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スフインクスの謎=地上に声は一つなのに、二本足でも、四歩足でも、三本足でもあるのもがいて、地上と空中と海中のすべての生物の中でただ一つだけ性質(ピュシス)を変えるものは何?「朝は足が四本あって、昼になると二本の足となり、夜には三本足となるものとは何か?」 「答えは人間である。人間は幼年期には這って歩くので四本足で歩き、青年期には立ち上がって二本足で歩き、老いては杖をついて三本足で歩くからである。人間には生老病死の悩みが生涯付きまとい、最後は死んでしまう弱い存在です。 人生は戦いの連続であるとよく言われる。 敵と戦い、家族と戦い、隣人と戦い、悩みや試練と戦い、病と戦い、貧困と戦い・・・・キリのない戦いの連続だと思っている人は多い。 聖書は、人生に勝利を約束しています。 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。コリント人への第一の手紙15:57-58 イエス・キリストの十字架と復活によってもたらされた勝利です。人類の敵である悪魔は敗北しました。罪は赦されました。聖霊によりイエス・キリストは信じる者と共におられます。その方の約束です。 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:3) では、私たちの勝利はどのような勝利でしょうか。ゲームでするように当たるところなく敵を蹴散らし、ポイントを稼ぎながらの勝利?連戦連勝?すばらしい! けれども最大の勝利者は、無敵の勝利です。 無敵=敵がいないことです。喧嘩したことがありますか?敵がいないと喧嘩もできません。敵がいないから戦わなくて良い。相手をそのまま受け入れるので戦わなくてよいのです。 鉄板に機関銃をぶっ放せば、同じ勢いで跳ね返ってくる。鳥取の砂丘へ行って同じことをしたら、砂がしっかりと包んでくれる。それだけの違いです。すべてを味方にすると、楽で安心です。砂のようなすっぽり包み込む広やかな心があれば良いですね。 24日でクリスチャンになって53年になりました。すべて重荷を負って苦労している者は・・・・。どうでしょう。私の人生は自慢できるものは、何一つありません。でもこれがほんとうの姿なのです。ちっともカッコよくない私のすがたです。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)とおっしゃってくださいます。 今日もまた天国の一日です!と、今を生きる幸いを体験すれば、どんなときにも勝利者です。スフインクスの謎は興味深いですが、過去を背負い、未来を抱きしめていたら目の前も見えません。罪や重荷を振り捨てて身軽になって下さい。あなたの過去などどうでもいいのです。古いものは過ぎ去りました。すべてが新しくなり、さらに見よ。わたしは新しいことをすると宣言されています。 十字架は縦と横の組み合わせです。縦の線は神様と直結です。助けて下さいといつでも祈れます。横線はあなたです。あなたの信仰と実践です。アーメンと信じる時救われます。そして、みことばを心で信じ口で告白し、その通りに実践します。今を感謝して心から生きるとき、勝利は輝きます。 一つはきれいにすることです。掃除すると心まできれいなります。 二番目は、にっこり微笑むこと、笑うことです。笑う門には福来る! 三番目は、やはり感謝ですね。勝利者は感謝にあふれて輝くことができるのです。 私は人生を?ではなく、!マークで生きようとよく語ります。なぜ?と問い続けますと、不可解の海に導かれます。良かった!感謝だと叫ぶと、勝利の山頂に立っています。 イエス・キリストを知らないままで生きていたら、まったく違う人生を生きていたと思います。不平不満に満たされ、恨みつらみのグチで自分も周りの人までも暗くしていたことでしょう。泣き言と憎しみの感情に支配され、世間に背を向け反逆の人生だったと思います。 けれども、イエス・キリストの十字架の救いを聞き、復活の勝利を信じてから、人生は変り続けました。今も尚・・・・。 イエス・キリストの十字架上の勝利は、復活により完全となりました。 蛇のかかとは砕かれ、サタンは打ち滅ぼされました。ヘブル2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。 もはや恐れる者は何一つありません。テテレスタイ!完全に終わったのです。輝く栄光の勝利でした!輝きということばが大好きです。「愛 輝きに向かって」クリスマス・プレゼントにぜひご活用ください。7冊の輝きのセレクトメッセージです。 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 ヨハネ第一5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 事実は一つです。考え方は二つです。信仰で受取るか、不信仰で受取るかです。悲しい事実は消えないけれど、信じ方を帰ればそれらすべては「良かった」に変ります。すべては働いて益となります。過去と、そこにあった感情から解放され自由になります。どんなことがあってもすべては益になります。これが私の信仰です。財産です。誰にも奪えません。私の宝です。 ローマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 毎日を、今日もまた天国の一日です!でスタート。よかった感謝しますでおやすみなさい。一年365日、毎日、今日もよかった感謝!ハレルヤ!
2009/11/30
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「愛 輝きに向かって」(グッドワーク研究所版・定価1200円+税)を11月24日に発行しました。 ABCラジオメッセージを1978年に、「愛・輝きの中へ」と題して出版。続いて1988年「希望・輝きに向かって」1989年「信仰・輝きに生きる」1990年「喜び・輝きに包まれて」1991年「祝福・輝きのキーワード」1992年「輝き・可能性への変身1」1993年「輝き・可能性への変身2」を発行しました。 1998年にラジオ放送希望の声25周年を感謝して、「ABCラジオメッセージ集希望の声」「天の虫けら」をマルコーシュより全国発売で出版。 2000年に、「輝き・可能性への変身1,2」を一冊本としてプレイズ出版から発行。続いて同年「ハレルヤと歌いつつ」(脳内出血からいやされた証しの小冊子で増刷を重ね1万部)2002年に大阪で40日連続伝道会にために、「雪よりも白く」(種子島で救われた証し、これも増刷を重ねて1万部)を出版し、読むだけでいやしや救いを経験する人もありました。 今年、献身してちょうど50年になり、その感謝をコミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」として9月23日に出版しました。漫画とラクト(20ページ)ですが、幸い好評で全国の教会で用いられています。定価はついていませんが、100円の廉価で提供しています。 11月24日が種子島の海岸でバプテスマ(洗礼)を受け53年になったので、1987年~1982年に出版した7冊の小冊子より、出版社の皆様(クリスチャンでない方々)が読んで、22のラジオメッセージセレクトし、「愛・輝きに向かって」と題し、出版してくれました。 今回のコミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」と、「愛・輝きに向かって」は、出版社は違いますが、書名も内容もスタイルも全部お任せして完成した作品です。 その意味でもユニークなコミックであり、本になっていると思います。 一人でも多くの方に読んでいただければと願い、今日はコマーシャルです。「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」(コミック20ページ)100円「愛・輝きに向かって」(榮義之著・グッドワーク研究所刊180頁・定価1200円+税・本書はライフセンターやオアシス、12月半ばからはアマゾンでも購入できます) 生駒聖書学院にお申込みくだされば、クリスマス特価1000円(税&送料含み)です。メール便でお届けします。 630-0243 生駒市俵口町951 FAX.0743-73-6424 メール;elimiyoshi@kcn.jp今日もまた天国の一日です!祝福を祈ります。今朝は富雄キリスト教会で礼拝説教。午後2時は大阪エリムで、聖書の学び。 学院教会(午前10時)と大阪エリム(午後3時)、そして堺エリム(午後5時30分)礼拝メッセージは前田基子牧師です。ローマ人への手紙5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。LB訳5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。
2009/11/29
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朝から出かけて6時間、昼食を終えパソコンへ向かいました。 今年はインプラント治療で歯をきれいにしようと決断しました。幸い日本一のインプラント治療の歯科医と出会い、東京より堺の歯科医院まで来てくれます。 最初の治療は6月末に右下二本抜歯、8月15日(土)に手術をし、9月に仮歯を入れました。左側だけで食事をし、10月の再度仮の歯を入れ、11月21日にインプラント本歯が入りました。 右上3本の手術は10月6日でしたが、大手術で火曜夜の集会頃に麻酔が切れ、話しこともできないくらい痛みで、ちょうどカウンセリングの予定もありで大変でした。 余り詳しいことも分からず普通の歯の治療と同じくらいに思っていたので、12日(日)は大教会礼拝説教に招かれており、お多福風邪にかかったように頬が膨れたまま。 10月6日の手術のあと、12月12日(日)にやっと仮歯を入れてもらえることになり喜んだのですが、歯科医から電話があり、東京の医師に相談したら来年1月23日(土)まで待つようにとのことだそうです。 12月13日(日)は関東の大教会で午前9時&11時の2回説教なので、歯なしでは話しにならないとおどけてみても、やはり歯なしで話します。 まだインプラント治療が3本残っているので、来年夏くらいまでかかりそうです。歯医者は少しの辛抱ですと励ましてくれています。来年ケニアに行くくらいまでは直って欲しいと祈り願いながら、ありがとうございます。歯がきれいでメッセージも自由になりました!感謝します。ハレルヤと楽しみに明日も、富雄キリスト教会で説教です。コリント人への第一の手紙13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 14:1 愛を追い求めなさい。
2009/11/28
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携帯の音で目覚め、電源が切れるくらいまで話しが続く。 命にかかわる相談なので、ブログがこれだけですが、今日はもう一度書くことにして、今から大阪まで出かけます。イザヤ書 30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、 こう仰せられる。 「立ち返って静かにすれば、 あなたがたは救われ、 落ち着いて、信頼すれば、 あなたがたは力を得る。」 しかし、あなたがたは、これを望まなかった。 30:16 あなたがたは言った。 「いや、私たちは馬に乗って逃げよう。」 それなら、あなたがたは逃げてみよ。 「私たちは早馬に乗って。」 それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。 30:17 ひとりのおどしによって千人が逃げ、 五人のおどしによってあなたがたが逃げ、 ついに、山の頂の旗ざお、 丘の上の旗ぐらいしか残るまい。 30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。 30:25 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。 30:26 【主】がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。
2009/11/28
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23日に、聖書の医学健康講演会には、80枚余の健康に関心のある方々が集いました。 静岡県掛川市にあるつま恋でJCGI(日本教会成長研修所)ネットワーク創設30周年記念研修に、6期生なので24年ぶりに参加。 24日(火)の講師(茨木キリスト福音教会、永井基呼牧師)と昼食と共にした後、自動車で出かけました。名阪から湾岸道路経由、東名高速で一路掛川インターへ。 途中ものすごい睡魔でPAでしばし熟睡。携帯電話が鳴り目覚めた。来月招かれている教会よりの連絡で、グッドタイミングで夕食の時間までに到着。幸い夜は研修会もなく、そのままホテルの部屋で、今日もまた天国の一日でした!と熟睡。 25日(水)は朝早くに目覚め、ゆとりの一万歩と外へ出たが、何とドシャ降りの雨。あわててホテルノースウイング(8階)へ。ホテルサウスウイングの6階から8階へ行き、さらに泊まっている5階から1階を上ったり下りたりで、朝食まで7000歩。 朝9時から昼食を挟んで夕方まで研修。研修が午後6時に終わりそのまま関東地区12名の研修生卒業式とレセプションが夜9時に終了。 26日は(木)雨も上がり、つま恋(約55万坪)のウオーキングコース、トレッキングコースを朝食前にゆとりで歩き、最後の研修と閉会礼拝でした。 多くの出会いがあり、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」も受付に置いてもらったりで、楽しい3日間でした。 ちょうど12時に終了だったので、東名高速道路、湾岸、西名阪はスムースに走れ、24号線がラッシュにかかったが、阪奈道路は空いており、夕食を終えての帰宅でした。 今日は午前中、関西クリスチャンスクール献堂式で祝辞。いろいろと充実の、天国の毎日を過ごしています。今から学院の猛声祈祷と出発礼拝メッセージです。コリント人への第一の手紙10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
2009/11/26
