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28日(木)朝4時過ぎに孫が生まれ、すぐ産院に駆けつけました。保育器の中で大きななき声が響き、ガラス窓越しにあの子だ!と直観。違っていてもまあ良いかとデジカメで写しました。 ママはまだ分娩室。看護師さんに部屋へ入れてもらい祝福を祈り、すぐ帰ろうとまた保育室の前まで来たら、あの子ですよと、保育器を指さして教えてくれました。 デジカメを持っているのに気づくと、保育室へ入って保育器の中で元気に泣いていた赤ちゃんを映してくれました。 保育室の前で20分ほど立ち話しお名前を伺い、「雪よりも白く」と「ハレルヤと歌いつつ」の小冊子を、昨日お届けしました。先生や看護師さんたちに6冊ほどお渡しでき感謝でした。 孫が四人になり、名前を順番に呼ぶとすばらしいなあと、じじバカで過ごしている数日です。今日歯ペンテコステの日、「聖霊に満たされて孫たちよりも元気に礼拝です。 ちなみに孫たちの名前を並べると・・・・。真由=ヨハネの福音書8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。優由=エペソ人への手紙=4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 潤弥=イザヤ書58:11 【主】は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。寛弥=コリント人への第一の手紙13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。(列王上 4:29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた) 真理を知り自由に優しく、世界を潤し、寛容な心で多くの人々に幸せを届ける祝福の人生を生きてほしいと願いながら、すべての子どもたちの幸せを祈る日々です。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2009/05/31
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ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばや(室生犀星叙情小曲集) 種子島を出て50年目の生駒になります。それでも出会った方に、種子島出身ですと自己紹介します。 種子島の西之表キリスト教会でイエス・キリストの救いを聞き、アーメンと信じてバプテスマ(洗礼)を受け、クリスチャンになりました。 今まで種子島へは日曜日には行ったことがありmせんでした。幸い50年目の今年7月26日に初めて、西之表キリスト教会で礼拝説教をすることになりました。 母教会の牧師は中国で生まれ、母は幼い日に中国で亡くなり、父親は憲兵で中国人を厳しく調べたこともあり、何としても中国宣教をと願い、70歳を過ぎて中国九江市(人口400万人)の大学へ日本語教授として招かれました。 種子島の教会は、島出身の若い牧師に託し、昨年まで中国での働きを続けましたが、種子島50周年のため帰国しました。若い牧師はそれを待っていたように退職したため、再び西之表キリスト教会の牧師として再任されました。 牧師の中国での活動記録は、鹿児島日中友好協会ホームページ虹の架け橋(池田公栄・九江学院日本語教師日記)に詳しく書かれています。五月に九江市を訪れたとのことです。 7月26日(日)は午前10時に西之表キリスト教会で礼拝説教。 午後8時には、種子島新生キリスト教会で特別集会を行ないます。 土曜日に種子島へ行き、月曜日には帰るので二泊三日の種子島です。 誰にとっても故郷は懐かしいものです。種子島には生まれ育った家も、9キロの山道を歩いて通った星原中学の閉校になり、種子島高校も100年の歴史を閉じ移転し、父も母もなく親戚の一人もいない島です、本籍も生駒市に移したので籍もなく、帰るたびに過疎化は進み、寂れていくような島です。室生犀星が歌ったように、遠くにありて思うもの・・・・ですが、遠くにいて心の中の思い出をなつかしくしているほうが良いのかもと思ったり、それでも種子島へと考えただけでも嬉しくなるのです。 今日もまた天国の一日です!天国の故郷に帰る日まで、天国を思いつつ幸せに生きて行こうと、今日もまた天国の一日です!と告白しています。ヘブル人への手紙11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
2009/05/30
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昨日の朝4時過ぎに孫(男の子・3218g)が生まれました。赤ちゃんは産みの苦しみや痛みをとして生まれます。幸い嫁は四回目の出産ですが、安産続きなので平安な顔をしていますが・・・・。「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会いますそうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません」(ヨハネの福音書16:21-22)と、イエス様のことばにあります。 その生みの苦しみの中から、オギャーと言う泣き声とともに幸せな人間が生きることへスタートます。 痛みや苦しみこそ幸せな人生へのスタートなのです。歯を悪くし、名歯医医師に会い診察してもらいました。抜かないともっと悪くなりますと、抜歯してもらいました。 痛かったし血も出たけれども、もう大丈夫ですよ。2ヶ月たったら大丈夫ですから、そのときにもう一度診察しますと言われ、7月末にきれいに直るそうです。 どんな名医でも痛みのある原因を取り除かないと、治療をしたことになりまません。根本的な問題が解決すれば、あとは早く直るのを楽しみに待つだけです。詩篇 41:1 幸いなことよ。 弱っている者に心を配る人は。 【主】はわざわいの日にその人を助け出される。 41:2 【主】は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、 地上でしあわせな者とされる。 どうか彼を敵の意のままにさせないでください。 41:3 【主】は病の床で彼をささえられる。 病むときにどうか彼を 全くいやしてくださるように。 41:4 私は言った。 「【主】よ、あわれんでください。 私のたましいをいやしてください。 私はあなたに罪を犯したからです。」 41:5 私の敵は、私の悪口を言います。 「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」 41:6 たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、 その心のうちでは、悪意をたくわえ、 外に出ては、それを言いふらす。 41:7 私を憎む者はみな、私について共にささやき、 私に対して、悪をたくらむ。 41:8 「邪悪なものが、彼に取りついている。 彼が床に着いたからには、 もう二度と起き上がれまい。」 41:9 私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、 私にそむいて、かかとを上げた。 41:10 しかし、【主】よ。あなたは私をあわれんでください。 私を立ち上がらせてください。 そうすれば私は、彼らに仕返しができます。 41:11 このことによって、 あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。 私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。 41:12 誠実を尽くしている私を強くささえ、 いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。 41:13 ほむべきかな。イスラエルの神、【主】。 とこしえから、とこしえまで。 アーメン。アーメン
2009/05/29
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一昨日大阪我孫子の歯科医院で奥歯が割れてぐらついていることが分かり、堺市上野芝の歯医者を紹介され、昨日そこまで出かけました。 久しぶりに会う歯医者は、ずいぶん酷くなっていますね。今、抜かないと全部ダメになりますと、しっかり抜いてくれました。幸い抜くとき痛みもなく、家に帰ったとき出血も止まりました。 夕食を食べる元気もなく今朝まで二食断食です。次回の診察は2ヵ月後、治療は12月ごろになるそうです。 7月には毎年九州巡回ですが、今年は7月26日(日)種子島の西之表キリスト教会(西之表市)&種子島s新生キリスト教会(中種子町)をお訪ねすることになりました。 種子島でアーメンと信じ救われ、生駒聖書学院に入学して50年、一度も種子島で日曜礼拝をしたこともないので、今年は50年目思い切って出かけることにしました。 幸い、アフリカ行きを中止したので、エリムキリスト教会の日曜礼拝もちゃんとできるので感謝です。富雄キリスト教会だけが7月一度行きませんが・・・・。 今日は神学生たちのピクニック。バーベキューなので、最高のうす曇だと思います。松阪牛の差し入れがあったそうで、大喜びで出かけます。 今朝4時過ぎに4人目の孫(男の子で3800グラム)が生まれ、朝5時過ぎに産院へ行き、保育器の中で大きな声で泣いている赤ちゃんを見た瞬間、孫だと思い写真を撮りました。 まだ分娩室にいた嫁を見舞い、祝福の祈りをともにし、保育室の前に立っていたら、看護助手の方が声をかけてくださり、あの子ですよと教えられた赤ちゃんが、最初の直観どおり孫でした。 富雄キリスト教会の牧師だと自己紹介をし、介護助手の方と30分くらい、愛についての聖書ののことばを結婚式などでよく聞きますとのことなどをお聞きすることができました。 保育室にいる多くの赤ちゃんを見るとき、神の愛の豊かさといのちの尊さを感じます。また母の大きな愛を思い、母がいたので自分が存在しているとの感謝でいっぱいの「朝のひとときでした。 コリント人への第一の手紙 13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
2009/05/28
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昨日、朝早く聖書学院に着いた講師が挨拶もそこそこに、コーヒーブレイクの時間お菓子は出さないでくださいとのこと。 お聞きすると、メタボ・ダイエット中で5キロ減量し、まだ継続中とのことでした。そういえば少し細った?それよりも元気がなさそうに見えました。 昼の弁当接待も食べ残すといけないからと、生駒駅前の近鉄デパートでお好きなものを食べてもらうことし、講師の車でデパートの食堂街へ。いろいろ迷いましたが、スパゲッティをごいっしょしました。スパゲッティセット(アイスクリームやマンゴプリン)を注文。カロリー過剰?と思いながら美味しくおしゃべり。 デパートで別れ3000歩で聖書学院へ戻り、急いで車で歯医者へ予約時間に着き、1時間近く診療してもらい、少し難しいのでと仲間の歯医医師を紹介してもらい、今日午後から歯医院へまた出かける。 歯科医院から大阪エリムの集会へ。教会前の看板が電気が消え、夜の闇に沈むので教会員が電気屋に点検してもらう。何とヒューズが?飛んでいたのか、すぐ点灯し明るくELIMキリスト教会の看板が輝きました。 何事でもそうですが、素人考えであれこれいじくると返って面倒になることの方が多くなります。自分でできることはしたほうがいいけれど、専門外は専門家へお願いすれば一番手っ取り早くできます。 心の問題や霊的ことがらは、イエス様のお願いするれば根本から良くなり救われます。イエス様の約束のことばにしっかりと従い、アーメン、信じますと素直になりたいものです。マタイの福音書6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。11:28 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。21:20 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
