全35件 (35件中 1-35件目)
1
朝の幼稚園に久しぶりにお邪魔しました。庭園で先生と子どもたちがかくれんぼ。教室で円になって歌を歌っているクラス。デッキの広い階段ではおかあさんの付き添いでやってきた小さなお友だち4人を前に、園長先生はパントマイムをして「動物当てっこ」をしています。給食室でお手伝い当番をしておられるおかあさん、2階のすみれの部屋では来年のお帳面の色塗り、お掃除をして下さっているお母さんもいます。これがいつもの幼稚園の姿です。それぞれの仕事をしながら、子どもたちの一日を見守っている。今日は久しぶりに幼稚園で「森の音楽屋さん」の練習。園で練習をするときは園長先生とのお約束で、子どもたちの前でミニパフォーマンスをすることになっています。それというのも、いつも耳にしない楽器の音がホールから聞こえてくる。あれ、何の音かなぁ、一体何やってんの~~?子どもたちはとっても興味を抱きます。だからその種明かしをして下さい、ということなのです。給食前のお集まりをデッキでして下さって、子どもたちは「早寝早起き朝ごはん」の歌を歌っていました。いよいよ、出番です。まずはスウェディッシュミュージック(スウェーデン民族音楽)が大好きなVnのTさんが先頭になって演奏をしながら登場しました。この音楽本当に楽しい音楽で、ついつい踊りだしたくなります。(もちろんダンスの曲です)お掃除や作業をしていたお母さんたちも集まって聴きに来て下さいましたよ!初めにいよいよ秋も本格的に深まった空の下で、アカペラで「赤とんぼ」を歌いました。9人ぐらいのメンバーだったから音が通るかなぁって心配だったけれど、良かった十分届いていたようです。歌うって本当に気持ちがいい!!その次はあっちこっちで耳にする「崖の上のポニョ」フルート、ソプラノリコーダー、アルトリコーダー、ヴァイオリン、そしてキーボードで演奏しました。もともとはピアノ弾き語り用の楽譜を適当にそれぞれの楽器に割り振ってアンサンブルに変えたものです。演奏が始まれば自然に子どもたちの声も重なって、わぁ~~楽しい!!あっという間に終わってしまったけれど、(本当にミニ!!)「アンコール」「アンコール」の声援にもう一度、みんなと一緒に「ポニョ」を演奏して楽しみました。いつもの練習なら、自分たちだけのいわゆる練習になっていて、それでも一か月に1回楽器に触れたり歌を歌えたり、アンサンブルできて良かった、と思えるお母さんたちだけれど、今日はもう、子どもたちとの時間も持てたから嬉しさ楽しさ3倍増のニコニコ顔です。あぁ、3か月に1回でもこういうのやりたいなぁ~~ とメンバーのAさん!!本当にそうですね、ぜひ園長先生にまたお願いしましょう
2008.10.31
コメント(2)
昨日の午後、私の友人が来てくれました。水曜日は、幼稚園が半日保育ということなので、私の「ミニ真名」や「森の音楽屋さん」は入れません。そして第一と第三が「聖書深読会」になっているから、大抵第二や第四の水曜日は私が友人たちと会う日に自然になっているのです。全く予期していなかったのですが、兄のコンサートにも来て下さっている方だったので、となりの部屋で弾いている兄に挨拶しながら、「まぁ、お兄さん今こちらにおいでになっていらしたんですか?お兄さんのチェロをこんな身近に聴けるなんて!!」と晴れやかな笑顔でこの突然の出来事を迎えて下さいました。兄は物語の朗読と音楽とを一緒にした作品に今一番の喜びをおぼえるという。言葉で伝わらないものを音楽で伝え、音楽で伝えられないものを言葉で伝える。私も初めて兄の作品に触れたときはかなりにびっくりしました。音楽は決して言葉のムードづくりのためのBGMではないのです。音楽が作り出す主張と言葉が作り出す意味とが相互に高め合って、さらに明確なものを語り出すのですが、それはとても言葉では表現できないイマジネーションの世界です。そして驚くべきことに、そういう作業をしていくうちに、兄にとって音楽というもの自体が以前よりもっともっと自分に語りかけてくる存在になったというのです。これも不思議なことですね。出会う体験が感覚をつくり育てていく。実は先日帰ってきていた上の兄もその日、こんなことを私に言っていました。人間にとって体験ほど重要なものはない。言葉で語られたこと、本で読んだこと、それも様々なことを知る上で確かに力になることだけれど、体験が伝えてくれるものはとてつもなく重要で言葉にはできない多くのことを伝え感じさせてくれる。可能な限り本に埋もれるかのようにして過ごしていた上の兄がこのようなことばを言うなんて、全くの驚き!だからこそ、この言葉の力強さも感じます。音楽というものも案外間接的な物のような印象を持ちますが、実体験なものかもしれません。というのも、下の兄は音楽を聴くことではなくて、自分が実際に弾くことがカウンセリングを受けているようなものだ、と表現するからなのです。そんなこんなを3人で2時間は語ったでしょうか?予期せぬ3人の時間はとてもとても貴重なものになりました。今日、午後から電話がありました。この半年間、連絡が取れず気になっていた友人からです。こちらからお電話したりお手紙を書いたりすると、却って彼女にプレッシャーを与えてしまうことになるので、なかなかそういうことは難しく、彼女の様子を知ることはできません。でも勇気を出して電話してきてくれました。本当に良かったです。たまに、しっかりと誰かとつながっている。誰かがそばにいてくれる、と実感しなくちゃいけない時があるんのです。遠慮せず体験に踏み切ってくれたことを嬉しく思いました。 今日もいい1日をありがとう!!
2008.10.30
コメント(6)
昨日から下の兄が京都に戻ってきている。午前中、私の家で兄は生徒さんのレッスン。その生徒さんというのは私の友人でもあり私のクァルテットのメンバーでもあるNさん。私は洗濯物干しがまだ終わっていなかったので、2階のベランダでその作業をしていたら、チェロの音が聴こえてきた。あれ?あの曲うちのオケの曲じゃないの?彼女は確かに今度うちのオケのお手伝いをして下さることになっているけれど・・・慌ててレッスン室に行って、声をかけた「そんなうちのオケの曲をレッスンに使わなくても、もっと大事な曲をレッスンしてもらって下さい。」Nさん「いいえ、今その大事な曲もないんです。それよりこの曲が知りたいし、先生とご一緒にボーイングとか考えたくて・・・、私案外とボーイングいじくるの好きなんです」兄「そうそう、ある種の実験やね。それにどんな曲だっていい勉強になるんだから・・・」あぁ・・・なんという二人なんだろう。いつもうちのオケではVc(チェロ)がいなくて、二人揃うことが夏の間中なかった・・・そんな状態だ、て前彼女に話したことがって、それで手伝ってもらうことになったんだけど・・・。先生(兄)は私のVnのパート譜も出してみながら、Nさんと一緒にVcパートのボーイングとVnのボーイングのシンクロと、音楽的ニュアンスを考えて楽譜に記入してくれていた。時々「さっちゃん、ここ、こんな風に変えたいけど、ええかな??」と声をかけてくれる。 え、いいよ、いいよ、また自分で弾いて確かめるから、今度楽譜開けて音出すのが楽しみ、一体どんな風になっている事やら・・・と心の中で微笑んで応える。この二人、先生と生徒ではあるけれど、自分の中での音楽の取り組み方は全く一緒。オーケストラのために、とか誰かのために、なんて大げさなそぶりはちっとも出さないで、たまたま縁あって出会えた曲と向き合って、どんな風に一緒に楽しもうか、作曲家が作ってくれたお料理をどんな風に味わおうかと心からその時間を楽しんでいる。これこそ音楽に違いない
2008.10.29
コメント(4)
この頃考えることがたくさんあります。 友人や家族からもたらされる相談ごとを通して、夫婦とは?親子とは?そして人間とは?となって、まるで哲学の世界のようです。究極、実世界はそのまま哲学に通じ、哲学は実世界に通じていく、という風に美しくいければ多くの問題はすぐに解決できるのでしょうが、実世界というのは本当に一つずつ違った姿をしているのでそういうわけにもいきません。世の中にはたくさんのノウハウ本も書かれ本屋さんに行けば読み切れないほどたくさんあるけれど、自分たちにぴったし当てはまるようなものはまずありません。自分たちにとって、何を大切にし何を選んで行くかは、本当に置かれた状況の中で、結局は自分たちが見定めていかなければならないんですね。 私も少しは力になってあげられることもある。でもまったく力になってあげられないこともある。それでも一緒に生きているんだ、ということだけでも、誰かの何かになってもらえたらな、っと思う。どうか不安や悩みの中にいるみんなの心の中に、少しでも安らぎの種が生まれますように苦しい思いの中で閉じこもっている心の中にも、温かな灯がともりますように疲れ切ったあなたのそばの慈しみに気づきますように・・・
2008.10.28
コメント(5)
マエストロなしの練習はそのようにして、どうも違和感のあるところ、合わせにくいところなどを役柄に分かれて弾いたり聴き合ったりしました。30,40分もしたでしょうか?ホルンのK氏がやってきました。そして、マエストロがいないのを見て、「じゃぁ、僕がしましようか?」と言って指揮棒ではなく、シャーペンを持って振ってくれました。彼が振り出したとたん、制限が生まれるのがリアルに感じられます。まったく当たり前なことなのですが、これが指揮、というものなのです。K氏も音楽に造詣の深い方なのですが、マエストロの代理ということだから、基本的なこと(音程や重なり方など)の部分をスマートに取り出して、練習をしてくれました。中でも「ウィンザーの陽気なに女房たち」は実に歯切れよく指揮をするのです。あまり曲のことは知らない様子なのに、それでも雰囲気がぴったり!!たまたま帰る方向が同じなのでK氏が車に乗せて下さったのですが、動き出したとたん、ブラスバンドの曲が流れてくるので、「良くブラバンの曲、聴かれるんですか?」て尋ねたら奥さん(彼女もオケの団員でVn担当です)が、「コンクールが終わったら、毎日、毎日、一日中自分たちの演奏を聴いているんです」なるほど、ウィンザーを振ってくれた時の乗りの良さは、このブラバンのリズム感からきていたのですね。K氏は本当にブラバンが大好きなのがよ~~く分かりました。人それぞれに、ぴったりのものがあるんです!!
