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毎朝起きると、祈りと聖書の時間。メール返信をしブログを書き、テレフォンめーッセージを録音します。 今朝は、猛声祈祷もチャペルもなく、テレフォンメッセージを録音しようと事務所に向いました。すごく温かく春が来た!という感じです。2月4日が立春ですからもう春ですね! 太陽の輝きも春が来たよと喜んでいるようです。ウグイスも目白も、そのほかの鳥たちのさえずりもいつもより嬉しそうに聞こえ、生きとし生けるもの全てが創造の神を賛美しています。 そのまま山道へ向かい、天野川の岸辺を歩き、テレフォンが置いてある部屋に着いたときは、ゆとりの1万歩を越えていました。テレフォン・メッセージでは、申命記23:5 しかし、あなたの神、【主】はバラムに耳を貸そうとはせず、かえってあなたの神、【主】は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、【主】は、あなたを愛しておられるからである。を語りました。 今でも毎日30-40通話があり、37年間毎日継続のメッセージです。0743-73-3740(ゼロなし みなさん さあ行こう!)イエス様の元へ。などと番号を言い換えています。 ちなみに富雄キリスト教会は、0742-44-3154(ゼロ無し、よし さあ行こうよ)富雄キリスト教会へ。明日の日曜礼拝は午前10時より始まります。 スローライフをと提唱されていますが、なかなか充実しきった日々を楽しく飛び回っています。申命記28:1 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。 28:2 あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。 28:3 あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。 28:4 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。 28:5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。 28:6 あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。 28:7 【主】は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。 28:8 【主】は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。 28:9 あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り、主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。 28:10 地上のすべての国々の民は、あなたに【主】の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。 28:11 【主】が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、【主】は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。 28:12 【主】は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。 28:13 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、【主】の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。 28:14 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。
2009/02/28
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卒業式が近い3月です。一月は行き、二月は逃げ、三月は去ると、正月からあっという間に3月を迎えます。 生駒聖書学院も3月6日(金)に卒業式を迎え、朝のチャペルでの院長メッセージも今朝で終わりました。月曜日は大阪朝祷会に出席予定です。 金曜チャペルは出発礼拝です。一週間の学びを終え、午後よりそれぞれの母教会や派遣教会奉仕に出かけます。院内に残ったり家に帰る者もありますが、いずれにしろ実践のときを経験することにより、知的成長だけでなく人格的・実践的成長を願っています。 神学生時代に、人間関係や伝道訓練を自らに課すことにより、大きな器として成長すると、ことができると確信しています。 今日のデボーションの箇所は申命記20章でした。 あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、【主】が、あなたとともにおられる。 あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、【主】である」(20:1-4) 新約聖書の光に照らして旧約聖書を読むとき。大きな聖霊の導きとみことばの力を体験できるから感謝です。 人生は戦いであり、悩みや苦しみ試練の多く直面します。イエス・キリストを信じ信頼するとき、様々な問題を解決し勝利する恵みが与えられます。イエス・キリストを信じる人生は勝ち得て余りある勝利の日々です。 その一番大きな祝福は、「主があなたがたとともにおられる。勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である」との約束です。 新約のクリスチャンは、「この奥義はあなたがたのうちにおられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27)を確信しています。 全能の神が聖霊によりともにおられる幸い!感謝します。主がともにおられます。ありがとうございます。 弱気になってはならない! 恐れてはならない! うろたえてはならない! おじけてはならない! 神の愛のことばがあれば十分です。今日もまた天国の一日です!と声をあげて、主を賛美しつつの雨の朝のスタートです。祝福を祈ります。ハレルヤ! 申命記31:6 強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。ヘブル人への手紙13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。 「主は私の助け手です。私は恐れません。 人間が、私に対して何ができましょう。」
2009/02/27
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聖書を読むとき、そこに慰めと勇気が与えられます。15歳から聖書を読んでいますが、聖書は神のことばで生きていて力があります。そのことを現実に体験しながらのクリスチャン生活です。 君はあいされるため生まれたで有名な韓国女性、イ・チソンさんの自動車事故火災から立ちなる姿をDVDで見る機会がありました。涙と感動の証しに拍手を送りました。 毎年、3万人以上がいのちを絶つ、悲しいことです。どんなことがあっても、あなたはわたしの目には高価で尊い!わたしはあなたを愛している。イエス・キリストが十字架にいのちを捨ててまで愛されているのです。君は愛されるため生まれた君の生涯は愛で満ちている君は愛されるため生まれた君の生涯は愛で満ちている永遠の神の愛は我らの出会いの中で実を結ぶ君の存在がわたしにはどれほどおおきな喜びでしょう君は愛されるため生まれた今もその愛 受けている君は愛されるため生まれた今もその愛 受けている 詩篇118:79苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。口語訳 苦しみにあったことは、わたしに良い事です。新共同訳 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。リビング訳29:11 わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。 それは災いではなく祝福を与える計画で、ばら色の将来と希望を約束する。 伝道者の書3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。第二コリント:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。ローマリビング訳5:3 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。 5:4 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。 神のことばは生きていて力があり(へブル4:12)ます。かみのことばと聖霊に満たされ、大きな輝きに中で幸せな日々です。ハレルヤ!第一ぺテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 主をほめたたえつつ、みことばの勝利を確信しましょう。詩篇リビング訳103:1 私は心から神様をたたえます。103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 イザヤ書43:4わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
2009/02/26
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水曜朝のチャペルは、毎週副院長のメッセ―ジ。今朝は、東大阪市で行なわれた物作りシンポジュームで、勝ち組より価値組になり、価値ある物づくりを目ざそうとあったことを話してくれた。 勝ち組より価値組という書籍もあり、良い言葉だと思います。 勝ち組といういうのは(他人より)結果を出したとか、(他人より)優れた状態になるとか、目標を達成したかと言う意味です。でも勝つ人がいると負ける人がいるわけです。 誰でも負けるよりは勝ちたい。負けるのは面白くないから必死に勝とうとし、仮に勝ったとしても、また負ける心配をしストレスに振り回されてしまいます。 負けたら負けた出落胆し、自暴自棄になってしまい「どうせダメだ」と落ち込んでしまいます。 「かちぐみ」になるなら「勝ち組」より「価値組」の方がはるかにすばらしいですね。 生きている価値を持たない限り、価値を提供することはできないと思います。自分が関わることによって他人を打ち負かすのが「勝ち組」、自分が関わることによって他人(と自分との間)に新しい価値を生み出すのが「価値組」です。 イエス・キリストを信じるとは、新しい価値観に生きることです。 「だれでもイエス・キリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古い価値観は過ぎ去った。新しい価値観が創造されました」 イエス・キリストは、「人が全世界を自分のものにしても、自分のいのちを損したら何の価値があろうか」と宣言しました。 そして全世界よりも価値あるいのちを救うために、十字架にいのちを捨ててそのいのちを贖ってくださいました。その人がだれであれ、そのいのちは全世界よりも価値あるものです。そのことをしっかり信じ認めるとき、価値ある生き方が始まり、受けるよりも与える方が幸いですとの、黄金律的を実行できるのです。コリント人への第二の手紙 5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
2009/02/25
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[ソウル 21日 ロイター]発世界こぼれ話ニュースに、 自動車運転免許試験に計775回不合格になった韓国人女性のことが書かれていた。 チャ・サ・スーン(68歳)さんは、将来トラックを購入して自分のビジネスを営む夢をあきらめないで、運転免許を取ることに挑戦し続けているという。 彼女は2005年以降、運転免許の筆記試験に挑戦を続けているが、いまだ合格に必要な60%の正答率を達成できていない。 チャさんがこれまでに支払った受験料は、1000万ウォン(約63万円)以上だという。 彼女がどんな人かは知らないが、世界的なニュースになったので、それだけでもスゴイと思いました。 朝日放送ラジオ番組、希望の声で毎週水曜日メッセージを語り続けて36年になります。テレビでも放映できたらと祈り、幸福への招待(今はないが)で30分番組2回、ハーベストタイムでも30分番組1回出演しました。そのほかミッション・バラバ(元ヤクザ軍団)のニュースに何回か10秒ほど映像が流れたこともありました。 2年前から日曜日礼拝と、学期中は毎日聖書学院チャペルでの礼拝をインターネットで配信しています。 2週間前にCGNTV(韓国オンヌリ教会衛星テレビ放送)より電話があり、今日の午前中10分番組2本のため録画取りとのこと。全世界に聖書のメッセージが放映されるので、テレビ放送の夢がかない、少々緊張しての目覚めの朝です。 今日もまた天国の一日です!と、元気良く飛び起きて新しチャレンジのスタートです。 いつからの放映になるかは聞いていませんが、神様の愛とイエス・キリストの救いを率直に語れたらと願っています。 昨日は妹(主婦で二人の子どもの母親)が失明したと神学生がパニックになり、大丈夫神の守りがあると励まし祈りました。遠方でもあり確認のために電話で状況を聞きました。幸い原因不明ではあるが失明の危機は去ったとのこと。神の守りに感謝し快癒を祈りました。 様々な出来事が起こります。いつもどのようなときも感謝と平安な心で守られて過ごせたらと祈り願いながらの朝です。 今日もまた天国の一日です!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。イザヤ書30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。 30:25 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。 30:26 【主】がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。
