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2007(平成19)年も気がつくともう1ヶ月経ちました。相も変わらず無為徒食…仕事欲しい就職先欲しい!でも、雇ってくれるところは無い。社会から拒絶されたままの私です。心はいつも冬模様…20年ぐらい前の下関駅この界隈は雪が降ってもたかが知れています。115系にはこんなもん、雪のうちに入りません。憧れのふるさと列車でしたが鬼籍に入ってしまいました。乗ってみたいけど未だにそのチャンスの無い列車です。初めてこの地で冬を迎えた時はカルチャーショックでしたが7年も暮らすと免疫が出来ました。この日はこの界隈としては然程の積雪ではなかったようです。根が寒がりなせいか?あまり雪景色の写真は残せていません。かすかに残った写真もこの通り、駄作愚作の類です。かつてメガヒットした歌曲の歌詞をついついもじってしまいたくなる今日この頃です。あぁ~世界の何処にもぉ~私の~居場所はぁ~ありません~♪
2007年01月31日
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タイトルどおりなのですが…昔撮った写真が出てきました。以前にももしかしたら紹介したかも知れません。関門トンネル下関口に出てきたEF30です。この写真だけでは後ろに何がつながっているのかわかりません。続きの写真を撮っていたのですが、何処に行ったのやら…?その写真が見つかりました。後ろにつながっていたのは50系客車でした。門司発の山陰本線方面列車です。もう20年以上経ってしまった1984年12月~1985年01月頃の撮影です。まだまだ50系客車など「若造」の部類でした。しかし思いのほか編成が短く見えます。ちょっと写真を拡大してみましょう。どうやらオハフ+オハ+オハフ+スユニ…の4両だけのようです。在来一般型の時代はもっと長い編成が当たり前だったのですが…もっとも今となっては、日中は単行かせいぜい2両程度とのことです。暖冬や 昭和も遠く なりにけり…?
2007年01月30日
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やっとエピローグです。いわき駅からは常磐線上り列車に乗換えます。もうあとは帰路です。これで気動車編成の優等列車のロザにでも乗れば「キロで帰路」だったのですが、私のような下賎な階級の人間がロザなんて分不相応です。やってきた水戸行電車は415系編成でしたがことごとくロングシート車。編成中唯一サハ411のみセミクロスでしたのでここに席を取ります。沿線は切れ目無く建物がつながります。家並みの向こうに海が見えました。その向こうに島は見えません(水平線の手前には島影があるのが当たり前の環境に育ったものには何も見えない海は新鮮です)。進行方向右側に席を取り、列車は常磐線上り。全区間西日を浴びるのか?と思ったらさに非ず。意外と線形は真っ直ぐではなく結構右に左にカーブし、日差しが反対側から射す場所もありました。時々後続の特急列車に追い越されます。18キップでは特急には乗れません。もっとも急ぐ必要も無い道のりです。水戸の一つ手前、勝田駅で一旦下車。これは接続列車が勝田始発によるものです。茨城交通の列車です。勝田駅には茨城交通のホームもありました。この線も気にはなるのですが遊んでもらう機会を未だに得ていません。鹿島鉄道・鹿島臨海鉄道共々乗ってみたい路線ですが、鹿島鉄道は急がないと…既にカウントダウンが始まっています。でもその前に…どっかいい就職先ありませんかぁあああ?(号泣)E653系がホームに入線してきましたが特急ですから乗れません。後続の上野行き電車に乗ります。何とかクロスシートに座れました。水戸以南は一度乗ったこともあり、車窓も既に夜の帳に包まれました。今日1日乗った距離からすれば十分に2300円の元は取れたようです。長々とお付き合いさせてしまい恐縮至極m(_ _)m
2007年01月29日
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3分接続で乗り継いだ磐越東線はキハ112の編成でした。流石に3分前には全ての席は埋まり立ち席客もいる有様。このたび初めてのクロスシート車でしたが、残念!ま、そんな時は「鉄」族のお約束。運転席後ろに立って前面展望でも楽しみましょう。(客レ大好き人間の私ですが、客レでは前面展望はまず不可能=ノロッコ号や奥出雲おろち号など一部例外は除く=です。この点だけは電車・気動車に軍配が上がりますね)(^^);郡山駅発車後程無く、川を渡ります。列車は軽快に走ります。新世代気動車キハ100系・キハ110系シリーズ。いかにも今風の車輌ですがその実これがまあ驚きのパワーを秘めていました。発車して程なくスピードメーターの針は80キロ~90キロ台を指したかと思うとしばしば100キロを超えました。並行する道路を走るクルマを軽くい追い越して行きます(並行道路は対面交通とはいえ舗装され歩道もちゃんと整備されており制限速度も時速50キロまで許されています。空いていればどうかすると時速60~70キロぐらいで流れ得る道路環境です)。その昔D60が必死こいて走っていた時代はおろか、DD51やDMH-17系エンジンを積んだキハ車グループですらもなし得なかった(国鉄時代の内燃車輌は特急用を除けばMAXでも時速95キロでしたから)高速運転を軽々とこなし、それでいて激しく揺れるということもありません。いやいやいや…感心感心(^^)郡山発車時点では満席だった車内も進んでいくうち下車客があり、やがて車内も空いてきました。ボックス席一区画が空いたのをきっかけに着席します。福島駅構内にあったパン屋で購入しておいたサンドイッチや調理パンで遅めの昼ごはんとします。車窓です。渓谷沿いに走る区間がありました。福島県は会津地方と福島・郡山界隈の中通り、そして海岸沿いの浜通りに大きく分けられる由。その中通りと浜通りを隔てる山地を越えていきます。しかし、蒸機時代には胸突き八丁の難所だったであろうこの辺りも、キハ112には何ら足枷にもならず淡々と峠道を制して行きます。小野新町駅に到着。もしかしたら?ウチの「娘」どもの多くの「故郷(産院!)」が見えるか?と思ったのですが駅や線路沿いではない模様で、見つけることは出来ませんでした。(「産院」?言うまでも無く、タカラトミー社の工場、リカちゃんキャッスルです。要するにおもちゃ工場ですが、そこは子供達に夢を与えるおもちゃの生まれるところ、ちょっとファンタジックなお城風の外観で、製造工程も見学できる構造になっているとか。オリジナルグッズの販売もされているとのことです。「その筋」では「リカ城」と呼ばれているそうです。ちなみに私は行った事はありません)小川郷駅。ややや?こ、これはぁあああああ!?小川郷駅、ふと見ると↑のようなものがありました。かつて交流電気車の運転捜査の教育訓練用にナハ・ナハフを元に改造した教習車ナヤ11が存在し、ナハフ改造のナヤ111、ナハ改造のナヤ112が存在しました。そのナヤ112が廃車後その車体を再利用されレストラン?として活用されていたものの現在では廃業、小川郷駅脇に鎮座しているという話は聞いていましたがこの目で見たのは初めてでした。貴重なものには違いないと思いますがしかし、軽量構造が災いし43系や35系に比べて車体の腐食や老朽化が早く進行してしまった10系客車の車体、いつまで無事に持つか?一抹の不安を感じます。列車は定刻に終点いわき駅に到着しました。
2007年01月28日
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福島駅から再び701系の車中の人になります。目指すは郡山駅。たすきがけ複線区間は一見単線のようにも見えます。ちょっとお天気が生憎でしたが…新線区間。この橋梁は撮影名所でしたが、数多の名優達はこの舞台を去りました。上下線がうんと離れています。前方右手の小高い丘の上、ここがお立ち台でしょうか?先程出会った「工臨」、まだ停車中でした。雄大な山です。ご当地の名峰安達太良山でしょうか?比較的車内が空いていたので実害は無かったと思いますが…混雑していたら?データイムの時間帯で立ち客も出ず、空席も幾つかある程度の乗車率でしたので、席を立って車窓風景を撮影しても邪魔にはならなかったとは思いますが、中には不愉快に感じた人もいたかも知れません。或いは不審者?危険人物?犯罪者?などと思われた危険性も否定できません。得体の知れない怪しげなおやぢが如何にも怪しい行動をとっていたのですから…(爆)これでもし混雑している時間帯だったら?きっと変質者に間違えられたでしょう…(もっとも…混雑している時間帯ではそもそも写真を撮るなんて芸当自体不可能です。もし付近に登下校中の女学生でもいた日には、周防監督の新作映画をリアルで体験する羽目になりかねませんね…)電車は郡山駅に到着。3分接続で磐越東線に乗換えます。以下 次号…(まだ続きます)m(_ _)m
2007年01月27日
