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四女W朝8時半からピアノの発表会のリハーサルに出かける予定でした。リハーサルの後はバレエの練習に行って、ふたたび会場に戻ってきて本番という予定。彼女にとってよほどのことがない限り、バレエの練習は休みたくない。そこでリハーサルに出かける前に、バレエに行けるように頭もシニヨン(お団子)に結って準備を整えたのですが、そうそう昨晩Toさんが「いくらなんでも、そのぎりぎりスケージュールは難しいのと違う?なんかで時間が狂ったら、自分のステージに間に合わないし・・・。なんといってもピアノは今日が本番当日なんだから、バレエの方はちょっとお休みさせてもらったら?」と言ってくれていたのを思い出しました。で、おもむろにWにその旨伝えると、「そうやなぁ、バレエの方は12月のクリスマスパーティーの振り付けは完璧に覚えているから、いいか!じゃぁピアノの方だけに今日はしとくわ」とすんなり決めてくれたので、彼女はすっかり楽なスケジュールになりました。 朝から三女のKは大学へ課題をしに赴き、長男も神戸へ出かけました。長女はお昼ごろに大阪へ、家にいるのは卒論仕上げに追われている二女Mと期末試験前の二男Sだけです。Toさんと五女A、そして私は日曜のごミサに行き、聖歌隊の打ち合わせ後、Wの発表会会場へ急ぎました。そこで一緒に昼食をとったのですが、私はオーケストラのピアノ合わせがあるので、どうしても彼女の演奏を聴くことはできません。二人と別れて、私だけ地下鉄に乗って練習会場に急ぎました。到着時間、練習開始5分前でした。セーフ!!あたふたと用意をします。私のすぐ横にはデ~~ンとグランドピアノがあって、すでにソリストの山口博明さんはバリバリと弾いておられます。まぁ 私の用意が終わらないうちに始まるなんてことはない、というのがコンミス(コンサートマスターの女性版)の特権ですが・・・チューニングお願いしま~す!!の合図をでオーボエさんに送ってA(ラーーー)あ、しまった~~!!実はVnの弦の下2本(D,G)は新しいのに張り替えたところ。替えたてはすぐに音程が狂ってしまいます。今日、重要な練習が入っているとは分かっていたけれど、どうしても古くなったDGの弦の音に自分が耐えられなくなって・・・ 水曜、金曜に替えてしまったのです。みんな、ごめんね!!ピアニストの山口先生もすみません!!うるさく合間合間にチューニングします。という思いをめぐらしている時、さっとピアニストの山口先生が、Aの音を弾いて下さいました。そうそう、今日はピアノ合わせなんだから、ピアノのAに合わさないとね、完璧平均律の世界でいいんだね。オーボエさんのA(442ヘルツ)とほぼ同じピアノのAだったので助かった。(普通ピアノは440なんだけど・・・)みんなと一緒にA音を合わせてD,Gを調節していきます。しかし、オーケストラというのはある意味、大雑把です。家で一人でチューニングするときにはすごく細かいところまで聴いて合わしますが、ここにいたらこの狂いやすい新しい弦でも大してはずれているようには聴こえないのだから・・・。でもこのあいまいさは喜べないなぁ~~・・・とはいうものの、これでも我が楽団は飛躍的にチューニングがよくなりました。それはチューナーのお蔭です。昨年からみんながチューナーを使って音合わせをするようになったのです。特に今日のようにピアノと合わせるときは、チューナーの平均律の音程がありがたい存在となります。ということでようやく練習は始まるのですが、日記の方はここまでにしておきましょう。続きはまた明日にでも・・・まだ長男と三女のKは帰ってきていません(23時48分)
2008.11.30
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なかなか予定通りには進まないことが多い中で、ようやく年賀状の宛て名書き終了、五女のマフラー完成、そしてクリスマスカードの作成も半分ぐらいできました。この3年ほどは時間がないので市販のカードにしていたのですが、今年気に入ったものは値段が高くて、海外に20枚以上送る我が家としてはちょっときついと思ったので、また手作りに切り替えました。クリスマス写真に羊毛をふわっとかぶせたり、シール、レース編みなどをつけたりして楽しんでいます。後は一番難関の英語の手紙文。これは9人分の一年の動きをかる~くあっさり書いても当たり前に長文になるのでへこみます。でも一年に一回しか書かないのだから頑張らねば・・・!!昨夜は園長先生とお話しをするために居酒屋に友人と行ったのですが、私が「居酒屋というところに来たのは初めて!」というとひとしきりみんなびっくりの顔をされました。この歳になるまで居酒屋に行ったことがないということはどれだけ箱入りおばさんなのか・・・、という驚きなのでしょうか?もともと私は全くお酒が飲めないし、いつも小さな子どもを抱えている私がわざわざ誰かに子どもを預けないと行けないところなんだから…と思いきや、いえいえ違いました。昨夜は子どもの2歳の誕生日、ということでおじいちゃんおばあちゃんも一緒にケーキ持参でおいでになっていました。思いがけないお誕生会!!しかも幼稚園の卒園生がお父さん!!店の一番奥におられるお二人も、手前におられるお二人もみんな園長先生の顔なじみの方ばかりです。つまりここは先生のサロンみたいで、おじちゃんおばちゃんのおいしい手料理とおいしいお酒、新鮮なお造りもあって、ついでに先生のマイおはしもさっと出てきます。実はもし私がとてもお料理が上手だったら、こうやって身美味しい体に良いお料理を作って、それをいただきながら、みんなとお話しがいっぱいできる場を作りたいなぁと思うのです。居酒屋もそうしたサロンであるとはちっとも気がついていませんでした。居合わしたFさんご夫妻も幼稚園の卒園生のご父兄で、なんとうちの長男が在園した時(22年前)にご一緒に通っていたとのこと。しかも私は少しも覚えていないのだけれど、私の親友のKさんと一緒に我が家にまで来て下さっていたというのです。ごっごめんなさい、ちっとも覚えていません!!4時間近く先生と友人と3人でお話をしました。肝心のことは少ししか話さなかったけれど、先生の昔話や最近のお話を聞くにつけ、いかに先生が人をお好きなのかということがよくわかりました。そこはそのまま私との共通点ですね。私も「ミニ真名」というお酒のでないサロンを月1で開いていることをお伝えすると先生は「おぉ それはびっくり、僕も是非行かせてください」だって!!先生と一緒に卒園されたお父さんお母さんたちと、何か力を合わせてやっていくことができたらいいなぁっと思っています。
2008.11.29
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朝はMの用事で区役所へ午後からは教会の図書の整理に行ってきました。古い古い本がいっぱいある中で、6月あたりから少しずつ整理して下さってようやく書庫に再び並ぶ本が整列したところです。今、分類に分けた本たちにシールを貼って彼らの居場所を決めてあげているところ。帰り道きれいに色づいた落ち葉たちが風に煽られ舞い上がったりころころころがったり、見えない空気のダンスを教えてくれるのを眺めながら、思い出しました。7番目のAが生まれたとき、久しぶりに生まれたての赤ちゃんをまじまじと眺めながら長男A(高3)は言いました。「この小さな体の中にすべてが整っている、って信じられないほどすごいことやね~~」体の隅々まで、どんな細胞でも一つのまとまりと目的を持ってずっと活動していく。彼はそれに初めて気づかされたのだと思います。命を育む身体たち、本当によく頑張っています。今年身近に生まれた赤ちゃんたち、3月生まれで初めての子どもNちゃん9月には姪っ子ちゃんちにもGくんが、O家には三人目の長女Nちゃんそして11月にはYMさんの妹さんちにも二人目の坊ちゃんが・・・間もなくTさんところにも赤ちゃん誕生です。素晴らしい恵みを伝えてくれる赤ちゃんたち、本当にありがとうね。君たちのお蔭でいろんなことがわかるような気がします。
2008.11.28
