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友人との話の中で何度もいいました。「自覚するっていうことは大事です。自覚できるということは救いへの第一歩。」 でも、追い込まれている人にとってこれほど難しいことはない。自分では感じられないから・・・この感じられないというのは、どういうことなのかしら?つまり、人間は自分の感覚を鈍感にさせてその追い込まれた状態で崩れることを防ごうとしているのではないかしら・・・かりに心が苦しくても心が苦しい~とはならず、体調に出てくる。こうやって、人間にとって生きるに最も大切な精神や心を身体は代替わりして守ってくれているのかもしれない。ならばなんと素晴らしいシステムなのかしら・・・それに自覚できないことを指し示してくれるすべ(術)と言ったら、周りにいて下さる方に伝えてもらうしかない。共にいて下さる誰かのことばと姿が、危機的な私を助けて下さることになる。そう、やっぱり!私は一人ぼっちで生き続けることはできないんだ!それを知ったら、私は誰かのそばで生き、誰かを支えようとしながら、なおかつ私自身も誰かに支えられて生きる以外に道はない。耳を傾けよう 共にいて下さる方のことば 見つめよう 共にいて下さる方の姿
2008.09.30
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今日も小さな子どもさんと一緒にお母さんたちが集まってくださいました。 卒園した幼稚園の今の様子を聞かせていただきました。入園したばかりの赤バッチさん(3才児)、同じクラスにいる自閉的傾向のある子どもと初めて出会って、ちょっとびっくりした様子。お母さんに言いました。「あの子悪い子?!」お母さんも突然の質問になんて答えたらいいのか分からなかったそうです。そうですね、迂闊なことを言って子供同士にいらぬ先入観を与えたくないですもの!!でも子どもたちはそれぞれに違っていると言うことを肌で知っていっているので、その子もその後何も言わなくなったそうです。すると他のお母さんがお話ししてくださいました。保育園いるときから、ずっと発達障害を持った友人と一緒だったんです。小学校も中学校も・・・ 好きだから私の髪の毛引っ張るし、はたから見たら迷惑を作り出しているように映るかもしれないようなことがあっても、私たちは皆よーくよーくその子のことは分かっているから、全然そんなことは気にも留めないで、おトイレの手伝いまで平気てしていたんです。一緒にいるって本当に大切なことですね~~ 教育の現場では一人ひとりの能力を育てなければ、ということで、発達やレベルに合わせての教育が主流になっています。各教科のレベルを上げるためにはそうした教育が効率的であるという考えからだと思います。(実はそうではないという論文もあるそうですよ)こうして違ったもの同士が、寄り添って生きるために必要な力を育てる教育は一体どこでしたらいいのでしょう?きのうのmidoriさんのコメント、けがをした次男からいただいた支え、お母さんや妹さんを支えようとるYMさんを支えるご主人と子どもたち・・・どの場面でも、共に生きるを支えてる清い心を見つけることができるような気がします。M園長先生は「自閉症のこどもも発達障害の子どもも、大きな子も小さな子も、外国籍の子どももみんな一緒に輪(和)を作ったらいいんです!」というようなことをおっしゃったとか・・・!!さすが私の尊敬する園長先生!!midoriさん 私は感謝も、尊敬も、信頼も、赦しも、みんな愛の変身形だと思っています。 でも確かに「ありがとう」という言葉は大きな力を持っていますね
2008.09.29
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昨日のコメントから Tetsuoさん曰く「<清い心>って自分自身の子ども時代の事を思い出す事(童心に戻る)では、ないでしょうか? ・・・」ということで自分の幼い子ども時代を思い出してみる。そこに見えるものは・・・信じて疑わない自分。誰かが「これが正しいの」と教えたことは私にとっても「正しいこと」。親は、自分のことを守ってくれる存在(叱られるのは嫌だけれど・・・)。そんな感覚を思い起こします。そこには確かに計算がない。損得勘定がない。これを清い心という悲しい時には悲しさを、嬉しい時は嬉しさを、不安な時は心配を、心地良い時は幸せをそのまま表すことができた。素直で純真な心、それを清い心と呼ぶ幼子のそのような心に触れれば、確かに私たちは清められるに違いない。それは美しいものに出会って心が洗われるように、壮大な自然に出会って、自分の小ささに気付いたり多くの恵みに満たされるのとかわらない。祈りによって、自分の心の中にある打算や欲望から解放されるように、そういうものを持たない幼子に触れることによって浄化される私たちの心。きちんとつながりましたね!Tetsuoさん ありがとう!!それを心に収めながらもう一度夫婦というものを考えてみよう。もし、純真や計算のない心で相手のことを見ることができれば、そこには何があるのでしょう。こんなふうでいてくれたらいいのに、どうしてこうなの?というものをすべて取り払ったら、そこには何があるのでしょう。想像するにそれは初めての自分の子どもAを抱いた時と同じものがあると思う。ずっと一緒にいたい。抱きしめたい。力になりたい。存在そのものが愛おしい。その時、私は自分のことなんてどうでもよかった!!そう心から思えた。
2008.09.28
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昨日は2時まで「ミニ真名」をしました。 大雨の影響で11時頃から始まり集まれた方も少なめの5人でしたが、実はこれぐらいの人数でお話しするのが一番、お話ししやすいですね。 それぞれにお話し下さることは、前もって予定しておられるわけでもないので、本当にその場でふっと頭に浮かんだことを語って下さるのだけれど、どのお話の中にも大切な何かがちりばめられているように思えます。毎回えらく頭も心も使います。心がいっぱいになってしまうこともたびたびです。昨日は夫婦のこともテーマに上がってきました。家族においてとても大切な関係であるにもかかわらず、なかなかそれを語ることは難しいですね。少なくとも私が本の中で、自分たちは娘にベストカップルと言われるぐらいだと表現したものだから、最近では「仲のいいのが羨ましい」などと声をかけられることも多いです。どうやって、仲良しを続けていけるのか?という質問にも出会います。でも、互いに自分たちのことを語り合ったりした記憶はまずないです。私はいつも子どもたちのことで手いっぱい、Toさんは仕事のことで手いっぱいでした。そんな中でも私が語りたいことには耳を傾けてくれ、意見を言ってくれていたし、私もToさんのことばを受け止め理解しようとしていたことは事実です。今こうやって改めて考えてみると、一つ共通の項目があったなぁと思います。それはToさんも私も一日の大半を命と向き合ってきたということです。今日、バレエに行くバスの中で「カルカッタ日記」の続きを読んでいました。そこには、ちょうど著者がマザーテレサから、「あなたは、神父になりなさい」と言われたけれど、修道院生活の体験にあずかることすら決心できない、迷っている著者が「マザーは迷いや不信心に陥ったことはないのですか?」と質問し、マザーがこう語られたという場面がありました。「不信心、それはだれにでも来ることです。でもその試練に向かって清い心で『はい』ということが大切です。識別していく上で大事なのは、何より清い心です。」じゃぁ、清い心はどうやってつくられるのか?と考えたとき、マザーは祈りしかない、とおっしゃいます。マザーに反論するつもりはないけれど、ミニ真名などでお母さんたちのことばを聴いていると、小さな子どもたちを前にしたお母さんの心は本当に純粋で美しいと思います。お母さんに限らず、小さな子どもたちが周りの者の心を清めてくれているような気がする。Toさんと私は全く別の場所ではあるけれど、多くの時間を子どもと共に過ごし、しかも深くかかわっているという自覚が、幸いにも根本的に信頼するという心を育てていてくれたのかもしれません。ふと、そんな気がしました。
2008.09.27
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朝はものすごく雨が降りました。ちょっと小降りになった隙間に学校まで自転車を走らせた二男も、雨合羽を付けていてもびしょびしょになり、おまけにブレーキが片方壊れてしまったとか!!「どんなけ怖かったか~~!!」と帰ってから白状しています。なんて危ない!!だから無理せず電車にし、って言っているのに。だからヘルメットかぶり~~て言っているのにね。「そんなもの、かぶって行っても置くとこさえあらへんのやで、お母さん!!」実は午後からの生徒さんもレッスン室に入ってくるなり「今車に轢かれそうになったんです」と言いました。彼女も高校生で自転車です。狭い見通しの悪い場所がいっぱいある上に駐車している車もあっちこっちまだあります。なかなか絶対安全なんて思える状況はないというのに、ここではみんなヘルメットを着けたがたらない。どうしてかな、原付やバイクだったらちゃんと着けるのにね!法律という強制力よりも自分で自分を守る、という考えは生まれないのかしら?ヘルメットをつけたら髪形がぐちゃぐちゃになるとか、夏は暑いとか、誰もしていないから格好悪いとか、単純に邪魔くさいとか、そんな意見は山のように聞こえてくるけれど、着けた方が絶対に安全ということを分かっているにもかかわらず、誰かから罰金取られるわけでもないし、とほったらかしにしている方がよっぽど格好悪く映るけどなぁ~~~もっとも、高校生だけじゃない。誰だって着けた方がいいよ、絶対に!!