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福島駅に到着しました。今を去ることもう6年前の2001(平成13)年11月、久々取れた休暇を利用して北海道旅行を企て、当時あった「はくつる」でスタートしたことがありました。この列車は上野発の時刻が遅く、仕事が終わってから出発するのに便利でした。その日もそうやってスタートしたものの夜半ふと目が覚めた時停まっていたのが福島駅でした。時刻表上では通過の駅でしたがおそらく乗務員交替その他の都合による運転停車だろうとその時は思い最初は気にも留めていませんでした。しかし、30分経っても発車しません。どうも不自然です。気になって車掌室を訪ね国鉄時代からたたき上げたとお見受けする年配の車掌長氏に話しを聞いたところ…?「先行の貨物列車が越河の25ミリ勾配で濡れ落ち葉を踏んでしまい立往生している」とのことでした。東北本線は複線電化した際かなり線形改良がなされ、坂を下る方には25ミリクラスが残っても、坂を上るほうは全て緩和されたものと思っていたのですが、何箇所か残っていたのですね。近代動力車それも新性能世代の車輌には25ミリなど足枷にはなりませんが、それでも一大動脈幹線東北本線の貨物列車ともなると1000トン級、如何にナナゴや金太郎と雖もそれをもって急坂を登るのは一苦労です。この時は結局後続の別の貨物列車のカマが救援に向かったとのこと。そんなこんなで開通まで時間がかかりやっと福島駅を発車したのは朝6時前、既に東の空は白みあたりも明るくなっていました。やっと発車できたのは良かったものの、中々遅れを回復するには至りません。朝の通勤通学時間帯にかかってしまっては、通勤通学列車の方が優先されるのか?或いは時刻表上では判らない回送スジや入換作業などで本線を塞ぐ箱ダイヤでもあるのか?もしかしたら適当な影スジでもあってそのままそこに放り込まれたか?車内の雰囲気も段々険悪になっていきます。いっそのこと適当な駅で運転を打ち切り、後続の列車で振り替え輸送をしてみれば?とも思ったのですが、この日は北海道の学校の修学旅行団体が乗っていたためか?それもできず列車運転を続行します。盛岡到着時更に遅れが増幅していました。そのまま行くとおそらく後続のはつかりの前を邪魔することになりかねず更に遅れが増幅することは必至。そうなるとその後の接続に大きな影響が出て、今回の旅行の最大目的だった、折返しの北斗星個室寝台&食堂車ディナーに間に合いそうにありません。無念!盛岡で前途を諦め下車。そのまま新幹線で引き返します。無賃送還扱いとなりました。その後北海道は函館までは行く事はできましたがそれ以北や北斗星ディナーは未だに体験できていません。おっと、余談が長くなりました。福島駅前の案内標識です。駅前にあった芭蕉の像です。福島駅の跨線橋から見た福島交通です。ここもいつか乗ってみたいですね。界隈のエースであり主力となった701系です。次の仙台行は455系でした。う~…乗って見たい…このあとの行程、正直迷いました。455系に乗って仙台を目指してみるか?(快速運転区間は往年の急行「まつしま」等の風情が味わえそうですが…)しかしこの日は磐越東線に乗ってみたいという気持ちの方が強く、455系は涙を飲んで諦めました。455系とは無縁ではありますが、475系・457系にはガキの時分、大学時代、そして、富山在住時代に散々世話になっています。そこで、今回は未乗の磐越東線を目指すべく、このあとの電車で再び郡山を目指すことにしました。以下、またまた次号(^o^)/
2007年01月26日
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さて、郡山駅から乗換えた列車は再び701系です。この先世話になる701系の編成です。車番を見ると1501。おや?701系には1500番台があるようですね。このシリーズもいつの間にかヴァリエーションが増えました。秋田新幹線の旧田沢湖線区間のローカル輸送を受け持つ5000番台の存在は知っていましたがそれ以外にもかなり細かい番台区分があるようです。途中駅の中線に停まっていました。ホキ車編成です。工臨でしょうか?この辺りからは所謂たすきがけ複線区間になります。上下線が離れたところを通り、沿線にも人家はまばらとなり、まるで単線のローカル線の趣です。ついこの前、1982(昭和57)年まではここを数多の特急・急行列車がそれこそ踵を接して雁行していたものでしたが、今は日中はローカル列車ばかり、優等列車は夜行列車が少々のみ…。ただ、貨物列車においては最重要幹線の一つであることは変わりないようで、時々大単位の貨物列車と擦れ違います。松川駅を発車しました。おや?あれに見えるは…?松川事件の慰霊碑?そういえば、松川~金谷川間といえば、今を去ること58年も前の1949(昭和24)年、発足当時の国鉄を襲った三大事件の一つ、松川事件のあった所です。当時は単線でしたから、上野方面行き列車もここを走っていました。煙室延長改造を受けたC51133以下、客車代用ワキ?らしい後続車輌も数両が被災し、乗務員他数人が犠牲となり多くの負傷者が生じました。当時実行犯として逮捕された被告達はその後全員無罪となりましたが、だとしたら真犯人は何処でどうしているのでしょう?もっとも、仮に真犯人がいたとしても既に時効でしょうし、また今となっては立件できる程の物的証拠も蒐集は不可能でしょう。ただ、人数こそ少ないとはいえ犠牲者が出ているのです。その人たちの御霊は果たして浮かばれるのでしょうか?(そういえば、下山事件も未だに自殺か他殺かも判明していない由。もっとも、初代国鉄総裁下山貞則氏を知る人は異口同音に自殺説を否定しています。聞けば、下山氏は「鉄」分のある方で実際に多くの鉄道写真なども残してあったとのこと。ただ、誠に残念なことに、折角の氏の貴重な写真を収めたアルバムも、その意味も価値も知らない遺族によって、事もあろうに氏の棺に納められそのまま火葬されてしまったとか。これは生前の氏と交流があったと言われる斯界の大先輩F氏から伺った話です)今はこの区間は複線となり上り列車は新線を通ります。もうこの場所を上り列車が通ることはありません。戦後間もない頃、日本中が混乱と混沌の坩堝の中にあった時代、数多の不幸な事件があり、流される必要の無いはずの血が随分流されてしまいました。21世紀の中盤・後半そして来世紀、最早私が知ることは不可能ですが、どんなに時代が変わってもあのような時代、主義主張の違いで殺し合いなんてことは起こって欲しくないのですが…(でも世界を見渡すと、未だに戦火が絶えず「鉄の雨」が降り注ぎ多くの無辜の命が失われている場所があります。何でいつまで経っても人間って…賢くなれないのでしょう?仲良くなれないのでしょう?)大きく離れ離れになっていた上下線が再び近づくと南福島。そして次は第1目的地の福島です。以下、また続きますm(_ _)m
2007年01月25日
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さてこのところ暴走妄想ネタが続きましたのでちと、軌道修正(爆)(もっとも世間様から見ればどっちがまともでしょう?え?どっちも危険極まりない?)それは昨年12月に購入しました青春18キップが1日分余ったことから計画したものです。当初は正月の帰省で使い切るはずでしたがこの時3日分しか使えず、あと1日分余ってしまいました。しかし、1月20日までは有効ですがそれを過ぎると紙切れに成り下がってしまいます。そこで!この機会に出かけよう!ということで1月19日、旅立ちました。今回の目的地は、東北本線黒磯~福島間。この区間は乗車経験こそあるのですが、いずれも夜間。しかしオハネ25の窓から夜目にすかしてみた限りでは?沿線風景は結構面白そう!ということでここを目的地にしました。自宅を朝4時40分頃出発。4時51分発の始発電車でスタート。京成船橋で下車。船橋駅で総武快速に乗換え、東京駅下車。地の底!から必死によじ登り(笑)、ゲタ電で上野へ。上野から東北本線へ乗換えです。最初の電車は宇都宮行。E231系です。残念ながらロザ以外全車ロングシート。折角朝飯用に買ったサンドイッチですが流石にこの車内では食べ辛く一旦鞄にしまいます。6時09分、電車は発車しました。尾久・赤羽・浦和・さいたま新都心・大宮…電車は各駅停車(といっても駅間は長く、途中にいくつも小駅があります。それらは京浜東北線に任せていますので実質快速運転みたいなものです)で進みます。一駅ごとに大勢の乗客が乗ってきます。この日は平日、皆さんこれから会社に学校に…定職を得られず無為徒食な浪々の日々を送ってる身としては肩身の狭い思いです。宇都宮で待ち時間を利用し立ち食い蕎麦で腹ごしらえ。後続の電車に乗り換えます。両毛線から直通する黒磯行きは107系の編成でした。満員で到着。大勢が下車しますが乗る人も多く席はありません。ま、そんな時はお約束、運転席直後の「鉄」様特等席でしばし、前面展望を楽しみます。途中で擦れ違う様々な列車、ヴァリエーションも豊富で結構楽しめます。たとえ立ち席でも、電車に乗っていれば楽しいのが「鉄」ってもんです(^^);何駅か進むうち空席もできましたので着席します。黒磯到着。ここでは乗換え時間に余裕がありますので一旦改札口を出ます。待合室で今朝ほど口に出来なかったサンドイッチを齧ります。この先どうせロングシートばかり、流石に車内での飲食は憚られますので…(「乗り鉄」派としては寂しいのですが、車内での飲食がマナー違反という意見も根強く辛いところです)黒磯で乗換えた郡山行は例によって701系。「乗り鉄」派には悪評ぷんぷんのクルマです。しかし、私個人としては然程嫌いではありません。クロスシートでこそありませんが、加減速性能は良く前面展望も利き、側窓も大きいので車窓を楽しむにも便利です。