全32件 (32件中 1-32件目)
1
明日は珍しく私が新幹線で出かけます。もちろん日帰りだけど・・・第一課題 私が早起きすること5時半から6時 普段の私には難しいことなんです。このところ暑かったから寝てられなくて早起きはしていたけれど、ちゃんと起きられるかな?第二課題 長女、三女、二男が一人で起きること いつもなんだかんだと言ってもToさんに頼っている子どもたち。でも明日はToさんも早くに出かけてしまいます。 第三課題 子どもたちが金曜の私の家事ををちゃんとやってくれることこちらは三女はまだ試験中 二男も学校、長女も仕事。だからひたすら二女と長男がどこまで自覚してくれるかにかかっています。さっき明日の仕事を紙に書いてリストアップしました。 今日の動きも明日に合わせて、早めはやめに進めています。いつもならVn練習は夜8~10時だけれど、午後の5時に済ませました。お陰で夕飯が遅くなったけれど、夜が楽です。あぁ 私が出掛けるって本当に大変だ。いつも出ていれば何ということはないんだろうけど・・・みんなよろしく頼みます!!私は頑張って寝よ~~~
2008.07.31
コメント(5)
玄関の扉を開けて・・・あぁこの靴の山 どうにかしないといけない。新しい靴箱二ついるなぁいらない靴も何足もあるだろうし・・・リビングに入ると、Wが生まれた時は新品のクリーム色のソファーベッドだったのに、今では見る影もないかわいそうなソファになっている。それでもここはみんなの憩いの場所!!この子も新しくしてやらないと。キッチンに行くとこの10年間、一切使っていない食器がある。片隅のmy cornerもすぐに書類の山。半年前に蛇腹式のファイルを買って、かなり分類できるようにしたのだけれど、・・・なぁ…どうする?こんな風にどこに行っても私が何とかしなければならない課題にぶつかるこの我が家昨日WがAに言っていた。「けっこうこの家奇麗な大きな家なんやで、今荷物が増えすぎたけどな!」「知ってる グルグル回りできる家はAの家だけやもん!!」(一階は廊下と部屋をつなぐと一回りできるようになっているから、よくかくれんぼや追っかけっこをして遊ぶ)よし!この夏は片付け三昧するか!!コンサートもないことだし!!そしてうまく片付けられたら、大ママの誘いにのって避暑に行くことにしよう。何が嫌って、旅行から帰ってきたとき、家中が目も当てられないほどのむちゃくちゃハウスになっていることなんだ。もちろん、上の子どもたちも頑張って洗濯と食事は留守中やってくれるよ!でも掃除に関しては口にする人がいないから、そしてきれいにすることが趣味なAも一緒に旅行に行ってしまうから、一目その有様を見ただけで、私は泣きたくなる。どんな素敵な避暑の楽しい思い出いっぱいの私の心も、一瞬にしてはしょぼくれてしまうのです。それだけは嫌だ~~~~!!
2008.07.30
コメント(8)
Sは自分のことではなくて、友人や学校などから頼まれたことを最優先にする人です。この夏休み、彼の課題は山積みまず文化祭関係だけでも、放送部の仕事、演劇部のこと、クラス発表のこと、そして生徒会の仕事。それをこなすだけで朝から夜8時までびっちり時間をとっています。その後帰宅してから夏休みの宿題がまた山のようにあって・・・もちろんこちらの方は、この忙しい中でこなすのだから絶対誰だって、自分の好きな分野からするでしょう・・・。だからまず数学そして物理化学・・・懇談会でいくら、夏休み明けの「君の姿に期待をしている」と言われて、「頑張ります」と意志表明したところで、毎日英語に取り組む時間をとることは至難の業。まず無理と考えるのが妥当です、彼が自分の考えを変えない限りは・・・どんなふうに変えるかというとそれは自分の勉強を何より優先すること朝に英語を2時間、数学を1時間勉強してから学校に行く。もろもろの仕事をして帰宅後、10時から宿題!こう私は彼にプランを提示する必要が最低あると思うのだけれど、彼は言うだろう。「勉強をすることは嫌じゃない。でもクラブや生徒会のことより勉強を優先させるなんてもってのほかだ。そんなことしたら、それは俺じゃない・・・。」Sが勉強出来るようになっても、Sでなくなったら、無意味!そう私も思うからこれ以上のことは出来ないでいる。そんな彼でも我が家の条件の中で、将来自分らしい道が見つけられるかどうかは、本当に彼次第。大きな決断を今自分が背負っているってことぐらいは、もう一回ぐらい言っておく必要があるかな?Sのように、ちょっと標準的な考えとは違う人間と一緒に生きるって、こっちの人間性も変わってくるなぁと思う。いつもいつも、原点に立ち戻ることを必要とするから!Sとはどういう人間、そして私とは??
2008.07.29
コメント(10)
午前中、朝学習を終えたAを迎えて遠くの方から走ってきたWも一緒に、毎日の買い物をしに生協へ・・・。道すがら相変わらず暑い、暑い・・・ 今年は7月に入って最高気温が30°を下回ったことがないらしいこの京都。湿度90%を超える日も珍しくなく、Toさんの仕事上でよそからやってくる方々は開口一番「京都は暑いですね~~」だそうです。お昼を回ったころから空でゴロゴロ音が鳴り始めた。いよいよ、 ようやく 雨がやってくるのか!? 思っているうちに雨がど~~~ ど~~~と降り始めました。久しぶりに雨音がうるさく感じられ、雷鳴に稲妻にAもWもビクビク・・・。「少しは雨も降ってよ」て思っていたけれど、ここまで降るとは・・・そんな中、午後から3軒の個人懇談です。小学校のWとA、そして高2のSです。誰のお話が一番面白いかって?そりゃ~~Sでしょう。Sの担任の先生は今年この学校に来られた方です。ですから去年のSのことをご存じない。私に向かっておっしゃいました。「Sくん、不思議な方ですね。あんなにいろんなこと(生徒会、部活、学級活動・・・)ぜんぶすごく良くしてくれるのに、どうしてこの成績??」あぁ どこかで聞いたセリフ。去年の担任の先生も全く同じことをおっしゃっていた。「でも、みんながちょっとできの悪かった、理数系科目は中間の時に比べたら今回は良かったんですよ。勉強したんだよね」とSに同意を求められる。「はぁ、少しはしました」「じゃぁ、英語もしましょう」「でも・・・、英語分からないんで・・・」私「分からないから勉強するのでしょ?分かるようになるって楽しいことだよ~~」だけど、ほんと!!分からない勉強をするほどの苦痛は他にないわなぁ、特にSにとっては・・・ね。わかるレベルに戻ってそこから勉強していくことが良いね!S。「Sくんが勉強できるようになったら、素晴らしいわ。鬼に金棒、頑張って!!」という先生のことばを胸にやらへんかなぁ~~只今Sの英語ヘルパー要員家庭内で募集中
2008.07.28
コメント(8)
家族の中で父の役割とはどういうものなんだろう、と考えている私は、やはり長年父をしてきた人に聞くのが一番と思って、まずは身近にいるToさんに聞いてみた。すると彼はしばらく考えて「家族の中にいる自分を客観的にみることはできないから、自分の体験的には答えにくいね。」う~~ん 確かに、自分がそこにいる時といない時とを見比べることはできないから・・・。父親ではない人じゃないと分からないか!「でも、どの本だったか、父親の役割の一つに、『子離れ親離れを促す』というのがあったよ。」 なるほど!!そうかもしれない。子はいづれ親から離れて独立して生きていく。場所は同じでも精神的には自立していかなくてはならない存在。でも、母子は元々繋がっていたという目に見えない強い絆があるから、ついつい情に流されてしまう。そこに父という人がいると、子が離れていくことによって生まれてくる母の寂しさを受け止めたり補ったりできるし、子が自立しやすいようにけじめや割り切りをはっきり提示することもできる。わが子どもたちを見ていても、確かにここに一緒に住んでいても、いつでも自分で生きることができる、という状態がつくられていく時、そこには自分に対する自信(親離れ)というものが、子どもの内面に出来上がってきたからなんだな、と思います。親離れ、子離れ、そして父の役割!! 結構重大かも?