2008.10.27
コメント(2)
昨日のお疲れから今日はなかなか起きれなくて、教会に行く前にしておきたい洗濯ものはToさんの仕事になってしまいました。(そういうことはよくありますが・・・)その洗濯ものですが、昨日も私がタッチしていないし、その前の日は雨で洗濯ものが乾いていませんでしたから、9人×3日分の洗濯ものがごちゃごちゃになっていて・・・、大仕事でした。Toさんご苦労さま!!教会を終えて帰ってきたら1時半、もうオケの練習が始まっている。お昼を急いで食べて駆けつけたら2時15分を回っていたでしょうか?ドアを半分開けたら、後ろの席の管楽器群の音とメンバーがずらっといるのが目と耳に一気に入ってきて、わぁ~すごい。でも弦はガラガラだった~~。こんなにそろっているのに、マエストロは風邪でお休みとか、もったいないなぁ~~。そこで予定通りメンデルスゾーンの「スコッチ」1楽章から練習を始めることにしました。指揮をするものが誰もいないので、最初のテンポ設定だけ、私が示して指揮者なしで練習です。指揮者がないということは、みんなにとってこうしなさい、ああしなさいと言ってくれる人がいないわけだし、もちろんテンポに関してもあの人に合わせたらいいんだ、という要になるものがない。ちょっと腑抜けな練習と思う人が多いかもしれないけれど、私はこういう練習が一番自分自身の癖のわかる練習だと思う。マエストロがいるときは、すべて彼に責任を負ってもらっているから。例えば、今日も頻繁に出てくる現象だけれど、テンポがずれていく。マエストロがいるときだったら、指揮が見にくい、テンポが分かりづらいとか言えてしまう。もちろんマエストロがいる方が合わせやすいに決まっているけれども、それでもずれている。誤差が少ないだけのこと。本当のところ、個々人がある一定のテンポをずっと維持する感覚を持ち合わせていないからずれが生じている、はずなんです。もっと言えば耳で聞いて合わせたら絶対テンポはずれるです。もちろん、曲はずっと同じテンポで進むわけではないけれども、一定というものをお互いが知っていなければ緩急を自然に生み出すことなんてできないでしょう。(この緩急や音楽的抑揚など味付けの部分がマエストロに依頼されている部分なんでしょうね)これは長男Aが毎日ジャンベの練習をするようになったことでも気が付きました。同じテンポの中にいろんなリズムを組み込んでいくことがどれだけ難しいことか・・・クァルテットでも合わせの難しいところについてVn1のI氏は徹底的にメトロノームを使って練習して、とにこやかに言います。そしてVaのY氏は本気で徹底的にメトロノームを使って練習をしました。素晴らしい!!ビシッと合うようになったのです。わたしは一定のテンポのために、同じ運動を試みることがよくあります。同じ場所で同じように弓を動かす、常に同じに集中していれば、かなり一定のテンポを維持できます。マエストロがいないときだからできる練習その2「あなたはそのフレーズ、メロディーをどう弾きたいのですか?」です。ああして下さい、こうして下さい、マエストロが言ってくれているのを待っている私たち。彼がいない時にどう弾いたらいいのか分からなかったとしたら、それはマエストロ依存症ですね。合奏というアンサンブルの中での自分の責任をしっかり把握しながら、音楽的楽しみや喜びをどんな風に築いていくかという、とっても大切な練習がそこにあるのだと思います。
2008.10.26
コメント(8)
さて、みなさんに食べていただいて、ほっこりしたところでスタッフのたちも昼食をとってもらったら1時となりました。かたづけです。50人分を一気に作ることができた大鍋は小学校の家庭科室の流しにはミスマッチ!幅は入りきらないし、第一高さが子ども用なのでかがんで腰を折った形で作業をするからだんだん腰が痛くなります。それならばと膝まづいてみると、今度は膝が痛くなる・・・。 なべ底の焦げに出合えば、クレンザーや金属たわしが欲しいなぁとなります。(そういう意味では自分のキッチンとは見かけは悪くとも、長年の経験の積み重ねでいろんなことに対応できるようになっているのだなぁと改めて思います。)でもじゃぁ、木べらを使ってみようとか、いやいや、案外人間の爪が有効だとか、わいわい言いながらやっているうちに全部がきれいになっていきました。余ったご飯とカレーはタッパーウエアやジップロックの袋に詰めてそれぞれに持って帰ってもらい、ゴミ2袋は学校が引き受けてくださって、さぁ、終了!お疲れ様でした!!で、最後まで残った私たち3人は家庭科室の前でいつの間にか、今度提出する書類に反省点として記入するべきことにどんなものがあったか話し合っていて、つまり即ミニ反省会を開いていたわけです。つくる前のこと、調理のこと、子どもリーダーのこと、配ぜん中のこと・・・15分もお話すれば、ビシッと全部出たね、とここでようやく本気のお疲れ様!!で小学校を後にしました。 家に帰ってみると五女Aが、ちょっと涙目になって、「おかあさん、どこにいたん!A、ちゃんと家庭科室も見に行ったし、ランチルームにも行ったのに、どこにもいいひんかったやん」かわいそうに、どうも入れ違いのちぐはぐになってしまっていたようです。私も作業しながらAに会わへんなぁとちょっと気になっていたのですが・・・。 我が家のキッチンをふっと見ると、あぁやっぱり!!朝とお昼の食器が小山になっています。やれやれと思いながら、それを片付け寂しがっていたAと夕飯の材料のお買い物に出ようと思った時のことです。あれ、家庭科室のガスコンロの栓、全部閉まっていることを確認していなかった、と気がついたのです。慌て、責任者のさっき別れたばかりのUさんに電話を入れたけれど、彼女も確認していないとのこと。これはえらいことになった。何しろ、家庭科室でも子どもたちが食事を取ることになったとき、各テーブルにセットされているコンロの上にカバーを急いでつけて、テーブルとしてみんなに使ってもらったんです。だから食事が終ったあとも、いかにもすべてが綺麗に片付いているかようになっていた。少なくともみんなにはそう映ったに違いない。ガスの元栓を閉めてガス管を外してキャップをつける。その作業ができていないって知っているのは私だけだった可能性が高い。何で、さっき家庭科室の前で反省会している時に思い出さなかったんだろう・・・、とにかくUさんがチェックと疑問を持たなかったぐらいだから、学校に行ってみるのが一番先決や!!と思ってAちゃんを連れて小学校へ直行したけれど・・・・職員室の照明はついてない~~~グラウンドは野球の子どもたちが練習するばかり・・・お手伝いのお母さんに訊いてみたら「さっき校長先生鍵かけて帰らはったよ、忘れもん?」・・・・あぁ~~これはヤバい!!鍋の焦げよりよっぽど重要なことのチェックを怠るなんて・・・!!Aちゃんと買い物しながら、しょぼくれている私です。夕方になってUさんから電話がありました。Uさんは、私がお鍋を洗っている間に、ちらっと誰かがガス管を閉めてくれている姿を目にしていたので、メールネットワークで手伝ってくれたみんなに、誰か全部のガス管チェックしてくれた?て訊ねてくれていたんです。最後の最後に返ってきたメールに「ハイ、私が全部確認しました!!」て書いてあったそうです。あぁ良かった、そのメールに救われた。あぁ良かった、確認してくれたMさんに感謝!!これ反省事項の第一番に大文字で書かなあかんね。必ず最後にガス管の締め作業のダブルチェックをしましょう~~!!
2008.10.25
コメント(8)
我が小学校では三大行事の一つになっている「くすのきまつり」が開かれました。 各学年ごとにいろんな遊びを考えて、子どもたちに半日楽しんでもらう行事です。 私は4年生の委員なのですが、この学年はランチを提供するということで、去年からカレーを作っています。子どもたちとお手伝いに来て下さっているPTA会員、教職員、地域の方々の分を合わせると380名ほどになります。 昨日のうちに野菜を洗い、家庭家室の各テーブルに必要量を分けてセッティングしておきました。子どもたちが食べるランチルームの掃除や飾り付けも、そして食べるときの手順、食べ終わった後の手順も全部模造紙に図入りで書いておきました。こういう学校での行事の時も、今は「なるべくゴミが出ないように。」「なるべく洗剤を使わない」というエコ的発想中心にするようになってきたので、みんなマイお皿、マイスプーン、マイお茶持参です。朝、8過ぎにお肉を配達して下さったのをかわぎりに、全体では8時半から使用用具、お鍋からまな板~~しゃもじまで熱湯消毒してもらって調理が始まりました。7つのテーブルで12人ぐらいの大人、それにお手伝いの子どもたちも12人います。子どもたちはくすのきリーダーと言って、なりたい子がリーダーになって、各遊び場で大人のお手伝いをするのです。カレー作りでは野菜の皮むきをしてくれるリーダーたち、1年生はいなかったけれど2年生~6年、たまねぎ攻撃に文句も言わず熱心にしてくれて、ついでに野菜も切りたいと大人をひやひやさせながら切ってくれた子もいました。そんなこんなでごちゃごちゃしていたから最初はどうなるのかと心配している大人もいたのですが、そこはさすが家庭の主婦たち! 次々と手順をこなしていくと同時に、誰も何も言わなくても、次に必要なものは?と考えて取りに行ってくださるわ、使用済みのものは流しに運んで洗って下さるわ、遅れているところの手助けに入って下さるわで、煮込み状態に入ったときはすっかりあたりはきれいになっていました。10時半ごろには完成。思ったよりも手早く簡単に出来上がったのでした。11時からランチ開始 しばらくするとランチルームの入口には大行列が・・・。席は57,8席あるのですが、子どもたちは自分のお友だちと一緒に並んで食べたいでしょう!三人いっしょ、四人いっしょということで、ポツポツ席が空いても座らないんですよね。スタッフは5,6人の十分かと思ったけれど、とてもそれではやっていけませんでした。カレーのお鍋は全部で10個。最初から子どもの分を全部ランチルームに運ぶことがスペース的にできなかったので、随時取りに行くことになっていたのです。家庭科室の方は大人の食事室になって、セルフサービスでランチをとっていただいていたのですが、誰もいないわけにはいかないので、私が家庭科室にいて、あれこれとみなさんにお伝えしたり、雑用をしていました。 「あ、そうだ、そろそろカレーのお鍋持って行ってあげないといけないのと違う?」と思って持っていくと、「あぁ~~助かった!!取りに行くにもこの行列でとても離れられなかったん。」という状態。そこで子どもたちの行列を少しでも減らすために、家庭科室の方でも子どもを受け入れることになりました。でもこっちはわたし一人だけ!「ちょっと、ちょっと待ってね~~」て声をかけながら、子ども用のグッズ(スタンプや数の確認用紙など)を大急ぎで用意して、子どもたちにも食べもらえるようにしました。おおよそ7割ぐらいの人がランチを取って下さったころには、福神漬けが無くなり(去年余りまくったとのことで今年は少なめにしたのです)、今度はカレー足りるかな~~の心配です。食べる量はその日の活動や気分によって随分変動します。人数を考えて、それに合わせて材料を揃えていても、やっぱりこういう心配は出てくるのです。でも終わってみればご飯10キロほど、カレーは40人分ぐらいは残りました。とりあえず、ちゃんとみんなに食べていただくことができてよかった!!