黒磯駅を通過する北斗星を見送り、構内外れに待機するEH500達に見送られ、黒磯駅を発車します。さて、東北本線交流区間、なるほど、列車は結構高台を走り、沿線から撮影すれば絵になりそうな場所が結構あります。数駅先で出会った黒磯行電車はややや?455系。しかも先頭はクハ455-600!そう、サロ改造クハです。しまった!1本段落ちしておけば…(^^);しかしこの電車の1両目のクハ455-600、肝心のシートは車端部が普通のロングシート、中間部もありふれたクロスシートにされていました。豊原~白坂間、深い谷を高い橋脚の橋梁で渡ります。ここはしばしば趣味誌の巻頭グラビアページなどでしばしば登場するお立ち台の一つ。日の出の早い時期にはここを走る北斗星やカシオペアなど、美しくモノにできそうです。橋を渡って白坂駅到着のころあいでしたか?やってきた擦れ違い列車に仰天。「シュプール蔵王」のヘッドサインを掲げた583系です。思わず身を乗り出してしまいました…嗚呼、何故カメラの準備しておかなかったのだろう…(しかし、乗り合わせた他のお客さん達にはどう映ったやら?いかにも怪しげなおやぢが意味不明な行動をとったのですからさぞかし不気味だったのでは?)(爆)車内を巡回してきた車掌さんが運転席に入りそのまま駅に停車します。おや?どうやらこの駅は停車位置前よりに階段があるので、ここにいたほうが集札の都合が良いのですね。発車しようとした時、駅舎よりのホームを走る一人のご婦人。この電車に乗りたいご様子。都心の数分おきに発着する路線なら問答無用で発車して行きますが、1本逃すと1時間は来ないようなこの界隈、見捨てるのは忍びないようで、そのご婦人が跨線橋を渡ってくるのを待ち、無事乗車できたところで発車します。概ね1分30秒ぐらい延発したようですが、そこは701系、あっという間にぐんぐん加速、時速110キロ位でしょうか?線形もよく重軌条化された東北本線、ちょっと飛ばせば些細な遅れなどあっという間に回復です。蒸機時代は元より、赤べこ時代にも真似の出来なかった荒業を難なくこなして電車は北を目指します。黒磯から1時間ほどで郡山に到着です。26分の接続で福島行きに乗換えます。待ち時間に撮影しました。郡山駅寸景です。以下、次回(^o^)/
2007年01月24日
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またこのネタで恐縮至極…m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m>>その発展型として「ネコ耳駅そば尾根遺産^^;;;」なんて言うのは…(^^;;;。隠密様よりこのようなご提案を頂戴しました。ネコ耳キャラは既に幾つか弊ブログやよそ様のお絵描きBBSで幾つか紹介しているものとして、このリクエストを無下に却下するわけには参りません。そこで…↓こんなものが出来ました。かけそば一杯上がったわよはいママ。かけそばのお客様ぁ~、お待たせしましたぁ~こら!仕事中はお姉さまと呼びなさいって言ったでしょ!あ、ごめんなさいママ、じゃなかったお姉ちゃん!(もぉ~…ママったら見栄張っちゃってぇ~…)何故白いエプロンではなくオレンジ色なのか?食べ物商売としては文字通り異色ですが、緑のミニワンピースの上に纏わせるならこの色!…ということで(^^);(何故襟とカフスが淡い緑色なのか?…この色の意味がわかる人はもう、草津の湯でも治りますまい…え?オマエが言える台詞か?…はい、私が言える立場じゃありません)(爆)さて、言うまでもありませんがこんな制服で仕事させると?時には野郎共が喜びご婦人方が柳眉を逆立てる事態が起きないとも限りません。そこで、一工夫(爆)を…湘南色は沿線の名産ミカンに因んだものだ…などと巷間言われていますがそれは後からのこじ付けというもの。実は島秀雄氏の「鶴の一声」だったというのは「鉄」界では有名な話ですが、この色、特にミカンの生産地でもない地域にも進出することになり、土地によっては「かぼちゃ」電車などとも呼ばれていたとか。そこで…かぼちゃに因んだとある工夫がしてあるのです(^^);ただ、それ以上具体的に記載したり図示したりするとやはり差し障りがあるかと存じますので、説明は上記絵のみとさせていただきますm(_ _)m果たしてこれで、ご期待に添えたのでしょうか?
2007年01月23日
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しつこくこのネタで恐縮至極…かねて懇意にさせていただいています隠密様のブログにおいて、某老舗月刊鉄道趣味誌をもじった「同人誌」ネタが紹介されていまして、その雑誌の特集テーマの一つに…駅そば「ミニスカくのいち」作戦なるものがありました。どうやら過日弊ブログにUPした拙案を採用して下さった由。そこでお礼としてこんなもの描いてみました。は~い、天玉そば大盛りいなりずしセットお待ちどうさまでぇ~っす!ところで、駅蕎麦スタンド従業員の制服に採用するとなると…?実際には問題が山積みです。折角ミニスカートにしてもカウンターの内側にいたのでは目立ちません。カウンターの仕切りを透明にすれば違うかも知れませんが…また、男性客はつかめても女性客は…?却って反感招きかねません。更に…ココが一番の難問ですが…このデザインだと、ある程度人生の年輪を重ねた「お嬢さん」には必ずしも似合うとは限らない(!)と言うところでしょうか…駅蕎麦スタンドで働く人は女性の割合が高いとは思いますが、その方々も比較的人生経験のキャリアを長く積んだ方が多いように見受けられますので、果たして受け容れてもらえるか?(この点に関しては深く突っ込むのは自粛)(爆)既存の店舗企業で採用するのは難しいかも知れません。でも、新規でやるなら?沿線に女生徒のいる高校・短大・大学・専門学校等々がある路線で、その学校の最寄駅のスタンドでそれらの学校の女生徒をアルバイトに雇うことが出来れば或いは…?どうでしょう?>し○の鉄道さん、和○山電鉄さん…完全におやぢの妄想モードですね…orz
2007年01月22日
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今更言うまでも無いことですが私は「鉄」です。三度の飯より電車が好きな困ったおやぢです。暇さえあればカメラ構えて線路脇に赴き…暇さえあれば小さな鉄道模型を弄繰り回し…暇さえあればフリーキップで行き先も決めずに電車に乗り…暇さえあれば鉄道関連の書籍を読み漁り…そんな私ですが、鉄道写真を撮る合間に、たまにはこんなものも撮ります(^^);その1これは確か…富山県滑川市で撮影しました。当時市内の公園にSLと古い客車が保存されていてそれを撮影しに行った時のものです。その2これは確か…大井川鉄道千頭駅付近だったかと…その3これは室堂高原で撮影しました。高山植物のヨツバシオガマとのこと。その4これは千葉公園での撮影です。花って誰が撮ってもそれなりに綺麗には撮れますが、その代わり一歩抜きん出た作品を作ろうとすると恐ろしく難しくなるものなのですね。私などそのレベルには遠く及びません人間死ぬまで修業勉強…なのですね。(いい加減リタイアしたい…軟弱もの>ぢぶん)
2007年01月21日
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さて、シリーズ最終話ですm(_ _)m駅周辺の風景です。広葉樹の並木がお洒落ですね。つくば駅でオフ会の仲間と落ち合います。面識の無い面々でしたが予め当日の服装を伝えていたせいか?すぐにお互いわかりました。初対面ではありますがそこはそれ、お互い長年チャットでやり取り交わして気心の知れた仲間、そして、お互い「鉄」分の濃さでは人後に落ちない歴戦の猛者揃い。すぐに打ち解け早速「世間様には宇宙人語?」な「濃いネタ」で盛り上がります。土曜日の午後、穏やかな陽だまりの下、落ち葉を敷き詰めた路地を「怪しいネタ」で盛り上がるおっさん軍団!傍から見ればさぞや「近寄り難い」存在だったかも知れませんね(爆)。つくば駅から徒歩10分程度の距離にある公園には、SLとハイウエイバスが保存されていました。SLの傍には腕木式信号機も保存されていました。何れも屋根がかざしてあり、丁寧に保存されている様子に好感が持てました。つくば市の案内看板その1つくば市の案内看板その2何れもビジュアルな案内で非常に判りやすく、初めてご当地を訪れた人にも優しい看板ですね。帰りの電車では中間車のクロスシートを利用しました。シートの座面はやや硬め。JRのE231系あたりと同じような感触でした。それにしても速いこと速いこと…時速130キロは半端じゃないですね(^^);他線区とは明らかにスピード感が違います。見晴らしの良い田園地帯や里山の風景の中、高架橋を疾走する様子は、あたかも新幹線のそれのようです。しかし、今はまだ長閑な田園風景、森林風景の拡がるこの沿線も、数年も経てばガラリと変わるのでしょうか?いつか機会を見つけて再訪してみたいものです。
2007年01月20日