2008.07.27
コメント(6)
本屋さんでお茶を飲んでいる時、Toさんが言った。「そろそろ大阪に行かな」今しがた買ったばかりの本をお茶しながら読んでいたけれど、ちょちょっとカバンに収めて「じゃぁ お父さんは電車に乗って行ってくるからね。Aちゃんはお母さんと帰りや!」と言い残し、手を振って行ってしまった。姿が消えるとまだお茶を飲んでいる私に向かって「ね、もう帰ろう?」「え、だってお母さんまだお茶も残っているし、それにわたしの本も見ていないよ」「お父さんが行ってしまったら寂しいもん。早く帰ろ・・・。」せかされてお茶を飲み干し、喫茶室前にあったテーブルに平積みされている写真集の中から「Smile」を選んだ。途中でいなくなったのが大きいきょうだいたちだったらAは寂しいとは言わなかったと思う。こういうお出かけをしている時に、途中でToさんが抜けることははじめて?。いつも、Toさんの仕事が終わるのを職場の近くで遊びながら待ったりすることはあったけれども・・・これも父さんの役割の一つ、「一緒にいてくれていると安心」の裏返しかも?
2008.07.26
コメント(4)
一日、特にスケジュールのない土曜日です。しかしそれに気がついたのは今朝になってからでした。いつも土曜に入ってくるバレエのレッスンも、Vnのレッスンも、オケの練習もクァルテットの練習もありません。すご~~い!!Toさんは午後から大阪の勉強会に行くとのこと。その前に本屋に寄ろうかなっていうから、ほんじゃぁ~~とその予定に便乗することにした私と五女A今、頭の中は家族の中の父の役割について考えている最中!!だからちょっと本は読めない。この暑さにくじけそうになる心のサプリメントになる写真集を探しました。あった、あった!! 海の生き物のユーモラスな写真がいっぱい入っています。「Smile 井上慎也写真集」東方出版
2008.07.26
コメント(2)
二男Sが久々に家に帰ってきた。案外元気な声!!火曜から三泊四日の予定で東京出張、いやいや、彼の場合は遠征とでもいうのかしら、放送部の全国大会(NHK全国高校放送コンテスト)に行ってきたのだ。個人でのアナウンスや朗読部門ではなかなか全国大会には行けないけれど、ドラマ作品部門なら彼の部は毎年のように全国大会に行っている。先輩である二女も三女も同じように夏休みはじめに出かけて行った。ああいう作品を扱う大会は気が楽でいい。すでに京都大会で出した作品をもう一度全国大会に出すのだから、何の緊張もなく、楽しい気分で参加できる。そして全国大会で優秀な成績を収めなくっちゃというプレッシャーも前例がないだけに、まったく誰も感じていない。ひたすら、よその学校の作品を見せてもらって、作品論評、評価に耳を傾け、次の作品へのヒントを得ようと技術的、アート的、内容などいっぱい勉強をする。夜は友人たちと語り合って、まるで部活旅行のような感じなのではないかしら・・・。特にSはドラマを作るのが大好きシナリオから編集まですべての過程に深くかかわっていく。(つまり口出しせずにはおれない)時には自分でも演じて(今では地域の児童劇団と学校の演劇部とを兼部までしているぐらいだから)カメラも回し、パソコンで編集して・・・たぶん彼がしている活動の中で最も熱心に行っていることがドラマ作り!!何か見つけたら、とことん追求せずにはおれないまっしぐらなところは、まさしく我が家のキャラそのもの!!やはり君もそうか!!この前、期末テストが終わって彼は言った。「お母さん、英語はすごいことなってるから覚悟しといてな!!」「はっ、私が覚悟?!このままではどん底!て覚悟するのはあなたでしょ!!」まだまだ難問は続く・・・
2008.07.25
コメント(4)
友人との電話で「この頃ちょっとしたできごとの中で、色んなことにお話ししてくれるね。いっぱい気付くことがあるってこと、素晴らしい!!物事に気付けるってひょっとして、心の中に余裕があるってことじゃない?」「それは、さっちゃんとかいろんな人が私の心の扉に『トントン、入ってもいいですか?』てきて下さるからよ」「そうかもしれないけれど私が行ってもカギかかったままだったら入れないよ。あなたが『はい、どうぞ!遊びに来て~~』て心の扉を開けてくれるから一緒にお話ししたり、お買い物したり、笑ったり、泣いたりできるんだよ」「そうか !!」「そう、『はい、どうぞ』て言えることが心に余裕があるってこと。それに私の話もちゃんと聞いてくれて、今までの自分が思っていたことと違うことを私が言ったとしても、『ちょっと待って!!』て考えてから『あ、そうか~~』て受け入れてくれるでしょう! それだけ心の中が整理されて、空間が広がって、素敵なインテリアが置けるようになってきた、てことだね。良いなぁ~~ うちの本当の家もそんなふうにした~~い」
2008.07.24
コメント(6)