2008.10.25
コメント(4)
今日は明日にある小学校PTAの行事、「くすのきまつり」のために多くの時間を使いました。 明日も早くから行きます。4年生のメンバーは380人分のカレーを作ります。さて、予定通り2時間半でできるでしょうか??ご報告はまた明日の夜に・・・
2008.10.24
コメント(0)
昨日は五女Aが待ちに待った友だちとの約束を果たす日でした。 私が3時半ごろ買い物から帰ってきたらもう彼女の姿はなく、玄関には水色のランドセルがドカンとおいてあります。「あやねは?」長男A「もう、友達のところにいかはったわ」夏前に同じ町内だったそのY君は校区内のちょっと離れた場所に引っ越されたので、いつか新しい家で遊ぼうね、て約束しながらなかなか実現できていなかったのです。Yくんはちゃんとうちの家まで来てくれて、新しい家まで連れて行ってくれたそうです。そして帰る時はYくんのお母さんが車で送って下さったのですが、ちょうど私はレッスン中で、ご挨拶も何にも出来ないままになってしまいました。すっかりあちらのお家にお世話になりっぱなしです。(夜になって思い出し慌ててThank youメールを入れました。) ようやくレッスンが終わって出てくると、すっかりAはソファの上で眠り込んでいました。彼女はそのまま眠り続け、2階のお布団の中に移動させてもまだまだ・・・、とうとう今朝まで寝ていました。朝早くからテンションの高いAとWの笑い声が2階から響いてきて、そのうちどどっと降りてきたかと思うと、私の布団に入ってきました。A「おかあさん、おはよう。あんな昨日夜に目が覚めたんやけど、誰も起きてへんかった。寂しいしなかなか寝られへんかったんやで・・・」私「そう、 それは大変やったね~~ ようがんばったなぁ!!」と言わずにおれず、そのお蔭で私も起きなければならなくなった。そうだった。Aは寝てしまっていたから、給食の用意もしてないし、音読の宿題もしてないし、時間割もしていない。でも大丈夫、まだまだ時間はある。余裕綽々で音読をして、学校の支度をした。Wとふざけながら朝食を食べ、朝の連続テレビドラマも見て、では学校に行こうとランドセルをしょった時、A「しまった!!着替えるの忘れてた~~~!!」そうなんです。昨日ソファでうたた寝したまま朝を迎えたから、パジャマに着替えることもなく、昨日の服を着たままになっていた!!慌てて階段を上りながらA「あぁ なんてAはアホなんやろ!!せっかくたくさん時間あったのに~~」と叫びながら自室の光の部屋に向かいました。その叫び声を布団の中で夢うつつに聞いた二女Mは後で私に言いました。「Aちゃん、何怒ったはったん?自分で「アホなA」なんて、可愛すぎやんなぁ~~そうそう、夕飯の時も肉じゃがを自分で取り皿に盛ったけれど、全部食べきれなくて、私に「おかあさん、ごめん。この肉じゃがAの代わりに食べて・・・もう食べきれへんね ほんまにAはあほやわ・・・」ねぇ、自分で自分こと「アホな私」と言ってしまう6才児に「何やってんの!!」て注意できないよねこの子生きていくの上手そう!!
2008.10.23
コメント(6)
このところ時間がとれなくて、あまり書けないでいます。昨日の夜、久しぶりに書いていると楽しくて仕方がない。いつまでも書いていられると思うぐらい・・・Vnを弾く時間もあまりとれていないです。去年は弾かなかった日は1日か2日ぐらいしかなかった。でも今年はもう10日ほど弾いていない日があると思う。演奏会やDutyで弾くことから離れて、自分のために弾く時間はものすごく少なくなってしまった。久しぶりに今週になって、何時間か手ごわい小品に挑戦してみると、弾く時間が減っている分、左手の指の力や弓を扱う右手のパワーがなくなっているのがよくわかる。人間の身体ってすぐにパワーを失ってしまうんですね。それでも、自分がやりたい曲を練習できることはとても幸せな気分と充実感に浸れます。火曜の五女のバレエのレッスンに付き合っている時はその時間だけ、許されればレース編みをしています。この時間も喜びがいっぱい。まったく日常から離れて、レースというとっても贅沢なものを自分の指で作り出すのですから・・・。でもでも、最近、書くことも弾くことも編むことも、本当は私のしごとではないんだということが、はっきりしてきました。一週間に何時間、お話を聴いているでしょう。母として子どもの話を聴く、妻としてToさんの話を聴く、子どもとして両親の話を聴く、そういう身近なものからの「お話を聴く」なら当たり前かな、と思う。けれども、今は友人や知人からのお話を聴くことがものすごく多くなった。これは驚くべきこと!!これが子育ての次に与えられた私のしごとなんだとはっきり思えます。このしごとは書くや弾く、編むのよう面白い、楽しいというものとは全然違うものだけれど、誰かの心に寄り添って、ともに見つめ歩めるという特別の役目をいただいている、と思います。だから今、最も重要なしごとが「聴くこと」なのです。
2008.10.22
コメント(6)
良い秋らしい天気に恵まれているこのごろです。 日付はすっかり秋だけれど、まだまだ日中は半そででOK。お出かけの時はお茶を忘れず持っていきます。さて、10月は誕生の月?日曜の夜、よく遊びに来る子が「もうすぐ二男Sの誕生日だから、今日はケーキ作ってあげるね!」と言って、夜遅くから抹茶のケーキを作ってくれました。五女A「え、S君ていつ誕生日なん?」私「あさって!明日は私の妹のCちゃんの誕生日、そしてその次がSくんやで!!」昨日夕食を作っていたら、五女がやってきて、A「お母さん、今日Cちゃんの誕生日やん。私はプレゼントにお花の絵描いたけど、お母さんどうすんの?」私はそんなことすっかり忘れていて、昼ごろにも彼女の家に行ったのにお誕生日おめでとうの「お」さえも言っていませんでした。しまった!!~~~A「Cちゃんちはいつもケーキを食べるっていう雰囲気と違うし、お寿司の方がいいのと違う?きっとそれがいいわ」私「でも、もう夕飯の準備してはるかも・・・!それならクリケットのゼリーは?きっと好きだと思うよ!」ということで、急きょその場にいた長男のAに付き合ってもらって、(私は夜森のクァルテットの練習があるので今作ってしまわないと間に合わない)、五女Aそして四女Wと3人でクリケットでお買い物をしてCちゃんちに行くことになりました。五女A「お寿司は買わへんの?私食べたかったなぁ~」あれ?Aちゃんの誕生日イベント仕掛けの動機はそこにあるんか??私「それはSくんの時に食べよう~~。そうそうプレゼント渡しながら、「Happy Birthday to you」うたってあげるんやで!!」早速意気込んで三人はプレゼントを持って行ってくれました。ちょうど夕飯ができるころ、小1時間で帰ってきたでしょうか・・・。楽しくニコニコ帰ってきたのですが、A&W「せっかく行ったのに、Cちゃんお出かけ中やった!!残念。でも大ママが「おかき」くれはった~~」クァルテットの練習をしている時にCちゃんからThank you callがかかってきていたようでした。ということで、本日はSくんの誕生日、そして24日には昨日一緒にクァルテットしていたVn2のYさんの誕生日、ついでに25日は私・・・つつましく祝いましょう!!
2008.10.21
コメント(10)
「ついに動き出すTちゃん」10.18にコメントをくださったアンジェラさんに私はこんなことを書きました。アンジェラ「信教の自由は誰にでも保証されるべきであり、どんな状況であってもすべてのひとは自由であるべし!と思いますが・・・、」さっちゃん「そうはいかない現実があるのですね。信仰というものはハッキリ言って人格そのものです。その自由が奪われているということは人格そのものが否定されている、支配されているということです。」その後、眠りにつきながら考えていたら、ふと心に湧いてきたものがありました。ちょっと待って!信仰というものは確かに人間の心の深く最も深いところにまで染み透っているもの。だからこそ人間の自由を認めるがゆえに、それを奪ったら、人格が否定されたも同然だと思った。でも、ひょっとしたら、そこまで深く入り込みその人の真実の姿に同化してしているものなら、どんな風に奪い取ろうとしても取ることはできないのではないかしら・・・。教会に行くチャンスも友人たちも聖書も奪ったところで、心を奪うことはできない。そう、アンジェラさん 心配しなくても大丈夫!!あなたの最も大切な教会はあなたの心の中にある!!あなたの最もいてほしい方はいつもあなたのそばにいて下さっているよ!!
