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やばい!あと30分も残っていないぞ>2007(平成19)年!と言うことで今年1年を振り返ってみます。今年2007年はいきなり叔父の訃報から始まり、捜し求めていた就職先がやっと見つかり急遽引越し親元に帰って心機一転となるはずが長年の無理が祟ったのか?厄介な病気を患ってしまい結局…1月下旬を以って失業する事が確定してしまった1年でした。別に分不相応な高望みはしていないつもりなのですが…?え?私如きが、その存在自体が諸悪の根源でしかない人間が、生きてるだけで罪である人間が安寧の日々を送ろうとするのが間違い?牢獄でさえ贅沢?そうですか…ただ静かに、日々平穏に暮らしたい。それ以上は望んでいないつもりなのですが、世間様から見ると身勝手極まりない贅沢なのかも知れません。何分にも私は本来なら生まれてくる筈のない人間なのです。兄の実母(父の先妻)が長寿であれば母も父と結婚する事は無く、即ち私は生まれていませんでしたから…しかし不幸にして兄の実母は早く亡くなり、祖父母や幼子(当時の兄)、更には勤めや野良仕事・山仕事(農地と山林の維持管理)もあっては男手一つと言うわけにもいかず、父は母と再婚した由。その結果、母以外には望まれていない子供だったとのことです。とはいえ、既に父も祖父母も鬼籍に入って久しくなりました。事情はどうあれ、人として生まれてきてしまった以上、人として生きるしかありません(人としてありたいと願い努力している筈が結局空回りして「人でなし」以下の存在でしかない!というご指摘もありましょうが…取敢えず今は私も一応「人間」であると仮定しておきます。それが不愉快だと思われる方、身の程知らずで許し難いと思われる方には予め謝罪しておきます)。さて、何故此処で1年を振り返る気になったのか?別に高邁な思慮分別があったわけではありません(たとえあったとしても、私如きがそれを持ち合わせているなどとほざいたところで果たして信じていただけるものでしょうか?99.99999%信じてもらえますまい)。実は今朝出勤時に使った電車に入っていたのが広セキC-21編成でした(実際には4+4の8連でした。前4連は広セキC-13編成、後4連が同C-21編成)。そうとは知らず、乗車したのはC-13編成の方でしたが…実はこのC-21編成、丁度1年前、2006(平成18)年12月31日にもお世話になっているのです。その時は岡山~徳山間、乗り通しました。詳細は弊ブログ2006年12月31日付けをご覧戴くとご理解いただけるかとm(_ _)m丁度1年後同じクルマに出会うとは…何だか運命を感じます(^^);写真はそのC-21編成です。下関方クハ115-192はこの地区独特のちくビーム装備車です。
2007年12月31日
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このところ暗い話題が連続していて恐縮至極m(_ _)mさて、久々鉄道ネタです。この日の朝出勤時に乗った543M、広ヒロL-11編成でした。この編成実は4両とも115系2000番台トップナンバー、Tc2101+M2001+M'2001+Tc'2001です。広セキN編成(115系3000・3500番台のみで組成)だと編成番号と車両番号が揃っていますが、広ヒロL編成だと必ずしもそうではありません。推測するにこれは…単純に入場順に工事を行い編成番号を振ったものと思われます。既出ですが広ヒロL-11編成です。この時点ではしかしまださして珍しい体験ではありません。実は帰りに出会った編成が中々レアものでした。この日帰宅時に利用したのが582M。前述の543Mや後続の3333Mなどは広ヒロ・広セキ共通運用のようで、日によってL編成だったりN編成だったりC編成だったりとバラエティーに富んでいますが、この582Mは広セキ限定のようで、この時間帯でL編成に出会った事はありません。この日やってきたのは広セキC-41編成。Tc165-M6044-M'6105-Tc'152。先頭クハ115-165のシートはバケットシートに換装されていました。しかし下車時に製造銘板を見ると何と昭和40年製造!