昨日から小学校は 9時スタートの夏の勉強会 10:30~午前の水泳教室 13:30~午後の水泳教室 が子どもたちの動き。 14:00~ 個人懇談 は大人の動き。Wは午前の水泳、Aは朝の勉強会と午後の水泳でした。(学年やクラスによって違っている)このところ、特に午後の水泳の時間は本当に暑く、多分プールの水もなまぬるく温まっているに違いありません。昨日は光化学スモッグ警報も出て、子どもたちは慌てて上がってきていました。今日はどうかなぁと思いながら、ちょうど私はレッスンをしている間だったのでAは一人友人のY君を誘いに行ってプールへ出かけていきました。帰りは途中まで迎えに行ってあげようと思って、冷たいアイスパックや飲み物を用意して、さぁ行こうと思ったら、玄関が開いてAが帰ってきたのです。「あれ、早いね。どうかしたん?」「先生が『早く帰りたい人は帰ってもいいよ』ていわはったから帰ってきたん。」「あんなに今日もプールがあるって喜んでいたのに早く帰ってきたん?しんどくなったんか?」「う~~ん(いいや) 早く石を拾いたかったから・・・。触ってみて!すごく熱いで!!」「わぁ~ほんと、すごく熱くなってる」最近Aは石や昆虫、草木にかなり興味を持っている。歩くたびに気に入った石はないか下を向いて歩いている彼女。時々私にとってはなんでもない小さな石を大切に持ち帰って、南側にある庭とも言えないせま~~い土の上に並べ、その内側に小さな池を作るらしい。夜のオーケストラの練習から帰ってきた時は、大きなスケッチブックに蝉の絵を描いていた。昆虫図鑑を目の前において、うついているのだけれど、私が真剣に写したとしても、誰の目にも彼女の絵の方がよっぽどよく描けていると言うだろうなと思う。それぐらい細かな時ころまできちんと写し取られている。テレビで科学番組や健康番組をしていたら、絶対に消せない。Aは真剣そのもので最新医療事情や科学研究についての話を勉強しているつもり・・・なんだ。まだひらがなの教科書もよく読めない、プリントの問題が読めずに苦労している彼女のこのアンバランスな力どんなふうに成長していくのか、家族みんなが興味津々で彼女を注目している。
2008.07.23
コメント(4)
W(10)「なんでAちゃん(6)コップじゃなくて水筒にお茶入れてるの?」寝る前の一服のお茶、Aはわざわざ水筒を取り出してきてお茶を入れ氷を入れて閉めてから、また開けて水筒のふた(コップ)に注いで飲んだ。Wの声が聞こえないのか気付かないのか、Aはそのまま飲んでいる。また、W「何でAちゃん、水筒にお茶入れてんの?」と声がかかった。Aはその時、同時にM(21)からかかった声にこたえていた。Wはその後MとAの会話の合間に3度目、4度目・・・と何度か声をかけてようやくAが答えてくれた。A「う~~、別に。なんかしてみたかったん!!」W「わかるわ、何となく、水筒に入れるとたのしいもんな。それに氷も溶けへんし・・・」A「うん。でも、もう氷溶けてしもた~~」今日はW、受け皿が大きいなぁ~~ 何回も同じこと言わされたら、イライラしてたまに怒ったりしていたけれど・・・ちょっとお姉さんになった??会話は心を映し出す
2008.07.22
コメント(10)
朝、入園前の子どもたちのクラス「いちごクラブ」で演奏をしてきました。お休みの日なので、小学生のお兄ちゃんや赤ちゃんのきょうだい、それにお父さんやおばあちゃんたちもいらしていましたよ。先生はとっても元気のいい方でね、子どもたちもついつい先生の世界に吸い込まれていきます。いつもと違ってお話の中に、手遊びの中に、動物ゲーム、音当てクイズに、いろんな場面に生の音が入ってくる今日のプログラム。その場で弾いているとちょっとしたところにニュアンスを作ることができる。2回出てきたら、一回目よりちょっと小さくしてみたり、弾き方をかえてみたり、もうすぐ終わるよという合図を音で送ったり・・・それを子どもたちは上手に感じてくれる。CDをかけながら歌っていたら、いつも全く同じテンポだけれど、今日は違うし、しかも言葉に合わせた抑揚も浮かんでくる。子どもたちにとっても大人たちにとっても、フレッシュな時間になったかな?と思います。じゃぁ また来年会いましょう!!
2008.07.21
コメント(12)
昨日はもう一つ夕方から小学校のキャンプがありました。土曜の夕方から集まって、体育館に泊って翌日朝に解散という、PTAの一番大きな、大変な行事です。うちの子どもたちは泊まらずにイベントを楽しんで夜9時に帰ってくるコースを選んでいたのですが、それでもWは朝からバレエのレッスン、Aも一年生の集いで疲れていて、しかも続けて日曜、月曜は教会キャンプになっていたから、今年は私だけが手伝いに行きました。私の担当はアートバルーン 立命館大学の学生さんがいろんなウサギや犬、剣なんかを風船でつくってくださるのの助手をしました。300本の風船を膨らまし、夕方の熱気が校舎の中にたまっています。お隣は去年手伝ったお化け屋敷、外ではグランドゴルフ、ストラックアウト。他に昔遊び、アニマルパニック、マジックショー・・・開会は消防音楽隊とカラーガード隊のパフォーマンス 終わりは花火!!とても盛りだくさんです。私は最後まではいなかったけれど、暑い中、みんな早くから準備に励み、120名の子どもたちが学校に泊るのをサポートし、朝の片付けまで、本当にたくさんの方々が頑張ってくださるんです。ご苦労様、ありがとうございます。何回言っても足らない~~~本当にありがたいです!!