2008.10.20
コメント(4)
Tちゃんについてはもう一つお話があります。Tちゃんは仕事に通えなくなって、何か違う道を探さないといけなくなりました。それで自分が今から何ができるだろうと思って、資格の一覧を見ていて医療事務に決めました。さてこの医療事務、資格試験に向けての講座があって、確か春ごろから通い始めたのでは、と思います。しかし、彼女は閉鎖された空間が苦手で、大きなビルの一室に5時間も6時間も籠って講師の先生の話を聴いていることは、苦痛以外の何物でもありませんでした。この時間内に何度もパニックに襲われながら、必死でこらえパニックと闘っていたそうです。一回目参加して、「もう絶対あんな所には行けない」と私に打ち明けていたのですが、講座もただではないので、1回だけでやめてしまうのはあまりにももったいないと思ったのかもしれません。もう一回だけ行ってみよう、と奮い立っていってみる。何とか持ちこたえた。それにしてもなんて無味乾燥な勉強なんやろう・・・。また一週間経って、今日こそ、しんどかったらやめたらいい!!そういう形で、一回一回が挑戦と忍耐でした。以来ちっとも何も言ってこなくなったので、私はとっくにやめてしまったのだと思っていたら、ついこの間、「とうとう最後の一回になったん!!」と笑顔で報告してくれて、いよいよ資格試験のための勉強も何とかやっているようでした。もともと興味があるわけでもなく、でもこのままでは自分自身が取り残されて、ダメになっていくような気がするから、何でもいいからやっている状態にしていたかった。そんな感じだと思います。それが9月11日のコンサートの練習を兄としていたら、突然Tちゃんからメール。「やった~~ 試験合格したわ~~」資格試験の当日は久々に2回も3回もパニックになって、ボロボロだったって、だから完全に諦めていたそうなんです。ね、何かが働いているでしょう?二男が高校に入ったとき「奇跡は向こうから転がりこんでくる」と言いましたが、ここにももう一つの奇跡がTちゃんのところに転がっていきました。一途な思いは奇跡を呼び込むのかもしれませんね
2008.10.20
コメント(4)
昨年の事件後、Tちゃんは長い長いトンネルの中にいました。本人もなぜそうなるのか分からなかったのです。なぜそれほどまでに、怒りがこみ上げてくるのか・・・なぜそれほどまでに、悲しみが深いのか・・・時が流れることによってそれがだんだん分かってきました。それは、自分にとってたくさんの楽しい嬉しい思い出の詰まった場所こそが悲しみを生み出す場所になってしまったこと。それはもう取り戻すことのできないもの。決してやりなおすことができない。つまり、彼女にとっては自分の人生全体を傷つけられたのと同じことだったのです。理不尽にも被害を受けた自分だけが苦しみ、責任を負うべきところは少しも動かず・・・だからどこまでも彼女の怒りは膨らんでしまった。だから長い長いトンネルの中にいたのです。でも、昨日のシスターの修道生活50周年を祝うミサは彼女に違うものをもたらしました。昔からTちゃんのことを可愛がってくださってきたたくさんシスター方の優しいまなざしと笑顔50年という月日を奉献という毎日に生きた3人(2人のシスターと1人の神父さま)の方々の神様への感謝の気持ちと信頼そして兄のお説教のテーマは「存在の愛」でした。「私があなたがたを愛したように、互いを愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネ15章12節) キリストと弟子たちは主人と僕ではなかった。「友」 修道生活50年を祝う方々にとってこれからの毎日はいろんなできない、に出会っていくことになるでしょう。常に自分を無にして他者のために働くことを自分の中心に添えてこられた方々です。それができなくなることは大きな支えを失うことになるかもしれません。もしそうであったとしても、それでも命ある限り、神さまはあなたの存在を喜び、共に歩んで下さる。その言葉はTちゃんにはこのように思えたことでしょう悲しみにある時、怒りに包まれている時こそ、そばにいて下さっていた事件が何もかも自分のすべてを奪ったのではなかった私はちゃんとここにいる慈しみを感じることができる私がいるそれが彼女の涙だったのです。
2008.10.19
コメント(8)
去年の今頃、Tちゃんがえらい目にあってどうやってサポートしてあげたらいいのか…と書いていたような気がします。その事件以来、Tちゃんは教会には一切近づかなくなりました。正確に言えば行けなくなりました。Tちゃんにとっては、生まれる前のお腹にいるときから去年まで、ずっと自分の人生とともにあった、いわばもう一つの家のような場所であったのに・・・今日、二人のシスターが修道生活50年のお祝いの日を迎えられました。まさしく私が生まれる1か月前にシスターになるための修練を始められたそうです。そんなお二人のシスターは我が家族を深く長く、ずっと見守り、関わり、慈しんで下さっていたのです。Tちゃんはついに動き出しました。今日のお祝いのごミサに与るため、修道院のお御堂の門をくぐりました。小さなお御堂、我が家族と特にTちゃんを家族のように迎えて下さるシスター方、そして司式は広島から駆けつけた兄とM神父さま(先日やはり50周年を迎えられ、優しさを体現しておられるような方)です。ミサが始まってTちゃんが小声で言いました。「お説教が終わったら帰るし」このお御堂の入り口でちょうど50周年を迎えられたシスターHにお祝いを言うこともできたから、兄のお説教だけを聴いて帰ろうというわけです。それぐらい、彼女にとってごミサに与ることは辛いこと、我慢して苦しみながらそこにいなければならない状況だったのです。間もなくすると彼女は涙を流しているようでした。お説教の間もずっと泣いていました。私は友人のこととともに、このTちゃんのこともお祈りしていました。お説教のあともここにいることができて、ご聖体拝領ができますように、神さまの支えを彼女が感じられますように・・・Tちゃんは一年ぶりにご聖体拝領をしてミサの最後まであずることができました。またひとつ、本当の自分に立ち返るチャンスを重ねたTちゃん!!良かった、よかった!!とても嬉しいです。ミサの締めくくりの歌は「キリストはぶどうの木」 キリストはぶどうの木 私はその枝のひとつ 慈しみの雨に洗われ 繋がっていたい いつの日も キリストはこの世の光 私の心を照らす 喜びの光を浴びて 輝いていたい いつの日も キリストは父への道 私はその道を歩む 救いのみ技を信じて 辿りつきたい いつの日もTちゃんは歌を歌うのが大好きだけど、全部を歌うことはできませんでした。涙が流れて流れて・・・二人のシスターとともに、1年分の慈しみをいただいたTちゃんでした。ちょっと教会の話が続いてしまいました。もし不快に思われた方があれば、どうかお許しください。
2008.10.18
コメント(8)
マタイ福音書22章15~21節二日前の15節に始まってイエスはファリサイ派の人々とヘロデ派の人々からの質問を受けます。16「先生、私たちは、あなたが真実な方で、審理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、教えてください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているのでしょうか、適っていないのでしょうか。」 これが罠で「律法に適っている」と答えれば「神に背く者」ということになるし、「適っていない」と言えば「ローマ皇帝への反逆者」ということになるのです。 18イエスは彼らの悪意に気付いて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは誰の肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。するとイエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」実は私はこの18~21が好きなんです。自分が置かれている状況をしっかり見据えて、相手の心を読みながら、自分がなすべきことを理解しておられるキリストの姿。しかも迫ってきた相手にとっては思いもよらない、現実的ななおかつ反論の余地を残さない形で逆に問いかけておられる。「これは誰の肖像と銘か」自分たちの負けを認める言葉を自分で答えなければならないなんて、罠に落とすつもりの人々にとってはギャフンだったのではないかと思えてならないです。そして次元の違う発想の違う言葉で締めくくられた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」このことばはその場にいた6人みんなが心に残る文として印を付けていました。う~~ん と私考えてみました。「神のものは神に返す」とはどういうこと? 神のもの、て何?皇帝のものという言葉と並べてあるということは、両者を分けている。皇帝のものとは政治の守備範囲のもの、現実世界のことかな。ならば、神のものとは?・・・見ることのできない、信頼や良心、愛・・・だから「神のものは神に返す」とは神の期待に応えて生きることなのかなぁ、自分の受けた恵みを知って、喜びを持って生きること、と思ったのでした。すると、tetsuoさんが10.15のコメントで人間の行動には、不安か愛か この2種類の動機しかない。と書いて下さった。この「不安と愛」という言葉はそのまま、自分が受けていうる恵みが分かっているか分かっていない、ただそれだけのことのように私には響きました。恵みって、~~ができるということではないです。この聖書深読会で、シスターが印象的なことばを伝えて下さいました。N神父さまはね「神さまが俺のこと惚れてるから・・・ 何の心配もない ハッハッハ・・・」ておっしゃんたのよわたしこのN神父さまが若いころ病気で死にかけられたことを知っています。さすが~~~N神父さまと思います。そうなんですね。恵みって私も神さまから愛されているってわかることなんだわ、きっと!!