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つくば駅です。といっても地下駅なので駅舎というものはありません。立派なターミナルビルですが、バス路線のそれのようです。バスのネットワークが充実しています。何故JR東日本の看板が?JRバスが乗り入れている関係ですね。駅前交番です。お世話にはなっても、ご厄介にはなりたくないですね(^^);JRバス関東の車両です。今はJR東日本とは別会社化した由。バスターミナルの風景です。バスに詳しい友人知人に言わせればこういう風景を見せれば即座に車種年式形式型番答えてくれるのでしょうが、生憎私はバスに関しては門外漢です。つくばエクスプレスの開業でバス路線、ネットワークも変わったのでしょうか?沿線も都心アクセスの利便性が格段に向上し、人口も増えたと聞きます。ただ、土地代は跳ね上がったでしょうから、悲喜こもごもの話が多々あるのでしょうね。あともう1回お付き合いの程m(_ _)m
2007年01月19日
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さて、電車はつくば駅を目指して快走します。まるで新幹線軌道ですね。小規模な駅と雖も立派な構造です。でも、維持費が…(^^);最高時速130キロ運転を可能にするためか?きついカントがかかっています。写真で撮ると結構きつめですがその実曲線半径は大きく特に制限もかかった様子がありません。途中駅の駅前風景です。ここもあと数年もしたら風景ががらりと変わるでしょうね。乗ってて感じたのですが、カーブはいずれも曲線半径の大きなゆったりとした円弧を描いています。その一方勾配は結構きついところがあり、25ミリどころか35ミリクラスも珍しくありません。原則として貨物列車が走るわけではなく、高性能な電車専用ですから特に支障は無いのですね。取り立てて制限標識らしいものも見当たりません。理想的な線形と感じました(裏を返せば建設費が如何に高額だったか…?)。ちっとも疲れも退屈も感じないまま、つくば駅に到着しました。以下、次号(まだ続くのかい?>ぢぶん)
2007年01月18日
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さて、昨日付けの発言で紹介した写真では電車1本乗り逃がしたように見えますがこれは途中駅どまりの電車だったので見送ったものです。前面展望です。「鉄」ものはついついここに立ってしまいます。全区間高架または地下、当然踏切はありません。対向電車とのすれ違いです。それにしても速い速い(^^);守谷から先は交流電化区間です。既にデータイムの時間帯に入っていたので前面展望も楽しめるのですが、朝の通勤通学時間帯にはこれは楽しめません。何故ならその時間帯、つくば方面行き先頭車は女性専用車にされてしまうからです残念ながら世の中、聖人君子や善人ばかりとは限りません。極稀には邪な輩もいます。理不尽な性的暴力の被害に遭ったご婦人方の精神的苦痛は察するに余りあり、女性専用車の導入自体には異を唱えるものではありません。ですが…せめてそれは2両目以降にして欲しい!先頭車から見る前面展望の楽しさを「鉄」から奪わないで欲しい…これって我侭なのでしょうか?(もっとも、背後から「鉄」どもがじと~っ!と見つめていては運転士氏はやり辛いとの事。その意味では先頭車を女性専用車にするのは鉄道会社側の切実な希望でしょうか?最近は女性の乗務員も稀有ではなくなりました。ゆめゆめストーカーと間違えられないよう自戒しましょう)(^^);さて、続きは次回(^^);
2007年01月17日
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さて、ここ最近随分なネタが続きましたのでここいらで方向修正(^^);って、世間様的には(あ?一般的には…の方が日本語として正しいのでしょうか?)どっちがまともなのか?は相変わらず「?」ですが…(爆)え?どっちにしても邪道だ?そもそもオマエが生きてること自体が間違いであり迷惑であり社会的損失であり不愉快である?…ごめんなさい…(たとえ罵倒されても反論できない立場の我が身が情けない…受ける会社受ける会社ことごとく断られている現状肩身が狭いんです)これはもう一昨年のことなので鮮度は失せていますが、つくばエクスプレス乗車体験です。この日かねてより懇意にさせていただいていた、旧ニフティサーブ鉄道フォーラム時代からのチャット仲間とのオフ会があり、つくば駅に赴いた時のものです。東武野田線との接続駅流山おおたかの森駅です。まだできたてのほやほや。どぞ、冷めないうちに…(???)流石は21世紀の完成。近代的な姿です。でも駅の周りは…?まだ何も無い!と言っても過言ではありません…そのうち駅前には大型の建造物が立ち並ぶようになるのでしょうか?切符を買ってホームに入ります。程なくやってくる電車に乗り、つくばを目指します。以下、次号(爆)
2007年01月16日
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またまたドールネタですm(_ _)m興味の無い方、嫌悪感を感じられる方には申し訳ないですが…m(_ _)mm(_ _)mこんなモノを作ってみました。はい、喪服です。この正月身内の不幸があった事もあり、また高齢な身内が少なくないことでもあり、いずれ必要になる機会はまたあるはず…と思い作ってみました。適当な市販品も見当たりませんでしたので布生地だけ購入し裁断縫製です。材料費は780円でした。勿論、この「娘」どもを通夜や告別式や法要の会場に連れて行くと言う意味ではありません。(連れて行ったらそれこそ顰蹙買います)喪に服し弔意を表す意味でその日にあわせてこの子達に着せておく予定です。いずれ私も三途の川を渡る時が絶対に来ます。ただ、それがいつになるかは判りませんが…その時この子達には誰が喪服を着せてくれるのだろう?と、無意味な心配をしている今日この頃です。
2007年01月15日
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過日隠密様よりいただきましたリクエストの件、随分と遅くなってしまいましたm(_ _)mまだまだ満足のいくようなものにはならずちっともご期待に添えていないかと存じますが、取り急ぎ完成を見ましたので紹介します。生憎ルーズブーツやボアつきブルゾンについての詳細がわからず、似ても似つかないものになった可能性がありますことまずはお詫び申し上げます。背景の115系は、本来なら長野支社風の灰色と水色或いは赤ベースのしなの鉄道風にするべきかとも思いましたが、今も東海の湘南色が長野駅で見られるとのことで敢えて湘南色にしてみました。後ろを歩く女子高生は果たして地元にそんなデザインの制服があるか否か?は存じませんが、なまじ実在の学校のそれを描くと却って問題があると思い、敢えて架空のものを描きました。万が一ご当地に同じデザインの学校が在ったとしても一切無関係です>関係各位。と、いうことで取り急ぎ紹介しますm(_ _)mここ最近お絵描きネタばっかりだなぁ~…反省!
2007年01月14日
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>>で、効果倍増策をひとつ。ソバ店員にも同様のおねーさんを雇用し、きわどいコスチュームを・・・。風俗営業法の許可がいるのだろうか?網干屋様より貴重なご提案をいただきまして、無い知恵を絞って考えてみました。(そらもう乾燥機で一時間回してからっからに乾いたタオルを絞って水を取るようなものです)はぁ~いご主人様ぁ~。お蕎麦出来ましたわ。ちょっと待ってくださいね。熱いですから、ふぅ~っ、ふぅ~っ、ふぅ~っ…このぐらいでよろしいかしら?はい、ご主人様お口あ~んして、はい、あ~ん……これじゃメイド喫茶のノリそのまんまですね(殴)…メイド蕎麦屋?メイド服では別に露出度が高いという程のこともなく、あるいはもっときわどいカッコをさせる…考えなくも無かったのですが、それではココで紹介できなくなってしまいます(爆)。(一応ココは年齢制限も閲覧制限もないことを前提にしています。ご婦人方や将来ある18歳未満の方々に不愉快な思いをさせてはなりません)(^^);さて、ここまで構想して気がついたのですが…このコンセプト、結構人件費がかかります。家族経営でやるとしたら、年頃の娘がいない限り難しいでしょう。また、客一人一人にいちいちこんなことしていたら大勢雇わねばならなくなります。とても立ち食い蕎麦の一杯200円300円では利益が出ず、かといって一杯1000円も2000円も取ったら客が来ません(メイドさんの献身的サービスに金払う!って人は別ですが…)。そして一番厄介なのが…見学者は大勢来ても顧客は少ない…ということになりかねない危険が高いことです。上のイラストでへたり込んでる連中、一体何処を見て何を喜んでいるのやら…?(謎)これではイベント運転の蒸機ですね…orz(あれも沿線に「撮り鉄」諸氏はわんさかと、実際の乗客数以上に押し寄せますが…彼らがいくら来てくれても直接の売り上げにはならず寧ろ安全確保のため案内誘導警備の経費がかかってしまったりするのが辛いところです。 いっそのこと彼らから一口100円ずつ集めて、出した金額に応じて写真を発表できる…なんてできれば鉄道会社も潤うのでしょうが…集金の経費だけでアシが出そうです。何かいい方法ないでしょうかねぇ~?)(^^);
2007年01月13日