御年42歳のベテランさんです。ハンドルを握っていたのはどう見ても20代前半ぐらい、まだ少年の面影さえ見える青年運転士氏。彼より遥かに年上の電車です。否、モハユニットでさえ昭和53年製。115系一族の中では比較的若いクルマですがそれでも30年選手。首都圏では同世代の201系が引退しつつあると言うのに…まだまだご当地の115系一族は老け込んじゃいられません(^^);さて582Mが徳山駅に着いて程なく5483Mが到着しました(徳山からは3483M)。おや?この列車は広セキ車限定と思っていたが珍しくL編成?「シャムネコカラー」の3ドア車でしたのでてっきり広ヒロL編成かと思っていましたが、先頭クハ車の屋根上に仰天!其処に乗っかっていたクーラーキセはAU-75型のそれではなく何とAU-13型!クハ115-654以下4連の広セキC-24編成でした。そういえば広セキにはG編成・H編成というのもあります。クハ111-811・812が両端を務めるのがH-01編成。H編成はこれ1本だけのようです。そういえば117系4連のC101~104編成というものが広セキにいますが、何故か新山口から東には来てくれません。たまには顔出してくれぇ~!時には105系もいい…かも追記・トイレなしのT編成。短距離短時間乗車ならまだしも、これで下関~岩国間を乗り通す事になったら?ちょっと不安ですね(^^);
2007年12月26日
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皆様お気遣い有難う御座います。おかげさまで只今小康状態と申しましょうか一進一退と申しましょうか可もなく不可もなく現状維持モードです。さて、懸案事項の一つに電話機がありました。もう10年以上前のことですが某大手通信事業社(元公共企業体)のおそらく系列企業の形になると思われますがセールスマンにしきりに薦められ普通紙ファクシミリ付き電話機を購入した事がありました。しかしこの時「甘言」に乗ったのが間違いでした月々の支払いが僅か…ということで分割払いにしたのですが、金利手数料を考えると側近で払うより倍近い金額になっていました即金で買えば11万円、分割払いだと月額3千円程度ながらトータルではおよそ20万円!気がついたのは契約後でした…そしてこのファクシミリ電話機、購入後翌々年には紙詰まりが元でエラー表示が消えなくなり機能しなくなってしまいました。丁度必要に迫られて携帯電話を導入した事もあり、あまりにも腹立たしいそのファクシミリ電話機はそのまま破棄。後に残ったのはローンだけという全く無意味な結果に相成りました。基本的に自分から電話をかける機会は殆どなく、寧ろ仕事上呼び出されることが多いので、携帯電話も着信専用コース(かけるときには公衆電話からで十分でしたので。もっとも最近は公衆電話がめっきり減ってしまい往生しています)でしたが、その分こちらからかけると割高になるのが困り物でした。今般必要に迫られ新しく電話機を購入したのですが…いやいやいや…驚きましたよ。実際…え?何が驚いたのかって?まずサイズが小さくなりました。先代の機種より概ね3分の1以下。そして機能も充実。普通紙ファクシミリ付き・子機付き・着信音選択式・留守番電話機能付き・ナンバーディスプレイ対応…更に!値段もダウンサイジング(笑)機能が充実し筐体も小さくなっているのに値段も(家電量販店で旧モデルとしてディスカウント価格だったとはいえ)2万円でお釣りが来ました。眼から鱗が落ちると言うか、今浦島と言うか…さてそうなると次は携帯電話もそろそろ更新しないと…(電話会社の事情で機種交換したのが5年前、内臓バッテリーがもう寿命らしく充電しても充電してもちょっと通話しただけでバッテリー切れするようになってしまいました)
2007年12月25日