2009/02/23
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富雄キリスト教会礼拝には、第四日曜日に行きます。それ以外は生駒聖書学院教会での礼拝をインターネットで配信しています。 礼拝の賛美はピアノやドラムだけでなく、ギター4人(小学3年生も)、ウクレレ(5歳)、クラリネット2本、もぅすぐフルートやバイオリン、キーボードも加わるようです。オーケストラ結成に向って仲間を求めています。音楽教室のドラム教師だった青年も礼拝を休むことなくドラムを上手に奏でてくれています。 和やかで落ち着いた雰囲気の中での礼拝が、毎週日曜日午前10時より行なわれています。ぜひご参加ください。ほっとできる聖霊の愛に包まれて礼拝です。礼拝後は聖歌隊や楽器練習が昼食の後も続いています。どうぞ気軽にお出かけください。 奈良市富雄川西1-19-18(近鉄奈良線富雄駅西口川沿い下車徒歩8分) 昼からは大阪エリムへ。第四日曜日は副牧師説教なので、礼拝前の聖書勉強会を担当。 ケニアのパラダイス孤児院で育った青年四人、ダニエル、スティーブ、カルビン、ゴンサガが礼拝に出席してくれたので、挨拶とスワヒリ語の賛美を歌ってもらった。幼い日から孤児院で歌っていた、この日はこの日は主が造られた!を日本語で賛美し、大喝采を受けました。 9月まで日本で働くとのことで、また礼拝に来てとみんなに激励を受けて喜びに顔を輝かせていました。 和歌山県で開拓伝道中の牧師と教会員が数名参加し、堺エリムは大勢の参加で賑わい、来週の二周年感謝礼拝に弾みをつけ感謝でした。 嬉しい出来事がたくさんあり感謝の礼拝でした。 放送局ディレクターが先週に続いて礼拝に出席。 ケニアの青年4名が大阪エリムに出席。 頚椎骨折男性が車椅子で(もう「1ヶ月も毎週)、介護タクシーの運転手の方も参加。 打ち合わせもしなかったが、礼拝説教の箇所が申命記の向きを変えて出発せよ!で感謝! 喜びに顔輝かせて仕事が決まった主婦が近づいて来て、日曜日休みになり礼拝出席ができることを感謝。しかも昼勤務だけれど思ったより時給も高く、母子家庭が支えられることを嬉しそうに報告してくれました。心を合わせ、イエス・キリストの名前によって祈ります。ありがとうございます。仕事が与えられました。感謝します。幸いな日々を祈ります。ピリピ人への手紙 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
2009/02/23
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エリムキリスト教会は、デボーション手帳を全教会員が用いて、一年間で旧約&新約聖書を全部通読し、恵まれたことばを記入し続けています。 昨日から申命記になり、「あなたがたはこの山に長く留まっていた。向きを変えて出発せよ!」(1:7-8)にチャレンジされています。 不信仰や疑い、不従順やつぶやき、不平不満の山に長い間留まり、ストレスや悩みの取り囲まれていても大丈夫です。向きを変えさえすれば、信仰と従順の確信を与えられ、感謝と喜びに輝く日々が始まります。今日もまた天国の一日です!と、幸せに満ちて告白できます。 自分のことばかりの願いや祈りから向きを変えて、家族や友人知人のために最高のとりなしの祈りをささげてください。祈りは必ず答えられます。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられました。感謝し増す。ハレルヤ!」 聖書のみことばで祈るとき、不思議な変化がとりなした方々に起こり、エクセレントな人生が与えられます。 下記の( )の中に、とりなすお方の名前を入れて祈ってください。また自分のために祈るときは( )に私と入れるとそのまま祈りになります。聖書のみことばによる祈りを! こういうわけで、私は主イエスに対する ( )の信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、( )のために絶えず感謝をささげ、( )のことを覚えて祈っています。どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、( )に与えてくださいますように。 また、( )の心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを( )知ることができますように。(エペソ1:15-19) こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、( )の内なる人を強くしてくださいますように。 こうしてキリストが、( )の信仰によって、( )の心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いている( )が、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、 ( )が満たされますように。(エペソ3:14-19) 私は祈っています。 ( )の愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、( )が、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。 また( )が、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。 (ピリピ1:11-12) どうか、( )があらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。(コロ1:9-12) 主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31) 上記の祈りを家族ひとりひとりがそのようになることを期待して、名前を入れて祈って見ましょう。家族の中に革命的な愛が生まれることでしょう。幸せを祈ります。
2009/02/22
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昨日、親子丼を何十年ぶりに食べたと書いたらコメントが入りました。 なんか庶民的な食べ物を食べるんですね。なんかこう、安心です。日曜日には、参加できる時には、参加しますので、よろしくです。あいかわらず、いやがらせが多いので、悲しいですね。神は、こんなものも、気にもしないので、いいのですが。先生のブログが、穢れます。 私の好きな聖書の御言葉は、”神は、愛なり”です。すべてを、ふくめてもキリスト以外は、私は癒されません。愛は、十字架の上で私たちのために殺された尊いキリスト様の愛しみで生きています。今日も感謝の一日であります。また、たびたび日曜日行きます。 フアンですから。(2009/02/20 02:33:30 PM) 新婚生活は、生駒聖書学院内で暮らしました。給料はほとんどなく家内も保育園で働いてはいましたが、ボランティアのようでした。家内は鶏肉が大好きですが、買うお金もなく鳥の皮を安くで求め、鳥の皮のドンブリがごちそうでした。 子どもの時から鶏は苦手でした。そんなに感受性が強かった分けでもないと思いますが、庭で遊んでいた鶏が食卓にあるのはかわいそうで、食べる気になりませんでした。 神学生のとき学院内で鶏を十数羽飼い、種子島の田舎から出てきたというので、その当番にされました。ほんとうは大嫌いな仕事でしたが、与えられた奉仕に従順に従いました。 毎朝、卵を産むので大変喜ばれ、さすが種子島育ちだととんだ勘違いのほめられ方でした。 クリスマスの日、外部教会での奉仕が終わり、ニワトリに餌をあげなければと小屋に行ったら一羽もいません。びっくりしてクリスマス会場に行ってみると、何と鶏料理がありました。 何の許可もなくと思いましたが、その料理を食べる気にもなりません。ニワトリに恨みはないが、幼い時から鶏料理が苦手です。 矛盾してはいますが、ケンタッキーフライドチキンは大好きです。イギリスに行ったとき、お金がなくレストランで食べることができなくて、B&Gの@前にあったフライドチキンで助かりました。 また、フライドチキンのサンダース会長の話を読み、彼の前向きなチャレンジ精神が大好きになったこともありますが、ロンドンやその他の都市(と言っても2週間ですが)でもフライドチキンで飢えをしのぎました。 ただ食べ物に関しては何を出されても嫌いですとは言いません。何でも感謝して食べる秘訣を心得ています。 台湾では少々困ったこともありましたが、行く先々の国々で出されたものは感謝していただいています。 どこへいっても何でも食べれることと、いつでも熟睡できることが特技です。アフリカ・ケニアへの今年で20年目。イスラエル聖地旅行も10回になりますが、食べ物でこまったことはありません。 親子どんぶりは別として、ほんとうはどんぶり大好きですが、10年前に脳内出血で倒れてから、牛丼も東京からの講師を迎えて久しぶりでした。かつ丼は大好きですが10年間たべていません。天ぷら丼は数回。うな丼や・・・・ああ、書いているだけでも食べてみたい! 食物に関しては、下記の聖書の言葉を信条としています。 4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、 4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。 4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。 4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。 4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。出エジプト記 23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。マルコ 7:18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。 7:19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。 7:20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコ16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」マタイ 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 そして、今日も天国の一日です!と感謝しつつ、主の祈りを告白t続けています。 私たちの日ごとの糧(明日のための糧)を今日もお与えください。「アーメン。ありがとうございます。日ごと糧は豊かに思い煩い心配しないほどに与えられました。感謝します。ハレルヤ!」箴言 17:1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 15:17 野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。30:7 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。 30:8 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。 30:9 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。第一テモテ
2009/02/21