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その気になれば時間はあるはずなのですが…全く上手く使えていないですね…さて、このブログページのもう一つのメインテーマなのに最近とんと触れていないのがDollの話題。もっとも、新しいネタが無い!というのも大きいのですが…生憎最近のものではなく旧作ですが…50年代のロカビリーが流行った頃のイメージです。そういえば1980年ごろ再びブームになり原宿の歩行者天国では若者達が集い踊り興じていました。映画「バックtoザフューチャー」3部作が上映されたのはこの頃でしたでしょうか?あの映画に描かれたような21世紀になったのか?残念ながら未だに自動車は地を這い、透明チューブの中を走る高速列車なんてものもまだ実現できていません。もっとも、電話機がポケットに入るようになり、その電話機で写真やムービーまで撮れてそのデータを送受信できるようになるとまでは予想し得なかったようですが…(^^);因みに、ストッキングと、スカートの裾から自己主張しているパニエ(ペチコート)はメーカー純正品です。サテンの生地はほつれやすいので端の処理が重要です。1回の折り返しだけでは足りないようで、以降サテン生地を使うときは2回折り返すようにしています。しかし、ミシンが上手く使えない身には結構大変です。この作業(^^);そろそろ次を作ってやらねばならないのですが…(汗もかかない人形の癖に持ち主より遥かに多くの衣装を持っているのがウチの「娘ども」です)
2007年01月12日
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さて、10日付けで紹介しました拙作が意外とご好評いただきましたので悪乗りしまして第2段です。いつもお世話になっておりますやぶお様のサイトのBBSで、駅蕎麦スタンドの話題が出ていました。そこにミニスカートの若くて可愛いお嬢さんがいたら、ついつい目が行ってしまうのはオトコのサガ!です(^^);もしかしたらそこにいたお嬢さん、実は蕎麦屋の回し者で、お客を集める営業部員もといサクラかくの一か…?(1)おい見ろよ。この寒い日にミニスカート穿いてるよあの娘。若い子は元気があっていいなぁ~(2)そういえば小腹も空いたな。おばちゃん!天ぷらそば。生卵入れてね。オレはカレーうどん。あ、そうそう、いなりずしもつけてね。(3)なんじゃなんじゃ?ほぉ、可愛い娘いるね。おや?蕎麦か。丁度腹も減ってきたとこだ。掛け蕎麦ちょーだい。こっちはわかめそば。たぬきそばときつねうどんちょうだい月見そばちょーだーいはふはふ…うん、うめぇ(4)有難う、おかげで売り上げ大きく伸びて儲かったわ。バイト料弾んでおいたから、明日も頼むわよ。オッケー。あたしに任しといて。明日はもっと短いの穿いてくるね~なんて密約が交わされて…たら怖いです(爆)
2007年01月11日
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さて、このところ発言が滞っていました。発言するほどのネタがありませんネタが無いなら創ってしまえ(爆)ということで、こんなモノを作ってみました。(1)ママ、おなか空いたね。あ?ねぇねぇ、日本一の蕎麦屋だって、今日のお昼はお蕎麦にしようよ。(2)へい!ざるそば2枚お待ちぃ~わーい!いっただぁきまぁ~っす。(3)あれ?何だか随分長いわ?んしょっと…あれ?まだつながってる?まぁ!ちょっと長過ぎない?(4)えぇ~こ、これどうやって食べるの?先っちょをちょくにいれられなーい!な、何なのよこの蕎麦はぁああああ!当店は日本一長い!蕎麦が売り物の蕎麦屋で御座いますです。はい。おいおい!こんな日本一は嬉しくないわよぉおおお!全国の真面目なお蕎麦屋さん、ごめんなさいm(_ _)mあくまでこれはフィクションであり、ジョークですから…怒らないでね(^^);(^^);お目汚し平にご容赦の段m(_ _)m
2007年01月10日
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さてさて、フリーキップでこれから気まぐれ途中下車の旅です。まず最初に下車したのは犬吠駅。ここには引退した電車の車体を利用したレストランがありましたのでここでカレーライスで腹ごしらえします。結構美味でした。駅の売店ではさんまの佃煮を売っていました。これは今まで殆ど見かけたことがなく目新しく感じましたので早速購入、正月帰省の予定でしたのでお土産用です。(帰省して再びこちらに戻る日の朝餉のおかずに使いましたが流石漁港の町の名物だけあって美味でした)程なくやってきた電車で今度は仲ノ町へ…の予定でしたが途中の観音駅で鯛焼きの看板を見かけました。折角ご当地へ来てこれを賞味しないのでは何のためにここに来たのか?(爆)。急遽予定変更で下車します。観音駅の駅舎です。瀟洒な建物ですね。鯛焼きはしかし、あんこはあまり得意ではないので、クリーム入りを購入、早速出来立てあつあつをほうばります。口中に広がる幸福。美味~…生きてて良かった(大袈裟だよ>ぢぶん)。たこ焼きも売っていたのでこれも購入、4個入りと8個入りがあり、迷わず8個入りを購入したのですが、何故4個入りが販売されていたのか思い知らされました。いえ、値段云々じゃないんです。値段自体は貧乏人の私でも躊躇なく買える価格ですし、味の方も文句なし!ですが、このたこ焼きが実にデカイ!ボリュームたっぷりなのです。やっとこさ平らげるといった感じです。たこ焼きで満腹感を感じたのは初めてでした。沿線の方々はこんな美味しいものをいつでも気軽に色々楽しめるのですね。沿線に引っ越そうかしら?(爆)(仕事・就職口さえいただけるならいつでも参上します>求人中の企業各位)m(_ _)m本銚子駅です。1002号が到着しました。次は本銚子駅に下車します。軌道両脇に鬱蒼と茂る樹木。文字通り緑のトンネルですね。土曜日も午後時間が進んだ頃ですのでひっそりとしていますが、この駅すぐ傍に学校があります。朝夕はさぞかし賑やかになることでしょう。仲ノ町駅です。工場街のど真ん中!という感じでした。車輌基地もある仲ノ町駅は、大きな段ボール箱がいくつも置いてありました。どうやら全国各地へ発送される「濡れ煎餅」のようです。鉄道利用客の運賃収入よりも稼いでいる由。賞味したかったのですが今回は買えませんでした。ご存知デキ3です。ご当地に来て「この子」に挨拶しないのは画竜点睛に欠けます(^^);構内にいた702号です。背後の工場の巨大プラントがあたりを圧倒します。基地に集う車輌達。「この子」達は今日は非番?公休?この後は銚子駅に戻り、帰途につきました。今度は松岸から香取・佐原回り成田線経由の千葉行に乗車しました。こちらは113系でした。この日は高校は授業があったのか?或いはクラブ活動の練習だったのか?下校の高校生達も大勢乗っていました。もう日も翳ってしまい写真は撮れなくなりました。それでも成田辺りまでは然程の混雑でもなかったのですが、佐倉・四街道・都賀…車内は満員になって千葉に到着。総武快速に乗換え一旦津田沼へ。幕張本郷へ戻って京成に乗換え、帰宅しました。長々のお付き合い有難う御座いましたm(_ _)m
2007年01月09日
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先日は道中記だけで1日費やしてしまいましたm(_ _)mJR銚子駅ホームの先、銚子電鉄の乗り場はありました。出迎えてくれたのは801号でした。車掌さんからフリーキップを購入します。この日は思いのほか大勢の人出で、小型の801号の車内はラッシュ時間帯並みの乗車率。満員御礼モードです。気ままに訪れた旅の「無頼者」が、ご当地地元の方々を差し置いて着席するのも憚られたので、今回は立ち席乗車です。(失業生活は1年超えましたが…しかしこれでも首都圏で10年、満員電車に揺られて通勤した身です。少々混んだ電車で立ち席乗車したぐらいでへこたれやしません。それ以前に、いやしくも「鉄」が電車に乗って疲れるなんて名折れです(爆)。終点まで乗っても30分程度ですからたいした事ありません。銚子電鉄の終点、外川駅の遠景です。近くの踏切から撮影しました。外川駅の駅舎です。風雪に耐えた独特の風格のある駅舎です。外川の街並みと漁港です。12月らしからぬ暖かい日でした。お天気にも恵まれました。外川駅で展示されていた品々です。次にやって来た1002号です。この日は801号と1002号が交替で走っていました。折り返しの間しばし休憩する1002号です。1002号の連結器のUPです。どうやら澪つくし号牽引のための装備ですね。発車前の1002号です。運転間隔は概ね30分ヘッド。今度はフリーキップを利用して、気ままに途中下車することにしましょう。以降は明日付けで発言しますm(_ _)m
2007年01月08日
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さて、これはもう去年(先月16日ですが…去年ですよね?)の話になりますが…銚子電鉄に乗り鉄に行って来ました。久々に購入した青春18切符を使い、幕張本郷駅からスタートします。(志津から京成船橋や京成成田へ出ると310円ですが、京成津田沼・幕張本郷へ出ると250円。京成津田沼からJR津田沼へは徒歩だと15分ぐらい必要なので、幕張本郷駅から青春18切符を使います)ここはホームから幕張区の車輌たちが眺められます。京成千葉線と新京成電鉄との直通運転が開始されました。255系です。何となくマッコウクジラを髣髴とさせる顔立ちです。千マリの遠景です。この後お世話になる千葉支社カラーの211系がいます。総武線各駅停車車内から。113系も少数派になって来ました。千葉駅接続待ちの間に撮影しました。成田経由の電車です。211系になっていました。接続の総武本線電車も211系でした。方向幕が路線別に色分けされているのですね。総武本線は佐倉を出ると単線になります。途中の駅で列車交換があります(何処だったっけ?)。255系による特急列車との交換です(何処だったっけ?2)。界隈最新鋭のE257系500番台です(何処だったっけ?3)。銚子駅到着です。ということで本編は明日付け以降に順次紹介しますm(_ _)m