2008.10.17
コメント(7)
YMさんのコメント 中学生の時、女友達に言われました。「Mちゃん私のこと、嫌いになった?」何で?私には、何の心当たりもない。話が合って、仲良くしていた友達と別の友達と親しくしていただけ(それも何日もじゃなかった気がする)仲良かった友達を無視したわけでもなく、たまたま話さなかっただけなのに、そんなことを言われたことがよくありました。 ちょうどこのまえ同じような話を子どもたちとしていました。たとえば、携帯にメールが入る。すぐにお返事できないときあるよね!!なかなか返事を返すことができないでいると、たいていの若い子どもたちは「なんで怒っているんやろ」「なんか私嫌なこと、嫌われるようなことしたんやろか」て思うらしい。もしそうだったらいやだから、本当にそうなのかどうかを確かめることすらせずに、そのままぷっつりとメールは途絶えてしまうらしい。携帯なんてただの道具にしか過ぎない。つぶれることもあれば、持っていくことも忘れるし、バッテリーなくなっている時もある。バイトに入っている時も授業をしている時も、クラブ活動している時だって、寝てしまっている時だってあるのに・・・。なのにすぐに、私嫌われた、どうしよう、と不安に思ってしまう子どもたちがいる。 私はその話に仰天、でもわかるような気もする。きっと彼らはだめなこと、悪いこと一つでもしたら、もう人間関係がつぶれてしまうと思いこんでいる。そして一度つぶれたら、復活できないと信じているのじゃないかなぁ仲良くしましょう!喧嘩はだめよ!!100点めざし、少しでもミスのないことがいいこと、それ以外はだめなこと!!が徹底し過ぎたのかも?不安は不安を呼び込んで雪だるまのように膨らむ・・・いつしかそれはただ単に膨らんでいるだけでなくて、自分の周りにだんだん固くまとわりついて・・・自分のイメージさえ変えてしまっているかも・・・ 勇気を出して、確かめてみて・・・勇気を出して、失敗してみて・・・勇気を出して、ごめん、て謝ってみて・・・ほら大丈夫でしょ?心配しなくても良かったでしょう人間なんてある意味すごくたくましい、したたかな生き物なんだから・・・そうやって赦し合って生きたらもっともっと楽やで~~
2008.10.16
コメント(9)
第3水曜なので「聖書深読会」でした。今日はマタイ福音書22章15~21節です。15 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談しました。 ここを読んで思いました。あぁ~ 今朝もそんなニュースが新聞に載っていた。海自で特別訓練と称して15対1の訓練をして、隊員が亡くなったって!以前にも同じことをほかの隊員に対してしていた。何で人間てこうなんやろ!今に限らずどの時代でもどこの場所であっても・・・。他人の非をつつき、なじり、自分を強がって見せる。それもたいてい群れて息巻き、パワーを誇示する。多数が「正しい!!」実は強がっている分だけ弱さをもっていることなんだけれど、それを認めたくない・・・繰り返し繰り返し行われるこうした行為はなぜなくならないんだろう。深読で何度も読み返しているうちに私はこう思った。そうだ!人間というものはこのように弱くて群れていなければおちつかない。そうでありながらなおかつ誰かより認められたい目立ちたい。強い自分正しい自分をひけらかしたい。そのためには他人を罠に陥れてもだましても、あるいは命を奪うことがあってもかまわない。それほどエゴイストで弱い生き物が人間である。しかもそのエゴイストな思いはおそらく誰の心の中にも、もちろん私の心の中にもある。それを日々思い起こすためにあるのではないのか?素晴らしい喜びと感謝の時間を持てても、それがずっと続くということはない。すぐに人間の心はエゴに閉ざされる。これほどまでに強い負の力は一体どこで生まれてくるのだろう・・・。生まれたときはかけらもないはずなのに・・・。
2008.10.15
コメント(4)
なぜかこのコンサートの一連のことについてはいろいろ書きたくなってしまいます。翌日(12日)の夕刻にパーティーがありました。昨日一生懸命弾いたメンバーたちも、こまごまとした雑務をハードにこなして下さった方々も、聴衆として聴いて下さった方々も、みんなほっこりゆったり、楽しいひと時を持ちました。 この30年間お会いすることがなかった憧れのW先輩はもうパイロットを退職されたとか、ますますダンディーでつい「カッコいい!!」と声をかけてしまいました。司会をして下さったMちゃんは「松本で旅館のお庭でした練習楽しかったね」と言ってくださって、いきなり思い出がよみがえりました。これは一緒に行った松本での夏季学校の一場面です。広い旅館のお庭に朝早く出て、毎日一緒にVn弾いていました。この思い出は私のVnの思い出の中でも特別のもので、青々とした草木の中でVnを弾く気持ちの良さは何にも代えがたいもの。澄んだ空気の中をまっすぐにVnの音が飛んでいくようでした。今でも、夏になると木陰での練習がしたい~~との衝動に駆られます。なんとMちゃんもこの二人だけのスペシャル練習を覚えていて下さったのです。私と同じように陸上競技と2足のわらじを履いていたN先輩も、他にもたくさん懐かしい方々、そしてお母さま方もすっかり上品な70代、80代になっておられますが皆さん、30年40年の隔たりなど何のその、みじんも感じられません。そうか!人間て根源的なところは本当に変わらないんですね。見かけは少々変わったとしても魂と言えばいいのか、なんて言えばいいのか分からないけれど、本質は何も変わらないみたいです。私は大人になっても私です。さて、この楽団を作られた私のVnの先生はなかなか粋なことを企画されて、みなさんに第1回の演奏会から49回まで主だったコンサートの一部のビデオを編集して私たちに見せて下さったのです。あぁ もう可愛らしすぎます。W先輩は一体何年生10歳?昨日のKさんも小さな小さなお嬢さんです。ひたすら一生懸命弾く子どもたちの姿はみんなの心を清め温めてくれるかのよう・・・とうとうパーティーも終わって最後に私の先生にご挨拶しました。「わたし、レッスンの後はたいてい疏水沿いを涙を流しながら歩いて帰りました。歩く方が心行くまで泣けたし、自分の心を鎮めることもできたから・・・」「そんな厳しいレッスンなんかしてないやろ、ぼく!!」「はい、ちっとも厳しくないけれど、自分としては分かっているのにちゃんとしていかないぐうたらなところに自分で腹を立てていたのだと思います。いいレッスンができるはずだったのにって」「そうか、それは知らんかった」「でも先生にVnという楽器を伝えていただけたから、子どもが7人になっても私やっていけたのだと思います。自分だけの時間を持つことも、そしてVnを通して仲間を持つこともできましたから。」先生に先日私の本「えっ7人の子ども?」をお渡しする時、その本にはこう書かせていただきました。「私にVnを家族にすることを教えてくださって、ありがとうございました」
2008.10.14
コメント(4)
昨日登場してくださったKさんとNさんはお互いのことをとても尊敬されているようでした。お話の中で面白かったのはお二人のお母さんの教育の仕方です。Kさんのお母さんはとても厳しく、ご本人の表現をお借りすると「鬼のように・・・」だったそうです。ところがNさんのお母さんは全く「勉強しなさい、Vnの練習しなさい」などと一回も言われたことがない、とNさんはおっしゃるのです。Nさんは大きくなって(3歳から始める方が少なくない才能教育メソードの中で)5年生からVnを始められたそうですが、今でも伝説になっているぐらい進み具合が速かったそうなんです。いったいどうやってそんなことが出来ちゃったのでしょうか?Nさん「それがね、ちいさなKちゃんが上手にきれいに弾いていらっしゃるのを見て、大きな自分がへたくそなのが格好悪くて・・・、だから必死で練習したのよ。私って単純なの!!」たとえそうだとしても、それを継続した練習に5年生であっても持っていけるところが、私たち凡人とは大違いです。上手になっていく自分を自覚できたことも大きな励みになった、ておっしゃっていました。ちょうどその話を聞いた朝、兄との練習中に、ヨーロッパでは天才的に演奏できるようになった人は、たとえ14や15という年齢であっても、音楽院の教授に抜擢されることがあるという話をしていたのです。私「でもその年齢なら、なぜ自分が弾けるのか、なぜ生徒は弾けないのか、を分析するのも難しいから、先生としてはちょっと不十分なんじゃないの?」兄「確かにそういう見方はあるんだけれど、普通、そんな年齢の子どもが教授に抜擢されるだけの実力があるとすれば、それをそばで聞かせてもらうだけでも、大変な勉強になるんや。だから若い先生はいらないとは言えない!!」このNさんの言葉はまさしくKさんという素晴らしいモデルを目の前にしてたくさん学ばれた実例だったのですね!一方Kさんも素晴らしい教育を受けられたのだと思います。たとえ「鬼のような・・・」と表現されたとしても、KさんはそれでVnが嫌いになって止められたわけでもなく、いじけたわけでもなく、ますますそれに応えて頑張っていかれた。これも私たち凡人とは大違いです。結局何かを成し遂げていかれる方は自分の環境や条件がどうであれ、その中で最大限に自分を生かす工夫を見つけて実行していく力をお持ちなのです。そしてその教育に携わったお母さんたちも、今自分が子どもにしなければならないことをきちんと見つけておられた。子どもにとって「鬼」と思われても、決して本当の鬼にはならないように、潰さないように心掛け、自分でがんばれる子どもにはずっとその頑張りを見守って支えてあげるように・・・この絶妙の組み合わせが大切なのですね
2008.10.13
コメント(8)
この演奏会の楽屋では中学生から60歳を過ぎられた方までが、雑多にテーブルを囲んで、ステージ前の軽い夕食をとっていました。私の前には京響におられたNさんと音楽大学の先生を退官なさったKさん、そしてお隣は元モツ管奏者のMさん。この楽団創設当時の団員さんでずっとVnと共に人生を歩んでこられた方々です。雑談だけど雑談とは言えないお話し続出!!クラシック音楽も日本に入ってきて100年以上たったわね。もうそろそろ、ヨーロッパのまねっこしてないで、日本人の感覚で演奏ができるようになってもいいと思うのだけれど・・・世界に認めてもらえるような、50年経っても100年経ってもヨーロッパでも喜んで演奏してもらえるような曲が生まれないかしらね。そうね、外国の指揮者の方が来られた時一番気に入られるのは日本の曲なのよね。昔からある歌ね!伝統的な能や歌舞伎もとても魅力的に思われるみたいだもの。私ね、緩和病棟にいってVa弾いているのよ。演歌とか歌謡曲とか弾くの。Vnだと音域が高過ぎて、患者さんには受け付けない。なるだけ声の高さがいいの。それで朗々と弾くのではなくて、やわらかく静かに弾くの本当に喜んで下さる。少し気が晴れたり、ほっこりしてもらえるみたい。一つだけ気になることがあるんだけれど、それはこういうことってみんなボランティアでやるべきことって思っていることね。これでお金儲けしようとは思わないよ。それでもちょっとおかしいなって思う。えぇえぇ、私の友人も(Tetsuoさん)も、「どうでもいいことには予算がついて肝心のことは何でもボランティアですることになっているのが今の日本の社会」て言ってました。全くその通りだわ!!でも自分のやることが直接誰かの役に立ってる、喜んでもらえるってのは、いくらお金が積まれたって生まれてはこない遣り甲斐を私に与えてくれるのも事実よ!そうですね、本当にそう。私もボラティアしたいて、気がしてきた、とMさん。・・・・・演奏会を終えたとき、一緒にプルトを組んだUさん、そして子どもの時一緒に演奏していたIちゃん・・・たちは一様に言いました。久方ぶりにみんなとアンサンブルをして、本番を終えて・・・ あぁ気持いいちょっとこのままVnを弾き続けていたいなぁ~これでお終いにしたくない~まだ子どもが小さいし、忙しい・・・でも本当に音楽っていいね!!そうでしょう、そうでしょう。これは音楽や演奏から離れたことがある人しか分からない喜びなんだから・・・ね、無理は言わないけれど、是非 うちのオケに遊びに来て!!と私。
2008.10.12
コメント(6)
あぁ~~楽しかった!!本番だけ、音楽が楽しめました。最初はドキドキだったけれどね!!メンバーは同じ先生のお弟子さんたち、しかもこういうところに出てこられる方はかなり先生に傾倒なさっている方が多いのです。ところが私といったら先生の言うことはちっとも聞かず勝手に弾いていたような子どもだったのではみ出しっぺでした(Vnの弾き方が・・・)。それがこんな時間の隔たりを経ても、なお違うのが分かって愕然としました。窮屈だなぁ~~て感じなのです。こんなに大好きな曲を楽しんで弾けないなんて悲劇的!!今朝、兄が生徒さんとのレッスンの合間に一緒に練習しようか?て言ってくれて、どうしても弾きにくいところをどうしたらいいのか聞いてみたら・・・そんなに気を使って周りに合わせなくても、自分のやりやすいところでやり易いように弾くことを心掛けた方がいいよ!その方が結果的には良いものが生まれてくるから・・・二人で何度も練習してみたら、これで良いんだって気もしてきた。ゲネプロ(本番前のリハーサル)が始まると、昨日までの練習の時とは違ってとてもぎくしゃくしている。このコンサートホールのステージはお互いに音が聞き取りにくい。だから大所帯のVnは前と後ろで時差が生まれるし、チェロの音もとても聞きづらく、パートごとにテンポ感があわなくなって・・・たぶんみんな心の中であっちゃ~~!!これはヤバい~~と叫んでいたと思います。ブランデンブルグのリハでは突然80歳を越えた指揮者が言いました。「みんな、チェロ以外は立って弾きましょう。その方が気持ちいいでしょう。どうしてもそれは嫌~~という人はいます??」ということで1曲目は立って弾くことになりました。何でも急に決まります。それでとうとう始まったステージ。1曲目のブランデンブルグは立って弾いたのは大正解でした。みんながいい感じで音楽に乗れ、そして互いが聞きづらいことにも慣れてきて、うまく調節できるようになっていました。2曲目のハイドンのチェロコンチェルトは降り番だったので、本番用の楽譜(持ち出し禁止なのだけれど)を楽屋に持っていって、練習しました。ちょうど同室に先輩たちおられたので、「どうしたらここのボーイング、うまく弾けるかな?」て訊いてみたら、「やっぱり、私もそこやりづらくてね。最後の音は省いたら?」て言って下さったので、ここでもワンポイントレッスンをしてもらったようなもの。これでまた楽になった。さて、ステージに乗った私。心の中で静かに言いました。「このまま、この素晴らしい曲を楽しまないで終わるなんて嫌!後悔はしたくない。」みんなもこのステージに対する思いがきっとたくさんあったんだと思う。懐かしいみんなと弾けること、懐かしい先生との最後の舞台(私の先生もこの機会に引退を決意されたと後から聞きました。)小さな頃の自分を思い出したり、親子で舞台をふんだ方もいらした。あこがれのチェリストや大先輩と並んで弾けた喜びもあったでしょう。たくさんの先輩たちに囲まれて、現役の子どもたちも特別の時を感じたことでしょう。リハーサルとは比べものにならない良さが生まれました。う~~~ん やっぱり本番てすごいですね!!
