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自分の言動や心の位置を常にニュートラルにしておくことは本当に大切です。自分がお客だからといって不遜な態度でもいけないし、その逆だからといってへつらう必要にありません。無理にいばる必要もなければ自信なさそうに振る舞う必要もありません。しかし、私たちは成長していく過程において様々な経験をし、それによって時にねじ曲がった心を持ってしまうことがあります。またその時の経験のせいにしてふさわしくない対応をしてしまう言い訳にしてしまったり、変えられない自分の基礎のようなものという認識を持って容認してしまったり、共依存してしまっていることがあります。人間関係でもそうですがそういった経緯に関係なく今の「あなた」を周りの人は見ていろんなことを判断します。話を聞くと同情できることや共感できることがあったとしてもです。しかし神様はまず受け入れ続けて下さり、さらにその苦い根になっている問題を取り扱いたいと願っておられます。私たちは神様の前にありのままの自分で、そして本来あるべき自分、神様を信じ、神様とともに歩むものとしてふさわしく整えられていくことが大切です。この整えられるというのは画一化されたものではありません。それぞれ持っている個性がさらに輝き、素晴らしく整えられた姿です。可能性に満ちあふれた、そして希望に満ちた姿です。そこには人と自分を比べて一喜一憂するような心はありません。神様が愛して下さっている自分に自信を持ち確信に満たされた姿であり心です。そんな素晴らしい自分に日々近づいていきたいですね!神様の前に心を開いて、静まり整えられ、そして輝いていきましょう!
2012.05.28
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人はそれぞれ得手不得手があります。自分が好きな分野は放っておいても成長しやすいものですし、それをすることは苦痛ではなく喜びです。喜びを持って行えることは上達する上で本当に大切な要素です。いくら素晴らしい素質を持っていても嫌々するのと楽しくやるのとでは同じ時間を費やしたとしても全く違う結果が出ることでしょう。テサロニケ人への手紙の中でパウロは彼らが多くの苦難の中で聖霊による喜びを持ってみとこばを受け入れ信仰に進み、その結果すべての信者の模範となったとあります。状況が悪いと私たちの心は折れやすく、また曇りやすいものです。しかしそういった状況に左右されない聖霊による喜び、すなわち救いの確信や天国への希望、また神様が本当に愛して下さっていることをしっかりと見据える時に目の前の問題は彼らにとって絶望するほどのものではなくなりました。同じ山でも下から見上げるのと飛行機で飛びながら見下ろすのでは全く違います。自分の視点でだけ見てしまうのではなく、聖霊の助けにより神様からの視点を持とうとしていく時に私たちは自分の置かれている状況を信仰を持って見、また受け止め、そしてまず一歩踏み出すことが出来るようになります。試練の先にも大きな恵みがあると分かっていれば喜んで進んでいくことが出来るでしょう。我らの助けは天から来ると聖書にあるように神様に信頼して道を模索し、祈り求める姿勢が私たちを成熟へと導き、テサロニケの人々のように模範となるような信仰へと成長していくことが出来るのです。人生は決して平坦な楽な道ばかりではありません。しかし山や谷や壁にぶつかることを信仰持って乗り越えていく時に私たちは多くのことを学び、また神様の恵みを体験し、さらに喜ぶことが出来るようになります。今どのような道を歩んでいるでしょうか?どんな道であっても、その中にみことばを置き、しっかりと信仰に立って歩んで行きましょう。
2012.05.14
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協力するとそれぞれがばらばらに働くよりも大きな力を発揮することが出来ますね。スポーツでも仕事でもそれぞれが個々にやるよりも大きな結果が出すことが出来るのがチームとして働く醍醐味だと思います。お互いの長所と短所をどう合わせるかがここで大事になってきます。もし短所を組み合わせるなら本当に悲惨な結果が待っているでしょう。しかし逆に長所を組み合わせていけたら、それは素晴らしい結果を生み出すことが可能になるでしょう。かつてチャールズ・フィニーというアメリカで活躍したリバイバリストがいました。彼は神の側には不足がないから自分たちの側でしっかり準備し、信仰の受け皿をしっかりとしていく時にリバイバルは起こるという極論的な神学と信念を持ちそれを実現していた人物です。彼の純粋な信仰と確信に満ちた行動に神様は応えてくださり、多くの奇跡的な結果を歴史の中に刻むこととなりました。大切なのは自分と共に働いて下さる御方、またチームのメンバーをしっかりと知り、信頼し合いつつ働きを進めることです。第一テサロニケには力と聖霊と強い確信によって福音を伝えてくことが出来たことが記されています。神様の側100%人間の側100%の力が合わさる時にそれが可能になります。50%づつではありません。それは確信という表現は50%の状態ではあり得ない表現だからです。まだ見ていないものごとを信じ、確信することが出来るのは信仰のなせる業です。信じて疑わず進んでいくために様々な備えをし、実行に移していったからこそ初代教会はリバイバルしリバイバルを多くの地域に巻き起こしていくことができました。今の時代も世界の多くの場所がリバイバルされています。そしてその波を私たちの地域でも体験することができるように確信に満ちて進んで行きましょう!
2012.05.07
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私たちはそれぞれ大切にしていたり、思っているものや事柄、人がいると思います。そのもの自体がいつからそういった存在であったかと言われるとその経緯は様々だと思います。時として失って初めて分かる大切さもあります。それは家族であったり健康であったりするでしょう。また逆に失ってみて実は大して大切なものではなかったと気がつくこともあります。そういった環境の変化に関わらずずっと大切にしているものはいったいどんなものでしょうか?使徒パウロの手紙を読んで行くときに最後の章はほぼ挨拶が延々と続きます。ひとりひとりを聖書辞典などで調べるのも面白いですが、シンプルにパウロが信仰の同労者を本当に大切にしていたことが分かります。晩年に書かれている幽囚書簡でさえ多くの働き人を気遣い、またその関係を大切にしている姿が見てとられます。どんなに地域が離れていても心は多くの人々の事を思い、祈りに覚えていたのでしょう。こういった祈りの連携が初代教会を堅く結び合わせ、そして強固なものにしていく原動力となっていたのです。お互いの事を思い祈り合うことは大きな力です。神様に委ねる心も必要ですが無関心と委ねることは違いますし、気にかけ祈りに覚えることと、気にしすぎて干渉し過ぎる事も違います。聖書に立ち、的確な心の距離を保っていくことが大切なのです。エペソ4章には一致について熱心に一致することを求めるようにと書かれています。この熱心とは盲目的になったり一方的に押しつけることではなく、みことばに立ち、祈り励まし支え合う関係です。主にある素晴らしい人間関係を築き上げていくことが出来るよう祈り励みましょう!
2012.05.04
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