2007年01月07日
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さて、5日早朝、こちらに戻って参りました。既に2,300円分の元は取れているとはいえ、青春18切符はこの日丸1日まだ使えます。折角ですからどこかに行こう!ということになりまして、横川鉄道文化むらを訪ねることにしました。自宅を朝9時前に出発、船橋でJRに乗り換え、上野駅へ。高崎線方面へは丁度良い電車がなく一旦小金井行でスタート。大宮で湘南新宿ラインからの高崎行きに乗り換えます。籠原で編成前側の5両を切り離し10両編成で高崎へ。もはや首都圏の顔になってしまったE231系、前面展望の見晴らしの良さは長所ですね。大宮~高崎間は座れませんでしたが前面展望の良さに救われました。高崎では乗換え時間に多少余裕があったので立ち食い蕎麦スタンドでざるそばに舌鼓&腹ごしらえ。接続の横川行きはこの界隈では貴重な115系でした。よく晴れ、1月にしては暖かい天候なのは助かりました。かつて横川機関区だったであろう場所。多くのEF63達がここに屯し、峠を行き来する列車のサポートを務めていて、私も数回お世話になりました。廃止される前にもう一度訪ねたかったのですが、たまたま休日に体調を壊してしまいそれは叶いませんでした。(もっとも「あの騒ぎ」でしたから…下手に近づいたら無事ではすまなかったでしょうね)(^^);もう10年目になるのですね。ここは多くの保存車輌があるのも魅力です。EF30とEF58の並び。かつて下関駅で当たり前に見られた光景です。最近仲間入りしたEF65520です。F型が保存された事は喜ばしいことですね。そういえばDD14の除雪仕様は「伊勢エビ」とのニックネームがある由。DD53も除雪ヘッド付けるとやっぱりエビのような雰囲気ですね。こんなライブスチームが走っていました。子供達以上にお父さん・お母さんの方が楽しそうですね。本格的な蒸機も走っていました。屋内の展示資料も中々充実していて、先人達の苦労、苦闘の歴史が判ります。碓氷峠のジオラマは個人の方の力作が寄贈されたとの事。細部までこだわって再現されたその姿は感涙モノです。また、鉄道模型のレイアウトもあり、16番モデルの方は案内放送付きの運転も行われました。小型カメラとモニターも効果的に使われ、時には実写映像も使った碓氷峠の歴史の紹介はとてもわかりやすく楽しめました。16番の他にNゲージもあり、何れも100円で周回運転を楽しめるサービスもあり、ついつい遊んでしまいました(^^);ただ、このNレイアウト、左手の湖の辺り、自衛隊の戦車やヘリコプターがたくさん出動してなにやら物々しい雰囲気。なんと?湖に巨大なカニが出現!戦車を跨げるほどの巨大ガニにさしもの自衛隊も苦戦しています…って誰だよ?こんなもんディスプレイしたのは?(^^);(^^);(こんなでかいカニだと、何人分のカニすきができるやら?って、戦車よりでかいカニ、どうやって茹でるの?)(爆)遊び心満点のレイアウト、ツボに嵌ってしまいました(^^);展示物が充実していてついつい時間を忘れます。しかし、静態保存車輌は屋外展示。雨風による傷みは避けられません。この日もメンテナンスのため車内に入って作業するスタッフの方を見かけました。維持管理のご苦労がしのばれます。お手伝いできることがあれば協力は惜しみません。(本音を言えば…就職口になってくれるなら…苦労は厭いません!)帰りたくなくなってしまいましたがいつまでもココにいるわけにもいきません。後ろ髪を引かれる思いで帰路につきました。何れ日を改めて、ウチの車輌を持ち込んで、遊ばせてもらうこととしましょう。(それがいつになるのか?それは神のみぞ知る…?)
2007年01月06日
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さて、後編です。岡山駅では40分程度のインターバルです。勿論、10分程度で接続できる列車もあるのですが、長距離移動ですので出来る事なら着席したいこと、この時期は18キッパーが結構多く、特に岡山~姫路間は米原~大垣間と並んで18キッパーには隘路となること(前後の区間に比べて運転本数が少なく、編成も短く、18キッパーが大挙して押しかけると着席できない危険性大)等を考え、敢えて接続は段落ちで設定しました。この後の姫路・米原での乗り換えも段落ち設定です。ココまで世話になった広セキN-08編成です。一息入れて再び広島方面へ折り返して行きます。ここ岡山駅は交通のジャンクション。山陽新幹線・山陽本線・宇野線・津山線・吉備線が乗り入れ、また伯備線や赤穂線の列車も多くは岡山発着です。出船千艘入船千艘モード。快速マリンライナーです。山陽本線下り方面の列車が到着しました。車内はラッシュ時間帯並みの賑わいです。津山線用のキハ47です。快速サンライナー。117系もこの色がすっかり板につきました。四国の特急型です。ココでは数少ないJR世代の車輌です。そして、やって来ました1326M。いつの間にか少数派になってしまった湘南色です。ただ、この6両編成の後ろ3両は更新車でした(あっちで待っていたら良かったのに…)(^^);この列車も発車直前にはかなりの混雑になりました。16時44分、姫路行は発車します。既に1月の太陽は山陰に隠れあたりは少しずつ夜の帳に包まれて行きます。吉井川に沿って列車は快調に飛ばします。並行道路のクルマに負けない走りっぷりは乗っていても気持ちが良いものですが…あちこちの席で「椅子が狭い」の声が上がります。この115系、未更新車で座席は原形のまま、しかも300番台です。1000番台や2000番台と比べてシートピッチで7cm狭いです。「堅気の衆」もその違いは体感できるのですね。船坂峠のあたりで完全に夜になりました。姫路には18時07分に到着。乗り継ぐのは18時57分発の新快速長浜行きです。待ち時間を利用して、往路で「ツボに嵌った」駅そばを再び賞味します。「そば」と名乗るものの日本蕎麦とは程遠く、寧ろうどんや中華麺に近い食感は一種独特。ご当地を訪ねる楽しみが出来ました。18時57分、223系2000番台による新快速は姫路駅を発車しました。やはり発車直前には座席は埋まってしまいました。さて、新快速電車。その名に恥じない韋駄天走りで京阪神を駆け抜けます。18切符だけで乗れるのが不思議なほどです。そろそろ夕食でも…と先程姫路駅で買った駅弁を開こうと思ったのですが…あまりに混雑した車内で食事するのはどうもマナー違反?車内が空くまで待ちましょう。と思っていたら結局、口にできないまま米原に到着してしまいました。米原駅で出会った521系です。方向幕にはしっかり、新快速という文字もありました。米原21時54分発の新快速豊橋行に乗車します。新進気鋭の313系です。この列車も立ち席客が溢れる大入り満員モード。駅弁に記載された消費期限は本日22時…でもこの混雑では食事はし辛いですね(^^);22時24分、大垣駅到着。ココからはいよいよムーンライトながら92号利用です。ムーンライトながら92号、今更説明の必要もないでしょうね(^^);22時50分ごろ入線してきました。上り方先頭車のみグレードアップ車、私の乗った車輌はグレードアップ改造非対象車でした。でも、シートはストッパーが付き、登場当時の「自動起床装置」モードではなくなっていました。快速列車で深夜時間帯を走ることもあり、通過駅が多く、車輌が189系(一部183系混在)ということもあり、ちょっとした特急列車の面持ちです。しかし?結構疲れているはずなのに意外と寝付けません。10数年前、廃止直前の大垣夜行上り列車のサロを利用した時も意外と寝付けなかった記憶があります。電車の夜行とは相性が悪い?そんなはずはないと思うのですが(583系「きたぐに」利用時にはちゃんと眠れました)…(^^);ふと尿意に襲われ、トイレに行こうとしたら…通路側の席に座っていた青年が一心不乱に携帯ゲーム機と格闘中でした。迂闊に声をかけ、いいところで「GAME OVER」なんてことになっては申し訳ない(本音を言えばうらまれるのが怖い)(笑)ので、区切りがよさそうなところを待って、通してもらいました。意外にも、豊橋まで車内放送があり豊橋発車後に「お休み放送」、日付が変わった事でもあり、車内巡回中の車掌さんに新しい日付スタンプを押してもらいます。沼津で定期のムーンライトながらに道を譲ります。翌朝は横浜到着前から放送が入りました。切符を買う時救済臨時代そのままの感覚で指定券は品川までしか買っていなかったので品川で下車します(東京まで買って置けば良かった…)。もう動き始めていた京浜東北線で秋葉原へ。総武線に乗り換え錦糸町へ。今度は快速に乗り換え津田沼へ。ここから敢えて15分歩いて京成津田沼から京成線に乗り換え一旦帰宅します。とはいえまだ早朝、18切符はまだ今日1日使えます。落ち着いたら再び出かけましょう。何処に行ったか?は改めて紹介します。