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お昼前の天空には青の光の中に糸を引くふかふかの白い雲が連なり、何とも言えないリズム感と秋を感じさせてくれました。ちょうど友人からも鳴滝界隈を散策したときの輝く青空と赤く染め抜かれた紅葉の木々の写真が送られてきました。自然の美しさは不思議と人の心を引きよせ、洗い清め、平安なものにしてくれます。先日妹と一緒に話したとき、人間はどうやって自分のことを良し、と思えるのかなぁと話題になりましたが、美しい自然に出会うと文句なしに私を慈しんでくれているような気がします。自然からいただく愛です。つまり誰かから愛されることだけにこだわらなくていいんですね。神父の兄も一昨日の電話で言ってくれていました。「心が疲れた時こそ、思い出すといいよ。静かなところに一人座って自分の息の出入りに心を留めてごらん。心臓の鼓動に耳を澄ましてごらん。疲れている私を全力で支えてくれている自分の身体がそこにあることに気づくでしょう。それも自分への愛に他ならない。病気になったり障害を持ったりしたとしても、身体が一生懸命支えようとしていること自体は少しも変わらないのだから・・・。誕生前から最後の瞬間まで、ずっと変わらぬ愛を注いでくれているんだよ。」本当にそうです。私たちの周りにはたくさんの愛(恵み)があって、支え続けてくれているんですね。決して孤独ではありません。有りがたいことですね。
2008.11.27
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YMさんのコメントにも登場しますが、よく「病気と闘う」という言葉が使われますね。ドラマなどでも医師と患者とが「一緒に闘いましょう」と言ったり・・・他に「病気とうまく付き合いましょう」という言葉もあります。私はこの言葉の方が好きです。なぜなら病気になった自分を否定しなくてもいいからです。きっと慈子さんも孝也さんも家族に難病という病気をもらうことになったけれど、それを排除しようとされずにその病気を受け入れることから始められたことが、その後の力強い歩みにつながったのではないかと思います。何度もの再発や、思いがけない進行で心穏やかでなかった日々もいっぱいあったことでしょう。それでも難病ということであまり治療法が確立できていなかったからこそ、病気を受け入れるのに却って楽だったかもしれません。早い段階でこれから長く付き合っていく覚悟ができた。ご夫婦でよく話し合って、病気を引き受けていく姿勢を一致させておられたなぁと改めて思います。小さな子どもたち、実質的な世話などが入って肉体的、時間的なしんどさが避けられないとしても、根本的な病気への姿勢が了解できていることは、病人にとってとても大きな励みになるのではないか、と思うのです。今日も病気のことを考える機会がありました。私も必ず、自分の病気に向かい合い、あるいは家族の病気に立ち会っていくことがこれから先、今まで以上に何度もあるはずです。その時自分だけで抱えてしまったら、無力感にさいなまれたり、ヘタにいきがってみたり、何より怖がって結局自分の一人相撲に疲れてしまうことでしょう。Toさんなり、子どもたちなり、友人たちなり・・・と阿南家のようによく話し合って、どんなふうに病気と付き合っていくのか、この肉体と付き合っていったらいいのか一緒に考えてもらいたいなぁと思います。病気というものをいただいたとしても、それが発覚する前の自分と変わらぬ自分であることも忘れたくないです。不安になったりびっくりしたりもするけれど、でもやっぱりさっちゃんはさっちゃん。どこまでも私らしく生き、どこまでも私らしく看病していこう。
2008.11.26
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夜、Vnの練習をしていたらそっとふすまを開けたToさんが夕刊を差し出しました。今日(11/25)の読売新聞の「こころのページ」に友人が載っていたからです。以前にもこの日記で紹介したことがある多発性硬化症で2000年に亡くなった阿南慈子さんのご主人で阿南孝也さんです。難病になった妻の看病と発病時3歳と1歳だったお子さんの育児、そしてご自分のお仕事と穏やかなその笑顔や態度からはちょっと想像できないぐらいがんばった毎日を何年も続けておられました。私も94年春にカナダから京都に帰って、慈子さんのところに二男Sを連れて訪問したときは、そのとっても大変な時期を少し越えられて、家事はお手伝いさんが入って下さったり、ボランティアの方がきて下さったりして、慈子さんの自宅療養がスムーズになってきていた時だったと思います。そのうち彼女の作った詩やエッセイを本(花シリーズ他)にすることになって、ひっきりなしに口述筆記のために私も含めて友人たちが彼女の家にお邪魔するようになっていきました。その時、みんな慈子さんにばかりに気を取られていたように思います。なんといっても難病になっているのは彼女だからです。全く寝たきりの状態で、寝返りなど到底できない、首から下は全く感覚がなく、動かすこともできない彼女。全く視力はなく、かろうじて小さな声と普通の食べ物を味わってごっくんと呑み込めること、そして彼女の言う「地獄耳」が小さな音を聴き逃すことなく周りの状況を彼女に伝えているのでした。今日の記事の中に「不機嫌になる夫に失望し嘆くのである。体のどの機能を失ったことより、夫が持て余しているのではと感じていたこの時期が最も辛かった」と彼女のエッセイの一部が引用してあるのを読んで、「慈子さん、慈子さん」とみんなが言っていたころのご主人の気持ちを思いました。ご主人は本当に彼女のために普通の人では考えられないほど、毎日毎日精一杯のお世話や看病と子育てをなさっていました。どれだけ彼女のことを愛しておられたか、と思います。本当に誰もができることではない。それでも時にはため息が出る。身体の限界を感じたり、全くやる気がでない日もある。そんなときでも、私がやらなければ・・・、と孝也さんは動かれた。何しろ彼女は夜中に「寒い、」と思っても自分で布団をかけ直すことも、エアコンのスイッチを入れることも、のどが渇いて目が覚めても、自分ではお茶を飲むことすらできないのです。何でもそばにいる彼を起こさなければいけない。よく彼女が言っていました。「もう少し、我慢しよ。もう少し孝也さんを寝かしてあげよ・・・」それでも、とうとう限界がやってきて、起こさなくてはならない。「ごめんね、ごめんね、」と声をかける前から思い続けている彼女。寝ぼけた彼がちょっとついたため息を彼女の地獄耳が察知してしまう。そんなとき、どうしても彼のお荷物になっている自分しか、見つけられないのです。それが彼女にとって最も辛かった。一番よくしてくれる彼に一番感謝して、何か自分が彼を喜ばすことはないかと、いつも明るい心で考えようとしているのに、お荷物になっている自分ばかりが見えてくるみたい・・・。そう彼女が彼に言ったら、どれだけ彼の方もがっかりしたでしょう。何のために僕はこの努力をしているのだろう、って。そういう二人のことを私は十分想像できていたのに、自分(さっちゃん)は忙しいからとか、彼の力になってあげられることが具体的にちょっと分からない、などと自分の中で理屈をつけて「えらいですね」「お身体大丈夫ですか?」とか通り一遍なことしかできていなかったなぁと思う。今なら、きっととりあえずじっくりお話しをすることから始めるだろうに・・・。先日も孝也さんにはばったり出会った。変わらぬ穏やかな笑顔でご挨拶して下さるその姿に、私はいつも清々しい気持ちになるのです。
2008.11.25
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そうそう、コメントでポッポママさんがおっしゃるように子どもたちって、お母さんによく聞きますね「私のこと好き?大好き?」兄弟姉妹がいれば「子どもでだれが一番好き?」うちでも去年あたりに五女のAが「誰が一番好き?」て質問してきました。もちろん彼女は自分の名前を期待していることは重々分かっているけれど、「一番好きなのは誰?て言われても答えられへんわ。どの子もみんな大好きやからね。でもAちゃんは可愛いよね」とハグ。W「なら私は?」「Wは、バレエの好きな頑張り屋さん、いい子やね・・・」やっぱりハグハグ。先日二女MとHが話している時にWをつかまえて質問していました。M「W(10歳)にとって私はどんな存在?どんなひと?」W「う~~んと、Mちゃん(21歳)はまぁ、私のおもちゃやなぁ よう遊んであげてるし・・・」M「え~~ おもちゃ?私と遊んであげてる?」Mはそんな風に小さな子どもたちと遊ぶことができる人なんです。H「ならH(23歳)は、何?」W「そやな~ Hはまぁ、お姉さんて感じかなぁ。一応働いているし・・・」H「じゃぁ、K(19歳)は?」W「Kちゃんは尊敬できる。だって絵が上手やもん!!」H「私Kより絵うまいと思うで、プロなんやから・・・!!」そうそう、確かに絵を描かしたらきっとHの方がうまいでしょう。でもHは家では絵を描かないから、Wはその実力を知らないわけです。Wはその後、長男Aについては、どっからどう見てもお兄ちゃんとしか言いようがないし、二男Sは手ごわい相手と形容していました。妹のAについては「可愛いけどいじわる」だって!ねえ、やっぱり年の近いきょうだいで小学生になってくると、お互いに張り合うものです。毎日仲良しな分だけ、二人でぷりぷりしています。残り6人の表現は省略 ごめんなさい!!