2009/05/27
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今朝の生駒の日の出は4時58分。 チャペルでの神学生メッセージで、ヨブ記 11:17-19「 あなたの一生は真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる。望みがあるので、あなたは安らぎ、あなたは守られて、安らかに休む。あなたが横たわっても、だれもあなたを脅かさない。多くの者があなたの好意を求める」が読まれた。 箴言 4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。のみことばを思わされます。 真昼ように、いや真昼よりも幸せに日々を送るために3つのことを実行しましょう。1.すべてをゆるすことです。マタイ6:12 私たちの罪の負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに罪の負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。マタイ18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」 18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。2.苦い思い出やきらいなことはすっぱりと忘れることです。 イザヤ43:18 先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。 43:19 見よ。わたしは新しい事をする。 今、もうそれが起ころうとしている。 あなたがたは、それを知らないのか。 確かに、わたしは荒野に道を、 荒地に川を設ける。詩篇103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。3.与えることです。 愛を、許しを、理解を、やさしいことばを、ありがとうと感謝を、ほほえみの笑顔を、 挨拶の言葉を、良いものを与えることが大切です。マイナスを自分にも、人にも与えないように、考えやことばを愛とゆるしの言葉に変えて、与え続けて下さい。幸せな気持ちがいっぱいになります。人のことは神様にお任せして、ただただゆるし、忘れ、愛を与え続けましょう。ルカ 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」 今日もお幸せに! ゆるし、忘れ、愛を与える幸いを世界中に! 感謝します。
2009/05/26
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幸せになれるためには、ゆるすことがだいせつです。ゆるすことは過去を手ばなすことです。 「人という 人のこころに 一人づつ囚人がいてう めく悲しさ」 石川啄木のうめきです。だれでもどうにもならない自我のうめきに、どうにもできない葛藤を覚えるものです。 だが、同時に心の中にゆるすことのできない人々を捕らえて囚人とし、ゆるせないうめきで悩んでいる場合も多いのです。 聖書学院を訪ねた60代の男性が、「アーメン。信じます」と祈ってくれたので、主の祈りのカードで毎日祈るよう渡しました。 夜に電話があり、どうしても主の祈りが祈れないとのこと。 読むだけで良いのですよ。何か問題が・・・・と聞くと、その中の一節、「私に罪を犯す者をゆるしましたように、私の罪をもおゆるしください」の箇所で、「私の罪をおゆるしください」は祈れるけれども、「私に罪を犯す者をゆるしました」が、絶対言えないとのこと。 長年教育界で活躍してきたけれども、ゆるせない人が数えてみたら30名を越えている。絶対にゆるせない!という思いが吹っ切れず、主の祈りを読むことすらできない悩みでした。 そのような葛藤はありましたが、イエス・キリストを信じてすばらしいクリスチャンになり、晩年を幸せに平安に暮らされました。 私も長年、ゆるすことのできない教師がありました。小学一年生と音楽の時間に、オルガンにあわせて歌えなかった(オルガンを見たのも初めて、歌も初めて聞いた歌)一年生を前に、復員帰りの男の先生でしたが、一メートルの竹の物差しで、お前ら!と叫ぶと、ピシピシと頭を叩かれました。 その日から16歳まで、一度も歌を歌わなくなりました。音楽に完全に死んでしまい、教師も嫌いになりました。歌を聞くたびにあの先生に頭さえ叩かれなっからと、ゆるせない気持ちでいっぱいでした。 幸い、キリスト教会で賛美歌(歌うというより歌詞を読む)を歌うようになり、十字架上の祈り{父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているかわからないのです」を知り、「7度70倍するまで赦しなさい」との聖書の言葉を読み、こころの隅にあった赦せない気持ちを手放しました。 ゆるすことは自由になることです。親に対して、あるいは学校や職場などで嫌な経験をしたりの人生です。そのような相手をこころの檻に閉じ込めて、何かあるごとに思い出し、惨めになたり、怒りや憤りを覚えることは愚かなことです。一刻も早くこころの扉を開けて、解放してしまいましょう。そのときにい知れぬ平安と安らぎを体験することができます。マタイの福音書6:9 だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 御名があがめられますように。 6:10 御国が来ますように。 みこころが天で行われるように地でも行われますように。 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 6:12 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。 18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」 18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
2009/05/25
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任天堂は、「神」対応か?というニュースが目に入りました。 100年に1度という不況の時代に2790億円の最高益をたたき出した任天堂。その好業績の背景として、同社製品の人気もさることながら、修理対応が「神様のようだ」と話題になっている。 携帯型「ニンテンドーDS」が故障すると「保証期間を過ぎていても無料で新品交換してくれる」といううわさがゲームファンの間で流れているのだ。“神対応”は本当なのか? 任天堂広報室はこの「神対応」について「いろいろな事情を聴いて無料になることはあるにはあるが、非常にまれなケースで、基本的には有償で修理している」とのことです。 それでも故障したDSを修理してくれるのはほんとうで、いつの間にか、そのような話が噂として広がっているのが真相だそうです。 それでも「神」といわれるほどの評判は、うわさだけではなさそうです。 神対応=修理対応が神様のようだ!はすばらしいと思いました。 聖書には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました=だれでも、クリスチャンになると、内側が全く新しくされます。 もはや今までと同じ人間ではありません。 新しい人生が始まったのです。」(コリント第二5章17節)と書かれています。 任天堂が壊れたDSを修理(だけでなく新しく)してくれるという噂があるそうですが、ほんとうの神様はDSよりも精巧な人間を創造された全能の神様なので、修理だけでなく新しい人間に再創造してくださいます。 そのことを新生(新しく生まれ変わる)と言います。苦しい人生死んでから生まれ変わる(輪廻)ではなく、一度きりの人生を生まれ変わり幸せに行き、永遠のいのちを与えられ、肉体が死ぬと天国へ行くことができるのです。 神は愛です。愛してくださるお方をアーメン信じますと、信頼してイエス・キリストを心にお迎えするとき、どんな問題も悩みも修理するだけでなく、新しい心を与えてくださいます。 心に明るい愛が満ちるとき、ほんとうの幸せになった新しい自分を発見することでしょう。 愛はすべてをゆるします。愛はすべてを忘れます。愛はすべてを与えます。今日も聖霊により神の愛は豊かに注がれています。新しい人生を真の神、イエス・キリストのもとでスタートするために、お近くのキリスト教会の礼拝(日曜日はだいたい午前10時頃から)にお立ち寄りください。今日から新しい人生が始まります。ヨハネの第一の手紙 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
2009/05/24
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雨は植物には最高の日。学院の花も草木も大喜びでハレルヤ!と神様を賛美しています。 昨日から今日まで「チア・にっぽんコンベンション09」関西大会が開かれています。親子連れが300名余集い、基調講演や分科会、子どもたちのレクレーションが学院のすべての施設を使って行なわれています。 開会の祈りを依頼され、雨のスタートでしたので雨が今日と明日留められ、子どもたちが外で遊べるよう、天候を祝福して祈りました。 雨が降ろうが晴れようが、いつもすべてを喜びですが、幸い夕方まで一度も降らず、今朝は五月晴れの空が広がっています。 分科会で話すテーマは、「祈りの喜びと感謝」なので、素直で単純な祈りがどれほど喜びであり、感謝なことかを質疑応答を交えながらの60分間です。 9月23日(祭)はエリムキリスト教会天国聖会。講師を招いて天国の喜びを楽しみ、昼食は持ち寄りでスゴイご馳走です。 昨年も丁度今頃でした。森由理さんを招こうと思い立ちお電話したら、ブラジル公演予定で23日は空けていました。すばらしいコンサートの天国聖会でした。 今年は本田路津子さんを招いたら声があり、今の時期ムリだろうと思いつつ、お電話しました。ちょうど予定がキャンセル?になり、9月23日(祭)の天国聖会に出演くださると決まりました。 何事でもそうですが、もうだめだと自分で決め付けないで、可能性への挑戦をすると、多くの場合可能性の扉が開き、可能となることを経験しながらの五月の日々です。 そのとおりにならなかったらどうするのですか?と尋ねられることもあります。そのときはそのときなのです。大切なことはチャレンジしたことです。 ラ・マンチャの男のチケットが取れたことを聞いたご夫婦が、鑑賞に行きたいと思いました。フィナーレの2日前です。