2008.09.26
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先日、大ママちゃんの家に寄ったら、上の兄から面白い本が届いているよ、と一冊の本を手渡されました。カルカッタ日記 片柳弘史s.j.著 ドン・ボスコ社大学卒業のころ、ちょうどお父様を亡くされ、生きることに何を見い出したらいいのか分からなくなって、マザー・テレサの所に2年にわたって3回、通算1年余りをカルカッタで過ごされた。その時のご自分の日記が本になっています。ほんとにその時に書かれた手短な日記、何にもドラマチックに描かれてなんかいない。確かにマザーテレサの「死を待つ人の家」でボランティアをするという、特別な体験をしている時の日記ではあるけれども、そこでのありきたりな、変わらぬ毎日がそのまま書かれている。すばらしいな、と思う。毎日って素晴らしいんだということをこの本は伝えてくれる。本当にここかしこに、いいものがいっぱい。宝物がいっぱい人との出会い、姿、考え、様子、時の流れ・・・むさくるしい空間、暑さ、不便・・・何もかもが、何かを作り出しているそれを受け取る人がそこに一人、そしてその人はその人だけの人生を歩んでいく先週土曜日、著者は神父さんになられたそうです。そしてこの本の中にたびたび私の兄が登場します。偶然、同じ時にマザー・テレサの所に滞在していたからでした。
2008.09.25
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小学校の委員会があるので今朝は慌てて家事をこなして学校へ辿り着きました。本部さんの一人が委員会会場案内をホワイドボードに書きながら「あらっ さっちゃんずいぶん早いのね~。まだ本部も集まってないのよ!」だって!慌て者の私は今日の委員会の開始時間も見ないで飛んできたというわけ!!日付が間違っていなくてよかった!!10月のPTA主催のお祭りの打ち合わせです。各学年の委員さんたちがそれぞれに企画を練ってお祭りを作っていきます。子どもたちが喜んでくれますよ~~に!委員会終了後 急いで次の場所へ行きました。それは私が最も尊敬する方に会うためです。彼はとっても不思議な方です。もう74歳ぐらいになっておられると思うけれど、この20年、全く雰囲気が変わられません。今日お会いしてみれば、去年お会いした時よりも若くなっておられる?と思うぐらいです。もう年齢という概念すらどこかに飛んで行ってしまったのでしょう。彼と会う方々はつい笑顔になってしまう。少年のような純粋な疑いを知らない眼でまっすぐこちらをご覧になるんです。でも優しい笑顔で迎えて下さる。失敗も困ったことも、大変なことも、なぜか彼の前では笑いになってしまう。「疲れた人は私のところにいらっしゃい。笑顔をあげましょう」そんなキャラクターです。お客様をお迎えするのが大好きで、手作りでケーキやクッキーを焼いて待っていて下さる。結婚をしようというカップルたちに結婚講座を開いて、これから二人で生きていく、家庭を持つということが現実どういうことなのか、ということをさらっと伝え、2人が本気で考える場、自分というものに気づく場を作ってくださっていた。お陰でしっかりした決心を以て結婚式を挙げたカップルもいるし、お陰で本当は結婚を望んでいなかった、ということに気がついて婚約を破棄したカップルもいた。どちらも良い選びでした、と彼は微笑む。退職した彼は生まれ育った故郷アメリカと仕事で来日して20年以上を暮らした日本とを頻繁に行ったり来たりしている。それは友人たちの「お願い、来てくださ~い」の呼びかけに「はーい」といつでも応えておられるから・・・これからもお体を大切にしながらあっちこっち飛んでください。たくさんの笑顔をみんなに配ってあげてください。しかめっ面して、「これはこうなのだ!!」とすごむよりも、優しい笑顔こそが人の心を動かすということをたくさんの人々に伝えてあげてください また来年、お目にかかれますように
2008.09.24
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午後は10月のコンサートの練習がありました。37年ほど前になるでしょうか?ティーンエイジャーだった私が初めて入った弦楽合奏団がコンチェルティーノ・ディ・キョウトでした。Vnの指導をしてくださっていた先生がソロだけじゃなくて、みんなでアンサンブルをしようとある程度弾けるようになった子どもたちを誘って毎週練習を入れてくださっていました。弦の音と音とが重なりあっていく。息を合わせることや音楽をどんなふうに感じるのかとか、立体的、そしてダイナミックなアンサンブルはとても魅力的でした。私がソロの方はちっとも練習しないのに、アンサンブルだけはちゃんとレッスンに行くので母が不思議がっていました。この10月11日はこの楽団の創立50周年ということでOBやOGたちも混ざってコンサートをすることになったのです。若い現役たちに混ざっておじさんやおばさんまでいるからどんな音になるのかしら…と期待と興味で今日の練習に行きました。この前練習に参加した時は現役さんたちだけだったら「まぁ~何とよく訓練されている子どもたち、私やばいわ!!」という感想でした。それというのも、いただいていた楽譜と本番で使う版が違うので、ボーイングは当たり前に違うし、実は音までも違っていたのです。ただでさえ難しい曲ドヴォルザークの弦楽セレナーデ!どうしよう…と思ってしまいます。もちろんそれは、楽譜を書き写して、練習あるのみ!!なのですが・・・さて今日の練習はOBOGたちもたくさん来ていました。Vn1だけで7プルト(14人)いたでしょうか?本番は19人だそうです。なんて大所帯な!!練習の最後に1楽章から5楽章まで通しました。それまでの練習では生まれてこなかったものがぐわ~~て迫ってきます。みんなの音がそろっているから、とにかく美しいです。チェロはこれでもか~~と歌いまくります。一人で3人分ぐらい音が出ている。常日頃うちのオケではチェロパートは閑散としているから、このチェロの作り出すうねりがカッコよく耳に響きます!!あまりにVcが頑張るのでVaがついつい陰に隠れてしまうのが残念!!Vaさんがんばって===こんなに合わせられる体験は久しぶり 私も頑張って練習しなければ・・・個人練習も良いんだけれど、やっぱりここでの音感覚というのがあるからそれに合わせられるようにならないと、自分で満足できるステージにはできないな、と思う。何人もの懐かしい方々に30数年ぶりにお会いしました。みんな私のこと、「お母さんにそっくり!!」ていうのです。そうか、私が現役で弾いていたころの母の年齢は今の私より少し若かったはず。そうか、私もしっかり母の子どもなわけですね。懐かしい気持ちに支えられてがんばれそう・・・です。
2008.09.23