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人生にはどうにもならないような出来事も多くなります。人間関係や仕事、経済的な試練や家族の問題、健康も事や病気なること、数え上げたらキリがないほど試練に出会うこともあり、今日も途方にくれるようなことに出会っているかもしれません。 しかし、イエス・キリストを信じる人生は、どのような時にもすべてのことを感謝しつつ受け止め、喜び祈りながら前進することができるから幸いです。立ち寄った本屋で、夫婦は気配りで9割うまくいく」(吉岡愛和著・コスモトゥワン・1,400円)を買った。夫たちがとる行動や態度の中で、妻たちが嫌だと感じる一言の20項目があげられていました。1 食事時「いただきます」も言わず、料理に関心も示さない。2 妻が重い荷物を持っていても気づかない。3 妻の体調が悪いのに手伝ってくれない。4 妻の話をうるさがって聞こうとしない。5 自分が悪かったと謝らない。6 言葉が乱暴。7 子どものことを一緒に考えられない。8 何かというと説教がはじまる。9 帰りが遅くても電話がない。10 仕事のストレスを家に持ち込む。11 よその妻と比較する12 夫婦の性生活が一方的。13 嫉妬心が強く、自由に外へ出かけられない。14 家事をまったく手伝ってくれない。15 子どもと遊んでくれない。16 家でだらだらしていることが多い。17 自分の部屋に閉じこもってパソコンばかりやっている。18 「愛しているよ」と言ってくれない。19 男らしくない、頼りにならない。20 妻の誕生日を忘れている。 今度は、夫たちから妻へ「夫が嫌だと感じるところ」20項目を紹介します。1 夫に命令する2 素直でない3 帰宅するやいなや不満をぶつけられる4 夫を立ててくれない5 よその夫と比較する6 夫の知らないところで大切なことでも勝ってに決めてしまう7 仕事の苦労を知らなすぎる8 育児や家事を強要する9 給料が少ないと不満を言う10 身だしなみをきちんとしていない11 当然のことのようにお小遣いを制限する12 夫の趣味はまったく理解しない13 家に知人や親戚の人が来た時の態度が悪い14 子どもの前で夫の悪口を言う15 家に中が汚い16 料理の手抜きが多い17 自分の都合のいいように夫を教育しようとしている18 夫の悪口を言いふらす19 物事の順番が子どもの次になる20 家の中に夫の決まった席がない 本を読み妻の嫌がること、夫の嫌がることを比較してみると、女性は心の安らぎ、いたわり、ねぎらいを求めていることがわかります。妻が夫から愛されている喜び、心の安らぎを持つとき、幸せな気分になり家庭も和やかさに包まれるのです。 夫たちの求めているのは、妻が夫を男として認めて頼ってくれ、あなたがこの家の王様ですよという言葉や態度で接してくれることなのです。自分が必要とされ、自分の頼り、甘え、立ててくれれば男性としての力を発揮できるのです。お互いの違いを理解して、気配りすることこそ夫婦はうまく行くと著者は述べています。ローマ人への手紙5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。リビングバイブル訳5:3 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。5:4 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。
2009/11/26
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「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます』(第一コリント1013)山崎さんは、小さなパン工場の経営者でした。ところがある日、突然の連絡を受けすぐに工場に来るように言われました。なんと、そこで焼けていたのはパンではなく、工場のものだったのです。火の勢いは強く、全焼は免れません。 すると、山崎さんは、その炎を見ながら「ばんざい! ばんざい!」と叫んでいるではありませんか。社員たちは、「ショックのあまり、社長がおかしくなってしまった」と思ったことでしょう。しかし、クリスチャンである山崎さんは、社員に向かってこう言ったのです。「これは、もっと大きな工場を建てるようにという天からの声だ。最新鋭の工場で、もっとおいしくて、もっとたくさんのパンを、もっとたくさんのお客さまにお届けできるんだ! すごいだろう? わくわくするだろう?」 そして、やがて山崎さんの工場は、日本を代表するヤマザキ製パン会社へと成長していきました。 困難にあったとき、落ち込んだり、がっかりしたり、そして絶望したりする方が、むしろ自然かもしれません。しかし、自分はイエスさまが命を捨てても惜しくないと思われるほど、愛されている存在モタさんの楽々人生術という本の中に、「逆境を乗り越えるたびに、人は強く、やさしくなれる」とあり、逆境と言うのは実は大事な存在なんです。と書かれていた。斉藤茂太 「大正3年に火事になり一挙に貧乏生活。思春期に両親が別居生活。第二次世界大戦では空襲で自宅も病院も丸焼けになりました。 戦争が終わって自宅の焼け跡を訪ね、焼け残った金庫をこじ開けてみると、中にあったのは借金の証文ばかり。彼はへなへなとその場に座り込んでしまいました。でもその借金を返さなければという一心で一生懸命働く気持ちになり、戦後の窮迫から脱却できました。 そう考えるとこの借金の証文が逆境を乗り越えるための宝物だったんですね。 私の過去には、挫折も失敗も不幸もいろいろありましたけれども、今日まで何とか生きてくることができたのは、そういった逆境をばねにして、うまく乗り越えたからではないかと思います。ですから逆境というのも大事な存在なのですね。 同様に病気になることは不幸なことですが、その逆境を克服し乗り越えることも大事です。そして、病気や不幸を経験することで、人間的に大きな、思いやりのある人になれるのではないのでしょうか」 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます』(第一コリント1013)とあります。 またその試練を乗り越える力を、イエス・キリスト様が与えてくださり、助けてくれるとも約束されています。ヘブル人への手紙2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
2009/11/25
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1957年11月24日、種子島の海岸でバプテスマを受け、クリスチャンになり今日ちょうど53年になりました。 種子島高校一年生のとき、アメリカ人宣教師アルビン・ハモンド先生とバイブル・クラスでお会いしました。 日本語がほとんどできず片言の会話でしたが、宣教師との出会いがイエス・キリストとの出会いへと導かれ、アーメンと信じたその日に、バプテスマを受ける恵みを体験しました。 あの日に洗礼の意味も知らず、ただ「信じてバプテスマを受ける者は救われます」とのイエス・キリストの約束をアーメンと信じて、洗礼を受けたことを今朝も心から感謝しています。 「だれでも重荷を負って苦労したいる日人は、わたしのところにきなさい。休ませて上げます」とのイエス・キリストの約束は、53年間変わることなく実現され続けています。 重荷や苦しみ、試練や困難、霊的、精神的、物質的、肉体的にも生きている限り、様々な悩みの中をとおります。天国に行くまで肉体を持つかぎり、自分のことだけでなく、家族や隣人、日本や世界の国々の重荷を背負うような現代です。 そのすべての重荷をイエス・キリストにゆだねる時、いつも休む=平安が与えられ、重荷が豊かな祝福へ変ることを体験してきました。 こんな話しが伝わっています。 旧ソビエトで、シベリヤの強制収用所で拷問を受け、背中が曲がり大きなコブができ、醜い姿になった父親が釈放され、久しぶりに家に帰ってきました。 可愛い息子は、醜くなった父の姿を見て、「パパの大きなコブの中には、天使の羽が入っているんだね。もうすぐ飛べるようになるんだね」と、無邪気に話仕掛け、父親はその無邪気なことばに救われ、イエス・キリストのなさることのすばらしさを賛美したそうです。 どんな出来事も神のご計画の豊かさの中で、神の栄光が輝く幸いを経験することができるのです。 実年齢は68歳になりましたが、洗礼を受けて新しく生まれ変わった53歳を実年齢と感謝しつつ、新しい夢とビジョンで前進を決意する朝です。 今日から木曜日まで、ヤマハリゾートつま恋で行なわれるオールJCGI30周年セレブレイションに参加します。ブログは明日も書きますので、お訪ねよろしくお願いします。ローマ人への手紙6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。 6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。 6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。 6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。 6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。 6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
2009/11/24
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昨日は宝塚福音教会礼拝メッセージでした。礼拝後、手作りの美味しいご馳走をいただき、沖永良部出身の高齢(94歳)の婦人に、父は徳之島出身だと言うと話しが弾みました。100歳歳まで元気で生きると言っていましたから、きっとお元気で過ごされると思います。 不思議なことですが、自分が口にすることばは、言えば言うだけ、もう一度それを言いたくなるような現象を引き起こします。 イエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(マルコ11:23)と言われました。 否定的、破壊的なことば使いから解放され、感謝と喜びにあふれ、聖書のことばを宣言したいといつも考えながら口にしています。 イエス様のお名前によって祈るときも、宣言の祈りや願いを祈るようにし、「心の中で疑わず、ただ、自分のい言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」 イエス・キリストの約束のことば通りにすばらしいことを経験できます。口癖を新たにすることを決意してください。毎日、告白を続けて自分のことばにし、言ったとおりになることを体験してください。ありがとうございます。無限の神の愛がいっぱいです。謝します!ありがとうございます。無限のイエス様のいのちがいっぱいです。感謝します!ありがとうございます。聖霊の満たしがいっぱいです。感謝します!ありがとうございます。無限の救いがいっぱいです。感謝します! ありがとうございます。無限の幸せがいっぱいです。感謝します! 心からのありがとう!とともに、たくさん良いことばを口癖にし、感謝しつつ天国の日々を過ごしたいものです。 ありがとうございます! 無限の愛がいっぱい。喜びがいっぱい。平安がいっぱい。寛容がいっぱい。親切がいっぱい 善意がいっぱい 忠実がいっぱい 誠実がいっぱい 柔和がいっぱい 自制がいっぱい 感謝します! 信仰がいっぱい 希望がいっぱい 感謝がいっぱい 力がいっぱい 調和がいっぱいエネルギーがいっぱい 健康がいっぱい 豊かさがいっぱい 笑顔がいっぱい 平和がいっぱい 平安もいっぱい 繁栄がいっぱい 優しさがいっぱい 素直さがいっぱい 輝きがいっぱい 謙虚さがいっぱい 長所がいっぱい 想像力がいっぱい 創造力がいっぱい 交際力がいっぱい 強さがいっぱい 伝道力がいっぱい 勇気がいっぱい リーダーシップがいっぱい 元気がいっぱい 指導力がいっぱい 義がいっぱい 奇跡がいっぱい 恵みがいっぱい いやしがいっぱい 能力がいっぱい 決断力がいっぱい 可能性がいっぱい 実行力がいっぱい 知恵がいっぱい 叡智もいっぱい 統率力がいっぱい ゆるしがいっぱい 行動力がいっぱい 直感力がいっぱい カリスマがいっぱい 充実感がいっぱい 復活の力がいっぱい 清らかさがいっぱい 楽しみがいっぱい うれしさがいっぱい 笑いがいっぱい 笑顔がいっぱい 神の栄光がいっぱい 知識がいっぱい 祈りがいっぱい 答えがいっぱい 友情がいっぱい 家族愛がいっぱい 慰めがいっぱい 異言がいっぱい 忍耐がいっぱい 勝利がいっぱい 確信がいっぱい 自由がいっぱい 恵みがいっぱい 祝福がいっぱい 喜びがいっぱい 繁栄がいっぱい お金もいっぱい 成功がいっぱい 感謝します! いくらでもある前向きな聖書の約束を、ありがとうございます!無限のみことばがいっぱい!感謝します。神の栄光のために!ハレルヤ!と宣言してください。 自分が口にすることばは、」言えばいうだけもう一度それを言いたくなるような現象を引き起こします。 イエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(マルコ11:23)と言われました。 マイナスのことばを使う祈りから解放されt、感謝と喜びにあふれ、イエス様のお名前によって祈りを宣言することを決意してください。毎日、告白を続けて自分のことばにしてください。 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。詩篇1:1-3
2009/11/23