家族からも絶対ない、牧師の場合は特別だなどと反対されました。でも劇場に出かけました。 何と最上階でしたが2つの席があり、ラ・マンチャの男を鑑賞でき、感激して報告してくれました。席があろうがなかろうがチャレンジして良かった。しかも席があったので感謝はさらに大きくなったのです。 今日もまた天国の一日です!キリスト教会の日曜礼拝にも、明日チャレンジしてみませんか。 第四日曜日ですので、富雄キリスト教会で説教です。午前10時;奈良市富雄川西1-19-18 近鉄奈良線富雄駅西口(富雄川沿い)より徒歩8分。電話0742-4403154 (090-15931269)生駒聖書学院教会 生駒市俵口町951 午前10時;前田基子牧師説教大阪エリムキリスト教会 浪速区恵美須西2-3-4栄光キリストビル2階 午後2時;榮義之牧師 ヤベツの祈り 午後2時45分;前田基子牧師礼拝説教堺エリムキリスト教会 堺市堺区南瓦町1-15 シャローム堺2階 午前10時;インターネット礼拝 榮義之牧師録画 午後5時30分;前田基子牧師礼拝説教ローマ人への手紙(リビングバイブル訳) 5:3 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。 5:4 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。 5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。 5:6 私たちが逃れる道もなく、全く窮地に陥っていた、まさにその時、キリスト様はおいでになり、何の役にも立たない、私たち罪人のために死んでくださいました。 5:7 たとい私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは、考えてもみなかったでしょう。 もちろん、そういう可能性が全然ないわけではありませんが。 5:8 しかし、私たちがまだ罪人であった時に、神様はキリスト様を遣わしてくださいました。 そのキリスト様が私たちのために死んだことにより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。 5:9 キリスト様は、罪人のために、血さえ流してくださったのですから、神様が私たちを無罪と宣言した今は、もっとすばらしいことをしてくださるに違いありません。 今やキリスト様は、やがて来る神様の怒りから、完全に救い出してくださるのです。
2009/05/23
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毎日、ゆとりの一万歩!と歩き続けています。 聖書学院学院学期中は、祈りとチャペルタイムが朝5時30分スタート。朝食後は授業や講師接待で朝の時間歩かないので、ひとりで大阪へ出かけるときは、できるだけ駅まで300歩歩き、よっぽ遅くならない限り歩いて帰宅します。 チア・にっぽんコンベンション09に会場を提供したので、今日と明日は神学生といっしょに、午前9時30分の開会礼拝に参加し、挨拶と祈りをするのでチャペルを休みました。 その時間、祈りつつ久しぶりに朝のゆとりの一万歩を歩きました。早いものでもう田植えが終わった田んぼもあり、朝の爽やかな空気を満喫しました。 途中で雨に合いましたが、ドシャ降りにはならず、「春雨じゃ。濡れて行こう!と古い言葉を思い出しながら、府県境の天野川沿いを小目白のさえずりを聞きつつ歩きました。 昨日はレジェント大阪都ホテル喫茶室での集まり。ロビーも喫茶店も、ホテルの方々はマスク姿。宿泊客のキャンセルも相次ぎ、喫茶店は人もまばら。新型インフルエンザが大阪、神戸に与えた影響は大きいようです。 病院関係者が二人あり、病院でもマスクを出すとすぐ売り切れてしまうそうです。でももうすぐ中国からのマスクが大量に輸入されるそうで、心配は消えるとのことでした。 今朝のニュースでは、首都圏(埼玉県)の男性が大阪より帰り高熱で入院中。関西圏からの感染は厳しいニュースで。6月2日には東京行きなので、マスク着用で行くことになると思います。マスクですが、天日に干すとウイルスが死ぬので大丈夫と聞きました。マスクが手に入らないときは、そのようにして自衛すればよいとのことです。ご意見お聞かせ下さい。 様々な出来事が起こるとき、いつもテサロニケ人への手紙5章のことばが心に響きます。テサロニケ人への第一の手紙 5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。 5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 5:12 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。 5:13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。 5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
2009/05/22
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朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!と元気よく飛び起き、午前5時25分に学院チャペルで、朝の祈りとチャペルを7時まで。 朝食を取らない生活を長年続けていますが、食事をしている家内の話を聞き、それから書斎へ。 メールをチェックし、ブログを大急ぎであれこれ書き、8時過ぎには院長室へ。外来の講師を迎え、8時半の講義まで歓談。今日は旧約聖書の授業なので教室へ。インターネット録画などを終えて昼食。 午後から大阪レジェント都ホテル喫茶室で定例の集会。集会後はお見舞いに回り、帰宅は遅くなりそう。今日もまた天国の一日でした!でぐっすり熟睡。翌朝はチャペルメッセージ。ジ 明日からチア・にっぽん09コンベンション会場で土曜日まで400名近くの参加者を迎えます。開式挨拶や、開会祈祷を務め、土曜日は「祈りの喜びと祝福」と題する分科会担当。 今回はCGNTVに依頼され、ビデオ&カメラでコンベンションを取材。あとで電話でコメントを聞かれるとのこと。しっかり大会に参加しないと何も答えられない・・・・。 30年前から忙しいということばを捨てたので、充実の毎日を過ごしています。 昨日は悩み・・・・悩み・・・・悩みの相談。散歩中の近所の美しい奥様と立ち話。日々、天国の毎日を楽しく生きています。 愛する イエス様。嬉しい限りです。永遠のいのちを与えられ笑顔で、大きな恵みを感謝です。 神様。きれいな心で、訓練を受けながら、健康で 心に喜びいぱいです。 最高に、しあわせに、すばらしい成功のみちを、それにふさわしく生きています。 いろんなことを考えながら、今日も生かされている恵みの感謝しながらです。ハレルヤ!ペテロの第一の手紙1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 1:4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。 1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。 1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、 1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。 1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
2009/05/21
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今日は朝早くより、生駒聖書学院の男子寮&女子寮に、大阪ユニーク株式会社から清掃奉仕に来てくれます。3年前より聖書学院に清掃講座の時間を設け、トイレ掃除名人が、便器を洗うやり方や、ゴミ一つチリ一つ残さない実践的清掃指導をしてくれてます。 生駒聖書学院の男子寮&女子寮&家族寮は、床に全部じゅうたんが敷き詰められているので、じゅうたん清掃は大きな力が必要です。今回大阪ユニーク株式会社の好意により、田路副会長自ら清掃の先頭に立って奉仕してくださることになりました。 部屋がきれいだと気持ちがスッキリします。神様はきれい好きです。天国は美しいところです。心の美しさは当然ですが、自分の身の回りをきれいにすることは、すばらしいことです。 本職の方が本気で男子・女子寮の清掃をしてくださるので、その部屋に住む神学生たちは幸せです。天国は最高に美しい世界、今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。 また、今朝は奈良新聞コミュニケーションも、聖書学院ホームページを携帯でも見れるように、新しいシステム導入のために来訪です。ブログは携帯からもアクセスしてもらっていますが、新しいシステムでより多くの方にホームページを見ていただけます。 今朝はもう一つ、1989年にアフリカ・ケニアの最初に行き、20年目ですが、今年は一度行くのを休みに延期にすることを決断しました。 パラダイス支援は続け、今年は中古車(1万3千ドル)を一台贈ります。また子どもたちの生活必需品(毎年、靴屋制服、シャツ、マットレス、ブランケット、スリッパ等)を現地で買ってプレゼントしています。 45名の子ども(高校生20名)を養育しています。覚えてお祈りとご支援をお願いします。詩篇 24:1 地とそれに満ちているもの、 世界とその中に住むものは【主】のものである。 24:2 まことに主は、海に地の基を据え、 また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。 24:3 だれが、【主】の山に登りえようか。 だれが、その聖なる所に立ちえようか。 24:4 手がきよく、心がきよらかな者、 そのたましいをむなしいことに向けず、 欺き誓わなかった人。 24:5 その人は【主】から祝福を受け、 その救いの神から義を受ける。 24:6 これこそ、神を求める者の一族、 あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。 セラ 24:7 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。 永遠の戸よ。上がれ。 栄光の王が入って来られる。 24:8 栄光の王とは、だれか。 強く、力ある【主】。 戦いに力ある【主】。 24:9 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。 永遠の戸よ。上がれ。 栄光の王が入って来られる。 24:10 その栄光の王とはだれか。 万軍の【主】。これぞ、栄光の王。 セラ
2009/05/20