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過日の発言にて触れまして皆様にご心配かけましたこの病気ですが、その後の経過報告を申し上げます。(え?誰もそんな事望んでない?オマエみたいな奴はとっとと三途の川の向こう側へ逝け?勿論そういうご意見も多々ありましょうが…)事の経緯はまず14日、勤務先の上長に報告、今後の事を相談しました。取敢えず年末年始の繁忙期を控え人手は足りない事はあっても余っているわけではないし、後任を雇うにしても時間が必要であるからともかくあと一ヶ月は勤務しその後一旦退職の上治療に専念、その後についてはまた考えるのが良かろうとのことでした。折角縁あって働き始めた職場でしたが半年あまりでそれを失う事になるのは一抹の寂しさを禁じ得ませんが、病人が無理して働いて周りに迷惑をかけるのもこれまた身勝手な話です。全ては会社の判断に従うことにしました。前回外来診療でもらった薬は一週間分でした。投薬を続け、またこのブログに皆様から思いがけずも多くのご厚情をいただいたこともあり、何とか最悪の事態=自殺=は避けられそうな可能性も出て来ました。正直に言いますと実は自殺を考えた事は今回が初めてではありません。小学生時代に虐められた時、高校受験で第一志望校の入試に明らかに失敗したと悟った時、写真屋で働き始めて間もない頃、不慣れさが原因でお客様の未現像フィルムをダメにしてしまった時、言葉が足らずに部下を傷つけてしまった時、長年勤めた会社を不本意ながら退職しその後求人に応募するも中々採用に至らなかった時…ってそれだけではないのですが…しかし今回はマジでやばいところまで行きました。医師にも「自殺だけはするんじゃない!」ときつく諭されましたが、その危険性を感じ取られたからこその入院の指示でした。生きている事による針の筵か茨の道かモードから一刻も早く逃げ出すためには自刃するのが手っ取り早いと思う反面、引継ぎの終わっていない仕事を放り出すのは無責任という気持ちもありせめてけじめをつけてから…ギリギリで歯止めのかかっていたところへ抗鬱剤投与そして何より皆様のお気遣いのおかげで「今此処で自刃しては御厚情下さる皆様に対して裏切り行為になってしまう」と感じるようになりました。19日再び病院を訪ね、経過を報告。自殺願望は払底とまでは言えないものの喫緊の危険は回避できる旨伝えたところ、「それでは当面は投薬を続けて様子を見ることし、入院に関してはその後に考えよう」と言うことになりました。何かと複雑且つ世知辛い今のご時世。この病気に悩む人はもう珍しくない時代となりました。1人で抱え込んで悩む必要は無いのかも知れません。否、どんな病気も1人で抱え込んで悩んでいてはいけません。1人では解決できなくとも同じ悩み苦しみを持つ「戦友」があるなら、或いは乗り切れる克服できる可能性も高くなります。ただこの病気、理解の無い人には全く理解してもらえないのもまた事実。病気そのものの治療より、そういう人の誤解偏見無理解誹謗中傷の方が怖いです。それがよりによって近親者にいると?治るものも治りません。実際私も叔父から散々罵倒されています。曰く甘えるな、曰く勤務先には絶対言うな、仕事クビになるから、曰く誰だって頑張ってる、曰くオマエのためを思うからこそ厳しい事を言うのだ…うるさいうるさいうるさぁあああいぃぃ(釘宮理恵ボイスで…って灼眼のシャナってか?)(笑)全く…健康な人に風邪対策として「体を鍛えよ、乾布摩擦せよ、帰宅後うがいせよ」と言うのは筋が通るとしても、既に風邪をひいた人に「体を鍛えよ、乾布摩擦せよ」と言っても意味がありません(そんな事させたら却って症状が悪化するだけです)。しかし事鬱病や精神障害に対しては平気でそんなことを言ってくる人がいるのです。叔父はその典型的な人間です。(ここでは詳細を記載する事は自粛しますが過日ある事情でこの叔父に対して評価を思いっきり下げざるを得ない事がありました。即ち「見損なった」のです。こんな身勝手な男と同じ血筋かと思うと反吐が出そうにすらなりました)この叔父がいる限り、私のこの病気はきっと完治はしないことでしょう…(厭世)
2007年12月19日
