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人生の中で悩む時、あなたはどういうことで悩みますか?人はすべてのことについて悩むのではなく、自分に直接的に関わりがあるものや、特に興味がある物事について悩みます。消費税があがるということで悩むでしょうか?私は確かに大変だなとは思いますがそれ以上あまり考えません。悩んでも自分が上げないようにすることも出来ないし、悩んでも消費税があがると同じように数%給与が増えるとも普通に思っていないからです。ではどうして悩まないのか。根底になんとかなるという考えがあるからです。どうしてなんとかなるのでしょうか?それは今まで神様によって守られなんとかなってきたからです。自分の人生を振り返って本当に経済的にもかなりきついところを通った事もあります。しかし不思議とどうにか支えられたり、上手に節約することを学んでいけたりしました。もちろん神様に祈り、支えられ助けられたとも思っています。そしてどういう理由であれなんとかなってきたのです。それでもすべての事についてなんとかなると楽天的かと言われればそれは違います。どうにもならないことを思い巡らしたりすることも多いです。しかしそういう過程の中で考えるのは、「イエス様だったらどうされるだろうか」ということや「神様の考えが今理解出来たらどれだけいいだろうか」ということです。答えがそこにあると確信しているからです。どんな大きな山でも神様の視点から見るときにそれは小さなものです。私たちは自分の人生の視点をもっと引き上げ信仰によって大きく見る必要があります。そうする時に少しづつ神様の御心を理解し、体験していくことが出来るのです。みことばによって整えられ、正しく聖書的な視点を持つことが出来るようになりましょう!
2012.02.27
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宝探しをしたことがありますか?なにが隠されているか知っているとしても知らないとしてもドキドキワクワクするものです。小学生の時に宝探しをしたことがあり、その時の宝は景品程度のものでしたがなかなか見つからず、周りの友達が見つけていく中でやっと自分も見つけた時心の中で「やったー!」と叫んだ事を思い出します。でもそれが本当に素晴らしいものが隠されていたとしたらもっともっと喜んだでしょうし、もっと必死になって探していたことでしょう。コロサイ3章3節には私たちのいのちがキリストと共に神のうちに隠されているとあります。隠されているのですから探さないといけません。このいのちとは永遠のいのちを指していますが普段のなにげない生活の中にもキリストと共に歩む時にいのちが隠されていると思います。主にあって自分の人生を探っていく時に、神様の御手の中に自分の人生を置き、そして思い巡らす時に素晴らしい宝が見つかるのです。そこには喜びと充実感に満ちたいのちある人生があります。自分にしか出来ない何かがあるのです。あなたはその宝を見つけていますか?また得ていると思っていてもさらにその深さを知り体験していますか?大変な時代に生かされているからこそ、主にあってエキサイティングな人生を歩んでいきましょう!
2012.02.20
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善悪を決めるのは難しい事です。努力することは素晴らしいことです。しかし何のために努力をしているか?というところをしっかり見ないとその努力は無駄どころかかえってマイナスになってしまうでしょう。じゃあ結果が良ければ何をしてもいいかというとそれも違います。そういった道徳的価値基準は生まれ育ったコミュニティによってかなりの誤差があります。簡単にいうと賞賛される内容が全く異なるということです。例えば遅くまで残業している人がいるとします。その人は賞賛に値するでしょうか?確かに遅くまで働いていて大変かも知れません。でも仕事をするペースが遅く実際に他の人と同じ量しか仕事をしていないのに残業になっているとしたらそれは賞賛されるでしょうか?またちょっとした事でも会社に休日でも出て来ることはどうでしょう?上の二つは多くの日本企業で賞賛されやすい内容ですが国が変われば全く賞賛されずかえって「あなたは家族をどうして大切にしないのか」と問いただされる事例です。当たり前が違うのですね。ブラジルなどではプロのサッカー選手が奥さんと喧嘩をしたという理由ですぐに家に帰って仲直りをするようにと周囲に言われそれを実行するということも普通にあると聞いたことがあります。この当たり前という言葉の指す意味は自分にとってという前提で成り立つ言葉です。基準がそれぞれ違うのですから押しつけてしまう段階で問題が多く出てくるでしょう。私たちはお互いの価値基準をよりよい基準にするためには聖書を基準とすることが本当に大切だと思います。それでもどこを協調するかで違いは出て当然です。でも当たり前ということは違っていて当たり前とまず受け止め、理解していこうとすることを当たり前とすることからはじめていけれたら素晴らしいと思います。
2012.02.18
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私たちは時として大事なものが見えなくなり、枝葉のような問題を拡大解釈して振り回されてしまうことがあります。キリスト教会においても様々なブームがありそれによって多くの恵みもあることは確かです。しかしそれに振り回され過ぎると本当に大切な信仰の本質が見えなくなったり、時として逸れてしまうことがあります。そういったちょっとした行き過ぎや脱線から私たちはどうやって自分を守り、維持することが出来るでしょうか?一番に大切なことはキリストにしっかりとつながっていることです。信仰の土台をしっかり堅く持つこと、そこには謙遜や愛など信仰の基本があります。キリストにある品性を追い求める姿勢があります。そういうことをまず大事にすることによって移り変わっていくものを正しく受け止め、また正しく恵みも受けることが出来るようになります。神様は私たちに必要なことをご存じです。ですから時としてブームのような新鮮なものも送って下さいます。そういった刺激があるからこそ自分の信仰を検証し、より的確に対応が出来るようになっていくと思います。そして信仰のマンネリ化からも守られると思います。いつの間にか安定だけを求めすぎて変化がなくなってしまうとそれはある意味後退を意味すると思います。そうならないためにも自分自身がキリストとしっかりつながって、そこから流れてくる恵みを受け止めてかたちにし続けていきたいと願います。主にあってしっかりとした土台を持ち、そしてそこから豊かに枝を伸ばし、葉を茂らせていきましょう!
2012.02.06
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私たちの生活の中に神秘的に見えるものは多くあります。荘厳な雰囲気であるとか、またなんでかは分からなくてもありがたいと感じてしまう物事など多くの不思議なものがあります。そういった中に占いであるとかそういった類のものがあります。直接的に関係がないことをさもすべての根源のように伝え、そんなことを聞いたことがないと心を惑わせたりすることばがニュースや新聞、テレビやインターネットなどあらゆる媒体を通じて発信されています。なぜそういう怪しげなものが多くあるのでしょうか?それは需要があるからです。ではなぜ需要があるのでしょうか?様々な考え方があると思いますが、その中のひとつとしてそういったものに惹かれる理由として自分の人生における責任の一部、特に一見マイナスと思えることを何かのせいにしたいという責任転嫁の考えが根底にあるように思えます。これはアダムとエバがエデンの園において最初に犯した罪の中に見られるものです。自分がしました。と素直に謝れず○○のせいで~と言いたいのです。 聖書には明らかにそういった私たちの根本的な不利になるもの、すなわち罪について十字架によって贖われていると記しています。もちろん赦されるならなにをしてもいいという幼稚な考えになるのではなく、赦されたのだからそういった過ちをもう犯さないようにしようと努めることは大切です。しかしその物事がどのように処理されているかを知ることは私たちの人生を晴れやかにします。そして私たちが受けているものを自分だけのものにするのではなく、私たちを取り巻くすべての人々に様々なスタンスで流し出していけたら本当に素晴らしいことだと思います。多くの恵みを受け、多くの実を結び、多くの人々を笑顔にしていきたいですね!
2012.02.04
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