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今朝も読んだ聖書のことばに、喜びを教えられて、この日は主が造られた日、この日を喜び楽しもうと、元気で過ごしています。 「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を【主】が喜ばれるからだ。」(ネヘミヤ8:10/新改訳) 「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」(口語訳) 孫たちは、愛少女ポリアンナが大好きです。 牧師だった父と母が天国に行き、独りぼっちになったポリアンナは、おばのパレーにひきとられました。 お母さんの妹にあたるパレーおばさんは、子どもが好きではないので、ポリアンナに厳しく接します。ポリアンナはそんなとき、父に教えられた「喜び遊び」をするようにします。これは、どんなことがあっても、いいところを見つけ、喜びに変えていくのです。 そんなポリアンナは、すぐに町中の人気者になりました。でもただひとり、いくら話しかけても返事をしてくれない紳士がいます。変わり者、とウワサされているペンデルトンさんです。あきらめずに声をかけるポリアンナは、ついに話をし、友だちになることができました。 どんな出来事の中にも、喜びを探しながら楽しく輝いて生きるポリアンナ。どんな人にも喜びの笑顔で接し、最高の幸せに生きる少女の物語です。 クリスチャンになってすぐ、少女パレアナ(ポリアンナ)やパレアナ(ポリアンナ)の青春を読み、少女物語だけれどもものすごく感動しました。孫たちはビデオでアニメを見て喜んでいますが、小説の世界にも馴染んで欲しいものです。 ポリアンナに喜び遊びを教えた父の牧師は、エレミヤ書8章10節をよく理解していたのだと、小説を読みながら感じたものです。 「主を喜ぶことは、あなたがたの力です」 どんなときにも変わらない喜びを持てる幸せな人生を、主にあって体験したいものです。ピリピ人への手紙4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。テサロニケ第一5:16 いつも喜んでいなさい。ヤコブの手紙 1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 ペテロの第一の手紙 4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
2009/05/19
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毎日、ゆとりに一万歩!と歩きはじめて、今朝で5年8ヶ月目になりした。一昨日の日曜日の夜は、すべての礼拝を終え帰宅し万歩計をみたら一万歩になっていなくて、着替えてドシャ降りの雨の中へ歩き出し達成!そんなにまでしなくてもと言われながら・・・・。 昨日は、栃木県の牧師夫人からお兄様が生駒在住と手紙があり、家から3500歩ほどのマンションだったので、スーツ着用で訪ねましたが、お会いできずにポストに持参の手紙と本を入れ、別のコースで帰宅で一万歩。 今日は生駒聖書学院教会の聖書輪読会。学院は創造論の専門教師が来院。明日まで、最新の創造論情報を紹介してくれます。 午後からは、今日誕生日の教会員を見舞い、その足で大阪エリムキリスト教会の火曜日集会へ。集会前に階下の喫茶店で面談の約束。あれやこれやの充実の一日です。イザヤ書40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2009/05/19
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昨年、チア・にっぽんコンベンション会場として生駒聖書学院を提供しました。一度だけと思っていましたが、今年も5月22日(金)と23日(土)の両日、コンベンション09が行なわれます。 父のこころを子に、子のこころを父に向けさせ(マラキ4章6節)聖書のことばを中心に、関西一円から400名以上の親子が参加します。 基調講演を中心に盛りだくさんの分科会(学院事務所まで使わないと部屋が間に合わず、院長室は本部事務所に提供)で、幸い生駒聖書学院は庭が広く、テニスコートまで駐車場にしmす。 広い敷地なので、幼い子どもたちも安心して遊ぶことができます。 東京会場(5月29日ー30日)は、国立オリンピック青少年総合センターで、宿泊も可能であり関西でもそのような会場が与えられる王祈っています。 学院長として短い挨拶と開会祈祷、分科会では「祈りの喜びと感謝」と題して、ヤベツの祈りを話します。 2006年より、祈りに大きな祝福を体験し続けているので、そのことをお分かちできればと願いながらです。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」 その後で必ず、 「ありがとうございます。答えられました。感謝します」と告白します。 そのように祈って登校拒否がなくなったことや、親を許せなかった高校生が、私といっしょに祈って、許しますとはっきり言うこともできました。 神様は祈りを聞いてくださいます。アーメンがすべてですが、必ず聞かれたこと、与えられたことを確信して、ありがとうございます。祈ったとおりに、いや願いをはるかに越えてかなえられました。感謝します!と、聖書の宣言に従って祈ります。そのことをチア・にっぽんでもお分かちできればなどと考えている月曜日の朝です。マルコの福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
2009/05/18
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「愛は期待すること、期待されること」の例話に、母の日のメッセージを語りました。 「輝き・可能性への変身」にもにも書き、大好きなドン・キホーテの物語です。 松本幸四郎主演松たか子共演で、シアターBRABAで上演されることを知り、舞台など鑑賞したことは一度もなかったけれど、見て見たいと思いました。もうチケットはないと思いますよ。無理ですとの回りの声を聞きながら、娘にチェックしてもらうと、土曜日夜のチケットが2枚取れました。しかもE席(前から5番目のかぶりつきと言っても斜め前でしたが)で、二つ並びの席でした。 初めての舞台鑑賞でしたが、さすが26歳からラ・マンチャの男を1200回も演じ続けているだけあり、ドン・キホーテになりきっての熱演。娘の松たか子もあばずれ女アンドンサを演じ切っていました。 2時間10分の舞台が終わると、アンコールの拍手に迎えられて全俳優が4回も登場、最後はスタンディングで松本幸四郎が歌をもう一度披露し、10分に及ぶアンコールの中を鳴り止まぬ拍手の中を、オーケストラの最終演奏とともに閉幕でした。 車で出かけたので降りしきる雨でしたが、感動とともにシアーターBRABAを後にしました。 ラ・マンチャの男ドン・キホーテは、ある売春宿で一人の女に出会いました。彼は彼女に"お嬢さん"と優しく呼びかけほめたたえました。目は血走り、胸はほとんどはだけ、口を開いた彼女は彼に流し目を送りながら、嘲るような不信に満ちた声で叫びました。"私が、お嬢さんだって! 私はね、排水溝で生まれたんだよ。母が私を置き去りにしてさ。裸で寒くて、あんまりひもじくて、声も出せないでいたそうだよ"ラ・マンチャの男は、それでも彼女を見つめ続け、彼女の最善を信じ続けました。"あなたの名はアンサンドラではありません。私があなたに新しい名をつけてあげましょう。あなたはお嬢さんです。あなたの名は『ダルシニア』これがあなたの新しい名です" その直後、彼女は手荒な旅人に家畜小屋で乱暴され、狂乱の態で再び現われますが、ラ・マンチャの男は彼女の美しさと善を信じて疑いませんでした。しかし傷つけられ、押しつぶされ、自己嫌悪に陥っている彼女は、彼に向かってなお叫びました。"私をお嬢さんなんて呼ぶんじゃないよ! おい、私を見つめないでおくれ! 私はね、ただ下品で汗にまみれた、ふしだらな女なんだよ! 男たちが遊んでは忘れてしまう売春婦さ! 私はただのアンサンドラさ。それ以外の何者でもないよ!"彼女が興奮して叫んでも、彼は"お嬢さん!"と呼びかけました。どんなに悪態をつかれても、彼は新しい彼女の名前『ダルシニア!』と呼びかけ続けました。 この劇の結末で、ラ・マンチャの男は失恋のために死にかかっています。その時、とても美しいスペインの貴婦人が彼の側に近寄って来ました。彼は"あなたはどなたですか"と、死につつある人間のか細い声で尋ねます。彼女は、彼の側にひざまずいていましたが、立ち上がり、高く立って、女王のような気高い声で"私の名は、私の名は、私の名は……『ダルシニア』!"と告げたのです。 期待することはすばらしいことです。期待は完全な業をします。自己を嫌悪し、自分を責めていた彼女でした。しかし、ラ・マンチャの男の期待通り、彼女は美しく健全で愛らしい貴婦人に変わったのです。 あなたの回りには、人をけなし、批判し、皮肉り、馬鹿にする人は沢山いるでしょう。けれども、人に期待し、人の徳を高め、愛し、理解し、賞賛する人は何と少ないことでしょうか。あなたも、ラ・マンチャの男のような人になれるのです。(47-49ぺージ) 永遠のベストセラーである聖書は、こう言っています。 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して、絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(コリント第一13:4-13) まさしく愛はすべてを期待し、期待されるとき奇跡をもたらすのです。(「輝き・可能性へに変身」(榮義之著・プレイズ出版・186ページ)をプレゼントします。ご希望の方は、E-mail elimyoshi@kcn.jp まで。
2009/05/17
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ゆとりの一万歩も5年7ヶ月、毎日歩き続けていますが、ここしばらく朝早く歩くゆとりがなく、出かけるついでに車を使わないで確保し続けました。 今朝は、いつものように今日もまた天国の一日です!とベッドから起きだし、気持ちよくシャワーを浴びました。 テレフォン・メッセージを録音し、パンでも買おうかと歩き出し、そのまま1万歩を達成。朝早い建設現場に立つ警備員の方や、家庭菜園の手入れをしている方に声をかけたり、散歩中の方もおはようございますに明るく答えてくださる・・・・。 今週は、月曜日からスケジュール変更もあったりして、京都、東京、韓国からの講師を毎日接待でした。昨夜は韓国牧師を日本の焼肉店へ案内し、シルバー割り引きで一ヶ月ぶりに肉をたくさん食べました。 食べていると突然、牧師先生!との声が響きビックリして見渡すと、礼拝に来ている家族がおり、その5歳の息子がニコニコしながら駆け寄ってきました。それから何べんも遠い席から牧師先生!の声が響き、その越えのたびに来客の目が注がれるように感じながらの夕食でした。 韓国では大きな肉を焼き、バサミで肉を切りながらなので、日本の焼肉は美味しいけれども小さく切っているので・・・・と言いながら、40代さすがしっかり食べてもらいました。 2日間、朝食は吉野家の牛丼。東京からの講師が牛丼大好きで、昨日の朝は韓国牧師と3人で朝食。初めて食べた牛丼でしたが気に入ったみたいで、楽しい朝食でした。二人ともホテルよりも学院男子寮が良いと希望するので、朝早くの猛声祈祷とチャペルメッセージもいっしょでした。 今週も三人とも名講義の牧師で神学生たちも楽しんでくれた一週間でした。 今日は、娘と待望のラ・マンチャのミュージカルを鑑賞です。あっとうまに神様の恵みの中で充実の日々です。マタイの福音書6:25 ですから、食べ物や飲み物、着物のことで心配してはいけません。今、現に生きている、そのことのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。 6:26 空の鳥を見なさい。 食べ物の心配をしていますか。 