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「希望!輝きに向かって」の校正原稿のことを書きましたが、昨夜出版社から新本が届き、「愛 輝きに向かって」と、素敵な書名になっていました。 9月23日にコミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」を出版し、漫画トラクトですが、各教会やクリスチャン(カトリックや日本キリスト教団、メソジスト、アッセンブリー、バプテスト、福音派教会や単立教会、ラジオの視聴者など)から3000冊ほどの注文が相次ぎ、すごく好評のようです。 クリスチャン新聞福音版12月号にコラムに、コミックに紹介しましたよと、書いた本人よりメールもありました。 1987年より、愛・輝きの中で、希望・輝きに向かって、信仰・輝きに生きる、喜び・輝きに包まれて、祝福・輝きのキーワード、輝き・可能性への挑戦(1&2)など、小冊子を相次いで出版しました。 献身50年を感謝し、「天国人生50周年記念出版」です。 コミックもそうですが、今回の出版もまだクリスチャンでない編集の方々が、自分はこのメッセージだったらキリスト教がよく分かり、クリスチャンになってもいいなあとセレクトした珠玉?の、ABCラジオ・メッセージ22が書かれています。本が届いた夜一気に読み、多くの方々に読んでもらえたらと祈りました。 受洗記念日の11月14日に、180ページ 定価1200円(プラス税)でグッドワーク出版社発行いのちのことば社でも流通してくれるので、オアシスやライフセンターなどキリスト教書店でも購入課のです。またアマゾンでも可能ですのでよろしくお願いします。 ご希望の方には、定価1200円(税と送料なし)でメール便(振替用紙後払い)でもお届けできます。 elimyoshi@kcn.jp あとがきを紹介します。 種子島は、鹿児島県では奄美大島、屋久島に次いで三番目、全国では十番目の面積を持つ島です。標高は最高点で282m、海側から見ると平らに見え、1936mの隣りの世界遺産の屋久島と比べると対照的です。その島の最頂点にある鴻之峰という田舎の中の田舎で生まれ育ちました。12歳の頃から屋久島の白雪を仰ぐたびに、雪よりも白い心になりたい願いを持つ、無口でものも言わず、歌も歌わず乱暴な遊びもしない少年時代でした。中学校は片道9キロもある東シナ海沿いにある星原中学へ、毎朝5時起床で休まず通学し、現在も朝5時起きで祈りの時間を過ごす恵みが続いています。小学校も中学校も一度も休まず通いましたが、先生と話したこともなく、無口のままで過ごし、田舎の方言も使わずで、そのことがラジオ牧師となった今は、大きな助けになっています。中学二年生のときの音楽の時間、発声練習がありピアノの前にたち、思い切って声を出すと、お前音痴だなという教師の大声。しかし、その教師は発声練習をやめて、ドボルザークの新世界交響曲を聞かせてくれました。東亮吉先生との出会いは、新しい世界へのスタートの一歩になり、さらい新しい出会いへと開かれていきました。 種子島高校一年生のとき、アメリカ人のアルビン・ハモンド宣教師が、学校で英語クラスを開き、珍しさもあり参加しまし、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言う、イエス・キリストのことばをはじめて聞きました。 薪拾いに、芋俵や炭俵やそんな重い荷物を運ぶのが、田舎暮らしの日々でしたので、大きなアメリカ人が手伝ってくれる?と瞬間思いをかすめました。しかし、イエス・キリストが十字架の上に、人類のすべての重荷となっている罪や病、呪いや貧乏、数え切れない心配や気苦労、そして死に至るすべての苦しみを引き受けてくださったことを知るようになりました。 そしてすべての重荷を墓に葬り去り、まことの命であるお方だったので、三日目に復活し信じる者の心に訪れてくださることを信じました。その日にバプテスマ(洗礼)を受け、早いもので53年になりました。 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10章13-15節) との聖書のことばにより神の召命を受け、50年前に種子島より生駒聖書学院へ導かれ、レオナード・W・クート師(イギリス人で生駒聖書学院創立者)の指導で牧師になり、現在はその後継者として、牧師養成の任を使命として働いております。 無口でものも言わず、歌も歌えず、何もできなかったものですが、ただイエス・キリストを心にお迎えし、聖書のことばに素直にアーメンと告白し続けているだけです。 すべての重荷を十字架の元に日々下し、「今日もまた天国の一日です!」と朝ごとに、一日の終わりには心からの感謝をこめて、「今日もまた天国の一日でした!」と告白し続けています。 今回、このような形で発行できたのは、ひとえにグッドワーク研究所の皆様のご労苦の賜物であり、心からの感謝を申し上げます。 またいつも祈り続け応援してくださる教会員やスタッフの大きな愛に感謝します。 最後に、お読みくださったあなたの上に、人生のすべてを導き支え続けてくれた聖書のみことばを、ご紹介し、豊かな祝福をお祈りいたします。 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29章11節) 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8:28) わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。(詩篇103篇1-5節)
2009/11/22
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今朝はパソコン変換がうまく行かず、以前のメッセージを貼り付けました。 木曜の夜、クリスマス・キャロルを「鑑賞した、渡邊恵み神学生のブログをそのまま紹介します。毎学期が終わる頃いつも院長先生から学生たちに奉仕の礼として、励ましのご褒美があります。今まではレストランでのフルコースの夕食でしたが今学期は映画鑑賞でした。いつもの火曜伝道集会のメンバーで2台の車に分かれて映画館に向かって出発しました。幸いにもちょっと遅れたものの本番の映画が始まる前の映画の予告の時間には間に合いました。3D映画でとても立体感がありました。特に空から近寄るロンドンの町の風景がとても美しかったです。雪の降る街角の人々の様子や建物の姿が見事に作られていました。素晴らしかったのです。個人的には主人公が死の車から逃げ回る場面が少し長い感じを受けました。しかし、天国の望みを持ってない人々には死とはただ逃げ回るしかない恐怖以外は何にもないことを映画を見ながら切実に感じました。イエスキリストを信じる人たちにとって死とはこの世での働きを終え永遠の世界、神様といつまでもいられる場所、喜びに満ち溢れる本当の故郷に帰ることです。クリスマスの意味を考えさせらる映画として本当のクリスマスの意味を知らない人々が自分の生き方を省み、神様に出会ういい機会になることを祈ります。青い鳥通信局http://bluebird4.blogspot.com/
2009/11/21
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イザヤ58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。 あなたの信じるとおりになる!(マタイ8:13)あなたの言うとおりになる!(マルコ11:23)今日、聖書のこのみことばが、あなたの聞いたとおりに実現した!(ルカ4:21) イザヤ書14:24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。14:27 万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。」 すばらしい約束が聖書にはいっぱいあります。しかし現実はそう間単にはいかないんですよ。聖書に書いてある!だけでは、生きていけないのです。私の悩みは特別ですから・・・。こんな声が聞こえてきます。 イエス様のことを考えてください。30年間、ナザレの大工でした。30さのときバプテスマのヨハネが荒野で説教し、イエス様もナザレから出てきて洗礼を受けました。3:13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。3:14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」3:15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。13:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。 3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」洗礼を受けたクリスチャンたちは、その喜びの声を聖書を通して聞きました。その後の4章には何とかいてありますか? 4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。40日40夜の断食 愛する子、神が喜ぶ子が荒野へ導かれたのです。百獣の王はその子を谷底へ突き落とすとよく聞きます。可愛い子には旅をさせよとも言います。1.荒野の経験は神の子の特権 荒野に導かれるのは、あなたを喜んでいないからだとか、あなたの罰するためではないことを認識してください。 また、あなたサタンの誘惑と策略の中に放り出して、あなたのことを忘れてのだということでもないことを理解してください。 第三の重要な点は、荒野は敗北の場所ではないことです。「しかし、神に感謝します。神はいつでも私たちを導いて・・」(2コリント2:14) もう一度確認してください。荒野に導かれたのは、あなたが神に喜ばれていないからではない。神からの罰でもない。神があなたを見捨て、忘れてしまったのでもない。 荒野はあなたの内に主の品性と強さが現われるチャンスのときです。そして、その場所が勝利の場所に変えられる最高の場となるのです。ウップンを晴らしをしたり、酒を飲んでも解決にはなりません。荒野は神の愛の場なのです。 2. 荒野とはどのような場所か 荒野にいる人は自分を責め始めます。ほんとうは神の品性が豊かに実るとき! ヨブ23:8 ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。23:9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。 荒野とは、あなたの夢や希望が主が約束されこととは反対のほうに進んでいるようにしか思えないときです。前進もしない、成長もない、停滞している、いや後退しているとおもってします。自分はあいされていない。主に見捨てられたとさえ思うとき。しかし、事実は違うのです。ヘブル13:5を忘れないように。マタイ28;20も。3. 日ごとの糧の与えられるとき この時期には、有り余るほどのものではなく、日ごとの糧が与えられるときです。 自分が欲しいと思うものではなく、必要なものが与えられるときです。欠乏は悪魔から来ると教えられています。しかし、クリス中案はクリスチャンは必要な物は与えられています。イエス・キリストの力によって、荒野を行くときも豊かなときと同じように、満ち足りることができるのです。4.荒野を通る目的8:2 あなたの心のうちにあるものを知るために荒野を通る。出エジプトの偉大な贖い。特に紅海横断の奇跡、すぐ3日後には呟いて水が苦い!8:3マナ=最高級の食物=天使のパン。神の口から出るひとつひとつのことばによって生きる経験を与えるため。アドナイエレの真実を!8:5主の大きな愛の訓練である。8:6明確な目的がある。ついにはあなたを幸せにするため!8:11-18真の謙遜を身につけ、神の栄光の輝きに生きることができるように!ヘブル12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。 12:13 また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。
2009/11/21
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デイズニーのアニメ映画だが、都ホテルでの集会を終えて映画館へ急ぎ、午後7時15分の開演時間に到着。映画館に入るとだれもいない。 何と神学生たちは道を間違えたらしくまだ来ていない。玄関まで迎えに出ると同時に到着。劇場にはほとんど客は三人。生駒聖書学院貸切の一番良い席でクリスマスキャロルがすぐ始まりました。 19世紀半ば。クリスマス・イブのロンドンは街中に讃美歌が流れ、雪の舞う中でも陽気な賑わいをみせていた。 しかし、スクルージの事務所はそんなムードとはおよそ関係ない様子、彼は徹底したケチで思いやりのない老人だった。 事務員はボブ・クラチットただ一人。この忠実な男をスクルージは安い給料で雇い、クリスマス休暇も1日しか許可しなかった。 それでもボブは、イブを家族と過ごすためにいそいそと帰っていく。 家に帰る道すがら、スクルージは借金の催促は忘れない。貧乏人は救貧院に入るか、死ぬか、勝手にしろ、そうすれば人口増加が抑えられるだろうなどと、寄付集めの男に言ってします。それは彼のいつも考えていたことだった。 スクルージは自宅のドアのノッカーを見て、驚いた。怪獣の頭をしたそのノッカーが人間の顔になり、恐ろしい声で「スクルージ」と言ったからだ。その声は7年前にまだ共同経営者マーレイのものだった。 やがて彼の目の前にマーレイの亡霊が現れ、今夜3人のクリスマスの精霊(過去、現在、未来)が訪れるが、三番目の精霊こそお前の唯一の救いとなるだろう、と言って姿を消した。 スクルージは夢に違いない!とそう思った画・・・・。 時計が1時を打った時、予言通り、過去の精霊が現れ、彼を過去へ誘った。恋人イザベラとの楽しい日々。愛しながら別れてしまた追憶の青春をスクルージは悔やんだ。気がつくとベッドの上た。 錯覚かも知れない--時計が2時を打ったら現在の精霊お出現。貧しいながらも幸福そうなクラチット一家の団欒風景。彼らが自分のために祝ってくれるのを見てスクルージの良心が疼いた。 “チビ"のティムが重い病を患っているのが哀れであった。スクルージは人間の善意について考えた。目が醒めると3時だった。 未来の精霊は黙ったままでスクルージを事務所へ連れていった。事務所の前では大勢の人間が嬉しげに騒いでいた。彼も一緒に騒いでいたが、それはある人間の死を喜んでいたのであった。それは誰か?何とスクルージだったのだ。 3番目の亡霊は死神だった。死の世界で彼は泣き叫んだ。誰も助けに来てくれない・・・・。あたりを見廻すともとのベッドにいた。もう夢や幻とは思わなかった。 イブはまだ終わっていなかった。家を飛び出し、七面鳥を買い、回転木馬を用意してクラチット家へ行き、ボブには休暇を十分与え給料も上げた。 町の人々へたくさんのプレゼントを用意したスクルージの姿は満足そのもの。喜びと悲しみを分かち合う素晴らしさに満ちた姿だった。 ルカの福音書6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2009/11/20