2008.11.24
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ある日、友人のHちゃんが私に訊きました。「さっちゃんには嫌いな人はいないの?さっちゃんは嫌な人に出合ったら、どうする?」唐突な質問にびっくりしました。彼女は時々こういう思いもよらない質問をしてきます。そしてそれは、たいてい私が自分を見つめるきっかけになるものなのです。教会の中でもこんな言葉がよく言われます。「いやだ、嫌いだ、と思う人の中にこそ、キリストがおられるのです」で私は一息考えてみました。「そう言われてみれば、今までに出合った人で嫌いだ、と思った方はいないと思う。ちょっと分かりにくい人やなぁ、と理解するのにずいぶん時間や手間のかかる人もいるけれど、ある程度のかかわりのある人で嫌だと思った人はいないなぁ。」「じゃぁ、好きっていう人は?この人大好き?」「うん、それもいないかも~。あの人の声は好き、とかことばが素敵、とかはあっても、いちいち人を好きとかは思わないわ。」ひょっとして、ものすごくラッキーだから嫌な人に合わないで済んでいるのかもしれないし、あるいは無意識のうちにそういう人を上手に避けるように行動様式が出来あがっているのかもしれない。だとしても基本的に私は人に対して好き嫌いの感情を持たないようにしています。それもかなり小さなときからです。そう思うと、その起源はやはり教会にあったかもしれない。小さなときから、「人を自分のように愛しなさい」「良くも悪くも分け隔てしない」と教わってきたし、実際そのようにしてもらってきたから・・・実はこの質問をくれた彼女は、すぐ喧嘩になるので父のことが嫌い、と表現していました。そして私は彼女の霊的な母になっているので、彼女のことが大好きと私に言ってもらいたかったのだと思います。なので私にこのような質問をしたのでした。「もし、私がいちいち、自分の子どもに対して好き嫌いをつけていたらどうなると思う?この子のこんなところが嫌い、あんな所が好き、・・・。家の中は大混乱よ。誰にも良いところと悪いところはあるけれど、それと好き嫌いとは違うの!悪いところがあっても、お互いに赦し合って信じて、助け合っていくのが家族。それが愛というものだよね。だから安心して!私はあなたのこと心から信頼しているから・・・。きっとお父さんもあなたのことを愛されていると思うよ。喧嘩になるってことは気にかけて下さっているということでしょ?どんな風に表現したらいいのかお分かりにならないだけじゃないかな・・・。父さんは娘心を掴めないものよ、大抵ね・・・。」それからしばらくしてHちゃんに会ったとき、彼女は満面に笑みをたたえて言いました。「お父さんのこと、少しわかってきました。お父さん、やっぱり本当に私のこと心にかけていてくれたみたいです。この頃恐くないです。」彼女は本当に素直な心を持った人です。ずっとずっと「いい子でなければ愛されないんだ」と思っていたんですね。これから一歩一歩、おとうさんと良い関係を築いていかれることでしょう。私もです。
2008.11.23
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Edomonton で子どもたちが通っていたMcKernan Schoolには、日本の学校なら当たり前にあるものがありません。それは、プールです。体育の授業でも水泳の授業はなく、我が子どもたちも土曜に開かれているUniversity of Albertaの一般解放プログラムの中の水泳教室に通って、水泳を楽しみました。 雪が降り始めると、まず子どもたちは手に手にプラスチック製のそりを持って登校し、グランドに作ってあるスロープを利用して、休み時間はソリ滑りを楽しみます。がんばってカントリースキーのセットを持ってくる子どももいます。そして京都の学校にはないものがそのうちグラウンドに登場します。ぐんぐん気温が下がって氷点下10度以下がずっと続くようになると、グラウンドの一角が仕切られて毎日毎日水を撒いて分厚い氷にし、スケートリンクにするのです。出来あがったら、みんな一斉にスケート靴を肩から掛けて登校し、毎休み時間はスケートを楽しみます。青空と冷たい空気に見守られながら、子どもたちはほとんど野外で過ごします。寒さなんてへっちゃらです。生まれたての二男Sでさえ、スノーウェアをきちんと着せたうえで、一日15分でも20分でも、野外に出て新鮮な空気に触れることを心がけましょう、という指導を保健婦さんからいただきました。こうやってカナダ人は育っていくのですね。
2008.11.22
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今日は11月のミニ真名の日でした。7人のお母さんたちがお集まり下さって、とてもいいお話しをしていただくことができました。3時間のという時間の流れの中で、一人ひとりの方が自己紹介の中でお話しして下さるものは、今思い返してもちょっと思い出しきれないほど、たくさんの気付きが詰まったものです。一人の方のお話しを聞きながら、「私もそんなことありました。」「それって、~~てことなんですね」・・・と聞き手のみんなは同じような体験を思い出したり、確認したり、新しい示唆をいただいたりしていくのですが、話すテーマは何も予定していない(たぶん)にもかかわらず、みんな違うことを語られます。それだけ私たち一人ひとりは違った毎日を送っているんですね。出合うことも違っているだろうけれども、同じ出来事の中でも心に留めていることが違っている。なんてすごいことなんだ。これこそが一人ひとりの命なんだなぁ最後まで残ってくださった友人のお話しの中に、彼女がボランティアでお手伝いされている障害を持つお子さんのことがありました。その子のことで、ご近所の方がお母さんにクレームを言いに来られたところにたまたま居合わせて、「ごめんなさい、本当にご迷惑をおかけして申し訳ないです」とお母さんが謝られている姿を見て、ものすごく心動かされたという話です。障害によってはご近所にご迷惑をかけてしまうようなことだってありますよね。それをきちんとご近所の人の気持ちになって受けとめて、ごめんなさい、と頭を下げながら、でもその子どもがご近所に合わせて行動を取るということは無理なことも承知の上で、全てを引き受けておられるのです。これまでも、そしてこれからもそういうことは山のようにあるでしょう。それでも、その子の当たり前(普通)の姿をそれで良しとしながら、この社会の中で覚悟を持って生きておられる。とても尊い姿だと思いました。ともすれば、すぐに他の子や他の人と比較して、自分の子どもや自分をきちんと見ることを忘れてしまう私たちです。二人で、「そうだった。私も私の普通(飾らぬ姿)をちゃんと見つめながら毎日を過ごさないと・・・」と言って、今日のミニ真名を終えました。参加して下さった方々、そしておいでになれなかった方々からも心のこもったメールなどをいただいて、私はとてもいい時間を過ごすことができました。 今、一人の友人が突然の病気に出会い、戸惑い、不安に思っています。どうか彼女のように不安と疑問に出会っている方々の心に私たちが寄り添うことができますように、お祈りをいただけたら嬉しいです。
2008.11.21
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急に寒くなってびっくりですね。今日バイトに行ったMは家の近所ではそんなに冷え冷えとはしていなかったのに夜9時半過ぎの帰りのときは真冬の寒さを心底感じたと震えながら帰ってきました。ここ京都も北山通を北に越えると急に気温が下がります。この辺は暖かくてもあっちからくる車に雪が積もっていたりするのですから、あがる(北に行く)時は厚着をして行かないとね。こんな風に寒さを感じるとすぐにカナダのことを思い出す私です。カナダに行った8月の終わり、間もなく新学期を迎えるので上の子どもたちの編入手続きに近くの小学校を訪れました。そこで、簡単な書類に記入をして校長先生にお会いし、編入の許可をいただいきました。いとも簡単に終わったのでほっとしたとき、「学校のルールが書いてあるから、一通り目を通しておいてね」と一冊のパンフを手渡されました。今もそのパンフは家のどこかの押し入れの中で籠っているかもしれませんが、とても印象に残っている一文がありました。*生徒は気温がマイナス23℃になったら、外のグラウンドでは遊べません。え~~ マイナス23℃までは外で遊んでいるわけ~~~???まだ夏真っ盛りの8月のEdmontonでマイナス23℃の風景を想像することはとてもできませんでした。それから一か月、すっかり黄金色の景色の中で友人のTeddyが言いました。「早く、家族みんなのフードの付いたスノースーツを用意しないといけないよ。ある日突然、寒さはやってくるのだから。純毛の毛糸の帽子、耳カバー、マフラー、手袋はミトン型の内側に毛(Fur)がついているものと普通の5本指の二枚重ね、スノーブーツも内側に羊毛のフェルトが入っているか毛皮のついているものそれだけあれば、どんな寒さが来ても大丈夫。安心だからね」臨月のお腹を抱えて、とにかく大人2人分、子供5人分の防寒グッズをどっさり買いに行きました。その年は10月中ごろに雪が降り始め、次男Sが生まれた21日には白銀の世界に・・・夏から冬への移ろいは猛スピードのEdmonton。しかしここから長い長~~い冬が続くのです・・・。
2008.11.20
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私たちの結婚記念日のお祝いの夕餉の時、五女のAこっそり小さな手提げ袋を大ママの家に持っていきました。そして、さぁ、今から始めるぞ~という時に、うふっとほほ笑みながら「これはお父さんに、そしてこれはお母さんに!」と言って自分で作った折り紙のバラの花を胸につけてくれました。 今日、学校から帰ってきて、すぐに友人の家に遊びに行き、帰ってきたら今度は一生懸命ポケモンの絵を書いています。いつも昆虫や恐竜の絵が多いのに珍しいなぁと思って「へえ 今日はポケモンなん! Aちゃんてポケモン好きやったん?」「うう~~ん(いいや) 学校の友だちが大好きなん。だからプレゼントしてあげるねん」そういいながらポケモンの難しい名前もがんばって書いていました。どうやらそれは友人への誕生日プレゼントらしいです。何枚も何枚も書いています。「今日は色塗らないの?」「あ、これはただの絵ではなくて塗り絵、友だちが塗ってあそばはるねん」なるほど~~ことあるごとに、何か作るものを決めて一生懸命になる彼女いいなぁ 一年生はいっぱい好きなことができる!!