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今日は朝から講師接待で親子丼を何十年ぶりに食べた。 これから、プロテスタント日本宣教150年記念フェスティバル基本構想戦略会議が、神戸国際会議場で開催され、久しぶりに朝早くよりですが今から参加します。 午後からも別の会議があり、帰宅が夜になります。会して議せず、議して決せず、決して行なわずにならないよう願いながら、と言いながらでもほとんで決定していることの説明を聞くだけの会議になるなあと思いながらです。 昨日の都ホテル喫茶室での定例の集まりで読んだ、肯定的セルフイメージを与える聖書のみことばを紹介します。イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 十字架によって自分を見るとき、すばらしく「愛されてる自分を発見できます。 ローマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 最大に罪人でも救われて謙遜に生きることができます。テモテ第一1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 幸いなことに、イエス・キリストによって選ばれています。 ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 消極的・否定的セルフイメージよさようなら。 劣等感(比較する心) 心配 嫉妬 憂うつ 不満ヨハネ第三1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸い(恵まれ・栄え)を得ているようにすべての点でも幸い(恵まれ・栄え)を得、また健康であるように祈ります。 積極的・肯定的セルフイメージよありがとう! 平安な心 聖霊によって注がれる神の愛 すべてに感謝する心 勝利の宣言 何をしても成功する信仰の確信 詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える(繁栄する・成功する)ユダ1:20-21 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
2009/02/20
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5年前から朝食抜きで、野菜ジュースを愛用しています。月に何度かは、韓国や東京より泊まりで講師を迎えます。そのときはモーニング・サービスやひとりの講師は牛丼が大好きなので、近くにできた吉野家に朝から牛丼のごちそうです。 ご飯を半分にしてもらい、いっしょにいただきますと祈って、しっかり食べて一日のスタートです。 今日は午後から都ホテル喫茶室での月一度の集まりです。新しい出会いもあり楽しみな集いです。午後3時ー5時までの2時間、コーヒーを飲みながらのくつろぎと聖書の分かち合いの時です。 夕方は新聞記者と出会う予定です。毎日いろいろですが、今日もまた天国の一日です!と、感謝しつつの歩みを続けています。イザヤ書41:8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。 41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」 41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 41:11 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。 41:12 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。 41:13 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。 41:14 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。 41:15 見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。 41:16 あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。 41:17 悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌は渇きで干からびるが、わたし、主は、彼らに答え、イスラエルの神は、彼らを見捨てない。 41:18 わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。 41:19 わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、桧も共に植える。 41:20 主の手がこのことをし、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、心に留めて、共に悟るためである。
2009/02/19
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朝一番に携帯電話がなり、嬉しい声が弾んでいました。1月で仕事がなくなり、新しい職場が与えられるように祈っていた母子家庭の母親から。2月分の給料は6割保証しますと会社から連絡があり、さらに今までは夜勤でしたが、昼勤務であれば3月3日より勤務をお願いしますとのこと。時給は減少するけれど、身体のためには良いので感謝・・・・。娘さんが牧師に祈ってもらったんだから、仕事が決まったことを最初に知らせるようにと言われてと喜んでいました。 イエス・キリスト様は、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば与えられます。叩きなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求め続ける者は受け、捜し続けつ者は見出し、叩き続ける者には開かれるのです」(マタイ7:7-8)と約束されました。 時代や状況がどんなに厳しく悪くても、イエス・キリストの名によって祈り求める幸いを経験できるのは幸せです。 「仕事を与えてください。イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。仕事が与えられ就職できました。感謝します」と、感謝できる人は幸いです。 昨夜も大阪エリムに来ている女性が帰り際に、この前祈っていただきましたが、介護士(資格なり)として昼間働くことができるようになりましたと、報告してくれともに感謝の祈りをささげました。ルカの福音書 11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 11:2 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。 『父よ。御名があがめられますように。 御国が来ますように。 11:3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。 11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。 私たちを試みに会わせないでください。』」 11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。 11:6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。 11:7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』 11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。 11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。 11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。 11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
2009/02/18
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昨夜は、ザ・リッツカールトン大阪ホテルで、日本宣教150周年記念&関西VIPクラブ10周年記念、牧師夫妻招待夕食会が行なわれました。 満場の600名が集う午後6時より8時半まで、バイオリン演奏やソプラノ歌手の賛美や、能学の舞など盛りだくさん。さらに祝辞や挨拶など。その間にフルコースの料理が運ばれ、歓談とともに舌鼓を打つ楽しい2時間半でした。 プログラムとともに封筒を開けると、VIP関西会長の持田明広弁護士の、「クリスチャン弁護士のちょっと気になる事件簿」の新刊(マナブックス・定価953円+税)が贈呈されていました。 高齢者問題や遺産相続争い、熟年離婚・・・・悩み多き時代に、クリスチャン弁護士の語る法務エッセイです。 クリスチャン的世界観から書かれた、身につまされるような実際の事件が20例取り上げられ、一度読み出すと最後まで一気に読んでしました。また弁護士の半生記も証しされ、イエス・キリストを信じるすばらさいさ、その生き様が伝わりました。 今朝はいつもより早く目覚めて5時半の祈祷会までに1万歩を歩き終え、「クリスチャン弁護士のちょと気になる事件簿」を、昨夜の弁護士との挨拶や握手のぬくもりの残る中での読了でした。 今日は午前中、」聖書輪読会で山上の垂訓の8福の教えを学びます。また教会成長学教授と昼食をともにし、午後からは生駒聖書学院入学希望の青年と面接。 夕方は大阪エリム集会。今日もまた天国の一日です!と充実の一日です。感謝します。ヘブル人への手紙 12:1 このように、数えきれないほどの信仰の勇者が、競技場の正面観覧席で、私たちの競技を見つめているのです。 だから、スピードを落とさせたり、うしろへ引き戻そうとする力に目を光らせなさい。特に、足にうるさくまつわりついて、つまずかせようとする罪をふり捨てなさい。 そして、神様の用意された特別のコースを、忍耐して走り抜こうではありませんか。 12:2 私たちの指導者であり教師であるイエス様から、目を離さないようにしなさい。 イエス様は十字架の死のあとの喜びを知って、恥をもいとわず十字架にかかられました。 そして今は、神様の王座の隣、名誉ある座についておられるのです。 12:3 気力を失い、弱り果てることがないように、いつも、罪人の恐ろしい仕打ちを忍ばれた、イエス様のことを思っていなさい。
2009/02/17
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日本プロテスタント宣教150周年記念大会を記念し、VIP関西10周年記念大会主催で、「牧師ご夫妻感謝の夕べ」が、ザ・リッツカートンホテル大阪で開催され、招かれて参加します。600名近い参加者だそうで教派を越えての夕食会です。 東京からも150周年記念大会の実行委員長3名が招かれて出席し、盛りだくさんのイベントなども用意されているようです。ゲスト音楽 DUO高瀬(バイオリンとピアノのユニット)吉村美穂(ゴスペル・シンガー)、野田常喜(ピアニスト)能囃子と賛美舞踊上田悟・上田慎也(金春流能楽太鼓方、重要無形文化財総合指定)藤田恵扇(舞踊家の若柳流師範)と、案内に記され楽しみに参加します。残念なことに家内は都合で参加できず、せっかくの牧師夫妻招待なのにと思いながらの朝です。 これからチャペルメッセージ、オリエンテーション、午前中2時間の講義、昼には新入学希望者面接と昼食もできない?ほどの過密スケジュール月曜日です。 特に今週はスケジュールが過密で、集会も多く面談や問い合わせのメールも多く、自殺未遂でICUで治療中との方もあり、「主よ。いのちを守り救い出してください」と祈りつつです。 今日もまた天国の一日です!感謝しつつ恵まれた一日へのスターとです。イザヤ書40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。リビングバイブル訳イザヤ 40:26 天を仰いでみなさい。 星は、いったいだれが造ったのですか。 羊飼いは群れを導き、それぞれの愛称で呼び、一匹でもいなくなってはいないかと数えます。 同じように神様も、星をぜんぶ数えます。 40:27 ああ、ヤコブよ。 ああ、イスラエルよ。 神様は苦しみを見て見ぬふりをしているから不公平だなどと、どうして言えるのですか。 40:28 まだわからないのですか。 全世界を造った永遠の神様は、絶対に疲れたり、ふらついたりしません。 神様の理解の深さを推測できる者は、一人もいません。 40:29 神様は疲れた者に力を、弱い者に活力を与えます。 40:30 若い人もくたくたになり、若い男もまいってしまいます。 40:31 しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。
2009/02/16