2008.10.11
コメント(6)
夜は明日本番の弦楽合奏団「コンチェルティーノ・ディ・キョウト」の最後の練習がありました。いよいよ、明日になったなぁ~ここの練習は行くたびに懐かしの顔に出会える。小学校の時に一緒にこの弦楽団のジュニア版の合奏団にいたときの友人が「さっちゃ~~ん!最初はわからんかったけど、やっぱりさっちゃんや!!」このIちゃんはあの頃と同じショートヘアで印象はちっとも変わらない。ずっとVnは弾いていなかったけれど、この演奏会のために猛練習したんだって!!よかったね、すばらしい!連絡用のチラシを配ってくださっていた女性が「あ、Cちゃん!これもらった?」「私はさっちゃんです。Cちゃんは妹!!」「あぁそうやったっけ!もう分からんようになってるわ。ところで私誰か分かる?HMよ」「髪形がショートになったんですね」「ところでさっちゃん、何歳になった?ごめん!こんなこと訊いたらあかんのかも知れんけれど・・・」「今月で52歳です!」「え~~!!そんなに・・・ いつまでも可愛い子どもの気がしてたけど・・・ 年とったらみんな一緒やね~~」「はい!」「さっちゃん、本持ってきてくれた?!」と今度は学生時代に一緒にモツ管(モーツアルト室内管弦楽団)で弾いていたM先輩が声をかけて下さった。「はい、もちろん!!」「たのしみ~~ 今日は早く寝なあかんけど、読んでしまいそうや・・・」とM先輩はさっそく譜面台に本をおいて、楽器を持ちながら読んでおられるし・・・当然、こういう出来事は練習場のいたるところで、練習の合間を縫って起こっている。この懐かしい、嬉しい、喜びのムードが演奏の中にも流れていったらいいなぁドヴォルザークの弦楽セレナーデは私の大好きな曲。1楽章 波打ち際で遠くにある故郷を懐かしんでいるよう2楽章 悲しげなワルツ3楽章 小回りを利かせながら、活力と勇気が湧きだしてくる4楽章 まさに祈り 祈り 平安な心で神様と語り合う5楽章 互いに主張しながらも向かうべき道はあっち!!と走りぬけていくいよいよ、明日!開幕です。
2008.10.10
コメント(8)
西アフリカの太鼓、ジャンベの練習を始めて1か月があっという間に経ってしまいました。ご近所のことも考えて、毎日午後に4時間ぐらい練習している彼ですが、この頃体つきも変わってきています。肩や背中、腕は以前よりも筋肉質になり、手のひらもいささか堅くなっているように思う私です。近くの本屋さんで作曲家の吉松隆さんの本を立ち読みし「お母さん、音楽に大切なものは絶対音感よりも絶対リズム!て書いてはったわ」「お~~ッ Aの思うつぼやね!!」今週、月曜日にはジャズギターのレッスンがあり、さすがにジャンベの練習とギターの練習を入れ替えて、頑張っていました。火曜はジャンベのレッスン、気がつけば夜中のご帰宅!!そして今日はクラシックギターのレッスンの日。久しぶりに昨夜は落ち着いたクラシックの音色が鳴り響き、その音を楽しみながら私は眠りに陥っていました。Aは10時になっても起きてきません。12時頃、買い物に行く私は彼に声をかけて出かけ、そして帰ってきてもまだ寝ています。長女から仰せつかったアイロンかけ(大サービスだわ)をしていると、間もなく起きてきたAは早速キッチンのテーブルに自分の席を陣取って、朝食?昼食に取り掛かっています。私も、と思いあちらに行くと、「あれ?僕がお昼一番?」「私は、いっぱい仕事しているからね~~!」二人で私が今読んでいる本(Toさんお勧めの押井守さんの「凡人として生きるということ」)について語っていると、二男のS中間テストの初日を終えて帰ってきました。「あぁ~ 疲れた!やっぱり3時に寝たらしんどいなぁ~~」私「え、3時まで勉強してたん?」A「それは僕の方が遅かったわ」と自慢げに言うものだから私「ちゃんとエコライフしてよ、地球にやさしくね!」と注意をしました。A「ハッハッハ、エゴライフやから、僕が起きたら朝が始まる」
2008.10.09
コメント(4)
長男Aと二女Mがおしゃべりをしていた。M「『アリーテ姫』の魔法使いの従者のカエルにお手伝いのおばちゃんが声をかける『こんなことならお前も、人間になんかならなきゃよかったね』て!物語の中でこのカエルさん、いつもゲロッゲロッと鳴いてばかりのカエルのままでは人生が面白くない。だから魔法使いにご機嫌をとってとうとう人間の姿にしてもらった。もちろん言葉も話せる。しかし人間のことばが理解できるからこそ、人間の姿になったからこそ嫌な思いもいっぱいする羽目に陥って後悔している、という場面でこの言葉が使われた。A「それって、カエルや動物たちは言葉を使っていないという前提でつくられている話やんなぁ。そやけど動物たちや鳥が一糸乱れず群れごと同時に行動をとれることを考えたら、彼らが言語を使ってないと思う方が不自然ちゃうの!それはきっと人間の思い込みやし・・・。むしろ、動物の方が人間のことばを理解しているから賢いかも、犬も、馬も、チンパンジーも!」M「たしかに!ペットで犬を飼っている人でも、犬の鳴き方一つでどれぐらい犬の言いたいことを理解することができているんやろ!犬の方がよほど人間のことばや態度を理解しているかも・・・」・・・・ 動物たちはそれぞれに人間には及びもつかないすぐれた感覚を持っていることは有名な話。そういうものを駆使して使われるサインのようなものをも言語という枠に入れることができるなら、この世の中には相当、多種多様な言語が存在することになる。そしてその言語間の隔たり飛び越えて、人間の世界に寄り添ってくれているペットたち!!彼らの人間への愛情には頭が下がる思いです。
2008.10.08
コメント(8)
この教会のお祝いの会の主役に躍り出た司教さま、そしてもう一つ予定外で主役に躍り出たものがありました。それは写真たちです。50周年ということで、建築当時の写真から十年ごとの年代別にパネルに写真を張って飾っていたのです。日曜の本当の主役たちであったおじいちゃまおばあちゃまたちにとっては懐かしいものばかり・・・。かつてご指導&お世話をしてくださっていた歴代の神父さまたち、そしてシスターたち。50年前の教会はお庭の木々もほとんどなく、ちらちらと小さなものばかり。特にシスター方の服装はまるで映画の世界のようで「サウンド・オブ・ミュージック」のシスターと全く同じ。夏は真っ白冬は黒の長袖ロングで、ベールもつけておられます。もう亡くなった方々の懐かしい笑顔に出会えるし、今ではやらなくなった行事も登場してきます。夜中にあったクリスマスミサでは、子どもたちがみんな扮装をして聖劇をしていたし、聖体行列(ご聖体のお祝い日)では女の子はそろいの白いワンピースとベールを着て、かごに入れたたくさんの本当の花びらを撒きながらうらの大文字山のふもとまでいきました。そうそう今、若くて人気の司教さまも、叙階(神父になること)当時のお顔は、とんでもなく普通の青年神父で・・・ 25年後に司教になってこの教会の献堂50周年を自分が司式されるなんて、かけらも思っておられない様子(当たり前だけれど)現在シルバー世代の皆さんも、ほとんど結婚当初のお写真があっちこっちにあって、本当にこの方々がずっとこの教会を支えてこられたんだ!!てことが身にしみてよくわかります。教会というところは人の集まり、今回は献堂という建物のお祝いでしたが、そこで見つけることができるのははやり人の力です。昨日の日記にあるように、元気一杯のMちゃん、ここはという時に機転の利く大ママ、陰に表になりながらもいつも教会のために働いてくれているTさん、アンジェラさん、手芸の上手なHさん、長年子どもの世話をしてくれているYさん、パーティーのことなら任せてのベテランママさんたち、いっぱいお祈りをしてくれるSちゃん・・・ いちいち書いていたら何十行いることやら・・・・・こんなにもさまざまなタレントと性格とお人柄と経験の違う、おまけに人種も違う人間たちが集まっている教会。いっつも幸せ楽しいだけにはとどまらず、時には不協和音もあって、この教会から去って行かれた人、去って行かなければならなかった人々のことも写真を見ていたら思い出されます。それらは悲しい記憶とも言えるかもしれない。でも私はそのことのおかげで知ることができたこともたくさんある。学んだこともたくさんある。もともと信頼というものが前提なっているがゆえに、そこで起こったトラブルがもたらすものがどれほど大きな傷を作り出すものか、だからこそ許し合うことがどれほど難しいことかも・・・。一旦失った信頼を回復することの難しさ、囚われることから解放することの難しさ。それでもいつかきっと、どんなに分厚い壁や高いハードルであっても、このみんなの力と神様の支えがあれば、必ず乗り越えていけるはず!!ちょうど、私の尊敬するcoroiさんが私の大好きなアッシジの聖フランシスの平和の祈りをブログに載せてくださっていたので、それをコピーさせていただきました。 主よわたしをあなたの平和の道具としてください。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇のあるところに光を、悲しみのあるところに喜びを、 蒔くものとしてください。聖なる主よ、慰められるより慰めることを、理解されるより理解することを、愛されるより愛することを、 より多く、わたしが求めますように。わたしたちは、与えることのなかで受け、ゆるすことのなかでゆるされ、死ぬことのなかで新しく生まれて永遠のいのちに至るのですから。主キリストによって。アーメン (coroiさん訳)http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51386409.html
2008.10.07
コメント(6)