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昨日のお話の続きです。次に思ったことは、主人はどうして労働者たちにその日の報酬を与えるときに、わざわざ遅くから働いた人から順に朝早く来てくれた人たちを最後にするという順番を指定してしたのかな?すごく不自然でわざとらしい・・・。でも、昨日のところをよく考えてみると、最後の人たちはずっと雇ってもらえない、今日も食べるものがないのかという不安を重く抱えたまま、一日を過ごそうとしていたんだ、と考えると、朝から雇ってもらっていた人たちは、仕事は暑い中頑張ったけれど、そういう不安は少しもなく、心も軽く夕方の報酬を楽しみにお仕事をしたことでしょう。最後に来た人たちこそ、最も疲れを抱えた人たちだった。だから主人はまず彼らに給料を支払いほっこり安堵させてやりたかったし、その額が一時間分ではなく一日分であることにさらに驚き喜ぶ姿を見たかったのかな、とも思いました。ちょっとお茶目な主人の姿です。私の好きな個所は、最初から働いていた一人が主人に不満を訴えたとき、主人はこう応えられるところです。「友よ」です。不満を持ちくだを巻く労働者に対して、「友よ」と声をかけられる。愛情のある言葉です。君が訴えたいことはもっともなこと、重々承知の上でよく分かっているよ。それでも僕は後から来た彼らをほっておくことはできなかったんだ。僕のお金をこのように使ってはいけないのかい?君たちにはちゃんと約束通りのことをしているよ。分かってくれないかなぁ~~という気持ちが続く言葉「あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。14 自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、私の気前のよさをねたむのか。」を生み出したのかなぁと思うのです。人間の尺度では測れないルールが基準になるのが天の国という結論が最後に述べられているのだろうと思うけれど、私はこのご主人の親しみを込めた、そして不平をいう者にも耳を傾けながら「友よ」と呼びかけられる姿が大好きです。
2008.09.22
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日曜だから朝はごミサです。今日の聖書の朗読箇所は水曜日に「聖書深読会」で取り上げたところでした。(マタイ20章1~16節)先に聖書深読会で同じ場所を「深読み」(長男Aに承った愛称)しておくと、日曜の神父様のお説教がちょっと楽しみ!!簡単にこのマタイの20章のお話をすると、天国はこのようなものなんです。とキリストが説明をしました。一人のぶどう園を持つ主人が農園の世話をしてもらうために夜明けとともに町の広場に向かい今日ぶどう園で働いてくれる人を募ります。一日1デナリオン(これは当時一日を賄うに十分な量のお金だったそうです)で何人かの人々を雇い、農園に連れて行きました。主人は9時にも広場に行ってみると、何もしないで立っている人がいるので、その人にも声をかけ、ぶどう園で働くように言います。12時にも3時にも、そして最終5時にも広場に行ってみました。やはり何もしないで立っている人がいるので、尋ねてみると、「働く場所がないからここで立っているのです。」という。主人は「それならぶどう園に行って働きなさい」と声をかけました。一日の仕事が終わったぶどう園では主人が監督を呼んで、「遅くから来た労働者から朝から働いた労働者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言います。監督は言われたとおりに5時から1時間だけ働いた人に1デナリオンをあげました。これを見ていた朝から働いていた人々は、自分たちはきっともっとたくさんもらえるに違いにない、と期待していたにもかかわらず、やはり同じ1デナリオンでした。そのうちの一人が不満げに「どうして1時間しか働いていない者も、私たちのように一日辛抱して暑い中を働いた者も同じだけなのですか?」と主人に訴えたところ主人は言った。「13 友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。14 自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、私の気前のよさをねたむのか。」こんな風に後にいる者が先になったり、先のものが後になったりする。それが天の国なのです。というお話なのです。 私はこのお話を聞いたとき、なんで主人は何度も何度も広場に行って労働者を募ったのだろう、とまず最初に思いました。そんなに人手が足らなかったという行はいっこうに出てこない。5時になっているというのに広場出かけていく必要なかったはず。なのに彼はやってきた。そう、主人は知っているんだ。一日中仕事を求めて立ち尽くしている人たちがいることを・・・何もできないでいる。やりたいのにできない。それはそのまま今日、自分あるいは家族も食べることができないということを指しているかもしれない。長い間立ち尽くす姿は今の時代にも等しくあります。多くの人材は生かされることなく、大切にされることなく、放置されている。それは本人が悪い、そういうことにして見て見ぬふり・・・まずはこの主人のように、誰にでもふさわしい仕事を見つけたり、与えたりできる世界であってほしいと思う。今朝お電話をいただいた友人も、高機能障害があって、みんなと同じようなテンポで仕事ができない。それだけで職が得られないという。障害者手帳をあげるのではなく、彼女にも仕事を通して充実感を味わってもらいたいと思う。神父さまもおっしゃっていた。「生きるとは、ふさわしい仕事に出会うことで(も)ある。それを誰も奪ってはいけない。」 続きはまた明日!!
2008.09.21
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きのうは台風の影響で少し雨が降ったり風が出た程度の京都でした。おかげで今日は予定通り小学校では運動会が催されました。いつもどおりに起きてお弁当を作って・・・ 9時から開会式、そしてWの100メートル走、続いてAの障害走で始まりました。小さかったWもいつの間にか大きくなって一週100メートルのランニングコースはあっという間に終わってしまうようになりました。五女Aはまだまだ小さな子どもの走り方で微笑ましい限り。それでも自分が何番になっているのかを気にしているからますますわらけます。この小学校はとて特徴のあるグラウンドで真中にくすのきの巨木があります。その周りをぐるっと回るようにコースが作られていてます。実は私もこの学校に通っていました。その頃とは校舎の配置も全然変わってしまいましたが、くすのきを囲む運動会は変わりません。私たちが小さかったころは地域やPTAの方々の種目も子どもたちのものに織り交ぜてプログラムが組まれていたのを覚えています。午後の部になって広報部ということで2階のピロティからビデオを撮っていましたが、その構図から立派な緑の葉をたたえたくすのきが子どもたちの活動を見守ってくれているように見えて仕方がない。実際この木はどれだけ多くの子どもたちを見守ってくれたことでしょう。前にも書きましたが学校ができるずっと前からあったくすのきだそうですから、この平野の地をずっと、ずっと見てくれているのですね。木はどこにでもある親しみのある生き物ですが、こうして長い歴史と言える時の流れをずっと命を絶やすことなく生きるものだとしてみると、何か神々しいものにさえ見えてきます。子どもたちとくすのき 木洩れ日の下で1年の玉入れの赤白玉が可愛くポコポコおどり、6年生の組み体操、三段ピラミッドもかっこよく決まったし、高学年のリレーも大変な盛り上がりを見せました。 くすのきさまこれからもどうか子どもたちと地域を見守って下さいね!!