2007年01月05日
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さて、親元で過ごした2007(平成19)年の元旦~3ヶ日、結局正月らしい行事はろくすっぽ出来ないまま(って、それど頃じゃなかったのですが)に終わり、4日はいよいよ復路のスタートです。今度は全区間青春18切符で移動します。4日夜、23時01分大垣発の「ムーンライトながら92号」の禁煙席が確保できたのは幸運でした。スタートは徳山駅発11時10分の岡山行き5354M。しかし、10時52分着で18分も停車します。万が一着席できないと5時間弱立ちんぼになってしまいますので早めに駅に赴きました。道中の「兵糧」として、あなご飯を購入します。(ココのあなご飯は文献でも紹介されるほど評判が高く、帰省の度に購入しては車中で舌鼓を打ちます。あなご飯といえば、宮島口のそれが更に有名で評判が高いのですがお値段もやや高い上に、ホームで立ち売りしているわけでもなく、購入のため途中下車したら席を確保できる可能性が極めて低い上生産量が限られているとあっては無事購入できないリスクがあり、今回も諦めました)5354Mの方向幕です(但し撮影場所は岩国駅です)。やがて下関方から、ヘッドライトを輝かせ、115系が入線して来ました。おぉ!これはありがたい。115系でも3000番台です。広セキN-08編成、クハ115-3108+モハ115・114-3008+クハ115-3008の4連です。早めに並んでいて正解でした。期待していた進行方向右側は取れず、左側でしたが何とか窓側を確保できました。11時10分、定刻に列車は発車しました。車内はほぼ全ての座席が埋まる程度の乗り様、かつて自分が若かった頃を思い出すに、果たしてこんなに混んでいた?あの頃はもっと空いていたような記憶があるのですが…(^^);ただ、いかにも「同業者」と思しき姿も散見されます。やはり18切符で長距離移動を考えている人たちでしょう。約1時間で岩国到着。ココで20分も停車します。その間に、向こうのホームからは5分接続で瀬野行各駅停車164Mが先行します。岩国から瀬野まで快速運転を行い途中通過駅もある我が5354Mを差し置いて、この164M、終点瀬野駅まで逃げ切ってしまいますが…ココで乗り換えたところで接続列車は結局5354Mです。乗り換える意味はありません。画面左が先行する164M、右が5354Mです。実は20分の停車時間を利用して駅撮りしていました。僅かな時間でしたが、結構様々な車種に出会うことが出来ました。瀬野行の出た後、岩国どまりの列車が到着しました。こちらも3000番台の編成です。岩徳線用でしょうか?キハ47リニューアル車です。広島支社色を纏っています。こちらは103系、この後呉線広行として走ります。でもこうして見渡すと、国鉄時代のクルマばっかりですね…他社では最早懐かしのレトロ車輌とされそうな連中ですが、ココではまだまだバリバリの現役です。でも、素直に喜んでいいものやら…?(個人的には115系もキハ40系も大好きな車輌です。103系だって決して嫌いなクルマなんかじゃありませんが…)小腹も空いたことですし、隣のホームにあった立ち食いスタンドでうどんを食します。さて、発車時刻になりました。ここからは快速運転です。次は宮島口。広電宮島線としばし並走。もしかして?まろねふ様の巧みなノッチ捌きを体験できるか?と期待もしないではなかったのですが、ご当人の勤務シフトを知らず、何よりネット上では何かとお世話になっているとはいえ、直接会ったことがなくそのご尊顔を知らない立場では仮に出会っていても判らないことでしょう。何れ機会があればオフ会ということで…広島都市圏でこまめに停車して広島駅。ココを出ると次は瀬野です。瀬野駅発車、それまで快調に飛ばしていたN-08編成も、流石に22.5ミリ登り勾配&R300区間となるとややペースが鈍ります。ですがそこは山道に強い115系、時速70~80キロは必死にキープし並行する国道のクルマに遅れを取らじと力走します。EF59の助けを借りたEF58の急行列車では時速60キロ台、EF65時代のブルトレでは時速40~50キロ台だったのをこのペースなのはお見事です(EF66のブルトレと大体互角です)。瀬野~八本松間です。蒸機時代は名うての難所でした。八本松駅到着です。対向列車はモハユニットが元117系の3500番台編成でした。峠を制した列車はあとは三原まで坂を下るだけです。右に左に大きくカーブを切る車窓の景色はめまぐるしく変わります。そんな車窓を楽しみつつ、あなご飯弁当に舌鼓を打ちます。沿線でカメラを構えていたらさぞかし良い写真になる事でしょう。かつては数多の「名優達」の名演技が見られたのですが…当時はしかし、別の「舞台」で開催されていた「老優」達の「引退興行」の方が人気が高く、この界隈で繰り広げられた名演技を記録している人は極少数なのでしょうね。三原・糸崎・尾道、福山・笠岡・倉敷…終着岡山には16時03分の到着です。転換シートのおかげで少しも疲労感は感じません。この先は16時44分発姫路行1326Mに乗り継ぎます。さて、文章が長くなりますので一旦ココまでm(_ _)m。以降の道程は後編として翌日以降にUPします。
2007年01月04日
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いつもなら手に汗握りながら応援する箱根駅伝も、今年はそういう気分にもなれず、1日夜放送されたウィーンフィルニューイヤーコンサートも普段の時のようにわくわくすることもできずに正月が過ぎていきます。そして迎えた3日、告別式の日です。支度を整え、式場となった徳応寺に向います。この叔父には昔お世話になりました。中学時代の夏休み、当時叔父一家が住んでいた名古屋を訪ね、明治村観光に行った事がありました。当時まだ幼かった従妹(叔父の長女)は良い伴侶に恵まれ今や二児の母。そう、あれから30年以上の時間が流れました。子供は二人とも男の子、とっても元気に走り回りますが上の子が3歳、下の子はまだ8ヶ月。子供達は祖父の死をどう感じているのか?なまじ二人ともはしゃいでいるだけに却って涙を誘います。従妹は婚家の舅姑にも気に入られ大層可愛がられているとの事。また婿殿がこれまた好男子。ルックスこそ所謂イケメンでもなく、筋骨隆々でもありませんが、実に物腰の柔らかい人柄の良い人で、叔母も気に入ってるとの事。残念なのは叔父の長男にあたる従弟の姿が見えない事。あの野郎親父の葬式だってのに何処にいるのだ?聞けば仕事の都合がどうしてもつかず参加できないとの事でした。サービス業に身を置くと、どうしてもこういった場面が出てきます。私自身前職時代、身内の冠婚葬祭はことごとく欠席せざるを得ませんでした。結婚式などは大概土日祝日(それは小売業では繁忙期でありネコの手も借りたい時。休暇申請はまず出せません)、法要なども同様です。葬儀の場合は99%は突発的に発生しますのでこの場合のみは休暇申請は認めてもらえたものでしたが、それでも場合によっては告別式のみ、通夜への参加は不可能な時や、中にはどうしても休暇がとれず、告別式の翌日、仏前に線香上げるのが精一杯だった時もありました。如何に緊急事態とはいえ、休日を変更するとなると代わりの人員を手配しなければなりません。他の人々とて其々勤務スケジュールに合わせ、自分の休日には予定を立てていますから、そうそう都合がつくとも限らないのです。一般参列者には叔父の勤務先だった会社の関係者の方々も多くみえました。祖父はかつて地元で会社を経営していましたが、若き日の叔父の発案が祖父の会社の主力製品を大きく改善し、やがて会社が「田舎町の町工場」から、皇居の新宮殿建設に加わる全国区の企業に躍進するきっかけとなったとの事。ただ、その新宮殿完成と前後して祖父は他界してしまいました。今回他界した叔父とほぼ同じ享年61歳でした。会社関係である以上多少のお義理だの社交辞令だのがないわけではないでしょうが、多くの人々がその死を悼んでくれるということは、それだけ叔父は世のため人のため役に立った存在だったと言っても罪にはなりますまい。合掌・読経・焼香、滞りなく終わりいよいよ出棺の段となりました。かつて色々世話になった叔父の棺です。まだ何も恩返しできていない甥っ子としてはここで出遅れるわけにはいきません。霊柩車まで棺を抱え運びます。「叔父貴!何そんなに急いで三途の川渡ったんだよ!まだ何も恩返しできてないじゃないか!孫達はどうするんだ?これから爺ちゃんの知恵袋が必要になるんじゃないのか?それ以前に叔母さんどうする気だよ。一人ほっぽり出す気か?やい叔父貴ぃ!目ぇ開けろ。何とか返事しろ!」しかしいくら呼びかけたところで、叔父は目を開けません。起き上がっても来ません。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の中には、主人公の猫の恋人(恋猫?)三毛の飼い主に対して「62で生きているぐらいだから丈夫だと言わねばならない」なる一文があります。確かに明治の頃なら、62まで生きれば長生きの部類だったでしょう。しかし、昨今の平均寿命は男女ともほぼ80歳です。今時享年62歳とは、少々早過ぎます。斎場は見晴らしの良い高台にありました。前回ここに来たのは4年前でした。