。今度は40度近い猛暑で、あわててTシャツを購入したりで、短い度の間に雪や炎熱を同時に経験し、ついでにイスラエルにも行けばよかったと話しながらのひとときでした。 昨日は朝早くから急用が入ったり、チャペル、オリエンテーション、人間学、説教学の講義を終え、昼食を食べていると電話が入りました。 自分たちでは処理できない問題を持つ人が訪ねてきているので、導いて欲しいとのことです。悩んでいる問題は、悪霊の作用から来ていると思ったので、大急ぎで残っていた昼食を食べ、車で40分の教会員の家を訪ねました。 幸い、福音のことばに耳を傾けてくれ、アーメン。信じますと祈りました。悩みは自分だけではなく奥様も困っているとのことで、その家のご夫妻と悩んでいた男性を乗せて、大阪南港の高級マンションへ向かいました。 警察の強化がなければ乗り入れられない地域で、駐車場と交番を何回は往復させられ、やっと時間指定許可証を発行してもらいました。 奥様ともお会いし、イエス・キリストを信じる祈りと健康を祈りました。 問題の本質が徐々に見えてきて、イエス・キリストのお名前によって悪霊を追い出す祈りをし、「アーメン。ありがとうございます。恐れは消えました。平安になりました。感謝します」と、心を合わせて告白しました。 その方は、自分でも感謝が足りかったことに気づき笑顔になり、最初に出会った時よりすごくいい面相になっていました。 人生には様々な問題があります。イエス・キリストを信じれば救われます。主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。アーメン。ヘブル人への手紙 2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。 2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
2009/10/27
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ここ数週間、心に響く聖書の言葉=神のみことばがあります。 並大抵のことでは解決できない悩みや問題の相談を受けることの多い日常です。お話をお聞きして祈ります。すぐ目の前にで解決できることもありますが、そのほとんどは何も変らず、ただ笑顔になってくれたり、前に向って進もうと言う気構えをもってくれたりする姿に感謝ししています。 具体的に書けないことが多いのですが、祈るたびに一つの箇所が心に響き、神の摂理の中ですべてがなされていることに感動しています。 その箇所は、エペソ人への手紙3章20-21節です。新改訳= 3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。 口語訳=3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。新共同訳=3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。英語訳=3:20 Now to Him who is able to do exceedingly abundantly above all that we ask or think, according to the power that works in us,3:21 to Him be glory in the church by Christ Jesus to all generations, forever and ever. Amen.リビング訳= 3:20 どうか、私たちのなしうるかぎりの祈り、願い、考え、望みを無限に超えて、つまり、私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に、栄光がありますように。 3:21 どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらしてくださった神様に、栄光が永遠にありますように。 アーメン。 特に、リビングバイブルで読んだとき、大きな恵みをいただきました。 イエス・キリストのお名前による祈りが、どんなにすばらしい祝福をもたらすことか。 大胆にも願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる愛なる全能の神を信じる幸いに感涙しています。。 願い、求め、祈ったとおりにならないと、不満に思ったり、信仰が足りないと自分を責めたり、あるいは相談に乗ってくれた人を恨んだり、果ては教会へ行くのを止め、信仰から離れていくこともあるようです。 愚かなことだと思います。聖書のことば=神のみことばに100パーセント信頼し、心からアーメンと祈るとき、願ったり、思ったり、求めたりすることのすべてを越えて、愛なる神は答えてくださり、神の栄光が輝く幸せな人生を与えてくださいます。「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」と祈ります。そして、どんな願いをしても必ず、「ありがとうございます。願い求め、思ったことや夢見たことをはるかに越えてかなえられました。感謝します!」で、領収書の祈りに変ります。 自分の思ったとおりにならないと不平不満やグチ、泣き言を言わずに胸を張って、志を高く持って、イエス・キリストの十字架と復活の力に満たされ前進しましょう。コリント人への第二の手紙12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
2009/10/26
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マルコの福音書を読んでいます。著者のマルコはヨハネと言う名前もあり、実家(母親マリヤ)家は、最後の晩餐やペンテコステの日の二階座敷の家とも思われています。 マルコはセレブな青年であり、イエス様やで使徒たちに可愛がってもらった経験があるようです。 マルコの福音書に名前のない青年が登場しますが、恐れくマルコ本人のことだと思われます。 「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた(14:51-52) 次に登場するのは、バルナバとパウロが第一次伝道旅行(キリスト教会最初の海外宣教)の同行者でしたが、途中でエルサレムへ帰ってしまいました。 「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」(使徒13:13)ヨハネとはマルコのことです。 第二次伝道旅行の時、バルナバはマルコを同行しようとしますが、パウロは反対し二人は別々の道を選びました。 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。(使徒15:36-39) どんな経過があったかは、聖書には書かれていませんが、それからのマルコは、バルナバやペテロの導きですばらしい人格と品性を持つ姿へと変えられていきます。 失敗は成功の元と言いますが、まさしくマルコの生涯は、逃げ出したり、途中棄権したり、自分のせいでパウロやバルナバの中を引き裂いたりでした。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント第二5:17)の約束のように、イエス・キリストを信じる者は、だれでも新しい生まれ変わりを与えられているのです。 周りにいるクリスチャンが失敗したり、まずいことを話したり書いたりしても、先走って裁かないで、愛は寛容ですとあるように、バルナバ(その名前の意味は慰めの子)のように、励まし慰め勇気を与える大人になりたいものです。 その後のマルコについてペテロは、「また私の子マルコもよろしくと言っています」とその手紙(第一ペテロ5:13)に書いています。 マルコの福音書が、ペテロの福音書とも言われる由縁でしょう。ペテロが話したイエス様の姿が、実に生き生きと簡潔に描かれている福音書です。 さらに、マルコと絶縁したかに思われるパウロは、ローマの牢獄から書き送った最後のテモテへの第二手紙で、「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです」(4:11)と、マルコに会いたいと賞賛しているのです。 その変えられたマルコによって、マルコの福音書は書かれ、2000年間にわたって多くの人々に、イエス・キリストのすばらしさを証言し続けているのです。 聖書をお持ちなら、わずか16章(40ページ)です。開いてお読みくださいませんか。 そして、昨日も、今日もいつまでも同じ、イエス・キリストのよって新しい人生を歩んでいきましょう。愛と自由の喜びに包まれた感謝で幸せはあなたのものです。 自分の子どもや生徒が、あるいは部下や関係者が、失敗したり躓いたりしたとき、声を荒げて責めたり、陰でこそこそ非難したいしないで、正面から受け止めてあげたいものです。 夫婦関係でも同じです。教会の中でも同じだと思います。互いに愛し合い、赦し合い、祈り合うとき、考えられないような変化が起こされていくと信じます。 それは個人的だけでなく、国家的にも国際的にも同じ広がりをもたらすことでしょう。 「みこころが天でおこなわれるように、地上でもおこなわれますように!」 アーメン。ありがとうございます。みこころが私の生活の中で行なわれました。感謝します。ハレルヤ。 コリント人への第二の手紙 3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2009/10/25