2008.09.20
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昨日の日記のコメントにTetsuoさんは「人の出会いって、不思議な事に、「今この時期に会えたからこそ意味がある!」と思う。良い人との出会いもそうだし、逆に反面教師的となる人に出会って悩み考えさせられる事も。」と書いて下さった。自分がこの方に出会えて本当にうれしい、と思える出会いをいただいたとき、たくさんの喜びと恵みに満たされ、豊かになった自分を感じる。幸せなひと時!ところが、彼のいう後者「反面教師的となる人」に出会ったとき、それは何と厳しいことか!!まずもってこっちのことは受け止めてもらえない。それどころか、ドカ~~~ンと強烈に跳ね返してくる。大切な友人はそんなあり得ない出来事に出会っていることに気がついた。少しは理解してもらえるだろう、少しはこちらも相手を理解することが可能だろう。ほんの少しコミュニケーションができないだけ、ほんの少しコミュニケーションが足らないだけ、そう思っていた。でもその期待はおおいに裏切られ、友人はとことんがっかりさせられた。それでも何とか友人が傷つかないでいてほしいと私は願う。Tetsuoさんの言うように、溶け込めない、理解に苦しむ人と出会っても、その人から学ぶことはできるはず。どうやって友人を守ったらいいのか!そうだ、お願いだから感情的に、「あの人は間違っている」とか「こちらは正しいのに」とか「なぜわかってもらえないのか」とか思うことはやめてもらおう。冷静になるために、友人の心の中からその人を追い出してしまう必要がある。「その人は友人にとって何の関係もない人。何の期待ももたない。そう割り切ろう」マザーテレサは愛情の反対は無関心ときっぱり言って下さった。これは意外にも人から自分の心を傷つけられることを守る言葉でもある、と今気がついた。そうして冷静になったとき、なぜその相手の人がここに存在しているのかをもう一度考えたらいい。その人とも、いま私たちにはわからない何か良いものを運んでくれる確かな出会いであるはずなんだから・・・私はそう信じて、この友人とそして友人を苦しめた相手の人のことを祈ることにする。 この出会いが私も含めて、いい出会いとなりますように!!
2008.09.19
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どうしたら生まれてくるのだろうこれでいいんだよ と自分をなぐさめられる言葉どうしたら生まれてくるんだろうこれで大丈夫 と前を向いて歩ける言葉見つからないわからないという だれかにそれでいいんだって言ってもらわないと 安心できないのかな・・・だれかにそれが素晴らしいと言ってもらわないと 自分を信じることができないのかな・・・ だれかがそれはだめだよって言ったら…もう終わり?だれかがそれは無理って言ったら・・・もう無理なの?一心にあなたを応援してくれているだれかがいるとしても??何よりもあなたを大切に思ってくれているだれかがいるとしても??そんなだれかを見つけることができない、と思っているんだねそんなだれかに出会ってない、て思っているんだねあなたのすぐそばにいるのはだれ?あなたが生まれる前からずっとそばにいてくれているよ そっと自分に問いかけてごらん私は何かが優れているから生まれてきたのか?っていいやあなたとの出会いを心待ちにしている人がいるからだよ
2008.09.18
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私が小さかった時はどうだったのでしょう。運動が好きな子でした。幼稚園の時、バレエのステージを見たら、自分の部屋を舞台に見立てて「白鳥の湖」のレコードをかけながら、踊りました。東京オリンピックで体操競技を初めて見たら、もうやらずにはおれない。小学校の先生に言って跳び箱やマットを使わしてもらって、勝手に体操をしていました。(昔はのんきだね、先生方も)中学に行ったら体操するぞ~~意気込んで行ったけれど部活に体操の看板は無し。体育教官室で尋ねた相手が陸上の顧問だったから、そのまま陸上部へ。初めての女子部員でした。札幌オリンピックでフィギュアスケートを見てすてき~~陸上部を引退し、高校に入って今度こそ体操部と思って入ったけれど、部活はほぼ休部中。一人寂しく練習していたころ、兄が「スケートに行こか」と誘ってくれて、その日からスケート人生スタートでした。どれもやっている時は一生懸命必死でやって、一人で個人的に早朝練習、決して歩くときはかかとを付けない(昔の陸上のトレーニング)、雑誌を見てフォームのイメージトレーニング・・・ できるだけのことをしていました。でもその目的は勝つことでもなく、今のように選手生活をするということでもなく、いつもVnと二足のわらじを履いていて(勉強は入ってないなぁ)、その時自分の状況でできるだけのことを尽くすということでした。Vnはそれほど熱心でなく、運動はやる気いっぱいだから二男Sと同じ高2のころ、進学どうする?というとき、私は???大好き、めちゃ熱心でも別に将来職業として使える程の力はないということは、自分でもよーく分かっているから。でも運動の楽しさは知っている私。動くことの楽しさ、みんなでできる楽しさ、心と身体を大切にする気持ち、主要五教科で疲れた子どもたちを解放してあげたい。・・・だから体育学科でした。今は全然関係ない毎日だけれど、キーワードは変わっていないかもね 心を解きほぐす 解きはなつ
2008.09.17
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昨夜、そろそろ寝なくてはと思っていた12時すぎ、キッチンに集まっていた二女Mと二男Sは、今度のSの誕生日に私からのプレゼントは現金にしてもらって、ゲームを作るソフトを買おうではないか!と相談をしていたらしい。私「ゲーム作りのソフト?あのさぁ Sは今好きなこと十分出来ているでしょう。クラブも劇団も・・・ これから考えなあかんのは高校卒業後どうするか?てことではないの? 高校2年生の夏は終わりつつあるんだから・・・」M「Sは私と似ててこれはやりたい~~と思うことがないとがんばれない人やねん。まだそれが見つかってないから・・・」私「そうかもしれけど、好きなことってなんやろ?好きなことが見つかるまで、どうやって自分を維持していくの。好きなことが仕事でないといけない、てことあるんやろか?」H「私の先輩たちはみんな得意なことや好きなことがかなり分かってはったから、デザインや美術の仕事してはるわけやん。そやけど、『一年に3回はもう辞めたい、て思う』て言うたはった。だけど『一年に3回ぐらい、辞めるのを止めて良かった!』て思うことがあるって!な、好き~、得意~て思ってたらそれで平和に一生送れるわけやないんやで!」S「僕かてそんな好き~~と思うことだけやるつもりはないけれど、でも絶対無理!と思えるものもあるんや!それはできひん」私「そらそうや、Hの先輩たちも毎日いろいろ迷うことがあっても、全然向かない営業の仕事に就いたりはしないよ。だから今好きなものが何かわからへん、ということで視野を狭くしないで、いろんな経験を積める道を切り開いていったらいいと思うけど・・・。」M「そう思って私は今の学科に進んだけれど、間違いやったって後悔している。だから今模索中や」私「それでいいのと違うの?でもいつでも就職できる資格を持てるだろうというところにいるから、もう一回仕切り直しする余裕を持っているんと違うか?そういう土台がなかったら、そんな流暢なこと言ってられないと思うけど・・・」・・・・ ・・・・と2時まで続きました。何か結論が出るわけではないです。実際、高校というところに通っていても全部が好きでない。でも毎日通うことができているのは、その中にちょっとした楽しみがちゃんと見つけられているからだし、そうでなくても我慢ならないところまで追い込まれてはいないから、自分の義務として受け入れているSです。卒後の自分をどんなふうに描けるのか、どんなオプションを自分で用意することができるのか、道は簡単ではないです。Sはちょっと自分と闘わなくてはいけないかもしれません。我が家の条件は結構ハードル高いし、水濠もある陸上の3000メートル障害のようなものです。がんばれ!!SくんSのことを題材にしているけれど、HもMも自分自身のことをもう一度考えるチャンスになっていることでしょう。
2008.09.16
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教会では恒例の年一回のチャリティーバザーがきょう開催されました。7月の初めぐらいから本格的に準備をはじめ、先週からみんなフル回転。昨日は会場設定にパワーがいるので、長男や二男にも無理を言ってテント張りを手伝ってもらいました。男性陣30人弱お料理担当の女性陣たちも同じぐらい、総勢60弱の人間がしっかり動きいて今日を迎えました。今朝は6時に教会にきて下さって、炊き込みご飯のスイッチを入れて下さった方々をかわぎりに、懐かしい方々も応援にきて下さったから80人以上の方が、スタッフとしてボランティアで働いて下さったと思います。手作りの手芸品、フルーツケーキ、バナナケーキ、パン、手料理炊き込みごはん、おでん、カレー、焼きそば、フランクフルト・・・山国教会、宇津教会の方々のとれとれお野菜、新米、この日に合わせて栽培して下さったメロンも登場京都カルメル会女子修道院のクッキー掘り出し市やらワイン、お花屋さん、それに私の本を出して下さっている女子パウロ会のシスターたちも本やCD、ホーリーグッズを携えて加わってくださいました。教会敷地内にある授産施設のマリア会、アルコール依存症更生グループマックの皆さんなど、いろんな形でたくさんの方々にご協力をいただいての50回目のバザーです。でもその中心的に働いて下さっている方々は、実はお孫さんがいらっしゃるような方ばかりで、私たちはまだまだ若輩者なのです。50回続けられてきたのも、回を重ねるごとに新しい知恵を貯えてきた、この年長の方々の働きによるもの・・・このバザーは売り上げのすべてを、国内と外国の必要とする施設に送金するという大切な目的がありますが、それとは別に、このカッコイイシニアの方々の下で働かしていただいて、その蓄えられた知恵を授けていただく最高の機会なのです。「敬老の日」すてきな先輩たちに拍手!!