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東京で元気の出る聖会を始めたのが1998年。天の虫けら出版祝賀会を開いた北区王子の会館で、月一度の例会を続けていました。 1999年11月19日(金)の集会を終え、予約していた近くのビジネスホテルへ。シャワーを済ませ寝ようとしてベッドへ。突然の痺れが襲い、何とかフロントへ連絡。救急車で近くの病院へ、点滴を受け翌朝検査のため、また救急車で赤羽の王子病院脳内外科へ転送されました。 集中治療室で左脳内出血と分かり、そのまま入院になりました。「わたしは主であってあなたをいやす者です」(出エジプト15:26)のことばが響き、「主よ。助けて下さい!」と声にならない声で祈りました。 クリスマスにやっと帰宅を許され、私たちの患いを身に引き受け、病を背負ってくださり、その打たれた傷により癒してくださったイエス・キリストの恵みに、日々ありがとうございます。感謝しますの10年間です。 それまで頭痛も腹痛も経験したことがなく、風疹やお多福風邪になったことはあっても、風邪一つ引かない健康体でした。 退院して自宅に帰った夜、良かったですねと電話がありました。 「病気になってほんとに良かったと思います。悲しみの経験だけでなく、病の辛さや痛みを経験してくださり、病む者の気持ちを分かってくださるから嬉しいです」と。 6年前から歩こうと決心し、ゆとりの一万歩と万歩計をポケットに入れ、今朝もポスティングを兼ねて歩いて来ました。自分ひとりだけの記念日ですが、後遺症もなく元気になり、イエス・キリストの十字架の癒しを喜びつつの朝です。 普通は5時30分より猛声祈祷ですが、今日は生駒朝祷会午前7時の第一回(月一度の超教派クリスチャンの祈りと朝食会)なので、ブログを書いています。 今日、明日と連続で講義。昼からは都ホテル喫茶室での集会。今夜は、神学生たちとクリスマスキャロルを映画館で鑑賞。相変わらず朝早くから夜遅くまでの充実のゆとりの時です。出エジプト記23:25 あなたがたの神、【主】に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。23:26 あなたの国のうちには流産する者も、不妊の者もいなくなり、わたしはあなたの日数を満たそう。申命記 7:12 それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行うならば、あなたの神、【主】は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、 7:13 あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。 7:14 あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる。あなたのうちには、子のない男、子のない女はいないであろう。あなたの家畜も同様である。 7:15 【主】は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。
2009/11/18
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昨日聞いた体験話です。 聖書学院教会のメンバーが結婚で関東へ移りました。2番目の子どもも生まれるので、広い住まいが必要になり祈りはじめました。主人はクリスチャンになって間がなく、いっしょに祈ることもまだ気恥ずかしく、お前だけ祈っといてくれよと言う状態でした。 イエス・キリストの約束、「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます」(マタイ18:19)を読みました。 短い祈りですが心を合わせて、「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ7:7)の約束を信じました。 さらに具体的に10のポイント(部屋数・廉価なこと・日照・環境・幼稚園・小学校・中学校・買い物・交通至便・会社の一時間範囲)をあげて祈り始めました。 すばらしいことに9つの条件が全部そろっている物件が見つかり、主人は驚きほんとうに神は折られる、祈りは聞かれると感謝し、10番目の会社へ一時間範囲ではないけれども、自分が辛抱すればよいだけだからと購入を決定しました。 ところがその後でさらに不思議なことがあり、何とその家から一時間範囲の所に、会社が移転することになり、さらにふたりは信じる心とお互いの理解も深まりました。 いつも教会で聞く神のことばの偉大さの喜びを皆にも分かち合っていました。今週にも生まれてくる赤ちゃんも、大きな愛の祈りの中で、安産であるよう祈った昨日の朝でした。 雨の日でしたが、午後からは大阪より69歳の男性が、「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:15)を信じて、聖書学院での洗礼式でした。 真っ白な洗礼着を身につけたら天使のように輝いて見え、主はいま生きている。わが内におられる。すべては主の御手にあり、明日も生きようの歌声の中と祈りのなかで、バプテスマ式が行なわれ、夜の大阪の集会に参加し、会衆一同の大きな拍手で祝われました。 雨の日も、ゆとりの一万歩を休むことなく続け、時間を見つけながら講義の合間や、洗礼式場までの往復を回り道し、夜帰宅したときには12000歩以上を計測しており、昨夜も熟睡でした。 イエス・キリストは、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34)と言われましたが、まさしくそのとおりです。いつも信頼して過ごせる大きな恵みの感謝します。マタイの福音諸 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
2009/11/18
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昨夜は、NHKホールで森山良子コンサート、生涯初の体験でした。小学生、中学生、高校生とキリスト教会で讃美歌を歌うまで、音楽の時間は口を開かず、歌わない少年時代でした。 小学校の5年間、校長先生は「心に太陽を!くちびるに歌を!」が得意で、いつも聞かされました。心に太陽はあっても、くちびるに歌はいらないと、音楽の時間もなにもともかく歌わないで過ごしました。 歌詞は歌うのではなく覚えるだけ。中学生のときドボルザークの新世界を聞き、音楽には聞く喜びもあることを知りました。 しかし。何しろ田舎のことレコードや蓄音機もなく、ラジオもなくテレビの時代でもなく、16歳でクリスチャンになっても歌わず歌詞だけを読んでいたほどでした。 学校唱歌はもちろんですが、当然流行歌(今でも紅白や歌番組)には縁がなく、日曜学校をするようになってから、少しずつ子供讃美歌を覚え、声に出して歌うようになりました。 牧師になるとオルガンもピアノもない開拓伝道。アカペラで聖歌や讃美歌をリードし、幸い音符が読めるみなさんが歌ってくれるので、礼拝は元気イッパイ声を張り上げて賛美しました。 天国に届くとき、少々音痴だろうと何だろうと、天使の賛美と調和し、美しく響くことを確信しながら歌ってきました。今もその気持ちに変らず、すばらしい教会員の歌声に合わせて賛美しています。 森山良子愛唱讃美歌名曲選が5枚のレコード(現在はCD)になったとき以来、その美しい歌声に魅了され、ラジオ放送希望の声でも流しています。 彼女のCDを数年前にもらい、「涙そうそう」と「さとうきび畑」も聞きました。 昨夜の会場はほぼ満員に近く、彼女は1948年生まれ、19歳のとき「この野原いっぱい」でデビューし42年。会場はほぼ9割近くが同世代の参加でした。 直前席の男性二人は、最初から身を乗り出し、手を振りながらの応援。非常等も消しての公園、しかも2階席だったので舞台から見えるはずもない。その熱心に聞き入る姿に、舞台よりも興味がありました。 一部は、4年3ケ月となるオリジナルアルバム「Livinng」から、candy(映画60歳のラブレター主題歌)より家族写真まで歌い続けでした。 初めて聞く曲が多かったのか、会場の盛り上がりも乏しく、森山良子も2部で歌いますからと言いながら、新曲を歌いついでいきました。 二部に入ると今までの数々のヒット(と言っても初めて聞く)曲を歌い続け、会場の雰囲気も一気に盛り上がり、フィナーレに向かって客席と舞台が一体化し、アンコールの拍手も鳴り止まず、9時15分までファン(特に全席のふたり)たちの感動に包まれました。 生駒に着いたのはもう10時前でしたが、久しぶりに娘と遅い夕食をレストランでいただき、遅い帰宅になり、熟睡でいつものように5時起床、雨の朝ですが、天国の一日です! コンサートに行って気づいたことは、 まず舞台と客席の一体感でした。二部からの盛り上がり、フィナーレは大きなホールが一つになっているようでした。 それは毎週の教会の礼拝でも同じだと思います。みんなが一つになり歌い賛美し、祈り聖書のことばに耳を傾ける時、天国の感動に包まれる礼拝となります。 もう一つは逆に客観的に冷めた気持ちで参加すると、席に座っているだけで周りが気になったり、空席に目が行ったりします。初めてのコンサートだったのに、観察者になっている自分に気づかされました。 教会の集まりでも、一般のセミナーでも観察者になると欠点が目につき、評論家になってしまい、楽しみも喜びも消えてしますので気をつけたいものです。 さらに高齢者の元気な姿に感動しました。臨席の婦人と少し離しました。豊中市から来たとのこと。生駒市からですと言うと、生駒ってどこですか?と聞かれ戸惑ってしまいました。帰りに娘に聞くと大阪でも生駒を知らない人は普通だと笑っていました。奈良ですと答え、あの山の麓と言うとあの山は何と言う山ですかとまた聞かれることも・・・・。六甲山は有名ですが。 コンサートにはできるだけ多く参加して、元気をもらうとニコニコしながら話してくれました。 天国に最も近い高齢者の方々に、イエス・キリストの愛の知らせ、十字架の救いをもっともっと伝えたいと祈らされた夜でした。 ちなみに、ラジオ放送希望の声は早い時間ですが、毎回8万人ほどの聴取者があるそうです。 インターネット礼拝を見てくださる方は、いまのところ一日150~200くらいのアクセスです。 ブログは、毎日300近くの方が開いてくださいます。ありがとうございます。お祈りの応援にも感謝します。 テレフォン・メッセージは、毎日30通話くらいあります。 そのほかにもメールやお手紙・ハガキ、イエス・キリストの愛を求めている方々との出会いが毎日のようにあり、祝福を祈り続けています。詩篇 92:7 悪者どもが青草のようにもえいでようと、 不法を行う者どもがみな栄えようと、 それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。 92:8 しかし【主】よ。 あなたはとこしえに、いと高き所におられます。 92:9 おお、【主】よ。今、あなたの敵が、 今、あなたの敵が滅びます。 不法を行う者どもがみな、散らされるのです。 92:10 しかし、あなたは私の角を 野牛の角のように高く上げ、 私に新しい油をそそがれました。 92:11 私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、 私の耳は 私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。 92:12 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、 レバノンの杉のように育ちます。 92:13 彼らは、【主】の家に植えられ、 私たちの神の大庭で栄えます。 92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、 みずみずしく、おい茂っていましょう。 92:15 こうして彼らは、【主】の正しいことを告げましょう。 主は、わが岩。主には不正がありません。
2009/11/17
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生駒聖書学院は月曜日朝のチャペルからスタートします。 日曜日は、午前中の礼拝を終えると、大阪エリムの礼拝へ、夕方5時30分からは堺エリムでの礼拝と続きます。 アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の礼拝でした!感謝します。ハレルヤ!と熟睡です。 朝はまた復活の新しいエネルギーと、聖霊の喜びの中で元気に目覚め、今日もまた天国の一日です!ハレルヤとスタートするのが習慣になっています。 午前8時30分よりチャペル(火曜~金曜は5時30分~7時)、オリエンテーションです。それから昼まで人間学と説教学を講じる毎週です。 今日は近くで福音主義神学会セミナーが開かれ、神学生全員の参加を要請されましたが、今学期は月曜祭日(23日は健康セミナー)が多く、授業スケジュールが詰まっているので失礼しました。 夕方は仕事帰りの娘と、NHKホールでの森山良子コンサートに参加します。歌手のコンサートに参加するのは初めてです。 森山良子には、愛唱讃美歌名曲選(CDカセット五巻)があり、昔から讃美歌を大好きで聞いています。ラジオ放送希望の声でも局が使ってくれています。 彼女のほかの歌は、さとうきび畑と涙そうそうの二曲しか聞いたことがありません。 今夜はコンサートを楽しみたいと思っています。 夢は天国でコンサートを開くことです。数え切れないほどの天使と、天国に召された全世界のクリスチャンの前で、歌えない、踊れない、無口だった者がステージに立っています。 イエス・キリストに出会い、新しい人生に生まれ変わった喜びを響かせるその時まで、アーメンと言えば救われますと、イエス・キリストの十字架の救いを伝え続けたいと今朝も祈っています。 さあ今日も天国の一日のスタートです。これからチャペルの礼拝へ。インターネット礼拝もぜひ、生駒聖書学院で検索アクセスお願いします。祝福を祈ります。黙示録 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2009/11/16