2008.11.19
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「太い絆は?(3)」でToさんが私のことを呼び捨てにした時に、「それ止めて下さい」て言った話をしました。実はこの話には続きがあります。結婚10年目Toさんは、数年前からの夢だった海外で研究の毎日を送りたいということを実現して、家族みんなでカナダで3年間住むことになりました。長男Aそして長女Hは現地の小学校3年と1年に編入、そして二女のMは同じ学校のキンダーです。実質的には1年生とキンダーとは同じクラスになっていて、キンダーだけ午前中になっています。初めての海外生活で、もちろんうちの子どもたちも英語など喋れません。だから最初しばらくの間は時間があれば、MとHのクラスに私もお邪魔して、少しだけ彼女らの手伝いをしていました。クラスにいると、あちらの子どもたちは5,6歳でもすぐに大人のわたしに声をかけてきます。「Hello, What's your name? how can I call you? 名前なんて言うの?私、あなたのことなんて呼んだらいい?「サ チ コ」「Oh, Sachiko~~」こういう会話を何回も何回もして、みんなが私のことを「Sachiko」と呼ぶようになりました。ここでは小さな子どもたちも、立派な校長先生も私のことは「Sachiko」と呼び、私も担任の先生やToさんの指導をして下さる教授にでさえただの名前だけで呼びます。(もちろん、相手の了解あってのことですが・・・)日本にいる時となんと感覚が違うことでしょう。素晴らしい解放感があるのです。ただの人間同士、ということがバッチリ実感できます。確かに日本にあっては「呼び捨て」という言葉が存在するように、「呼び捨て」は相手に対する敬意を持たないという意味も示していますが、そのように取るか、そうでないかは単純に私の取り方の問題だったんだ、と分かったんです。そうなると私は名前だけを呼ぶ、その平等感がすっかり気に入ってしまって、どこでもだれでも敬称なし!にどっぷりつかってしまいました。だから帰国してから、敬称感覚を取り戻す、丁寧語や謙譲語を使い分けることはとても難しいことでした。英語ばっかり使うのも結構大変と思っていたけれど、気遣いからすれば、よほど日本語の方が疲れます。今でもかなり言葉には自信がなくて、公の場できちんとした言葉でご挨拶なんてとてもできない私です。そして家庭内では今でも年齢に関係なく、大概それぞれに名前だけが使われていて、わたしも自分のことを「お母さん」ではなく「さちこ」と呼ぶことが多いです。703さんが11/14のコメントの中で「言葉」はものすごい力をもっていますねとおっしゃるのは本当によくわかります。注意深くあればある程、そして相手のことを知れば知るほど、言葉に託されている意味を読み取ることが可能になる、そういう力を持ったものです。だからこそそこに表現されていることが私の思っていることと、あなたの思っていることとどんな風に同じなのか、どんなところが違うのか、それをうまく察知し合って、理解に結び付けていくことが本当のコミュニケーションなんですね 傾け傾け、それでも傾け過ぎということはない耳と 相手のことを思いやれる心と 必要なことばを選べる頭さっちゃんのコミュニケーション3大目標です。
2008.11.18
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日曜の午後はようやくToさんと同じ時間帯にスケジュールを開けることができたので、二人で本屋さんに行ってきました。このパターンはそれこそ、学生時代からおよそ30数年間変わっていません。書店は河原町教会の隣になる「サンパウロ書店」です。店内はクリスマスシーズンを迎えてしっとりと華やかさとなんだか相反する感じが入り混じっています。友人が気に入っていたロザリオ(聖母マリアにお取次ぎを願う祈りに使う道具、今はアクセサリーとして流行ってきてるらしい)の本はどれかなぁ~、それから教会においていた典礼聖歌の本がボロボロになったから~~といろいろ小さな店内の書棚を見ていたら、看護や癒しのコーナーに「寺本松野」という文字が飛び込んできました。あれ、この方どこかで名前を見たことがある。ひょっとして、このブログをときどき覗きにきて下さるChiyomi kubotaさんが、この方の本に出会って訪問看護とターミナルケアに携わるようになった、とおっしゃっていた方ではないかしら・・・そう思うと、きっとそうに違いない、という気がしてきて・・・何冊かそのご著書を開いてみました。あまりに専門的でも困るし、分厚いのも困るし、この本良さげだけれど、フォントがも一つ~~とか本当はどうでもいいことが気になってしまって・・・そこでまえがきの「・・・これは学ぶためではなく、憩うために、一息ついてゆったりしていただくための本です」というくだりを読んで、その一冊を私は購入しました。本当に読みやすくて、こんなに本を読むのがのろい私なのに、帰りのバスの中、昨日の寝る前、そして今日の待ち時間、それだけでもう半分以上を読みました。修道女でありながら、看護師という仕事に打ち込み、いろんな方々との出会いの中で、心に留まったことが花に寄り添うように語られています。この出会いを伝えて下さったChiyomi kubotaさんも、フラワーアレンジメントをなさっていてすごくダブってしまいました。 「季節のいたわり」寺本松野著 日本看護協会出版会一人の方の人生をこうやっておすそ分けしていただけることは本当に嬉しい、ありがたいことですね
2008.11.17
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実は昨日11月15日は私たちの結婚27周年を迎えた日でした。お互いに動かせない、抜けられないスケジュールが朝から夜遅くまであって、特にお祝いできるような日ではなかったけれど、私としてはちょっとだけ、そのことを心にとめていてました。すると午前中のクァルテットの練習の帰り道、何度か今まで通っているはずなのに少しも目に入らなかった古い日本家屋がワイン屋さんであることに気が付きました。 ちょうど一緒に歩いていたクァルテットのメンバーYさんは私たちの結婚式をした時に参加して下さった昔からの友人、ついでにお店の中に入って、お店のご主人の目利きでフランスもののまろやかワインを一本購入してきました。 その後、オーケストラの練習があって、帰宅したのは夜の10時半ぐらいで、五女Aはちゃんとテーブルにワイングラスを二つ用意してくれていました。でも、Toさんは出先ですでにビールを飲んできているので、もうアルコールは無理!とのこと。そして私にいたってはまずアルコールは飲めない体質なので、「Aちゃん、ありがとう。でも今日はやめとくね。ToさんとA(長男)が揃っている時にワイン開けよう、A君も大好きやから・・・」今日、大ママちゃんが私たちの結婚記念日を祝って夕飯をごちそうしてくれました。27年も経っているのに両親が祝ってくれるなんて、本当に贅沢なことです。結婚したころ20年後なんて、あまりに遠い先のことのように思えたけれど、こうして今生きている自分や家族の姿を前にすると、時間というものがあるのかないのか、と思えるぐらい全く日々の長さを感じませんね。 私たちには上の子どもたちもいるけれど、まだ小学生も二人もいるから、子育てが終わりつつある夫婦の姿ではありません。でも、その長い子育てがまだまだ続く、という負担感は全くありません。むしろ、小さな子どもたちが持つ愛らしさを身近に感じられる特権をいただきながら、AやWがこれからどんな毎日を見つけていくのか、それを見守れる毎日を楽しんでいくことでしょう。 今朝の教会でのお説教はこんなものでした。「神さまからいただいている命、一人ひとりの命はそれぞれに才能や特徴を持っていますね。それをこの世で、惜しみなくみんなのために使い尽くす、それが神さまのお望みで恵みに応えることです。「シンドラーのリスト」(映画)の主人公のシンドラーは1000人近いユダヤ人の命を救いましたね。それでも最後に彼は『あぁ、この自分が使っていた車を売れば、もう10人の命が救えたかも知れない。この金のバッチを売ればもう1人の命を救えたかも知れない』と言って悔みました。惜しみなく使い尽くすとはこのシンドラーの想いです。」 新しい歩みを実感されているポッポママさんや703さんご夫妻とともにその時その時にふさわしい二人の絆をつくっていきたいと思います。今、しんどい思いをしている友人たちにも、必ず新しい良い道が見えてくるはず。自分一人で苦しまないで、どうぞ周りの私たちを使ってやってください。あなたはあなたのことにとどまらず、あなたのことはみんなのこと、いえ少なくとも私たちのことですから・・・共に喜びと感謝を持ちましょう
2008.11.16
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「この太い絆は?」に対して大切な一人ひとりの経験からくるコメントをいただいて、本当にうれしく思っています。実はこの夫婦うという絆について考えたいと思ったきっかけは長女Hの一言からでした。「お母さん、お母さんの今の経験を携えたうえで、もし、また私の年齢になったとして、結婚をどう思う?するならどんなことを一番大切に彼を選んでいく?」「え、今自分の経験と友人たちの経験から知りえたことを考えてか?う~~~ん。 めちゃめちゃ慎重になると思うわ。」・・・というわけなのです。長男は私が結婚した年齢にもうすでに到達しています。三女でさえもう19歳。これからの毎日に本当に人生の中で重要な選びが待っている、と思います。それは結婚をするかしないか、とか誰とするかということだけではなくて、自分がどのような思いを持って生きていくか、という選びです。上の子どもたちからのこんな問いかけこそが、私への問いかけ!あなたは、今どんな風に生きていますか?何を大切に生きていますか??うう~~~っと考えざるを得ないわけです。私にとって最も大切なものの一つが家族です。そこには何の疑問もありません。そしてその中心になっているものが、やはり「夫婦である絆」だと思います。でも、YMさんがよくおっしゃいますが、妻であること母であること嫁であること、さらに実両親との関係である子であること、おまけに仕事人としての責任がきれいに分けられて1人の人間にかぶさってきます。しかも今はそれらの責任や関係は常に一対一、個人、個人との関係でクローズアップされるために、ものすごく大きな課題が一人の人の肩の上にのしかかっているのではないかしら・・・。そのストレスを山のように抱えた者同士が、夫婦という一つの絆を通して毎日を過ごしている、そんな風に私には思えます。世界広しと覗いてみれば、もっとおおらかな関係もあるのではないか、歴史を遡れば、緩やかな繋がりで人同士が生きていたのではないか、とさえ思いたくなるのです。Tetsuoさんが11/12のコメントで「伴侶が一生懸命に取り組んでいる事を知れば、それが良い事であればある程に、信頼が生まれてくるのではないでしょうか?」これはマザーテレサが言われて世界中に広がった、「愛の反対は無関心です」の夫婦版言葉ですね。私がいった「信頼」というものに「関心」をつなげて下さったのだけれど、この何に関心を持つのか?ということに、まず大きなずれがあるのではないか?と思います。私は学生時代にオーケストラ活動をしていたこともあって、12,3年前からその活動を再開しました。はっきり言って、やりたくてやりたくて、その思いが積もったからやり始めたわけでも、やれる環境が整ったから始めたのではありません。単純に、人手がないから手伝って!て言われたからです。そのころは整わない環境の中でやるから、困ったことがいっぱい出てきて、Toさんにぼやくことも多かったです。しかし、いつの間にかそれが私の生活の一部にしっかり入りきってしまうと、昔フルートを吹いていたToさんもいつか一緒にオケで活動してくれたらいいのになぁなんて期待を描くようになりました。 でも、それは私の勝手な期待であった、と気が付きました。彼もオケでフルートを吹いていたから、今も関心があるだろう、と思うのは本当にこちら側の勝手な関心の持ち方でした。今、Toさんが嬉々として取り組むのは「絵を描くこと」、そして聖書や心理学を学問的に自分の関心のある方向からひもとくことです。絵に関しては残念ながら彼も時間がなくて、ちっとも取り組むことができない毎日ですが、学問的な部分は彼が入手した新しい情報を教えてもらっています。それは、彼を喜ばすためではなく、私が聞いていて面白いからです。しかし、ポッポママさんの11/13のコメントの究極の絆の姿までには、まだまだ遠い道のりがある私たちです。「お互い。。相手が幸せである事が幸せだと感じるのであるのならば。。お互いを主張して、なおかつ自分も大切にできる事だと気がついたのです」(ポッポママ)