2008.09.15
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昨日の朝のクァルテットの練習は、実は いつものクァルテットではありません。皆さん、覚えていらっしゃるでしょうか?3月にチェロのCさんが出産を前にメンバーチェンジしたことを!!きのうは旧メンバーで集まりました。あれから半年、本当に久しぶりです。ママになったCさんも以前とちっとも変らぬ雰囲気で愛用のチェロを取り出しA(ラ)~~~~ とチューニング これまた懐かしい彼女の音です。クァルテットではチェロが一番チューニングしにくいので大抵最初にチェロが音を出します。オーケストラならオーボエといったところですね。Cさんがクァルテットから離れている間、いっしょにやっていた曲もお蔵の中で、いや楽譜入れの中で熟成・・・私はどこだっけ~~と自分のVn2のパート譜をずいぶん探しました。無事出てきて良かったです。楽譜には前練習したときに気がついたことや考えたフィンガリング(指使い)が書かれているから、それがないとまた一からやり直しですから、結構大変なのです。オケの方では、もう十年以上も前の大学時代に使っていた楽譜をもってきてくれる団員もあります。当時の指揮者G先生の音楽やボーイング(弓使い)、フィンガリングが蘇ってくるというわけです。参考文献としてずいぶん力になってくれるんですよ。熟成された曲はブラームス 弦楽四重奏曲 3番Op67です。この曲は私が大好きな曲です。昨日やった1楽章は明るくさわやかなメロディ、ちょっと影を感じるロマンチックな部分とが前向きな姿勢を感じるリズムと共に二重構造に絡み合った作品自分一人で練習している分には少し難しい部分はあったとしても、そんなに大変だ~~という印象はないのです。ところが4人で合わすと・・・6/8拍子で進行する楽器と2/4のリズムが同時に重なるのがかなり難しい昨日も熟成させていた分、さらにその難しさが加わったような・・・皆で、「こんなに難しかったっけ~~」て大笑いでした。このメンバーはすぐに笑ってしまいます。笑けて弾けなくなる時もたびたび・・・それも「音楽を楽しむ」の一部と思っています。練習が終わる頃、お客様が聴きに来てくださいました。それはCさんのご主人と半年になったCさんのお嬢さん、Nちゃんです。なんてかわいいのでしょう。どう見ても私には輝いているようにしか見えないのだけれど、初めての私たちの音にも少しも驚くことなく、「きゃっきゃ」と笑顔で応えてくれます。実はその時、お誕生のお祝いに木でできたあおむしのおもちゃをプレゼントしたんです。 そしたら今日、がきてそのおもちゃをとても気に入ってくれたのか腹ばいになったNちゃんはおもちゃめがけて、初めてずりずりと前進したそうな・・・彼女の成長にも少し役立ったかしら?それなら本望です。
2008.09.14
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朝は10時からクァルテットの練習15時からはバレエのレッスンお買いもの、調理をはさんで19時から10月のコンサートの練習フル回転でした。続きは明日に!!元気で予定のことがこなせて、良かった!!笑顔で寝よっと(*^_^*)
2008.09.13
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朝は「森の音楽屋さん」8月はなかったので久しぶり・・・秋はたくさん行事や日程がそれぞれのメンバーにも入っているから、なかなか集まれない。それでも自分で楽器を弾くとか吹くということはそうそう簡単ではない小さな子どもを抱えたお母さんたちだから、自ら音を作り出すことにとても喜びを感じておられるんだなぁということが伝わってきます。こういう小さな喜びを忘れないようにしていたいです。午後からも日常の家事、レッスン、夕飯作り、レッスンと進んで私が夕飯を食べ始めたのは9時すぎてから・・・ちょうどToさんも帰ってきて、一緒に食卓を囲んでいたら、子どもたちは何やらTVにかじりついています。ちらっと見ていたToさんも私もいつの間にか引き込まれて観てしまっている。いかにも普通のアニメの描き方の人物たちになの背景はものすごく緻密に仕上げてあって、森や水(川)が本当にきれい。コウイチと河童のクウの話。クウの存在が世の中の人々に知れるところとなって、TV出演のスタジオで人間に殺されてしまったクウのお父さんの片腕と対面したクウは、スタジオの異様な光、蘇る人間に対する恐怖心、大勢の人間の好奇な視線を浴びせられてパニックに陥ってしまう。 4年生のWは「お兄ちゃん、これ怖い~~」と言って2階の自室に逃げて行った。クウを助けようとしたおっさんというワンちゃんも人間の車に轢かれて・・・五女A「私もいやや~~」と二階に駆け上がった。すると二人の部屋から大きな泣き声が聞こえてきた。こんな泣き声は久しく聞いたことがない。子どもたちの所にいくと二人は抱きついてきて、おいおい、おいおいと何も言わずにしばらく泣き続けました。怖い音もものすごく深刻な描写も何もない。でも可愛く楽しいはずの河童のクウがパニックに陥るほど追いつめられるというところが、小さな子どもたちに非常にリアルな強い恐怖心を作り出していたのです。子どもたちの感覚はかなり違いますね。大人が「怖がるかも?」と思わないことでも、とても強く動揺することがある。そういう感受性を子どもたちは持っているのですね。そののち物語はクウにふさわしい、過ごしやすい、人間がめったに来ないところに引っ越すことになり、クウと共に過ごしてくれたコウイチくんの家族、そして特にクウの命を助けてくれたコウイチに心から感謝する場面、と新天地で幸福感に包まれているクウの姿で終わっていきます。私はもう大丈夫だから…と二人をもう一度TVの前に連れてきて、最後の部分を彼女たちに見せてやりました。二人はすっかり落ち着きを取り戻し、心静かに寝ることができました。 「河童のクウと夏休み」
2008.09.12