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人生は不条理です。突然、何が起こるか分からないのがこの世の常です。 インターネットを開けば、その日の悲惨な出来事が目に飛び込んできます。毎日のように考えられないとも言えるような事件や、災害が報じられています。 人生の真夜中を経験している方もいると思います。そのような真夜中を経験中の方からメールや手紙、電話などを受けるたびに、平安と守りを祈り手紙を書いたりメールを送っています。 朝の来ない夜はないとよく言われます。時間的名ミッドナイトだけでなく、精神的,霊的な真夜中があります。人為的方法ではどうしようもないようなことに直面するときに、真の愛である天の神に祈れることは幸いです。 パウロとシラスは伝道旅行で当時のヨーロッパ最大の殖民都市ピリピに行きました。婦人たちが集まる祈り場で、イエス・キリストの福音を語りました。 紫布(最高級服地)の商人ルデアに出会い、彼女はイエス・キリストを信じ、大きな力になりました。 同じ頃、もう一人の占いの霊に憑かれた女から、悪霊を追い出して正常に戻してやりました。彼女を操ってお金を稼いでいた、町の有力者たちは立腹し、パウロとシラスを捕らえました。 裸にされムチで叩かれ、食事も与えられず、しかも鎖でつながれて、牢獄の一番奥に放り込まれてしまったのです。 ふたりは不平不満もグチも言わずに、真夜中頃視すかに歌い、祈りはじめました。すると、突然牢獄の土台が揺れ動き、鎖は吹っ飛んでしまいました。 そして、牢番自害を免れ、家族全員が救われその夜にバプテスマを受けクリスチャンになりました。 真夜中には目的があります。 一つは、祈りと賛美の力を体験できる貴重なときなのです。祈りの答えは突然にくるので、いつもイエス・キリストのお名前でアーメンと祈ったらら、ありがとうございます。朝が来ました。感謝します」はっきり夜明けが来たことの先取り宣伝をしてください。 もう一つは、牢屋番の救いと家族の救いのために必要でした。クリスチャンとして真夜中を経験しているなら、そこには大きな意味があります。人々が救われるためです。 最後に、真夜中があるのは朝明けの喜びを多くの方々もともに喜ぶことです。自分だけ特別と思わず、イエス・キリストの@十字架と復活により救われた祝福の道を、今日も前進する幸いを感謝したいものです。使徒の働き 16:19 彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。 16:20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、 16:21 ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」 16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、 16:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。 16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。 16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。 16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。 16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。 16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。 16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。 16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。 16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。 16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。 16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。 16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
2009/11/15
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昨夜は韓国牧師接待で中華料理店へ。今朝早やく帰国なので駅まで送り、来年の再会を約してありがとう!さようなら。カムサハムニダ! 昨夕は、森祐理さんが写真撮影のため突然来訪。久しぶりに美しい笑顔に接し、祝福を祈りました。撮影スタッフが6名も同行。やはりスター?はすごいなと感心。 今日は午後から一ヶ月振りに歯科医へ。仮歯をやっと入れてもらえるので感謝。まだ柔らかい物しか食べられず、接待は息子に任せていたが、韓国牧師を今学期一度も接待できずだったので、昨夜はゆっくりかみ締めながらの中華料理でした。 来週、11月19日にも同じことを書くと思いますが、左脳内出血でいやされた恵みを書いてみました。 東京での「元気の出る聖会」を終わり、ホテルで突然身体が不自由になり、救急車で病院へ。集中治療室で左脳内出血と診断され、緊急入院になりました。 「わたしは主であって、あなたをいやすものである」(出エジプト記15:26)のみことばを思い、主よ。助けてくださいと祈りつつ、医者の手当てを受けました。 イエス・キリストの奇跡の大半は病のいやしであり、最後の約束に、「病人に手をおけば病人はいやされます」(マルコ16:17)とあり、いつもそのようにして祈ります。 数年前になりますが、ある地域にトラクト配布を終えた翌日、高齢の男性が訪ねて来ました。 イエス・キリストの十字架の福音を語り、「アーメン。信じます」とともに祈りました。彼はアーメンと同時に私の手を握ると、自分の胸の上に置きました。 「私は医者です。心筋梗塞で死を宣告されています。直るようにお祈りしてください」と、自分の手も添えました。 主よ。わたしは主であってあなたをいやす者ですとの約束を信じます。この兄弟は心筋梗塞です。「私たちの患いを身に引き受け、痛みや病を十字架に背負ってくださいました。その打たれた傷によって、私たちはいやされました。今、その十字架と復活の福音を兄弟は信じて救われました。どうぞこの身体にある心筋梗塞を、イエス・キリストのお名前によっていやしてください。 愛する兄弟。あなたのたましいがいつも恵まれているようにあなたがすべてのことに恵まれ、かつ健康であることを、イエス・キリストエのお名前によって宣言します。アーメン」 ふたりで声を合わせてアーメンと言った瞬間、「心筋梗塞は直った!」と、ふたりとも同時に感じ、「ありがとうございます。癒されました!感謝します。ハレルヤ」と告白しました。 病院で検査を受けた結果、心筋梗塞は直っており、直後にバプテスマを受け、若者は幻を老人は夢を見るとの聖書のことばに励まされて、70歳で家も新築したり、ボランティアで診療奉仕をしながら恵まれた日々を過ごし、毎週の礼拝を喜び守り、祝福に包まれて天に凱旋して行かれました。 そのほかにも手をおいて祈り癒された方々も多くあり、走馬灯のように思い出したりしながら、集中治療室で声にならない声で祈り続けました。 神のことばは生きていて力があり、いやしの約束は真実、イエス・キリストの十字架の打たれた傷は、精神や心をいたすだけでなく、身体の病をもいやす約束であることを、さらに確信しつつ、「わたしは主であってあなたをいやすものである」「その打たれた傷によっていやされました」と、告白するだけの祈りでした。 そのときから早いもので10年、主の恵みにより後遺症もなく、普通は右側に不自由を感ずるのだそうですが、右手で字も書くことができ、足はゆとりの一万歩で鍛えられ続けています。 左脳内出血でしたがことばにも不自由はなく、「酒も飲まず、タバコも吸わずに生きてきてよかったね」と、治療した医師のことばのように、若い日に救われた恵みにも感謝する毎日です。 イエス・キリストのお名前によって、いやしを祈ったりあるいは祈ってもらったら、「アーメン。ありがとうございます。健やかになりました。感謝します。ハレルヤ」と、病のことを考えないで生きていることにエネルギーを用いることです。 ことばにも態度にもすべてのことに感謝するとき、神の栄光は輝き続けることを信じ、霊肉ともに健康であることを祈ります。平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(テサロニケ人への手紙5:23-24)
2009/11/14
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15歳の時から聖書を読み始め53年になります。 毎日、聖書朗読の箇所を開きます。今週、心に留まった聖書のことばをランダムに並べてみると、神が何を望んでいるかが理解できるようです。7日(土) 世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残ることなく示された。ヨハネ13章1節 このことばは、イエス・キリストが十字架に架かられる前の夜、弟子たちと過ごされた最後の晩餐の席でのことです。 その愛を残ることなく示された。無限の愛を極限まで現されたイエス・キリストの姿が浮かび上がってきます。 親子や夫婦、会社や学校、共同体の中で愛が残ることなく示される時、そこには豊かな平安と喜びが生まれます。もっとも身近な者への愛を残ることなく注ぎだしてみましょう。8日(日) あたたがたの悲しみは喜びに変ります。ヨハネ16章20節 確かに悲しみが多い日常です。乳がんガンの疑いあり、あるいは転移しているかも知れないから検査入院が必要。警察で取調べを受けそうだ(何も悪いことはしていないが)。推薦入学ができないかも・・・・。」熱があり起きられえない。うつ状態がひどい。解雇された、強制送還かも知れない。日本にいたい、何とかしてとの相談まで来る。 しかし、イエス・キリストは悲しみは喜びに変ると約束されています。雨が降り始めました。ピンチ ピンチ チャンス チャンス ランランランと足取りも軽く歩き続ける喜びの人生に感謝!9日(月) それがあなたに何の関わりがありますか?あなたはわたしに従いなさい。(ヨハネ21:22) 人はどうでもよいと言うわけではないが、あまりにも周りのことを気にしすぎる現代です。自発的に自ら進んで、イエス・キリストを愛して進みたいものです。10日(火) しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。 使徒の働き1章8節 このことば通りの経験をしたことが、今日あるとおりの結果です。 思い出や今ある恵みをを書けばキリがありません。11日(水) あの人たちから手を引き、放っておきなさい。使徒の働き5:38 この世の中には、放っておいても差し支えないことが多すぎます。いちいち口を挟んだり、非難したりしなくて良いことのほうが多いのではないでしょうか。12日(木) すると彼の顔は、御使いの顔のように見えた。使徒の働き1章12節。 余り人の言葉や出来事に首を突っ込むと、天使の顔が曇ります。多くの場合気にしないで、神様にお委ねして考えないで、与えられた使命に燃えて輝きましょう。13日(金)今朝のみことば。 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。(使徒13:24)この聖書のことばどおりに、全世界、日本の国にイエス・キリストの愛と救いが広がるよう祈ります。
2009/11/13
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昨夜9時ごろ、11月20日出版予定の、「希望!輝きに向かって」の校正原稿を持ってきてくれました。 9月23日にコミック「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」を出版し、漫画トラクトですが、各教会やクリスチャンから3000冊ほどの注文が相次ぎ、すごく好評で、クリスチャン新聞福音版12月号には、コラムに佐藤綾子さんから、コミックが紹介しましたよとメールもありました。 1987年より、愛・輝きの中で、希望・輝きに向かって、信仰・輝きに生きる、喜び・輝きに包まれて、祝福・輝きのキーワード、輝き・可能性への挑戦(1&2)など、小冊子を相次いで出版しました。 献身50年を記念し、その中から22の珠玉?のメッセージをセレクトしたものです。 コミックもそうですが、今回の出版もまだクリスチャンでない社員の方がセレクトしてくれたメッセージです。 自分はこのメッセージだったらキリスト教がよく分かり、クリスチャンになってもいいなあと思うものを選んでもらいました。 11月20日に、180ページ 定価1200円(プラス税)でグッドワーク出版社発行(アマゾンでも購入可能)ですが、あとがきを紹介します。種子島は、鹿児島県では奄美大島、屋久島に次いで三番目、全国では十番目の面積を持つ島です。標高は最高点で282m、海側から見ると平らに見え、1936mの隣りの世界遺産の屋久島と比べると対照的です。その島の最頂点にある鴻之峰という田舎の中の田舎で生まれ育ちました。12歳の頃から屋久島の白雪を仰ぐたびに、雪よりも白い心になりたい願いを持つ、無口でものも言わず、歌も歌わず乱暴な遊びもしない少年時代でした。中学校は片道9キロもある東シナ海沿いにある星原中学へ、毎朝5時起床で休まず通学し、現在も朝5時起きで祈りの時間を過ごす恵みが続いています。小学校も中学校も一度も休まず通いましたが、先生と話したこともなく、無口のままで過ごし、田舎の方言も使わずで、そのことがラジオ牧師となった今は、大きな助けになっています。中学二年生のときの音楽の時間、発声練習がありピアノの前にたち、思い切って声を出すと、お前音痴だなという教師の大声。しかし、その教師は発声練習をやめて、ドボルザークの新世界交響曲を聞かせてくれました。東亮吉先生との出会いは、新しい世界へのスタートの一歩になり、さらい新しい出会いへと開かれていきました。種子島高校一年生のとき、アメリカ人のアルビン・ハモンド宣教師が、学校で英語クラスを開き、珍しさもあり参加しまし、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言う、イエス・キリストのことばをはじめて聞きました。 薪拾いに、芋俵や炭俵やそんな重い荷物を運ぶのが、田舎暮らしの日々でしたので、大きなアメリカ人が手伝ってくれる?と瞬間思いをかすめました。しかし、イエス・キリストが十字架の上に、人類のすべての重荷となっている罪や病、呪いや貧乏、数え切れない心配や気苦労、そして死に至るすべての苦しみを引き受けてくださったことを知るようになりました。 そしてすべての重荷を墓に葬り去り、まことの命であるお方だったので、三日目に復活し信じる者の心に訪れてくださることを信じました。その日にバプテスマ(洗礼)を受け、早いもので53年になりました。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10章13-15節) との聖書のことばにより神の召命を受け、50年前に種子島より生駒聖書学院へ導かれ、レオナード・W・クート師(イギリス人で生駒聖書学院創立者)の指導で牧師になり、現在はその後継者として、牧師養成の任を使命として働いております。 無口でものも言わず、歌も歌えず、何もできなかったものですが、ただイエス・キリストを心にお迎えし、聖書のことばに素直にアーメンと告白し続けているだけです。すべての重荷を十字架の元に日々下し、「今日もまた天国の一日です!」と朝ごとに、一日の終わりには心からの感謝をこめて、「今日もまた天国の一日でした!」と告白し続けています。 今回、このような形で発行できたのは、ひとえに里深太典紀氏とスタッフの皆様のご労苦の賜物であり、心からの感謝を申し上げます。 またいつも祈り続け応援してくださる教会員やスタッフの大きな愛に感謝します。 最後に、お読みくださったあなたの上に、人生のすべてを導き支え続けてくれた聖書のみことばを、ご紹介し、豊かな祝福をお祈りいたします。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」 (エレミヤ書29章11節)神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節)わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。(詩篇103篇1-5節)