祖母の時は闘病生活も何年にも渡り、母を含めた四姉妹による「老老介護」の負担もきついものがありましたが、享年96歳と長寿を全うできたことでもあり、悲しい中にも安堵はありました。しかし今回は諦めきれない悔しさを拭い去ることはできません。入院中見舞いに行くことも敵わなかったことは痛恨の思いでもあります。とはいえ、誰よりその思いが強かったのが喪主を務めた叔母であり、太く短く生きることを選びやつれた姿を見せたくないという叔父の意思を尊重し誰にも相談することも愚痴をこぼすこともできない中、気丈に喪主を務めた叔母の心中は察するに余りあります。叔父の骨を拾い骨壷に収めて再びお寺に戻り換骨勤行。そして精進落としです。ここの御院主さんは博識で説法も上手く目から鱗の落ちるような話が次々出てきます。一口に仏教と言っても宗派によっては数珠の持ち方から皆違うんですね(ここは浄土真宗)。また、戒名とは方丈で厳しい戒律を守っている僧侶がつけるものであってそうでない場合は法名となるということも恥ずかしながら初耳でした。通夜の席ではうろたえるのが当たり前。寧ろ平服のままで駆け付けて良い。というお話にはなるほど!と思いました。また、以下に紹介するのは4年前、祖母の葬儀の時にこのご院主さんから聞いたお話ですが…仏様になるということは、手を合わせて拝めばいつでもその人に会えるということ。だから死者に対して「ご冥福をお祈りします」だの「安らかにお眠りください」だの言ってはいけません。何故なら、合掌されればいつでも何処でも即座に飛んでいかねばならないから。では何と言えば良いのでしょう?「慎んで哀悼の意を表します」或いは「お悔やみ申し上げます」と表現するのが良いとのことでした。もしかして?祖父はあの世でも同じような会社を経営していて、叔父の力を必要としてしまい、急遽呼び寄せたのでしょうか?(そうでも考えないと辛くなってしまいますので…)全然関係ない画像ですが、画像無しは寂しいので外川漁港の風景を貼ります。
2007年01月03日
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それは1通の電話でした。応対した母親が急に言葉を失いそして号泣し始めたその電話の内容とは?かねて闘病中だった叔父の訃報でした。まさか?そんなばかな?あんなに元気だった叔父が?まだ60代前半の叔父が?脳天を勝ち割られる思いとはこういう時なのでしょうか?近所に住む伯母達も乗せて迎えに来た兄の車で、叔父の亡骸が収容された市内のお寺に向います。悄然しきった叔母や叔父達(母親は兄弟姉妹が多く皆で7人、上から長女次女三女四女長男次男三男の順で母親は三女、今回物故した叔父は次男に当たります)が順次集まって来ました。皆一様に驚きそして悲しみを露にしています(身内の訃報に接してしまっては誰も笑顔なんて作れません)。1日は仮通夜、2日に本通夜、3日に告別式。日程も決まりました。この日はとりあえずお悔やみのみ伝え、お寺を辞す事にしました。さて弱りました。確かに入院中の叔父の容態が思わしくないという話は聞いてはいましたが、まさかこうも急にみまかってしまうとは…できたら喪服を用意して来いという話もありましたが、荷物になる事でもあり、何より、訃報を聞いた後ならともかく、まだ存命中の人に対して喪服を用意するなんて私にはできません。(もっとも、最近下腹に余計な体重がついた身には以前持っていた礼服はサイズが合わなくなっていますが…メタボリックシンドロームは他人事ではありません)ジャケットとズボン、そして黒ネクタイは葬儀社が貸衣装を手配してくれるとの事でしたが、ワイシャツと靴、靴下は自前で用意する事となりました。(今回は親元への帰省で18切符利用でもあり、ジーンズにスニーカーでしたから、当然ながら革靴なんぞ用意していません)。折角母親が作ってくれたおせち料理でしたが、弔いの「忌み」がかかってしまっては肉もの・魚ものは口にできません。幸いにしておせち料理は元々日持ちのするメニューですので、それらは冷蔵庫に仕舞い、以降食事は植物性のもののみの精進メニューとなりました。幸いにして2日には市内の百貨店が初売りを初めていますので、これらの品物は市内で購入することにしました。かつては界隈でもその賑やかさを誇った周南市(旧徳山市)銀南街商店街。通りは人や車で溢れ、沿道の商店には品物で溢れ、都会の風を漂わせていたこの商店街は、いつの間にかシャッター通りに成り果てていました。この日の数少ない営業店舗である百貨店に立ち寄り、靴を探しますが、この老舗百貨店、品揃えがさして豊富ではなく、私の日頃愛用している価格帯の商品は殆どありません。皆、いつも利用している品物なら2つ以上買える様な値段がついています。流石は富裕層相手の店舗、下層階級の私の来るべき店ではないようです。それでなくても「規格外」の私の足に会うような「奇特」な靴などそうそうあるものではありません。やっと見つけた靴の値札は…福沢先生2人でもまだ足りません。もう一人野口博士の応援を得て手に入れました。買い物がひと段落着いたので腹ごしらえをする事になりました。この百貨店7階にある食堂を利用します。その昔ここの展望大食堂からは、眼下に山陽本線が見え、丁度この下辺りで貨車の入換作業を行っていたC50の姿が眺められ、小学生時代はそれが楽しみでもありました。今はかなり改装されてしまい、食堂の客席から山陽線を眺めることはできなくなりました。肉類・魚類を口にできない身に安心して食せそうなものは…?と探してみると、ざるそばがありましたのでこれにしました(つゆの味を取るためにかつお節などが使われてはいますが…)。そういえば、母と二人でここで食事をしたのっていつ以来でしょう?小学生時代以来ですからおよそ35年ぶり?一旦帰宅し準備を整え、夕方再び通夜会場へ向います。もっとも聞きたくなかった話を聞いてしまった、とっても悲しい正月となりました。画像が何もないのも寂しいので、徳山駅で撮影しましたキハ40リニューアル車広島支社色です。
2007年01月02日
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さて、久方ぶりに親元で過ごす正月です。とはいえ、この場所は実は生まれ育った場所ではありません。生家は既に兄の代に変わり、そして巷によくある話の如く、母と兄嫁の関係が、「実録版橋田寿賀子ドラマ」状態!結局母は自分の実家近くの、母の実家所有の貸家に一人で暮らしていて、今回立ち寄ったのはその「隠居庵」です。同居中は一触即発だった「嫁姑」ですが、別居したおかげでかなり冷めたのか?以前ほどの緊張はなくなりましたが…この手の問題ってオトコにゃ手に負えませんので一切口出しはできません。尚、母と兄、兄と私、兄嫁と私の間では揉め事はありません。久々に母親手製の「おせち料理」の振る舞いを受けました。正月に母親と一緒に過ごした事は自体は数年前現住所に母親が訪ねてきた時にもありましたが、仕事に追われた親不孝息子は暮れも正月も会社に行っていたことでもあり特段お正月行事はしていません。その意味では本当に久々の正月になりました。折角なので初詣にでも行こうか?という話になり、それでは…と向かったのが遠石八幡宮。徒歩30分弱の距離です。生憎母は運転免許を持たず、当然ながらここには使える車はありません(私も今回の帰省に車を使う気にはなれませんでした。千葉県から山口県までずーっと運転すると疲れますし高速道路もいつも以上に混んでいます。時間も読めません。何より車より列車の方が200倍以上楽しいってのに…だって「鉄」なんですから。私)。とはいえ、遠石八幡宮を参拝したのは実は今回が初めてです。子供の頃は寧ろ防府天満宮の方が主な初詣先でした(そっちの方が近かったのと、高校時代はこの町の高校に通っていたので)。それにしても凄い人出。参道の石段は国会の重要法案に反対する野党のセンセイ方も顔負けの牛歩モード(爆)。こんな雰囲気も久々味わいます。しかし、地方都市の小さな神社でこの賑わいでは、明治神宮などの大社ではどんな凄まじいことになっているやら…良い就職先が見つかることを祈って参拝した後、境内で開催されていたくじ引きに挑戦しました。結果は…?2枚は8等賞(最下位)で雑貨でしたが1枚だけお醤油1升瓶1本が当たりました。途中お醤油を安売りしていたお店もあったのですが、買わなくて良かった(爆)。しかし、大家族ならともかく、年寄の一人暮らしでは果たして使いきれるのか?小瓶に小分けして親戚縁者にお裾分けでもしようかしら?(^^);同じ頃やっぱりくじを引いた30代位の奥さん、開けてビックリ特等賞!温泉旅行ペアでご招待とのこと。あらおめでたい事。でも当の奥さん…「今年のツキを使い果たしたかしら~」おやおや、この程度で使い果たすなんて…これを機会に今年は幸運を呼ばなきゃ…ネッ!(あやかりたい~)(爆)再び石段のところまで戻ってくると、丁度視界の先を700系が通過して行きました。この境内からは新幹線高架橋が良く見えるんです。カメラ持って来りゃ良かった(^^);参詣を終えて帰宅して程なくかかってきた一通の電話。応対した母が急に言葉に詰まったかと思うといきなり号泣し始めました。その電話の内容とは?それはお正月気分を一気に吹き飛ばす知らせでした。この日は写真を撮らなかったので、既出画像ですが、徳山駅の写真を貼ります。
2007年01月01日
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