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長男は作曲の勉強をしながらライブのお仕事などを引き受けているこの頃です。自分でジャンベを購入してからは毎日その練習、講習会、制作工房に足繁く通い、食事中のBGMも・・・、すっかり我が家はアフリカンな空気になっています。CDの一つがMamady Keita アフリカの音楽が世界中に広がっていったのは良かったけれど、その本当の文化的な意味はすっかり失われてしまいつつあることに危惧した彼は、それを伝えるべくミュンヘンに学校を開いたそうです。実はここ日本の鹿児島にも学校があるとか・・・リズム一つ一つに霊的な意味や呪術的な意味があったりするそうなんです。そういう話になればどこで仕入れてくるのか、どんどん喋りまくる長男です。 さて、先月の終わりだったか私の父(大パパ)がひょっこりAのところにやってきて言葉を交わして以来、Aの仕事が入っていない日は夕方に大パパがやってきて、二人で勉強会をしています。ヨガと祈り、そして大パパからのお話。85才になった父は自分の人生をしっかり孫に伝えるつもり!良かった!!こういう時間は本当に今では貴重になってしまったもの。長男の離職がもたらした大きなお恵み
2008.09.11
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聖書深読会がありました。先週みんなの都合が悪くできなかった代りです。「今日の個所は病院チャプレンをしておられる沼野尚美さんが緩和ケア病棟の患者さんたちから『キリスト教ってどういう宗教なのですか』と質問されたときにご紹介されるところです」というシスターのことばがありました。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)確かに、たった2行のこのみことばをどのように沼野さんは伝えられるのだろうと想像しただけでも、ちょっとやそっとでは書ききれないものがあるなぁ~と思えます。「永遠の命」と「愛」がテーマ このところブログを読みに来てくださってる夢咲案内人さんがたくさんのカナダの写真を載せてくださっています。最初それを見ていると「あぁ~懐かしい、また行かなくっちゃ」という思いが込み上げてくるし、子どもたちやToさんと過ごしたたくさんのシーンが頭の中に巡ってくる。しばらくするとそういうものからは離れて、大自然の中に身を置いたときの感覚が今の自分の中に蘇ってくるのです。そこは大きな大きな命の繋がり。たぐいまれな緻密な関わり合いによって互いを生かし続けている。個々には誕生と死を繰り返しているけれど、その全体はまるでひとつの生き物のように命を育み、永遠に続くかのような完璧さです。たぶん、人間の手が入らなければ・・・・潤いと安らぎと温かさ、清らかさと美しさと微笑みがあって、いつでも自分をそのままさらけ出せる朗らかさがある。大自然の中に入るといつもそういうものを感じる私です。壮大で完全な営みの中にいる私は・・・それは小さく、小さく、・・・あまりに小さな無力な存在なのです。私にとって大自然は「永遠の命」と「愛」のイメージにぴったり
2008.09.10
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今朝、Sちゃんよりメールをいただきました。昨日のブログ日記「やることはなに?」のお返事です。心に残ることばだったので、ここに書かしていただくことにしました。もちろんSちゃんもOKっていってくれましたから・・・。 私らしさ ・・・それはまんまるからだも心もまんまるトレーニングステップ2になって、彼の第1声看護師さんの第1声身近にいる方々に悩みやヘルプを頼める感謝!!また一歩歩いて困ったとき、温かく見守ってくださる方々がいる信仰もある感謝!!たまに信仰生活と自分の生活に悩むアドバイスしてもらって毎日過ごす毎日、大切な毎日!!今日何か起きても、ひと言口にしてもいい人が受けとめて下さる感謝!心穏やかだと食事制限だらけから飛び出して何でもおいしく食べられる彼の目はまんまる 私はつられて笑う遊びだって汗かくのが楽しい彼の目はまんまる 私も笑う感謝の毎日S 電話でSちゃんは「本当に毎日の生活の中で、神さまとひびき合えばいいんだね、そういう私らしいひびき方があるのに気がついた」と言っていました。嬉しいなすてきだなありがとう 日常で神とひびく 柳田敏洋
2008.09.09
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小学校では自由参観がありました。体操服販売の時間帯に合わせていくと、ちょうど給食後の掃除時間。思いのほかほこりが舞い上がっていて、ゴホンごほん!雑巾の弾丸も飛んできます。う~~ん まだ一年生だものね、頑張ってお掃除しているだけでもえらいよ!!一年は図書室で本を読む。四年のクラスは黒板に10枚名画の写真が貼ってあって、その中から5人の画家の2作品を見つけよう~~というのをやっていました。色調、タッチ、テーマ・・・質問は単純だけれど、これはけっこうすばらしい授業です。美術館に行ってもこんなに必死になって絵を見ることはないだろうと思うぐらい、一枚一枚の絵の特徴を見つけようと、それぞれに詳しく見比べていきます。4人グループで検討しました。筆の使い方や、書き方の特徴、同じ色が使われている、とか点々で書いてあるとかを見つけ出して、ちゃんと当てていくのです。Wのグループは三人の画家の作品を見つけることができました。さて、Sちゃんとも今日は電話でお話をしました。しばらく教会には顔を出せないでいるSちゃん。それを心苦しく思っているし、また教会の様子が少しも分からないと嘆いています。そうですね、全くその通りです。いつも顔を出している者にとっては当たり前に入ってくる情報や様子ですが、行けない人々にとっては全くその動きはわからないし、ますます疎遠な感じがすることでしょう。そういわれて、私もブログ日記なんて書いている場合じゃあないんと違うか、と思いましたが、いやいや、この日記こそをコンタクトのとれにくい友人たちに送れば、こちらの様子も、そして教会の様子も分かってもらえるかなと思って、さっそく友人が喜びそうな所をコピーしました。間もなく郵送する手はずです。Sちゃんにはいつもいろんなこと教えてもらっています。ありがとう!!