2008.07.20
コメント(4)
五女Aの一年生の集いがありました。それは幼稚園をこの春卒園した子どもたちが、久しぶりにもう一度幼稚園に集まって、ちょっとばかり大きくなったお友だちと、楽しい半日を過ごそうという集まりです。Aは毎週幼稚園という場所にはバレエのレッスンで行っていますが、懐かしい友だち、そして先生たちがずらっと揃った園はまた様子が違うみたい。ちょっとはにかみながら、「う~~ん 靴はどこに置いたらいいのかな?」そうでした。もう自分の名前は靴箱にはないですね。カバンもどこに置いたらいいのかなぁ?そんな感じで始まりました。最初のイベントはみんなで集合写真!!先生も一緒に入って~~周りのお母さんたちが何やかやといってみんなをわらかして、パチり!!その後、子どもたちはホールでお集り、たぶんお話をしたり歌を歌ったり懐かしのカスタ体操(秋祭りで頑張ってやった側転が入っている体操)をしたり、そしてプール、最後はスイカ割り!お母さんたちはそのまま残って終わりまで待つ人はすみれのお部屋に集合しました。たぶん40名弱いたと思います。この一年生の集いができたころ(10数年前)は、本当に子どもたちだけのための会でした。でもこのお母さんたちの集まり方からすると、最近はどうやらそうではなさそうです。滋賀に引っ越されたた方も、宮津に行かれた方も、一年前に中途退園された方も来て下さいました。しばらく思いおもいに雑談をした後、せっかく皆で集まったので、近況報告などしましょうということになって、壁に張り付く大きな輪になって一人ずつお話をしました。ほとんどが卒園後、新しく始まった学校に通う子どもたちのの話ですが、その中で特筆すべき話は・・・宮津に引っ越された方は学校まで徒歩で一時間半、行きは6年生の子どもが早足に引っ張ってくれるけれど、一年生3人での帰宅となると、2時間から2時間半かかって歩いてくるというのです。わぁお すごいですね。この前までそんなに歩いたこともなかった子どもが、今では毎日、4時間は歩いているのです。ランドセルしょって!大したものです。そしてそんなこと出来ないわ~~て車で送ろうというお母さんもいない。親子ともなんとしっかり歩んでいることか!はやり人間環境なのでしょうか?自分で自分を甘やかしてしまっているのかもしれません。(私)さて、一時間ほどで30人がお話をし終わったときに、先生が写真を持ってきてくださいました。それはさっき撮った集合写真です。すぐに現像に回して、出来あがってきた80枚の写真をお母さんたち皆で、園長先生が今朝方描いて下さった挿絵がついた画用紙の台に写真を貼ってきれいに袋に入れる作業をします。今日来た子どもたちに持って帰ってもらうためです。作業はほんの10分ほどでできました。何しろ皆手早くやることをのみ込んで、きちんとして下さるからです。その後、また一人ひとりのお話に戻って最後まで語ったとき、ちょうど子どもたちのスイカ割りが終わっておいしいスイカが切られたところでした。お母さんたちもお相伴に預かって、玄米おかきも頂いて・・・まさしく幼稚園生活の再現で締めくくられた集い。お母さんたちのお話の中に何度もこの言葉がありました。「ここに、こうやってみんなが集っていることが嬉しいです」「ホッとします」「またぜひ集まりたいです」えぇ また集まりましょう 子どもたちもきっと喜ぶでしょう!
2008.07.19
コメント(10)
朝から病院に書類を取りに行く用事が2件ありました。朝方に降った雨でまだ空気はじっとりしています。それでもらんらんと輝く太陽の下よりはましかと思い、蔭を狙って平野神社を通り抜け、北野天満宮を横切るコースを選びました。たしかに蔭は良かった。でもまだまだ濡れている地面と大木から滴り落ちる雨水で何んと湿度が高いことか!!こういうのを熱帯雨林並みの暑さというのではないだろうかと思わずタオルで顔の汗をぬぐいながら思いました。ちょうど何人かのおじいちゃん、おばあちゃんたちと神社の中で出会います。すっと出てくる「おはようございます」のことば。あちらもとても気持ちよさそうにお返事を下さいました。あれ~~不思議~~西大路通りを行きかっていたら、まずにこやかな目礼が精一杯というのが自然なレベル。なぜか神社の中では、まるで前からの知り合いかのようなほぐれたご挨拶が互いに口からすっと出てくるのです。これはこのむしむし(暑さ)の中をご苦労さん、といういたわりの心理が働いているのか~それとも、神社という神さまのたたずまいに居させてもらっているからなのか~いずれにして、見えない良い力がはたらいてくださっているように思えました。
2008.07.18
コメント(6)
3日前から家事のパターンを変えました。明日の朝に洗濯されるべくかごで待っている洗濯物たち。かれらの待ち時間を短くすることにしました。朝の洗濯時間に間に合わなかった物や午後帰宅して汗びっしょりの服、体操服や給食エプロンなど、すぐに洗濯物1回分7,8キロになります。わたしの午後の活動時間と平行に洗濯機を回しておけば、後は干すだけの時間で済む。ついでに朝の洗濯物たちもすっかり乾いてくれているので、すぐ個人個人に分けて、片付けてしまうことができます。すご~~い。これで朝の洗濯機3回回しが2回に うちの洗濯機は通常一回が45分つまり 今まで洗濯機を回しているだけで2時間15分かかっていたんですよ~~ どおりで10時スタートに間に合わないはずです。だから今日は10:30~を心平和にできました。もう一つ問題が残っています。それはこのコンピューターのことです。これはファミコン(ファミリーコンピューター)になっていて、現在これを主に使っているものは三女K 二男S そして私です。それ以外のメンバーはほとんどパソコン(文字通りパーソナルコンピューター)でそれぞれに4台稼働中!まるでオフィスのようでしょう?ところがこのファミコンメンバーたち、使う時間帯がかなり接近していて・・・「ちょっと、お母さん 僕急いでるから替わってくれへん」「え、今書いてる最中やねんなぁ~」「あと何分ぐらい?」「20分ぐらいかな?」「わかった!ほんなら終わったら教えてなぁ」「了解!」で私が打ち込んでいると、Kがやってきて「ごめん、お母さん 緊急!ちょっとやらして、すぐ替わるし~~」てな具合でどんどん予定は知らないところで変えられていきます。「パソコンがいる~~」と声を揃える私たち三人です。
2008.07.17
コメント(2)
二女Mはケーキ屋さんでバイトをしている。今日は廃棄になるケーキを安く手に入れて帰ってきた。廃棄といってもまだまだ食べられるんだけれど、ケーキは新鮮さが売りになっているので、早い段階で廃棄になってしまう食品の一つ。夕飯後に五女Aがやってきて言う。「おかあさん、今日ケーキ4個あるんやって!わたし、1個食べてもいい?」「え、Aちゃんが1個食べたら、ケーキ全然食べられない人も出てくると思うけど・・・ どうする?」「う~~~ん じゃぁ わたしはおとうさんと一緒に食べるわ!Wはおかあさんと分けるのがいいなぁ」とちゃっかりすぐ上のWの分ける相手も決めて、みんなが半分ずつ食べるように彼女が決めた。しかし、9人家族やで!!まだ、一人食べられない人いるんやけど・・・今日は、あいにくみんな帰ってくるしなぁ~~まぁこの季節のことだし、甘いケーキよりアイスクリームの方がいい!て言う人も出てくるでしょう「棚から牡丹餅ならぬケーキ」でお嬢さん方、〇〇○〇~~て泣かんといてね~~
2008.07.16
コメント(6)
昨日は友人の誕生日でした。先々週寂しい、さびしいととてもつらそうに過ごしていたのに、昨日はお電話してみたら、とても幸せそうでした。不思議です。人の心はとっても不思議です。いつも誰かがそばにいてくれる、ということで安心を得ていた彼女。逆に誰もいないとものすごく不安、そんなところがありました。それで1週間2週間と一人で自分のことをやり、自立するためのトレーニングを始めたのでした。1か月2か月・・・最初はきっと自分一人で自分のことをする、洗濯をしたり食べ物や飲み物を用意したり、掃除をしたりする体力を自分で上手に加減をしていくことに全神経を集中させていたんだと思います。それができるようになった!という実績を作って、私はちゃんとできるんだと思ったとたんです。彼女の心の中にどうしようもない寂しさが生まれてきたのは!人の心は不思議です。そう思いだすと、さびしい心はどんどんその寂しさを膨らまし、彼女の心の中にどんな小さな穴もつくらせないほど大きくなった時もありました。今になって、「どうやってその寂しさを乗り越えたの?」と聞いてみると確かこんなふうに答えてくれたと思います。「私には安心できる友人がいる。私のことを大丈夫て見守ってくれている人がいる。だから私は大丈夫なはず。もうすこし我慢してみよう、そう思った。そうしたら寂しさはだんだん感じなくなって、あんなに不安だったのに、少しずつ心配な気持ちも無くなっていた。」本当に誰かがそばにいてくれなくても、ちゃんと見守ってくれている人がいる、と思えるだけで彼女は自分の不安から解放されるようになっていた。素晴らしいことだねそしてこう言うの。「『おはよう!』と言える相手がここにいること、その相手がにこやかにしてくれることがこんなに嬉しいことだとはちっとも知らなかった!!」大切なメッセージをありがとう!!そして特別なお誕生日 おめでとう!!