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朋(とも)有り遠方より来る。志を同じくする友人が、はるばる訪ねて来てくれたことを喜ぶことばです。 「朋」は同じ師について学ぶ友人のことです。したがって目的も考えも悩みも共通することができるので、親しく話し合い心躍る楽しさを共有することができる。有名な孔子の論語の巻頭にあることばです。 「多くの友を有する人は一人の友をも得ず」続けて、「友とは二つの肉体に宿った一つの魂である」「友は第二の我なり」とアリストテレスは述べています。 アメリカの思想家エマーソンは、「友を得る唯一の方法は自らその人の友となることになる」と語った。 アメリカ初代大統領ワシントンは、「友情は成長の遅い植物である。それが友情という名に値する前に、それはいく度かの衝撃を受け、かつそれに耐えなければならない」という言葉を残しています。 箴言には、22:24 おこりっぽい者と交わるな。 激しやすい者といっしょに行くな。 22:25 あなたがそのならわしにならって、 自分自身がわなにかかるといけないから。 とあり、人付き合いや友人を選ぶことへの注意を与えています。 反対に、27:17 鉄は鉄によってとがれ、 人はその友によってとがれる。とあり、すばらしい友を得るとき、キラキラと輝く高尚な人生となります。 さらに、18:24世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。とあります。 イエス・キリストは、「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」(ヨハネ15:15)と宣言されました。 クリスチャンは幸せです。「わたしはあなたがたを友と呼びました」神が友となってくださる。友とはフィフティ、フィフティ(50対50)の関係です。I'm OK You'r OK と人となられた神が語ってくださっているのです。 そのすばらしい友となってくださった主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」(ヘブル13:5-6) イエス・キリストを信じるクリスチャンは、お互いに友としての関係、いや兄弟姉妹として仲良く切磋琢磨しながら、天国に行くまで成長していくことができるのです。 疎遠になっている友人の古希の誕生日が今日なので、花を届けようと3軒目御の花屋を廻り、その店で最高の胡蝶蘭を届けることができました。 朋有り遠方より来ると思ってくれたかどうかは留守だったのでわかりませんが、イエス・キリストのある友情は永遠だから、感謝しつつの昨日でした。 教会へ行くまで一度も歌わなかった者ですが、「いつくしみ深き 友なるイエスは」の讃美歌を、種子島の海岸や山道を歩きながら口ずさんだことなどを思い出しながらの朝です。いつくしみ深き 友なるイエスはWHAT A FRIEND WE HAVE IN JESUS作詞: Joseph Scriven (1820-1886)作曲: Charles Converse (1834-1918) What a friend we have in Jesus, all our sins and griefs to bear!What a privilege to carry everything to God in prayer!O what peace we often forfeit, O what needless pain we bear,All because we do not carry everything to God in prayer. Have we trials and temptations? Is there trouble anywhere?We should never be discouraged; take it to the Lord in prayer.Can we find a friend so faithful who will all our sorrows share?Jesus knows our every weakness; take it to the Lord in prayer.Are we weak and heavy laden, cumbered with a load of care?Precious Savior, still our refuge, take it to the Lord in prayer.Do your friends despise, forsake you? Take it to the Lord in prayer!In His arms He'll take and shield you; you will find a solace there. いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを とり去りたもう。 こころの嘆きを 包まず述べて などかはおろさぬ 負える重荷を。 いつくしみ深き 友なるイエスは われらの弱きを 知りて憐れむ。 悩みかなしみに 沈めるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん。 いつくしみ深き 友なるイエスは かわらぬ愛もて 導きたもう。 世の友われらを 棄て去るときも 祈りにこたえて いたわりたまわん。
2009/10/24
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祈りには二種類あり、一つは請求書の祈り、願い求めるだけを繰り返すことです。 もう一つは領収書の祈りで、感謝とともに祈り、ありがとうございます。答えられました!感謝しますと、必ず感謝を告白する祈りです。 イエス・キリストのお名前によって祈る幸いを与えられているので、信じ信頼して愛なる神様のお願いするとき、考えられないような祝福が与えられます。 今日も祈ったら必ず、ありがとうございます。与えられました!感謝します。と告白するようにしてみましょう。領収書の祈りができるようになります。ピリピ人への手紙4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。エペソ人への手紙3:20 どうか、私たちのなしうるかぎりの祈り、願い、考え、望みを無限に超えて、つまり、私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に、栄光がありますように。
2009/10/23
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昨日は和歌山市まで、ナビが着いているので迷うことなく目的地までの往復でした。 もう20年近くになりますが、和歌山県田辺市に住む主婦から相談を受け、天王子まで来てもらい都ホテルの喫茶店で会いました。 家庭内暴力で二人の娘もひどい目にあったりで、言葉が出なくなりすごい不自由の中にあり、若いときに近くの教会に行っていたこともあり、ラジオ牧師に会いたいと願いました。 言葉が出せないのでかすれた声と筆談で悩みをお聞きし、こちらの言うことはしっかり聞けるので、神の愛と人間の罪、イエス・キリストがすべての悩みを引き受けて十字架に死なれ、墓に葬られましたが3日目に死を打ち破って復活されたことを話しました。 アーメン(真実です。ほんとうです)と信じるなら救われます。喫茶店で手を取り合って、イエス・キリストを信じ受け入れる祈りをし、ことばも話せるようにいやしも祈りました。 不思議なことに帰りの電車の中で声がでるようになり、すぐ喜びの電話をもらい、次の日曜日には富雄キリスト教会の礼拝に田辺から参加されました。 近くの教会に行くように勧めましたが、夫の暴力と酒癖は止まず、ついには離婚。 住まいも転々とし和歌山市に居を定めましたが、今年2月に不慮の事故で亡くなたことと、残された二人の若い姉妹が、厳しい状況にあることを聞きました。 20年前を思い出し、二人の娘さんには会ったこともなかったのですが、思い切って昨日和歌山市のお住まいを訪ねることにしました。 幸いイエス・キリストの福音に耳を傾け、20年前の母親の身に起こった奇跡も覚えており、その時に出会った牧師であることに喜んでくれました。 イエス・キリストの約束、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3章8節)を受け入れてくださり、ともに信じる祈りをすることができました。 アーメンと信じてバプテスマを受けると救われます。問題がどんなに困難で大きくとも、信じるときに山が動き幸せになると祝福を祈りました。 「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」や「天の虫けら」をプレゼントし、外まで見送りにさようならと感謝しつつ、混み始めた阪和自動車道、近畿自動車道、阪神高速、第二阪和道で午後7時30分帰着。次の約束に間に合う時間に帰宅でき、待たせなくて感謝でした。ローマ人への手紙10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」リビングバイブル訳 10:9 なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。 10:11 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。 10:12 この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。 10:13 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。 10:14 しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めるでしょうか。 また、主のことを一度も聞いたことがなければ、どうして主を信じることができるでしょうか。 だれかが教えてくれなければ、どうして主のことを聞けるでしょうか。 10:15 また、だれかが遣わさなければ、どうして人々のところへ出かけて教える人が出るでしょうか。 旧約聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」とあるのは、まさにこのことです。 つまり、神様の良い知らせを伝える人は、なんと歓迎されることか、というのです。
2009/10/22
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明治時代、Ilove you! を翻訳する時、私はあなたのために死にます!と訳したそうです。 愛の本質はそのようなものです。真実の愛は、イエス・キリストは、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)と語っただけでなく、そのことば通り、ご自分のいのちを捨ててくださいました。 ヨハネの第一手紙には、「 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(3;16)と教えています。 命がけの愛ということばがあります。その愛を全人類のために実行したお方が、イエス・キリストです。 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(ペテロの第一の手紙2:24) しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8) その最高の愛を体験した者は、ちいさな気づきの中で真の愛を実行し、命を捨てる=命を削りながら、「受けるよりも与える方が幸いです」と愛を実行し続けることができる力を、聖霊なる神は注いでくださいます。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5) そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。(RB.5:5) 毎日ブログを書き続け、楽天+ヤフーで300ほどのアクセスがあります。 推敲しないで書き終わったらそのまま配信するので、誤字、脱字があったりで、後で気付いて一人で笑って訂正したりです。 あなたをあんたと書いたり、最近は元気な赤ちゃんを電気なやそのほかにもあり、コメントでお叱りを受け、そのことをきっかけにコメントの書き込みが増えたりしています。 気付いてくださるのは愛を持ってブログにアクセスしてくださっているので感謝しています。ありがとうございます。 愛している人は気づきます。昨日も聖書輪読会がありましたが、幼い子ども連れの参加の母親は、よく子どもを見ています。そしてわずかの変化にも良く気づきます。愛は必要も見抜きます。こうして成長して大人になれたのは、特に母親の愛の気づきがいっぱいあったからだと感謝しています。 昨日のブログに書いたように義母の愛の配慮があったので、今の自分があるのだと気付かされ、感謝を新たにしています。 「失礼ながら、最初は、20頁の漫画で何が語れるのかと思いましたが、長い人生を簡潔にまとめた証しの中に胸に迫るものがあり、思わず涙しました。 「義母」さんのように、生涯、愛と信仰を貫く無名のクリスチャンから、神に立てられる器が生み出されていくのですね。勇気が与えられます」 小さな気づきの愛で愛し、小さな気づきの愛を認める気持ちを持ちたいものです。 コリント人への第一の手紙 13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