2008.11.15
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「血のつながりのある人とは違い、夫とは他人なので思っていることは口に出さなければ分からない・・・と気づいたから?ただ、その言葉ひと言で、今まで築き上げた信頼関係が崩れる場合もあって、難しい!」YM1024さんのコメントより(11/12)「言葉で伝えなければならないこともある」私これ結構苦手でね。四女が生まれる前ぐらいまでは「ちょっとここ手伝ってほしいなぁ」ということも、言えば快く助けてくれることも分かっているのに、よう言わないでいることが多かったです。そして心の中で「口にしなくても分かってくれたらいいのに~~」なんて思っていました。でも今はそんな不要な期待は持たなくてもいいようになったなぁと思います。Toさんがしてくれそうなことはすぐに口にするし、無理なことは自然と最初から言わなくなった。友人たちが、夫からいろんな指示を受けることが多い、という話を思い出した私は「ね、わたしにとってToさんにこれ以上ああなってこうなって、て特に期待することはないんだけれど、基本的にその人をそのまま受け入れていくしか、夫婦が仲良く生きていく道はないよね。相手が気付いてくれないことは、所詮相手のセンサーには引っかからないことなんだから(感じられないことなんだから)・・・、口で言ってもわかることじゃないよね」とToさんに言ったら、「うっ・・・、まぁそういうことやなぁ~~」とこの私には言いたいことはない、とまで言い切ることはできないんやけど、こんな風に私に締めくくられたら言うチャンスなし!になってしまったわ、という表情で答えてくれました。 同じ日のコメントに夏の庭703さんが「私の結婚の理想として掲げていたものとしては、夫にはずっと私の前を歩いていてほしいということでした。私が追いかけても追いかけても、それでも、ああこの人には届かないんだアって思える人であってほしかったんです。」これもそうあってほしいと思っている女性は多いと思うし、男性の方も「君はちょっと後ろから僕を盛り立ててくれていたらいいんだよ」て人も多いのではと思います。 私にもそんな妻を演じることができるかも、と思った時がありましたが、新婚の第一日目でそれは消えてしまいました。結婚したということで今まで私のことを「さっちゃん」て呼んでくれていたのに、いきなりToさんは「S」て呼び捨てにしたんです。もちろん、家族になったから親しみをこめて呼んだはずの「S」ですが、私にとっては自分以外の誰かから「S」と呼ばれることは全く初めての経験で、下に見られたような気がしたのですぐさま言いました。「ごめん、呼び捨てにはしないで!!」きっとここでToさんは学んだんだと思います。私はToさんの半歩後ろを歩く人ではなくて、真横を歩きたがる人だなって!! 過去の私たちのことはともかく、結婚20年ほどになられるだろう夏の庭さんご夫妻が、ここから新しいご夫妻としての道を歩み始めておられるという、いいニュースに与れて、とても嬉しいです。うん、人間をそのまま受け止めるといっても、日々人は変わっていくことができるんだもん、安易に決めつけたらあかんね!!もう、あかん!!て締めくくるのは、本当に実害が重なり、何度も冷静に検証した結果のときだけ・・・。仲のいい二人には「不要な期待も不要な諦めもない」ということか・・・つづく!!
2008.11.14
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朝Sちゃんとデートをしました。先週Sちゃんとご主人は天橋立に旅行に行ったんだって。数年前までは車いすでようやく出かけることができたSちゃんが、今年は砂浜にいっぱい足跡付けて遊びました。拾った貝殻で両手はいっぱい、もう杖はいらない、とほっぽり出して・・・、引いては寄せ、寄せては引く優しい波とたわむれ、思わず走っているSちゃん。ご主人はニコニコしながらシャッターチャンスを狙っていっぱい写真を撮られました。そんなSちゃんたちですが、それでもお土産を買っている時に喧嘩になって、車の中でもプンプン「どうして一言言ってくれない!」と怒っていたそうです。そんなSちゃんに訊いてみました。「ね、ずばずばと喧嘩するけれど、どうやって仲直りしているの?私たちは幸か不幸か喧嘩しないから、もしそんなことになったら、どうやって仲直りしたらいいのか分からないかもしれない。経験なさ過ぎなんよ!」Sちゃんはハ~~って顔しながら答えてくれました。「それがね、昔はどうしても『ごめんなさい』という言葉を聞かないと許せなかったの!でもこの頃は何という合図や印もなく、いつの間にか普通の会話になっている。前よりずっと柔らかくなったわ!!」私「つまり、喧嘩していてもちゃんと信頼しているということやね、何かを疑っているのとは違うもの。前はそういうものがなかったけれど、変わっていったんだよね。変わらしてくれたものは何だと思う?」「一つは時間(月日)、それに心に余裕が持てるようになってきたから・・・」昔、本当に体調が悪かった時は、今日もまた彼が帰ってきたら、病院に連れて行ってもらわなあかんかも・・・。薬は副作用ないやろか~~そんなことばかりが頭にあって、少しもご主人のことも自分の心のことも考えられなかったんだって!!私「確かに、余裕は大切やね。その余裕はきっとSちゃんが自分のこと大丈夫、と思えるようになってきたから生まれたんと違う?自信というか自分に対する信頼というか・・・?」S「そうかも、だって今回の旅行でも5時間ぐらい彼とは別行動で私、外をうろついていたもん!!」彼女には本当に驚かされます。続きはコメントを含めてまた次回に・・・
2008.11.13
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久しぶりに綺麗な空とおはようをかわしました。空の表情一つで私の気分が決まってしまうぐらい、空とは太いパイプでつながっているような気がします。昨日の夕焼けも心に残る美しさ、Mはしっかり携帯で写真を撮っていた。なんて大切な存在なのでしょう。なんて大きな存在なんでしょう。このところ、夫婦のことを考えさせられる場面にたびたび出くわす。結婚しているものにとって伴侶の存在は大切であると同時にその在り方に自分も大きく影響される。(まるで私と空の関係のよう)この関係に最も重要なものは信頼、と思っている。「信頼」口で言葉にすることは簡単だけど、では信頼とはなに?と言われたら、・・・・そう簡単に言葉にできない。私にとっては人との出会いは、まずある程度の信頼から始まる。その信頼が言葉を交わし活動を通してしだいに深まっていく。もし、一点でも疑わなくてはならないことがあったなら・・・その深まった信頼は逆戻りどころか、最初の信頼さえ失ってしまう。そんなとてもデリケートなものかも知れない。一致しない見解一致しない感覚そんなことは山ほどあるはず。その違いに出合いながら、なおかつ信頼を失わずに生きていけたら、どれだけのトラブルを避けることができるだろう。少しずつ友人たちとともに見つめていきたいと思う。
2008.11.12
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長男Aは日曜日はそれまでの風邪の症状も消えて元気そうにしていたけれど、昨日、今日とまたぶり返しているかのようにしんどそう・・・先週は仕事が詰まって、毎日ほどんど徹夜で作業をし、なんとか締め切りに間に合わせることができたとのこと。そんな状態だから、余計治りが悪いのだと思う。朝彼が「お母さん、ごめん、そうでなくてももう期限過ぎているけど、この振り込み行っといてくれる?とても外には出れそうにないわ」と出かける用事を見つけてくれた。それで一通りの家事を終えて出かけようとしたとき、ちょうど銀行からMに電話。どうやら手続きが終わっていないものがあったらしく、近いうちに来て下さいとの連絡でした。「今、銀行に行こうと思ってるんだけど、一緒に行く?用意待っててあげよか?」と誘った。だいたい銀行の手続きというのは特に子どもたちにとってはめんどくさいわけのわからない用事の一つ。だからついつい後回しになってしまうのです。彼女はしばらく考えて、一緒に行くことにした。二人でさっさと行ってすぐに手続きを済ますことができた。あぁ おなかすいたなぁ、帰りには何かMが好きなものを買ってあげようかなぁと思っていたら、M「お母さん、このあと時間ある?マイパソ(彼女のノートパソコン)修理に持っていくの付き合ってくれへん?」「まぁ ちょっとお昼ご飯食べてからでもよかったらね・・・」それで急いで家に帰ってMがパソコンの用意をしている間に、私はお昼を澄まし、二人で20分歩いてお店に持っていった。そして快くメーカー工場の方に修理に出してくれるとのことだった。実はMはただ今卒業論文制作中 もちろんマイパソで書いている。なのに先週あたりからしばらく使っていると次第に動きが悪くなり、15分ほどで全く駄目になるという症状になってしまった。そこで、ファミリーパソコンを代用しだしたけれど、今から年末にかけて、年賀状やクリスマスカードなどファミリーパソコンの出番が一年中で一番多くなる季節を迎えている。「好きなだけ論文のためにファミリーパソコン使えないと思うよ!」と今朝お知らせしておきました。M「故障したマイパソなんてかわいくも思えないから、修理に出すなんて面倒くさい」、という。自分のバイト代で買ったマイパソです。そんなことはないはず!!ピ~ンときました。人間、心が元気な時は面倒なことは少なくなる。(煩わしいことさえも、すぐにやってしまうことができる)「何でも面倒くさい」「やる気ない~~」が頻繁に出てきたら、それは心が元気を失ってきている印です。きっと、卒論と就職が彼女をへこましている!!朝、銀行へ行くことはちょっとしたハードルだったけれど、私という人がいたら、案外簡単に実行出来たので、彼女はマイパソの修理の実行を思いついたのでしょう。甘えている、という人もいるかもしれない。でも、簡単な手助けをしてもらったらちゃんと出来る、という方法を彼女自身が体験できてよかったなぁ~~と私は思っています。人間いつでも元気、ではないものね・・・!!