2008.07.15
コメント(4)
突然、703さんとおしゃべりする時間をいただいた。 その会話の中で、私は高校まで結構出来の悪い人間と思っていて(それはそういう評価だったから)、大学に入ったことによってみんなの私への目が変わったように感じたと自分のことを振り返りました。そうではあるけれど、私はそんなに大きなコンプレックスを持たずにこれたのはどうしてかな?とお別れした後も家事をしながら考えたりしていました。するとずっと忘れていた私が小さかった時の記憶が戻ってきたのです。 小さなときからこれ!というものを見せない私だけれど、母は私のことをすごくかわいがってくれていました。 どういうわけか学齢に達していない頃でも、私はコンサートや美術館など、ちょっときちっとしていないといけないようなところでも、静かにできる力だけはあったみたいで、しょっちゅう、母の好きなコンサートや展覧会などに連れて行ってもらっていました。それは5人兄弟姉妹の私にとっては母との特別の時間で、「さぁ大阪のベートーヴェン展に行こう!」と決めたら、母は幼稚園や学校など平気で休ませて、連れて行ってくれました。私ももちろん、学校に行っているよりよっぽどその時間が楽しくて嬉しくて・・・マーゴ・ホンティーンとヌレエフの白鳥の湖、イ・ムジチ、小澤征爾・・・大きなホールに行ってはパフォーマンスを見て聴いて、必ず楽屋を訪ねその素晴らしいアーティストたちと間近に居させてもらっていました。今までちっとも気がつかなかったけれど、自らその才能を見せることが出来ない私にも、少しでもいいものを伝えよう与えようとしてくれていたし、ちゃんと二人だけのすてきな時間も作ってくれていたんだなぁと思います。小さい時の私を特に心に掛けてくれた母には本当に感謝です。
2008.07.14
コメント(10)
朝、教会は神父さんがおられないので信徒たちで集会祭儀なるものをしました。これは近隣に教会がなくてミサに預かれない時のためにつくられた祭儀です。この町ではそこかしこに教会があるので、自分の教会でごミサがなくてもいつでも他の教会に行くことはできます。でも未来にそういうことができなくなったときのための練習として、そしてごミサの有無とは関係なく教会(コミュニティー)としての様々な活動が滞らないように、月1回程度この集会祭儀が信徒の手によって行われています。 今日の福音はあの有名な「種をまく人」のたとえ話のところでした。(マタイ13.1~9)「種をまく人が種まきに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。他の種は、石だらけで土のすくないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。他の種は茨の間におち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが他の種は良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」誰でも、この種をまく人はイエス、そして種は福音だとわかる。種が落ちていったその先は、それぞれの人の心のありよう。さて、この様々な種のおかれた環境をいかに良い土地に近づけていくのか?そしてそれはどうすればいいのだろう?という疑問が湧いてきます。当時種まきは土地一面にバラバラと適当にまき散らし、それから土地を耕したそうなのです。ということは硬い地面、石ころの多い時、茨のある土・・・それを良い土地に変えようと土を柔らかくし、石ころを取り除き、茨を抜くのはだれ?ひょっとしてイエスさまですか?「あぁ しんど! もう無理やって、どこまで要求するつもり。どこまで私にやれっていうの・・・」とお手上げ状態になっている人の心の扉に、トントンとノックして「あの、その石ころ取り除きましょうか? その茨、抜きましょうか? そのかた~い土、鍬で耕しましょうか?」そう声かけてくれている人がいる。すぐそばで!!「そんなん、自分でできます! 私の心石ころなんて一つもないし・・・」そうかたくなになっているのはこっちの心かも・・・こうじゃないとだめ、これが正しいの!そう思っている心を少しだけ緩めてみたら、神さまの優しさが伝わってくるのかもしれないです。今日は神父さまいらっしゃらなかったけれど、とてもいいお話でした。
2008.07.13
コメント(4)
午後から、「院内七夕コンサート」をしてきました。昨日言っていたように、楽しんで弾けたことが今日の何よりの収穫です。「La Capricieuse 気まぐれ女(自訳 お茶目な女性)」は難しいスラースタッカートの連続がいっぱいあるのだけれど、無理せず、普通のスタッカートに代えて演奏しました。実はその方がずっと私の力量だと生き生きと表現できるのです。楽しい曲はみんなの心をウキウキさせる。すぐに表情が高揚してきて子どもたちは目をキラキラさせる。大人の方々もハッとして心が弾みだす。それが弾いている私にわかるのだから、すごい変化だなっと思う。もう一つは同じエルガーの「朝のうた」とてもさわやか~~な曲なので、今のように湿度が多くて暑い時には重宝する曲なんです。弾いている私も一番気持いい。 演奏自体はまだまだテクニック的にも満足できるものではないけれど、みんなで楽しい時間を持てた、という喜びを今日はいただきました。そうやって一つひとつの演奏や活動が大切な勉強になっていくんだなぁと思います。応援ありがとう。「心のバリアフリー」についてはおいおい考えていくつもりです。そうそう、今日はとても懐かしい友人に会いました。小学校一年から高校までずっと一緒に学校に通っていた同じ町内のTちゃんです。今日演奏した病院で去年の秋から働いているそうです。彼女とちゃんとお話ししたのは上の子どもたちがまだ2,3歳のころだから20年もお会いしていませんでした。彼女は私が行けなくなった後、阿南慈子さんの所にヘルパーさんとして通ってくれていて、そして今日の病院、ずっと同じ足跡付けているんですよ。ふしぎなTちゃんとさっちゃんでしょ?絵本が書けそうです。
2008.07.12
コメント(2)