2009/10/21
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主の御名を賛美します。 収穫の秋を迎え、クリスマスへ向かう好季節のこの頃です。 種子島より生駒へ来て50年、コミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」(20頁)発行しました。 「主の御名を呼び求める者はだれでもすくわれる」しかし、信じたことのない方を,どうして呼び求めることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:13-15) 上記のみことばで召しを受け、良い知らせだけを伝え続け、お祈りに支えられテレフォン・メッセージを毎日38年、ABCラジオ放送希望の声も37年目に入りました。 このたびの漫画トラクトも一人でも多くの方に、イエス・キリストの十字架の救いを知って欲しいと願い、漫画家に書いてもらいました。 アーメンと信じて救われる方が起こされるよう祈りながら配っております。 1冊(送料消費税込み)100円で何冊でも提供できます。福音トラクトとしてお用いくだされば感謝します。 榮義之 携帯 090-1593-1269 E-mail elimyoshi@kcn.jp http://ibcelim.com(インターネット動画礼拝毎日配信中) テレフォン・メッセージ 0743-73-3740(毎日変わる2分メッセージ) ラジオ放送希望の声 ABCラジオ(1008kHz)水曜朝4時35~45分) 630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院 郵便振込 エリム宣教会 0990=5=245213 卒業生にIBC便りとともに、まんがトラクト「歌えない、踊れない、牧師物語」の案内を発送したところ、申し込みが相次いで寄せられてます。北は青森より南は沖縄まで、イエス・キリストの救いの知らせがコミックで伝わることを喜んでいます。 ペンテコステ教会だけでなく、日本キリスト教団や福音派、バプテスト教会、カトリックの方々も用いてくださっています。 寄せられたコメントです。 「本日の礼拝で信徒の方々に紹介しましたところ、伝道用に複数冊欲しいと申し出られた方が何人かおられたので、注文部数を倍にさせていただきました。 失礼ながら、最初は、20頁の漫画で何が語れるのかと思いましたが、長い人生を簡潔にまとめた証しの中に胸に迫るものがあり、思わず涙しました。 「義母」さんのように、生涯、愛と信仰を貫く無名のクリスチャンから、神に立てられる器が生み出されていくのですね。勇気が与えられます」ローマ人への手紙 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。 1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。 1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
2009/10/20
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日曜日、最初の礼拝は生駒聖書学院教会で、午前10時に始まります。今年6月にクリスチャンホームの子ども達が8名バプテスマを受けました。 洗礼を受けると変わるとよく言われます。16歳のとき種子島の海岸で洗礼を受け、今も変身中です。洗礼は生まれ変わり、神の国への新しい誕生です。 年齢に関係なく、アーメンと信じてバプテスマを受ければ救われます。学院教会の朝の礼拝は、インターネットで配信されるので、子どもたちの声が入ることもありますが、賛美の時間が終わると別室に移り、子どもたちは聖書のお話を聞きます。礼拝堂に残って親といっしょにメッセージを聞くのも自由です。 最近、礼拝出席が増え続けて、小学生以下の子どもたちも多くなって来ました。別室でのお話も幼児から高学年までいるので分級が必要です。昨日数えたら20名ほどの数になり、お母さんたちのクチコミでもっと増えるのではと思います。 11月は世間では七五三の祝いの時。教会ではその年齢の子どもたちへの特別祝福式を持ちます。孫の祝福を楽しみに祖父母たちも来てくれるので、いっぺんに人数が増える時期です。 クリスマス・イブのキャンドルサービスも皆さん楽しみにされ、聖書の教える真実の救いを受ける大きな恵みの時です。日本中のキリスト教会が門戸を開いてお待ちしています。ぜひ学院教会へ、またお近くのキリスト教会へお出かけを祈ります。 万歩計を着け、ゆとりの一万歩を歩き初めて7年目の朝を迎えました。ただ歩くだけでなく開拓伝道の気持ちで、ポスティングを続けています。今朝は学院チャペル(午前8時30分)からゆっくり開始(いつもは午前5時30分)なので4時起床。 一軒、一軒祈りながらのポスティング。ゆとりの一万歩も7000歩まで、後は書斎とチャペルや教室を往復するだけでゆっくり1万歩になるので、7年目のスタートにふさわしい朝です。 沖縄在住の卒業生からのハガキ(星野富弘詩画集えはがき)に、 花と咲く日は 今日一日かぎり 今日は雨が降るかも 知れなかった 大風かも 知れなかったとあり、与えられた命のかぎり精一杯咲く、美しい絵葉書の花の絵に感動しつつ、命が与えられ元気で歩ける恵みに感謝しながらの、新しい一日へのスタートです。 ペテロの第一の手紙1:18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。 1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。 1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、 その栄えは、みな草の花のようだ。 草はしおれ、 花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、 とこしえに変わることがない。」 とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
2009/10/19
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種子島にいたときは歩く以外に方法はなかった。特に中学時代は片道9キロを3年間休まず歩き続けた。 高校生の時初めてバスが一日一便走るようになり、西之表までの20キロがバスで1時間、それでもバス代がなく歩いて教会の礼拝に出かけたこともありました。 生駒聖書学院で学んだときも、学院には車が一台だけあり、乗せてもらう人は限られており、いつも生駒駅まで往復とも歩きでした。大阪市内には市電が走っていましたが、往復30円を節約するために上本町から新今宮まで歩くこともありました。 24歳で免許を取り自動車も与えられ、活動範囲もだんだ広くなり感謝でしたが、ポスティングの時意外はほとんど歩く距離が短くなりました。 1999年11月19日に、東京で元気の出る聖会メッセージを終えた夜、ホテルで具合が悪くなり左脳内出血で王子病院脳内外科に入院。神様の憐れみで癒され元気になり感謝しています。 2003年10月に、ゆとりの1万歩をとの思いが与えられ、万歩計を着けて毎日歩き始めました。こうしてブログに書いたり、説教の中でアドリブで語ったりすると、歩いていますか?と問われたりで、後ろへ引けなくなり感謝です。 ゆとりの一万歩を歩き続けてちょうど6年になりました。毎日歩けるから不思議と感謝しています。すべてが主の恵みと、祈ってくださる方々がいるからありがたいです。 7年目の明日からも元気でゆとりの一万歩を歩き続けます。今朝は日曜日ですが、さわやかに目覚め祈りつつ、近くの150軒ほどの家々にポスティング。スカッとした気持ちで礼拝を迎える朝です。 今日は聖書学院教会&大阪エリムキリスト教会。夕方は堺エリムキリスト教会と3箇所を回りメッセージです。 今日のメッセージは、マタイの福音書にある祈りの約束から、祈りの精神と具体的名求めを語ろうと願っています。 キリスト教インターネット新聞に、「わずか30秒の祈りが世界を変える!」と言うタイトルでコラムを書いています。アクセスしてお読みいただければ幸いです。マタイの福音書6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。 6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 6:9 だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 御名があがめられますように。 6:10 御国が来ますように。 みこころが天で行われるように地でも行われますように。 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 6:12 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。エペソ人への手紙(リビングバイブル訳) 3:20 どうか、私たちのなしうるかぎりの祈り、願い、考え、望みを無限に超えて、つまり、私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に、栄光がありますように。
2009/10/18