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聖書のことばに真っ直ぐに従い、生きて生きたい!キリストのほんとうの弟子として。 第一コリント10:1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。 旧約聖書のできごとは、現代を生きる私たちへの雛形として記されている。 私たちへの戒め&教訓=10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。 忍耐=ローマ15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 教え・戒め・矯正・義の訓練=テモテ第二3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 律法の一点一画すべてが成就=マタイ5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。マタイ24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、(モーセに従う弟子としてバプテスマを受けたという意味があります) このことは、私たちがアーメン。信じますとイエス様を受け入れ、バプテスマを受けてイエス・キリストの弟子になったことを現します。私たちはほんとうのキリスト弟子になる幸いを経験しました。私は洗礼を受け52年です。10:3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、マナは天のパン(御使いの食べ物)御霊のパンです。マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」 あなたのデボーション(毎日聖書を読み、恵みを受取ること)は、天国のマナを食する喜びで満ちていますか。天国の食物の栄養失調にならないように!10:4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。 御霊の飲み物とは、聖霊の水のことです。みことばと聖霊により渇かない人生が与えられました。聖霊によってアーメンと、「イエス・キリストを主として信じる恵みが与えられました。 コリント第一12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。 さらに彼らについてきた岩は、40年の荒野の旅でいつも渇かないように彼らに飲み水を与えましたヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。 いつまでも満たされ続ける弟子の秘訣は、聖霊のバプテスマの体験です。御霊に満たされ続けるために、イエス様は十字架で死なれ3日目に復活されました。 私たちが罪に死に、義に生きるために主は十字架ですべての罪や病、呪いや貧乏、死を引き受け死なれました。そして信じる者が正しく、健やかに祝福され豊かに、今日もまた天国の一日です!と、永遠に感謝に溢れて生きる力を注いでくださっているのです。10:5 にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。10:6 これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。 気をつけなければならない第一のことが、悪をむさぼらないことです。いつも告白を続けています。詩編1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。 第二番目に気をつけなければならないことは、偶像崇拝です。10:7 あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。 偶像礼拝は形ある物を拝むことです。クリスチャンで実際の偶像を礼拝するものはいないでしょうが、偶像の国に住む私たちは十分気をつけて、偶像から離れ、神以外のものを第一にしないように気をつけてください。10:8 また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。 次に不品行です。偶像礼拝には、飲み騒ぎ遊びが浮かれ踊ることがつき物です。生駒聖天や十日恵比寿の祭礼、岸和田のだんじり祭り、天神祭や祇園もすべて不品行を奨励する馬鹿騒ぎの祭りです。イギリスでは13歳と14歳で両親になったとニュースも流れている時代です。芸能界は不品行を青少年に撒き散らしています。純潔に対する情熱的な愛が必要です。10:9 私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。 主を試みることも罪です。 今日のデボーション民数記21:4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、21:5 民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」21:6 そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。21:7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。21:8 すると、【主】はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」21:9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。10:10 また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。 また主につぶやくことも罪です。イスラエルの民は何度もつぶやいたと、聖書には書いてあります。不平不満、泣き言、文句、悪口、すべてから解放され、御霊の実に満たされて前進しましょう。10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。 いやそうは言っても牧師よ。人生は厳しいものですよ。あなたのように世の中を知らない者は、聖書に書いてあるからアーメンですかと、大声で叫ぶけれども、私の厳しい現実を見てください。やはり人生の酸いも辛いももっと経験してから牧師になられたら良かったですね。と言われました。 確かに若い日に、イエス・キリストを信じて献身し、この春で早くも50年を迎えます。生駒に来て半世紀も過ぎたかと思うと感無量です。本籍地を生駒市俵口町951番地に持っているのは、生駒聖書学院創立80年の歴史の中で、私だけだと思います。 人を救い、真実のキリストの弟子として育て上げるのは、経験や人生の体験も役立つでしょうが、まことの神のことばと聖霊による導きだけです。愛するあなたが聖書に導かれて、聖霊に満たされた人格を保ち、神様と人の前でも責任ある「キリストの弟子として成長することにいささかの不安もありあません。最後に、10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。を結論といたします。 そのときにこの聖句をしっかりと心に留めておいてください。みことばを暗記することはすばらしい恵みです。 ヨベル聖会のとき、22歳の詩人に会いました。早瀬さと子さんです。ブログに、原因不明の全身慢性疼痛「線維筋痛症」と闘う22歳の記録があります。 著書も2冊、虹色の夢と心、いずれも文芸社刊。詩の展覧会を10回行い1万人が入場。絶対に詩を写させない。覚えてもらうそうです。春はいのち。秋は平和。入場無料なので覚えたい詩の前にたたずみ、5日間連続で来館し、その詩を自分に染み込ませている方もあるそうです。感動とともに話を聞きました。 神様のみことばが身体に染み込むまでに、頭にも心にも覚えたいものです。第一に試練や誘惑は必ずあり、襲ってくるということです。第二に、どのような試練も誘惑も世の常でないものはないということです。そしてどのような試練や誘惑にも打ち勝った人々が必ずいるということです。「」自分ほどひどい目に会ったものはいないと思うとき、雲のような証人たちが私も同じような試練に会い、耐え抜き勝ち抜きましたよと、語りかけてくれる声を聴いてください。第三に、逃れる道、脱出の道が備えられいることを覚えてください。ギリシャ語では、ekbasis(エクバシス)で、隘路=狭い道、細い山道から出る道という意味です。屈服の道や退却の道ではありません。アメリカ・コロラド州の山間を走る道、急に細くなり行き止まりに見える。多くのドライバーがUターンして別の道を探すそうです。ところが注意深く見ると、小さな立て札があり、通り抜けられますと書かれています。注意深く少し行くと、また快適なドライブウエィが続きます。 最後に、神は真実であることです。それにまさる幸せはありません。神の契約にアーメンと実印を押すとき、神の愛と真実の恵みを豊かに体験できるのです。 第二コリント1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。 1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。 1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。
2009/02/14
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暦の上では立春。2月に入ってから温暖な日が続いています。数年前に浜松市でペンテコステ大会があり、帰りに浜松まで来たのだからと鰻丼の昼食を取り、雪が始める中を帰りました。高速道路は通行止め。国道で亀山まで来たらものすごい渋滞でした。結局生駒に帰り着いたのは午前3時。浜松から13時間以上のかかった思い出があり、今年はスレッドタイヤのして出かけましたが、何と3時間半で帰宅でした。 11日に行なわれるヨベル聖会も大雪になったり、寒さの中での心燃やされる熱い聖会!などと表現していましたが、温かく心燃やされる聖会の一日でした。 昨夜は少し早く休み、夜来風雨の声でしたが、今日もまた天国の一日です!と言いながら外へ出ると、雨もやみ温かい空気が顔をなでます。思わず春一番?と声を上げました。 春が来ることは間違いなく、気持ちの上ではもう春が来ています。春は来たりつつある。雪の降るにも関わらず・・・・と詩を口ずさみながらの日々です。昨夜の風雨で梅の花がずいぶん散りましたが、枝で囀るウグイスの声や目白のさえずりを聞きつつの朝でした。 昨日はブログを書く途中で来客あり。今日もこれから出会いがあり、毎日が天国の一日で、神になさることはみなその時にかなって美しいと、感謝しつつのスタートです。ピリピ人への手紙 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。 4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。 4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。 4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。 4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
2009/02/14
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午前中はイスラエル旅行へ行くので、パスポートがで旅券センターへ取りに行き、その足で銀行なども回りました。 午後からは、火曜日に退院した方を見舞いに出かけました。知っている家だったけれども、カーナビをセットしたが住所を少し間違えて入力したことに気づかず、知っている道とはちがうなあと思いながら走り続けました。 やっと入力し直して目的の家に着き、元気になった姿に感謝の祈りをし喜ばれました。帰り道にもう一人の加療中の方を見舞い、回復といやしを祈ることもできました。 帰る途中、本屋に立ち寄り、「第三次世界大戦」右・左2冊を購入。少しだけ読んだがまあいろんな考えがあるものだという感想でした。佐藤優と田原総一郎の対談で、二人が自分の思いをいろんな分野で対談している書物でした。 世界は今、スゴイ不況に襲われテロや戦争の危機もあり、日本も小泉元首相の発言により、大揺れに揺れ始めた政治の世界に振り回されている現実です。国の救いを祈りたいものです。テサロニケ人への手紙 第一 5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。 5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
2009/02/13