2009/11/12
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歩く、歩く、歩く、今朝は4時ちょっと過ぎに目覚め、外はドシャ降り。今日もまた天国の一日です!と声を上げ、濡れてもいい服を身につけ、傘をさして歩き始めた。 途中コンビニにより、サンドイッチとカフェオレを買う。5時半からの朝の祈りちょうどに間いチャペルへ。雨の中を6,000歩。 歩くにはふさわしいウエアを選べとよく言われるが、いつも普通の格好(ネクタイをしあtままのときも)で歩く。 靴だけはウオーキング・シューズをいつも履いているので、ときどきTPOを心得るようきつくいわれることもあります。ホテル泊のときなど歩く靴を持って行くのも面倒だから、アフリカでもイスラエルでもいつも同じ靴です。正装が必要な時は別ですが・・・・。 万歩計は必需品で、ポケットに入れているだけで計数できる簡単なな物を愛用しています。日本中を表示する物や、歩くほど出世できる万歩計もあるとのことです。余り興味なく歩数を計数すればそれでOKと思っています。ときには日本中を歩けたらとも思いますが。 歩く前にストレッチと水分補給は大切ですが、余り気にしないで途中でペットボトルを買うこともあります。 太陽の光を受けながら心も明るく朝に歩くのは理想ですが、暗闇の中を歩く時もあります。暗闇はそれなりに楽しいものです。懐中電灯などもって歩いたことはありません。真っ暗闇の種子島での子供時代を懐かしむひとときです。 歩くと足の筋肉が鍛えられ、時には速歩や競歩スタイルで、上り坂を後ろ向きに歩いている方もあります。 歩く楽しみもまた格別です。 だから毎日歩く道を変えたり、歩いたことのない山や川沿いをたどったり、すばらしい自然環境が住まいの裏にあるので感謝しています。 疲れが残らない程度に、ゆとりの一万歩を続け、来週19日には左脳内出血で倒れ、ちょうど10年になります。多くの方々の祈りと神様の恵みのなかで元気で守られています。コリント人への第二の手紙 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。 「わたしは、恵みの時にあなたに答え、 救いの日にあなたを助けた。」 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、 6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、 6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
2009/11/11
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前日に目標は一日3,000歩アップと書きました。 昨日は朝から大阪エリム(浪速区恵美須西)より阿倍野区北畠まで、焼く8000歩近くを歩きました。 午後3時半までお話を聞きご馳走になったりでした。朝日放送スタジオ出の録音へ、JR環状線福島駅を降りたら雨が降り始め、タクシーで午後4時に滑り込みセーフでした。 万歩計は14000歩を表示しており、文字通り3000歩アップでしたが、ゆとりの一万歩を維持し続けています。 外出の機会を増やし、郵便局や銀行へ行くときもできるだけ歩くようにしいます。どうしても自動車を使うときは、駐車場を少し通り所にすると、良く空いていたり安価だたり、一石三鳥くらいになります。 大阪では時おりですが、御堂筋線我孫子駅から長居公園駅の一駅、天王寺駅~動物園前駅を歩くこともあります。 どうしても書斎を離れられないときは、外へ出て少しずつ歩き回ります。一回で15分ほどでも歩くと、運動効果があると言われています。頭の切り替えにもなり脳も活性化し、書斎での仕事もはかどります。 少しゆとりがあると、生駒山麓公園に車を止めて、大阪の夕日を見ながら散策したり、地道だけをゆっくり瞑想しながら暗くなる歩きます。
2009/11/11
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昨日、薬局を訪ねたら、秋におすすめ散歩健康法掲載のミニコミ誌をいただいた。以下のように書かれていました。 運動不足と感じたら、まずは歩いてみませんか。 良く歩くことは健康への近道です。歩くことは、ウォーキングという有酸素運動、脂肪燃焼や、脳の活性化など、様々な効果が期待できます。心身の不調を改善 新陳代謝が活発になり、血行がよくなるので、血行不良から来る肩こりや冷え症などの改善効果が期待できます。 リラックス効果もあり、快眠につながります。メタボ対策に ウォーキングは全身の脂肪を燃焼させます。 特にメタボリックシンドロームなど生活習慣病の原因となる内臓脂肪を効率よく燃やすことができるので、病気予防に最適です。糖尿病予防に 歩くことでインスリンの働きが高まり、ブドウ糖が消費されやすくなるので、血糖値が低下するといわれます。 早く歩く人ほど糖尿病の発生リスクが低いという報告もあります。 高血圧予防に 歩くことで血管が刺激され、柔らかくなります。歩くことを習慣にすうrと、血流の循環がよくなり、血圧の低下が期待されます。骨粗鬆症予防に 歩くことで筋肉や骨が刺激されるため、骨が丈夫になります。 骨は年齢とともに弱くなり、骨折しやすくなる傾向がありますが、」良く歩くことはその予防対策にもなります。 健康は気になるけれど、運動が苦手。忙しくて時間がないなど、歩かない理由はたくさんありますが、とりあえず目標は、10,000歩だけれども、一日3000歩アップからスタートし、歩く機会を増やしてみようという勧めが具体的に書かれていました。 今日から実行してみたいものですね。イザヤ書38:16 主よ。これらによって、人は生きるのです。 私の息のいのちも、 すべてこれらに従っています。 どうか、私を健やかにし、 私を生かしてください。38:17 ああ、私の苦しんだ苦しみは 平安のためでした。 あなたは、滅びの穴から、 私のたましいを引き戻されました。 あなたは私のすべての罪を、 あなたのうしろに投げやられました。38:18 よみはあなたをほめたたえず、 死はあなたを賛美せず、 穴に下る者たちは、 あなたのまことを待ち望みません。38:19 生きている者、ただ生きている者だけが 今日の私のように、 あなたをほめたたえるのです。 父は子らにあなたのまことについて知らせます。38:20 【主】は、私を救ってくださる。 私たちの生きている日々の間、 【主】の宮で琴をかなでよう。
2009/11/10
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聖歌521番を賛美しつつ、今日もまた天国の一日です!キリストにはかえられません世の宝もまた富もこのおかたがわたしにかわって死んだゆえです世の楽しみよ去れ世の誉れよ行けキリストにはかえられません世のなにものもキリストにはかえられません 有名な人になることも人のほめる言葉もこの心をひきません世の楽しみよ去れ世の誉れよ行けキリストにはかえられません世のなにものもキリストにはかえられません いかに美しいものもこのおかたで心の満たされてある今は世の楽しみよ去れ世の誉れよ行けキリストにはかえられません世のなにものも ヨハネの福音書 21:1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。 21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。 21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。 21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」 21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。 21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。 21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。 21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。 21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」 21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。 21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。 21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。 21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」 21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 21:18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」 21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」 21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。 21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」 21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
2009/11/09
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イエス・キリストの選びの中で生きる喜びを実感しつつ、今日もまた天国の一日です!と、爽やかな朝です。 こどもが幼い(今は孫)といっしょに良く散歩します。手をしっかりつかんでいますが、先日も家の前の坂道を孫が手を離して駆け下り、危ないと叫んだ時は、ゴツンと知面にぶつかり、大声で泣き出しました。頭には大きなコブまでできていました。手を離すからだよと言って祈りました。 イエス・キリストを信じて生きるけれども、自分だけで頑張っていると躓いたり、離れたりの信仰になり、文句や不平不満に支配されてしまいます。 パパ(じぃ)が手をしっかりつかんでいたら、倒れそうになっても躓いても、決して倒れてゴッツンすることはありません。神の選びとはそのようなものです。選ばれている!愛の手にしっかり支えられているから大丈夫です。 もっとすばらしいのは、つかまれているだけでなく、手をしっかり自分からも握り、手をつないで歩く姿です。昨夜も暗くなりかけた庭を5歳の孫と手をつないで、2歳の孫は抱っこして歩きました。 薄闇の庭でしたが、じぃといっしょだから大丈夫と、手をつないだ孫が可愛い声で、抱っこされている孫に語り掛けました。孫たちはキャッキャッと笑いながら、さらい楽しい場所へと急ぎました。 今月24日は種子島で、アーメン信じますと洗礼を受けて満53年になります。そのことを感謝し、新しい本も出版進行中です。すべてのことに感謝しつつ歩み続けて来れたのは、神の選びの中に守られ続けたからです。聖書の約束は真実であることをさらに確信する日々です。ヨハネの福音書 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。選ばれた喜びの中に生きるとき、心から喜び楽しみ、表情、笑顔、体型までも輝いていきます。神の愛の中に選ばれてことを、心から感謝し、ありがとうをたくさん告白しましょう。天地創造の前に選ばれた幸い!エペソ人への手紙1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。LB1:4 神様は、この世界をお造りになる前から、私たちを、ご自分のものとして選んでくださいました。 それは、キリスト様が私たちのためにしてくださることに、基づいています。 そして、神様は私たちを、ご自分の目から見て、何一つ欠点のない、きよい者にしようとお定めになりました。 神様の前に立つ私たちは、その愛に包まれているのです。 母の胎内に形造られる前に、すでにもう選ばれているのですから、生まれてきたことが神の選びの証拠なのです。エレミヤ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」 具体的にはイエス・キリストの十字架の選び=選ばれた者たちを罪の縄目から解き放ち救うために、イエス・キリストは十字架上で死なれ、墓に葬られ、三日目に復活し、今も生きて働き助けてくださるのです。LB15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。 わたしが、あなたがたを選んだのです。 あなたがを任命しました。第一テモテ1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。第一コリント1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 イエス・キリストによる任命は、人々の目には不思議に見えますが、目的のある選びと任命なのです。 選ばれたのは豊かな品性の実を結ぶためです。ガラテヤ 5:22-23 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 また実生活中に実りを与えられ、成功と繁栄の道を歩み神の栄光を輝かせることもできるのです。詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 そいて、イエス・キリストに救われたことを証します。そのようにしてキリスト教は全世界に広がり、これからも広がり続けて行くでしょう。アパルームに集う120名を目標に!コロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。 そのような力は自分にはないと嘆く前に、イエス・キリストその原動力の源、祈りの約束を与えて下さいました。また聖霊による満たしと力も与えられます。ヨハネ16:15また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。ヨハネ16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。使徒の働き1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 今日もまた天国の一日です!ありがとうございます。イエス・キリストに選ばれたことを感謝します。今日もまた天国の一日でした!感謝します。神の栄光に輝き、聖霊に満たされて前進です。ハレルヤ。