2008.09.08
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9月7日(日)我が家にとっては特に、何?という特別の日ではありませんが、でも特別の日にしました。先週誕生日を迎えた長男A、今週誕生日だったToさんたちのおめでとう昨日試験を受けてきた二女Mにご苦労さんそしてこれから1週間の合宿に向かう三女Kに気をつけていってらっしゃいの気持ちを込めたパーティーです。来週15日にバザーを控えた教会はその準備に忙しく、帰ってきたらもう3時になっていました。だからこちらのパーティーの準備は大してすることができず・・・先週買い物の時にToさんに何がいい?て訊いたら、「美味しいチーズにワイン!!」ちょうど、そのお店にも輸入のチーズやワインをおいているから、お気に入りのものがありそうかどうかちょっと見てもらって、その間に私は私のすきな紅茶を調達しに行きました。戻ってきて、彼に「何か良いのあった?」て訊いたら、「いや、ドイツワインはほとんど置いてない。あるのは知っているものばかりだし・・・」とそっけない様子。本人がいるときに何か見つけてくれているとありがたいんだけどなぁ・・・、だって、私ワインなんてわからないもの実は結婚して間もなくのころだと思うけれど、福井にいたころドイツワインのことを勉強する機会があって、以来彼の頭の中にはドイツ!がビシッと入っている。何でもドイツワインは等級とか何か規格がきちんとしているから間違いがないらしい。その時選ぶことできなかったので、別の機会に生チーズとスモークチェダーを買っておきました。ワインは今日買うつもりだったのだけど、教会から帰ったらもう疲れた~、という気分で今からワイン屋さんを探して買いに行く元気はなさそう。そこで私「A(長男)お出かけしない?ワイン買いに行かへん?」「あ、ええよ」「ありがとう!ドイツワインがいいのやけど、〇〇とか~~みたいに有名なのはToさん興味ないみたいだから、お店の人にいいもの選んでもらって、もちろん予算内でね」快く引き受けてくれた彼は私も行ったことのないワイングロッサリーという専門店に行ってくれました。ワイングラスやチーズもおいていて感じのいいお店だったみたい。ケーキはもう飽きたなぁ~ だってお店のケーキはいつでも買えるし・・・それで今から家でケーキを焼く元気はないけれど、手作りクッキーなら下のWもAもやりたい~~って言うので、たぶん2,3年ぶりに家にあった材料、干しブドウとココナッツのクッキーを作ることに!Kは7時には自宅から出発しなくてはならないから、これも何年ぶりかでピザを注文、Lサイズ2枚はいるわね!!ピザが届いたら早速ワイングラスをそれぞれにとりだし、ワインのボトルがあっち行ったりこっち行ったり・・・「子どもと一緒に飲むなんてな~こっちも年取ったもんや!」(フフフッ 誕生パーティーやもんね)Wと五女のAもかっこつけてすてきなグラスにお茶、牛乳で乾杯手作りクッキーも上手に焼けたし良かった…ところが、Hがいないんちゃうの!?そうなんです。彼女は先に友人との約束があってパーティーに出られませんでした。こちらが準備に追われているころ、彼女はすっかり支度をして、「あれ、今日なんかするの?私何にも聞いてないけど・・・」「あれ??? 聞いてなかった?おかしいなぁみんなに言ったはずだけど・・・。分かった!これからは何かするときは、大きい子どもたちには、一発送信で全員にメールを送るから・・・ ごめんね」そのことばに満足そうに彼女は出かけていきました。
2008.09.07
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昨日の日記に書いたOさんのところ、本日お昼ごろに無事女の子がお誕生になったんですって!!上二人が男の子だから、みんなに可愛がってもらえる妹さんという感じかな?良かった、良かった。そしてもう1人、オケのメンバーのRちゃんのところも、間もなく三人目さんのお誕生となるでしょう。私の周りはちょっとしたベビーブームかも?ピカピカの赤ちゃんたちがきっと世の中を明るく清々しくしてくれることでしょう。 さて、今日も午後からオケの練習に行ってきました。このところ、指揮者とプレーヤーとのコミュニケーションが主なテーマになっています。正確に言うと指揮とプレーヤーの認識のずれをいかに減らすか、ということなんです。オケにとって指揮は要中の要!!彼が感じていること、思っていることをこちらが知ることができなければ、曲はあっちこっちで破れかぶれになって作り上げることができません。ここ何年もの間、ある意味では指揮者とのコミュニケーションを指揮棒ではなく口で行ってきた、といってもいいのではないかと思います。何度も練習し、何度も試み、こんな合図の仕方をするから、こころからはこのようなテンポで・・・ こういう下準備がいっぱいあってはじめて曲をステージの上で演奏できる状態がつくられている。演奏会間近かになって手伝いに来てくれる友人が私によく言っていました。「とにかく必死でさっちゃんの動きを見ているから・・」つまりそれは私の弓の動きにぴったり合わせることができる、そういういわば超合わせ上手な友人たちだから言えること!その彼らのことばの意味がこの頃よく分かってきた。つまりこの事前の練習経験を十分にしていなければ、指揮棒を通してそれを感じることは難しいということなんだ。私はここにずっといるから、この客観的な感覚を知ることが難しくなっていたのです。そこで私は我がマエストロの指揮、指揮棒から発信される信号を受け取ってそれを正確に再現できるように、できるだけ心がけるようにしました。見たままを弾くとマエストロは「自分の思っているテンポと違う」といいます。これがコミュニケーションのずれ!なぜそれがつくられるのか?なぜ違うように受け止めてしまうのか・・・?それは中々一言では言えないたくさんの要因があると思われるのだけれど、私の経験からいえば、指揮者を使わないクァルテットなどの場合、どのようにして同じテンポ感を共有するかと言えば、1、相手の楽譜を理解する。どんなメロディーをどんな風に弾こうとしているのかを知る。そこから自分のパートを引っ張ってくるとうまく合わせられる。2 視覚的に弓の速度、大きさから感じ取る視覚的な指揮者の指揮棒から推測されるもの、とくに基本はこの2にあたるものだと思う。指揮棒の動きの速さと大きさ不幸にも指揮者は楽器を持たない。指揮棒はどのように振っても、全く無音のまま。ここが本当に不幸なところなの。でももし、指揮者が指揮棒と自分の身体は楽器だ、と思ってくれたら、私はもっとその信号が読みやすくなるような気がする。これ、我がマエストロへの文句に聞こえますか?実は私、マエストロが自分の指揮とともに音楽が流れ出し、ともに変化している時空を少しずつ感じれるようになっている、と思っているのです。これは自分が引っ張ったりあるいは、プレーヤーに委ねてしまっている指揮とは全然違う。全く共有している状態です。いつか未来に、パッと指揮棒を振ると、いつでも自分の思ったテンポで60人70人のプレーヤーがさ~~と演奏できる、そんな喜びを味あわせてあげたい、というのが、私の目標!!いつの日にか、きっと!!
2008.09.06
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二日前、突然親戚からメールが届きました。男の子が生まれたよ~~わぁ~~、良かったね~お母さんも、赤ちゃんも元気、元気!!我が子どもたちにとってはまた従弟にあたる。これで6才のAも弟にあたる命に出会えたことになる。彼女の後はどんなふうに続いていくのだろうと、ちょっと心配していたんだ!!上手にリンクしてほっ!!そんなこんなですっかり赤ちゃんの話題に昨日の夜はなっていった。長女Hの友人たちは小さな子どもたちを見かけると舐めるように可愛いと思うらしい。そしてすぐに、「もしね、女の子が生まれたら、~~ブランドの服を着せてね、お花を習わすの・・・」と夢が膨らむ。そんな会話にはちょっとついて行けないHだそうです。何で、その子にお花習わす、って今から決めているの?やりたいのなら自分がやればいいのに・・・。でもやっぱりHも子どもが大好き。自分でも「自信をもって親バカになると思うわ」と口走っている。「ついね、私こう言ってしまう!『夫を見つけるのはめんどくさいし、子どもだけほしいなぁ~~』そしたら友だちから、総スカンを食らうねん。この感覚おかしい??」「いいや、私の知っている人も、小児科の先生やけど『妻はいらんけど(見つけるの難し過ぎる)子どもだけは欲しい~~」てずっと言ってはったよ。結局結婚されて子どもさんもいらっしゃるけどね・・・。」良い伴侶を見つけてそして子どもたちが生まれてくるということは理想的かもしれないけれど、それが叶わなくても子どもを育てたい!という本能も実はかなり強いものがあるのではないかなぁ・・・と話しながら思った。また従弟ちゃんもたくさんの愛情に出会って大きくなっていくんだよ!!早く顔見たいなぁ そうそう、友人のOさんも今日か明日かとおなかの3人目の誕生を待っている!!どうか無事に生まれますように!!