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昨日は、生駒聖書学院主催のヨベル聖会でした。大勢の参加者で愛知県江南市や名古屋市からも参加があり、韓国からの大学生たちは午前中は疲れて休んでしまい昼過ぎに到着。 聖会では、献身50年の恵みの経験を語り、参列者の方々も聖霊の豊かな祝福を体験していただきました。説教後は、病のある方や心に悩みのある方々のために祈り続けました。聖霊のバプテスマを求めている方も、聖霊に満たされて異言を語り幸いでした。 家に帰ると孫たちが来て食事をいっしょにしながら、しばらく1歳4ヶ月と3歳11ヶ月の動きに付き合い、遊びのときでした。歩いていなかったので、生駒駅前の近鉄デパートまで往復6000歩を歩き、あと10分で帰宅という所で電話があり、入学面接の方が訪ねているとのこと。 大急ぎでいつもよりスピードで歩き、汗ばみながら院長室へ。夕方6時前までいろいろお話をお聞きすることもでき、ご家族と手をつないで祈る恵みを与えられ感謝でした。 昨日がヨベル聖会だったので、今日は火曜日からの連続講義。午後からは韓国IT専門牧師によるIT研修会。 今日もまた天国の一日です!と恵まれての日々を過ごしています。感謝します。 ヘブル人への手紙11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。リビングバイブル訳11:1 信仰を、どう定義したらよいでしょう。 それは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信です。 また、何が起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことです。 11:6 信仰がなければ、神様に喜ばれることはできません。 神様のもとに来ようとする人はだれでも、神様の存在と、熱心に神様を求めれば必ず報いられることとを、信じなければなりません。
2009/02/12
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今日は生駒聖書学院主催のヨベル聖会です。もう40年近く、2月11日(祭日)に継続している聖会で、学院長がメッセージを語る唯一の集まりです。 ヨベルとは、レビ記に書かれている記録に基づいています。 レビ記25:10 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。 イスラエルでこの命令が実行された例はないようですが、イエス・キリストがこの世界に来られたことにより、霊的・精神的には実現しました。 ルカの福音書に書かれているとおりです。 4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。 4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。 4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。 主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、 わたしに油をそそがれたのだから。 主はわたしを遣わされた。 捕らわれ人には赦免を、 盲人には目の開かれることを告げるために。 しいたげられている人々を自由にし、 4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」 4:20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」 イエス・キリストの十字架の死により、すべての悩み、問題、罪や病、呪いや貧乏、そして死と滅びの縄目から完全に解放されました。 イエス・キリストの十字架と復活により、人類は大解放のヨベルの年を50年目に一度ではなく、アーメンと信じるおき体験できるのです。 昨夜も大阪エリムの集会に新しい方が10名近く参加し、イエス・キリストを信じる幸いを体験されました。 今朝も、霊的にも精神的にも、自由と解放を体験し、肉体の弱さを持つ方々もいやされる肉体の自由を経験してもらえるよう祈りつつ備えています。 韓国の大学生も10名くらい参加すると聞いています。愛知県や近隣の教会からも大勢の方々が集ってきます。エレミヤ書 31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、 穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、 羊の子、牛の子とに対する【主】の恵みに喜び輝く。 彼らのたましいは潤った園のようになり、 もう再び、しぼむことはない。 31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、 若い男も年寄りも共に楽しむ。 「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、 彼らの憂いを慰め、楽しませる。 31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、 わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。 ──【主】の御告げ──」 さらにイエス・キリストがこの世界の戻ってこられる再臨のとき、ヨベルの年の理想は豊かに実現すると聖書は約束しています。ローマ人への手紙 8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。 8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。 8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。 8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 8:24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。 8:25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。黙示録22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。 22:21 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
2009/02/11
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昨日は学院で学び結婚した伝道師が夫婦、新婚の香り豊かに訪ねて来てくれた。いっしょに献身入学予定の青年を伴ってくれた。 何と道を間違えて生駒の山まで来たが、もう一度大阪まで逆戻り。予定より1時間遅れの到着。 生駒聖書学院はカーナビで検索すると、阪奈道路の真ん中か、山の上まで大きく迂回させられ、ぐるぐる回りなかなか到着できません。 生駒市俵口小学校で検索するとすぐ近くなので、間違いなくスムーズに生駒聖書学院に到着できます。5000坪の敷地にアメリカスタイルの美しい建物のある学院です。 二人は国際結婚なので、日本の教会で式と披露宴を上げ、翌日には韓国行き。教会でも親戚一同からも大歓迎を受け、アッという間の一週間だったと嬉しそうに話していました。 今日の面接で二人の青年の入学が決まり、今日もまた面接に牧師子弟が面接に来てくれます。新年度は男性の献身入学者がかなりの数になるのではと期待しています。 生駒聖書学院は4月13日(月)入学式を迎えます。ぜひ20名の新入生が与えられるようお祈りくださり、また生駒聖書学院をご紹介ください。ローマ人への手紙12:1 愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 12:2 世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。 12:3 私は、神様の使者として、あなたがた一人一人に神様の警告を伝えます。 自分を正直に評価しなさい。 神様からどれだけの信仰を与えられているかを尺度にして、自分の値打をはかりなさい。 12:4 -5私たちの体に多くの器官があるのと同様、キリスト様の体にも、多くの器官があります。 私たちはみな、キリスト様の体の各器官です。キリスト様の体が完全になるには、私たちが必要です。 というのは、それぞれが異なった役目を果たすからです。 ですから、私たちは互いに依存し合っており、だれもが、ほかのすべての人を必要としているのです。 12:6 神様は一人一人に、何かすぐれた能力を授けてくださっています。 ですから、預言する能力を授かっているなら、できる時にはいつも――神様からのことばを受け取る信仰の力に応じて、できるだけ多くの機会に――預言しなさい。 12:7 ほかの人々に仕える能力を授かっているなら、快く仕えなさい。 教える立場にあるなら、りっぱに教えなさい。 12:8 説教をする人であれば、力強く、また、人の助けとなるように説教しなさい。 お金をたくさんいただいているなら、人助けのために、惜しみなく使いなさい。 管理者としての能力を与えられ、人々の仕事を監督する立場にあるなら、その責任を誠実に果たしなさい。 悲しんでいる者を慰める人は、クリスチャンとして、喜んでそうしなさい。 12:9 ただ見せかけだけで人を愛してはいけません。 真心から愛しなさい。 悪いことを憎み、良いことには味方しなさい。 12:10 兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。 12:11 決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。 12:12 あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。 困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。
2009/02/10
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日曜日は朝から晩まで礼拝の時間です。午前中に生駒聖書学院教会で礼拝を終え、昨日は誕生祝と持ち寄りの軽食会。若い姉妹が皿にたくさん入れてくれるので、少々食べすぎになりました。 午後から大阪エリムへ。日曜日は高速道路がすいているのであっという間?に浪速区新世界に到着。昨日は介護タクシーの運転手の方も礼拝に参加してくれました。交通事故で下半身麻痺の教会員が今年7ヶ月の入院から退院し、毎週礼拝に参加している介護タクシーです。 費用のことを心配したら、まだクリスチャンでない母親が、毎週旅行に行くと思えばたいしたことはないし、楽しく喜びになるとアドバイスしてくれたので、かなり遠方からですが介護タクシーで新世界の大阪エリムへ休むことなく出席しています。 毎週、奇跡のような出来事が起こり、礼拝出席が可能になっているのは大きな恵みです。そのようにして礼拝に出る姿に、みんな感動して礼拝が聖霊の臨在に包まれています。 昨年5月に事故に会ったときは、救命救急センターで頚椎骨折のため一生寝たままで手足とも動かないと診断されていました。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。いやされ回復しました!感謝します。ハレルヤ」 辛くても苦しくても、どうしようもなくてもただひたすらに祈りと感謝を続けました。夢は介護タクシーを使わないで、杖をついてでも電車で教会に来ることです。そしていつの日か夫婦でイスラエルへ聖地旅行へ出かけることです。その目標がかなうまでに回復するよう祈りつつ、毎週の礼拝出席を祝福しています。 目の手術が成功した80代男性。今日退院する60代女性。様々な出会いやニュースに取り囲まれ、ひとりひとりの祝福を祈り続ける礼拝です。一月末に洗礼を受けて礼拝ごとに顔が輝き、もう大丈夫ですとにこにこと状況を知らせてくれる40代男性。 イエス様を信じて幸せに帰られるひとりひとりの姿に毎週感動しつつ、牧師として仕える幸せを与えられ、今日もまた天国の一日でした!と、感謝とともに熟睡し、今日もまた天国の一日です!と、元気で月曜日の朝を迎えています。 生駒聖書学院のチャペルやオリエンテーション。午前中は二講義。昼には入学面接者が来訪。生駒聖書学院が新しい祝福の領域に今年もさらに前進!と感謝しつつの月曜日の朝です。 11日(祭日)午前10時半より、寒さの中でもっとも燃やされるヨベル聖会です。学院長としてメッセージを語ります。多くの献身者が起こされる幸いなときです。お祈りをお願いします。 全ての恵みに感謝しつつ、新しい喜びの一日にスタートです。ハレルヤ。詩篇103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。 103:6 神様は、不当に扱われている者を公平にさばかれます。 103:7 神様はご自分の本性と、これからなそうとすることを、モーセおよびイスラエル国民に知らされました。 103:8 神様は、虫けら同然の者をあわれみ、やさしくいたわってくださいます。 また、短気を起こさず、恵みと愛に満ち、 103:9 いつまでも根に持ったりはなさいません。 103:10 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもありません。 103:11 神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくださいます。 103:12 神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。 103:13 神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。 103:14 というのも、私たちが土くれにすぎず、 103:15 また草花のようにはかなく、 103:16 風に吹き飛ばされて消える存在であることを、知っておられるからです。 103:17 -18しかし、神様は、ご自分を信じる人をいついつまでも恵み、神様との契約を忠実に守り従う人を、子々孫々に至るまでお救いになります。 103:19 神様は天に御座をすえ、すべてのものを支配なさいます。 103:20 神様の命令を一つとして聞きもらさず、すぐ実行に移す御使いたちよ、神様をほめたたえなさい。 103:21 四六時中、神様に仕える天使の軍団よ、ほめたたえなさい。 103:22 万物が声を合わせて、賛美しますように。 私も力いっぱいにほめ歌います。