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忙しいという言葉は心が亡びると書くので、33年前から忙しいという言葉を口から捨ててしまいました。 その代わりに充実と言うことにしていますが、最近はそんな言葉を意識して言わなくても、日々気持ちに充実感があり、感謝しながら過ごしています。 昨日は朝の猛祈祷に始まり、チャペルメッセージ、講師接待でモーニングサービスの朝食、メール返信、ブログ書き、聴講生との面接と続き、鳴り続ける携帯電話は全部トラブル発生。幸い一言で解決するようなことばかりで感謝。 コミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」の注文何件もあり、感謝の手紙を添えて発送。特に入院中の伝道者は、昨日見舞いいった牧師が、コミックを差し上げたので、感涙で読んだ。病院にいる間にコミックを用いて伝道したい。たくさん送ってくれ!とのこと。 エクスパックには30冊入るので、すぐ入院先の病院住所を調べて郵便局まで。自分でないといけない郵便振替送金もあり往復3000歩。 駅前の西崎医院から電話。風邪の予防接種の約束を忘れていて早く来るようにとのこと。ゆとりでちょうど駅前まで往復6000歩、出かけようとすると銀行への用事が入り、車を使わないと間に合わない。 風邪は38年間引いたことがない。理由は簡単で、38年前にテレフォン・メッセージを開始し、それからラジオ放送希望の声もスタート。聞いてくださる方に風邪を引きましてと言う分けにはいかない。多くの方の祈りと愛に支えられて、風邪にもかからず継続しています。 生駒市ではインフルエンザが多く、学年閉鎖の中学校や学級閉鎖の小学校もあると、医者が注射の前に、風邪予防の心得などを含めて長い時間のお話しを聞きました。 一度も予防接種をしたこともなかったのですが、もうすぐ5歳になるのや、今月2歳の誕生日を迎える孫、生後5ヶ月もいるので、注射をしてもらいました。新型インフルエンザではないのですが・・・・。 学院に帰るとすぐ三つのトラブルが待っていました。二つは台風の影響に結果でNTTに連絡。もう一つは植木のことなので来週解決。ホッとしたらもう一つ、水道が水漏れしているのではと水道局からの電話。全水道を使わないで調べるとやはり水漏れがあるが、どこで漏れているか分からない。 すぐ知り合いの会社へお願いに行き、お茶まで出されてゆっくりして行けと話しを聞く。水漏れは大変ですねと水道課に電話し、生駒聖書学院の件を詳しく聞き、来週にはしっかり調べるので、それまで辛抱してくださいと大らかに構えている。水道代は?と聞くとこちらで手配していつもと同じくらいにするから心配しないでも良いですよとのこと。 長い時間のおしゃべりで、讃美歌が好きだと言う社長と事務員に、【コミックを渡して福音を語る機会も与えられました。水道のトラブルはまだ解決していないが、専門家が引き受けてくれたので安心し、ありがとうございますと感謝して辞しました。 先月、女子寮で水漏れがあり市役所の指摘で業者に直してもらったばかりで、2000トンも流出、通常の料金に換算すると70万円を越える金額。通常は8万円くらいで、申請で低額にしてもらいましたが、広い敷地で水道を施設して20年になる。早くきれいに解決するよう祈りつつ対処しています。覚えてお祈りください。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2009/10/17
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昨日は朝早く、生駒聖書学院のチャペルで猛声の祈りで始まり、東京弟子教会金沢泰裕牧師(ミッションバラバ会長)のチャペルメッセージ。神学生一同とともに大きなチャレンジを受けました。 朝食は近く「のんの」(午前6ー午後6時閉店)という喫茶店でモーニングサービス。ママが漫画を店に置いて配ってくれている。お客様やママとしゃべりながら、イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと言えば救われると語る。この牧師さん、十字架の話しばっかりやと冷やかされながら・・・・。 今朝は別の店へ。いつもは吉野家の牛丼へ行くのだが、歯がしばらくは肉がダメで、モーニングに付き合ってもらう。昨日の店は400円、今朝は少し高級で580円。パン屋さんあので帰りぬお昼のサンドイッチを買う。美味しいと評判のパン屋で、店員とは顔見知りだ。 ブログを書きかけて電話が入り、所用を済ませて書き足しています。どんな電話?いろいろです。台風で木が倒れたどうしよう!病院からインフルエンザどうします?聴講生からどの講義を受けたらよいですか?メールは入っている。早く返事をください!急がないで、あわてないで、ゆっくりボチボチでもいいんじゃないですか。 さあまた充実の天国の一日がスタートです。感謝します。マタイの福音書 6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
2009/10/16
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朝祷会全国連合登録NO.212番目の生駒朝祷会が今朝誕生します。 朝祷会の生みの親である大阪朝祷会の皆様も大勢駆けつけてくださり、70名ほどでの発足開会礼拝です。 今日は昼餐会でワンコインの会費ですが、食事はものすごく豪華?ご馳走を準備してくれたので、参加者も驚くのではと楽しみに来会を待っている朝です。 昼食後は、アメリカで召された方の納骨式を行い、それから大急ぎで大阪都ホテルでの定例の集いに走ります。 今日も爽やかな秋風のように元気でスカッと充実した天国の一日です!感謝しつつ。詩篇118:15 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。 【主】の右の手は力ある働きをする。 118:16 【主】の右の手は高く上げられ、 【主】の右の手は力ある働きをする。 118:17 私は死ぬことなく、かえって生き、 そして【主】のみわざを語り告げよう。 118:18 主は私をきびしく懲らしめられた。 しかし、私を死に渡されなかった。 118:19 義の門よ。私のために開け。 私はそこから入り、主に感謝しよう。 118:20 これこそ【主】の門。正しい者たちはこれより入る。 118:21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、 私の救いとなられたからです。 118:22 家を建てる者たちの捨てた石。 それが礎の石になった。 118:23 これは【主】のなさったことだ。 私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、【主】が設けられた日である。 この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、【主】よ。どうぞ救ってください。 ああ、【主】よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 【主】の御名によって来る人に、祝福があるように。 私たちは【主】の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 【主】は神であられ、私たちに光を与えられた。 枝をもって、祭りの行列を組め。 祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。 あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで。
2009/10/15
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自分で気にするほどでもないとは思いつつ、昨日は11月放送希望の声の録音で、朝日放送スタジオへ行きました。 頬っぺたの腫れは引きましたが、マイクに向かい録音を始めましたが、ことばが思ったようにスムースに出てこない? 4本歯がないままでまだ抜歯も終わっていないので、日曜日は南大阪聖書教会礼拝説教を何とか切り抜けたが、スタジオでは少し声が抜けていくように思った。 スタジオ録音が終わって、大阪中央郵便局へ。何と建て替え中で新しい建物もまだ完成していない。親切なタクシーの運転手さんが第一ビルの中でやっていると教えてくれ、漫画を渡すとニッコリ笑って受取ってくれた。 集会前のカウンセリングの約束で、教会階下の喫茶店に待ち合わせに時間に着く。時間が過ぎても約束の方が来ない。電話連絡もない。 ママと話しながら待つが、カウンターに座っていた客に招かれて隣席へ。定年になったばかりの公務員の方で、愛隣地区で公益活動をしていたかなり地位の高い方で、生活保護を受けているパーセントが大阪市内で一番高いと言う。 平均12万円だが支給された瞬間、右から左へお金が消えていくそうだ。家賃はもちろんですが、借金や賭け事に、酒や快楽によって失う人が多いと言う。 また困っている方へは、2000円~5000円を貸すことができるそうです。すばらしいことに返金率が90パーセントを越えるそうです。遠方から月千円ずつ返金が郵送する人もあるそうです。 エリムキリスト教会では、お金を貸しても返す人は一人もいないと言うと、教会さんは返さなくても良いと思われているんでしょうとのこと。 いずれにしても酒気帯びの人や、いかにも遊びに使いそうな人には貸さないと言う、長年の観察眼を養っているから、ほんとうに困っている人が分かるんですよ。それにしても大変な時代になったものですね。 お金だけで困っているのではなくて、来る人来る人、心がガタガタですよ。心の問題の解決はキリスト教会さんのお仕事ですね。役所はせいぜいわずかのことしかできません。一時しのぎにもなりませんよ。定年になりホッとしていますと、待ち人来たらずで、ママと3人で話し合う時間でした。 コミットから福音を語るチャンスも与えられ、喫茶店のママも店にコミックを置いて、お客さんで興味ある客に渡してくれています。 学院の近くにある喫茶店にもコミックを置いてもらっています。堺市の薬局でもまた大阪市内の病院にも、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」が置かれています。今日はダンスホールにも置いてもらおうかと考えています。 心からの願いは一人でも多くの方に、イエス・キリストの十字架の救いを知って欲しいと祈りつつの朝です。 お昼からはガン治療で入院中の方を見舞い、歯の抜糸のために歯科医院へ行ったり、明日の生駒朝祷会準備でゆとりの天国の一日です!どこかでゆとりの一万歩を・・・・。箴言 4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。 私の言うことに耳を傾けよ。 4:21 それをあなたの目から離さず、 あなたの心のうちに保て。 4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、 その全身を健やかにする。 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれからわく。 4:24 偽りを言う口をあなたから取り除き、 曲がったことを言うくちびるを あなたから切り離せ。 4:25 あなたの目は前方を見つめ、 あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 4:26 あなたの足の道筋に心を配り、 あなたのすべての道を堅く定めよ。 4:27 右にも左にもそれてはならない。 あなたの足を悪から遠ざけよ。