ようやく昨日広報の仕事の私の分担分をやり終えて、バトンタッチしました。すでに、PTA会長と教頭先生の目を通してもらっているので、手書き部分がきちんと終われば、完成。あとは印刷のみとなります。今日は午前が「森の音楽屋さん」 午後からレッスンをして夜は妹とのリハーサル。全くの新曲はエルガーの「気まぐれ女」という邦訳の曲なんだけど、どっちかというと「お茶目な女性(ひと)」という雰囲気のものです。ちょっといたづらっぽくって、ユーモアがあって、盛り上がるぞ~~と思わしながら、実ははぐらかしたり・・・明日の目標はもちろん、楽しんで弾けること!!さて、一昨日「心のバリアフリー」のことがちょっとコメントの話題に出ていたけれど、こうしたユーモアやいたずらが作り出す笑いはバリアフリーにもってこいですね。考えてみればうちの中の会話は、相手の予想をどれぐらい覆すことができるか、を試みているものが大半です。言葉の音や意味、背景、豆知識、あらゆる自分の持つ情報を駆使して、ポンポン、線路を飛び越えたり、逆送したり、ひっくり返されたり・・・、それがどんどん続いていって、とても小さな子どもたちはついていけません。今、うちの家で一番まじめな会話をするのがW。そしてかわいい会話をするのはもちろん小1のA最も奇想天外な会話を好む人は長男のA 大抵の人はついていけません。でも、そのハチャメチャっぽい会話の中にこそ、彼の真意が込められている。彼の難しいところはそこ!これを掴み切れなかったら・・・ソッソッそんな馬鹿な~~ということになってしまいます。お蔭で、私も彼の成長とともにより柔軟な頭になってきているように思うのだけど・・・、これ気のせい?
2008.07.11
コメント(4)
五女Aはお片付けが大好き!こちらが何も言わなくても、気が向いたら、「お母さん!洗面所きれいにしていい?」といってやってくれます。今日は二階のWとの自室の本棚付近を片付け、本の大きさを揃えて入れてくれます。空いた空間には何かちょっとした可愛いものを置いたりして、なかなかセンスがあるんです。この1週間ほどで彼女は食事をするテーブルリビングの棚パン入れのかご玄関音楽室の本自分の机洗面所ここかしこをかわいい手と素敵なアイデアでみんなの心をほっとさせてくれます。我が家にあってはとっても貴重な大切な存在。お願い!!このまま大きくなってね!!
2008.07.10
コメント(2)
昨日に引き続き今日は高学年の参観、そして同じく「テーマは人権」4年Wのクラスでは、育成学級に通う子どもとの心の交流について書かれた「笑顔」という文をメインに障害について考えました。以前、Wのクラスでも育成学級との交流会で、相手が何を望んているか?(言葉を介さず)あてっこするような遊びを通して、相手が本当に必要とする手助けや見守りをしましょうということを学んだようです。何者同士であっても、こういう形で寄り添い合うことは本当に大切なこと、こんなゲームを考えつく先生たちには感謝です。ただ、「障害は不便なこと、その不便なことをもっていることが障害者。そしてその不便をなくすことが、バリアフリー」という説明が付きました。確かに、教科書的にはそうなのかなっと思います。でも、私は不便なこと、自分にとって不都合なことを否定したり取り去ろうという心理は決していいものを生み出すようには思えない。バリアフリーは不便なものを解消するのではなく、障害を持った人が自立できる方法を手助けするものだと思うのだけど!先日、どうして私が自転車に乗らないのか?という質問を受けた時に、答えました。「Toさんが子連れで自転車に乗らないで!」て言ったから・・・当時は子ども用のヘルメットなんてなかったから、安全のためにToさんはそう言った。歩けば20分かかるところを自転車なら5分で行ける。でも、私はその便利さよりもちろん安全の方が良いにきまっているから自転車に乗らなくなった。(車にも乗らない。カナダでは乗っていたけれど、こんなに見通しの悪い大きな町では乗りたくないという私)以来20年間、小さな子連れの私は自転車にほとんどのっていない。この状況は外から見ればある意味、足かせのある不便な人、私は障害者。でも、私はそれを不便とか足かせとか、ちっとも思っていない。子どもたちと一緒に歩けることは楽しいことだし会話も弾む、もちろん自分の身体にも子どもたちの身体にもいい。(自分のやれる中に他の人には見えない喜びがある)必要ならバスでもタクシーでもいつでも使えるのだから・・・(バリアフリー)つまり、自転車に乗る人から見れば、私は不便な人(障害者)に見えるけれど、でも私自身は自分についての不便を感じていない(健常者)。そういうものではないのかな?っと授業を参観しながら考えました。便利であることは良いこと、不便なことは悪いこと!!こういう定義はなるべく子どもたちから遠ざけたい私です。(場合によるけど・・・)
2008.07.09
コメント(12)
小学校では低学年の参観がありました。一年生のクラスはお母さんたちに見られるのも、ちょっと慣れてきた子どもたち。それでも始まる前から何回も後ろを振り向く子どもたちの姿を見て、先生はおっしゃいました。「じゃぁ、1分あげるから、思う存分後ろのお母さん方を見て下さいね」可愛い顔が、かわいい目が一斉にこっちを見る。こうなるとお母さんたちの方が恥ずかしいし・・・子どもたちのにこにこ、お母さんたちのニコニコそれを見る先生のにこにこ、すっかり良い雰囲気で授業は始まりました。教壇を人形劇のステージに見立てて「はしのうえのおおかみ」?を物語りながら、意地悪して偉そうにしているより、仲良く、そして優しくしてあげて、相手に喜んでもらえたら、一番うれしいよね!に子どもたちを導いていきます。1年生でもしっかりわかるこのテーマ、授業でならすぐに立派な答えが出てくる。でも現実世界では・・・帰りの道すがら五女Aは私に言いました。「『お前の言うことわからへん!』『女はいらん!』とか私にいう男の子がいるねん。この前までおうちに遊びに行っていたのに・・・」と悲しそう。まだまだ未熟な小さな子どもたちです。自分の好きなこと嫌なことがすぐに口からスパスパ出てくる。いたしかたないなぁと思いながら・・・でも、このことば?まるで大人のことば。学習すべきはまず大人からか・・・・・・子どもの目を見るたびに、 毎日、どれだけ良い心でいられているかこれを思い起こそう。
2008.07.08
コメント(8)