Sちゃんとシスターのお話はまだまだきっとたくさんのビックリを生み出して長い物語になっていくでしょう。でも今回はこの辺でひとまず、休憩です。昨日の日記にもあったように、わが教会の献堂50周年のお祝いを迎えました。つまり私が洗礼を受けたのはその前のお御堂、現在のホールでのことだったのですね。今しがたようやく気が付きました。 特別に大げさなお祝いは8年前の教会創立50周年の時にしたので、今回は建物修理等にちょっとお金をかけて、当日は敬老の方々のお祝いも兼ねて(いつも敬老の日にバザーをやっているので一か月ずらしてお祝いしています。)内輪でのお祝いになりました。 それでも司教様に来ていただいてミサの司式をお願いし、普段よりもたくさんの侍者(司式者の助手をしてくれる人)でずいぶん豪華な荘厳な感じになります。侍者は小学高学年から大人までが担当しますが、昨日は大人が2人子どもたちが8人入りました。うちの子どもたちは長男Aと二男S、そして四女のWの予定でしたが、長男が熱を出してしまってお休み、二人がしてくれました。 Toさんは第2朗読担当、私は聖歌隊の助っ人です。そして司教様が来られている特別の日ということで、ご聖体をいただいた後の静かな時間にVnで「Ave Maria(グノー)」を演奏しました。久々のAve Maria おまけに司教様の前ということでちょっとビビッてしまいました。(だめだなぁ~~)さて、ミサ後はホールでパーティーです。こちらでも司会はToさん始まる前に、突然、かわいいMちゃんがホールの真ん中で叫びました。「司教さま お誕生日おめでとうございます」すると自然に歓声と拍手がわきあがって、「ありがとうございます。実は明後日は僕の誕生日なのです。」と司教様はごあいさつの中で白状されました。司教様というと、70代の方が多い中、この司教様はまだ50代です(40代で司教になっておられます)。若いころは私の友人の阿南慈子さんやご主人、そして私の兄などといっしょにごく普通の学生時代を過ごされていました。さらに神父さんになられて間もない24年前にはこの教会にお住まいになって、助祭として私たち信者の面倒を見て下さっていたのです。 同じぐらいの年代の私たちは司教様のことをどうしても友人のように思えるし、古くからいらっしゃる信者さんたちにとっては、まるで自分の息子のように感じておられる。大ママがさっとToさんの手からマイクを取って言いました。「司教様のお誕生日が近いということなので、みんなで『Happy Birthday to you』を歌ってお祝いをしましょう」久々の全員の声がホール中になりひびく、素晴らしい合唱になりました。あんな嬉しそうな司教様ははじめて!というほどの笑顔です。パーティーの間中司教様はくまなく人の海の中を巡り、そこに集うみなさん一人ひとりと言葉を交わし、お話に耳を傾け一緒に食べて、そして何人かで集まっては写真を撮り、大人気のタレントさんのようでした。
2008.10.06
コメント(4)
翌日午後になってようやく私はSちゃんにお電話する時間を見つけ、お話をすることができました。 Sちゃんいわく(同じ言葉ではないけれど・・・)「子どものことは、とっくに卒業しているつもりだったのに、たまにあぁやって自分の心の中に頭をもたげてくる。特にこの間は病院での診察ではっきりとドクターから『無理です!』て言われたようなものだったから、余計に引っかかったのだと思う。でも、大丈夫。教会にも子どもたちがたくさんいて、子どもは誰かのものっというのではないもの。みんなで育てたらいい。私だって子どもたちの成長に力になってあげられることもあるはずだし・・・、そういう私自身もいまだにみんなの子どもにさせてもらっているから・・・」と明るい声!!良かった!!こういうとき彼女は本当にいい言葉を口にするなぁと感心する。続けて私がSちゃんに送ったメール(シスターからの「ジュリーの本差し上げても大丈夫かしら?」の問い合わせ)について語って下さった。「あの、本のことだけど。私、今度シスターともう一度繋がることができたので、新しくなった自分、洗礼名の聖ジュリーのことがとても気になって・・・。それでカトリックの書店に電話で問い合わせたの。中学時代に学校からもらった本の参考文献になっている書物がないかなぁって!!そしたら、「それは確かに日本語で出版されてた本だけれどかなり古いから、簡単には見つからないでしょう。でも探してみましょう。」て言われて、ガクッとしていたの。そしたら、その翌日にさっちゃんから『シスターが本をプレゼントしたい~~』てメールがきて、ほんまにびっくりやった!!これ本気で繋がっているわぁーーて思って!!」これ、本気で私も驚きです。Sちゃんとシスターは私抜きに何の通信手段も持たなくても、もうすでにズバッて繋がってはるし・・・・。さすが師弟というべきか・・・さすがシスターとSちゃんというべきか・・・ほんとに思いもかけない展開!!今日、コンディションを合わせることができたSちゃんは、献堂(お御堂が建てられて)50周年のお祝いにご主人と教会に駆け付けてくれて、嬉しそうに私に見せてくれたものがあるのです。Sちゃんが受洗したときに、当時の校長先生であったシスターからいただいたお祝いのカード、そして、昨日届いたばかりのほやほやのシスターからのカードもう一つは今、書き始めた中高時代の思い出ノート丁寧な字で、しかも書き直しのないノートを見たとき、とうとう重い扉がギーギーと音をたてながらもSちゃんの意志で開かれてきていること、もう一つはこのSちゃんという一人の人間を誕生させた神さまがやろうとなさってことが、少しずつ目に見える形になっていっているんだ、と実感したのでした。
2008.10.05
コメント(8)
もちろん私はSちゃんとの電話の間にシスターからのメールがやってきたことを、広島のシスターにご報告しないわけがありません。早速もってつらつらと書かせていただき、即メールで送りました。しばらくしての月曜日の夜遅く、シスターからのメールがやってきました。ちょうど日曜日のミサに行ったら、私の兄が司式をしていたそうです。その様子やらお説教のことなど、ちょこちょことお知らせくださって、兄の仕事ぶりを外から伝えて下さるシスターの存在は私にとっても、意外な面でありがたく嬉しい。そしてSちゃんには聖ジュリーのことが書かれた本をプレゼントしたいとのこと。でも実はSちゃんが中高に在学されていたときにも、同様の本を全生徒にお配りしていたとのことで、Sちゃんがいらぬ記憶を取り戻して、揺らいで不安になってもいけないからと、私の判断に任せるとのメールでした。 私からSちゃんへのメールは基本的に毎日、ブログ日記が届くようになっています。でもその日記を書く時、特にSちゃんに向けての言葉や文を書こうとしているのではありません。だから時々その日記の内容にSちゃんは悲しくて涙することがあるのです。たとえば最近では「清い心」。マザーテレサの「祈りをすることによって清い心になり、『ハイ』と返事できるようになりなさい」のようにおっしゃった(カルカッタ日記)ことから、私が身近なところでは「子どもたちが大人の心を清めてくれている」と書いたときのことでした。Sちゃんも旦那さんも、子どもが本当に大好き!!教会に来られた時はいつでもうちのWやA、そしてよそのお子さんたちに羨望のまなざしを向けておられる。一緒に遊ぶことはできないけれど、ちょこちょことお話をしてくださって、子どもたちとの時間を楽しんでくださっています。でもブログ日記に書かれていた「清い心を持つ子どもたち」「大人を清めてくれるような気がする子どもたち」の言葉は、自分たちは子どもを持つことができないかも?ということをSちゃんの頭に甦らしてしまいました。Sちゃんはシスターがおっしゃるように、とても純真な心を持っておられるので、こんなことがあればつい「ごめんなさい」という言葉を何度も心の中で言ってしまうのです。あんなこともしたい、こんなこともしたい・・・。ご主人にはあんなこともさせてあげたい、こんなことも・・・、とたくさんの思いがあっても中々実現することは難しい日々です。そんなときは私と電話でお話しすることにしているのだけれど、この「清い心」の時は、私がほかのことに手いっぱいになってしまっていて、何度か電話の時間をお約束しているにもかかわらず、変更、変更で結局その日にはお話しすることができませんでした。このときはほんとうにSちゃんには申し訳なかった。もともとお話したいということはメールで不十分だから、心のつっかかりを何とか外したり軽くしたい、と思っているSちゃんに、期待をもたせ長い時間待たせた揚句に結局実現させることができなかった。Sちゃんの力になるどころか、彼女のストレスを倍増させてしまったと思う。そんなことなら、「今日は忙しいから明日にしようね」と最初にきちんと伝えてあげるべきだった!!あぁ なんてバカなことをしたんだぁ~~ Sちゃんの心がよろよろになっていなければいいのだけれど・・・・その日は「どうかSちゃんの力になってください。 そしてこんなバカな判断を私がしませんように!!」と祈りました。
2008.10.05
コメント(6)
私はシスターへのお手紙(メール)の中で、少しでもSちゃんの今の様子をきちんと知ってもらおうと思って、このブログでも紹介したSちゃんの詩「まんまる」とあと「ありがとう」も同封しました。(「響き合う」 2008.09.09)その返事はその日のうちに返ってきました。私のメールを読んで、とても心動かされ涙したというのです。その一つはSちゃんが予想以上に大変な状態にあるけれども、しっかり自分の病気と向き合って、そして感謝しながら毎日を過ごしているということ。そしてSちゃんの心がものすごく純真で神様と深くつながっていると分かったこと。でもそれだけではありませんでした。シスターは何も知らない私に創立者聖ジュリーのことを教えてくださいました。聖ジュリーは16歳の時から予期せぬ家庭の試練に直面し、23歳の頃からは神経がすっかり侵されて身体が麻痺してしまい、どのような治療も効果がないまま30年あまり病床にありました。やがて奇跡的に健康を取り戻し、病床の中で学んだことを全力で人々に伝える使命を感じ、12年間の間に修道会を設立、海外への派遣と活動を広げていきました。その聖ジュリーが最も大切にしていたのが、十字架上のイエスの姿でした。どんな苦しみや悲しみの中にあっても、それは良きものをもたらすものだと信じることができる神さまへの信頼。それは神様は私たちを愛して下さっているのだから・・・、という確信から生まれているものでした。不思議なことに、シスターが受洗のお祝いにSちゃんに渡されたのはかわいらしさもおしゃれもない黒い木の十字架、そしてSちゃんの病気。この二つが、シスターの心を揺さぶっていることを知った私は、ただただ驚き、私の毎日がこの不思議な出来事の中にしっかり組み込まれていることにさらに驚きと、また私の役目をはっきりと感じずにはおられないのです。