2009/10/14
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10日前(今月3日)に西之表基督教会(種子島)の牧師よりメール(下記一部転載)がありました。 さて、話は変わりますが、昨日、一昨日、ハモンド先生名で以下のようなメールが入りました。 会議のため、いまロンドンにいる。 そこで、お金、パスポ-ト等を入れた鞄を置き忘れ、なくなった。すまないが、$2500貸してくれないか。 送金先:云々といった具合でした。それはお困りだろうと、すぐ、銀行へ送金にいきましたところ、送り先が不備で取り扱えない。ということでした、ついでに、「これは振り込め詐欺かもしれませんよ」と助言しました。 そこで、送金は銀行で扱えないこと。「まずは私に電話をして」とメールでかえしました。 不審な点がありますので、鹿屋のマクセイ先生に電話して分かったことです。 ハモンド先生の名であちこちの宣教師にも同様な要求が出回っているとのことでこれは明らかに、誰かが、ハモンド先生名を使っての詐欺だということになりました。ハモンド先生ご自身は、「身に覚えがない」といっておられるそうです。メールアドレスも変えておられるそうです。 ところで、先生の所にも同様の文書が舞い込んでいるかもと思い、老婆心ながら、ご連絡させていただきます。 ハモンド宣教師に導かれてクリスチャンになりましたので、名前を使われて大変だろうなあ、生駒へはそんなメールは来ないだろうしと思っていました。 上海で日本語教師をしている短気帰国中の教会員との話しで、国際振り込め詐欺が中国でも流行っているとのこと。日本国内の振り込め詐欺は検挙率70パーセントになり、詐欺の手口も手が込んで国際化し始めているようだとのことでした。 何と昨夜、同じようなメールが入りました。下記に転載します。Hello, How are you doing ? hope all is well with you and family,i am sorry that i didn't inform you about my traveling to England for a program called Empowering youth For social change.. I need a favour from you as soon as you receive this e-mail, I misplaced my wallet on my way to the hotel where my money and other valuable's were kept. Urgently assist me with a soft loan of $3,000 to sort-out my hotel bills and get myself back home. I will appreciate whatever you can afford and i'll pay you back as soon as i return,Kindly let me know if you can be of help? so that i can send you the details to use when sending the money through western union.Your's In his loving service,Ap. Difas Masinde. まったく種子島の牧師に来たメールと同じような文面で、返事の必要もないと削除しました。 すると今朝、今度は本人からのメールが入りました。Dear Rev. Sakae,Someone has used my name and e-mail to get money from my friends on e-mail address. Please don't send the money as I am at home and have not traveled.Sorry for the inconviniences.Regards,Difas 多分、これで終わらずまた今度は・・・・とメールが来るかも知れません。 騙し惑わす霊に支配されないで、真っ直ぐに人生を生きる世界になるよう祈ります。テモテの第二の手紙 3:1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。 3:2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、 3:3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、 3:4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、 3:5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。リビングバイブル3:1 テモテよ。 これから書くことを、よく心にとめておきなさい。 終末の時代には、クリスチャンになることが非常にむずかしくなります。 3:2 自分だけを愛し、また、お金だけがすべてだと考える風潮が、はびこるからです。 高慢な者、大風呂敷を広げる者、神様をあざける者、両親にそっぽを向き、感謝することを知らない者、手がつけられない、ならず者が現われます。 3:3 また、頑固で、決して他人を理解しようとしない者、うそつきの常習犯で、問題ばかり起こし、頭はみだらな思いでいっぱい、といった連中が増えます。 彼らは乱暴で残忍な行動をし、善良であろうとする人をあざ笑います。 3:4 友を裏切り、怒りっぽく、すぐに思い上がり、神様を礼拝するひまがあったら、もっとおもしろいことをして過ごそうと考えます。 3:5 教会に出席する者がいたとしても、聞いたことを何一つ信じようとしないのです。 目をしっかり開けて、そんな人たちには近寄らないようにしなさい。
2009/10/13
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先週の火曜日に歯の手術を東京からわざわざ来てくれた歯科医にしてもらいました。一人のために出向いてくれたことを後で知り、しかも日本一の方との事で、土曜日の歯科医院での治療で、どれだけ難しい手術だったか、また順調に回復しているの説明を聞きました。 しばらくの辛抱です。もう大丈夫ですよ。堅い物は食べないでください。またその部分はまだ歯ブラシで磨かないでそっとしておいて下さいとのこと。今週水曜日にもう一度診察です。 泉大津市の南大阪聖書教会での第一、第二礼拝説教でしたが、頬の腫れも痛みも気にせずに語ることができ、お昼も6日ぶりにカレーライスをおいしく食べることができました。 昼からの大阪エリムの礼拝に間に合うように辞したのですが、高速に乗ってから教会にカバンを忘れたことに気づき、また泉大津まで逆戻りで、やっとキリキリで到着。 説教を終わって気がついたら頬の腫れがきれいになくなり、やはり牧師は福音を語れば良いんですね?と言われたりで感謝でした。 何事でもそうだと思うんですが、気にし過ぎたり、心配が多すぎると直るものも直らず、解決することも長引いたりするのかもしれません。 聖書の約束をしっかり信じて、全能の愛の御手に委ね、すべてのことに感謝するとき、イエス・キリストのお名前と、聖霊の助けにより真実の解決が与えられることを思わされる日曜日でした。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。リビングバイブル訳 4:7 しかし、このすばらしい宝〔いま私たちのうちに輝いている光と力〕は、こわれやすい器〔私たちの弱い肉体〕の中に入っています。 うちにある、その栄光に満ちた力が、確かに神様から与えられたものであって、私たち自身から出たものでないことは、だれの目にも明らかです。 4:8 私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。 「どうしてこんなことが……」と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしません。 4:9 迫害されていても、神様は決してお見捨てになりません。 打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます。 4:10 この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。 ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、うちに生きておられるイエス様だけであることが、だれの目にも明らかになるのです。 4:11 まことに、私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。 しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストの力を明らかに示す機会が、常に与えられているのです。 4:12 私たちは、良い知らせを宣べ伝えているために、死に直面しています。 しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。 4:13 旧約聖書の詩篇の作者は、「私は信じている。 それゆえに語る」と言いました。 同じように私たちも、自分が神様の守りの中にあることを確信して、信じていることを大胆に語ります。 4:14 主イエス様を死から復活させてくださった神様が、私たちをもイエス様と共に復活させ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを、信じています。 4:15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。 キリスト様に導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みを感謝する気持ちがますます満ちあふれ、主の栄光がますます明らかになるのです。 4:16 ですから、私たちは決して落胆しません。 肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなってゆきます。 4:17 今の私たちの苦しみや悩みは、結局のところ、取るに足りないものであり、それほど長続きもしません。 しかも、このつかの間の苦しみは、永遠に尽きない、あふれるばかりの、神様の祝福をもたらすのです。 4:18 ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめません。 むしろ、今は見えない天にある喜びを望み見ているのです。 苦しみは、やがて消え去ります。 しかし、その喜びは、永遠に続くのです。