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さて、いきなり変なタイトルで驚かれた方もあるでしょう。(え?誰もオマエなんかのブログなんか気にしてない?ごもっともで…)このところ仕事の上で失敗続き、自分では良かれと思ってした事も悉く裏目に出てしまい却って周りにに迷惑をかけたり反感を買ったり…確かに己の不徳さ未熟さを指摘されては反論弁解の余地は皆無ではありますが、どうも不安が拭えず、この日遂に重い腰を上げ、専門病院に行って来ました。え?何故居住市内や県内近隣市町村の病院ではなく、隣県の病院に行ったのか?不思議に聞こえるかも知れませんが、この病院、大学時代住んでいた下宿の隣で、当時風邪を引いたり二日酔い=コンパで先輩に無理矢理飲まされた=の時など何かと世話になっていたからです。当初鉄道利用の予定でしたが、老母も付き添うことになり急遽クルマ利用に変更しました。自宅を出たのは朝8時過ぎ。この日の診療は午前中のみで、予約は不要ですが受付締切時刻は11時30分なので、それに間に合うように着かないとなりません。国道2号線から徳山西インターチェンジにて山陽自動車道へ。以降山口ジャンクションから中国自動車道、関門橋を渡って九州自動車道、古賀インターチェンジで国道3号線へと入ります。朝の通勤時間帯と重なるので渋滞が心配でしたが、周南市内のそれは然程のこともなく、山陽道・中国道も順調(途中トンネル内で後続の大型トラックに猛スピードで煽られた時がありましたが…)、人口が多くないのに道路整備状況が全国屈指の山口県だけにここいらはスムーズ。九州自動車道の北九州市内も通勤時間帯を過ぎた=9時40分頃=のせいかスムーズに。古賀インターを降りた時点では10時30分前でした。しかしその後がいけません(^^);国道3号線。片側3車線あるにもかかわらず交通量が多くて中々進みません。とはいえしばらく進むとやっと流れも順調になってきました。大学の前の交差点で右折。あとは…あれ?どっちだった?…そういえばこの界隈、20年以上御無沙汰モード。道筋は昔のままのようですが沿道の建物、店舗などは相当変わっています。道に迷って一旦香椎駅の方へ。JR香椎駅・西鉄香椎駅、いずれも新しい建物に変わっていて、学生時代馴れ親しんだ当時の面影はありません。やっと国道3号線に戻り再び目的地方向へ。おや?何時の間にこんなところに九産大前駅なんて代物が出来たのだ?あの当時この駅があったら…この駅の少し北側の踏切を渡ります。かつて田園が広がっていたこの辺り、何時の間にか住宅が立ち並び「此処は何処?私は誰?(おひ!)」モード…それでも何とか無事に病院に辿り着きました。時刻は11時。無事間に合いました。問診票に記入し、血圧の測定を受け、順番を待ちます。今年4月に測定した時は最高値が202!という極めて異常な数値でしたがこの日は最高値140。随分と変わったものです。奥の部屋から出てきたのはおや?かつてお世話になった先代院長。流石に頭は真っ白に、そしていささか足元もおぼつかないご様子。お医者の先生も勿論生身。20年も経てば、壮年院長が老境に達するのも当然です。先代院長はご高齢と言う事もありご尊父と同じく医療の道に進まれたご子息が今は院長先生である由。前回此処を利用したのはまだ昭和の頃の話で20年も前の事なのですが何と当時のカルテがしっかり残されていたのには正直驚きました。診察の結果得られた回答それは…重度の鬱病まさかとは思っていましたが、本当にそうだったとは…いえ、自覚症状が皆無だったわけではありません。何となくその可能性を感じないわけでもなかったのですが、この病気は真面目で責任感の強い人、即ち善人ほど罹りやすい病気であり、自分のような悪人が罹るのはおかしい、鬱病だと思っているのは実は甘ったれ野郎の現実逃避の言い訳に過ぎないのではないか?という疑念もまた拭い去れずにいたのです。卑小な己の腐った性根が周りの他人様に迷惑を撒き散らしているのを誤魔化す為の口実を探しているだけではないのか?ただでさえはた迷惑な自分がこれ以上生きているのは罪咎以外の何ものでもないから一刻も早くその命を絶つべきではないのか?その方が喜ぶ人の数が多いのは間違いない。悲しむ人間が仮にいたとしても全人類から見れば極僅か。ならば世界人類の安寧のためには迷う事は無い。今すぐにでも…正直今でもその疑念は消えません。しかし、こういう発想になる事自体既に「鬱病」、それも重症であるとの事。入院加療が必要と宣言されてしまいました。自分の存在自体が、生存自体が既に罪悪であるという感覚にとらわれてしまうのは病気が理由であるとわかったことはある意味一安心です。とはいえ、これでほぼ確実に今の仕事は失う事になるでしょう。(正社員として雇用されているなら休業補償も受けられましょうが、非正規雇用のアルバイトの立場ではそれを求める事は無理と言うものです)仕事を続けるのは迷惑、辞めるのも迷惑、生きることも迷惑、かといって自殺も迷惑…何処まで行っても迷惑を撒き散らすだけの困り者な私です。