いきなりやってきた真夏の暑さと梅雨の湿度、夏休み前が作りだすスケジュールのきつさが、今日の私の身体をどろどろにしていました。夏バテは夏始まりと夏終わりに来るというけれど、ほんとです。へたばっている私ではあったけれど、今日は「ミニ真名特別編」で私が通っている教会、母のおなかにいる時から付き合いのある教会で行いました。最初にお御堂の中を紹介 皆さんにとって教会の中に入られることはめったにないことなので、恐る恐る・・・?それぞれの教会には独特の空気があって、興味深いですね。このお御堂は今年建堂50周年を迎えますが、当時としてもそして今もモダンな感じがします。壁の南面は両脇に大きなステンドグラスがはめ込まれてあって、晴れた日はとてもステンドグラスを通った光が美しい模様を織りなします。全くの偶然ではあったのですが、私以外に、この教会で結婚式を挙げられた方がミニ真名のメンバーの中にいらして、自然に結婚や夫婦のことについての話題になっていきました。仲間通しで、愚痴ではなくこういうことを語り合えるのもすごくいいことですね。カッコよく言う必要もなく、また謙遜な心と称して伴侶のことを下げていう必要もなく・・・そのまま感じていることを語り、一緒に考えたり、一言をきっかけに自分の中で思い出にふけったり、思いついたり・・・。私がToさんと結婚しようと思った最大の理由は「ホッとできる」でした。大学時代も今と一緒ぐらい、いやもっと体力任せてハードな毎日を送っていた私。自分の家にいるよりも、オケのボックスにいるよりも、一番ホッとできるところがToさんのそばでした。この前の深読会で「疲れた者、重荷を負った者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28)というのがあったけれど、今考えれば当時の私にとって「わたし」はToさんだったのですね 今日はしんどかったので途中で帰らしてもらって一寝入りしました。ほんの小一時間横になったのです。それだけで、随分元気になりました。ミニ真名のみんなが今日は「わたし」になってくれて、「どうぞどうぞ休んで!」て言ってくださった。わたしはとても幸せな者です。たくさんの「わたし」がそばにいてくださるから・・・
2008.07.07
コメント(8)
久々の合わせ練習をしました。今週末に院内コンサートで弾くことになっているのだけれど、妹と一緒に練習する機会がなくて、ようやく今日が1回目一つは全くの新曲 でもとっても楽しい曲なんです。完成度からいえばまだまだだと思うけれど、一人で練習すること思えば、とても楽しくて面白くて、・・・本番もこの楽しさで弾けたら、何もいうことはないなぁ~~「音楽は楽しんでこそ、音楽」ところで、「music」てどんな意味があるのかな?
2008.07.06
コメント(2)
午後1時~9時までオーケストラの練習でした。家族みんなはそれぞれに忙しく、五女Aと二女Mだけが家に居ました。夕飯はみんなにお任せ、で私はオケの練習会場へ。お任せとは「ほとんどおかずを買ってくる」ということになるのですが、今夜はToさんもいたので、彼がちょっと手を加えたそうな!子どもたちは相当のやる気と暇がないと8人分のおかずを一品でも作ることはできないけれど・・・ やっぱりToさんはキャリアが違う。 さて、久しぶりのオケは全曲練習でした。序曲「ウィンザーの陽気な女房たち」、ラフマニノフのピアノコンチェルト、メンデルスゾーンのシンフォニー「スコットランド」序曲は簡単そうに思えるんだけれど、頻繁に調が変わっていくので基本になる音が定まりにくくて、とても音程を合わせるのが難しい。一人で弾いている時なんということないのに・・・ さっぱりわからなくなるところがある。ピアノコンチェルトはとにかくソロのピアノと合わせてみないと何にも言えないって感じかなぁでもこのところチェロコンチェルトを経験したので、きっと感覚的には前よりはずいぶん合わせる力はついていると思う。何よりどんなソロなのか?そして私たちの音をソリストのY先生がどんなふうに受け留められるのか? その辺に大いに興味が湧くなぁ~~今日は何といっても「スコッチ」全曲通すとますますこの曲の魅力を感じずにはおれない。本当に荒涼とした大地に哀愁あるメロディがのっかっていく・・・。あぁ それがVn!めちゃくちゃ美しいメロディで心の中ではいろんなイメージがわいてくるというのに、それを実際の音にしていくのは・・・・まだまだ・・・・!それでも思い切って自分で楽しんでみる冒険を試みると、周りとは当然ずれてしまうんだ~~。指揮棒にかっちり合わせたオンタイム、インテンポで弾く練習もとても大切だから、もちろんそういうものも入れながらの合奏練習だけれど、イメージの音楽とのギャップに泣きそう・・・になります。音楽ってすごいものです。ほんの少しのタイミングや音質の調節、フレーズの感じ方・・・ まさに紙一重の有る無しが、音楽を生き生きさせたり、べた塗の窒息状態を作り出したりするのです。これを書きながら、ふと思いました。人の心もそうなのかもしれない。心が軽く生き生きしているのも、足元しか目に入らない閉塞状態も、実は紙一重のほんの、ほんの少しの違いなのかもしれない。
2008.07.05
コメント(2)
一般家事を終えたあと、今日は久しぶりに掃除をしました。あれ、どうして一般家事に掃除が入っていないの?委員会も人との約束も教会も、みんな午前10~が多いでしょ?それに間に合わそうと思えば、この家族の家事でできるものは朝お弁当を作って、小学校の登校班の集合場所までWとAをおくっていって、晴れた日には夾竹桃の散った花を掃除し、花々に水をやり、洗濯機3回分の昨日の洗濯物をたたみ、それぞれの引き出しに入れ、今日の洗濯物を干す。朝食をかぶりつきながら、友人へ「ディリーいとい」をメールして、いただいたメールのチェック。とにかく私は毎日時間と「よーいドン」と真剣勝負をしている。そこに飛び込みのどうしてもしなければならないメール、電話、来客などありようものなら当然、時間は勝者となり、私は打ちのめされる。また遅刻か・・・どうすれば勝者になれるか知っている。「朝もっと早くに起きればいい。そのためには早く寝なさい。」とToさんの声が心に響いてくる。 今でも、やりたいだけVnの練習をしたり、好きなところまで本を読んだり、友人のことをじっくり考えてあげたり、大好きなカナダ滞在記を書いたり、レース編みをしたり・・・いっぱいやりたいことをしないで済ましている。送りたい手紙2通 案内が1通 これもまだ実現していない。書きかけのまま止まっている。申し訳ないね、ごめんなさい。差し迫った広報部の仕事が終われば、必ず書くからね・・・ もう少し待ってて!!今日のお掃除はたった一部屋、それも床付近に置かれたものを片づけただけ!それでもたっぷり時間がかかるほど、この家は今めちゃくちゃ!!