2008.11.11
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昨日は府立植物園で「私の好きな木特別編 樹木と文化in KYOTO 2008」がありました。 植物園という自然豊かな環境の中で、日頃とは違った木や植物とのかかわりを持ってみようという企画で、好きな木を探して観察とスケッチ、木と遊ぼうコーナーでは、はねつきやふーせんロケット・・・樹木と音楽では、コンサートを聴こうなどがありました。わたしたちOBオケのメンバーで作っている「森のクァルテット」の演奏は11時からの昼食時間にBGMで大広場のステージで弾きました。木で作られた楽器の紹介も兼ねたもので、もう5回目になるそうです。いつの間にそんなに回数を重ねていたのでしょうか。今までは生の音のまま楠木並木のところで通りすがりの方々に聴いてもらっていたのですが、今回は場所が大広場になったのでマイクを通して演奏をしました。なので自分たちの演奏がどんな風に聴こえているかのモニター用のスピーカーもなかったから分からないまま、PAさん(音量調節をして下さる方)を信じて演奏するしかありませんでした。お互いの音が聴きにくいということがあってアンサンブルとしてはも一つでしたがそれも仕方のないことで、こういう時にあれこれ望むよりはこのお天とうさんの下で(青空ではなかったけれど)、大木に囲まれて演奏できるチャンスを楽しみたい私たちです。実はこの植物園、動物の散歩、そしてボールなど迷惑のかかる遊び道具、そして楽器は持ち込み禁止になっています。毎年、正面入り口で楽器を抱えて他のメンバーと待ち合わせをしていたら、必ずもぎりの係りの方がやってきて「あの、すみません。植物園は楽器の持ち込みは禁止になっていますので・・・ 事務所で預からせて下さい」ておっしゃるのです。もちろん事情を説明すれば、すぐに入れて下さるのですが、つまりのところここで楽器を出して弾けるというのは特別なことなのです。こんなすてきなことを5年も私たちがさせてもらっているなんて、本当に嬉しい有りがたいことなんです。一通り演奏を終え最後の曲は今はやりの「崖の上のポニョ」本番3日前の練習の時に、「ついに手に入れてきたよ、」とVaのKさんが楽譜を持ってきてくれたので、急にプログラムに加えることにしました。そして当日の朝、新たにアレンジを加えました。それは、木の楽器の一つとして私たちの演奏の後に、長男Aがジャンべを紹介することになっていたのですが、急きょ「ポニョ」をジャンベと共演することで新しい楽器紹介につなげようという流れを作ったのです。ジャンベが入ると一段と乗りがよくなります。例年ほど子どもたちがいなかったのが残念でしたが、やっぱりこの「ポニョ」が一番楽しんでできたように思います。長男もまだジャンベを始めて2か月しかたっていないけれどど要領よく、楽器のことを説明したり、少し叩いてデモンストレーションをしてくれました。ごくろうさま!!遠く離れた本部席の方でも音量的にも十分楽しめたとのことで、良かったなぁと思いました。午後から本格的なコンサートがプログラムされていて、その出演者は小室等さん、こむろゆいさん、他の皆さんでした。控室もご一緒させていただいていたのですが、小室等さんはものすごくソフトなお声で、歌い方も間合いを大切にした味わい深い印象を持ちました。後で広場でのマイクを通したお声とは全然違っていて、もったいない~~!!この日私たちに付き合ってくれた五女Aもお気に入りの温室を見学し、ひろばのブースでは特別に(申し込んでいないのに)蜜蝋ローソクを作らしてもらって、大喜びでした。素敵な一日をありがとう!!
2008.11.10
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昨日のオーケストラの練習はマエストロが出張ということで、弦と管とに分かれて分奏をしました。先に大きい部屋を使わしてもらって弦分奏をしました。今回の曲、メンデルスゾーンの「スコッチ」は弦だけのアンサンブルでやっても十分練習のしごたえのある、またその分難しい個所が連続で出てくるものです。今回の分奏では互いにメンバー同士で聴き合って合わせていくことに重点をおきました。誰かだけの聴き方ではなく、互いに自分の感覚を研ぎ澄まして、手を叩いてテンポを取るのも極力一定が保てるように努力する。これ、結構難しいことなんですよ。みんなの音を聴きながら手を叩くのなんて簡単と思うでしょう。いえいえ、とんでもなく難しいです。みんなの音を聴いていたら絶対自分のテンポを飲み込まれて、こちらが演奏に合わせてしまっちゃうのです。音楽的な音づくりをする前に、一定、という感覚を身につけておく必要がある。というのもアンサンブルとして複雑なリズムの絡み合いがたくさんこの曲にはあるからです。その一定感を保ちながら音を聴き分けてより良いものにしていく。あぁむずかし~~ いつもマエストロよく頑張っていますね~~昨日の練習では3,4人が聴き&叩き役に順に回って意見を出し合い、またその問題を少しでもよくする練習方法も出し合って進めていきました。2回の休憩をはさんで1時半~夜の8時過ぎまで。さすがにくたくたで、残り40分を残して終わることにしました。最後まで残ってくれた団員は期待以上にいい分奏になった、てめったに口にしないことばを言ってくれたから、ほんとにきっといい練習になったんだね。みんなほんとによく頑張りました。さて、管の方にはプロの先生がきて下さってトレーニングです。いつも手伝いに来て下さっている先生ですが、初めてご指導いただくということで、管の団員たちも練習が始まるかなり前から来て音出しや個人練習に余念がありません。いよいよ先生が来られたと見てアンサンブルが聞こえてきました。「え、こんなテンポでやるんですか?」絶対に弦は演奏不可能なテンポでなさっていました。でも、先生の声は管楽器の音を飛び越えて部屋の外まで聞こえてくるので、その熱意はさぞかし団員たちを動かしたのではないでしょうか・・・こちらの休憩時間にちらっとのぞいてみたら、いつもの管とは思えない厚みのあるまた密度のある良い音がしています。そうなんですね。自分で本気を引き出すのはなかなか難しい。こうやって必死になるチャンスがやってこないと自分の実力も出しきれないし、またひょっとして実力以上のものを出してもらっていたかもしれません。今度の練習はこの先生が合奏を振ってくださいます。さ~~て、どんな練習が待っていることやら・・・
2008.11.09
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さて、聖書講座の後、1時間半後には新幹線に乗って帰っていく兄に話したいこともあったので、そのまま聖書委員会の方々と一緒に残って、お茶をしました。「今日のお話はテープ起こしをして活字にしたものをまた送りますので、チェックして下さい。ご面倒かけますが2回ぐらいそれをやって本にさせていただきます。」と兄に委員さんがおっしゃった。「テープ起こし」なんて懐かしいことば。「わたしも最初の頃の本のテープ起こししていたんですよ。中川博道神父さまとか、シスター渡辺和子さんとか・・・」と声をかけました。まだ四女も生まれていない10年以上も前の話です。講座も聴いて、テープに録られたものをもう一度聞きながら活字にしていくのですが、話し言葉から書き言葉への変換、そして何よりも単語が聞き取りにくかったり、繰り返しが多かったりで、なかなか手間のかかる仕事です。そして私にとって最も困難なことは、人の文を文章にしていかなくてはならないことでした。一度聞いたことを打とうとすると、なぜか自分の言葉にして打ちたくなるんです。それはかなり苦痛でした。聞いたままを打てばいいだけのことなのに、それができない。私って意外とこだわりやで意地っ張りであることが、この作業でよ~~く分かりました。1時間半の講座を全部活字にするのにどれだけの時間が掛ったか、今ではもうすっかり忘れてしまいましたが、結構かかります。たぶん10時間ぐらいはかかっていたのではないかと思います。ちびちゃんのいる中でよく頑張った!さて、自分がテープ起こしした本はどれだっけと思って、家に帰ってからその本の一冊「聖書に見る女性たち」(サンパウロ出版)を取り出してみました。見ると4篇ある中の3つは私が起こしたものでした。それを見たとたん、さっと蘇ってきたことがあります。カナダから帰ってきてすぐのころの私は5番目のSがようやく幼稚園に上がって、一人になる時間を手に入れていました。それで木曜の午前中にこの聖書講座に駆け込んで、日常とは全く違う時間を持てることを心から楽しんでいたのです。良い話がいっぱいあるのに講座に来られる方はせいぜい7,80名ほどの方々です。もったいないなぁ~~それでも講座はすべて録音されていて、ここで聴けなかった方々のために貸し出されていました。でもごく一部の方しか聴けません。そうでした、私が言ったのです。「シスターF(担当の方)、こんなにいい話を聴きっぱなしにしてしまうのはもったいないです。慈子(阿南慈子)さんの本のように活字にしましょうか?」「あら、それはすてき!さっちゃん、やってくれる?」ちょっと詰まりながら・・・「じゃぁ、試しにできるだけやってみます」と引き受けざるを得なかったのです。そうして本当にそれが本になりました。その後私がいなくなっても、担当のシスターが変わってもちゃんと今までそれは続いてるのですね。嬉しいなぁさて、今日の兄のテープ起こしを担当して下さるボランティアの方には感謝です。御苦労さま、ありがとうございます!!ご無理のないように!!なぜって、きっと普通の1.5倍の活字量になるでしょうから・・・