2008.10.04
コメント(4)
そんなある日、Sちゃんと私がデートをするつもりでいた日のことです。私も風邪っぽく、Sちゃんもそんな感じ。Sちゃんは普段ショッピングセンターに行く時は必ずマスクをつけます。やはり風邪などになると、抵抗力が弱いので長引いてしまうことがあるからなのです。それで今日のデートは諦めて、電話でお話をしようということになりました。S「あのね、シスターに何度もお手紙を書こうとするの。私は書きたいと思っているから・・・。でも、どうしても書けない。言葉が思い浮かばない。やっぱり私にとっては中高生時代を見つめることはまだ無理みたい。だから、きっとシスター待って下さっていると思うから、さっちゃんの方から事情を説明して下さって、『3か月後か、1年後か、もっとずっと先かもしれないけれど、いつか自分でお手紙書けるようになるのを待っていて下さい、』て伝えてね!!」私「確かにそうやね、無理やり心の扉をこじ開けたら、せっかく今まで守ってこれたものまで、傷つけてしまうかもしれない。ちゃんとシスターに伝えるし、シスターもきっと分かって下さるよ。」そしてSちゃんは受洗の時にいただいた十字架のお話をして下さいました。引越しの時も箱などには詰め込まないで、必ず自分の手に持って車に乗り込んでいること。お部屋の高いところに飾って、この頃はこの十字架の前で「シスター、新しい私になれたことを本当に感謝します」て祈っていること。新しい私というのは高校時代にSちゃんが洗礼を受けることによっていただいた、洗礼名のついたSちゃん自身のことです。もう一度シスターとつながることができたSちゃんは改めて自分が洗礼を授かった意味を味わうことができるようになっていたのでした。1時間半の電話を終え、目の前にあったPCのメールをチェックしたら、なんとそこにはシスターからのメールが届いているではありませんか?電話の前にも、ちゃんとチェックしていたのですよ!その時は何も来ていなかった。二人の電話の中で、何度シスターのお名前を呼んだことでしょう。まるでシスターにまで聞こえていたみたいです。私はさっそくお返事を書き、今すぐにはお手紙を書くことができないこととともに、前よりもSちゃんの様子がよくわかるように、伝えました。
2008.10.03
コメント(4)
そうだったのか?!やっぱりSちゃんとシスターはずっと前から繋がっていた。で、こんな素晴らしいニュースはぜひシスターに知らせないと、と思い長いお手紙をしたためて、忙しい兄には悪いけれど、お届けしてもらえるよう頼みました。この夏兄はものすごく忙しかった。私の講演が終わった翌日から学生たちを連れてフィリピンへ、帰国後は黙想会や講演であっちこっちに行き休日はたった一日しかなかったと、のちに妹から聞きました。一方Sちゃんは私とのデートの時に、わざわざ卒業アルバムを持ってきてくれて、「これが校長先生だよ、この人だった?」「うん、うん、まさしく私が会ってお話したシスターだわ。まったくそのままよ。いったこれ何年前の写真?」「だって私が高校生の頃なのだから半端じゃないって・・・」驚くべきことに、この前会ったシスターと全く変わらないお姿の写真がそこにあったのです。実はSちゃんは中学高校時代のことをお話しすることなんて、今までほとんどなかったのです。それは早い段階で家族から離され、遠くの学校に行かされてとっても寂しかった!という思いが強く、そのころの記憶は重い扉でしっかりと封印されていたんです。なのにアルバムを持ってきて、どのページも開けて学校のことを色々説明してくれました。そして夏の終わりに、とうとうシスターからのお手紙が私の手元に届きました。Sちゃんのことは覚えています、遠くから来ていたので・・・。学生が一番たくさんに膨れ上がったときで2000人はいたでしょう。でもどうして私はSちゃんの受洗のお祝いに黒い木の十字架を差し上げたのかしらね?若いお嬢さんたちが喜びそうなおメダイやきれいな色のロザリオでもよかったはずなのに・・・ (これは私がSちゃんから聞いたお話をシスターへの手紙に書いたからなんですけれど)と回想されていました。 *おメダイ お守りのようなもの *ロザリオ 祈りの道具私はさっそくシスターからお手紙をいただいたことをSちゃんに報告し、Sちゃんからのお手紙を心待ちにして下さっていることを伝えました。 シスターはSちゃんの病気のことを知ってくださって、強く心にかけ彼女のことをお祈りくださるようになったのだと思います。そしてSちゃんと私が出会っていたことを心から喜んで下さっていました。なぜなら、私、自分の講演の中で種切れになったレジュメを補うために、ブログのお話をしていたのです。「お顔を見ることができない離れている友人、そして毎日私のブログを読むことを心の頼りにしていてくれる友人がいるので、よほどのことがない限り、疲れていても日記を書かずにいることはできないんです。ブログも彼女たちへの応援なんです。」シスターはこの言葉の中の「彼女たち」の一人がSちゃんだったんだって気が付かれたのでしょう。
2008.10.02
コメント(6)
朝は「森の音楽屋さん」でした。「崖の上のポニョ」のピアノ弾き語り用の楽譜を手に入れてきたので、それをリコーダー、フルート、Vnでアンサンブルができるように、メロディーや伴奏部分を振り分けたり、改造したりしてみました。今度ひょっとしたら幼稚園でできるかも?といううわさもあるので、ミニパフォーマンスにも通用するように、と練習です。一か月に1回という楽器を扱うにはお粗末な練習回数ですが、それでも全くないことと比べれば、全然違います。皆でできることは楽しい~~!!さて、今日はちょっと長めのお話をしてみようと思います。きっと一話では終わらないと思いますが・・・8月1日に私は広島に行って「えっ7人の子ども?」を中心にお話をしてきました。参考 初仕事 ブログさっちゃんと9人家族その時帰りの新幹線までの時間を広島焼きなどを食べながらゆっくりお話をして過ごしたシスターがおられました。お話の様子から退職前は学校の先生をなさっていたらしく、子どもたちのことや親御さんのこともよくご存じで、私の話にもよく耳を傾けて下さっていました。シスターというと物静かな方を思い浮かべられるかもしれませんが、とても活発な積極的な方でなおかつ面白い。すっかり打ち解けて時間が経ってしまうのがもったいなく思われました。別れ際に前の日記にあるように「今経験していることの意味は、今は分からないのですね。時が経った時に、ふとその意味がわかってくるのでしょう。」そう言って 、大急ぎで駅ホームに向かった私でした。帰宅後、ぜひ彼女にはお手紙を書きたいと思って、インターネットで調べたところ、ちょうどシスターの所属されている修道院も出てきたので、すっかりそれを読むのに夢中になって、住所を控えるのを忘れてしまっていたのです。何のためにインターネットを開いたことか・・・!!夜遅くなって、もともとこの講演の話の橋渡しをしてくれた広島の兄から電話があり、そのシスターが学校の校長先生をなさっていた方だ、ということがわかりました。迂闊にも私は立派な校長先生に向かって、さも親しげに「シスター」ってまるで何十年も前からの友人のように喋ってしまっていたのでした。ならばなおさら、シスターにお手紙を!!と思いもう一度HPを開こうとするのですが、どうしても出てきません。はて? これどういうことなん?どうしようもないと思い、その日は退散。翌朝、いつもどおり手があいたときにこの日記にも時々登場してもらっているSちゃんにこの日記をメールで送ります。ふとその時に頭によぎったのです。Sちゃんの洗礼名は〇〇〇〇ジュリー。とても珍しい聖人のお名前を彼女はいただいておられます。確か「ジュリーは私が通っていた学校を設立した修道会の創設者の名前から頂いたもの」、と言っていたのです。確か昨日見たシスターの修道会の創設者の名前がジュリーだったような・・・それにSちゃんは学校が京都からずいぶん離れているところにある中高一貫のカトリック系の学校でそこで洗礼を受けた!!ておっしゃっていたような・・・それでこわごわSちゃんにメールをしました。「ね、Sちゃんの行っていた学校にシスターXXとかシスター〇〇とかいらっしゃらなかった?」S「そ、それ、校長先生です。あぁ~~校長先生お元気なんですね!よかった。先日新聞にお世話になっていたシスターMがお亡くなりなったってのっていたから、とっても悲しんでいたんです。良かったぁ~、お元気なんですね」
2008.10.02
コメント(4)
夜、Vnを弾いていたら、四年生のWが入ってきて言いました。「あぁ、今日はつまんない日や。バレエではトウシューズがうまくいかなかったしピアノもKちゃんが弾いてはるから弾けへんしもうアイスクリームも食べてしまったから、食べられへんしお兄ちゃんやらは今からDVD見るって!でもお父さんは『早く寝~~』て言わはるし・・・あぁ~~夜はつまンないな~~、大っきらい!!」そうなんです。小学生たちは九時を過ぎたら、早く寝~~や~~て周りのみんなから言われる。でもそんな時に限って、誰かがアニメのDVDを借りてきて、さぁ~みるぞ~~!!というムードになっている。酷な話です。上の子どもたちが小さなとき、私たち大人はちゃんと子どもたちが寝静まるのを待ってビデオを見たものでした。私以外の大きい人たちがみんな勢ぞろいしてDVDを見始めるころ、下の子どもたちはしぶしぶ二階に上がっていきました。でもお風呂に入ってパジャマに着替える時、偶然片足に両足を入れた小1のAはきゃっきゃと言って騒ぎだし、Wもいっしょになってちょこちょこぴょんぴょん歩きとズボンのぶらぶらを組み合わせた踊りを披露し合っておおはしゃぎ!!布団に入ってからもお互いの似顔絵を描いて大笑いをしていました。どうやら、「夜は大っきらい!!」そんな思いは吹っ飛んで安らかに寝ている様子~~~良かった、よかった!!
2008.10.01
コメント(6)
全35件 (35件中 1-35件目)
1

![]()
