1596年、ネーデルランド(オランダ)のフレデリック・デ・ハウトマン(Frederick de Houtman)(1571年頃~1627年)率いる探検船4 隻がついにジャワの胡椒の主要港であるジャワ島バンテンに到達成功。 ※ 実はポルトガル・ルートを研究しての成功。 これに慌てたイングランドは1600年10月、イギリス東インド会社(East India Company)を設立。追随した。
しかし、カール5世からフェリペ2世の時代にかけてのスペイン海軍は最強。 1580年、スペイン王フェリペ2世(Felipe II)(1527年~1598年)は母方からポルトガルを相続。 スペインによるポルトガルの併合もされた。つまりアメリカ大陸もアジアもスペイン支配に。ここにスペイン一強時代が到来
する。 ★
太陽が沈まない帝国(the empire on which the sun never sets) と形容された。
1606年、バージニア・カンパニー・ロンドン(Virginia Company of London)設立。
ジェームズ1世に勅許された会社(joint stock company)。総裁はこちらもトマス・スミス(Thomas Smythe)。スミスは1609年に解任。 1607年、バージニア・カンパニー・プリマス(Virginia Company of Plymouth)設立。
こちらはプリマス、ブリストル、エクセター出身の裕福な投資家たちによって資金提供された会社らしい。
海図の本「Eary Sea Charts」から Seachart of the West Indies and the Atlantic Ocean 西インド諸島と大西洋の海図 17世紀中葉 北米東岸を拡大 植民地の紋章が入れられているので上に国名を記しました。 北米上からフランス、イングランド、スウェーデン、スペインの紋章がありスウェーデンの紋章から1655年以前と推察できる。
スウェーデンではグスタフ2世アドルフ(Gustav II Adolf)(1594年~1632年)(在位:1611年 ~1632年)王の時に重商主義政策が推進され北アメリカに進出。1638年大西洋岸中部のデラウェア川沿いに植民地(New Sweden)を持ている
。しかし 1655年ネーデルランドの植民地に組み込まれ国としては消えた
。 ※因みに砦はとられたが、スウェーデン人とフィンランド人の入植者らはある程度の地方自治を続け残留。 ネーデルランドに取られた砦は1664年にイングランドが奪取し、 1667年のブレダ講和条約(Treaty of Breda)(1667年)で完全にイングランド領となりネーデルランドも消えた
。
チェヘル・ソトゥーン宮殿(Chehel Sotoun Palace)
Located in Isfahan, Iran(イランのイスファハンにある) 宮殿内フレスコ画(1647年頃) シャー・アッバス1世(Shah Abbas I)がウズベク王のワリ・ナドル・ムハンマド・カーン(Wali Nadr Muhammad Khan)を迎える図。 下が拡大。左の御人がシャー・アッバス1世(Shah Abbas I)。因みに左下の八ヒゲの人は警護人。 ウズベクを抑えた事で北西方面の国境が安定しオスマン帝国との対決に臨み勝利。 1623年オスマン帝国との戦闘でバグダードを奪還。サファヴィー朝はアッバース1世 (1571年~1629年)(在位:1588年~1629年)のもとで最盛期を迎える。