2009/10/12
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今日は、南大阪聖書教会(泉大津市東雲町9ー39;古林壽真子牧師)で一部(午前8時)&二部(10時半)礼拝連続説教に招かれ、もうすぐ出かけます。 6日(火)に歯の手術(大手術だったと昨日診察に言ったら歯科医が教えてくれました)を受けたので、頬っぺたが膨らみ引っ込みません。しまったとおもい真下が、「わたしの恵みはあなたに対して十分です」とのみことばで、へりくだって感謝しつつ出かけます。 だれかが愛嬌があって可愛いですよ!と、慰めて?くれましたので、午後からは大阪エリムで説教です。言葉さえ自由に話せたら、神のことばは生きていて力があります。 小さな話を一つ掲載します。 小さな男の子がたまたま下を見ていて、キラキラした25セント硬貨を見つけた。男の子は硬貨を拾い上げる。すごいぞ、正真正銘僕の25セントだ。しかも、何の元手はかからない。 それからというもの、彼は宝物を求めて、地面を目で探しながら歩くようになった。彼は一生の間に、1セント硬貨387枚、5セント硬貨62枚、10セント硬貨49枚、25セント硬貨16枚、50セント硬貨2枚、それに1ドル札を6枚見つけた。しめて22ドル87セントである。 確かに元手はかからなかったが、彼が見逃したものもある。美しい日没を2万8千7百42回、虹、赤ん坊の成長、空を飛ぶ小鳥、太陽の輝き、周りにいるすべての人々の笑顔、同時に彼は、100万ドルの価値がある経済効果をも見逃してしまったのである。 さあ頭を上げ、信仰の目を開き、心の帆を上げて、イエス・キリストを見上げつつ前進しよう。ハレルヤ!ヘブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさいコリント第二5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。イザヤ書40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2009/10/11
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娘が阪神ファンで、今朝の新聞スポーツ欄に目を通すと、阪神4位確定で残念。 目を転じると、楽天2位!の文字が躍る! 勝利を祝う歓声のあまりの大きさに、野村監督は驚いたとある。「仙台は熱いぞ」。初のCS出場を決め楽天が、第1ステージを地元仙台で開催できる2位を確定しました。 開幕前の下馬評は低くく、2位という結果を、だれもが予測しなかった? 就任4年目でチームを躍進させた野村監督は、「ほとんどの予想が5位、6位。見返してやるという思いが、一つのモチベーションになった。評論家諸氏には感謝している」と、いたずらっぽく笑ったそうだ。 主イエス・キリストを監督として従えば、どんな最下位の人生でも逆転勝利!です。九月に、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」の漫画(20ページ)が発行されたが、ほんとに惨めな人生でした。 16歳でイエス・キリストを信じてクリスチャンになり、すべてが最下位からの出発でした。 イエス・キリストの十字架の元で、今日もまた天国の一日です!と復活の命に生かされ続けている日々です。ペテロの第一の手紙 2:24 そして、イエス・キリストは自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。ローマ人への手紙8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2009/10/10
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種子島の教会でクリスチャンになり、ペンテコステの生駒聖書学院へ牧師の推薦を受けて入学しました。 驚いたのは、神学生たちの熱心な祈りと伝道への情熱でした。また学院長の祈りとは求めることですという強い体験に基づいた勧めでした。学院の5千坪の土地から建物、備品からすべての必要は、祈りの答えとして与えられ備えられたものでした。 院長はイギリス人でしたので、ジョージ・ミューラーを尊敬し、彼が祈りだけでブリストルの丘に孤児院を創設し、海外宣教師を100名以上送り出していたことをよく話してくれました。 祈りとは神との高尚な対話であるとともに、子どもが父に求めるように必要を願っても良いことを、聖書を通しても学び、靴に穴が空いた時に経験しました。 そんな中で聖霊のバプテスマのしるしは異言であると教えられ、使徒の働きを読むとペンテコステの日やコルネリオの家、さらにエペソでも聖霊が臨み満たされたとき、異言を語った記述があることに気づきました。 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)とあるが、それは初代教会での経験であり、現代はその聖霊の力の中にあると理解していました。 だから洗礼を受けクリスチャンとなったとき、すでにその約束の中に入れられ、異言などは経験しなくても良いと思っていました。 ある祈祷会のとき、聖霊のバプテスマを体験するよう招きがあり、瞬間イヤだなと思ったのですが、皆の熱心な祈りの中に座していました。早くその騒がしさが静まるようにとも祈りました。 しかしその瞬間、自分の気持ちが穏やかにあり、すごく素直になるのが分かり、静かに委ねますと主を仰いだとき、不思議な平安に包まれ、聖霊に満たされて、今まで一度も口にしたことのないような異言を語っていました。それまでは祈りは形式であり、長時間の祈りも苦手でしたが、聖霊に解き放たれたとでも言うのでしょうか、イエス様の約束が現実となる恵みを体験しました。 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37-38】 これは、イエス様を信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのですが、十字架上に死なれ3日目に復活され、聖霊のバプテスマの約束を与え召天され、ペンテコステの日以来、すべての信ずる者への約束でした。 聖歌に「目にいるものみな輝く、聖霊来たれり」と言う歌詞があります。その日から目にいるものがすべて、神の臨在に輝くようになり、最高のすばらしさは聖書が、生きて働く神のことばとして現実になりました。 さらに聖霊がイエス・キリストを証しする力として臨み、聖霊のバプテスマ直後に殺人者を救いに導く恵みが与えられました。みことばには人を救う力があるとの約束を体験し、その日以来、「アーメンと言えば救われます」と、イエス・キリストの救いの証を継続し続けています。 聖霊のバプテスマの体験は瞬間でした。30秒の祈りが世界を変えます。主よ。助けてください、で助けていただけます。心を開いた瞬間、聖霊に満たされ続けることができるのです。 「御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)のみことばに「アーメン。ありがとうございます。満たされました。感謝します。ハレルヤ」 素直に信じる時、聖霊に大きな祝福の中で力を受けて、世界の果てまでキリストの証人になれるのです。 聖霊による祈りの祝福が与えられ、神の御旨にそう祈りが自由になることは言うまでもありません。 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです」(ローマ8:26-27)
2009/10/09
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37歳の時、おたふく風邪になり苦労したことがあります。30年前を思い出すように、昨日から頬っぺたがふくらみ、今朝はもっと大きくふくらんでいます。 回りの人たちも気づき始め、どうしたんですか?と声をかけてくれるので、歯の手術の後ですのでと説明しています。外へ出るときはマスクをした方が、回りに不安を与えない注意かなと思いながらです。 35歳の時は風疹になり、ちょうど家内が妊娠中でしたが、主の守りの中で元気に出産、健やかに育ちました。新型インフルエンザ流行のとき、すべての妊婦さんたちが守られて、元気な赤ちゃん誕生になるよう祈ります。 今朝のチャペルメッセージは、韓国人女性で罪について、西欧と東洋の相違点を中心に話してくれました。さすが将来翻訳家を目指すだけあり、クリスチャンになる前からもすごい読書量で師、スティーブン・キングが大好きとのこと。 その中で映画化された、ショウーシャンクの空により、罪からの解放と自由を例話に感動のメッセージでした。 1947年、銀行員として成功していたアンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を射殺したという身に覚えのない罪で終身刑2回という判決を受け、ショーシャンク刑務所に投獄される。刑務所が持つ異質な雰囲気に初めは戸惑い孤立するアンディであったが、決して希望は捨てず、明日の自由を信じ続ける。そんな中「調達屋」と呼ばれ服役囚たちから慕われていた囚人、”レッド”ことエリス・ボイド・レディングと出会い、鉱石を砕くロックハンマーや、リタ・ヘイワースやラクエル・ウェルチといったスター達のポスターなど様々な物を調達してもらううち、少しずつ2人の交流が深まっていく。アンディは元銀行員の経歴を如何なく発揮し、刑務所内の環境改善に取り組む事でレッドや他囚人からの信頼を高めていく。さらには刑務官たちからも一目置かれるようになり、彼らの税務処理や所長の所得隠しまでも請け負うことになるが、アンディにはある考えがあった・・・・。ついに脱獄に成功・・・・。自由の喜び・・・・。これから講義の時間で教室に行きます。 イエス・キリストを信じて真の自由を体験する今日であってください。祝福を祈ります。ガラテヤ人への手紙 5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。 5:2 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。 