種をまいたり、刈り取ったり、倉庫にため込んだりしていますか。 そんなことをしなくても、天の父は鳥を養っておられるでしょう。 まして、あなたがたは天の父にとって鳥よりはるかに価値があるのです。 6:27 だいたい、どんなに心配したところで、自分のいのちを一瞬でも延ばすことができますか。 6:28 また、なぜ着物の心配をするのですか。 野に咲いているゆりの花を見なさい。 着物の心配などしていないでしょう。 6:29 それなのに、栄華をきわめたソロモンでさえ、この花ほど美しくは着飾っていませんでした。 6:30 今日は咲いていても、明日は枯れてしまう草花でさえ、神はこれほど心にかけてくださるのです。 だとしたら、あなたがたのことは、なおさらよくしてくださるでしょう。 ああ、全く信仰の薄い人たち。 6:31 ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。 6:32 ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。 彼らは、このような物がたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。 しかし、天の父は、それらがあなたがたに必要なことは、よくご存じです。 6:33 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。 そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。 6:34 明日のことを心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。
2009/05/16
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アフリカ・ケニアに毎年行き続け、今年で20年になります。6月28日(日)-7月5日(土)の一週間、エミレーツ航空ドバイ経由でケニア行きです。 ケニア第三都市キスムにパラダイス孤児院があります。ケニア政府より2万坪ほどの土地が提供され、2003年に孤児院を新設し、一キロとなりになった従来の孤児の家から移転しました。2004年には幼稚園と小学校(小さい建物)も建設しました。全部日本の教会よりの支援で、エリム宣教会が建設することができ感謝しております。 今年は中古車を一台贈りたいと考えています。1万3千ドル(130万円)で買えると現地より連絡もがありました。 パラダイスはキスム郊外のマンブレオ村(街中より歩いて1時間くらい)にあり、自動車があれば子どもたちが病気になったときや、買い物などにも便利すぎるほど便利です。 年に一度の孤児院訪問ですが、今年はサファリにも行かずに一週間で帰国します。どうか覚えて祈り御支援いただければと願いながらブログに書きました。 お問い合わせは、E-mail elimyoshi@kcn.jp 榮義之間でお願いします。 ご支援は、エリム宣教会 郵便振替 0990=5=245213ピリピ人への手紙4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。 4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。 4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。 4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
2009/05/15
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ムラサキスポーツ会長・JTJ神学校理事長の金山良雄さんをお招き、7月20日(祭日)に、第二会ENO(エリム・ノブレッス・オブリジュ)の「集いを計画しています。 講師の金山会長の母国は日本。祖国は韓国。日本と韓国の国籍を持つ方で、現在76歳。昨年はごいっしょにアフリカへ行きました。サファリでバルーン体験や、パラダイス孤児院慰問など多忙でしたが、毎日ローラーボードで筋肉を鍛え、ゴルフもこなす健康体でした。 東京では会社の激務をこなしながら、上野公園でホームレスの方々に焚きだしをし、オリーブの里理事長としてもご活躍です。 明治学院大学を卒業した当時、日本では“第三国人”は就職できない状況でした。働ける世界は「水商売」。心はすさみアルコール依存症となり、何度も自殺未遂を繰り返しましたが、両親の熱い祈りの中で、イエス・キリストをアーメンと信じ、回心体験を経験しました。 人を恐れず、神を恐れることを学び、神学校へ行きましたが牧師の道には進まず、牧師を助ける事業家になることを決意し、」健全なスポーツ用品を扱うムラサキソポーツを起し、今では年商350億にもなる大事業として躍進中です。 事業の成功の原点は、聖書の信仰であり、行いの伴わない信仰はダメであるといつも話しておられます。(ヤコブ1:22~25) このような成功と繁栄の歩みの中で、「祝福は、上からではなく下から来る」こと。 聖書のことばにアーメンと言うとき、差別を受けていた者が、このように祝福されると、その貴重な体験とともに、経済的祝福と繁栄の秘訣を分かち合ってくれます。 まだ先ですが、7月20日(海の日)海のない奈良県生駒市で、祝福と成功の話ですっきりと明るさをいただき、真夏日を乗り切りたいと願っています。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。 エレミヤ書17:5 【主】はこう仰せられる。 「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、 心が【主】から離れる者はのろわれよ。 17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、 しあわせが訪れても会うことはなく、 荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。 17:7 【主】に信頼し、 【主】を頼みとする者に 祝福があるように。 17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、 流れのほとりに根を伸ばし、 暑さが来ても暑さを知らず、 葉は茂って、 日照りの年にも心配なく、 いつまでも実をみのらせる。
2009/05/14
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朝、最初に口にすることばが一日を支配するそうです。そのことを何かで読んでから、長年の間、朝の目覚めには聖書の言葉や、信仰のことばを口にしながら、ベッドから飛び起き顔を洗ったり、シャワーを使うときも祈りとともに告白しています。 今週は、あかさたなの言葉遊びを楽しんでいます。あ=ありがとう!アガペの愛で愛します。か=感謝の心ですべてに感謝します。さ=最高にさいわいです。た=宝のように楽しい一日です。な=なんでもできる喜びです!感謝します! いかがでしょう?あいうえおでも、かきくけこでも何でも良いから、明るい前向きのことばをご紹介くださいませんか。よろしくお願いします。 今日は講師の都合で月曜日のスケジュール、午前8時30分チャペルになります。また明日は、韓国と東京から講師を3日間迎えます。 22日(金)-23日(土)は、チア・にっぽんコンベンション2009日本関西大会の会場として生駒聖書学院を提供しているので、400名以上の方々が集います。 昨年に続いて2年目ですが、会場が手薄でかなりムリな所もあるようで、関西でも東京(国立オリンピック記念青少年総合センター)のような会場が備えられるよう祈っています。 神学生も授業参加で、院長も大会開会挨拶と開式の祈り、分科会講師で祈りの喜びと感謝を話します。昨年は個人伝道の喜びを話しました。 毎日、ゆとりの一万歩!今朝は久しぶりにゆっくり歩けると思いましたが、夕方に持ち越しの朝です。 明るく、神様を賛美し、楽しく何でもできるイエス様とともに歩き続ける毎日です。 今日もあかさたな!で聖霊に満たされて、新しい感謝に満たされ、最高の幸せいっぱいに、楽しく仲良く世界を変えて行きましょう。詩篇16:1 神よ。私をお守りください。 私は、あなたに身を避けます。 16:2 私は、【主】に申し上げました。 「あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。」 16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、 私の喜びはすべて、彼らの中にあります。 16:4 ほかの神へ走った者の痛みは 増し加わりましょう。 私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、 その名を口に唱えません。 16:5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。 あなたは、私の受ける分を、 堅く保っていてくださいます。 16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。 16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。 16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。 【主】が私の右におられるので、 私はゆるぐことがない。 16:9 それゆえ、私の心は喜び、 私のたましいは楽しんでいる。 私の身もまた安らかに住まおう。
2009/05/13
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ラ・マンチャの男、ドンキホーテは、ある売春宿で一人のあばずれ女に出会います。 そして、彼女にお嬢さんと呼びかける。目は血走り、胸をはだけ、口をあんぐりあけた彼女は、嘲りに満ちた声で彼に言う。 「あたいがお嬢さん。バカなことを言わないでよ。あたいはそこの排水溝で生まれたんだよ。母はあたいを置き去りにしてさ。あたいは裸で死に掛かっていたんだよ。生きる価値もない女なんだよ」 ラ・マンンチャの男は、それでもなお彼女の最善を信じて、「あなたのなはアンドンサではない。あなたの名はダルシニア。あなたはお嬢さんです」と言い続けます。 彼女はその後、手荒な旅人に家畜小屋に連れ込まれ、暴行され狂乱の姿で登場する。ラ・マンチャの男はそれでも彼女の最善を信じ、その美しさを称賛します。 彼女がどんなに悪態をついても、ダルシニア!と自分が名づけた新しい名前で呼び続けるのでした。 物語の結末で、ラ・マンチャの男は場末の宿で死に掛かっていました。 そこにスペインの美しい貴婦人が現れ、ベッドのそばに跪いて彼を見舞います。彼は死にかかった人特有の声で、あなたはどなたじゃなと聞きます。 彼女はその場にスックと立ち上がり女王のような気高い声で、私の名は、私の名はダルシニア!と告白します。 母の日に、愛はすべてを期待します!と、母の愛は期待の愛だとメッセージを語りました。 ラ・マンチャの男の話は大好きで、良く例話で話しますが、一度もその舞台を見たことはありません。 丁度いま、大阪のイオン化粧品シアターBRAVAで、松本幸四郎主演で上演されているので、鑑賞してみたいと思いました。ところがもうチケットがない!