2009/02/09
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悪魔、悪霊との戦いがあるのが現実です。エペソ人への手紙(リビング訳)6:10-13 最後に、覚えておいてほしいことがあります。 あなたがたは、自分のうちにある主の超自然的な力によって強められるべきだということです。 悪魔のどんな戦略や策略にも立ち向かえるように、神様のすべての武具で身をかためなさい。 戦う相手は、血や肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです。 すなわち、目に見えない世界の支配者たち、強大な悪魔的存在、この世を支配する暗やみの大王たち、それに、霊界にいる無数の悪霊どもです。 ですから、いついかなる攻撃にも対抗できるように、神様の武具の一つ一つを役立てなさい。 そうすれば、すべてが終わった時も、なおしっかり立てるでしょう。 聖書は悪魔に対して、イエス・キリストが十字架上で勝利したことを宣言しています。ヘブル人への手紙2:14-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。そのことを確信するだけでもすごく自由になります。 それでも悪魔・悪霊は、私たちの思いをくらまし、欺き、今でも世界を支配しているような錯覚を与えています。また悪魔や悪霊の働きだけを強調する人々もあり、そのような教えや書籍に触れると、確信が揺らぐこともあり、聖書の宣言にしっかり立たないと惑わされてしまします。 まず第一に、イエス・キリストを信じる者は、「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(ヨハネの第一の手紙4章4節)のことばにあるように、イエス・キリストが聖霊により心の中に住んでおられることを確信することです。 さらに、「神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです」(ヨハネの手紙第一5:18)の約束があり、悪魔、悪霊は触れることさえできないのです。 そして、「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」(ローマ人への手紙16:13)偉大な勝利者の人生が約束されています。勝利の7つの武具(エペソ6:14-18) では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。 特に今朝は、胸には正義の胸当て、について考えてみましょう。リビングバイブル訳では、「しかし、そのためには、神の承認という胸当てをつけなければなりません」となっています。 毎朝、たとえどんな気分が起こってきて、昨日の仕事で、あるいは人間関係で、どんなに気分が悪くなるようなことが起こっていたとしても関係なく、こう告白するのです。 「今日もまた天国の一日です!感謝します。イエス・キリストを信じて救われました。神の子どもとされています。私を愛してくださり幸いです。あなたの大きな愛に守られ、高価な存在だと認めていただきありがとうございます。心から感謝します。ハレルヤ!」 そうするとき、驚くような変化が起こってくることに気づきます。セルフイメージがまったく変ります。イエス・キリストの十字架と流された尊い血の赦しのなかで、重い罪責感からも解放され、もう自分を責め苛むこともなく、平安と喜びが与えられます。まったく新しくされた態度で新しい一日をスターとできます。 神様に認められているという「胸当て」を身につけていることは、決して自動的におこることではありませんね。朝目覚めたら着替えるように、意識してこの胸当てを着用するのです。 最もしてはいけないことは、自分自身を認めないで生きていこうとすることです。自分自身を否定的な目で見たり、非難するようなことをすると、いっぺんに喜びをなくしてしまいます。 「どうして何一つまともにできないのだろう」「どうしてこの悪い習慣を止められないのか?」「何で自分はこんなにだめなんだ」理由や言い訳がいっぱいありますね。 箴言28:1 悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。 人生には厳しいことが多いですね。先週、浜名湖エキシブでブラジル人牧師と同室でした。30万人が日本に滞在しています。今回の不況で次々と解雇され、住む家もなくブラジルにも帰れず、何万人が路頭に迷っています。 しかし、彼は今こそブラジル人が真の神を信じるときだと、若いライオンのように働いています。ブラジル人は金を求めて日本に来たが、いまや世界的金融恐慌で金では人生が幸せにできないことを身を持って知った。真の神の愛を今こそ伝えるべきだ!かれはNPO法人も立て上げ、200トンの食糧を配ったばかりだと疲れも厭わないで話してくれた。仕事を失った日本人にも援助をしているとも・・・・。 胸当てをしかり身に着けて、神が承認されている確信で人生を生きていきましょう。まだ自分が願っているような姿になっていないかもしれません。でもため息をつくのは止めて、神様が認めてくださっていることを確信してください。あなたの中には限りない可能性があることを神様が認めてくださっているのですから。 イエス様もシモンに出会ったとき言われました。「あなたはシモン(風にそよぐ葦)です。しかしきっとペテロ(岩)になるよ」と。「あなたがわたしといっしょに歩むと、たとえ揺れ動くようなことがあっても、揺れ動かない岩のような偉大な器になれるよ」 イエス様がペテロに出会った時、彼には数え切れないほどの問題や悩みを抱えていました。 我の強い人間、自分の言ったことは間違っていても押し通すようなわがままで自己中心でした。厄介な人間と思われていました。引き下がれサタンといわれるほど、汚い言葉も使いました。ガリラヤの漁師でした。 なぜイエス様はもっとましな人間、人格的にも知的にも優れた人を選らばなかったのでしょうか? それは神様が人の心をご覧になるからです。人は外形を見ます。しかし、主は心をご覧になります。 今朝も私たちも神の栄光を現す器として選ばれているのです。キリストの形がなるように聖霊に満たされているのです。御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です!ハレルヤ。 私たちも神の変えてくださる姿を見ようではありませんか。キリストの姿を。ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。 (あなたがたの内面に良い働きを始めた神様は、引き続き、必ずそれを恵みのうちに成長させ、やがてキリスト・イエスが帰って来られる日に、ついに完成してくださると、私は堅く信じています) ある日のことです。ミケランジェロが大きくて、ちっとやそっとでは動きそうもない岩の前に立っていました。彼は槌とのみを持って、この岩を削り始めたのです。 彼は完成まで時間がかかることを知っていましたが、それを始めたころ、ある人が通りかかり、「そんな不恰好な岩を削ったりして何をしているんですか?時間のむだですよ」 彼は答えました。「この岩に中にね、美しい天使が踊っている様子が見えるんですよ。私はその天使を表に出してやりたくて、全力をつくしているのですよ」 偉大な芸術家には、他の人に見えないものが見えているのです。神様も同じです。いやそれ以上です。あなたや私の中に親にも恋人にも見えないようなものが見えているのです。神様は愛の目であなたをしっかりと見ておられます。コリント人への第一の手紙1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 1:31 まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。1:25 この、いわゆる「ばからしい」神の計画は、最高の知識人の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。 また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、実は、どんな人間よりも強いのです。 1:26 愛する皆さん。 自分たちの仲間を見回してごらんなさい。 キリスト様に従うあなたがたの中には、有名人や権力者や金持ちはほとんどいません。 1:27 それどころか、神様は、この世では愚か者、無価値な者と思われている人々を、わざわざお選びになりました。 それは、この世で知恵ある者、りっぱな人とされている人々を辱しめるためです。 1:28 神様は、いわゆるこの世で見下されている者、全く取るに足りない者を選び、そんな人々を役立てることによって、世間では大物と言われる人を、なきに等しい者とされたのです。 1:29 ですから、どこのだれであっても、神の御前で自慢することはできません。 1:30 というのは、あなたがたがキリスト・イエスによっていのちを確保できたのは、ひとえに神様のおかげだからです。 キリスト様は、神様の救いの計画を明らかにしてくださいました。 私たちを神様に受け入れられる者としてくださったのは、このキリスト様でした。 この方は、私たちを、きよく聖なる者とし、また、私たちの救いを買い取るために、ご自身を投げ出されたのです。 1:31 旧約聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」という、ことばどおりになるためです。
2009/02/08
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毎年、この時期に浜松市で日本ペンテコステ親交会大会が行なわれます。火曜日より金曜日の3泊4日ですが、数年前からNRA(別組織)総会も浜松エクシブで月曜日に持たれ参加するので、四泊五日滞在になります。 車で行くので西名阪、湾岸,東名と高速道路を乗り継いで浜松西インターまで走ります。朝歩いていなかったので亀山サービスエリアには、広くて美しい公園があり、そこでゆっくりとゆとりの一万歩。浜名湖でもゆっくりと歩き、集合時間ピッタリに到着。 予定変更で遅くなっており、部屋で同室のブラジル人牧師とおしゃべりをしながら寛ぐ。 全国どこでもだが、特に愛知県や静岡県にはブラジル人が多く解雇されており、50名近く圧集まっていた教会員がほとんど解雇された教会もあるという。180名会員の教会でも80名が解雇。ほとんどが寮に入っており、行く先も帰国もできなく、キリスト教会や友だちの家に転がり込むような状態とのこと。 同室になった牧師は、ブラジル教会の中心的な牧師で、実際的な支援活動も行い、前日に200トンの食糧や救援物資を配布したところだという。睡眠時間も毎日3時間を切ることもあり、話しながらウトウトしている。しかし、今が神様のときだと力強く根美沙を振り払うようにして話し続けてくれた。 ブラジル人にとってお金が全てではない。もっと大切なものがあることを伝えるいい機会が来たと、情熱に溢れて在日30万人のブラジル人への愛に燃えていました。 大会は、浜名湖ロイヤルホテルを会場に500名余りの参加者。アメリカポートランド・シティチャーチのマーク・ディマジオ牧師夫妻とスタッフたちが熱心に講義をしてくれました。 メッセージの中心は、神様のみことばに真正面からはいと答えるとき、打ち破りの業が始まりリバイバルがやってくる。神のみことばにアーメンと同意し肯定することが、神へのハイと言う返事であり、私たちは神聖なるハイを高らかに告白しよう!その時に奇跡的な御業がスタートするのですというような、力強いメッセージでした。 コリント人への第二の手紙1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。1:23 私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。1:24 私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。 リビング訳1:20 また、どれほどたくさんの神様の約束でも、ことごとく実行し、完成なさいます。 それで私たちは、この方がどんなに真実な方か、すべての人に知らせ、その御名をほめたたえるのです。