2007年12月12日
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何故か毎年この時期になると気ぜわしさが募ります。12月だからといって慌てるのではなく事前に計画をきちんと立てて何事もこなしていけばそんな苦労も無い…筈ですが中々そうはいかないもの。計画立てても三日坊主なのはどうやら私だけではないようです。流通小売業に合ってはこの時期はかきいれ時で、各社ともセールを打ってお客様の財布の紐を緩めさせようと躍起になっています。丁度ボーナスも出て、多少なりとも懐が暖かくなっている事ですから…そういえば…ボーナスって最後にもらったのは何時だろう?一昨年の夏季賞与…ってそういえばあの時は貰えたのだったか否か?最早記憶も怪しくなっています。あの年は丁度勤務先企業が業績不振でとうとう人員整理をすることになり、不本意ながらそれに応じ、失業した年でした。既に賞与は50%オフ、毎月の給料ですら10%オフになっていました。失業中は当然ながら賞与も何もありません。そして今は?今でこそ一応碌を食むことが出来ていますがしかし非正規雇用のアルバイトの身。賞与はありません。街にはクリスマスに因んだ華やかな飾りつけがなされ、クリスマスソングをBGMに商業施設も歳末セールに大童。バイト先の会社もそれにあわせてセールを打っています。仕事ではそれに絡んだ立場ではありますが…でも、自分がそのセールの顧客になる機会は?多分もうありません。もっとも、私はクリスチャンではないので、クリスマスセールと言われてもあまり関係は無い立場でもあります。閑話休題サンタクロースの衣装と言えば、真っ赤なそれが定番になっていますが、実はこれ、比較的最近そういうことになったらしいのです。元々はサンタクロースの衣装というものは特にこれ!と言うものはなかったようです。それが20世紀前半の頃、アメリカの清涼飲料水メーカーの広告に真っ赤な衣装のサンタクロースが登場し、その姿が人々に大受け!以降サンタクロース=真っ赤な衣装というのが世界的な定番になったそうです。(そのサンタクロースのキャラクターデザインは一般公募され応募作品の中から選ばれた由。)でもこんな真っ赤な衣装で煙突を潜ったら瞬く間に煤で真っ黒に汚れてしまいそうですが…?え?サンタクロースっておじいさんの筈なのに何故イラストではおにゃのこなのかですって?そらだって…同じイラストにするならおにゃのこの方が…ねぇ(爆)大人の事情です(謎)。
2007年12月10日
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事の起こりは喪中葉書の作成でありました。今年1月1日叔父の急逝に伴い、喪中葉書を出すべく母に依頼され文面を考えいざ印刷しようとしたところ、此処最近調子の悪かったプリンターがとうとう反抗!上手く印刷できないまま虚しく葉書を浪費してしまいました(枚数×5円=交換手数料=が消えて行きます。1枚2枚なら些細でも、枚数が多くなると貧乏所帯には手痛い出費です)。稼動時に異物でも挟まったような異音が発生し印字はかすれるは用紙は詰まるは…幸いにして徒歩圏内にパソコンショップがあったので持ち寄って聞いて見ると?修理には費用も時間もかかる由。その修理費で寧ろ新型の廉価版機種が買えるとのことでした。このプリンターとの付き合いも何時の間にか7年経ちました。その間パソコンは何台更新したやら…初代のプリンターはおよそ5年使いました。更新のきっかけはパソコンの更新に伴うもので、それまでのウィンドウズ3.1から同98へとOSが変わったためです。(ドライバが3.1対応のもののみ。ネットでダウンロードする術は当時はまだ知らなかった)そして今回導入したのがこの機種。スキャナー内蔵型ですのでUSBケーブルが1本減らせます(笑)。こちらのお店にて購入しました。〆て24,800円。貧乏人には高価な買い物でした。このマシンとは果たして何年付き合う事になるのでしょう?(ホンネを言えばフィルムスキャナーも欲しかったけれど…分不相応な買い物は罪です。もっとも私の場合生きてる事自体既に罪深き行為でしかありませんが…)