人気作品だからチケット発売と同時に売りさばかれると聞かされました 境の礼拝の帰りに娘に話したら、助手席で検索を始めました。そして一枚あった!と言いながら、あっ同じ日にもう一枚あるわ!とのこと。お前も行くかと言うと嬉しいと喜びの声を上げ、土曜日に始めてラ・マンチャの男を鑑賞することにしました。 ちょうど五月から可能性は挑戦となり、限りなき可能性となる!と宣言し始めたばかりだたので、回りから絶対いまからチケットはムリと言われ、まチャレンジしてみるかとやってみたらチケットが2枚あったことは感謝でした。 ラ・マンチャの男のチケットが取れなかったとしても、「できればと言うのか。信じる者にはどんなことでもできる!」(マルコ9:23)のイエス様のことばへの確信は揺るぐことはないし、何事もチャレンジする前にダメだとギブアップすることはないのです。 今日もまた天国の一日です! ありがとうございます。愛しています。 感謝します。 幸いです。 楽しいです。 何でも可能になります。感謝します。 と言いながら、聖書の価値観と可能性に満ちた世界に感謝しつつ、今日はラジオ放送希望の声の35年最期の録音日です。来月はもう36年目の録音になります。恵みは限りなく豊かです。詩篇 118:1 【主】に感謝せよ。 主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで。 118:2 さあ。イスラエルよ、言え。 「主の恵みはとこしえまで」と。 118:3 さあ。アロンの家よ、言え。 「主の恵みはとこしえまで」と。 118:4 さあ。【主】を恐れる者たちよ、言え。 「主の恵みはとこしえまで」と。 118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。 【主】は、私に答えて、私を広い所に置かれた。 118:6 【主】は私の味方。私は恐れない。 人は、私に何ができよう。 118:7 【主】は、私を助けてくださる私の味方。 私は、私を憎む者をものともしない。 118:8 【主】に身を避けることは、 人に信頼するよりもよい。 118:9 【主】に身を避けることは、 君主たちに信頼するよりもよい。
2009/05/12
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好転反応ということばがります。読んで字のとおり、好ましい方へ転ずる身体の反応と言う意味です。自然療法では、症状が良い方へ転ずる時、一時的に悪くなったりするときなどに使われることばです。慢性疾患などを持っている場合などに起こりやすい反応で、好転反応の症状が出るのを境に、体質は急速に好転していくようになることを表現します。 聖書を読んで、イエス・キリストを信じて幸せな救いの人生を求めるときも、信仰の好転反応があるようです。 聖書には、信じる者へのすばらし約束がたくさん書かれています。 例えば、詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 何をしても栄える!成功する、繁栄する、勝利する約束です。ところが逆現象が起こり、失敗したり、失ったり・・・・。 しかし、好転反応と受け止め、祈りながら進むとき、すばらしい祝福が注がれ、信仰の期待と望みの忍耐が働くので、人格も深められ高潔な人生を生きるようになります。 テサロニケ人への手紙第一5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 喜べないようなことや、感謝できそうもない好転反応が起こります。そのときこそ信仰と勇気を持って感謝します!と宣言するなら、事態は好転します。どんな厳しい現実をも喜びを持って受け止め、感謝しながら乗り切ることができるのです。ローマ人への手紙 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
2009/05/11
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昨日は結婚式の司式でした。費用がないから教会でして欲しいと頼まれ、家族だけの式でした。ブライダルの司式はもうしないと思っていましたが、どうしてもとのことで引き受け、ほんとうの教会で牧師による式をと望んでいた新婦に輝く顔を見ると、良かったね。幸せになってくださいと心より祝福を祈る式でした。 ブライダル会社にまたお願いできますかと頼まれたが、日曜、祭日、土曜日も結婚式に使う時間はありません。今日はどうしてもとのことでチャペル使用料も無しで行ないましたと、断るだけでした。 結婚式では、短いお祝いのメッセージ、「あかさたな夫婦」を語ります。あ=明るい愛で愛しています。か=感謝の心で感謝します。さ=最高に幸いです。た=楽しい毎日、あなたは宝です。な=仲良くいつもありがとう! 昨日はメッセージの中で、新郎新婦に見つめ合いながら、お互いに告白してもらいました。 何年経ってもあかさたな夫婦でありたいものです。またエリムキリスト教会も、あかさたな教会となるよう願いながらです。 今日は母の日です。アメリカのキリスト教会から始まり、全世界の広まった麗しい五月第二日曜日です。日本では良いものは何でもと言って良いくらい輸入しますが、その精神を失い商業化してしまいます。 母の日にキリスト教会の礼拝で、母を与えられた恵みを心から神に感謝し、母にありがとうを言えたら最高です。 9歳のときに母を亡くしました。愛して愛して愛し抜いてくれた母でしたが、自分の病気に勝てず37歳で生涯を閉じました。幸い田舎で過ごしたので、クリスチャンになる16歳まで母の日のあることも知らず、赤いカーネーションの意味も分からずだたので幸せでした。 母の愛に優る神の愛、イエス・キリストの命を捨ててまで愛してくださった愛を知り、産んで8歳まで育ててくれた母の愛に感謝だけがいっぱいの母の日を過ごしています。 今日は聖書の母と言うことばを引用します。創世記3:20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。出エジプト記20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。箴言1:8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。箴言23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。 聖書にはまた警告のことばも多く書かれています。高齢化の時代、しっかりと聖書のことばを刻み込みたいものです。箴言より15:20 知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな者はその母をさげすむ(軽んじる・侮る)17:25 愚かな子はその父の憂い、これを産んだ母の痛みである。19:28 父に乱暴し、母を追い出す者は、恥を見、はずかしめを受ける子である。20:20 自分の父や母をのろう者(ののしる者)そのともしびは、やみが近づくと消える。29:15 むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。30:11 自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。 この世に生を受け生まれたことは最高の幸せです。命が与えられてことに優る奇跡はありません。心からありがとうございます。お母さん!産んでくれ、育ててくれて感謝します。詩篇22:10 生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。
2009/05/10
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携帯を持っているときはお聞きしますと返事したら、携帯は携帯ですから24時間いつでもお電話大丈夫です!いつでもお電話ください、と返事するのが牧師さんだと思いますよと言われました。 携帯を持たないで散歩に出たり、車の中に置いたままだったり、カバンの中へ入れてそのままだッ足り、運転中や風呂に入っている時もあるし、就寝時間中は充電中にしたりですから、24時間携帯は分かりますが、それでも便利ですね。着信履歴ですぐかけ直すことができます。 昨日はガンを宣告されたが検査の結果、6月に手術で大丈夫との嬉しい電話。痛みが厳しくて忍耐の限度を越えたとの悲痛な叫び。祈ってください!との求める声。問題ありの苦しみの声。そのほか結婚式のことや母の日のこと。珍しく運転中も何回も電話がなり続け、そのたびに一停止しながら話をお聞きする珍しく電話の多いひでした。 天国はものすごいだろうな?と変なことを考えたり、地上からの祈りの声が響き渡り、その一つ一つに答えをくださる全能の神の愛に感動しながら、幸い真夜中はベルが一度も鳴らずで安眠でしたが、携帯電話と一日中付き合ったような珍しい日でした。 今日は結婚式。式が終わるとすぐ納骨式。山あり谷ありのゴールデンウイークは、明日の母の日礼拝まで続きます。 エリムキリスト教会は、母の日は姉妹たちの祝福を祈る日です。 子どもの日、母の日、父の日、敬老の日、成人の日などすべての年齢や立場を祝う日はありますが、結婚していない情勢や男性の日はないので、もう長年にわたって母に日は姉妹方の日。父の日は男性の日として祝福を祈り、ささやかなプレゼントもあります。ピリピ人への手紙 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。44:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
2009/05/09
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29日は聖書学院創立80周年記念会で、午前中の聖会、昼食レセプション、30名集めるのは楽しいと題する経営コンサルタントセミナー等、大盛況の恵まれて一日でした。 ちょうど結婚44年になり、聖会が毎年あるのでささやかな二人だけでの夕食でした。レセプションではほとんど食べないので外へ行けば良いのですが、二人とも雑踏は余り好まず、静かな家が一番と思っています。 教会員の父親が急性心筋梗塞で、兵庫県立医大篠山病院に見舞に行き、病床で奥様ともども「アーメン。信じます」と、イエス・キリストを受け入れてくださり、4日早朝安らかに天国へと召され、5日には葬儀を大阪エリムキリスト教会で行ないました。 5日は、早瀬さと子展へ奈良公園を雨の中歩き、その足であびこまで電車でガンを告知された医者を訪問。南海グリルで夕食をともにし夜遅く帰宅。 6日から聖書学院もゴールデンルールを終え、アメリカ留学より帰国の神学生をも迎え、朝5時のチャペルよりスタート。講義も始まり元気で教室へ。 明日はのブライダルの式後、納骨式と続き、「申命記 11:1112 しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。 そこはあなたの神、【主】が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、【主】が、絶えずその上に目を留めておられる地である」とあるように山と谷ゴールデンウイークでした。ピリピ人への手紙 4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
2009/05/08
