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東京から陸送してまで持って来た我がラパン~ナンバープレートを鹿児島ナンバーに変更しておいて良かった。多摩ナンバーで藩内を走るなどと、「土方歳三が丸腰で薩摩藩に乗り込むようなもの」であろうか。確かに、鹿児島市内は限りなく鹿児島ナンバーばっかり。他地域ナンバーが盛んに行き交う首都圏では考えられない世界だ。この独立国然とした地勢が、ウイルスの流入を抑えている、という考え方も成り立つかも知れない。相模原市に帰省出来るのも、当分先のことになるだろうし、門司港レトロ散策とか、福岡ドームで阪神との交流戦を観戦するとか、それこそ遠い将来の夢でしかない。桜島の火山灰がわんさか降り積もる市内で、洗車は小まめにせねばならない。ドライブスルー洗車が200円というのが助かるが、それだけ頻繁に使う訳である。連休中は、とにかく2日に1回の食糧買い出し、途中でドライブスルーで買って車内で食べる、というパターンが続く。スーパーの屋上駐車場からは、桜島が呑気に煙を吐いているのが見えた。そんな景色を眺めながらの食事といふのも、鹿児島生活ならではだ。さすがにケンタッキーやマクドナルドばかりでは飽きて来る。スーパー併設のレストランでは、テイクアウトやってる店もあった。チキンカレーが五百何十円と安かったから、それを買って車内で食べる。本格的なカレーを小腹を満たす程度の量で安く食べられるのだから、かえって有難いサービスかも知れない。ホットケーキ食べられなくても死ぬことはないさて、食料の買い出し。スーパーの店内に「マスク」が山積みになっているのを見て拍子抜けする。今更マスクなんか要らない。こちらは既に自家生産体制を確立しているのだ(→詳しくはこちら)。連休中はホットケーキミクスが売れているらしい。家に居るだけなら、せめてお菓子でも作ろう!腕に覚えのある人なら、そう思い立つのも不思議ではない。何でもいいが、だからってホットケーキミクスを買い占める転売屋がいるというから呆れた。「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」の真逆の現象である。パンは普通に売ってるから、わざわざ高い金出して製菓用品を買う必要は皆無で、誰が買うかボケ!といったところ。何だか気色悪いのは、混乱に乗じて、あるいは人の困窮に乗じて一儲けしようという輩の多さ。普通の市民面して反社みたいなことを平気でやってんだから余計に気味が悪い。ちなみに、「パンが無ければ・・」をマリー・アントワネットが言った、ということ自体がフェイクニュースであった。何百年経っても信じられているんだから、全くフェイクニュースというのもタチが悪い。拙者は森永モントン+ボンヌママンのマロンクリームでケーキを作った。そして、「朴正煕軍事政権の誕生」を読む。何故今更「朴正煕将軍」なのか・・・「韓国理解の必読書!」と銘打っているこの本、読めば読むほど日韓の深い関わりを感じずにいられない。日韓国交正常化の立役者となった朴正煕、彼が良かれと思ってやったことが、後の日韓関係に思わぬ火種を残すとはね。日本の痕跡を消したくて仕方ない最近の韓国人こそ、この本を読め!と言いたくなってくる。
2020.05.17
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新型コロナの影響により、執権殿から不要不急の外出自粛が命ぜられたのが2月の中旬。それ以降、藩邸と自宅の往復、休日はスーパー、ガソリンスタンド、ケンタッキーのドライブスルー、そのぐらいしか行動範囲が無い。引きこもり生活のお陰で、小説の見直し作業が進んだ。拙者の語彙力不足が次々と明らかになって、ああやっぱり素人だなぁーと思うのは、ある意味当然かも知れない。眠たくなったら、作中の登場人物「ヒデキ」が好んで聴いたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴く。それが飽きたら、ゴーストライター騒動の「交響曲HIROSHIMA」とかね(個人的に曲そのものが好きです)。拙著についてはこちらからでも、時間をかけたことで面白い発見もあった。ヒロイン「ミキ」の出身地が広島県東部ということは、セリフは備後弁に直した方がいいと思い立った。ところが、この備後弁という言語が面白くって、勝手に一人でウケていた。広島弁と岡山弁がミックスされており、何故か三河弁まで入り混じっているのだ。なぜ遠く離れた愛知県なのか・・・それは江戸時代の大名配置が影響しているのだ。これまで知らなかった知識を得るのは、楽しいことである。初めて広島行った時に撮った備後福山城まぁどうにか見直し作業が終わったところで、原稿の登録作業を行った。作業は全てネットで完結することになっている。ムゲンブックスという、費用のかからないコンテンツを使用しているからだ。登録したのは3月の中旬ごろ。後は出版社の審査、アマゾンの審査をひたすら待つことになる。重苦しい新年度の始まり4月5日の日曜日、Eテレで、何と「マーラー:交響曲第2番、復活」をやっているではないか。この曲を初めて聴いたのは30年前のちょうど今頃。これから高校に進学する時分である。両親とサントリーホールで演奏会を見に行った。