2008.09.05
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先月末に誕生日を迎えた長男は自分で自分の誕生を祝って楽器を買ってきました。Toさんと私が結婚したときに「きっと我が家は本と楽器でいっぱいになるだろうね」と話していたのだけれど、まさか自分たちではなくて子どもがコレクションをするとは思いませんでした。ジャンベという西アフリカの太鼓です。木をくりぬき山羊の革を縄で縛ったとても素朴な楽器なのだけれど、なかなか迫力があってね。座って演奏すると床にジャンベの底がくっついているものだから、震動がどんどん床から伝わってくる。叩く場所によって音色もいろいろん変化するので、ソロなのにアンサンブルしているみたいに聞こえてくるし、縛られた縄に金属の角(これは長男の表現だけれど)を付けてやるとさらにバラエティー力が強化される。最初みんなは「なんちゅうでっかい音や!」とびっくりしていたけれど、もうすっかりお馴染みになりました。ただ大きな音だから今までのギターのように夜にこっそり練習ということもできなくなったので、彼の生活は一気に朝方になって毎日メトロノームをかけながら練習をしています。私は、彼の逆転生活が解消されて「あぁよかった~~!」でも今、夏休み中ながら勉強に追いかけられている二女のMは言いました。「なんちゅう、にぎやかな(うるさい、ご近所迷惑な)家やろ!!Vn、クァルテット、ピアノ、弾き語り、トランペット、ギター、たまにオーボエ、おまけにジャンベ、加えて大笑いの声・・・よく誰もご近所の人、文句言わはらへんなぁ~~」私も心からありがたい皆さんだと思います。 感謝、感謝!!
2008.09.04
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幼稚園では園長先生の「人智学を学ぶ会」がありました。そして教会では「聖書の深読会」そのどちらも欠席した私の行き先は、二男の通っているS高校です。昨日から文化祭で今日は彼の初舞台!!去年入部した演劇部ですが、部員が少なすぎて即休部状態になりました。Sは放送部にも所属して一年間撮影や編集、そしてアナウンスの練習に明け暮れて過ごしたのでした。今年に入ってようやくもう一人の部員が入り、二人だけれど文化祭で演劇を披露しよう!ということになり、このところ夏の宿題も放り投げて練習練習!もともと人の目につくところで何かをする、なんてこともっとも不得意とするSが、どうして演劇部という、めちゃめちゃ目立つ部に入ったのか?確か、そういう場が苦手だからこそここで訓練をしなくては!と去年言っていたような??だからです。今日はぜひ見ておかなければ…と思ったわけです。ぎりぎりにスタジオに入って即始まりました。そうです、体育館のステージではなくて放送部の横にあるスタジオで演劇をしました。25分の劇をたった二人で演じます。内容もちょっと複雑で暗転部分と照明部分とで女の子は一人二役を演じ分けています。素晴らしい!!と言えるまでのものではないにしても、私としてはあれだけのセリフを覚えることができるS、それだけでも、すごいじゃないの!!と思ってしまいます。なかなか堂々とした演技ぶりで、彼がクラス発表の演劇練習の時に「もう少し演技指導してあげなあかんかったなぁ~~ 残念や!!」とこぼしたのもうなずけます。そして卒業された先輩や放送部の部員たちや後輩たちからいっぱいの拍手!!もう終わったら、学生たちの世界です。親が入る隙間なんてどこにもない。ほかのお母さんもおっしゃっていたんです。「うちの子は放送部に通っているんです。高校じゃない!!」確かに!!確かにここには先生も入り込めないような、青年たちのしっかりつながった心の輪があります。あっちこっちとつながり合って団子状態だけれど、その結束の強さはここにしかないもの。これを味わわずして青春を終えてはいけないよね!!クリスマス公演もするという挨拶があった。勉強は放り投げられても仕方ないか!やられた!!と私に思わすものが、そこにはあったのでした。
2008.09.03
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うちではご想像つくと思いますが、とても「しつけ」と言えるところまで私の目や心を合わせることができないので、いつも私の母(大ママちゃん)に怒られていました。お玄関の靴がきれいに並べられていないよ。ちょっとのことできれいになるのに!!大ママちゃんは実家に来る孫たちにはきちんと靴を揃えるように、というので、実家ではちゃんとうちの子どもたちも履物を揃えます。TPOによって使い分けることができるんですね、子どもたちって!!どこでもきちんとできる、は本当に素晴らしいことだけれど、自分(私)のことを考えてみても、やっぱりほっこり力を抜いて楽にしていたいという時間や空間も必要。たぶん子どもたちもそうですね!だからわかっちゃいるけどできない、が家の中かなぁと思います。それでもやはり必要な時は周りの様子を見て、自分が人の迷惑にならないように、他の人にとっても心地よい時間や空間になるように、家庭の中でもバランスを取らないと、と思います。その点は口では言わなくても、大きくなるに従って子どもたちは互いに配慮することができるようになってきたように思います。誰かがわがままを言っています。リビングのソファにドカンと寝そべってTVのチャンネルを独り占め!そんなことがあればすぐに下の子どもたちは寝そべっている主〇〇にクレームをつけます。それでも代わってもらえなければ私に訴えてきます。でも大きい子どもたちなら、そうやって我がままをしている〇〇のことを、疲れているんだなぁ、そのうちなんか言ってくれるやろ・・・、と心の中で思って、そっとその我がままをさせてあげられるようになってきました。決まり事!!で貫くことは簡単だけれど、互いの状態をあるレベルで保つためには、外でのストレスを何とか家の中でその荷物を降ろせるように考え合いたいと思います。だから大ママちゃんの一言も「そんなこと、要求しないでよ!」て思わないで、御玄関をきれいにしておける、そんな心の余裕がみんなの中にも生まれますように、の祈りに変えるようになりました。最近、ほんとにたまになんだけれど、五女のAがみんなの靴をきれいに並べておいてくれたりするのです。お祈りってすごいかも~~
2008.09.02
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このごろ、下のWとAが寝るとき、「誰か本読んで~~」とお願いの声が聞こえてくるのだけれど、たいてい私は手が離せないことが多くて、それに応えてあげられない。そんなとき、Mが「じゃぁ、読んであげよか~~」と名乗りを上げてくれる。一昨日の夜は「一寸法師」(絵・三輪良平 文・斎藤洋) を読んでくれた。この本は<京の絵本>ということで日本画の有名な画家の方が原画を担当して下さって特別につくられたものだと聞いています。私も2年前だったか、京都市美術館に行った時にその原画を見せていただいて本当に驚きました。その美しさに比べれば、本にしてしまうととてもその素晴らしさは表わし切れていないのですが、それでも生き生きとした筆使いで描かれた表情、衣装の細やかな文様や色使いは本をとても格調高いものにしています。Mはその素敵な本を取って、朗読を始めました。Mがどんな風に読んでくれるのか隣の部屋から聞き耳を立てていました。何しろ彼女もかれこれ6年間も放送部にいたのですから、ちょっとは今でもかっこよく朗読できるだろうと期待したわけです。さすがにちゃんと役ごとに声色を使い分け、ムード満点でお話をしてくれます。がしかし彼女は「・・・おじいさんとおばあさんはとても仲が良かったのですが・・・」のところは「仲が悪かったのですが・・・」というふうにどんどんお話を変えて語るものですから、下の二人は大笑いです。そうなると、知っている話がどんなふうに展開するのか期待がどんどん膨らんで、すっかり二人はらんらんと眼を輝かし、本の絵までへらへら笑って見えてくる・・・盛り上がりすぎて、ちっとも眠りに入ることができなくなってしまいました。Mちゃん!すばらしい??朗読をありがとう
2008.09.01
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