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ゴールデンウイークが終わった方も多いと思います。13日間もある方もあるそうで10日まで休みとのこと。娘は昨日から出勤しています。聖書学院は今日から授業です。 今日はアメリカに留学していた神学生が3年生で復学。連休明けの朝でしたが、元気イッパイの祈りと賛美のチャペルでした。 今朝のメッセージは、涙の谷、死の陰の谷がベラカの谷=祝福の谷に変わると題して語りました。 ゴールデンウイークは、亡くなった方が教会員の83歳と75歳の父親二人。 18歳で線維筋痛症と診断され、線維筋痛症の治療では非常に稀であるモルヒネで痛みを抑えている23歳の命が、日々死に直面しながら、命を注ぎだすように詩を書き続けている、第10回早瀬さと子詩展(今日午後8時まで、国際奈良学セミナーハウス・奈良県庁東信号角)出席。 ガンを告知された医者訪問と祈りのとき。 昨日は、75歳で急性心筋梗塞で召される直前、アーメン。信じますとイエス・キリストを受け入れ、家族や親戚の理解の中、大阪エリムキリスト教会で葬儀。夜に83歳で入院中の方が亡くなったとの知らせ・・・・。 そのような中で、今日の聖書の箇所は歴代誌下20章、バカラの谷の祝福の箇所でした。 人生は山あり谷ありの試練や問題に出会うことも多く、そのような中でイエス・キリストを信じ、聖書に親しみながら生きるとき、慰めと勇気が与えられ、常に試練の谷が祝福の谷になる恵みを与えられています。涙の谷が泉のわく所、祝福の場に変ります。詩篇84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。リビング訳84:5 神様から力をいただき、神様に従って歩むことを最優先したいと願う人は幸いです。84:6 そんな人には、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。死の陰の谷が慰めに満ちた場に変ります。詩篇 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖、 それが私の慰めです。失望の兄が希望の門に変化します。ホセア 2:15 わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。 アコルの谷とは、ヨシュアがエリコの戦いに勝利死、次のアイとの戦いで絶望的な敗北を喫し、その原因となった将軍アカンを処刑した悲劇の谷です。 その最悪の場が、希望の門になると聖書は宣言しています。 イエス・キリストは十字架に死なれ、墓に葬られましたが、死を打つ破り3日目に深津されました。 どのような闇をも打ち破る復活の力が、聖霊により豊かに与えられているのです。感謝!ローマ人への手紙 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
2009/05/07
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昨夜、午後11時頃帰宅し、歩行計を見ると13135歩。いつもはゆとりの一万歩を意識して散歩するのだが、昨日は、ブログを書いて朝すぐに自動車で、午前6時22分に病院で召されたとの知らせが入った病院へ出かけました。万歩計を意識しない行動の一日でしたが、良く動いたものだと感心して熟睡。さわやかな目覚めの朝です。 先週、病床でイエス・キリストを「アーメン。信じます」と受け入れてくださった75歳の男性が、急性心不全で召され、家族や親戚も同意でキリスト教式葬儀を行なうことが決まりました。 キリスト教葬儀社ラポールに連絡をし、高速道路を走りましたが、宝塚~西宮間が朝なのに4キロの渋滞。途中で知り合いの医者がガンの告知を受けたとの知らせが携帯に入り、サービスエリアで詳しく話を聞き訪問する約束。 病室で家族とともに平安と慰めを祈り、長男と奥様の義弟のお二人も「アーメン。信じます」イエス様を受け入れる祈りをしてくれました。 その足で大阪市浪速区のエリムキリスト教会へ。前夜式(通夜)は無しでとの家族の願いで今日午後1時より式を行なうことになりました。 昨日は友引で明日が仏滅とかで、大阪市内の斎場がどこもいっぱいでしたが、一箇所だけが午後3時に受けてくれ、葬式でアドナイイルエは不謹慎かもしれないが、備えられたから不思議なくらいだと葬儀社も言う。 友引や仏滅はキリスト教に関係はなく、いつまでも古い慣習やしきたりを引きずる日本が救われることを心から祈ります。ペテロ第一の手紙 1:18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。 1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。 1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、 その栄えは、みな草の花のようだ。 草はしおれ、 花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、 とこしえに変わることがない。」 とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 午後からは電車で奈良へ。奈良公園内を歩き、国際奈良学セミナーハウス(奈良県庁臨り)開催の(5日~7日)第10回早瀬さと子展「いつか命、尽きる その時のことを 静かに詩おう」へ。ぜひ一度、もう左手でしか書けなくなった、命を懸けた詩と出会ってみてください。 午前10時~午後9時まで。明日は午後8時まで行なわれています。 早瀬さと子(23歳)の死と向き合い、命をを詩う姿に感動。会場に朝から閉場まで痛みをこらえモルヒネでも我慢ができない身体を横たえながら、応対してくださる姿に詩とともに感動し、「命の節目」~編集後記~に涙しました。 贈られた詩集、「虹色の夢」(15歳の詩)「KOKORO 心 こころ」(16歳の詩)いずれも文芸社刊を、奈良駅から難波まで、難波から地下鉄で北花田まで読みふけりまた感動と涙・・・・。 駅を降りてガンを告知されたの医者自ら迎えに来てくれ、話を聞きともに祈り、夕食いっしょにとのことでザビエル公園前の南海グリルへ。また地下鉄と近鉄電車を乗り継ぎ生駒駅へ。タクシーで帰宅したときは午後11時だった。約17時間、動き続けの天国の一日でした。 今日は午後1時より召天式を大阪エリムキリスト教会で行います。お祈りありがとうございます。今日もまた天国に一日です!ヨハネの福音書14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
2009/05/06
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今朝も今日もまた天国の一日です!と目覚めた直後、充電中だったの携帯が鳴りあわてて取りに行くと、心臓疾患で入院中の神藤優(75歳)さんが召されたとのこと。 大阪エリムキリスト教会奏楽と聖書学院音楽教師の松木知子姉のお父様です。先週金曜日に篠山病院を見舞い、「アーメン。信じます」と、病床でご夫妻ともどもイエス・キリストを信じる祈りをしてくだだいました。ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 永遠の命を与えられて、その肉体は葬られますが、御本人は永遠の天国へと召されて行きました。これから篠山病院へ向います。平安と慰めを残されたご家族のためにも心より祈ります。ヨハネの黙示録 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2009/05/05
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第10回 早瀬さと子展 いつか命、尽きる その時のことを 静かに詩おうとき;2009年5月5日~7日 10時~21時(初日13時開演、千秋楽20時閉演)ところ;興福寺旧世尊院客殿 (国際奈良学セミナーハウス内) 奈良市東大路町63番地 TEL.0742-23-5821 彼女との最初の出会いの日より祈り続けているので、早瀬さと子展にも出席しようと願っています。いただいた名刺には詩人と記され、尽きる命を見つめながら、詩を書き続ける姿に感動しています。彼女の闘病記ブルグを転載します。 早瀬さと子の線維筋痛症闘病記18歳で線維筋痛症と診断され、線維筋痛症の治療では非常に稀であるモルヒネで痛みを抑えている23歳の命の記録。線維筋痛症、周りの不理解、その苦しみと、その激痛を少しでも知って下さい。 2009年05月02日毎年、毎年、同じ季節に同じ催しをする私は去年の自分、一昨年の自分と、今の自分を比べることが容易に出来てしまいます。詩は溢れるほど書くことが出来るのにそれをパネルに書くことが体力的な限界に達してしまうことが多くなった気がします。ちょっとした作業にしか過ぎないのに私はその後、横になって眠ってしまうのです。私の中で、たった一つ浮かんでくる言葉はたった一つだけです。「何で?」ってね。ドクターや家族、他人は簡単にその答えを言うことでしょう。「薬の副作用じゃない?」とか「モルヒネを飲んでいるからね」なんて、ね。そんな答えは私が一番最初に、一番、知りえている話。私が聞きたいのは、そんなことではないのです。どうして、私の身体がこんなことになるの?聞きたいのは、ただそれだけ。今の治療に納得していないとか、そういうことではないんですよ。けれど、そんな自分を恐いと思う今日があります。誰かが言いました。人生は長短でも、経験でもなく、その「質」にある、と。それは、クリエターの端くれである私にとって詩だけでなく、今、人生に求めてられているものなのでしょう。詩や言葉も、そうです。長短でも、経験でもありません。その「質」です。今更なのかもしれないけれど、私は、この人生の「質」を上げることに努めるべきなのかもしれません。そうQRL(クオリティー・オブ・ライフ)。直訳ですよね。緩和ケアの分野では、よく使われる言葉です。自分の生活のQOLをいかに高めるか。今更、そんなことに気付いた私でした。早瀬さと子記ヨハネの手紙第一4:7 愛する友よ。 互いに愛し合いましょう。 愛は神様から出ています。 ですから、人を愛する親切な人は、その行ないによって、自分が神様の子供であることを証明すると同時に、ますます深く、神様を知るようになるのです。 4:8 反対に、人を愛さない不親切な人は、神様を知らないことを暴露しています。 なぜなら、神様は愛だからです。 4:9 神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。 そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。 4:10 この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。 4:11 愛する友よ。 神様がこれほど愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。 4:12 私たちは、これまで一度も神様を見たことがありません。 しかし、互いに愛し合う時、神様は、私たちの心の中に住んでくださり、心の中の神様の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。 4:13 神様は、私たちの心に聖霊様を遣わしてくださいました。 そのことが、私たちが神様と共に生き、神様も私たちと共に歩んでくださる証拠です。 