2008.07.04
コメント(6)
だんだん膨らんでいく寂しさは日に日に自分の負担になっていき、いつしか息苦しさまで感じ、今にも押しつぶされそうになるほど、友人の心を覆い尽くしている。長女も一人暮らしが続くと、一人であることだけではなく様々なストレスからの生まれてくる疲れによって、どんどん寂しさを募らせたという。昨日の日記のコメントにも寂しさが語ってあった。二女Mに「寂しさとは?」と聞くと「満たされない思いであり、認めてもらえない孤独感」と答えてくれた。考えや感覚を共感できないギャップやもちろん愛おしいものを失った喪失感もある。私はポッポを失った当時、予測できていない世界に放り込まれた衝撃、そしてそのショックから徐々に目覚めていくと、そこには「いるべきものがいない」という満たされない思いがあったと思う。けれども考えてみれば、それも、私の思いを同じように共感してくれているToさんがいてくれていたから、寂しいというものとは違っていたような気がする。あれは明らかに失った「悲しみ」それよりむしろ、結婚して初めて福井に引っ越したときの方がずっと、ストレートに「寂しい」と思っていた。それは単純に、「一日中誰とも話さない。」がつくりだす「寂しさ!」「話す」はどれほどのものなのだろう。今朝、小学校の委員会に行く前に気にかかる友人に電話をした。「さっちゃん、どう?」「やっぱり、あかん。昨晩、聖書の箇所をなんとか自分でも読んで黙想してみたけれど、このしんどさはまるでぐちょぐちょに水を含んだ雑巾のよう」そう言いながらも、私には夕べ電話した時よりはちょっとしっかりした口調に思えた。何のことか忘れてしまったけれど、二人ともケタケタと笑い出して、とても心配して電話をしている二人とは思えない面白さや笑いが絡んでいる会話。途中で彼女が言った。「一体さっきまでの寂しいしんどさはどこに行ったんやろ、まるで嘘やったみたい。」確かに、電話する前はどんな会話になるだろうと少し予測してはいたが、それとは真っ向から反対の会話になった。この会話の中には何があったのだろう。彼女はしきりに「私の笑い声」て言っていたけれど、そこにはひょっとして、こんなものがあったのかもしれない。少しでも分かってもらえるんだっと知った安心失っていたものを見つけれらた喜びそして笑いの壺
2008.07.03
コメント(2)
心の深いところを自分で知ることは難しい。時には友人が、時には身体が、時には聖書がそれを教えてくれる。背負いきれない重荷を感じ、生きることを断念しようかと思うときも「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11 25-30)そう言って下さるのは彼だけ!!本当にあなたのそばに行ってもいいですか?こんな私でも行ってもいいですか?そう心の中で問いかけようとしたら、伝わってきた。「こんな小さな、こんな身分の低い貧しい僕のところに来るのに、何の遠慮がいるんだい。いいかっこしなければならないものはここには何もないよ。いつでも、夜中でも、明け方でも、待っているからね、君のすぐそばで!!」「え!すぐそば、すぐそば??」私は大声で泣いた。いつも独りぼっち、誰もわかってくれないと思い込んでいた。なぜ、私を苦しめるのと怒っていた。なぜ、私の心はこうなの!!なぜ私の身体はこんなふうになってしまうの!!でも・・・でも、彼がそばにいてくれていた。彼が支えて抱いていてくれたから、今まで生きてこれていたんだ。最初から一人じゃなかった。本当に一人じゃなかったんだ!!~苦しみの中にいる愛する友人のために~
2008.07.02
コメント(6)
「痛~~~~~~~~い!!」ヴァイオリンを弾く目の前で寝そべっていた五女Aが長~~い 一分も続いたかと思える叫びをあげた。四女のWがまねしてその横に寝そべったその瞬間のことだった。Wは一呼吸してからぼそっと「ごめ~ん」と言った。私はヴァイオリンを弾く手を止めて、Wをまっすぐ見る。すかさず彼女は言う。「だから『ごめん』て言ったやん」私はそれでいいのかな、という信号を送っているつもりでまっすぐそのままWを見続けた。「Aが背中向けたから、私は(Aの)顔見て『ごめん』が言えへんかったん!!」とやれやれという顔をした。この頃、ちょっとは盾を突いてきている彼女です。何しろティーンエイジャーになったのですから・・・。私「あのさ、『痛~~~~い』て叫んでる人に『ごめん』より先にすることあるんと違う?」となるべく静かな口調で言っているつもりの私です。Wは「は!?」という顔をした。私「まず痛い、が無くなるようにしてあげな、な?」WはAの横にねそべったとき、知らずにAの髪の毛の束を自分の腕の下にひいてしまったまま、さらにひっぱって、その姿勢で「ごめん」を言っていたのでした。どおりで叫びが長いはず!!私は悪いことをしてしまった時、してしまいそうになった時、今まで「「ごめんなさい」をすぐに言いなさい」をなるべく強要することは避けてきていた。反射的に口で言うことで解決したつもりになってもらいたくなかったから・・・人に言われて謝っても、それはすでに謝罪じゃないとも思うから・・・なのにいつの間にかまだ10歳のWはしっかりそれを身に付けている。こんなふうに人はことばや態度の中にあるルールを見つけて、それを身に付けていく。たぶん、それはその人にとっての常識となっている部分。子どもでもこんな感じなのだから、言うまでもなく大人たちはたくさんのこのルールを貯え、いつもそれを駆使して判断したり相手の心境を読もうとしているはず。時にはそれが多いに邪魔になるだから私はWにも他の子どもたちにも柔軟な考えが持てるよう、いろんな視点から指摘や経験を持たしてやりたいと思って、わざとそのルールをはぐらかすことを楽しんでいる。ところが、この頃は上の子どもたちから「お母さん、それはあまりに常識的発想やわ!」と笑われる。
2008.07.01
コメント(6)
全32件 (32件中 1-32件目)
1

![]()