2007年12月06日
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いよいよ12月となりました。1年の経つのは早いものです。おかげさまで何とか「ニート」状態を抜け出せたものの…自業自得と言われてしまえばそれまでですが再び失業の危険性が極めて高くなってしまいました。立て続けに同種の失敗(懲戒対象事案)が発生し、次に同じ事があったら問答無用!と最後通告を突き付けられてしまいました。一体どんな悪事を働いたのか?それは仕事が多忙だった日に発生しました。流通小売業という性格上、全従業員が一斉に休憩を取ることは不可能であり、お互い交替で取得しており、私にもその時間帯の設定がありました。しかしその時間帯と言うものはあくまで部内での話。お客様やお取引先様には関係の無い事です。いざ休憩シフトに入ろうとしてもそこに来客や電話などがあれば応対が必要です。また、お客様の応対はどんな作業=たとえ社長の訓示の最中であっても=より優先される最重要項目ですからそのため他の作業が中断し、その完了は遅れます。その日は休憩シフトに入るべき時間帯に丁度お客様があり応対していた関係で既定の時間帯が潰れてしまいました。その分後の時間にずらせば良かったのですが、他の作業も諸般の事情で遅れていたため休憩時間を取るのが惜しくそのまま働いてしまいました。仮に休憩時間をずらしたとしても今度は他の人の休憩時間シフトとバッティングしてしまい迷惑をかけてしまう危惧もありました。既定の勤務時間内に完了しない部分は一旦退社の打刻を行った後居残って作業もしました(己の未熟さから生じた作業の遅れに対して残業代を頂戴するなんてあまりにも申し訳ない話ですから…)。最近アルバイトが2人相次いで退職し人手が不足気味である事もあってどうしても作業完遂に手間取るのです。ところがこの行為は会社にとってははなはだはた迷惑な事であった由。と言うのも、如何にこちらが善意で休憩返上で働いたとしても、第三者の目から見るとまるで会社が休憩も与えずサービス残業を強いて働かせている形になってしまい、不当労働行為として監督官庁から叱責され得る危険があるとの事でした。最近(と言うにはもう随分と昔から指摘されているようですが)巷間騒がれているサービス残業・過労死問題。ついこの前も某大手企業で過労死した社員に対して労災の認定が下りる判決が出たとの報道がありました。何処の企業もこの問題に対してナーバスになっていますから、たとえ社命ではなく従業員が自発的に行ったものであっても会社にとって迷惑であるので、その行為に対して懲罰があるのは正当な事です。ただ…何処か釈然としない気持ちも無い訳ではありません。(これが仕事をサボった・怠けた・ずる休みした…といった理由での譴責・懲戒なら何の不思議もありませんしそもそも反論・弁解の余地はありませんが、今回は=たとえ仕事の質そのものは本人の未熟さゆえに必ずしも理想的とはいえないとしても=寧ろ働いた事が懲戒対象になってしまったのです)会社が休憩取るなと言うのではなく、きちんと休憩を取れと言ってるのだから素直に取ればいいのに何を世迷言をほざいているのだ?とお怒りの向きもありましょう。何も休憩が欲しくないわけじゃありません。好き好んで必要以上の時間、それもただで働きたい筈がありません。卑俗な悪人に過ぎない私にはそんな聖人君子のような振る舞いなど真似したって出来るわけがありません。しかし、仕事は相手のあるもの。自分ではこれで良いと思っても相手がそう思うとは限りません。また自分ではベストの仕事が出来ていても、同業他社がもっとよい仕事をしていれば自己ベストなど何の意味もありません。結果が出せなかったらそれは仕事ではなく単なる児戯です。知識・技能・体力・人徳…全てにわたって人並み以下のものしか持ち合わせない私如きがそれでも人として生きる事を許してもらうためには世間様の何倍もの努力をしても、果たして求められる水準に届くか否か?でも現実には届いていません。となると、たとえサービス残業と揶揄されても働かざるを得ません。