2008.11.08
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昨日の兄の講座の話はテーマが二つ設定されていたので(主催者側の意向で)、かなり密度の濃いテンポの速いものでした。私でさえ、ここノートに書きこみたい、と思っても書こうとしている間にもう次の話がどんどん進んでいます。聴きながら書き込もうとすると、あちゃ、なんて書くんだったっけ~~と忘れてしまいます。90分の講演時間のうち、1時間たったところで3分間の休憩があっただけでした。お隣に座っておられた方はかなり年配の男性で、やはりこのテンポの速さにはちょっとついていけないようなそぶりをされて、退屈されているようでした。休憩のとき「ほんまに神さんいはる?てみんな信じているんやろうかね~」て私に声かけてこられてびっくり? えっなんて?さっきから何度も何度も、兄が神さまの慈しみは・・・ とこの部屋の中では「神さま」ということばは当たり前のように使われているというのに、このおじさまは「神さまの存在」なんて嘘っぱちですよね、と言わんばかりに問いかけてこられる、しかもこの私に・・・。「え?神さまの存在ですか?」このいきなりの突っ込みに動揺している自分を落ち着かせるために訊き返した。「そうです!だって今どきこれだけ科学が発達した世の中ですよ、どうやって神の存在を証明するのですか?いまどきの子どもたちだって信じないでしょう!!」「実はうちにも小さな子どもはいるんですが、子どもたちって不思議なことを見つけるのが上手でしょう?不思議なことを見つけるたびに自然と神さまを感じているように思いますが・・・」「私はね、神様を殺したんです。」一体全体この方はどういう方なんだろうと、固唾をのんでそば耳を立てました。「私も戦争に行きました。天皇は神さまでした。でもね、戦争に負けて天皇は人間になってしまった。つまり私たちが神さまだった天皇を殺してしまったんです。私たちは神を殺してしまったんです。」なるもほど、そういうことなのか・・・「でも、なぜカトリックになられたんですか?」「カトリックは赦しの宗教です。僕らみたいな罪深いものも赦してくれはるって感じがしてね。僕にとっての救いはこのことば『あなたの信仰があなたを救った』なんですよ」そこで休憩時間は終わり、ふたたび兄の話が始まりました。 純粋に神殺しの罪を背負ったまま、いつか救われたいとの希望を持ち続けているお爺さんとの出会い。まだその意味はわからないけれど、確かに私にとって忘れられない出来事になりました
2008.11.07
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午前中兄の聖書講座シリーズ(京都聖書委員会主催)で兄が話すというので聴きに行ってきました。去年初めて聞いて今回で2回目です。今年のテーマ「今、キリストを証する」の中の今日は「司祭、修道者」でした。一般信徒にはあまり関係がなさそうな内容かな?て思っていたのですが、歴史上司祭というものがどのようにして生まれてきたのか、修道会や修道者の誕生やその変遷を聴くことは、そのまま教会の歴史を一歩一歩辿ることになるので、いい経験となりました。昨日あった深読会の時も思ったのですが、人はすぐに証しを求めます。職場でもきっとそうでしょう。何かを選ぶとすれば、それを選ぶ理由というものがしっかり皆に伝わり、それが納得のいくものでなければならない。ただ何となく…ではとおりませんね。 キリスト教の場合は何といっても「キリストの十字架の上での死と復活」によって人々の罪が贖われた、と大きな証しとして扱われている。確かにそうなのだけれども、それはキリストが神の愛とはどういうものかを示すために自らを捧げた出来事。もし、そればかりを見つめてしまったら、十字架と復活さえあったらいいということになってしまいますね。キリストはみんなと変わらない時々怒りっぽかったり、こだわったり、おびえたり、またもてなしに心和らげたりできる普通の人間として生きました。弱さを持った人間イエスが痛みを知り辛さを知っているからこそ人々の目線に立つことができ、そこから神の愛を示そうとしたところに神の子としての意味があるのです。だからもし、十字架と復活というものがなかったとしても、私たちは聖書を通して、キリストが示したかった神の愛を身近なところから知ることはできるし、だからこそそれに倣って私たちが毎日を過ごすことも可能になっていくはずですね。 インパクトの大きいものに頼って信じたり判断したりすることは簡単だけれど、それだけに注目してしまうと、いつの間にか本質を忘れて離れ、形式だけになってしまいます。と兄は言っていました。ちょっと宗教色強くなっちゃったかな?ごめんなさい。
2008.11.06
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三女K「お母さん、どうやら私、激しい肩凝りに見舞われているみたいやねん。頭はくらくらするし、ピキッと痛みは走るし・・・お願いちょっと肩揉んでくれへん?」「え、私が揉んであげるほうか?私が揉んでもらうのではなくて。」「ちょうほんまにひどいんやから…もうくたくた!!」と言ってきたのが一昨日の夜。しゃーないなぁと思いながらせっせと揉んであげました。マッサージを広範囲にしてじんわりと暖かくなるように!翌日学校から帰ってきたKは「お母さん、今日もお願い。昨日よりひどくなってしまって」「あ、それならやらん方がいいんと違う?肩揉むと却ってよくないってこともあるんだから・・・。私のマッサージが良いという保証はどこにもないで!!」「いや、悪化の原因は昨日よりさらに腕や肩を酷使しているからやと思う。実習で図面引いて、クラブで腕使って・・・」言われるままにマッサージしてあげる。あぁ~~いい感じ~~こうやってマッサージしてあげるのもスキンシップの一つやね。あれこれ学校のことも話して楽しいし。今日彼女は学校から帰宅して言った。「お母さん、今日はだいぶ調子よくなったわ。結構お母さんのマッサージ良いかもよ、今日も頼むね!」To「え、K、お母さんに肩揉みしてもらってんのか~~ええなぁ~~ Kより僕の方がよっぽど固まってるはずやで・・・。」W「私もやってほしい、私も肩痛いねん」私「えっ!三人もするの?私の方が肩凝りそう~~」そういいながらも、順番に肩のマッサージをしてあげました。たしかにToさんの肩は分厚いこともあって揉むなんてことはできない。よしよし、とマッサージしてあげるのが精一杯です。同じ姿勢でいることが多いので、ほんと大人は筋肉が固まってしまいます。それに比べれば、Wは薄くとても柔軟な筋肉!それでも肩凝るのでしょうか~~どっちからいうと彼女のはバレエによる筋肉痛。いやいや、ただただ私のそばにいたいだけでしょう。なにしろ今日は五女のAが夕飯後すぐに寝てしまったから・・・今晩はWのチャンスでした。
2008.11.05
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夾竹桃の散髪が終わって片付けも終えた後、買い物に出ることになりました。季節も変わってきて、ちょこっと着るものが足らないなぁと思っていたからです。 私は自分の物の買い物はかなり速い方だと思います。何しろちびちゃん連れで、子どもたちのものを買うだけでクタクタになるような時代をずっと続けてきたので、自分のものはベーシックな条件が合えば良し、なければ買わないでやってきましたから・・・。だから昨日もザーッと商品を見渡して、試着してOK。30分以内で必要なものを買いそろえました。Toさんも自分のものを見ていましたが、いまいち良いものに出会えず、「どうしようかなぁ やっぱり今日はやめとこう」というのです。しかし、彼は本当に時間のない人でめったに買い物なんかには来れないのだから、何かちょっといるかも~~というものがあれば見ておかなくっちゃ。「何かない?いるもの」「そやな~ベストがいるかも~~ 」そこであらたにベストを見て回ったのですが・・・To「あぁ~~ 目が肥えてしまって、いいなぁと思うものは高すぎやし、手ごろな値段のものは買う気にならへんな~~」さっちゃん「それだけ見る目ができたということか・・・」というわけでToさんは何も買うことができませんでした。今日、お皿を洗いながら・・・良いものか~!!ベスト、前はよく編んでいたのになぁ~そうだ、今日はWとAのバレエの日。レッスン場の近くに良い手芸屋さんがあるんだなぁ。毛糸見てくるかな~~楽しみ~~そうです。レッスンの帰りに手芸屋さんに寄って、秘密で早速毛糸を買ってきちゃいました。あぁ~~嬉しいなぁ 久しぶりに編み物できるかも・・・