5:3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行う義務があります。 5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。 5:5 私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。 5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。 5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。 5:8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。 5:9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。 5:10 私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。 5:11 兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。 5:12 あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと切り取ってしまうほうがよいのです。 5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。 5:15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
2009/10/08
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昨日は、前から予定していたインプラント治療で、堺市の歯科医院へ大阪集会の前に出かけた。 午後5時の予約で4本の奥歯の治療だ。時間になっても声がかからない。やっと治療室へ。 東京から日本一?のインプラント治療の歯科医が来るが少し遅れているので、麻酔薬を注射したり準備が進む。痛ければ声をかけて(手を上げて)くださいねと言われるが、辛抱してガマン。 台風の影響で新幹線の遅れが出たため申し訳ないと言いながら、じゃあはじめましょうかと、二人の歯科医が治療に取り掛かる。じっと我慢の子で忍耐。骨を作るのでひどい音が口いっぱいに響く。麻酔を打っているので痛みはないが、血が多いですね。あれ、まだ親知らずが残っている。四本はムリですね。三本にしておきましょう。いろいろ問いかけられるが返事はできない。痛くないですか?と言われても、治療が終わるまではと決めているのでお任せだ。 やっと一時間近くかけて無事終わり、治療後の心得を二人の歯科医からしっかり教えてもらう。鼻血が出るので絶対クシャミをしないように。夜は痛みがあるかもしれないが、何かあったらすぐ電話するように、丁寧なアドバイスをたくさんしてもらった。 帰りに薬局により痛み止めの薬をその場で飲む。薬局はクリスチャンが経営。牧師と分かるといろいろ話してくれる。土曜日に診察に来るとき、漫画を持ってきて置いてもらうことに話しがまとまる。今から美容室に行くから、この漫画持って行き美容師に差し上げると喜んでくれた。 東京の歯科医が大急ぎで上野芝駅に向うのに出会い、何とひとりの治療のために来てくれたことを知り驚く。 大阪の教会に着いたのは集会が半ばを過ぎたころ。階下の喫茶店のママも店で漫画を興味のある方に渡してくれるので持っていく。 さすがに昨夜は麻酔も切れ、痛みで真夜中まであったがいつの間にか熟睡。今朝も5時前に今日もまた天国の一日!と元気で起き出し、朝の祈りからチャペルへ。恵まれた新しい日へのスタートです。 講義は姫路市広畑キリスト教会の時久忠夫牧師。姫路市教誨師会長を務め、近畿教誨師事務局長など要職にある、生駒聖書学院卒業生です。教室での講義も楽しく、台風の影響で雨の居駒ですが恵まれた一日です。感謝します。ピリピ人への手紙 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
2009/10/07
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毎日読んでいる聖書の箇所に、下記のようなことばがあります。 主よ。私はあなたのうわさを聞き、主よ、あなたのみわざを恐れました。 この年のうちに、それをくり返してください。 この年のうちに、それを示してください。 激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。 神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる。セラ その尊厳は天をおおい、その賛美は地に満ちている。 輝きは光のよう。ひらめきはその手から放たれ、そこに力が隠されている。 ハバクク3:2-3 リビングバイブルでは、 これは、ハバククが神様の前で歌い上げた、勝利の祈りです。 神様。 今、私は、神様の評判を聞きました。 神様が行なおうとしておられる恐るべきことを知り、恐れをもって御前にひれ伏しています。 この困難な時代に直面している私たちを、以前のように助けてください。 神様の御力を示してください。 御怒りの中にも、あわれみを忘れないでください。 見なさい。 神様がシナイ山から砂漠を横切って来られます。 神様の輝きが天地に満ちています。 栄光は天に満ち、神様への賛美が地にあふれています。 神様は、なんとすばらしいお方でしょう。 御手からは、まばゆいばかりの光が放たれます。 神様は恐るべき御力を秘めておられます。 さらに、何事が起ころうとも、神を信頼して平安に守られる喜びです。 いちじくの木が枯れて花も実もつけず、オリーブの木も実りがなく、畑が荒れたままになっても、また、羊の群れが野で死に絶え、家畜小屋が空っぽになっても、 私はなお、神様を信じて喜びます。 私を救ってくださる神様に感謝します。 神様は私の力です。 神様は私を鹿のように速く走れるようにし、山々を安全に越えさせてくださるのです。(ハバクク3:17-19) 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2009/10/06
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ふと目を上げて窓の外を見ると、さわやかな秋風がほほをなでる。家の周りは渋柿がいっぱい小さな実をつけている。熟した柿をひよどりが啄ばむ。目が合ったわけでもないが、ピヨッと鳴き飛び去る。食事中ごめんねと詫びながらの朝です。 日曜日は朝早くから夜まで動き続け、堺市から帰るとグッタリの感。部屋の入り口に、「主を待ち望む者は新しい力を受ける。走っても疲れない。歩いても弱らない。わしのように翼を駆って上る」(イザヤ40:31)が掲げられているので、イヤでも目に飛び込んでくる。口ずさみながら軽い夕食だが、昨夜はステーキを美味しく食べました。 明日、行きつけの堺市歯科医院に、東京からインプラント治療日本一の歯科医がきて、治療をしてくれる。しばらくは堅い物を食べられない。昨夜も以前の歯がまだ完治していないので、ゆっくり大丈夫な方の歯で噛み締めながらでした。 今朝は、朝4時に目覚め学院の近くを70件ほどポスティング。11月23日の「聖書が教える健康と医学の嬉しい話」講演会の案内と、漫画トラクトを添えて知り合いの一軒一軒に配る。 一昨日コンビニへ行ったらレジの方に、種子島出身なんですねと声をかけられ、まんが読みましたよと、次の客が来るまで話しが弾む。 今朝のメールには、夜、教会員の方から電話があって「天の虫けら」も読んでいて感動していましたが、漫画で見て号泣しました。伝道のために使いますね~。と言っていました。とあり、「歌えない、踊らない、無口の牧師物語」の漫画が少しで用いられていることを喜びました。 今週は平常の授業体制に戻り、朝のチャペル&オリエンテーション。2回の講義と続きます。すべては神の恵みと受け取り、感謝しながらの朝です。ハバクク書 3:1 預言者ハバククの祈り。シグヨノテに合わせて。 3:2 【主】よ。私はあなたのうわさを聞き、 【主】よ、あなたのみわざを恐れました。 この年のうちに、それをくり返してください。 この年のうちに、それを示してください。 激しい怒りのうちにも、 あわれみを忘れないでください。 3:3 神はテマンから来られ、 聖なる方はパランの山から来られる。セラ その尊厳は天をおおい、 その賛美は地に満ちている。 3:4 輝きは光のよう。 ひらめきはその手から放たれ、 そこに力が隠されている。 3:5 その御前を疫病が行き、 熱病はそのうしろに従う。 3:6 神は立って、地を測り、 見渡して、諸国の民を震え上がらせる。 とこしえの山は打ち砕かれ、 永遠の丘は低くされる。 しかし、その軌道は昔のまま。
2009/10/05
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桜島 爆発 噴煙3000メートル(10月3日20時24分配信 毎日新聞) 桜島(鹿児島市)南岳の山頂火口で3日午後4時45分ごろ、体感空振を伴う爆発的噴火(爆発)があり、噴煙が約3000メートルまで上がった。南岳の二つの火口のうち、山頂火口の爆発は2月22日以来。体感空振は2月1日以来、8カ月ぶり。対岸の鹿児島市街地でも比較的大きな爆発音が聞こえた。 生まれ育った種子島の生姜山(鴻之峰小学校=現在種子島空港がある周辺地域)は、大正3年の桜島大噴火で村を失ったために開拓村として提供された地域でした。父は徳之島出身でしたが、その村に移住しそこで生活したので、私の故郷は種子島です。桜島大爆発がなかったら生姜山も存在しないし、父の移住もなく、私も生まれていなかったと考えると、神の摂理の御手の不思議さに圧倒されます。 心配、恐れ悩み、思い煩い、疑い、恐怖、不安、不平、不満、文句や理屈、気に病むことの多い現代。 不可能、ムリだ、できない、なぜだ???クェッションマークだらけの時代です。全世界に不況は広まり、大地震や洪水が襲い、火山列島いつどの山が噴火するかなどで不安が募ります。 イエス・キリストは、 信仰が薄いからです!と宣言されました。特にマタイの福音書では、心配するのは、恐れるのは、疑うのは、論じ合い理屈を言うのは、不可能だ、できないと言うのは、信仰が薄いからですと叱責しました。 弟子たちは「私たちの信仰を増してください」とお願いしました。 しかし主は言われました。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです」と。 リビングバイブルには、ある日、使徒たちが主に、「もっと信仰が強くなりたいんですが、どうしたらいいでしょう」と尋ねました。 イエスのお答えはこうでした。「ほら、あそこに桑の木があるでしょう。 