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私たちは認められるという潜在的欲求との戦いを生涯繰り返します。自分より上か下かとか考えたり、そういった自分だけの考えを元に感情が揺れ動いたりしたことはありませんか?自分より優れた能力やまた環境が与えられている方を見ると羨ましくなったり、寂しくなったり、その逆だと優越感を覚えたり、見下したり、神様の視点から見た時に本当にそれは悲しいことだと思います。それぞれ特別でかけがえのない存在として神様が愛してやまないひとりひとりがお互いに裁き合うことほど悲しいことはありません。その根底にあるアイデンティティをしっかりと神様にあって確立し、そういった視点や思考パターンのループから私たちは自由にされる必要があると思います。お互いの長所を認め合い、そして短所を補い合うことが出来たらどんなに素晴らしいことが出来るでしょうか?そしてお互いに教え合い受け入れ合えたらどれだけ成長出来るでしょうか?同じ事を言っていても偉い先生の言うことは聞くけど自分が見下している人が言ったのは小馬鹿にしてしまったり聞く耳を持たない姿勢は私たちから多くの成長の機会を奪っていきます。もし持つことが出来るのならば全ての人、全ての機会からひとつでも学んでいこうとする姿勢を持つことが出来たら素晴らしいと思います。イエス様の生涯を見ていく時にどんな人にもフラットな接し方をしておられることが分かります。私たちもそのような主にあってフラットな姿勢で対人関係をもう一度築き直す必要があると思います。そうした時に多くの宝を発見することが出来るでしょう。
2012.10.22
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旭川の源泉である塩釜の冷泉に行くと泉の底から水が湧き上がり、それが一つの川の流れとなっていく様が良く分かります。この冷泉は 東西12m、南北5m、面積約60m2のひょうたん池を形成し、最深部は1.9m、湧水量は毎秒300リットル、水温は年中11度前後と一定温度を保っています。ここでびっくりするのは毎秒300リットルというすごい水量です。少人数の家庭が一日に使う水の量がだいたい300リットルに相当する量ですから一秒毎に約一家族分の使う水を湧き上がらせるというのですから驚きです。泉と言われるとちょろちょろと湧き上がるイメージがありますがそれだけの膨大な量となると私たちのイメージは大きく変わります。この視点の転換(パラダイムシフト)を私たちはより聖書的にしていくことが大切です。今日の聖書箇所ヨハネ7章38節では私たちの心の奥底から生ける水の川が流れ出るとあります。山の湧き水のイメージではなく、川の源泉となるということです。毎秒300リットルもの恵みに満ちた生ける水を湧き上がらせ続けるとあるのです!イエス・キリストを自分の救い主として信じ、聖霊のバプテスマを受けるということは本当に大きな意味があり、意義があり、価値があるものです。水は私たちの生活になくてはならないものであり、その存在によって人々は村や町を建ててきました。水があるところに人が集まるのです。私たちを通しこの地を潤す多くの河川のようにこの街を生かし潤そうとされている神様の思いをしっかりと受け止めて人々と生かす愛のことばをしっかりと伝えていきましょう!
2012.10.15
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対人関係において人の長所を見つけることが出来る方はすばらしい方だと思います。多くの場合欠点にばかり目がいってしまったり、優れた人を見ても自分より劣ったところを探して「たいしたことない」と決めつけてしまったり、私たちの認められたいという潜在的欲求の裏返しでそういった否定的な見方を他人に対してしてしまうことが多いのではないでしょうか?自分に自信がないリーダーは自分より優れた人を生かすことが出来ません。それどころかその人の能力を発揮させる環境を整えたりするどころか抑圧してしまいます。しかし優れたリーダーは自分より優れた能力を持った人を的確に配置し、生かし、更に伸ばし、そして任せることが出来ます。その根底にあるのは自分のアイデンティティをどのように持っているか?ということがあります。自分が自分であってそのままで素晴らしい。なぜか?それは神様が作りそして愛して下さっているから。それが聖書の語っているあなたの価値です。何が出来るとかそういう能力は関係ありません。私たちは子供の時から良いことをしたら褒められる。ダメなことをしたら叱られる。また優秀な結果を出せば賞賛され、逆に結果を出すことが出来なければ活躍するチャンスすら消えていく。そういった社会で成長してきました。そういった価値観が私たちに刷り込まれ、頭で理解してもなかなか心に聖書的自己認識が入ってきにくいと思います。これは地上の生活をしていく上で長い期間を要するテーマだと思います。その助けとしてお互いに徳を高め合え、励まし合える人間関係を持っていることは大きな助けになるでしょう。まず自分から自分の身近な人に対してその方を認め、そして徳を立てあげるような言葉や態度を出していけるようになりましょう。
2012.10.08
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阪神大震災や東北を襲った津波など記憶に新しい災害が私たちの国にはあります。まだ復興途上にあるこうった経験から私たちは得るべき教訓を得ているでしょうか?災害の多い地域に暮らしていた方は岡山に来ると防災意識の違いをすごく感じるそうです。私も聞いて見てなるほど納得と勉強になりました。水が止まった時のためにお風呂の残り湯は次の日洗ってお湯をいれる前に抜くことや、非常食の完備、はぐれた時に家族とどこで合流するかなど日常生活からそういった備えの差があることを感じました。もちろん備えがあってもそれがすべて機能するかと言われるとそうではないかも知れません。しかし備えているといないとではいざというときに全然違う結果を生み出すことでしょう。聖書には再臨に備え目を覚まし、慎み深くしているようにとあります。これは日々の生活の中でイエス・キリストを自分の救い主として信じ、そしてそのように歩むことを目指すことが大切だと思います。明日が仕事と分かっていれば無理な夜更かしもしないでしょう。しかし再臨はいつか分かりません。ですから慎み深く誠実な歩みを積み重ねていくことが大切であると聖書は教えています。これは決して行き過ぎた禁欲主義とかではなく、日々の生活を主と共に歩むということです。時には失敗もあります。そしたらまた主と共に立ち上がり歩めばいいのです。なんでも最初から完璧な人はいません。でも主と共に歩んでいるかどうかが本当に大切です。偽善者ぶる必要も無能力者のように振る舞うこともいりません。主にあって誠実に、今の自分をしっかりと建て上げていきましょう!
2012.10.01
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