2008.11.04
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朝、早めに起きた四女Wと五女Aはちょっとお澄ましワンピースで大ママに連れられて初めての洛趣会に出かけました。京都の老舗名店がブースを作ってご自慢の作品を展示されるのを見せてもらいます。いっぺんに京都自慢のものに出会うことができる上におそばと、お茶席でお菓子とお茶をいただけるのも昔から変わらない魅力の一つ。毎年、大ママに子どもたちは連れて行ってもらっていますが、少し大きくなったので一番下のAもとうとう、今年洛趣会にお目見目です。お茶をいただいた時係りの方が「このお茶を飲んだら、今日は良いことが十もあるよ」と誘われて、ちょっと苦いお薄も難なく飲めたそうな。・・・ こちら大人の方は久しぶりにToさんも私も一日何もない日でした。で、土曜から取り掛かっていた玄関横の夾竹桃の散髪を行いました。春にも確かやったのです。かなりさばいて大ママちゃんががっかりするぐらいスカスカになっていたのに、この子の成長は切られれば切られるほど、爆発するほどの力となり、背の高さは二階の屋根に届くほど幅もたったひと株にもかかわらず、5~6メートルは広がってとなりの家にまで侵入する勢いです。前面にも膨らんでくるから、玄関から人が出てきたのが、道を走っている車からは確認できないぐらいで、これはうっかり飛びだしたら大変なことになってしまう、という限界にきていました。斜め向かいのYさんに脚立をお借りして、結構太くなった(直径5センチぐらい)の幹をのこぎりでドサ、ドサ、と思いきって切りました。切ったものをさらに小さく切って、普通のゴミ袋に入れられるようにするのに結構時間がかかるのですが、今日は曇り空、少し肌寒さが感じられるような空気だったので、いっぱい動いても軽く汗をかく程度で助かりました。夾竹桃にすっかり飲まれてしまっているけれど、赤いバラとゆずの木もあるのです。ゆずの木はものすごく鋭く長いとげがいっぱいついているので扱うのが難しい。とげをいちいち切って新聞紙にくるんで更にしっかりした紙袋に詰め込んでゴミ袋に入れましたが、作業中すっかりゆずのいい香りが辺りに立ち込め、とてもいい気分でした。木や花とかかわるのはとっても楽しいしいい気持ち。ちょっと時間が持てるようになったら、こんなこと二人でできたらいいなぁ、と思ってしまいました。
2008.11.03
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素晴らしい漆器や工芸品を見せていただいた後、大ママちゃんはこの前東京に行ったとき、姉にとてもお世話になったから、と一枚の竹に金の漆を塗ったお皿を買い求めました。もちろん姉にプレゼントするためです。この一枚は母自身も同じものを持っていて、特別のお客様がおいでになる時に、ちょっとしたものを盛ると、とても豪華な感じになるのです。器もその場の雰囲気を作り出す大きなアイテムですね。私はただただ、お店に並んでいる作品たちを楽しんで見せていただいていました。そういうとき欲しいなんて思いはかけらも浮かんできません。何しろそんな思いを持ったが最後、自分がしんどくなるだけですから・・・でも、たとえばお誕生のお祝い、お食い初めのお祝い膳のためのものでしょうか、可愛い手の中にちょこっと入るような器のセットをみつけたら、出産のお祝いにさし上げられるかもしれない。 ロシア産の琥珀に蒔絵を施したアクセサリーもちょっとその辺にはない、掘り出し物です。そんな面白いものを見つける意味でも、くまなく私は作品を見せていただきました。すると大ママが「さっちゃん、この漆塗りのペンダント、いいかもよ。プレゼントしてあげよか?」え、私の心の中には買う、とか欲しいとかは全くないから突然の問いかけにはドギマギしてしまうのです。もちろん店員さんは駆け寄ってきて、「このお色が人気ですよ。あまり服の色も選びませんし・・・」せっかくの大ママちゃんの言葉だけど・・・「ありがとう、大ママ。でもアクセサリーは付けない習慣が長すぎて、とてもそこまで頭回らないし・・・。第一、いつでもVn弾けるように、と思うとペンダントやイヤリング、ネックレスはどれも楽器にカチンとあたるから楽器もかわいそう、アクセサリーもかわいそうになるし、止めとくね。」と勇気を出して断った。それでも私のために、という気持ちはいったん動き出すと簡単には収まらない大ママちゃんなので、では器にしようということで、小さな丸い蓋つきの菓器を選ばせてもらった。朱の地に金で桜が散らしてあるこれでみんなが漆器を慈しんでくれたらいいなぁ今度のお正月に初お目見えとなる我が家の逸品です。大ママちゃん、ありがとう!!
2008.11.02
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教会では11月は死者の月で、今日のミサも死者のためのミサ聖祭でした。「死者への思いはすなわち、今を生きている自分の命をどのように生きるかということ。それはほかならぬ隣人愛ですね!」という神父さまの話を聴きながら、覚えている亡くなられた方々を心に思い起こしていました。福井でお世話になったIAさん、教会のCさんSさん、幼稚園のAさん、Kちゃん、ごく最近亡くなられたIさんのお母さん、そしてアンジェラさんの妹さん・・・思い出がよみがえったり、直接は知らなくても友人を通して、その方とつながっているこの関わり。小さなものであっても心によみがえってくるものがあることは嬉しいことだなぁと思いました。家に帰って夕飯の支度をしている時に突然あることに気がついたのです。今まで、毎年死者の月を迎え、その方々の名前を紙に書いてごミサのときに特別にお祈りを捧げたりしています。でもその名前の中に、「ぽっぽ」を一度も入れたことがなかった。第一、先に挙げた死者の中にももちろん入っていない。私の心の中で、「ぽっぽ」は全く死者のカテゴリーに入っていなかったということに気がついたのです。見えないけれど、触れないけれど、失ってはいない存在それだけでなく、実は結構頼りにしている存在四女や五女が一人で出かけたりする時、自然に彼に付き添うことを願っている。いつまでも彼は現役の家族なのです!!
2008.11.02
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久々に大ママちゃんとデートしました。行き先は象彦。私はたぶんこの30年弱の間、そのお店を訪ねたことはなかったと思います。小さかったころや学生時代は、よく大ママとお出かけしては彼女のお気に入りのお店に冷やかしに入ったもので、象彦もそのお店の一つ。音楽会のために京都会館に訪れるたびに、すぐそばにある象彦本店に立ち寄って漆器のお椀やお盆を目にしていました。子ども心にも漆が施された塗りのお椀の奥から輝いているような不思議な光や艶やかさ、まろやかな表面が、何とも心地よいものに感じられたのを覚えています。今日、うるし塗りずくめのひと時を過ごしてみれば、黒塗りに金の蒔絵の対比(コントラスト)にはっと息を呑み、文様のリズミカルな動きを新たにみつけ、古典に由来する図柄に教養と歴史を感じる作品たちが今でも生き生きとしていることに力強さを感じました。 漆もさまざまな色を用いるようになってるし、洋風のものや柄も軽いタッチの楽しげなものも出ています。それでもやっぱり漆黒と金、そして深めの朱が群を抜いて美しい。とてもそばにおけるような気安い値段のものではないけれど、中国のチャイナ(陶器)日本のジャパン(漆器)とマリー・アントワネットが愛したのも全くうなずける話です。今日はこの象彦でも特別の展示で老舗モール逸品展というのをやっていました。京都の工芸の老舗で作られたすぐれた作品を同時に見ることができます。お雛様、人形、能面、仏像、版画、弓、織物、香、和傘、金属細工・・・題材、素材、色、形、バランス、精神性・・・ ひとつずつを整え決めていくこと、技術面での挑戦。素人には分からない苦悩があるかもしれないけれど、それらを実行するときの手ごたえや喜びはいかばかりか、と思わずにはおれません。参 マリー・アントワネット絶賛! 「japan 蒔絵-宮廷を飾る 東洋の燦めき-」 京都国立博物館 ~12.7
2008.11.01
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