それに…仕事の事なら頼まれれば断るわけには行きませんし、逆に仕事に関してなら、私如きの手に負えない案件は上長・諸先輩方の応援を仰がない限り完遂できません。しかしながら…「今から休憩に入りますのでその間お願いします」と言う台詞は中々言い出せるものでもないのです。他の人も多くの仕事を抱えて多忙ですし、私は今の職場では一番の下っ端ですので…ふと前職時代の事を思い出しました。その当時は…ある時、丁度休憩交替の時間が来ていざ昼食に…と思った途端に来客があり応対。休憩時間が残り15分(既定では昼食時45分、夕方に別途15分。計60分)になった頃やっと終わりでは昼食にでも…と従業員用の食堂に出向き昼定食を購入、席に着いたところ、その時そこでミーティングをしていた上司(親会社の管理職)から叱責を喰らった事がありました。「何故今頃のこのこやって来るのだ!食堂の従業員達にも迷惑じゃないか!とっとと持ち場に帰れ!」その日の昼飯は結局喰えず、昼食代金はそのままゴミ箱に投げ捨てたも同然となりました。それでも1980年代の頃は、現場が一生懸命頑張っていれば、上層部もそれを認めてくれているフシはあるにはありました。しかし1990年代、所謂バブル景気がはじけた頃から、書面上の数字が全てという空気が流れ始めました。人手の不足で休憩や休日シフトが上手く回せないような場合、以前は他店舗や本部から人的支援などもあったのですが、何時の頃からか数値だけで判断され、不具合は現場の努力不足・能力不足とされるようになりました。下手に不平を言おうものならそれこそ降格左遷、良くて窓際。要するに一生飼い殺しの冷や飯食いが待っています。そうなったらもう会社に残る意味はなく、そうなった人間は会社を去っていきました。するとどうなるか?会社を辞めても、他社でより高く買ってもらえる人間は見切りをつけて去ります。其処までの踏ん切りのつかない人間はとにかく目先の帳尻を合わせるため、サービス残業を己に課す事になりますが、その経費は帳簿上に現れないため、上層部は益々人件費削減の余地アリと解釈し更に締め付けてきます。特に現場の責任者は管理職とされ残業手当の支給はありませんから、いくら出勤させても会社としては困りません。現場は疲弊しました。病人も出ました。中には「過労死」を疑われた事例もあります(証拠を掴んでいるわけではありませんがそういう噂はありました)。つい最近まで、深夜までの残業も休日出勤も当たり前で働く「モーレツ社員」がもてはやされていた時代がありました。今ではそれは業種によっては日常茶飯事であり、深夜残業も休日出勤も「人並み社員」の当たり前の行為になりました。「男は働いてナンボ。過労死は男の勲章?」もしかしたら私にも、そういったマインドが何時の間にか宿ってしまっていたものと見えます。当時はそんな勤務が当たり前と感じ、未消化休暇が少ない年で10日前後、多い時には40日位ありました(しかし既定どおりの休日を取得したら仕事が回らない状況。書類上は取得している休日もその1~2割は実際には出勤していた)。自分が責任者として、パート・アルバイトを使っていた時代には、彼らに負担がかからぬよう腐心したものでした。その分己に負担がかかるのも職責だと認識していました。しかし今、自分がアルバイトの立場になったくせに前職時代の感覚で、上長や他の社員への負担が少しでも少なくなるようにと思って行動した結果…逆効果の自縄自縛行為になっていました…なんとも皮肉な話です。結局私は何をしていたんだろう?世のため人のため働いていたつもりが、実は邪な偽善行為だったとは…え?存在自体が悪で生きているだけで罪であるオマエが世のため人のためなんてちゃんちゃらおかしい?本当に世のため人のためを思うなら一刻も早く三途の川を渡れ?そういわれても返す言葉のない人間の愚痴でしたm(_ _)mフォトアルバム容量の都合で新規画像の登録が難しいのですが画像なしでは寂しいので既出絵です。何故ネコ耳少女なのか?と訝しがる向きもありましょう。理由は単純です。くたびれたおっさんじゃ絵にならないし描いてる方がつまらない…それだけですm(_ _)m
2007年12月01日
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