2009/02/07
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私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13) 「失敗者は常に言いわけをもっている」という言葉があります。 聖書の初めに、アダムとエバの話があります。神様はエデンの園の木の中で、善悪を知る木の実だけは食べてはならないと命令しました。ところがエバは悪魔にだまされて食べてしまい、アダムもまた食べました。神様にどうして食べたのかと尋ねられると、アダムは「この女がくれたので食べた」と弁明しました。エバもまた、「悪魔にだまされたので食べたのです」と、自分の罪を認めませんでした。 自分の失敗を棚に上げて人のせいにする。これはもう人間のもっている本質なのかも知れませんね。小さな子どもでも同じです。上の子を叱ると、「だって妹が悪いんだ」と言います。妹を叱ると、「お兄ちゃんが悪い」と言います。自分の能力を十分に伸ばせなかった人たちも、常に言いわけをもっていますね。交通違反した人たちも必ず、言いわけをもっています。また、あらゆる法律や規則に違反した人たちも例外ではありません。 また多くの人が、成功できなかった言いわけをもっています。このような人々は自分が成功できない理由を、いつももっているのです。ハンディキャップがあったからだと言います。それは事実である場合もありますし、その人の頭の中で想像されただけの場合もあります。確かに、人生にはいろいろなハンディキャップがありますね。まず肉体的なハンディキャップがあります。体が不自由であるとか、病気がちだとか・・・。 対処の方法は二つです。1 自分自身を悲しんで、他人から同情を受けることを期待する2 意志と精神力、信仰の力でハンディキャップを克服する イエス・キリストは肉体的にも力を与えてくださる救い主です。あなたが信じるなら、イエス・キリストはあなたの病気を治してくださいます。イエス・キリストこそ、「私たちの病を負い、私たちの痛みをになっ」てくださった方だからです(イザヤ53:4)。どうか、イエス・キリストを信じて、強い意志と精神力をもってください。また、体の健康も守られるよう、いやしを信じましょう。 貧乏もまたそうですね。非常に貧乏で、十分な教育を受けていないというハンディキャップを背負う場合があります。しかしいつまでも貧しいままでいてよい理由はありません。聖書にはこう書いてあります。 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(2コリント8:9) 信じてみてください。必ずそこに奇跡が生まれ、新しい人生が始まります。 年をとりすぎている、また若すぎるというハンディキャップもあります。日本は世界最長寿国と言われるようになりました。感謝なことです。リーダーズ・ダイジェストに次のような記事がありました。「年齢を気にすることはない。強打者でならしたテッド・ウィリアムズが彼の引退試合でホームランをかっ飛ばしたのは42歳の時である。ゴルダメイアがイスラエルの首相になったのは71歳の時だった。イギリスの政治家ウィリアム・ビット二世は、24歳の若さで首相になっている。イギリスの劇作家バーナード・ショーには94歳の時初演となった作品がある。モーツァルトの作品で初めて出版されたのは、彼がわずか7歳の時に作曲したものである」 人は年齢に関係なく、偉大なことが成し遂げられるのです。体が不自由だとか、病弱だとか、不運に見舞われたとか、学校へ行けなかったとか、年をとりすぎたとか、いろいろなハンディキャップを言いわけにしてみても解決はありません。 イエス・キリストを信じて、進んでみましょう。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)
2009/02/06
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あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすで世に勝ったのです。(ヨハネ16:33) 確かに、私たちの人生の日々にはさまざまな戦いがあり、問題があります。じわじわとやってくる問題もあり、突然やってくる嵐のような出来事もあります。自分の内側から生じることもあれば、外側からやってくることもあります。人生において、問題は避けることのできない現実ですね。それでは問題から逃げだすことによって、勝利があるでしょうか? いいえ、逃げだすことによっては、真の解決はありません。 こんな話があります。 アメリカに一人の農夫がいました。営々として築き上げてきた農場は、あと少しで返済も全部終わります。そして、母屋をはじめ、7つの建物が農場に彩りを添えていました。 ある美しい夕暮れのことです。西の空に小さな塊が見えました。彼は大声で、「竜巻だ、竜巻が来るぞ、逃げろ!」と叫びました。家族の者は取るものも取りあえず、車に飛び乗ると、一目散に逃げました。やっと後ろを振り向いた時、ちょうど自分たちの農場の上を、大竜巻が通り過ぎるところでした。 やがて彼らは、自分たちの農場があったあたりに戻ってきました。降り始めた雨が、みんなの気持ちをさらにめいらせています。男は「何もかもおしまいになってしまった。この年までがんばってきたのに、もう終わりだ」とつぶやきながら、そのあたりの地面を棒でつっついていました。その時、カツンと硬いものが、棒の先に触れました。かがみこんで拾い上げてみると、いつも台所の壁にかけてあった石膏の壁掛けです。さっきのひどい竜巻で半分は壊れていましたが、文字ははっきりと読み取ることができました。「期待しつづけよ」。そして彼はその言葉を、天からメッセージと受け取ったのです。 他の農夫たちが土地を手放し、去っていっても、彼は動きませんでした。留まったのです。そしてすべてが失われ、借金だけが残っ農場の再建に着手しました。男はその時、すでに60歳を超えていました。そして5年後、周りが不作続きであるにもかかわらず、彼の農場は大豊作になりました。収穫物を売ったお金で、彼は借金のすべてを返しただけでなく、いくばくかの財産を子どもや孫に残そうこともできたのです。 聖書は語っています。あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるようにと、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13) 今日、あなたが直面している試練や問題は何でしょうか? 人それぞれ異なりますね。しかし、それが何であれ、あなたは押しつぶされる代わりに勝利者となることができるのです。十字架の上に生命を捨て、3日目に復活したイエス・キリストを信じる時、そこに勝利が与えられます。私は、私を強くしてくださる方(キリスト)によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13) という力強い歩みが、イエス・キリストとともに始まります。心の扉を開いて、イエス・キリストをあなたの問題の救い主、助け主としてお迎えください。
2009/02/05
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主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:4、5) 神様の恵みに日々生かされることは、本当に幸いなことです。 何年か前、アメリカで、オジキン病(リンパ腺ガン)に冒されながらも明るく生きた婦人の病床日記が、大変話題になりました。病床日記『それでも私は生きる』は、出版されるや否や、立て続けに映画化、テレビ放送と人気を呼び、十カ国以上で翻訳されました。著者はローレル・リーさんという33歳の母親です。 彼女の両親はクリスチャンでしたが、信仰から離れて、富ばかりを求めてしまってしました。富というものは得れば得るほど、もっと欲しくなるものです。喜びのない、心の家庭でした。彼女は本当の平安を求めつづけました。ある日のこと、ふと開いた聖書に「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)と書かれているのを見つけました。彼女は「神様が答えた!」と思いましたが、その時ははっきりわかりませんでした。 やがて結婚した彼女は、主人といっしょにアラスカに行きました。彼女の心の中には、アラスカに行けば、そこで神様を見つけることができるという思いがあったからです。アラスカへ行く車の中で、彼女は聖書を読み始めました。幼い時から、常に他人と比較する生き方をしてきた彼女でした。聖書を読むうち、そうした自分の罪を示され、彼女は思わず「ごめんなさい。赦してください」と叫びました。そして、イエス・キリストを救い主として心にお迎えしたのです。その時、すばらしい変化が彼女の中に起こりました。彼女はうれしさのあまり、イエス・キリストのことを、周りの人々に話しはじめました。 やがて主人との間に2人の子どもが与えられました。ところが3人目が宿ったころ、咳がひどいので、医者に診てもらおうと、すぐ入院するようにと言われました。彼女は自分の病気が何か確かめたくて、カルテを盗み見しました。そこには「ガン」と書かれていました。大きなショックと恐れが彼女を支配しました。 そこで彼女は神様に祈りました。すると、一つのことばが彼女の心に響いてきたのです。この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。(ヨハネ11:4) 神のことばを信じた時、平安が彼女の心を支配しました。知恵遅れになるかもしれないと心配された赤ちゃんも、元気に生まれました。女の子でした。 出産後、回復を待って、彼女は手術を受けましたが、ガンはもう身体中に転移していました。彼女は自分が生きられる日数はわずかしかないと思いました。そして、それから7回も入退院を繰り返し、幾度も生死の境をさまよいました。彼女の主人は将来に対する恐れから、離婚し、去っていきました。彼女の心は沈みましたが、その時も聖書のことばを信じたのです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28) 彼女は、残りの人生で4人の担当医にイエス・キリストを知らせたい一心で、病床日記を書きはじめました。それはまた、幼い3人の子どもたちに残すためでもありました。医者たちは興味深く読み、やがて病床日記は出版される運びとなりました。そのころから、不思議なことに病気が回復に向かいはじめたのです。彼女は今、世界各地を回って、その体験を話しつづけています。 神様のなさることは、何とすばらしいことでしょう。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:4、5) エレベーターのボタンには、上向きと下向きがあります。あなたの心のボタンも同じです。信仰をもって、神様を信頼して、上向きのボタンを押してみましょう。どんな悲しみの中にも、神の栄光が現れてきます。
2009/02/04
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さあ、目を上げて、あなたがいるところから北と南、東と西を見渡しなさい。(創世記13:14) 大きな期待に、喜びに、心躍る毎日をお過ごしでしょうか。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1) 信仰とは、望んでいることがらを、目に見えないものを、目標として設定することです。ビジョンをもつとは、信仰の目を上げて見ることです。 私たちは自分を見つめ、周りを見、横を見、下を見ます。そして、つぶやいたり、不平を言ったり、つまずいたりするのです。しかし、聖書は、「さあ、目を上げて、見渡しなさい」と勧めています。そうです!目を上げて、父なる神を見るのです。イエス・キリストを見ることが大切です。 ある時、キリストの弟子たちが船に乗って、ガリラヤ湖をこぎ渡ろうとしました。ところが途中で大風になり、船は波にのまれて、沈みそうになりました。その時、キリストは波の上を歩いて、弟子たちの船へと近づいてきました。弟子たちは幽霊だとおじ惑いましたが、キリストが「わたしだ。恐れることはない」と語りかけられました。 それを聞いた弟子の一人ペテロは、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と言ったのです。「来なさい」と言われたペテロは、波の上に足を下ろし、歩きだしました。ところが、彼はすぐキリストから目を離し、波を見てしまいました。その瞬間、ペテロは沈みかけ、「主よ。助けてください」と叫んだのです。 ペテロが主を見つめた時、嵐の海をさえ、歩くことができました。しかし、キリストから目を離した瞬間、沈みかけたのです。 今日、あなたは何を見つめて生きておられますか?自分の弱さや人の欠点、問題や悩みだけを見つめているのなら、沈んでしまいます。 さあ、目を上げて、神を信じなさい! 困難があり、悩みや戦いがあっても、その中から見上げる時、勝利は輝くのです。ペテロがキリストを見つめた時、嵐の海を歩くことができたように、あなたが今いる所で目を上げて信仰をもつなら、あなたも勝利者になれるのです。 もう一つは、北と南、東と西を見ることです。つまり、狭く見るのではなく、広く見ることです。大きく見ることが祝福をもたらすのです。今日、人のあら探しばかりしてはいませんか?自分の欠点ばかり見つめていませんか? 信仰なしに、ビジョンはありません。信仰なしに、祝福も成長もありません。信仰は「未来を先取りする」ことです。できると信じる心、できると考えることです。イエス・キリストは死にさえ勝利してよみがえられました。このイエス・キリストを信じる信仰こそ、世界で最も大きな力です。 ある種のハチは、羽の面積や空気の振動数などを調べると、力学的には飛行不可能のはずなのに、現実には平気で飛んでいるそうです。飛べないはずのハチが、現実には飛んでいるのです。面白いことですね。 あなたが、自分の現実や弱さを嘆いている間は、何も起こりません。しかし、イエス・キリストを信じて、できると信じるなら、何かが始まるのです。それが、神によって与えられた幻であれば、達成不可能と思える目標にも、信じることによって、到達できるのです。 イエス・キリストは、今日も生きておられる神です。信じる者に、大きな希望と目的を与えてくださる救い主です。あなたの心と体に、救いと解放を与え、あなたの人生を成功に導いてくださる勝利の主です。 いかがでしょうか。今日、あなたもイエス・キリストに、あなたの人生をゆだねてみませんか?そして、大きな希望をもって、人生を生きてください。 あなたの人生は変わります。無限の可能性があなたの前に広がり、開かれていくことでしょう。今の状態がどんなに惨めであっても、行き詰まっていても、必ず大きな祝福の門が開かれていくことでしょう。