2009/11/08
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ご飯を食べる前に、ありがとうと感謝の祈りでいただきますを、クリスチャンは習慣としています。 でも熱心さの余り、食前の祈りを長く祈ると、スープが冷めてしまったり、外のレストランでも大声で祈る方といっしょだったら、少し恥ずかしい気もしたりです。 私たちには、「いただきます」と言う美しい食前のことばがあり、「あなたの命をいただきます」という意味であり、すべての命への感謝のことばです。 食後のごちそうさまには、食事を準備してくれた人、一人で食事をする時でも、食材を育ててくれた農家や牧畜業や漁師の方々、それを運んでくれた運送業者、食事が口に入るまでには多くの走り回ってくれた人々への感謝が含まれています。 そして、何よりもすべての生きとし生ける物に、水や空気、太陽の輝きや雨や風など、豊かな自然の恵みを与えて下さった、全知全能の創造者である神様に、ご馳走様でしたという前に、感謝のお祈りできるのは大きな恵みで幸いです。 食前の祈りは長いと困りますが、いただきますだけでは神様に料理してくれた人にも申し訳ないと思います。 目の前に用意された食事をしっかり見つめ、祈りは短くても心をこめて、主の祈りのように30秒くらいは感謝し、美しいことばで祈って美味しく食べたいものです。 心から感謝して祈りをささげるなら、まずいとか美味しくないとか、不平不満のことばではなく、美味しいですねと食卓の会話も弾みます。気持ちよく感謝していただくので、胃の消化にもよく、健康的に栄養になるようにいただくことができます。 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」(マタイ6:22)の祈りは、食事の度に真実の祈りとなります。 それだけでなく食事を取ることもできない人々にも、食事が行き渡りますようにとの祈りも、食事の度ごとに自然に祈れるようになります。 ただガツガツと自分の食欲を満たすためだけでなく、ほんの少し食前の感謝に時間を使うだけで、心豊かな食卓に変るのです。 そのような食事の祈りで始まるとき、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)を体験でき、食事の度に生かされていることを実感し、感謝に満たされた一日中となります。 食事のたびに、ありがとうございますと神様にすべてを感謝する、貴重な時間が与えられているのです。 食事をお腹に満たす前に、少しだけでもゆとりをもって、30秒と時計を見なくても、感謝の祈りをささげて見ましょう。 さっそく心こめて食前の感謝をささげ、今日もまた天国の一日を生きる恵みに感謝したいものです。 食後には、もちろん「ありがとうございます。美味しかった。ご馳走様!感謝します。感謝します」思い切って口に出して感謝する時、次の食卓はもっとすばらしくなること請け合いです。 「あなたがたの神、【主】に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう」(出エジプト記23:25)
2009/11/07
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昨夜は、今日から始まる創造論セミナー前夜晩餐会に招かれての参加でした。 名刺がなくなったので、コミックを50冊名刺代わりに用意して出かけた。受付けでちょうど参加者も50名とのことで、お土産袋に50冊入れてもらった。 名刺をいただく度に、申し訳ありません。あとで漫画を見て下さいと挨拶したので、変な人と思われたかも知れません。 今日からのセミナー講師は、イ・ジェイン氏で、韓国江原大学地質学課程修了。アメリカのミシガン州立大学に留学中、創造科学の出会いました。 アメリカ創造科学修士課程を修了し、グランドピッツ神学大学院旧約学修士課程も修了している学者です。 現在は、創造科学宣教会副会長として、創造科学を通して福音を宣べ伝えています。 1999年より行なわれているグランドキャニオン創造科学探査旅行は100回を越え、来年9月20日~27日に、日本からの探査旅行を計画している。 本日、午前10時30分より創造論セミナーが、コロナホテル(新大阪駅 東口北側より徒歩200m 06-6323-3151)を会場に開催されています。参加費1,500円です。 午後2:00-4:15 地質学とノアの洪水 午後6:00-8:30 ノアの箱舟と人類 晩餐会参加のプレゼントに、イ・ジェマン著 創世記1章を信じる「創造科学コンサート」と、平和と喜びのある国(韓仲源著)、歌えない、踊れない、無口の牧師物語のコミックが入っており、ホテルのフロント係りの方に、駐車場の無料印を押してもらうときに、漫画ですと渡すとニッコリ笑って受取ってくれました。 また、昨日の午後は神学生8名の協力で、聖書学院周辺に1,200冊のポスティンングもでき喜んでいます。 11月24日の受洗53年記念に向けて、新刊の出版準備が進行中です。アマゾンでも購入できるようになるそうです。お祈りください。創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。1:2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 1:3 神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。1:4 神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。ヘブル人への手紙11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
2009/11/06
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昨日から7日(土)まで、早瀬さと子展が奈良県庁隣りの興福寺旧世尊院客殿(国際奈良学セミナーハウス)で開かれています。 10時より21時まで(最終日20時閉演)入場無料です。駐車場は近くに県営駐車場有。 昨日、久しぶりに奈良へ出かけ、大勢の人の波を歩いてセミナーハウスへ。 早瀬さと子さんを紹介します。 略歴 ’86年4月11日、東京都出身’95年9歳、詩を書き始める’02年15歳、育英西中学校在学中に処女作「虹色の夢」文芸社刊 同年16歳12月、「kokoro 心 こころ」同社刊’04年18歳10月、最初の個展開催 以来、毎年春秋に個展を開催 各個展発表作品は、各回冊子として刊行県立奈良高校卒業後、通信制大学法学専攻中の詩人です。 今回の詩展のテーマ 束縛された この世の中で 自由になりたい 「 静 」 何も言わずに生きろ 寡黙に ひたむきに 生きろ その戯言は ただの言い訳だ 何も言わずにいきろ 生きろ 早瀬さと子 彼女は、「繊維筋痛症」で、先週の報道ステーションでも紹介されました。 線維筋痛症とは、全身的慢性疼痛疾患であり、全身に激しい痛みが起こる病気です。 全身や広範囲が痛み、またある部分だけが痛むことがあり、その痛みは軽度のものから激痛まであり、耐え難い痛みであることが多いです。痛みの部位が移動したり、天候によって痛みの強さが変わったりすることもあり、昨日の奈良の寒さの中、会場は暖房不可でもあり、開場から閉会まで、待機する彼女にとっては厳しい状況です。 痛みが強いと日常生活に支障をきたすことが多く、重症化すると、軽微の刺激(爪や髪への刺激、温度・湿度の変化、音など)で激痛がはしり、自力での生活は困難になります。随伴症状として、こわばり感、倦怠感、疲労感、睡眠障害、抑うつ、自律神経失調、頭痛、過敏性腸炎、微熱、ドライアイ、記憶障害、集中力欠如、レストレスレッグス症候群などが伴う事もあります。 痛みによって不眠となりストレスが溜まり、それがまた痛みを増強させ、彼女が激痛で眠れない夜を過ごす姿も放映されていました。 そのような厳しい現実の中で、自由を詩う彼女の作品と向き合ってみてください。 ブログ Satoko's Page http://blog.livedoor.jp/satoko_page/イザヤ書53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、 おのおの、自分かってな道に向かって行った。 しかし、【主】は、私たちのすべての咎を 彼に負わせた。 53:7 彼は痛めつけられた。 彼は苦しんだが、口を開かない。 ほふり場に引かれて行く羊のように、 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。 53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。 彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。 彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、 生ける者の地から絶たれたことを。 53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、 彼は富む者とともに葬られた。 彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。 53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは 【主】のみこころであった。 もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、 彼は末長く、子孫を見ることができ、 【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。 53:11 彼は、自分のいのちの 激しい苦しみのあとを見て、満足する。 わたしの正しいしもべは、 その知識によって多くの人を義とし、 彼らの咎を彼がになう。 53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、 彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。 彼が自分のいのちを死に明け渡し、 そむいた人たちとともに数えられたからである。 彼は多くの人の罪を負い、 そむいた人たちのためにとりなしをする。
2009/11/05
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目覚めたら午前4時30分。昨日の朝より霜がないだけだが寒い。アラームがなる前にボタンを押したら、本田路津子さんの美しい声で、讃美歌510番が流れている朝です。 この讃美歌は、8才のとき義母が口ずさんでおり、何て寂しい歌を歌っているのだろうか?と思ったことを覚えています。 大阪で働く自分の息子(牧師にと献げ、一仰と命名した長男だが、堕落してしまった)を思い祈る心境だったことを、クリスチャンになって知りました。 その歌で祈り歌った願いは聞かれて、兄一仰は、義母が召される前に救われ、献身の決意を胸にし、キリスト教の式で天へ送りました。その義母を思い出しつつ、讃美歌510番、まぼろしの影を追いてを紹介します。まぼろしの影を追いてうき世にさまよいうつろう花にさそわれゆく汝が身のはかなさ春は軒の雨、秋は庭の露母はなみだ 乾くまなく祈ると知らずや おさなくて罪を知らずむねにまくらしてむずがりては手にゆられしむかしわすれしか春は軒の雨、秋は庭の露母はなみだ 乾くまなく祈ると知らずや 汝が母のたのむかみのみもとにはこずや小鳥の巣に帰るごとくこころやすらかに春は軒の雨、秋は庭の露母はなみだ 乾くまなく祈ると知らずや 汝がためにいのる母のいつまで世にあらんとわに悔ゆる日のこぬまにとく神に帰れ春は軒の雨、秋は庭の露母はなみだ 乾くまなく祈ると知らずや 「まぼろしの影を追いて」 ルカの福音書 15:11 またこう話された。 「ある人に息子がふたりあった。 15:12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 15:21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』 そして彼らは祝宴を始めた。 15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。 15:26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 15:27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』 15:31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
2009/11/05