4:14 さらに私たちは、神様がひとり息子を世の救い主として遣わされたのを、この目で見、それを、いま全世界に伝えています。 4:15 イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるのです。 4:16 私たちは、どんなに神様に愛されているか、知っています。 現に、神様の愛を身近に感じ、また、私たちを心から愛すると言われた神様を、信じているからです。 神様は愛です。 愛のうちに生きる人は神様と共に生きるのであり、神様もまた、その人のうちに生きておられるのです。 4:17 キリスト様と共に歩む時、私たちの愛は成長して、いっそう完全なものとなっていきます。 そうすれば、さばきの日に、恥じ入ったり、うろたえたりしないですみます。 それどころか、確信と喜びにあふれて、主の顔を見ることができるのです。 なぜなら、私たちは、キリスト様と愛で結ばれているからです。 4:18 私たちを心から愛してくださる方を、どうして恐れる必要がありましょう。 もし恐れがあるなら、それは神様が私たちに何をなさるかと、不安をいだいている証拠です。 神様の完全な愛は、そんな恐れを、すべて取り除きます。 恐れている人は、神様の愛をまだ十分理解していないのです。 4:19 これでわかるように、私たちが神様を愛せるのは、神様がまず愛してくださったからなのです。 5:11 神様の言われたこととは、何でしょう。 それは、神様が私たちに、永遠のいのちを与えてくださったこと、また、永遠のいのちが神の子のうちにあるということです。 5:12 そういうわけで、神の子を信じる人には、いのちがあり、信じない人にはないのです。 5:13 すでに神の子を信じているあなたがたに、このように書き送るのは、あなたがたには永遠のいのちがあることを自覚させたいからです。
2009/05/04
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「おれが神様を見たのはここさ」男が指さしたのは、ありふれた路地の一角。大西洋からの湿っぽい熱風が吹く西アフリカ・リベリアの首都モンロビア。 男の名前はジョシュア・ミルトン・ブラヒ(37歳)リベリアの内戦で若い兵士らを引き連れ、約2万人を殺したと言われる男です。 1996年のある日、戦闘中のジョシュアは神に出会いました。 神様の顔は太陽のようにまぶしく、雪のように白い衣装を着ていました。「なぜ人を殺しているのか」と問いかけられました。 その日以来、全てが変りました。残酷な殺し屋として恐れられていた男は戦いをやめ、牧師の道へ進みました。 自分自らの罪への赦しを請うかのように、ジョシュアは首都の貧民靴に入り、しわがれた声で暴力の悲惨さと根絶を訴えています。その説教は多くの人々の心を捕らえ、激しく揺すぶり、イエス・キリストを信じる決心へと導いています。 「一昨年、住んでいた貧困地区にジョシュアがやって来た。感動的な説教だったよ」ギャングだったサーティ(42歳)は、彼とであってギャングから足を洗い、ジョシュアの活動を助けています。 「おれも数え切れないほど人を殺した。でも今は必死でジョシュアの後ろを追っているんだ」 ジョシュアを起訴すべきか、恩赦yにすべきか、リベリアの「真実と和解委員会」は国際法時照らして検討中だそうだ。 教会でジョシュアは集まった数百人のクリスチャンに訴えかけ、「起訴は恐くない。この世で刑罰を受けることになっても、神様は必ず赦してくれます」 かつての「悪魔の化身」が神を、イエス・キリストの十字架の救いを説く。割れるような拍手がわいた。(西日本新聞2009年4月22日夕刊・世界への窓・地球人間模様@アフリカ・「悪魔の化身」神の道に。暴力根絶訴える元将軍)より。昨日、教会員からカラー入りの西日本新聞ホームページのコピーをもらいました。開けて見たら道端で説教し、悪い道から悔い改める決心をした男の頭に手を置いて熱心に祈るジョシュアの姿があり、」上記の記事があり、その一部を紹介しました。詳しくは、http://nishinippon.co.jpを。今日は憲法記念日、世界に冠たる平和憲法を持つ日本が、世界の模範となり世界中が平和憲法を護持する国々となるよう平和を祈る日曜日の礼拝です。第九条1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 コリント人への手紙第二5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。テモテへの手紙第一1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。1:17 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。
2009/05/03
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生駒聖書学院、創立80年・創立者召天40年記念聖会 生駒聖書学院(奈良県生駒市)は29日、同学院の創立80周年と創立者レオナード・W・クートの召天40周年を記念する聖会を開催した。 イギリス人のレオナード・W・クートは、1913(大正2)年に来日して救われ、1918(大正7)年に横浜で独立宣教師となった。1924(大正13)年、宣教の拠点を関西に移すと同時に、聖書学院土地(5000坪)を購入。1929(昭和4)年に生駒聖書学院を設立した。 1941(昭和16)年、宗教団体法による宣教師追放で米国へ移住。テキサスでインターナショナル・バイブル・カレッジを創設した。10年の中断後、1950(昭和25)年に再来日して生駒聖書学院を復興。その後、韓国やフィリピンにも聖書学院を創設し、1969(昭和44)に「前進!」の一言を残し、78歳で天国へ凱旋した。 記念聖会は、第6期生の永井明牧師(鳥栖市・クロスロードゴスペルチャーチ)を講師に、卒業生や内外教団の来賓を迎えて行われた。会場は200人を超える参列者で満席となった。 永井牧師は、自らの救いと献身生活の体験を語り、創世記26章12節「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである」を引用。祝福された生活の原点は、生きていて力のある神のことば通りに実践し、聖霊の導きの中で福音に仕えることだと力を込めた。 また、73歳の今日まで、鹿児島市、茨木市、宮崎市、福岡市、いわき市、現在は鳥栖市で開拓伝道に従事し、20年前からは東北6県をビジョンに宮城県大衡村に拡大宣教学院を創設して福音に仕える働き人を養成しているのは、すべて生駒聖書学院で学んだ結果であると証言。同学院のモットーである「不可能は挑戦となり可能となる」は現実であり、自らがその生き証人です、と語った。 学院長の招きに応えて数十人の献身希望者が前に進み、会場は祝福の拍手に包まれた。 午後には同学院の小チャペルで経営コンサルタントの里深太典紀氏(聖書学院教会員)を講師に、「30名集めるのは楽しい!」と題してセミナーを開催。牧師限定で40人が集まり、忌憚(きたん)のない意見が交わされた。コリント人への第一の手紙 2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。 2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。 2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。 2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。 2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。 2:6 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。 2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。 2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。 「目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのないもの、 そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。 神を愛する者のために、 神の備えてくださったものは、みなそうである。」 2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
2009/05/02
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光よ。あれ!地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。創世記1:2-3 プロテスタント宣教150年を迎え、十字架と復活の福音が全国津々浦々まで浸透することを祈り願っています。キリスト教2000年の歴史の中で、闇に閉ざされた時代であればあるほど、福音が大きく前進している事実があります。 世界的金融不安や政治の混乱、道徳の乱れ、1998年以来自殺者が11年連続で3万人を越え、悲惨な事件が毎日起こる昨今、今こそ福音の光が輝く最大のときと確信しています。 なぜなら、闇は光に対抗する力はないからです。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネ1-5)光があるとき闇はゼロになります。光がないときだけ闇は存在します。周りに闇があったとしても、光があれば闇はゼロになり、明るくなるのです。地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあった創造のとき、神の霊は水の上を動いていました。今もなお神の霊は日本列島の上をも覆い動いています。世界に冠たる平和憲法を護持し、大自然が四季折々に美しく輝く日本列島全体が世界遺産になってもおかしくないような国の上を、聖霊が天地創造のときと同じく覆っているのです。ハレルヤ!「光よ。あれ!」と、神のことばがあった瞬間、光があり地球は光に包まれたように、日本宣教150年、今こそ必要なのは聖霊に覆われ、聖霊の働きがなされるために、生きていて力のある神のことば=福音が語られることです。 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネ8:12) 世の光であるイエス様を信じ、ともに歩めばそこは光で輝き、全ての闇は消えてしまいます。光に従うだけでなく、光なるお方は、「あなたがたは、世界の光です」(マタイ5:14)と宣言し、光に従う者が光となるすごい約束を与えられました。光と闇が半々の力を持っているわけではなく、光のない状態が闇というだけです。光があれば闇はありません。 闇が光を支配することはできないのです。 決して消えることも消されることもない永遠の光です。暗い、暗いと言うより、自らが光であることを確信し、世の光であるイエス・キリストの福音を、聖霊に満たされ大胆に伝え続けましょう。 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ2:14-16)
2009/05/01
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