2009/02/03
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卵かけご飯が大流行とのことです。 岡山県美咲町が、たまごかけご飯専門店「食堂かめっち。」をオープンしたのは08年1月22日のこと。ご飯、たまご、味噌汁、つけものをセットにした「黄福(こうふく)定食」が300円。当初の予想を大きく上回る、年間7万食以上を売り上げ、なかなかの評判だ。平日は100人~200人が来店、休日ともなると300~400人近くがつめかける。店舗内が18席しかないという理由もあるが、ピーク時は1時間以上待つこともある。 大阪市難波の和風レストラン寸菜太福では05年12月から客の行列ができるようになった。この店は米1合から釜で炊く“銀シャリ”がウリなのだが、客のお目当ては卵がけご飯。「ご飯を注文されたお客さまの90%以上が卵を注文してご飯にかける」と同店では話す。 スーパーで売られている卵は1個20円から30円。ここでは、卵1個の値段は315円。それでも、お客が高いと感じている様子はないという。 「食堂かめっち」は300円。難波のレストランは卵一個が315円! 全国に安価(300-350円)卵かけご飯が流行し始めたとのニュースを知り、新婚当初のことを懐かしく思い出しました。 お金がほとんどなく、卵かけご飯はご馳走。たまには店先にある鶏肉の皮を10円で買い、親子丼ではなく、皮丼?。親子丼を見るとその時を思い出すので、長年ほとんど親子丼を食べた子もなかったので、卵かけご飯大流行にびっくり・・・・。 イエス・キリストを信じるとき、生きる目的が神の栄光のためにと転換します。何を食べようかと思い煩うことなく、感謝して食する幸いを体験できます。 テモテへに第一の手紙四章には、「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです」とあります。 また、コリント人への手紙十章には、「私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と、食生活が神の栄光のためにあると教えています。 日常茶飯事の中に神の栄光が現われる場なのです。今日もイエス・キリストにある救いを与えられ、神の栄光を現す生活を感謝します。マタイの福音書6:25 ですから、食べ物や飲み物、着物のことで心配してはいけません。今、現に生きている、そのことのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。 6:26 空の鳥を見なさい。 食べ物の心配をしていますか。 種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。 そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。 まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。 6:27 だいたい、どんなに心配したところで、自分のいのちを一瞬でも延ばすことができますか。 6:28 また、なぜ着物の心配をするのですか。 野に咲いているゆりの花を見なさい。 着物の心配などしていないでしょう。 6:29 それなのに、栄華をきわめたソロモンでさえ、この花ほど美しくは着飾っていませんでした。 6:30 今日は咲いていても、明日は枯れてしまう草花でさえ、神はこれほど心にかけてくださるのです。 だとしたら、あなたがたのことは、なおさらよくしてくださるでしょう。 ああ、全く信仰の薄い人たち。 6:31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 6:32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。 彼らは、このような物がたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。 しかし、天の父は、それらがあなたがたに必要なことは、よくご存じです。 6:33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。 そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。 6:34 明日のことを心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。
2009/02/02
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聖書のすばらしい約束にアーメンと信じるとき、神のことばは生きていて力があるので、そのとおりに実現します。 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30) あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55:22) 重荷は神様におゆだねしなさい。 神様が背負ってくださいます。 信じて従って来る者が足をすべらせたり、倒れたりするのを、神様が黙って見ておられるはずがありません。 (リビングバイブル訳;詩篇55:22 ) ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。 (詩篇68:19) あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(第一ペテロ5:7) 神のことばは生きていて力があります。16歳のとき、イエス・キリストのこのことばを信じて、重荷のない自由な人生を与えられました。 聖書には私たちの重荷を主が背負ってくださり、しかも日々、重荷をになってくださると約束されています。 様々な重荷がありますが、第一の重荷はマイナス思考の考えから出てくるマイナス状況です。マイナスの考えに支配されると、疑いや恐れが潜在意識の中まで支配し、夜も安眠できないようにもなります。 富雄キリスト教会で救われた兄弟は社長でした。仕事もうまく行かず行き詰っていました。 イエス・キリストの約束のことばを信じ救われました。ある礼拝の後でにこにこしながら近づいてくると、「牧師先生!夢まで救われました」と喜び感謝を現してくれました。 重荷のない状態とは、自然界の全てのものには重力の法則が働いています。もし大きな岩が地球の空の上はるか高く持ち上げられたら、その岩の重力はなくなりプカプカと浮かびます。 信仰の法則の世界は、それと同じように霊的自由が与えられるので、重荷が気にならなくなるだけでなく、重荷を気にせず軽がると自由に生きることができるのです。 お金が重荷だ!という方と会いました。重荷をイエス・キリストに委ねるようお話しし、イエス・キリストの名によって祈りました。「ありがとうございます。お金がないという今の重荷をイエス・キリストが背負ってくださいました。豊かに必要は満たされました。感謝します」と告白しました。 その瞬間から、自分の必要は豊かに備えられているんだという満ち足りた思いになり、感謝がいっぱいに満たされました。アドナイ・イルエ!と告白し、お金がない!お金が足りない!というマイナス言葉が出なくなり、しばらくたつうちに必要なお金も備えられました。 聖書には、「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます}(ピリピ4:19)と約束されています。 またある方は自分の怒りが重荷になっていました。長年怒りの気持ちに苦しめられ、その怒りは心に深く刻まれてしまい、ことばにも出て来てしまいます。そしてそのたびに自分も傷つき、怒りのことばを聞かされたほうも傷つきました。 イエス・キリストの名前によって怒りが消えるよう祈りました。怒りをイエス・キリストの元におろしました。「ありがとうございます。私は怒りから解放され自由になりました。私は幸せです。愛に満たされ、穏やかになりました。感謝します」平安と穏やかさの中に、美しい顔はなお美しくほほえみに満たされ輝く日々を過ごしています。 信仰の言葉によって良いことが起こり始めます。肯定的なことば=天国のことばは、不思議な変化を与えてくれます。 何回も何回も繰り返し告白することです。一日に何回も告白します。ときには時間をかけて告白の祈りを続けます。あるときは大声で口に出し、確信に満ちて告白してください。声に出さなくても自信をもって心穏やかに口ずさむと良いでしょう。口癖になるまでです。 「ありがとうございます。重荷をおろしました!感謝します」その一瞬で解放されて行きます。心の中の重荷をおろすとき、まわりの現実の重荷も消えていきます。 ノーブレス・オブリジェ「高貴な者がしなければならいこと」があります。それは、「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」(ガラテヤ6:2)のみことばを実行することです。重荷を下した者は、互いの重荷を負い合い、互いに愛し合うことができるのです。 身近にいる家族にばかり重荷を負わせないで、重荷を負い合える愛の家族になりましよう。 ノーブレス・オブリジェの精神を持ち、「受けるよりも与える方が幸いである」とのゴールデンルールを実行できる人生へと変革して行きましょう。そのように願えばそのようになります。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1) リビング;へブル11:1 信仰を、どう定義したらよいでしょう。 それは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信です。 また、何が起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことです。今日もまた天国の一日です! そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3-4) 神がともにおられ、私たちは神とともに生き、聖書のみことばと聖霊に満たされて歩む幸いが与えられています。 どのようなときにもイエス様はともにおられます。 だが、イスラエルよ、あなたを造った神様は、今こう慰めてくださいます。 「わたしが敵の手から買い戻してやったのだから、こわがるな。 わたしはおまえの名を呼んだ。 おまえはわたしのものだ。たとい水の中をくぐり、大きな困難にぶつかっても、わたしはそばにいる。 悩みの川を渡る時も、おぼれはしない。 反対の火の手が上がり、そこを突き抜けていく時も心配はない。 炎はおまえを焼き殺さないからだ。 あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:2-4) おまえを地の果てから呼び出し、わたしだけに仕えよと言いつけた。わたしがおまえを選び、しかも、どんなことがあってもおまえを見捨てないからだ。 恐れるな。 わたしがついている。 取り乱すな。 わたしはおまえの神だ。 わたしはおまえを力づけ、おまえを助け、勝利の右の手でしっかり支える。(イザヤ41:9-10) イエス・キリストの十字架の元に重荷をおろして、軽やかに自由に生きる幸いを体験しようではありませんか。アーメン。
2009/02/01
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