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月曜日が久しぶりに休みだったので、いつもは娘とふたりだが、一人で昼間に出かけ、いま人気の沈まぬ太陽を鑑賞。 山崎豊子の社会派小説をほとんど読んでいるが、沈まぬ太陽はアフリカのケニアも描かれているので、興味深く読みました。 映画は午後2時50分に始まり、10分の休憩を含めて午後6時30分終了とかなり長かったが、御巣鷹山の事故模様がかなり詳しく、ドキュメンタリータッチで描かれ、その後の人間模様も現実にありそうなタッチで見ごたえがあった。 この映画は、JALの御巣鷹山墜落事故を中心に展開する物語だけに、小説発行から話題になっており、映画になってからも日本航空からの批判が渦巻いていると言う話題作だ。 俳優渡辺謙(50)が、主演映画「沈まぬ太陽」(若松節朗監督)の初日舞台あいさつで号泣した。24日、東京・日比谷のTOHOシネマズスカラ座で鑑賞後に登壇、公開までの苦労が一気にこみ上げた。同作の原作は山崎豊子氏の、日本航空(JAL)をモデルにしたベストセラー小説。実在企業や実際に起こった墜落事故を描いていることもあり、映像化は不可能と言われてきた。同作は403スクリーンで公開され、300万人動員を見込んでいる。 日米で活動する渡辺は次回作の撮影に入っており、この日まで完成作を見られなかった。舞台あいさつ前に急きょ客席で鑑賞、感激が冷めないまま舞台に上がった。三浦友和によると「(舞台)袖に来た時から泣きっぱなしだった」という。最初は目が潤んでいる程度だったが、満場の拍手で一気に気持ちが爆発した。 「自分の映画に感動して泣いているわけじゃないんです。どれだけ大変な思いをして作ったか、ちょっとだけご理解いただければ。僕たちだけじゃなく、たくさんのプロデューサーが、やりたいと思ってきました。熱い思いを忘れることがないよう、(墜落事故で亡くなった)520人の方々、ご遺族の気持ちも絶対忘れないように…。そういう気持ちで作りました」。途中、言葉にならないほどおえつし、何度もハンカチで涙をぬぐった。 これまで多くの映画化案が立ち上がり消えた。00年には大映の故徳間康快(やすよし)社長が発表したが、8カ月後に死去、白紙になった。何度も企画が頓挫したのは、映像化が難しい題材であることが挙げられる。作品に登場する国民航空(NAL)はJALがモデル。85年8月12日の日航機墜落事故も、描かなくてはならない重要なモチーフだが、遺族への配慮などデリケートな問題もあった。渡辺は「最後まで撮影できるんだろうかという状況だった」と明かした。 だが、壁ばかりではなかった。休憩中に流れる「祈り『永遠の記憶』」は、生まれる1カ月前に同事故で父を亡くしたバイオリニスト、ダイアナ湯川が演奏している。湯川は同曲を演奏し観客や渡辺、三浦、松雪泰子、鈴木京香、石坂浩二が温かい拍手を送った。誰もいない場所に当たっていたスポットライトは、亡くなった父を照らすライトだった。演出も渡辺のアイデアだという。 映画人、1人の人間として、作品に込める思いは強い。この日の涙は、困難を乗り越えた離陸を祝福する涙だった。(この項ニュースより) 日本航空社内報での反論もニュースにありました。 経営再建中の日本航空が、同社をモデルにした公開中の映画「沈まぬ太陽」(山崎豊子原作、若松節朗監督)を社内報で取り上げ、「当社を取り巻く厳しい経営状況は世間の注目を浴びている」との認識を示した上で、「企業として信頼を損なうばかりか、お客様離れを誘発しかねない」と批判していることが2日、分かった。混迷する再建をめぐる社内の危機感が浮き彫りになった形だ。 社内報は映画公開直前の10月21日付。「心をひとつに立ち向かおう 風評・批判に惑わず」と大見出しが躍る。 映画で描かれている社内の報復人事や役員の不正経理、政治家・旧運輸省幹部らへの利益供与や贈賄について「こんな不正があるわけがない」と一刀両断。「国民航空」の名称やジャンボ機墜落事故の克明な描写から「『フィクション』と断っているが、日航や役員・社員を連想させ、日航と個人のイメージを傷つける」と反発している。 また、事故をめぐって「作り話を加えて映像化し、商業的利益を得ようとする行為は遺族への配慮に欠ける」と非難。さらに「しかるべき措置を講じることも検討している」と法的手段も辞さない姿勢を見せている。 何よりも空の事故がなくなり、安全な航空運行がなされることが心からの願いです。日本航空であれ全日空であれ、すべての飛行機が安全に無事に目的地まで旅客を運んでくれることです。 アフリカの大地を真っ赤に染める太陽を、毎年ケニアのサバンナで眺めます。来年もまた画面よりも美しいアフリカの沈まぬ太陽に思いを馳せ、これからも利用する日本航空の再建と安全を祈りつつ、劇場から家路に着きました。 数年間、一冊のノートを常に持参し、飛行機に乗る度に機長にサインをお願いしたら、気持ちよくどの飛行機でもサインしてくれた時期があります。 すぐに機長だけでなく、乗務員全員がサインをしてくれるようになり、海外へ行くときも外国の機長や乗務員でもサインをしてくれました。(エア・・フランスだけは断られました。忙しいからそんな暇はない!とかなりきつく言われたことを思い出します) 最初のページに、安全に空の旅ができることに感謝し、みなさまの健康と平安の守りをいのりますと、記した上質のノートでした。 イザヤ書40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2009/11/04
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今朝、パソコンのメールを開くと、洗礼を受けたいとの嬉しい希望が入っていました。 今月24日が種子島の海岸で洗礼を受け53年になるので、自分のことのように嬉しく、早速洗礼について返信しました。 洗礼は、イエス・キリストの遺言です。 マルコの福音書15章16節に、「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」とあります。 キリスト教の救いは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(死と6章31節)にあるように、何も条件はありません。 イエス・キリストが十字架上で、テテレスタイ(すべてが完了した)と宣言なさったとおり、罪も病ものろいも貧しさも、そして死と滅びの問題もすべてが赦され解決したことを、アーメン(真実)と信用するだけです。 そして、墓に葬られることによりすべてを処分し、3日目に死を打ち破り復活されました。 そのお方イエス・キリストを「アーメン信じます」と心にお迎えする時、いつまでも共にいて愛し、平安と守りの中に幸せに生きることができるのです。 洗礼はそのことを承認しましたというしるしになります。アーメンと信じることは、プロポーズにハイと答えることと同じようなものです。 そして結婚の約束が結婚式(入籍)によって現実になり、ふたりが一つのなるようい、イエス・キリストとともに生きるクリスチャン生活がスタートするのです。 今日も結婚式があります。その式は形だけのものではなく、ふたりが正式に入籍し内外ともに夫婦であることの表明なのです。 最初のキリスト教会の洗礼への教えは、使徒の働きに書かれています。 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。(使徒2:38-42) ローマ人への手紙6章には、その洗礼の深い意味が教えられています。 「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます」 洗礼を受けて神の子とされ53歳になろうとしています。ただアーメン信じますと、洗礼を受け神の子とされました。十字架のより罪が赦され、永遠の愛し共にいてくださる主イエス・キリストの大きな恵みに感謝しつつ毎日が、今日もまた天国の一日です!と朝を迎え、今日もまた天国の一日でした!で熟睡です。 聖書の約束は真実、本音でアーメンと言う時救われます。今日もこのすばらしい救いの知らせが、全世界に響き渡っています。生駒からも・・・・。ハレルヤ。ローマ人への手紙10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
2009/11/03
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昨日の朝の礼拝を終え、近くのポストへ行く途中降り出しはじめた雨は、大阪での礼拝、夕方の堺市での礼拝では大降りになりました。堺方面の阪神高速道路で事故があり、礼拝へ来る親子は渋滞で礼拝が終わっていしばらくして到着。 今日もまた天国の一日です!と、元気に目覚めて外を見るとスカッとした雲ひとつない空が広がっています。黎明が空を染めて輝き、すばらしい秋の朝です。 大好きな聖書のことばを口ずさみながら、新しい日のスタート!感謝!感謝です。 ニュースでは奇跡の生還(難破して90時間、狭い船底に閉じ込められた)三人の船員の話題が流れている。第一幸福丸(8人)で逃げ遅れて逆さになった3人は、逆さになった船底で飲まず食わずでしたが、4日目に海上保安庁に救助されたニュースです。良かったと奇跡の生還をともに喜ぶ朝です。哀歌 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。 主のあわれみは尽きないからだ。 3:23 それは朝ごとに新しい。 「あなたの真実は力強い。 3:24 【主】こそ、私の受ける分です」と 私のたましいは言う。 それゆえ、私は主を待ち望む。詩篇 5:1 私の言うことを耳に入れてください。【主】よ。 私のうめきを聞き取ってください。 5:2 私の叫びの声を心に留めてください。 私の王、私の神。 私はあなたに祈っています。 5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。 朝明けに、私はあなたのために備えをし、 見張りをいたします。 118:23 これは【主】のなさったことだ。 私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、【主】が設けられた日である。 この日を楽しみ喜ぼう。
2009/11/02
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神の国とは? 聖書は、唯一の生きている天地宇宙の創造者である真実の神は、今もなお全人類だけでなく万物、全宇宙を治め支配しているお方であることを宣言しています。 旧約聖書は、イスラエル民族を特別に選び、神の統治しておられることを全人類に知らせようとされたことを記録しています。 しかし、イスラエルは神の使命に応答しきれずに、罪に落ちてしまい、神の国を実現できなませんでした。それはちょうどアダムが堕落し、全地球を神の国(エデンの園のような)にできなかったことに比することができます。 イエス・キリストが来られ、そのメッセージは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」でした。 神の国とは神が統治し、支配される国と言う意味です。そして、イエス・キリストは神の国は、実にあなた方のただ中にあると宣言されました。 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:20-21) ただし、新約聖書の中にある二つのことば、一つはすでに、もう一つはまだという表現が重要です。 イエス・キリストがこの世界に来られ、33歳のときに十字架にすべての罪を背負い死なれ、3日目に復活し、聖霊が注がれたことにより、神の国はすでに実現しました。 クリスチャンはそのことにアーメンと応答し、神の国と神の義に従う人生に入りました。というより神の国は私たちの心に実現したのです。キリスト教会は神の国の実現された所なのです。 ふたりまたは三人がわたしの名によって集まる所にわたしはいるのです。イエス・キリストがおられる所、そこがすでえに神の国なのです。 神の国はあなたがたのただ中にあるとは、クリスチャンの集まるところに神の国が実現しているのです。 礼拝はまさに神の国の礼拝であり、クリスチャンの交わりが神の国の実現だと言っても過言ではありません。 神の国の特徴は愛です。高貴な愛です。ELIMはその象徴です。 神の国の特徴は赦しです。すべてを赦し裁き合わない平和な国です。 神の国の特徴は喜びです。800回の喜びと言うことばが聖書には書かれています。 神の国の特徴は感謝です。すべてのことに感謝することです。 神の国の特徴は豊かさと祝福された幸いです。 聖霊によって神の国が実現し、神の栄光が私たちの礼拝に、また現実の生活に輝いていることは何とすばらしいことでしょう。 神の国の救いが実現しました。主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。あなたの家庭も家族も神の国です。 健康が支えられます。その打たれた傷によって癒されたりです。 すべての呪いから解放されました。もはや呪われるべきものは一つもないのが神の国です。 神の国は豊かさの国です。愛の豊かさ、心の広がり、豊かな赦し、豊かな楽しさ、天国には一つの貧しさもありません。豊かさだけの広がりを喜びましょう。 もはや死はありません。生きることだけが天国の特徴です。 ですから、まだ肉体をもっているので、まだなのです。永遠に神の国に生きるためには、死が完全に滅ぼされ、イエス・キリストが復活されたように、栄化された身体が与えられる時、神の国が見える形でも現されるのです。 昨日は孫の満2歳の誕生日でした。周りからもうすぐ誕生日だね。ハッピーバースディ歌おうねと言われ、練習し楽しみに昨日を待ちました。でも孫の中では網すぐと言うセンテンスの理解がない?ので、そのことばを聞くだけでもう来ていると喜びを表現しました。ハッピーバースデーを歌えば手を叩いてニコニコ品なら喜び笑いました。もう気持ちの中には誕生日が来ていたのです。 でも実際はまだでした。バースデーケーキにろうそくをつけたときの顔の輝き、プレゼントを次から次へと開けていく楽しさ。小さい身体で持ちきれないほどですが、全部自分で持とうとする力持ちになりました。 その姿を見ながら、神の国は実にあなたがたのただ中にもうあるけれども、まだの再臨の日を待つ幸いをすごく感じました。 今日ももう天国の一日です。今日もまだ天国を待っています。両方とも嬉しい楽しい天国の喜びです。ハレルヤ!黙示録 22:16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」 22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。 22:21 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。
2009/11/01
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