小さな、からしの種ほどの信仰でもあれば、あの木を根こそぎ海の中へ投げ込むことぐらい、ぞうさもないことです。 そう命令しさえすれば、たちまちそのとおりになります。ルカ17:5-6とあります。 第一の秘訣は、聖書のことばを100パーセント信じて、その通りに告白し、実行することです。先日、絶対確実な数学上の確率を聞きました。なぜそうなるかは分かりませんが、必ずそうなるという数字遊びです。ラッキーセブンなりますよ。 1~9の中で数字を今一つ思ってください。思いましたか?その数字に3を足してください。さらに2をかけてください。そして8を足してください。それを2で割ってください。そして最初に思った数字を引いてください。何と7でした。ラッキーセブンになったでしょうとニコニコして笑っていました。だれがやっても計算を間違えなければ、最後の答えは7になります。 遊びを神のことばに適応するのは不謹慎と思いながらですが、神のことばを素直に信じて告白し、実行すれば100パーセントパーフェクトになります。 第二にしっかり祈ってください。先日小切手で献金をもらいました。銀行に持っていくまでは紙切れでした。銀行振り出し小切手だったのですぐ換金できました。イエス・キリストの名による祈りは、一番確実です。間違いはありません。 ヨハネの福音書14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。 14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。14:13 わたしの名を使って、父に願い求めなさい。 どんなことでもかまいません。 必ずかなえてあげます。 それもみな、父がほめたたえられるためです。14:14 そうです。 わたしの名によって、どんなことでも願い求めなさい。 必ずかなえてあげます。第三に感謝を忘れないことです。 ありがとうございます。かなえられました。感謝します! 教会員のブログ・AX君の独り言から転載します 思うようにならぬ故の感謝=最近、三谷隆正氏の本を読んでいて、まさに「然り」という文に出会ったので、紹介したいと思う。 世の人はしばしば嘆じていう、世の中のことは思うようにならないものだと。しかし私は思うようにならないが故に感謝したく思う。私は私の本当の幸福、本当の歓喜が思わざる難儀、願わざる悲しみのうちから生まれ出たものであることを知っている。そして思うことの思うようになった時、かえって不満があり、倦怠があり、空虚のあったことを知っている。私は自分のために何を祈るべきかも知らない。もし自分の一生の計画を自分お考えだけで定めることを要求せられたら、途方にくれてしまうだろうと思う。私は私の一生が、私の定めるものでなくして、神が定めたもうたものである故に、世の中のことが、私の思うようにはならずして、神の思いたもうが如くになるが故に、かく信ずるが故に、安んじて活き、勇躍して跳り出ることができる。人の手をもって作られた翼を持つ飛行機は、なお不安であろう。しかし神の造りたまえる翼に安んじる鷲は、雲を呼ぶ風を叱咤して快翔する。いわんや神のみ手にのせられるわれら、何を恐れてためらうのであろうか。 いわゆる人生の謎がいっさい釈(と)かれて、われわれの根底よく千年万年の将来をも写し得たとしたらば、それで人の幸福が完(まつた)いであろうか。私はそうは思わない。私は私の将来を一々鏡に写して指摘してほしいとは思わない。ただ神のみ手わが上にあり、すべてのことを働きて、わが益となるなりとの信頼をわがものとすれば、それで私の幸福は完いと思う。この信頼に立って跳り出たいと思う。あえて冒して人生の旅路にのぼりたいと思う。 満ちて溢るるばかりの勇気は、神人を強要したもうとの体験からのみ湧く、その期待に根ざす。釈かれたる謎の了智でなくして、むしろ不断の謎に対する信頼である。三谷 隆正 理想主義的キリスト教思想家・教育者として多大の感化を与える。)聖書から、主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えよう とするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。旧約聖書 エレミヤ記 二十九章 十一節 もう一つは、聖霊に満たされることです。私たちが聖霊の働きを受けるためには、聖霊の風が吹く場に身を置く以外にはありません。神の聖霊が働く場は、イエス・キリストのある場です。私たちが、私たちのために十字架の上に死に、3日目に復活した主となったイエス・キリストの前にひざまずき、キリストにおいて与えられた無条件絶対の恵みに身をゆだねるほかはありません。これが信仰です。しっかりと聖霊の風が吹く場にひれ伏し、「なすべきことをしただけです」と、へりくだって言える幸せな人生こそ、ビッグニュースだと思います。 今日また天国の一日の礼拝です。10月のすべての日々に祝福を祈ります。
2009/10/04
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昨日、コンビニへ行ったら店員がレジを打ち終えると、種子島からなんですねと声をかけてくれました。 驚いた顔をしたのか、まんがの牧師さんでしょ?とのこと。コミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」を読んで声をかけてくれたのです。 郵便局では、明日から転勤という局員が、お世話になりました。本も読みましたし、コミックも見ました。残念ですが少し遠い局へ行くことになりましたと教えてくれました。郵便局間では歩いて1500歩です。 ファミリーマートは2000歩。もっぱらメール便を出す時だけの利用ですが、ここでもコミックを手渡すと喜んで受取ってくれ、読みましたよと声をかけてくれます。 銀行でも、薬局でも病院で医者や看護師の方々も、名刺代わりに喜んで受取ってもらえました。自分で書かれたのですか?と聞かれたこともありますが、何を聞かれても前向きに答えるようにしています。 今朝は大雨でだったので濡れないように、近くの家々に30冊だけポスティングでした。11月23日(月)聖書が教える健康、医学の嬉しい話」のチラシといっしょに案内です。学期中なので毎朝はしませんが、秋の陽射しも柔らかくなってきたので、時間を見つけてはポスティングを続けたいと思っています。 ゆとりの10000歩が、一石二鳥、いや一石三鳥になると信じて、平安と感謝に包まれての種まきです。詩篇126:1 【主】がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、 私たちは夢を見ている者のようであった。 126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき、国々の間で、人々は言った。 「【主】は彼らのために大いなることをなされた。」 126:3 【主】は私たちのために大いなることをなされ、 私たちは喜んだ。 126:4 【主】よ。ネゲブの流れのように、 私たちの繁栄を元どおりにしてください。 126:5 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろう。 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、 束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2009/10/03
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聖書には、いくつかの日本語訳があり、15歳の時読んだのは文語訳でした。それから口語訳へ、新改訳や新共同訳、現代語訳やリビングバイブルそのほかにも多くの訳しかたがあります。 大好きな箴言4章23節を各訳ごとに紹介します。文語訳=すべての操守(まもる)べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命の流れこれよ り出ればなり口語訳=4:23 油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。新改訳= 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。新共同訳=4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。現代訳=何よりも、心を見守りなさい。命の泉が湧いてくるところだからである。リビングバイブル訳=4:23 何よりも、心を見守りなさい。 心は生活全体に影響を与えます。TEV(英語訳)=4:23 Be careful how you think; your life is shaped by your thoughts. リビングバイブルで読んだとき、「心は生活全体に影響を与えます」とあり、手元にあった英語の聖書を開くと、TEV=4:23 Be careful how you think; your life is shaped by your thoughts.となっていました。 心=think=考え、your life is shaped by your thoughts=あなたの思考、思慮、心づかい、考え、着想、見解、意図、予想、思索などが、あなたの生活を形成したとありました。 またshapeには健康などの状態とか調子の意味もあるので、あなたの考え方が体調を形成したとも言えることに気づきました。 心が信じることはそのとおりになると、イエス・キリストは教えてくださいました。あなたの信じたとおりになれと癒しの奇跡の場ではよく語られました。 神を信じるとは、神の思考や思慮、考えや着想、意図や予想をそのままアーメンと受取ることです。そしてそれらは聖書66巻にすべて謝りなく啓示されているのです。 神のことばは生きていて力があり(ヘブル4:12)、人は神の口から出るひとつひとつのことばによって生きる(マタイ4:4)のです。 心=考え方が生活全体に影響を与えるのです。心=考え方こそ命の源流であり、イエス・キリストを信じる時、心の中が清められるのです。そして神の子どもになりましたので、考え方が神と同じになったのです。神の考えは聖書に書かれているので、聖書を毎日読み覚えるほどに考えが聖書どおりになるので、その結果として神が約束された祝福の人生が形成され、幸せの中を天国に行くまで歩み続けることもできるのです。 そのような集中セミナーを今週は35時間継続中です。今日の昼で終わりですが、参加者全員輝いて、イエス・キリストの救いを喜び、聖霊に満たされた感激の記念撮影です。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2009/10/02
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