これから新生活を始めるんだという「気概」に溢れていた時代・・・でもいつからか、自分が年齢を重ねて平凡な大人になるにつれて、この曲は自分の身の丈に合わない「大袈裟な曲」だと感じるようになり、全然聴かなくなった。 でも、このような情勢を背景に改めて聴く「復活」は全然大袈裟じゃない。何と言っていいか・・・ドイツ軍包囲下のレニングラードで、ショスタコの「第七番」を聴いているような緊張感であろうか。今の我々は、ウイルスという見えない敵に包囲されている。皮肉にも、自分が内心憧れていた「大きな物語」がやって来たのである。拙者がよく聴くマーラーのCD4月中旬、ムゲンブックスからのメールが来て、アマゾンの審査も済んだことが分かった。ああ、とにかく自分がこの世に生まれて何か一つは「残せる」ものが出来たんだなぁと、少し気持ちが楽になった。新型コロナの騒動で、改めて自分の命というものが有限であること、当たり前のように明日が来るという考えであってはならないことを、身に染みて感じたのだ。 とりあえず本を数冊発注しておいた。藩の御家老が、ぜひ読みたいと言って下さった。人から金取るなどと1万年早いと思っているから、まずこちらで用意してお貸しするところからスタートだ。まずは人様との話のネタになれば、それでいい。とても小さな一歩だが、一歩踏み出したことに意味があると考えたい。
2020.05.10
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★題名「相生橋にて」 昭和60年8月1日、被爆電車の試運転中に「事件」は起きた。路面電車の女性運転士「ミキ」が突如として昭和20年8月1日の世界に引きずり込まれてしまい、当時の女学生運転士「サキ子」が、ミキと入れ替わるように昭和60年の世界にやって来てしまった。 元の時代に戻るべきか、その時代に留まるべきか・・・運命の8月6日が迫るなか、二人はそれぞれの選択を迫られる。被爆電車という「無言の語り部」をめぐって展開される人間模様を通して、歴史に翻弄される人間の苦悩と悲哀を生々しく描く・・・。拙著についてはこちらから こんなストーリーがふと思い浮かんだのは、昨年(令和元年)7月頃。過去に「広島電鉄路面電車まつり」を見学して、被爆電車を目の前で見た体験や、その年に2回目の広島旅行に行った時の体験、物心ついてから、これまでに見た映画・本・マンガ、挙句の果てには鉄道模型コンテストで見たものとか、いろいろ吸収したものを頭の中で整理整頓しているうちに、ここで一つ小説でも書いてみるか、という気になったのである。ちょうど1年前の広島・・・ そうは言っても、拙者は全くの素人。ストーリーが思い浮かんだところで、どう表現すればいいか迷った。ブログの記事として掲載する案、小説投稿サイトに投稿する案、何かのコンクールに応募する案、いろいろ考えた。でも、ブログのネタの一つ、というのは軽いし、コンクールの応募は逆に重い。世の中、小説を募集するコンクールは数多いが、ほとんど字数制限がかけられていることが分かった。字数を気にして書くことなど、拙者には到底出来ない。というのは、妄想が妄想を呼ぶというか、いろいろストーリーが複雑になってしまって、どんどん長くなって行ったのだ。自費出版も無料で出来る時代に? で、世の中上手く出来てるもんで、そんなことをネット検索していると、勝手に自費出版の業者の広告が自分のブログに掲載されたりする。単なる趣味である以上、お金をかける前提など無い。自費出版で格安なものは無いかと検索しているうちに、ムゲンブックスという面白いものを見つけた。特段の費用を払わずとも自費出版出来るというコンテンツがあったのだ。自費出版と言えば、個人で数万円を負担するのが当たり前の世界。ネットという文明の利器を上手く活用したもんである。何だか面白そうだから、使ってみることにした。表紙デザインの元となった写真 費用がかからない、その代わり全部自分で編集作業をせねばならない・・・当たり前と言えば当たり前である。もちろん表紙のデザインも自分で考える訳だが、自分の好きに出来るのなら、かえって有難い! 表紙は大事だから気合入れたいところだが、用意されたシステムを使うと、凝った編集が出来ないことが分かった。無料コンテンツなのだから仕方ない。制約のある中で、どうにか作り上げたのが、冒頭の表紙デザイン。実際に撮った写真は、何とも残念な出来だったけど、原爆ドームを美しく撮影しようという観点がそもそも間違ってるんだな。負の遺産であることを意識して、自分なりの加工をしてみた。紙面の色合いは、当ホームページと同じ色合いにしたよ。そして、鹿児島の地で執筆を再開! で、執筆も少し進んだところで令和元年10月、まさかの薩摩藩への赴任があった。引越やら新しい仕事の引継ぎやらで、一時期小説どころでは無かった。執筆がやっと進んだのは、年末年始の休暇が例年より長期間であったこと。実家の相模原市への帰省は、1月2日の出発と遅めに設定してて、元旦までに、とりあえず最後まで書き上げた訳である。元旦の鹿児島市は素晴らしい晴天だった。幸先のいいスタートだと思った。でも、ここからが長かった。本文は未だ絵コンテみたいな状況で、大幅な修正が必要だったのだ。続きの話はまた今度・・・。
2020.05.03
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